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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「議席取り戻し」事件 第1回
最高裁が松戸の生活実体を否定

 東村山市議の矢野穂積(「東村山を良くする会」)は平成26年12月議会になって急に他の市議を名指しし、東村山の生活実体に問題があるとする主張を始めた。しかし矢野と朝木直子(同会派)は、他人の生活実体を問題にする前に、議席譲渡事件で朝木が虚偽の住民票移動を行って東村山市選管を騙し、東村山市民を欺いたことを謝罪しなければならない。
 
 平成7年4月23日に行われた東村山市議選で当選した朝木直子は、次点で落選した矢野に当選を譲るために同年4月26日、松戸市紙敷に住民票を移動。同日、朝木は松戸市に転出したために東村山市の被選挙権を失った旨を東村山市選管に届け出た。東村山市選管は朝木が東村山市の被選挙権を失ったと判断し、同年4月28日、矢野の繰り上げ当選を決定するための選挙会を開いた。ところが選挙会は紛糾し、最終的に議員任期の始期である同年5月1日を過ぎた同年5月21日、矢野の繰り上げ当選を決定した。

 平成7年当時、朝木は「自分よりも矢野さんの方が議員としてより適格」などと説明し、自分の転居が矢野を当選させるためのものであることを明言していた。しかし裁判の過程で矢野と朝木は、民意を無視した議席譲渡をそのまま正当化することはやはり心証が悪いと判断したものと思われた。裁判で朝木は、「矢野に当選を譲るため」という当初の説明を覆し、実は「父親の介護のため」だったとし、いずれにしても平成7年4月26日に生活の本拠を松戸に移したのは事実と主張した。「矢野の繰り上げ当選は最初から計画していたのではなく、結果にすぎない」と。意図的なものではなかったというのだった。

 しかし平成9年8月25日、最高裁は議員任期の始期において朝木の生活の本拠は松戸には移っておらず、朝木は平成7年5月1日には東村山市議の地位に就いていたと認定し、矢野の繰り上げ当選を無効と結論付けた。平成7年4月26日に千葉県松戸市に住民票を移し、「松戸で生活している」としていた朝木の主張は虚偽であると認定したということだった。

誰も予想できなかった主張

 最高裁が議席譲渡は無効とする判決を言い渡し、矢野は東村山市議会を去った。では、議席譲渡事件発生当時から判決まで、「当初から松戸で生活していた」と主張して譲らなかった朝木はどんな反応をみせたのだろうか。

 信じられないかもしれないが、最高裁判決後、朝木は「自分は平成7年5月1日に議員になっていた」と主張し始めたのである。最高裁は判決で、「議員任期の始期において朝木の生活実体は松戸には移っておらず、まだ東村山にあった」と述べ、「朝木は東村山市議になっていた」と認定している。その認定からすれば、朝木の主張は間違ってはいないのかもしれない。

 しかし「自分はもう東村山市民ではないから東村山市議ではない」とあれほど主張していた者が、「やっぱり自分は東村山市議だ」と自ら主張するとは、誰も予想していなかった。最高裁判決で主張を否定されたとはいえ、自分から当選を放棄した者が掌を返すように議員としての地位を主張することには、市民感覚として少なくともかなりの違和感があるのだった。

 この主張は当然、かつての自らのもう1つの主張を覆すものでもある。つまりこの主張は、松戸の生活実体を自ら否定したに等しい。「ガステーブルにあった電気コンロを使用していた」(=前回)という不自然きわまる話もやはり嘘だったことを認めたということになろうか。これもまた、普通の神経ではできることとは思えなかった。

 ただこのとき、朝木が市民に対して「自分が松戸で生活していたというのは嘘でした。実際には松戸では生活していなかった」と明言したわけではない。たんに「自分は議員になっていた」と主張しただけである。最高裁判決の中で、自分にとって都合のいい部分だけ主張し、松戸の生活実体が否定されたことについてなんらの釈明もしないのは、少なくともフェアではない。

 生活実体まで言及すれば、現在の主張が議席譲渡事件当時の主張と矛盾することを市民にわざわざ知らせることになる。矢野と朝木の関心事は最高裁判決によって失ってしまった議席とプライドを取り戻すことであり、市民に事実を知らせることなどではなかったのだろう。

直子の当選を認めなかった選挙会

 さて、「矢野の繰り上げ当選は無効」とする最高裁判決(平成9年8月25日)を受けて、平成9年8月25日9月2日、東村山市選管は矢野に代わる当選人を決めるための選挙会を開催した。最高裁判決によれば、朝木は平成7年5月1日の時点で生活の本拠を松戸に移しておらず、したがって東村山の被選挙権を失ったとする朝木の主張は虚偽で、朝木は同日に東村山市議の地位を得ていた。当然、矢野の繰り上げが決定された平成7年5月21日の時点では東村山市議だったことになるから、矢野の繰り上げ当選が無効になったことによる更生決定の対象となると考えられる。

 しかし最高裁判決では、朝木は平成7年5月1日の時点ではまだ東村山に生活の本拠があったと認定する一方、同年5月29日以降については一応、松戸市に生活の本拠が移ったらしいことが認定されている。つまり、朝木は同年5月29日以降、東村山市の被選挙権を失ったものとみることができた。

 また朝木は、平成8年10月8日に告示された衆院選に立候補している。その時点で朝木が東村山市議の資格を失っている(公選法90条)ことは明らかだった。最高裁も判決で述べているように、いったん議員になった者の資格が失われたかどうかは議会の議決に委ねられる。しかし衆院への立候補によって市議資格を失うことについては議会の議決を必要としない。

 これら2つの理由から、選挙会は朝木がいったん東村山市議になっていたとしても、すでに東村山市議としての被選挙権を有していないと認定。最終的に「当選者を決めることができない」とする決定を行った。

 議席譲渡が民意を踏みにじる行為であるにもかかわらず、朝木は松戸に生活の本拠を移したのは事実と主張し、矢野の繰り上げ当選を正当化してきた。すべての前提である松戸への住民登録が虚偽だったことが最高裁で認定された者とすれば、この選挙会の決定を黙って受け入れてもなんら不思議はない。ところが矢野と朝木らは、選挙会の決定が行われた平成9年9月2日、東村山市選管に対し、同決定が無効であるとする異議申出を行ったのである。

 最高裁判決によって矢野が東村山市議会から姿を消し、表面上、議席譲渡事件は終息した。しかし水面下では、議席譲渡事件の末に空席となった議席を取り戻そうとする矢野と朝木の動きが始まっていた。

(つづく)

※私と千葉が「行動する保守」Aの弟子を提訴している裁判の第2回口頭弁論期日は当初の平成27年1月15日から2月12日午後2時に変更となった。なんでも弟子が代理人(弁護士)を付けたとのことで、日程に差し支えが生じたようである。「代筆してもらうのでは不安」と思ったのかどうかは定かでない。
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「議席取り戻し」事件 第2回
異議申出書の趣旨

 矢野らが東村山市選管に提出した異議申出の趣旨は以下のとおりである。

〈最高裁は、朝木は平成7年5月1日には東村山市議になっていたと認定している。また最高裁は、朝木は同年5月29日に東村山の住所を失ったとしているが、朝木が被選挙権を失ったかどうかは東村山市議会が決定しなければならないと述べている。最高裁判決後、議会は朝木が被選挙権を失ったかどうかに関する議決を行っていないから、東村山市議会の議決を経ていない選挙会の決定には法的根拠がない。

 本来、東村山市議会は最高裁判決に従って朝木が平成7年5月29日に東村山市議の被選挙権を失ったことを議決し、それに基づき選挙会はあらためて矢野を繰り上げ当選人として更生決定しなければならない。〉

 言い換えれば、議会が朝木の被選挙権が失われたとする議決をしていない状態にあっては、朝木は東村山市議会議員だという主張も成り立つということのようだった。

 一方選挙会は、朝木がいったん東村山市議になっていたとしても、その後東村山市の住所を失い、衆院選にも立候補しているから、議会の議決を待つ必要もなく、朝木は東村山市の被選挙権を失っていると判断していた。

真似のできない詭弁

 ところで矢野らが提出した異議申出書の記載でとりわけ特異に思えるのは、平成7年5月1日の時点で朝木が主張していた松戸への住所移転を最高裁が認めなかったことにはいっさい触れていないことである。異議申出書ではたとえば、朝木が同年5月1日に議員になっていたと認定したことについては次のように記載している。



〈最高裁は、(選挙会が)朝木直子の被選挙権の喪失を……議員資格の発生日である1995年5月1日より前に認め……選挙会が繰上当選人を同年5月21日に決定した手続きに瑕疵を認定し……〉

〈朝木直子の被選挙権喪失の原因とされた住所移転の事実が、1995年4月30日(筆者注=この日までの地位は「議員」ではなく「当選人」)までには発生しておらず、故に、同年5月1日の時点において朝木直子にはすでに議員資格が発生している〉



 上記2つの記載を見ると、朝木が千葉県松戸市に最初に住民票を移した平成7年4月26日の住所移転について、あたかも選挙会が勝手に生活の本拠が移ったと判断したかのように書かれていることがわかる。事実は朝木が正式に松戸に住民登録をしていたこと、朝木と朝木の母親である朝木明代が「直子は松戸で生活している」と主張したことなどから、朝木の生活の本拠について市選管も松戸に移転したものと判断せざるを得なかったのである。市選管は朝木に騙されていたと言い換えてもよかろう。

 ところが異議申出書においては、朝木が一貫して主張していた平成7年4月26日時点での住所移転の実体を最高裁が認めなかったことにはいっさい触れず、それどころか選挙会が「朝木は同年4月26日に被選挙権を喪失した」と事実認定を誤り、誤って矢野の繰り上げ手続きをした(=「最高裁が瑕疵を認定」)と主張していた。最高裁が無効とした矢野の繰り上げ当選もまた、矢野と朝木が企てた議席譲渡ではなく、選挙会の事実誤認によって起きたものへとみごとに事実が変質している。

 つまり矢野の主張によれば、最高裁が無効と判断した矢野の繰り上げ当選をもたらしたのは東村山市選管ということになる。他に真似のできない恐ろしい詭弁というべきだろう。矢野はこの異議申出書によって彼らが企てた前代未聞の議席譲渡事件をなかったことにしようとしていたのだろうか。

「虚偽の移転」部分は無視

 さて、矢野は申出書において、最高裁判決に基づき朝木は平成7年5月1日には議員になっていたとした上で、さらに「朝木直子の被選挙権喪失時期」として次のように主張していた。



〈最高裁判決は、判決書において、

「2、原審の適法に確定した事実関係の概要は以下の通りである」として、「同月(5月)29日には松戸市馬橋の第三者所有の賃貸マンション所在地への転居の届出をした。朝木は、現在、右マンションを生活の本拠としている」

 と認定し、松戸市馬橋のマンションを生活の本拠として定めた起点は1995年5月29日だとしている。〉



 矢野はこう述べて、朝木は松戸に生活の本拠を移しており、東村山の被選挙権を喪失した時期は平成7年5月29日であると主張している。この部分だけを読むと、それまでの松戸市内における2度の転居は存在しなかったかのようである。

 最高裁判決によれば、朝木の被選挙権の喪失時期については一応、矢野の主張するとおりだろう。しかし、矢野が引用した最高裁判決の「2 原審の適法に確定した事実関係の概要」で記載されているのはこれだけではない。最高裁は上記「2」において、彼らの立候補から当選、議席譲渡の経過、さらに同年4月26日に東村山から松戸への最初の住民票移動を行ったことにも触れ、以下のように述べているのである。



(最高裁判決の記載1)

〈朝木の転出先とされた松戸市紙敷(筆者注=最初の転出先)の住所は、朝木の父の部下一家が住む社宅であった。朝木は、同月9日には松戸市松戸……への転居の届出をし〉



 判決文はその後、矢野の引用部分へとつながっている。最高裁は3度の住民票移動の経過を示した上で、最初の2回の転居が生活実体の移転とは認められない理由を次のように述べている。



(最高裁判決の記載2)

〈(最初の転居先は)次点者の矢野を当選人とすることを目的として、急きょ、松戸市への転出の届出をしたものであり、……その後、わずかの間に、……2度にわたり転居の届出をしているというのである。そうすると、仮に、朝木が、……同年5月29日以降は松戸市馬橋のマンションを生活の本拠としているとしても、松戸市紙敷の前記社宅は……せいぜい居所にとどまるものといわざるを得ない。〉



 最高裁が朝木の生活の本拠は同年5月29日以降、松戸にあったと認めたといっても、このように消極的なかたちで述べたにすぎない。

 むしろ朝木が矢野に当選を譲ると説明していた当時、彼らは「平成7年5月1日には生活実体としても松戸に移転していた」と主張していた。ところが最高裁でそれが否定されたためか、申出書ではその箇所についてはまったく触れず、「同年5月29日以降は松戸を生活の本拠にしている」とする部分だけを記載していたのである。その上で、議会は最高裁判決に従って朝木の被選挙権がなくなったことを議決し、選挙会はその議決に基づき、あらためて矢野を繰り上げ当選人とする決定を行わなければならないと主張していた。

 こうして矢野らが提出した異議申出書を読むと、議席譲渡の影も形も消滅していた。矢野と朝木にはいっさいの過失も誤りもなく、すべての責任は市選管と議会にあるかのようである。結論としての主張はともかくとして、ここまで事実を歪曲し、完璧なまでに自らを正当化しようとする主張も珍しいというほかない。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第3回
議会に対しても「催告」

 最高裁判決と選挙会決定によって失われた議席を取り戻そうとする矢野と朝木の動きは、東村山市選管に対して異議申出書を提出しただけではなかった。翌日の平成9年9月3日には、朝木から東村山市議会議長宛に「催告書」と題する内容証明郵便が届いた。

〈本年8月25日付最高裁判決により、私は1995年5月1日に市議会議員の身分を取得し、……右判決日以降、私は地方自治法上、議員の身分にあります。〉

 冒頭にはこうあった。その2年半前、「私は東村山の被選挙権を喪失したから東村山市議ではない」と主張していた者の言葉とは思えなかった。「東村山市議ではない」ことを2年にわたって主張し、そのために松戸への転出が「父親の介護」のためだったと「転出」の理由を変更してまで松戸への転居の実体を主張していたのは何だったのか。

 最高裁で「市議の地位を取得していた」と認定されたとたんに、それまでの主張を自らことごとく否定し、市議の地位を主張するとは、通常の市民感覚ではとうてい考えられない変わり身だった。当然、市民からは当時の主張との矛盾を追及されてもおかしくなかった。

 しかし朝木と矢野の目的は、「朝木の議員としての地位」を認めさせたさらにその先にあった。朝木は「催告書」で、「最高裁が自分の被選挙権の有無については議会が決定すると認定した」と述べた上で議長に対して次のように要求していた。

〈私の有する東村山市議会議員の身分(被選挙権の有無)に関して、何月何日までに貴議会が決定するのか、ご回答下さい。〉

 朝木はたんに「議員としての地位」を認めさせるだけでなく、東村山市議会が最高裁判決に従い、自分の被選挙権がすでに失われており、「朝木は東村山市議の地位を失ったとする議決をせよ」と迫っているのだった。最終的な目的は、朝木が東村山の被選挙権を失ったことが議決され、改めて矢野の繰り上げが決定される――というところにあったと推測できた。その意味では、矢野の繰り上げ決定を主張している異議申出書の趣旨と矛盾するものではないのかもしれない。

 しかし、矢野らが選挙会の決定に異議申出を行って「やはり自分が繰り上げ当選となるべきだ」と主張する一方、朝木は「自分は議員だ」と主張するという、一見すると矛盾する状況がいったい何を意味するのか、理解できる市民は限られていただろう。それ以前に、2年前には「矢野さんの方が議員にふさわしいから、自分は当選を辞退する」「自分は東村山市議ではない」といっていた朝木が、最高裁判決後に突然「議員だ」と主張し始めたことを知った市民の多くがあっけに取られた。

 催告書の最後には、「7日以内」に回答がない場合は所要の手続きを行う旨、記されていた。しかし、議長もまた「また議会をかき回す気か」というのが本音だったのではあるまいか。

立て続けに届いた内容証明

 平成9年9月3日に届いた催告書には「7日以内」に回答を求めていた。ところが、催告書を送付してから3日後の同年9月6日付で再び朝木から、今度は「通知書」と題する内容証明郵便が議長のもとに届いた(筆者注=郵便局の受付の日付は同年9月6日だが、土曜日だったために、送達されたのは月曜日の同年9月8日だったようである)。

 その内容は「自分(朝木)の被選挙権に関する決定をいつするのか」を質した「催告書」とはやや趣が異なっていた。朝木は議会が自分の被選挙権の有無を決定していないから、最高裁判決によって自分は現段階では東村山市議会議員であるとし、したがって議員手帳など議員に交付されるもの一式を支給するよう求めていたのである。その上で朝木は一方的に、その一式を同年9月8日午前中に受け取りに議会事務局に出頭するといっていた。

 議会が朝木の身分について決定する会議を開くかどうかわからないから、まずその前提として、最高裁の判断だけでなく朝木が東村山市議会議員であるという事実を作り上げようとしていたようだった。その上で、〈引き渡しがない場合は、貴殿が私の議員活動を妨害しているものと考え、必要な手続きを執ります〉と締めくくっていた。かつて民意を踏みにじり、当選を放棄した者の口から「私の議員活動」などという言葉が出てくるとは、やはり神経の持ち主とは思えなかった。

 その本人が今日(平成9年9月8日)、議員に支給されるもろもろ一式を受け取りに議会事務局に来るという。相手の都合も聞かず、一方的に行くというのは穏やかなやり方ではない。

再度の催告書

 さて「朝木の被選挙権に関する決定をいつするのか」について回答を求められていた議長は、朝木に対し同年9月8日付内容証明郵便で回答を送付した。その内容は、「同年9月2日付の選挙会決定に従う」(趣旨)というものだった。選挙会は、東村山市議会が議決するまでもなく朝木の被選挙権は失われているとする決定をした。つまり、議会は朝木の被選挙権の有無を議決するための議会を開かないと回答したということだった。

 その日の午前10時30分、朝木は9月6日付内容証明で予告したとおり、議会事務局にやって来た。矢野のほかに支持者4名が付き添っていた。相手の回答を待たずに直接、しかも大人数で来ること自体、来られる方とすれば威圧的と感じたとしても無理はあるまい。少なくとも朝木と矢野が強硬姿勢であることは確かなようだった。

 しかし議会の方針は同日送付した回答のとおりだったから、事務局としては丁重にお引き取り願うしかなかった。すると朝木は議長宛の新たな「催告書」(同年9月8日付)を提出したのである。催告書には「9月定例会の始まる9月11日の前日までに議員手帳等を引き渡すように」と書かれていた。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第4回
2大事件を象徴

 矢野の繰り上げ当選を無効とする最高裁判決から2週間後の平成9年9月11日、東村山市議会9月定例会が開会となった。議場を見渡すと、議長に向かって最前列やや左寄りに2つの空席が並んでいた。

 1つは平成7年9月1日に万引きを苦に自殺した朝木明代が座っていた席であり、もう1つは8月25日まで「矢野穂積」の名札が立っていた席である。議席譲渡事件の経過を知る市民は、矢野の席が空席となっていることを確認し、東村山に民主主義が取り戻されたことにようやく安堵した。

 平成7年4月23日に行われた市議選以後、東村山は「議席譲渡事件」と「朝木明代の万引きと自殺」という2つの大事件に翻弄されてきた。2つの事件に共通するのは「草の根市民クラブ」(矢野穂積、朝木直子、朝木明代)による虚偽の主張である。2つの空席は、「草の根」による2つの途方もない虚偽が事実の前に敗北したことをも意味していた。

最高裁判決支持を表明

 この日、東村山市議会は冒頭で〈議席譲渡事件に関する最高裁判決を支持する決議〉を全会一致で可決した。決議では議会として最高裁判決への支持を表明するとともに、「政治への意欲を表明して選挙に臨んでおきながら、当選したとたん党派内の事情で仲間に議席を譲り渡すのは、有権者を裏切る行為だ」などの全国紙の論評を引用するかたちで「草の根市民クラブ」による議席譲渡を厳しく批判した。議会としては、民意を反映したものである議席が矢野、朝木という個人の胸先三寸によってやり取りされ、愚弄されたという思いを禁じることができなかったのだろう。

 続いて市長も所信表明の冒頭で議席譲渡事件に触れ、最高裁判決によって矢野が失職し、最高裁判決後、選挙会が「当選人を定めることができない」とする結論を出したことを報告。その上で、議席譲渡事件について「選挙制度の基本を揺るがすもので、公選法の盲点を突いたもの」と非難し、最終的に矢野らの企みが潰えたことは「常識にかなう結論」と述べた。

 平成7年当時、朝木は「矢野さんの方が議員としてより適格」とか「『草の根』の票は、グループとして投票していただいたものだから問題ない」、「私たちに投票してくれた人には理解していただいている」などと議席譲渡を正当化したものだった。議会と市長が内容に踏み込んだ批判を行ったことで市民も、議席譲渡がなぜ無効とされたのかを理解したのではあるまいか。

 ただ多くの市民はこのとき、水面下で矢野と朝木が失われた議席を取り戻そうと動き始めていることをまだ知らなかった。9月定例会の初日、それまで矢野が座っていた席が空席だったということは、議員手帳など一式を引き渡すよう求めていた朝木の要求を議長が拒否した結果でもあったのだった。

 ところで、朝木が議長に対して提出した催告書には、堂々と東村山の実家の住所が記載されていた。裁判で「父親の介護のため」に松戸で生活する必要があったと供述していたが、平成9年3月3日、朝木は松戸から東村山に住民票を移していた。その3カ月前の平成8年12月26日、議席譲渡裁判で東京高裁が「許さない会」の主張を棄却したことで、もう松戸で部屋を借りておく必要はないと判断したのかもしれない。

八王子に出向いた朝木 

 さて、議会が最高裁判決を支持する決議を行い、矢野と朝木を批判したこの日、議席譲渡事件の張本人である朝木直子は有権者を裏切ったことを少しでも詫びるどころか、むしろ朝木に対してはそんな期待を抱く方がそもそも間違っていると思わせる動きに出ていた。

 朝木は催告書で、「9月11日の前日までに」議員に支給される一式を引き渡さなければ「私の議員活動を妨害しているものと考え、必要な手続きを執ります」と一方的に予告していた。朝木の扱いについて「選挙会の決定のとおり」と回答した議長は当然、同日までに何の対応もしなかった。このため朝木は9月11日、東村山市と東村山市議会を債務者として、朝木に対する業務妨害等を禁止する仮処分を求める申立を東京地裁八王子支部に行ったのである。

 たんに法的手段に出たというのみならず、あえて9月議会の初日を選んだところに、矢野と朝木の東村山市および東村山市議会に対する敵愾心の強さがうかがえた。この動きの背景には、議席譲渡事件だけでなく明代の万引きと自殺をめぐって議会内外から大きな非難を浴びたことに対する恨みも重なっていたのかもしれなかった。

「催告書」を内容証明郵便で送付したのも、裁判所に持ち込むことを想定していたのだろう。いずれにしても、東村山市議会および東村山市行政に対して矢野と朝木が抱いていた敵意は並大抵ではないようにみえた。

選挙会に責任転嫁

 この仮処分申立で朝木が求めたのは以下の4点である。



①自分が東村山市議として活動することを妨害しないこと

②東村山市議会らは朝木に対して、議員活動を行うために必要な議員手帳、各種通行証、9月定例会議案書、自治六法、東村山市例規集及び議会運営マニュアル等関係書類または書籍をただちに引き渡すこと

③朝木が議員控室及び図書室等を使用することを妨害しないこと

④東村山市は平成9年8月26日以降、朝木に議員報酬を支払うこと



 申立の理由として朝木は、最高裁判決に基づき〈債権者(朝木)は、当選人の地位にある間その資格を失うことなく、議員の任期が開始する日である平成7年5月1日に至って、東村山市議会議員の地位を取得した。〉と述べ、矢野の繰り上げ当選が無効と判断された理由について次のように主張していた。

〈債権者は右5月1日にはすでに議員の身分を得ているから、その身分を失わせるには議会の議決を要し、それを経ていない選挙会による繰り上げ当選の手続きには瑕疵があり、その決定は無効であるとした。〉

 矢野が最高裁判決後の選挙会決定に対する異議申出において、平成7年に行われた矢野の繰り上げ決定は選挙会の瑕疵によるものと決めつけていたのと同様に、朝木もまた選挙会の瑕疵によって東村山市議の地位を奪われたかのように主張していた。もちろん、選挙会決定の前に朝木が矢野に当選を譲ると主張していたこと、最高裁は朝木の住民票移動には実体がないと認定した結果、矢野の繰り上げ決定を無効としたことなどの事実はいっさい記載されていない。

 したがって、申立書を見るかぎりにおいて、この申立に至る背景に議席譲渡事件があったことなどいっさいうかがい知ることはできなかった。「なかったことになっている」と言い換えてもいいかもしれない。

 その上で朝木は、議会が自分の身分についてなんらの議決もしていない以上、自分は東村山市議としての業務を遂行する権利があり、議員報酬を受け取る権利を有すると主張していた。かつては東村山市議としての業務を自ら放棄しておきながら、今度は「業務を遂行する権利がある」と主張しているのだった。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第5回
消された議席譲渡

 最高裁判決後、議会や選挙会に対してさまざまな要求や異議申し立てを行っていることを矢野と朝木が明らかにしたのは、彼らの政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』(平成9年9月17日付第87号)によってである。最高裁は平成7年当時に朝木が主張していた住所移転の実体を認めず、矢野の繰り上げ当選を無効とした。通常なら、議会や市民を混乱させたことについて2人の口からなんらかの謝罪があってもおかしくない。しかし記事では、議席譲渡事件に関しても明代の万引き事件同様に、彼らが非を認めることはいっさいなかった。

 記事の見出しからして、相当の違和感があった。



〈被告は選管〉

〈最高裁「市議会が繰り上げ当選手続きをやり直せ」〉

〈ムラ議会、最高裁判決を拒否で大混乱〉



 議席譲渡裁判の被告が東村山市選管の決定を追認した東京都選管であることは事実だが、ことさら見出しで強調することはあるまい。平成7年に行われた市議選後、朝木は松戸に住民票を移し、矢野に当選を譲ると表明した。その行為が民主主義に反するとして市民が提訴したのが議席譲渡裁判である。裁判で問われたのは議席譲渡という行為そのものであり、法律的な争点となったのは朝木の住民票移動に実体があったかどうかだった。

 つまり裁判の実質的な当事者は矢野と朝木なのであり、したがって実質的な敗者は矢野と朝木にほかならなかった。そのことを自覚しているがゆえに、矢野は読者に対して敗者が東京都選管であると印象付けるためにあえて〈被告は選管〉という見出しを入れたのだろう。

 また最高裁が判決で〈「市議会が繰り上げ当選手続きをやり直せ」〉などと命じた事実はない。最高裁は選挙会が朝木の東村山市における被選挙権を失ったと判断した平成7年5月21日の決定について、〈(朝木が)被選挙権を失ったことを理由として議員の職を失うかどうかは、東村山市議会の決定にゆだねられるものと解さざるを得ない。〉と述べたのである。矢野は最高裁が繰り上げ手続きのやり直しを命じたように記載することで、市民に対して「やはり矢野は繰り上げ当選になるのか」と思わせようとしたのだろう。

 しかも、議会がそれを拒否している、と。これではあたかも、矢野と朝木にはいっさいの非がないように聞こえよう。恐ろしい情報操作というほかはない。

 本文では選管が行った繰り上げ当選手続きについても次のように書いている。

〈最高裁は判決で、選管が朝木直子編集長の住所移転(当選失格)を判断する権限がないのに勝手に、繰り上げ当選手続きをとったのは誤りで、市議会繰り上げ当選の手続きを始めからやり直しをすべきというもの。〉

 朝木の転居の実体が否定された事実を抜きにして、権限のない選管が「勝手に」行ったことになっていることがわかる。これでは、矢野が繰り上げ当選となったのは選管のミスであり、議席譲渡事件など存在しなかったかのようである。

虚偽の住民登録もなかったことに

 市選管を騙し、議席譲渡を実現させた朝木による虚偽の住民票移動についても、きわめて巧妙になかったことにしようとしていた。朝木が松戸に移転した状況とその時期について、最高裁の認定として矢野はこう説明している。

〈(議席譲渡裁判を提訴していた市民たちは)朝木直子編集長があたかも「当選を譲るために住民票だけを移した」とか矢野議員を繰り上げ当選させるために、不正にニセの住民登録をしたなどと刑事告発。

 が、最高裁は、95年4月に、朝木編集長の住所が移っていたとはいえないものの、1カ月後の5月29日には住所が移転。すでに5月1日から任期の始まった市議の身分を取得したと断定。〉

 平成7年当時、朝木は「4月26日に転入届を提出し、生活の本拠を千葉県松戸市に移したから、私は東村山市議の資格を失った」(趣旨)と説明していた。その後、朝木は同年5月9日、松戸市内で2度目の転居をしている。ここで矢野がいう「5月29日」とは3度目の転居先である。議席譲渡を批判、追及していた東村山市民(「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」=以下、「許さない会」)は「朝木には松戸での生活実体がない」すなわち虚偽の住民登録をしたと主張していた。

 これに対する矢野の反論が後段ということになるが、ここには朝木が同年5月29日までに4月26日と5月9日の2度の転居をしていたことはいっさい記載していない。「許さない会」が問題にする虚偽の住民登録には最初の2回分も含まれる。

 しかし矢野は、最高裁が実際に生活の本拠を移したとは認めなかった2度の転居についてはいっさい触れずに最高裁が移転を認めた3度目の転居だけを記載することで、移転の実体が認められなかった最初の2度の住民票移動についてはなかったことになっているようにみえる。最初の2度の住民登録が存在しなければ、虚偽の住民登録の事実も消えてなくなるというまれにみる詭弁だった。

 こうして矢野は、当初の繰り上げ決定は選挙会の誤りであるとし、さらに朝木が市選管や市民を欺いた事実をなかったことにしたことになる。「草の根市民クラブ」には何の落ち度もないというわけだった。その上で矢野は次のように主張していた。

〈(朝木は)市議選から3カ月以内の5月29日に住所移転したので、次点の矢野氏の繰り上げ当選という結論は同じになる。〉

 ところが、議会が判決に従わず、朝木の議員資格を審査する議会を開かないと批判しているのだった。どこまでも議席譲渡の思いつきを正当化し、成就させようとする矢野の執念たるや、はるかに常識を超えたものというほかなかった。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第6回
万引き関係者も登場

 ビラ87号に掲載した最高裁判決関連記事を読むと、矢野と朝木が議席譲渡事件の中でもとりわけ朝木の最初の2度の住民票移動が生活の本拠の移転であるとは認められなかったこと、つまり架空の住民登録を行ったと認定された事実を否定しようとしていることがうかがえた。

 最高裁が最初の2度の住民票移動を生活の本拠とは認めなかった点については2面でも、今度は彼ら自身ではなく、市民の「寄稿」という形で「架空の住民登録」を否定する主張を掲載している。「住所」とはいえないと断定されたことがよほど気にかかっているとみえた。

「寄稿」したのは彼らの古くからの支持者Kだった。朝木明代が万引きで被害届を出された際には、明代とともに万引き被害者の店を訪れ、被害者に対する嫌がらせを手伝った人物である。Kは朝木の最初の2度の住民登録について次のように述べていた。

〈「草の根」側は、架空の住民登録をしたわけでありませんし、ニセの住所移転をしたわけでもないことは現に、最高裁もはっきり認めており、95年5月29日には、朝木直子編集長が松戸市に住所を移したことは間違いないと認定しています。〉

「架空の住民登録」「ニセの住所移転」とは生活実体がないにもかかわらず、住民登録をしたということである。Kは朝木がそのようなことをしていないことを「最高裁もはっきり認めて」いると主張している。しかしそんな事実があるかどうかは、判決文を確認すればすぐに明らかになる。最高裁は朝木の最初の2回の住民票移動について次のように述べている。

〈朝木は、……次点者の矢野を当選人とすることを目的として、急きょ、松戸市への転出の届出をしたものであり、同女が単身転出したとする先は父の部下一家が居住する社宅であった上、その後、わずかの間に、いずれも松戸市内とはいえ、2度にわたり転居の届出をしているというのである。そうすると、仮に、朝木が、現実に平成7年4月26日以降松戸市紙敷で起居し、同年5月29日以降は松戸市馬橋のマンションを生活の本拠としているとしても、松戸市紙敷の前記社宅は生活の本拠を定めるまでの一時的な滞在場所にすぎず、せいぜい居所にとどまるものといわざるを得ない。〉

 最高裁は最初の2度の住所移転は「生活の本拠を定めるまでの一時的な滞在場所」にすぎないと認定している。朝木は当時、母親の明代とともに「松戸で生活している」と、生活実体があると主張していた。最高裁の認定からすれば、彼らの主張は虚偽だったという結論になる。

 少なくともKが主張するように、最高裁が「(朝木が)『架空の住民登録』『ニセの住所移転』をしていないこと」を「はっきり認めた」などという事実はない。むしろ、〈矢野を当選人とすることを目的として、急きょ、松戸市への転出の届出をした〉とする認定は、松戸への住民登録は生活の本拠を移すことが目的ではなかったと認定したに等しい。

 すると朝木が当時急いで行った松戸への住民登録を「架空の住民登録」「ニセの住所移転」と評価することになんらの支障もあるまい。朝木は矢野を繰り上げ当選させるために、虚偽の住民票移動を行ったのである。

 最初の2度の住民登録が虚偽ではないというのなら、「せいぜい居所にとどまるもの」とした最高裁の認定に反論すればよかろう。しかし矢野にしてもKにしても、最初の2度の住民登録が「住所」とは認定されなかったことに対してなんらの反論もせず、3度目の住民票移動である「平成7年5月29日以降に松戸に住所を移したとしても」とする最高裁の仮定を受け入れている。つまり彼ら自身が、最初の2度の住民票移動が実体のないものだったと認めているということだった。

 ただビラ87号において、矢野もKも朝木が同年5月29日より前に2度、住民票を移動した事実を表に出していない。当然、2度の住民票移動に触れれば、最高裁からも否定されているから「架空の住民登録」を否定できなくなる。だから最初の2度の住民票移動については触れなかったということと理解できる。矢野らしい狡猾さというべきだろう。

 またビラ87号は、同年5月29日以降は松戸市内に居住していると最高裁が確定的に認定したかのように主張している。しかし最高裁は〈仮に、朝木が、現実に平成7年4月26日以降松戸市紙敷で起居し、同年5月29日以降は松戸市馬橋のマンションを生活の本拠としているとしても〉としているにすぎない。最高裁がここで「仮に」という文言を挿入したことは無意味ではあるまい。

はなはだしい責任転嫁

 ビラには虚偽の住民登録を行った朝木本人も登場した。朝木こそ平成7年4月26日に最初の住民票移動を行い、「自分は東村山の被選挙権を失ったから東村山市議ではない」と主張していたのだから、最高裁が「住所とはいえない」と認定したことについてなんらかの見解が表明されてしかるべきだろう。

 しかしそのタイトルは、〈最高裁「手続きやり直せ判決」〉〈混乱の原因作っただけ〉というものだった。謝罪どころか、釈明する気さえ毛ほども期待できない内容であることは中身を見るまでもなかった。

 タイトルの「手続きやり直せ」とは1面から矢野が主張しているとおり、「市議会が改めて朝木の市議資格が喪失したことを議決し、選挙会はそれに基づいて矢野の繰り上げ当選の決定をすべき」という趣旨である。矢野と朝木は市議会が「最高裁判決に従わない」とし、「新たな混乱が生じている」と主張している。

 つまり結果として、「許さない会」が矢野の繰り上げ当選を違法として提訴したこと自体が〈混乱の原因を作った〉と主張しているのだった。「混乱」の原因は、朝木と矢野が議席譲渡を企て、架空の住民票移動を行ったことではなく、それが民主主義に反する行為であるとして提訴した「許さない会」にあるといいたいようだ。ここまで責任転嫁できること自体に驚かされよう。

 朝木は議会が〈最高裁判決を拒否して矢野議員の繰り上げ当選の手続きをやり直していない〉が、〈矢野議員の繰り上げ当選という結論は変わりがない〉とし、〈「矢野議員」の身分は法律上変更がないので同じ呼び方を続けます。〉と記事を締めくくっている。ここまで非を認めないとは、はやり並大抵の神経ではないというほかない。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第7回
発揮された特異性

 平成9年8月25日、最高裁判決によって議席譲渡の企みを阻止された「草の根市民クラブ」の矢野穂積は東村山市議会から逐われ、それを受けて開催された選挙会が「当選者を定めることができない」とする決定を行ったことで「草の根」は当初2議席を得ていた議席のすべてを失った。東村山市議会は同年9月11日に開催した本会議において「議席譲渡事件に関する最高裁判決を支持する決議」を全会一致で決議するとともに、東村山市長もまた矢野と朝木による議席譲渡が無効とされたことを歓迎する所信表明を行った。

 しかし、選挙会の決定から9月議会の初日を迎えるまでの間、矢野と朝木は最高裁判決後の行政と議会の動きに対して激しい抵抗を行っていた。矢野らは選挙会の決定に対して意義申出を提出、朝木はかつて議員であることを否定したにもかかわらず一転して市議として扱うよう再三にわたって議長に迫った。しかし議長は、選挙会の決定を尊重するとして朝木の要求を撥ねつけていたのだった。

 これに対して朝木は9月定例会初日、東京地裁八王子支部に東村山市や議長に対して「議員としての業務妨害禁止」を求める仮処分申請を行った。矢野と朝木は政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』第87号で最高裁判決後の行政側の対応を激しく非難し「矢野の繰り上げ当選手続きをやり直せ」と主張していた。

 通常なら、民意を踏みにじり、市民や行政に多大な迷惑をかけたことについて市民に対して謝罪するのが普通と思われた。しかしそれどころか矢野と朝木は、朝木が虚偽の住民票移動をしたことを隠しつつなおも議席譲渡の正当性を主張しているのだった。普通では思いつかないことを思いつく彼らの特異性は、どこまでいっても常識の追随を許さないようだった。

支持者からも抗議

 しかし、よくわからないが、彼らの主張に同調する支持者もいた。ビラ87号に「寄稿」したKである。明代の万引き事件で被害者に対する威迫行為に同行したほどだから、議席譲渡にも違和感を覚えなかったのかもしれなかった。

 東村山市議会は平成9年9月定例会の終了後、同年10月1日付で「市議会だより臨時号」を発行した。1面には〈草の根グループの議席譲渡は無効〉という副題があった。民意を踏みにじることで民主主義を脅かし、議会を混乱に陥れた議席譲渡事件の結末について東村山市議会として市民に報告するとともに、議会としての考えを示そうとしたのである。臨時号には「議席譲渡事件に関する最高裁判決を支持する決議」を議決したこと、および最高裁判決を評価する市長の所信表明も掲載されていた。東村山市議会として議席譲渡事件はそれほど重大な出来事だったということだった。

 ところがその掲載内容に対して、支持者のKから議長と市長宛にそれぞれほぼ同じ内容の抗議文書が届いたのである。

 Kは文書でまずこう主張していた。「臨時号には『草の根グループの議席譲渡は無効』と記載されているが、最高裁判決にはそのような文言はどこにもない」と。平成9年8月26日付『朝日新聞』も朝刊1面で〈議席譲渡は無効〉の見出しを打った。これに対して矢野は〈朝日新聞の勝手な解釈〉などと非難している。

 しかし、矢野の繰り上げ決定までの過程で朝木が矢野に議席を譲ることを目的として松戸に住民登録をしたことは最高裁判決にも記載されている。最高裁はそれが住所とは認められない状態だったと認定、したがって朝木は東村山市議となっていたから選挙会が行った矢野の繰り上げ当選の決定は無効であると結論づけたのである。

 矢野と朝木の間に議席譲渡の意図があったことは明らかであり、朝木の被選挙権を失ったとする申告に騙された選挙会の決定が無効となったのだから「草の根グループの議席譲渡は無効」という見出しは間違いではないのではあるまいか。矢野は「議席譲渡」をなかったことにしたいのかもしれなかった。

 ビラ87号で2度の住民登録の場所が住所とは認められなかったことに触れてないことにもその意図が隠されているように思えた。たんに朝木が生活の本拠を移したことにより矢野が繰り上げ当選となったのなら、議席譲渡の意図ではなかったと主張することができる。(この抗議文書が矢野によるものでなければ)Kは矢野の意思を代弁したようにもみえる。

逆に市長の責任を追及

 文書でKは議会に対し、最高裁が〈「選管」が95年4月中に朝木直子さんの当選失格を判断し繰り上げ当選の手続きをとったのは誤り〉とした部分のみを取り上げ、〈改めて繰り上げ当選の手続きが必要とされている〉と主張。また市長に対してはこう述べていた。

〈市長は、東村山市の代表者であるにもかかわらず、……選挙管理委員会が誤った手続きをとったことを最高裁から指摘されたこと、その結果、矢野穂積氏や朝木直子さんに迷惑をかけた点について反省を全くしていない所信表明を行っている点は極めて無責任かつ重大である。〉

 抗議文の名義はあくまで矢野、朝木本人ではないから、「反省すべきは自分たちではないのか」とはいえないが、選挙会が判断を誤ったことについて市長の責任を追及するとは本末転倒もはなはだしいのではあるまいか。少なくとも、ビラ第87号と同様にこの文書においても矢野と朝木にはなんらの落ち度もないことになっていた。

 その上でKは、議長と市長に対してそれぞれ以下の回答を求めた。



(議長に対して)

1 事実を偽って、勝手に……「草の根グループの議席譲渡は無効」と記載し、税金を無駄に遣って、宣伝したことを、次号の「市議会だより」で納税者市民に対して謝罪すること。

2 次号の「市議会だより」で……最高裁判決とりわけ市議会の責務について……全文を掲載し、公表すること。

3 この「臨時号」の印刷及び配布の費用の総額を明らかにすること。

(市長に対して)

1 ……選挙管理委員会が誤った手続きをとったことを最高裁から指摘されたにもかかわらず、市の代表者として、なぜ、一切、反省又は陳謝しないか。

2 選挙管理委員会の誤った手続きで矢野穂積氏、朝木直子さんに迷惑、損害を加えたほか、議会だより臨時号にまで、所信表明を掲載した点をどのように反省しているか。



 矢野と朝木に対してではなく市長に反省、陳謝を求めるとは、常識とはかなりのずれがあるのではあるまいか。

「草の根」の古くからの支持者Kの抗議に対して議長は、3については「いずれ公表する」としたものの、他の申し入れは拒否。市長は2項目とも「権限外」であると答えた。いずれもきわめて常識的な回答であるように思われた。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第8回
抗議内容をビラでも宣伝

 東村山市議会は平成9年10月1日付で「市議会だより」臨時号を発行し、議席譲渡事件について最高裁が「議席譲渡は無効」とする判決を言い渡したこと、および市議会としてこの判決を支持する決議を行ったことを市民に伝えた。その2日後の10月3日、市選管は同年9月2日に行った決定(「当選者を定めることができない」)に対して矢野らが提出した異議申出を棄却した。

 一方、矢野らの支持者は「市議会だより」に対して同年10月6日付で議長と市長宛に抗議の文書を提出したが、追い打ちをかけるように矢野と朝木は政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』第88号(平成9年10月15日付)を発行し、選挙会が朝木の市議資格を認めず、議会もそれに同調しているとして重ねて非難している。

 議長や市長に対する再三にわたる抗議や申し入れは直接市民の目に触れることはない。だから矢野らは市内にビラを配布することで、最高裁判決に対する彼らの主張を市民に訴えようとしていたことがわかる。

 しかし彼らが特異なのは、彼らにとって不都合な事実をなかったことにしようとしているフシがうかがえたことである。それが嘘であっても、繰り返し主張されれば、詳細な事情を知らない市民は「そうだったのか」と思い込んでしまうこともあろうし、たまたまその記事だけを目にしてそれを信用してしまう場合もあり得る。

 矢野が事実をすり替えようと意識していたのか、彼らの思い込みだったのかはわからない。しかし、事実が伝えられず、虚偽の事実のみが繰り返し宣伝される状況こそ、デマが事実として市民権を得ていくようになる原初的な一例なのかもしれない。

嘘を刷り込む手法

 議席譲渡事件の中でも矢野と朝木が事実をすり替えようとしていたことがうかがえるのは、選挙会が矢野の繰り上げを決定した経緯に関してである。矢野と朝木がビラによって事実を消し去り、虚偽の事実のみを宣伝することによって、新たな事実を捏造しようとする足跡をみよう。



(ビラ87号)

〈選管が朝木直子編集長の住所移転(当選失格)を判断する権限がないのに勝手に、繰り上げ当選の手続きをとった〉(矢野)

〈「草の根」側は、架空の住民登録をしたわけでありませんし、ニセの住所移転をしたわけでもないことは現に、最高裁もはっきり認めており、95年5月29日には、朝木直子編集長が松戸市に住所を移したことは間違いないと認定しています。〉(支持者K)

〈「選管が、権限がないのに、早まって、繰り上げ当選の手続きをとったのは誤り」〉(支持者K)

(ビラ88号)

〈選管が当選失格を判断する権限もないのに、繰り上げ当選の手続きをしたのは誤り〉(矢野)

〈すでに95年5月1日に当選人から議員になった朝木直子編集長〉(矢野)

〈権限がないのに、市選管が繰り上げ当選の手続きをとったのが誤り〉(支持者K)

〈すでに95年5月1日に市議会議員になっている朝木直子さん〉(支持者K)

〈勝手といえば、市選管が間違って、権限もないまま1カ月早く手続きをとったため、矢野議員には迷惑をかけながら……〉(朝木)



 最高裁判決の前まで朝木は「議員任期の始期である平成7年5月1日には松戸に生活の本拠を移しており、私はすでに東村山市議の被選挙権がない」と主張していた。あらためて紹介したのは、その主張を否定した最高裁判決後に矢野と朝木が発行したビラ2号分の繰り上げ決定に関する記載である。

 裁判で朝木は、矢野に当選を譲るためとしていた平成7年当時の主張を覆し、「父親の介護のため」に松戸に転居する必要があったと供述した。当時の説明とは大きく食い違っており、当然、原告(「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」)代理人は「それならなぜ最初からそう説明しなかったのか」と追及した。しかし朝木は頑として「介護のため」と言い張った。東村山から松戸に住民票を移したことには現実的に切迫した理由があったと裁判官に訴えるためだったのだろう。

 ところが最高裁判決後に発行したビラには最高裁が「朝木は同年5月1日には議員になっていた」と認定したことのみを記載し、議員任期が始まる時点で住民票を松戸に移していたことなどいっさい触れていない。その事実に触れないまま「市選管が勝手に矢野を繰り上げ当選させた」と主張すれば、一般市民は「民主主義を否定する暴挙」として社会問題となった「議席譲渡事件」とは、実は市選管が独断専行によって誤った手続きをした結果ということだったのかと誤解しかねない。

 しかもこれほど「市選管の誤り」と繰り返されれば、読者が無意識にそう思い込まされたとしても不思議はない。これはもうたんなる情報操作というよりも刷り込みに近いのではあるまいか。

消えてなくなった議席譲渡事件

 しかもビラ88号で朝木は、市選管が「間違って、権限もないまま1カ月早く繰り上げ手続きをとった」と主張している。「間違って」とは、市選管が「朝木は議員任期の始期前に東村山の被選挙権を失った」と判断したことを指すとみられる。つまり朝木は、「市選管は朝木の生活の本拠が市外に移転していないのに移転したと『間違って』判断し、朝木の東村山の被選挙権もなくなったと判断した」といっているものと理解できる。

 当時、「松戸に生活の本拠を移したから東村山の被選挙権を失った」と主張していたのは朝木自身である。ところが最高裁判決後、朝木が住民票を松戸に移して東村山の被選挙権がなくなったと主張していた事実はどこかに消えてなくなり、市選管は朝木が住民票を移したことをもって「間違って」東村山の被選挙権もなくなったと判断したことになったということになる。

 朝木はその上、市選管が判断を「間違え」、さらに勝手に矢野の繰り上げ手続きをしてしまったために、最終的に最高裁で繰り上げ当選が無効とされたことにより「矢野さんに迷惑をかけた」とまでいっているのだった。これらの主張によれば、すべての責任は市選管にあったことになる。

 彼らの主張を通して気づかされるのは、ビラによる宣伝において「議席譲渡事件」など最初からいっさい存在しないことになっているということである。常識では、彼らはあれほど市民や議会、行政を混乱させたのだから、なんらかの謝罪の言葉があってしかるべきだと思うだろう。しかし「議席譲渡事件」などなかったことにしようとしている矢野と朝木からすれば、市民に対して謝罪する理由など最初からないということになる。出発点からして常識とはかけ離れた恐るべき発想である。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第9回
公選法の趣旨

 平成9年9月2日、東村山市選管は矢野の繰り上げ当選を無効とした最高裁判決に基づいて開催した選挙会で「当選人を定めることができない」とする決定を行った。これによって朝木の復活もなくなり、「草の根市民クラブ」は東村山市議会からすべての議席を失った。

 その後、矢野と朝木はビラで「市選管が朝木の被選挙権について判断を誤った」ために混乱が起きたなどと議席譲渡の事実をなかったことにする一方、東村山市選挙会の決定に対して異議申し立てを行った。同年10月3日、東村山市選管はこの申出を棄却。すると矢野らはさらに同年10月23日、東京都選管に対して東村山市選管の判断について審査を申し立てた。

 これは議席譲渡事件が起きた当時、東村山市選挙会が矢野の繰り上げ当選を決定したことに対して「許さない会」が行った異議申し立てと同じ経過である。しかし、「許さない会」が行った申し立てが民主主義を守るためだったのに対し、矢野らによる異議申し立ては事実上、民意を踏みにじった議席譲渡を復活させ、結果として正当化させようとするたくらみだった。

 審査申し立てにおいて矢野らはおおむね次のように主張していた。



1 最高裁判決は、朝木直子は平成7年4月30日現在東村山市の被選挙権を失っておらず、東村山市議の資格を得ていたとしており、選挙会で改めて当選人と決定する必要はなく、すでに当選人である。

2 最高裁判決は、朝木は平成7年5月29日に東村山市の被選挙権を喪失したと判断している。この時期は選挙期日から3カ月以内の繰り上げ補充期間内にあり、更生決定すべき当選人は次点者である矢野穂積である。



 この時点で朝木は東村山市議会に対し、朝木に対する業務妨害禁止の仮処分命令を東京地裁八王子支部に申し立てている。「東村山市議会は朝木を東村山市議として扱え」という趣旨である。東京都選管に対しては「矢野が議員である」と主張し、裁判所に対しては「朝木は東村山市議だ」と主張するのは矛盾しているようにみえるが、朝木がいったんは東村山市議として扱われなければ、東村山市議会が朝木の被選挙権喪失を議決できないという理屈のようだった。

 市民に2年間にわたって裁判闘争という精神的、経済的負担を負わせ、何よりまず東村山市民の民意を踏みにじったことを深く反省し、謝罪するというのが普通の考え方だろう。しかし矢野には、「公選法には自ら被選挙権を失うことによって合法的に議席を次点者に譲り渡すことができる穴がある」と(矢野なりに)気がついたことに対するこだわりが強かったのではあるまいか。

 公選法は1条に〈その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。〉と規定している。「公明正大なかたちで民意を尊重し、反映させる」という趣旨であり、民主主義を実現させるために維持しなければならない原則といってよかろう。

 仮に公選法に矢野が考えるようなスキがあったとしても、そこにつけ込もうとすること自体、公選法の理念に反する。しかし議席譲渡事件の発生から最高裁判決後の彼らの主張を見るかぎり、公選法の趣旨など彼らには何の意味を持たないのだとあらためて痛感させられる。

矢野からの「催告」

 東京都選管に対する審査申し立てを行った2週間後、矢野はしびれを切らせたのか、今度は東村山市議会議長に対して新たな内容の「催告書」を内容証明郵便で送付した。

〈最高裁判決により、1995年5月29日に朝木直子氏につき……被選挙権喪失の効力が発生した結果、次点者である私は改めて繰り上げ当選人及び市議会議員の身分を取得した。〉

〈貴殿は地方自治法所定の議決……をただちにとらなければならない。しかし、貴殿が右法定手続きを違法に怠っているため、私は市議会議員としての業務執行が3カ月に渡って妨害され、現実に損害が発生している。〉

「催告書」で矢野はこう主張した上で、〈ただちに必要な手続きをとるよう〉主張していた。しかし仮に平成7年5月29日に朝木の被選挙権が喪失したと認められ、朝木が議員資格を失ったとしても、それによってただちに矢野の繰り上げ当選が認められるかどうかは別の問題であり、議会にはそれを決定する権限がない。

 平成9年9月2日の選挙会決定には行政処分として一定の公定力がある。矢野はこの決定をめぐり東京都選管にその是非を問うている。ところが、議会が矢野の「催告」に従って矢野を議員として扱うことは、現実的に東京都選管の裁決を待たずに選挙会の決定を覆すことになる。

 議会にそのようなことができるはずがない。したがって矢野のこの「催告」は短絡のそしりをまぬがれまい。一方で朝木は、「自分は議員である」と主張して東京地裁八王子支部に「業務妨害禁止」を求めて仮処分命令を申し立てているから、この「催告」は議会と行政に対する揺さぶりだったように思えた。

被害者であるかのような宣伝

 その4日後、矢野は政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』第89号(平成9年11月19日付)を発行し、同年9月2日の選挙会決定を〈メチャメチャな「決定」〉と非難するとともに、議会が「最高裁判決を公表しない」として、それが何か「都合が悪いから」であるかのように主張している。

 その理由と思われる主張を「編集長朝木直子」は次のように主張している。

〈最高裁は判決で、改めて繰り上げ当選の手続きを議会がやり直しなさいと明言してますから、結局は矢野議員を再び繰り上げ当選させる手続きのことが書かれている〉

 最高裁は平成7年に行った選挙会の繰り上げ決定が違法であると認定したにすぎず、上記のように「明言」している事実はない。矢野と朝木の中ではついに、矢野の繰り上げ当選を無効とした判決が、「繰り上げ決定のやり直し」を命じたものへと変質したようだった。彼らが最高裁判決をどう解釈しようと自由である。しかし、彼らの「解釈」が最高裁判決の中の一文であるかのように記載すれば、それは虚偽宣伝といわれても仕方があるまい。

 最高裁判決後の行政と議会の対応を非難する彼らの政治宣伝のみに接していると、経過をよく知らない読者はあたかも矢野と朝木が最高裁判決を無視する行政と議会の被害者であるかのような印象を持ってしまうのではないか――。論点を巧みにすり替えることで自己正当化をはかる彼らの宣伝手法は、朝木明代の万引きと自殺のときと同様、議席譲渡事件においても十分に発揮されているように思えた。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第10回
東京都選管の裁決

 最高裁判決後、東村山市選挙会が朝木直子の復活を認めなかった決定をめぐり矢野らが提出していた異議申出に対し、平成9年11月26日、東京都選管はこれを棄却する裁決を行った。東京都選管は、矢野の異議申出を棄却した東村山市選管の決定を追認したのである。

 朝木側の主張と東京都選管の裁決理由は以下のとおりである。



(朝木の主張1)

「最高裁判決は、朝木は平成7年4月30日現在、東村山市の被選挙権を失っていないので議員の資格を得ているとしている。したがって朝木は、改めて公選法96条に基づき選挙会で決定するまでもなく当選人である」

※公選法96条の規定=「訴訟の結果、再選挙を行わないで当選人を定めることができる場合においては、ただちに選挙会を開き、当選人を定めなければならない」)

(東京都選管の裁決理由1)

「最高裁判決は平成7年5月21日に選挙会が行った矢野の繰り上げ決定を取り消したのであって、朝木の当選を決定はしていない。本選挙会は公選法96条の規定に従い、朝木を当選人と決定するために開催したものであり、選挙会の決定がない場合には当選人としての認定も行われない。」



 平成7年当時、矢野に当選を譲ると表明し、「松戸に生活の本拠を移したことに間違いない」と主張していた事実、および最高裁がその主張を否定した事実にはいっさい触れず、今度は自分が議員になっていたと主張するために最高裁の「朝木はすでに議員になっていた」とした部分のみを利用するあたりは抜け目がなかった。当時、「間違いなく住所を移転した」とする朝木の主張を信じ、朝木は当選人の資格を失ったと判断した東京都選管としても、改めて朝木が並大抵の神経ではないことを思い知ったのではあるまいか。

 東京都選管としても当時、議席譲渡が民主主義に反する行為であるとは認識しつつも、矢野の繰り上げを認めざるを得ないことに大きな葛藤があったはずである。しかし一行政機関の判断において、朝木が東村山の被選挙権を失ったと判断せざるを得なかった。ところが最高裁が朝木の住所移転を否定するや、朝木は「自分は議員になっていた」と主張している。東京都選管が朝木に対してかなりの不信感を覚えていたとしてもなんら不思議はない。

選挙会開催のそもそもの原因



(朝木の主張2)

「最高裁判決によれば、朝木が松戸に生活の本拠を移したのは平成7年5月29日であると判断しており、同日までは東村山市議の資格を有しており、それ以後、朝木の議員資格が喪失するかどうかは議会が決定すべきで、選挙会は朝木の被選挙権の有無を判断する権限を持たない」

(東京都選管の裁決理由2)

 本選挙会において朝木を当選人と決定するところだが、朝木が判決日前に東村山市の被選挙権を失っている事実は明らかであり、当選人とすることができない。

 議員となってからは議会が決定すべきであるのは当然だが、当選人でない者は議員とはなれない。



 東京都選管が下した裁決理由には、最高裁判決は平成7年当時に選挙会が行った決定を取り消すというもので、当時、東村山市選管が朝木の被選挙権をめぐり選挙会を開催したこと自体を否定するものではないという解釈、判断がある。

 最初に選挙会を開催したのは議員任期の始期前である平成7年4月28日であり、5月以降に開いた2回の選挙会は第1回選挙会が流会となったために行った「継続選挙会」と位置付けられている。したがって、最高裁が取り消したのは選挙会の開催そのものではなく、その決定なのだと。よって東村山市選管は、最高裁が当時の決定内容を取り消したため、決定をやり直そうとした――これが本選挙会を開催したことに対する東京都選管の考え方だった。

 しかしこれもまた元をたどれば、朝木が議員任期の始期前に松戸に住民票を移し、議会の決議を経ないまま矢野を繰り上げ当選させようと画策したことに起因しているのである。ここでも朝木は、そもそも平成7年当時、選挙会が開催された事情についていっさい触れず、朝木の議員資格について議会が決定せず、選挙会が決定したことを非難している。しかし東京都選管が、当時の選挙会が下した結論に誤りはあったが選挙会の開催そのものが否定されたわけではないと考え、選挙会を開催したのだとしても、それなりの合理性があるように思える。

 上記説明によれば、東京都選管の判断は、朝木の議員資格の有無は議会が議決すべきものであるとしても、それは選挙会が朝木を当選人と決定したあとであるということになろうか。したがって議会が選挙会の決定に従うとしたのも、選挙会が当選人と決定しない以上、議会が朝木を議員として扱うことができず、議員資格を審議する理由もないという論理であると推測できた。

 こうして東京都選管は矢野、朝木らの異議申し立てを棄却する裁決を行った。しかしもちろん、自分は議員であると主張して東村山市や市議会に対して業務妨害禁止を求める仮処分を申し立てている朝木が、この採決を受け入れるはずもなかった。矢野と朝木らは選挙会が行った決定の取り消しを求めて東京高裁に提訴した。

 1つの選挙会決定に起因して、主張の対立する双方から2度にわたって提訴されることになろうとは、東京都選管としても想定していなかったのではあるまいか。

(つづく)
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