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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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議席譲渡議員の退場 1
 平成31年4月21日に執行された東村山市議選の後、平成11年5月から5期20年にわたり東村山市議を務めてきた1人の現職市議が、おそらくは誰からも惜しまれることなく東村山市議会を去った。草の根市民クラブの矢野穂積である。

 ここ数年、矢野は議場に杖をついてくるほど身体的衰えが著しく、議場で質問に立っても思うように口も回っていないように見える状態だった。質問内容も、以前にも増して、たんに時間を消費しているだけのように私には思えてならなかった。質問に内容がなく、にもかかわらず限られた議会の貴重な時間を消費しているだけなら、税金の無駄遣いといわれても仕方があるまい。

 矢野の無残な質問風景が傍聴者を通じて他の市民に伝えられていたとしても不思議はない。議会での質疑の状況はインターネットでも見ることができるから、かつては矢野を支持していた市民も矢野の衰えを知り、議員としての限界を感じていたのかもしれない。だとすれば、これも東村山市議会がインターネットによる議場中継を導入したことによる大きな成果といえるのではあるまいか。

「庶民派」という仮面

 矢野が31人中29位で落選したことは何の話題にもならないだろう。しかし、この落選をもって矢野のこの20年を忘却してはいけない。むしろ、今回落選するまでに、矢野が「庶民派」「革新」を標榜して20年もの間、東村山市議として存在し続けたことを、市民は顧みるべきではあるまいか。

 矢野にとって、これが2度目の落選であることを知る市民は少なかろう。矢野は平成7年4月に行われた東村山市議選に初めて立候補したが、次点で落選していた。これだけならどうということはない。「矢野さんは最初に落選したけれども、再度立候補して当選し、その後20年間市議会議員を務めたのね」ですむ話である。

 しかし、最初に落選した際、「庶民派」をうたう矢野という人物の本性が「庶民派」どころかきわめて自己中心的なものであることを裏付ける事件が起きていた。またその事件には、矢野だけでなく、先の東村山市議選で4位当選した現東村山市議、草の根市民クラブの朝木直子が深く関わっていたことを忘れるべきではなかろう。

重大な裏切り行為 
 
 平成7年4月に執行された東村山市議選には草の根市民クラブから矢野のほか、朝木直子とその母親である朝木明代が立候補した。明代は前回トップ当選していたから、矢野はあわよくばもう1議席、2議席と勢力拡大を狙った。その結果は、明代が2期連続のトップ当選。娘の直子が4位で当選を果たした。ところが、草の根のリーダーである矢野が次点で落選したのである。

 朝木母娘が当選、矢野が落選というのが民意だった。この結果を誰がどう判断し、また論評しようと、誰もこの結果すなわち民意に手を加えることはできない。それが民主主義を支える選挙制度のルールである。

 ところが東村山では、民意を覆そうとする動きが起きた。通常ならあり得ない事態であり、選挙を管理する側としてもこれまで誰も経験しない事態だった。当選者の決定から3日後、4位で当選した朝木直子が当選を返上するといい始めたのである。

 そもそも、立候補者は当選して議員として働くことを目的にしていると有権者は認識しているから、議会で働いてもらうためにその候補に投票するのであって、当選しても当選を受け入れるかどうかわからないような人物に投票するはずがない。つまり、当選を返上するなどと主張し始めた時点で、朝木直子は有権者を裏切ったことになる。

民意に対する挑戦

 では直子が当選を返上するといい出した理由は何だったのか。直子は平成7年4月26日に開いた記者会見で次のように持論を述べた。

「矢野さんは、これまで8年間、毎回市議会を傍聴するなど、私よりも議会について精通しており議員としてより適格。繰り上げ当選してもらうために辞退することにした」

 次点で落選した矢野を繰り上げ当選させるためだった。当然このことを矢野が知らないはずがない。矢野と直子は、有権者が出した結論を彼らの恣意的な判断によって覆そうとしていたことが明らかだった。

「投票してくれた人を裏切ることになるとは思わないか」という当然の問いに対しては、直子は次のように強弁した。

「私への票はすべて、私個人ではなく『草の根』の政策に共感して入れてくれたものと考えている」

 また、記者会見に同席していた矢野はこう述べた。

「われわれは、議員は個人ではなくグループの一員として議会を改革するものと考えている。当初は3人当選するはずだった。私が次点になったのは偶然のこと。われわれの政策を実現するためには、次善の策とはいえ、こうするしかない。われわれは有権者の期待に応えられると思う」

「草の根」の政策を実現させようと思えば、矢野が当選できなくても、朝木母娘で実現を目指す道がなかったはずがない。どんなきれいごとを並べようと、誰にも改変できない有権者の意思を、矢野と朝木直子が彼らの勝手な理屈と都合によって変更させようと企てていることは明らかだった。当選者が自らの当選を放棄することによって落選者に当選を譲ろうという議席譲渡事件は、こうして始まったのである。

 もちろん、それまでの長い選挙の歴史の中で誰もこのような方法を企てた例はない。社会や市民に対する通常の誠実さや責任感を持つ者にできることとはとうてい思えなかった。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 2
有権者に対する重大な裏切り

 直子が当選を辞退し、次点で落選した矢野の繰り上げ当選を企てること自体、通常の誠意ある候補者になしうる発想ではないが、さらにその後の矢野と朝木直子の動きこそ、常識を超えた彼らの特異な本性をまざまざと物語るものだった。それがどれほど自己中心的かつ反社会的な決断であろうと、1度こうと決めたら絶対に曲げず、いかなる非難を浴びようといっさい自らの非を認めず、顧みることがないというめったにみない自尊心の塊である。

 その自尊心の塊が落選した矢野を救済する方法はないかと考え抜いた末に出した結論が、4位当選した朝木直子が当選を辞退して欠員を生じさせ、矢野を繰り上げさせるという方法だった。立候補者は当選すれば必ず議員として市民のために働くものという当然の市民との信頼関係を無視すれば、きわめてわかりやすい方法である。

 しかし公選法には、選挙に立候補した者が辞退できるのは公示日までであり、公示日以後の立候補辞退および当選の辞退を定めた規定はない。公職の選挙に立候補するということは、市民の投票行動の選択肢に加わるということであり、いったん公職に立候補すればその時点で社会に対する責任を負うことになる。公職に立候補するとは、当選すれば議員としての職責を最後まで果たすという社会に対する意思表示なのである。

 公選法の規定は、立候補者と有権者との間の信頼関係を前提としている。したがって、当選後に当選を辞退してしまうとは有権者に対する重大な裏切りであり、公選法の前提となっている立候補者と有権者との間の信頼関係を根底から脅かすものというほかない。

東村山市選管の判断

 仮に当選後の当選辞退などというものが容認されれば、落選者が繰り上げ当選を目的に当選者を買収して当選者を交代させたりするケースも起きよう。こうなるともう、選挙が選挙民の意思を反映したものとはいえなくなる。民主主義の崩壊である。

 だから公選法では公示後の立候補辞退と当選の辞退は許されていない。当選者の身にやむを得ない事情が生じて議員としての職務を全うできなくなるケースもあり得ないことではない。しかしその場合でも、当選者はいったん議員となった上で、辞職を申し出るしかない。その上で、議会はその辞職願を承認するかどうか検討し、辞職がやむを得ないという結論に至って初めてその議員の辞職が認められることになる。

 いったん公職に立候補した者はやむを得ない事情が生じた場合でなければ、個人的な都合で辞職することはできず、辞職を申し出られた側も、それをただちに容認することもできない。最後は、市民の代表である議会の判断に委ねられる。議会が辞職やむなしの結論を下せば、それは市民の承認を得たということになる。選挙があくまで民意が優先される仕組みになっていることがわかろう。いったん公職に立候補した者は、落選者を除けば、議員となった上で議会の議決を経て議員を辞職する以外に私人に戻る途はない。

 平成7年4月に朝木直子と矢野穂積は本当にこんなことをしたのかと疑う読者もいるかもしれない。しかし、当選した朝木直子が民意を無視して落選した矢野に当選を譲ろうとする事件が東村山で起きたことはまぎれもない事実なのである。

 当選が決まってから3日後の平成7年4月26日(「当選を辞退する」旨の記者会見を行った当日)、朝木直子は母親でトップ当選を果たした朝木明代とともに東村山市選管を訪ね、口頭で当選の辞退を申し入れた。明代がこのとき、東村山市議である母親の自分が娘の当選辞退を認めるのだからいいではないかと考えていたとすれば、重大な勘違いか傲慢というほかない。少なくとも、明代が直子に付き添ったのは、それなりの威圧を与えて、市選管を従わせようとする意図だったようにみえる。

 当選辞退の申し出に市選管が当惑したことは想像に難くない。しかし市選管は、公選法の規定に従い、直子の申し出を受理しないという結論を下した。マスコミにアピールしたり、明代が付き添ったりという揺さぶりに動じることなく直子の申し出を受理しなかった市選管は、この時点では十分に市選管としての職責を果たしたといえる。

草の根市民クラブの本領

 仮に他の政治グループが同様のことを思いついたとしても、市選管から当選辞退はできないといわれれば引き下がっただろう。しかし矢野と朝木直子らはそうではなかった。「草の根市民クラブ」による譲渡事件はむしろこれからが本番だった。

 東村山市選管から当選辞退の受理を拒否された直子は、今度は東村山市役所に出向き、千葉県松戸市の住所に転出届を提出した。市選管から当選辞退が受理されない場合を予想し、次の手段を用意していたものと思われた。

 直子は転出届を携えて松戸市役所に行って転入手続きを済ませたあと、再び東村山市役所に戻って転出証明書を入手した。さらにその後、直子は明代をともない、再び東村山市選管を訪ね、その転出証明書とともに新たな当選辞退届なる書面を提出したのである。最初に東村山市選管を訪ねて口頭で当選辞退を申し入れたあと、直子はここまでの行為を1日でやってのけたことになる。

 朝木直子が平成7年4月26日付で東村山市選管に提出した「届出書」と題する文書には次のように記されていた。

「私は、本日付で別紙の通り右住所に転出し、東村山市議会議員の被選挙権を失ったので、右届出ます。

 なお、本年4月24日付で、同年4月23日執行の市議会議員選挙の当選の告知を受けましたが、私は当選の承諾をしないので、念のため、右申し添えます。」

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 3
千葉県松戸市への転出届を提出

「私は、本日付で別紙の通り右住所に転出し、東村山市議会議員の被選挙権を失ったので、右届出ます。

 なお、本年4月24日付で、同年4月23日執行の市議会議員選挙の当選の告知を受けましたが、私は当選の承諾をしないので、念のため、右申し添えます。」

 朝木直子が東村山市選管に提出した届出書の記載のうち、「自分はもう東村山市議選の当選者ではなくなった」と申し出るだけなら、後段の「なお」以下の文言はまったく必要ない。立候補者が当選の承諾をしないという選択肢などあるはずもない。

 そもそも、直子は東村山市選管が「当選辞退は認めない」という結論を下したがゆえに、東村山から千葉県松戸市に転出するという挙に出たはずである。

 公選法9条2項には、「引き続き3カ月以上市町村の区域内に住所を有する者は、その属する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する」とあり、同10条の被選挙権の規定には、「市町村の議会の議員についてはその選挙権を有する者」とある(5項)。すなわち、市町村の議会の議員に立候補するには、その市町村に引き続き3カ月以上住んでいる必要があるということになる。

 朝木直子が千葉県松戸市に転出届けを出した事実を上記公選法9条と10条の規定に照らすとどういうことになるかといえば、直子には東村山市議になるための被選挙権がなくなったという結論になる。では、直子はなぜその事実をわざわざ東村山市選管に届け出たのだったか。

 公選法99条には「当選人が選挙後に被選挙権を失うと当選を失う」とあった。つまり朝木直子は、東村山市選管が「当選を辞退する」という申し出を認めなかったために、直子の当選が失われたことを市選管が認めざるを得ない状況を作り上げたということだった。

 冒頭に示した申出書の後段「なお」以下は、当選辞退を認めなかった東村山市選管の正当な判断に対する敵愾心の表れだろう。「自分たちは、一度主張したことは絶対に譲らない」という強い意思表示でもあった。この「草の根」の他に類を見ない自尊心の強さは朝木直子が受け継いでいる。

東村山市役所と松戸市役所を往復

 矢野と朝木直子の東村山市選管に対する私的な感情はともかく、公選法97条は「法99条の規定により当選を失ったときは、直ちに選挙会を開き、当選人とならなかった者の中から当選人を定めなければならない」と定めている。

 上記の条文に「直ちに」とあるのは、当選人が当選人の身分である期間は限られているからである。平成7年4月24日に執行された東村山市議選の場合、当選人が当選人であるのは同年4月30日までで、翌5月1日からは自動的に東村山市議の地位を得ることとなる。

 次点で落選した矢野に当選を譲ることを決めた朝木直子が、4月26日のわずか1日で転出届の提出から転入届の提出、さらに転出証明書の取得と市選管への届出書の提出までを一気に片付けたのは、直子がまだ当選人であるリミットが4日しかないことが念頭にあったのだろう。市選管が直子の被選挙権が喪失したとする事実を前提に矢野の繰り上げ当選手続きを進めるにしても、新たに当選人を決定するための選挙会を開催しなければならないことを考慮すると、直子が「届出書」を提出したのは26日でもギリギリだったといえる。

「草の根市民クラブ」内で落選した矢野を救済するために直子が当選を譲ることを決定したこと、さらにその実現に向けて東村山市役所と松戸市役所の間を短時間の間に往復したことを、現在の朝木はどう思い出すのだろう。やはりあれは必要な行動だったと考えているのだろうか。

法の盲点を衝いた行為

 さて、「東村山市の被選挙権を失った」旨の届け出は「当選を辞退する」などというただの身勝手な主張と片付けることはできない。直子の届け出を受けた東村山市選管は、今度は直子の申し立てを無視できなくなった。

 市選管としても、午前中に当選辞退を申し出た直子が、今度は自ら被選挙権を喪失させてまで当選を放棄しようとしていることは感じただろう。こんな事例は、当然ながら経験したことがなかったし、「こんなことがあっていいのか」という疑問を持ったとしても不思議はない。

 しかし、選挙を管理する市選管として、被選挙権のない者を当選人として認定できないのもまた当然だった。直子の届け出が事実とすれば、市選管は新しい議員任期が開始するまで(4月30日)に選挙会を招集、開催し、繰り上げ当選人を決定しなければならない。

 そこで市選管は、東京都選管や自治省(現総務省)に相談し、ただちに直子が提出した転出証明書の内容が間違いないかどうか東村山市長あてに紹介した。するとすぐに、千葉県松戸市への転出届に基づき朝木直子を住民票から抹消した旨の回答があった。

 このまま矢野の繰り上げ当選手続きを進めるべきなのか。自治省は「金銭で当選の権利を買う行為は禁止されているが、今回の場合は違法とはいえない」などして、直子は東村山市の被選挙権がなくなったのだから当選も失効になるとする見解を示した。東村山市選管だけでなく、東京都選管、自治省にとってもこのようなかたちで「自ら当選を失効させる」例は初めての経験だった。

 法は「当選者が当選を辞退する」というケースをとうてい想定していない。平成7年4月、「草の根市民クラブ」がやろうとしている朝木直子から矢野への当選の譲り渡しという行為は、まさに法の盲点を衝いたものだったといえる。法や社会秩序に対する挑戦と言い換えてもよかった。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 4
東村山市選管が選挙会を招集

 朝木直子と矢野穂積ら「草の根市民クラブ」がグループ内部で当選の譲り渡しを行おうとしていることが明らかになり、市民の間から「有権者をバカにしている」「法律以前の問題」などの批判の声が上がった。しかし、選挙を管理する東村山市選管は、「法的には問題ない」とする自治省の結論に従うしかなかった。

 こうして東村山市選管は直子の当選人資格が失効したとする方針を決定し、直子が「届出書」を提出した翌日の平成7年4月27日、矢野の繰り上げ当選を決定するための選挙会を翌4月28日に開催する旨の通知を開票立会人に通知した。朝木直子と矢野による議席譲渡の企みが、ただの反社会的な思いつきではなく、選挙制度のルールの中で、一応、違法ではないものとして扱われることになったのである。

 しかし、28日に開かれた選挙会では立会人の間から異議が続出し、選挙長は「矢野の繰り上げを決定する」との結論を得ることができないまま、閉会するに至った。5月1日に迫った新しい議員任期の開始日までに矢野の繰り上げ当選を決定することは難しい状況となった。

「理念としての当選者交代」

 市民の間ではますます「草の根市民クラブ」に対する批判が高まったが、矢野と朝木直子らが非を認めるはずもなかった。それどころか、「草の根」は朝木明代、矢野穂積、朝木直子の連名で「理念としての当選者交代」と題する文書を発表して、議席譲渡の正当性を主張した。現在も東村山市議を務める朝木直子が、当時、どんな主張をしていたか、珍しい主張なので、その要旨をあらためてみてみよう。



「理念としての当選者交代」①

(1)
議員の選出は、候補者が被選挙権を行使して立候補し、その選挙区の有権者が候補者から提示された政策を選択し、その実現を候補者に託すという政治的契約関係が成立することによって理論上も実態上も実現する。

 したがって、「議員は有権者が決めるもの」という考え方は有権者の側からのみ一面的に眺めたものにすぎず、誤った俗論である。故市川房江も提唱したように、「草の根」も「出たい人より出したい人」という考え方を採用しており、朝木直子の当選辞退もこの考え方に基づいている。朝木直子の当選辞退は、同じ公約を実現するために同じ「草の根」の次点者(矢野穂積)が繰り上げ当選する結果を前提としている。



「出たい人より出したい人」とは有権者の側の話であって、政党内の立候補者の中から当選者を政党の都合で恣意的に、投票結果を曲げて決定していいということではあるまい。矢野と朝木が市川房江の名前を利用しながら、「出たい人より出したい人」の趣旨を彼らの都合のいいようにすり替えていることがわかる。

 また、「同じ公約を実現するため」というなら、有権者の意思を曲げて、朝木直子が当選を辞退する必要はない。むしろ、「同じ公約を実現するため」に直子が議員として働けばよかろう。



「理念としての当選者交代」②

(2)
議席譲渡問題の核心は、候補者が有権者との間で交わした政治的契約(公約)の履行の問題であり、これ以外の問題は法律的にも政治的にも道義的にも発生しようがない。朝木直子は、自分の当選辞退によって力量のある矢野穂積の当選を結果させることが公約実現の最善の方法であると考えており、これが自分へ投票した1926人に対する最も誠実な政治姿勢であると確信している。



「議席譲渡問題の核心」は、朝木直子と矢野が選挙結果という民意を彼らの都合によって曲げようとしていることに以外にはない。直子が公約実現を果たそうとするなら、民意に従い、直子の力量の範囲で最善の努力をすればいい。矢野は後方支援に回るべきだった。



「理念としての当選者交代」③

(3)
当選辞退について発言しうるのは、朝木直子に投票した1926名の有権者であり、朝木直子に投票もしないにもかかわらず、納得できないなどと叫ぶこと自体が悪意ある攻撃にすぎない。朝木直子に投票した方で問い合わせのあった人たちに説明すると、ただちに理解し、繰り上げ当選歓迎している。この人たちは理解しているというのに、「愚弄された有権者」がいるというなら、ぜひ、いったい誰が愚弄されたか指摘してほしいものだ。

(4)東村山市の場合、議会内で改革を拒み、市民の利益に反する議会活動を行っているような「ムラ議員」らが具体性のない美辞麗句を「政策」として適当に選挙公報に並べ、「地元代表」などという正体不明の地縁の関係だけで高得票するのが現実だ。「草の根」はこのような地縁血縁だけで投票する「ムラ型選挙」を「政策中心の選挙」へ転換させることを大きな目標としている。



 議席譲渡を批判できるのは自分たちに投票した人だけ(3)などとはあまりにも狭量な発想というほかない。「当選辞退」は政治行動であり、その政治行動に対してすべての市民に批判の権利があるのは当然である。それを容認しないというなら、それこそ彼らが(4)で主張する「ムラ型政治」につながるのではあるまいか。

 現職市議の朝木直子は、かつて署名入りで公表した「理念としての当選者交代」についてどう考えているのだろうか。直子と矢野が「当選辞退」に関する上記の主張を撤回した事実はない。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 5
苦慮を重ねた東村山市選管

 朝木直子と矢野らが彼らの独善的な主張を羅列した「理念としての当選者交代」なる文書を公表した平成7年5月1日は東村山市議会の新しい任期が始まる日でもあった。東村山市選管は直子の被選挙権の喪失を認定したものの、4月28日に開催した選挙会では、市選管の結論に異議が続出してついに矢野を繰り上げ当選人と決定するに至らないまま流会となった。

 したがって厳密には5月1日、直子は東村山市議の資格を取得したことになる。しかし、議席譲渡をめぐる紛糾の中で、そのことが議論の対象となることはなかった。なにしろ当選辞退と議席譲渡は、東村山市選管だけでなく、自治省も東京都選管も議会関係者も、すべての関係者にとってまったく初めての経験なのだった。

 新しい議員任期の開始日の翌日、市選管は5月11日に矢野穂積の繰り上げ当選を決定するための第2回選挙会を開くことを決め、関係者に通知した。市選管としては、当選した朝木直子が住民票上東村山の住所を喪失していることが明らかである以上、当選を失ったものと判断するよりなく、公選法の定めに従って次点者の繰り上げ手続きを進めるべきと結論付けるほかなかったのである。

 東村山市選管が苦慮を重ね、また多くの市民が「草の根市民クラブ」が実行しようとしている議席譲渡という民意を無視する行為に憤りを募らせている。市民の間では「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」が結成され、以後、矢野・朝木と対峙していくことになる。

疑念を生じさかねない事実

 一方、東村山市選管のみならず市民までも巻き込んだかつて例のない混乱をよそに、このころ直子は密かに不可解な引っ越しの準備を進めていたようである。第2回選挙会が開かれる2日前の5月9日、直子は千葉県松戸市内で2度目の住所移転をしていたことがのちに判明している。最初に松戸に移転してからわずか2週間後に移転するとは奇妙だった。

 その理由をうかがわせる事実が明らかになっている。4月26日、直子から松戸への転出証明書を添えて東村山での被選挙権を喪失したとの届出書を提出された東村山市選管は、あり得ない事態に動揺を隠せなかった。市選管はただちに転出の事実確認を行うと同時に法的に問題がないのかどうか自治省や東京都選管に問い合わせるなど、対応に追われた。得られた結論は「違法とはいえず、仕方ない」というものだった。

 この結果、市選管は次点で落選した矢野穂積の繰り上げ補充手続きを進めるための選挙会を4月28日に開催することを決定し、関係者に通知した。この決定が行われたのが、直子が上記の届出書を提出した翌日の4月27日である。

 その4月27日、直子の転出の事実に疑念が生じてもおかしくない事実が確認されていた。同日夜、朝木直子に1票を投じた市民の一人が、直接直子から説明を聞きたいと思い、東村山の直子の自宅に電話をかけたという。すると、前日に千葉県松戸市に転出したはずの直子が電話に出たというのである。26日に市選管に対して転出証明書を提出した直子は、そのまままだ東村山にいたということだった。どんな事情があって、まだ東村山にいたのか。

 ところで、そのとき、市民が直子と交わした会話は以下のようなものだった。

--どうして議席を譲ったのですか?

朝木  議会でも私より発言できる次点候補の矢野氏に譲りました。

--私は「草の根市民クラブ」に投票したのではなく、朝木直子さんに投票したのです。

朝木  投票した方は、私個人ではなく「草の根市民クラブ」として投票しているので、矢野氏に譲ってもおかしくないです。

 直子は頑として、「投票した方は『草の根市民クラブ』として投票している」と最後まで主張して譲らなかったという。

矢野特有の詭弁

 直子は、 「朝木直子個人に投票した市民がいること」を認めれば、民意を無視したことになるので、それだけは認められなかったのだろう。そうなれば、矢野への議席譲渡という行為が民意を無視したものであることを必然的に認めることになってしまうからである。

「市民派」を標榜する彼らは民意を無視して議席を譲渡したということになることだけは避ける必要があった。だから、「投票した方は『草の根市民クラブ』として投票している」という都合のいい理屈をひねり出した。矢野らしい詭弁そのものだった。

 しかし、「投票した方は『草の根市民クラブ』として投票している」との事実を証明することなどできない。仮に直子に投票した有権者のすべてが「『草の根市民クラブ』として投票した」と証言し、だから今回の議席譲渡が許されるとして容認の姿勢を示したとしても、市議選が比例代表選挙でない以上、正当な理由とはなり得ない。矢野のひねり出した理屈が、直接選挙である市議選においてとうてい通用するものでないことはどこから見ても明らかである。

 平成最後の東村山市議選で4位当選した朝木直子は、「投票した方は『草の根市民クラブ』として投票している」から議席譲渡は許されるとする矢野の詭弁を、今でも正しいと信じているのだろうか。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 6
生活上の理由なき転出

 直子が「松戸に転出したので東村山市の被選挙権を喪失した」として東村山市選管に届け出た翌日の4月27日夜、東村山の自宅にかかってきた市民からの電話に対応したのは直子自身だった。4月26日に松戸に転出したはずの直子が東村山の自宅にいたとは不自然だった。

 そもそも、矢野と直子による議席譲渡は、直子が松戸に転出したことが原因で起きたことではなく、「次点で落選した矢野を繰り上げ当選させること」を目的に企図されたものであることは、4月26日に「草の根市民クラブ」が行った記者会見の内容からも明らかだった。直子と矢野は次のように述べている。

「(矢野さんに)繰り上げ当選してもらうために辞退することにした」(直子)

「われわれの政策を実現するためには、次善の策とはいえ、こうするしかない」(矢野)

 直子には矢野に議席を譲るという目的が最初にあった。その目的を果たすために市選管に当選の辞退を申し出たが認められなかった。このためやむなく、松戸に転出して東村山の被選挙権を自ら喪失させることで矢野の繰り上げ当選を実現させようとした――ということだった。つまり、松戸への転出は矢野に当選を譲るためであって、直子の側に松戸で暮らさなければならない事情があったわけではないということである。

 そう考えると、松戸で暮らす必然的な理由のない直子が、転出届を提出した翌日に東村山の自宅にいたとしても不思議はないということになろうか。この事実は、4月26日に松戸に転出したとする朝木直子の届け出が、生活上の理由ではなく、矢野を繰り上げ当選させるためにたんに転入届を出しただけの、実体のないものだったのではないかとの疑念を生じさせるものだった。

「転出先」の証言

 さらにその後の平成7年5月25日、矢野らの議席譲渡に反対する市民で結成された「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」(以下=「許さない会」)が行った調査で、直子の松戸への転出の事実に関する新たな事実が判明した。

 直子の転出先の住所には白い二階建ての一軒家が建っていた。どう見ても、一人暮らし向けの建物ではない。それどころか、その家の郵便受けには「福永」という名前が表示されていた。直子が転出届を出す以前から、ここには福永という人物が住んでいたのである。

「許さない会」が調査を進めると、この一戸建ては大統や福永が務める会社の社宅だということだった。この家には朝木直子の父親である朝木大統の住民票があることがわかった。大統はそこに住んでいるわけではないが、なぜか住民票だけを置いていたようだった。

「許さない会」のメンバーが直接この家を訪ねると、女性が出てきてこんな説明をしたという。

「直子さんがこの家に来たのは5月3日で、1週間ほどいて出ていきました」

 直子が松戸の福永の家に来たのが5月3日だったのなら、東村山市選管に転出証明書を提出した翌日の夜になっても、まだ東村山の自宅にいたとしてもなんら不思議はなかった。

 仮にこの松戸にある父親が勤務する会社の社宅に直子が住むつもりがあったとして、実際にこの家に行ったのが5月3日だったのなら、直子はなぜ4月26日の1日のうちに東村山市役所と松戸市役所の間を往復するような離れ業を演じる必要があったのか。

議員任期の始期との関係

 その理由は、議員任期の始期と大きな関係があったのではないかと推測する。東村山市議の議員任期の始期は5月1日である。いったん議員任期が始まって直子が議員になってしまうと、矢野に議席を譲りたいと思って松戸に住所を移したとしても、今度は自動的に辞職ということにはならない。住所移転したことによって東村山の被選挙権を失ったとしても、直子の辞職については東村山市議会の議決を経ねばならない。

 矢野に議席を譲ることを目的として住所移転したことが明らかということになれば、東村山市議会が簡単に辞職を認めるとは思えない。むしろ、問題がさらに拡大することは必至である。

 だから直子は、議員任期の始期の前に矢野の繰り上げ当選が決まるように、1日でも早く東村山から他の自治体に転出することを考えた。平成7年4月は、29日が祝日の土曜日で30日は日曜日だった。

 すなわち実質的に直子の当選が取り消される猶予は27日と28日の2日間しかなかった。市選管が直子の転出届を提出した事実を確認し、自治省等に判断を仰ぐと想定すれば、4月26日は市選管が矢野の繰り上げ当選を決定するにはギリギリのタイミングだった。

 だから直子は26日の1日のうちに東村山市役所と松戸市役所の間を往復したのだった。直子と矢野の目論見どおり、東村山市選管は4月27日、翌28日に矢野の繰り上げ当選を決定するための選挙会を開催することを決定したのである。

 ただ、転出届を出すにはデタラメな住所というわけにはいかない。しかしそれを探すにはそれなりの時間を要する。どうするか――。

 そんなときに思いついたのが、父親の大統が住民票を置く社宅の存在だった。――こういうことではなかっただろうか。それなら、引っ越し先を探す必要もない。いったん転出届を出しておけば安心で、本当の引っ越し先は後でゆっくり探せばいいということだったように思える。

4月27日付の契約書

 そのことを裏付ける1通の契約書が存在する。矢野の繰り上げ当選を決定するための第2回選挙会が行われる2日前の5月9日、直子は松戸市内の別の場所に再び住所移転を行っている。契約書とはこの新住所にあるマンションの賃貸契約書である。

 その契約書が貸主との間で交わされたのは「平成7年4月27日」となっている。なんと、直子が松戸の父親の会社の社宅への転出届を提出したのが4月26日だから、早くもその翌日には別のマンションの賃貸契約を交わしていたのである。この事実をどう評価すべきだろうか。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 7
違和感のある契約書

 平成7年4月26日、直子は東村山から松戸に転出届を提出したが、早くもその翌日の4月27日、最初の移転先とは別の賃貸マンションの契約書を交わしていた。この事実は、最初の大統の会社の社宅への転出届がまさにとりあえず東村山からの転出という外形を作るためだけのものだったことを裏付けているといえるのではあるまいか。

 直子も、さすがにすでに他人が住んでいる家に引っ越したというのでは、あまりにも不自然すぎると考えた。だから、急いでこの一戸建て以外の移転先を探して契約したということと思われた。

 ただし、この契約書には違和感があった。この契約書にはいっさい直筆の箇所がないのだった。「借り主」の欄には「朝木直子」の名前があるが、この名前もワープロ打ちだったのである。

 これなら、直子以外の人物が契約を結んでいた可能性も考えられる。4月27日の夜には、直子は東村山の自宅にいたことが確認されているから、契約者が直子以外の人物だった可能性も信憑性が高まる。

 父親の大統の勤務先は松戸にあった。直子自身ものちに、新しい転居先を探すにあたっては「父に頼みました」と述べている。大統は毎日松戸に通っていたのだから、物件探しだけでなく、直子に代わって契約書を締結していたとしても不思議はない。

 この契約の場合も、最初の転出届ほどではないものの、早いに越したことはなく、契約を急いだことに変わりはなかろう。東村山以外の自治体に住んでいるという外形を早く整えたかったのだろう。

松戸の契約者

 直子は4月26日に松戸に住所移転をしたが、そこはすでに家族(4人)が住んでおり、直子の引っ越し先としてふさわしいとみられる場所ではなかった。そこで直子はすぐに、大統に頼んで誰も住んでいない別の物件を探してもらい、契約したことは疑いのない事実である。東村山以外の場所なら、どこでもよかったということになる。

 4月26日、直子から松戸に転出したとする届出書を提出された東村山市選管は、その時点での転出先に基づいてそれが正常に届け出られ、正常に受理されたものであるかどうかの確認作業を行い、その上で、矢野の繰り上げ当選を決定するための選挙会開催の準備を進めなければならなかった。前例もなく、想定すらしていない事態に振り回される東村山市選管の困惑と混乱は容易に想像できた。

 そんな市選管を尻目に、直子は最初の移転先が不自然とわかると、すぐに次の移転先を決めていたのである。直子と矢野にすれば、いずれにしても東村山の住所ではないのだから、直子の当選が失われることに変わりはないということなのだろう。

 それにしても、最初の転出届の翌日にはもう別の物件と契約とは、いかに父親が松戸の会社に勤めているとはいえ、あまりにも手はずがよすぎないか。そのはずだった。この物件もまた、父親が務める会社の所有物件だったのである。要するに、直子がスムーズに松戸への転出手続きができたのは父親のおかげということになる。

見当たらない生活の痕跡

  この2件目の物件はJR松戸駅近くにある5階建てのビルの4階の一室で、「許さない会」が調査に行った当時、部屋のドアには直子が契約する前に入居していた「株式会社栄晃」という会社のステッカーが掲げられたままだった。この部屋に直子は本当に住んでいたのか。

「許さない会」の調査によれば、この部屋のガスは4月、5月とまったく使用されていなかった。ドアには前の会社のステッカーが貼られたこの部屋で、27歳の直子はガスも使わずに生活していたのだろうか。

 直子はこの点について、「ガステーブルにあった電気コンロを使用していた」と供述し、シャワーについては電気なのかガスなのか、明確には答えなかった。実際にシャワーを使用していたとすれば、電気かガスなのかを認識しないということは通常は考えにくい。

 そう考えると、直子はこの部屋でシャワーも風呂も使ってはいないとみるのが妥当だろう。普通に生活していて風呂もシャワーもつかわないことはあり得ないから、この会社のステッカーが貼られたままの部屋で生活していたという直子の主張を信用するのは難しいというべきだろう。

20日後に3度目の転居

 この雑居ビルで直子は生活していなかったと思われる理由は、この部屋の状況だけではない。直子は雑居ビルに5月9日に転出届を提出しているが、それからわずか20日後、別の賃貸マンションに転出していたのである。いったん転居した部屋で生活していたとすれば、これほど短期間に引っ越すことは常識では考えられない。

 最初に松戸に住所を置いた家には父親の会社の社員一家が4人で住んでいた。いかに父親の会社の社宅とはいえ、4人で暮らす他人の家庭で暮らすことはできないし、「朝木はそんなところで本当に生活しているのか」と怪しまれても不思議はない。

 直子と矢野に必要だったのは、東村山市外に転出し、4月のうちに被選挙権を喪失させることだった。4月26日はギリギリのタイミングだった。だから最初は急遽、東村山市外で相手から了解を得られるところに転出届を出して、東村山市外に転出したことだけを主張した。

 直子と矢野は、たんに住民票を置いているだけではなく、ちゃんと生活していなければ住所とはみなされない恐れがあることを最初から認識していたのかもしれない。当初は、とりあえず東村山市外への転出を認めさせ、矢野の繰り上げを実現させれば、あとはゆっくり現実に住める場所を探せばいいと考えていたのだろう。東村山に被選挙権がないことに変わりはないのだから。

 しかし、4月28日に続いて5月11日に開かれた第2回選挙会でも矢野の繰り上げ当選が決定できなかったことで、直子と矢野は実際に生活している状況が必要との思いをより深めたのではあるまいか。最初の移転先に「許さない会」のメンバーが調査に来たという情報も直子の耳に入っていたことだろう。だから、2度目の転居からわずか20日後、実際に生活が可能な部屋を借りることにした――こういうことではあるまいか。

 このとき、直子も矢野も、1カ月という短期間に3度も住所移転を繰り返したことが自らの首を絞めることになろうとは考えもしなかったようである。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 8
法に従おうとした東村山市選管

 平成7年4月26日、2日前に行われた東村山市議選で4位当選した「草の根市民クラブ」の朝木直子は、午前中に東村山市役所に千葉県松戸市への転出届を提出し、その足で松戸市役所に行って転入届を提出、再び東村山市役所に戻って転出証明書を入手して東村山市選管に提出するという離れ技を演じた。直子が当選人の地位にあるうちに自らの被選挙権を喪失させ、矢野の繰り上げ当選を確定させるためだった。

 東村山の被選挙権を失ったとする届出書の提出を受けた東村山市選管は、5月1日の議員任期の始期を控え、矢野の繰り上げ手続きを急いだ。市選管としては、公選法の規定に従い、当選人の住所に疑いを持つに至ったときは、これを調査し確認しなければならず、議員資格取得までの間にこの事実が明らかになれば、選挙会を開催して同人の当選を無効として繰り上げ補充手続きをしなければならない。

 市選管は住所に関する事実確認について、住所移転の実体ではなく、転出届が正常に提出され、東村山市から住民票が抹消されたかどうかについての確認であると理解していた。よって、市選管は直子の届出を受けて、ただちに東村山市長に対して転出の事実を確認し、翌4月27日、4月28日に繰り上げ補充をするための選挙会を開催することを告示した。

移転の事実を信じた理由

「許さない会」は東村山市 選管が認定、決定した直子の当選失効と矢野の繰り上げ当選に対して、その取り消しを求める行政訴訟を提起した。裁判で「許さない会」は「住民票上の確認だけでなく、実体として移転しているかどうかの確認が必要」と主張したが、市選管側は当時の繰り上げ補充手続きに瑕疵はないと主張した。

 転出届を提出する前、直子は「矢野さんに当選してもらうために当選を辞退することにした」と表明していた。直子の転出が生活上の理由によるものではなく、矢野に議席を譲ることを目的とするものであることは容易に推測できた。したがって、その転出が形だけのものである疑いを持たれたとしてもやむを得ない状況だった。

 しかし、東村山市選管は転出の実体を問題視することはなかった。その理由について、市選管は裁判で次のように主張している。

「原告らは、市選挙管理委員会が朝木直子にかかる当該市からの転出につき疑念を懐かなかったことを攻撃しているが、正規に転出届がなされ、しかもその転出届をした者が多くの市民の信託をうけ、法を守り法に基づく行政執行をする『市』という公共団体の組織を構成する一員である市議会議員になるべき本人であったから、かかる者が折角得た地位を喪失するというような手続に虚偽があり得るとは常識上考えられないし、かつ同行して来た同市の市議会議員の母親自身もこの転出の事実を承認していたから、市選挙管理委員会がこの転出に一点の疑念も持つに至らなかったのは当然のことであって……」

 市選管としては、市民の信託を受けた市議選の当選者と市議である母親が引っ越したというのだから、実体としてもそうであることを疑わなかったというのは、確かに常識ではそうかもしれない。しかし、直子が当初は当選辞退を申し出た事実があるのだから、市選管としては書類の確認だけでなく、松戸での生活実体について調査をすべきだったのではあるまいか。

 実際に、直子は東村山市選管が4月28日に選挙会を開くことを告示した4月27日には、早くも2回目の移転先である雑居ビルの部屋の契約に及んでいる。市選管が住所移転確認の基礎事実としていた転居先の住所は、その翌日には変更されていたのである。もちろんそんなことを、市選管が知る由もなかった

 確認の前提が変更されていたのでは、市選管が行った確認の内容は、選挙会を開催する時点で無効なものになっていたことになる。直子が4月27日のなって次の転居先を契約したことを仮に市選管が知っていたとすれば、改めて住所確認をしようとしたのだろうか。

全国に前例のない行為

 仮に市選管が、直子が最初の転出届を提出した翌日、別の部屋を契約したことを知ったとしても、その住所が東村山以外であれば、東村山の被選挙権を失うことに違いはないから、その後の住所移転については問題視しなかった可能性がある。なぜなら、日本の選挙史上、当選者が落選者に当選を譲るために自ら被選挙権を喪失させるという出来事は前例がなく、公選法がいう「住所」とは何なのかについて明確な定義がなかったのである。

 直子は当初から「矢野に当選を譲るために当選を辞退する」と表明していた。したがって、東村山市選管としても、自治省も東京都選管も、直子の転出が最終的に矢野を繰り上げ当選させるためであることは容易に推測できた。すると当然、転居先の生活実体について疑念が生じてもなんら不思議はない。

 しかし、東村山市選管を指導する立場にある自治省も東京都選管も直子の松戸における生活実体について調査するよう指示はせず、目の前で起きようとしている実質的な議席譲りという行為を黙認するほかないという判断だった。とにかく前例のない事態であり、また議員任期との関係もあり、直子の生活実体を調査すべきという判断には至らなかったものと思われた。

 こうして平成7年5月21日、第3回目の選挙会において、選挙長は反対意見を押し切り、矢野の繰り上げ当選を決定した。2日後の5月23日には新しい任期を迎えた市議が出席する臨時議会が予定されていた。選挙長は市選管としての責務を一刻も早く果たしたかったのではあるまいか。

 5月23日、繰り上げ当選が認められた矢野穂積も臨時議会に出席した。臨時議会は議席譲渡に反対する市民が多く傍聴に訪れ、矢野に対する非難の声が飛び交い、矢野がそれに応戦するなどして騒然となった。しかし、傍聴席から市民がどれほど批判しようと、矢野が議員となった事実が揺らぐことはなかった。

 それから6日後の5月29日、直子は松戸市内で3度目の引っ越しをしていた。矢野の繰り上げが認められたことでホッと胸をなでおろしていたのだろうか。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 9
根本的な判断ミス

 朝木直子が千葉県松戸市に転出届を提出したことでまんまと東村山市議の地位を手中にした「草の根市民クラブ」の矢野穂積が、平成7年5月24日、議員として初めて東村山市議会本会議場に足を踏み入れた。政治グループ内での当選のやりとりによってかつて例をみない、議席を手に入れた議員だった。

 民意を覆して議員の地位に就いた人物が議場に存在することは、多数決という民主主義のルールからすればきわめて異様な光景である。しかし一方で、被選挙権を失えば当選を失うこと、欠員が生じた場合には次点者が繰り上げ当選の優先的権利を持つのもまた事実だった。

 選挙を管轄する自治省も、直子と矢野が表明した議席譲渡の意思は無視できても公選法上の規定を無視することはできなかった。直子が東村山から松戸に転出したことに書類上の違法性は認められず、これによって直子の東村山における被選挙権は失われ、東村山市議の資格も喪失すると判断せざるを得ないと結論づけるほかなかった。

 前例のない行為であり、自治省としても、直子の被選挙権が喪失したという事実について、行政として具体的にどのような確認をすべきなのか、にわかには判断できなかったという側面もあったのではあるまいか。議員任期の始期までには実質的に2日しかなく、迅速な判断が求められる中で、できることは書類上の確認しかなかったということかもしれなかった。

 裁判所に提出した書面で市選管は「公職の選挙で選ばれた人物の主張および市議である母親もそう認めているので、生活の本拠が松戸に移ったとする事実については信用できると考えた」とする趣旨の主張をしているから、自治省や市選管としても、たんに住民票を移しただけで生活の本拠が移動したと認められると判断したわけでもないらしいことはうかがえた。問題は、朝木直子やその母親の言い分を、議員だからという理由で信用できるとした市選管の判断に誤りはなかったといえるのか――ということだったのではあるまいか。。

 この市選管の主張は、書類上の確認しかしないまま住所移転を認めてしまった彼らの判断を正当化しようとしているだけのようにも思える。また、自らを前例のない混乱に陥れた朝木や矢野に対する皮肉のようにも思えた。

 東村山市選管は朝木の主張だからこそ、書類上の確認だけで転出の判断をしてはいけなかった。その点が市選管の最大の判断ミスだったのである。

勝利宣言

 平成7年5月23日、東村山市議会臨時議会において名実ともに東村山市議としての第一歩を踏み出した矢野穂積は朝木直子とともに、彼らが発行する5月31日付『東村山市民新聞』において、今回の議席譲渡の正当性をあらためて市民に向けてアピールした。



(5月31日付『東村山市民新聞』における矢野と朝木直子の主張)

(矢野の主張)


 新聞各紙が一斉に報道した今回の「当選返上」問題は、結局、問題点が不明のまま、議論に飛躍が目立ち、「市民の選挙権を奪うもの」などとムラ議員らは「草の根」に非難をぶつけたものの、「なぜそういえるのか」と反論されても全く説得力のある説明はなかった。当初、連日のように「草の根」批判の記事を書いた新聞記者達に、逆に「当選返上のどこが問題なのか」と尋ねても、誰一人はっきりと答えられなかった。……

(ムラ議員達は)マスコミがムラ議員達を応援していると錯覚し、公選法が市選管に義務づけた次点者の繰り上げを妨害するという公選法違反を繰り返した。……すでにマスコミも彼らの妨害行為を批判し、国・都も「繰り上げ当選を決めるように」と再三見解を公表したが、「二階から降りるハシゴ」のないムラ議員らは、何と「公選法が悪い」などととんでもない低次元の八つ当たりをし始めている。

(朝木直子の主張)

 ……同じ二議席といっても、次点でしたが本紙編集長で議会や行政に精通し、法律に強い矢野さんと朝木明代議員の二人組の方が、私、朝木直子と朝木明代議員の二人組よりもはるかに強力でムラ議員達とより果敢に闘えることは、誰の目にもはっきりしています。……「当選返上」といっても簡単に誰にでもできることではなく、議員報酬のお手盛り値上げ分を返上している「草の根」だからこそ可能な方法だと自負しています。私の行動は、公約実現のためで、勿論、無責任に政治参加の意思を捨てたわけではありません……。



 平成31年4月に行われた東村山市議選で当選した朝木直子は、民意を無視しても矢野に当選を譲った行為は正しいとする上記の主張を今も正しいと答えるのだろうか。

 いずれにしても、矢野の繰り上げ当選が認められた時点で、矢野も直子も、政策を実現するためには民主主義のルールを破ったとしても議席譲渡は許されるものであると市民に向けて主張していたことがわかる。矢野も朝木直子も、直子は矢野に議席を譲るために当選を辞退したこと、つまり自らの被選挙権を喪失させるために松戸に住民票を移したことを認めていたということでもあった。

 多数決によって決まる普通選挙において、民意を無視して選挙結果を覆すことが許されるなどと堂々と主張すること自体、普通とは思えなかった。しかし、矢野と直子がいかに特異な者たちであるかがよりはっきりするのは、それから約1年後のことだった。

(つづく)
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議席譲渡議員の退場 10
例をみない特異性

 自らの当選を無効なものにして落選した候補者を繰り上げ当選させるという、かつて誰も実行しなかった企みは、自治省(=当時)が「違法性がなく、仕方ない」として繰り上げ当選手続きを進めるよう指導したことで成功を収めた。

  この自治省の判断によれば、今後、再び同様の事例が起きた場合には、各自治体の選挙管理委員会は落選者の繰り上げ当選を認めざるを得なくなるということだった。これは党派内部でのみ可能となることではなく、話し合いや取り引き等によっては他党派の間でも起き得るということを意味した。

 矢野と朝木が発表した「理念としての当選者交代」などという独善的な理屈もなんら必要ない。なぜなら自治省が「違法性がない」と認めたのだから。それまでなら、落選候補が当選者の誰と代わって繰り上げ当選人となるのかが選挙の焦点の1つともなり得るなどというのは妄想にすぎなかった。しかし、それはもはや現実のものとなったのだった。

 公選法には、当選者となったあとに選挙区以外の土地に住所移転することを禁じる条項は存在しない。だから矢野と朝木は、市民やマスコミの批判に対して「どこが違法なのか」と食ってかかったのだった。自治省が「仕方ない」と判断したのも同じ理由によるものだった。いわば、公選法の盲点といえたのかもしれない。

 しかし矢野と朝木が実行に移すまで、誰も議席譲渡を実行しようとした者はいない。そもそも、当選者となったあとに選挙区以外の土地に住所移転することを禁じる規則がないのをいいことに、有権者の意思を無視して当選者を入れ替えようなどと画策した者はいなかったのだろう。矢野と朝木直子がいかに特異な発想の持ち主であるか、またいかに、自らの利益のためなら市民の意思などどうでもいいと考えている人物たちであるかがわかろう。

想像をはるかに超えた証言

 多数を得た者が当選するという民主主義のルールが、事実上、その根底において有名無実化した事態に対して、「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」は、東村山市選管が行った「朝木直子の当選失効」と「矢野穂積の繰り上げ当選」の決定に対して東京都選管に対して異議申し立てを行った。しかし、東京都選管はこの申し立てを棄却した。

 そもそも東村山市選管は自治省と東京都選管の指示に従って上記の決定を行ったもので、「許さない会」の異議申し立てが認容される道理はなかったといえるだろう。こうして「草の根」による議席譲渡事件の法的判断は裁判所に委ねられることになった。

 東京都選管が行った上記決定に対して「許さない会」が東京高裁に提訴したのは平成7年10月3日である。この裁判は「朝木直子の当選失効」と「矢野の繰り上げ当選」という2つの道筋で進められた。

 東村山市選管が行った決定に対する異議申し立てと、上記決定の取り消しを求める裁判の大きな違いは、前者が東京都選管による書類上の審査のみで判断がなされるのに対し、裁判ではそれぞれが代理人弁護士を立てて争われること、書類上ではあるものの時宜に応じてそれぞれが具体的な主張を行うとともに、その主張を裏付ける証拠の提出などが行われることである。裁判所が必要と判断すれば本人や証人に対する尋問も行われる。

「許さない会」は訴状で、議席譲渡という行為がいかに民主主義に反する行為であり、選挙制度を根幹から揺るがすものであるかを主張するとともに、朝木直子の住所移転は矢野に議席を譲るために形式的になされたにすぎず、実体をともなうものではなく、東村山の住所を失ったとする東村山市選管の判断は誤りであると主張していた。東京高裁は選挙制度に対する理念よりも住所移転に実態があったかどうかが焦点と判断していたようだった。

 多数によって決する選挙のルールだけでなく、有権者の意思までを無視する矢野と朝木直子の独善性と特異性が、はるかに常人の想像を超えるものであることが明らかになったのは朝木直子に対する証人尋問においてだった。矢野と朝木は「理念としての当選者交代」において、矢野への議席譲渡がいかに正当な行為であり、朝木が東村山から松戸への住所移転を行ったのは矢野に議席を譲るためであると主張していた。だから「許さない会」も、おそらくは被告の東京都選管も、松戸への住所移転について同様の主張をするものと考えていた。

 朝木直子は「理念としての当選者交代」において、「朝木直子の当選辞退は、同じ公約を実現するために同じ『草の根』の次点者(矢野穂積)が繰り上げ当選する結果を前提としている」などと述べ、松戸へ住所移転をした理由が落選した矢野を繰り上げ当選させるためであると明言していた。ところが朝木は尋問で、「理念としての当選者交代について」にはいっさい記載されておらず、また議席譲渡当時いかなる場面においてもいっさい口の端にものぼらせなかった証言をしたのである。

 朝木の証言に耳を傾けていた「許さない会」ら東村山市民はその証言内容に耳を疑い、唖然とするとともに、朝木直子が想像を超えて、虚偽の証言をすることになんのためらいもない人物であることを思い知らされることになった。

(つづく)
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