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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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多摩湖寿会事件 第114回
会計報告に含まれた「入浴料」

「おくたま路」の平成25年7月1日付日報に「入浴止め」との記載があったとしても「入浴の事実はあった」とする山川や前副会長小山の主張を裏付ける寿会の文書は、研修前の案内以外にもう1つあった。研修後の理事会で配布された会長加藤幸雄ならびに会計山川昌子名義の「多摩湖寿会日帰りバス研修会報告」と題する平成25年7月26日付文書である。
 
 この文書には、活動報告、参加者数の報告のほか会計報告がなされており、「支出」として「おくたま路56720円」のほか「入浴料10000円」の記載がある。文書の名義からもわかるように、この報告書は加藤会長と会計の山川から報告されたものであり、その内容は理事会でなんらの異議もなく承認された。理事の中には当然、「おくたま路」での研修に参加した者もいたが、入浴の事実について異議が出されるようなこともなかった。

 なお、当時、清水澄江も理事を務めていたが、この理事会には出席していない。このため清水は、同年7月26日に「おくたま路」での研修の報告があったこと、会計報告の中に「入浴料10000円」と記載されており、これについて出席した理事の誰もが入浴の事実に疑義を挟まなかったことを知らなかったのだろう。

 上記の「おくたま路」での研修に関する会計報告の内容はそのまま平成25年度の多摩湖寿会総会資料の決算報告書に記載され、同総会でも承認されている。その決算報告書について清水は、山川に対して送付した平成28年6月26日付請求書で「(本請求書の内容は)私の一存でなく本日9時~13時にかけて役員総出で領収証、出納長、決算報告書で確認いたしました。」と述べていた。

 上記決算報告書には、「見学研修(日帰り)」との費目があり、その額は「おくたま路」での研修後に理事会で配布された上記の会計報告の額と合致しているから、上記費目が「おくたま路」での研修を指していることは明らかである。その上で、平成25年度の総会で上記支出は承認されたということになる。そうでなければ、当然、総会で疑義が提出されたはずであり、上記支出は削除あるいは訂正されたはずだが、そのような事実もない。

 清水が「確認した」という決算報告書の記載には上記のような経緯があり、多摩湖寿会の総会で承認されたものなのである。したがって、清水もまたこの「見学研修(日帰り)」の支出について納得していたものであり、さらに平成28年6月に改めて確認したということになる。

 ところが、清水側の証人として出廷した前会長の加藤幸雄は平成25年7月26日の理事会で配布された会計報告について、自分名義の報告であるにもかかわらず「自分が作成したものではない」、つまり「山川が勝手に作成したものだ」と証言したのだった。加藤は、「おくたま路」での入浴はなかったことにしたい清水の意に沿う供述をしたのではないかと推測する。

「おくたま路」の平成25年7月1日付日報には確かに「日帰入浴止め」との記載がある。しかし、当時副会長の小山が証言する入浴できるようになった経緯とその事情および上記の決算報告からすると、実際に入浴の事実があったとみるのが合理的なのではあるまいか。この点について東京地裁はどう判断したのだろうか。

清水の加工を否定

東京地裁は入浴料について、「おくたま路の入浴料について疑義があることを裏付ける事実」との見出しで、まず次のように述べた。



(「おくたま路での入浴料」についての東京地裁の認定)

 本件寿会の平成25年度の会計帳簿には、平成25年7月1日付で「日帰り研修入浴料」として1万円が支出された旨の記載があるところ、同日の本件寿会の日帰り研修先の一つであるおくたま路の営業日報には、「宿泊、日帰入浴止め」との記載がある。

 上記支出については、出金伝票は存在するものの、当該出金伝票の根拠となる入浴料の領収書が本件寿会の会計帳簿中の帳票類には現存しない状態となっている。ただし、同日帰り研修について、事前にタオルの持参が連絡され、研修後に会計報告として入浴料1万円の報告はされている。



 東京地裁は証拠として提出された客観的な書証については検討の対象としていることがわかる。

 なお東京地裁は、清水が「入浴の事実はない」として提出した領収書綴りについて、すでに事実認定において「原告が指摘する領収書綴りの写しの痕跡が被告清水による加工行為を直ちに示すものとはいい難く」としていて、一応、清水が提出した領収書綴りのコピーが、山川が作成したものである可能性があると認定していることがうかがえる。しかし、この認定の過程において、清水が出金伝票を剥ぎ取ったことが明らかであることについていっさい言及していないのは不可解である。また、「入浴」の事実を認めている当時の副会長、小山の証言については無視した。

「入浴」の判断はできず

 その上で、東京地裁は「おくたま路」での「入浴」の事実について次のように結論付けた。



(「おくたま路」での「入浴」の事実についての東京地裁の結論)

 おくたま路の入浴料については、この際の入浴の有無は確定できないが、本件寿会が原告に対して請求した金額は原告から申告されたものではないのであって、被告清水や被告朝木から各指摘されたほかに簿外の金員が存在する可能性が必ずしも否定できる状況にもなかった。



 上記記載のうち、「本件寿会が原告に対して請求した金額は原告から申告されたものではないのであって」との部分は、山川が「清水は『平成28年6月26日の時点で入浴に関する事実を把握していた』と主張しているにもかかわらず、請求がなかった。このことは、『入浴料』のレシートが存在していたことを示している」と主張していることに対する見解であると理解できるが、東京地裁は清水の主張の矛盾点には触れていない。

 東京地裁がここで述べているのは「入浴の事実は確定できない」ということである。事実の確定ができなければ、通常なら、「山川は、入浴の事実がなかったにもかかわらず、入浴があったものとして1万円を着服した」とする主張の真実性・相当性を判断することはできない。しかし、東京地裁は「請求していないとしても、それ以外にも簿外の金が存在する可能性が否定できない」というあいまいな心証を加えた。「入浴料」に関する判断はこれだけだった。

 そもそも東京地裁は、本件名誉毀損の事実について、「原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するものである」としており、清水や朝木が「山川は寿会の金を横領した」と断定したとは認定していない。「入浴料」についても同様である。

 したがって、東京地裁は「横領の可能性がある」との事実摘示について、真実性・相当性があるか否かを検討したということだった。「入浴料」についても、「入浴」の事実があったかどうかを確定する必要性はなく、「着服の可能性があるとの事実摘示に相当性があるか否か」を検討すれば足りるとの判断だったようである。その結果、東京地裁は相当性を認めたということと理解できた。

 こうして東京地裁は、山川の請求をいずれも棄却するとの判決を言い渡したのである。控訴審第1回口頭弁論は、平成31年2月18日午後4時、東京高裁717号法廷で開かれる。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第113回
証拠能力のないコピー

 清水が「入浴料のレシートはなかった」ことの証拠として提出した領収書綴りのコピーは、山川が「№44」の整理番号をサインペンで記入した後のいずれかの時期に、貼ってあった出金伝票を剥ぎ取り、その後に再び貼り戻したものであることは間違いのない事実だった。問題はその一連の行為をいつ、誰がしたのかということだが、現時点で証拠上はっきりしているのは、清水が出金伝票を剥ぎ取ったという事実である。

 また、山川にはいったん貼りつけた出金伝票を剥ぎ取る理由はないが、清水には「領収書の存在を確認するため」という明確な理由があった。そう考えると、山川が最初に作成した領収書綴りから出金伝票を剥ぎ取り、再び貼り戻した領収書綴りを新たに作成したのは清水である可能性が高い。

 清水が証拠として提出した領収書綴りの中には、いったん剥ぎ取った出金伝票を再び貼り戻したと推定できるものが他にもあった。この領収書綴りに貼られた出金伝票は「入浴料」の箇所よりももっと大きくずれており、最後に書き込まれた整理番号はにわかに判読できない状態になっていた。

 会計担当だった山川が、整理番号が読み取れないような雑な整理をしたとは考えられない。したがって、これもまた清水がいったん剥ぎ取った出金伝票を貼り戻したもののようだった。

 上記の例から見る限り、「入浴料」の出金伝票についても同じように清水がいったん剥ぎ取った出金伝票を再び貼り戻したものと見るのが妥当のように思われた。そうでなかったとしても、清水が提出した「入浴料」に係る領収書綴りのコピーは山川が作成した当時のままのものであるという裏付けはない。つまり、清水が提出した「入浴料」に係る領収書綴りのコピーは、少なくとも「入浴料のレシート」が最初から存在しなかったことを裏付ける証拠とはなり得ないということだった。

日報に記載された事実

 ただ、そうはいっても「『入浴料』のレシートは最初からなかった」とする清水の主張は、「おくたま路」の平成25年7月1日付日報の「宿泊、日帰入浴止め」とする記載と矛盾しない。この日、多摩湖寿会が日報どおり入浴ができなかったということになれば、「入浴料」のレシートが存在する方がおかしいし、出金伝票の記載も事実に反するということになる。

 寿会は日報の記載どおり、入浴を断られたのだろうか。実はこの点について、「おくたま路」側には明確に証言する人物はいない。清水が平成28年10月18日に入浴の事実について調査に行った際に対応したのは、フロントのA氏である。

 平成25年7月1日に多摩湖寿会が入浴したかどうかについて、Aには記憶がなかった。当日Aはフロントにはいなかった。また当時と現在では経営者が変わっており、当時のレジ記録は現在の「おくたま路」にはなかった。

 そこでAは、当時から保管している日報を持ってきた。すると、平成25年7月1日のページには中央に大きく「宿泊・日帰入浴止め」と書かれていたのである。日報の記録によれば、当日訪れた多摩湖寿会も、当然、入浴できなかったという結論になる。

 だから朝木は、平成28年12月議会における一般質問の際、この日報のページを高々と掲げて、「入浴の事実はなかった。したがって、山川は入浴したものとして入浴料1万円を着服した」と主張したのである。日報の記載のかぎり、清水と朝木の主張に不合理な点はない。

日報の記載事実と現実

 山川が「おくたま路」に行って確認した際も、対応したのはフロントのAで、やはり同じ回答だった。Aは当日現場にはいなかったため、日報に記載された事実以外の回答をすることはできないのだった。

 これに対して山川と当時の副会長だった小山は次のように説明している。

「当初、確かに入浴を断られた。しかし、山川と小山が、みな温泉を楽しみにしてきたので、なんとか入らせてもらえないだろうかと頼んだところ、しばらくして『まだ工事に入る前で、まだ湯も入ったままなので、短時間なら入っていいですよ』との回答があった。そこで、20名分1万円をまとめて支払った」

 当日、「おくたま路」は浴場の改装工事を予定していたが、工事の直前であろうと、工事に入る前ならば入浴できるかどうかは、工事の内容によるだろう。山川らの説明によれば、日報には「入浴止め」と書かれているが、現実には工事に入る前ならば入浴ができないことはない状況で、「おくたま路」は多摩湖寿会の入浴を許可したということになる。山川らから頼み込まれたフロントは、入浴の可否について自分では判断できないので、上の判断を仰いだ結果、入浴してもいいという判断がなされたということだろうか。

 多摩湖寿会が「おくたま路」で研修を行うにあたり、温泉への入浴を予定していたことは、平成25年6月1日、会長の加藤が各会員に対して配布した「日帰りバス研修会のお知らせ」と題する文書から明らかだった。文書には集合場所や集合時間、費用などが記載されており、さらに「持参品」として「タオル(現地では100~200円で購買の必要)」と記されている。これが入浴を予定したものであることは疑う余地がない。

 当然、温泉への入浴を楽しみにしていた会員もいただろう。だからよけいに、山川と小山はなんとか入浴させてほしいと「おくたま路」側にかけあったのだと推測できる。その結果、「工事に入る前だから、入ってよい」という了解を取り付けた――山川と小山のこの説明に不自然な点はないように思われた。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第112回
デタラメだった作成日

 平成29年7月11日、清水は準備書面で「平成28年6月26日の時点で領収書綴りに入浴料のレシートがないことを把握していた」と主張したが、そのことを裏付けるとする証拠も提出している。「入浴料1万円」の出金伝票だけが貼られ、レシートが貼られていない領収書綴り(№44の箇所)である。

 証拠説明書には、その作成月日(清水が証拠としてコピーした日)は「平成27年」とだけあった。山川が会計書類を清水に引き継いだのは平成28年5月11日だから、「平成27年」に作成したというのはあり得ない。清水には、平成28年10月7日(領収書綴りから出金伝票をすべて引き剥がして東村山市健康福祉部にコピーを再提出した日)よりも前に作成したことにしなければならないという意識が先行したため、とりあえず健康福祉部に提出するよりも前にしようとしたということだろうか。

 作成日が「平成27年」は間違いではないかと山川は指摘した。すると清水は、引き継ぎが平成28年5月11日だったのだから、その日にはできるはずがないですねと開き直った。証拠説明書は代理人が作成したもので、日付については領収書綴りから出金伝票を引き剝がすことが間違いなく不可能な日にするために「平成27年」としたものだろうか。

 山川が作成した出金伝票の日付は「平成25年7月1日」となっているから、通常では、証拠の作成日も同じ「平成25年7月1日」としてもいいはずである。しかし、山川が作成した日でも、清水がコピーを可能になった日以降でもないとは不可解というほかなかった。

 証拠の作成日はそれ自体が証拠の一部としての意味を持つこともあり得る。弁護士が作成したものなら、作成日についても慎重に確認するはずであり、間違って「平成27年」とすることなど普通は考えられない。したがって、作成日を「平成27年」という奇妙な日付にしたことにもそれなりの理由があるものと思われた。

準備書面の記載とも矛盾

 清水が準備書面で記載しているように、「平成28年6月26日の時点で入浴料のレシートがないことを把握していた」というのなら、その時点でコピーを取っていてもおかしくない。それなら、清水が「入浴料のレシートがないことを把握した」のは山川から会計書類を引き継いだ平成28年5月11日から同年6月26日までの間であることが裏付けられよう。

 その時点で作成した証拠であれば、明確な日付を付けられたはずである。しかし、コピーの作成日がその間の日付でもないとは、これもやはり不可解というほかない。

 こうみてくると、入浴料に係る領収書綴りの当該箇所のコピーを証拠として作成するについて、まず優先されたのは、清水が領収書綴りから出金伝票を引き剝がす以前のものでなければならないということだったことがうかがえる。出金伝票を領収書綴りから引き剝がした後のものをコピーしたのでは証拠価値がないことを代理人は十分に認識していたということだったのではあるまいか。

質問をはぐらかした清水

 なお、清水が出金伝票を領収書綴りから引き剝がしたことについて、山川は尋問で清水に直接確認した。しかし清水は、出金伝票を剥ぎ取ったことについての質問をはぐらかし、答えようとはしなかった。清水は山川の質問に対して、「入浴料のレシートは最初からなかった」とのみ答えたのである。出金伝票を剥ぎ取ったことについて聞かれるのは、清水にとって都合の悪いことだったことだけは確かなようだった。

 領収書綴りから出金伝票を剥ぎ取ることで、貼ってあったはずのレシートが脱落する可能性が生じることを清水も十分に認識していたのだろう。だから、自分が出金伝票を剥ぎ取ったことに関する質問をはぐらかしたということと推測できた。

 出金伝票を剥ぎ取ったことを認めれば、当然、「入浴料がなかったことの証拠」として提出した上記の領収書綴りのコピーの真正性が問われることになりかねない。出金伝票を剥ぎ取ったことに関する質問には応じないよう代理人から言い含められてもいたのだろう。

出金伝票の影

 清水が「入浴料のレシートが最初からなかったこと」を証明するものとして提出した領収書綴りのコピーは実際に山川が作成した当時のものだったのか。清水が証拠説明書に記載したとおりそれが「平成27年」当時のものをコピーしたものであるとすれば、山川が作成したものに手が加わっているとはいえず、「入浴料のレシートは最初からなかった」という清水の主張を裏付けることになる。

 山川としては入浴料のレシートは確かに貼ったという確信があったから、清水が提出した領収書綴りのコピーを何度も細かく確認し、それとともに自分がレシートと出金伝票を整理した当時を必死で思い出してみた。山川は最初に入浴料のレシートを貼り付け、その上から出金伝票を貼り、その後に整理番号の「№44」をサインペンで書き込んだ――。

 清水が提出した領収書綴りのコピーには、領収書綴りの左端に「№44」と記入されており、その右側に出金伝票が貼られている。山川には当初、その状態は自分が作成した状況と変わりがないように思えた。しかし、出金伝票をめくると、その下に「入浴料」のレシートはないと清水は主張しているのである。

「そんなことはあり得ない」――そう思いながら、山川は清水が提出した領収書綴りのコピーを凝視した。すると、領収書綴りの左端に記入した手書きの「№44」のすぐ右側、出金伝票の左上に1ミリ程度の影のような汚れが2カ所あることに気が付いた。なにか、コピーを取った際についたただの汚れのようにもみえた。

「この汚れは何なのだろう」と、今度は拡大鏡で見てみた。すると、左隣の「№44」の右側の「4」の右端が縦方向に切断されたような跡があることがわかった。そこで、その切断された部分に出金伝票の左端に付いた汚れのようなものを近づけると、その「汚れ」の左端が「№44」の右側の「4」の右端の切断面にぴったり合致したのだった。

 これはどういうことを意味するだろうか。山川は領収書を整理するにあたり、領収書綴りにまずレシートを貼り、その上に出金伝票を貼り付けた後で、整理番号をサインペンで記入していた。

 その数字の右端が切断され、出金伝票の左端にその数字の切れ端が残っているという状況は、山川が数字を書き入れた時点で数字が出金伝票にかかっていて、出金伝票が剥がされたために数字が切断されたことを意味する。また、清水が証拠として提出した領収書綴りの出金伝票は、いったん剥がされたのちに貼り戻されたものであることを意味していた(山川自身が整理番号を記入した後、何らかの理由で出金伝票をいったん剥がした後、再び貼り付けた可能性はないとはいえないが、山川はその事実を否定している)。

 清水は認めようとはしなかったが、平成28年10月7日、領収書綴りのコピーを東村山市健康福祉部に提出した際、すべての出金伝票が剥ぎ取られた状態にあったことは証拠上明らかである。すると、山川が書き込んだ整理番号の右端が切断され、出金伝票の左端にその切断部分が残っていた事実は、清水がいったん剥ぎ取っていた出金伝票を再び貼り戻し、山川が作成した当時のものとして証拠提出した可能性が疑われる事態であるといえた。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第111回
レシートがないことを知った時期

「レシートがないから、入浴の事実もない。山川は入浴があったものとして支出を計上し、1万円を着服した」

 ――清水のこの主張に対して山川は次のように反論している。

「清水は朝木が9月議会で『すべての領収書を点検すべきだ』と発言したあと、領収書の有無を確認するために領収書綴りからすべての出金伝票をすべて剥ぎ取った。入浴料のレシートはその際に脱落し、清水はこれを紛失したのだ。清水は入浴料のレシートを紛失したことに気づかず、『最初からなかった』と騒いでいるにすぎない」

 平成28年9月議会で、朝木は入浴料の件にはいっさい触れていないし、それ以前にも触れたことはない。朝木が最初に「入浴の事実がないにもかかわらず、あったものとして入浴料を着服した」と主張したのは、清水が出金伝票をすべて剥ぎ取った領収書綴りを含む会計帳簿類を東村山市健康福祉部に再提出したあとの平成28年12月議会だった。

 清水が領収書綴りから出金伝票を剥ぎ取ったのは平成28年9月議会で朝木が「すべての領収書を点検すべきだ」と発言した後であり、「入浴料のレシートがない」ことに初めて気づいたのも領収書綴りから出金伝票をすべて剥ぎ取ったあとであることは、朝木の発言の経緯からも明らかなように思えた。

 入浴の事実が存在せず、したがってレシートが存在しないにもかかわらず支出したものとして計上するというのは、それが事実とすれば、重大な不正会計である。入浴の事実を確認して、それがなかったということになれば、入浴があったとして会計帳簿に記録された「入浴料1万円」は不正な会計処理であることが裏付けられる。

 清水は入浴の事実があったかどうかを確認するために「おくたま路」を訪れているが、その時期について「平成28年10月18日頃」だったと準備書面で述べている。あれほど「着服があった」と主張している者が、その事実を裏付ける材料を発見したにもかかわらず、すぐに確認しようとしないことは考えにくい。

 実際に、清水は可能な限り急いで、入浴の有無を確認するために「おくたま路」に行ったとみるのが自然なのではあるまいか。清水が自ら供述する「平成28年10月18日頃」という時期は、まさに清水が領収書綴りから出金伝票を引き剥がして健康福祉部に提出した時期と符合する。

 つまり、清水が供述する「おくたま路」に入浴の確認に行った時期からも、清水が「入浴料のレシートがない」ことに気づいた時期が推測できる。清水は領収書綴りから出金伝票を剥ぎ取った後で、「入浴料の領収書がないことに気づいた」とみるのが最も合理的である。

「気づいた時期」に矛盾

 しかし、領収書綴りから出金伝票を剥ぎ取った後に気が付いたのでは、領収書綴りが山川が作成した状態にはないことが明らかであるだけでなく、「清水がレシートを紛失させた可能性」という疑いを払拭することができなくなる。だから、清水は山川から会計帳簿類を引き継いだ時点で「入浴料のレシートがないことに気づいていた」のでなければならないと考えたのではないかと思う。

 清水がそう主張したのは平成29年7月11日付準備書面においてである。清水は次のように主張していた。



(「入浴料の領収書がないことに気づいた」時期に関する清水の主張)

「平成28年6月24日から26日にかけて、被告清水ら寿会現役員において原告の会計在任期間4年度分の会計簿と領収書綴をチェックし、前述の『おくたま路』入浴料の件などを把握し、同月26日、被告清水は同時点までに把握できた不正な会計処理、現金不足額について原告に伝えた。」

「原告から引き継がれた領収書綴を確認したところ、平成25年7月1日の『おくたま路』入浴料として……1万円を支払ったとの原告作成の出金伝票はあるものの、これに係る領収証の添付がなかった」(番号①②は筆者が便宜的に付けた)



 上記①の「領収書綴をチェックし、前述の『おくたま路』入浴料の件などを把握」とは、②の「領収証の添付がなかった」との記載と合わせると、「入浴料の領収書の添付がないから、それが架空の支出であることを把握した」という趣旨であると理解できる。つまり清水は、平成28年6月26日の時点で山川が会計帳簿に支出として記載した「入浴料1万円」が架空の支出であり、「山川が着服した」との事実を把握していたと主張していることになる。

 役員の交代により、山川が会計帳簿類のすべてを清水に引き継いだのは平成28年5月11日である。この日から同年6月26日までの間のいつの時点で「入浴料のレシートがない」ことに気がついたのかまでは清水は明らかにしていない。しかし、上記の準備書面の記載によれば、その間のいずれかの時点で清水は「入浴料のレシートがない」ことに気がつき、内容は定かでないものの、なんらかの調査によって「山川は入浴の事実がないにもかかわらず、入浴の事実があったものとして入浴料1万円を着服した」ことを「把握していた」ということになる。

 しかし、準備書面における主張と事実の間には大きな矛盾があった。平成28年6月26日、清水は「同時点までに把握できた不正な会計処理、現金不足額について原告に伝えた」という。同日付で山川に対して送付した請求書のことである。ところがこの請求の中には、不思議なことに「レシートが存在しないことが確認され、架空の支出によって着服された入浴料1万円」は含まれていなかったのである。

 これはどういうことなのだろうか。上記の主張が記載された準備書面が作成された時期からすれば、実際には平成28年6月26日の時点で「入浴料のレシート」がないことは確認されていなかったが、清水にはこの時点で気づいていたことにする必要があったということではないだろうか。

 請求書の内容と現実的に矛盾することになるが、山川がそのことを指摘しなければ、矛盾は露見しない。清水は山川が矛盾に気づかないことに期待したのではあるまいか。しかしもちろん、山川はその矛盾を指摘し、平成28年6月26日の時点で清水が「入浴料のレシートが存在しないことに気づいていた事実はない」こと、また請求書に「架空に支出された入浴料1万円」の請求が存在しない事実は、むしろその時点で「入浴料のレシート」が存在していたことを示していると主張したのである。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第110回
「入浴料のレシートがない」と主張

 東京地裁が最後に検討したのが「おくたま路」における入浴料についてである。入浴料について朝木は数カ所にわたり「元公明市議が横領」と記載している『東村山市民新聞』第188号において次のように記載している。

「研修旅行先で会員20人が入浴したとして入浴料1万円が研修費(公費)として計上されていることにも驚きますが、調査の結果、入浴したとされているその入浴施設は改修工事中で、『入浴の事実自体があり得ない』ことも明らかになっています。」

 上記の記載が「山川は入浴の事実がないにもかかわらず、20人が入浴したものとして1万円を計上し、着服した」とする趣旨であることは明らかであり、読者もそう理解するのではあるまいか。

 清水と朝木が「おくたま路での入浴はなかった」とする根拠としているのが、領収書を整理した領収書綴りに「入浴料1万円」と記載された出金伝票はあるもののおくたま路が発行した領収書がなかったこと(清水の主張)である。出金伝票は山川が作成したものだから、当然、それだけでは出金の事実を裏付けるものとはならない。

 清水と朝木がもう1つの根拠としているのが、おくたま路の日報における記録である。平成25年7月1日の日報には「入浴止め」とする記載があった。「『入浴止め』となっているのだから、入浴できたはずがない。よって「入浴料1万円を支出したとする記載は虚偽だ」と主張しているのである。

白紙状態になっていた当該箇所

 これに対して山川は「『おくたま路』での研修で寿会会員が入浴したことは事実であり、入浴料1万円を支払ったことに間違いはない。レシートは領収書綴りに確かに貼り付けていた」と主張している。また山川は「領収書綴りには最初にレシートを貼り、その上に出金伝票を貼り付けていた」と説明しており、レシートを貼り付けていたというのが事実なら、出金伝票が剥ぎ取られないかぎり、出金伝票だけが残ってレシートだけが消えてなくなるという状況は想定し得なかった。

 朝木が「入浴料のレシートが存在しない」と主張しはじめたのは平成28年の12月議会である。朝木は同議会で初めて「山川は入浴料も着服した」と主張したのだった。

 平成28年9月21日、朝木は議会で「領収書1枚1枚を再度確認する必要がある」とし、健康福祉部に対して再確認を求めた。この要求に基づき、同年9月30日、健康福祉部は清水に対して会計帳簿の提出を改めて求めた。同年10月7日、清水は会計帳簿類の提出を行ったが、なぜかいずれもコピーだった。

「入浴料のレシートがない」とする朝木の発言を聞いて驚いた山川は、すぐに健康福祉部の担当者に連絡し、確認したい旨を告げて領収書綴りの当該ページをファックスで送ってもらった。担当者が山川にファックスで送ったのは、同年10月7日に清水が提出した会計帳簿の中の当該ページである。

 山川が担当者から送られてきたファックスを確認すると、山川がレシートと出金伝票を貼り付けていたはずの箇所(整理番号№44の箇所)は何も貼られていない空白の状態になっていた。

原状が判断できない状態

 山川の記憶では、レシートだけでなく出金伝票も貼り付けていたはずだった。これはどういうことなのか。担当者に確認すると、出金伝票はすべて領収書綴りから剥ぎ取られ、出金伝票だけでまとめられているという。

 では、その中に入浴料の出金伝票はあるのか。改めて担当者に確認すると、「入浴料」の出金伝票を含む4枚の出金伝票を並べて貼り付けた1枚の紙がファックスで送られてきた。清水は「領収書1枚1枚を再度確認する必要がある」とする朝木の主張に基づき、領収書を1枚1枚確認するために、山川がレシート、領収書の上に貼り付けていた出金伝票をすべて剥ぎ取り、別の紙に貼り付けてまとめていたものと推測できた。

「山川は寿会の金を着服した」と主張するのなら、清水はその最大の証拠である会計帳簿類を山川が作成した状態で保存しておく必要があると思われる。着服の事実があったとして、その事実は原状の会計帳簿類によって証明されるはずだが、第三者が原状を変更してしまえば、何が原状だったのかの判断ができなくなり、仮に着服の事実があったとしても、会計帳簿類による立証は困難となるのではあるまいか。

 たとえば、清水が「最初からなかった」と主張する「入浴料のレシート」の場合をみると、その上に貼ってあったと山川が説明する出金伝票が剥ぎ取られたことによって、入浴料のレシートも脱落し、紛失されてしまった可能性を否定できない状態となっている。その結果、「最初からなかった」とする清水の主張にも疑問符がつくことになる。清水は、入浴料の出金伝票には手を触れない状態で、つまり剥ぎ取らない原状のままで、なおかつレシートがないという状態を示すべきだったのではないかと思う。

 清水は原状が判断できない会計帳簿類を示して、「入浴料のレシートは最初からなかった」と主張していた。出金伝票を剥ぎ取っていたことをもって、ただちに「入浴料のレシートは最初からなかった」とする清水の主張は信用できないとは断定できない。しかし、すでに会計帳簿類の原状が確認できないということになると、「入浴料のレシートは最初からなかった」とする主張を確認することはできないのである。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第109回
不明確な判示

 本連載第108回でみたように、平成24年に行った福祉募金について、山川が会計帳簿に誤って「出金」のみを記載した事実はあるが、だからといって、清水や朝木が主張するような「福祉募金を着服した」という証拠はどこにも示されていない。双方の主張に対して東京地裁立川支部はどんな判断を示したのか。東京地裁は次のように述べた。



(福祉募金に関する判断)

 平成24年度の本件寿会の会計帳簿には、福祉募金を2万4603円支出した旨の記載があるが、これに対応する入金の記載がない。この点、実際には、各会員より入金があったものである。



 東京地裁が判決文で示したのはたったこれだけである。だから、「山川は着服したのだ」と認定するのか、「その疑いがある」との認定なのかもわからない。

 また上記判示には清水や朝木の主張だけが示されている一方、集まった福祉募金2万4603円がそのまま市老連に送金されている事実、山川が誤って「出金」のみを記載してしまったと供述している事実、当時山川と集計に従事していた前会長の加藤幸雄らが「山川が福祉募金を着服することなどあり得ない」と証言していることにはいっさい言及していない。東京地裁はなぜ、着服を否定する材料も多く存在する事実を無視するのだろうか。

 きわめて不可解な判断というほかなかった。しかし、山川の請求を棄却した判決からすれば、上記の判断が朝木や清水の主張を容認するものであるということだけは確かなようだった。

裁判所の判断と原告の主張に隔たり

 東京地裁はなぜこのような、はっきりとした判断も結論も示さないような判決文でいいと考えたのだろうか。その理由は本件の各表現行為についての認定内容にあったのではないかと思う。東京地裁は各表現行為の内容について次のように認定している。つまり、これは名誉毀損の有無を判断する前提である。



(各表現行為に対する東京地裁の認定)

 各表現行為は、いずれも本件寿会の会計処理の問題について、本件寿会が一定の地域内の交流互助団体として多数人の利害に関わるものであることや、寄付金や補助金を得て運営されていることから公の利害に関わるものであることを前提として、その会計に関わった原告の行為によって、その財産的基盤が危うくされたことにつき、これが原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するものである。



 原告の山川は、「山川は多摩湖寿会の金を横領した」との事実を摘示されたことよって名誉を毀損されたと主張している。たとえば『東村山市民新聞』第188号には、「元公明市議が横領! 老人クラブから」「2012年度から2016年度の4年間に、……会予算の2割以上を横領していた」などの文言が記載され、清水が平成29年1月に町内に配布した新年会案内には「前会計山川昌子氏の会計会費の不正使用・着服」と記載されている。山川はこれらの記載について、「山川は多摩湖寿会の金を横領した」と断定するもので、またこれらの記載を読んだ読者もまたそのように受け取るから、それによって名誉を毀損されたと主張しているのである。

 これに対して東京地裁は、「原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するもの」と認定している。東京地裁は清水と朝木の表現行為について「横領の可能性があった」「原告の資質に問題があった」というものであると認定しているのだから、山川の主張とは隔たりがある。

曖昧な判示の理由

 仮に東京地裁が山川の主張するように上記の表現行為が「山川は多摩湖寿会の金を横領した」と断定するものであると認定していた場合には、「横領した」との事実の真実性あるいは相当性について検討しなければならないと思われる。しかしその表現が「横領の可能性」にとどまるという認定になれば、「可能性」を疑うだけの理由があれば違法性はないという結論になるということなのだろう。

 そう考えると、「横領の可能性」までしか認定しなかった東京地裁としては、福祉募金について、山川が「福祉募金を着服した」との事実があったかなかったまでを突き詰める必要はない。だから、平成24年度の会計帳簿に「入金」が記載されておらず「出金」だけが記載されていること、会員からの募金があった事実があることを認定しただけで、現実に着服の事実があったかなかったまでを判断する必要はなかったということなのだろう。「福祉募金を着服した可能性」を指摘したとしてもそれには相当の理由があると。

 なお、「公明市議が横領! 老人クラブから」との見出しが掲示されるなど、数カ所にわたり「山川が横領した」と記載された『東村山市民新聞』第188号は、福祉募金に関して次のように記載している。

「会員から集めた『福祉募金』も行方不明になっているなど、山川昌子元市議が返金した42万4500円の他にもかなりの不正会計があることは明らかです。」

 福祉募金に関しても、読者は「山川が着服した」と理解すると思うが、どうだろうか。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第108回
知識不足による記載ミス

 東京地裁が続いて事実認定を行ったのは「福祉募金」についてである。清水と朝木は、平成24年に行った福祉募金について、会計帳簿に「出金」の記載のみがあったことを理由に「山川はその金額を着服したのだ」と主張している。

 具体的な表現内容は、朝木と矢野が『東村山市民新聞』において記載した「会員から集めた『福祉募金』も行方不明になっている」とするものである。ここでは直接的に「着服した」とは記載していないが、見出しには「横領をした元公明党議員」とあるから、「行方不明」との表現が「山川は福祉募金も着服した」という趣旨であると読者が理解することは想像に難くない。

「福祉募金」とは、毎年1回、市老連が行う募金活動で、実際の募金活動は各単位老人クラブが行い、各老人クラブの募金終了後に市老連が取りまとめる。多摩湖寿会における具体的な進行状況は、多摩湖ふれあいセンター届けられた地域ごとの募金を数名の役員で集計し、その足で郵便局に行き、市老連に送金するというものである。

 山川が多摩湖寿会の会計に就いた平成24年の募金活動も例年通りに実施された。山川も集計に加わっており、会長らとともに郵便局からの送金に従事した。

 ところが、山川は福祉募金を会計帳簿に記載してはならないことを知らなかった。多摩湖寿会から市老連に送金したことは事実だった。山川はその金額を記録しておく必要があると考え、会計帳簿に「出金」のみを記載したのだった。翌平成25年に行われた監査の際、山川は社協の担当者から「福祉募金は会計帳簿に記載しないように」と指摘され、以後は記載していない。

 会計帳簿上、収入がないのに支出だけがあるというのは辻褄が合わない。清水と朝木は、会計帳簿の「支出」のみが記載された事実から、「山川は支出したとみせかけて、この金額を着服した」と主張しているのである。

 朝木と清水の主張に対して山川は、「福祉募金を会計帳簿に『出金』のみを記載したのは、会計処理上、福祉募金をどう扱っていいのか知らなかったためで、翌年の会計監査の際に社協の担当者から『福祉募金は会計帳簿に記載しないように』と指導され、以後は会計帳簿には記載していない」と説明している。つまり、山川は「平成24年度の会計帳簿に福祉募金の出金だけを記載したのはたんなる無知による記載ミス」であると主張していた。

2つの証拠を提出

 平成24年の福祉募金を「着服」していないことを立証するために山川は2つの証拠を提出している。1つは、同年に集めた福祉募金の額がそのまま市老連に振り込まれていることを示す市老連が発行した一覧表である。その額は会計帳簿の「出金」欄に記載された額と一致しており、その額が市老連に送金されていることが裏付けられる。

 この一覧表だけでは、この額が市老連に送金された事実は裏付けられても、会計帳簿に記載された「出金」の記録がたんなる誤りであるという証拠にはならない。この額を送金したうえで、着服したのではないかという疑いまでを払拭することはできない。

 しかし一方、だからといって、「出金」のみが記載されていることを理由に「山川は福祉募金を盗んだ」と断定することはできないだろう。そう断定するには具体的に「着服した」との証拠が必要と思うが、清水や朝木からそのような証拠は提出されていない。

 福祉募金に関して山川が提出したもう1つの証拠は、前会長の加藤幸雄ら平成24年の福祉募金の集計と送金に関わった当時の役員の連名による陳述書である。陳述書には、山川が他の役員らとともに福祉募金の集計に関わっていたこと、その募金を山川が着服することなどできるはずがない状況だったことが記載されている。

山川の供述を改ざん

 会計処理上、「収入」がないにもかかわらず「出金」だけが記載されていることはあってはならない。しかしそれをもって、山川が「出金」として記載された額を着服したという証拠とはならないだろう。むしろ、仮に「着服」が事実とすれば、着服が疑われかねないような記録を本人がわざわざ残すことこそ不自然なのではあるまいか。

 このため朝木は、会計帳簿に「出金」だけを記載したことについて、山川が提出した陳述書の記載を改ざんまでして山川が虚偽の説明をしていることにしようとした。山川は会計帳簿に「出金」だけが記載され「入金」が記載されていないことについて陳述書で「確かに入金については記載はないのですが、それは、前年に市の担当者から『募金の入金は会計簿に記載しないように』との指導を受けたので、翌年から記載しなかった」と説明している。

 山川が社協の担当者から指導を受けたのは、山川が会計に就いた翌年の平成25年であることは明らかである。したがって、上記の山川の説明は、平成24年の時点で「出金」のみを記載したが、平成25年の監査の際に「募金の入金は記載しないように」との指導を受けたので、平成25年以降は記載していない--という趣旨であると理解できる。現実に平成25年以降に福祉募金は記載されていない。

 ところが朝木は、東村山市議会平成29年12月定例会において、山川の陳述書における上記記載を改ざんし、「前年に市の担当者から『募金の入金は会計簿に記載しないように』との指導を受けたので、記載しなかった」と引用したのである。山川の陳述書における上記説明部分末尾の「記載しなかった」の前にあった「翌年から」の文言がなくなっているのに気がつこう。

 山川の上記説明から「翌年から」の文言がなくなれば、山川が会計帳簿に記載する前年に「社協の担当者から『入金』を記載しないように指導されたため、平成24年度の会計帳簿には記載しなかった」となる。すると、社協の担当者がそのような指導をする道理はないから、上記のような説明をする山川は嘘をついているということになる。この結果、朝木の理屈においては「嘘をつかなければならないのは山川が福祉募金を着服したからだ」という結論になるのである。

 しかし、山川が陳述書でそのような説明をした事実はなく、また上記の説明の中にある「前年」すなわち平成23年には山川は多摩湖寿会の会計に就いていなかったのだから、福祉募金の会計帳簿への記載方法について社協の担当者から指導を受けるはずもない。その点からも、山川が福祉募金の「出金」のみを会計帳簿に記載する「前年」に、社協の担当者から「入金」は記載しないようにとの指導を受けることはあり得ない。したがって、山川が陳述書で、朝木が改ざんした引用部分のような説明をすることもあり得ないことになる。

 朝木は「山川は福祉募金を着服した」との事実を確かなものにするために、山川が虚偽の説明をしたことにしようとしていたように思えてならなかった。言い換えれば、朝木にも清水にも、「山川は福祉募金を着服した」とする確かな証拠は何も持っていないということでもあった。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第107回
説得力を欠いた判断

 東京地裁は、朝木、矢野、天目石、清水による各表現行為の「公益性」に関する判断を示したあと、天目石ブログの、

「Y元市議を何回か見かけたことがあります。『めちゃくちゃケバいなあ。』と感じました。でも、あの厚化粧の下にはこんな秘密があったんですね。もっとも彼女のスキャンダルはこれだけではないですが」

との記載に対して山川が「侮辱」であると主張している点について判断している。東京地裁はこの点について次のように述べた。



(「侮辱」に関する判断)

「被告天目石の番号13の記事(筆者注=上記の記事)における表現の一部には、原告に対する侮辱的表現があったといいうるとしても、一般的な読者は、番号12の記事と一体となったものとして捉えるものと考えられ、これが独立した不法行為であるとまではいえない。」



 判決がいう「番号12の記事」とは平成28年8月26日付のものであり、問題の「番号13の記事」がアップされたのは同年11月30日である。2つの記事の間には3カ月ものブランクがあることがわかる。にもかかわらず、後の記事(番号13の記事)を読んだ一般読者がどうして3カ月前に同じテーマの記事があることを知ることができようか。したがって、一般読者がこの2つの記事が一体のものであると認識できる道理はないとみるべきであり、「一体として捉える」から「これが独立した不法行為であるとまではいえない」とする東京地裁の認定は無理があるというべきではあるまいか。

 また仮に、前の記事の存在を知る読者がいて、2つの記事を一体のものと捉えたとしても、上記の侮辱的表現がなくなるわけでも薄まるわけでもなかろう。むしろこの一般読者が「山川は寿会の金を横領した」と理解すれば、問題の侮辱的表現をより現実味をもって受け取る可能性が高いというべきではないかと思う。東京地裁の「侮辱」に関する判断は、その根拠がきわめて希薄というほかなく、説得力に欠けるように思えてならない。

「真実性」「相当性」

 いずれにしても、こうして東京地裁は朝木、矢野の『東村山市民新聞』と天目石のブログ、清水澄江の新年会案内における表現行為について「公共性」と「公益性」を認定した。すると、上記の各表現について、被告らが提出した証拠から上記の表現行為には真実性あるいは真実と信じるに足りる相当の理由があったと判断する場合には違法性が阻却されることになる。

 なお、上記の各表現について被告らが立証すべき対象として東京地裁が認定した内容は次のとおりである。



(東京地裁が認定した立証対象)

「原告の行為によって、その財政的基盤が危うくされたことにつき、これが原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するものである。」



 上記の内容について、朝木や清水が真実性、相当性を立証したものと判断すれば、上記の各表現行為については違法性が阻却されることになる。

 上記の各表現について東京地裁は、清水と山川が提出した書証および尋問での供述「によれば」として、次のような事実を認定した。



(東京地裁の認定した「事実」)

ア レシートと領収書の二重計上


 1件の支出に対して、レシートと領収書を使って二重支出した事例があり、他にも複数回行われている。

※(山川は横領、着服の事実を否定しており、山川が横領したとの確かな証拠は被告側から提出されていない)

イ 幟の購入代金の二重計上

 平成26年8月15日の幟の購入を平成26年度の会計帳簿に計上し、領収書を添付したが、平成27年8月15日にも同一の支出を計上し、上記平成26年の領収書控えを根拠資料として添付した。寿会が幟を購入したのは1回である。しかし、同一の領収書を根拠とした支出が2回行われたことになり、支出が二重計上された。

※(山川は、前会長が2年にわたって領収書を持ってきたので支出の手続きをしただけと主張し、着服を否定している。二重計上された代金を山川が着服したとの確かな証拠は被告側から提出されていない)

ウ サークル活動費用の個別の支出

 寿会内の各サークルについては、寿会から毎年度定額の補助金を受領することになっているが、この補助金とは別に各サークルに対して個別の支出を相当数行った記録が会計帳簿に記入されており、二重支出となっており、相当の部分が根拠のない支出であったと認められる。

※(サークル活動費の支出に二重支出があったこと、それが不適切な処理であったことは山川も認めている。しかし、山川は二重支出になった金額は寿会50周年記念事業のために保管していたと説明し、横領、着服を否定している。また被告側からも山川がその額を横領したとの確かな証拠は提出されていない)

エ 寄付金の入金未記入

 寄付金については会計帳簿に入金の記載がなされていないが、実際には各自治会等から寿会に寄付があった。

※(山川は寄付金の記入漏れがあったことは認めているが、着服を否定している。また被告側からも、山川が寄付金を着服したとの確かな証拠は提出されていない)



 ここまでの事実認定をみる限り、いずれも不適切な会計処理であることには違いない。しかし、それをもって「山川が横領した」と断定する根拠とはなり得ないのではあるまいか。

 また上記の不適切な会計処理については、山川と清水ら新役員の間で「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」とする誓約書を締結する以前に清水が指摘していた事項である。つまり、清水に限っていえば、いずれも誓約書の締結によってすべて解決済みなのであり、上記の問題点を取り上げて「山川は寿会の金を横領した」と主張することは問題の蒸し返しにすぎず、清水の主張はそれ自体が違法あるいは少なくとも不適切なものといえるのではあるまいか。

 ここでも東京地裁は、誓約書の存在とその意義について一言も言及していない。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第106回
不十分な認定

 朝木・矢野による『東村山市民新聞』による表現行為、天目石のブログにおける表現行為、清水澄江の「新年会案内」における表現行為の各行為について、東京地裁は次のように認定した。



(朝木・矢野の『東村山市民新聞』における表現行為に対して)

「被告朝木らの行為は、東村山市議会における本件寿会への東村山市の公金支出を公の問題として取り挙げるとの市議会議員としての活動の一環の行為又は当該行為から派生した行為」である。

(天目石の表現行為に対して)

「被告天目石の行為は、当該被告朝木らの行為を自らの意見を交えて公に紹介し、支援する意図のもとでされているものと捉えることができ(る)」

(清水の表現行為に対して)

「被告清水の行為は、本件寿会の会長として、本件寿会全体に関わる問題について会員に向けて問題提起を行ってきたものと捉えることができ(この点、被告清水において、本件誓約書作成後も、原告が横領を認めて謝罪をする一文を得たいと考えていたことは認められるものの、個人的に一文を得たいというものではなく、本件寿会の運営を念頭においていたものと捉えることができ、また、前会長の加藤の責任追及が含まれているかは、本件における目的の認定を左右するものではない。)



 このうち、『東村山市民新聞』と天目石のブログに対する認定内容は、この記載のかぎりでは具体的にいかなる理由で「公益性」を認定すると判示しているのか不明というほかない。朝木の議会発言については議員としての発言ということで一応の「公益性」が認められるとしても、同一人が発行に関わるビラだからといって、それはあくまで個人的なビラであり、ただちに「公益性」が認められるという理由にはなるまい。「公益性」を認定するのなら、ビラ独自の理由が必要なのではあるまいか。理由が不十分であるといわざるを得ない。

 同様に、天目石のブログに関する認定においても、「朝木の意見を支援する目的と捉えることができる」から「公益性がある」というのも、ブログ自体の「公益性」について具体的に判示しているものとはいえないのではあるまいか。朝木の議会発言に「公益性」が認められるとしても、天目石のブログは私的なものにすぎず、「議員の発言を支援する目的」だったからといって、それをもってただちに「公益性」が認定できるということはなかろう。ここでもやはり、「公益性」を認定するのなら、あくまでブログの内容自体を検討した結果でなければならないのではあるまいか。

 朝木・矢野による『東村山市民新聞』と天目石ブログに対する「公益性」の認定理由については、上記のとおり、きわめて不十分なものであると思えてならない。

誓約書をスルーした認定

 清水澄江の行為に対する「公益性」判断の対象は、

「前会計山川昌子氏の会計会費の不正使用・着服につきましても、説明しご理解を賜りたく、より多くの参加を切にお願いし、お待ち申し上げます。」

 とする平成29年1月の新年会案内における記載である。この表現は「山川は寿会の金を着服した」と断定しているから、「本件寿会全体に関わる問題について会員に向けて問題提起を行ってきたものと捉えることができ(る)」とする東京地裁の認定は不可解に思える。

「本件寿会全体に関わる問題について会員に向けた」ものであるという点においては「公益性」があるとみることはできるだろう。しかしそうだったとしても、新年会の案内で「問題提起」するのなら「会計問題」とすれば足りるのであり、「山川昌子の不正使用・着服」との文言を使用する必要はあるまい。したがって、東京地裁が清水の文言を「問題提起」であると認定したことは理解できない。

 まして寿会における会計問題は、平成28年8月17日に山川昌子および前会長の加藤幸雄と清水澄江会長ら新役員との間で誓約書を交わしたことによって終結している。誓約書は、同年7月1日に山川が寿会に対して清水が請求した金額を返還したことを前提として、清水の要求に従って山川が務めている複数の団体の役員の職を辞任すること、および双方が「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」とする項目からなり、双方が署名捺印している。

 裁判上の和解ではないが、当事者同士の契約としての和解であり、「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との文言は、「今後、当事者間に債権債務はない」とする確認にほかならない。この点については、当事者である清水自身が尋問で「そのように認識していた」と供述している。つまり、山川の不適切な会計問題については形式的にも実質的にも決着がついていたということであり、「今後は一切の申し立てをしない」という契約が成立していたということなのである。しかも、誓約書には「山川は横領、着服を認めて謝罪する」趣旨の文言も存在しない。

 上記のとおりの誓約書の趣旨から清水が寿会会員に配布した新年会案内の文言をみた場合、「山川昌子の不正使用・着服」と断定する内容に「公益性」があるといえるのかどうか。いまだ未解決の問題について「問題提起」するというのなら話はわかるが、誓約書によって終結した問題について、しかも「山川昌子の不正使用・着服」と断定することは、解決した問題の蒸し返しにほかならないのではあるまいか。

 東京地裁は清水の表現行為の「公益性」について検討するにあたり、なぜ誓約書の意義について触れなかったのかという点も含め、そのような蒸し返しに「公益性」があるとする東京地裁の認定には疑問を持たざるを得ない。

(つづく)
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多摩湖寿会事件 第105回
「公共性」と「公益性」

「会計に関わった原告の行為によって、その財政的基盤が危うくされたことにつき、これが原告による犯罪行為(横領又は詐欺)による可能性があったとの事実を摘示し、又は、当該行為を行った原告の資質に問題があったとの事実を摘示するか、各事実に関する意見ないし論評を表明するもの」

 これが、朝木の議会質問(および関連する議員としての行為)以外の朝木らの表現行為に不法行為責任があるか否かを判断する上で前提となる認定である。

事実摘示や論評による名誉毀損は、公共性、公益性があり、真実であることの証明があったとき、または真実であると信じたことに相当の理由があると認められるときには違法性は阻却される。東京地裁はこの最高裁判例に基づき双方の主張を検討している。

 まず「公共性」と「公益性」について、東京地裁は次のように述べて朝木らの各表現について認定した。



(朝木・矢野の主な表現行為)

「元公明市議が横領! 老人クラブから」

「山川・元公明市議の横領」

「横領事件を引き起こした山川・元公明市議」

(天目石の主な表現行為)

「東村山市での元市議会副議長(公明党)による老人会費着服事件」

「元公明市議が横領」などと記載した『東村山市民新聞』を転載した行為

「Y元市議を何回か見かけたことがあります。『めちゃくちゃケバいなあ。』と感じました。でも、あの厚化粧の下にはこんな秘密があったんですね。もっとも彼女のスキャンダルはこれだけではないですが」

(清水澄江の表現行為)

「前会計山川昌子氏の会計会費の不正使用・着服」



(「公共性」と「公益性」に関する東京地裁の認定)

「原告は元市議会議員の立場にあったのみならず、市の監査委員を務めた経歴を有する者で、かつ、複数の公益団体の要職にあった者であるから、上記各事実の摘示又は意見等の内容は、その資質等に関わり、広く公の正当な関心を集めるものと認められる。そうすると、本件各表現行為は、各行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合であるといえ、その各表現内容からしても、表明に係る内容が人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものとは認められない。」



 東村山市から補助金を受けている団体における出来事なので、「公共性」が認定されるのは当然である。

原告の主張に対する判断

 ただ、「公益性」については、山川は、

①寿会の過去の会計問題を追及するにあたり、朝木らは前会長である加藤幸雄に対してはなんらの追及もせず、ことさら山川を標的にして積極的かつ執拗に「原告は寿会の金を横領した」と主張したこと

②「山川は寿会の金を横領した」とする主張が、いずれも、山川と清水ら寿会役員との間で「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との誓約書を交わしたあとになされたものであること

--などを理由に「公益性はない」と主張していた。

「公益性はない」としていた山川の主張に対して、東京地裁は朝木ら、天目石、清水の各表現行為についてそれぞれ次のように判示した。



(山川の主張に対する判断――「公益性」)

(朝木・矢野の『東村山市民新聞』における表現行為に対して)
 
「被告朝木らの行為は、東村山市議会における本件寿会への東村山市の公金支出を公の問題として取り挙げるとの市議会議員としての活動の一環の行為又は当該行為から派生した行為」である。

(天目石の表現行為に対して)

「被告天目石の行為は、当該被告朝木らの行為を自らの意見を交えて公に紹介し、支援する意図のもとでされているものと捉えることができ(る)」

(清水の表現行為に対して)

「被告清水の行為は、本件寿会の会長として、本件寿会全体に関わる問題について会員に向けて問題提起を行ってきたものと捉えることができ(この点、被告清水において、本件誓約書作成後も、原告が横領を認めて謝罪をする一文を得たいと考えていたことは認められるものの、個人的に一文を得たいというものではなく、本件寿会の運営を念頭においていたものと捉えることができ、また、前会長の加藤の責任追及が含まれているかは、本件における目的の認定を左右するものではない。)



 各被告の表現行為について東京地裁はこう述べた上で、「各被告らにおいて、原告個人に対する個人的な感情が併存していたことはうかがわれるとしても、本件各表現行為の摘示又は意見等の内容が、公共の利益に関する事実に係るものであることは既に述べたとおりであって」として、上各表現に「公益目的が存在していたものあることが推認できる」とした。

 また、天目石の「Y元市議を何回か見かけたことがあります。『めちゃくちゃケバいなあ。』と感じました。でも、あの厚化粧の下にはこんな秘密があったんですね。もっとも彼女のスキャンダルはこれだけではないですが」とのブログにおける記載に対して、山川が「侮辱」であると主張していた点についてはどうか。



(天目石ブログにおける「侮辱」的記載について)

「被告天目石の番号13の記事(筆者注=天目石のブログにおける上記記載)における表現の一部には、原告に対する侮辱的表現があったといいうるとしても、一般的な読者は、番号12の記事と一体となったものとして捉えるものと考えられ、これが独立した不法行為であるとまではいえない。」

 東京地裁はこう述べて、天目石の不法行為も否定した。

(つづく)
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