ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

西村修平事件第2回口頭弁論
 平成21年2月4日、警視庁東村山警察署元副署長、千葉英司が、「創価学会の四悪人の1人である千葉が朝木明代殺害事件を隠蔽した」とする趣旨の発言などによって名誉を毀損されたとして右翼団体代表の西村修平を提訴していた裁判の第2回口頭弁論が東京地裁八王子支部で開かれた。この日も右翼らはJR八王子駅前で街宣活動を行い、その足で法廷に向かったという。

 集まった支援者は30名程度(正確に数えたわけではないので主催者発表とは誤差があるかもしれない)。支援者たちは幟のたぐいを持っていたと聞くが、目撃者によれば法廷あるいは裁判所の入り口で職員に預けさせられたもようである。なお傍聴席には5名ほど、支援者とも取材者とも若干雰囲気の異なる人たちもいた。行政書士は家が遠いためか、この日は来なかった。

 平成20年11月13日に開かれた第1回口頭弁論で、西村側は矢野絢也元公明党委員長の手記(乙1)を書証として提出、本件といったい何の関係があるのかと原告側を当惑させたが同日、西村側代理人は「膨大な証拠があるので次回提出する」と述べており、第2回口頭弁論でどんな主張を展開するのか注目されていた。
 通常の裁判では、準備書面や書証は口頭弁論の1週間前に提出するのが常識である。ところが、第1回口頭弁論から正月休みを除いても優に2カ月の準備期間があったにもかかわらず、前日までに西村側からの書面はいっさい提出されなかった。

提出された「膨大な書証」

 ところが口頭弁論当日、代理人は厚さ10センチにも及ぼうかという「膨大」な量の書証を持参していた。さすがは「膨大な証拠がある」と豪語しただけのことはあったのである。では、西村側が提出した書証とはどんなものだったか。詳しくみてみよう。

乙2の1~24 東村山市民新聞35号~41号、同43号~47号、同49号~51号、同54号~57号、同59号~60号、同62号、同速報版№095、同67号
乙3の1 「放火現場の撮影写真」
乙3の2、3 矢野穂積の診断書
乙3の4 襲撃された矢野穂積の写真
乙3の5 ○○所有の軽トラックの写真
乙3の6 95年7月29日付読売新聞「東村山市議殴られ怪我」
乙4の1 野田峯雄の矢野宛連絡メモ
乙4の2 ○○(万引き被害者)の証人調書
乙5の1 中央三井信託銀行東村山支店のキャッシュコーナーでの写真
乙5の2 同上
乙5の3、4 亡朝木明代議員の平成7年6月19日の服装と同じ服装した朝木直子の写真
乙6 FORUM21の2004年1月15日号
乙7 「創価学会を折伏する!」
乙8の1 草野敬の陳述書
乙8の2 事件現場ビル1階モスバーガー店主の共同記者会見
乙9の1 ○○(防衛医大医師)の陳述書
乙9の2 同上 救急救命及び死亡時の説明
乙10 日本音響研究所所長鈴木松美の鑑定書
乙11 司法解剖鑑定書
乙12 平成7年8月27日付読売新聞「3日に宗教シンポ」
乙13の1 レジ・ジャーナルの謄写・閲覧について(依頼書)
乙13の2 証人等目録
乙13の3 文書送付嘱託申立書
乙13の4 送付依頼書
乙13の5 株式会社アレフの弁護士中田康一宛レジ・ジャーナルの謄写閲覧についての回答書
乙14の1 龍年光の陳述書
乙14の2 昭和56年11月16日付聖教新聞
乙15 97年5月5日付国会タイムス
乙16 野中広務「差別と権力」(魚住昭著)
乙17 月刊現代04年6月号
乙18 月刊現代04年2月号
乙19 週刊新潮96年5月2・9特大号
乙20 読売ウィークリー04年2月1日号
乙21 週刊文春 平成7年9月14日号
乙22 平成7年9月8日付夕刊フジ

 以上である。しかし、西村側代理人は「膨大な」書証を提出しただけで証拠説明書(その書証によっていかなる事実を立証しようとするのかについてそれぞれの趣旨等を記載した書類)を提出しなかった。

 通常、書証には「証拠説明書」を付さなければ書証として受領されない。この日、西村側が提出した「膨大な」証拠は正式には受領されなかったということである。こうして第2回口頭弁論は、西村側が書証と称する書類を提出し、次回期日を決めただけで、実質的な審理としてはなんら進展のないまま、わずか5分で終了した。

弁護士の発言にも責任

 西村側の代理人は、ベテランであるにもかかわらずなぜ正式に受領されないような書証を提出したのだろうか。2カ月半もの十分な時間を与えられて準備書面も作成できず、何らの書類も提出できなかったのでは恰好がつかない。だから、形だけでも提出したことにしなければならなかったとみるのが自然なのではあるまいか。

 しかし、西村修平は右翼として街宣する以上は何らかの根拠を持っていたのではないのか。とすれば、その範囲においてなんらかの主張を準備書面にまとめ、その真実性なり相当性なりを裏付ける書証を提出すればよかったのではないかという気もする。

 西村の同志である右翼によれば、この代理人自身が右翼や支援者に向かって「私は西村さんが追及したこと(創価と千葉英司の関係、故朝木による万引き事件が創価による『でっち上げ』であるとした見解)は事実であると確信しております。それは事実であると考えるに至る客観的な事由はあったからです」と述べたともいう。弁護士は依頼者に過大な期待をさせるような発言をしてはならないことを、この代理人が知らないはずはない。だからこの代理人は根拠もなく説明したわけではあるまい。とすれば、代理人はその「確信」を準備書面にまとめ「客観的な事由」である書証を証拠説明書を付して提出すればよかったはずである。

 こう考えると、西村や代理人が能書きだけで準備書面も作成せず、書証と称するものしか提出しないとはどういうことなのか、きわめて不可解というほかない。裁判手続き上は何も提出しなかったに等しい第2回口頭弁論の様子からは、西村側のあわてぶり、混乱ぶりしか伝わってこない。

注目される右翼の戦略

 西村側にもそれなりの訴訟戦略があるのかもしれないので軽はずみな評価は慎まねばならないが、2月4日提出された書証はすべて矢野がこれまでの裁判で提出したもので目新しいものは何1つなく、矢野が朝木事件でこれらの書証によって勝訴した例はただの1度もない。質より量で勝負しようとしているわけではあるまいが、それ以前に、これらの書証によって「創価学会の四悪人の1人である千葉が朝木明代殺害事件を隠蔽した」という事実を立証できるとも考えにくい。

 代理人によれば、「まだ入手していない証拠がある」とのことである。それが何なのか、入手したとして、どれほどの証拠価値を持つものなのかどうか。いずれにしても、「千葉が朝木明代殺害事件を隠蔽した」という事実を立証するのは容易ではなかろう。わずかに可能性があるとすれば、西村の同志である右翼が他殺の根拠と主張する「内部告発」しかないように思える。万が一、右翼が「内部告発」の事実を証言しないまま敗訴ということになれば、右翼の責任は免れまい。

 ただ裁判所はブログとはちがって、右翼が「内部告発」について証言したとしてもそれは伝聞にすぎず、証拠能力は認められない可能性が高い。したがって右翼は「内部告発者」自身を法廷に連れてきて「内部告発者」自身によって証言してもらう必要があるが、その「内部告発」者にしても「人から聞いた」では相手にされまい。

 もちろん、右翼はその「内部告発者」に「会った」といっているのだから、意図は不明だが、最後の切り札として登場させる戦略なのかもしれない。「内部告発者」を登場させないまま西村敗訴ということにでもなれば、右翼は西村だけでなくカンパをしてくれた上に毎回遠路八王子まで傍聴に来てくれた多くの支援者たちをも裏切ることになりかねまい。次回口頭弁論(4月22日東京地裁立川支部)以降の西村側の主張・立証が注目される。

(宇留嶋瑞郎)

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

TOP
創価問題新聞事件 第3回
不可解な答弁書

 千葉が平成15年2月21日に提訴したこの裁判で、矢野と朝木が実質的な争点である朝木明代の万引きと転落死に関する主張を始めたのは提訴から4年半も過ぎた平成19年9月12日のことである。平成15年11月10日、矢野と朝木は『東村山の闇』を刊行、その中で平成11年、聖教裁判で行われた尋問と裁判途中で入手した司法解剖鑑定書の記載から、「明代の万引き容疑が冤罪だったこと、および転落死も他殺であることがはっきりした」と書いている。すなわち、彼らが「東村山の闇」で主張する内容は平成11年末の時点で明らかになっていたことになる。

 平成8年、東京弁護士会館で開いた『聖教新聞』提訴の記者会見で朝木は「母がかぶせられた万引き犯の汚名を晴らしたいと思う。万引きと自殺は表裏の関係にあるので、まず万引きが冤罪であることを明らかにしたい」などと語った。彼らはその後も一貫して「真相究明活動」を続けている。その主たる手段が裁判で警視庁(千葉)を提訴して「真相究明」のための材料を引き出すことで、平成11年末の段階で一定の成果を収めたと彼らは考えているらしい。するとなぜ彼らはこの裁判で、中身の主張を始めるまでに4年もかけたのだろうか。矢野と朝木の本音を知る上で興味深い事例でもあるので、それまで彼らがどんな主張をしてきたのか簡単に紹介しておこう。

 訴状に対して矢野と朝木がまずやったのは東京地裁への回付申立である。申立の理由は、明代の万引きと転落死に関して東京地裁で多くの裁判が行われていること、東京地裁に資料が集積していること、代理人の事務所が東京都内にあることなどである。これに対して千葉は、迅速な審理を最優先すべきと判断して回付に同意した。

 東京地裁に回付され、同裁判所において第1回口頭弁論が開かれたのは平成15年6月10日。この日ようやく矢野・朝木側から答弁書が提出されたが、「本案前の答弁」としてこう記載されていた。

〈訴状記載「請求の原因」によれば、その概略は、「警視庁東村山警察署副署長として在職中の原告の捜査指揮を被告らがインターネット上で批判した行為が、原告の名誉を侵害した」とするものであるが、原告の公職者としての職務行為に関する批判言論について、詩人として当事者適格を有しないことは明らかである。〉

〈さらに、原告は、名誉毀損であるとする被告らの批判言論が虚偽であると断定するが、かかる主張に関する原告の立証ないし反証活動は、原告が司法警察員警察官在職中の職務に関する事実を自ら明らかにすることを意味し、原告が負担する守秘義務に進んで違反することを前提としているものである。

 かかる違法行為を当然の前提とする訴訟提起は、訴えの利益を欠くものと言わなければならない。〉

 要するに矢野と朝木はこの本案前の答弁で、自分たちは千葉個人ではなく東村山警察署の捜査を批判しているにすぎず、また捜査に関わっていた千葉が裁判で自分たちの主張に反論すること自体が違法で許されないと主張しているもののようだった。それではなぜ記事で千葉個人を名指しで非難したのか、また公務員が職務行為をめぐり個人の名誉を毀損されても提訴できないのかという疑問が生じよう。

捜査員を脅した明代

 平成7年7月12日、朝木明代は万引き事件の取り調べで偽のアリバイを主張したが、捜査員から明代の主張するアリバイが捜査結果と矛盾していること、書類送検することを告げられ、「今日の調書はなかったことにしてください」と自らそれまでの供述をすべて撤回する意思表示をした。そして最後に明代は捜査員に向かってこういった。

「私のアリバイを含め、マスコミや他の者に対し、捜査内容について守秘義務を守ってもらいたいと思います。この件に関し、名誉毀損および誣告で相手方を告訴したいと考えております」

 明代のこの発言は、「公務員の守秘義務に背くと今度はあなたたちが地方公務員法違反に問われますよ」という趣旨の脅しであると捜査関係者は受け取ったという。明代はいったんは詳細なアリバイを供述したが、それまで一貫して主張してきたアリバイの矛盾を指摘されてすべて撤回したなどという事実が公表されれば、明代が「万引き犯」に間違いないという評価は動かしがたいものとなる。嘘をついたという自覚がないのなら、また万引きも身に覚えがないのなら、公表するなという理由はない。公表されるのはまずいと思ったからこそ明代は「守秘義務を守れ」と釘を差した。

 任意の事情聴取で、しかも自ら嘘の供述をしておきながら、それは黙ってろとは、普通ではなかなかとっさに出でくるセリフではない。矢野と朝木が千葉との裁判で行った本案前の主張も明代の取調室での脅しに似ていよう。

 少なくとも矢野と朝木は、地公法違反を匂わせることで千葉の動きを鈍らせようとしたのではあるまいか。仮にこの主張が裁判所に認められれば、その後彼らは思い通りに千葉を非難、誹謗できるお墨付きを得ることができる。そこまで見越した主張だったと推測できた。

 かつて矢野と朝木は、『週刊現代』の記事(「明代は創価学会に殺された!」)をめぐって創価学会から提訴された際には「かえって真相究明の手間が省けた」、万引き被害者から「東村山市民新聞」の記事をめぐって提訴された際には「飛んで火に入る虫」とうそぶいた。「真相究明」活動を継続している矢野と朝木としては、捜査責任者である千葉から提訴されたことも、まさに「真相究明」のまたとない機会ということになろう。

 まして矢野と朝木は『東村山の闇』で明代の「万引き冤罪」と「他殺」を証明する「新事実」が明らかになったと主張しているのだし(発行は提訴後だが、「新事実が明らかになった」と主張する時期は提訴の3年前)、その「事実」をあらためて確定的なものにする絶好のチャンスである。にもかかわらず、なぜ矢野と朝木は正面から千葉の主張を受けて立たず、却下によって内容に踏み込むことなく裁判を終結させようとしたのか。

 これでは自ら「真相究明」の大きなチャンスを逃がすことになりかねまい。現実的かつ限定的な裁判戦術としてあり得ないこととはいえないものの、あれほど「明代の万引き犯の汚名を晴らすため」「真相究明」をと訴えてきた上に、「新事実が明らかになった」と主張する矢野と朝木の取るべき対応としてはきわめて不自然だったような気がしてならない。


(その4へつづく)



テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

TOP
創価問題新聞事件 第4回
提出された反訴状

 提訴から7カ月後、訴因に対する実質的な答弁はいまだなされず、平成15年9月18日、矢野と朝木がその代わりに提出したのが反訴状だった。請求額は本訴における千葉の請求額と同額の400万円。千葉の請求が容認されても、矢野と朝木の請求が容認されれば相殺となる金額である。

 矢野と朝木が訴因として問題にしたのは、彼らの議席譲渡を追及し、矢野の繰り上げ当選無効判決を勝ち取った「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」(以下、「許さない会」)がビラの記載をめぐり提訴されていた裁判に提出した陳述書の内容だった。矢野と朝木はこの陳述書の内容によって名誉を毀損されたと主張していた。

 反訴状によれば、矢野と朝木が名誉を毀損されたと主張しているのは、平成7年10月7日、東村山署が明代の万引き事件(アリバイ関係)をめぐり矢野に対して行った取り調べの内容に関する箇所だった。取り調べに際して、矢野の代理人弁護士である中田康一から東村山署に対して双方録音を条件に行うよう申し入れがあり、東村山署はこの要求を受け入れたという経緯がある。

取調室でみせた動揺

 矢野はこの録音に基づく(と称する)反訳書を裁判に提出していたが、千葉は「許さない会」裁判でその反訳書に改竄があると指摘していた。ではどんな改竄がなされていたのか、該当個所を具体的にみよう(7月12日の取り調べで、万引き事件が発生した時間帯に明代が矢野と食べたと主張して提出した「レギュラーランチ」のレシートが他人のものであることを指摘され、明代がそれまでの主張をすべて撤回したあと、矢野は地検八王子支部の取り調べで「食べたのは『レギュラーランチ』ではなく『日替わりランチ』だった」と主張を変遷させた。以下の会話は、矢野が「明代が7月12日に提出したレシートは間違いで、食べたのは『日替わりランチ』」と主張しようとしていることを前提にお読みいただきたい)。



(ここでは、矢野と明代がレストランに入ったのが平成7年6月19日午後2時12分以降であることを前提としたやりとりがなされている)

取調官  ただ、2時12分の時点では、「日替わり」がないんです。

矢野  ええっ? ウソっ!

取調官  ホントなの。だから、私がそれを、先生(朝木明代)に聞いたの。

矢野  ウソだ。

取調官  先生、そうなんですよ。先生(朝木明代)、ホント、どうなんですか。2時12分の時点では、「日替わり」はありませんよ、と。売り切れてますよ、と。



 ここまでの反訳のうち、「先生(朝木明代)」となっている部分は「先生(矢野)」が正しい。矢野は自分が直接聞かれたことになってはなにかまずいと感じたらしい。続くやりとりをみよう。



矢野  じゃあ、ちょっと待って。仮に、それが正しいとするよね。そうしてもね、あの、それ以外にもあるの、こっち。その、たとえばね、その2時12分より前に食べたか、後に食べたかって問題があるでしょ。その問題あるんだけど、私はね、後に食べたというふうに考えるのが自然なんですよ。それはもう1つの事情があるんだけど。

取調官  うん、うん。

矢野  つまり、あの事務所にいない、2人ともいないわけ。つまり、一緒に行動取ってるわけだから、朝木さんだけが、ほら。

取調官  私も一緒だと思ったの。と、思ってるんですよ。だから、

矢野  あの、なんで。「ない」っていうのは本当なの? それ、ちょっと、わかんないな。

取調官  いや、ホントなの。それは。

矢野  私は、確かに。

取調官  私はあの日のカード(=店側の注文伝票と支払い伝票)、全部調べたの。

矢野  それはおかしいよ。

取調官  いやいや。おかしくない。あの日のカード全部調べたら、もうね、すでにね、ええ、たとえば1時半ごろ入ったとしても、ああ、2時に入ったとしても、この時間に入ったとしても。

矢野  うん、うん。

取調官  もう、売り切れなの。

矢野  売り切れてないよ、それ。

取調官  売り切れ。 

矢野  たとえば、私は食べたんだから、だったら、その前になるよね。

取調官  うん、だから、前かな、と。

矢野  ちょっと待って。その、この前でもね、前でも、それが、ちょっと記憶がはっきりしないけれども。



 矢野と明代がレストランに入ったという時間帯に「日替わり」が売り切れていたという取調官の説明に対して、急に「記憶がはっきりしない」と言い出すなど矢野は動揺を見せている。しかし一方、それでもなお矢野は「それはおかしい」「売り切れてないよ」などと抵抗している様子がわかる。

リストを見せられていた矢野

しかし、次のやりとりでは矢野の発言が微妙に変化してくる。



(中略)
取調官  「日替わり」がないのに、「日替わり」食べたっていうと、逆におかしくなっちゃうわけですよ。

矢野  だから、それはね、記憶の間違いもあるの。
(中略)
矢野  なんでアリバイがね、それだけで、あるとかないとかなんないよ。

取調官  うんだから、むしろこれ、なかった方がよかったんだよね。

矢野  それは、私が、私の記憶間違いになるわけ、それだったら。彼女は忘れてたんだから。

取調官  うん。

矢野  だから、確かにあそこへ行った記憶は、どう、だったらこの前にあるの?

取調官  いやわからない、だからわからないから。

矢野  それだったら、こっちを調べないと。

取調官  どっちを?

矢野  2時12分より前の、この「日替わりの2組」を。

取調官  だから、うん、2時12分より前にはあるんだけど、それはもう12時台なの。

矢野  12時何分?

取調官  これ、「日替わり」が、「日替わり」がね、ええ、売り切れたのが12時台。

矢野  そんなに早く行ったかなあ。



 ここに至ると矢野は、矢野と明代が食事をしたという時間帯に「日替わり」が売り切れていることを認め、彼らの主張する時間帯に「記憶違い」があったとするニュアンスに変化している。

 午前中は2人とも議会にいて、午後2時ごろまで議員控室にいたと一貫して明確に述べている矢野と朝木が、間違っても12時台に「日替わりランチ」を食べることはあり得ない。ましてその矢野の口から「そんな早く行ったかなあ」などというセリフが出るとはどういうことなのか。そのこと自体異常というべきであり、矢野の混乱ぶりを示していよう。この変化の理由は何か。千葉は陳述書で次のように述べている(趣旨)。

〈矢野に対する事情聴取の状況について検証した結果、取調官が原告矢野に対して、警察が作成した日替わりランチの注文状況と品切れの事実を記載した「リスト」を提示し「『日替わりランチ』を食べたとの虚偽の主張を続けるのか」と追及した文言が削除されるなど、自説の「日替わりランチのアリバイ」に都合のいいように改竄されていることが判明した。〉

 この部分の反訳の中には、

矢野  それだったら、こっちを調べないと。
取調官  どっちを?
矢野  2時12分より前の、この「日替わりの2組」を。

 と、明らかに「リスト」を見ながらであると推認できるやりとりがある。つまり、このやりとりの前に取調官は矢野に「リスト」を提示しているはずだが、矢野が提出した反訳書には取調官が「リスト」を提示した際の発言がどこにも存在しない。これはきわめて不自然というよりなく、矢野の反訳書から取調官の発言が削除されたとする千葉の説明の方がより合理性があるように思える。

 矢野は今でもレストラン側に対してリストの提示を求めたものの拒否されたとして、そのことをもってリストの中に彼らが食べたと称する「日替わりランチ」が含まれているかのように印象づけようとしている。しかし実は、矢野はすでに東村山署において万引き当日のすべてのメニューを見せられており、彼らが主張する時間帯にすでに「日替わりランチ」が売り切れていたことを確認していたのである。その事実を否定するためにも、千葉の陳述書の内容を否定しておく必要があった。それがこの反訴のもう1つの目的だったのではあるまいか。

 ちなみに矢野は、同レストランで食事をしていたことを証明する資料を探すといっておきながら、平成7年11月、東村山署でレシートはどうなったかと聞かれると「もう頭に来たからここには来ない」と捨てぜりふを残したきり、アリバイを証明する資料はなんら提出していない。矢野は明代の「冤罪」を晴らすのではなかったのか。矢野はリストを見せられたことで、「レギュラーランチ」から「日替わりランチ」にメニューを変更したことが自らの首を締める結果にしかならなかったことにようやく気づいたのである。


(その5へつづく)

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

TOP
創価問題新聞事件 第5回
醜態を繕う弁明

 矢野と朝木はいまだに「レストランから万引き事件当日の注文リストを提出されていない」などと主張しているが、矢野が平成7年10月の取調べにおいて取調官から当日の「リスト」を提示されていたことは取調べのやりとりの矢野の反訳以外でも明らかだった。矢野自身が別件裁判での尋問で「リスト」を見せられたことを認めており、朝木も別件裁判の陳述書でその旨を述べている。具体的にみよう。



(許さない会裁判・平成14年11月28日)

許さない会代理人  ○○課長代理(取調官)と10月7日、明代さんがもうなくなった後ですね、この問題(食事内容)で話し合ってる。このときは、もうあなたの頭の中では、この日食べたのは日替わりランチであるというふうに思ってたわけね。

矢野  さきほど申し上げたとおりですが。

代理人  ところがこの日、○○さん(取調官)のほうから、乙60号証(矢野作成の反訳書)のやりとりをみると、当日、日替わりランチはその時間帯、あなた方がそこに行ったという2時半から3時半の間の時間帯には、もう日替わりランチ切れてますよと、お店では売ってませんというふうにいわれたということは記憶してますか。

矢野  売り切れたという時間を聞いたら、何か12時前なのか1時前なのかよくわからなかったんですね。で、そのときに今朝がた作った21食、日替わりランチを作ったというリストを見せられました、手書きの。これじゃあ○○さん信用はできないでしょうと言ったんですよ。本物を出したらすぐアリバイがあるかないかわかるんだから、出したらいかがですかと、出しますよ出しますよと言ってましたけど、最後まで出さなかったですね。

代理人  そのときには、日替わりランチが切れてるといわれて、あなたはびっくりした。

矢野  びっくりしたんじゃなくて、通常50食作るらしいということは聞いておりましたから、20食ぐらいで、それも12時に売り切れたのか1時に売り切れたのかわからないようなことじゃ、これは信憑性ないですよね。

代理人  それ信憑性ないですよじゃなくて、そのとき指摘した?

矢野  何をですか?

代理人  そのときそれは信用できないと。

矢野  さきほど申し上げたとおりです。

代理人  指摘した。

矢野  ええ、こんなことじゃ朝木さんに罪を着せるようなことになりますよと、だから6月19日のレジジャーナルそのものの写しをお出しになったほうがいいんじゃないですかというふうに言いました。
 
代理人  ○○さん(取調官)が「ただ、2時12分の時点では、『日替わり』がないんです。」とおっしゃった。で、あなたは「ええっ? ウソっ!」というふうにいっている。で、○○さんは「ホントなの。だから、私がそれを先生(朝木明代)に聞いたの。」、で、矢野さんは「ウソだ。」と、で、○○さんは「先生、そうなんですよ。」というふうにおっしゃった。

矢野  これはだから信用できないという、そのもの自然な表現だと思いますが。

代理人  今聞きたいのは、あなたが今おっしゃった、出しなさいよと、もともとのやつを、というのはどこでいっているの。信用できないとかいう話。

矢野  この中にたしかあったと思いますが、そういうやりとりをしてると思いますけどね、ちょっと今すぐにはわからないですけどね。たしか会話の中でいってます。



 ここで矢野は、リストを見せられたことを前提に、その場で「それは警察側が作成したもので信用できない」と指摘したと主張している。しかしあらためて矢野が提出した反訳書をつぶさに検証したが、矢野は何度も自分の「記憶違いもある」と弁解してはいるが、リストが「信用できない」とか、「ジャーナルを出しなさい」などという発言はどこにも存在しない。



(平成14年3月4日付朝木直子陳述書)

〈原告らの調査に対して従業員は(日替わりランチは)1日50食用意している旨の回答がありましたが、原告矢野議員が○○課長代理(取調官)から東村山警察署で示された署員作成の集計表によると、当日の日替わりランチは合計20食と記載されていたものであり、全体の調理数を敢えて少なくしている可能性が濃厚だといわざるをえないのであって、いまだに、レジジャーナルの写しが公表しない警察側の態度からしても、改ざんされた可能性は極めて大きいといわざるをえません。〉



 朝木はこの陳述書において、警察が作成したリストは「改ざんされた可能性は極めて大きい」と主張している。しかし重要なのは平成7年10月7日、矢野が取調官からリストを示されたこと、またそれに対して矢野がその場でリストの信用性についてなんらの反論もできなかったという事実である。

 矢野と朝木が中田弁護士を通じてレストラン側にレジジャーナルの謄写・閲覧を求めたのは矢野の取り調べから9カ月もあとの平成8年6月4日にすぎない。警察が作成したリストに改竄があり、それが明代のアリバイを証明する上で重要であることを認識していたのなら、矢野はただちに謄写・閲覧を依頼しなければならない。矢野と朝木がそれをなぜしなかったのか。きわめて不可解というほかない。

提出されない録音テープ

 平成7年10月7日はアリバイに関する取り調べに先立って、転落死関係の事情聴取も行われていた。その際矢野は、素直に調書の署名に応じている。ところが取り調べがアリバイに移ると、矢野は「(何を食べたかについては)あの地検では言ったんだわ。……だから、それはちょっと勘弁してもらいたいんだけど」となぜか東村山署では「日替わり」のアリバイ供述を渋っている。

 万引き事件があった時間帯に矢野が明代と本当に「日替わりランチ」を食べていたというのが真実なら、矢野は地検であろうと警察であろうと堂々と事実を述べればいいだけである。それを矢野はなぜ、東村山署においては供述を渋ったのか。明代が主張した「レギュラーランチ」が否定されたあと、矢野は急遽メニューを「日替わり」に切り換えた。しかしこれが、事実を「思い出した」のではなく、たんに明代の主張したメニューが否定されたからという理由のみによるものだとすれば供述を渋った理由も理解できよう。

 実際にアリバイ捜査をしたのは地検ではなく東村山署である。矢野は明代のアリバイが崩された取り調べの一部始終を知っていた。そこで矢野が別のアリバイを主張するということは、明代のときと同じように矢野もまたアリバイを崩される危険性があるとみるべきだった。それにアリバイの話となると矢野もりっぱな当事者である。今度は矢野が当事者として追及される可能性が高い。おそらくそれらを直感した矢野は、「ちょっと勘弁してもらいたい」と身構えたということではなかったか。

 矢野が法廷に提出した取り調べの反訳からは、その日、矢野は「日替わり」だったと自白させられた上で万引き事件当日の「リスト」を突きつけられ、追い詰められていった状況がうかがえる。もちろん取調官は、矢野が地検でそれまでの「レギュラー」から「日替わり」にメニューを変えたことを知っていた。つまり、あえて矢野に「日替わり」といわせ、追い詰めようとしたのがこの日の取り調べだったようにみえる。

「リスト」を突きつけられ、「記憶がはっきりしない」と逃げるしかなくなった矢野にとって、当然ながらこの取り調べの結末は芳しいものとはいえなかっただろう。なぜなら矢野は、アリバイの取り調べについては調書化を拒否したのである。7月12日、自ら自発的かつ積極的に主張した「レギュラーランチ」のアリバイが崩され、調書に署名しないまま退出した明代の場合と状況はきわめて似ていよう。

 矢野と朝木の反訴に対し千葉は答弁書で、矢野側に対してテープを提出の上、主張事実を立証するよう求めた。しかし矢野が録音したテープが提出されることはなかった。

 この年(平成15年)の11月、矢野と朝木は『東村山の闇』を出版。千葉はその記載内容について平成16年3月5日提訴した。その後、本件裁判は矢野の反訴に加え、『東村山の闇』裁判とともに同じ法廷で扱われることとなった。

(その6へつづく)



テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

TOP