少年冤罪事件 ――宇留嶋瑞郎
第1回
東京・東村山市議である矢野穂積と朝木直子(「草の根市民クラブ」)はこれまで様々な争訟や嫌がらせによって多くの東村山市民を苦しめてきた。この事件は、そんな「草の根」が起こしてきた事件の中でも、とりわけ世の中の常識ではあり得ない奇怪な事件として記憶されよう。
平成7年9月1日に発生した朝木明代の転落死事件以後、矢野穂積と朝木直子が同事件に関連して起こしてきた裁判は、明代の転落死が客観的にどう見ても自殺であるにもかかわらず、いずれも「他殺」との主張を基本にしている点において強い違和感を感じさせるものである。実際に、関連裁判は彼らが被告となった事件を含めてゆうに10件を超えるが、事件発生から丸12年になろうとする現在に至っても、彼らが客観的な「他殺」の根拠を示した事実は1つとしてない。
そのかわりに矢野と朝木がさかんに持ち出したのが、明代の転落死(=万引きを苦にした自殺)を「他殺と疑わせるに足る事実」と称する数々の「事件」である。仮にそれらの「事件」が実際に存在したとしても、その「事実」がただちに明代の「他殺」を裏付けるものとはなり得ないが、第三者が「そんなことがあったのなら、やっぱり明代の転落死も他殺だったのかもしれない」と受け止める可能性は否定できないし、第三者がそう考えることを誰も止めることはできない。それが矢野と朝木の狙いだった。
これから紹介する「少年冤罪事件」は、それら矢野と朝木が朝木明代の転落死について「他殺を疑わせるに足る事実」として騒いだ数々の事件の中でも余人にはとうていまねのできない最も悪質なものであり、「矢野・朝木が得意とする自作自演」と笑って見過ごせるようなものではなかった。現実に生身の被害者が存在するからである。
突然“犯人”と名指しされた17歳の少年
朝木明代が万引きを苦に自殺を遂げてから20日後の平成7年9月21日夜10時ごろ、少年は5、6人の遊び仲間とともに東村山駅東口にある居酒屋「おしどり」に行った。少年は彼らとパチンコをしていて、仲間の1人が勝ったので飲みに行こうということになったのである。
少年は仲間たちとにぎやかに飲んでいたが、そのうち少年の左隣に座っていた友人が妙なことを言い出した。斜め向かいのテーブルに座っていた先客のグループが、どうも「自分たちの方を見ているようだ」というのである。少年は友人からいわれるまでそのことにはまったく気づかなかった。しかし少年は、友人の言葉をたいして気には止めなかった。当然だろう。斜め向かいに座っている人たちにはまるで見覚えがなかったからである。案の定、その後何事もないまま、向かいのグループは店を出て行った。
ところが、彼らが出て行ってまもなく、少年の身の上には彼が想像もしなかった災難が降りかかる。これこそ青天の霹靂だった。しばらくすると、向かいのテーブルの客と入れ替わりに3人の男が入ってきた。彼らはそのまままっすぐに少年のぞばに立つと、「悪いけど、ちょっと話を聞かせてくれないか」というのである。3人の男は私服刑事だった。少年には何が起きたのかわからなかった。しかし、少年としては刑事からいわれるままに従うしかなかった。店の自動ドアを出ると、外にはさっき自分たちを見ていたグループの中の1人がいて、少年に向かってなにか怒った様子で「おまえだ」と決めつけた。いったい全体、この中年男は、何が「おまえだ」といい、何に怒っているのか。少年には見当もつかなかった。ビルの階段を降りると、駅のロータリーには3、4台のパトカーが来ていて、少年はなぜ自分が調べられるのか、理由もわからないままパトカーに乗せられ、東村山署に行くことになった。
任意とはいえ、少年が警察の取り調べを受けることになった理由を知るのはそのあとのことである。刑事は少年にこう説明した。
「店のドアのそばにいた人物は矢野穂積という東村山市議会議員で、平成7年7月16日午前3時ごろ、あなたから暴行を受けたと訴えている」
と。少年にとっては寝耳に水の話で、警察の事情聴取に「身に覚えがありません」と応えるしかなかった。矢野の名前そのものは明代が自殺した際の報道で聞いたことがあったが、暴行事件があったとされる7月16日の時点では、少年は矢野の名前も顔もいっさい知らなかった、と説明した。警察は「事件」当日の少年のアリバイについても質問したが、少年は2か月前の行動について覚えていなかった。少年は自らのアリバイを説明できなかったわけだが、それでも警察は1時間足らずで事情聴取を終了している。
しかし、少年がすぐに家に帰れたかといえばそう簡単にはいかなかった。実は、東村山署の玄関で矢野が待ち構えていることに刑事が気づき、帰ろうとしていた少年を「ちょっと待て」と押しとどめたのである。また矢野に会えば、少年が何をいわれるかわからない。少年によれば、暴行事件についてはまったく身に覚えがないという。まったく無関係の少年に、これ以上不快な思いをさせるわけにはいかないと刑事は考えたのだろう。少年は再び取調室に戻りしばらく刑事と雑談して矢野が帰るのを待ったが、その中で刑事は少年に「今度矢野と会うようなことがあったら、すぐにその場を離れろ。関わり合いになるな」とアドバイスしたという。しかし結局、その夜、少年は玄関から帰ることはできず裏口から帰してもらうことになった。日付は替わり、すでに深夜午前2時になろうとしていた。
事件発生当日に東村山署が行った実況検分や聞き込みの中から、少年が事件に関与しているという裏付けは出てきていなかった。またその後、東村山署は少年から再度事情を聴くとともに勤務先の社長からも少年の勤務状況などについて聴いたが、少年が矢野を暴行したと疑うに足りる状況は何も出てこなかった。むしろ逆に、東村山署は事件直後に被害を申告した矢野からさらに詳しい事情を聴こうとしたが、矢野はなぜか「多忙」を理由になかなか事情聴取に応じなかった。被害を訴える者が事情を説明するのに消極的であるとは不自然な態度というほかなかった。東村山署はそれまでの捜査結果と矢野の姿勢などを総合して、少年を犯人とする矢野の供述には信憑性がなく、むしろ冤罪の疑いもあると判断するほかなかった。こうして東村山署は少年を暴行犯とする矢野の訴えを立件しなかったのである。
しかし、少年の身に突然降りかかった災難はこれで終わりではなかった。
(第2回へつづく)
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