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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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少年冤罪事件
少年冤罪事件 ――宇留嶋瑞郎

第1回

東京・東村山市議である矢野穂積と朝木直子(「草の根市民クラブ」)はこれまで様々な争訟や嫌がらせによって多くの東村山市民を苦しめてきた。この事件は、そんな「草の根」が起こしてきた事件の中でも、とりわけ世の中の常識ではあり得ない奇怪な事件として記憶されよう。

 平成7年9月1日に発生した朝木明代の転落死事件以後、矢野穂積と朝木直子が同事件に関連して起こしてきた裁判は、明代の転落死が客観的にどう見ても自殺であるにもかかわらず、いずれも「他殺」との主張を基本にしている点において強い違和感を感じさせるものである。実際に、関連裁判は彼らが被告となった事件を含めてゆうに10件を超えるが、事件発生から丸12年になろうとする現在に至っても、彼らが客観的な「他殺」の根拠を示した事実は1つとしてない。

 そのかわりに矢野と朝木がさかんに持ち出したのが、明代の転落死(=万引きを苦にした自殺)を「他殺と疑わせるに足る事実」と称する数々の「事件」である。仮にそれらの「事件」が実際に存在したとしても、その「事実」がただちに明代の「他殺」を裏付けるものとはなり得ないが、第三者が「そんなことがあったのなら、やっぱり明代の転落死も他殺だったのかもしれない」と受け止める可能性は否定できないし、第三者がそう考えることを誰も止めることはできない。それが矢野と朝木の狙いだった。

 これから紹介する「少年冤罪事件」は、それら矢野と朝木が朝木明代の転落死について「他殺を疑わせるに足る事実」として騒いだ数々の事件の中でも余人にはとうていまねのできない最も悪質なものであり、「矢野・朝木が得意とする自作自演」と笑って見過ごせるようなものではなかった。現実に生身の被害者が存在するからである。

突然“犯人”と名指しされた17歳の少年

 朝木明代が万引きを苦に自殺を遂げてから20日後の平成7年9月21日夜10時ごろ、少年は5、6人の遊び仲間とともに東村山駅東口にある居酒屋「おしどり」に行った。少年は彼らとパチンコをしていて、仲間の1人が勝ったので飲みに行こうということになったのである。

 少年は仲間たちとにぎやかに飲んでいたが、そのうち少年の左隣に座っていた友人が妙なことを言い出した。斜め向かいのテーブルに座っていた先客のグループが、どうも「自分たちの方を見ているようだ」というのである。少年は友人からいわれるまでそのことにはまったく気づかなかった。しかし少年は、友人の言葉をたいして気には止めなかった。当然だろう。斜め向かいに座っている人たちにはまるで見覚えがなかったからである。案の定、その後何事もないまま、向かいのグループは店を出て行った。

 ところが、彼らが出て行ってまもなく、少年の身の上には彼が想像もしなかった災難が降りかかる。これこそ青天の霹靂だった。しばらくすると、向かいのテーブルの客と入れ替わりに3人の男が入ってきた。彼らはそのまままっすぐに少年のぞばに立つと、「悪いけど、ちょっと話を聞かせてくれないか」というのである。3人の男は私服刑事だった。少年には何が起きたのかわからなかった。しかし、少年としては刑事からいわれるままに従うしかなかった。店の自動ドアを出ると、外にはさっき自分たちを見ていたグループの中の1人がいて、少年に向かってなにか怒った様子で「おまえだ」と決めつけた。いったい全体、この中年男は、何が「おまえだ」といい、何に怒っているのか。少年には見当もつかなかった。ビルの階段を降りると、駅のロータリーには3、4台のパトカーが来ていて、少年はなぜ自分が調べられるのか、理由もわからないままパトカーに乗せられ、東村山署に行くことになった。

 任意とはいえ、少年が警察の取り調べを受けることになった理由を知るのはそのあとのことである。刑事は少年にこう説明した。

「店のドアのそばにいた人物は矢野穂積という東村山市議会議員で、平成7年7月16日午前3時ごろ、あなたから暴行を受けたと訴えている」

 と。少年にとっては寝耳に水の話で、警察の事情聴取に「身に覚えがありません」と応えるしかなかった。矢野の名前そのものは明代が自殺した際の報道で聞いたことがあったが、暴行事件があったとされる7月16日の時点では、少年は矢野の名前も顔もいっさい知らなかった、と説明した。警察は「事件」当日の少年のアリバイについても質問したが、少年は2か月前の行動について覚えていなかった。少年は自らのアリバイを説明できなかったわけだが、それでも警察は1時間足らずで事情聴取を終了している。

 しかし、少年がすぐに家に帰れたかといえばそう簡単にはいかなかった。実は、東村山署の玄関で矢野が待ち構えていることに刑事が気づき、帰ろうとしていた少年を「ちょっと待て」と押しとどめたのである。また矢野に会えば、少年が何をいわれるかわからない。少年によれば、暴行事件についてはまったく身に覚えがないという。まったく無関係の少年に、これ以上不快な思いをさせるわけにはいかないと刑事は考えたのだろう。少年は再び取調室に戻りしばらく刑事と雑談して矢野が帰るのを待ったが、その中で刑事は少年に「今度矢野と会うようなことがあったら、すぐにその場を離れろ。関わり合いになるな」とアドバイスしたという。しかし結局、その夜、少年は玄関から帰ることはできず裏口から帰してもらうことになった。日付は替わり、すでに深夜午前2時になろうとしていた。

 事件発生当日に東村山署が行った実況検分や聞き込みの中から、少年が事件に関与しているという裏付けは出てきていなかった。またその後、東村山署は少年から再度事情を聴くとともに勤務先の社長からも少年の勤務状況などについて聴いたが、少年が矢野を暴行したと疑うに足りる状況は何も出てこなかった。むしろ逆に、東村山署は事件直後に被害を申告した矢野からさらに詳しい事情を聴こうとしたが、矢野はなぜか「多忙」を理由になかなか事情聴取に応じなかった。被害を訴える者が事情を説明するのに消極的であるとは不自然な態度というほかなかった。東村山署はそれまでの捜査結果と矢野の姿勢などを総合して、少年を犯人とする矢野の供述には信憑性がなく、むしろ冤罪の疑いもあると判断するほかなかった。こうして東村山署は少年を暴行犯とする矢野の訴えを立件しなかったのである。

しかし、少年の身に突然降りかかった災難はこれで終わりではなかった。

(第2回へつづく)


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少年冤罪事件 第2回
今度は少年を民事で提訴

 捜査機関が暴行事件に少年は無関係と認定したことで、少年に降りかかった災厄は過ぎ去ったかに思われた。しかし、いきなり警察に突き出されてから3年後の平成10年9月、少年のもとに東京地裁八王子支部から1通の訴状が送達されたのである。原告は矢野穂積。請求内容は、平成7年7月16日、被告(少年)が矢野に対して暴行を働いた件について、治療費、慰謝料等、計71万4980円(および延滞金)の支払いを求めるというものだった。

 ところで、現在の民事訴訟制度では、それがどんな内容であろうと、形式が整っていれば提出された訴状はすべて一応は受理される。したがって、まるで見ず知らずの人物から、まるで身に覚えのないことでいきなり訴えられるということも理論上は起こり得ることになる。その場合でも、訴えられた側は身に覚えがないからといって応訴しないわけにはいかない。放置すれば原告の主張を全面的に認めたとみなされ、原告の請求が全面的に認められることになるからである。

 21歳になっていた少年の場合、警察に突き出された時点で原告、被告の双方が会っていることは事実だが、2人の間になんらかの利害関係が発生しているといえるのかといえば、少年は矢野から一方的に犯人呼ばわりされただけであり、実際には見ず知らずの関係にあるという本質になんら変わりはない。しかし、その訴えが少年にとっていかに理不尽なものであろうと、少年が矢野とは無関係であること、さらに矢野の訴えの理不尽さを公定力をもって確定させるには応訴するしかなかったのである。

 では、訴状から、矢野のいう暴行事件について見ていこう。矢野のいう暴行事件は、平成7年7月16日午前3時20分ごろ、東村山市の中心部から遠く離れた住宅街の路上で起きた。朝木明代が窃盗(万引き)容疑で書類送検されてからわずか4日後のことである。訴状で矢野は、驚くべき記憶力で事件について詳細に説明していた。矢野の説明を聞こう。

[第1現場]
 その夜、東村山駅近くの「草の根」事務所から自転車で帰宅途中の矢野が現場付近にさしかかった。すると、道路の中央で男が大の字になって寝ており、若い男の二人連れが「危ないですよ」と声をかけていた。矢野が二人連れに「もう遅いので、その男を道の端に移動させて帰ったらどうか」と声をかけると、二人は男を抱えて移動させたあと、車に乗って引き上げた。

 矢野もそのまま現場を離れようとしたそのときである。寝ていたはずの男が突然起き上がり、矢野の自転車をつかんで引き止めると、胸ぐらをつかんでネクタイを引っ張るなどしたためワイシャツのボタンが飛び散った。このとき犯人の顔は目の前にあり、その時間もかなり長かったので、矢野は犯人の顔を鮮明に記憶した。犯人は茶髪で長髪、浅黒い顔だった。

 矢野は男に「乱暴はやめなさいよ」といったが、男は「警察にはいうな」「傘を捨てろ」などといいながら、今度は矢野の頭部を脇で抱えるようにして締め上げ、腹部や胸部に膝蹴りを入れた。男は甲高い声だった。

 その間、矢野は無抵抗のまま耐えていたが、その現場から60メートルほど離れた家によく吠える猛犬がいたことを思い出した。そこで矢野が、首を締められた状態のまま少しずつその家の方に体を移動させたところ、犬が激しく吠えたため、男は暴行を中止した。男は矢野の自転車のところに戻り、自転車をハンドルを上にして縦方向に持ち上げ、激しく路上に叩きつけたあと、自分の自転車に乗って三叉路の北側に逃げ去った。

[第2現場]
矢野が叩きつけられた自転車を乗れるかどうか確かめると、なんとか乗れる状態だった。それで矢野は自転車に乗ってそのまま自宅方面に向かった。そして、正福寺という寺の墓地を過ぎて300メートルほど行ったときである。いきなり背後から甲高い声がしたと思うと、次の瞬間、矢野は自転車ごと突き飛ばされ、路上に投げ出された。

男は再び矢野に暴行を加えた。しかし矢野は、「もし暴力で応酬すれば、今度は“暴力議員”にされかねない」と考え、数分間に及ぶ男の暴行に必死で耐えながら、何度も大声で「助けて」と叫んだ。このとき、犯人の顔だけは記憶しておかねばならないと必死に相手の顔を確認すると、さきほどの暴漢と同一人物だった。

 ちょうどそのころ、運良く正福寺の墓地近くにたむろしていた20歳前後の男女数人のグループがあった。矢野の声を聞きつけた彼らはすぐに駆けつけてきた。これに気づいた男は多摩湖町方面に自転車で逃走したが、若者数人が自転車やバイクで男を追跡、男の名前を特定した。男はこの若者グループと顔見知りだったことが判明した。

 一方矢野は、若者グループの中の1人の女性に110番通報を依頼した。まもなく駅前交番から警官が来て救急車を呼び、その後東村山署からも2人の刑事がやってきた。矢野は救急車で東大和病院に運ばれて応急処置を受けたあと、2つの現場で実況検分に立ち会った。

 平成7年7月18日、矢野は東村山署に被害届を提出。しかし、東村山署は矢野本人に対する正式な事情聴取もしないまま1カ月も放置、ようやく矢野を聴取したのは8月13日だった。…………

 以上が、訴状における事件発生時に関する矢野の説明と主張で、矢野の記憶した犯人の顔と少年の顔の特徴が一致しているとして、矢野はこの少年がこの暴行犯だと主張していた。通常、とりわけこのような暴行事件の場合、当事者は興奮状態となって細かな状況や経過までは記憶していないのが普通で、むしろ何もない状況で記憶することに集中していたとしてもこれほど緻密に記憶できる人間はそうはいまい。超人的な記憶力というべきだろう(余談だが、この矢野の記憶力をもってしても、明代の万引き事件におけるアリバイ主張が客観的事実と著しい齟齬をきたしたとは不可解な話というほかない)。

 ただし、前述もしたとおり、最後の「東村山署が矢野に対する正式な事情聴取をしないまま1カ月以上も放置した」とする記載は客観的事実に反する。東村山署は矢野に説明を求めたが、矢野は「被害者」であるにもかかわらず「多忙」を理由に事情聴取に応じなかった、というのが客観的事実である。

 さて、矢野の細かなディテールにわたる記憶が正しいとすれば、矢野が「犯人」と主張する少年に関する記憶も正しいとみるのが自然だが、はたして裁判はどう進行し、また裁判所は矢野の請求に対してどんな判断を下したのか。


(第3回へつづく)


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少年冤罪事件 第3回
少年の身元にたどり着いた矢野

 この裁判は平成10年10月に始まり、8回の口頭弁論を経て平成12年2月16日に終結したが、結論からいえば、1年半におよんだこの裁判で、矢野は少年と犯行をつなげる証拠を何ひとつ提出することができなかった。にもかかわらず矢野は、その一方で終始一貫して「犯人はこの少年に間違いない」と主張し続けた。つまり矢野は、たんなる人違いではなく、矢野なりの確信あるいは根拠を持っていたということになる。それはいったい何だったのか。

 それを説明するのが、矢野のいう「犯行の動機」だった。かつて創価学会が、小平市にある日蓮正宗寺院僧侶の罷免を求める署名活動を行ったことがあった。その署名簿の中には少年の母親の名前があった。これが「動機」につながると矢野は主張していたのである。母親が創価学会の署名活動に協力していたことが「少年が暴行犯である」ということにどう関連すると矢野は主張していたのか。

 朝木明代が自殺を遂げた直後から、矢野と朝木直子は「明代は創価学会に殺された」と主張し、その根拠として様々な「事件」の存在を主張していた。創価学会批判を展開していた矢野と明代は創価学会にとって目の上のコブで、だからそれらの事件にはいずれも創価学会員が関与した疑いがあり、明代の転落死の背後にも創価学会の存在がある――矢野はこういいたかったのである。

 この暴行事件の犯人が(創価学会員である)少年なら、マスコミに対する矢野や明代の説明も確かに一定の説得力を持つことになるのかもしれない(もちろんそれでもなお、そのことがただちに「明代は創価学会に殺された」とする主張を裏付けることにはならない)。しかし一方、矢野のいう「様々な事件」、そしてこの暴行事件の「犯人」が少年ではなく、創価学会員でもなかったということになれば、逆に矢野の主張(創価学会関与説)は根拠のないものと判断されてもやむを得ないということになる。

 さて、創価学会の署名簿の中に少年の母親の名前があったことは事実である(あるいは、署名簿に署名した女性の息子が「犯人」と名指しされた少年だった、というべきだろうか)。裁判資料によれば、この署名簿を手がかりに少年の存在を割り出し、名前を確認したのは『週刊新潮』の当時のデスクだった門脇護であるという。さすがは当時、矢野の主張のみを「根拠」に「創価学会疑惑」報道の中心的役割を担っていた、「取材力」に定評のある『週刊新潮』というべきだろうか(同誌も矢野のいう「暴行事件」を「黒い帽子の男」の見出しで取り上げていた)。この過程で、東村山市出身の自称ジャーナリスト、乙骨某も少年の割り出しに一役買っていたのだろう(『週刊新潮』も乙骨某も有名な反創価学会ジャーナリズムであり、明代の転落死事件関連の取材でも矢野とは面識があった)。

 ただ、少年の身元の割り出しにあたって活躍した『週刊新潮』の門脇、あるいは自称ジャーナリストが、少年が確かに矢野の主張する暴行事件の犯人であるかどうかについて、客観的な裏付けにたどり着いたのでなければ、彼らはたんに少年のプライバシーを暴いただけということになる。彼らは少年の身元を矢野に伝えたのだろうが、少年の住所と氏名を知った矢野にしても、事件の当日、現場に駆けつけて「犯人を突き止めた」と矢野がいう若者グループからも確かな証言を得ていたのならともかく、少年の身元を知ったというだけでは少年を暴行事件の犯人と特定する客観的な証拠となり得ないことはいうまでもなかった。


(第4回へつづく)



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少年冤罪事件 第4回
逆恨みを恐れた「目撃者」

 もちろん、少年の身元を知ったというだけでは少年を暴行事件の犯人と特定する客観的な証拠となり得ないことについて矢野も十分に認識していたから、矢野は若者グループの1人と矢野がいう人物に法廷での証言を依頼している。しかし、その若者は矢野の申し出を断った。その理由について矢野は、「逆恨みを恐れたため」であると主張し、電話での会話記録を証拠として提出している。「逆恨みを恐れた」こと自体が、「犯人を突き止めた」証拠であると矢野は主張したいようだった。つまり、若者が「逆恨み」を恐れる相手は少年であると矢野は主張しているのだが、それは事実だったのか。実際の電話での会話は次のようなものだった(矢野の電話の相手は、若者の母親だった)。

矢野 裁判所にも「逆恨みされる可能性がある」ということで、むずかしい、というお話をされたみたいですが。
――ええ。
矢野 やっぱりそういうふうなことが原因になりますか。
――やっぱりねえ。
 
 この会話記録をみるかぎり、若者が「逆恨みされる可能性がある」といったのは矢野ではなく裁判所に対してであり、逆恨みを恐れたのは少年ではなく、矢野である可能性もあったということになる。

 矢野が「逆恨み」される相手が少年であると主張する前提には「若者グループは犯人を突き止めた」(当然、その「犯人」とは当の少年でなければならない)とする事実があるはずだが、そもそもそのような事実はあったのか。事件当夜、東村山署は「事件」現場で若者グループからも事情を聴いている。するとグループの1人は、「犯人」の背格好や「犯人」の髪が長髪だったことは証言したものの、「犯人」の顔については「見ていない」としか答えていなかった。事実関係からみるかぎり、若者が法廷での証言を拒んだのは、見てもいないものを見たとは証言できない、というのが本当の理由だったのである。

 仮にこの若者が法廷で証言すれば、それは証言の依頼者である矢野にとって不利なものとなる。とすれば、「逆恨みされる可能性がある」と若者が考える相手は、少年ではなく矢野だったと考えるのが自然だという結論になる。若者は連絡の相手が裁判所だったからこそ、正直に自分の気持ちを伝えたのだろう。ところが、矢野は「逆恨みされる可能性がある」といった若者の言葉を逆手に取り、それが少年に向けられたものであると強引にこじつけようとしたものと推測できる。矢野の代理人はこの電話での会話を利用して少年にこう尋問している。

代理人 彼女が、前回も今回も呼ばれて来なかったんですけれども、出廷を拒否している理由をご存じですか?

少年 知りません。

代理人 矢野さんが、今日出てくれと連絡したんですけれども、あなたに逆恨みされるから出たくないと。

少年 そういうふうにいったんですか?

代理人 矢野さんが、彼女のお母さんに、どうしても難しいんですかと聞いたんですよ。何かお話によりますと、「裁判所にも、『逆恨みされる可能性がある』ということで、むずかしい、というお話をされたみたいですが」と、「ええ」と、「やっぱりそういうふうなことが原因になりますか?」と、「やっぱりねえ」と、そう答えているんですよ。

少年 お母さんがですか?

代理人 あなたが犯人だからということじゃないですか?

少年 …………意味がわからないです。

代理人 顔見知りのあなたに、出てきて真実をしゃべったら逆恨みされるということは、あなたが犯人だということをいってるんじゃないですか?

少年 僕にいってもわかりません。

 暴行事件などまったく身に覚えのない少年にとって、この会話の「意味がわからない」というのはきわめてまっとうな感覚である。それまで会ったこともない少年をいきなり警察に突き出したあげく、「犯人の顔を見ていない」といっている目撃者の何の意図もない言葉を少年の追及に利用した矢野とその代理人の尋問は、事実ではなく発言のこじつけと曲解によって現実的な犯罪事実を生み出そうとするきわめて犯罪的なものというほかなかった。


(第5回へつづく)


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少年冤罪事件 第5回
「少年の身元を明かせ」と迫った政治家

 余談だが、矢野が少年を突き出してから4日後の平成7年9月27日、東村山署には国会内に設置されている警察庁の政府委員室から1本の妙な電話が入っていた。政府委員室の室長はこう伝えた。

「白川勝彦代議士、川崎二郎代議士(自民党衆院議員=いずれも当時)の連名で、例の暴行事件の少年の身元を矢野氏に教えてもらいたいといってきている」

 対応したのは、朝木明代の万引き事件および転落死事件の捜査を指揮した副署長の千葉英司である。冤罪事件の可能性が高く、しかも未成年者の名前を矢野に教えれば何が起きるかわかったものではない。当然、矢野は直接的な行動を起こすだろう(その後少年の身に起きた事実からも明らか)。冤罪に加えて少年に対する2次被害が発生する可能性も想定できた。千葉はすぐに政府委員室の室長に電話してこう回答した。

「この事件は冤罪事件であり、しかも矢野が犯人であると主張している人物はまだ未成年である。少年の身元を矢野に教えることは、市民を保護すべき立場にある警視庁が冤罪事件に加担することにもなりかねない。よって、この要求には応じられない」
 
 断固とした千葉の回答に室長は一言も反論せず、白川や川崎からも千葉に対してなんらかのクレームが来ることもなかった。白川や川崎にしても、警察が公表していない被疑者の氏名を特定の人物に教えろと要求することがどういうことを意味するか、その違法性については十分に承知していたのだろう。もちろん当の少年は、まったく身に覚えのない事件の背後で、自分の身元を探るために現職の国会議員が動き出していたことなど想像したこともあるまい。しかし、事件の背後で実際に国会議員が職務権限の垣根を越えて少年の身元に迫ろうとしていたのである。

 では、白川と川崎はどうやってこの事件の存在を知り、被疑者が「少年」であることを知り得たのか。「事件」があったこと自体は『読売新聞』多摩版が報じたが、これはまだ矢野が「犯人」を特定していない時期であり、被疑者が少年であることについて白川が報道によって知る可能性はない。

 もちろん東村山署は被疑者が少年であることなどいっさい公表していないし、少年が無関係であると判断して釈放している以上、外部に漏らすことはあり得ない。白川が知る以前の段階で被疑者が少年であることを知るのは矢野と朝木直子以外には考えられないし、仮になんらかのルートで白川が事件の被疑者が少年であることを知り得たとしても、それだけでは少年の名を「矢野に教えろ」と東村山署に迫ったことの合理的説明とはならない。白川はなぜ「矢野に教えろ」と迫ったのか。

 白川と川崎は自民党内における反創価学会勢力の急先鋒的存在として知られており、明代の転落死事件を政争の具として利用しようとしていた。一方、矢野もまた自分自身の政治的立場を維持するために明代の自殺を「創価学会による犯行」と印象づけようとしていた。当時の自民党と矢野には互いに利用価値があったのである。つまり、矢野がなんらかのルートで白川に渡りをつけ、国会議員の政治力を利用して東村山署に圧力をかけ、少年の身元を突き止めようとしたとみるのが最も自然だった。

 仮に少年が、少年の主張するとおり、矢野から警察に突き出されるまで矢野とは何の面識もなかったとすれば、矢野はまったく見ず知らずの少年を、明代の自殺を「他殺」と印象づけるために、国会議員を利用してまで暴行事件の犯人に仕立て上げようとしていたということになる。


(第6回へつづく)

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少年冤罪事件 第6回
裁判中にも事件を捏造した矢野

 矢野は政治家の権力を利用しようとして失敗し、最終的に利害関係のあったジャーナリズム関係者によって少年の身元にたどり着いたものとみられる。しかし、矢野が少年を暴行事件の犯人と名指しするに至る客観的な接点は、わずか署名簿に母親の名前があったということだけだった。しかも、少年は小学生のころに何度か創価学会の集会に参加したことはあるが、その後はまったく参加していないという。

 これでは、矢野が東村山署の事情聴取には応じず、マスコミに対して力説した「動機」もすっかり説得力を失い、少年が犯人であるとする根拠は「鮮明に記憶した」という矢野の主観による主張のみということになる。矢野が法廷での証言を依頼し、それを拒否した目撃者の話にしても、「逆恨みされる」のではないかという目撃者の不安は、少年ではなくむしろ矢野本人に向けられたものであるらしいことは裁判所にとって明らかだった。

 また矢野は裁判の中で、矢野が少年を警察に突き出した翌日、事務所の近くのパチンコ店の前で少年と遭遇し、少年が矢野を「にらんでいた」とか、その10日後、団地の近くの公園で矢野を待ち伏せしていたなどと主張した。これらの点について、少年は代理人の尋問に次のように答えている。

(矢野との遭遇の件)
代理人 警察での取り調べを受けた翌日の9月22日、あなたはゲームセンターに行ったということですね。……矢野さんが歩いてきたんですね。……それを見て、あなたはどんな気持ちでしたか。

――やばい、昨日の人だと思いました。

代理人 どうして、やばいというふうに思ったのかな。

――お巡りさんに、かかわらないほうがいいと言われたからです。

代理人 矢野さんは、あなたがこのとき、矢野さんをにらみつけてたというふうに言ってるんですけれども、そのような覚えはありますか。

――覚えはありません。むしろ、矢野さんのほうがこっちを見てて、それに気づいた状態です。

(「待ち伏せ」の件)
代理人 原告の矢野さんは、あなたが朝木直子さんらが乗っている車に近づいてきて、中をのぞくようにして脅したというふうに言っているんですが、そのような事実はありますか。

――ありません。

代理人 矢野さんは、(あなたが団地の近くの公園で会った)兄弟から聞いた話として、あなたはこの2人に、ここに書かれているようなことを矢野さんに話したかどうかを確認しましたか。

――確認しました。

代理人 どういうふうに答えてましたか。

――矢野さんというか、パトカーの中でお巡りさんに、名前と住所を聞かれて、(少年)を知ってるかと聞かれたということでした。

代理人 少年からポケットベルで呼び出されたので、この団地の公園に来たものであると答えたとあるんですが、こういうふうに答えたということは聞きましたか。

――聞きませんでした。

代理人 (少年は)矢野さんを殴った件で警察に取り調べを受けたと話していたというふうに、彼らが供述したということになっているんですが、このような話をしたかどうかということは聞きましたか。

――聞きませんでした。

代理人 こういうことを言ったのかということを、確認しましたか。

――確認しました。

代理人 何て答えてましたか。

――まったく言ってませんと。

 矢野はパチンコ店の前で少年と遭遇すると、それだけで「矢野をにらんだ」と主張し、少年が団地の近くの公園で友だちと会っていると110番までしてパトカーを呼びつけた。しかし、少年の法廷での証言のとおり、少年が矢野を威嚇したというような事実は存在せず、矢野もまたその主張の真実性を立証できなかったのである。いずれもチンピラ並みのいいがかりである。

 でっち上げた冤罪の確証を示すことができない矢野が、警察に対して少年が「クロである」との心証を形成しようとしたものだが、むしろ逆に警察には冤罪の心証をより確かなものとし、裁判においても悪質な捏造という心証を固めてしまったようだった。そもそも根拠のない核心部分を立証できないがゆえに、周辺部分において「疑念」を生じさせることによって核心部分の心証を固めようとする矢野の常套手段がこの裁判でも展開されたのである。



(第7回へつづく)

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少年冤罪事件 第7回
東京地裁八王子支部が「極めて特異」と断定

 本人尋問の最後で代理人から、

「今、こういうふうに裁判になっているんですけれども、今のお気持ちはどういうお気持ちですか」

 と聞かれた少年は、

「めんどうくさいです」

 と答えただけだった。少年にとっては、なぜ自分がこのような目にあわねばならないのか、その理由さえも理解できないというところだったのだろう。普通なら、虚偽告訴罪で反訴してもおかしくないところだが、少年にとっては1日も早く裁判の煩わしさから解放されたい、矢野という人物との異常な関係を終わらせたいという思いだけだったのかもしれない。それも無理からぬところだろう。

 それまで会ったこともない人物から訴えられるという、世の中の常識ではあり得ない裁判の判決が言い渡されたのは平成12年4月26日である。少年がある日突然、「暴行犯」として警察に突き出されてから4年半がたっていた。東京地裁八王子支部(畔柳正義裁判官)は次のように述べて矢野の請求を全面的に棄却した。

〈原告(矢野)が被告(少年)を本件暴行事件の犯人である旨断じた根拠は専ら原告の記憶にあるというのであるが、記憶の曖昧さは経験則上明らかであるから、仮にも公職にある者がこの曖昧な記憶に基づき、しかも司法警察職員による捜査がなされながら刑事訴追の手続きが執られていない被告を名指しで犯人であると断定している点において極めて特異であると言わねばならない。〉

〈原告は、記憶にある犯人の特徴を「茶髪」「顎がしゃくれている猿顔」「浅黒い肌」「甲高い声」の4点を挙げているが、「茶髪」「浅黒い肌」「甲高い声」の3点は際立った特徴と言える程のものではなく、現にこの点についての原告の供述は漠然としたものでそのように認識したという程度に過ぎない。
 結局原告が挙げている犯人の特徴というのは「顎がしゃくれている猿顔」ということになりその特徴を正確に表現することは困難なのであろうが、法廷での印象では、被告の顔だちに際立った特徴があるとは思われない。
 そうすると、犯人の特徴が際立っていたから原告の記憶に信頼がおけるなどという状況にはなかったのであるから、ほかに裏付ける証拠の全くない本件では原告の記憶の正確さには極めて疑問があると言わねばならない。〉

 少年にはまったく身に覚えがなく、警察に突き出されるまで矢野とは会ったこともなかった。それでも矢野は、この少年の顔をはっきり記憶しており、暴行犯に間違いないと主張していたのだから、たんなる人違いでも矢野の思い込みでもない。少年が暴行犯だったことについて証言を依頼した若者が裁判所に対して「逆恨みされる恐れがある」として出廷を拒否したことに対する矢野の曲解、こじつけの事実からも、矢野が意図的に少年を暴行犯に仕立てようとしたものであることは明らかというべきだった。

 矢野が「はっきり記憶した」と主張する犯人の特徴からしてこれほどの曖昧さである。まして、矢野が延々と述べた「事件発生時の状況」となればなおさら曖昧なのではないかと思われても仕方あるまい。

 判決の中の上記の一節が、矢野の訴えの異常さと矢野の主張に対する裁判所の強い意思を示していた。


(第8回へつづく)


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FMひがしむらやま裁判(二次) 判決
 千葉英司元東村山警察署副署長が、政治宣伝ビラ「東村山市民新聞」の記事および多摩レイクサイドFMの放送によって名誉を毀損されたとして、同ビラ編集長・朝木直子(東村山市議)と同放送のパーソナリティ、矢野穂積(同)を提訴していた裁判で、東京地裁八王子支部(加藤美枝子裁判官)は平成19年9月26日、千葉元副署長の請求を認め、朝木と矢野それぞれに対して20万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 矢野と朝木は、「東村山市民新聞」に掲載した「千葉は朝木明代の司法解剖鑑定書に記された上腕内側部の皮下出血の痕について、『なかった』と嘘を言い続けている」との趣旨の記事および、それをそのままFM放送で朗読させたことについて「客観的真実だ」などと主張したが、加藤裁判官は「原告(千葉)は、朝木市議の遺体の上腕内側部に変色痕があったこと自体を否定しているのではなく、同変色痕の存在を前提としつつ、争った痕と考えられる変色痕はなかったと言っていることは、裁判長の2度にわたる介入質問に対する証言をみても明らかである」とし「偽証をしたと認めることはできない」と認定、また相当性についても「証人尋問の調書を注意深く読めば明らかである」として矢野と朝木の主張を退けた。

 争点を同じくする第1次裁判では、一審、二審とも矢野らの主張の相当性を認め、違法性を認定しなかった。今回の裁判で矢野らは第1次裁判の判決を証拠として提出したが、加藤裁判官はこの判決に影響されず、まったく逆の判断を示した。

 元東村山警察署副署長・千葉英司氏の話
「私の法廷における証言の真意を正当に評価していただいた判決と考えている。これまで矢野氏と朝木氏がビラやFM放送で重ねてきた情報操作や脅しによって傷つけられてきた市民は数知れない。彼らの行為は市議としてという以前に、人間として許されるものではない。いかなるかたちであれ、今後も彼らとは徹底的に闘っていくつもりだ」

 なお「ブログマガジン エアフォース」は、矢野や朝木にコメントを求める必要はないと判断した。


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少年冤罪事件 第8回
1回で審理を打ち切った東京高裁

 ではなぜ矢野は、ここまでして少年を暴行犯に仕立てようとしたのだろうか。

 矢野が少年を提訴した平成10年という年は、矢野と朝木が『聖教新聞』と『潮』を提訴し、また『週刊現代』の記事をめぐって創価学会から提訴された裁判の最中だった。明代の万引きによる書類送検とそれを苦にした自殺ののち、矢野はメディアに対して「『草の根』に対してはそれ以外にも様々ないやがらせ事件が起きていた」とし、万引きも転落死もその延長線上に起きたものであるかのような主張を繰り返していた。実際、矢野のいう「様々な事件」―はいずれも書類送検後に発生している。その最初の「事件」がこの「暴行事件」なのだった。いずれの事件も、矢野がそう主張するのみで立件されるに至っていないのは不思議なことというほかない。

 それがなぜなのかについては確定的な理由を示すことはできない。しかし確かなのは、矢野がいずれも立件されていない「様々な事件」について、他の裁判で「明代の転落死が他殺と推認できる」根拠として主張していたということである。その過程で多くの被害者を生んできた。明代の万引きの被害者であるブティックの女性店員、明代の自殺当夜、たまたま明代の自宅近くに車を停めていた男性、ビルから転落して苦しんでいる明代を心配して声をかけたハンバーガー店の女性アルバイト店員――それらの人々はいずれも、矢野が「万引き捏造説」「明代の他殺疑惑」を喧伝するため、すなわち明代の死が自殺であり、その背景には万引き事件における矢野と共謀したアリバイ工作とその破綻があったという事実を糊塗するために利用されたのである。少年もまた、判決文をみるかぎり、矢野の情報操作の材料として暴行犯に仕立て上げられたとみるのが自然だった。

 だからこそ矢野は、請求が棄却された一審判決を素直に受け入れるわけにはいかなかった。もともと劣勢である上に、少年事件が冤罪だったとなれば、他の裁判に悪影響を与えかねないと矢野が判断したとしても不思議はなかった。だから、矢野はただちに控訴した。控訴したという事実によって、一審判決の確定時期を遅らせるという現実的効果もある。あれだけ厳しい判決を突きつけられれば、普通は控訴を断念してもおかしくないが、いかなる状況の変化があろうと、一度主張したことは絶対に非を認めないのが矢野のたぐいまれな特質である。矢野はなおも少年が「暴行犯」であるとして東京高裁に控訴したのである。

 東京高裁で控訴審の第1回弁論が開かれたのは平成12年10月2日。この年の6月26日には、朝木明代の「他殺」と「万引き冤罪」を主張した『聖教新聞』裁判の一審判決で矢野と直子は敗訴。同8月29日、あたかも創価学会が明代を殺したかのような記事を掲載して創価学会から提訴されていた『東村山市民新聞』裁判では矢野の本人尋問が予定されていたが、矢野が「めまい」を理由に欠席し、11月14日に延期になるという出来事もあった。矢野と朝木にとって重要な裁判が続く中での控訴審弁論だった。法廷には控訴人席に矢野と代理人弁護士、被控訴人席には少年の代理人弁護士、傍聴席には朝木直子の姿があった。

 控訴審では、控訴人は控訴状のほかに第1回口頭弁論期日の前に控訴理由書(控訴に至った理由を詳細に説明した文書)を提出しなければならない。当然、この裁判でも矢野側からどんな内容の控訴理由書が提出されるのか注目していた。はたして矢野は、高裁に一審判決を再検討させるだけの説得力のある理由を示せるのだろうか、と。ところが、開廷直後の裁判長と矢野代理人とのやりとりから、矢野がまだ控訴理由書を提出していないことがわかったのである。

裁判長 代理人、何かいいたいことはありますか。

矢野代理人 目撃者(「逆恨みされる」として証言を拒否した若者)に対する証人尋問を申請します。

裁判長 控訴人の方からは控訴理由書が出ていないようですが、何をご主張されたいわけですか? 一審判決の「本件訴訟に顕れた証拠によっては、未だ被告が本件暴行に及んだ犯人であるとは認められない」という箇所が不服ということですか?

代理人 はい。

裁判長 当裁判所としては、一審で十分に調べていると思いますので、これで判断したいと思うんですが。

 裁判長の言葉は、一回の口頭弁論をもって結審したいという趣旨である。しかも、「一審で十分に調べている」とは、これ以上調べることはないということで、高裁が一審判決を追認する方針であることがうかがわれた。矢野ももちろんそう受け取ったのだろう。矢野は代理人になにやら強い調子で指示を出した。矢野としては、自己に不利な結論は可能なかぎり先延ばしにしなければならない。しかし、控訴理由書も提出していないのでは引き延ばそうにも説得力のある理由を見つけることは困難だった。最後に残っていたのは、矢野のいう「目撃者」に対する証人調べである。これならかろうじて、一審で取り調べが行われていないという理由らしきものはある。裁判長は「一審で十分に調べていると思います」といっているものの、気が変わらないともかぎらない。裁判官がこの取り調べは不可欠と考え直せば、優に2カ月は結論を先延ばしにすることができる。矢野は可能性が低いことはわかっていても、強い口調で代理人にそう主張するよう求めたのである。裁判官から結審をほのめかされてから時間にして10秒前後ののち、矢野の指示を受けた代理人が裁判官に向かって口を開いた。

代理人 目撃証人の証人尋問をお願いします。

 矢野側の再度の証人調べの申し立てに対して裁判長は、まさに間髪を入れずこう回答した。

裁判長 証人申請は却下します。それではこれで終結ということで、次回に判決を言い渡します。

 もちろん矢野側は黙って裁判長の裁定を聞くだけだった。裁判長はこの口頭弁論で、矢野代理人に対して最初はにこやかに話しかけていた。しかし、再度の証人申請を却下したとき、裁判長の顔はもう笑っていなかった。東京高裁も矢野が証人を申請した若者が「逆恨みされる恐れがある」とした相手が、当の矢野であることをとうに見極めていたのだろう。もともと根も葉もない事件であることは一審の裁判資料を見れば歴然である上に、控訴理由書も提出しないのでは1回の口頭弁論で終結となるのも当然と思えた。


(第9回へつづく)


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少年冤罪事件 第9回(最終回)
                               ★第1回から読みたい人はこちら

ただちに弁護士を解任した矢野

 証人申請を却下され、法廷から出てきた矢野は、私がそれまで見たこともないほど沈痛な表情だった。私が見解を聞こうと話しかけても、矢野は一言も口を開かなかった。たった1回の弁論で終結したことがよほどショックだったのか。あるいはその現場を、裏事情を知る人間に見られたことがショックだったのか。おそらくその両方だったのだろう。

 矢野と直子が主張していた明代の死を「他殺と疑わせる」様々な事件の中で、少なくとも暴行事件については、事件そのものの存在さえ疑わせるに十分な判決が言い渡される可能性が高まったのは明らかだった。とりわけ、創価学会から提訴されていた『週刊新潮』は当時「黒い野球帽の男」という見出しで取り上げていたが、矢野の代理人は『週刊新潮』の代理人でもあった。矢野の主張が排斥されれば、暴行事件に関して矢野は『週刊新潮』の面目をつぶすことにもなるのである。矢野と直子、代理人弁護士の3人は、視線を下に向けたまま、無言でエレベーターに乗り込んだ。
 
 矢野が代理人の弁護士を「背信行為があったため」という理由で解任したのはその2日後のことだった。「背信行為」が具体的に何を意味するのかはわからない。2日前の裁判で、本来は弁護士が提出すべき控訴理由書を提出しなかったことと何か関係があったのだろうか。矢野の論理からすれば、「お前のせいでこうなった」ということなのかもしれなかった。利用できなくなった者を、手のひらを返すように切り捨てる判断の速さと非情さもなかなか真似のできるものではない。

 しかしそもそも、それまで何の接点もなかった未成年の少年を「暴行犯」と断定したこと自体、異常なことだった。弁護士としては依頼人である矢野の利益のために働く義務があるが、それにしても不当な提訴であることを代理人も感じていたのかもしれない。おそらく代理人は、どう考えても少年が「暴行犯」であることを前提とする控訴理由書は書けなかったのである。仮に書いたとしても、控訴審で再び目撃者と称する若者に対する証人申請を行ったことからすれば、訴状以上の新たな主張はできなかっただろう。

 いずれにしても、1回の弁論を開いただけで終結した高裁の判断は妥当なものだった。なぜなら、このような冤罪であることが確かな事件をこれ以上長引かせることは、矢野の企みに裁判所が加担して少年を苦しみから解放することを阻害することになりかねず、矢野の証人申請を認めることは、裁判所自らが裁判途中に少年以外の新たな被害者を生み出すことになりかねないのである。

 平成12年11月29日、東京高裁は矢野の控訴を棄却する判決を言い渡し、少年の長く理不尽な闘いはようやく終わった。しかし、矢野と朝木が判決から3年後の平成15年11月に出版した『東村山の闇』の中でこの事件について訴状以上に詳細に触れていることは周知のとおりである。ここでは『東村山の闇』の記載内容に対する細かな論評はしないが、その内容は裁判所が否定した内容を一方的に蒸し返したものにすぎない。一度言い出したことは何があっても譲ることのない矢野と朝木の執拗さは、まさに東京地裁八王子支部が述べたように「極めて特異」というほかない。

 余談だが、『週刊新潮』裁判で『週刊新潮』側は矢野と共通の代理人を通して矢野に証言を依頼し、当初、矢野は証言台に立つことを承諾していたようである。しかし、少年冤罪事件裁判の控訴審終結後、矢野も直子も証言を拒否した。尋問を前に彼らがなぜ出廷を拒否したのか、確かなことはわからない。明代の死後、一貫して「明代の万引き犯の汚名を晴らす」と言い続けてきた矢野と直子が、どんな事情があったにせよ、「潔白」を「証明」する大きなチャンスを自ら放棄したというのは理解しにくい話だった。間違ってもそのことが直接の原因ではないが、『週刊新潮』は敗訴し、控訴も断念したのである。

(了)

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