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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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りんごっこ保育園問題とは何か 第1回
 東村山市議矢野穂積と朝木直子が「運営委員」を務め、矢野と同居する高野博子が施設長として運営している認可保育園、りんごっこ保育園で異常事態が発生していることが3月5日、東村山市議会本会議における佐藤真和市議の質疑を通して明らかになった。同園には10名の保育士が勤務していたが、平成20年1月31日付で3名の保育士と1人の栄養士が退職。それをきっかけに保護者の間に動揺が広がり、転園希望者が相次いでいるというのである。 

 矢野が隠然と差配しているこの保育園でいったい何が起きているのか。保育士なら担当している園児の進級や卒園を見届けたいと思うのが普通で、年度末を目前にしながら3名の保育士が同時期に退職すること自体、どうみても不自然である。

 保育士の同時退職は、保護者の動揺を含む園内事情の深刻さをうかがわせるというのみならず、りんごっこ保育園を管轄する東京都と東村山市にとっても看過できない事態となった。認可基準によれば、定員77名の同保育園では最低10名の保育士を配置しなければならない。すると、2月1日の時点で、同保育園は認可基準を下回っているということになる。

 佐藤市議の質疑に対する保健福祉部長の答弁によれば、複数職員の同時退職を認知した東村山市保健福祉部は2月13日、同保育園を訪問して保育士が不足している事実を確認し、認可権者である東京都と協議の上、認可基準を下回った職員数を速やかに補充するよう文書による改善指導を2月18日付で行ったという。保育士の数が基準を下回れば当然、1人の保育士の目が行き届かなくなり、たとえば誤飲など事故の起きる可能性が高まることになる。改善指導は当然の措置である。

 保健福祉部が事実を確認したとすれば、通常の保育園なら素直に指導に従い、速やかに改善計画を提出するところである。だが、高野の対応はそうではなかった。高野は「2月1日の時点ですでに保育士は補充している」などと主張して、改善指導を受けること自体を拒否する旨回答したのである。

 佐藤市議が東村山市議会本会議の一般質問でこの問題を取り上げた際には、同保育園の運営委員である矢野は「指導自体が間違っている」などと反論。さらに矢野は3月14、17日の予算特別委員会においては、乳児が6人以上の場合には看護師1名を保育士1名とみなすなどとする議論を繰り返した。すなわちりんごっこ保育園でも看護師1名が保育士1名とみなされるという主張だが、保健福祉部の認識ではそれでも2名足りない計算になる。3月17日現在、保健福祉部と東京都の「保育士の数が認可基準を下回っている」という認識に変わりはない。

 仮に同園において保育士の数が認可基準を下回っており、その状態の下でなんらかの事故が発生した場合には東京都も管理責任を問われよう。保育士の数が認可基準を下回っているかどうかの再確認を含め、東京都と東村山市保健福祉部が早急な対応を迫られていることは間違いない。

 ところで、矢野は今回の改善指導をめぐり保健福祉部を執拗に追及したが、同園において保育士が足りているかどうかは、法令解釈や認識の問題という以前に園児の安全を確保できる状態にあるかどうかの問題である(もちろん、資格のない者を有資格者と偽るなどは論外)。少なくとも矢野は議会で、職員の同時退職の事情やその後の園児、保護者に対するケアに関して言及しなかった。

 改善指導を受けたことで、なぜ矢野はこれほど保健福祉部を追及する必要があるのか。そもそも議会で取り上げるような性質の問題なのかという根本的な疑問もある。認可保育園として園児の安全を確保することは当然の責務であり、万が一保健福祉部の指摘に誤りがあったとしても、園児の安全が確保されており、保護者からも信頼されているのならそれでいいのではないか。それが保育を委託する行政側と認可保育園の信頼関係というもので、なにも連日、運営委員の矢野が議会の場で担当者を追及する必要はあるまい。この間の行政に対する矢野の姿勢は、平成18年11月に発生した食中毒騒動で医師に症状を説明した保護者を追及したケースを思い起こさせる。

 今回の佐藤市議の質疑から浮き彫りになったのは、りんごっこ保育園が実際に認可基準を下回っているのかどうかという法令上の問題とは別に、矢野と同居する高野博子が園長を務めるこの個人立保育園では保護者や行政、さらには保育士との相互的な信頼関係が軽視されているようにみえることである。たとえば、保育園には苦情受け付け窓口として第三者機関の設置が義務づけられている。ところが同園の苦情受け付け窓口は「中田国際法律事務所」となっているという。この法律事務所は、矢野が朝木明代の万引き事件の被害者を追い詰めた時代からの顧問弁護士である。この法律事務所に苦情を持ち込んだ場合、保護者の情報が矢野、高野に瞬時に流れないと考えるのは無理があろう。

 しかし、このような事態は認可申請の動きが始まった5年前からすでにある程度は予測されたことでもあった。そこであらためて、りんごっこ保育園の認可申請までの経緯を振り返ってみたい。                                  (宇留嶋瑞郎)

(第2回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第2回
提出資料と矛盾する高野園長の主張

 前回の末尾でりんごっこ保育園の認可申請までの経緯を振り返ってみたいと書いたが、その矢先、今回の改善指導に関する新たな事実が判明したので、本連載第2回も引き続き、保健福祉部および東京都が「保育士の人数が認可基準を下回っている」と指摘している問題について報告することにする。

 改めて事実関係を整理すると、まず平成20年1月31日付で、保育士3名と栄養士1名が退職。認可基準によれば、定員77名のりんごっこ保育園に必要な最低保育士数は10名だから、単純計算すると、この時点で3名分認可基準を下回ったことになる。

高野が提出していた「職員の構成」

 保育士3名が退職した事実を認知した東村山市保健福祉部は、事実を確認するために2月13日に同保育園を訪問したが、それに先立って2月8日、高野から保健福祉部に対して2月1日現在の「職員の構成」と題する文書が送付されている。保育士の数が認可基準を下回ったのではないかと不安を感じた保健福祉部が高野にまず電話で実態を報告するよう要請したのだろう。高野が提出した「職員の構成」によれば、2月1日現在の職員構成は以下のとおりだった。

1施設長・高野博子 2主任保育士(育児休暇中)3~10保育士 11~12保育補助(20年2月1日付採用) 13看護師(20年2月1日付採用) 14看護師 15管理栄養士(20年2月1日付採用) 16栄養士 17調理師(※番号は職員全体の数を表す。番号の隣は「職名」と記載されており、「資格」の有無とは記載されていないことに注意)

 このうち施設長の高野と育児休暇中の主任保育士は保育士の数にはカウントされないから、今回カウントの対象になるのは3~10の(職名)保育士である。すると、この「職員の構成」からみる限り、りんごっこ保育園は2月1日の時点で(職名)保育士は8名しかおらず、認可基準を2名下回っていることが明らかだった(仮に矢野が主張するように、看護師1名を保育士1名とカウントしたとしてもまだ1名、認可基準を下回っている)。

 そこで保健福祉部はこの事実を根拠に2月13日、同保育園を訪問して事実確認を行い、東京都と協議の上、2月18日付で「りんごっこ保育園職員等の改善について(通知)」と題する指導文書を送付した。文書には「2 改善を要する事項」として次のように記載されている。

〈児童福祉施設最低基準第33条第2項及び保育所設置認可等事務取扱要綱の規定のとおり、保育士資格を有する職員を現在より3名以上配置し、園全体で10名以上の保育士有資格者を確保すること。〉

 高野が提出した(職名)保育士から逆算した不足数と保健福祉部が指摘した不足数には1名分の食い違いがあることに読者も気がつこう。これはどういうことなのか。推測の域を出ないが、考えられるのは、高野が「職員の構成」を提出した2月8日から保健福祉部が訪問した2月13日の間に保育士がさらに1名退職していたか、あるいは「職員の構成」にある(職名)保育士のうち1名が保育士資格を有する者ではなかった、ということぐらいだろうか(ただ、3月5日の保健福祉部長の答弁の中には、1月31日に3名の保育士が退職して以降、退職した保育士がいたという話はいっさい出ていないが)。

「職員の構成」と矛盾する高野の反論

 保健福祉部が改善指導を行ったことに対して2月20日、高野は2月18日付の「事務連絡(常勤職員等について)」と題するファックスを送付した。文書の日付が「2月18日付」となっているにもかかわらず、なぜ送付したのが2月20日だったのかはよくわからない。

〈本年2月1日付けをもちまして、下記の者を採用し、同日付で当園の常勤職員として発令いたしておりますので、取り急ぎ御通知いたします。なお、2月18日付け貴殿名義の文書については、国の通知にも反する認識が前提となっており、適法なものとしてお受けいたしかねます。したがって、遺憾ながら返上させていただきますので、念のため、併せてお伝えいたします。〉

「事務連絡(常勤職員等について)」にはこう記載されており、下に「2月1日付で採用した」と称する2名の保育士の氏名があった。高野の文書にある「国の通知にも反する認識」とは、のちに矢野が議会で取り上げた「看護師1名を保育士1名とみなす」とする国通知のことであるらしい。すると高野の主張は2月1日付で2名の保育士を採用し、看護師1名を保育士とみなせば、退職した3名の保育士の穴は埋められているという趣旨なのだろうか。

 ここで前掲2月8日に高野が保健福祉部に送付した「職員の構成」を改めて確認していただきたい。「職員の構成」によれば、2月1日付で採用したのは保育補助2名と看護師1名、管理栄養士1名で、(職名)保育士の中には同日付の採用者は存在しないし、「事務連絡(常勤職員等について)」の中に「職員の構成」に記載洩れがあったとの記載もない。いったいどちらが本当なのか。

 それ以上に不可解なのは、「2月1日付で保育士資格を有する保育士を2名採用している」というのなら、2月13日に保健福祉部が訪問した際に高野はそう説明しなかったのだろうかということである。この「事務連絡」なる文書には、2月13日の保健福祉部の訪問時にそう「説明した」という文言はない。保健福祉部が2名採用の事実を確認したとすれば、少なくとも改善指導にあるように「3名」足りないということにはなっていないはずなのである。

 どういうことなのだろう。つまり、これらの事実から推定できるのは、2月18日に保健福祉部から改善指導を出されたことで、高野は急遽指導の前提事実がなかったかのように繕おうとしたということではないかということである。文書の日付と実際にファックスした日付に2日のずれがあるのは、その間に指導を逃れる理屈を探していたということであり、文書の日付が改善指導の日になっているのは、すぐに反論したようにみせかけるためであると推測できよう。18日に作成できていたのなら、その日に送付しない理由はあるまい。しかしそれでもなお、すでに高野が2月8日に提出していた「職員の構成」との矛盾を埋めることはできなかったということだろう。

 保育士(有資格者)の数を確認するというただそれだけのことで、このりんごっこ保育園という認可保育所ではなぜこれほど手間がかかるのか。不思議としかいいようがないが、保健福祉部の改善指導に対する高野の反論が指導を逃れようとするものであるとすれば、すでにこのこと自体、認可保育所としての資質を疑わせるものといえるのではあるまいか。

(第3回へつづく)



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りんごっこ保育園問題とは何か 第3回
水面下で進められた計画

 平成14年末、東村山市野口町で東京都認証保育所を経営している女性施設長(のちに明らかになる高野博子)が、平成15年度に新たに認可保育園を開設すべく土地を確保し、すぐにでも建設着工可能な状況になっているという情報が保育関係者の間に広がった。

 従来、国が認可する認可保育園の運営は自治体や社会福祉法人のみに制限されていた。しかし平成12年、女性の社会進出や共働きの家庭が増えたことなどによる保育需要の急増を背景に、厚生省(当時)は社会福祉法人以外でも認可保育所の設置・運営ができるよう政策変更を行った。それにともなって、東京都も平成13年8月から独自に認証制度を設けて民間の参入を促し、待機児問題解消に力を入れている。東村山市でも平成13年9月、株式会社を運営主体とする認可保育園が開園している。

 だから、社会福祉法人でもない個人が認可保育園を立ち上げようとしていること自体は法的には問題ない。しかし、この話を伝え聞いた保育関係者らは一様に怪訝な思いを抱いた。それまで東村山市保健福祉部は「平成15年度には認可園の定員変更はない」(同年10月)、「15年度の待機児解消は既設園(認証、認可外を含む)の定員緩和(=定員増)で対応したい(11月)と説明、すなわち15年度には新たな認可保育所の開設計画はないとしてきた経緯があったからである。

 認可保育園は国の認可事業ではあるが、東京都の場合には、自治体が認可申請書に意見書を添えて東京都に提出、国基準等に照らし、その内容に問題がなければ東京都は認可を認めるのが通例である。つまり、国の認可保育園といっても、開設地域や時期など地元の保育事情を反映させる必要があるため、実質的な認可判断および保育の実施は各自治体に任されている。

 東村山市ではそれまで、事業者から開設の要望や計画が出された時点で園長会や保育・教育関係者、学識経験者などで構成する児童育成計画推進部会(いわゆる審議会のような位置付け)に諮り、また市議会(厚生委員会)の賛同を得た上で事業化を進めてきた。より多くの意見と民意を反映させ、事業の公開性、公益性を担保するためである。

 認可保育園は80名規模なら8000万円近い補助金が交付される。このような公共性のきわめて高い事業において担当部署の独断専行、密室での事業決定は許されない。平成13年に開設された株式会社立の保育園の場合も、育成部会では開園の1年以上前に事業化要望が報告され、慎重な論議が重ねられたのである。

 ところが今回にかぎっては、着工も間近だというのに、保健福祉部からはなぜか誰も正式な報告を受けていない。そこで平成14年12月6日、数人の市議が漏れ伝わった情報をもとに保健福祉部幹部に非公式に問いただした。すると、情報の内容は事実で、敷地面積約100坪、定員約80名の認可保育園が計画されていることが明らかになった。しかし保健福祉部はそれ以上の説明はせず、12月13日開かれた認可園長会でもその詳細について説明されなかったのである。

 年が明けた平成15年1月7日、現場ではすでに杭打ちを終え、計画が着々と進行していることをうかがわせた。1月17日に開催された育成部会では当然、この問題が議論の中心になった。冒頭、保健福祉部長は、「待機児解消のために新しく2園の認可保育園の計画を進めていること、1カ所については平成15年4月か6月の開園を目指している」としたものの、「計画がまだ固まっておらず、詳細についてはお話しできない。まだ建築は始まっていない」と説明した。

 早ければ3カ月後には開園を目指しているというのに「まだ計画が固まっていない」ということがあり得るのか。開園までには都による検査や園児募集もしなければならず、逆算すればこれから建築工事を始めても遅いぐらいである。実際に、予定地の状況はいつ建築工事が始まってもおかしくない状況にあった。

 普通はまず土地があって、建物の規模を決め、建築面積などから定員を算出し、さらに補助金の予算化が確実な状況になっていなければ工事には入らないのではないかとみられた。個人が建てる以上、市の予算とは直接関係がないのかもしれないが、保育園をやろうとしているのなら補助金を計算に入れていないということは考えられなかった。つまり、工事が始まろうとしているということは、事業者と保健福祉部との間で計画を含めたなんらかの合意がなされているということではなかったのか。

 問い詰められた保健福祉部は1月17日の育成部会が閉会に近づいたころ、ついにその認可保育園の場所と敷地約100坪で定員81名を予定していることを初めて公表するに至った。この敷地面積と定員は、国の認可基準をぎりぎり超えてはいるものの、園児1人あたりの面積は東村山市内の認可保育園に比較すると2分の1にも満たないというきわめて貧弱なものだった。東村山市内には同じ100坪程度の認可園があるが、定員は30名である。

 これでは、最低基準の範囲内で床面積を1人あたり面積で割ればこういう定員になったというだけで、経営効率優先、とても十分な保育環境の確保を前提に算定された数字とは思われなかった。認可基準は、それを下回ってはいけないというだけで、それで十分というものでは決してないのである。その上、その保育園には園庭もなかった。東村山市の認可保育園に園庭がない保育園は存在しない。それまで常に保育の質の確保を話し合ってきた育成部会にとってはとうてい考えられない代物だった。

 いかに「待機児解消のため」とはいえ、これでは本末転倒になりかねない。東村山市においてこのような貧弱な認可保育園が異例であるのなら、保健福祉部はなおのこと広く専門家の意見を聞き、市民の理解を得ておく必要があろう。にもかかわらず、保健福祉部はこのような認可保育園を事業者側との間で相談したのみで認可しようとしていたのか。保健福祉部はこう答えた。

「隠していたわけではない。計画が固まった段階でお話ししようと考えていた」

「計画が固まったとき」とは予算が議会を通過したときなのか、上物が完成したときなのか。いずれにしても、それならもはや児童育成部会で検討する余地はなく、その時点での諮問は儀式にすぎまい。

 事実、「まだ計画が固まっていない」と保健福祉部長が答弁したわずか3日後の1月20日には本格的な建設工事が始まったのである。

(第4回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第4回
園名の公表を拒否した事業主

 早ければ3カ月もたたないうちに開園を予定しているというのに「まだ計画が固まっていない」ことのほかに、おかしな点はまだあった。平成15年1月17日に開かれた児童育成計画推進部会で保健福祉部は、その認可保育園の名前と事業者名について、「プライバシーに関わる部分がある」としてかたくなに明らかにしようとしなかったのである。

 この園の規模だと補助金は年間8000万円以上にのぼる。国が認可を与える保育園の名前や事業者の名前を出すことがプライバシーに関わるはずがなかろう。またも詰め寄られた保健福祉部が、その保育園の名が「りんごっこ保育園」であること、事業者が高野博子という女性であることをようやく明らかにしたのは、2時間の会議終了わずか10分前のことだった。

 認可基準をぎりぎりクリアしているだけという従来の東村山の認可保育園では考えられない保育環境の貧弱さはともかく、園舎の建築工事が始まろうとしている段階になってもなお事業者名さえ公表できないとはどういうことなのか。すでにこれはたんなる不可解を超えて、なにか事態の異常を意味しているのではないか。

 のちに、ある保育関係者が情報公開請求によって同保育園の申請書類を取り寄せたところ、保健福祉部の対応の不可解さはより鮮明となった。高野は平成14年4月16日に事業要望を提出。市の予算化申請書類にあたる起案書は同年12月3日に起こされ、12月13日には市長の決済印が押されていたのである。4月以降12月までの間に高野と保健福祉部との間で協議が重ねられていなければ、通常の行政手続において年間8000万円の予算がわずか10日で決定されるとは考えにくい。

 すると、保健福祉部はこの計画についてかなり早い段階から承知していたことになるが、なぜか児童育成部会にも議会にも保育関係者にも報告しなかった。というより、逆に「平成15年には認可園の定員変更はない」「15年度の待機児解消は既設園の定員緩和で対応したい」と説明していたのである。この点をどう理解すればいいのか。少なくとも、平成15年1月17日の時点で「計画が固まっていない」とした保健福祉部の説明は起案書の内容と矛盾しよう。「計画が固まっていない」ものに市長が決済印を押すような地方自治体はあり得ない。

 こうした不透明な状況に対して、市民は公明正大な方法で福祉行政を進めるよう求める請願(「待機児童の解消は、保育の質を確保し、多くの関係者の協力が得られる公明正大な方法で行うことを求める請願」)を議会に提出。しかし、この請願を審査した平成15年1月29日の市議会厚生委員会でも保健福祉部は計画の中身を明らかにしようとせず、園名についても「個人を特定する恐れがある」としてなかなか答えようとしなかった。公共事業において特定されてはいけない「個人」とはいったいどういう「個人」なのか。

 この日の午後になって、情報公開を担当する総務課が認可保育園の園名等が個人情報にあたらないとの見解を示したことで保健福祉部はこの保育園が「りんごっこ保育園」であること、事業者が高野博子であることをようやく公表するに至った。つまり、東村山市議会が公式に園名と事業者名を知らされたのはこのときだったのである。わずか2カ月後に開園が迫り、園舎の建築工事はすでに始まっている。当初、この段階においてなお、必要な情報開示をしようとしなかった保健福祉部の対応と、「個人情報」を理由に園名と事業者名の公表を拒んでいた高野に対して議会が深い不信感を持ったのも当然だった。第1回厚生委員会は、高野が保育に対してどういう考え方を持っているのか次回の委員会に招致することを決めて閉会した。

 第2回目の厚生委員会が開催されたのは平成15年2月10日。議会も市民も高野がどんな話をするのか期待したが、冒頭、高野が出席できないといってきていること、その代わりに1通の文書が委員長宛に届いていることが報告された。しかし、委員長は高野が出席しないことを伝えただけで文書の内容については詳細には触れなかった。

 さて、情報公開で入手した平成14年4月の認可申請「要望書」提出時の「出席者」欄には、行政側に保健福祉部次長と課長の名前、事業者側には高野ともう1人、名前が墨塗にされた人物がいたことがわかった。保健福祉部によると、この人物の名前が墨塗りになっているのはプライバシーに触れるからであるという。公共事業に関わる公文書において名前を公開することがなぜプライバシーに触れるのかよくわからないが、墨塗りの本人自身が情報開示を拒んでいるというのだった。

 2月10日行われた、この墨塗りの人物の存在に関する厚生委員会での午前中の質疑をみよう。質疑を行ったのは公明党の鈴木茂雄市議(当時)である。

――4月16日付「要望書」の面会者のうち、墨塗りの人物は誰か?

保健福祉部長  事業には関係ない人の個人情報だからいえない。

――事業に関係ない人間が相談に来るのか?

保健福祉部長  一般の相談についてはそういうこともある。すべての同席がダメだとはなっていない。

――保健福祉部次長は4月以降は来ていないといっているが、前回の委員会で部長は、12月の起案書までの間、相談は継続していたといっているが。

次長  私が関わったのは平成14年2月。(保育所設置の)場所はどこでもいいとはいっていない。2月は、4月に野口町に建てたいといってきたが、野口は無理といった。その後恩田に建てたいといってきたあと、連絡がなかった。11月になって(土地売買の)仮契約ができそうだという話があった。

――相談の中で、現職の市会議員が来たとのことだが、次長は会ったのか。

次長  何度か来た。保育課長を通して来た。

――それは誰ですか?

 しかし保健福祉部は、この段階では「現職の市会議員」の名前を明らかにしなかった。


(第5回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第5回
黒子の正体を現した朝木直子

 保健福祉部との相談に同席していた墨塗りの人物の名前が明らかにされたのは、厚生委員会が午後1時45分に再開された直後である。再開後の質疑をみよう。

保健福祉部次長  (墨塗りになっている)同席者については請願に関連しないので名前は出さないつもりだったが、本人に電話で確認したところ、出してもいいということなので出すことにした。相談に同席したのは朝木直子議員です。

――議員から内容に立ち入る相談はあったか。

次長  設置者(高野)以外とは相談はしていない。

――認可の方向にした基準は?

次長  すでに認証保育所を経営している。

 その後の休憩中の保健福祉部長の説明によると、朝木は保健福祉部と高野との相談の場に3度同席したという。1回だけならまだしも、3度も同席したとはどういうことなのか。部長によれば、話をしたのは高野だというが、それなら朝木が3度も同席する必要はあったのか。認可保育所を経営しようとするような人物なら、当然、市会議員の手を何度も借りなくても所管と必要な話し合いぐらいはできるだろう。それとも何か、通常の認可申請相談とは異質の相談でもあったのか。次長はその疑問に先回りするように、

「議員だからと、特別な便宜をはかることはない」

 と述べた。少なくとも、議会にも保育関係者にも公表しないままに決済したことが「特別な便宜」でないとすれば、この間の経過は東村山市の地方自治体としての主体性のなさ、あるいは市民に対する責任感の希薄さを示しているといえばいいのか。

 ところで、最初は公表を拒否していた朝木はなぜ自分の名前を公表することに同意したのか。当初、「個人情報」をタテにうまく保健福祉部をコントロールしながら水面下で進めてきた認可申請計画がバレて、市民から公明正大な方法で進めることを求める請願が提出されたことをきっかけに、議会でも少なくとも行政手続の方法について強い拒否反応が広がっていることは明らかだった。あらゆる行政手続は透明でなければならない。

 りんごっこ保育園の認可申請計画が、当事者と保健福祉部、市上層部以外の誰にも知らせることなく進められていたことに対しては、今回の請願だけでなく、2月10日付で児童育成計画推進部会長から「緊急要望」が、また保育所保護者連合会会長からは「緊急要望書」がそれぞれ市長宛に提出されていた。誰が見ても、開園を3カ月前に控えた保育園の名前も設置者の名前も公表できないなどあり得ない話で、保育環境を論じる以前に、いっさいの批判を頭から受け付けないというやり方にあらゆる方面から批判の火の手が上がるという状況になっていた。

 仮に今回提出された請願が採択されることになれば、平成15年春にも予定している開園に大きな支障が生じることにもなりかねない。情報公開によって改善や定員減の声が高まれば、開園時期の大幅な遅延や運営計画に狂いが生じる可能性もあろう。それが朝木1人の判断かどうかはわからないものの、朝木はもはや黒子として推移を見守っている状況ではなくなったと考えたようだった。

 しかし、朝木が考えたのは自分の名前を表に出すことだけではなかったらしい。保健福祉部次長が、相談の席にいたのが朝木直子であることを公表した直後のことだった。朝木は自分の名前を公表することに応じただけでなく、厚生委員会の傍聴席に現れたのである。もちろん、朝木はただ委員会を傍聴に来たわけではなかった。朝木は傍聴席に座るやいやなや、質疑に割り込んでこう発言したのである。

「文書を提出しているでしょ。全部読みなさいよ。読めないのは(開園に反対している人たちにとって)都合が悪い部分があるからではないですか?」

 いったい、進め方に異議を唱えている人たちにとってどんな「都合が悪い部分がある」というのか。むしろ、認可保育園という公益事業に関与していたのなら、朝木自身が最初から関与を認めた上で、それまで高野が保育園の名前を明かさず、朝木が相談に同席していたことを隠していたことを含め、この保育園が東村山市民にとっていかに有益な存在になり得るのかを議会や市民に堂々と説明すればよかろう。厚生委員会から呼ばれた高野が出席できないといってきたのならなおさら、朝木が高野に代わって説明すればよかったのではないか。

 本来すべきことをいっさいしようとせず、きわめて当然の疑問を述べているにすぎない市民や議会に対して一方的に「都合が悪い部分があるからではないですか」と逆に非難するとは、とても公益事業の認可申請相談に同席した市会議員の言葉とも思えなかった。私が横から「矢野も相談に来たのか」と聞くと、朝木はただ「うるさい」と怒鳴り返した。

 朝木の乱入によって質疑はいったん中断したが、その後も鈴木市議の質疑は続いた。とりわけ後半には、その後の東村山市議会の重大な意思決定を予感させる質疑があったが、その前に高野が厚生委員会に提出し、朝木が「読み上げろ」とわめいた文書を紹介しておこう。文書の題名は「認可園開設に関する経過等について」(平成15年2月8日付)。厚生委員長と保健福祉部長に宛てたものである。差出人は当然、「高野博子」となっており、高野の印が押されている。しかしもちろん、この文書を実際に高野が書いたという保証はどこにもない。

 裁判所に提出する書類なら、誰が書いたものであろうと署名人の責任であり、署名人の文書と認定されるが、ここは裁判所ではなく議会なのだった。厚生委員会は高野の生の声を聞きたかったのであり、生の声にこそ意味があった。実際に高野博子がいるのなら質問もできよう。しかし書面では、それが高野自身が書いたものかどうかさえわからない上に質問のしようもなく、ヘタをすれば高野の一方的な主張で終わってしまいかねない。厚生委員長が高野が提出した文書を読み上げなかったのは賢明な判断だった。文書は長い前置きから始まっていた。――
 
「2月7日午後、外出して不在中、市議会厚生委員長さんから、再三お電話をいただき、月曜日に行われる厚生委員会に出席してほしい旨の伝言がありました。

 市議会の委員会への正式の出席要請であるのならば、何らかの文書で事前にその趣旨をお知らせ頂けるものと思いますが、金曜日午後に翌週月曜日の件が突然、架電によってなされましても、あまりにも唐突ですし、10日はすでに先約も入っており出席できませんが、ちょうどいい機会ですので、経過及び私どもの考えをお書きした書面を、9日市役所時間外受付にお届けしておきます。ぜひとも、厚生委員会の委員さんだけでなく傍聴者の方々のいらっしゃる席で、この文面全部を読み上げて頂くようお願い致します。なお保健福祉部長さんにも、同じ内容の書面をお届しておきましたので、付け加えておきます。」

――そもそも市議会の委員会が民間人を呼び、見解を求めるということはそうあることではない。今回の場合、議会だけでなく保育関係者、市民から強い疑問が提出されるという重大なケースである。公益事業を行おうとする者が、本当に市民の疑問を解消しようとする気持ちがあるのなら、高野は自ら都合のいい日を指定することもできたはずである。ところが、厚生委員長から伝言があっても、高野が厚生委員長に電話をかけたことをうかがわせる記載はない。つまり、そもそも高野には最初から厚生委員会に出席する意思などなかったのではあるまいか。保健福祉部長にも同じ書面を届けたのは、その内容を保健福祉部長に読ませる意図があったのだと思われた。

(第6回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第6回
保健福祉部長にも直接送りつけた事情
 
 では、高野博子が平成15年2月8日付で東村山市役所の時間外受付に置いていった「認可園開設に関する経過等について」の本文を紹介しよう。――

1  私どもは、認証保育所の保護者のみなさんから、3才児以上もお願いしたいとの強い要望が寄せられたため、昨年2月から認可園開設に取り組みました。しかし昨年4月に紹介のあった当初予定の土地買収交渉が難航し結局10月末に至って断念するという事態となったため、当初の事業計画も基本設計も全て白紙となりました。その後、新たに事業予定地の紹介を受け、昨年11月26日にようやく売買契約を結ぶことができました。

2  その後、本年4月1日に開園するという当初の目標を実現するために、遅れを取り戻すべく、土地売買契約の11月26日から12月11日まで、市担当者及び東京都担当者と、保育内容、設計図面について、集中的に協議を重ねた結果、12月11日に認可権限をもつ東京都の担当者から「建物設計図面」の了解を得ることができ、「図面はこれでよろしい。認可申請書類を2月には提出してください」と伝えられました。

3  個人立の私どもは、全額公費負担の公立、半額公費負担の法人立とは異なり、施設整備には全く公費の助成措置のない中で、土地を購入し建物を建てていかなければなりません。もちろん、準備資金や融資の制約の中での建設となります。従って、東京都や市担当者の御助言を参考に、狭い敷地を有効活用し、開園後の保育内容を前提として工夫を重ね、導線を考えながら、建物にはなるべく間仕切りを設けず、2階は多目的ホール兼用とし、園児がトイレトレーニングを喜んでできるよう「ぽっぽトイレ」としたほか、すぐそばにある2000平米以上もある大岱(おんた)公園を屋外遊戯場代替施設として活用すること、また調理室には電解水生成装置を設置し、生野菜の殺菌も可能など最先端の衛生管理システムを導入し、保護者・園児には歓迎される内容となっていることなど、敷地の狭さを質的に克服する設計内容となったのは、市担当者のご努力、東京都担当者のご協力の賜物と思っております。

4  その後、官公署、近隣を含めて必要な手続きをとり、1月16日から着工致しました。すでに重量鉄骨の組み立てがおわり、今月2月中には概ね完成する予定となっており、また、12月の東京都の指示に従って、市を通して認可申請もすでに行っております。

5  加えて、今月に入ってから、園児保護者らを中心に、市長さん宛の「認可園の4月1日開設を求める陳情」の署名活動が始められ、約1週間の途中経過ですが、1000名を超える賛同の署名が集まっております。待機児解消を願う保護者のみなさんの切実な想いを強く感じさせられております。

6  ここで、すこし認可保育園を開設する考え方について、お話しさせて頂きますと、設置者の私はこれまで20年以上、保育者として勤務して参りましたが、この中には児童福祉施設の乳児院(24時間保育)で勤務した5年間の経験があります。

 家庭での保護者の愛情をうけることのできない乳児院の子供達とのふれあいを通して、子供達の人格が形づくられる上からも、乳幼児期の子育てがいかに大切であるかということを実感してきました。

 このような体験から、ひとり一人の園児が、心ゆたかに、そしてしっかりとした人格をつくっていけるよう、保護者の皆さんと手を携えて、愛情たっぷりの「家庭のぬくもりのある雰囲気」の保育園を開設したい、こういう考えに立って、どの認可園にも負けない園児本位の認可保育園を、目標通り、本年4月1日に開園したいと考えております。

7  ところが、理解に苦しむところですが、認可権限者の東京都の指示を受けて開園の準備が本格化した今年に入って、事業へのさまざまな妨害や嫌がらせが起きています。

 まず、建築確認の所管である多摩東部建築指導事務所から「同業者の土屋という人物が建設反対だといってきた。係長が対応したが、近隣対策には問題はないか」と伝えられました。これに対して、私どもは「昨年末から近隣を一軒一軒まわって説明し了解を得ております」とお答えしたところ、「それなら問題ない。同業者は関係ない。」とのお話しをいただきました。

 その後、2月1日、一戸一戸丁寧に近隣に対しご説明した施工業者の営業担当者に匿名で「工事をまだやっているのか」という嫌がらせ電話が架かり、直後に匿名の怪文書ファックスが送りつけられたほか、現在でも、施工業者などのところに無言の嫌がらせ電話がかけられております。問題のファックスは市保育課にもお渡ししております。

 このような陰湿で、卑劣な方法で、私どもの事業を妨害し、嫌がらせするような方々に、果たして保育を語る資格はあるのでしょうか?

 いかに個人立とはいえ、基準を満たさなければ、認可されることはありませんし、認可権限者の東京都や窓口の市と協議し、了解を得なければ準備は進みません。

 東京都の了解と指示に従って開設準備を進めている側に、このような姑息な嫌がらせをするようなことはただちにやめて、仮に、私どもの開設する認可園が評価に値しないというお立場であるならば、ご自分達自身で、さらに立派な認可園開設の努力を進められるべきではないでしょうか。多くの待機児が予想され、認可保育園4月1日開園を待ち望んでいる多くの保護者の方々の期待を裏切るべきではないと思います。

 かいつまんで、お話し申し上げましたが、不足の点につきましては。直接の窓口となっている市側担当者の方々が、詳細をご承知ですので、ご説明いただけるものと思いますので、よろしくお願いいたします。――

 この高野が書いたとされる「報告書」の記載事実がどこまで事実なのか。その点については追って確認していきたいと思うが、高野と朝木が「この文書を全文読め」と主張した目的は何だったのか。その目的とは、高野のいう「事実経過」を厚生委員たちに報告することだけではなく、この水面下で進められた認可申請計画が高野1人でやってきたことではないことを強調するためではなかったか。文書にはことあるごとに、

「市担当者及び東京都担当者と、保育内容、設計図面について、集中的に協議を重ねた結果」

「東京都の担当者から『建物設計図面』の了解を得ることができ」

「市担当者のご努力、東京都担当者のご協力の賜物」

「東京都の指示に従って、市を通して」

「認可申請認可権限者の東京都や窓口の市と協議し、了解を得なければ準備は進みません」

「東京都の了解と指示に従って」

「直接の窓口となっている市側担当者の方々が、詳細をご承知です」

 という文言が配置されている。これらの文言は一見すると、「自分はこれまで所管の指示に素直に従ってやってきた」というふうにも読めるが、一方で、この認可申請計画には東京都福祉保健局と東村山市保健福祉部が深く関与していることを婉曲に主張するものでもあろう。言い換えれば、議会にも保育関係者も秘密裏に進められてきたこの計画が不適切な行政執行として仮に停止という事態になれば、その責任は東京都と東村山市にあるという趣旨である。とりわけ結びの、

「不足の点につきましては。直接の窓口となっている市側担当者の方々が、詳細をご承知ですので、ご説明いただけるものと思います」

 の文言は、婉曲に「お前らが説明しろ」という意味とも受け取れよう。高野がこの文書を厚生委員長だけでなく、保健福祉部長に送付した意味合い、さらに当初はその存在をひた隠しにしていた朝木が直接厚生委員会に乗り込み、「全文を読め」と叫んだ理由もまたこの点にあったように思われた。

(第7回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第7回
「拙速な認可の見直しを求める決議」を議決

なされていなかった近隣説明

 さて、平成7年2月10日に開かれた東村山市議会厚生委員会は午後の再開直後、朝木の乱入によって一時騒然となったが、1人を除き、ほぼこの認可申請計画に関わった者たちの存在が明らかになり、この計画がなぜ秘密裏に進められてきたかということもおぼろげながら見えてきたようだった。ただ、現実問題として東村山市はこの問題をどう収束しようとし、また議会はどのような態度を取ろうとしていたのか。続く鈴木茂雄委員の質疑をみよう。

鈴木  今回の認可申請計画の情報をなぜオープンにしなかったのか。

保健福祉部長  計画がおおむね固まり、認可申請を出せるようになった時点で公表するつもりだった。

鈴木  近隣を一軒一軒訪ねたが、何の説明もされていなかった。そのことを所管は知っているのか。

保健福祉部長  2月5日に行ったことは聞いている。

――部長のいう「認可申請を出せるようになった時点」とはどの時点のことをいうのか。少なくとも、4月1日の開園を目指している保育園が2月10日の時点でまだ認可申請を出しておらず、これから先、4月1日までの間に認可申請を出すとすれば、その時点で公表したとしても、東村山市長の決済印がすでに押されていることと合わせ、誰が反対しようともすでに後戻りできない状況になっていることは明らかだった。部長にしても、何のための公表なのか、その意味を理解していないわけではあるまい。こういうやり方を既成事実化というのであり、事実上、いっさいの反対意見や批判、修正を受け付けないようなタイミングでの情報公開は、実際には情報の隠蔽にほかならない。

 読者はもうお気づきのことと思うが、鈴木市議はこの質疑の中で高野が提出した文書の虚偽をすでに指摘している。高野は文書の中で近隣への説明について「私どもは昨年末から近隣を一軒一軒まわって説明し了解を得ております」と述べている(文書中の7の冒頭部分)。りんごっこ保育園の建設予定地はもともとは畑だった地域で、当時新しい住宅地として開発されたばかりだった。たとえば保育園の送迎や子供のにぎやかな声など、保育園の設置によって直接的な影響を受ける近隣の住宅はまだそう多くはなかった。

 りんごっこ保育園の予定地に鉄骨が建ち始めた当時、まだ東京都認証保育所「空飛ぶ三輪車」の職員だった佐藤真和もまた、そこに何ができるか知っているかと近隣を訪ね歩いた。すると、近隣の住民で保育園ができることを知っている人はごくわずかで、それどころか「工場でも建つのかと思っていた」という反応がほとんどだった。

 保育園ができるらしいことは知っている人にしても、その保育園に何人の園児が来るのかまでは知らなかった。実はそこに定員80名の保育園を作ろうとしているというと、「20人程度かと思った」と、その住民は驚きを隠さなかった。予定地は分譲住宅用に売り出された土地で、高野は売れ残っていた2軒分の土地約100平米を購入したのである。一戸建て2軒分の土地に80名の園児を入れるというのだから、住民が驚いたのも無理はなかった。

 高野は「年末から近隣を一軒一軒まわって説明した」というが、仮にそれが事実だったとして、いったいどんな説明をしたのか。重要な事実を説明していないのでは、説明したことにはなるまい。まして、部長のいうように2月5日に説明に行ったとしても、すでに建物は完成に近づいており、事前に了解を得たというには少し無理があるのではなかろうか。

「公明正大な方法で行うことを求める請願」を全会一致で採択

 東村山市において待機児解消がいかに緊急の課題であるとしても、市民や議会になんらの説明もなしに進めてよいということにはならない。保育関係者や市民から公明正大な方法で進めるよう強い要望が出されている現状と、それまで情報が公表されないまま進められてきた事実、それへの疑問に対する保健福祉部の答弁、高野の対応を総合的に判断した場合、この計画を無条件に許していいとは考えにくかった。

 鈴木市議は単刀直入に「予算凍結の考えはないか」と保健福祉部長に聞いたが、もちろん保健福祉部長に予算決済権限はない。そこで行政側は沢田泉助役を委員会に呼び、質疑が継続された。

鈴木  ここまで問題が発展した以上、来年度予算にはりんごっこ保育園関連予算は計上しないでいただきたい。

助役  所管からは2カ所の新規保育園について一定の予算要求があった。理事者としては、現在の予算案の中には組み込まれている。今後の審議で、この予算については慎重に扱っていきたい。

鈴木  この段階で、都に申請にあたっての市長の意見書を提出する環境が整っていると考えるか。

保健福祉部長  現状では厳しいと受け止めている。 

 市議会公明党は市議会においては与党の立場にあるが、市長との関係においては自民党ほどの純然たる与党でもない。しかし、この厚生委員会では市長与党である自民党議員からも疑義が出されており、今回の進め方そのものに対しては自民党でさえ適切だったとは考えていないことがうかがわれた。

 こうして厚生委員会は、1月29日と2月10日の審議を経て市民から提出された「待機児童の解消は、保育の質を確保し、多くの関係者の協力が得られる公明正大な方法で行うことを求める請願」を全会一致で採択。これを受けて、2月24日には東村山市議会本会議においてりんごっこ保育園の認可申請計画の見直しを求める動議(「認可保育園の設置基準の作成と予定されている新設保育園の拙速な認可の見直しを求める決議案」)が提出され、「草の根」を除く圧倒的多数で議決するに至ったのである。

「補償問題」に言及した朝木直子

 鈴木市議が厚生委員会で「予算を計上しないでほしい」と述べたのに対し、助役は「慎重に扱う」と答弁し、保健福祉部長は「現状での意見書提出は厳しい」と答えたが、いずれの答弁も、確定的に計画を見直すというものではない。「拙速な認可の見直しを求める決議」は、行政側がこのまま市長決済のメンツにこだわった場合には議会はこれを認めるかどうかわからないという強い意思を示すものでもあった。

 そのことを感じたのかどうか、3月4日に開かれた東村山市議会本会議での一般質問で朝木直子は高野と行政のやり方を擁護する発言を繰り返し、さらには次のような、妙に生々しく具体的なことまで口にしたのである。

「このまま認可が遅れれば、総工費1億数千万円、月々数百万円の補償問題が生じることになる」

「すでに新社会人など20数名の採用も決まっており、認可されなければ彼らの採用もできなくなる」

 利害関係がないはずの朝木がなぜこれほど内部事情に精通しており、肩入れするのか。この認可申請計画情報が漏れてきた当時、高野と同居している矢野に事情を聞いたことがある。すると矢野は、

「保育園の問題にはいっさい関知していない」

 として関与を全面的に否定したものだった。しかし、朝木が東村山市長に対する牽制とも取れる「補償問題」まで口にする以上、矢野が事情を知らないことはあり得まい。同時に、朝木が堂々とりんごっこ擁護を始めたということは、すでに彼らがなりふりかまっていられない状況に至ったと認識していることを示しているようだった。

(第8回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第8回
見通しのなかった「要望書」

実質わずか2週間で事業決定

 ところで、高野が保健福祉部と口裏を合わせるかたちで計画を隠蔽してきたのはなぜなのだろう。高野が厚生委員会に提出した文書で述べるように、本当にすばらしい保育園だと考えているのなら、最初から堂々と計画を公表していれば、予算の承認が危ぶまれるような状況にはならなかったかもしれない。少なくとも、保育環境で議論になることはあっても計画の進め方自体をこれほど問題視されることはなかったはずである。

 しかし、高野はなぜか平成15年4月1日の開園にこだわっていた。15年度の予算計上に間に合わせるためには、児童育成部会や厚生委員会の審議や了承という過程を経るにはあまりにも貧弱な計画である上に、時間的にもそんな余裕はなかった。なぜなら、「当初予定していた土地の買収交渉が思いのほか難航し、結局10月末に至って断念せざるをえないという事態となった」(高野が厚生委員会に提出した文書)からである。
 
 このため高野は新たな土地を探し、ようやく11月26日に売買契約にこぎつけた。実質的な事業計画はここから始まったのである。その後「集中的に」(同文書)市側と協議を重ね、12月13日には保健福祉部のみならず市長による事業計画決定の決裁を受けた。この間わずか2週間である。

 年間8000万円の補助金支出をともなう事業が、わずか2週間の協議で決まってしまうことなど普通はあり得まい。要望書の提出から理事者決裁までに半年以上の協議期間を要するのが通常である。しかし、りんごっこ保育園の場合、4月16日に提出した要望書が事業計画のスタートとみなされていたため、12月の段階では計画の変更として予算要求され、それが認められたというかたちになっていた。「10月末に至って断念」した計画が、新しい土地の契約によってどう継続したことになるのか理解に苦しむが、東村山市の行政手続においては「半年の協議期間を経ている」という外形が整えられたのである。

 しかしそれにしても、この事業計画が継続していたということになるのなら、平成14年10月の時点で保健福祉部が「認可園の定員変更はない」(つまり認可園の新規開設も廃園もないということ)と説明していたことは行政上の処理とは矛盾しよう。その当時、まだ土地の買収交渉が継続していたというのなら、そう説明すればいいだけの話である。しかし、りんごっこ保育園の認可計画が存在することも含め、保健福祉部はそのような説明はいっさいしなかった。

競売に付された保育園「予定地」

 おそらく保健福祉部は当時、土地の買収交渉が行われている事実さえ説明できる状況にはなかったのではないか。なぜなら、高野が平成14年4月16日に要望書を提出した時点ですでに、当初の土地を取得できる可能性はきわめて低かったとみられるからである。この土地は、高野が要望書を提出してからわずか3日後の4月19日、東京地裁八王子支部によって競売決定がなされていたのだった。

「要望書」とは市の重要な事業の決定に関わる重要書類であり、事業希望者によって記載された内容は「一定の見通し」があるものでなければならない(当時の政策室次長)。市側は提出された要望書に基づいて事業化が可能かどうか具体的な検討を行うのであり、要望書の内容がまったく見通しのないものだったとすれば、市は現実的根拠のない要望書に時間を空費させられることになるから、要望書に「一定の見通し」がなければならないのは当然である。

 高野が提出した保育園計画は東村山市の負担分だけで年間2000万円、都と国の補助6000万円、計8000万円の補助金支出を伴う事業で、いい加減な内容の要望書を提出することは許されない。それが許されるなら、東村山では他の事業でも要望の時期にとりあえず手だけ挙げて利権を確保し、実質計画を予算編成ぎりぎりまで引き延ばし、実質的な検討を免れて事業権を取得しようとする事業者が続出することになりかねまい。

 では、高野が平成14年4月16日に提出した要望書の内容は「一定の見通し」があるものといえたのだろうか。要望書の段階で仮に高野が買収交渉をしていたのだとしても、そのわずか3日後に競売決定がなされたということは、少なくともその段階で交渉は不調に終わったことを意味する。わずか3日後に競売申立がなされてしまうような交渉が、4月16日の時点で可能性のあるものだったとは考えにくかった。

 裁判所が競売決定したあとでも個別の交渉は可能である。入札開始までに交渉がまとまれば競売の申立は取り下げることができる。しかし、この土地は最終的に競売申立が取り下げられることなく10月15日から22日まで入札が行われ、最低売却価格4707万円に対して平成14年10月29日に東京都内の出版社が5320万円で落札した。高野が厚生委員会に提出した文書で説明した〈昨年4月に紹介のあった当初予定の土地買収交渉が難航し結局10月末に至って断念するという事態となった〉とはこのことを意味していたのである。つまり、高野が提出した要望書には「一定の見通し」などなかったとみるのが自然なのではあるまいか。

(第9回へつづく)


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りんごっこ保育園問題とは何か 第9回
工場密集地だった当初予定地

「要望書」に矛盾する「事業計画書」

 最終的に他の入札者が落札した事実からも高野の「買収交渉」に「見通し」がなかったことが推測できるが、「要望書」に「一定の見通し」などなかったことをより明確に裏付ける事実が、高野自身が保健福祉部や市長に提出した「土地選定及び施設設計等経過」と題する文書によって判明している。文書にはこう記されていた。
〈4月16日付事業計画書を市保育課に提出。同日以降、(土地)の価格交渉に入る〉

 ここにある「事業計画書」とは、「要望書」申請時に提出したものである。しかし、経過説明の文書によれば、「4月16日以降、価格交渉に入る」というのだから、少なくとも「要望書」を提出した4月16日の時点では「一定の見通し」どころか何の交渉も行っていなかったことになる。
 
 認可保育園は市の保育計画の中で進められるもので、設置希望者がいつでも申請できるというものではない。平成14年4月当時、東村山市における待機児童数は約120~130。無認可で純粋に個人の事業として行うのならともかく、公共性のきわめて高い事業として待機児童数を上回る認可園を設置する必要はない。認可保育園の新設枠は限定されており、保育事業に参入しようと思えばいちはやく行政に働きかけなければならない状況にあった。

 つまり、高野が平成14年4月16日に提出した「要望書」に何の見通しもなかったということは、たんに事業権の確保を目的にとりあえず提出したものだったと考えるべきではないか。とすれば、同時に提出した「事業計画書」は「一定の見通し」を装うためのものにすぎなかったといわれても仕方ないのではあるまいか。

「予定地」に建っていた木工工場

 一方、高野の「要望書」がどれほどいい加減なものだったとしても、それを受理した行政側にはその内容を確認する義務がある。年間8000万円の補助金を交付する事業であれば、当然である。そころが、東村山市保健福祉部はまともな現地確認さえ行ってはいなかったことが予算特別委員会で明らかになった。委員の「当初の要望書にある土地はどういう場所で、どういう状態だったのか」との質疑に、当時の次長は「現地については職員が目視しただけ」と答え、児童課長は「(現地を見に行った職員から)さら地のようだったという報告を受けている」と答弁している。これはいったいどういう答弁だろうか。

 高野が買収のために「交渉」していたと称する当初の予定地の実態は保健福祉部の答弁とは大きく異なるものだった。高野が申告した住所だけは一致するその場所は小さな町工場が密集する一角で、「予定地」は課長のいうようなさら地ではなく、まだ古い木造の建物が建っていたのである。付近の工場の主人に聞くと、そこはかつて木工工場だったという。

 すると、その土地で保育園を始めるには、まず木工工場を解体、撤去し、新たに園舎を建設しなければならないが、木工工場では塗料を使用しているから土壌汚染の心配もしなければならないだろう。その点を行政はどう判断し、また清潔好きで知られる高野が、わざわざこの土地を選んだ理由はどこにあったのだろう。

 普通なら行政は、周囲の環境も考慮し、他の土地を探すようアドバイスしてもよさそうだが、行政からはそれもしていない。なぜなら、行政は「事業予定地」にまだ工場が建っていることすら把握していなかったのである。もちろん、高野からもそのような報告はなかった。事業主からは事実が報告されず、報告を受けるべき行政も高野の申告を鵜呑みにして確認もしない――東村山という町では、こんなずさんなかたちで年間8000万円もの公共事業が決定されていくのか。のちに、当時の児童課のある職員は「あそこ(の環境は)ちょっとひどかった」と語っていたが、あるいは所管の誰かは、高野がこの土地で保育園をやるわけではないことをすでに知っていたとでもいうのだろうか。

 いずれにしても、こうして高野は保育事業参入の優先権を保持したまま最終的に別の土地を確保し、12月3日に「計画変更」を申請。それからわずか10日後にめでたく市長決裁を受けるに至った。高野の相談の席に朝木直子が「3度」も同席した事実、あるいは高野が矢野穂積と内縁関係にあることが保健福祉部や市長の対応に隠然たる影響を与えたのだろうか。


(第10回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第10回
協議に同席していた多摩中央信金

 高野が平成14年4月の時点で何の見通しもない「要望書」を提出した背景には、事業権確保以外にもっと現実的な理由があるようだった。それは予算編成との関係である。東村山市はりんごっこ保育園予算を平成15年度予算案に計上しているが、通常の予算編成では、前年の4月までに「要望書」を提出し、その後申請者と所管との間の協議期間を経て、10月末に所管が予算要望して全体の予算に組み入れられる。

 ただし、計画に変更があった場合には10月以降の変更も認められる。りんごっこ保育園の場合もそうだった。平成14年12月に入って保健福祉部から「計画変更及び実施」と題する起案書を提出された財務課は、同年4月の段階で「要望書」が決裁されていることを確認した上で決裁した。これによってりんごっこ保育園の予算は平成15年度の予算に組み入れられたのである。

 逆にいえば、仮に高野が、土地が現実に確保された平成14年11月下旬の時点で「要望書」を提出したとすればこれはまったく新規の事業要望となり、15年度予算には間に合わない。つまり、15年度予算に間に合わせるためには高野はとにかく4月の段階で要望書を提出しておく必要があったということである。

 さらに、「計画変更」の期限は予算書作成との関係から平成15年1月中旬がリミットという。となれば、起案書の決裁にも時間をかける余裕はなかった。当然、事業計画を児童育成部会や厚生委員会に報告し、意見を求めていては、疑義が提出される可能性もあり、とうてい平成15年度の予算編成に間に合わなくなる可能性が高い。こうして高野と保健福祉部は平成15年度の予算編成に間に合わせるために、すべてを水面下で進めようとしたということではなかっただろうか。

無から有を生じるような私財形成

 平成14年12月13日の段階ですでに市長決裁がなされていたにもかかわらず、その後も保健福祉部が「まだ計画が固まっていない」などとして公表を拒み、水面下で進められていた認可申請計画が露顕したあとも高野、東村山市ともに平成15年4月1日の開園にこだわったことにはもう1つの理由があったらしいことがのちに判明している。

 高野は土地購入と園舎建設に関して「公費の負担を受けず、私財をなげうって」と説明しているが、実は高野は多摩中央信金(以下=たましん)から1億3500万円の融資を受けていた。1億3500万円とは土地と園舎建設費の合計額にほぼ匹敵する(土地はやや高めだが)。さらに高野自身の説明によれば、「保健福祉部と高野との協議の席にたましんが同席し、償還計画、定員などを決めた」というのである。

 これはいったいどういうことを意味するのか。補助金額は定員によって決定される。すると、高野が借り入れた1億3500万円をより早く返済するには定員はなるべく多い方がいい。高野と保健福祉部、たましんの3者の協議の結果出てきたりんごっこ保育園の当初の定員は認可基準ぎりぎりの81名である。これが返済を早めようとするものであることは明らかだろう。つまり、りんごっこ保育園の定員は実質的にたましんが決めたものともいえるのではないか。

 100平米2階建ての園舎に定員81名を確保するには相当の保育面積を確保しなければならない。その結果、園舎は可能な限り敷地いっぱいに建て、園舎内は可能な限り保育空間として認められるものにしなければならない。そこで廊下もホールもない設計とし、トイレも専用のものを作ると余計な面積を使ってしまうから専用の空間を設けず、保育室に仕切りをしただけで便器を並べるという方式を採った。このトイレは保育面積には含まれないが、保育面積を少しでも確保するための最善の方法であり、これが高野が自慢する「ポッポトイレ」なのだった。もちろん園庭など、借金返済の邪魔になるだけであり、検討の余地すらなかったはずである。借金返済を最優先した計画と評価されてもやむを得まい。

 たましんが保健福祉部と高野との協議の席に同席することになった経緯は定かではないが、最終的にたましんの同席を許したのは保健福祉部である。すなわち形の上では、たましん同席の下に進められた認可申請計画を保健福祉部も容認していたということになる。高野が厚生委員会で提出した文書で「市側担当者の方々が、詳細をご承知です」と述べているのはこの点も含んでいたのだろう。保健福祉部もまた、高野が文書でいう意味を理解していたはずである。保健福祉部はたましんの同席を許した時点で身動きの取れない状況に陥った様子がうかがえる。

 では、たましんを交えたその協議の席に朝木直子も同席していたのかどうか。後日、その点を朝木に確認すると、朝木はなぜか顔を横に向けたきりノーコメントを押し通した。なぜノーコメントなのか。いなかったのなら即座に否定すればよかろう。この反応をみるかぎり、たましんを交えた協議の場にも朝木が見届け役として同席していたとみるのが自然のようだった。今から考えれば、朝木が厚生委員会に乗り込み、高野の文書を読み上げるよう迫ったことにはそれなりの裏付けがあったのである。平たくいえば、脅しということになろうか。

 ところで、りんごっこ保育園の担保価値は土地と建物を合わせてもせいぜい6、7000万円とみられている。仮にこの土地を処分するとすれば、園舎はむしろ邪魔で売却には不利な材料にしかならない。そこに金融機関が1億3500万円もの融資を決定することは普通ではあり得ない。では、たましんが何を融資の担保としたのかといえば、認可されれば確実に交付される年間8000万円を超える補助金だったということ以外には考えにくい。

 高野は保育園建設のために「私財をなげうった」というが、実は「認可=補助金」を担保とするたましんの融資にそのほとんどを依存したものだった。しかも、土地・建物は高野個人の名義となっており、補助金(一部は高野個人の給料を充当するという)によって借金を完済したあかつきには、土地・建物は晴れて高野の個人資産となる。金融機関の融資と補助金(公金)を利用した、無から有を生じるような私財形成というべきだろう。これを「手品のようだ」と評する人もいる。高野はその1億3500万円を10年で償還する予定という。

 とはいってももちろん、土地・建物が高野個人の資産となるのは1億3500万円を完済しての話である。この認可申請計画が頓挫すれば、高野にはこの融資がそのまま借金として残ることになる。おそらく返済計画は平成15年4月から始まる予定となっており、高野はなんとしても4月1日に開園させなければならなかった。そのためにも児童育成部会や議会に意見を求めている時間はなかったということではなかっただろうか。

(第11回へつづく)


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