| 著書紹介 |
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『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)
現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方は こちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。
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| CONTENTS |
【草の根市民クラブ関連事件】
【りんごっこ保育園関連】
【多摩レイクサイド関連】
【久米川東住宅関連】
【右翼関連】
【その他関連】
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| 第2次「行動する保守」事件 第1回 |
東村山警察署元副署長の千葉英司がブログの記載などをめぐり「行動する保守」Aを提訴していた裁判の第1回口頭弁論が平成24年6月5日13:30から東京地裁立川支部で開かれることになった。ゴールデンウィーク前には期日が決定しているので、訴状はすでに送達されているものとみられる。
何も得るもののない和解
千葉が問題としているのは「行動する保守」Aが運営するブログの平成23年9月1日付〈故朝木明代東村山市議殺害事件 16年目の命日を迎えて〉(以下、「記事1」)と題する記事および平成21年9月2日付〈告知と活動報告〉と題する記事(以下、「記事2」)である。
記事1が掲載される4カ月前の平成23年4月20日、千葉から提訴されていた裁判で、「行動する保守」Aは千葉に10万円を支払うとともに記事および写真の削除など千葉の要求をすべて受け入れる内容の和解に応じている。慰謝料の支払い以外に裁判所が認容した千葉の要求は以下のとおりである。
(第1次裁判で認容された千葉の要求)
1 ブログ「日本よ何処へ」における平成21年11月13日付「〈活動報告〉西村修平VS千葉英司(2)」に掲載したプラカードの写真にある「創価学会の四悪人」及び「千葉英二副署長」との文言削除。
2 ブログ「日本よ何処へ」における平成22年5月4日付「反創価学会デモ(日護会)の紹介」に掲載したプラカードの写真にある「創価学会の四悪人」及び「千葉英二副署長」との文言削除。
3 ブログ「日本よ何処へ」における平成21年7月13日付「黒田大輔『日本を護る市民の会』代表の裁判支援行動(6)」に記載した「大嘘つきの千葉英司元副署長」「大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言削除。(筆者注=訴状では写真削除も求めていたが、提訴後に削除したため、写真削除については訴えを取り下げた)
4 ブログ「日本よ何処へ」における平成21年11月20日付「〈活動報告〉槇泰智VS千葉英司」に記載した「にも拘らず捜査の指揮をとった東村山警察署の千葉英司副署長(当時)は強引に自殺として処理。」「この男こそが13年前、自殺事件にすり替えた張本人・千葉英司だったと分かった。警察を退職した今でも創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じていたとは。」との文言削除。
これらの写真・文言の削除を約した上で、〈原告と被告らは、今後、相互に誹謗中傷しないことを確約する。〉などとする内容の和解が成立した。
この裁判はいうまでもなく、「行動する保守」Aが「内部告発」が事実であることおよび「内部告発」の内容が事実であることを立証できていれば和解に応じる必要はなかった。しかし「行動する保守」Aは真実性を立証するどころか、「内部告発」が伝聞の伝聞にすぎないことを自らの陳述書で自白してしまった。代理人はとうてい勝ち目はないと判断し、千葉の要求をすべて飲むという惨めな和解を受け入れたのである。
卑小な自尊心
しかし「行動する保守」Aは「行動する保守」の重鎮として、「内部告発」がどうみても一般社会ではまったく相手にされない代物であるにもかかわらず、軽率にもそれを事実と信じ込んでしまった自らの愚かさを認めたくないのか、記事1の冒頭で次のように述べた。
〈本日は東村山市議時代に創価学会を厳しく追及していた故朝木明代さんが、何者かによって東村山駅前のビルから突き落とされて殺害されたその命日であります。創価学会と命を賭けて戦った勇気ある女性市議の、その意思を後世に伝える為にも、今後ともこの問題を訴えて行く所存です。〉
この文面だけを見れば、「行動する保守」Aは裁判では負けてもなお「真相究明活動」に対する意欲は衰えておらず、支援者に対して活動継続の強い意思を示したものと受け取ることができよう。「行動する保守」の重鎮として振る舞っている「行動する保守」Aとしては、体面だけは保ちたかっただけのようにもみえた。その後「行動する保守」Aがなんらかの「真相究明活動」を行った様子はうかがえない。
続けて「行動する保守」Aは、面目を潰された相手である千葉についても次のように述べている。
この事件を当時東村山警察署の副署長として捜査に当たった千葉英司副署長は、現在も朝木明代市議の仲間であった矢野穂積市議や娘さんの朝木直子市議を相手に民事で訴えています。
……当時捜査に当たった人物が、その後もこのように執拗にこの事件に関わっている異常性を私は不気味に感じるし、それ故にこの問題から離れる訳には行きません。
自ら「内部告発」がデマだったことを認めただけでなく、矢野と朝木の主張がことごとく裁判所で排斥されてきた事実を見てもなお「行動する保守」Aは、何が真実かを判断できないようである。それどころかこの記載は、千葉がなにか不当な提訴を繰り返している人物であるかのような印象を与えよう。
その上で「行動する保守」Aは裁判所から相手にされなかった陳述書を公表している。自分の陳述書の内容には理があるといいたかったのだろう。その感覚からしてすでに普通ではないと思うが、その中に千葉が問題としている記載があった。千葉の請求の1つとそれに対する「行動する保守」Aの主張である。
4 平成21年7月31日付ブログに記載した「大嘘つきの千葉英司元副署長」「大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言及び原告の写真を削除せよ。 について
この大嘘つきという文言は削除しません。なぜならばこれは裁判を傍聴していた我々に対して千葉氏が我々傍聴席を指し示すようにして、我々に対して事実と全く異なることを言い放ったからです。この裁判(千葉氏が黒田大輔氏を訴えた件)に関しては和解となっていますが、裁判の記録が取り寄せて読んで頂ければ、その真実は明らかだと思います。
「大嘘つき」に関する文言については千葉が削除を要求し、和解成立後に削除されている。にもかかわらず、「行動する保守」Aは「この大嘘つきという文言は削除しません。……」とする一文をあえて掲載したのである。これでは「行動する保守」Aはいまだ千葉に対して「大嘘つき」と呼んでいるに等しい。千葉は訴状で次のように主張している。
(訴状における千葉の主張)
(被告は原告が)異常な人物と断定した後で、「『大嘘つきの千葉英司元副署長』『大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議』『千葉の虚言発言』との文言は削除しません。」と記載した。本件記事は、公然と、原告は異常で大嘘つきであると主張し、原告を侮辱するものである。
まれにみる卑怯者
記事2については肖像権侵害による慰謝料の支払いを求めているが、訴状提出後、ほかにも肖像権侵害があったことが判明している。その中には第1次裁判で削除を要求し、裁判中に削除したにもかかわらず、その後復活していた写真もあった。「行動する保守」Aが意図的に再掲載したものであることは明らかで、やはりまれにみる卑怯者といわれてもやむを得まい。
なお、私が「行動する保守」Aを提訴した裁判は、本件の1週間後、6月12日に第1回口頭弁論が開かれることが決まった。特別の事情がなければ、私の訴状も送達されているはずである。
(「第1回口頭弁論後」につづく)
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第23回 |
「意見・論評」であると主張
本件裁判はこれまで5回の口頭弁論を重ねている。その間、千葉は準備書面で鍵と靴をめぐる状況、矢野の「警察に行っているかと思った」という発言のほかにも、明代の死が「自殺」であることおよび矢野と朝木が「自殺」であることを隠蔽しようとしている事例を示し、「千葉が鍵発見に関わる殺人事件の『証拠事実の隠匿』」を行った事実はないことについて主張してきた。
千葉が問題としているのは、
〈千葉「自殺説」を自ら全面的に否定! 決定的事実を知りながら、なぜ、今まで一度も公表しなかったのか!! ⇒証拠事実の隠匿は明らか!〉
〈元副署長チバは、捜査責任者として詳細を全面自供し事実隠匿の責任をとりなさい!〉
などの記載である。すると矢野と朝木は、「千葉が鍵発見に関わる、『殺人事件』の証拠を隠匿した」とする事実について真実性・相当性を主張・立証すればよい。しかし提訴から1年にもなろうとするが、矢野は今のところまだ「千葉が殺人事件の証拠を隠匿した」とする事実について真実性・相当性に関する主張も立証もしていない。
それには矢野なりの理由があった。矢野は答弁書で、「『千葉が殺人事件の証拠を隠匿した』とは主張していない。記事は『千葉が殺人事件の証拠を隠匿した』との事実を摘示したものではなく、朝木明代議員事件は自殺ではなく何者かによる他殺の疑いが強いという『決定的事実がついに判明』し、東村山警察自身が捜査を十分に尽くしていない、との批判言論を意見・論評として記載したものである」(趣旨)と主張していた。
仮に千葉が最近になって「おしぼりは現場検証後に置かれた」と述べたことをもって矢野が「第三者が関与した証拠で、捜査が尽くされていない」と考えたとしても、そのことと千葉が「殺人事件の証拠を隠匿した」(〈証拠事実の隠匿は明らか!〉)との事実の間には大きな隔たりがあるのではあるまいか。しかし「論評である」と主張する矢野は、立証対象についても次のように述べていた。
〈仮定抗弁での立証対象(論評たる本件記事の立証対象である前提事実の重要な部分)というのは、「朝木明代議員の鍵束は、焼肉店の裏口のカゴに入った使用済みのおしぼりの間に入れられて発見されたが、朝木明代議員の死亡確認後、警察犬投入後にいれられた可能性があるものの、何者が何の目的で置いたかは、解明できていない。鍵束は、その捜査が終了後、9月14日に遺族に返還した。」などとする東村山署による「捜査結果」を、……副署長という東村山警察元幹部(原告千葉)自身が、事件発生の14年後に初めて供述し、公表したという事実である。〉
主張の内容はともかく、矢野が一筋縄でいかない相手であることだけはわかろう。
奇妙な「求釈明」
またその上で矢野は、次のような求釈明も行っていた。
(矢野の求釈明の申立)
原告千葉は、「原告千葉が鍵束を発見した事実を隠匿した」との事実を被告両名が摘示したというが、被告両名は、原告千葉が「鍵束を発見した事実を隠匿した」などという事実を摘示したことも、主張したこともないので、本件記事が摘示したとする具体的事実を明らかにされたい。
千葉は〈証拠事実の隠匿は明らか!〉などの表現について「原告千葉が鍵束を発見した事実を隠匿した」などと主張しているのではない。千葉は「亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿したとの事実を摘示した」と主張しているのである。
矢野は訴状を読み間違えたのか、あるいは意図的に「亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿」ではなく、たんに「鍵束を発見した事実を隠匿」にしたかったのだろうか。千葉の主張する摘示事実が矢野の「理解」する摘示事実であるとすれば、真実性・相当性の「立証対象」は確かに矢野が求釈明に先立って述べたとおりということになり、立証はさほど難しくはあるまい。
矢野の求釈明に対して千葉は、あらためて「亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿したとの事実を摘示した」と主張した。しかしその後も矢野は本件記事について、「千葉が公表した事実を前提とした、東村山署が捜査を十分に尽くしていないとする意見・論評である」とする主張を繰り返すとともに〈被告両名は、原告千葉のいう「亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿した」との記述をした事実はどこにもないので、具体的に被告両名が記述した箇所を明らかにされたい。〉と主張している。
最高裁判例では、「名誉毀損の成否が問題となっている新聞記事が、意見ないし論評の表現に当たるかのような語を用いている場合でも、前後の文脈などによって、証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項を主張するものと理解されるときは、記事は右事項についての事実の摘示を含むものというべきである。」とされている。
すると、矢野のいうように具体的に「(千葉が)亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿した」と記載していなくても、タイトル及び文脈からそのように理解されるなら、「亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿した」との事実を摘示したとみなされるのではあるまいか。私には少なくとも、「千葉は朝木明代殺害事件の証拠を隠匿した」と主張しているように読める。
裁判官の基本認識
このように、原告と被告の主張は噛み合わないまま1年近くが経過していた。「事実摘示」か「論評」かで主張がまったく噛み合わなかった裁判の進行が大きく動いたのは第4回口頭弁論(弁論準備手続き)だった。裁判官はこれまでの双方の主張を整理した書面を作成し、それぞれに提示した。ちょうど判決文でいえば、「当裁判所の判断」までの双方の主張をまとめたもののようにもみえる。裁判官の心中も同様に、そろそろ裁判所が進行についても一定の方針を判断すべき時期に来ていると考えているようにも思えた。
双方の主張をまとめた整理案を双方に確認させた上で第5回口頭弁論が開かれた。当面、明確にしなければならない論点は問題の記事が「事実摘示」か「論評」かという点にある。裁判官はまずその点について見解を示した。裁判官はこう述べた。
裁判官 記事全体は、原告が指摘する事実(千葉が他殺の証拠を隠蔽)を摘示していると思います。
その上で裁判官は矢野と朝木側に対してこう聞いた。
裁判官 被告らは「千葉が他殺の証拠を隠蔽した」とする事実に対する真実性・相当性の主張・立証をしないんですか?
この質問に対して矢野は「仮定抗弁を行います」と応えた。ここでもなお矢野は、記事の名誉毀損性および「事実摘示」について認めているわけではないことを「仮定」という文言を付けることによって主張していることがわかる。
もちろん矢野が認めようと認めまいと、裁判官の基本認識が変わるものでもなかろう。裁判官は矢野の回答を確認すると、矢野に対して次回弁論までに「千葉が他殺の証拠を隠蔽した」とする事実に対する真実性・相当性の主張・立証を行うよう要請した。
裁判官は最後に、今後の進行について「仮に原告が勝訴して控訴審になった場合に、一審で審理漏れがあったということがないよう慎重に行いたいと思います」と述べた。千葉は朝木に対する尋問を申し立てている。これに対して裁判官は、「被告らの次回書面を見てから判断します」と答えた。次回口頭弁論も弁論準備手続きで、5月14日午後2:30に予定されている。
なお余談だが、矢野のデマを鵜呑みにした「行動する保守」の西村修平を千葉が提訴していた裁判の控訴審第1回口頭弁論が5月23日午後2時から開かれることになった。30万円の支払いを命じた一審判決を不服として西村が控訴していた。
(つづく)
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第22回 |
ストッキングをめぐる求釈明
平成7年9月1日夜、明代が事務所に(青いローヒールの)靴を置いて、裸足で自殺現場まで歩いて行ったことを直接的にうかがわせるのはストッキングの足底部が破れていた事実である。千葉は準備書面で「警察(原告を含む)及び検察は亡明代のストッキングの足底部に破損があったことから、裸足で外出したと認定し、その旨を公表した。」と述べている。
これに対して矢野は〈「亡明代のストッキングの足底部に破損があった」のはどのような具体的な証拠に基づき判断をしたか、明らかにされたい。〉と求釈明した。このため千葉は次のように回答した。
(求釈明に対する回答)
平成7年9月2日、東村山警察署鑑識課員は検視の際に、亡明代が着用していたパンティストッキングの足裏部分が破損していた状況を近接撮影した写真に説明文を添えた報告書を作成し、原告を経由して警察署長に報告した後に検察官に送付している。警察署長及び検察官は上記の報告書に基づき「ストッキングが破れていた」と発表したのである。
明代のストッキングの足裏部分が破れていた事実については矢野もかねてより重要視している。この裁判でも上記の千葉の回答に対して矢野は重ねて求釈明を行うとともに次のように主張している。
(ストッキングに関する矢野の再度の求釈明)
(「警察(原告を含む)及び検察は亡明代のストッキングの足底部に破損があったことから、裸足で外出したと認定」したとする千葉の主張を引用した上で)すなわち、朝木明代議員は1995年9月1日夜、自宅を出て、被告矢野のいた朝木明代議員の事務所に立ち寄ったが、この事務所から裸足で「飛び出し」たと推認でき、本件記事に指摘した「鍵」は事務所に置いたバッグに入れたままだった(可能性が高い)、と警察(原告千葉を含む)及び検察は判断した旨、原告千葉は東村山警察に代わって主張するのである。
然るに、「亡明代のストッキングの足底部に破損があった」との事実が客観的真実であることが証明できなければ、朝木明代議員が自宅を出て、被告矢野のいた朝木明代議員の事務所に立ち寄ったが、この事務所から裸足で「飛び出し」たという推認も成立せず単なる憶測にすぎないことになるし、事務所においたままの「バッグ」に「鍵」は入ったままだった可能性もありえず、単なる憶測レベルのものとなる、からである。
矢野はこう述べて、千葉に対して「亡明代のストッキングの足底部に破損があった」とする事実についてどのような具体的な証拠に基づくものなのかを明らかにするよう求めた。その上で矢野は、明代のストッキングの足底部の破損について自らが「確認した」とする事実について次のように述べた。
(矢野が主張する「ストッキングの足底部の破損」に対する認識)
被告両名は、朝木明代議員が救急救命処置のためにかつぎこまれたが結局死亡した防衛医大付属病院の担当医師から、「亡明代のストッキングの足底部に破損があった」とはいえないとの供述を得ており、原告千葉の主張には全く根拠がない。
矢野によれば、明代の救急救命処置を行った医師が「ストッキングの足底部は破れていなかった」と証言したというのである。それは本当に事実なのだろうか。
変遷した「証言」
インターネット「東村山市民新聞」には医師の証言に関して以下のような記述がある。
(「東村山市民新聞」の記載)
〈朝木明代議員遺族や矢野議員は、病院に搬送された朝木明代議員の救急救命を担当した防衛医大病院担当医師に、事件後、朝木明代議員がストッキングをはいていたか、足の裏がどうなっていたか、ストッキングは破れていたか、を詳細に質問し確認しました。ところが、担当医師は「ストッキングは自分達が脱がせました」と認めた上で、「それは、警察にも聞かれたんですけれど、そこまでは覚えていないですね」とはっきりと語っていますし(録音あり)、〉
ここでは、警察もストッキングが破れていたかどうか医師に確認したように聞こえるかもしれない。しかし矢野が法廷に提出した医師に対する調査の録音記録によれば、警察は「ストッキングが破れていたかどうか」を確認したわけではない。録音記録をみよう。
中田弁護士(矢野の代理人) 足なんですけど、ストッキングをはいてたですか?
医師 それは、警察にも聞かれたんですけどね。ストッキングは、うちで確か、脱がせて、全部ビニール袋に入れるんです。入ってたように思うんですけど。
矢野 入ってました。
医師 だとすれば、たぶん、はいていたと思います。
中田 ストッキングが破れてたとか……、例えば、足の裏がどうだったかは?
医師 そこまでは覚えてないですね。
医師は「ストッキングが破れていたかどうかは覚えていない」と証言している。この点においては「東村山市民新聞」の記載と同じである。
ただしここで医師は、「ストッキングを履いていたかどうかについて警察に聞かれた」と述べているにすぎない。ストッキングの足底部が破れていることを確認した東村山署は、明代がそのストッキングを履いていたかどうかを確認したということなら、きわめて自然な質問であるといえる。明代がそのストッキングを履いていたことが確認されれば、明代が裸足で歩いていたことの裏付けとなる。
医師もここで、矢野の「(ビニール袋に)入ってました。」という発言を受けて「だとすれば、たぶん、はいていたと思います」と答えている。するとやはり、医師が「警察にも聞かれた」と述べている内容とは、「明代がストッキングを履いていたかどうか」だったと理解するのが自然なのである。会話の流れとしても、テーマが「ストッキングを履いていたかどうか」から「破れていたかどうか」へと移っていることがわかろう。
ところがこのやりとりが、矢野の記事になると、警察が医師に「ストッキングが破れていたかどうかを聞いた」という話に変質している。つまり矢野は、話をすり替えることによって、警察はストッキングが破れていたかどうかを確認していないことにしたものと理解できよう。その上で、医師が「覚えていない」ということになれば、「破れていたとは断定できない」という結論になる。これが「東村山市民新聞」記事の狙いだろう。
〈明代の救急救命処置を行った医師が「ストッキングの足底部は破れていなかった」と証言した〉とする矢野の主張に対して千葉は準備書面で次のように反論している。
(中田弁護士の質問に対し)担当医師は「そこまでは覚えていないですね」と回答している。そして、被告ら訴訟代理人の福間弁護士は、別件裁判の平成23年1月6日に行われた被告に対する尋問の際に、朝木明代市議を担当した医師の証言内容として「ストッキングが破れていたかどうか、そこまでは覚えていない」と発言している。
……被告らとその訴訟代理人は、担当医師が、ストッキングが破れていた事実は覚えていないと供述していることを知っていながら、ストッキングの足底部に破損があったとはいえないと変更したことは証拠上明白である。
また千葉は、朝木が明代の遺品を受領した際の状況について、以下のように述べている。
(朝木が遺品を受領した際の状況)
被告直子は、警察でストッキングを受領した際に、担当の警察官から足裏部の破損していることの説明を受け、その破損状況を視認した本人である。仮に、破損状況を見落としたとしても、亡明代のズボンに擦り傷があったのを発見した被告らが、一目してわかるほどに破損していたストッキングの足裏部を見落としたとすることは極めて不合理である。
その上で千葉は、矢野が〈医師が「ストッキングの足底部は破れていなかった」と証言した〉と主張していることについてこう結論付けた。
「『亡明代のストッキングの足底部に破損があったとはいえない』との医師の供述があったとの主張は、被告らが意図的に為した虚言であると言わざるを得ない。」
(つづく)
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第21回 |
明代の異変に気付いていた矢野
平成7年9月1日夜、矢野が他人の妻のバッグだけでなく財布の中身まで覗くという通常は異常な行為に及んだこと、また明代が当日履いていて、事務所に残していった靴の色、形状まで細かく記憶していたこと以外にも、矢野が明代の万引きに起因する異変を十分に認識していたと思わせる事実があった。矢野は表向きは9月1日午後10時30分過ぎに電話したと主張しているが、実は翌9月2日0時30分に東村山署に電話した際に話した内容である。矢野が話した内容について千葉は準備書面で次のように述べている。
被告矢野は亡明代の異変に気付いていたことを窺わせる電話をかけていた
被告矢野は、亡明代が転落した約2時間半後の9月2日午前0時30分ころに東村山警察署刑事課に電話しているが、その際に「朝木さんがそちらへ行っていないかと思って電話を入れたのです」と話している。
この発言は、矢野が明らかにしていない事実である。矢野は東村山署に電話をかけた際、〈「朝木明代議員が『行方不明状態』なので、情報が入ったら教えてほしい」と伝えた〉(『東村山の闇』)としか説明していない。矢野はなぜ「朝木さんがそちらへ行っていないかと思って電話を入れたのです」と話した事実を明らかにしなかったのだろうか。
矢野が「朝木さんがそちらへ行っていないかと思って電話を入れたのです」といったのには理由がある。しかもそれは、明代の自殺に密接な関係のある理由だったと理解すべきだろう。矢野はその理由をさとられないために、この重要な発言を隠したのではあるまいか。
千葉は続けて、矢野が「朝木さんがそちらへ行っていないかと思った」理由について述べている。
被告矢野の上記電話は、亡明代が警察にアリバイに関して出直して説明すると取り調べ担当警察官に約束しており、昼間に弁護士からアリバイに関する検察官による取り調べに対する対応について教示を受けた事実に照らし、事務所で被告矢野と亡明代がアリバイに関する話し合いがもたれた際に、亡明代が深夜にもかかわらず警察に説明に行くと言ったことが窺える。
明代が「警察に行く」といったから、矢野は「朝木さんがそちらへ行っていないかと思った」のである。
明代の本心
「警察に説明に行く」とは、要するに万引きを認めるということにほかならない。万引きで書類送検されたあと、明代はマスコミに対して冤罪を主張していた。しかし内心は、おそらくそうではなかった。書類送検が決定した平成7年7月12日、3度目の事情聴取でみごとにアリバイを崩された明代は「今日の調書はなかったことにしてください」とそれまでのアリバイ主張をすべて撤回するという醜態をさらしていた。明代はもう一度調べさせてくださいと言い残したものの、その後東村山署に来ることはなかった。無実を証明するアリバイなどあるはずがなかったのである。
書類送検された明代は、いかに矢野が東村山署を批判しようと、いかにメディアが同情的な記事を掲載しようと、捜査には何の影響も及ぼさないことを十分に自覚していた。明代が万引きした洋品店の近くにじっと佇んでいたのを目撃されている。明代は罪を認めて謝罪する以外に助かる道がないことを知っていたのである。しかし明代は、それができなかった。
自殺した当夜も明代は東村山駅方面から事務所(自宅)方面に歩いているのを目撃されている。明代が歩いてきた方向、東村山駅の延長線上には被害者の店がある。明代が謝罪に行こうとし、しかしそれができずに迷っていた可能性は否定できないのではあるまいか。それが正常な判断なのである。
明代が矢野に「警察に行く」と少なくともほのめかしていたことは、東村山署に電話した際の矢野の発言内容からうかがえる。明代は本心では非を認めたかったということと理解できよう。ただ最終的に明代は、洋品店あるいは警察に対してではなく、自殺という形でしか非を認めることができなかったのではないか――。矢野が東村山署に電話して「朝木さんがそちらへ行っていないかと思った」と発言した事実の背後からは、当時の明代の様々に追い詰められた心理状態が浮かび上がる。
「警察に行く」ことを矢野はいつ知ったのか
ところで矢野は、明代が「警察に行くかもしれない」ことを具体的にいつ知ったのだろうか。千葉が準備書面に記載しているように、矢野は9月1日午後、数日後に迫った地検での取り調べに備えて弁護士と打ち合わせを行っている。その夜、明代は矢野と話し合った。千葉が述べるように、その際に明代は「警察に行く」といい出したのではあるまいか。明代が警察に行くということは、明代だけでなく矢野にとっても重大なことである。
明代が「警察に行く」といい出したのは何時の時点だったのだろう。参考になるのは矢野自身が法廷に証拠として提出した午後9時19分の「ファイナルメッセージ」とそれに対する矢野の対応である。これは音声として残っているからごまかしがきかない。
「草の根」事務所に電話した明代は矢野に「気分が悪いので少し休んで行きます」と伝えた。これに対して矢野は「はい、はい、はい」と応えただけである。仮にこの電話の以前に明代が「警察に行く」ことを矢野に伝えていたとすれば、このような冷淡な対応はなかったのではないか。むしろ「警察には行ったのか」と聞くだろう。しかし矢野の対応にはそんなそぶりさえうかがえない。
仮に明代からの電話がキャッチホンで込み入った話ができなかったとしても、別件の通話終了後に矢野の方からかけ直してもおかしくないが、矢野はそれもしていない。つまりその時点ではまだ、明代は矢野に対して具体的に「警察に行く」とは伝えていなかったのではあるまいか。
すると明代が矢野に「警察に行く」と告げたのは、9時19分に最後の電話をかけてから午後10時に自殺を遂げるまでの間しかない。明代が矢野に「警察に行く」と告げたあと、事務所で何が起きたかは想像に難くない。
明代は裸足のまま事務所を飛び出し、事務所には財布と鍵を入れたままのバック、机の下には「青いローヒール」の靴が残された――私にはそうみえる。
(つづく)
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第20回 |
「青いローヒールの靴」
千葉は準備書面において、鍵を自殺現場に隠匿したのが矢野(あるいは朝木との連携)である可能性が濃厚であること以外にも、矢野と朝木の主張する「他殺の根拠」が彼ら自身によって作出された可能性があることについて述べている。
その1つが、彼らが「鍵」とともに「なくなった」と騒いでいた「靴」である。千葉は次のように述べている。
事務所内にあった靴を片付けたのは被告らである
⑴ 警察の捜索で自殺現場及びその周辺から亡明代の靴を発見することはできなかった。しかし、9月2日の午前中に事務所内の亡明代の机の下に踵の低い女性用の靴が(被告矢野が警察で供述した特徴に似ている)脱ぎ散らかした状態になっていたのを目撃され、その日の午後にはなくなっていた。当時、事務所にいたのは被告らのみで、夫などの遺族がいた様子はないことから、被告らが片付けた可能性が高い。
平成7年10月7日、矢野は朝木事件に関して東村山署で事情聴取を受けた。矢野はその際、明代が自殺当日履いていた靴の特徴として「底のぺったんこの靴」だったと供述している。ここで千葉がいう「矢野が警察で供述した特徴」とはそのことを指している。9月2日の午前中、「杖の下に踵の低い女性用の靴があった」との目撃情報の内容と似ていたということである。
当日明代が履いていて事務所に置いていたと思われる靴の特徴については、朝木の弟も東村山署の事情聴取で「底の低い靴」と供述しており、さらに『週刊文春』〈反創価学会女性市議の「怪死」〉(7年9月14日号)には次のようなきわめて興味深い記載がある。
(『週刊文春』の記載)
もうひとつの謎は、当日朝木さんが履いていた「青いローヒールの靴」が両足とも、また事務所を出るときに使ったはずの「カギ」がどこからも見つかっていないことだ。
「朝木さんが隠す理由がなく、第三者の関与が考えられる」
という声が関係者から出るのも無理はない。
この記事にある「青いローヒールの靴」は「ローヒール」であるという点で矢野と弟の供述とも一致しているだけでなく、より具体的で、かつ確信を持った記載である。記者は情報源としてかなり信頼できる(と記者が思う)事情に詳しい「関係者」から取材したことがうかがえる。この「関係者」が誰であるかはきわめて重要である。
しかも靴に関する情報提供者と同一と思われるここに登場する「関係者」は、靴がなくなっていることについて「第三者の関与」まで匂わせている。この「関係者」とは誰なのか。
『週刊文春』に証言した人物
この点に関しては朝木自身の供述という裏付けがある。平成10年11月9日に行われた『週刊現代』事件の尋問で朝木は当時の取材状況について次のように供述している。
朝木代理人 平成7年9月2日の未明にお母様である朝木明代さんが亡くなったということですけれども、そのことを知ったマスコミの取材が、直後から殺到したということがありましたね。
朝木 はい。
代理人 その取材の対応の窓口は、どなたにお任せしたんでしょうか。
朝木 母の同僚でありました矢野議員にお任せしておりました。
代理人 とすると、直子さん御自身は全く取材に応じなかったんですか。
朝木 私は遺族代表といたしまして、矢野さんと同席の上で取材をお受けいたしました。
代理人 そうすると直子さんは矢野さんと同席の上で取材に応じたことはあったけれども、独立して単独で取材に応じたことはなかった、ということでよろしいですか。
朝木 はい、間違いございません。
朝木は当時の状況として、マスコミの取材対応はすべて矢野に任せていたと述べている。さらに平成11年11月15日、『聖教新聞』事件の本人尋問で朝木は「(事件に関しては父親の大統も)取材を受けているんじゃないですか?」と訊かれたのに対して次のように供述している。
朝木 ……事件に対する取材はいっさい、私、矢野さん以外は受けておりませんが。
ここでも朝木は、事件に関する取材を受けていたのは矢野と朝木だけであると述べている。『週刊文春』の取材はいうまでもなく「事件に対する取材」である。すると朝木によれば、『週刊文春』が「明代が当日履いていたのは青いローヒールの靴だった」ことを取材した相手が矢野あるいは朝木以外の人物である余地はないということになる。ことに取材内容は「明代が当日履いていた靴」というきわめて私的な事実であり、確信をもって答えられる人物は矢野か朝木以外にはあり得ない。
『週刊文春』に記載された明代の靴の特徴は「机の下にあった」のを見た目撃者の証言、矢野の東村山署における供述、さらには弟の供述とも矛盾しない。こう考えると、当日朝木が履いていたのは「青いローヒールの靴」だったとみて間違いないということになるのではあるまいか。しかもその情報源が矢野あるいは朝木だったという事実はきわめて重要である。
詳細過ぎる記憶
ところで一般に、人は他人の履いている靴の色のみならず、ヒールの高さについてまでこれほど詳細に記憶しているものだろうか。朝木も幸福の科学が発行した『リバティ』で次のように述べている。
〈(警察は)私の父とか弟に、執拗にどの靴がなくなっていたかというのを聞くんですよ。「わからない」といっているのに……わかるわけないんです。〉
朝木もいうように、通常、人は他人がどんな靴を履いていたかなど記憶にないし、ましてヒールの高さなど覚えていないのではあるまいか。朝木の弟が明代の靴について覚えていたのは、弟が当時、明代と生活していたからだろう(弟が東村山署の事情聴取で明代の靴について供述したことは事実である)。
しかし矢野はもちろん他人であり、朝木も当時、生活実体はなかったものの千葉県松戸に逃げていたから、自殺当日、明代がどんな靴を履いていたかを知る由はなかったはずである。すると矢野あるいは朝木は、明代が当日履いていた靴が「青いローヒールの靴」であるとなぜ『週刊文春』に証言できたのだろうか。また『週刊文春』に対してできた証言を東村山署に対してはなぜしないのか。
矢野が『週刊文春』に対して「青いローヒールの靴」とまで証言したにもかかわらず、東村山署に対しては「底がぺったんこの靴」としか供述しなかったのは不自然である。被害を訴える遺族や関係者が捜査機関に対して取るべき態度ではない。しかし、何かを疑われることを警戒したとすれば、具体的な供述を避けたことも納得できる気がする。
矢野は何を警戒したのだろうか。そこで重要になるのが、東村山署に寄せられた「午前中に見た靴が午後にはなくなっていた」という情報である。千葉は「なくなった靴」に関する情報を総合して以下のように推理する。
「通常、人は他人の靴を詳細には記憶していない。しかし、なんらか確固とした目的を持ち、意図的に靴を片付けた者なら、その特徴を記憶したとしてもおかしくない」と。
(つづく)
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| 千葉元副署長が「行動する保守」Aを再び提訴(速報) |
平成24年4月16日、警視庁東村山警察署元副署長の千葉英司がブログの記事によって侮辱されたなどとして「行動する保守」Aを東京地裁立川支部に提訴したことがわかった。
千葉は平成22年5月7日にも「行動する保守」Aとその弟子を提訴しているが、その際には「行動する保守」Aが千葉の要求を全面的に受け入れるとともに10万円を支払い、平成23年4月20日、和解が成立している。
今回、千葉が問題としているのは「行動する保守」Aが運営するブログの平成23年9月1日付〈故朝木明代東村山市議殺害事件 16年目の命日を迎えて〉(以下、「記事1」)と題する記事および平成21年9月2日付〈告知と活動報告〉と題する記事(以下、「記事2」)。
記事1については〈公然と、原告は異常で大嘘つきであると主張し、原告を侮辱するものである。〉と主張し、記事2については肖像権を侵害されたと主張している。
なお記事1は前回裁判の和解後に掲載されたものである。和解調書には〈原告と被告らは、今後、相互に誹謗中傷しないことを確約する。〉との条項があるが、「行動する保守」Aはこの和解条項を無視したということになろうか。
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第19回 |
「ヒステリック」な質問
矢野と朝木が「他殺の証拠」と騒いだ鍵束をおしぼりの間に隠した人物を矢野以外に想定するのは困難であるといわざるを得ない。明代の衣服などの遺留品がまだ返還されていない平成7年9月2日早朝の時点で彼らが「鍵がない、靴がない」と騒いでいた事実からすれば、鍵がなくなった(ことになった)本当の事情を朝木が知っていたとしてもおかしくない。鍵の隠匿に矢野が関与していた場合、マスコミ関係者などが入り乱れ、人がすれ違うのがやっとの現場ビルの階段で、人目を避けて鍵を隠匿したことについても朝木の協力があったとみた方が自然かもしれない。
鍵束が隠匿された事情を朝木が知っていたのではないかと思わせる事実もあった。そのことについて千葉は準備書面で述べている。
被告らは発見された鍵の確認を渋った
警察は、発見された鍵の所要の捜査を遂げた平成7年9月11日、鍵がないと騒いでいた被告直子に「鍵を確認するために警察に来るように」と(連絡)した。ところが、被告直子はヒステリックに喚き立て、すぐに確認しようとしなかった。担当の警察官からその旨の報告を受けた原告は、確認を催促するように指示した。被告直子は警察からの再三、再四の電話での催促に対し、「忙しい」との理由で確認に応じず、ようやく確認に応じたのは最初の連絡から3日も後の同月14日であった。
矢野と朝木は当時すでに、鍵と靴が見つかっていないことが「他殺」の証拠であるかのように主張していた。またその後も、「鍵の捜査が不十分」「鍵を証拠品扱いしなかった」などとして東村山署の捜査を批判している。
鍵束が「他殺」の証拠というなら、「確認してほしい」と連絡を受けた朝木は何をおいても真っ先に東村山署に出向かなければならなかったのではあるまいか。ところが朝木はすぐには行くとはいわず、鍵の発見状況などについて「ヒステリックに」質問したという。「ヒステリックに」とは担当者の主観もあろうが、少なくとも平静な対応ではなかったと理解していいかもしれない。
『東村山の闇』で消えた文言
ところで朝木が東村山署から連絡を受けた際、「ヒステリックに質問」せざるを得ないような事情があったのだろうか。朝木はこのときの状況について乙骨には次のように説明したようである。
(『怪死』における朝木の説明)
「11日午前、東村山署の遺失物係から電話がかかってきて、『朝木さんの鍵が見つかった』というんです。『どうしてわかるんですか』と聞いたら、『いや、鍵を探していると聞いたので、確認に来てほしい』というのです。14日の午後に確認に行くと、母の鍵は、一週間分の遺失物の鍵と同じ箱にゴチャゴチャに入れられていました」
この経緯について『東村山の闇』でも朝木自身が述べているが、状況説明は『怪死』とは細部においてやや異なっている。
(『東村山の闇』における朝木の説明)
(東村山署から「見つかった」という連絡を受けて)私は、なぜ、それが母の持っていた「鍵束」だとわかったのか、いつどこでみつかったのか、知りたくて質問した。……
「お宅のほうで鍵を探して騒いでいるようだから」
なんという言い方だろう。「鍵の束」を探して事件を究明するのはそちらつまり東村山警察の仕事で、そちらこそが本来、必要なものなのではないか。
『怪死』と『東村山の闇』によれば、東村山署から連絡を受けた朝木が「ヒステリック」に質問した内容とは、「どうして明代の鍵とわかるのか」「いつ、どこでみつかったのか」の2点であるらしい。しかし、なぜその2点を聞くのに「ヒステリック」になる必要があったのかがわからない。私には、警察の側ではなく朝木自身の側にその理由はあったのではないかという気がしないでもない。
さて『東村山の闇』における記載をみると、東村山署は朝木に対して確定的に「明代の鍵が発見された」と伝えたことになっており、東村山署が「確認」を求めたとする記載はない。私の取材では、東村山署は『怪死』で朝木自身の言葉として記載されているように「確認に来てほしい」と伝えたはずである。『怪死』では続いて「午後に確認に行くと」と述べている。
朝木自身が書いているように、「鍵には名前など書いていない」。警察が裏付けもなしに「これは明代のものだ」と断定すると考えるのは無理があろう。東村山署が朝木に「確認してほしい」と申し入れたのは事実なのである。
不自然な対応を隠したかった朝木
ところが『東村山の闇』では『怪死』には入っている「確認してほしい」という発言が消えてなくなっているだけでなく、(「確認」ではなく)「取りにきてほしいというだけだった」ということになっており、さらに「取りにきてほしい」と求めたことを逆に非難している。
「鍵がない」などと騒ぎ、それが「他殺の証拠」と主張するのなら、鍵を確認することは最重要事項のはずである。ところが千葉が準備書面で述べたように、朝木が鍵の確認に行ったのは、東村山署から連絡を受けてから3日もあとのことだった。「他殺」を主張する遺族がただちに確認に行かなかったことはきわめて不可解であり、不自然である。
しかし東村山署が「鍵が明代のものであるか確認してほしい」と申し入れたのではなく、たんに取りに来るように伝えたのだとすれば、緊急性の度合いは弱まろう。朝木は『東村山の闇』で東村山署から連絡があった日付は記載しているが、確認に出向いた日付は記載していない。これも確認に出向いたのが3日も後だったことを隠すためだろう。その上で、鍵の発見から連絡に至る東村山署の一連の対応を非難することで、自分がすぐに確認に行かなかった不自然さから読者の目をそらせようとしているようにみえる。
ではなぜ朝木はすぐに確認に行かなかったのだろう。その理由は3日後に確認に行った際、矢野だけでなく弁護士が付き添うという態勢をとったことに現れているように思える。通常、弁護士が警察に行くのは取り調べや捜査に対する抗議のためであることが多い。すると朝木の場合、鍵を確認するだけのために弁護士を必要とするとはどういうことなのか。
理由は定かでないが、朝木は東村山署に出向いた際に事情聴取されることを予測したということではあるまいか。当時東村山署内では、「朝木は『自分が鍵を隠したと疑われている』と思っていたのではないか」という声も聞かれたという。確かにそれなら、警察に出向いたのが連絡から3日もあとだった理由も、弁護士を付き添わせた理由も理解できよう。
本連載第18回で検討したように、明代が事務所にバッグを置いたのは平成7年9月1日午後9時19分に自宅から電話して以降であり、その時点で鍵はまだバッグの中にあった可能性が高い。ところが翌9月2日早朝、矢野と朝木は遺留品が返還される以前に「鍵がない」ことを知っていた。彼らはなぜその時点で、鍵がなくなったことを知り得たのだろう。なんらかの事情を知っていたからとみるのが自然である。
(つづく)
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第18回 |
矢野が明代のバッグを覗いた時間帯
矢野の説明によれば、平成7年9月1日午後9時10分ごろ、事務所に戻ってきた矢野は、電気はつけっ放しだったものの「明代はすぐに帰ってくるだろう」と思ったが、なぜか事務所に置いてあった明代のバッグの中を覗いた。この矢野の行為は常識ではあり得ず、バッグの中を覗く必要(必然性)があったとも考えられない。したがって、この間の矢野の説明にはどこかに嘘があると考えるべきだろう。「時間帯を含む状況説明」と「バッグを覗いた行為」のどちらかが嘘だということである。
他人のバッグの中を無断で覗くなど通常はあってはならないし、そのような行為を第三者に公表することは恥ずかしいことである。すると矢野が、恥ずべき行為を公表したということは、矢野が明代のバッグの中を覗いたというのは事実で、バッグの中を覗いた時間と状況が事実と異なるという結論になろうか。
矢野の異常な行為も、状況が異なれば、少なくとも必要性が生じてくることもあり得よう。矢野が明代のバッグの中を覗く必要性とはどんな場合に考えられるだろうか。万引き容疑で東京地検から呼び出しを受けていた平成7年9月1日の明代の状況を考えると、やはり明代の身に何か異状が発生したケース以外には考えられない。
当初「事務所からの拉致説」を主張していた矢野は、「事務所から拉致された」状況をより事実と思わせることに神経を集中し過ぎたために、その時点では異状を感じていなかったにもかかわらず明代のバッグを覗くという異常な行為に及んだという矛盾を生じさせるというミスを犯したとみられる。
では、矢野が明代のバッグを覗いた時間帯はいつだとみるべきか。千葉は「鍵は矢野が隠した可能性が高いと判断した理由」の中で、矢野が明代のバッグを覗いた時間帯について言及している。千葉の推理を紹介しよう。
2 被告矢野が明代のバッグを調べたのは亡明代が事務所から出た後である
被告直子が亡明代の異変に最初に気付いたのは平成7年9月1日午後10時頃であり、それ以前の午後9時過ぎに、亡明代の異変に気付いていないはずの被告矢野が、他人である亡明代のバッグの中身、さらに財布の中まで調べるということは一般的にありえない。
外出の際に常に持ち歩くバッグの中に高知に行くための普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。そのバッグを無人の事務所に放置することはあり得ず、午後7時15分から20分頃バッグを持って自宅に行った亡明代は、自宅から事務所にバッグを持ち帰ったことが窺える。
そして、亡明代が出た後の事務所にいたのは被告矢野1人であったことに照らし、被告矢野が、亡明代が事務所を出た後で明代のバッグを調べ、入っていた鍵を持ち出して自殺現場に置いたとみるのが自然である。
あらためて自殺当夜の明代の目撃情報を整理すると、以下のとおりである。
午後7時15分から20分頃 バッグを持って事務所方面から自宅方面に向かって歩いている(=乙骨正生著『怪死』)。
午後8時30分頃 自宅方面から事務所方面に向かって歩いている(同)。
9時10分頃 東村山駅方面から事務所(自宅)方面に向かって歩いている。
同時刻頃 矢野が事務所に帰ってくる。事務所にはカギがかかっている(矢野による)。
9時13分 明代が自宅から事務所に電話。矢野は出られなかった。
9時19分 明代が再度自宅から事務所に電話。「気分が悪いので休んでいきます」。
事務所を出たままだった可能性
このほかに自殺した当夜、東村山駅付近で明代と会い、会話を交わしたという情報が東村山署に寄せられている。その人物は明代から「話したいことがあるから事務所に来て」と誘われたが、事務所に行くことを拒絶した。
その時間帯は確定できないものの、上記の明代の動きから、可能性として考えられるのは9時10分頃に、東村山駅方面から事務所(自宅)方面に向かって歩いているのを目撃される直前である。つまり、8時30分に自宅方面から事務所方面に向かって歩いているのを目撃された明代は事務所には立ち寄らないまま東村山駅方面に向かった可能性が高いということになる。9時10分に目撃された明代はその直後には矢野と会っていないのだから、やはり事務所を素通りして自宅に帰った可能性が高い。
こう見てくると、午後7時15分から20分頃、バッグを持って事務所方面から自宅方面に向かって歩いているのを目撃された明代が、矢野が9時10分ごろに事務所に帰るまでの間に、事務所にバッグを置く時間とその必然性を見出すのは難しいのではあるまいか。午後7時15分から20分頃に目撃された明代は事務所にカギをかけて出たはずで、明代はその際、鍵束をバッグに入れていたことになろう。
すると、午後7時15分から20分頃に目撃された明代は事務所にカギをかけて出たまま、9時10分に矢野が事務所に戻ってくるまでに事務所には立ち寄っていないとすれば、事務所に帰ってきた矢野が明代のバッグを覗くことは不可能という結論になる。やはり千葉が準備書面で主張するように、矢野が明代のバッグを覗いたのは矢野が事務所に戻った直後ではなく、しばらくして明代が事務所にやってきて、出て行った直後ということになるのではあるまいか。
何かがあったのだろう。何かがなければ、他人のバッグの中だけでなく、財布の中身まで数えるようなことは普通はしない。もちろんその時点で鍵束も明代のバッグの中にあったとみるのが自然である。
(つづく)
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第17回 |
あり得ないストーリー
明代の自殺現場に鍵を隠したのが矢野である可能性が高いことについて千葉は、自殺当夜の明代の行動からまず説明している。準備書面における千葉の主張をみよう。
(準備書面における千葉の主張)
1 亡明代は転落直前に事務所に立ち寄った可能性が高い
⑴ 自殺現場から……事務所まで直線で約130メートル、事務所から亡明代の自宅までは直線で約300メートル、自殺現場から亡明代の自宅までは直線で約430メートルの距離にあり、事務所は亡明代の自宅から自殺現場に向かう途中にある。被告矢野が公表した「亡明代が事務所から誘い出されて拉致され、自宅に監禁された後に事務所近くのビルに運び込まれ突き落とされて殺された」とするストーリーは、上記の亡明代の自宅、事務所、自殺現場の位置関係からありえない。
矢野と朝木の「他殺説」の基本ストーリーは「拉致」である。当初矢野は「事務所から誘い出されて拉致された」と主張しており、「事務所の電気、クーラーがつけっ放し、ワープロも書きかけのままで、カギがかかっていたから、ちょっとそこまで出たという感じだった。事務所内にはバッグもあり、中には財布まで残されていた」などと矢野は説明していた。ただその時点で矢野は、明代はすぐに帰ってくるだろうと思っていたという。
矢野は明代の自殺後、事務所からの拉致説を喧伝するが、平成11年11月15日、矢野は東京地裁における尋問で、(なぜかはわからないが、矢野にしてはめずらしく)あっさり「事務所からの拉致説」を撤回する(『聖教新聞』事件)。その模様をあらためて確認しておこう。
(「拉致説」に関する矢野の供述)
(東京都代理人は矢野が知人に話した拉致のストーリーをまず示す)
東京都代理人 東村山の駅まで、だから駅にだれか来てですね、交番がすぐにあるんですが、交番の側にはボックスがあって、そこから電話をかけてきて、どう行けばいいかって聞かれてるでしょう。そうする。じゃあ待ってて、迎えに行ってあげるからという調子でですね、全部を置いて鍵だけかけて迎えに行って帰ってくると2分、その状況で消えているんですと。
矢野 イメージは。
代理人 イメージはということで、これがあなたの拉致殺人説の基本的な筋なんじゃないんですか?
矢野 ……それは時間の経過というか、時間の経過がどのくらいの関係だったかと、それを例示してイメージでお話ししただけであって、別に殺害事件のストーリーをそこでシナリオを言っているわけでは全然ありませんから、……
代理人 違うんですか? それではあなたが思っている本件が殺人であるというような状況というのは、1つは自宅に監禁されていたと、そこから電話をしたんだとそういうことですね。それも違うの?
矢野 私は監禁されたとまでは公表しておりませんが、……。
代理人 そうですか。
矢野 はい。そこから拉致された、どこへ行ったという話はどこも出ておりませんよ。
ここで矢野は事務所からの拉致説のみならず、自宅からの拉致説もいったん否定しているように聞こえる。しかしその後、矢野と朝木は明確に「自宅から拉致された」と主張するようになる。その根拠はいまだに示されていないが、むしろ朝木は同じ尋問において「自宅からの拉致説」を否定する供述をしている。その供述を確認しておこう。
(自殺当夜の自宅に関する朝木の供述)
東京都代理人 あなたが自宅に……帰ってきたときに、あなたの自宅、あるいはお母さんの部屋を当然捜しますよね。
朝木 はい。
代理人 それを見たときに、監禁されたとか、何か、人が入ってきたような形跡はありましたか。
朝木 私はそのとき、そういうところまで考えておれば。
代理人 いや、一見してです。
朝木 ですから、今から申し上げます。どちらとも言えません。そういうお答えでしたら、そういうふうに気をつけて、たとえばガラスが割れたりとか、そういうことはありませんでしたが、……
代理人 例えば土足。
朝木 土足についても、うちはそんなに、きれいにしているわけではありませんから、ですから、そういうことも含めて、泥がいっぱい点いていたとか、ガラスが割れていたとか、そういうことはありません。
代理人 そういう、目に見えるようなあれはなかったというふうに伺っていいですか?
朝木 はい。
自宅に異状はなかったと供述しているにもかかわらず、朝木は何を根拠に「明代は自宅から拉致された」と主張しているのだろうか。その根拠はいまだ明確には示されていない。矢野が「事務所からの拉致説」を否定した以上、「他殺」を主張するにはどこかで拉致されなければならない。事務所以外の拉致の場所は自宅以外にはなかったということだろうか。どこまで母親の死を弄ぶのだろうか。
「事務所内の状況」に多くの矛盾
いずれにしても矢野が「事務所からの拉致説」を撤回したことは事実である。しかし疑問なのは、矢野が「明代は事務所から拉致された」と考えたのは、「事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっ放しで、バッグも置いたまま」という事務所内の状況がその判断の直接の根拠だったはずである。
しかし、矢野は「事務所からの拉致説」を撤回したにもかかわらず、その判断の根拠だった「(矢野のいう)事務所内の状況」だけが、なんらの釈明もなされないまま今も当時の状態で生き残っているというのはいかにも不可解である。矢野自ら「事務所からの拉致説」を撤回した以上、その根拠として矢野が説明していた「事務所内の状況」もとうてい信用できないとみられてもやむを得まい。
矢野のいう「事務所内の状況」を矢野以外に確認した者は誰もいない。むしろ、「すぐに帰ってくるだろう」と思っていたにもかかわらず、のちにその状況に基づいて「事務所からの拉致説」を吹聴したこと、また特に異状を感じなかった矢野がその時点で明代のバッグの中と、バッグに入っていた財布の中身まで覗いたという異常な行為に及んだという矛盾からは、矢野が説明した「事務所内の状況」は矢野が意図的に作出したものにすぎないのではないかという疑いも相当の説得力を持とう。
「事務所から拉致された」ことにしようとしていた矢野は、明代が意図せずに連れ去られたというデマを印象付けることに気を取られ、特に異状を感じなかったにもかかわらず他人のバッグの中を覗くという行為の異常性にまで思いが至らなかったのだろう。矢野が帰ってきた際、事務所の電気はすべて消えており、明代のバッグはその時点ではまだなかったというのが事実なのではあるまいか。
(つづく)
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| 朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第16回 |
東村山署と千葉の認識
明代の鍵が現場捜索後に発見されたことについて、答弁書で矢野は、
〈単に落ちていたのではなく、「カゴに入った使用済みのおしぼりの間に」「何者か」によって、「入れられていた」のである。〉
と、鍵が明代以外の第三者によって意図的に隠されたものであることを認めている。当然、ここで矢野がいう「第三者」とは矢野以外の第三者であることが前提である。この点についても千葉は平成23年9月6日に提出した準備書面で反論している。
反論に際して千葉はまず(千葉個人の見解ではない)当時の東村山署の認識を次のように述べている。
(「明代の鍵」についての東村山署の認識) 記者からの鍵に関する質問に対しては原告が対応し、鍵の捜査結果に基づいて、「何者が何の目的で置いたかは解明できていない。何者かによる捜査攪乱が目的とみている」と発表したとおり、当時の警察及び原告は、捜査攪乱を目的とする者は自殺を他殺と強調しなければならない立場にある者、つまり、被告矢野であると推測したが、確たる証拠もなかったことから、発表の際には、何者かについては言及しなかった。
東村山署と千葉が鍵を現場に置いたのが「犯人」とは考えなかったのは、まず明代の遺体の状況および現場の状況から第三者が関与した殺人事件とは判断しておらず、鍵が発見されたのが現場の捜索後だったことがその理由である。殺人事件でない自殺に犯人は存在せず、したがって鍵を置いたのが犯人であることはあり得ない。現場の捜索後に発見された鍵が、明代が隠したものである可能性もない。
前日の9月1日夜、明代が鍵を所持していた事実は動かない。その鍵が、明代が自殺を遂げ、警察による捜索終了後以降に現場ビル2階に存在したという事実は、明代以外の何者かが関与しなければ起こり得ない。
鍵を置いたのは、明代の鍵を入手できる機会と、あえて現場にその鍵を置く動機を持つ人物である。「犯人」が存在しない以上、鍵の移動に「犯人」が関与した可能性はないし、存在しない「犯人」に鍵を置くいかなる目的もあり得ない。すると、鍵を入手する機会と現場に鍵を置く動機を持つ人物は、それまでの明代を取り巻く状況を考えると矢野(あるいは朝木)以外には考えられない。
「他殺」にする必要があった矢野
自殺を遂げる直前の明代の状況とは、平成7年6月19日に犯した万引きによって書類送検され、4日後に東京地検による取り調べが迫っていたことに尽きよう。明代とともにアリバイと冤罪を主張していた矢野にも呼び出しがきていた。
明代はマスコミに向かって闘うポーズを見せていたから、その明代が自殺したということになれば、世間は「やはり万引きは事実だったのか」とみるのは明らかだった。明代とアリバイ工作を共謀し、万引き被害者に被害届を撤回させようと脅していた矢野とすれば、明代は自殺ではなく「殺された」のでなければならなかった。これが、千葉が準備書面で述べている「自殺を他殺と強調しなければならない立場にある者」の意味である。
明代の死が「自殺」と認識されることは明代の万引きもまた事実だったと認識されるだけではすまない。議席譲渡という脱法的手段によって市議の椅子を手に入れた矢野もまた、万引きという犯罪の隠蔽に関わった上、市民を騙した人物であると認識されよう。明代の長女、朝木直子は万引き市議の娘である。議席譲渡事件とはやはりそれなりの者たちによって引き起こされたものだったのだと市民は理解するだろう。
矢野と朝木がそうなることを恐れたとしてもなんら不思議はない。現場の状況はどうみても「自殺」だった。しかし通常の歩行経路ではない場所から明代の持ち物が発見されれば、少なくとも「不自然な出来事」とはなり得る。またそれを「自殺を否定するもの」と騒ごうと思えば騒ぐこともできよう。実際になぜか矢野と朝木は警察から遺留品を返還される以前に明代が鍵を持っていないことを知っていて、「鍵がない(だから他殺だ)」と騒いだのである。
本件で千葉が問題とした記載は、「千葉が殺人事件の証拠(=鍵発見に関わる事実)を隠蔽した」というものである。明代の転落死事件が殺人事件ではない上に、鍵が現場捜索後に発見された事実は平成7年の時点ですでに公表しているから、上記記載は明らかに事実に反しよう。
その上で千葉は準備書面において、鍵発見の事実が事件性に関わるかどうかではなく、まったく別の事実を物語っていることについて主張している。すなわち東村山署と千葉が平成7年の時点で考えていた事実、「鍵を置いたのは矢野ではないか」という疑いについてである。千葉はこの主張について、「千葉が殺人事件の証拠を隠匿した」とする矢野の主張に反論する上で必要不可欠であると考えたのだろう。
千葉はまず「鍵に関する認識」として次のように述べる。
(鍵に関する千葉の認識)
被告矢野は右翼を利用して謀殺説を喧伝し、それまで謀殺の有力証拠と位置づけていなかった鍵束に関し、本件記事において「謀殺の唯一の物証である」と主張した。そして、答弁書において被告矢野は、捜査結果に対して悉く否定していたにもかかわらず、鍵束を置いた人物を特定しなかった捜査結果については肯定するという異様な反応を示した。そこで原告は、再度、被告矢野が説明する事務所内の様子と鍵束に関連する主張を分析・検討した。その結果、被告矢野が事務所にあった鍵を自殺現場に置いた可能性が高いと判断した。
千葉は続いてその理由について詳細に述べている。次回以降で紹介していこうと思う。
(つづく)
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