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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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多摩湖寿会事件 第128回(最終回)
 元東村山市議の山川昌子が、老人クラブである多摩湖寿会会長の清水澄江と東村山市議の朝木直子(草の根市民クラブ)と矢野穂積(筆者注=矢野は先の東村山市議選で落選)、武蔵村山市議の天目石要一郎を提訴していた裁判は、さる平成31年4月24日、判決言い渡しが行われ、東京高裁は山川の控訴を棄却した。なお、山川は上告せず、控訴審判決が確定した。

証言を翻した寿会前会長

 本件の基本的な争点は、山川が寿会の会計を務めていた当時、不適切な会計処理を行ったこと、会計の一部を簿外で保管していたことに対して、清水や朝木らが「寿会の金を横領した」と主張したことに相当性があったのか――という点にあった。

 寿会の会計の一部を簿外で保管していたことについて、山川は「平成28年に訪れる多摩湖寿会の50周年記念事業のために保管していたもの」と主張していた。平成28年に清水が寿会の新会長に就任し、山川は会計を退任した。会計の引き継ぎの際、山川は簿外に保管金があることについて説明すべきだったが、いい出しそびれたという。

 それでも、簿外に保管金があることについては、清水が「会計に不足金がある」として山川に不足分を請求する以前に前会長である加藤幸雄に報告するとともに、その返還方法についても相談していたと主張していた。着服する目的で簿外で金を保管していたわけではないのだということだった。山川によれば、返還方法について相談した際、加藤は「50周年祝い金として渡せばいいのではないか」とアドバイスしたという。

 山川が保管金について加藤宅に相談に行った事実について山川は加藤に証言を求め、当初、加藤は山川から保管金の返還方法について相談を受けていた事実を証言する陳述書を作成してくれた。ところが、その数時間後、加藤は保管金に関する相談を受けた事実について証言できないと言い出し、上記の陳述書を撤回したのだった。

 山川によれば、加藤はその際、「『50周年のための保管金のことは山川さんから聞いていない』と清水らにもう話してしまった。いまさら『聞いていた』といえば、東村山に住んでいられなくなる」などと弁解したという。

 証人尋問でも加藤は「山川から保管金のことは聞いていない」と供述し、当初の陳述書を撤回した理由についても山川の主張を否定した。山川が「保管金の件は加藤会長に話していた」とする事実を知るのは山川と加藤の2人だけである。

 重要証人である加藤が、山川が簿外の保管金の存在を打ち明け、返還方法を相談していたとする事実を否定すれば、山川がその事実を証明する客観的証拠を提出できなければ、その主張には裏付けがないということになり、裁判所を納得させることは難しくなる。東京高裁は加藤の供述を重視し、簿外で保管していた金について、「清水から請求される以前に前会長の加藤に返還方法について相談した」とする山川の主張を採用しなかった。

 仮に保管金に関する山川の主張が認められていれば、結果も違ったものになったのではないかと思う。しかし、本来は寿会の会計について最終的な責任を負うべき前会長の加藤が、当初は山川の主張を裏付ける証言をしたにもかかわらず、なぜか証言を翻した。その結果、簿外の保管金に関して清水の主張の相当性が認められることとなった。

 東京高裁は、その他の不適切な会計処理に関しても、清水の主張の相当性を認めた。

入浴料と福祉募金

 山川が寿会の金を着服していないとする主張をする中で、「着服していない」ことを立証するより確かな証拠を示すことができなかったことが原因で主張を認められなかったのは、入浴料と福祉募金の場合も同様だった。

 おくたま路での研修における入浴料については、清水が「入浴止め」と記載されたおくたま路が作成した当日の日報と「当日入浴はなかった」とする寿会会員の陳述書を証拠として提出した。これに対し山川は、当時副会長だった人物の「入浴はできた」とする陳述書や「タオル持参」等が記載された事前の案内、さらに研修の後日に開催された理事会で配布された研修の会計報告書(入浴料1万円が計上されている)を提出した。

 双方の主張に対し東京高裁は、おくたま路が作成した日報の記載を重視し、山川の主張を否定した。

 福祉募金についても、会計帳簿に「入金」の記載がなく「出金」の記載のみがあったことを重視し、その理由について疑問が生じるとした。

 入浴料についても福祉募金についても、いずれも山川が着服したなどと認定するものではない。東京高裁は清水や朝木がそのような疑念を持ち、「着服した」と主張したことには相当の理由があったと認定したということである。

誓約書をめぐる判断

 山川は「清水が『山川は寿会の金を横領した』と主張し始めたのは『今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない』との誓約書を交わしたあとであり、公益性もない。また『横領した』との主張は上記の誓約に反するもので違法である」と主張していた。この点についても東京高裁は、「『横領した』との主張は金銭的な申し立てではく、誓約書に違反しない」などとして山川の主張を退けた。

 ただ山川にとって、誓約書に関する主張は認められなかったものの、東京高裁が誓約書の記載内容を裁判所として解釈、認定したことの意義は小さくないように思える。誓約書の内容はおろかその存在にさえほとんど言及しなかった一審とは大きく異なる部分だった。その意味では控訴にはそれなりの意味があったといえるのではあるまいか。

  こうして本件は終結したが、判決確定を受けて新たな事態が生じる可能性がないとはいえない。その場合には改めて報告したいと思う。

(了)
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多摩湖寿会事件 第127回
迫力を欠いた見出し

朝木と矢野は平成31年1月30日付で『東村山市民新聞』第192号を発行し、1面トップで本件の一審判決を取り上げた。しかし、タイトルは「山川元公明市議、敗訴」、「裁判所も不正会計を認定!」――と、朝木らにしてはやや控え目だったように思う。本来なら「裁判所が山川の横領を認定」と行きたかったのではなかろうか。

「山川は寿会の金を横領した」との事実摘示に対して相当性が認められたというのなら、「横領を認定」と書くことができただろう。しかし、判決文を読むかぎり、裁判所が認定したのは「犯罪行為の可能性」を指摘する範囲においては相当の理由があるとするものであるように思える。

 朝木らは控訴審の答弁書で上記の山川の主張に反論して、「一審は『山川は寿会の金を横領した』との事実摘示につき相当性を認めたのだ」と主張したが、本音は「犯罪行為の可能性」について相当性を認めたにすぎないことをよく理解していたのではあるまいか。それが冒頭の見出しに表れていたのだと思われた。

本文で一審判決をカバー

 サブタイトルには「『横領』と報道した本紙を名誉毀損で提訴したが……」との文言があった。矢野としては一連の見出しの趣旨について読者が「横領と書いた同紙が訴えられ、訴えた方が敗訴したのだから、『横領』と書いたことの正当性が認められたということではないか」と理解してくれることを期待したものと思われた。

 さらに本文では次のような一文があった。

〈元呼名等(ママ=筆者注=「元公明党」の誤植と思われる)市議の山川昌子氏が、4年間一人で担当し不正会計を行った問題で、「横領だ」として……市役所へ訴え出た多摩湖寿会の役員や、議会でこの問題を追及した朝木議員や「山川元市議が横領」と報道した本紙〉

 その上で、朝木らは「東京地裁は山川元市議の訴えを棄却した。」と記載した。こう書けば、「横領だ」と断定したことについて裁判所が正当性を認め、山川の請求を棄却したかのように読者には読めるだろう。一審は朝木らの表現内容について「犯罪行為の可能性」を指摘したものと認定し、その上で相当性を認定したにすぎないように思われた。

 しかし朝木らは、自らのビラにおいて、あえて「本紙は『横領した』と断定した」と記載することで、読者に対して、裁判所もまた「横領との断定」を前提として山川の請求を棄却したかのような誤解を生じさせようと企図したのではないかと思われる。言い換えれば、答弁書における主張とは裏腹に、朝木らもまた東京地裁が「山川は横領した」とする事実摘示を前提に判決を下したものではないことを感じていたということではあるまいか。

さらに判決を誇張

 ここまではまだ「悪意ある表現上の工夫」程度のことであり、一審判決を歪曲した記事であるとまではいえない。ところが、判決を紹介した箇所の最後で判決文の「原告が不正経理を行って、本件寿会の簿外の金員を占有ないし所持していたというという事実については、……認められる」との部分を引用した上で、〈「横領」と言われる相当の理由があると判決した。〉と記載したのである。

 判断の前提は「犯罪行為の可能性」であって「横領との断定」ではなく、判決文には「横領したといわれても仕方がない」などの記載はない。朝木らが引用した上記部分でも、「本件寿会の簿外の金員を占有ないし所持していたというという事実については、……認められる」と述べているだけであり、また「簿外の金員を占有ないし所持していたという事実」イコール「横領」ということにはならないだろう。一審が「山川の横領の事実を認定した」と印象付けたいために、我慢できずにとうとう最後で誇張に走った様子がうかがえた。

準備書面を提出

 さて山川は、控訴審の重要な争点の1つは、朝木らの表現行為の内容に対する認定にあると考えていた。一審は朝木らの表現行為の内容について「犯罪行為の可能性を摘示するもの」と認定し、それを前提に真実性・相当性を検討して、朝木らの不法行為を否定した。これに対して山川は控訴理由書で、朝木らの表現行為の内容は「山川は寿会の金を横領した」との事実を摘示するものであり、一審は判断の前提を誤っていると主張している。

 朝木らが『東村山市民新聞』第192号で自ら「『山川元市議が横領』と報道した本紙」と書いたことは、山川にとっては不快ではあるものの、自らの主張を補強する材料としては使えるのではないか――。山川はそう判断し、平成31年2月15日付で、朝木らが摘示したのは「山川は寿会の金を横領した」との事実であるという趣旨の準備書面を提出した。

 東京高裁が朝木らの表現行為の内容について一審とは異なる認定をするのかどうか。もちろん、そうなったからといって、判決が変わるかどうかは別問題である。山川には「元公明市議が横領!」などとする表現がなぜ「山川は寿会の金を横領した」との事実を摘示するものではなく「犯罪行為の可能性の摘示」となるのか、どうしても理解できなかった。

もう1つの重要な主張

 山川は上記の準備書面で、朝木らの表現行為の内容が「山川は寿会の金を横領した」との事実を摘示するものであることを前提として、もう1点、あらためて重要な主張を行っている。「不適切な会計処理」をしたことをもって、ただちに「着服があった」と断定することが許されるのかとする主張である。山川は準備書面で次のように主張している。

「たとえば、控訴人が寿会の金を使い込んでいると知り合いに吹聴した事実があるなど、控訴人が当初から着服あるいは個人的に流用する意思をもって不適切な会計処理に及んだことをうかがわせる事実(相当性)があったとか、控訴人の個人口座に明らかに着服を原資とする金が入金されている事実が裏付けられた(真実性)などの違法行為の事実が確認されて初めて『不適切な会計処理』を超えて『着服・横領』とする事実摘示が成立するのである。」

 清水や朝木は、本件において、多くの例を挙げて山川が不適切な会計処理を行ったと主張した。しかし朝木らが、山川が「着服した」ことを疑わせる直接的な事実を具体的に主張したことはない。具体的な「着服・横領」行為の裏付けもなく、「不適切な会計処理を行った」というだけで「山川は寿会の金を横領した」と公言することが許されるのだろうか。

 東京高裁がどんな判断を下すのか。4月24日に迫った判決を待ちたい。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第126回
「福祉募金」に関する主張

 朝木らが「(山川は)福祉募金を盗んだ」と主張した点について、一審は「平成24年度の本件寿会の会計帳簿には、福祉募金を2万4603円支出した旨の記載があるが、これに対応する入金の記載がない。この点、実際には、各会員より入金があったものである。」と述べたのみで、朝木らが主張するように「山川が盗んだ」ものなのか、山川が主張するとおり「たんなる記載ミス」によるものなのかについて事実認定していない。東京地裁はこの重要な事実認定をしないまま、朝木らの表現行為について相当性を認め、不法行為とは認定しなかったことになる。

 名誉毀損の有無を判断する裁判において、判断の前提となる事実認定を明確にしないなど通常はあり得ないことである。しかし、判断の前提である表現の内容について、東京地裁が「福祉募金を盗んだとの断定」ではなく「犯罪行為の可能性を表明したもの」と認定していたとすれば、「盗んだ」かどうかに踏み込まないまま相当性を認めたとしても、必ずしも理解できないことでもないのかもしれなかった。

「可能性」の表明に止まるのなら、可能性を疑ったことについて相当の理由があれば足りるという判断だったとすれば、盗んだか否かにまで踏み込む必要はなかったという見方もできよう。山川は判断の前提である表現行為の内容に対する認定が誤っていると主張していた。

 山川の主張に対して朝木は答弁書で、「福祉募金として集めた金銭を会計に収入として計上しないまま市老連に振り込んだにも関わらず、これとは別に、会計から同金額を福祉募金として支出している」とし、「市老連に振り込んだのと同額が簿外に持ち出された」と主張している。平成25年に行われた会計監査の際に、社会福祉協議会の監査担当者に対して山川が誤って記載したことを説明し、監査は通っている。にもかかわらず、清水と朝木はなぜここまで悪意に解釈するのか。

ただ、会計帳簿上は振込額と同額が支出されたことになっているとはいえ、そのことをもってただちに「山川が着服した」と断定することが許されるのだろうか。着服したという直接的な証拠なり、目撃証言でもないかぎり、断定はできないのではあるまいか。もちろん本件においてそのような証拠が提出された事実はない。

「入浴料」に関する主張

 朝木らが「山川はおくたま路における入浴の事実がないにもかかわらず入浴料1万円を架空に計上し、着服した」と主張したことについて、一審は「入浴の有無は証拠上確定できない」としたにもかかわらず、「入浴料を着服した」と断定した朝木らの表現行為について違法性を認定しなかった。「入浴料を着服した」かどうかを判断するためには、当然、その前提として入浴の事実を確定しなければならない。ところが、一審は堂々と「確定できない」と判示した上で朝木らの主張の違法性を否定したのである。

 普通はあり得ない判断と思うが、この点についても「入浴料を着服した」ではなく「犯罪行為の可能性」の一環として判断しようとしたということではなかっただろうか。「可能性」ということなら、入浴の事実の有無に踏み込むことなく、「入浴止め」と記載された日報の存在が確認されていれば十分ということだったのだろう。

 山川は不当な判決であると主張し、新たに当日の研修に参加し、入浴した寿会会員で元公明党市議の陳述書を提出した。これに対して朝木らは、この会員が山川と同じ政党の人物であることを理由に、「第三者の証言とはいえない」とし、「利害関係のない第三者であるおくたま路が当時作成した日報の方が信用出来ることは明らか」と主張。さらに、仮に入浴がなかったと断定できないとしても、この日報の記載から「被控訴人らが『入浴止め』と考えたことには十分な合理性がある」と主張している。
 
 一審は入浴の有無について結論を出さず、「入浴があったものとして入浴料1万円を着服した」とする朝木らの主張について直接的に言及していない。むしろ一審は、研修後に開かれた理事会の席で入浴料を含む決算報告が行われた事実を認定している。

 違法性は否定されたものの、入浴の事実について明確な認定が行われていないことについて朝木らとしても不満があったのではあるまいか。これでは、朝木らは「山川は入浴の事実がなかったにもかかわらず、入浴したものとして1万円を計上し、これを着服したのであると、東京地裁が認定した」と宣伝すれば虚偽宣伝ということになる。一審判決のままではインパクトに欠けてたいした宣伝材料にはならないのだろう。

不満の残る判決

 山川が提出した控訴理由書に対する朝木らの反論は以上だった。多摩湖寿会で突然勃発した「不正会計」問題を山川のみならず創価学会、公明党攻撃の格好の材料としたかった朝木、矢野とすれば、勝訴したとはいえ、一審判決は上記の入浴料に関する判断だけでなくおよそ不満の残るものだったのではあるまいか。

 朝木らは間違っても口には出さないが、その理由は一審が朝木らの表現内容について「横領」との断定ではなく「犯罪行為の可能性」と認定し、その上で相当性を認めたことにあるように思えた。朝木らの不満を如実に示していたのが、判決後の平成30年1月30日付で東村山市内に配布した『東村山市民新聞』第192号の記載だった。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第125回
やや強引な解釈

朝木は答弁書で、「一審は表現行為の内容に対する認定を誤っている」とする山川の主張(「犯罪行為の可能性」ではなく「山川は寿会の金を横領した」である)を否定した上で、さらに次のように主張している。

「原判決は真実性・相当性の判断において、『原告の本件寿会からの横領等を指摘……することは、その重要な部分について、同事実を真実と信ずるについて相当な理由があったというべき』と判断している。ここでは、『原告が横領をした』という事実(「横領の可能性」に留まらない事実)の摘示について、真実性・相当性の法理が適用される旨、明確に述べているのである。」

 朝木は一審が最終的に上記のように認定しているとして、やはり一審は朝木らの表現内容について「山川は寿会の金を横領した」との事実を摘示するものであると認定した上で、真実性・相当性を認定したのだと主張していた。朝木が引用した箇所のうち、「横領等を指摘……すること」との部分が、朝木らの表現について東京地裁が「山川は寿会の金を横領した」との事実摘示であると認定していたことを示すものであるとする解釈のようだった。

 東京地裁が、朝木らは「山川は寿会の金を横領した」と断定したと判断したのなら、上記の引用箇所であえて、「横領したと断定すること」ではなく「横領等を指摘」と緩めの表現にする必要はなかったのではないかと思うが、朝木としては朝木らの表現内容について「山川は寿会の金を横領した」と断定するものと認定した上で相当性を認めたと主張したかったのだろう。朝木らからすれば、自らに有利な判断を下した一審判決の足を引っ張る必要もない。

 ただ、「横領等を指摘」とした箇所を、東京高裁が「山川は寿会の金を横領した」と認定したものと判断するかどうかは定かではない。一審の認定にかかわらず、控訴審では東京高裁があらためて表現内容についての認定を行い、不法行為の有無を判断することになろう。

「断定」したことを自認

 ところで、平成31年1月、朝木と矢野は2人の顔写真を掲げた『東村山市民新聞』のポスターを東村山市内各所に貼り出した。きたる4月に控えた市議選に向けた実質的な事前ポスターであることは、2人の写真と大書された名前の間に並べられたいつもの政治スローガンからも明らかだった。

 しかし、何の新鮮味もないポスターの上部に唯一新しい文言が入っていた。

「速報 公明党元副議長の横領裁判に全面勝訴!」

 ビラならともかく、選挙目当てのポスターに「速報」などとして裁判の結果を載せるとは、よほど特別な政治主張のないことがうかがえるた。一方、山川からみると、上記の文言は、やはり朝木は一審が認定した「横領の可能性」などではなく「山川は寿会の金を横領した」と断定したものであることを示していると判断できるものだった。

 そこで山川は、平成31年2月7日付で東京高裁に対して控訴理由書補充書を提出し、あらためて朝木らが「山川は寿会の金を横領した」と断定する強固な意思をもって本件表現に及んだものであること、またそのような前提に立って判断されるべきであると主張した。朝木は答弁書で上記の山川の主張にも触れて、次のように述べた。

「同ポスターに言及するまでもなく、被控訴人朝木らが……控訴人に横領行為がある旨述べていることは本件において争いがない。原審はこのような事実を前提として、『原告が横領した』という事実について真実性・相当性の法理を適用したものである。」

 朝木の主張が的を射ているとすれば、なぜ東京地裁が朝木らの表現行為について「原告が横領したとの事実を摘示するもの」ではなく、「犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示するもの」という回りくどい認定をしたのか、やはり理解に苦しむ。「原告が横領した」との認定ではなかったと理解する方がよほど自然に思えるのだった。仮に東京高裁が表現行為に対する認定を見直すとすれば、朝木が「『山川は寿会の金を横領した』と断定した」と自ら主張した事実がなんらかの影響を与えるのかどうか。

「横領」に対する立証の範囲

 山川は、朝木らが「山川は寿会の金を横領した」との事実を摘示したとの前提に立ち、「不適切な会計処理をしたからといって、そのことをもってただちに『横領した』ということはできない」と主張している。「横領した」と断定したのだから、「不適切な会計」の事実ではなく、「横領」の事実を立証あるいは、そう信じるに足りる事実を立証しなければならないという主張である。朝木らは「不適切な会計」の事実しか示してはいなかった。

 山川の上記主張に対して朝木は、「これは真実性・相当性の法理を誤って理解した主張である」として次のように主張している。

「被控訴人らは『原告が寿会の金を横領したという事実があるか、又はそう信ずるにつき相当の理由がある』ことを主張立証すれば足り、『横領した』事実の立証を要するわけではない。原判決はこのような考え方に基づき、『原告が寿会の金を横領した』という事実につき『その重要な部分について、同事実を真実と信ずるについて相当の理由があったというべき』と判断したものである。」

「横領した」と断定した場合、確かに「横領した」事実そのものを立証しなければならないわけではない。しかし問題は、「不適切な会計」の事実があるというだけで、それが「横領した」と信じるに足る相当の理由となり得るのかということだろう。
 
 朝木は答弁書の続く箇所で「不適切な会計」の具体例を列挙し、それが「山川は寿会の金を横領した」との表現の根拠であり、「『山川は寿会の金を横領した』と断定したことには相当性がある」と主張していた。「不適切な会計」をただちに「横領」と断定することが許されるのかどうか。この裁判で問われているのは、このきわめて常識的な判断ではないのだろうか。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第124回
認定内容に対する反論

 朝木が提出した答弁書で最初に主張していたのは、清水や朝木が行った表現行為の内容に対する一審判決の認定についてである。

 一審の東京地裁は、「(真実性又は相当性)について」の項において、「被告らの各表現行為は、……原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するものである。」と認定した。山川はこの点について、被告らの各表現は「山川は寿会の金を横領した」と断定するものだから、「断定」ではなく「可能性」にとどまる上記の一審の認定は誤りであると主張していた。

 当然、「犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性」と「山川は寿会の金を横領した」との断定とでは、立証の範囲が異なると思われる。つまり、前者の場合には「可能性」が疑われるとする根拠を示し、「それなら『可能性がある』と考えたとしても無理はない」(相当性)と認定されれば違法性がないということになる。一方、「山川は寿会の金を横領した」と断定するものと認定された場合には、「横領した」ことを直接的に立証する証拠または「横領した」と疑わせるに足りると認定できる証拠を提出しなければならないと思われる。

 記事や発言をめぐる名誉毀損裁判では、①公共性②公益性があり、③当該表現の内容が真実であることの証明があったとき、あるいは真実であると考えたことについて相当の理由があると認められる場合には、違法性はないと判断されるとする最高裁判例がある。したがって、裁判所は上記の3点について1つ1つ検討していくのだが、③についてはまず最初に証明されるべき事実は何なのかを確定する必要がある。それが上記の東京地裁の認定内容であると山川は主張していたのである。

「被告らの各表現行為は、……を摘示するものである」とする認定内容からすると、どうみてもこの箇所は、不法行為の有無を判断する前提である、朝木らの表現内容がどういう趣旨のものであるかを認定した部分であるようにみえる。ところが朝木は次のように反論していた。

「控訴人が指摘する上記認定部分は、被控訴人朝木らの表現内容が『公共の利害に関する事実か』、『目的が専ら公益を図ることにあったのか』の判断にあたり、必要な範囲で事実摘示の概要や性質について述べたものに過ぎない。」

 要するに朝木は、山川が主張する上記の東京地裁の認定部分は、不法行為の有無を判断する前提となる表現行為の内容に関する認定部分ではないと主張していた。

公益性の主張を含めた認定

 山川が表現行為に対する認定であると主張する上記箇所の直前には、確かに公益性に触れた箇所がある。東京地裁は次のように述べている。

「被告らの各表現行為は、いずれも本件寿会の会計処理の問題について、本件寿会が一定の地域内の交流互助活動団体として多数人の利害に関わるものであることや、寄付金や補助金を得て運営されていることから公の利害に関わるものであることを前提として、」

「その会計に関わった原告の行為によって、その財政的基盤が危うくされたことにつき、」

上記に続いて、一審は冒頭の認定を行ったのである。一連の記載は、朝木らの主張の全体的な趣旨をまとめて認定したものと考えることができよう。東京地裁はその上で、公共性・公益性、真実性・相当性についての判断をしようとしたものであるとみるのが妥当なのではないかと思う。実際に続く部分で東京地裁は次のように述べている。

「上記各事実の摘示又は意見等の内容は、その資質等に関わり、広く公の正当な関心を集めるものと認められる。そうすると、本件各表現は、各行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合であるといえ、」

 上記の認定からも、朝木らの表現行為に対する冒頭の認定が、違法性の有無を判断する前提としてなされたものであることは明らかだろう。

 こうみてくると、朝木らの表現行為の内容について東京地裁が行った「(真実性又は相当性)について」の項において、「被告らの各表現行為は、……原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するものである。」との認定は、「(公共性・公益性を判断するにあたり)必要な範囲で事実摘示の概要や性質について述べたもの」とする朝木の主張は的外れというべきなのではあるまいか。

曖昧な主張

 むしろ、朝木が主張する「必要な範囲で事実摘示の概要や性質について述べたもの」との文言の趣旨自体が不明確であり、何がいいたいのかわからない。朝木はなぜこのような曖昧な主張をしたのだろうか。

 朝木が関わった『東村山市民新聞』における記載はどうみても「山川は寿会の金を横領した」と断定するものである――このことを朝木が自覚していないはずがない。ところが、一審は「犯罪行為の可能性があるとの事実を摘示するもの」であると認定し、その上で記事には相当の理由があると認め、違法性を否定した。

 しかし、「犯罪行為の可能性」ならば相当性が認められたとしても、「山川は寿会の金を横領した」との事実を摘示したものであるということになれば一審とは異なる判断がなされることもあり得る。そのことを朝木も直感したのではあるまいか。だから、記事内容に対する一審の認定が誤りであるとの山川の主張を認めるわけにはいかなかったということではなかったのだろうか。

 いずれにしても、東京高裁が朝木らの記事内容をどう認定するかは、判決にあたって大きな分岐点になるのではあるまいか。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第123回
もう1つの傍聴席での発言

 東村山市議会議場傍聴席での清水のもう1つの発言は、朝木の一般質問終了後における発言である。清水は数名の多摩湖寿会関係者と思われる傍聴者や一般の傍聴者がいる中で次のように発言した。

「横領で、……2回も食べてるの」

「写真だって何だって会の金でやってて、飲食だって全部寿会の金で食べてんだから、いっぱい貯まってるわよ」

 上記の発言が「山川は寿会の金を横領した」とする趣旨であると山川は主張していたのである。山川は、仮に不特定多数に対する発言ではなかったとしても、その発言を聞いた者の口を介して不特定の第三者に伝達される可能性が高いから(伝播性)、不法行為に当たると主張していた。

 これに対して東京地裁は、上記の発言は「特定の限られた人数の者に対して発言されたものにすぎないから、当該発言が名誉毀損に当たるものとはいえない」として山川の主張を退けた。

  山川は控訴理由書で、

「特定かつ少数に対する発言であっても、その少数の人は、被控訴人清水を支援する多摩湖寿会関係者であり、また『控訴人による横領』に関する被控訴人朝木の質問と市の答弁を聞く目的で傍聴していたものであるから、少数であっても周囲の住民等へ伝達する可能性が高い」

 などと反論した。これに対して清水は、「伝播可能性は具体的であることが必要であり、実際に不特定多数の者に伝播するであろうことを積極的に推認させるような具体的事情があることを要する」とする法理論を援用し、本件ではそのような事情はないと主張した上、そもそも「そのような発言をした事実はない」と主張している。

 一審は清水の上記の発言の存在自体は認定した上で、「特定の限られた人数の者」に対する発言にすぎないとして山川の請求を棄却した。東京高裁が伝播性を検討するのかどうか。

 この点に関して山川は、清水に同行して傍聴席にいて朝木と清水の会話を聞いていた寿会の関係者とみえた人物は、黙って聞くだけでなく、清水から山川を非難する内容の回答を積極的に引き出すことを意図したのではないかと思わせる発言を記録した反訳を提出している。その寿会関係者とおぼしき人物の存在について、一審は一顧だにしなかった。

 仮に高裁が上記関係者の存在意義に着目すれば、清水による傍聴席での上記発言について、伝播性の理論が適用される可能性もないとはいえないのではあるまいか。

机上の空論

 清水が具体的な理由を挙げて山川が「着服」したと主張していたのが「福祉募金」と「入浴料」である。

「福祉募金」について山川は控訴理由書で、前会長の加藤幸雄が「福祉募金は山川や自分を含む複数の役員で集計から送金までを行ったものであり、着服はあり得ない」と証言していることについて一審はいっさい考慮していないなどとして、原告の請求を棄却した一審の判断は不当であると主張している。

 これに対して清水は、「福祉募金が市老連に送金されていたとしても、そのことと会計帳簿に『出金』のみが記載されたことは別問題」と自明の論理を主張。その上で、あくまで山川が平成24年度の福祉募金に関して同年度の会計帳簿に入金を記載せず「出金」のみを記載したことを捉え、これでは「会員からの募金ではなく、本件寿会の資産から募金を行ったこと、すなわち寿会の資産が減ったことになる。」とし、その「減った」分は山川が着服したものと考えるほかない、などとして山川の主張は失当であると主張している。

 確かに理屈の上では上記のような主張も成り立つのかもしれないが、これは机上の論理というべきではあるまいか。なぜなら、山川は平成25年に行われた会計監査の際に福祉募金の「出金」のみを記載していたことを指摘されており、これが帳簿上の誤りであることが確認されているからである。

 その際、山川がその分を「着服した」などと認定された事実はない。知識不足による単純な記載ミスにすぎないとして、会計監査上の問題とはならなかったのである。この経緯を東京高裁がどう判断するだろうか。会計帳簿に入金を記載せず、「出金」のみを記載したことを単純なミスであるとする山川の主張を覆すには、山川がその「出金」分を着服したとする具体的な証拠を示す以外にないのではあるまいか。

「福祉募金」に関しては、清水らの表現行為の内容に対して一審が行った「犯罪行為の可能性」との認定の範囲において不法行為が否定されたが、東京高裁が表現行為の内容をどう認定するかによっても判断が異なる可能性もあるのではあるまいか。

否定できない「入浴の事実」

 一審が「入浴したかどうか確定できない」としながら、「山川は入浴の事実がないにもかかわらず、あったものとして1万円を計上し、これを着服した」とする清水らの主張について違法性を認定しなかった。山川は控訴理由書で、入浴の事実が存在したこと、および「事実の確定ができない」としたにもかかわらず、入浴がなかったとする事実に基づく清水らの主張の相当性を認めた判断の矛盾を主張。さらに、当日入浴したとする寿会会員の陳述書を新たに提出した。

 これに対して清水は、「入浴はしていない」とする会員の陳述書(証言)および「日帰り入浴止め」と記載された日報の存在を根拠に「入浴はなかった」と主張した。とりわけ日報については、利害関係のない第三者が作成した客観資料であることを理由に、その証拠価値を強調していた。しかし、日報は事前に記載されていたものであり、その日に起きた事実を記録したものでないということもまた重要な事実だった。

 山川が「入浴したこと」の裏付けとして提出し、一審もそれが寿会として作成されたものであることを事実上認定した研修報告書については、山川が勝手に作成することも可能だったとして、証拠能力を否定した。ただ、その内容から見て、自分の好きなように記載できるような内容でないことは明らかだった。本件裁判の開始後に作成するのは、元になる数字が清水の手元にあって物理的に不可能であることを考えると、やはり平成25年の研修後に作成されたものと判断することはなんら不合理でも不自然でもない。

 はたして東京高裁が「入浴」の事実をどう判断するだろうか。少なくとも「入浴がなかった」とする事実が確定できなければ、「山川は入浴料を着服した」とする事実も裏付けがないことになる。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第122回
「不適切な会計」と「横領」の間

 清水が次に主張したのは、山川が「不適切な会計処理をしたからといって、ただちに横領と決めつけることはできない」と主張している点についてである。ここでも、清水による表現内容が「犯罪行為による可能性」なのか「横領」なのかが問題になるはずだが、清水はあえて「山川は横領したとはいっていない」とは主張せずに、山川の主張に沿って反論している。

 東京高裁が、清水による表現内容が「山川は横領した」との事実摘示であると認定した場合に備えたのである。清水は次のように主張している。

「(「不適切な会計処理をしたからといって、ただちに横領と決めつけることはできない」とする)控訴人の主張は経験則に反する。会計担当者が複数回、故意による不適切な会計処理を行い、それによる使途不明金があり、会計担当者が簿外で同金員保持しており、返還請求を受けるまで同金員について返還することがなかったのであれば、会計担当者による使い込みや横領があったと考えるほうが自然である。」

 しかし、仮に清水の主張するように「考えた」としても、またそう考えることが経験則だったとしても、そのように「考える」ことと、その「考え」を不特定多数に対し「横領した」と断定することとではまったく次元が異なる。清水は「考えた」だけでなく、「山川は横領した」と公言したのである。これはどう考えても経験則とはいえない。

 続けて清水は「また、そもそも、……控訴人による使い込み、横領は明らかである」として、会計帳簿に誤って福祉募金の「出金」のみを記載した件や、清水が「入浴の事実がないにもかかわらず、あったものとして計上して着服した」と主張する「入浴料」の件、寄付金の不計上などいくつかの具体例を挙げている。清水の主張する上記の例はいずれも会計処理上の不手際であることまでは明らかである。

 しかし仮にそうだったとしても、会計処理上の不手際が「山川は寿会の金を横領した」と断定するだけの根拠といえるかとなると、常識的にみて、やや困難というべきなのではあるまいか。これを清水が「着服」と考えるのは勝手だが、刑事責任を問うには「会計処理上の問題」だけでなく、今度は直接的に「着服」を立証する証拠が必要となるのではあるまいか。

「疑い」の次元に止まる主張

 さらに清水は、平成28年5月11日に役員の引き継ぎを行った際、山川が簿外の金があることを新役員に報告しなかったこと、同年6月26日に寿会から返還請求が行われると、すぐにほぼ同額を返還したこと、またその経緯について清水らから聞かれても具体的な説明をほとんどしなかったことーーなどを根拠として「控訴人による着服、横領は明々白々」であると主張している。

 しかし、ここでも清水の主張には、山川が寿会の金を着服したことを裏付ける具体的な根拠はひとつも示されていない。上記の主張のかぎりにおいて、清水はただ「疑うに足る根拠」を主張しているにすぎず、これをもって「横領した」と断定する根拠とはいえないのではあるまいか。

 一審が認定したように、清水による表現行為の内容が「犯罪行為の可能性」というものであれば上記の主張で相当性が認められたのかもしれない。しかし、「『横領した』とする断定」と認定された場合、一審と同じように相当性が認定されるのだろうか。

 いずれにしても、東京高裁が表現内容の認定について、一審同様の認定をするのかどうかが最初の注目点であることは間違いない。もちろん、東京高裁が「横領したと断定するもの」と認定したとしても、相当性を認定する可能性を否定することはできない。

 その場合には、ちょっとした記入ミスや計算ミスを犯したというだけで、「横領した」と追及することが容認される恐ろしい暗黒社会の到来が予見される。会計担当のやり手はいなくなり、それまで存在した組織は、もはや組織の体をなさなくなろう。日本がそのような社会になってもいいのかーー本件はそのような問題を孕んでいるといえるのではあるまいか。

傍聴席での発言について

「東村山市議会の傍聴席で清水が『山川は寿会の金を横領した』と発言した」と山川は主張しているが、その清水の発言には2種類がある。

 1つは、朝木の一般質問の最中に傍聴席から行った発言である。この発言について、山川は録音データを証拠として提出している。これに対して清水は答弁書で、

「傍聴人のみならず少なくとも市役所職員全体に聞こえる音量で控訴人の主張するような発言をした事実などない」

 と主張している。一審は清水のもう1つの傍聴席での発言の事実、およびそれが清水の発言であることを認めながら、朝木の質問中に行った清水の発言について、それが清水のものであると確定できないなどとして山川の請求を棄却した。山川が提出した証拠には映像ではなく音声のみという弱点はある。しかし、その声質がその後の声と酷似していること、「山川さんに全部払ってもらえばいい」とする発言の趣旨からしても、発言の主が清水であることは明らかだと思うが、東京高裁はどう判断するだろうか。

 清水は発言の存在を否定した上で、仮に清水がそのような発言をしたとしてもーーとしてさらに次のように主張している。

「控訴人のいう発言があったとしても、発言は、隣席の傍聴者との会話、被控訴人朝木の質問等を受けての意見や感想を隣席の傍聴者に伝えたものにすぎず、不特定多数の者に対し控訴人が寿会の金を着服したとの事実を摘示するものではない」

 静まり返った議場内での発言であり、その声はICレコーダーにはっきりと録音されていた。それほどの音量があれば、隣の傍聴人だけでなく周囲に十分聞こえていた可能性は高い。またその清水の声は、周囲に聞こえることを十分に意識したものであり、「山川は寿会の金を横領した」と周囲にアピールしようとしているように思えてならなかった。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第121回
「表現行為の認定」についての主張

 誓約書に続いて清水が主張したのが、朝木や清水らによる表現行為に対する一審の認定についてである。

 朝木や清水らによる表現行為の内容について一審判決は、

「原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するものである。」

 と認定した。この認定に対し、山川は控訴理由書で「元公明市議が横領!」(朝木ら)、「前会計山川昌子氏の会計会費の不正使用・着服」(清水澄江)などの具体例を挙げ、朝木らや清水による表現行為の内容に対する一審の認定は誤りで、朝木や清水による表現行為の内容は「山川は寿会の金を横領したとの事実摘示」であると主張した。

「犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性」と「横領」とでは立証の範囲と次元が大きく異なる。一審判決は朝木や清水の表現について相当性を認定したが、それは事実摘示の認定を誤ったことによるのであり、不当な判断であると山川は主張している。

きわめて難解な主張

 これに対し、清水は「(山川の上記主張は)およそ具体的な根拠を欠くものであって不当である」として次のように反論した。

「原判決は、控訴人の指摘する表現行為について、控訴人ら(筆者注=原文ママ)が不法行為責任を負うか、真実性及び相当性の……判断に必要な範囲で、摘示事実の認定を行ったものに過ぎず、その認定の内容は基本的に正当である。」
 
 清水がここであえていう「判断に必要な範囲で、摘示事実の認定を行ったもの」とは何なのか、理解に苦しむ。「判断に必要な範囲」とは、やはり東京地裁が清水の表現行為について「横領した」との事実摘示ではなく、「犯罪行為の可能性があったとの事実摘示」と認定したことを指しているのだろうか。いわれるまでもなく、裁判所としてはごくあたりまえの、一般的な検討手順であるようにも思える。

 続けて清水はこう主張した。

「(被告らの表現行為に対する東京地裁の認定を控訴人は非難するが)……原判決の認定において、「犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があった」としているのは、寿会の「財政的基盤が危うくされたこと」についてである。控訴人のいう横領行為の断定云々という話は、原判決の判断の論理過程に関わらないものであって、控訴人の主張はおよそ不当である。」

 原判決を擁護しようとしていることはうかがえるものの、上記の部分が具体的に何をいっているのか理解できる者は少なかろう。はっきりいえるのは、清水が、被告らの表現行為の内容について東京地裁が「山川による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があった」と認定したことは不当ではないと主張していることだった。

最高裁が示す判断基準

 清水による表現行為の内容に対する東京地裁の認定について清水が主張する「判断に必要な範囲」で認定したとする意味はよくわからない。ただ、名誉毀損裁判において「判断に必要なもの」とは「必要な範囲」などというものでなく、端的にその表現が何を摘示しているか、またはどんな論評をしているかに尽きる。

 それが原告の名誉を毀損するものであるか、そうでないのかを判断しなければ、その表現の違法性を判断することはできない。つまり、本件において東京地裁が認定した清水らの表現行為に対する認定内容は、清水のいう「判断に必要な範囲で認定したもの」などという曖昧なものではなく、本件の違法性判断をするための前提となる判断なのである。まさか裁判所が、名誉毀損の判断の手順を無視することはあり得ない。

 ところで、名誉毀損の判断の前提となる表現行為の内容に対する認定については有名な判断基準がある。昭和31年7月20日に最高裁第2小法廷が示した「一般の読者の普通の注意と読み方を基準として」判断すべきというものである。これを本件に照らすと、「元公明市議が横領!」(朝木ら)、「前会計山川昌子氏の会計会費の不正使用・着服」(清水)などの表現を一般の読者が普通の注意と読み方で読んだ場合に、これらの表現をどのように理解するとみるのが妥当なのかということである。

 一審の東京地裁は、一般の読者の普通の注意と読み方で上記の朝木らの表現を読んだ場合、「原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実」、または「当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実」、あるいは上記各事実に関する「論評を表明するもの」であると理解するものと判断したということになる。山川は端的にこの一審の判断が誤っているとし、朝木らの表現を読んだ一般の読者は「山川は寿会の金を横領した」と理解すると主張しているのである。

 清水(代理人弁護士)も「判断に必要な範囲」などと曖昧なことをいうのではなく、端的に「一審の認定は正当だ」と主張すればそれで十分だったのではあるまいか。にもかかわらず、あれほど回りくどい言い方をしたのはなぜなのか、理解に苦しむものというほかない。

 名誉毀損の判断の前提となる表現行為の内容に対する認定に誤りがあれば、結論に影響を及ぼす可能性が生じるのは当然である。最高裁判例からみた場合、朝木らの表現行為の内容に対して、東京高裁が一審と異なる判断をする可能性もないとはいえないのではあるまいか。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第120回
誓約書に関する清水の主張

 本連載第119回において、「誓約書の締結によって和解が成立しているから、それ以後の清水の表現行為はいずれも公益性がなく違法である」とする山川の主張を紹介したが、その前提となっているのは、誓約書に記載された誓約事項が署名人相互が遵守すべき事項として成立したとの認識である。これに対して清水は、誓約書そのものの意義について次のように主張していた。



(誓約書に関する清水の主張②)

 そもそも、誓約書は、被控訴人清水から横領の指摘を受けた控訴人において自身が誓約し遵守すべき内容として本文を記載し署名押印したものである。そのうえで、本件寿会が遵守すべき事項ではなく、控訴人が誓約し遵守すべき事項を確認すべく被控訴人清水らが署名押印したものである。



 これに先立って、山川は清水の請求に従って不足金を支払っている。この事実からある弁護士は「その時点で和解が成立している」との見解を示し、また東村山市の担当者は顧問弁護士の意見を聞いた結果、補助金の使われ方に問題はないとして、市としてはこれ以上問題視することはないとの見解を示した。

理不尽な要求

 しかし、市の担当者が退出したあと、清水はこのまま事態が収束することは納得できないとして、山川に対して、山川が当時務めていた社会福祉協議会評議員、多摩湖センター理事、同イベント部長、多摩湖町福祉協力員副地区長、東村山市日中友好協会会長、東村山市文化協会会長の職をすべて辞任するよう強硬な姿勢で求めた。清水としては、山川に何のペナルティーもないまま収束することには我慢がならなかったのだろう。清水のあまりの剣幕の前に、山川はこのままでは事態が収まらないと判断し、会計問題とは無関係であり理不尽であるものの、清水の要求を甘んじて受け入れることにしたのだった。もちろん山川には、自分の犯した不適切な会計処理によって皆に迷惑をかけてしまったという思いがあった。

 普通に考えれば、今回の会計問題と山川の団体役員の件は無関係である。周囲に複数の役員がいたにもかかわらず、清水の要求の理不尽さをいさめる者がいなかったとはとうていほめられた話ではないが、誰も抵抗できない状況だったのだろう。そんなまともな意見も出せないような異様な状況の中で、理不尽だとわかっていても、山川は清水の要求を飲むしかなかったのである。

「甲」「乙」の意味

 山川が団体の役職を退くことを了承すると、立会人の大野清吉がA4の用紙を持ってきて、「誓約書」との表題を記入した上で、上記の役職を辞任する旨を書くよう求め、さらに「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との文言を加えるよう提案した。山川は大野の提案を受け入れて誓約書を作成した。

 清水の要求に加えて大野が提案した内容について出席者の誰からも反対意見は出されなかった。さらに、これに甲として「多摩湖寿会15代会長清水澄江」「同副会長清水昇」、乙として「多摩湖寿会14代会長加藤幸雄」「同会計山川昌子」、「立会人大野清吉」の署名捺印がなされ、誓約書は成立した。

 最初に清水が山川に対して請求書を送付し、山川がそれに従って不足金を返還、その後に誓約書を交わしたという事実経過からすると、「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」という誓約書の文言が「山川だけがが遵守すべき事項」として記載されたとする清水の主張は、かなりバランスを欠いて個人的感情をむき出しにしたもののように思えてならな強調文い。それに「甲」と「乙」として署名捺印する場合、「甲」と「乙」は、通常、利害が対立する者であり、相反する立場の者が連名で署名したということは、記載された条項について双方が遵守することを了承したということではないのだろうか。

 また、「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との文言には主語がなく、この条項が山川のみが遵守すべきものであると断定することはできない。むしろ、誓約書に署名した当事者のすべでが遵守すべきものであると理解するのが自然である。したがって、この条項が山川のみが遵守すべきものであるとする清水の主張は通らないのではあるまいか。

誓約書に関するその他の主張

 山川は、誓約書の成立後に清水が「山川は寿会の金を横領した」と主張したことが、誓約書の「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」の「金銭的な申し立て」に当たるとして、誓約書に違反しており「公益性はない」と主張している。これに対して清水は、「横領した」との主張は「金銭的な申し立て」ではなく、山川の主張は失当であると主張している。

「横領した」とか「盗んだ」との主張は厳密にいえば直接的に金銭の支払いを「申し立てる」(要求する)ものではないかもしれない。しかし、他人のものを盗めば返還義務を負うのは当然のことである。したがって、「横領した」と主張することは、金銭の返却を要求したに等しいといえるのではあるまいか。

 誓約書に関する清水の最後の主張は、山川の履行態度についてだった。山川は辞任を約束した役職のうち、文化協会会長だけは代わりがいないとして慰留されたため、まだ辞任に至ってはいなかった。だから、清水はこう主張していた。

「山川は清水に対して誓約違反を主張するが、山川の方も約束をいまだ完全に果たしていないではないか。したがって、清水に対してのみ誓約違反を主張するのは失当である」

 この主張に基づいて、裁判長は口頭弁論の際、それが事実かどうかの確認をしたのである。部分的に見れば清水の主張にも一理あるようにみえるが、本件の全体的な判断の中で、山川が文化協会の会長だけはまだ続けているという事実がどれほどの重みを持つのかは定かでない。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第119回
誓約書についての反論

 山川が提出した控訴理由書と同補充書に対して、朝木と清水から答弁書が提出されたのは平成31年2月18日に予定されている控訴審第1回口頭弁論の1週間前ごろである。

まず、清水の反論から紹介しよう。

山川は控訴理由書の第1で次のように主張している(趣旨)。

「清水による名誉毀損行為は『今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない』とする誓約書を交わした後になされたものであり、公益性がない。ところが原判決は、誓約書の内容にはいっさい触れておらず、審理を尽くしていない。したがって、原判決には審理不尽の違法がある」

 清水はまずこの点について、原判決は双方の主張を確認した箇所で「清水による名誉毀損行為は『今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない』とする誓約書を交わした後になされたものであり、公益性がない」とする原告の主張を記載し、その主張を確認し、その上で判決をしたものだから、審理不尽であるとする原告の主張は失当であると主張した(趣旨)。

 双方の主張に争いがある場合、裁判所はどちらの主張が正当であるかについてなんらかの判断を具体的に示すのが通常である。ところが東京地裁は、誓約書に関する山川の主張を「原告の主張」として確認はしているものの、誓約書締結後の清水の発言や主張と誓約書との関係についてなんらの判断も示していない。

 わずかに東京地裁が誓約書に触れたのは、清水が東村山市の担当者に対して「山川は寿会の金を横領した」とする趣旨の発言をしたことについてである。東京地裁はこう述べた。



(誓約書に関する東京地裁の見解)

 本件寿会と原告との間で和解が成立したとしても、公務員に対する事情聴取に応じ又は相談の中で上記申告を行ったことが、直ちに違法であるとはいえず、原告に対する関係で不法行為を構成するとはいえない。



 東京地裁が誓約書に対して一応の見解を示したのはこの箇所だけである。清水による発言や表現行為はこれ以外にも複数存在する。しかし一審判決は、上記の申告に関して以外は誓約書との関係における判断をしていない。

十把一からげの判断

  たとえば、清水が平成29年1月、寿会会員に配布した「新年会案内」に「前会n計山川昌子氏の会計会費の不正使用・着服につきましても……」と記載した点について、一審は具体的には言及せず、「清水の行為」(筆者注= 誓約書後の「清水の行為」には、議会傍聴席での発言と「新年会案内」がある)とまとめた上で、まず公益性について次のように述べた。



(「新年会案内」の記載に対する一審の公益性判断)

 被告清水の行為は、本件寿会の会長として、本件寿会全体に関わる問題について会員に向けて問題提起を行ってきたものと捉えることができ、……その公表に公益目的が存在していたものであることが推認できるところ、これを覆すに足りる証拠はない……。



 東京地裁は続けて真実性・相当性を検討し、「原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実」(筆者注=「横領したとの事実」ではない)について相当性を認めたのだった。この判断の過程で、東京地裁は誓約書との関係には具体的にいっさい言及していない。これでは、一審判決が誓約書の内容を考慮したものとする清水の主張はとうてい説得力を持ち得ないのではあるまいか。

 傍聴席での発言と「新年会案内」では具体的表現内容も背景事情も表現方法も異なる。それを「清水の行為」として一まとめにしてしまうというのは乱暴な気がするが、東京地裁が出した結論から推測すると、いずれの表現も山川の名誉を毀損するものであると認定したということなのだろう。

寿会会長署名捺印の意義

 清水による表現行為の違法性を検討するにあたり東京地裁は誓約書との関係についていっさい言及していないが、東村山市の担当者に対して清水が「横領」などと発言したことについて、「(誓約書によって)仮に和解が成立したとしても」と前置きし、言外に誓約書によって民法上の和解が成立したことを認めている。「民法上の和解」とは、それまでに存在していた当事者間の争いが終結したことを意味しよう。和解が成立すると、紛争を再び蒸し返すことは双方許されない。

 清水は誓約書の締結に際して一会員としてではなく多摩湖寿会会長として署名捺印したのだから、なおのこと、誓約内容に関わる発言等にはより慎重でなければならない。しかも、寿会側からは副会長も署名捺印し、前会長の加藤幸雄、立会人の大野清吉までも署名捺印している。署名捺印に立ち会った当事者の数からしても、誓約書は多摩湖寿会として締結したものという意味を持つものと考えるべきだろう。

 したがって、清水が「新年会案内」に「前会計山川昌子氏の会計会費の不正使用・着服」と記載した行為は、問題を蒸し返す行為である上に、誓約書の締結に関わった当事者たちの意志を無視した独善的な行為でもあるといえるのではあるまいか。

(つづく)
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