FC2ブログ
ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

多摩湖寿会事件 第85回
客観的な裏付けを取れない主張

 清水が朝木に示談書の作成を依頼したと朝木が主張するのは誓約書を交わして(平成28年8月17日)からわずか4日後(同8月25日)のことで、しかも示談書の内容は誓約書の遵守事項を真っ向から覆すものである。「(横領を認めて謝罪する趣旨の示談に応じなければ)『刑事告訴をするべきだ』という話が出た」と清水が朝木に説明したとすれば、誓約書の内容を知っている朝木としては、当然、それがいつ、誰の口から出たものなのかを含め、具体的にどんな経緯で「示談書を作成すべき」という結論に至ったのか、清水から詳細に事情を聴く必要があった。

 しかし、 朝木は「いつ、誰が」刑事告訴を検討する必要があると提案したのかという山川の質問に端的に答えなかった。朝木はその点については清水から「聞いていない」のだろうか。「いつ、誰が」という基礎情報を明らかにすることなく、「役員の間で刑事告訴をするべきだという話が出たと聞いた」と主張するだけでは、本当にそのような事実があったのか、信憑性に疑念が生じよう。

「いつ、誰が」を明らかにしなければ、当事者である朝木と清水以外の第三者から「刑事告訴の話が出たかどうか」について裏付けを取ることができない。このような主張は客観性を欠くものとして扱われてもやむを得ない。

伝聞のみで「横領」と判断

 では、清水から「(横領を認めて謝罪する趣旨の示談に応じなければ)『刑事告訴をするべきだ』という話が出た」と聞いたとする朝木の供述が虚偽であるとすれば、示談書に「横領を認めて謝罪する」旨の文言を入れることを提案したのは誰なのか。山川はその点について聞いた。



(示談書に関する朝木の供述②)

山川  誓約書には、私が横領を認めるというような趣旨の文章はありませんでしたが、その後出された示談書には、横領を認めて謝罪する旨の文言が入ってました。これが入れるように至った、その言ったのは誰だったでしょうか。

朝木  そもそもこの17日の話合いのときに(筆者注=誓約書を交わした際)山川さんがお金を返金されたというふうに伺っております。それで、その返金されたお金というのは、誰にも引継ぎをされずに、多摩湖寿会の方から請求があって、そこで初めて山川さんが返金された。そして、その内訳についても、不正経理によって山川さんが簿外にため込んでいたお金だというふうに伺ってますから、私はその時点で横領だというふうに、私自身も、それから、清水澄江さん、それから、多摩湖寿会の方たちもそういうふうな判断をしておりました。

 ところが、山川さんから一切の謝罪がないということで、きちんと山川さんから謝罪があり、反省してくれるんであれば、なるべく事を荒立てないで、お互いに和解できれば、和解できる部分は警察沙汰にしたくないというふうな思いがあると伺ったので、私はその依頼に従って示談書の作成をいたしました。それ以上でも以下でもありません。



 山川が聞いたのは、「示談書に『横領を認めて謝罪する』旨の文言を入れることを提案したのは誰なのか」ということである。朝木が回答を求められているのは、その人物の名前で、朝木が知らないのなら「知らない」と答えればいい。多言を要するものとは思えない。ところが、朝木の供述は上記のように長々としたものだった。

 朝木の供述を評価する上でポイントは2点あるように思う。1つは朝木が前段で説明した、朝木が山川の会計行為を「横領」と判断するに至る経緯についてである。山川は「示談書に『横領を認めて謝罪する』旨の文言を入れることを提案したのは誰なのか」と聞いたのだから、そもそも朝木が「横領」と判断した経緯の説明は必要ない。

 その上に、上記の供述において朝木は、「山川が横領した」と判断した根拠について、自分の目で確認したものではなく、すべて「清水から伺った」と説明している。つまり朝木は、「山川が横領した」と判断した時点で客観的根拠があったわけではないと自白していたのである。

「簿外にためていた」というのが事実としても、それを「横領」と断定するには、山川がその金を自分の口座に移したなどの明確な証拠がなければなるまい。ところが朝木は、「簿外にためていた」と聞いただけで、「横領と判断した」というのだった。

出てこない「発案者」

 上記のように、朝木は求められていない「横領」と判断した理由を説明したあと、ようやく示談書の作成に関する供述を始めた。しかしその中に、具体的に「横領を認めて謝罪する」旨の文言を入れるよう発案したのが誰なのかについて端的な説明はない。

 朝木が上記供述の中で説明したのは、それが誰かは明らかではないが、寿会内部で「山川からいっさい謝罪がない」ことについて不満があり、山川が謝罪すれば警察沙汰(刑事告訴)にはしないという「思いがあった」ということ。朝木は「その依頼に従って示談書を作成した」ということだった。

 なお、示談書の前提である「寿会内部の話し合いがあったこと」について、客観的な裏付けはない。平成28年8月17日に誓約書を交わしたあと、朝木が清水澄江と初めて会ったと主張する8月21日までの間にはわずか3日しかない。その間に「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」とする誓約条項を真っ向から否定するような話し合いが寿会で本当に行われたのかという根本的な疑念を拭うことはできない。

 示談書作成に関する朝木の上記供述から推察できる事実は何だろうか。仮に寿会内部で朝木が供述する話し合いが行われたとしても、朝木は示談書に「山川は横領を認めて謝罪する」との文言を明記することについて「いつ、誰」からいわれたのか明言しない。朝木の口から、多摩湖寿会会長である清水澄江の名前すら出ないというのはきわめて不自然というほかない。

「示談書に『横領を認めて謝罪する』旨の文言を入れることを提案したのは誰なのか」。朝木の供述のかぎりにおいて、具体的に「山川は横領を認めて謝罪する」旨の文言を入れるべきだと判断し、具体的に入れたのは朝木以外には考えられなかった。

(つづく)
TOP
多摩湖寿会事件 第84回
目安となる加藤供述

 加藤の供述は後の2人の供述の信憑性を測る上で目安となる。加藤の次に証言台に立ったのは朝木直子である。朝木も清水側の当事者だから、加藤が供述した事実関係に反する供述をすれば、信憑性に疑念が生じることになる。

 加藤や朝木が事実に基づく証言をするだけなら、加藤の供述との間に齟齬が生じる心配をする必要はない。しかし、すでに加藤の時点で主尋問と反対尋問で矛盾が生じている。加藤の供述と矛盾が生じることはないのか――この点も、その後に行われる朝木と清水に対する尋問の注目点だった。

 山川の側からみて、朝木に対する尋問の焦点は、①示談書の作成にどのように関わったのか、②示談書を必要としたのは清水だけではなく朝木も同様だったのではないか、③平成29年12月議会で朝木が「福祉募金」に関する質問を行い、山川が会計帳簿に入金を記載せず出金だけを記載したことについて、「山川は社協から指導されたのでそのように記載したと説明している」と虚偽の主張をしたことについて――などである。
※筆者注=山川は、多摩湖寿会の会計に就いた最初の年度、福祉募金の帳簿への記載について、認識不足から「出金」のみを記載し、「入金」を記載しなかった。翌年の会計監査の際、社協の担当者から「福祉募金は帳簿に記載しないように」と指摘され、以後は福祉募金についてはいっさい記入していない)

主尋問では正当性を主張
 
 朝木は主尋問でこれまでの主張をなぞるように供述し、議会での発言および『東村山市民新聞』の記事について公共性と公益性があり、また山川の不適切な会計処理を横領と考えたことについても相当の理由があると主張した。その内容は、すでに提出していた陳述書における供述と変わりがないもの、つまり朝木の主張の範囲においてまったく破綻のないものだった。

これに対して、山川が反対尋問で最初に訊いたのは示談書の作成についてだった。朝木が示談書を作成するに至った経緯について、朝木は主尋問で「清水さんから(作成を)依頼されました」と述べた上で次のように供述した。

朝木  やはり、役員というか地域へこの件について影響は大きいので、中には、示談書が作成されれば刑事告訴は控えようというふうな声があるので、示談書を作成してほしいというふうに言われました。

「示談書を作成する」とは、当然、山川が「横領を認めて謝罪する」という意味である。

朝木は陳述書で「役員からの意見」について、

「山川さんを刑事告訴することについては、寿会の役員からも『もう一度、山川さんに示談をもちかけてみて、横領を認め謝罪すれば刑事告訴はしない方向で納めるべきだ』という慎重な意見が出ているとのことであり」

 と供述している。朝木の上記の説明が事実とすれば、示談書の作成をめぐっては多摩湖寿会内でなんらかの話し合いの場があり、そこで出てきた「意見」ということになろうか。

「いつ、誰が」の回答を回避

「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との誓約書を交わしたのが平成28年8月17日で、清水が朝木に示談書の作成を依頼したのが同年8月21日だから、「役員から示談書を作成すべきとの意見が出た」のは同年8月18日から同年8月20日の間のいずれかということになる。では、朝木が「清水から聞いた」という「役員の意見」とは、清水はいつ、どこで「聞いた」といっているのか。示談書に関して山川が反対尋問で最初に聞いたのはその点だった。



(示談書についての朝木に対する反対尋問①)

山川 (寿会で)刑事告訴の話が出たのは、いつどこで誰からだったでしょうか。

朝木  8月の21日にお話をしたときも、そもそも山川さんの誓約書を書く際にも、警察に行くかどうかという話を役員の間でしたというふうに私は伺っております。それから、これは清水澄江さんからも当然警察に行くべきかどうかというお話はその8月の21日にも出ておりましたし、これは刑事告訴をするべきだというふうなお話も伺っております。



 朝木が陳述書で述べた「刑事告訴」に関する供述が誓約書の時点ではなく、誓約書を交わした後のことであるのは明らかである。それが「いつ、誰から出たのか」と山川は聞いているのだった。

「いつ、誰から刑事告訴の話が出たのか」という問いに対する回答は日付と名前だけでいい。しかも日付は平成28年8月18日から同8月20日までの3日に絞られている。しかし、朝木は「刑事告訴をするべきだという話を聞いた」というばかりで、肝心の、それがいつ、誰の口から出たものであるのかについては答えなかった。それどころか、尋問における供述内容は、「役員の間から出た」という陳述書の内容よりも具体性を欠いているように思えてならない。

 これはどういうことだろうか。朝木は清水から「刑事告訴をするべきだ」という話が出たとは聞いたが、それがいつ、誰から出たのかについては聞いていないということなのだろうか。また、いつ、誰から出たのかについては聞いていないのなら、そう簡明に答えればいいと思うが、そうとも答えないのはなぜなのか。

「いつ、誰が」という基本情報についての回答を朝木がこのまま回避すれば、「役員の間で『刑事告訴をするべきだ』という話が出た」という事実自体の信用性にも疑問があるということになりかねないのではあるまいか。
 
(つづく)
TOP
多摩湖寿会事件 第83回
自白に追い込まれた加藤

 これまでの反対尋問における加藤の供述によれば、示談書作成の理由について「聞いていた」とした主尋問での供述は虚偽であることがうかがえた。清水澄江が示談書を作成すると称して大野宅に関係者を集めた平成28年8月25日まで、加藤が示談書についてその趣旨も内容もいっさい聞かされてはいなかったことをさらに確信させたのは、山川が次に聞いた質問に対する供述だった。

 朝木は陳述書で、役員の間で「山川さんに示談を持ちかけてみて」応じれば刑事告訴はしないとの話があったと供述している。それが事実とすれば、山川が署名を拒否した際、清水は山川に対してなんらかの説明をしていただろう。

 ところが、その夜、山川が署名を拒否すると、清水は山川に対して説得を試みるどころかなんらかの説明もしないまま、出席者に配布した示談書を急いで回収し、怒って先に帰ってしまった。山川の質問は、清水がいなくなったあと、大野と加藤が山川の目の前で話した内容に関するものだった。



(示談書に関する加藤に対する反対尋問⑤)

山川
  ……清水さんが帰ってから大野さんが示談書は初めて見たというふうに言って、で、加藤さんもそのようにおっしゃっていましたね。一緒に聞いていましたね。

加藤  はい。



 立会人の大野が、この日までに示談書の内容や趣旨について清水から少しでも説明を受けていれば、このような発言をすることはあり得ない。加藤の上記の供述は、「示談書を初めて見た」という大野の発言を聞いたという事実だけでなく、加藤自身も同じことを口にした事実を認めるものだった。加藤の「はい」という供述は、主尋問における示談書に関する自分自身の供述が虚偽であることを自白するものでもあるということになる。

示談書の正当理由

 ではなぜ、加藤は示談書をめぐりそのような虚偽の供述をしなければならなかったのだろうか。

 清水が山川に署名を迫った示談書は1週間前に合意した「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」とする誓約条項を覆すものである。誓約書を覆して新たに示談書を作成するには相当の理由が必要だが、それは当然、誓約書に関わった当事者と役員の了解に基づくものでなければならず、会長だからといって清水澄江の独断で進めることはできない。だから、誓約書を反故にする示談書の正当性を主張するには、加藤もまた事前にその趣旨と内容について「聞いていた」ことにする必要があった――そういうことではなかっただろうか。

 山川は8月25日当日まで示談書の内容どころか、新たに示談書を作成すること自体を知らされておらず、それどころか同日夜に署名捺印するから集まってほしいという連絡を受けたのもその日の昼だった。示談書の最も重要な当事者である山川に対して、ギリギリまで示談書を作成するという話さえ知らせなかったこと自体、不自然だった。

 山川は誓約書に「これをもって一切申し立てをしない」との文言があるため、まさか示談書に山川が「横領を認めて謝罪する」旨の文言が書かれているとは夢にも思わなかった。山川はこれですべてが終わるならと考え、清水が指定した時間に大野宅へ行ったのである。

 清水が朝木に示談書の作成を依頼したのは誓約書の成立からわずか4日後の平成28年8月21日である。朝木は翌日の8月22日に示談書を清水の元に届けた。約書の成立後、清水が朝木に示談書の作成を依頼するまでには実質3日しかない。この間に清水は役員会を開いて示談書の作成を話し合ったのだろうか。

清水と朝木の狙い

 実際にそのような話し合いが行われたとすれば、その内容はまず重要な当事者である山川に知らせるべきではなかっただろうか。朝木への依頼はそのあとでなければならない。ところが現実には、山川が示談書の内容を知ったのは署名の直前だった。

 この流れをどう理解すべきか。示談書に「山川は横領を認めて謝罪する」との文言があると山川に説明すれば、山川が署名を拒否することは清水にも朝木にも予測できたはずである。だから事前には説明せず、いきなり示談書を突き付けて署名させようとした――明らかになった事実からみると、このような推理も突飛なものとはいえまい。

 会合の日時を連絡したのが清水ではなく大野で、それが当日の昼だったのは、なんらかの事情で連絡が遅れたのではない。示談書の内容を問い合わせる時間的余裕を与えないためである。大野や加藤が会合の連絡を受けたのもおそらく当日だったのではないか。

 前日だと、大野や加藤の口から山川に伝わる可能性がある。山川に情報が伝わってしまえば、署名の直前まで内容を知らせないという清水と朝木の目論見は水の泡となるのである。

 こう考えると、役員会で示談書の作成を話し合ったという清水の説明もにわかに信じることはできまい。朝木と清水以外の者が示談書の内容を知れば、何のきっかけで山川に情報が洩れないともかぎらない。したがって、「山川は横領を認めて謝罪する」との文言が記載された示談書に山川に署名捺印させるまでは、2人以外の誰にもその内容を知らせないのが最善の策でもあるのだった。

 山川が加藤に対する反対尋問で、いつ、役員の誰から示談書に関する説明を聞いたのかを確認したのにはこのような背景があった。加藤は、8月25日の大野の発言(「示談書は初めて見た」)を聞いた事実を認めたことで、示談書作成の当日までその内容を知らされていなかったことを認めた。加藤が役員から「聞いていた」という供述を自ら否定したことで、その前提である「役員は知っていた」という事実もまた虚偽だということだった。

いいなりの可能性

 山川の質問にそんな意味があったことに、加藤が気づいていたとは考えられない。質問の意図に気づいていれば、「示談書を初めて見た」という大野の発言を聞いていたことを、あれほどあっさり認めるはずがない。

 役員から示談書についての「説明を聞いていた」という部分に関しては、清水らとの尋問に向けた打ち合わせにあったからそのとおりに答えることができた。しかし大野の発言については打ち合わせになく、それに対する供述が役員の説明のくだりと重なっていることにも加藤は気づかなかった。だから「はい」と、ありのままに事実を答えてしまったのだろう。

 加藤と同様、清水もまたこのことに気付いていたのかどうか。清水は加藤に対する尋問が終わると、拍手のしぐさで加藤を迎えた。少なくとも主尋問に関して、加藤の供述は打ち合わせどおりの100点満点の供述だったことに満足したようだった。

 清水は証言がすべて証拠として認められるものと勘違いしていたのではあるまいか。通常、尋問での証言が100%信用されるとは限らない。尋問までに提出された証拠や主張などと総合して、供述の真実性が判断されるのであり、裁判当事者が証人に対して自分に有利な証言をするよう働きかけ、証人が打ち合わせどおりの供述をしたとしても、それがそのまま真実と認定されることはないのである。

 本件では、加藤が主尋問と反対尋問で矛盾をさらけ出したことで、加藤が事実ではなくシナリオどおりに清水の側に立った供述をしたことが鮮明になったようにみえる。尋問終了後に清水が拍手した姿は、そのことを一層印象付けた。傍聴席の一番前に座る清水の様子は裁判官も確認しただろう。

(づつく)
TOP
多摩湖寿会事件 第82回
回答を避けた前会長

 示談書を作成する日時について、山川同様に前会長の加藤もまた当日まで知らされていなかったようだった。山川は当日清水澄江から直接見せられるまで示談書の趣旨も内容も知らなかった。「刑事告訴」の件を聞いていないと供述した加藤も、示談書の内容を本当は知らなかったのではないだろうか。

 山川はその点について単刀直入に聞いた。



(示談書に関する加藤に対する反対尋問③)

山川  加藤さんは、8月25日の時点では私を刑事告訴するような話は聞いてなかったというふうに今お答えになりました。……加藤さんは示談書について、新役員が示談書を作って終わりにしようということになったというふうに述べてますが、これは清水さんからそう言われたからですよね。

加藤  覚えてません。



ここで山川がいっているのは、示談書について加藤が「聞いた」といっている内容は、この尋問にあたって「清水から、事実ではないけれども、『こういえ』といわれたとおりに答えただけですね」ということである。なかなかここまでストレートに聞けるものではない。

そう聞かれた加藤は、ここは本来なら「清水さんからそんな指示はされていない。自分が聞いたことをそのまま答えただけだ」と答えるべきだったろう。ところが、加藤は「覚えていない」と答えた。

  内容についてはともかく、清水澄江から指示されたかどうかを「覚えていない」というのは不自然である。そのような事実がないのであれば、即座に「そんなことはいわれていない」と答えられるはずである。それを「覚えていない」というのは、あとで嘘だったことがばれるとまずいことになると、加藤なりに判断したのだろうか。

「覚えていない」を連発

 さらに山川は、加藤が示談書作成の必要性について「聞いていた」と供述した点について、改めて聞いた。



(示談書に関する加藤に対する反対尋問④)

山川 
 次に、示談書の内容について、いつ誰から知らされましたか。

加藤  覚えてません。



 数分前、加藤は「(8月25日の)用件や内容について大まかにでも事前に聞いていたんですか」との清水代理人の質問に「はい。……なるべく早く処理しないと、事が事だけに後々尾を引くし、大変なことになると。多摩湖町町民の皆様の心がばらばらになると。これではせっかくの老人クラブの目的から外れる、逸脱するということから、なるべく早く解決したいということで集まりました。」などとすらすら答えていた。

 加藤が「聞いていた」というのが事実とすれば、「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」とする誓約書を交わした翌日の平成28年8月18日から清水が示談書に署名させようとした同年8月25日の前日である8月24日までの間しかない。期間は限定しているのだから、仮に日にちまでを特定できなかったとしても、だいたいの時期ぐらい答えられないほうがおかしい。

 また、多摩湖寿会の役員は限られている。加藤は「聞いていた」とする話の内容をわずか数分前に具体的に供述した。それが本当だったとすれば、聞いた相手の顔はすぐに思い浮かぶはずである。

 ところが加藤は、いつ、誰から聞いたかを「覚えていない」という。「『山川は横領を認めて謝罪する』とする内容の示談書に山川が署名捺印すれば刑事告訴はしない」という話も聞いていないと明言し、示談書に関する話をいつ、誰から聞いたかも「覚えていない」加藤が、示談書に関する説明を「聞いていた」とはとうてい信用できない話だった。山川が署名の直前に内容を知らされたように、加藤もまた8月25日の当日まで示談書の内容は知らされていなかったのではあるまいか。

 加藤はこの日の清水代理人による尋問では、「なるべく早く処理しないと、事が事だけに後々尾を引くし、大変なことになる」などと聞いていたと供述した。しかし、半年前の平成29年9月に提出した陳述書では、示談書について、

「新役員らとしては、正式な示談書を作って終わりにしようということになったとのことで」

 としか供述していない。陳述書の記載がたんに結論だけを述べているのに比べ、上記の尋問における供述の方は論議の過程をより具体的かつ迫真的に語ろうとしているように思える。

 誓約書には「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」という文言がある。この文言は常識で判断すれば、「これですべて終わり」という趣旨である。示談書に記載されていた「山川が横領を認めて謝罪する」との文言は、誓約書における履行内容を反故にするものにほかならない。

 したがって、誓約書の記載を覆す示談書を交わすにはそれなりの理由が必要となる。「新役員らとしては、正式な示談書を作って終わりにしようということになった」などということはあり得ないのである。そこで示談書の作成に正当な理由があると主張するために、尋問では陳述書とは違って、具体的な話を聞いたことにしたのではあるまいか。それは清水から指示されたとみるのが自然だろう。

 しかし、「清水から指示されたのか」との質問に「覚えていない」と答え、いつ、誰から聞いたかも「覚えていない」と答えたことで、加藤は示談書作成の理由について「聞いた」という内容のみならず、その事実さえも自ら否定してしまったのである。

(つづく)

TOP
多摩湖寿会事件 第81回
聞いていなかった前会長

 山川が多摩湖寿会会長の清水澄江との間で「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との誓約書を交わした席で、立会人の大野昇が「(山川さんがやった)行為自体は1円でも横領、詐欺だよ。収めるには不祥事として、(山川さんが事実を)認めて頭をきちんと下げれば……」と山川に話した(以下=「大野発言」)と大野や清水、前会長の加藤幸雄は供述している。加藤が本人尋問で、誓約書のあとさらに示談書を作成する動きがあったことについて、役員の間で「なるべく早く解決したい」という話があり、その内容を「聞いていた」と供述したことは、それが事実であるとすれば、示談書を作成することについて寿会役員が合意していたこと、さらに「大野発言」があったとする主張に一応の信憑性を与えるものと評価できよう。

 山川は主尋問を受けて、反対尋問で同じ内容について聞いた。



(示談書に関する加藤に対する反対尋問①)

山川
  ……朝木さんの陳述書によると、誓約書を作成した翌日の8月18日から8月20日までの本当に数日の間に、役員の中から、示談を持ちかけてみて横領を認め謝罪すれば刑事告訴はしない方針で収めるべきということの話が出たことになります。……加藤さんは、平成この同じ28年の8月20日までに、寿会で刑事告訴に関する話が出たと聞いてますか。

加藤  いえ、聞いておりません。



 朝木は陳述書で、示談書を作成することになった理由について次のように供述していた。

「山川さんを刑事告訴することについては、寿会の役員からも『もう一度、山川さんに示談を持ちかけてみて、横領を認め謝罪すれば刑事告訴はしない方向で納めるべきだ』という慎重な意見が出ているとのことであり、……」

 と。清水も陳述書で「示談書を交わす必要があるのではないかとの意見が多くあった」(趣旨)と述べている。いずれも示談書を交わすという趣旨だから、加藤が「役員の間で『なるべく早く解決したい』という話を聞いていた」という話が事実とすれば、その中で当然、刑事告訴の話も出ていなければおかしい。ところが加藤は、刑事告訴の話は「聞いていません」と答えたのである。

「山川さんに示談を持ちかけてみて、横領を認め謝罪すれば刑事告訴はしない」という朝木の供述からすれば、示談書と刑事告訴はセットで出てきた話ということになる。したがって、刑事告訴の話は「聞いていない」という加藤の供述は、示談書を作成する理由についても聞いていないといっているに等しい。すると、主尋問で「なるべく早く解決したい」という話を聞いたとする加藤の供述は虚偽だったということになるのではあるまいか。

打ち合わせになかった質問

 このことは、示談書を作成することになった理由として朝木が供述する上記の理由(「山川が横領を認め謝罪すれば刑事告訴はしない」)もまた虚偽ではないかという疑いを生じさせる。実際に朝木の供述する話し合いが寿会役員の間でなされたとすれば、それが誓約書の当事者であり、示談書の署名の場にも呼ばれている前会長の加藤に伝えられないというのは常識的にあり得ないからである。 

 反対尋問における「『刑事告訴』に関する話は聞いていない」という加藤の供述は、「示談書作成の理由を聞いていた」とする主尋問における加藤自身の供述のみならず、示談書に関する朝木の供述も嘘であることを自白しているように思える。加藤は主尋問で示談書の内容について「多少でも聞いていたか」と聞かれて「はい」と答えたことを忘れていたのだろうか。

 そのこと自体が、主尋問でのやり取りが加藤の体験に基づくものではなく、弁護士との打ち合わせに基づくものでしかないことをうかがわせた。実際に、役員の間で「山川さんに示談を持ちかけてみて、横領を認め謝罪すれば刑事告訴はしない」などという話が出たのだとすれば、その場にいた加藤が「聞いていない」と答えるはずがない。

 加藤は打ち合わせの際に聞かされていなかった「刑事告訴の話」を持ち出され、思わず正直に「聞いていない」と答えてしまったのではあるまいか。加藤は山川から打ち合わせにない質問をされ、加藤は早々に馬脚を現したということになろうか。

 山川は8月25日に大野宅で清水から示談書を突き付けられるまで、その内容はいっさい知らされていなかった。最も重要な当事者である山川が署名捺印の直前まで知らされていなかったものを、準当事者である加藤だけには知らされていたとすれば、それはそれで不可解な話である。山川が示談書作成の直前までその内容を知らされていなかったという事実から見れば、加藤が事前にその内容を聞かされていたとしても、またそうでなかったとしても、どっちに転んでも、示談書に関する清水の行動は不自然という以外にないのだった。

前会長の開き直り

 山川はさらに、平成28年8月25日に大野宅で行われた示談書作成のための会合について聞いた。



(示談書に関する加藤に対する反対尋問②)

山川
  では、示談書を作成するという目的で大野さん宅に集まりましたけれども、これが8月25日でございました。8月25日の話はいつ聞きましたか。

加藤  それよりも、あなたはなぜこういう問題が起きてるのに、一つ一つ釈明しなかったんですか。釈明さえして、それが明らかになってれば、こういう問題に発展しなかったわけです。



 今度は、加藤は山川の責任を追及するような発言をし、示談書作成を8月25日に行うことをいつ連絡されたのかという質問には答えようとしなかった。

 示談書の最も重要な当事者である山川が、示談書作成をすることになったから大野宅に来てくれるよう連絡を受けたのは当日、8月25日の昼ごろである。示談書に署名捺印するという重要な会合を行うというのなら、通常なら1週間前には連絡するのが常識だろう。

 それも、連絡してきたのは当事者である清水澄江ではなく大野だった。山川への連絡が当日の昼ごろだったのだから、おそらく加藤もまた当日に連絡を受けたのだろう。あまりにも非常識な話であり、加藤も連絡を受けたのが8月25日だということになれば、アンフェアなやり方と受け取られかねない――だから加藤は、連絡を受けた日にちを答えなかったのではあるまいか。

(つづく)
TOP
多摩湖寿会事件 第80回
客観的事実と矛盾する「大野発言」

 多摩湖寿会前会長、加藤幸雄に対する尋問に戻ろう。

 加藤に対する尋問で次に注目されたのは、誓約書作成までの経緯と記載内容の趣旨、さらに示談書の経緯についてである。

 平成28年7月17日に清水澄江と山川、加藤の間で交わされた誓約書には「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との遵守項目がある。ところが清水によれば、誓約書を交わしてからわずか4日後の同年7月21日、清水は朝木に対して「(山川が)横領を認めて謝罪する」旨の条項を含む示談書の作成を依頼した。誓約書に記載した誓約を反故にする内容の依頼である。

 誓約書の立会人である大野は陳述書で、誓約書を交わしたその席で「(山川さんがやった)行為自体は1円でも横領、詐欺だよ。収めるには不祥事として、(山川さんが事実を)認めて頭をきちんと下げれば……」と山川に伝えた(以下=「大野発言」)とし、「清水さんら新年度の役員からは、公の職に就いている人間が横領だなんて考えられない、公の職からは身をひいてもらわないといけないという発言がありました」と供述。清水も大野が上記発言をしたと供述している。

 大野が山川に対して「詐欺横領だよ」といったと供述しているにもかかわらず、誓約書には山川が横領を認めて謝罪する趣旨の文言は含まれていない。だから、誓約書に盛り込まれていない「山川が横領を認めて謝罪する」との文言が入った示談書を作成する必要があったと清水は主張したいようだった。

 しかし一方、誓約書の「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との文言を加えるようアドバイスしたのは大野であると山川は主張している。誓約書に「山川は横領を認めて謝罪する」との文言が記載されていないことは、上記の山川の供述と矛盾しない。むしろ、大野や清水が供述するように、「大野発言」があったにしては、誓約書にその趣旨が一言も盛り込まれていないことは不自然というべきではあるまいか。

 つまり、「大野発言」は「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」との文言が記載された誓約書という客観的事実と矛盾するというべきではあるまいか。清水と大野自身が供述するように、誓約書が交わされた席で「大野発言」は本当にあったのだろうか。

 事実との齟齬は別にして、「大野発言」があったことが事実とすれば、清水が誓約書を反故にする内容の示談書を作成したことについても、一応、理由があったことになる。また、示談書の作成が、清水と朝木の独断専行ではなく、新役員も同意見だったということになるのである。

「大野発言」を認めた加藤

「大野発言」は存在したのか。この点に関する多摩湖寿会前会長、加藤幸雄はどう答えたのか。まず被告側(清水、朝木側)弁護士が質問する主尋問から紹介しよう。



(「大野発言」に関する加藤に対する主尋問)

清水代理人  協議の場で、参加者から山川さんに対して、山川さんの会計処理が詐欺横領だというような、そういう指摘はありましたか。

加藤  ありました。

代理人  詐欺横領という指摘をしたのは誰ですか。

加藤  大野さんです。

代理人  大野さんから詐欺横領だという指摘がされて、山川さんは反論とか否定、弁明というのはしたんてすか。

加藤  反論はありませんでした。



 加藤は誓約書を交わした場で「大野発言」はあったと供述した。したがって、上記の供述内容が真実を述べたものであるとすれば、誓約書には「山川が横領を認めて謝罪する」との文言が含まれていないから、清水と朝木が同趣旨の文言が記載された示談書を新たに作成したことにも正当な理由があるということになる。

一応の整合性

 では、示談書について加藤はどんな供述をしたのか。



(示談書に関する加藤に対する主尋問)

清水代理人  (平成28年)8月25日にも、山川さんの問題について寿会の関係者で話し合いが持たれましたね。

加藤  はい。

代理人  このときは、用件や内容について大まかにでも事前に聞いていたんですか。

加藤  はい。これは当日集まった人たちで、なるべく早く処理しないと、事が事だけに後々尾を引くし、大変なことになると。……なるべく早く解決したいということで集まりました。



 加藤は示談書作成のための会合が行われた平成28年8月25日より以前に、示談書の内容について聞いていたと供述した。誓約書には「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」と記載されているが、その上で「なるべく早く解決したい」ということになったとは不可解な話ではあるまいか。

 加藤は「なるべく早く解決したい」という話を聞いたとする時期について明言しなかった。誓約書が交わされたのは同年8月17日であり、そのわずか4日後の同年8月21日、清水は朝木に示談書の作成を依頼しているから、8月18日から8月20日の間に「なるべく早く解決したい」という話が出たということになろうか。

 誓約書が交わされた平成28年8月17日に「大野発言」があったとする大野や清水、加藤の供述は、誓約書の「今後、金銭的な内容についてこれをもって一切申し立てをしない」という記載とは矛盾するもののように思える。しかし、示談書のあと、さらに寿会の中で「なるべく早く解決したい」という話があり、それを聞いていたとする加藤の供述が虚偽でなければ、「大野発言」があったとする供述にも、一応の整合性がないとはいえないことになる。

 しかし、山川が行った反対尋問で、加藤は馬脚を現したようにみえた。

(つづく)
TOP
多摩湖寿会事件 第79回
迎えた結審

 元東村山市議の山川昌子が東村山市議の朝木直子、矢野穂積、老人クラブ多摩湖寿会会長の清水澄江らを提訴していた裁判は、平成30年7月12日、東京地裁立川支部で第10回口頭弁論が開かれ、この日で結審した。

 裁判の当事者は矢野を除く全員が出廷したが、被告側は当事者席には入らなかった。傍聴席にはこの日も清水の主張を一方的に聞かされている多摩湖寿会会員が10人程度訪れ、推移を見守った。

 清水は前回の尋問後、周囲に「勝訴」を吹聴していたというから、期待をもってわざわざ出向いたのかもしれない。ただ、清水が会員たちにどんな説明をしているのかはわからないが、裁判の行方は傍聴人の数に左右されるものではない。

興味深い書証

 弁論に先立ち、原告、被告双方から準備書面と書証が提出されており、裁判長は提出書面についてそれぞれ確認を行った。山川は最終準備書面で、清水が「山川は『おくたま路』で入浴の事実がないにもかかわらず、入浴したものとして入浴料1万円を着服した」と主張し、レシートが貼られていない領収書綴りのコピーを証拠として提出している点に関して反論し、その根拠として興味深い書証を提出していた。裁判官が最も時間をかけて確認したのはその書証だった。

 山川はレシートを整理するにあたり、領収書綴り(レシートを貼り付けたノート)にまずレシートを貼り付け、その上に、その額を記載した出金伝票を貼り付け、最後に出金伝票の左端に、会計帳簿に記載された整理番号を記載するという方法をとっていた。清水は入浴料のレシートが最初からなかったとして、出金伝票のみが貼られた領収書綴りのコピーを、原告が作成したものとして提出していた。「領収書綴りを原告から引き継いだ時点で入浴料のレシートは存在しなかった」という趣旨だった。

出金伝票の「影」

 それが本当に山川が作成したもので、清水に引き継いだ時点でレシートが存在しなかったのなら、「入浴料のレシートは最初から存在しなかった」、つまり「入浴の事実はなかった」という清水の主張が正しいことになる。山川はレシートをまず貼り付け、その上に出金伝票を貼り付けていたと説明しているから、出金伝票が剥がされることなしにレシートだけがなくなることはあり得ない。言い換えれば、清水が領収書綴りを山川から引き継いだあと、出金伝票が剥がされていないことが立証されれば、確かに入浴料のレシートは最初から存在しなかったことが立証されよう。

 ところが、清水が証拠として提出した領収書綴りのコピーには、剥がされていないはずの出金伝票が剥がされた痕跡が残されていたのである。清水が提出した領収書綴りに貼られた入浴料の出金伝票をよく見ると、左端に2カ所、2ミリほどの棒状の影があった。

 注意して見なければただの汚れにしか見えない。しかし出金伝票の左側に山川が最後に記入した整理番号の数字をよく見ると、数字の右端、つまり伝票側の一部が直線的に切断されているように見えた。

 すると、出金伝票にある影は、山川が最後に記入した整理番号の切れ端である可能性があった。そこで、出金伝票の「影」の部分を上記数字の右端に近づけていくと、数字の切断面が出金伝票の「影」にぴったりくっついて本来の数字が完成したのである。

 どうやら、山川は出金伝票を貼り付けたあとで整理番号を記入した際、数字の右端が出金伝票の左端にはみ出していたようだった。つまり、出金伝票にあった影は山川が記入した整理番号の数字の一部だったということである。山川がこの日提出した書証は、その整理番号と出金伝票の影を拡大コピーし、整理番号の右端と出金伝票に残された影がぴったり一致し、最初に山川が記載した文字が完成することを明らかにするものだった。

何かを隠そうとする意図

 山川が記入した数字の一部が切断され、出金伝票の側に残っているとはどういうことか。出金伝票が、当初、山川が貼り付けた位置からずれて貼り付けられているということであり、すなわち山川が最初に貼り付けた出金伝票が1度剥ぎ取られたあと、もう1度貼り付けられたという事実を示していた。

 しかも、その領収書綴りのコピーには、清水が貼り付けた何枚もの付箋を確認することができた。すると、清水が「山川が作成したもの」として提出した入浴料に関する領収書綴りのコピーを作成したのは清水自身であることは明らかだった。にもかかわらず、清水はなぜ、入浴料の出金伝票を貼り付けた領収書綴りのコピーを「山川が作成したもの」として提出したのか。

 いうまでもなく、「この入浴料の出金伝票を貼り付けた領収書綴りは山川が作成したもので、自分はいっさい手を触れていない」と主張するためであり、自分が山川から引き継いだ時点で「入浴料の領収書は存在しなかった」と主張するためである。ところが、山川がこの日に提出した証拠によれば、清水が「山川が作成したもの」として提出した上記の領収書綴りのコピーは清水が作成したものであることが明らかなのだった。

 この事実は何を意味するだろうか。少なくとも、清水が「山川が作成したもの」として提出した「入浴料のレシートは最初からなかった」と主張する領収書綴りのコピーは、「清水がいっさい手を触れていない」ものではないということだった。そうなると、「山川から領収書綴りを引き継いだ時点で入浴料の領収書は存在しなかった」とする清水の主張はその根底から揺らぐことになるのではあるまいか。

何かを隠そうとする意図

 言い換えれば、清水が「山川が作成したもの」として提出した「入浴料」の出金伝票のみが貼られた領収書綴りのコピーは、清水が改変したものであるという疑いを否定できなくなるということなのだった。ここで疑われる「改変」には、この領収書綴りに貼られていた出金伝票を剥ぎ取り、その際に当初は存在した「入浴料」のレシートを紛失させたにもかかわらず、当初からなかったものとして出金伝票だけを貼り戻したというような偽造行為も含まれよう。

 清水が、「入浴料」の出金伝票のみが貼られた領収書綴りのコピーを「山川が作成したもの」と偽って提出したことも、何かを隠そうとする意図を感じさせる。山川が提出した新証拠によって、清水が提出した「入浴料」の出金伝票だけが貼られた領収書綴りのコピーが「入浴料のレシートは最初から存在しなかった」ことを裏付ける証拠とはいえなくなったようだった。

 判決は平成30年9月27日午後1時15分に言い渡されることとなった。

(つづく)
TOP
多摩湖寿会事件 第78回
保身を優先

「多摩湖寿会会長の清水澄江から、会計に不足金があるとして平成28年6月26日に請求書を送付されるより前に、簿外で保管していた寿会の金をどう返還するかについて寿会前会長の加藤幸雄に相談していた」

 ――山川は着服の意図を否定してこう主張している。この点について、山川に証言を依頼された加藤は、当初、山川が主張を裏付ける上申書に署名捺印して山川に手渡した。山川は、清水から不足金の請求をされるより前に上記の保管金の返還方法について前会長に相談していた事実を裏付けることで、その保管金が着服を目的としたものではないことを立証しようとしたのだった。

 ところが前会長は、いったん認めていた上記の相談に関する内容をすべて撤回し、「平成28年6月26日に山川が来た」というだけの内容なら署名してもいいとして、上申書を改めて作成した。加藤はその際、山川に対して「もう大野さんに、保管金のことは知らなかった」と話してしまったから、最初の内容の上申書を提出すれば「東村山に住んでいられなくなる」などの個人的事情を訴えたという。

 要するに、「山川は最初から保管金と称する金を着服するつもりで、誰にもいわずに隠匿していたのだ」とする清水の主張に合わせないと、この先どんな目に遭うかわからないから、清水の主張に背き、清水を裏切る内容の証言をすることはできないということのようだった。事実なら、加藤は真実ではなく、わが身の安泰を選んだということになろうか。

 しかし清水の代理人による尋問に対して、加藤はもちろんそんなことはいわず、「最初、よく読まないで署名したが、あとでよく読んだら事実に反する内容だったので撤回した」と供述。山川が保管金をどう返還すればいいか相談に来たという事実を否定したのだった。

用件は「覚えていない」

 簿外で保管していた金の返還方法について、山川が清水澄江から請求書を送付するより前に前会長に相談したかどうかに関しては、山川本人からも尋問している。



(「山川は清水から請求書を送付されるより前に加藤に相談していたか否か」に関する反対尋問①)

山川  私は、最初に6月の17日(筆者注=平成28年)にはお伺いいたしましたときに、袋を見せて、確かに総会のときに終わってから引き継ぎしたものではなく、袋に50周年として用意してたものがあるけれども、これは返すきっかけを失っちゃったのでどうしましょうかというふうに相談しました。加藤さんのお宅へ、奥さんもいらっしゃるところでお話ししましたよね。

加藤  いえ、来たことだけは認めます。ただし、50周年については認めるわけにはいきません。



 再確認すると、この平成28年6月17日に山川が加藤前会長宅を訪ねた理由について、加藤は平成29年2月4日、山川に渡した最初に上申書で次のように証言している。

「私は、平成28年6月17日午後4時ころ、山川さんが自宅を訪ねてきて、『多摩湖寿会50周年の記念事業のために簿外で保管していたお金があって、寿会に返還しなければならないが、どういう名目で返せばいいでしょうか』という相談を受けたことに間違いありません。」 

 加藤はこの上申書の記載のうち、「来たこと」だけは認めるというのである。山川はさらに、この日のやり取りについて次のように述べた。



(「山川は清水から請求書を送付されるより前に加藤に相談していたか否か」に関する反対尋問②)

山川  会長のほうから、簿外でためてたのはかっこ悪いから、50周年の祝い金として返そうやとおっしゃったので、私は(筆者注=清水会長から)呼ばれていったときに、封筒に50周年祝い金として、さらに10万近いお金を足して30万と書いて御用意して行きました。それは、その後、会長がこのことを知っていれば、言ってくだされば全て解決できる問題だと思って、ずっと私は会長を守るような気持ちで何も言わないでまいりました。

ここで裁判長が山川の発言を遮り、加藤に聞いた。)

裁判長  今原告が言われた経過というのは事実としてあったんですか。

加藤  来たことは認めます。ただし、来た内容についてはよく覚えていません。



 加藤は、平成28年6月17日に山川が自宅を訪ねてきたことは覚えているが、どんな用件だったか、その内容は覚えていないという。そんなことがあるのだろうか。

不可解な供述

 平成29年9月15日付陳述書によれば、加藤は、山川が署名を求めた上申書が裁判所に提出するものであることを認識していた。最初の上申書に署名捺印した時点で、加藤が上申書の内容を読んでいなかったという言い訳が通用するのだろうか。少なくとも、加藤が最初の上申書に署名捺印した理由について「体調が悪く、寒かったために、用事を早く済ませたい一心で内容をよく読まなかった」(趣旨)と供述していることには疑問があると言わざるを得ない。

 むしろ加藤が、いったん山川に渡した最初の上記上申書を撤回したということは、少なくともその時点で、平成28年6月17日に山川が自宅を訪ねてきた理由を認識していたということを示している。加藤は最初の上申書を山川に渡したあと、山川が来訪時に話していた内容を思い返し、上申書の内容が「大野に話してしまったことと違う」ことに気が付いたのだろう。

 山川に渡してしまった上申書が裁判所に提出されれば、それは清水にとって不利な証拠となる。そうなれば、今度は自分が清水から責められる――加藤はそう考えたのだろう。

 加藤が最初の上申書を撤回するまでには、山川の来訪時の話の内容だけでなく、自分が大野に話していた内容も思い出すという経過があった。わずか1年半前の出来事である。加藤は裁判官の質問に対して「来た内容についてはよく覚えていません」と答えた。そこまでの経緯がありながら、「覚えていない」という加藤の供述は不自然に思えてならない。

(つづく)
TOP
『東村山市民新聞』を読む(平成30年5月1日付第190号)
運命共同体

 東村山市議で「草の根市民クラブ」の矢野穂積と朝木直子が発行する『東村山市民新聞』(平成30年5月1日付第190号)が7カ月ぶりに配布された。その中に1本、初めて聞く内容の興味深い記事があった。「ムラ八分 自民党分裂・蜂屋けんじ議員を追い出す」という記事だった。

 東村山市議会のホームページにはそれ以前から自由民主党市議団(東村山市議会における自民党会派の届け出名)の構成員が「7名から6名に減った」とする記載があった。何があったのだろうと思っていたが、記載内容が事実かどうかはともかくとして、これはどうも、そのことに関連した記事のようだった。

 私の知る限りにおいて、東村山市議会に届け出のある会派の中で自民党と公明党、共産党、それからとりわけ矢野と朝木の「草の根市民クラブ」が分裂したことはない。矢野と朝木は、朝木直子の母親で東村山市議だった朝木明代の「万引きとそれを苦にした自殺」という、絶対に認めてはならない秘密を共有する運命共同体である。

 矢野は朝木の万引き事件で隠蔽工作を共謀したのだった。その結果、朝木明代は窃盗容疑で書類送検され、東京地検の取り調べが目前に迫った平成7年9月1日夜、自殺を遂げたのである。朝木直子も当然、その事実を知っている。

見出しの表現に混乱

 さて、それはともかく、『東村山市民新聞』が記載する、自由民主党市議団が「分裂」したというのは本当なのだろうか。

 この見出しにある「ムラ八分」「自民党分裂」「追い出す」という文言からは、事実を伝える文言としては混乱があるように思える。「ムラ八分」「追い出す」は、実際にそのような事実があったのかどうかは別として、自民党会派側が蜂屋に除名を通告したという趣旨と受け取れるのに対して、「自民党分裂」という文言からは、会派内でなんらかの方針をめぐって意見の対立があり、その結果、蜂屋は自民党会派を離脱することになったというニュアンスが感じられる。

 つまり、「ムラ八分」「追い出す」は蜂屋が一方的に除名されたという趣旨であり、「自民党分裂」といえば、蜂屋の離脱は自らの意思が含まれているようにも感じられるのである。普通、政治団体が1人の議員を除名したという事実を「分裂」とは表現しないのではあるまいか。

 政治団体が1人の議員を除名したという事実について、たんに「除名」ではなく「ムラ八分」「追い出す」と表現している点からは、その除名が正当な根拠によるものではなく不当な処分であるとみていることがうかがえる。この点と、「分裂」という表現が蜂屋の意思でもあるようなニュアンスであることを考え合わせると、この見出しからはどうも、自民党市議団が蜂屋を除名したという事実について、それが不当な処分であり、蜂屋自身はその処分理由に納得していないということ、また発行人である矢野と朝木がこの処分について批判的な立場に立っていることがうかがえた。

『東村山市民新聞』が説明する「理由」

 見出しからは、『東村山市民新聞』が蜂屋に肩入れしていることがうかがえるが、本文ではどう説明しているのだろうか。記事では冒頭で「自民党が分裂、蜂屋議員が離脱した」とし、続けて次のように記載している。

「離脱は本人の意志ではなく、自民党が『追い出し』にかかったようだ。」

 東村山の自由民主党市議団から「離脱」した議員として記載されているのは蜂屋だけである。『東村山市民新聞』によれば、「自民党が『追い出し』にかかった」理由は、「ところバスの乗り入れ計画について考え方が違う」「自民党を批判する草の根(筆者注=矢野、朝木)と敵対していないのはおかしい」など。

 以上の記載から判断すると、自民党市議団から出たのは蜂屋だけである。すると、この状況は自民党市議団が蜂屋を除名したということであり、これを「分裂」と呼ぶのはやや違和感があるのではあるまいか。

『東村山市民新聞』が説明する除名の理由は、通常では除名するほどのものであるとは思えない。自民党のような組織が会派の構成員を除名することは、議会内勢力を減らすということだから、簡単にできることとはあるまい。そう考えると、自民党市議団が蜂屋の除名に踏み切ったのには『東村山市民新聞』が記載している以上の理由があったとみるのが自然ではなかろうか。

周辺にも影響か

蜂屋の除名は周辺にも少なからず影響を及ぼしているのではないかと思われる。蜂屋は自民党市議団に所属していた当時、東村山市多摩湖町を地盤としており、その後援会幹部だったのが多摩湖寿会会長の清水澄江だった。清水としても蜂屋に対する距離の取り方が難しくなるのではないかという気がするが、どうなのだろうか。

 清水が後援会幹部だっただけあって、蜂屋が清水に対して恩義を感じているらしい様子は実際に何度も見ることができた。多摩湖寿会をめぐる問題では、当然、蜂屋も「山川は多摩湖寿会の金を横領した」と主張する清水を応援していたようで、朝木が多摩湖寿会の会計問題を取り上げた際には、清水のいる傍聴席まで何度も足を運び、状況を説明していたものだった。

 平成28年12月議会の際には、清水の主張を支援していることを確信させるこんな出来事もあった。この日、東村山市議会の一般質問がいつもの本会議場ではなく委員会室で行われ、朝木は「山川を横領容疑で告発すべきだ」と市長に迫った。しかし、これに対して市長は「本人が横領を否認している」などとして告発はしない旨の答弁を行い、朝木の質問は終了した。予測していなかった出来事が起きたのはその直後だった。

 休憩に入り、市長は委員会室の出口に向かった。するとそこへ朝木が立ちはだかり、「告発すべきだ」と抗議を始めたのである。市長が答弁と同様の回答を繰り返していると、清水と蜂屋が加わり「市長、首が飛んでも仕方がないですね」などと追及したのだった。市長が退出したあと、蜂屋は清水に対して「本来、この問題は私がやるべきだったんだけど」などとしきりに支援の意思表示をしていた。

 東村山自民党市議団から除名された今、蜂屋にとって清水の存在はより大きなものになったのではあるまいか。平成30年5月24日、尋問を傍聴にやってきた蜂屋が、傍聴席から山川を威嚇するような声をあげたのも、清水や清水の宣伝を信じて傍聴に集まった寿会会員に対して存在をアピールしたいという思いがあったのかもしれない。

 ただそれも、山川に提訴された裁判で清水が勝訴しなければ、裁判所における蜂屋の愚行は、正真正銘の愚行として多摩湖寿会会員に正しく認識されるのではあるまいか。

(了)
TOP
多摩湖寿会事件 第77回
加藤前会長を最初に尋問

 平成30年5月22日に行われた証人(本人)尋問は、最初に多摩湖寿会前会長の加藤幸雄、次に被告の朝木直子、多摩湖寿会会長の清水澄江、最後に原告山川昌子の順で行われることになっていた。この順番は裁判長が決めたものである。

 最初に訊く証人として裁判官から指名された加藤は今年84歳、山川が会計を務めていた平成24年度から平成27年度まで多摩湖寿会の会長を務めていた。その満4年間、特に山川との間にトラブルもなく、むしろ他の副会長ら役員と協力して寿会を運営してきた。

 会長となって以後、平成28年に迎える多摩湖寿会50周年の記念事業を行うことを長期的な目標にしていた。しかし、平成28年5月に行われた総会で、清水澄江が予期せぬかたちで、賛成多数によって多摩湖寿会の新会長に選出され、加藤は50周年を目前にして会長を退くことになった。

 加藤の尋問にあたって、重要な論点になるとみられていたのは、①会計に不足金があるとして清水澄江から請求書を送付されるより前に、山川が簿外の保管金について加藤に相談していたというのは事実かどうか②「おくたま路」での入浴の事実はあったかどうか(清水は「おくたま路」での入浴はなかったにもかかわらず、山川は「入浴料」として1万円を計上して着服したと主張している)③「山川は福祉募金を盗んだ」とする清水の主張について(山川は平成24年度の福祉募金について、帳簿に「入金」を記載せずに「出金」だけを記載した。これは福祉募金を出金したとみせかけて着服したのだ――清水はこう主張している)――などである。

事前相談の有無について

上記の論点について、加藤はまず主尋問(清水および朝木側代理人による尋問。当然、清水、朝木側に有利な供述を引き出す目的で行われる)で次のような供述を行った。



(加藤の主な供述1)――主尋問

①山川は清水から請求書を送付されるより前に加藤に相談していたか否か
(この点について山川が加藤に上申書を依頼したところ、当初は「山川が清水から請求書を送付されるより前に、50周年記念事業のために簿外で保管していた金があること、及びこれを多摩湖寿会にどう返還すべきかについて相談に来たこと」を認めたが、その後「山川が来た目的は書けない、来たことだけなら認める」と証言を翻したという経緯がある)

清水代理人  山川さんによると、不正会計について問題になるより前の平成28年の6月17日の午後4時頃に、あなたの自宅へ行って、寿会50周年の記念事業のために簿外で保管していたお金のことで相談したということなんですけど、こういう事実はあったんですか。

加藤  ありません。なぜなら、24年から私が会長を務めてたときに、最初から50周年記念事業については役員会に諮っておりました。それに対して何ら具体的な発言はありません。よって、当日もそのとおりです。

代理人  この積立金(筆者注=50周年記念事業のための銀行積立金)のほかに、50周年記念事業のために山川さんが保管してるお金がある、そういうことは聞いたことがありますか。

加藤  ありません。




 加藤は清水代理人の質問に対して、「清水が山川に対して請求書を送付するより前に、山川が簿外に保管していた金について相談に来た事実も、簿外に50周年記念事業のための保管金があるという話も聞いたことはない」と答えた。

「上申書を作成した事情」

 では、当初は清水が山川に対して請求書を送付するより前に簿外の保管金について相談に来た事実を認める上申書を作成したのはどういう事情によるものだったのか。



(加藤の主な供述2)――主尋問

 清水代理人は、この上申書を作成したのが山川であり、加藤はそれに署名捺印したものであることを確認した上で次のように聞いた。(※筆者注=裁判所などに提出する上申書や陳述書、準備書面といった書面は、代理人などが作成したものに提出する本人が署名捺印し、本人が作成したものとするのであり、実際にその文書を誰が作成したのかは問われないのが通常である。したがって、加藤の署名捺印がある上申書を作ったのが山川であることを確認したのは、その上申書が「加藤の意思によるものではない」ことを印象付けようとしたものと思われる。)

代理人  この上申書にあなたが署名して判こをついたのはなぜですか。

加藤  先ほど裁判長様に申し上げたとおり、私は持病として気管支ぜんそくと肺気腫を患っていて、当日はなおかつ高熱で伏せっており、それにもかかわらず、当日寒いのに、どうしても裁判所に提出しなければいけない書類なので是非署名捺印していただきたいと、執ように迫られました。それでやむなく中身を確認もせずにサイン、印鑑を押したということです。



 山川によれば、加藤が当初の上申書を撤回したいと電話してきた際、「保管金のことは知らなかったと大野さんにもういってしまった」「今ごろ知っていたといえば、東村山に住んでいられなくなる」などと言い訳したというが、清水代理人の質問に対してはそうはいわなかった。

 最初の上申書を撤回したあと、加藤は「同じ日に山川が自宅に来た」というだけならいいとし、それだけを記載した上申書を山川に渡した。「事実に反する記載が消去されてたから、この上申書には署名して判こをついて山川さんに渡したということですか」というこの点に対する代理人の質問に、加藤は「はい、そうです」と答えた。

 山川が清水から請求書を送付されるより前に、「50周年記念事業のために簿外で保管していた金の返還方法について山川が相談に来た」というのが事実に反するというのなら、加藤なぜ「山川は自宅にやってきた」というだけの上申書を山川に渡したのだろうか。たんに最初の上申書を撤回し、上申書の提出を断ればそれでよかったのではあるまいか。

 加藤が「山川が来た」というだけの上申書を山川に渡したのは、50周年記念事業のために山川が簿外で保管していた金があることを知っていたというのはまずいから、その部分をカットしたら結果的に「山川が来た」という部分だけが残ってしまった――というのがやはり合理的な理由のように思えてならない。

(つづく)
TOP