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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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第2回朝木明代追悼街宣(前編)
学習した「行動する保守」

 まさかと思ったが、「行動する保守」が今年もまた9月1日午後5時から、東村山駅前で「朝木明代追悼街宣」を行うという。「行動する保守」Aが告知をしたのは街宣前日の8月31日である。前日の告知である上に9月1日は平日だから、夕方開始とはいえどれほどの人数が集まるのか、さすがに去年ほどの人数は集まらないのではないかと思っていた。

 ところが9月1日、街宣が始まる午後5時になると東村山駅東口には私の予測を超えて30名ほどの聴衆が集まっていた(ただの支援者とも見物人とも敵対者とも見えない4、5名を含む)。私にはよく理解できないものの、さすがに「行動する保守」の指導者ともなると、普通の社会人ならとても間に合わない時間帯であろうと、これほどの支援者や捜査関係者を集めるほどの影響力があるということなのだろう。

 ただきわめて不自然に思われたのは、「行動する保守」Aが街宣を始めたとき、地元での街宣であり、議会も午後3時には終わっているというのに明代の「万引き冤罪説」と「他殺説」の発信源である東村山市議の矢野穂積と朝木直子がまだ姿を見せていなかったことである。

 なお、午後2時40分ごろに朝木が駅前に来ていたという目撃談がある。その時間には「行動する保守」のカメラ撮影担当の支援者など4、5名がすでに来ていたから、朝木は街宣開始時には何か所用があるとでも伝えに来たのだろうか。

「行動する保守」による第2回「朝木明代追悼街宣」はAの街宣によって始まったが、私は混乱を避けるためにロータリーの端にいたため、内容はほとんど聞き取れなかった。のちに彼らがアップした動画をみると、「真相究明」という点では去年の街宣からは何の進展もなかった。創価学会との関連を匂わせ、あるいは断定する者もいたが、いずれも騒ぐだけでなんら客観的根拠のない妄想のたぐいである。

「行動する保守」Aにしても昨年は「内部告発者の存在」を根拠に「他殺説」を主張したが、今年はなぜか「内部告発者」の話題には一言も触れなかった。また、1カ月前に最高裁前で行ったように「最高裁が他殺と認定した」という主張もなかった。いずれも事実なら「真相究明」には重要な話だと思うが、「行動する保守」Aにもそれなりの判断と思惑があって触れなかったのだろう。あるいはこの1年の間に少しは学習でもしたのだろうか。

姿をみせなかった矢野と朝木

 私が第2回「朝木明代追悼街宣」の取材にやって来た理由は、「行動する保守」らの街宣を見物すること以外にもう1つあった。朝木明代が万引きを働いた洋品店に対して、「行動する保守」らが再び襲撃する可能性があると考えていたからである。街宣内容も聞き取れず(たいした内容があるとも思えなかった)、街宣開始から30分が経過しても矢野も朝木も姿を見せないので、私は途中から洋品店の警戒に切り換えた。

 すると、街宣の途中で街宣の場所から集団ではなく1人2人単位で洋品店方面に向かう者がいた。途中、2人のうちの1人が私に気安い様子で声をかけてきたので跡を追いながら「誰だ」と名前を聞いても彼らは答えなかった。私はそのまま彼らの様子をうかがったが、2人は洋品店前まで行ったが騒ぐこともなくロータリーへ引き返した。私が「矢野と朝木は来ないのか」と聞いても返答はなかった。彼らにしても、矢野と朝木が来ないのはおかしいと薄々感じていたのかもしれなかった。

「行動する保守」による第2回「朝木明代追悼街宣」は開始からわずか1時間後の午後6時過ぎ、早くも終了した。街宣の主役として参加していなければならないはずの矢野と朝木はついに最後まで姿を見せなかった。わずか1時間を割けないほどの重要な用事があったのだろうか。いずれにしても去年、午後1時30分から午後6時近くまでたっぷり4時間30分もかけたことに比べればいかにも尻すぼみの感は否めない。「行動する保守」にしても、矢野、朝木という主役が来ないのでは意気が上がらないのも無理はあるまい。

 しかし、街宣は終了しても彼らはすぐには改札口には向かわず、まだ未練がましくロータリーにたむろしていた。「行動する保守」としてあまりの盛り上がりのなさに物足りなさを感じている風情だった。

 そのとき千葉と私の念頭にあったのは去年の万引き被害者に対する襲撃事件のことである。今年も彼らは「万引きはでっち上げ」と主張していたし、去年千葉によって入店を阻止されたことを根に持って報復に出ないともかぎらない。「行動する保守」がまだ東村山駅周辺にいる以上は、こちらも帰るわけにはいかないと私たちはある程度の持久戦を覚悟した。1人の東村山市民から「Mが洋品店に向かった」と携帯に連絡があったのはその直後だった。

(つづく)

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第2回朝木明代追悼街宣(中編)
「情けない右翼」

「Mが洋品店に向かった」という連絡を受けたとき、私は洋品店の裏側を見回っていた。すると連絡どおり、「行動する保守」Mがまさになにかの決意を固めた様子で洋品店の方向に向かっていくのが見えた。ただちに店の前の通りに出て後を追うと、千葉が店先でMと対峙していた。Mの後方には2名の制服警官と公安らしき人物数名がいて、彼らもMを店先から引き離そうとしていた。千葉はMにこう警告した。

千葉  ここはお前の来るところじゃない。

 するとMは、こんなおもしろいセリフを吐いたのである。

  買い物に来たのになぜ入れない。

 Mはそういいながら、店先に吊るした商品を選ぶフリまでしてみせた。店に来たからといってすべての人間が買い物目的で来るわけではないことを、店側も私たちも経験的に知っている。平成7年6月30日、矢野と朝木明代もこの洋品店に現れたが、彼らの目的は買い物などではなく女性店主を脅すためだった。昨年9月1日、日の丸やプラカードを掲げて大挙して押しかけたのも、もちろん買い物をするためではなかった。「万引き捏造を許さないぞ」などと大声で騒いだ連中の中でも、店内に入ろうとするなどしたMが、いまさら「買い物だ」などといったところで通用しない。

 傷害事件を起こして服役し、刑期を終えたヤクザが被害者の家の敷地内に侵入すれば、それだけでお礼参りとみなされ、ただちに逮捕される。Mが洋品店にやってきたこともお礼参りにほかならず、それが「行動する保守」の誰であろうとお礼参りとみなされてもやむを得ないのである。

 しかも「行動する保守」Mは千葉に対し、「万引き捏造の追及」あるいは「真相の究明」という大義名分さえも口にすることができなかった。商品を選んでいるフリをするMに対して千葉はこういった。

千葉  情けない右翼だな。

 街宣では「万引き捏造」を主張して果敢にも店に向かったのはいいが、いざ店に行けば「万引き捏造の追及」ともいえず「買い物」とは、まさしく右翼としては情けないかぎりである。Mはそもそも自分で調査し、自分になりに考えた結果ではなく、矢野の主張を妄信し、「冤罪」を主張しているにすぎない。だから、Mはもともと何かを究明するために洋品店に行ったのではないということである。

 ではMは何のために洋品店に行ったのか。去年、千葉によって入店を阻止されたことに対する腹いせ、お礼参り以外には考えられない。なぜなら、報復でないとすれば「万引き捏造の真相究明」以外に洋品店に行く目的はなく、それが目的だったとすればMは「買い物に来た」とはいわないはずなのである。Mはお礼参り目的だったがゆえに「買い物に来た」と強弁したということになろう。去年Mは千葉のおかげで刑法に触れずにすんだのだが、Mにはそう考えることはできなかったらしい。

 土壇場で堂々と自分の意見を表明することもできないくせに、非も認める度量もない。その意味では「行動する保守」とはまさに「情けない右翼」であるということをこの日の街宣は実証したといえる。

 Mとちがって「行動する保守」Aはこの日の街宣が負け犬の遠吠えにすぎないことを自覚していたのか。「行動する保守」Aが洋品店に向かったMを放置して自分だけは洋品店に行かなかったのは、さすがに指導者だけあって賢明な判断だったというべきだろう。「行動する保守」Aが街宣終了後に未練がましくロータリーに残っていたのも、街宣がことのほか盛り上がりに欠けたというだけでなく、矢野も朝木も参加しなかったことの意味を自分自身に言い聞かせるために必要な時間だったのかもしれない。

聞かされていない不参加の理由

 翌9月2日、東京地裁立川支部で千葉が「行動する保守」西村修平を提訴していた裁判の第5回口頭弁論が開かれた。千葉とともに10分前に法廷の前に行くと、「行動する保守」の一行がすでに法廷前に集まっていた。立川駅前で街宣してきた割りには人数が少ないなと感じた。「行動する保守」Aは街宣には参加していたらしいが、法廷前にその姿はなく、結局、その日の法廷には姿をみせなかった。

 私にはある疑問があった。矢野と朝木は昨日の街宣になぜ来なかったのかということである。その理由を「行動する保守」一行はどう聞いているのか。開廷までにまだ時間があったので、私は一行の中の1人に聞いた。「行動する保守」の街宣には必ず参加し、おおむねいつも街宣者の後方で日章旗を持ち、いかめしい表情で周囲ににらみをきかしている人物である。ここでは仮にKとしておこう。Kはあまり乗り気ではなさそうだったが、私の質問に答えてくれた。



――矢野と朝木は昨日なぜ来なかったんですか。

  議会があったんじゃないですか。

――議会は午後3時に終わってるんだよ。「逃げた」ということなんじゃないの?



 Kは浮かない顔をして、もう何も答えなかった。Kは毎回欠かさず街宣に参加している主要メンバーであるにもかかわらず、最も重要な街宣の1つである朝木明代追悼街宣に当事者であり遺族である矢野と朝木が参加しない理由を聞かされていなかったのか。だからKは、議会があったから参加できなかったと理解していたのだろうか。

 仮にそうだとすれば、街宣参加メンバーに矢野と朝木の不参加理由を伝えないこと自体、一行が矢野と朝木の不参加になんらかの不満あるいは不信感のようなものを抱いたということを示しているのではあるまいか。なんらの不審も感じなかったとすれば、当事者が参加しない理由ぐらいは主要メンバーには伝えるのが自然だろう。

 しかし「行動する保守」に矢野と朝木に対する不信感が芽生えていたとしても、複数のメンバーが提訴された今となっては、不信感を表沙汰にするわけにもいかないというところなのではあるまいか。提訴されれば応訴しなければならず、応訴するには矢野と朝木の力を借りなければならないのである。「行動する保守」Aに通常の判断力があれば、ジレンマを感じていなければおかしい。

 矢野としても、ここまで「行動する右翼」らとの関係を深めてしまった以上、無下にはしごを外すのも難しかろう。「週刊現代」は(取材姿勢は別にして)一応社会常識の範囲をわきまえているが、「行動する保守」の場合にはその行動規範は一般とは異なるように思えてならない。矢野と朝木も「行動する保守」をおだてる一方、今後どう距離を保っていくか腐心しているというところなのではあるまいか。

(つづく)

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第2回朝木明代追悼街宣(後編)
矢野と朝木に代わり傍聴席を撮影

「行動する保守」の中には、右翼らと距離を置きたいと考えているようにみえる矢野と朝木の本音をまったく疑っていないと見える人物もいる。「行動する保守」Aが「若手のリーダー」と高く評価している法律関係の国家資格保有者D(法律家といえるかどうかは定かではない)である。西村裁判の2日後、東村山市議会本会議をDが仲間とともに傍聴に来た。その日は矢野と朝木の一般質問の日だった。なんらかの応援に来たものとみられた。

 ただやはり、「行動する保守」の応援の仕方は常識とは大きくかけ離れていた。Dらは傍聴席の右翼に陣取り、午前10時に矢野の一般質問が始まるとビデオ撮影を始めたが、そのうち傍聴席をぐるりとなめ回すように動かしたのである。以前にも「行動する保守」Aとその弟子が東村山市議会を傍聴に訪れた際、傍聴席を撮影し、無修正のままインターネット上に公開して議会で問題視されたことがあった。指導者が指導者なら、その薫陶を受けた「若手のリーダー」も、議会で一般市民の傍聴の権利を脅かすのが右翼だと考えているのか。たまりかねた傍聴人の1人が議長にこう注意喚起した。

「あちらの傍聴人が傍聴席を撮影しています。やめさせてください」

 すると、矢野はすかさず議長にこういった。

「(傍聴規則には傍聴人が傍聴席の撮影を)やってはいけないとは、書いてはいない」

「宇留嶋だっていつも動画を撮ってるだろう」

 この議員もまた、傍聴人が傍聴の権利を脅かされてもかまわないと考えているようである。「草の根市民クラブ」とは、どういう「人権派」「庶民派」なのだろう。あるいは、今問題とされているのが撮影行為そのものではなく、撮影したのが議場なのか傍聴席なのかであるということが矢野はわかっていないのだろうか。

 いずれにしても、矢野のこの発言はDが傍聴席を撮影していたことを認めたということであり、傍聴席を撮影することを容認したということである。また、それまで質問していた矢野にDがそれまでどこを撮影していたかを確認できる可能性はきわめて低く、ということは矢野と朝木はDがどこを撮影するかを事前に知っていたということになると理解できるのではあるまいか。

 Dが傍聴席を撮影することを矢野と朝木が知っていたとすれば、市会議員として注意すべきだろう。ところが注意するどころか、傍聴席の撮影を容認するとは、やはりこの2人の市会議員も尋常ではない。

 かつて矢野は議場から傍聴席を撮影して議長から注意され、朝木は平成21年6月議会の開会中に傍聴人を撮影して議長から注意されたばかりである。その矢野と朝木がDの傍聴席の撮影を事前に知りながら容認したということは、自分たちの撮影行為を非難されたことに対する逆恨みの気持ちでもあったのだろうか。矢野の発言は市会議員としては常識ではあり得ない発言で、逆恨みの気持ちがあったとしか考えられまい。

 Dらの傍聴席の撮影をめぐり、議長はただちに本会議を中断し議会運営委員会を開いた。浦安からやってきた「行動する保守」Dは傍聴席を撮影したことによって東村山市議会の議事進行を妨害したということになる。議員の委員以外は議場を出て控室に戻ったが、その際Dらが矢野と朝木の控室に入って行ったのが目撃されている。

 議会が再開され、議長は傍聴規則を確認しただけで特にDらに注意することはなかった。Dらもその後、傍聴席にはレンズを向けなかった。Dは「行動する保守」Aから「若きリーダー」と高く評価されているだけあって、注意されれば理解できないことはないのである。法律関係の国家資格を持ちながら、なぜこの程度の常識しか持ち合わせていないのかという疑問も当然だろうが、その後の傍聴態度の変化はそれなりに評価してやるべきだろう。

矢野に酷似した準備書面

 さて、その日、市議会本会議は4時前には閉会したが、「行動する保守」Dはその後再び「草の根」の控室に行き、夕方まで矢野、朝木と懇談していたようである。朝木明代追悼集会に顔を出さないなど、矢野と朝木は「行動する保守」一行から距離を置こうとしているように感じられるが、「行動する保守」一行の中でもとりわけDは矢野と朝木に尻尾を振ってついていこうとしているようにみえる。

 どんな事情があるのかは定かでないが、私がDとの裁判の過程で感じていたことが1つだけある。提訴後、Dは当初さいたま地裁川越支部から千葉地裁への移送を申し立てた。この申立の間は、Dの主張内容を除けばなんらの違和感もなかった。

 ところが本訴開始後、明らかにその文体、言い回しなどに変化があると私は感じた。Dが提出した書面は矢野の書面にきわめてよく似ていたのである。本訴開始後、矢野が準備書面の代筆を引き受けたものと私はみている。もちろん矢野がDに代わって準備書面を書いたからといってなんらの違法性もない。

 そんな事情もあって、Dは矢野と朝木にしきりに尻尾を振っているのではあるまいか。ただ、仮に矢野がDの準備書面を書いてやっているとしても、そもそも元をただせばDが提訴されたのは矢野と朝木のデマに起因しているのだということを、はたしてDがどこまで認識しているのか。いずれにしても、矢野がDの準備書面の作成に関与していたとすれば、6月にDが矢野の作成した「北多摩市民新聞」のポスティングのために、浦安から電車を乗り継いで東大和や武蔵村山までやって来た事情も理解できよう。

 事実かデマかを見誤ったD自身の不明は否定しようもないが、仮にDが準備書面を書いてもらっていることで矢野と朝木に恩義のようなものを感じているとすれば、その判断もまた誤りである。Dはますます深みにはまっていくことになるのではなかろうか。

「行動する保守」Aは指導的立場にある者として、「若手のリーダー」と評価するDが矢野の虚妄に取り込まれていくのを黙って見ていていいのか。このままでは若くして人生を棒に振りかねまい。

 本会議終了後、私は千葉とともに洋品店周辺の警戒にあたった。そのころ「行動する保守」Dとその仲間はまだ「草の根」の控室に残っていた。駅に向かう途中、Dらが矢野と朝木に代わり、洋品店にお礼参りに行かないともかぎらないと考えたのである。

 しかしその日、洋品店の周辺で彼らの姿をみかけることはなかった。数の威力を借りられないからでなく、何をしてはいけないかを少しは理解した結果であるのならこの上ないことである。

(了)

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