ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

『聖教新聞』事件 第1回
やや異例の会見案内

 平成8年8月5日、新聞、週刊誌などマスコミ各社に記者会見を告知する1通のファックスが送信された。差出人は「朝木明代記念基金」。会見の趣旨は〈昨年発生の朝木明代・東村山市議謀殺事件等につき、民事提訴を行う〉というもので、8月7日に提訴したあと、東京弁護士会館で会見を開くという。出席者には「朝木直子東村山市民新聞編集長、矢野穂積東村山市議」のほかに2名の弁護士の名前が記載されていた。

 会見の案内としてここまでは普通だが、やや異例に思えたのは、この案内にはさらに〈当事者(被告)〉として創価学会会長や千葉英司東村山警察署副署長、朝木明代から万引きされた被害者の氏名が実名で記されていたことである。記者会見に来ないメディアに対しても、「朝木明代謀殺事件」をめぐって民事裁判が提起されること、創価学会会長と捜査指揮官である東村山警察署の副署長、「朝木明代から万引きされた」と訴えている女性店主らが訴えられたという情報だけは最低でも伝えようとする意図があったように思える。しかし被告名を明記する一方で、〈(原告)〉としては〈故朝木明代議員遺族及び同僚市議〉とあるだけで実名は記載されてはいなかった。

 8月7日、霞が関の東京弁護士会館5階の記者会見場に着くと、会場にはすでに多くの記者が集まっており、テレビカメラも数台入っていた。警視庁が「自殺」の結論を出していても、マスコミはいまだそれなりの関心を持っていることがうかがえた。記者の中にはすでに『怪死』を刊行していたジャーナリスト乙骨正生もいた。私は会場に入るのが少し遅れたせいか、主催者が用意した訴状のコピーはもうなくなっていた。

 会見席には左から「草の根」支持者の小坂渉孝(明代が万引きで被害届を出されたあと、明代とともに被害店を脅しに行った人物)、矢野穂積、弁護士、朝木直子ともう1人支持者と思しき人物の計5名が並んでいた。その日はよく晴れた暑い日で、彼らの後方の窓からは強い西日が射していた。

回答書を掲げた代理人

 会見では主催側から案内どおりの提訴をしたとする報告があったあと、記者からの質問を受け付けた。質問をしたのは女性記者と私の2名だったと記憶している。最初に手を挙げた女性記者はストレートにこう聞いた。

「矢野さん、(万引き事件の)アリバイの証拠はあったんですか?」

 女性記者に対して矢野は何やら一言嫌味をいったあと、こう答えた。

「アリバイを証明するレジ・ジャーナルが存在することは間違いないからファミレスの本部に弁護士を通じて照会したが、『照会には応じられない』旨の回答があった。このため、アリバイの証拠はまだ入手できていない」

 隣に座っていた代理人弁護士は、ファミレス側からの「回答書」を記者席に向けて仰々しく広げて見せた。まさか弁護士はこれで、ファミレス側が対応を断った事実をもってアリバイを証明できない言い訳になるとは考えなかっただろう。しかし、「回答書」を見せられたマスコミの中には、「何者かの力が働いてレジ・ジャーナルを隠匿している」と受け止めたところもあったのかもしれない。

『怪死』の内容を否定した矢野

 女性記者がアリバイに関する質問をしたので、私もアリバイについて聞いた。同年5月に発行されたばかりの『怪死』(教育史料出版会)には次のようなくだりがあった。

〈このレシート(筆者注=明代が東村山署の取り調べの際、アリバイの証拠として提出したもの)は、朝木さんのアリバイを証明するものではなかった。朝木さんと矢野氏は勘違いによって、他人のレシートを提出してしまっていたのである。

「10日以上も前のことだったので、食事の内容に若干、記憶違いがあり、結果的に間違ったレシートをもらって提出していたのです。しかし、よくよく考えてみると食事内容が少し違う。そこで、正しいレシートを提出すべく、店側に再度レシートをリクエストしましたが、警察がレシートの控えをすべて押収してしまっていたため、レシートを出してもらうことはできませんでした。そこで、警察にレシートの控えを見せてほしいと申し入れていますが、応じてくれません」(矢野氏)〉

 私は上記記載に基づいて、「『怪死』には朝木さんがレストランにレシートを出してもらうにあたって伝えた『食事内容を間違えていた』と書かれているが、それは事実か」と聞いた。すると矢野は私に対して、「名誉毀損記事を書いてる人ですね。いずれ提訴しますからね」と前置きし、こう答えた。

「その記載自体が誤りで、その部分も含めて、この著者には訂正を求めている」(趣旨)

『怪死』では現実に聞いた矢野のコメントとして〈食事の内容に若干、記憶違い〉があったと書かれているが、矢野によれば、この箇所も事実ではないということになる。

 のちに矢野は「店長が間違えて明代に『レギュラーランチ』のレシートを渡した」と主張している。(アリバイが本当にあったとすれば)「明代が間違えた」か「店が間違えたか」は大問題だが、乙骨は『怪死』を書くにあたってなぜこんな大きな事実誤認をしてしまったのだろうか。

 矢野が主張するように乙骨が間違えたのか、あるいは矢野が主張を変えたのか。いずれにしても、記者会見という公の場で、刊行したばかりの著作の中でも重要な部分について取材したはずの本人から否定されては、乙骨も内心穏やかではなかっただろう。しかし当時、私には矢野が乙骨の記載を否定した意味や、矢野から著書の内容を否定された乙骨の心理まで思い至ることはなかった。

 記者会見で矢野はこのように記者の質問に対してきわめて強気に反論し、創価学会と闘っていく姿勢を鮮明にした。矢野が記者の質問に答えている間、視線を落としぎみに座っているだけだった朝木もまた、「裁判を通して母の万引き犯の汚名を晴らしたい」と述べた。

 弁護士会館にやってきたマスコミは、この時点ではまだ、訴状で朝木が「『週刊現代』の取材は受けていない」などと主張しているとは誰も知らなかった。

浮かぬ顔のジャーナリスト

 記者会見が終わり、ロビーで知り合いのジャーナリストと話していると、目の前を乙骨が通り過ぎていった。その表情に私はやや違和感を覚えた。

 この日の会見は、すでに創価学会から提訴されている朝木と矢野の側からの反撃、宣戦布告ともいえるもので、「他殺」を主張する乙骨にとってもきわめて重要かつ意義あるものと思われた。しかしそんな重要な記者会見の直後にしては、乙骨の表情にいまひとつ積極性のようなものを感じることができなかったのである。むしろ私には、なにか乗り気がなさそうな感じさえしたのだった。

 そのとき私はまだ、矢野が『怪死』の一部を否定したこと、ほかにも乙骨に対して訂正を申し入れていると述べたことの重大性を認識できていなかった。しかしのちに、『怪死』出版後に前述の「レシートの誤り」の箇所だけでなく、他の記述(〈朝木さんに対しても、「万引き常習者」だの「家族揃って万引きをしている」などと、それこそ根も葉もない誹謗中傷が必要に加えられているが、そうした誹謗中傷の極めつけにあるのが、W不倫情報。〉)をめぐっても、乙骨は矢野と朝木から訴えられていたことが明らかになった。今から思えば、記者会見の時点ですでに、乙骨には矢野と朝木に対する不信感を感じ始めていたとしてもなんら不思議のない状況にあったということだった。

 さらに訴状で朝木が「『週刊現代』の取材を受けていない」と主張していることがわかり、乙骨も彼らの特異さを知ったのではあるまいか。平成8年8月7日は、「他殺」を主張する者たちの間で決して表には出したくない軋轢と深刻な対立が生じた日でもあったようである。

(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第2回
創価学会の反論

『聖教新聞』事件とは、『週刊現代』(平成7年9月27日付)が掲載した〈東村山女性市議「変死」の謎に迫る 夫と娘が激白! 「明代は創価学会に殺された」〉と題する記事に反論した『聖教新聞』(平成7年9月21日付)の記事によって名誉を毀損されたなどと主張して、矢野と朝木父娘が聖教新聞社や創価学会および東村山警察署副署長(当時)の千葉英司、万引き被害者らに対し、連帯して3000万円余の支払い及び謝罪広告の掲載を求めて提訴したものである。矢野らが問題とした記事は〈秋谷会長(筆者注=当時)――質問に答える〉というシリーズの13回目の記事で、「質問」のテーマが『週刊現代』の記事だった。

 記事で秋谷は次のように述べた。

〈警察の調べによれば、……(朝木明代は)飛び降り自殺した可能性が極めて高いとされています。いうまでもなく、学会には何のかかわりもない事件です。

 にもかかわらず同市議の長女(筆者注=朝木直子)は、「創価学会はオウムと同じ」「自殺したように見せて殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました」などと耳を疑うような学会中傷のコメントを「週刊現代」に寄せた。また夫は、「妻が万引き事件で逮捕されたことも、学会におとしいれられただけ。万引き事件で悩み、それが原因で自殺したというシナリオを作ったんです」等と放言している。

 夫のいう「万引き事件」とは、死亡した市議が地元の洋品店でTシャツを万引きしたとして、7月に窃盗容疑で書類送検された事件です。この件に関しては、洋品店の人も市議が万引きする瞬間を目撃しており、警察も立件に自信を持っていた。――略――

 また、東村山署の副署長が「万引き事件は発生当時に目撃者が多数おり、同僚の男性議員と事件後にアリバイ工作をした疑いも濃く、極めて悪質と判断した。朝木市議は万引き事件がでっちあげだったと主張しているが、捜査は適正に行われ、書類送検には自信を持っている」と語っていた通りです。

 ところが、この夫と娘は、その万引き事件も、今回の転落死事件も、なんと“学会が仕組んだ陰謀”“学会と警察は共謀している”というのです。……何の確証もなしに、こんな荒唐無稽の「シナリオ」をつくって、何の関係もない学会を「人殺し」呼ばわりするとは、迷惑千万極まる話です。以下略〉

一石二鳥

 これに対して矢野と朝木は訴状で以下のように主張していた。(趣旨)



(訴状における矢野と朝木の主張)

①朝木明代は「万引き未遂事件」にはいっさい関係なく、明代の死亡は自殺ではないとする朝木および大統の主張を「耳を疑うような」「放言」と記載したことによって朝木父娘の社会的評価を低下させた。

②矢野は、朝木明代は「万引き未遂事件」にはいっさい関係ないとしてアリバイを主張したが、これを否定する千葉副署長のコメントを記載したことによって矢野の社会的評価を低下させた。

③明代が「万引き未遂事件」に関与した事実はなく、飛び降り自殺した可能性はまったくない。

④朝木父娘は『週刊現代』において、「創価学会はオウムと同じ」「自殺したように見せて殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました」「妻が万引き事件で逮捕されたことも、学会におとしいれられただけ。万引き事件で悩み、それが原因で自殺したというシナリオを作ったんです」「万引き事件も、今回の転落死事件も、学会が仕組んだ策謀」「学会と警察は共謀している」などと発言した事実は、いっさいない。



『週刊現代』編集長の元木昌彦は、とりわけ④の主張をしていることを知らされ、激怒したと聞く。しかも、矢野と朝木にとって④の主張が認容されれば、仮に③が認められなかったとしても、問題とされた『聖教新聞』の記事が『週刊現代』の記事に基づいたものであることは明らかだから、少なくとも創価学会の名誉毀損が認定される可能性が高い。

 つまりこの主張は、朝木が『週刊現代』の記事をめぐって提訴された裁判では責任を問われることがなくなり、『聖教新聞』を提訴した裁判では勝訴が確実という、いわばまさしく一石二鳥の主張なのだった。矢野と朝木は、自分たちにはいっさい非がないといっているのである。

「事件の究明」を宣言

 この提訴について矢野は平成8年9月18日付『東村山市民新聞』第78号(「草の根市民クラブ」の政治宣伝ビラ)1面で次のように大々的にアピールしたものである。

(サブタイトル)

〈議員殺害事件〉

〈ついに法廷で事件の究明はじまる――〉

(メインタイトル)

〈東京地裁に事件関係者らを提訴!〉

 警視庁東村山署は明代の転落死を自殺と結論付けている。平成7年12月22日に行った記者会見で述べたとおり、自殺とは「事件性がない」ということである。ところが矢野は警視庁の判断を無視し、明代の転落死を〈議員殺害事件〉と決めつけていた。「殺害事件」と断定し、「事件関係者らを提訴」と記載すれば、それだけであたかも被告らが「事件に関与」していた人物たちであるかのような印象を与えるという文言の選択であり、並びである。

 本文では次のように記載している。

〈弁護団が提出した訴状によれば、「万引き未遂事件」で、朝木議員は一切関係がないのに、あたかも犯人よばわりし、「万引きを苦に自殺した」かのような発言を被告らが行い、これを……「聖教新聞」が公表し……関係者の名誉を毀損したので、3000万円を支払い、謝罪広告を載せるよう求めている。いよいよ事件の究明が始まる。〉

 本文における矢野らの主張の紹介はこれだけだった。〈いよいよ事件の究明が始まる〉と宣言したにしては、やや拍子抜けのする内容というべきだろうか。明代の万引き事件が「冤罪」だというのなら、矢野が証明すると主張している「アリバイ」の内容(あるいは証拠)でも堂々と主張すればいいのではあるまいか。

 また朝木直子は「『週刊現代』から取材を受けておらず、コメントもしていない」というのなら、『聖教新聞』が掲載した記事は根底からその根拠を失うことになるのだから、その旨も主張すればいいのではないのか。『週刊現代』に記載されたようなコメントはしていないといったところで、けっして「万引きを苦にした自殺」を認めたことにはならないのだから。

(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第3回
立証されない「脅迫電話」

 矢野は『東村山市民新聞』第78号で『聖教新聞』や千葉副署長らを提訴したことは報じたが、明代が書類送検された万引き事件のアリバイや、「朝木が『週刊現代』でコメントした事実はない」などの最も重要であるはずの事実に関してはまったく触れていなかった。

 その代わりに記載していたのが、①矢野に脅迫電話がかかってきたという話、②ビラ(『東村山市民新聞』)が折り込まれる新聞販売店に「折り込むな」というクレームが続出しているという話、さらには③明代が自殺した当時の東京地検八王子支部長が「創価学会信者だった」という話だった。

 ①の脅迫電話があったとする記事には次のように記載されている。



〈脅迫 矢野議員に脅迫電話〉

 9月8日午後、草の根・矢野議員の自宅に、創価学会関係者を提訴したことなどを逆恨みしたと見られる脅迫電話がかかった。

 ……提訴は許せない旨の罵声を叫んだ後「とび降り自殺などして逃げるなよ」と、自殺にみせかけて殺害するするととれる言葉が記録されていた。

 矢野議員らは事態を重視、創価学会本部に対し、折込問題も含めこの種の脅迫が再発した場合、本部が指示したとみなす旨内容証明で通告した。



 矢野は『聖教新聞』裁判の提訴を〈逆恨みしたと見られる脅迫電話〉というが、その証拠があるのかどうか、この記載からは断定できない。それに「殺害するととれる」と判断したのなら、創価学会に内容証明を送るのではなく警察に通報するのが先だろう。警察がこれを「脅迫」と判断し、捜査に乗り出せば発信者も明らかになったのではあるまいか。しかし矢野は不思議なことに、警察に告訴したとは記載していない。

 また『聖教新聞』裁判では、「明代が殺害されるまでに多くの嫌がらせや脅迫を受けていた」として多くの「事件」なるものを主張しているが、この提訴後の「脅迫」についてはいっさい触れられていない。矢野の主張によれば、明代の死後の「事件」であっても「創価学会による嫌がらせ」であることに変わりはないのだから、この「事件」もまた「多くの嫌がらせや脅迫」の1つとして主張してもなんら不自然ではない。

 しかし裁判で一言も主張されないのは、事実や創価学会との関連についての立証に問題があったとしか考えられない。これが矢野の憶測にすぎなかったことは、この「脅迫電話」について矢野自身が記事の冒頭で〈創価学会関係者を提訴したことなどを逆恨みしたと見られる脅迫電話〉と記載していることからも明らかだった。憶測にすぎないというだけでなく、「脅迫電話」の存在自体も疑われても仕方がないのではあるまいか。

相次いだ新聞販売店への苦情

 同78号に掲載された上記②の新聞販売店に対する「東村山市民新聞を折り込むな」というクレームについても、一部は憶測であることがのちに明らかになっている。記事は「編集長朝木直子」の署名記事である。記事はタイトルでまず〈なお続く創価信者の嫌がらせ〉〈創価学会本部も関与?〉と、そのクレームが〈創価信者の嫌がらせ〉であると断定。本文では次のように記載している。



……(「東村山市民新聞」)に創価学会関係の記事が掲載されると新聞販売店や広告代理店の担当者らに「折り込みするな」などしつこい電話がかかって仕事もできない被害が続出しています。

 本名や電話番号を明らかにした上で、直接言ってくる程の勇気はなく、裏でこそこそ嫌がらせするのはカルト教団そのもの。



 記事が暗に、この身元を明らかにしない「嫌がらせ電話」の主が創価学会員によるものであると主張していることは明らかである。記事では、そのクレームの電話が「創価信者」からかかってきたものとどうして判明したのかについてはいっさい明らかにされていない。それでも前記①の「脅迫電話」と同様に、朝木は〈今後も同様の嫌がらせや被害が続くようだと、創価本部が指示してやらせていると判断します。〉と結んでいる。

 朝木の主張が客観的に証明されなければ「一方的な決めつけ」の誹りは免れまい。また当時、仮に朝木の上記主張に疑問を持った市民がいたとしても、市民の側にもまた朝木の言い分を否定するだけの根拠はなかったのである。

裁判所が関与を否定

 では、彼らが主張するような、創価学会によるビラ配布に関わる嫌がらせの事実はあったのか。これについてはその後、矢野らがビラ(『東村山市民新聞』)の折り込みを拒否した新聞販売店や、クレームをつけることによって折り込み配布を妨害したとして創価学会を提訴した裁判の判決で結論が出ている。平成16年1月26日、東京地裁は次のように結論付けたのである。



 原告矢野は、被告創価学会の信者が被告販売店ら……に対して苦情、抗議を申し入れて本件新聞の折込配布を妨害した旨主張する。

 しかしながら、本件各証拠を検討しても、被告創価学会の信者が上記苦情、抗議を申し入れたことを認めるに足りない。



 創価学会員個人がクレームの電話をかけたとは認定できないというのだから、まして朝木がビラで主張する〈創価本部が指示してやらせている〉という事実はとうてい存在し得ない。〈創価学会本部も関与?〉と題する記事にはまったく根拠がなかったと認定されたに等しかろう。

 するとビラ78号には、矢野が電話で「脅迫された」とする記事とともに、確かな根拠が存在しないにもかかわらず、創価学会から「嫌がらせを受けた」とする記事がもう1本掲載されていたことになる。矢野はこれだけ根拠のあやふやな記事に全4ページのうちの1ページ近くを割いたのである。

 そんな根拠も曖昧な記事を掲載するぐらいなら、アリバイの証拠の1つでも明記すればいいと思うが、『聖教新聞』提訴の記事では明代の万引きを否定する根拠は何一つ記載せず、「『週刊現代』にはコメントしていない」ともいっさい記載していない。矢野は存在しないにもかかわらず「創価学会から嫌がらせを受けた」と強調することで、明代の万引きを否定する根拠がないという事実から市民の注意をそらせようとしていたと考えるのが自然なのではあるまいか。

 矢野はこれらの根拠もあやふやな「嫌がらせ」に加え、「担当検事が創価学会員だった」という話を加えることで、警視庁が出した結論は間違っており、やはり「明代は創価学会に殺されたのだ」というデマを継続させようとしていたのである。

(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第4回
被害者が「『事件』に関与」と断定

 矢野は『聖教新聞』に対する提訴と、新聞販売店に寄せられたクレームについては『草の根市民新聞』第3号(平成8年8月号)でもほぼ同内容の記事を掲載している(『草の根市民新聞』とは、『東村山市民新聞』が東村山市内限定であるのに対し、国政選挙や都議選などの場合のように、周辺地域にまで配布地域を広げる必要があるときに発行するビラで、実質が矢野の政治宣伝ビラであることに変わりはない)。

 同年10月には自民党が「天下分け目の決戦」と位置付けていた総選挙が目前に迫っており、自民党は新進党攻撃のために矢野らが主張する「創価学会疑惑」を最大限に利用していた。その総選挙に朝木直子が(殺された明代の)「弔い合戦」を掲げて立候補を予定していたのである。反創価学会票の獲得とともに、間接的な自民党への協力という狙いがあったのかもしれない。当時、矢野と自民党組織広報本部長(=当時)の亀井静香は蜜月関係にあった。

 ただこの『草の根市民新聞』では、提訴の内容については本家である『東村山市民新聞』よりも踏み込んだ見解を掲載していた。同誌は「編集後記」において以下のように主張していた。



 8月7日、創価学会関係者や洋品店の女店主らを提訴したことで、昨年以来、言いたい放題だった彼らにも、事件に関してどのような役割を果たしてきたのかを法廷で明らかにしてもらうことに。

 東村山警察の千葉英司副署長も被告です。

 法廷では、決め手もなく人を犯人扱いしたり、あたかも偽装工作をしただのと好き勝手にはいえません。

 憶測で漏らしたことを書いてくれる御用記者も法廷にはいません。いよいよ真相究明です。



「編集後記」には副編集長として朝木の弟の署名がある。その「見解」によれば、「創価学会関係者と万引き被害者が何かの『役割』を果たした」とし、千葉副署長は「憶測で明代を犯人と決めつけ、アリバイ工作したと断定した」と主張していると理解できる。東村山市外の有権者に「創価学会疑惑」をより印象付けるにはより強い文言が必要と考えたのだろうか。

 ただ弟は、明代が自殺を遂げた日の午後、弁護士との打ち合わせには行っておらず、自宅にいたことを証言するとともに、「警察を信用しています」と供述していたことがのちに明らかになっている。その供述が口から出まかせのものでないかぎり、万引き被害者が謀略に関与し、副署長が「憶測」で「明代と矢野はアリバイ工作をした」などと決めつけるような記事を弟が書いたとは考えにかった。

もう1つの不都合な事実

 さて、『聖教新聞』提訴後に発行したビラで矢野は、「『週刊現代』から取材は受けておらずコメントはしていない」と主張していることにはいっさい触れなかった。通常、有名週刊誌に掲載されたコメントがまったくの捏造だったということになれば、それ自体が社会問題となろう。また「矢野と朝木は『週刊現代』のハシゴを外した」と受け取る市民がいてもなんら不思議はない。

 したがって、「コメントはしていない」と主張している事実をビラに記載しなかったのは、矢野と朝木が『週刊現代』と対立、反目している事実を市民に明らかにすることは彼らのイメージにとってプラスにはならないと判断したということと理解できた。むしろ矢野としては、「『週刊現代』にコメントしていない」と主張している事実を裁判以外では隠したいというのが本音だったのではあるまいか。

 一般市民に対して「明代は創価学会に殺された」とするイメージを植え付けたい矢野と朝木には当時、表沙汰にすべきではないと考えていた不都合な事実がもう1つあったことがのちに明らかになった。明代の万引き事件当時から「草の根」事務所に出入りし、『週刊現代』が創価学会から提訴された直後の平成7年10月17日には、朝木側の関係者として講談社との打ち合わせにも同席していたジャーナリスト乙骨正生との関係である。

 本連載第1回で触れたように、矢野は『怪死』の記載内容の一部について「訂正を申し入れている」と述べ、その日の乙骨の態度に私はやや違和感を覚えた。しかしもちろんその時点で、彼らの間で具体的に何があったかなど知るよしもない。むしろ『怪死』は「明代の転落死は他殺である」「創価学会に疑惑がある」「警察の捜査は不十分である」などと主張している点においてみごとに矢野の主張を代弁したものだったから、彼らが強固な信頼関係で結ばれているという認識に変わりはなかった。

利用できるところは利用

 その認識を改めて確認したのは、矢野が同年10月20日に行われる総選挙の直前に発行した『草の根市民新聞』第4号(平成8年10月号)に掲載された記事だった。当然のように紙面はほぼ公明・創価学会批判で埋められていたが、彼らのビラとしては初めて乙骨の『怪死』を紹介したのである。

 記事は「議員殺害事件が本に」のタイトルで表紙の写真入りで3面の2分の1を割いていた。記事は『怪死』を次のように紹介している。



 創価学会ウォッチャーとして論陣を張っているジャーナリストの乙骨正生さんが、朝木明代・東村山市議殺害事件の本を出版した。その名は「怪死」。

 ディテールについては、注文もなくはないというのが遺族側の心情かもしれないが、事件の概要や「カルト教団・創価学会」の実態について、コンパクトにまとめられている。

筆者注=矢野の「書評」はたったこれだけで、以下は『怪死』のあとがきを引用)



 上記の矢野の文章の中で、乙骨が『怪死』を出版したという基本情報以外の「批評」部分(上記の第2段落目)をみると、後半部にほとんど中身のない肯定的評価が記載されている。一方その反面で、前半部では遺族に「不満」があったことをうかがわせる一節があえて付け加えられていることが注目される。注意深く読めば、この部分だけには内容(事実的背景)があることがわかるだろう。しかし当時、「注文もなくはない」という文言の意味がわかるのは、矢野と朝木以外にはおそらく乙骨だけだった。

 だから私も当時は、「注文もなくはない」という文言に深い意味があることになどまったく気づかなかった。むしろ矢野と乙骨の共闘関係の強さを感じたのだった。

 しかしのちに、この「書評」には複雑な利害が表現されていたことがわかる。きわめて恥ずかしい「噂」の存在などをそのまま記載された矢野と朝木としては、その内容を手放しで称賛することはできなかった。それが「注文もなくはない」という部分だった。

 ただ衆院選を控え、「明代は殺された」と主張する内容の本が出版されたことは朝木にとって有利な宣伝材料である。したがって、乙骨に対してはやんわりだが「問題の部分はけっして容認しない」という断固とした本心を示しつつ、利用できるところは利用したというのが、すべてが利害に基づく、この書評の特異な本質なのだった。
 
(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第5回
乙骨が立ち会った事実を否定

 矢野と朝木が『聖教新聞』を提訴した時点、すなわち乙骨が『怪死』を出版してから3カ月の時点で乙骨との関係がすでにそれまでのような全幅の信頼関係にあるというようなものでなくなっていたことを推測させる資料があった。『週刊現代』裁判で朝木が提出した小坂渉孝の陳述書である。小坂は彼らの支持者で、提訴の記者会見でも主催者側の1人として同席していた。

『聖教新聞』を提訴した訴状で朝木が「朝木明代の死亡に関して、(『週刊現代』が掲載したように)発言した事実は、一切ない。」と主張したことで、『週刊現代』裁判では相被告である講談社側と朝木側が激しく対立するに至った。講談社がコメントの存在を確認した最初の場面として主張したのが、平成7年10月17日、提訴された講談社側と朝木側が初めて弁護士を交えて行った会合でのやりとりである。

 そこで講談社の代理人は朝木に対していったいわないの争いにはならないこと、すなわち朝木と矢野がコメントの事実があったことおよびその内容に異議がないことを確認した。ところが『聖教新聞』提訴後、『週刊現代』裁判でも朝木はそのようなやりとりはなかったと主張するようになった。そこで講談社は朝木側の関係者として会合に立ち会っていた乙骨に証言を依頼。乙骨は講談社側の主張を認める証言を行っていた。

 つまり、朝木が講談社に対してコメントの存在を認めたかどうかに関して、乙骨は朝木と対立する立場に立ったということになる。朝木側はこの乙骨の証言に反駁する目的で小坂の陳述書を提出したのである。その内容は朝木がコメントの存在を認めた事実があったか否かという単純な事実関係にとどまるものではなかった。

 小坂は陳述書で乙骨の証言を否定したが、その根拠は普通ではなかった。小坂は、その会合に乙骨は出席していなかったとすることで乙骨の主張を否定したのである。もちろん朝木と矢野も、乙骨が出席していた事実を否定していた。小坂の供述によれば、乙骨は朝木がコメントの存在を認めたという事実だけでなくその会合に出席していたという事実まで捏造していたことになる。

 乙骨の証言は『週刊現代』における朝木のコメントがあったことを裏付けるものである。したがって朝木からすれば、乙骨の証言が否定されれば『聖教新聞』との裁判を有利に進めることができるというわけだった。

提訴されていた乙骨

 陳述書はその人物が実際に見たり聞いたりした事実について述べるものである。ところが小坂の供述は、事実に対する「証言」を超えて、乙骨が「嘘をついた理由」についての憶測に及んでいた。小坂は次のように述べている。



(小坂が述べる乙骨が偽証した理由」)

 乙骨さんは当時も「週刊現代」から仕事を貰っているという話をしていましたし、その関係もあって、事実でないことを言っているのだと思います。また、乙骨さんは、その後、朝木議員の殺害事件に関する「怪死」という本を出版しましたが、その内容が遺族や矢野議員に対して配慮を欠いたものだったので、裁判所で本の記述内容の訂正が決まったので、朝木議員の遺族に対してこのことを根にもっていて、講談社のために事実でないことを言っているのではないかと思います。



 いかに乙骨が『週刊現代』と仕事上の関係があったとしても、他の証言や事実経過からして、少なくともこの件に関しては、乙骨が講談社と結託して事実を捏造しようとしたとは考えられなかった。朝木のコメントが存在した事実を裁判所が認定していることからも、乙骨が会合に立ち会っていたこと、およびその場で朝木のコメントの事実が確認されたとする乙骨の証言は事実であるとみていいだろう。

 さらに小坂が推測するもう1つの理由には興味深い事実が記載されている。『怪死』の記述をめぐり乙骨が矢野らから訴えられ、裁判所で訂正することを認めたという事実である。私が矢野から聞いた箇所(「明代がアリバイのレシートを頼んだ際に食事の内容を間違えた」とする箇所)以外に訂正させられたと聞いたのは次の箇所である。



〈朝木さんに対しても、「万引き常習者」だの「家族揃って万引きをしている」などと、それこそ根も葉もない誹謗中傷が執拗に加えられているが、そうした誹謗中傷の極めつけにあるのが、W不倫情報。〉(筆者注=続く一文も削除対象と思うが、あまりにも生々しい内容なので割愛した)



「家族揃って万引き」にしても「W不倫」にしても、乙骨はそれが「誹謗中傷」にすぎないと否定しているのだが、それでも〈遺族や矢野議員に対して配慮を欠いたもの〉と判断されたということらしい。それもただ口頭で苦情を述べたというのではなく、裁判所を通して訂正を申し立てたというのだから、矢野や朝木にとって並大抵のことではなかったということと理解できよう。

弱音を吐いていた乙骨

 いずれにしても、矢野らが『聖教新聞』提訴の記者会見をした当時、乙骨はすでに矢野と朝木から提訴され、訂正要求を受け入れていたことは間違いない。また『怪死』の出版からしばらくして、乙骨の知人から私は次のような話を聞いた。乙骨は本まで出したにもかかわらず、「『もう東村山には行きたくない』といっている」というのだった。

『聖教新聞』提訴の会見場で見た乙骨があまり乗り気がなさそうに見えた理由も、「もう東村山には行きたくない」と知人に漏らした理由も、彼らから提訴されたことに起因していたのではないかという気がする。裁判所に持ち込んだほどだから、矢野らのクレームは相当に強硬なものだったと理解すべきだろう。矢野は『草の根市民新聞』第4号で〈議員殺害事件が本に〉と題して『怪死』を持ち上げたが、水面下で、乙骨は矢野と朝木からいやというほど締め上げられていたのである。

 しかし、いかに裁判所で訂正を命じられたからといって、乙骨が客観的証拠によってではなくそのことを根に持って講談社を利するために虚偽の証言をしたとまで断定するのは、乙骨が私怨によって客観的事実を曲げる人物であると断定するに等しく、著しい人格攻撃にほかならない。のちに『週刊現代』裁判の尋問で朝木もまた、乙骨が立ち会っていた事実を否定した。乙骨が彼らからどれほどナメられていたかがよくわかるのではあるまいか。

(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第6回
崩れた信頼関係

 平成8年5月に乙骨正生が出版した『怪死 東村山女性市議転落死事件』は、警視庁の結論に反して「朝木明代は創価学会に殺された疑惑がある」と主張するもので、内容の一部に「遺族や矢野議員に対して配慮を欠いたもの」(小坂の陳述書による)があったとしても、総合的に見れば矢野と朝木の主張に沿うものである。実際に、矢野の主張する「万引き冤罪」と「他殺説」を宣伝するのに大きな役割を果たしたことは間違いないと思う。

 また『週刊現代』が提訴された際に、朝木側の関係者として講談社との打ち合わせに立ち会うなど、(矢野の辞書に通常の「信頼関係」というものがあればの話だが)当初は矢野からも一応信頼されていたようにみえる。しかし、『怪死』の内容の一部が矢野の逆鱗に触れたらしく、それ以降、矢野らに対する乙骨の信用は著しく失われたようである。

 もちろん矢野と朝木がそのことをメディア等で公言したことはない。それを明らかにすれば足元を勘繰られかねず、明代の「他殺説」を宣伝する上においてもマイナスにしかならないからである。

 乙骨が裁判所で『怪死』の訂正を約束させられたあとも、乙骨に対する矢野の信頼が回復していたわけではないようだった。それを実感させる出来事があった。

『文藝春秋』での反論

 矢野は平成9年1月に発行したビラで、あたかも東京地検が再捜査を開始したかのような、すなわち警視庁の「自殺」であるとする結論が揺らいでいるかのような記事を掲載したが、平成9年4月14日、東京地検は記者会見を開き、「自殺の疑いが濃い」と警視庁よりもさらに踏み込んだ表現で「他殺説」を否定した。

 東京地検発表にショックを受けたのは矢野と朝木だけではなかった。その1年前に『怪死』を発行してさまざまな「疑惑」を指摘し、あとがきで奇特にも〈私は死の真相の解明はこれからだと思っている。〉〈事件の全容と真相が解明される日が来るものと固く信じている。本書がその一助となれば執筆者としてこれにすぎる喜びはない。〉と書いた乙骨もそうだった。

 朝木が「幸福の科学」のインタビューで述べたように、〈「自殺」と「万引き」は表裏の関係にある〉。したがって、地検が明代の死を「自殺」と結論付けたということは、明代の「万引き」も事実だったと認定したことを意味するのである。

 これに対して乙骨は、『文藝春秋』平成9年7月号(特別企画「25の未解決事件……」世紀末にっぽん怪事件列島)なる特集の中で1本の記事を執筆して反論した。タイトルは〈続出した創価学会がらみ事件。東村山市議の死を追って〉というものである。乙骨は東京地検の「自殺の可能性が濃い」とする結論に対して「この事件を当初から取材している1人として納得できない」とプライドをのぞかせる。当初から矢野・朝木のそばにいて「取材」を重ねた自分の方が真相を熟知しているとでもいうみたいに。

 この記事における乙骨の最大の主張点は、東村山署が「自殺」と判断した根拠のうち、第1発見者が明代に「救急車を呼びましょうか」と問いかけたのに対して、明代が「いいです」と救急車を断った点に対する反論だった。乙骨は大仰に〈この東村山署の理由には、決定的な誤謬がある〉として次のように主張している。

〈この点は、犯罪性の有無を左右しかねない重要なポイントなので、証言した現場1階の「モスバーガー」店長に、私を始めとするマスコミ陣は2度、3度と確認を求めた。その結果、店長は……「朝木さんに『救急車を呼びましょうか』とは問いかけていない」と明確に答えているのである。〉

 東村山署が明確に第1発見者との会話として発表しているにもかかわらず、乙骨が持ち出してきたのは「店長」だった。第1発見者はアルバイト店員であって店長ではない。したがって、明代との間で「救急車を呼びましょうか」「いいです」との会話があったかどうかを店長に聞いたところで意味がないのだった。

「第1発見者」を混同

 では乙骨はその時点でもまだ第1発見者は「店長」だと思い込んでいたのだろうか。だとすれば、そのこと自体、取材に不備があったことになるが、そうではなかった。乙骨は『怪死』の中で〈事件後、直子さんは知人の紹介で第1発見者のアルバイト店員と接触している〉と記載し(筆者注=朝木はこのアルバイト店員をなじりに行った。「明代が救急車を断った」とする証言に難癖をつけようとしたものとみられる)、さらに〈私をはじめとするマスコミ陣も、第1発見者のアルバイト店員および第2発見者である「モスバーガー」店長に直接取材を試みたが……〉と書いていた。つまり乙骨は第1発見者が店長ではなくアルバイト店員であることを知っていたのである。

『文藝春秋』に検察への反論を執筆した時点で、乙骨が単純に第1発見者が店長であると勘違いしていたのか、あるいは第1発見者は店長ではないと知っていながら店長を第1発見者にでっち上げたのかはわからない。しかしいずれにしても、ここで乙骨がいう〈東村山署の決定的誤謬〉なるものは単純に事実に反しているのみならず、自らの記事とさえ矛盾しているのである。

 自ら「犯罪を有無を左右しかねない重要なポイント」といっているにもかかわらず第1発見者を誤っている時点で、すでにこの記事が反論の体をなしていないお粗末きわまるものであるのは明らかである。ところが、自らの矛盾にも気がついていないらしい乙骨は記事の末尾でこう泣き言を述べていた。

〈東京地検ならびに東京地検八王子支部は、私の取材申し込みに、いっさい応じてはくれなかった。〉

「取材に応じないのは都合が悪いからだ」とでもいいたかったのか。しかし「第1発見者」を間違えているようでは、仮に東京地検が相手にしてくれたところでわざわざ恥をさらしに行くようなものだったろう。むしろ乙骨は、東京地検が取材に応じてくれなかったことに感謝すべきだったのではあるまいか。

 ところで矢野は、乙骨のこの記事をどう評価していたのか。矢野に直接感想を聞く機会があった。矢野は私の質問に一言だけ突き放すようにこう答えたのである。

「情けない記事だ」

 何が「情けない」といったのかはわからないが、その言葉から、乙骨を少しでもフォローしようとするような様子はみじんも感じられなかった。

(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第7回
「2人してレストランに」

『週刊現代』裁判で朝木直子は「取材を受けておらず、コメントはしていない」として、同誌に掲載されたコメント(「朝木明代は万引き犯にみせかけられて殺された」=趣旨)の内容について真実性・相当性の主張・立証をいっさいしなかった。「取材は受けておらず、コメントはしていない」と主張していることからすれば、そのこと自体には一応の合理性があった。

 しかし『聖教新聞』裁判で、矢野は積極的に明代が「万引きを苦に自殺」したものではないことを主張している。捜査機関の結論に反するその主張はもちろんこの裁判でも排斥されたが、この主張の中には矢野のさまざまな狡知がめぐらされていた。

 これから矢野の狡知がどのようなものかを見ていこうと思うが、その前に万引き事件とアリバイ主張についての基本情報をあらためて確認しておこう。

 東村山市議だった朝木明代が万引きを働いたのは平成7年6月19日午後3時15分ごろのことである。明代と矢野は「この時間帯にはレストラン『びっくりドンキー』で食事をしていたからアリバイがある」と主張して、万引きを否認した。

 取り調べにおける明代の主な供述内容は以下のとおりである。



(取り調べにおける明代の主な供述)

第1回取り調べ(平成7年6月30日)


 犯行は否認したが、アリバイの主張はせず。「多忙」との理由で約35分で終わり、調書の作成はできなかった。

第2回取り調べ(平成7年7月4日)

「矢野さんからいわれてアリバイを思い出した」として、「6月19日午後2時30分ごろから同3時21分ごろまでレストランで矢野と食事をしていた」と供述し、レストラン「びっくりドンキー」の「レギュラーランチ」のレシートを証拠として提出した(その前日、矢野と明代が警察に来て、アリバイの証拠としてそのレシートをすでに提出していた)。

 なお、明代はまた、レストランに行った経路について次のように供述した。

「矢野さんと市役所を出て銀行に立ち寄り、2人して自転車で一緒にレストランに午後2時30分ころ着いた」

筆者注①=「アリバイを思い出した」のが取り調べを受けた明代本人ではなく矢野だったという点については矢野自身が本件裁判の尋問で「最初、私が思い出したですね」と供述しているから、「アリバイ」が明代ではなく矢野から出たものであることが確定している。「アリバイ」が実際に存在したのならそれは「思い出した」ことになるが、「アリバイ」が存在しなければ「記憶違い」か「作出されたもの」ということになる。しかしその後、明代は東村山署で「矢野が思い出したアリバイ」を何度も主張しているから「記憶違い」である可能性を自ら否定している)

筆者注②=明代の供述では、市役所からレストランまでの経路は、途中銀行に立ち寄っただけで、他に立ち寄り地はなく、明代はレストランまで矢野と行動を共にしたことになっている)

第3回取り調べ(平成7年7月12日)

 第2回取り調べで提出したレシートのメニューについて「ハンバーグ、ポテト、ブロッコリー、コーン、ライス」と詳細に説明。そのレシートおよび、レストランの見取り図に座った席の位置を記入したもの、さらにその前に立ち寄った銀行の取引明細のそれぞれに日付と署名をし、アリバイの証拠として提出した。その段階で取調官が調書の内容に間違いないか確認すると、明代は「間違いない」と同意した(千葉の陳述書による)。

(そこで、調書に署名を求めたところ、明代が「この件はどうなりますか」と質問したので取調官が「書類送検する」と答えたところ、明代は「アリバイがあるのにどういうことか」などと怒りだした。取調官がレシートの矛盾を追及すると、明代は「今日の調書はなかったことにしてください」「もう1度調べさせてください」といって、調書に署名しないまま取調室から退室してしまった。東村山署は同日、明代を窃盗容疑で東京地検八王子支部に書類送検した。)



 明代は最後の取り調べの調書に最終的に署名しなかったが、当初は調書の内容に同意していた。ところがアリバイの矛盾を指摘されるや、署名を拒否したという流れであることがわかる。明代は取り調べで矢野と食べたメニューが「レギュラーランチ」(「日替わりランチ」ではない)だったと供述していたのである。

ニセの証拠に署名

 この日の調書には署名・捺印はない。矢野と朝木直子はこのことをもって「捏造だ」などと主張している。しかし明代は7月12日に「レギュラーランチ」のレシート、見取り図等に同日の日付と署名をして証拠として提出している。それらの「証拠」は供述内容を裏付けるものとして提出されているのだから、調書に署名がないからといって調書の信用性に影響を与えるものではない。

 なお、明代は取調室を退出する際、「もう1度調べさせてください」といったが、書類送検された明代がその後2度と別の「アリバイ」の証拠を持って東村山署に来ることはなかった。その替わりに、矢野とともに東京地検八王子支部に対して「食べたのは『レギュラーランチ』ではなく『日替わりランチ』だった」とする内容の上申書を提出したのである。

(つづく)
TOP
『聖教新聞」事件 第8回
「前」か「後」かを入念に確認

 平成7年7月4日に行われた第2回取り調べで明代は、万引き事件が発生した同年6月19日の行動について次のように供述した。



(第2回取り調べにおける明代の供述内容(万引き事件当日の行動))

「午後2時12分に銀行で振込をした」

「その後、午後2時30分ごろ、矢野と2人してレストランに行った」

「午後2時30分ごろから同3時21分ごろまで食事をした」



 第2回取り調べの前日である同年7月3日には、明代は矢野とともに東村山署を訪れ、「アリバイの証拠」として同年6月19日午後3時21分に支払ったことが記録されたレシートを提出していた。

 万引き事件が発生したのは同日午後3時15分ごろである。明代は当日、午後2時ごろまで矢野といっしょに議員控室にいたとし、午後2時12分の記録がある銀行振込依頼書を証拠として提出していた。明代の説明から、明代が「銀行で振込をしたあとでレストランに行った」と供述しているのは明らかだが、取調官は念を入れて銀行に立ち寄ったのがレストランに行く「前」なのか「後」なのかをあらためて確認した。すると、明代は「振込をしたのはレストランに行く『前』」であると明確に答えた。

 明代は「銀行で振込をすませたあとレストランに行った」と供述したということである。ここまでの説明自体には不自然な点も矛盾もない。

 明代がアリバイの証拠として提出したレシートには清算時刻が「午後3時21分」と記録されている。すると明代の主張によれば、明代は午後2時12分に銀行で振込をし、その後レストランで午後3時21分まで食事をしていたということである。したがって明代には強固なアリバイがあるということになり、万引き犯は明代ではないということになるはずだった。

もう1つの伝票

 しかし、東村山署が明代の供述に基づいてレストランで裏付け捜査を行うと、レストランの状況と明代の供述にはだいぶ食い違いのあることが明らかになった。まず、明代が提出したレシートの接客をした従業員は、そのテーブルに座ったのは女性の2人連れだったことを特別な事情があってよく記憶にとどめていた。その日、その従業員は体調が悪かった。ところが担当したテーブルの女性の2人連れはなかなか席を立ってくれなかった。だからよく覚えていた――というのだった。

 さらに東村山署はレストランでの捜査で、明代の供述を否定する確実な材料を入手していた。レストランには売上や食事の提供状況を記録したものとして、清算時に客に渡すレシート(明代がアリバイの証拠として提出したもの。清算時刻やメニュー、金額などが記録されている)のほかに、注文時刻やメニューを記録した注文伝票が存在していた。この2つを照合すれば、当該の客がレストランに滞在した時間がわかる。

 明代が提出したレシートとそれに対応する注文伝票を捜査員が照合すると、明代の主張とは完全に矛盾する事実が浮上した。明代が提出したレシートに対応する注文伝票は2枚あった。1枚は「人数2」のうち午後1時29分に1人が「日替わりランチ」を1食注文したことが記録され、もう1枚には午後1時32分に「人数2」のままで「レギュラー」と「コーヒー」がそれぞれ2人分注文されたこと、さらに最初に注文された「日替わりランチ」が「取消」になったことが記録されていたのである。

 すなわちこの時点で、明代が提出したレシートの内容が注文されたのは午後1時32分だったこと、2人の客のうち1人が先に着席し、午後1時29分に最初の注文をしていたこと等が判明したのだった。清算時刻はレシートどおりだが(レシートに記録されているので当然)、注文時刻には明代の供述とは1時間ものずれがあった。取調官が「レストランに行ったのは銀行振込の『前』か『後』か」を明代にしつこく聞いたのは、明代の供述と注文伝票に記録された時刻との間に大きな矛盾が存在することを確認し、そのことを取り調べの段階において確定させるためだったのである。

 明代は「レストランに行ったのは銀行振込の『後』」と供述した。これではいかに明代が、このレシートをもって「万引き犯ではない証拠」と言い張っても、その供述に信用性を認めるのは困難だった。

 明代が議員控室にいたとする時間の記憶に若干の誤差があったとしても、明代が自ら率先して提出した銀行振込記録に記載された時刻に誤りはない。すなわち、明代が自ら提出した証拠もまた、万引きがあった時間帯に明代と矢野が「レギュラー」ランチを食べたとする主張の信憑性を揺るがすものでしかなくなったのである。

 清算時刻を記録したレシートとは別に、注文時刻を記録した注文伝票があることにまで考えが及ばず、だから注文時刻までは確認していなかった矢野の痛恨のミスだった。たまたまうまい具合に条件が重なるレシートがあったことで安心してしまったのだろうか(いずれにしても、矢野が東村山署を甘く見ていたということで、それこそが矢野の最大のミスだった)。

 ただ東村山署はまだ、レストランに注文伝票が存在しており、そこに記録された注文時刻と朝木と矢野がレストランに行ったとする時刻に1時間もの食い違いがあることは朝木には伏せていた。そんなこととはみじんも思ってもいない朝木は、第3回目の取り調べで、取調官に対して矢野と食べたとする食事の内容をこと細かに説明したのである。まるで実際に食べてきたかのように。

 おそるべき記憶力だった。ただしその「記憶」とは、万引き当日に実際に食べたものではなく、第3回取り調べが行われる前に写真付きのメニューで暗記したものにすぎないものであることを取調官はとっくに察知していた。裏付け捜査で、明代と矢野が7月8日にレストランに現れ、メニューを確認していたことを聞いていたのである。

(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第9回
最悪の選択

 アリバイとして提出した証拠がニセモノと見破られ、それまでの供述をすべて撤回に追い込まれたあげくに書類送検されれば、普通は抵抗をやめるだろう。書類送検後であっても、明代には洋品店主に謝罪して起訴を避けるという選択肢もあり得た。

 トップ当選議員のプライドは捨てなければならない。しかし明代にとって、事態がこれ以上悪化することだけは避けられた。

 ところが取調室を出てから数時間後、矢野がどのようなアドバイスをしたのか、最終的に明代は最もやってはいけない選択をした。明代は全国紙各社の立川支局宛に次のようなコメントをファックスで送ったのである。



(明代が新聞各社に送った〈「窃盗事件」に関するコメント〉と題するファックス)

 私が窃盗を働いたというデッチ上げ事件について、以下の通り見解を発表します。

記 

「窃盗事件」があったという日には、現場付近には行っておらず、全く身に覚えのない「事件のデッチ上げ」に、強い怒りを覚える。

「当選返上」以来、一部グループが根も葉もないことで「草の根」に刑事告発などを繰り返している嫌がらせの1つで、現行犯でもなく、朝木明代と事件を結び付ける物的証拠もないまま、人を陥れようとして被害届をだした洋品店主には、ただちに「誣告罪」で逆告訴の手続きをとる考えだ。

 また、商品が実際になくなったわけでもなく、実害もないのに、被害届を警察が取り上げたこと自体問題で、政治的な動きといわざるをえない。



 翌7月13日、全国紙各紙は明代の書類送検を報じた記事で、明代が「身に覚えがなく『デッチ上げ』」などと主張していることも記載した。警察に対して犯行を否認しただけなら、最終的に「やっぱり私がやりました」といってもプライドを捨てる相手は警察だけである。しかしマスコミに対しても無実を主張したことで、いよいよ引っ込みがつかない状況になったのではあるまいか。

 このファックスの中に「万引き」の文言がないのは、「万引き」という犯罪の態様を具体的にイメージされたくなかったのかもしれない。本人でなければわからない独特の感覚なのだろう。

 またこの中で明代が〈実害もないのに、被害届を警察が取り上げたこと自体問題〉と記載しているのは、やはり万引き事件に無関係の人物の言葉とは思えなかった。品物を取り返したとしてもその時点で犯罪は成立しているのであり、警察が被害届を受理したことには何の問題もない。「実害がない」ということを強調することで書類送検の不当性を訴えようとしているようにみえた。犯人本人でなければ、「実害もないのに」などと主張する必要はない。

他のメディアでも否認

 明代は全国紙だけでなく、その他のメディアに対しても無実を訴え、その主張は自分が万引き犯と名指しされたとするその「背景」にも及んだ。ニセのアリバイを主張している限り、「無実」を主張することは自らを追い詰めることにしかならない。しかし明代と矢野は、他のメディアにも積極的にコメントすることによってますます自らの首を締めていった。

 明代と矢野のコメントの趣旨はおおむね「万引きはデッチ上げ」で、「矢野と別の場所で食事をしていたからアリバイがある」ということ、さらに「事件には政治的背景が感じられる」というものである。万引きを否認する明代と矢野のコメントを掲載したメディアは平成7年7月13日から8月25日までにざっと10を超えた。記事を見て喜んだのは支援者だけだったろう。

 そんなメディアの中で、とりわけ詳細なコメントを掲載していたのが同年8月4日付『週刊ポスト』だった。タイトルは〈「創価学会の陰謀説」まで飛び出した 東村山女性市議 たった1900円 万引き送検騒動の「ヤブ」〉である。そのコメントを紹介しておこう。



(『週刊ポスト』が掲載した明代と矢野の万引き事件に関するコメント)

「……(警察から呼び出されて)“店の人は朝木さんが犯人だといっています”と告げられ、その瞬間、ああ学会にやられたと思ったんです。……もちろん私は万引きなどはやっていません。事件当日のアリバイがあります」(明代)

「(そのアリバイについては)裁判で明らかにします。今、話してしまうと、アリバイの証拠を潰されてしまう危険がある」(明代)

「これだけはいえます。犯行があったとする時刻には、私が朝木さんと一緒に行動していて、証明もできます。しかも、洋品店の周囲には立ち寄っていません」(矢野)

「こちらでは洋品店主の妻が創価学会関係者であると総合的に判断しています」(矢野)



 発行日が8月4日だから、取材は書類送検からあまり時間がたっていない時期に行われたと推測できるが、アリバイを完膚なきまでに否定された直後でありながら、「アリバイは裁判で明らかにする」などというコメントは普通ではできないだろう。

 記者の間からは「マスコミに明らかにした方がかえって潰されない」という意見があったと聞くが、明代と矢野はマスコミに対して具体的なアリバイを明らかにはしなかった。アリバイが事実なら、マスコミに詳細を公表し、マスコミによって裏付け調査を行ってもらうことがアリバイを守る最善の方法だろう。明代がマスコミにアリバイを明らかにしなかったということは、当然だが、自信がなかったということにほかならない。

 明代は東村山署の取調室で、主張した「レギュラーランチ」のアリバイについて「守秘義務を守ってマスコミにはいわないでいただきたい」と注文をつけている。アリバイに関する明代のこれらの発言をみると、明代はマスコミによってアリバイが虚偽であることを明らかにされ、報じられることをより警戒していたことがうかがえる。

明代を追い込んだ支援者

 事件当日の「アリバイ」について明代が「裁判で明らかにします」と明言しているのは『週刊ポスト』だけである。実情を知らない支援者たちはこの明代のコメントに大きな期待をかけたことは間違いあるまい。明代は自分自身の言葉によって自ら逃げ道をふさいでしまったということだった。

 記事の終わり近くでは、「朝木市議の知人」という人物の、明らかに明代寄りのコメントが掲載されていて、いっそう明代を追い込んでいた。

「朝木さんは1円玉を拾っても交番に届けるような人。裁判ですべてが明らかになると思いますが、朝木さんのクビが飛ぶか、東村山署幹部のクビが飛ぶか。どちらかでしょうね」

 明代はともかく、「朝木市議の知人」は当然、東村山署幹部のクビが飛ぶと思っていたのだろう。また読者の何割かはこれをまっとうな論評と受け止めたかもしれなかった。

(つづく)
TOP
『聖教新聞』事件 第10回
変遷重ねたアリバイ主張

「アリバイは裁判で明らかにします」とコメントした明代の本心は、東京地検から呼び出しがあった8月29日以後の、「あいさつしても返事がなく、元気がない様子だった」という知り合いの目撃情報に現れていよう。よく挨拶を交わしている知人が、明代はいつもと違い、一見して「元気がないように見えた」とはよほどのことである。

 ただ当時、明代には本心とは別に、対外的にはどうしても強気を装わなければならない事情があった。上記コメントが掲載された『週刊ポスト』の発売時期と重なる平成7年7月26日、明代と矢野はそれぞれ、「レギュラーランチ」から「日替わりランチ」へとメニューを変更した新たなアリバイを記載した「上申書」を東京地検八王子支部に提出していたのである。それが矢野と明代の「裁判で明らかにする」というアリバイだった。

 千葉によれば、2人の上申書の内容は、万引き事件に関する部分についてはほぼ一致しているものの、アリバイのメニューなど東村山署で明代が供述した内容とは食い違いがあった。さらに矢野は『聖教新聞』裁判で「万引きを苦にした自殺」を否定する陳述書を提出している。ところがアリバイ主張に関して、陳述書の内容には上申書の記載内容と矛盾する記載があった。

 つまり、アリバイ主張に関して明代と矢野は、取り調べにおける主張、上申書における主張、陳述書における主張と3度の主張を行ったが、そのたびに事実関係の主張に変遷がみられるということだった。事実関係について主張の変遷がある場合には、その変遷に合理的理由や事情が認められないかぎり、主張自体の信用性に疑問があると判断されることが多い。

 では、矢野の主張の変遷には合理的理由があると判断できるようなものだったのだろうか。

明代の供述を否定した矢野

『聖教新聞』裁判で矢野が明代の「万引きを苦にした自殺」を否定する陳述書を提出したのは平成11年5月31日である。矢野は明代のアリバイについて、平成7年6月19日の行動から述べている。ところが「びっくりドンキー」にたどり着く前に早くも明代の供述と食い違いが生じている。明代は取調室で「矢野さんと2人してレストランに行った」と供述した。しかし矢野は、この明代の供述がなかったかのように、次のように供述していている。



(レストランに行くまでの状況に関する矢野の供述=矢野陳述書)

(午後2時過ぎに市役所を出たあと一緒に自転車で向かい)その途中、朝木議員は、丸西青果市場のところで、私と一旦わかれました。私は、この事実をはっきりと記憶しています。

 私は一足先にレストランに向かい、朝木議員は、東村山市民新聞の折り込み代金を振込みするために、東村山駅近くにある北海道拓殖銀行東村山支店に立ち寄り、その後、事務所に寄って、……レストラン「びっくりドンキー」で合流することにしたからです。



 千葉によれば、明代も東京地検に提出した上申書で「銀行振込をするために矢野といったん別れた」と供述を変遷させている。明代が東村山署に提出した振込用紙には振込時刻が午後2時12分と記録されていた。明代の上申書によれば、その後明代は「事務所にいったん立ち寄った」というのである。

 なんでも明代は「分厚い東村山市の『例規集』2冊と『自治六法』」を事務所に置いたという。そんな重い本を持っていたのでは邪魔だからいったん事務所に立ち寄ったということらしかった。自然な行動だといいたいようである。いずれにしても、少なくともこの時間帯には、明代は万引き現場にいなかったことになる。

 さらに明代が「矢野と別れて事務所に立ち寄った」と変遷した点に関して、矢野は明代が取り調べで供述しなかった事実を主張していた。矢野はレストランで合流したあとで、明代から「事務所の留守番電話のテープのA面が巻ききっていたので、A面をB面に裏返しておいた」と聞いたという。千葉によると、この点について、明代も上申書で同様の供述をしている。

 なぜそれが事実であるといえるかというと、あとで留守録のテープを再生してみると、B面の最初のメッセージは午後2時41分と記録されていたからであると、矢野は供述していた。ただ万引き事件が発生したのは午後3時15分ごろだから、「明代が事務所に立ち寄っていたこと」と「テープに残された最初のメッセージの時刻」はアリバイ立証とは何の関係もないように思える。

細部にこだわった矢野

 それにしてもなぜ矢野は明代が「事務所に立ち寄っていたこと」にそれほどこだわるのだろうか。「午後2時41分」に留守電が入っていたという記録は明代が事務所にいなかったことを推認させる材料でこそあれ(断定はできない)、万引き事件のアリバイを主張する者としては特に有力な証拠でもない。しかし矢野は陳述書で、明代が銀行振込のあとで事務所に立ち寄っていたとする事実について次のように力説しているのだった。

〈つまり、右の振込明細書と留守録テープによって、問題の6月19日午後、朝木議員が「びっくりドンキー」に向かう前に、事務所に一時立ち寄った時刻は、午後2時12分から午後2時41分の間であったことが判明しているのです。〉

 どう考えても、事務所に立ち寄った時間帯を特定することはアリバイの立証には結びつかない。すると矢野が(明代も)、明代が銀行振込をしたあとで事務所に立ち寄ったとしているのは、明代がその後にレストランに向かい、矢野と合流したとすることによって、市役所を出たあと2人でレストランで食事をしていたという彼らの主張する時系列全体にリアリティーを持たせようとしたものと考える以外にないようである。

 矢野がアリバイを「レストランで食事をしていた」という事実によって主張しようとしていることに変わりはなかった。ただ、明代が事務所に立ち寄ったのが仮に事実だったとしても、アリバイ立証とは何の関係もないのが弱みだった。誰からも文句の出ないアリバイの証拠を提示できるのなら、事務所に立ち寄った時刻などにこだわる必要はないのである。

 むしろ矢野の供述は「2人して行った」としていた当初の明代の供述から変遷しているのは明らかで、矢野が計算したようなリアリティーを持たせることはできなかった。またアリバイ主張の上で明代が事務所に立ち寄ったとする時間帯と行動経路を確定させてしまったことは、その後に時系列上の矛盾が生じた場合には修正がきかない状況を作り上げてしまったということでもあった。

(つづく)
TOP