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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「拉致」デマを検証する 第1回
 東村山市議、朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐっては、直接的に「犯人」に結びつく可能性のある「不審者の目撃談」(「現場ビルで複数の男が明代を担いでいくのを見た」など)なるものが複数出回っている。もちろんこれはいずれも、明代の万引き事件でアリバイ工作を共謀した矢野穂積と明代の長女、朝木直子(いずれも東村山市議)が主張する「他殺説」を後押ししようとするものである。

 ただ当然だが、これまで出てきた「目撃談」で事実の証明がなされた例は1つもない。それどころか平成20年、「行動する保守」Aが街宣まで行って主張した「内部告発」話(以下に改めて詳述する)は、それから2年後に「内部告発」は「伝聞の伝聞」だったことを「行動する保守」A自身が認めたことで、これもまた出所不明、救いようのない与太話だったことが明らかになった。

 ところが最近になって、香川大学教育学部の高倉良一という人物が自身のブログで新たな拉致説を主張している。はたして高倉教授が主張する拉致説にどこまで信憑性があるのだろうか。これまでの「拉致説」とともに検証してみようと思う。

注目集めた「内部告発」

 最近「複数の男が明代を拉致した」とする「目撃談」なるものが最も注目されたのは、平成20年7月29日、「行動する保守」Aが八王子駅前で次のような演説を行ったことによる。「行動する保守」Aは次のように演説した。



(「行動する保守」Aの演説内容)

 私がなぜこの問題を今回取り上げるか。その最大の理由はですね、これは現職の警察官が私に内部告発をしたからであります。これは今日、初めて明らかにします。現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した」と。「3名であった」と。「しかし、検察側からの圧力があって捜査を断念せざるを得なかった」と、そういうふうにはっきりと述べました。



「行動する保守」Aは意気も高々に「警察官が犯人は3名であることを特定していた」という。「ほぼ犯人を把握していた」ではなく「特定していた」というのだから、当然、裏も取っていたということなのだろう。もちろん「犯人」とは、明代をビルから突き落とした犯人を意味する。この「内部告発」の内容が事実なら、かつて重大な犯罪の隠蔽が行われていたことになる。

 しかしこの日の演説を聞く限り、「行動する保守」Aが聞いたという「内部告発」の内容を冷静にみれば、誰が、いつ、どんな形でその「3名」を「犯人」と「特定」したのか、あるいは「特定」された犯人がいかにして明代をビルから落としたのか、また人相や服装など具体的な情報はいっさいない。演説ですべてを明らかにすることはないにしても、「行動する保守」Aの口からは具体的な裏付けがあることをうかがわせる説明もなかった。

 それでも「行動する保守」の重鎮が「内部告発」として主張した影響力はとりわけ「行動する保守」一行内部に対してはきわめて大きいものがあった。この演説を境に「行動する保守」らは確証もないまま相次いで「朝木明代謀殺事件の真相究明」活動に参入したのだった。

きわめて冷淡な反応

 なお明代の死後、一貫して「他殺説」を主張している矢野と朝木も「行動する保守」一行による「真相究明活動」に協力することになるが、彼らは「行動する保守」Aのいう「内部告発」にはいっさい興味を示さなかった。むしろ「内部告発」の内容が事実なら、この情報は本来、矢野と朝木の元に届けられるべきであるとも思えた。そこで平成20年8月7日、その点について私は直接矢野に聞いた。

――「内部告発」があったそうですが。

矢野  なに焦ってんの。

――先生のところには内部告発なかったの? 「行動する保守」Aのところにあって先生のところにないのはおかしいですね。

矢野  お前には用がないんだよ。

 矢野はそういって話を打ち切ったが、矢野にも「内部告発」があったのならあったと答えればよかろう。要するに右翼の耳には入っても、「真相究明」の中心人物であるはずの矢野には「内部告発」はもたらされなかったということと理解できた。これは不思議なことではあるまいか。

関心も示さなかった矢野

 仮にたまたま矢野よりも先に「行動する保守」Aに情報がもたらされたのだとしても、矢野がこの「内部告発」に関心を示した形跡がないことはもっと不可解だった。なぜなら、平成8年の時点で矢野は『週刊宝石』(平成8年4月18日付)で次のようにコメントしていたからである。

「『朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た』『消えたはずの靴は、直後に6階の空き部屋で発見されていた』など、こちらには新たな話が集まっています」

 矢野がいう拉致話も出所を明らかにしないが、複数の人間による犯行であるという点で「行動する保守」Aのいう「内部告発」に共通している。矢野は平成8年に「拉致犯」に関するコメントを残したまま、その後続報はまったくない。それが12年後、とんでもない方向から「内部告発」というかたちで「拉致」の具体的な情報が出てきたのである。

 平成15年に発行した『東村山の闇』には矢野が『週刊宝石』でコメントした内容はなぜかいっさい記載されていない。矢野が得た情報が第三者からのものであるとすれば、矢野はこの情報を信用しなかったものとみられる。しかし矢野の元には「拉致」との不穏な関連を想起させる情報も入っていたという。『東村山の闇』には『週刊宝石』でのコメントとは異なる次のような記載がある。



(『東村の闇』における記載)

 午後9時30分ごろ、事件現場の裏の駐車場で不審な車があり、見慣れない人間が2、3人で話しているのをビルのすぐ近くに住む住民が目撃している。これは聞き込みにきた刑事に話したが、この事実は東村山警察の発表からスッポリと抜け落ちている。



 明代が転落死を遂げたのは平成7年9月1日午後10時ころである。「見慣れない」というだけで不審者と決めつけられるのか、また話の内容を確認したのかという問題があり、矢野はその「見慣れない」人物を不審者と決めつける根拠をいっさい示さないものの、駐車場の目撃情報を重要視していた。仮に第三者が明代を拉致し転落死させたのだとすれば、午後9時30分ごろ、隣の駐車場で見慣れない人物が2、3人いたという情報は無視できまい。

 この駐車場の「不審者」情報は「行動する保守」Aのいう「内部告発」の内容とも共通点がある。矢野とすれば当然「行動する保守」Aに詳細を聞き、裏付けをとる努力をしても何もおかしくはあるまい。ところが「行動する保守」Aがこれほどアピールしたにもかかわらず、矢野と朝木が「内部告発」に関心を示した形跡すらなかった。

 あれほど「朝木明代殺害事件の真相究明を」と訴えてきた矢野が、「行動する保守」Aが聞いたという「内部告発」をいっさい無視したのはなぜなのだろう。矢野はこの「内部告発」が平成8年に自分がコメントしたものと出所は同じであること、しかもそれが根拠など立証できないデマであることを知っていたからであるとしか考えられなかった。

(つづく)
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「拉致」デマを検証する 第2回
嘘だった演説内容

「行動する保守」Aが「内部告発」があったとする演説を行って以後、「真相究明活動」と称する街宣を主導した「行動する保守」の数名はほどなくして相次いで提訴され、とりわけ創価学会から提訴された右翼Mは浦安の行政書士と連帯して110万の支払いを命じられるという事態に至った。右翼Mや西村修平が提訴されたとき、支援者たちは重鎮が「内部告発」の詳細を明らかにし、「朝木明代の自殺は『謀殺事件』だったことを明らかにしてくれる」と期待したのではあるまいか。

「内部告発」の内容は具体的に立証されなければ作り話か妄想のたぐいとして片づけられようし、「内部告発」をしたとする本人が表に出てきて証言するなどしなければ再捜査とはなり得まい。しかし自分の演説内容を信じた同志が被告席に座らされるに至ってもなお、「行動する保守」Aは「内部告発」について証言する気配すら見せなかった。

 そもそも「行動する保守」Aが演説した「内部告発」の内容はそれだけではなんらの裏付けもなく、裁判ではまったく役に立たない。では「行動する保守」Aが街宣時以上の情報を得ていたかといえば、そんなものは何も確保してはいなかった。

「行動する保守」Aが「内部告発」の詳細を説明できない事情を明らかにしたのは最初の演説を行ってから2年半がたった平成23年4月のことだった。同志が訴えられても証言しなかった「行動する保守」Aは、自分が訴えられた裁判で「内部告発」なるものの実情について述べたのである。



(「内部告発」に関する「行動する保守」Aの説明)

(朝木事件とはまったく関係のない警察官に対して)私が朝木さんの事件で、あれは殺されたのではないですか? と聞いたところ、警察官は次のように話をしました。「当時現場近くで怪しい3人が目撃をされており、捜査が進むものと思ったが、上の方(検察)がやる気をみせないのでそのままになってしまった。後でその検事が創価学会員だと分かったので、上の方に圧力がかかったのかも知れないと当時聞いた。」との話を伺いました。



 平成20年に行った演説で「行動する保守」Aは、〈現職の警察官が私に内部告発をした〉〈現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した」と。「3名であった」と。……はっきり述べました。〉と述べている。つまり、「行動する保守」Aは「内部告発」の内容を実際に経験した人物から直接聞いたことになっていた。

 ところが3年後に裁判所に提出した陳述書では、「行動する保守」Aが話を聞いたという警察官も直接犯人を確認していたわけではなく、誰かから聞いた話だというのである。〈現職の警察官が私に内部告発をした〉というのは真っ赤な嘘だったことになる。

「行動する保守」Aの上記の説明からは、この警察官が聞いたという相手が誰なのか、またそんな相手がいたのかどうかさえも定かではない。「行動する保守」Aはこの説明によって、「内部告発」なるものが伝聞の伝聞で裏付けもできない出所不明のもの、すなわちデマにすぎないことを自白したのである。

 しかも、その内容には変遷があった。演説では〈犯人〉と断定しているのに対して陳述書では〈当時現場近くで怪しい3人が目撃をされ〉へと変遷している。「当時」という「犯行時刻」の特定もあいまいな上に「現場近く」は「現場」ではなく、「怪しい3人」というだけでは犯人の特定に至ったとはいえまい。

 これでは「行動する保守」A自身が聞いたとする内容さえ信用できないということになろう。つまり、「行動する保守」Aはそれほどいい加減な話を「内部告発」として支援者に訴えたということなのである。

信じ切っていた右翼M

 一方その半年前の平成22年12月、創価学会から提訴された裁判の一審で110万円の支払いを命じられた右翼Mは控訴理由書において「行動する保守」Aのいう「内部告発」の信用性について次のように述べた。



(「行動する保守」Aの「内部告発」に対する右翼Mの期待)

「行動する保守」Aは演説の中で、「創価学会の関与は疑いの余地がない。警察関係者からの内部告発があった」と断言している。

 当時の事件に関わった警察関係者が創価学会の関与を知っているものであるから、この警察関係者が真実を証言すれば、創価学会が殺害事件に関与したことは明白となる。

 しかしながら現在はまだ、当の警察関係者が公に証言を行うことを躊躇しているものと思われる。警察関係者からの綿密且つ、正確な情報収集と証拠が提出できれば、事件の真相が解明されることは間違いない。

 今現在、関係者を通じて警察関係者との交渉で調査・聞き取りを継続している。



 この記載内容が事実とすれば、「内部告発」の公表から2年後もまだ「行動する保守」Aに対する右翼Mの信頼は失われていなかったことがうかがえる。一審で多額の損害賠償を命じられた右翼Mは藁をも掴む思いで「行動する保守」Aに助けを求めたのだろう。右翼Mによれば「行動する保守」Aは「調査中」と回答したという。

 右翼Mは「行動する保守」Aが「内部告発」を聞いたとする相手が「犯人を確認した本人」ではないことを知らされていなかったものとみえた。「行動する保守」Aの陳述書には、「行動する保守」Aがこの警察官に対して、誰から聞いたのかとあらためて聞いたという記述もない。「内部告発」話がどうにもならない与太話だったことをこの一連の経緯がよく物語っていた。

(つづく)
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「拉致」デマを検証する 第3回
「行動する保守A」が紹介した新たな「拉致説」

「内部告発」が「伝聞の伝聞」のどうにもならない与太話であることを自白して以降、「行動する保守」Aが「内部告発」話に触れることはなくなった。もちろん卑怯者の常で、「行動する保守」Aが自らの不明を認め、支援者に謝罪することもない。

 それどころか、「伝聞の伝聞」であろうと、その内容だけはいまだに事実である可能性があると本気で考えているようだから、やはりその思考様式は常識とはだいぶ隔たりがあるというべきだろう。そのことを証明するかのようにそれから2年後、「行動する保守」Aは突然、香川大学教授の高倉良一という人物のブログ(高倉教授の「陳述書」)を紹介したのである。

「行動する保守」Aはブログで〈これが真実ならば東村山・朝木明代さん謀殺事件は新たな局面を迎えます。〉とさえ述べる。むしろ「内部告発」が「真実ならば」もっと早く「新たな局面を」迎えたはずだが、「行動する保守」Aは「内部告発」には一言も触れることができない。とんだ与太話によって多くの仲間に損害賠償責任を負わせた責任については頬かむりを決め込み、何事もなかったかのように他人のふんどしで相撲をとろうとする「行動する保守」Aの厚顔ぶりは並ではない。

「行動する保守」Aが紹介したというだけで信用性に疑問を持たれかねないが、高倉教授が聞いたとする「朝木明代『拉致』の状況」とは以下のようなものだった。



(高倉教授が聞いたとする「朝木明代『拉致』の状況」=趣旨)

 平成7年9月1日夜、創価学会の最高幹部から朝木議員を脅すように命じられた暴力団員2名が、朝木議員の体をビルの6階の外側に抱え上げて、創価学会に敵対する活動を止めなければ落とすぞと脅していた。ところが、誤って朝木議員を落として死亡させてしまったと、この暴力団員2名が創価学会の幹部のところに顔面蒼白になって駆け込んできた――と野崎氏は、その学会員から聞いた。



 高倉教授は野崎という人物からこの話を聞いたという。これもまた伝聞の伝聞だが、「行動する保守」Aの「内部告発」と違うのは、この話が事実とすれば、野崎が聞いたという伝聞元はどうやら特定できそうだという点だろう。高倉教授は陳述書を書いた時点でこの伝聞元を特定していないらしいが、「野崎発言」の内容を真実であると信じきっているようである。

矢野情報と共通するタレ込み電話

 ただし高倉教授のブログによれば、高倉教授は「野崎発言」の内容について確かな裏付けを取ったわけではない。裏付けの取れない話はデマである可能性を疑わなければならない。

 とりわけ東村山事件においては「行動する保守」Aの主張した「内部告発」に近い話が出回っているが、いずれも情報の根拠が示されたものはない。高倉教授が真実であると主張する「野崎発言」の信憑性を検討する前に、「行動する保守」Aの「内部告発」以前に出ていた「目撃」情報をあらためて紹介しておこう。

 なお高倉教授は裁判所に提出した準備書面で「野崎発言」に基づいて「再捜査」を提言するとともに、〈いずれも、東村山事件は創価学会の犯行であると主張・立証しているものである。〉として『創価学会ドラキュラ論』(幸福の科学)、『怪死』(乙骨正生著=教育史料出版会)、『東村山の闇』の3点の書籍を紹介しているが、これらの中でも以下に紹介する「明代は拉致されて落とされた」とする「目撃情報」あるいは関連情報が記載されている(『創価学会ドラキュラ論』については未確認だが、同じ幸福の科学が同時期に出版した『創価学会を折伏する』には「目撃情報」が記載されている)。したがって、「拉致」に関する記載の信憑性を検討することによって、各出版物の信用性も計ることができよう。

「明代は拉致されて落とされた」とする「目撃情報」は以下のとおりである。



(「目撃情報」1)

1 
平成7年9月5日0時15分ごろ、東村山署に静岡市居住の男からタレ込み電話

「私は当日、例のマンションで女性が男4名位に担がれて行くのを見た。2人で見た。……あれは自殺ではなく、創価学会の犯行だ」

2 平成7年9月6日午後3時ごろ・匿名の男からタレ込み電話(前日と同一人物)

(副署長の千葉が対応)

「私は4名の創価学会員が朝木市議をマンションに連れ込むのを目撃した」

 千葉が「目撃した際に110番をしなかったのはなぜですか? 創価学会員であると断定した根拠は何ですか?」と聞くと、男は「ばかやろう、お前も創価学会から金をもらっているのか」と怒鳴り、一方的に電話を切った。

3 矢野のコメント(『週刊宝石』平成8年4月18日号)

「『朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た』『消えたはずの靴は、直後に6階の空き部屋で発見されていた』など、こちらには新たな話が集まっています」



 ここまでの情報は「犯人」が「4名」と共通している点、「担がれて」いたのが「朝木」と特定している点からみて情報源は同一とみていいのではあるまいか。この場合の「情報源」とは「デマの発信源」でもあり得る。これは通常の「情報」だったのか「デマ情報」だったのか検討してみよう。

男が110番しなかった不思議

 東村山署に電話してきた男は、明代が今まさに「拉致」されている状況について最初は「例のマンションで女性が男4名位に担がれて行くのを見た」といい、2回目には「4名の創価学会員が朝木市議をマンションに連れ込むのを目撃した」といっており、目撃状況が微妙に異なっている。男はマンションの入口で見たのか、階段を上っていくのを見たのか、一貫性も具体性もない。

 その一方で、この男は「犯人は創価学会員」と断定し、担がれていた女性が「朝木明代」だったと特定している。男が「犯人」を見ただけで「創価学会員」と断定できるとすればその根拠はどこかで顔を見て知っていたか、それとわかるものを身につけていたということだろう。また担がれていた女性が「朝木明代」と特定できたということは、かなり近づいて顔を覗き込んで確認したという以外には考えられない。「犯人」は男が「朝木明代」の顔を確認するのに気づかないはずはなく、男をそのまま帰すはずもないと推測できよう。

 すると、男の目撃内容が事実なら、その異様な光景を目撃した男がただちに110番しなかったのはますます不可解というべきだろう。千葉がタレ込み電話の男に対して「目撃した際に110番をしなかったのはなぜですか?」「創価学会員であると断定した根拠は何ですか?」と説明を求めたのは自然な対応で、それに対して男はなんらの説明もしなかった。それだけでなく男は千葉に対して一方的に「お前も創価学会から金をもらっているのか」と怒鳴り、そのまま電話を切ったのである。

 千葉から当然のことを聞かれた男が示した反応をどう理解すればいいだろうか。その後男からの情報提供が途絶えたところをみると、男のタレ込み内容がデマであり、男が情報を提供しようとしたのではないことを物語っていよう。男が2回もデマの電話をかけた目的は捜査協力ではなく捜査の攪乱にあったとみるべきだろう。

 矢野のコメントについては、本連載の第1回で述べたように、矢野は続報を発信するどころか『東村山の闇』にも1行も記載せず、「行動する保守」Aの「内部告発」にもいっさい近づこうとしなかった。矢野は「例のマンションで女性が男4名位に担がれて行くのを見た」とする「目撃証言」には信憑性はないと判断していたということである。

 なお、タレ込み電話の男は「2人で見た」といっているが、この「犯人」が「4名」であるとする情報の発信者はタレ込み電話の男と矢野に限られている。

(つづく)
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「拉致」デマを検証する 第4回
前段階の「目撃」情報

 仮に「犯人」が何者で、何名であるにせよ、朝木明代をマンション5階と6階の間の踊り場から転落死させるには、当然、そこに至る経過がある。明代が拉致されて転落死させられたとすれば、時間的にも「目撃」されたとする場所との関係からも、「犯人」である可能性が強く疑われる情報があった(むしろそう考えなければ、あるいは「犯人」との関係を暗示しようとする意図がなければ、この「情報」を取り上げることはあるまい)。その意味では、以下に紹介する「情報」も「明代を拉致して転落死させた」とする「目撃談」といってもよかろう。その「目撃談」は以下のとおりである。



(「犯人」に関連すると思われる「目撃」情報=掲載順)

1 『週刊現代』平成7年9月23日号

「私は事件があった日の夜9時30分ごろに現場の駐車場で不審な男が2~3人で話をしている声を聞いていました。そのことを話したのですが、警官はメモもとらずに、取り合ってもらえませんでした。とてもやる気があるとは思えません」(死亡現場近くの住人)

2 『創価学会を折伏する』(幸福の科学)

 午後9時30分ごろ、マンションの駐車場で不審な男性数名が話をしている声を、近くの住人が聞いている。

3 『怪死』記載の「遺族の反論」

 事件発生頃、現場直近の西側住民が、現場駐車場に不審車両と不審者2、3人がいてボソボソ話しているのを目撃した事実を、聞き込みにきた刑事に伝えたが、無視しており、(不審な人物や不審な車両の目撃証言がないとする)警察発表は事実に反する。

4 『東村山の闇』

 午後9時30分ごろ、事件現場の裏の駐車場で不審な車があり、見慣れない人間が2、3人で話しているのをビルのすぐ近くに住む住民が目撃している。これは聞き込みにきた刑事に話したが、この事実は東村山警察の発表からスッポリと抜け落ちている。



 上記4つの「不審者情報」は、「目撃」されたという時間帯が「午後9時30分ごろ」と明代が転落した午後10時に近接した時間帯であること(『怪死』は「事件発生頃」)、場所は転落現場に隣接する駐車場であることが共通しており、『怪死』と『東村山の闇』には「不審車両」もあったと記載されている。したがってこの4つの「目撃」情報の発信源は同一とみていいのではあるまいか。

 明代が隣のマンションから転落(自殺)したのが30分後の午後10時ごろだから、仮に明代が何者かによって拉致され、転落死させられたのだとすれば、この「不審者」らが「犯人」であるとしても、この「情報」の限りでは矛盾はないようにみえる。少なくとも、この「情報」を掲載した側の意図はいずれも、この「不審者」らが「犯人」であること、少なくとも明代が何者かに殺されたと印象付けることにあるように思える。

通話記録が語る事実

『怪死』と『東村山の闇』が主張するように、警察は付近の聞き込みで明代が転落した音を付近の住民が聞いていたことを確認しているが、「転落の前後に不審な人物や車両が目撃されたなどという情報はなかった」と発表している。警察は矢野が主張するように、「不審者情報」を意図的に無視したのだろうか。

 しかし冷静にこの「不審者情報」を検討してみると、不自然な点が浮かび上がる。『週刊現代』と『創価学会を折伏する』では「不審者」が「話している声を聞いた」とされているが、この「目撃者」は至近距離で「目撃」したとはいっていないから、「不審者」らはよほど大きな声で話をしていたものと思われる。明代を殺害する目的で拉致し、これからマンションの5階まで運び上げようと考えている「不審者」にしては不用意ではあるまいか。

 この4つの「情報」に共通する矛盾点もある。この「目撃」情報の30分前、明代は「不審者」らがいたという駐車場の前を自宅方向に独りで歩いていくのを目撃され、さらにこの「目撃」情報のわずか11分前の午後9時19分、自宅から事務所にいた矢野に電話をかけているのである。矢野と朝木直子はこの電話について「何者かに脅された状態でかけさせられた」と主張している。

 その夜、自宅に何者かが侵入した形跡はなかったと朝木自身が供述しているとおり、明代が自宅で脅されていたという矢野らの主張に裏付けはない。しかし、明代がこの「目撃」情報のわずか11分前の午後9時19分に自宅にいたことは、矢野自身が裁判所に提出した通話記録によって客観的に裏付けられた事実なのである。

「不審者」が明代を「拉致」した可能性

 すると、この「目撃」情報の「不審者」らが明代を転落死させたとすれば、「不審者」らは9時30分に「目撃」されたあと朝木の自宅まで行き、明代を拉致して再び現場のマンションまで戻ってきたということなのか。しかし、これはあまりにも非効率的かつ場当たり的な動きであり不自然に思える。明代の自宅に(侵入ではなく、平穏に)行って拉致する時間を考えれば、再び現場に舞い戻って午後10時に明代を転落死させることは時間的に無理があろう。わざわざ同じ場所に戻る必然性もない。したがって、午後9時30分に「目撃」されたという「不審者」らがその後、朝木宅に行って明代を拉致して現場に舞い戻り、午後10時に転落死させた可能性はないとみるべきではあるまいか。

 では「不審者」らは午後9時19分以降に明代を自宅から拉致して車に押し込み、マンションに隣接する駐車場に停め、明代を殺すタイミングを見計らっていたということなのか。しかし、明代が自宅で電話をかけてから「不審者」らが「目撃」されるまでわずか11分しかない。このわずかな時間の間に現場に隣接する駐車場まで来るのは無理である。

 しかも「不審者」らは、「拉致した」明代を車に押し込んだまま、第三者に聞こえるような大声で「不審な」会話をしていたことになるが、ますますあり得ない話である。したがって、9時30分に「目撃」されたという「不審者」らは9時19分以降に明代を拉致しており、そのまま転落死させた可能性も考えられないというべきではあるまいか。

 こうみてくると、上記4つの記載の限りでは、明代の転落死の直前に現場付近であたかも「不審者」の「目撃」情報があったかのように聞こえるが、前後で確認されている事実と照合すれば、この「目撃」情報がとうていあり得ない話であることがよくわかるのではあるまいか。矢野は「他殺」を主張しようとして裁判所に提出した通話記録によって、「不審者の目撃情報」がデマであることを自ら立証していたということになろうか。

(つづく)
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「拉致」デマを検証する 第5回
存在し得ない「不審者」

 これまでみてきたように、「4人の男が朝木明代をビルに担いで行くのを見た」というタレ込みはその男自身の反応から捜査の攪乱が目的であることが明らかであり、「9時30分に(明代の転落死に関与した)不審者がいた」という「情報」も明代の自殺を「他殺」と印象付けるためのデマであることが、朝木宅の電話発信記録から明らかである。

 しかも、平成7年9月1日午後9時30分ごろ、明代の自殺現場に隣接する駐車場にはそもそも「不審者」がその車とともに侵入できる可能性は100%あり得なかった。なぜなら当時は現在のような自動式の管理システムではなく、その駐車場には管理室に管理人がいて、常に車の出入りをチェックしていたのである。したがって、矢野や朝木には「不審車」と見えた車が仮にあったとしても管理人から見れば「不審車」でも何でもなく、通常の客だったにすぎない。

 では、矢野らが「不審者」が目撃されたという午後9時30分という時間帯に管理人はもう帰宅していたという事実はないのだろうか。午後10時30分ごろ、マンション1階のモスバーガー店員が転落した明代を発見し、騒ぎになった。その際、交番に届けるようアドバイスしたのが駐車場の管理人だったのである。したがって、その1時間前にも管理人はいたことになる。

 転落した明代が発見された現場に管理人が駆けつけたことについては私も『民主主義汚染』に記載したが、『怪死』と『東村山の闇』でも次のように記載している(なお、管理人の存在を記載している記事は私が調べたかぎり、これだけである)。

〈店長は……ビル横の駐車場の管理人を呼び、街灯を点灯するよう要請。その際、管理人と「救急車を呼びましょうか」と話しあっている。〉(『怪死』)

〈店長は隣接する駐車場の管理人がいるのを認め、駐車場に電気をつけてもらい、「救急車を呼びましょうか」などとやり取りをする。〉(『東村山の闇』)

 午後9時30分に管理人がいたことがわかれば、駐車場内に「不審者」がいて周囲に聞こえるような大声で話し合っているという状況があり得ないものであることは容易に理解できよう。もちろん東村山署は管理人からも事情を聞いているが、管理人が「不審者がいた」などと証言した事実はない。

 乙骨も矢野も、午後10時30分の時点で駐車場に管理人がいたことを確認しておきながら、なぜ9時30分に駐車場内に「不審者がいた」などという話を信憑性があるかのように記載できたのだろうか。矢野はいうまでもなく明代の自殺は「他殺」でなければならないから、前後の整合性などどうでもよく、ただ「他殺」を印象付けられればそれでよかった。矢野と朝木から吹き込まれて「創価学会疑惑」の虜となっていた乙骨は、午後9時30分の「不審者情報」を否定する根拠を自ら記載していたことに気づかなかったもののようにみえる。

 いずれにしても、午後9時30分に管理人が存在していたことは、香川大学の高倉教授が〈東村山事件は創価学会の犯行であると主張・立証しているものである〉と述べる『怪死』と『東村山の闇』、さらには『週刊現代』や幸福の科学の出版物が記載した「不審者情報」の信用性をより明確に否定するものである。

 では、管理人がいた駐車場に「不審者」が侵入する可能性がなかったとすれば、そもそもそんな証言をした第三者など存在しなかったのではないかという疑問が生じよう。実際に、東村山署が行った周辺の聞き込みではそのような証言は得られていない。「2、3人の男が明代を担いでいくのを見た」というタレ込み電話の内容が本人によるデマだったように、この「情報」もまた「不審者がいたという証言があった」と話した人物による作り話だった可能性は否定できまい。

荒唐無稽とは考えなかった教授

 では、香川大学の高倉教授が陳述書に記載した「拉致」情報をどうみるべきだろうか。

 高倉教授が野崎という人物から聞いたという「拉致」の状況は、



〈暴力団員2名が、朝木議員の体をビルの6階の外側に抱え上げて、創価学会に敵対する活動を止めなければ落とすぞと脅していた。ところが、誤って朝木議員を落として死亡させてしまった〉



 というものである。この「情報」を構成する重要な要素は以下の3点に集約できよう。

①男2名が明代をビルの6階の外側に抱え上げた

②ビルの外側に抱え上げて脅していた

③その後、誤って明代を落としてしまった

 この「情報」によれば、暴力団員2名は明代に対して「反創価学会活動を止めろ」と脅していたという。「脅していた」とは、相手がそれを脅しと認識できる状況にあったということを意味する。すると、暴力団員2名は通常の状態にあった明代を現場マンションまで力ずくで拉致し、ビルの外側に抱え上げたということになる。当然、明代は抵抗しただろうが、たった2人で抵抗する大人を人目につかずにマンション6階まで連れて行くのは至難の業ではあるまいか。

 また抵抗すればそれなりの声も上げようし、それを抑えようとする脅す側の声もいきおい大きくなろう。その上、男らは明代を「ビルの外側に抱え上げた」というから、事実ならかなり目立つ状況になっていたことが容易に想像できるが、この暴力団員らは相当に人目につきやすい状況であることをまったく考慮に入れなかったことになる。しかも明代を「抱え上げた」という踊り場は隣接する駐車場に面している。通常はあり得ない話である。

 ではこれほど大胆な2人の犯人は、場合によっては逮捕されてもやむを得ないと考えていたのか。ところがこの2人は〈誤って朝木議員を落として死亡させてしまったと、この暴力団員2名が創価学会の幹部のところに顔面蒼白になって駆け込んできた〉というのである。そんなことなら、そもそも彼らはなぜあえて交番が目の前にある駅前のマンションに明代を拉致し、落とせば死亡する可能性が高いにもかかわらず「ビルの外側に抱え上げ」たりしたのか。支離滅裂というほかあるまい。

 通常の意識があった明代を「ビルの外側に抱え上げ」れば、当然明代は抵抗しただろう。しかし明代が転落した5階と6階の間の踊り場の手すりには明代のものと思われる手指の跡が残されていただけで、そのほかに争った形跡も発見されず、住人も人を脅したり抵抗するような声を聞いていない。また司法解剖の結果、明代の遺体には他人と争った際にできる皮下出血の跡も認められなかった。

 したがって常識的な判断においては、2人の男が意識のある明代を6階まで連れてきて「ビルの外側に抱え上げた」などという話をにわかに信じることはできない。香川大学の高倉教授が聞かされ、事実と考えたという「拉致説」は、「明代をビルの外側に抱えた」とか「脅した」などという具体的な説明によってかえって矛盾を生じさせているのだった。出来の悪い作り話としてまともに相手にされない類の話であると私は思う。

 ところが高倉教授は、これを荒唐無稽な話とは考えなかった。

(つづく)
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「拉致」デマを検証する 第6回
穏便な「質問状」

〈暴力団員2名が、朝木議員の体をビルの6階の外側に抱え上げて、創価学会に敵対する活動を止めなければ落とすぞと脅していた。ところが、誤って朝木議員を落として死亡させてしまった〉とする「他殺説」は、高倉教授の陳述書をみる限りでは客観的な裏付けもない上に、内容自体もにわかに信じられるような代物ではないように思われた。

 ただ高倉教授がこの「拉致説」に関して知り得た情報を1通の陳述書にすべて記載したとは限らない。またこの「出来の悪いデマ」と扱われかねない話を高倉教授が「事実」と信じたことには、第三者にはうかがい知ることのできない理由があった可能性もないとはいえない。仮にそうでなかったとすれば、国立大学の、それも法律を専攻する教授が、ただの伝聞情報を、裏付けを取ることもなく「事実」として吹聴するなど、常識ではちょっと考えられない。

 高倉教授は何を根拠にこの伝聞を「事実」と判断したのか――。明代の転落死事件の捜査を指揮し、「事件性なし=(万引きを苦にした)自殺」と結論付けた当時の東村山署副署長千葉英司は、高倉教授に直接その根拠を聞いてみることにした。

 千葉が高倉教授に対し平成25年7月23日付でファックス送信した質問は以下の4項目だった。



 本件記事は、現職警察官の内部告発(警察は、朝木市議殺害犯人を特定したが創価学会員の検事が握り潰した=筆者注=「行動する保守」Aによる伝聞の伝聞)及び朝木直子の問題発言(週刊誌に「創価学会に殺された」とコメント)と関連しているのか。

 法律学者である貴殿は、伝聞の伝聞である事実を公表するに当たり、十分な検証を行ったはずであるから、その検証結果を具体的に明示されたい。

 野崎氏(筆者注=高倉教授が陳述書で「拉致」の模様を話したとする人物)は、本件記事を公表することを承諾したのか。

 重大な野崎証言を公表や告発もせず9年間も放置した(筆者注=高倉教授はこの「拉致」説を「平成16年7月18日」に聞いたと述べている)、その理由は何か。



 仮に高倉教授が「伝聞の伝聞」の客観的裏付けを取っているとすれば上記質問はきわめて穏便なもので、教授を困惑させるようなものではあるまい。

不可解な求釈明

 これに対する高倉教授の回答書はすみやかに届いた。なぜかファックスではなく内容証明郵便だった。千葉の「質問状」は住所とファックス番号が明記されているとはいえ、それが実際に千葉が送信したものであるという証明はない。したがって高倉教授は、記載された住所が実際に千葉の住所に間違いなく、また発信者が千葉であることに間違いがないことを確認するために内容証明郵便を利用したのかもしれなかった。郵便物が遅滞なく届けば「質問状」に記載された氏名と住所が事実であることが一応は確認できよう。

 ただ高倉教授の回答をみると、「質問状」の送り主が元警視庁東村山署副署長の千葉英司であることを疑っている様子はなかった。しかし高倉教授は回答書の冒頭で次のように述べていた。

〈質問にお答えすることにやぶさかではありませんが、前提に不可解な点が多々あります。不可解な点が解消された後、質問にお答えしたいと思います。〉

 高倉教授のいう「不可解な点」とは、千葉が「質問状」において「職業」を「無職(元東村山事件書記捜査指揮者)」と記載していたことである。高倉教授はこれが「肩書」の記載にあたるとし、警察官はそのような「肩書」は使わないから、これは「経歴詐称にあたる」と主張していた。千葉には意外な反応だった。

 千葉は「質問状」において自らが何者であるかについて〈無職(元東村山事件書記捜査指揮官)〉と記載し、本文では〈初期捜査の結果、事件性は薄い(他殺を否定)と判断した私は〉と記載している。しかし、ファックスの送信主が実際に千葉であると証明するものは何もない。だから高倉教授が、送信主の真正性を問題にし、まず送信主が元東村山警察署副署長の千葉英司であることの証明を求めたというのならまだわかる。ところが高倉教授は、送信主が千葉であることについては特に疑念を表明せず、千葉が自分について「元東村山事件書記捜査指揮官」と記載したことについて「経歴詐称」であると主張していたのである。

 その上で高倉教授は、千葉が「経歴詐称」をするのは不可解であるなどとし、それを前提に千葉に対してその理由について数点の項目を挙げて釈明を求めていた。教授は「不可解な点」が解消されたあとで、千葉の質問に答えるとした。

 高倉教授が「回答書」で千葉に示した質問については詳述を避けるが、第三者からみると、相手が千葉であると認めたのなら、「伝聞の伝聞」の検証結果を明らかにすることに何の支障があるのだろうか。むしろ相手は当時の捜査指揮官でもあり、捜査機関の出した結論が誤りであることを告発、あるいは追及する絶好の機会というべきだろう。にもかかわらず、教授は不可解な釈明を求めた。

 これはやはり不自然な対応に映る。あるいは高倉教授は、千葉の質問に答えるだけの裏付けを実は何も持っていなかったのだろうか。

裏付けを明らかにしない教授

「経歴詐称」などと決めつけた高倉教授の求釈明に対して千葉は、「(そのような)事実はないので、釈明要求には回答しない。」とし、これ以上の書面でのやりとりは無用である旨の回答をファックスで返送した。理解しにくい教授の求釈明によって、千葉は一定の感触を得たのかもしれない。それに対して高倉教授はすぐにブログでこう述べた。

〈私は、内容証明郵便での回答をお願いしたのですが、ファックスでの文書送付でした。残念で、かつ、不可解なことです。〉

 高倉教授は千葉の送付方法についてこう感想を述べたが、千葉の「経歴詐称の事実はない」との回答内容には特にコメントしなかった。「経歴詐称」の主張といい「内容証明」への執着といい、高倉教授の論点の示し方にはやや違和感を覚える。

 その後高倉教授は問題の「伝聞の伝聞」について触れようとはしない。仮に高倉教授が裏付けを取っているのだとすれば、教授のいうように朝木明代の転落死は「万引きを苦にした自殺」ではなく「他殺」ということになり、警視庁および東京地検の「自殺」とした判断は誤りだったことになる。大学教授として捜査機関の結論を真っ向から覆す主張を行ったからには、高倉教授が再捜査の要求など何らかのアクションを起こしてもおかしくない。

 かつて朝木明代の転落死(自殺)についてしきりに「他殺」を主張していた元国家公安委員長で弁護士の白川勝彦は、千葉から「東村山事件は今でも『他殺』とお考えですか」と問われて「事件捜査は客観的証拠に基づかなければいけませんね」と答えた。その一方で白川はもう「他殺」であるとはいっさい主張しなかった。つまり当時の「他殺」とする白川の主張には客観的証拠がなかったことを認める発言だったということと理解できた。

 釈迦に説法と思うが、今回の伝聞情報に基づいて「再捜査」を要求する際には、陳述書だけでは素人がみても相手にされないと思う。だから高倉教授は当然、捜査機関を納得させるだけの証拠を添えるのだろう。

 しかし、今のところ高倉教授が捜査機関に対して「再捜査」を働きかけた様子はない。今後、高倉教授が「明代他殺説の伝聞情報」に関してなんらの現実的アクションも起こさないとすれば、それはやはり「行動する保守」Aの「内部告発」同様の与太話だったと考えるのが常識的な判断というべきだろう。

(了)
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