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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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元市議名誉毀損事件 第40回
淡白な反論

 山川が附帯控訴状を提出したのは平成28年10月7日である。これに対する矢野らの答弁書は同年10月14日、送付された。どんな分厚い書類が届くかと思っていたが、その反論は思いのほか淡白なものだった。矢野らの反論は以下のとおりである。



(附帯控訴に対する矢野らの答弁)

「附帯控訴の理由に対する認否」

 被控訴人(附帯控訴人)は、附帯控訴の理由として同人の独自の見解を縷々述べるが、原判決に関する控訴人ら(附帯被控訴人ら)の主張は、控訴理由書記載のとおりであり、これに矛盾・抵触する被控訴人(附帯控訴人)の主張については、すべて否認ないし争う。



 附帯控訴の理由に対する反論は、これがすべてである。矢野らは一審判決を受け入れなかった。しかし、一審が認定した「一般読者の読み方」(「原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり、仲介のような役割を果たしており、貸金が返済されないことについて知らん顔をしているあきれた人だ」などというもの)については「山川がお金を巻き上げる連中の口ききであり」とした箇所以外の部分に対しては、一審の認定を容認していた。

一審の認定に従う主張

 一審の「一般読者の読み方」についての認定は、「本件記事は『山川が詐欺事件に関与した』と主張するもの」という山川の主張からは、はるかに後退したものと思えた。一審は、認定した「一般読者の読み方」に基づき、それが不法行為を構成するかについての立証対象は「松田を被害者に紹介したのが山川であるのか否か」という点にあるとした。むしろ、一審が示した争点は記事の本質(「山川は詐欺事件に関与した」とするもの)を矮小化させるもののようでもあった

 捜査権を持たない一般人が、一人の人物が「詐欺」という犯罪行為に関与したかどうかを立証することは困難である。民事裁判ではそう信じたことについて相当の理由があればいいが、それでも、本件で相当性が認められるには、塩田が被害者から多額の金を引き出したことについて山川が塩田や松田と事前に通牒していたなどを立証する資料が必要となろう。

 しかも、一審でも矢野らは「山川が詐欺事件に関与した」とする事実について、詐欺事件に直接結びつく事実に関する主張も立証もしなかったから、最初から直接的に「山川が詐欺事件に関与した」とする事実を立証することは難しいことがわかっていたのだろう。だから、山川が松田に「被害者が一人暮らしになったことを話した」ことをもって「『詐欺事件に関与した』ことは明らかだ」などと主張するほかなかったように思える。

 矢野らにとって、「山川は詐欺事件に関与した」とする事実を立証することに比べれば、「松田を被害者に紹介したのが山川であるのか否か」を立証しようとすることの方がはるかにハードルが低いのは明らかである。敗訴はしたものの、矢野らにとってはまだつけ込む余地があると思わせたのかもしれない。

 また、「お金を巻き上げる連中の口ききで、仲介のような役割を果たしたのに、貸金が返金されないことについて知らん顔をしているあきれた人」という記事であると認定される方が、「詐欺事件に関与した」とする記事を掲載したとして損害賠償を命じられよりもまだ、市民に対する印象はマシだろう。矢野らにとって、控訴にあたっての立証の問題だけでなく、記事内容に対する評価という点においても、一審が認定した「一般読者の読み方」に異を唱える理由はなかったのではあるまいか。

 したがって、矢野らが控訴理由書で争点としたのは一審判決に基づき、「詐欺グループの一員である松田を被害者に紹介したのが山川だったのか否か」だった。矢野らは「山川が松田を被害者に紹介した」と主張し、被害者の新たな陳述書まで提出することでその立証に全力を挙げた。山川が附帯控訴状を提出しなければ、矢野らの主張には、成否は別にして、それなりの合理性があったといえる。

 しかし、山川が附帯控訴状を提出し、一審が示した「一般読者の読み方」を否定したことで状況には変化が生じた。山川が提出した附帯控訴は、矢野らの控訴とは争点をまったく異にするものだった。

 矢野としては、「詐欺グループの一員である松田を被害者に紹介したのが山川だったのか否か」が争点であるとする主張に全力を傾注した以上、いまさら山川が一審とは異なる争点を提示したこと自体を受け入れるわけにはいかないということだったようにみえた。だから、山川の附帯控訴を「独自の見解」として切り捨てたのではあるまいか。

 附帯控訴状での山川の主張は「独自の見解」だから、相手にすべきではないという、東京高裁に対するアピールでもあろう。ならば、山川の主張がどんな理由で「独自の見解」なのかについて少しでも説明があればより説得力があったのではないか。しかし矢野らの答弁書には、山川の主張が「独自の見解」である理由についてはいっさい書かれていなかった。

〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉〈創価、元公明市議らが仲介して〉〈言葉巧みに、一般市民から、借りて1860万円も返さず〉(以上、記事1)、〈勝手は許さない〉〈本山破門『ご本尊』放棄の政治集団化の先は、『詐欺師集団?』〉〈新興宗教の衣を脱ぎ捨てた集団〉(以上、記事2)の見出しが付いたそれぞれの記事を一般読者はどう読むと判断するのか――。名誉毀損に対する判断だけでなく、「一般読者の読み方」に対する東京高裁の判断も注目されるところであると思う。判決言い渡しは12月7日である。
 
(「判決後」につづく)
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元市議名誉毀損事件 第39回
写真が見出しを補完

「記事1」には見出し以外にも、読者に対して記事全体の意味を「山川が詐欺事件に関与した」と理解させる重要な要素があった。〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉とする横書きの見出しの真下に配置された写真である。写真は東村山市内にある創価文化会館で、写真の下には〈一般市民から2140万円も借りて〉とするキャプションが付けられている。

 この写真とキャプションを見せられた一般読者は、やはり「一般市民から2140万円も借りたのは創価学会関係者なのだ」と理解するのではあるまいか。公明党市議が創価学会の会員であることは周知の事実である。したがって、一般読者がその後あらためて写真の真上にある〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉とする見出しを読めば、「記事1」が「元公明市議が1860万円の詐欺事件に関与した」という記事であるという確信をより深める――〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉とする見出しとその真下に配置された創価文化会館の写真およびキャプションは、そんな相互に補完し合う関係にある。

 これは偶然ではあるまい。露骨に「山川は詐欺事件に関与した」と断定するものではないが、少なくとも「創価学会関係者が詐欺事件を起こし、元公明市議が関与した」と読者に印象付けようと可能な限りの手段を尽くそうとしているように思える。

 山川は記事とは無関係の創価文化会館の写真と思わせぶりなキャプションが掲載されている点について次のように主張している。

〈本件写真及び写真説明は本件見出し1(筆者注=「記事1」の見出し)の印象をより強める効果をもたらし、本件見出し1を読んだ一般読者はより一層、「借金をして1860万円を返さないという詐欺事件に元公明市議が仲介という形で関与した」と理解することは明らかである。〉

 それでもなお、一審は見出しについて一言も触れなかったということになる。これは妥当な判断といえるのだろうか。

「記事1」に対する「一般読者の読み方」

 では、本文を読んで一般読者はどう理解すると山川は主張しているのか。「記事1」において直接的に「山川の関与」を説明しているのは、〈山川元公明市議は口では被害者女性の味方になってお金を取り戻すそぶりをしていたが、結局はお金を巻き上げる連中の口ききでしかなかった。〉とする記載である。

 この部分について山川は次のように主張している。

〈上記記載は「山川は詐欺グループの口ききである」と断定するものであり、本件見出し1(同)を「借金をして1860万円を返さないという詐欺事件に元公明市議が仲介という形で関与した」と理解していた一般読者は、本件記事1について「山川は仲介というかたちで詐欺に関与したのだ」と確信をもって理解するものである。〉

 見出しと本文の記載から記事の趣旨を総合的に判断すれば、やはり記事1について一般読者は「山川は詐欺事件に関与した」と読むものとみるべきではあるまいか。

 一審が認定した「一般読者の読み方」の中には、〈上記貸金が返済されないことについて、(山川は=筆者)知らん顔をしているあきれた人だ〉とする箇所がある。しかし記事1には「知らん顔をしているあきれた人だ」などとの文言は記載されていない。したがって、〈一般読者が本件記事1を原判決のように読むことはあり得ない。〉と山川は主張し、「一般読者の読み方」および名誉毀損の認定内容について見直しを求めている。

 記事1を読んだ読者が記事2を続けて読むという保証もない。この点からも、一審の認定は判断を誤っているといえるのではあるまいか。記事1と記事2を一括して判断しようとしたところにそもそもの間違いがあるように思えてならない。

「記事2」に対する「一般読者の読み方」

「記事2」には〈勝手は許さない〉、〈本山破門「ご本尊」放棄の政治集団化の先は、「詐師集団?」〉、〈新興宗教の衣を脱ぎ捨てた集団〉との見出しが付いている。これらの見出しについて山川は〈一般読者は、本件記事2の内容が「勝手な行為を繰り返している新興宗教の衣を脱ぎ捨てた『詐欺師集団』について」であると理解する。〉と主張している。

「記事2」の本文には、冒頭に、

〈1面に、公明党元市議らが仲介した創価学会信者らが、高額のお金を借り、そのまま返さないという詐欺まがいの行為を繰り返している事件を紹介しました……〉

 と記載しているから、一般読者は見出しの「詐欺師集団」が創価学会を指していることをすぐに理解することは明らかである。

 山川はその点を指摘した上で、一般読者は本文で山川について〈「塩田らが一般市民から1860万円を借りて返さないという詐欺まがいの行為について仲介のような役割を果たした山川元公明市議は、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人物」と理解する。〉と、ここまでは一審の認定内容を認めている。しかし、「記事2」の本文だけを読めばそう読めるとしても、見出しの文言を考慮すると、読者は「記事2」どう読むのか。山川は次のように主張している。

〈本件見出し2(筆者注=「記事2」の見出し)〈勝手は許さない〉や〈詐欺師集団〉との文言、及び本件記事1の見出し1(筆者注=「記事1」の見出し)と写真から、本件記事2についてさらに「やはり山川は『詐欺師集団』の一員で詐欺まがいの行為を仲介したから、返済されなくても『知らん顔』をしているのだ」と理解する。あるいは、少なくともそのような疑いを持つことは明らかである。〉

 一般読者は1面から目を通すのが通常で、「記事2」を読んだ時点ですでに「記事1」を読んでいる可能性が高い。「記事1」を読んだ後に「記事2」を読んだ読者は、「記事1」の印象から逃れることは困難なのではあるまいか。山川は「記事2」についても、「一般読者の読み方」および名誉毀損の認定内容の見直しを求めている。

あり得ない事実誤認

 このほか、一審は「公共性・公益性」の判断において、「山川が本件新聞発行時において市議会議員だった」とする明らかな事実誤認を犯しており、その誤認に基づいて「公共性・公益性」を認定していた。よって山川は、一審の公共性と公益性があるとした判断は誤りであると主張している。

 附帯控訴状における山川の主張は以上だった。なお、附帯控訴において山川は損害賠償請求額を減縮し、慰謝料として50万円を請求している。

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第38回
2本を一括りにした判断

 附帯控訴にあたって山川が主張したのは、本件記事1、2を「一般読者がどう読むか」という点についてである。一審の東京地裁の認定は次のとおりだった。

〈本件記事は、一般読者が普通の注意を払って読んだ場合、塩田が被害者女性から約2140万円を借り、うち1860万円を返しておらず、この行為が詐欺まがいの行為であり、市議会議員である原告が松田を被害者女性に紹介し、松田が妹の塩田を被害者女性に仲介したことにつき、原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり、上記行為について、仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だと述べていると読むことができる。〉

 山川が問題としたのは1面に掲載された〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉〈創価、元市議らが仲介して〉などの見出しが付いた「記事1」と、その裏面にあたる2面に掲載された〈本山破門「ご本尊」放棄の政治集団化の先は、「詐欺師集団?」〉〈新興宗教の衣を脱ぎ捨てた集団〉とする見出しが付いた「記事2」の2本の記事である。2本の記事は、新聞でよくあるような、1面トップで一部を報じ、(2面に続く)という形でつながっているものではない。また「記事1」は通常の記事だが、「記事2」は「発行人 矢野ほづみ」の署名があるコラムだから、明らかに「記事1」と「記事2」は1本の記事ではない。

 ところが一審判決は、「本件記事は」と、「記事1」と「記事2」があたかも1本の記事であるかのように、「一般読者の読み方」を認定していた。附帯控訴状で山川がまず指摘したのはその点である。「記事1」と「記事2」をそれぞれ別個に検討した上で上記の認定に至ったというのならまだわからないではない。しかし東京地裁は、いきなり上記のような判断を示したのである。一括して判断することについてそれなりの説明があるのかといえば、それもいっさいなかった。

「一般読者の普通の注意と読み方」を基準にすれば、まず「記事1」を読み、それから1面の他の見出しや記事に目を通したあとで「記事2」を読むというものであることは明らかだろう。もちろん、「記事1」だけを読んで「記事2」は読まない場合もあり得るし、その逆も考えられよう。いずれにせよ、一般読者は「記事1」と「記事2」を独立した記事として読むのであって、「記事1」と「記事2」を最初から一続きに読むとみるのは困難なのではあるまいか。

 一審の判断方法の弊害は目に見えるかたちで現れていた。一審が示した上記「一般読者の読み方」の末尾にある〈仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だ〉などという文言は「記事1」にはいっさい含まれておらず、そのような趣旨の文言も存在しない。つまり少なくとも「記事1」については、一審の判断は明らかな誤りであるということになる。

 するとやはり、「記事1」と「記事2」についてそれぞれ判断すべきなのではないか。いきなり「記事1」と「記事2」を一括りにして論じようとしている時点で、一審は「一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべき」という最高裁判例に反しており、判断の方法を誤っている――というのが山川の基本的な主張だった。

「見出し」が考慮されない判断

 次に山川が問題にしたのが、一審の「読者の読み方」の中に〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉〈創価、元市議らが仲介して〉〈言葉巧みに、一般市民から、借りて1860万円も返さず〉(記事1)、〈本山破門「ご本尊」放棄の政治集団化の先は、「詐欺師集団?」〉、〈新興宗教の衣を脱ぎ捨てた集団〉(記事2)という、一般読者の目に最初に飛び込んでくるはずのこれらの見出しの文言についていっさい言及されていない点だった。一般読者は見出しを見、大方の意味を掴んだ上で、見出しに興味を持てば本文へと読み進むのが通常である。一審が「一般読者の普通の注意と読み方」を基準に判断するといいながら〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉などとする見出しにいっさい触れないのは、自ら示した判断基準とも矛盾しているのではないか。

 多くの判例をみると、「見出しを独立的に判断したもの」と「見出しと本文を総合的に考慮して判断したもの」の2種類に大別されるが、見出しについては言及せず、本文の記載内容のみを検討して結論を出した判例は確認できなかった。したがって山川は、〈一般読者が記事1、2をどう読むかについては、見出しを含む記事全体から判断すべきである。〉と主張している。

「記事1」に対する主張

 一審判決が示した「一般読者の読み方」が誤りであることを主張した上で、山川は「記事1」と「記事2」それぞれの「一般読者の読み方」について主張している。

「記事1」には〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉〈創価、元市議らが仲介して〉〈言葉巧みに、一般市民から、借りて1860万円も返さず〉という見出しが付けられており、とりわけ〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉は白抜きのゴシック体で記事の上部に横書きで配置され、〈創価、元市議らが仲介して〉はタテ3段抜きの明朝体と、断定する文言自体の強さだけでなく視覚的にも一般読者に対して強く訴求するものとなっている。その点を指摘した上で、「記事1」の見出しについて山川は次のように主張している。

〈本件見出し1(筆者注=記事1の見出し)は「1860万円詐欺」「元公明市議らが関与」「創価、元市議らが仲介」といずれも断定しているから、一般読者は「借金をして1860万円を返さないという詐欺事件に元公明市議が仲介という形で関与した」と理解するものである。〉

〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉の見出しの真下を見ると、本文の「山川昌子・元公明党市議」の実名が目に飛び込んできて、見出しにある「元公明市議」とは誰なのかを読者は労せずして知る可能性もある。そうでなかったとしても、本文の2行目にはすぐに山川の名前が出てくるから、読者が見出しの「元公明市議」とは山川のことであると理解するのは時間の問題であるのは明らかだった。  

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第37回
主張と一審判決の隔たり

 矢野らの控訴に対して、山川は「被害者に松田を紹介したのが自分ではないこと」を中心に反論を行った。しかし、だからといって、一審の東京地裁が示した本件記事に対する「一般読者の読み方」に対する判断および名誉毀損を認定した理由(「被害者に松田を紹介したのが山川だったのか否か」)について必ずしも納得していたわけではない。むしろ山川は、このまま控訴審を闘うことに危惧を抱いた。矢野らの控訴理由に反論するだけでは、裁判は自分の考える本来の争点を素通りしたものとなり、本来問題とされるべき記事本来の狙いや悪質性を矮小化されかねない――と。

 山川が問題にした『東村山市民新聞』第186号に掲載された記事は以下のような2本の記事だった。



(記事1)

(見出し)


〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉、〈創価、元市議らが仲介して〉、〈言葉巧みに、一般市民から、借りて1860万円も返さず〉

(本文)

山川元公明市議は口では被害者女性の味方になってお金を取り戻すそぶりをしていたが、結局はお金を巻き上げる連中の口ききでしかなかった。

(記事2)

(見出し)


〈勝手は許さない〉、〈本山破門「ご本尊」放棄の政治集団化の先は、「詐欺師集団?」〉、〈新興宗教の衣を脱ぎ捨てた集団〉

(本文)

 1面に、公明党元市議らが仲介した創価学会信者らが、高額のお金を借り、そのまま返さないという詐欺まがいの行為を繰り返している事件を紹介しましたが……。

――中略――

 1面の被害者女性の場合は1860万円の被害が、そのまま残っていますが、この件で松田、主犯格の塩田も、現在返済しようとしていませんし、少なくとも仲介のような役割を果たした山川元公明党市議も1860万円を返そうとしていないことについて、知らん顔をしています。

 元議員の立場で、貸金の仲介者のような役割を果たしながら、山川元市議は「知らん顔」、あきれた人たちです。こういう人たちが公明党の議員というのですからあきれます。



 山川は「記事1」「記事2」ともに、「原告が詐欺事件に関与した」との虚偽の事実を摘示するものであり、原告の名誉を毀損するものであると主張していた。

 これに対し一審の東京地裁は、「記事1」「記事2」の「一般読者の読み方」について次のように認定した。



(東京地裁が認定した「一般読者の読み方」)

 本件記事は、一般読者が普通の注意を払って読んだ場合、塩田が被害者女性から約2140万円を借り、うち1860万円を返しておらず、この行為が詐欺まがいの行為であり、市議会議員である原告が松田を被害者女性に紹介し、松田が妹の塩田を被害者女性に仲介したことにつき、原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり、上記行為について、仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だと述べていると読むことができる。



 東京地裁は上記「一般読者の読み方」に基づき名誉毀損の有無を検討した結果、「原告が松田を被害者に紹介した事実については根拠がない」などとして、

「市議会議員である原告が松田を被害者女性に紹介し、松田が妹の塩田を被害者女性に仲介したことにつき、原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり、上記行為について、仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だ」

 と述べる部分について、原告の名誉を毀損するものであると結論付けた。東京地裁の判断は、記事が原告の名誉を毀損するものであるという結論においては原告の主張を容認するものだったものの、その内容においては原告の主張とはかなりの隔たりがあることがわかろう。

「一般読者の読み方」に対する疑問

 矢野らは一審が認定した上記の「一般読者の読み方」とそれに対する判断に基づき、判決理由を覆すための控訴理由書を提出してきた。いうまでもなく、その主張の前提は一審の東京地裁が示した「一般読者の読み方」だった。

 したがって控訴審では、〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉、〈創価、元市議らが仲介して〉、〈言葉巧みに、一般市民から、借りて1860万円も返さず〉などとするタイトルの記事が、「市議会議員である原告が松田を被害者女性に紹介し、松田が妹の塩田を被害者女性に仲介したことにつき、原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり、上記行為について、仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だ」という記事であるという前提で進行することになる。山川の訴状における「本件記事は『原告が詐欺事件に関与した』との虚偽の事実を摘示した」という主張はもはや争点ではなくなる可能性が高いと判断できた。

 一審が判断したとおりの「一般読者の読み方」が確定すれば、山川から提訴された記事の趣旨は「山川が詐欺事件に関与した」というものではなかったことになってしまおう。一審で敗訴したとはいえ、〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉とする見出しが訴える「山川が詐欺事件に関与した」とする事実が争点でなくなることは、矢野らにとって好都合だったのではあるまいか。

 このまま控訴審が進行すれば、「本件記事は『山川が詐欺事件に関与した』というものではない」という主張が一応成り立つことになりかねない――。控訴されたことで山川は、最も基本的な主張だった本件記事の意味と意図がこのまま消えてなくなってしまうことに対する違和感がしだいに大きくなっていった。このまま矢野らの控訴に対して防御するだけでは悔いが残る気もした。

 こうして山川は、あらためて本件記事の「読み方」とそれに対する判断を求めて附帯控訴に踏み切ったのである。

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第36回
最初の陳述書を隠匿か

 矢野らが主張する「被害者提供資料の入手」について不可解な点がもう1つあった。矢野らは一審の第3回口頭弁論の際、被害者から入手した「塩田を提訴した際の『和解調書』」、「塩田らに対する『告訴状』」、「塩田らを告訴した際に提出した『山川の陳述書』」などを提出した。しかしその中には、塩田を提訴した際に作成した被害者の最初の「陳述書」だけは含まれていなかった。その陳述書が当時存在していたことは、山川の方から同陳述書を証拠として提出したことからも明らかである。

 被害者は控訴審で提出した新陳述書で、本件記事の作成前に朝木から事情を聴かれた際、事件に関する資料を朝木に「すべて見せた」と供述している。すると、その資料の中に最初に塩田を提訴した際に作成した被害者の陳述書が含まれていないはずがない。

 では、矢野らが本件記事作成前に「入手した」と主張し、第3回口頭弁論で証拠として提出した資料の中に、被害者の最初の陳述書が入っていないとはどういうことなのだろうか。最初の陳述書で被害者は、

〈そのような申し入れは断れば良かったのですが、松田さんの紹介であったことや、……被告塩田や松田さんらに色々とお世話になっていたこともあり、断り切れずに……総額2600万円ものお金を貸してしまったのです。〉

 と述べ、さらにそれに応じてしまった被害者が、最後には貸金を断れない状況に追い込まれていった経過を包み隠さず述べている。

 その一方、その陳述書の中には「山川」の名前さえいっさい出ないばかりか、山川を責めるような文言はいっさいなかった。被害者が控訴審で提出した新しい陳述書にあるような、山川を非難する文言は一言も存在しなかったのである。

 被害者本人が直接的に事件の経緯を供述した最初の陳述書は、事件の真相を知る上で最も重要な証拠である。しかしその陳述書で被害者が述べている内容は、「山川は詐欺事件に関与した」と主張している矢野らにとって、その事実を立証するものではなかった。むしろ、その陳述書の中に山川の名前さえいっさい登場してこないことは、矢野らにとってマイナス材料でしかないように思えた。だから矢野らは、被害者の最初の陳述書を保有していたが、あえて提出しなかった――そう考えるのが自然なのではあるまいか。

 つまり矢野らは、被害者から提供された資料を入試したのが本件記事作成の前であるにせよ、提訴された後であるにせよ、その時点で山川が詐欺事件に関与していないことを理解していたのではあるまいか。本件記事掲載前に朝木に事情を聴かれた際、「資料をすべて見せた」と供述している新たな陳述書を被害者に提出させたことで、矢野らはかえって彼らの主張の矛盾を露顕させてしまったということになろうか。

 第1回口頭弁論から第2回口頭弁論に至る矢野らの主張の経過からすれば、被害者が塩田を提訴した際の「和解調書」などの資料を矢野らが入手したのは第1回口頭弁論から第2回口頭弁論の間のように思えてならない。その仮定が事実とすれば、控訴理由書における矢野らの再三にわたる主張――

〈控訴人らが本件記事を掲載した本件新聞を発行した時点において、○○(筆者注=被害者)を取材することにより同人から聴取済みであった内容及び同人から入手済であった資料からすれば、控訴人らが少なくともこの事実を真実と信ずるについて相当の理由がある。〉

 とする主張には理由がないことになる。確かな根拠もなく、意図的な解釈や憶測によって山川を「詐欺事件の共犯」呼ばわりしたとすれば、悪質な記事と評価されても仕方があるまい。

本件記事の意図

 また仮に矢野らが記事作成の前に被害者が提供した資料のコピーを入手していたとすれば、当然、その中には被害者の最初の陳述書も含まれていたとみるのが自然である。上記のとおり、被害者の陳述書には山川の名前すら登場しない。もちろん、控訴審で提出された被害者に新しい陳述書にある「被害者が山川に相談を持ちかけたところ、しだいに被害者に対する態度が変わり、被害者が電話をしても出なかったり、電話に出てもつっけんどんな態度をとるようになった」などの記載もない。

 その他の資料(「塩田を提訴した際の『和解調書』」、「塩田らに対する『告訴状』」、「塩田らを告訴した際に提出した『山川の陳述書』」)から矢野らの主張の根拠となるものがあるかどうかを探しても、わずかに山川の陳述書の中に「被害者が一人暮らしになったことを松田に話したこと」が記載されているだけで、山川が詐欺事件に具体的に関与したことをうかがわせる記載はいっさい存在しなかった。むしろ山川の陳述書は、山川がどれほど被害者を支援してきたかが理解できるものだった。

 山川は「矢野らが本件記事の作成前に被害者から上記の資料を入手していたとしても、山川が詐欺事件に関与したといえる根拠は存在しない」とした上で、次のように主張している。

〈にもかかわらず、控訴人らは「1860万円詐欺、元公明市議らが関与」……などと、被控訴人が詐欺事件に関与したとする内容の記事を掲載したのである。控訴人らが入手したとする乙3ないし乙6(及び甲6)には、被控訴人が「詐欺に関与した」とまで断定できる要素は存在しないが、それを「詐欺に関与」とまで書くには当然、当事者に対する取材は不可欠である。しかし、控訴人らが被控訴人に取材した事実はいっさい存在しない。したがって、仮に控訴人らが本件記事の掲載までに上記○○(筆者注=被害者)の資料を入手していたとしても、本件記事に相当の理由があったとは到底いえない。〉

 山川は本件記事の成り立ちについて次のように結論付けた。

〈控訴人らが本件記事掲載までに○○(同)から乙3ないし乙6(及び甲6)を入手していたとすれば、その事実は、……被控訴人が「詐欺に関与した」と断定できる要素が存在しないことが明らかであるにもかかわらず、被控訴人にも取材せず、被控訴人が「詐欺に関与した」との一方的な記事を掲載したということを意味する。すなわち、本件記事は、単なる思い込みや事実誤認ではなく、被控訴人を貶めようとする目的で作成されたより悪質な記事ということになる。〉

 矢野らが本件記事作成までに被害者が提供した資料を入手していなければ、相当性がないのは当然のこと、仮に矢野らが資料を入手していたとすれば、その上で本件記事を掲載したとすれば、より悪質である――山川の主張をまとめるとこういうことになろう。

 以上が、矢野らの控訴理由に対する山川の反論だった。

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第35回
暗に記事の相当性を主張

 被害者の山川に対する認識は、少なくとも本件『東村山市民新聞』第186号が発行・配布された直後(平成27年8月)と平成28年9月7日付陳述書とでは180度異なるようにみえる。ところが矢野らは控訴理由書で、塩田からの返済が滞ったあと、山川は被害者に対して〈突き放した態度をとった〉、〈被害者が電話をしても出なかったり、出てもつっけんどんな態度をとるようになった〉とし、さらに次のように主張していた。

〈(本件ビラに記載した内容は、いずれも=筆者)控訴人ら(筆者注=矢野ら)が本件記事を掲載した本件新聞を発行した時点において、○○(筆者注=被害者)を取材することにより同人から聴取済みであった内容(乙1……筆者注=朝木の陳述書)及び同人から入手済であった資料(乙3ないし乙6……筆者注=「被害者が塩田らを提訴した際の『和解調書』」「被害者による塩田らに対する『告訴状』」「上記告訴に際して山川が提出した『陳述書』」など)からすれば、控訴人らが少なくともこの事実を真実と信ずるについて相当の理由がある。〉

 矢野らはここで、被害者が控訴審で提出した新陳述書で述べている〈(山川は)今では松田さんの側に立って行動しているのではないかと疑うようになりました〉と供述するに至る理由、すなわち山川は被害者に対して〈突き放した態度をとった〉、〈被害者が電話をしても出なかったり、出てもつっけんどんな態度をとるようになった〉とする被害者の話を、本件記事掲載よりも前に取材していたと主張していた。

 だから、記事は矢野らの憶測で書いたものではなく、被害者に対する取材と資料に基づいて作成されたもので、真実と信じるに相当の理由があったと間接的に主張しているように思えた。「詐欺グループの一員である松田を被害者に紹介したのは山川だ」と主張した際にも、同じ主張がなされていた。

 矢野らが主張するように、本件『東村山市民新聞』第186号の発行前に矢野らは、「被害者が塩田らを提訴した際の『和解調書』」「被害者による塩田らに対する『告訴状』」「上記告訴に際して山川が提出した『陳述書』」を入手しており、また「山川がつっけんどんな態度をとるようになった」などという話を聞いていたのだろうか。仮に裁判所がその事実を認定した場合には、一応の理由があったと認定されないとも限らない。そこで山川は、矢野らが主張する資料等の入手時期についても答弁書で反論を行った。

不可解な答弁書

 山川がまず主張したのは、矢野らが主張する資料等の入手時期と、一審の答弁書における矢野らの主張内容があまりにも乖離している点だった。本件ビラの発行から本件裁判の経緯を時系列でみると以下のとおりである。



平成27年7月31日  『東村山市民新聞』第186号発行

同年10月9日  提訴

同年11月30日  第1回口頭弁論。同日矢野らが提出した答弁書では(〈事実は、「東村山市民新聞」第186号の1面及び2面に記載されているとおりである。〉と主張するのみで具体的な主張はいっさいなく、被害者の新陳述書に記載された内容は一言半句も記載されていない)

平成28年1月12日  朝木陳述書(第2回口頭弁論で提出。内容的には、控訴理由書における主張および被害者の新陳述書と共通している)



 上記の経過の中で、矢野らが本件『東村山市民新聞』第186号が発行される前に「被害者を取材することにより同人から聴取済み」で、かつ「被害者が塩田らを提訴した際の『和解調書』」「被害者による塩田らに対する『告訴状』」「上記告訴に際して山川が提出した『陳述書』」などを入手していたとすれば、第1回口頭弁論に提出した答弁書で朝木陳述書の内容に重なる主張を一言もしていないのは不自然というほかない。

朝木と被害者の説明に齟齬

 また被害者は新陳述書において、最初に朝木に事情を話した当時の状況について次のように述べている。

〈朝木さんから電話がかかってきたので、簡単に事情を説明すると、大変驚いた様子でした。翌日自宅にて、書類などもすべて見せて今回の詐欺事件のことをお話ししました。その後も自宅や近くのファミリーレストランで何度も書類の確認や補足の説明をしました。〉

 矢野らは控訴理由書で、『東村山市民新聞』第186号の発行前に「被害者を取材することにより同人から聴取済み」で、かつ「被害者が塩田らを提訴した際の『和解調書』」「被害者による塩田らに対する『告訴状』」「上記告訴に際して山川が提出した『陳述書』」などを入手していたと主張している。つまり矢野らは、「被害者から事情を聞いた事実」と「資料を入手した事実」を分けて具体的に記載している。一方、被害者は朝木に事情を説明した状況をここまで詳細に供述しながら、「資料をコピーして渡した」とは一言も述べていない。

「見せて説明した」ことと、「説明した上で、資料をコピーして渡した」こととは、単純に事実として異なる。また記事を書く側としても、伝聞のメモや記憶を頼りに記事を書くしかないのと、生の資料を確認しながら書くのとでは、記事に対する自信という点で大きな違いがある。

 そう考えると、両者の供述の齟齬をどう理解すべきだろうか。また、上記の「被害者から事情を聞いた事実」の中に新陳述書に記載されている「山川がつっけんどんな態度をとるようになった」などとする事実が含まれていたとすれば、矢野らが答弁書で一言も主張しなかった事実をどう理解すべきなのか。山川は控訴理由書に対する答弁書で本件記事の相当性について次のように反論している。

〈控訴人朝木は上記乙3ないし乙6(筆者注=「被害者が塩田らを提訴した際の『和解調書』」「被害者による塩田らに対する『告訴状』」「上記告訴に際して山川が提出した『陳述書』」など)については見せてもらっただけであり、「掲載前に資料を入手していた」とする控訴人らの主張は信用できない。控訴人らは○○(筆者注=被害者の実名)に聞いた話と「見せてもらった」資料の記憶あるいはメモに基づいて、勝手な思い込みあるいは勝手な解釈をし、本件記事を作成した可能性が高く、本件記事に相当の理由があったとは到底いえない。〉

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第34回
当初は存在しなかった主張

「山川は被害者に松田を紹介したか否か」に続いて山川が論点としたのは、矢野らが「山川が松田に対して、被害者が一人暮らしになったことを話したことが本件詐欺事件につながった」と主張している点についてだった。

 被害者も今回提出した新しい陳述書で〈「あなたが松田さんに私のことを話したからこんなことになった」と何度か責めたことがありました。〉と述べ、被害者の上記発言に対して山川は、「あなたと塩田さんのお金の貸し借りなのだから、私は関係ない」と言うように(なった)〉と山川を非難している。山川は「そんなことはいっていない」と主張しているが、矢野らは、この被害者の供述を〈(山川は詐欺事件の)仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だ〉とする東京地裁が認定した「読み方」の根拠であると主張していた。

 矢野と朝木はともかく、被害者は本当に「山川が松田に対して、被害者が一人暮らしになったことを話したことが本件詐欺事件につながった」と考えているのだろうか。少なくとも被害者は塩田に対して返済を求めて提訴した際の陳述書、あるいは松田を含めて告訴(受理されず)した際の告訴状では、山川を非難するような主張はいっさいしていなかった。それどころか、被害者が塩田を提訴した際の陳述書には次のような記載があった。

〈(塩田による)そのような借金の申し入れは断れば良かったのですが、松田さんの紹介であったことや……被告塩田や松田さんらに色々とお世話になっていたこともあり、断り切れず(に多額の金を貸してしまった)〉

 被害者は最初の陳述書でこう述べるとともに、塩田に貸金を重ねた具体的な状況を詳細に記載していた。その経過において、山川はいっさい登場していない。山川はその点を指摘した上で、被害者が今回提出した新しい陳述書に対して次のように反論している。

〈○○(筆者注=被害者)は「一人暮らしだから」塩田らの借金の申し入れを断りきれなかったとは考えていなかったのである。被控訴人が松田に「○○(同)が一人暮らしになった」と話したことが詐欺につながったという○○(同)の主張は、自分を直視できなくなった者の八つ当たりというほかない。〉

矢野の記載を追認

 被害者は新たな陳述書で、さらに山川を次のように非難している。

〈(私を突き放すような)このような山川さんたちの態度を見て、刑事告訴の段階まで山川さんが協力してくれたのは、私のためではなく、ご自分の立場を守るために協力していただけで、今は松田さんの側に立って行動しているのではないかと思うようになりました。〉

「今は松田さんの側に立って行動している」とは、まさに本件記事の〈結局はお金を巻き上げる連中の口ききでしかなかった。〉との記載に同意する供述である。またこれは、「貸金が返金されないことについて、知らん顔をしているあきれた人」という一審が認定した一般読者の「読み方」を肯定するものでもあろう。

 松田とは、矢野らが「詐欺グループの一員」と断定する人物である。かつて被害者から相談を受け、弁護士を紹介し、告訴にあたっては陳述書の提出を協力するなど支援した山川に対し、被害者が「松田の側の人間」とまで非難するなど、通常は考えられない。しかし現実に、被害者は山川について「松田の側の人間」だと供述しているのだった。この点について山川は次のように反論した。

〈(筆者注=山川が民事裁判から刑事告訴後まで被害者を支援してきた具体的な状況を挙げ)ここまで支援してきた被控訴人(筆者注=山川)対し、塩田らの返済が滞ったからといって、今度は被控訴人が自分を突き放したなどと非難するとは思い違いもはなはだしく、○○(同)は本来非難すべき相手を見失っているというべきである。まして「被控訴人は松田さんの側に立って行動しているのではないか」などと邪推するに至っては、もはや常軌を逸していると言わざるを得ない。〉

被害者の「豹変」 

〈(山川さんたち)は突き放す態度に豹変しました〉と被害者は陳述書で供述している。しかし現実には、「豹変」したのはむしろ被害者の方ではないかと思える。

 本件記事が掲載された『東村山市民新聞』第186号が東村山市内に配布された直後、山川とともに被害者を支援した人物が被害者に電話し、記事内容について事情を尋ねた。被害者は当初「記事は読んでいない」などと口を濁したが、「山川さんには何の恨みもないんだけど、松田が許せなくて」と答えている(その陳述書は裁判所に提出されている)。ところが被害者は陳述書で、

〈山川さんは……今は松田さんの側に立って行動しているのではないかと思うようになりました。〉

 と供述している。陳述書でいう「今」とは、まさにこの陳述書が作成された平成28年9月7日を指している。つまり平成27年8月の時点で、かつて支援してもらった知人に対して「(松田は許せないが)山川さんには恨みはない」といっていたにもかかわらず、その1年後には「山川も(許せない)松田の側に立っている」と、山川に対する認識を180度変えていた。

 被害者は、いったいどんな事情があって、山川が被害者の味方ではなく、詐欺グループの一員であると矢野らが主張する人物の側に立っているなどと考えるようになったのか。 うまい話に断りきれずに2140万円を貸し、1860万円が返済されない状況になってしまった被害者の内心をうかがい知ることはできない。

 しかしそれにしても、塩田や松田に対する恨みや貸金を断りきれなかった自分に対する悔恨の気持ちを募らせることは十分に理解できても、かつて支援してもらった山川に対して「松田の側に立っている」とまで非難の矛先を向けるとは、やはりにわかに信じられることではなかった。何か心境の変化をもたらす出来事でも起きていたのだろうか。

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第33回
「不自然な供述」

 山川のメモによれば、山川が松田に連れられて、まだ名前の知らない被害者宅に行ったとすれば、被害者が誰から松田を紹介されたのかはわからないものの、平成12年の時点で被害者はすでに松田を知っていたことになる。その上で、山川は次のように主張している。

〈(山川メモの①の時期は)○○(筆者注=被害者)が「被控訴人が松田を○○(同)に紹介した」と主張する時期とは6~7年の開きがある上に、○○(同)は新陳述書において「自宅に洋服のお客さんなど知人数人が来ている時に、山川さんが『この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ。』と言って」などと、「紹介された」とする日の様子と被控訴人の発言について具体的に供述しているが、時期の記憶にこれほどの食い違いがある一方で、その日の様子と被控訴人が話したとする内容についての記憶だけは詳細かつ明晰であるというのはあまりにも不自然〉

 時期の記憶は不正確である一方で、その日の出来事については鮮明に記憶しているというのはよくあるケースかもしれない。しかし、山川のメモの内容および山川の主張からすると、被害者は山川よりも先に松田と知り合っていたことになるから、山川が上記のように話しながら松田を紹介したという主張は、内容的にみてもやはり不自然ということになろう。

 また当初は「被害者の陳述書は必要ない」といっておきながら、敗訴を受けて出してきた被害者の陳述書でここまで詳細な記憶が語られるというのも、「山川が松田を被害者に紹介した」ことにしたい矢野らにとってあまりにも都合のいい、出来過ぎた話のようにも思える。そこで山川はさらに次のように主張している。

〈むしろ、○○(同)は遅くとも平成12年には松田を知っていたのであるから、(筆者注=被害者が陳述書に記載している)「平成18年から19年」に被控訴人が○○(同)に対して「この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ」といって松田を紹介することはあり得ない。そのあり得ないセリフを、○○(同)はこれほど詳細かつ明晰に記憶していたというのだから、不可解である。〉

提出されなかった反論

 山川が一審で被害者と知り合った時期について曖昧な記憶を基づいて誤った説明をしていた一方、被害者が告訴状等で「平成18年から19年」と一貫した供述をしていたことで、矢野らは少なくとも「松田と被害者が知り合った時期」の特定に関しては自信を持っていたのだろう。ところが、山川は自分自身の記憶の誤りを認めるとともに、「手帳の記録」という証拠を提出して矢野らが自信を持っていた「松田と被害者が知り合った時期」を否定し、同時に被害者自身の新たな陳述書における重要な記載内容(山川が松田を被害者の自宅に連れてきたとする日の具体的過ぎる供述)も否定されてしまった。

 この事態に、矢野らは少なからずショックを受けたのではあるまいか。逆転判決を狙ってとっておきの証人を引っ張り出すことに成功したのに、それを上回る証拠を山川から提出されてしまったのだから。

 山川がこの答弁書を裁判所と矢野らの代理人に送付したのは第1回口頭弁論の10日前である。逆にいえば、山川が答弁書を提出してから第1回口頭弁論まで10日あった。  

 いつもの矢野らであれば、遅くとも口頭弁論当日までにはなんらかの反論を提出するだろうと思っていた。ところが矢野らから、山川の答弁書に対する反論は提出されなかった。ただし、まだ口頭弁論の場で、口頭の反論がなされる可能性がないとはいえなかった。

 こうして迎えた第1回口頭弁論で、山川は矢野らの主張を覆した証拠(手帳)の原本を持参し、裁判官(2名)と控訴人の矢野らが確認した。しかしその時点に至っても、矢野側からは具体的な反論は出されず、矢野らの代理人が「メモの記載時期」について争う意思を表明しただけだった。「メモの記載時期」を争うとは、「最近になって書き加えたものではないかという疑念がある」という趣旨であると理解できた。

聞き流した裁判官

 山川は手帳のメモに基づいて、被害者が「山川から松田を紹介された」とする時期とその事実を否定した。すると、矢野らが再び山川の主張を覆すには、被害者が陳述書で記載した「山川から松田を紹介された」とする時期とその日の状況に関する記憶の正確さについて、その裏付けを提出するなり、あらためて被害者の記憶を確認するなりし、その結果をしかるべきかたちで示さなければならない。「メモの記載時期を争う」と主張したところで、「記載時期」が疑われるとする相応の根拠を示さなければならない。

 しかし矢野らの代理人は、10日も前に手帳のコピーが提出されているにもかかわらず、なんら説得力のある反論をすることができなかった。山川のメモに対して確かな根拠をもって反論できなければ、「記載時期を争う」とする主張も、結局はなんら反論ができない内情を晒したというに等しかろう。つまりは、山川の立証によって矢野らの主張はその根幹が崩されたということではなかっただろうか。

 東京高裁としても、仮に矢野ら代理人の主張には耳を傾ける価値があると判断したとすれば、「記載時期」が疑われる理由をさらに聞き、山川に対しても質問をぶつけたかもしれない。しかし現実に、東京高裁は矢野ら代理人の主張に対して問い返すことも、山川に確認することもなく、またあらためて書面の提出を求めることもなかったのである。

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第32回
〈塩田が被害者女性から約2140万円を借り、うち1860万円を返しておらず、この行為が詐欺まがいの行為であり、市議会議員である原告が松田を被害者女性に紹介し、松田が妹の塩田を被害者女性に仲介したことにつき、原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり、上記行為について、仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だと述べていると読むことができる。〉

 一審の東京地裁は本件記事を一般読者がどう読むかについてこう述べ、原告の社会的評価を低下させるものであると認定した。その上で東京地裁は、原告山川が松田(筆者注=矢野らが詐欺グループの一員であると主張している人物)を被害者に紹介したと認めるに足りる証拠はなく、本件記事は原告の名誉を毀損するものと結論付け、矢野穂積と朝木直子(いずれも東村山市議=「草の根市民クラブ」)に対して15万円の支払いを命じた。

 矢野らはこの判決を不服として控訴した。山川は矢野らが提出した控訴状と控訴理由書対し、「控訴棄却」を求める答弁書を提出するとともに控訴理由に対する反論を行った。これから紹介するのは、控訴人ら(=矢野ら)の主張に対する被控訴人(=山川)の反論である。

より詳細になった証言

 矢野らが控訴理由書の中で最も力を入れていたのが「松田を被害者に紹介したのは山川だ」という主張だった。一審で山川は「自分は松田から被害者を紹介されたのであって、松田を被害者に紹介したのは自分ではない」と主張していた。これに対して矢野らは、被害者が松田らに対する告訴状で「平成18年から19年ころ、告訴人(筆者注=被害者)は友人の紹介で被告訴人松田と知り合った」と記載していること、また朝木直子の被害者に対する取材によっても被害者が「山川が『マッサージができる人』として松田を連れて自宅に一緒にやってきたと説明されたこと」などを根拠に、「被害者に詐欺グループの一員である松田を紹介したのは山川だ」と主張していた。

 また控訴に際して矢野らは被害者の新たな陳述書を証拠として提出。矢野らは一審では被害者の陳述書は「必要ない」と主張したものだが、控訴にあたって、やはり被害者本人の陳述書は必要と考え直したものと思われた。控訴に備えて改めて被害者本人に接触したのだろう。その新たな陳述書で上記の点について被害者は次のように述べていた。

〈平成18年から19年ころのことだったと思いますが、自宅に洋服のお客さんなど知人数人が来ている時に、山川さんが「この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ。」と言って、松田美枝さんを連れてきました。〉

 平成27年に本件記事が掲載された『東村山市民新聞』が発行される前に朝木が「聞いた」とする話の内容よりも、より具体的かつ詳細な内容となっていた。陳述書に加えて、矢野らはなぜか被害者の印鑑証明書まで添付していた。陳述書が間違いなく被害者本人によるものであることの裏付けという趣旨のようだった。陳述書に印鑑証明書が必要とは聞いたことがなかった。念には念を入れたということだったのだろうか。

 いずれにしても、矢野らが控訴理由書を提出した時点では、一審の判決理由が覆りかねない状況だった。

記載状況に明確な違い

 一方、被控訴人となった山川としては、一審が判決理由として「松田を被害者に紹介したのが山川だったか否か」を問題にしており、矢野らから判決が覆りかねない証拠が提出された以上、なんらかの反論が必要と思われた。そこで山川は保存していた東村山市議会手帳になんらかの記載がないかどうか、探してみることにした。その結果、発見されたのが、洋服を買うために被害者の自宅を訪ねる予定を記載した3回分のメモだった。

3回のメモの内容と日時はそれぞれ以下のとおりだった。



平成12年8月15日 「レナウン 1:30 松田さんと」

平成13年12月20日 「洋服 ○○(筆者注=被害者の実名)宅へ」

平成15年5月20日 「レナウン○○(同)宅」



 山川は上記のメモが記載されたページのコピーを書証として提出し、「松田を被害者に紹介したのが山川だったか否か」、また被害者が松田を初めて知った時期はいつだったのかについて次のように主張した。



(「松田を被害者に紹介したのが山川だったか否か」に対する山川の反論)

(上記①のメモは)同日に被控訴人が松田と衣料品販売をしていた○○(筆者注=被害者の実名)宅へ行く予定であることを意味している。「○○」(同)の名前ではなく「レナウン」と記載されているのは、被控訴人は松田から「レナウンの洋服を扱っている人を紹介する」といわれていただけで、未だ○○(同)とは面識もなく名前も知らなかったので、「レナウン」と記載したのである。
……
 初回(平成12年)が「レナウン」とのみ記載して「○○」(同)の名前がなかったのに対し、その後の記載については「○○」(同)の名前が記載されていることからも、被控訴人が最初(平成12年)に○○(同)宅へ行った時点ではまだ「レナウンの洋服を扱っている人物」の名前が「○○」(同)であることを知らなかったことを裏付けている。



 メモでは、初めて被害者宅に行った際には名前を書かず、2回目、3回目では被害者の名前が記載されていることは明らかだった。さらに山川は、一審で被害者と知り合った時期を「平成15年ころ」と述べていたのは誤りだったと認めた上で、矢野らの「山川が松田を被害者に紹介した」とする主張を否定している。

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第31回
立証のハードルを低下させる試み

 矢野らが控訴理由書の最後で主張していたのは、一審判決が「本件記事の一般読者の読み方」として認定した部分のうち、「原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり」とした認定を否認し、〈(原告が)結局はお金を巻き上げる連中の口ききでしかなかった(と読むべきだ)〉と主張していた点に関してだった。本件記事の記載も、矢野の主張のとおりの記載である。

 普通の読解力をもって「口きき」と「口ききでしかない」を比較すれば、むしろ後者の方がより「口きき」の意味を強調して伝えようとしているように感じられる。つまり文言だけをみれば意味する内容に変わりはない。したがって、一般読者の普通の注意と読み方からすば、上記部分は一審判決のとおり、「原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり」と読むとみるのは妥当な判断であると思う。

 ところが矢野らは、2つの事実を理由に一審の読み方を否定していた。1つは、山川が松田に対して「(被害者が)一人暮らしになっちゃったのよね」と話した事実だった。この事実について矢野らは、〈被控訴人(筆者注=山川)が、お金を巻き上げる連中の口きき(=仲介のような役割)を果たしたと評し得る事実〉であると主張している。ここで矢野らは「口きき」にカッコ付きで(=「仲介のような役割」)とわざわざ注釈を入れている。どうやら矢野らは、それによって「口きき」を「『関与というほどでもない』もの」として定義付けようとしているように感じられる。

「山川が松田に対して『(被害者が)一人暮らしになっちゃったのよね』と話したこと」について、それが直接塩田の詐欺事件に結び付いたと判断するには、たとえば松田に被害者の情報を提供することによって塩田が被害者に対して詐欺行為を実行することを山川が事前に知っており、それが詐欺行為のための情報提供であることを自覚していたことを裏付ける事実が存在しなければならない。その立証はきわめて困難、あるいはそもそも不可能であることが矢野にはわかっていた。だから、それが裁判官に通じるかどうかは別として、ことさら〈「口きき」(=「仲介のような役割」)〉と定義付けることで、立証のハードルを下げようと試みたのではあるまいか。

「口きき」の妥当性

 矢野らが〈(原告が)結局はお金を巻き上げる連中の口ききでしかなかった(と読むべきだ)〉とするもう1つの根拠として主張しているのは、「被害者の貸金が返済されないことについて、山川が知らん顔をしていたと評し得る態度をとった」とする事実だった。その上で矢野らは、

〈被控訴人が、結局は被害者○○(筆者注=実名)への協力を拒み、むしろお金を巻き上げた松田らが○○(同)に返済しないままを放置したという意味において「結局は口ききでしかなかった」と評し得るものである〉

 と主張し、〈(原告が)結局はお金を巻き上げる連中の口ききでしかなかった〉とする部分について相当の理由があると主張していた。つまりここで、矢野は「貸金が返済されないことについて、『(山川が)知らん顔をしていた』と評し得る一連の態度をとった事実は、(山川が)最終的に被害者への協力を拒み、詐欺グループが借金を返済しないことを放置した」という意味で、「詐欺グループの口ききだった」といえるのだと主張していることになる。「詐欺グループの口ききだった」とは、「詐欺グループの共犯」と言い換えることができよう。

 しかし、被害者に対する塩田の返済が滞ったあと、山川が被害者への協力を拒んだ事実もなく、したがって返済されないことを放置した事実が存在しないことは、矢野らが被害者から受け取ったという山川自身の陳述書からも明らかだった。また仮に矢野らが主張するように、山川が被害者への協力を拒んだ事実があったとして、そのことをもって山川について「(詐欺グループの)『口きき』」という文言で表現することが妥当なのかどうか。これが矢野らの主張が提示した論点といえるのではあるまいか。

 前述のとおり、「口ききでしかない」とは「口きき」と同義であり、本件記事に記載されている〈お金を巻き上げる連中の口きき〉とは「詐欺グループの共犯」と主張しているに等しい。矢野らは控訴理由書で、「(山川が)最終的に被害者への協力を拒み、詐欺グループが借金を返済しないことを放置した」ことが山川について「(詐欺グループ)の口きき」と評した理由であると述べている。

 一方、山川に関する事実関係をみると、山川は被害者から貸金が返してもらえなくなった時点で相談を受けただけで、そもそも塩田が被害者から多額の借金を重ねたことに関係もなければ、被害者から相談されるまでその事実さえ知らなかった。詐欺グループとのつながりもいっさい存在しない。その時点で、仮に山川が被害者への支援を拒んだとしても、詐欺グループが被害者に借金を返済しないことを放置したとしても、なんら責任を問われるいわれはないとみるのが常識的な判断だろう。

 それでもなお、最終的に「待つしかない」といった山川に対して「支援を拒んだ」とか「詐欺グループが借金を返済しないことを放置した」と非難することは、筋違いである上にかなりの曲解と誤解ではあるものの、表現としてはあり得ないことともいえないのかもしれない。しかし仮にそう曲解したとしても、山川を「詐欺グループの共犯」を意味する「口きき」とまで表現することに妥当性があるのだろうか。

 矢野らのかなり偏った理解を前提にしても、「口きき」はかなりの飛躍があるのではあるまいか。〈(山川が)最終的に被害者への協力を拒み、詐欺グループが借金を返済しないことを放置した」という意味で、「詐欺グループの口ききだった」といえるのだ〉とする矢野ら主張は、かなり無理のある言い訳のような気がしてならない。

 いずれにしても、以上が、一審判決に対する矢野らの反論だった。

(つづく)
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