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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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第2次太田述正裁判が結審
異例のスピード終結

 警視庁東村山警察署元副署長、千葉英司氏が評論家の太田述正氏を名誉毀損で提訴していた裁判の第2回口頭弁論が3月25日東京地裁で開かれ、結審した。

 この裁判は、太田氏がブログで掲示した平成15年11月26日付コラムによって名誉を毀損されたとして千葉氏が提訴した直後、平成18年3月28日付で太田氏が再び同趣旨のコラムを掲示。この新コラムもまた名誉を毀損するものであるとして千葉氏が平成20年1月16日に提訴していたもの(本ブログ・太田述正事件第9回参照)。

 問題のコラムは以下の通り。――

〈(1)不正確であった要約紹介
以上の反論は、いわば一般論だが、私による上記の本の要約紹介内容に不正確な点があったことは否定できない。
私による要約紹介は、以下の通りだ。

1 東京都東村山市は、創価学会の勢力が強いところで、市議26名中、(建前上はともかく創価学会の政治部以外の何者でもない)公明党は6名で、自民党の7名等とともに与党を構成しています。

2 明代市議は、議員活動の一環として創価学会脱会者の支援や人権侵害の被害者救済活動を行っていたことから、東村山市の創価学会員や公明党市議らと緊張関係にありました。このような背景の下で、1995年に明代議員を被疑者とする万引きでっちあげ事件が起こり、更にその直後に明代議員殺害事件が起こったのです。

3 当時捜査当局によって、昭代(ママ)指揮は万引きの被疑者として送検され、また、昭代(ママ)議員のビルからの転落死は万引き発覚を苦にしての自殺と断定されてしまいます。

4 ところが、所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。
 昭代(ママ)市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。

5 しかし、彼らの画策したでっちあげや隠蔽工作は、この本の著者達やマスコミによって、創価学会の執拗な妨害を受けつつも、徹底的に暴かれ、社会の厳しい批判に晒されることになります。

6 なお、明代市議の殺人犯はまだつかまっていません。
 (番号は、便宜上、今回付した。)

 しかし、再度、この本を読み返してみたところ、副署長と刑事課員が創価学会会員であった旨の記述はなかった。
 よって、今にして思えば、上記中の4は次のように記述されるべきだった。

4 これは第1に、転落死事件を担当した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事が2人とも創価学会員であったところ、昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったからであり、第2に、この地検支部の捜査指揮を受ける立場の所轄の村山警察署(ママ)で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、村山市の創価学会関係者への配慮や上記地検支部長及び担当検事への配慮を、公僕としての義務より優先させたからである、と思われます。

(2)私の見解
 しかし、私は、私が副署長らを創価学会員と誤認したことに、重大な過失があったとは考えていないし、そもそも、副署長が創価学会員であろうとなかろうと、上記要約紹介全体の主旨が変わるわけでもないと考えている。〉

――上記新コラムは、いわば旧コラムの「誤りを訂正した」(太田氏)ものとして掲示されたもので、朝木明代の転落死事件に際して「副署長が公僕としての義務よりも創価学会への配慮を優先させた」という趣旨は旧コラムとなんら変わらないだけでなく、むしろ旧コラムの趣旨を「確認した」ものと受け取ることができる。千葉氏は訴状で、

「旧コラムに対する訴状で『捜査は適正に行っており、公僕としての義務よりも創価学会への配慮を優先させた事実はない』と主張しているにもかかわらず、被告は原告の主張を無視し、事実確認をしないまま旧コラムと同様の主張を繰り返した。本件コラムは旧コラムによる名誉毀損を拡大するものできわめて悪質」

 などと主張している。

 これに対して太田氏は、平成20年2月12日の第1回口頭弁論(太田氏本人も代理人も出廷せず)で提出した答弁書で次のように反論した。

〈本件記事(新記事)は、「しかし、再度、この本を読み返してみたところ、副署長と刑事課員が創価学会会員であった旨の記述はなかった」として旧記事の誤りを訂正したもので、それ以外に旧記事の摘示する事実になんらあらたな事実を加えていない。そのことは、原告自身が訴状におして「原告が創価学会員であるとした点以外は……旧記事とまったく変わらない」「本件記事は旧記事の『訂正記事』にほかならず」と自認しているところである。〉

 太田氏は新コラムの内容を旧記事に対する裁判で準備書面に記載して裁判所に提出している。したがって太田氏は、旧記事に対する裁判において東京地裁も東京高裁も、〈この新記事をも踏まえ、名誉毀損の当否および真実と信じるについての相当の理由の存否について判断しているもので、旧記事の真実でない記載(千葉氏を「創価学会員」と断定したこと)についての被告の責任は控訴審の判決により確定している。〉から請求自体が成立しない、などと主張した。

 また3月25日に開かれた第2回口頭弁論(代理人のみが出廷)で提出した準備書面で太田氏はこうも主張している。

〈被告はそのコラムにおいて、書籍「東村山の闇」の要約紹介をめぐる原告との裁判について、継続的に報告してきている。本件記事もこうした継続的な報告の一環としてのものである。したがって原告の請求の成否を判断するうえでは、被告がどのような考えから、どのように情報を提供してきたかを踏まえた検討が求められる。

 裁判をめぐる継続的な情報提供において、被告は、被告の主張のみではなく、原告の主張についても正確に紹介し、これを読む者の判断に任せている。一方的に被告の主張のみを掲載するのでなく、双方の主張を明らかにし、読者に提供してきているのである。〉

太田氏側は裁判所の和解提案を拒否
 
 東京地裁は3月25日の第2回口頭弁論の冒頭で、太田氏代理人に「まだ主張はありますか」と確認すると、代理人は「これ以上の主張はありません」と答えた。そこで東京地裁は原告被告双方に和解を提案。千葉氏は和解に応じる用意がある旨を述べたが、太田氏側は和解による解決を拒否した。このため東京地裁はこの日をもって審理を終結、わずか2回の口頭弁論を開いただけという異例のスピード結審となった。判決言い渡しは5月27日と指定された。

(宇留嶋瑞郎)

 

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りんごっこ保育園問題とは何か 第6回
保健福祉部長にも直接送りつけた事情
 
 では、高野博子が平成15年2月8日付で東村山市役所の時間外受付に置いていった「認可園開設に関する経過等について」の本文を紹介しよう。――

1  私どもは、認証保育所の保護者のみなさんから、3才児以上もお願いしたいとの強い要望が寄せられたため、昨年2月から認可園開設に取り組みました。しかし昨年4月に紹介のあった当初予定の土地買収交渉が難航し結局10月末に至って断念するという事態となったため、当初の事業計画も基本設計も全て白紙となりました。その後、新たに事業予定地の紹介を受け、昨年11月26日にようやく売買契約を結ぶことができました。

2  その後、本年4月1日に開園するという当初の目標を実現するために、遅れを取り戻すべく、土地売買契約の11月26日から12月11日まで、市担当者及び東京都担当者と、保育内容、設計図面について、集中的に協議を重ねた結果、12月11日に認可権限をもつ東京都の担当者から「建物設計図面」の了解を得ることができ、「図面はこれでよろしい。認可申請書類を2月には提出してください」と伝えられました。

3  個人立の私どもは、全額公費負担の公立、半額公費負担の法人立とは異なり、施設整備には全く公費の助成措置のない中で、土地を購入し建物を建てていかなければなりません。もちろん、準備資金や融資の制約の中での建設となります。従って、東京都や市担当者の御助言を参考に、狭い敷地を有効活用し、開園後の保育内容を前提として工夫を重ね、導線を考えながら、建物にはなるべく間仕切りを設けず、2階は多目的ホール兼用とし、園児がトイレトレーニングを喜んでできるよう「ぽっぽトイレ」としたほか、すぐそばにある2000平米以上もある大岱(おんた)公園を屋外遊戯場代替施設として活用すること、また調理室には電解水生成装置を設置し、生野菜の殺菌も可能など最先端の衛生管理システムを導入し、保護者・園児には歓迎される内容となっていることなど、敷地の狭さを質的に克服する設計内容となったのは、市担当者のご努力、東京都担当者のご協力の賜物と思っております。

4  その後、官公署、近隣を含めて必要な手続きをとり、1月16日から着工致しました。すでに重量鉄骨の組み立てがおわり、今月2月中には概ね完成する予定となっており、また、12月の東京都の指示に従って、市を通して認可申請もすでに行っております。

5  加えて、今月に入ってから、園児保護者らを中心に、市長さん宛の「認可園の4月1日開設を求める陳情」の署名活動が始められ、約1週間の途中経過ですが、1000名を超える賛同の署名が集まっております。待機児解消を願う保護者のみなさんの切実な想いを強く感じさせられております。

6  ここで、すこし認可保育園を開設する考え方について、お話しさせて頂きますと、設置者の私はこれまで20年以上、保育者として勤務して参りましたが、この中には児童福祉施設の乳児院(24時間保育)で勤務した5年間の経験があります。

 家庭での保護者の愛情をうけることのできない乳児院の子供達とのふれあいを通して、子供達の人格が形づくられる上からも、乳幼児期の子育てがいかに大切であるかということを実感してきました。

 このような体験から、ひとり一人の園児が、心ゆたかに、そしてしっかりとした人格をつくっていけるよう、保護者の皆さんと手を携えて、愛情たっぷりの「家庭のぬくもりのある雰囲気」の保育園を開設したい、こういう考えに立って、どの認可園にも負けない園児本位の認可保育園を、目標通り、本年4月1日に開園したいと考えております。

7  ところが、理解に苦しむところですが、認可権限者の東京都の指示を受けて開園の準備が本格化した今年に入って、事業へのさまざまな妨害や嫌がらせが起きています。

 まず、建築確認の所管である多摩東部建築指導事務所から「同業者の土屋という人物が建設反対だといってきた。係長が対応したが、近隣対策には問題はないか」と伝えられました。これに対して、私どもは「昨年末から近隣を一軒一軒まわって説明し了解を得ております」とお答えしたところ、「それなら問題ない。同業者は関係ない。」とのお話しをいただきました。

 その後、2月1日、一戸一戸丁寧に近隣に対しご説明した施工業者の営業担当者に匿名で「工事をまだやっているのか」という嫌がらせ電話が架かり、直後に匿名の怪文書ファックスが送りつけられたほか、現在でも、施工業者などのところに無言の嫌がらせ電話がかけられております。問題のファックスは市保育課にもお渡ししております。

 このような陰湿で、卑劣な方法で、私どもの事業を妨害し、嫌がらせするような方々に、果たして保育を語る資格はあるのでしょうか?

 いかに個人立とはいえ、基準を満たさなければ、認可されることはありませんし、認可権限者の東京都や窓口の市と協議し、了解を得なければ準備は進みません。

 東京都の了解と指示に従って開設準備を進めている側に、このような姑息な嫌がらせをするようなことはただちにやめて、仮に、私どもの開設する認可園が評価に値しないというお立場であるならば、ご自分達自身で、さらに立派な認可園開設の努力を進められるべきではないでしょうか。多くの待機児が予想され、認可保育園4月1日開園を待ち望んでいる多くの保護者の方々の期待を裏切るべきではないと思います。

 かいつまんで、お話し申し上げましたが、不足の点につきましては。直接の窓口となっている市側担当者の方々が、詳細をご承知ですので、ご説明いただけるものと思いますので、よろしくお願いいたします。――

 この高野が書いたとされる「報告書」の記載事実がどこまで事実なのか。その点については追って確認していきたいと思うが、高野と朝木が「この文書を全文読め」と主張した目的は何だったのか。その目的とは、高野のいう「事実経過」を厚生委員たちに報告することだけではなく、この水面下で進められた認可申請計画が高野1人でやってきたことではないことを強調するためではなかったか。文書にはことあるごとに、

「市担当者及び東京都担当者と、保育内容、設計図面について、集中的に協議を重ねた結果」

「東京都の担当者から『建物設計図面』の了解を得ることができ」

「市担当者のご努力、東京都担当者のご協力の賜物」

「東京都の指示に従って、市を通して」

「認可申請認可権限者の東京都や窓口の市と協議し、了解を得なければ準備は進みません」

「東京都の了解と指示に従って」

「直接の窓口となっている市側担当者の方々が、詳細をご承知です」

 という文言が配置されている。これらの文言は一見すると、「自分はこれまで所管の指示に素直に従ってやってきた」というふうにも読めるが、一方で、この認可申請計画には東京都福祉保健局と東村山市保健福祉部が深く関与していることを婉曲に主張するものでもあろう。言い換えれば、議会にも保育関係者も秘密裏に進められてきたこの計画が不適切な行政執行として仮に停止という事態になれば、その責任は東京都と東村山市にあるという趣旨である。とりわけ結びの、

「不足の点につきましては。直接の窓口となっている市側担当者の方々が、詳細をご承知ですので、ご説明いただけるものと思います」

 の文言は、婉曲に「お前らが説明しろ」という意味とも受け取れよう。高野がこの文書を厚生委員長だけでなく、保健福祉部長に送付した意味合い、さらに当初はその存在をひた隠しにしていた朝木が直接厚生委員会に乗り込み、「全文を読め」と叫んだ理由もまたこの点にあったように思われた。

(第7回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第7回
「拙速な認可の見直しを求める決議」を議決

なされていなかった近隣説明

 さて、平成7年2月10日に開かれた東村山市議会厚生委員会は午後の再開直後、朝木の乱入によって一時騒然となったが、1人を除き、ほぼこの認可申請計画に関わった者たちの存在が明らかになり、この計画がなぜ秘密裏に進められてきたかということもおぼろげながら見えてきたようだった。ただ、現実問題として東村山市はこの問題をどう収束しようとし、また議会はどのような態度を取ろうとしていたのか。続く鈴木茂雄委員の質疑をみよう。

鈴木  今回の認可申請計画の情報をなぜオープンにしなかったのか。

保健福祉部長  計画がおおむね固まり、認可申請を出せるようになった時点で公表するつもりだった。

鈴木  近隣を一軒一軒訪ねたが、何の説明もされていなかった。そのことを所管は知っているのか。

保健福祉部長  2月5日に行ったことは聞いている。

――部長のいう「認可申請を出せるようになった時点」とはどの時点のことをいうのか。少なくとも、4月1日の開園を目指している保育園が2月10日の時点でまだ認可申請を出しておらず、これから先、4月1日までの間に認可申請を出すとすれば、その時点で公表したとしても、東村山市長の決済印がすでに押されていることと合わせ、誰が反対しようともすでに後戻りできない状況になっていることは明らかだった。部長にしても、何のための公表なのか、その意味を理解していないわけではあるまい。こういうやり方を既成事実化というのであり、事実上、いっさいの反対意見や批判、修正を受け付けないようなタイミングでの情報公開は、実際には情報の隠蔽にほかならない。

 読者はもうお気づきのことと思うが、鈴木市議はこの質疑の中で高野が提出した文書の虚偽をすでに指摘している。高野は文書の中で近隣への説明について「私どもは昨年末から近隣を一軒一軒まわって説明し了解を得ております」と述べている(文書中の7の冒頭部分)。りんごっこ保育園の建設予定地はもともとは畑だった地域で、当時新しい住宅地として開発されたばかりだった。たとえば保育園の送迎や子供のにぎやかな声など、保育園の設置によって直接的な影響を受ける近隣の住宅はまだそう多くはなかった。

 りんごっこ保育園の予定地に鉄骨が建ち始めた当時、まだ東京都認証保育所「空飛ぶ三輪車」の職員だった佐藤真和もまた、そこに何ができるか知っているかと近隣を訪ね歩いた。すると、近隣の住民で保育園ができることを知っている人はごくわずかで、それどころか「工場でも建つのかと思っていた」という反応がほとんどだった。

 保育園ができるらしいことは知っている人にしても、その保育園に何人の園児が来るのかまでは知らなかった。実はそこに定員80名の保育園を作ろうとしているというと、「20人程度かと思った」と、その住民は驚きを隠さなかった。予定地は分譲住宅用に売り出された土地で、高野は売れ残っていた2軒分の土地約100平米を購入したのである。一戸建て2軒分の土地に80名の園児を入れるというのだから、住民が驚いたのも無理はなかった。

 高野は「年末から近隣を一軒一軒まわって説明した」というが、仮にそれが事実だったとして、いったいどんな説明をしたのか。重要な事実を説明していないのでは、説明したことにはなるまい。まして、部長のいうように2月5日に説明に行ったとしても、すでに建物は完成に近づいており、事前に了解を得たというには少し無理があるのではなかろうか。

「公明正大な方法で行うことを求める請願」を全会一致で採択

 東村山市において待機児解消がいかに緊急の課題であるとしても、市民や議会になんらの説明もなしに進めてよいということにはならない。保育関係者や市民から公明正大な方法で進めるよう強い要望が出されている現状と、それまで情報が公表されないまま進められてきた事実、それへの疑問に対する保健福祉部の答弁、高野の対応を総合的に判断した場合、この計画を無条件に許していいとは考えにくかった。

 鈴木市議は単刀直入に「予算凍結の考えはないか」と保健福祉部長に聞いたが、もちろん保健福祉部長に予算決済権限はない。そこで行政側は沢田泉助役を委員会に呼び、質疑が継続された。

鈴木  ここまで問題が発展した以上、来年度予算にはりんごっこ保育園関連予算は計上しないでいただきたい。

助役  所管からは2カ所の新規保育園について一定の予算要求があった。理事者としては、現在の予算案の中には組み込まれている。今後の審議で、この予算については慎重に扱っていきたい。

鈴木  この段階で、都に申請にあたっての市長の意見書を提出する環境が整っていると考えるか。

保健福祉部長  現状では厳しいと受け止めている。 

 市議会公明党は市議会においては与党の立場にあるが、市長との関係においては自民党ほどの純然たる与党でもない。しかし、この厚生委員会では市長与党である自民党議員からも疑義が出されており、今回の進め方そのものに対しては自民党でさえ適切だったとは考えていないことがうかがわれた。

 こうして厚生委員会は、1月29日と2月10日の審議を経て市民から提出された「待機児童の解消は、保育の質を確保し、多くの関係者の協力が得られる公明正大な方法で行うことを求める請願」を全会一致で採択。これを受けて、2月24日には東村山市議会本会議においてりんごっこ保育園の認可申請計画の見直しを求める動議(「認可保育園の設置基準の作成と予定されている新設保育園の拙速な認可の見直しを求める決議案」)が提出され、「草の根」を除く圧倒的多数で議決するに至ったのである。

「補償問題」に言及した朝木直子

 鈴木市議が厚生委員会で「予算を計上しないでほしい」と述べたのに対し、助役は「慎重に扱う」と答弁し、保健福祉部長は「現状での意見書提出は厳しい」と答えたが、いずれの答弁も、確定的に計画を見直すというものではない。「拙速な認可の見直しを求める決議」は、行政側がこのまま市長決済のメンツにこだわった場合には議会はこれを認めるかどうかわからないという強い意思を示すものでもあった。

 そのことを感じたのかどうか、3月4日に開かれた東村山市議会本会議での一般質問で朝木直子は高野と行政のやり方を擁護する発言を繰り返し、さらには次のような、妙に生々しく具体的なことまで口にしたのである。

「このまま認可が遅れれば、総工費1億数千万円、月々数百万円の補償問題が生じることになる」

「すでに新社会人など20数名の採用も決まっており、認可されなければ彼らの採用もできなくなる」

 利害関係がないはずの朝木がなぜこれほど内部事情に精通しており、肩入れするのか。この認可申請計画情報が漏れてきた当時、高野と同居している矢野に事情を聞いたことがある。すると矢野は、

「保育園の問題にはいっさい関知していない」

 として関与を全面的に否定したものだった。しかし、朝木が東村山市長に対する牽制とも取れる「補償問題」まで口にする以上、矢野が事情を知らないことはあり得まい。同時に、朝木が堂々とりんごっこ擁護を始めたということは、すでに彼らがなりふりかまっていられない状況に至ったと認識していることを示しているようだった。

(第8回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第8回
見通しのなかった「要望書」

実質わずか2週間で事業決定

 ところで、高野が保健福祉部と口裏を合わせるかたちで計画を隠蔽してきたのはなぜなのだろう。高野が厚生委員会に提出した文書で述べるように、本当にすばらしい保育園だと考えているのなら、最初から堂々と計画を公表していれば、予算の承認が危ぶまれるような状況にはならなかったかもしれない。少なくとも、保育環境で議論になることはあっても計画の進め方自体をこれほど問題視されることはなかったはずである。

 しかし、高野はなぜか平成15年4月1日の開園にこだわっていた。15年度の予算計上に間に合わせるためには、児童育成部会や厚生委員会の審議や了承という過程を経るにはあまりにも貧弱な計画である上に、時間的にもそんな余裕はなかった。なぜなら、「当初予定していた土地の買収交渉が思いのほか難航し、結局10月末に至って断念せざるをえないという事態となった」(高野が厚生委員会に提出した文書)からである。
 
 このため高野は新たな土地を探し、ようやく11月26日に売買契約にこぎつけた。実質的な事業計画はここから始まったのである。その後「集中的に」(同文書)市側と協議を重ね、12月13日には保健福祉部のみならず市長による事業計画決定の決裁を受けた。この間わずか2週間である。

 年間8000万円の補助金支出をともなう事業が、わずか2週間の協議で決まってしまうことなど普通はあり得まい。要望書の提出から理事者決裁までに半年以上の協議期間を要するのが通常である。しかし、りんごっこ保育園の場合、4月16日に提出した要望書が事業計画のスタートとみなされていたため、12月の段階では計画の変更として予算要求され、それが認められたというかたちになっていた。「10月末に至って断念」した計画が、新しい土地の契約によってどう継続したことになるのか理解に苦しむが、東村山市の行政手続においては「半年の協議期間を経ている」という外形が整えられたのである。

 しかしそれにしても、この事業計画が継続していたということになるのなら、平成14年10月の時点で保健福祉部が「認可園の定員変更はない」(つまり認可園の新規開設も廃園もないということ)と説明していたことは行政上の処理とは矛盾しよう。その当時、まだ土地の買収交渉が継続していたというのなら、そう説明すればいいだけの話である。しかし、りんごっこ保育園の認可計画が存在することも含め、保健福祉部はそのような説明はいっさいしなかった。

競売に付された保育園「予定地」

 おそらく保健福祉部は当時、土地の買収交渉が行われている事実さえ説明できる状況にはなかったのではないか。なぜなら、高野が平成14年4月16日に要望書を提出した時点ですでに、当初の土地を取得できる可能性はきわめて低かったとみられるからである。この土地は、高野が要望書を提出してからわずか3日後の4月19日、東京地裁八王子支部によって競売決定がなされていたのだった。

「要望書」とは市の重要な事業の決定に関わる重要書類であり、事業希望者によって記載された内容は「一定の見通し」があるものでなければならない(当時の政策室次長)。市側は提出された要望書に基づいて事業化が可能かどうか具体的な検討を行うのであり、要望書の内容がまったく見通しのないものだったとすれば、市は現実的根拠のない要望書に時間を空費させられることになるから、要望書に「一定の見通し」がなければならないのは当然である。

 高野が提出した保育園計画は東村山市の負担分だけで年間2000万円、都と国の補助6000万円、計8000万円の補助金支出を伴う事業で、いい加減な内容の要望書を提出することは許されない。それが許されるなら、東村山では他の事業でも要望の時期にとりあえず手だけ挙げて利権を確保し、実質計画を予算編成ぎりぎりまで引き延ばし、実質的な検討を免れて事業権を取得しようとする事業者が続出することになりかねまい。

 では、高野が平成14年4月16日に提出した要望書の内容は「一定の見通し」があるものといえたのだろうか。要望書の段階で仮に高野が買収交渉をしていたのだとしても、そのわずか3日後に競売決定がなされたということは、少なくともその段階で交渉は不調に終わったことを意味する。わずか3日後に競売申立がなされてしまうような交渉が、4月16日の時点で可能性のあるものだったとは考えにくかった。

 裁判所が競売決定したあとでも個別の交渉は可能である。入札開始までに交渉がまとまれば競売の申立は取り下げることができる。しかし、この土地は最終的に競売申立が取り下げられることなく10月15日から22日まで入札が行われ、最低売却価格4707万円に対して平成14年10月29日に東京都内の出版社が5320万円で落札した。高野が厚生委員会に提出した文書で説明した〈昨年4月に紹介のあった当初予定の土地買収交渉が難航し結局10月末に至って断念するという事態となった〉とはこのことを意味していたのである。つまり、高野が提出した要望書には「一定の見通し」などなかったとみるのが自然なのではあるまいか。

(第9回へつづく)


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りんごっこ保育園問題とは何か 第9回
工場密集地だった当初予定地

「要望書」に矛盾する「事業計画書」

 最終的に他の入札者が落札した事実からも高野の「買収交渉」に「見通し」がなかったことが推測できるが、「要望書」に「一定の見通し」などなかったことをより明確に裏付ける事実が、高野自身が保健福祉部や市長に提出した「土地選定及び施設設計等経過」と題する文書によって判明している。文書にはこう記されていた。
〈4月16日付事業計画書を市保育課に提出。同日以降、(土地)の価格交渉に入る〉

 ここにある「事業計画書」とは、「要望書」申請時に提出したものである。しかし、経過説明の文書によれば、「4月16日以降、価格交渉に入る」というのだから、少なくとも「要望書」を提出した4月16日の時点では「一定の見通し」どころか何の交渉も行っていなかったことになる。
 
 認可保育園は市の保育計画の中で進められるもので、設置希望者がいつでも申請できるというものではない。平成14年4月当時、東村山市における待機児童数は約120~130。無認可で純粋に個人の事業として行うのならともかく、公共性のきわめて高い事業として待機児童数を上回る認可園を設置する必要はない。認可保育園の新設枠は限定されており、保育事業に参入しようと思えばいちはやく行政に働きかけなければならない状況にあった。

 つまり、高野が平成14年4月16日に提出した「要望書」に何の見通しもなかったということは、たんに事業権の確保を目的にとりあえず提出したものだったと考えるべきではないか。とすれば、同時に提出した「事業計画書」は「一定の見通し」を装うためのものにすぎなかったといわれても仕方ないのではあるまいか。

「予定地」に建っていた木工工場

 一方、高野の「要望書」がどれほどいい加減なものだったとしても、それを受理した行政側にはその内容を確認する義務がある。年間8000万円の補助金を交付する事業であれば、当然である。そころが、東村山市保健福祉部はまともな現地確認さえ行ってはいなかったことが予算特別委員会で明らかになった。委員の「当初の要望書にある土地はどういう場所で、どういう状態だったのか」との質疑に、当時の次長は「現地については職員が目視しただけ」と答え、児童課長は「(現地を見に行った職員から)さら地のようだったという報告を受けている」と答弁している。これはいったいどういう答弁だろうか。

 高野が買収のために「交渉」していたと称する当初の予定地の実態は保健福祉部の答弁とは大きく異なるものだった。高野が申告した住所だけは一致するその場所は小さな町工場が密集する一角で、「予定地」は課長のいうようなさら地ではなく、まだ古い木造の建物が建っていたのである。付近の工場の主人に聞くと、そこはかつて木工工場だったという。

 すると、その土地で保育園を始めるには、まず木工工場を解体、撤去し、新たに園舎を建設しなければならないが、木工工場では塗料を使用しているから土壌汚染の心配もしなければならないだろう。その点を行政はどう判断し、また清潔好きで知られる高野が、わざわざこの土地を選んだ理由はどこにあったのだろう。

 普通なら行政は、周囲の環境も考慮し、他の土地を探すようアドバイスしてもよさそうだが、行政からはそれもしていない。なぜなら、行政は「事業予定地」にまだ工場が建っていることすら把握していなかったのである。もちろん、高野からもそのような報告はなかった。事業主からは事実が報告されず、報告を受けるべき行政も高野の申告を鵜呑みにして確認もしない――東村山という町では、こんなずさんなかたちで年間8000万円もの公共事業が決定されていくのか。のちに、当時の児童課のある職員は「あそこ(の環境は)ちょっとひどかった」と語っていたが、あるいは所管の誰かは、高野がこの土地で保育園をやるわけではないことをすでに知っていたとでもいうのだろうか。

 いずれにしても、こうして高野は保育事業参入の優先権を保持したまま最終的に別の土地を確保し、12月3日に「計画変更」を申請。それからわずか10日後にめでたく市長決裁を受けるに至った。高野の相談の席に朝木直子が「3度」も同席した事実、あるいは高野が矢野穂積と内縁関係にあることが保健福祉部や市長の対応に隠然たる影響を与えたのだろうか。


(第10回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第10回
協議に同席していた多摩中央信金

 高野が平成14年4月の時点で何の見通しもない「要望書」を提出した背景には、事業権確保以外にもっと現実的な理由があるようだった。それは予算編成との関係である。東村山市はりんごっこ保育園予算を平成15年度予算案に計上しているが、通常の予算編成では、前年の4月までに「要望書」を提出し、その後申請者と所管との間の協議期間を経て、10月末に所管が予算要望して全体の予算に組み入れられる。

 ただし、計画に変更があった場合には10月以降の変更も認められる。りんごっこ保育園の場合もそうだった。平成14年12月に入って保健福祉部から「計画変更及び実施」と題する起案書を提出された財務課は、同年4月の段階で「要望書」が決裁されていることを確認した上で決裁した。これによってりんごっこ保育園の予算は平成15年度の予算に組み入れられたのである。

 逆にいえば、仮に高野が、土地が現実に確保された平成14年11月下旬の時点で「要望書」を提出したとすればこれはまったく新規の事業要望となり、15年度予算には間に合わない。つまり、15年度予算に間に合わせるためには高野はとにかく4月の段階で要望書を提出しておく必要があったということである。

 さらに、「計画変更」の期限は予算書作成との関係から平成15年1月中旬がリミットという。となれば、起案書の決裁にも時間をかける余裕はなかった。当然、事業計画を児童育成部会や厚生委員会に報告し、意見を求めていては、疑義が提出される可能性もあり、とうてい平成15年度の予算編成に間に合わなくなる可能性が高い。こうして高野と保健福祉部は平成15年度の予算編成に間に合わせるために、すべてを水面下で進めようとしたということではなかっただろうか。

無から有を生じるような私財形成

 平成14年12月13日の段階ですでに市長決裁がなされていたにもかかわらず、その後も保健福祉部が「まだ計画が固まっていない」などとして公表を拒み、水面下で進められていた認可申請計画が露顕したあとも高野、東村山市ともに平成15年4月1日の開園にこだわったことにはもう1つの理由があったらしいことがのちに判明している。

 高野は土地購入と園舎建設に関して「公費の負担を受けず、私財をなげうって」と説明しているが、実は高野は多摩中央信金(以下=たましん)から1億3500万円の融資を受けていた。1億3500万円とは土地と園舎建設費の合計額にほぼ匹敵する(土地はやや高めだが)。さらに高野自身の説明によれば、「保健福祉部と高野との協議の席にたましんが同席し、償還計画、定員などを決めた」というのである。

 これはいったいどういうことを意味するのか。補助金額は定員によって決定される。すると、高野が借り入れた1億3500万円をより早く返済するには定員はなるべく多い方がいい。高野と保健福祉部、たましんの3者の協議の結果出てきたりんごっこ保育園の当初の定員は認可基準ぎりぎりの81名である。これが返済を早めようとするものであることは明らかだろう。つまり、りんごっこ保育園の定員は実質的にたましんが決めたものともいえるのではないか。

 100平米2階建ての園舎に定員81名を確保するには相当の保育面積を確保しなければならない。その結果、園舎は可能な限り敷地いっぱいに建て、園舎内は可能な限り保育空間として認められるものにしなければならない。そこで廊下もホールもない設計とし、トイレも専用のものを作ると余計な面積を使ってしまうから専用の空間を設けず、保育室に仕切りをしただけで便器を並べるという方式を採った。このトイレは保育面積には含まれないが、保育面積を少しでも確保するための最善の方法であり、これが高野が自慢する「ポッポトイレ」なのだった。もちろん園庭など、借金返済の邪魔になるだけであり、検討の余地すらなかったはずである。借金返済を最優先した計画と評価されてもやむを得まい。

 たましんが保健福祉部と高野との協議の席に同席することになった経緯は定かではないが、最終的にたましんの同席を許したのは保健福祉部である。すなわち形の上では、たましん同席の下に進められた認可申請計画を保健福祉部も容認していたということになる。高野が厚生委員会で提出した文書で「市側担当者の方々が、詳細をご承知です」と述べているのはこの点も含んでいたのだろう。保健福祉部もまた、高野が文書でいう意味を理解していたはずである。保健福祉部はたましんの同席を許した時点で身動きの取れない状況に陥った様子がうかがえる。

 では、たましんを交えたその協議の席に朝木直子も同席していたのかどうか。後日、その点を朝木に確認すると、朝木はなぜか顔を横に向けたきりノーコメントを押し通した。なぜノーコメントなのか。いなかったのなら即座に否定すればよかろう。この反応をみるかぎり、たましんを交えた協議の場にも朝木が見届け役として同席していたとみるのが自然のようだった。今から考えれば、朝木が厚生委員会に乗り込み、高野の文書を読み上げるよう迫ったことにはそれなりの裏付けがあったのである。平たくいえば、脅しということになろうか。

 ところで、りんごっこ保育園の担保価値は土地と建物を合わせてもせいぜい6、7000万円とみられている。仮にこの土地を処分するとすれば、園舎はむしろ邪魔で売却には不利な材料にしかならない。そこに金融機関が1億3500万円もの融資を決定することは普通ではあり得ない。では、たましんが何を融資の担保としたのかといえば、認可されれば確実に交付される年間8000万円を超える補助金だったということ以外には考えにくい。

 高野は保育園建設のために「私財をなげうった」というが、実は「認可=補助金」を担保とするたましんの融資にそのほとんどを依存したものだった。しかも、土地・建物は高野個人の名義となっており、補助金(一部は高野個人の給料を充当するという)によって借金を完済したあかつきには、土地・建物は晴れて高野の個人資産となる。金融機関の融資と補助金(公金)を利用した、無から有を生じるような私財形成というべきだろう。これを「手品のようだ」と評する人もいる。高野はその1億3500万円を10年で償還する予定という。

 とはいってももちろん、土地・建物が高野個人の資産となるのは1億3500万円を完済しての話である。この認可申請計画が頓挫すれば、高野にはこの融資がそのまま借金として残ることになる。おそらく返済計画は平成15年4月から始まる予定となっており、高野はなんとしても4月1日に開園させなければならなかった。そのためにも児童育成部会や議会に意見を求めている時間はなかったということではなかっただろうか。

(第11回へつづく)


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りんごっこ保育園問題とは何か 第11回
姿を現した黒幕

市長に届いた内容証明郵便

 平成15年2月24日、東村山市議会が本会議において「認可保育園の設置基準の作成と予定されている認可保育園の拙速な認可の見直しを求める決議」を矢野、朝木を除く圧倒的多数で可決したことは、3月に迫る予算特別委員会で東村山市議会がりんごっこ保育園に対する予算を否決する可能性を予感させるものでもあった。拙速な認可の見直しを求めておきながら予算はそのまま通すというのでは、何のための決議なのかわからない。翌2月25日、読売新聞多摩版が決議の可決を報じるとともに予算の減額修正の見通しにまで触れたのはそれなりの取材に基づいたものだったろう。

 高野(あるいは背後にいるはずの矢野と朝木)も当然、そのことを直感したはずである。では、高野あるいはたましんを交えた協議にも立ち会ったであろう朝木が議会や市民の理解を得られるために、認可申請に至った考え方や水面下で進めることになった経緯を誠意をもって説明しようとしたかといえば、高野はそうはしなかった。高野は議会決議を無視し、これまで「協議を重ねた」行政に対して直接認可申請を迫る方法を選んだのである。高野の動きは早かった。高野(代理人中田康一弁護士)は「拙速な認可の見直しを求める決議」が議決された翌日の平成14年2月25日付で、東村山市長に対して「認可申請書類取扱に関する催告書」と題する内容証明郵便を送付した。内容は以下のとおりである。

〈東京都による設計図書の承認及び貴殿による昨年12月13日付決裁書を前提として、認可申請者高野博子は用地を買収、園舎を建設し、ほぼ完成しているほか、本年2月7日付けで必要書類を添付し本件認可申請書を受付窓口である貴殿に提出し、既に右書類は東京都による事前の実質審査を終えています。

 しかし、遺憾ながら、貴殿が作成すべき意見書等必要書類及び申請者提出に係る右書類を認可権限者である都に送付しないため、本件認可手続きが16日間放置されており、これ以上の右送付の懈怠が続きますと、申請者には重大な損害が発生し、東村山市に賠償責任が発生することとなります。

 従って、本催告書到達後ただちに貴殿が東京都に対して本件申請関係書類の全部を提出されるよう催告いたします。〉

 ――「催告書」とはなっているものの、実質的には「早く意見書を付けて認可申請書類を都に送れ」、さもなければ「東村山市には賠償責任が発生する」という脅しである。これまで「協議を重ねた」はずの行政も、高野にとっては保育の実施機関(東村山市)と保育を委託される側(りんごっこ保育園)としての信頼関係を構築しようとする相手ではなく、認可と補助金を獲得するためのたんなる交渉相手にすぎなかったことがわかろう。この内容証明を受け取った当時の細渕一男市長の心中はどうだったか。行政としても、まがりなりにも高野の認可申請相談に応じてきた上、市長が決裁したという弱みがあったことだけは確かだろう。高野はそこにつけ込んできたということである。

矢野と朝木が追い打ち

 議会決議を無視し、何がなんでも認可を得ようとする高野の動きはこれだけで終わらなかった。高野と同居する矢野穂積がついに表舞台に出てきたのである。〈地方自治法176条第4項が、越権又は違法の議決は再議に付さなければならないことを首長に義務付けていることに注意を喚起し、2月24日に違法議決された「認可保育園の設置基準の作成と予定されている新設保育園の拙速な(認可の)見直しを求める決議」が送付された場合には再議に付すことを求める申入書〉という長い題名の文書を矢野と朝木が市長宛に提出したのは、高野が内容証明を送付した翌日の2月26日だった。内容をみよう。

〈東村山市議会は「認可保育園の設置基準の作成と予定されている新設保育園の拙速な(認可の)見直しを求める決議」と題し、「東村山市(※「東村山市長」の趣旨)に対し認可保育園の設置基準等を早急に作成することを求める」等の趣旨の決議を本年2月24日に賛成多数で議決した。

 しかし、すでに東村山市長(保健福祉部所管)に対して東京都から指導があった通り、保育所認可権限は、児童福祉法35条4項により都道府県知事(政令指定都市、中核市は市長)が有し、「児童福祉施設最低基準」(厚生省令)第5章に基づき、都道府県知事「政令指定都市、中核市は市長」が「保育所設置認可等事務取扱要綱」を制定しいわゆる「保育所設置基準」をそれぞれ設けているのであって、国の指導に基づく都道府県知事の専権事項である。東村山市長が保育所設置基準を作ることは、児童福祉法35条4項及び同法施行規則第2項、同3項に違反し、東村山市長が保育所設置基準を作ることは許されず、このことには議論の余地がない。

 にもかかわらず、東村山市議会が議決した右「認可保育園の設置基準の作成と予定されている新設保育園の拙速な(認可の)見直しを求める決議」は、権限のない東村山市長に対し違法行為を強制しようとするものであって、明らかに児童福祉法35条4項及び同法施行規則第2項、同3項に違反する違法な議決である。また、本年4月開園予定の新設認可保育園は、政令に基づき都知事が定めた設置基準たる「保育所設置認可等事務取扱要綱」に適合しており、東京都も「劣悪な環境ではない」と見解を公表しており、東村山市議会の本件決議の前提には重大な事実誤認があり、この点でも違法議決である。

 ところで、地方自治法176条第4項は、越権又は違法な議決は再議に付さなければならないことを首長に義務付けている。

 従って、本年2月24日に違法に議決された「認可保育園の設置基準の作成と予定されている新設保育園の拙速な(認可の)見直しを求める決議」が東村山市長に送付された場合には、右違法議決を直ちに再議に付すことを強く求める。〉

 ――矢野と朝木は議会の議決に対してなにか法律的な主張をしているようにみえるが、彼らがこの申入書で主張しているのは、りんごっこ保育園が国基準をクリアしている以上、東村山市長は議会の議決を受け入れるべきではないということ。つまりこれも、「早く認可申請手続きを進めろ」という趣旨にほかならなかった。

表舞台に出てきた矢野

 それまで高野と朝木のうしろで様子をうかがっていた矢野は、文書の上とはいえその関与を明らかにしたことで、その後はむしろ積極的に表舞台に顔を出すようになる。矢野が表に出なければならないような状況になったと判断したということでもあろう。3月4日、朝木が一般質問で「認可が遅れれば、市に賠償責任が生じる」と発言してから2日後、矢野は高野と朝木、それに2名の弁護士を引き連れて市長部局を訪れた。矢野は弁護士とともに、

「早く認可申請書類を東京都に送付しろ。送付しなければ提訴するぞ」

 と、かなり強硬に詰め寄ったと聞く。その口調は脅しに近かったようで、翌日、弁護士が「昨日は少しいい過ぎた」と市に対して詫びの電話を入れたことからもその激越さがうかがえた(東村山市はその日の矢野や弁護士の発言を問題にすることはなかった)。その前日には、高野が弁護士とともに東京都に出向き、認可するよう申し入れていた。議会の予算修正の動きを前に、矢野と高野の動きが激しさを増していった様子がおわかりいただけよう。

 ただし、今回紹介した話はいずれも密室の出来事であり、後日聞いた話にすぎない。矢野が黒幕としての正体を市民の前にも現すのは予算特別委員会が始まってからである。

(第12回へつづく)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第12回
高野擁護に回った共産党

 実体のない「要望書」と「事業計画書」による事業権確保(平成14年4月16日)とその計画決定に実質的に金融機関が深く関与したこと、それに基づく起案書の決裁(同年12月13日)と園舎の建設着工というりんごっこ保育園の認可申請までの一連の動きが、既成事実を積み上げることで強引に計画を実現させようとしたものであることは明らかだった。情報を開示したときにはすでに園児募集も終わり、開園が目前に迫っているというのでは、関係者の間から反対の声が上がったとしてももう現実を止めることはできないだろう。現実に、平成14年末にりんごっこの認可申請計画が洩れなければ、高野と矢野の目論見は議会や保育関係者の意見をいっさい無視して現実のものになろうとしていたのである。

 少なくとも、情報公開をめぐる高野の対応は既成事実化が狙いだったと受け取られても仕方ないものだった。事業主の立場がいかに形式上は個人であろうと、年間8000万円を超える補助金が交付される以上、それは公共事業にほかならない。設置者が個人で、本人が情報開示を拒んだとしても、そのことを理由に実施内容だけでなく施設名さえも明らかにしないというのは、誰からみても異常である。

 認可保育園として計画しているりんごっこ保育園の情報が明らかに個人情報でないにもかかわらず、東村山市保健福祉部が情報開示について必要以上に慎重になったのは、高野の背後にいる同居人の矢野穂積を意識したからにほかならない。ヘタに情報を公開すれば訴えられると考えたとしても不思議はなかった。実際に保健福祉部の担当者の1人は、「一応適法に申請が行われているものを、矢野の存在を理由に排除すれば、今度はこっちが訴えられる」と語っている。行政の公平性の観点から、あくまでも背後事情にすぎない(それも推測)矢野の存在を行政判断に考慮することは軽々にはできない。そのことは十分に矢野の計算に入っていただろう。

市民と行政に責任転嫁

 とはいえ、市議会本会議で「拙速な認可の見直しを求める決議」が議決されるに至り、高野(=矢野)は施設名まで出さなかったことはさすがに市民の理解は得られないと考えたらしく、3月の予算特別委員会では「土地選定及び施設設計等経過」と題する文書を提出した。文書には平成14年2月、高野が東村山市保健福祉部に開設相談したことに始まり、その後の東京都や市との協議などの経過が時系列に並べられていたが、文書の末尾にはこんな一文が添えられていた。

〈2002年12月11日に東京都から設計図面につき承認するとの見解をえており、議会(厚生委員会)等への行政報告は、行政の責任で1月以降になされると考えており、関係資料の公表を予定していたが、再三の事業妨害により、個人情報であり、不測の事態が予想されるので、全部公表でなく一部公表にとどめた。〉

 高野はりんごっこ保育園に関する情報をいまだに「個人情報」であるとし、情報公開してこなかった理由として「再三の事業妨害」があったからだという。「事業妨害」の事実があったのか。文書で高野は、

〈2003年2月1日、施工業者に匿名で「工事をまだやっているのか」という嫌がらせ電話が架かり、直後に匿名の怪文書ファックス。金融機関にも嫌がらせ。〉

 と記載しており、これが「事業妨害」であるという。当時、りんごっこ保育園に関する情報がなんら開示されない中で、市民が情報収集に動いたことは事実である。しかし、市民がたましんや施工業者(多摩ミサワホーム)に事情を聞こうとしたとしてもなんら不思議はないし、それが高野のいう「嫌がらせ」目的だった事実はない。むしろ、年間8000万円もの補助金が支出される認可保育園の情報について、高野や行政が園名はおろか設置者の氏名まで隠したまま計画を進めようとしなければ、市民が独自に情報収集をしなければならないという状況にはならなかったのである。

 つまり高野が提出したこの文書は、「議会等への報告は行政の責任でなされると考えていた」とした上、虚偽の事実を捏造し、情報公開してこなかったことの責任を市民になすりつけ、自分には非がないと主張するものにほかならなかった。矢野と同居すると、その特異性まで似てくるのだろうか。

「市が園庭を作ってやれ」と共産党

 高野が「土地選定及び施設設計等経過」を提出することで情報公開をしたことにし、すでに園舎が完成しているという既成事実を主張することで事態を乗り切ろうと考えていることは明らかだった。「情報公開したんだからもういいだろ」ということである。

 3月の予算特別委員会で、一連の手続きの不透明さを不問に付し、あくまで園舎がすでに完成したという事実を前提に話を進めるべきとする議論を展開したのは矢野と朝木だけではなかった。水面下で進められてきたことに対して「公明正大な方法で進めることを求める請願」の採択には賛成した共産党は、認可に関しては別の考え方を示したのである。まず保延努はこう述べた。

「わが党の立場は、水準を下げないということと同時に待機児を解消させるという問題、この両方を両立させなければならない、こういう立場です」

 その上で保延は、待機児解消が市の緊急課題の1つであることを大義名分にりんごっこ保育園の認可条件を上げる、つまり園庭を作るなどした上で認可させる方向を模索すべきと主張したのである。共産党の子育て支援に関する考え方自体はおかしなものではない。しかし保延(共産党)が本気で、高野と矢野がやろうとしているりんごっこ問題でも共産党の考え方が通用すると考えたのなら、それはあまりにも現実感覚を欠いたもののように思われた。

 東村山で発生したりんごっこ問題は、保育の水準を守るという以前に、年間8000万円にものぼる巨額の補助金獲得を前提にした利権問題でもある。りんごっこの場合には、1億3000万円の借金を一定期間内に返済しなければならない。したがって補助金額は多ければ多いほどよいが、補助金額は園児数によって決定されるから、限られた面積の中で最大限に補助金を確保するには、土地いっぱいに建物を建て、国基準ぎりぎりに園児を詰め込むのが最も効率的である。その結果が定員81名であるにすぎなかった。つまりこの数字は、補助金を最大限に引き出すことを前提に設定されたものなのである。そこにはそもそも、園庭を設けるなどという発想が存在する余地はない。むしろ高野にとって園庭はまったく無駄な存在でしかなかったのである。

 保育環境を優先すれば、余裕をもった保育計画を策定する中で園舎と園庭が設計され、定員はその結果で決まってくるはずである。ところがりんごっこの場合は逆で、すべては借金に始まり、返済計画を策定する中で園舎が設計され、定員が決められたとしか考えられなかった。敷地境界線からわずか2メートル内側いっぱいに建てられた倉庫のような園舎がそのことを歴然と物語っていた。

 共産党は手続きの不透明さについては批判し、公明正大に行うよう求めた市民の請願には賛成したにもかかわらず、園の認可そのものについては施設の改善を条件に認めるべきだという。さらに保延はこう付け加えた。

「行政がそういうこと(園庭を作る)を指導する以上、財政的な援助をするということが当然ありますよね」

 待機児解消のためなら、事業主が保育を委託するにふさわしい人物であるかどうかなど無視してもよいというのが共産党の考え方であるらしい。その上、協議の段階では虚偽説明をし、その実現が危うくなると今度は行政を脅すような連中に「行政が金を出して園庭を作ってやり、認可してやれ」と保延はいうのである。彼らに認可を与えればどういうことが起こりうるか、現実を見ようとしない共産党にはなんらの想像もできないようだった。

(第13回へつづく)

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『東村山の闇』裁判・インターネット「創価問題新聞」裁判判決
 平成20年4月15日、元東村山警察署副署長、千葉英司氏が名誉を毀損されたとして東村山市議、矢野穂積氏と朝木直子氏を提訴していた2件の裁判の判決が東京地裁で言い渡された。

『東村山の闇』裁判

 1件目は、第三書館発行の書籍『東村山の闇』(東村山市議、矢野穂積氏と朝木直子氏の共著=平成15年11月発行)の記述をめぐる裁判。

 平成7年9月1日夜、矢野氏の同僚市議で、朝木氏の母親である東村山市議(当時)の朝木明代氏が転落死を遂げた。故朝木氏は当時、東村山市内の洋品店で万引きをしたとして書類送検されており、警視庁は「犯罪性はない」(すなわち「万引きを苦にした自殺」)と結論付けた。平成9年には東京地検も「自殺の疑いが濃い」として捜査を終結している。

 一方当時、矢野氏や朝木氏は「万引きは政治的陰謀によるでっち上げで、転落死も創価学会による謀殺」などと主張、平成8年以降、「万引き冤罪」と「他殺」を主張して多くの裁判を起こしてきた。しかし、いずれの裁判でも矢野氏らの主張が排斥されただけでなく、万引き被害者から提訴された裁判では100万円、創価学会から提訴された裁判では200万円(講談社とともに提訴された裁判を含めると計400万円)の支払いを命じられている。

『東村山の闇』は一連の法廷での主張がことごとく排斥されたあとに出版したもので、捜査機関や裁判所の結論を覆す内容。その中で矢野氏と朝木氏は捜査責任者だった千葉氏に関して、

①〈事件の中で登場する「キーパーソン」の何人かについてふれておくことにしたい。〉〈第2番目は、(中略)東村山警察署の千葉英司副署長。このひとも重要な登場人物だ。千葉副署長は、朝木明代議員事件の捜査責任者であり、報道関係者に対する広報責任者である。この千葉副署長は、1995年7月12日に朝木明代議員を「万引き容疑」で書類送検した。9月1日の殺害事件発生直後は、捜査結果判明した事実をどんどん書き換え、「自殺説」を広報した。〉

②〈千葉副署長の「万引き」、「自殺」という判断も、2002年3月28日の判決によって否定された。また、関係者に対して発表した内容が、ころころ変わっていった〉

③〈東村山警察は動かなかった。動かないだけでなく、朝木明代議員自身が「飛び降りていない」というダイイング・メッセージをはっきり残しているにもかかわらず、事実を書き換えるようにして、自殺説をことさら強調していった。千葉英司副署長が、事実と異なる広報をしたり、ろくな捜査をしていない点を週刊誌の記者が指摘すると、逆ギレして、出入りを禁止するなどした。真剣な「捜査」がなされる様子は全くみられなかった。〉

 などと記載した。この裁判は、これらの表現に対して千葉氏が「原告の職務に対する誠実性、廉潔性や、ひいては公正さまでを疑わせ、原告の社会的評価を低下させた」として損害賠償を求めていたものである(原告の指摘箇所は全部で12カ所)。

 千葉氏の主張に対して矢野氏らは、

〈被告らが本件著作物で記述したのは、事件を担当した東京地方検察庁八王子支部の指揮による東村山署の捜査活動についてであって、原告につき批判言論を記述したのは、原告が公務員として担当したところの広報活動が適切であったか否かにすぎず、……原告個人の名誉権を侵害するような記述は一切ない。〉

〈原告による上記広報活動自体に違法性があるから、被告らによるこれらに対する批判言論たる本件著作物は、そもそも名誉毀損性がなく、不法行為は成立しない。〉

〈被告らにおいて、原告が本件窃盗被疑事件について真実に反して明代を書類送検し、また、本件転落死が殺人事件であるにもかかわらずそれを知りながら捜査で判明した事実を意図的に偽るなどして、本件転落死を自殺扱いするなど公正な捜査・広報を行わなかったと信じたことに相当の理由がある〉

 などと主張した。

 これら双方の主張に対し東京地裁は、上記①~③以外の記述については千葉氏個人に向けられたものとは認めがたいとして名誉毀損の成立を否定したものの、①~③については〈原告(千葉氏)が殺人事件を隠ぺいしているとの印象を与えるもの〉として、千葉氏の社会的評価を低下させる記載であると認定。その上で、真実性については、

〈原告が本件窃盗被疑事件について真実に反して明代を書類送検し、また、本件転落死が殺人事件であるにもかかわらず、それを知りながら捜査で判明した事実を意図的に偽るなどして、本件転落死を自殺扱いするなど公正な捜査・広報を行わなかったとの事実までは認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。〉

 と認定。相当性についても矢野氏らの主張を退け、矢野氏と朝木氏に対して30万円の支払いを命じた。

インターネット「創価問題新聞」裁判

 2件目は、矢野氏と朝木氏が運営するインターネットホームページ「創価問題新聞」(平成18年までのもの。現在は閉鎖)の記載をめぐる裁判。

 矢野氏らは旧「創価問題新聞」において矢野氏らが発行する政治宣伝ビラ「東村山市民新聞」のバックナンバー(平成12年4月1日付)を掲載したが、同ビラは千葉氏について、

①〈朝木議員殺害を、自殺扱いした千葉元副署長〉〈千葉元副署長の捜査が全くデタラメだったことが判明しました〉(記事1)

②〈(千葉は)政治的中立という法的義務のあることを忘れ、創価べったりです。〉(記事2)

③〈千葉英司副署長が指揮した東村山署は、捜査をするのではなく証拠を証拠として取り上げない態度〉(記事3)

 などと記載。これらの記載に対して千葉氏が名誉を毀損されたとして提訴していたもの。

 千葉氏の主張に対して矢野氏らは、記事は〈組織としての東村山署の捜査及び広報のあり方につき、明代の遺族及び同僚議員としての立場から明代関係事件の捜査が何らなされていないという重大な疑問があるとの批判を記述したものにすぎ〉ず、千葉氏個人に対する批判ではなく〈組織体を代表しての公的立場からの公的言動に関する批判〉であり、原告個人の名誉権を侵害するものではない、などと主張した。

 これに対して東京地裁は、記事①については、

〈(千葉氏は)殺人事件である本件転落死を敢えて自殺扱いしたとの事実を摘示していると認められる〉

 記事②については、

〈原告の警察官としての職務執行が創価学会に不当に肩入れし、警察の責務として法定されている不偏不党かつ中立公正に反していると論評したものと認められる〉

 記事③については、

〈原告は、本件転落死について、証拠を正しく評価せず、真実究明のための捜査を十分にしなかったと論評したものと認められる〉

 などと認定。記事が〈東村山署の捜査のあり方のみならず、原告個人の行動に対する記述と認め〉られるとし、上記記載が千葉氏の社会的評価を低下させるものであると認定した。その上で東京地裁は、記事の真実性ついてそれぞれ以下のように述べて矢野氏らの主張を否定した。

①〈本件全証拠によっても、本件転落死が殺人事件であると認めるに足りない。したがって、本件記事1はその重要な部分において真実であることの証明がない〉

②〈この論評の前提となっている原告が創価の御用記事ばかり書いているアングラ誌の関係者と親しげに談笑していたとの事実が真実であると認めるに足りる証拠はない〉

③〈本件記事3は、原告が本件転落死について、証拠を正しく評価せず、真相究明のための捜査を十分にしなかったと論評したものであるが、その論評の前提となる事実については、本件記事3の中で何ら触れられておらず、結局、論評の前提となる重要な部分において真実であることの証明がないというほかない。〉

 東京地裁は相当性についても、〈論評した前提となる事実について、明確に一定の具体的事実を認識し、それを根拠として論評したと認めるに足りる証拠はなく〉(すなわち思い込み、憶測にすぎない)などとして矢野氏らの主張を退け、名誉毀損の成立を認定。矢野氏と朝木氏に対して10万円の支払いを命じた。

 なお、この裁判で矢野氏らは、千葉氏が別件裁判に提出した陳述書の内容が矢野氏らの名誉を毀損したなどとして反訴を提起したが、東京地裁は矢野氏らの請求を棄却している(つまりこの日、矢野氏らは3件の裁判で敗訴したことになる)。

千葉英司氏の話
「『東村山の闇』では私だけでなく、他の捜査員もまた事実の隠蔽に加担したかのように書かれた。この判決によって、矢野氏らの虚偽宣伝に耐えながら地道な捜査を続けた捜査員たちの無念さを少しでも晴らせたのではないかと思う」

(宇留嶋瑞郎)

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りんごっこ保育園問題とは何か 第13回
                      ★第1回から読みたい人はこちら


市民への責任感と良識を示した東村山市議会

無責任な「泥沼の抗争」発言

 保延の詭弁に輪をかけたのが、同じく共産党の議員団長、田中富三である。平成15年3月12日に開催された予算特別委員会で田中はこう述べた。

「(りんごっこ問題は)市の承認のもとで2003年度予算に計上したのに、市議会をはじめとする関係機関には個人情報保護を楯にとって事実を明らかにしないという方針を貫きました。このことが今回のりんごっこをめぐる『泥沼の抗争』を生み出した主因であります」

 東村山の共産党がなぜか矢野や直子を正面から批判しないことは議会内でよく知られた事実である。それにしても、今回のりんごっこ保育園の認可をめぐる市民や議会による一連の問題提起と追及を「泥沼の抗争」の一言で片づけるとはどういうことなのか。田中がこの言葉でいおうとしたのは結局、「矢野や高野のやり方と、それを批判してきた市民や市議会の双方ともに普通ではない」ということ以外にはあり得まい。

 田中とて、高野が厚生委員会や予算特別委員会に提出した文書の内容がすべて事実に基づくものであると主張することはできないだろう。すると田中は、情報公開を求めた市民や保育関係者の側にも虚偽や「工事妨害」といった妨害の事実があったと認識しているということだろうか。ならば田中は、責任ある市会議員として「泥沼の抗争」の根拠を示すべきだろう。根拠を示さなければ、田中の発言は矢野や朝木と同質のものとなる。

 この日の休憩時間、朝木が何度も共産党の控室に出入りしていた。共産党の控室で朝木が田中らと何を話していたのかはわからない。しかし、保延の主張といい田中の主張といい、「待機児解消」の大義名分を振りかざすことで、園舎がすでに完成に近づいているという既成事実を前提に、矢野と高野計画を実現させようとするものであることは明らかだった。

 これは同時に、一連の不透明な経緯から市民の目をそらそうとするものにほかならない。共産党は党を挙げて、草の根の年間8000万円という補助金詐取計画に一役買ったことになろう。もはや共産党も矢野、朝木と同罪というほかなかった。

東村山市議会初の予算修正決議

 矢野、朝木に加え、共産党もりんごっこの認可を求めるという異常な動きはあったが、東村山市議会の予算見直しを求める意思が変わることはなかった。この間、予算修正の動きを知った助役から市議会に対して「行政手続法上、りんごっこの申請書を東京都に提出することだけはお許しいただきたい」という申し入れがなされ、これに対して議会は、市長の意見書に加えて議会の意見書を添付することを条件にこれを認めたという経緯があった。

 不透明というよりもむしろ不正行為に近い決裁までの経過と、情報を公開しようとしない事業者の姿勢、補助金優先ともみえる計画からして、この保育園に対する予算を容認することによってもたらされる禍根の大きさは十分に想像できた。与党がかつて例のない予算修正を決断したのは、予算修正によって一時的に市長のメンツを潰されることになったとしても、それは結果的に市民の利益につながるという共通認識があったからだった。

 予算特別委員会は平成15年度の予算案からりんごっこ保育園などに対する予算修正決議案を採択。その後の3月19日、東村山市は認可申請書を東京都に提出したが、東京都は当然「予算がつかない状況では、申請されている保育園の運営に支障が出るのではないか」との懸念を示し、認可判断を保留した。最終判断は、3月26日に予定されている本会議での結論を待つということになった。

 こうして平成15年3月26日午前、東村山市議会は自民、公明議員らが共同提案した予算修正案を草の根と共産党を除く賛成多数で可決した。これに対して市長は同決議案を再議に付したが、同日夜、議会は3分の2の賛成によって再び予算修正案を可決したのである。予算措置(補助金)が伴わなければ保育園の安定的な運営は期待できない。この結果を受けて3月31日、東京都はりんごっこ保育園を不認可とする決定を下した。

 一方、東村山市幹部は一連の手続きの不透明さに対する責任を認めており、市長と助役は4月の給料について自ら10%の減給処分を科した。平成14年4月以来、りんごっこ保育園の認可手続きを進めようとしてきた東村山市行政にとって、予算が否定された上に認可が認められなかったことは、形の上ではこれほど不名誉なことはないのかもしれない。

 しかし、とりわけ高野を矢野が背後で操るであろうことが明らかで、認可すればこの先いかなるトラブルが発生するかもわからない保育園を認可することに比べれば、一時の不名誉を甘受することの方が東村山の未来のためにどれほど公益にかなうか。つまらない目先のメンツではなく、市長と助役はそう考えるべきだった。

「おまえも袖の下がほしいのか?」

 不透明な経過と異常な資金計画、貧弱な保育環境のみならず、矢野穂積と同居する高野博子が運営する保育園に市民の保育を委託することがいかに危ういことであるかを痛烈に予感させる出来事が起きたのは、共産党によるりんごっこ擁護質問が行われた翌日、予算修正の動きが確実になってきた予算特別委員会の最中だった。それまで水面下での関与を想像させても、決して直接的な関与の姿をみせてはこなかった矢野がとうとうその正体を現したのである。

 まだ予算特別委員会開催中の3月13日午後5時過ぎ、「3階の政策室の前で矢野が騒いでいる」という情報が伝わった。私はただちに階段を駆け下りた。すると矢野が朝木と若い女性弁護士、それに高野を従え、政策室長らに大声で詰め寄っているところだった。対応していたのは政策室長のほか、保健福祉部長と次長である。矢野はどうも「市長に会わせろ」といっているようだった。すでに予算修正が確実な情勢となり、矢野から見ればもはや議会に認可を止められようとしている市長以下市幹部に対し直接、認可を迫っているのだった。矢野は、

「認可しないつもりか」

「(損害賠償金を)2億円払ってやめるか?」

「家を抵当に入れておけ」

 などと大声で迫っていた。しかし、市長は面会を拒否したようだった。高野は一番後ろで不安そうに立ち、「高野側に落ち度はない」などと矢野が主張するたびに「そうですよ」と相槌を打つだけだった。保健福祉部長は「高野さんが公表するなといったんでしょ」「高野さんは何も説明しなかったじゃないですか」などと反論していた。押し問答の間には、政策室長や保健福祉部長と矢野が互いに後ろ手にして体をぶつけ合い、押し合う場面もあった。手で押せば暴力沙汰になりかねないことを矢野は知っているのである。

 ところでこのとき矢野は、市幹部に向かって損害賠償を匂わせる一方で、政策室長に向かって妙な言葉を口にした。矢野はこういったのである。

「なんだ? おまえも袖の下がほしいのか?」

 公人の口からめったに聞けるセリフではあるまい。認可申請の過程での話かどうかはわからないものの、矢野の55年の人生の中で「袖の下」を要求され、応じた経験があったということなのか。とすればつまり、その場合には矢野の側にも「袖の下」を要求される理由があったということになろうか。

 途中で私の存在に気づいた矢野はしばらくすると弁護士や高野を引き連れて階段を降りていったが、政策室の異常な騒動は10分近く続いただろうか。矢野を相手にすれば、何か矢野の意に沿わないことがあった場合にはこういうことが起きてもなんら不思議なことではない。東村山市はそれを想定できなかったのか、あるいは十分に想定できても高野の要望をはねつけることができなかったのか。その気があれば、拒否することはできたはずである。その場その場の面倒を避けてきた結果が、この日の脅しにつながったのだった。

 いうまでもなく、高野の保育園を認可するということは、絶えず矢野を相手にするということである。待機児解消は課題だろうが、いかなる代償を払ってもというものではあるまい。東村山市議会が勇断をもって予算を否決し、東京都が不認可とする決定を下したことで、東村山市は将来にわたる禍根をいったんは回避することができた。しかし、これでりんごっこ問題がすべて片づいたというわけではなかった。

(いったん了。以後の状況は「第2部」としてあらためて掲載する予定です)

テーマ:社会 - ジャンル:政治・経済

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