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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「創価問題新聞事件」最高裁判決 第10回
「東村山の闇」判決も「鑑定書」を無視

「行動する保守」の指導的立場にある右翼Aは、続いて7月14日の「東村山の闇」裁判最高裁決定について言及した。これもまた、なかなかめったに聞けない口からでまかせである。



〈そのあとの11日後にですね、確定した判決ではですね、それをふまえて、それをふまえて、補足されたことがあります。それは、本人がビルから叩き落ちた直後に、本人は自分で落ちていない、そのように証言した。それからですね、遺書がなかった。もう1つはですね、靴も発見されなかった。つまり、法医学者の鑑定を十分ふまえた上で、そのとき算定(?)してきてるわけです。この算定(?)をしてきた、あ、悲鳴が、悲鳴が聞こえなかったということも指摘しております。

 すなわち、そのあとで確定した判決というのはですね、明らかに朝木さんが何者かによってこのビルからですね、突き落とされて死亡したということを確定したわけであります。〉



「行動する保守」Aは「それをふまえて」と2度も繰り返しているが、「それ」とは現場も遺体もみないまま司法解剖鑑定書を「鑑定」した山形大学名誉教授の鑑定のことである。「創価問題新聞」裁判で東京高裁が採用しなかった「鑑定書」を本当に「東村山の闇」裁判では採用したと「行動する保守」はいっているらしい。

 では、「東村山の闇」裁判の東京高裁判決のどこに、鈴木「鑑定書」を「ふまえた」記載があるのか。判決文は「事案の概要」「当事者の主張」「当裁判所の判断」という構成から成っているが、鈴木「鑑定書」の文言が出てくるのは37ページにおよぶ判決文の中でわずか1箇所、それも「控訴人(矢野と朝木)の主張」の箇所に出てくるだけである。「控訴人の主張」はたんに矢野と朝木の主張を紹介しているだけで、その正否にかかわらず、当事者が主張すればその主張が記載されるという性質のものにすぎない。

 したがって、判決においてその主張が採用されているかどうかは「当裁判所の判断」の中にどう反映されているかを確認する必要があるということになる。しかし、「東村山の闇」判決が鈴木「鑑定書」を「ふまえた」というのなら、それらしい記載があってもよさそうなものだが、判断の部分で鈴木「鑑定書」に触れたのは〈他人と揉み合いになったような場合、上腕内側部に痕跡が残ることが多いといわれている〉という千葉自身も認めている一般論を述べた箇所のみで、その裏付けとして書証番号として記載されているにすぎない。つまり鈴木「鑑定書」の主張する「他人からつかまれた痕」とする主張が採用されたわけではないのである。「行動する保守」Aの街宣内容がいかに支持者を騙すものであるかがわかろう。「行動する保守」の指導的立場にあるAは、支持者はどんな主張でも自分のいうことなら無条件に信じると考えているのだろうか。とすれば、「行動する保守」Aは支援者をナメているということにほかならない。

大胆な「再審請求」

 さて、こうした判決に対する誤解、曲解に基づいて「行動する保守」Aは大胆ではあるもののきわめて現実味に乏しい主張を展開する。



〈ここで私が申し上げたいのはですね、同じ最高裁の判決、たった10日間の間、同じように審理されたこの中で、このように違った裁判、確定結果がですね、出たと、そういうことを驚きを禁じ得ません。本来であればですねえ、このように最高裁が、民事事件とはいえですよ、これは少なくとも、当時東村山市の市議会議員であった朝木明代さんが何者かによって殺された、しかも多くのマスメディアがですね、当時創価学会が殺したんじゃないかと報じていたわけであります。非常に重大な事件だ。

 それをですよ、これを2つを認めるような中途半端な確定を出すんではなくて、このことについて最高裁判所は徹底的にですね、審理を、審理をやり直せと、そういう結論を下すのが本来のわれわれが負託する最高裁判所のあり方ではないのかと。〉



「行動する保守」Aは「たった10日間の間に異なる判決が出たことに驚きを禁じ得ない」というが、2つの裁判に連続性がないことはこれまで述べてきたとおりで、勝敗が逆になることもあり得ないことではない。

 しかしそれよりも「行動する保守」Aのこの発言の中で注目されるのは、最高裁に対する再審請求とも受け取れる内容を主張していることである。「行動する保守」Aのこの日の街宣内容からすれば当然、「創価問題新聞」判決は間違っている(「審理をやり直せ」)と主張しているのだから、「創価問題新聞」事件の最高裁判決に対する「再審請求」ということになろう。文書による申し立てではなく、最高裁前において拡声器を用いて大声を上げることによる再審請求が認められるとは思えないが、街宣を主たる意思表示の手段とする「行動する保守」にとってはそれほど違和感のあるものではないらしい。

 それはともかく、再審請求にあたっては理由が必要になる。それまでの「行動する保守」Aの主張から推測すれば、その再審請求の理由は「『創価問題新聞』事件の最高裁決定は11日後に出された『東村山の闇』事件の最高裁決定に違背する」ということなのだろう。民事訴訟法338条が規定する再審請求事由のうち、近そうなものといえば〈再審の訴えで不服申立をしようとしている判決が、それより前に確定した判決と食い違っていること〉という項目だろうか。

 しかしこれまで述べたとおり、「創価問題新聞」裁判では真実性・相当性に踏み込んだ判断をしているのに対して「東村山の闇」裁判では矢野と朝木の側からのみその主張の根拠に相当性があるかないかのみを検討したにすぎず、背景事実は同一でも裁判そのもの質はまったく異なる。その上に、「創価問題新聞」の判決は「東村山の闇」裁判の後ではなく前なのであり、再審理由として認められている項目には該当しない。

 仮に「行動する保守」Aが2つの裁判の連続性を主張するとすれば、今度は「東村山の闇」判決の方が先の判決である「創価問題新聞」裁判の最高裁判決に違背することとなり、逆に「東村山の闇」裁判の最高裁決定の違法性(最高裁判例違背)を問わなければならなくなる。つまり、どう転んでも再審請求は不可能というほかなく、明代の「万引き冤罪説」と「他殺説」を否定した「創価問題新聞」判決の確定は動かしようもないのである。

「行動する保守」は再審請求が認められ可能性がゼロであることを知っているがゆえに、意味のない最高裁前街宣を挙行したのだろうか。あるいは他の街宣活動と同様に、最高裁に対して拡声器を向けることがなにか現実的効果を生むとでも考えたのだろうか。いずれにしてもこの「行動する保守」と称する者たちは常識的な理解を超えた思考と行動規範の持ち主のようである。

浅慮を感じさせるクロージング

 これまでみてきたように、「行動する保守」一行の最高裁前での街宣行動はもとより、指導的立場にあるAの街宣の内容は裁判制度に対する理解の浅さと我田引水という以上の判決の曲解あるいは捏造に基づくものである。「行動する保守」Aは最後に1枚の紙切れを取り出して読み始めた。しかしその内容もまた、判決文への無理解に基づくもののように思えてならない。しかし、そんなことは毛頭考えていないらしい「行動する保守」Aのクロージングを聞こう。



〈最後にですね、……読ませてもらいます。

 東村山署の副署長であった千葉英司が、万引き事件に関して事実を歪曲し、真実を隠蔽し、書類送検をしないで、あ、隠蔽し、捜査をしっかりしないままに書類送検をした。そして、転落死を自殺であるとして、それを広報した。これは非常に問題である。そして、千葉英司がこの朝木さん、矢野さんが主張した犯人グループの一員ではないかと、そこまで書いた「東村山の闇」というものに対してですね、千葉英司は自分の名誉が毀損されてるということで訴えてたわけですけれども、その訴えは退けられたんです。これは明確にはっきりとさせておかなければならない問題であります。

 千葉英司がいい加減な捜査をし、真実を隠蔽して、捜査をしないで、事実を歪曲したと。これが最高裁で確定したということをはっきりと述べさせていただいて、この映像をユーチューブなどで広めていただきたいと思います。同じように千葉英司に訴えられている西村さんの裁判でも有効な判決でありますので、あえて最後に付け加えさせていただきます。〉



 一言で評価すれば、それなりの齢と人生経験を重ねた人物にしては、はなはだ思慮が足りないというべきだろう。「千葉英司がこの朝木さん、矢野さんが主張した犯人グループの一員ではないかと、そこまで書いた『東村山の闇』というものに対してですね、千葉英司は自分の名誉が毀損されてるということで訴えてたわけですけれども、その訴えは退けられたんです。これは明確にはっきりとさせておかなければならない問題であります。」という部分については、それほど力まなくても判決にあるとおりである。しかしそれ以外の千葉に関する発言は少々慎重さに欠けたのではあるまいか。

「千葉英司がいい加減な捜査をし、真実を隠蔽して、捜査をしないで、事実を歪曲したと。これが最高裁で確定した」などという事実はないし、その他の千葉に関する発言も事実に反する。あるいは「行動する保守」Aは、「東村山の闇」裁判で千葉の請求が棄却されたことで意を強くしたのだろうか。

 しかし、「東村山の闇」とAの街宣とでは表現もその時期も異なるから判断基準も自ずと違ったものになろう。「行動する保守」Aは「『創価問題新聞』判決を読んでいなかった」とはいえないだろうということである。

(つづく)

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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「創価問題新聞事件」最高裁判決 第11回
「創価問題新聞」裁判の最高裁判決後の状況は、9月1日に行われた東村山駅前街宣を含めて、正論をものともしない圧倒的な声の大きさと常軌を逸した行動力、特異な雰囲気からどうしても「行動する保守」一行の動きに気を取られがちだが、最高裁決定によって事件がすべて終わったわけではない。東京高裁が矢野と朝木に連帯して命じた損害賠償金10万円の支払いはどうなっているのだろうか。

朝木に対して10万円余を請求

 その10万円の損害賠償金について、千葉が朝木直子に対して9月2日付で「賠償金支払い方法について」と題する文書を送付し、支払いを求めていることがわかった。請求総額は名誉毀損発生の日から請求日までの利息(年5分)を加えた13万2500円。振込銀行口座を指定した上で、

「平成21年9月16日から同月18日までの間に振り込んでください。」

 と書かれている。

 なお、千葉の請求に先立ち東京地裁が、

〈債権者(千葉)は、債務者(朝木)に対し、この債務名義により強制執行することができる。〉

 とする平成21年8月25日付の執行文を交付している。千葉の朝木に対する請求はこの執行文に基づくものである。朝木が千葉の指定した期日までに賠償金を振り込まない場合にはただちに差押え手続に入るものとみられる。

 連帯債務なのになぜ朝木にだけ請求したのかと奇異に感じる方もいるかもしれない。参考までに説明しておくと、連帯債務の場合でも、債権者は1人の連帯債務者に請求すればよい。その際、連帯債務者は負担割合を当事者間で話し合えばよいのである。

 さて、千葉が送付した文書は9月3日には送達されているものと推測されるが、朝木がすんなり千葉が指定した9月18日までに賠償金を振り込むのかどうか。朝木にはかつて自分の選挙用ポスターの印刷代金を踏み倒した前歴がある(最後は議員報酬を差し押さえられた)から、予断を許さない。

(つづく)

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第2回朝木明代追悼街宣(前編)
学習した「行動する保守」

 まさかと思ったが、「行動する保守」が今年もまた9月1日午後5時から、東村山駅前で「朝木明代追悼街宣」を行うという。「行動する保守」Aが告知をしたのは街宣前日の8月31日である。前日の告知である上に9月1日は平日だから、夕方開始とはいえどれほどの人数が集まるのか、さすがに去年ほどの人数は集まらないのではないかと思っていた。

 ところが9月1日、街宣が始まる午後5時になると東村山駅東口には私の予測を超えて30名ほどの聴衆が集まっていた(ただの支援者とも見物人とも敵対者とも見えない4、5名を含む)。私にはよく理解できないものの、さすがに「行動する保守」の指導者ともなると、普通の社会人ならとても間に合わない時間帯であろうと、これほどの支援者や捜査関係者を集めるほどの影響力があるということなのだろう。

 ただきわめて不自然に思われたのは、「行動する保守」Aが街宣を始めたとき、地元での街宣であり、議会も午後3時には終わっているというのに明代の「万引き冤罪説」と「他殺説」の発信源である東村山市議の矢野穂積と朝木直子がまだ姿を見せていなかったことである。

 なお、午後2時40分ごろに朝木が駅前に来ていたという目撃談がある。その時間には「行動する保守」のカメラ撮影担当の支援者など4、5名がすでに来ていたから、朝木は街宣開始時には何か所用があるとでも伝えに来たのだろうか。

「行動する保守」による第2回「朝木明代追悼街宣」はAの街宣によって始まったが、私は混乱を避けるためにロータリーの端にいたため、内容はほとんど聞き取れなかった。のちに彼らがアップした動画をみると、「真相究明」という点では去年の街宣からは何の進展もなかった。創価学会との関連を匂わせ、あるいは断定する者もいたが、いずれも騒ぐだけでなんら客観的根拠のない妄想のたぐいである。

「行動する保守」Aにしても昨年は「内部告発者の存在」を根拠に「他殺説」を主張したが、今年はなぜか「内部告発者」の話題には一言も触れなかった。また、1カ月前に最高裁前で行ったように「最高裁が他殺と認定した」という主張もなかった。いずれも事実なら「真相究明」には重要な話だと思うが、「行動する保守」Aにもそれなりの判断と思惑があって触れなかったのだろう。あるいはこの1年の間に少しは学習でもしたのだろうか。

姿をみせなかった矢野と朝木

 私が第2回「朝木明代追悼街宣」の取材にやって来た理由は、「行動する保守」らの街宣を見物すること以外にもう1つあった。朝木明代が万引きを働いた洋品店に対して、「行動する保守」らが再び襲撃する可能性があると考えていたからである。街宣内容も聞き取れず(たいした内容があるとも思えなかった)、街宣開始から30分が経過しても矢野も朝木も姿を見せないので、私は途中から洋品店の警戒に切り換えた。

 すると、街宣の途中で街宣の場所から集団ではなく1人2人単位で洋品店方面に向かう者がいた。途中、2人のうちの1人が私に気安い様子で声をかけてきたので跡を追いながら「誰だ」と名前を聞いても彼らは答えなかった。私はそのまま彼らの様子をうかがったが、2人は洋品店前まで行ったが騒ぐこともなくロータリーへ引き返した。私が「矢野と朝木は来ないのか」と聞いても返答はなかった。彼らにしても、矢野と朝木が来ないのはおかしいと薄々感じていたのかもしれなかった。

「行動する保守」による第2回「朝木明代追悼街宣」は開始からわずか1時間後の午後6時過ぎ、早くも終了した。街宣の主役として参加していなければならないはずの矢野と朝木はついに最後まで姿を見せなかった。わずか1時間を割けないほどの重要な用事があったのだろうか。いずれにしても去年、午後1時30分から午後6時近くまでたっぷり4時間30分もかけたことに比べればいかにも尻すぼみの感は否めない。「行動する保守」にしても、矢野、朝木という主役が来ないのでは意気が上がらないのも無理はあるまい。

 しかし、街宣は終了しても彼らはすぐには改札口には向かわず、まだ未練がましくロータリーにたむろしていた。「行動する保守」としてあまりの盛り上がりのなさに物足りなさを感じている風情だった。

 そのとき千葉と私の念頭にあったのは去年の万引き被害者に対する襲撃事件のことである。今年も彼らは「万引きはでっち上げ」と主張していたし、去年千葉によって入店を阻止されたことを根に持って報復に出ないともかぎらない。「行動する保守」がまだ東村山駅周辺にいる以上は、こちらも帰るわけにはいかないと私たちはある程度の持久戦を覚悟した。1人の東村山市民から「Mが洋品店に向かった」と携帯に連絡があったのはその直後だった。

(つづく)

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第2回朝木明代追悼街宣(中編)
「情けない右翼」

「Mが洋品店に向かった」という連絡を受けたとき、私は洋品店の裏側を見回っていた。すると連絡どおり、「行動する保守」Mがまさになにかの決意を固めた様子で洋品店の方向に向かっていくのが見えた。ただちに店の前の通りに出て後を追うと、千葉が店先でMと対峙していた。Mの後方には2名の制服警官と公安らしき人物数名がいて、彼らもMを店先から引き離そうとしていた。千葉はMにこう警告した。

千葉  ここはお前の来るところじゃない。

 するとMは、こんなおもしろいセリフを吐いたのである。

  買い物に来たのになぜ入れない。

 Mはそういいながら、店先に吊るした商品を選ぶフリまでしてみせた。店に来たからといってすべての人間が買い物目的で来るわけではないことを、店側も私たちも経験的に知っている。平成7年6月30日、矢野と朝木明代もこの洋品店に現れたが、彼らの目的は買い物などではなく女性店主を脅すためだった。昨年9月1日、日の丸やプラカードを掲げて大挙して押しかけたのも、もちろん買い物をするためではなかった。「万引き捏造を許さないぞ」などと大声で騒いだ連中の中でも、店内に入ろうとするなどしたMが、いまさら「買い物だ」などといったところで通用しない。

 傷害事件を起こして服役し、刑期を終えたヤクザが被害者の家の敷地内に侵入すれば、それだけでお礼参りとみなされ、ただちに逮捕される。Mが洋品店にやってきたこともお礼参りにほかならず、それが「行動する保守」の誰であろうとお礼参りとみなされてもやむを得ないのである。

 しかも「行動する保守」Mは千葉に対し、「万引き捏造の追及」あるいは「真相の究明」という大義名分さえも口にすることができなかった。商品を選んでいるフリをするMに対して千葉はこういった。

千葉  情けない右翼だな。

 街宣では「万引き捏造」を主張して果敢にも店に向かったのはいいが、いざ店に行けば「万引き捏造の追及」ともいえず「買い物」とは、まさしく右翼としては情けないかぎりである。Mはそもそも自分で調査し、自分になりに考えた結果ではなく、矢野の主張を妄信し、「冤罪」を主張しているにすぎない。だから、Mはもともと何かを究明するために洋品店に行ったのではないということである。

 ではMは何のために洋品店に行ったのか。去年、千葉によって入店を阻止されたことに対する腹いせ、お礼参り以外には考えられない。なぜなら、報復でないとすれば「万引き捏造の真相究明」以外に洋品店に行く目的はなく、それが目的だったとすればMは「買い物に来た」とはいわないはずなのである。Mはお礼参り目的だったがゆえに「買い物に来た」と強弁したということになろう。去年Mは千葉のおかげで刑法に触れずにすんだのだが、Mにはそう考えることはできなかったらしい。

 土壇場で堂々と自分の意見を表明することもできないくせに、非も認める度量もない。その意味では「行動する保守」とはまさに「情けない右翼」であるということをこの日の街宣は実証したといえる。

 Mとちがって「行動する保守」Aはこの日の街宣が負け犬の遠吠えにすぎないことを自覚していたのか。「行動する保守」Aが洋品店に向かったMを放置して自分だけは洋品店に行かなかったのは、さすがに指導者だけあって賢明な判断だったというべきだろう。「行動する保守」Aが街宣終了後に未練がましくロータリーに残っていたのも、街宣がことのほか盛り上がりに欠けたというだけでなく、矢野も朝木も参加しなかったことの意味を自分自身に言い聞かせるために必要な時間だったのかもしれない。

聞かされていない不参加の理由

 翌9月2日、東京地裁立川支部で千葉が「行動する保守」西村修平を提訴していた裁判の第5回口頭弁論が開かれた。千葉とともに10分前に法廷の前に行くと、「行動する保守」の一行がすでに法廷前に集まっていた。立川駅前で街宣してきた割りには人数が少ないなと感じた。「行動する保守」Aは街宣には参加していたらしいが、法廷前にその姿はなく、結局、その日の法廷には姿をみせなかった。

 私にはある疑問があった。矢野と朝木は昨日の街宣になぜ来なかったのかということである。その理由を「行動する保守」一行はどう聞いているのか。開廷までにまだ時間があったので、私は一行の中の1人に聞いた。「行動する保守」の街宣には必ず参加し、おおむねいつも街宣者の後方で日章旗を持ち、いかめしい表情で周囲ににらみをきかしている人物である。ここでは仮にKとしておこう。Kはあまり乗り気ではなさそうだったが、私の質問に答えてくれた。



――矢野と朝木は昨日なぜ来なかったんですか。

  議会があったんじゃないですか。

――議会は午後3時に終わってるんだよ。「逃げた」ということなんじゃないの?



 Kは浮かない顔をして、もう何も答えなかった。Kは毎回欠かさず街宣に参加している主要メンバーであるにもかかわらず、最も重要な街宣の1つである朝木明代追悼街宣に当事者であり遺族である矢野と朝木が参加しない理由を聞かされていなかったのか。だからKは、議会があったから参加できなかったと理解していたのだろうか。

 仮にそうだとすれば、街宣参加メンバーに矢野と朝木の不参加理由を伝えないこと自体、一行が矢野と朝木の不参加になんらかの不満あるいは不信感のようなものを抱いたということを示しているのではあるまいか。なんらの不審も感じなかったとすれば、当事者が参加しない理由ぐらいは主要メンバーには伝えるのが自然だろう。

 しかし「行動する保守」に矢野と朝木に対する不信感が芽生えていたとしても、複数のメンバーが提訴された今となっては、不信感を表沙汰にするわけにもいかないというところなのではあるまいか。提訴されれば応訴しなければならず、応訴するには矢野と朝木の力を借りなければならないのである。「行動する保守」Aに通常の判断力があれば、ジレンマを感じていなければおかしい。

 矢野としても、ここまで「行動する右翼」らとの関係を深めてしまった以上、無下にはしごを外すのも難しかろう。「週刊現代」は(取材姿勢は別にして)一応社会常識の範囲をわきまえているが、「行動する保守」の場合にはその行動規範は一般とは異なるように思えてならない。矢野と朝木も「行動する保守」をおだてる一方、今後どう距離を保っていくか腐心しているというところなのではあるまいか。

(つづく)

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第2回朝木明代追悼街宣(後編)
矢野と朝木に代わり傍聴席を撮影

「行動する保守」の中には、右翼らと距離を置きたいと考えているようにみえる矢野と朝木の本音をまったく疑っていないと見える人物もいる。「行動する保守」Aが「若手のリーダー」と高く評価している法律関係の国家資格保有者D(法律家といえるかどうかは定かではない)である。西村裁判の2日後、東村山市議会本会議をDが仲間とともに傍聴に来た。その日は矢野と朝木の一般質問の日だった。なんらかの応援に来たものとみられた。

 ただやはり、「行動する保守」の応援の仕方は常識とは大きくかけ離れていた。Dらは傍聴席の右翼に陣取り、午前10時に矢野の一般質問が始まるとビデオ撮影を始めたが、そのうち傍聴席をぐるりとなめ回すように動かしたのである。以前にも「行動する保守」Aとその弟子が東村山市議会を傍聴に訪れた際、傍聴席を撮影し、無修正のままインターネット上に公開して議会で問題視されたことがあった。指導者が指導者なら、その薫陶を受けた「若手のリーダー」も、議会で一般市民の傍聴の権利を脅かすのが右翼だと考えているのか。たまりかねた傍聴人の1人が議長にこう注意喚起した。

「あちらの傍聴人が傍聴席を撮影しています。やめさせてください」

 すると、矢野はすかさず議長にこういった。

「(傍聴規則には傍聴人が傍聴席の撮影を)やってはいけないとは、書いてはいない」

「宇留嶋だっていつも動画を撮ってるだろう」

 この議員もまた、傍聴人が傍聴の権利を脅かされてもかまわないと考えているようである。「草の根市民クラブ」とは、どういう「人権派」「庶民派」なのだろう。あるいは、今問題とされているのが撮影行為そのものではなく、撮影したのが議場なのか傍聴席なのかであるということが矢野はわかっていないのだろうか。

 いずれにしても、矢野のこの発言はDが傍聴席を撮影していたことを認めたということであり、傍聴席を撮影することを容認したということである。また、それまで質問していた矢野にDがそれまでどこを撮影していたかを確認できる可能性はきわめて低く、ということは矢野と朝木はDがどこを撮影するかを事前に知っていたということになると理解できるのではあるまいか。

 Dが傍聴席を撮影することを矢野と朝木が知っていたとすれば、市会議員として注意すべきだろう。ところが注意するどころか、傍聴席の撮影を容認するとは、やはりこの2人の市会議員も尋常ではない。

 かつて矢野は議場から傍聴席を撮影して議長から注意され、朝木は平成21年6月議会の開会中に傍聴人を撮影して議長から注意されたばかりである。その矢野と朝木がDの傍聴席の撮影を事前に知りながら容認したということは、自分たちの撮影行為を非難されたことに対する逆恨みの気持ちでもあったのだろうか。矢野の発言は市会議員としては常識ではあり得ない発言で、逆恨みの気持ちがあったとしか考えられまい。

 Dらの傍聴席の撮影をめぐり、議長はただちに本会議を中断し議会運営委員会を開いた。浦安からやってきた「行動する保守」Dは傍聴席を撮影したことによって東村山市議会の議事進行を妨害したということになる。議員の委員以外は議場を出て控室に戻ったが、その際Dらが矢野と朝木の控室に入って行ったのが目撃されている。

 議会が再開され、議長は傍聴規則を確認しただけで特にDらに注意することはなかった。Dらもその後、傍聴席にはレンズを向けなかった。Dは「行動する保守」Aから「若きリーダー」と高く評価されているだけあって、注意されれば理解できないことはないのである。法律関係の国家資格を持ちながら、なぜこの程度の常識しか持ち合わせていないのかという疑問も当然だろうが、その後の傍聴態度の変化はそれなりに評価してやるべきだろう。

矢野に酷似した準備書面

 さて、その日、市議会本会議は4時前には閉会したが、「行動する保守」Dはその後再び「草の根」の控室に行き、夕方まで矢野、朝木と懇談していたようである。朝木明代追悼集会に顔を出さないなど、矢野と朝木は「行動する保守」一行から距離を置こうとしているように感じられるが、「行動する保守」一行の中でもとりわけDは矢野と朝木に尻尾を振ってついていこうとしているようにみえる。

 どんな事情があるのかは定かでないが、私がDとの裁判の過程で感じていたことが1つだけある。提訴後、Dは当初さいたま地裁川越支部から千葉地裁への移送を申し立てた。この申立の間は、Dの主張内容を除けばなんらの違和感もなかった。

 ところが本訴開始後、明らかにその文体、言い回しなどに変化があると私は感じた。Dが提出した書面は矢野の書面にきわめてよく似ていたのである。本訴開始後、矢野が準備書面の代筆を引き受けたものと私はみている。もちろん矢野がDに代わって準備書面を書いたからといってなんらの違法性もない。

 そんな事情もあって、Dは矢野と朝木にしきりに尻尾を振っているのではあるまいか。ただ、仮に矢野がDの準備書面を書いてやっているとしても、そもそも元をただせばDが提訴されたのは矢野と朝木のデマに起因しているのだということを、はたしてDがどこまで認識しているのか。いずれにしても、矢野がDの準備書面の作成に関与していたとすれば、6月にDが矢野の作成した「北多摩市民新聞」のポスティングのために、浦安から電車を乗り継いで東大和や武蔵村山までやって来た事情も理解できよう。

 事実かデマかを見誤ったD自身の不明は否定しようもないが、仮にDが準備書面を書いてもらっていることで矢野と朝木に恩義のようなものを感じているとすれば、その判断もまた誤りである。Dはますます深みにはまっていくことになるのではなかろうか。

「行動する保守」Aは指導的立場にある者として、「若手のリーダー」と評価するDが矢野の虚妄に取り込まれていくのを黙って見ていていいのか。このままでは若くして人生を棒に振りかねまい。

 本会議終了後、私は千葉とともに洋品店周辺の警戒にあたった。そのころ「行動する保守」Dとその仲間はまだ「草の根」の控室に残っていた。駅に向かう途中、Dらが矢野と朝木に代わり、洋品店にお礼参りに行かないともかぎらないと考えたのである。

 しかしその日、洋品店の周辺で彼らの姿をみかけることはなかった。数の威力を借りられないからでなく、何をしてはいけないかを少しは理解した結果であるのならこの上ないことである。

(了)

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「創価問題新聞事件」最高裁判決 第12回
「若手リーダー」の確信

 平成21年7月24日、最高裁前で行われた「行動する保守」一行による街宣活動では「行動する保守」の指導者Aに続き、Aが「若手のリーダー的存在」と宣揚する法律関係の国家資格保有者(弁護士資格ではない)であるKやかつていわゆる新右翼と呼ばれている団体に属していたMも街宣を行っている。

 まず法律関係の国家資格保有者であるKの街宣をみよう。



「万引きを苦に自殺」と大宣伝している連中は、じゃあ、実際に朝木さんが万引きをしていなかったら、「万引きを苦に自殺」という論理自体が破たんすることを恐れているわけですね。

 ですから、どうしても万引きをしたということを定着させなければいけない。しかし、客観的真実に反する万引き事件などというものはですね、存在しないんですよ。だから、万引き事件を無理やりにでも事実化するために、裁判所を悪用している連中がいるわけです。

 もう一度いいますよ。朝木さんは当時、万引き事件が発生されたとされる日の服装は、万引き被害を申告した洋品店の店主の服装と異なるんです。まったく違うんですよ。それをね、客観的真実に反する事実認定をやったのが東京高裁民事7部、大谷禎男裁判長ですよ。その無茶苦茶な事実を書き換えた犯罪行為に等しい判決を、最高裁はそのまま追認しちゃったんですよ。これは最高裁の罪ですよ。

 最高裁の罪、いいですか、このね、万引きをしていない朝木さんに関しては、その証拠もあるんですよ。その証拠というのは、当日、万引き事件の当日にATM、銀行のATMの防犯カメラに朝木さんの姿が映っていたんです。それをですねえ、警察は捜査報告書に添付したんだけれども、写真の内容と目撃者の服装の証言がブレてるから、朝木さんが犯人じゃないっていう証拠になっちゃうんですよ。

 だから警察は、いつまでたってもこの捜査報告書に添付した写真というのを出してこないんですね(汚ねえ)。自分たちに都合が悪いから出さないんですよ。服装が違うんだから同一人物なわけないでしょ。

 それをですよ、この最高裁が追認しちゃった高等裁判所民事7部はですね、いいですか、朝木さんの遺族が作った「再現写真」ですね、銀行のATMの写真を捜査報告書にですね、検察が添付した、その検察官がですよ、実は創価学会の検事も混じっておりましたが、検察官が朝木さんと矢野さんに見せたんですよ、その銀行の写真を。それを朝木さんたちが再現したんですね、同じ服を着させて、同じATMを使ってやったんです。にもかかわらず、この民事7部、高等裁判所民事7部の大谷禎男はですよ、朝木さんと矢野さんがそのATMの「再現写真」を作るための元写真である銀行の写真を見せてもらえなかったなんていうとんでもないことをいってるんですよ。

 おかしいでしょ。彼らは検察官に2度にわたって、2度以上だったな、複数回にわたって写真を見せてもらってるんです。それを見ていないなんていうことをこの大谷禎男はいってるんですよ。とんでもないでしょ、これ。


「万引き事件を無理やりにでも事実化するために、裁判所を悪用している連中」とは具体的に誰のことを指しているのかはわからないが、「行動する右翼」Kの主張を要約すれば、万引き事件当日の明代の服装は目撃者の服装とは異なっていた、それは矢野と朝木が作成した「再現写真」と異なっていることからも明らかである、したがって明代は万引き犯ではない――ということになろう。この主張は、矢野と朝木が作成した「再現写真」の服装が当日の明代の服装と同一であるという証明がなされた上ということなら十分な合理性があるものと評価できる。

意味をなさない地裁批判

 続いて「若手のリーダー」Kは、司法解剖鑑定書に記載された「上腕内側部の皮下出血の痕」について言及している。



 しかも、この東京高裁の判決のもとになっている東京地裁、この判決もひどかった。朝木明代さんはですね、死んだときに両腕の内側につかまれた痕があったんですよ、つかまれた痕がね。両腕内側、これは両腕内側のアザのサイズからいって、自分でつけるサイズは無理なんです。自分の腕を自分でつかめば親指が内側に当たりますねえ。犯人がつかむから内側に5センチとか7センチの青アザができる。この青アザを東京地裁は何といったか。「他人と揉み合ってできる以外に」、これすごいんですよ、もう。日本語がはちゃめちゃなんだよ。

 いいですか。「他人と揉み合うという状況以外に、自分以外の者から腕を強くつかまれるという事態がいっさい生じたことがなかったと認めるに足りる証拠もなく」、みなさん、これ理解できますか。日本語じゃないんだよ、これは(朝鮮人だ。裁判所は出てこい)。

 これでたぶんね、いいたいことはどういうことかというと、自分以外の他人から、揉み合うだとか犯罪的行為以外にね、アザをつけられることがないとはいえないっていってるんですねえ。どういうことですか。この中にですよ、日本人のみなさんに聞きたいんですよ。普通に生活してて、他人に腕をつかまれてですよ、もめなくて、腕の内側にアザつけられることなんてあり得ますか? (あり得ません)

 あり得ないでしょ。こういうむちゃくちゃな事実認定、これ2つもむちゃくちゃな事実認定があるんですよ。写真を見てるのに「見てない」だとか、アザがですねえ、他人につけれらる可能性がないとはいえないとか、揉み合う以外にあり得るみたいなことをいってるんですよ。こんなむちゃくちゃな判決をそのまま通すというこの最高裁の、あまりのダメぶりにですねえ、私は開いた口がふさがりません。



 平成21年7月3日に確定した「創価問題新聞裁判」判決とは高裁判決であって地裁判決ではない。だから最高裁判決確定後に論評の対象とされるべきは高裁判決で、一審の地裁判決をどう批判したところで現実的にはなんらの意味もなさない。

 まさかそのことを、法律関係の国家資格保有者であるKが知らないことはないだろう。いずれにしても、東京地裁判決にしろ東京高裁判決にしろ、「上腕内側部の皮下出血の痕」について判示しているのは、その生成原因について第三者につかまれた以外の可能性を否定できないというのがその趣旨である。

 したがって、Kが明代の遺体に残された「上腕内側部の皮下出血の痕」が第三者(犯人)につかまれた痕と主張したいのなら、その明確な根拠を示した上で、地裁判決なり高裁判決なりを批判すべきである。するとこの「行動する保守」Kは、やはり法医学の権威である名誉教授の「鑑定書」程度のもので、「上腕内側部の皮下出血の痕」が第三者によってつけられたことを明確に証明すると考えているということなのだろう。

与えられた主張の場

 ところで、「行動する保守」一行が最高裁前街宣を行った7月24日という時期は、この「若手リーダー」と右翼Mが6月14日に東村山で行った街宣などをめぐり創価学会から提訴された(7月14日)10日後のことだったことが判明している。矢野と朝木は「東村山市民新聞」の記載をめぐり創価学会から提訴された際、「むしろ真相究明ができる」と強がったものだった(結果は200万円の賠償命令)。矢野と同じ立場に立たされた「行動する保守」も八王子や東村山だけでなく最高裁前で「万引き冤罪」と「他殺」を主張した以上、法廷でも逃げることなく同じ主張をするものと思う。

 街宣では捜査機関からも裁判所からもまともに相手にしてもらえないが、裁判となれば話は別である。「開いた口がふさがらない」という最高裁判決についても、街宣のとおり主張すればよい。(結果は別にして)その主張に合理性があるのかどうか、正当性があるのかどうか検討してもらえよう。準備書面を誰が書いたかを問われることはあるまいが、街宣とちがって裁判所では数の威力も声の大きさも、シュプレヒコールも何の役にも立たないことだけは十分にこころしておくべきである。

(つづく)

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「創価問題新聞事件」最高裁判決 第13回(最終回)
再び犯人を名指ししたM

 最高裁前では「若手リーダー」のKに続き、Kとともに創価学会から提訴された東村山街宣の主役Mも街宣を行った。発声の明晰さ、聞き取りやすさにおいては「行動する保守」一行の中でもKと双璧をなす逸材である。



 さる7月3日、出されたこの最高裁判決は、あくまでもこの謀殺事件をあくまでも自殺というふうに処理したとんでもない判決であるということは明らかであります。この判決を出した最高裁判所裁判長、今井功、出てきなさい(出てこーい)。裁判官中川了滋、裁判官古田祐紀、裁判官竹内行夫。こういった手合いがきちんとした審判をせぬままに、100%創価学会のいいなりとなって、そうなる判決を出してる。

 この朝木明代東村山市議会議員の死というものが、どうして自殺と片づけられるのですか(そーだー)。数々の物証、そして状況証拠からいっても、まぎれなくこれは創価学会による犯罪ということが……とおりです(明らかだー)。朝木明代市議会議員は、明らかに創価学会によって殺されたんだー(そうだー、殺されたんだー)。

 そう考えるのが普通なんです。常識的な見方なんです。それがいま世間によって大きなうねりとなって、時効を1年後に控えて世間の注目を集めている。どうか日本の司法というものも、世間の感覚、遺族の心情、思い、常識というものにのっとった判決をしてもらいたい。



「朝木明代市議会議員は、明らかに創価学会によって殺されたんだー」と思い切った断定をしながら、「そう考えるのが普通なんです。常識的な見方なんです。」と続けたあたりはトーンダウンとも見えるかもしれないが、これはMの最高裁への気遣いだろう。いかに「行動する保守」運動が正当なものでも、司法の最高意思決定機関に対して頭ごなしに叱りつけたのでは最高裁のメンツ丸潰れとなる。そこでMは、最高裁の社会的立場を考慮し、最高裁が自主的に考えを改める猶予を与えるといういい方をしたのではあるまいか。

 最高裁がMの気遣いに気づいたかどうかは別にして、M には法廷で主張する機会を与えられたのだから、「情けない右翼」などといわれないためにも、最高裁街宣の根拠を堂々と主張することを期待したい。「言論弾圧だ」などという論点の異なる主張はそれからでもいっこうに遅くない。「行動する保守」の論客の1人として、先走って論点をいたずらに増やすことは支援者のためにも慎むべきではあるまいか。

提出された抗議文

 最高裁前の街宣という珍しいイベントの締め括りに登場したのは、「行動する保守」の指導者の1人である右翼Nである。NはMの気配りを無視して次のようなシュプレヒコールを先導した。



デタラメ判事は出でこーい(出てこーい)。

国民を愚弄した能なし判事は、出てきて国民に謝罪しろー(謝罪しろー)。

デタラメ裁判官は、出てきて子どもたちにも謝罪しろー(謝罪しろー)。

見学に来た日本国民に、デタラメ判事は土下座して謝罪しろー(謝罪しろー)。

デタラメな判決を下した最高裁判事は、見学に来た国民に土下座して謝罪しろー(謝罪しろー)。

謝罪しろ(謝罪しろー)。



 ちょうど街宣の最中、見学者とおぼしき一行を乗せた観光バスが最高裁に入った。シュプレヒコールに「見学に来た日本国民に」「見学に来た国民に土下座して謝罪しろー」という文言をアドリブで2度も入れたのは、内容はともかく、さすがに街宣慣れした論客だけのことはある。シュプレヒコールの興奮が静まるのを待って、Nは続けた。



 ただいまより抗議文を読み上げる。

〈平成21年7月3日、最高裁は今井功、中川了滋、吉田(古田)祐紀、竹内行夫各裁判官の合議でもって、事件表示平成21年第831号事件、いわゆる東村山女性市議、朝木明代さん謀殺事件を、朝木明代議員が万引きを苦にした自殺とする虚構の判決を下した。

 われわれ一国民として、万引きが限りないでっち上げであることを知っている。カルト教団と東村山署元副署長、千葉英司の言い分は、朝木議員の自殺の動機が万引きであるとするが、この万引きが具体的証拠資料の見分で、限りないでっち上げであることは否定のしようがないのである。

 民事訴訟の大原則は弁論主義である。事実に基づく証拠の照らし合わせでもって、万人が納得ゆく判決を下すのが裁判所であり、その最終的な番人が最高裁である。ところが最高裁はこのたびの判決で、司法鑑定書ならびに写真などなどなど決定的証拠資料をはなから無視して、殺人を自殺にすり替える虚構をしでかしたのである。最高裁判所の課された使命と義務を放棄したのである。

 国民を裏切ってカルト教団創価学会に肩入れした最高裁判事を許すわけにはいかない。カルトに屈伏した最高裁は司法の番人ではなく、国民に対して敵対的存在に転化したといわざるを得ないのである。

 最高裁判所は象牙の塔ならぬ司法の塔に安住し、法の独断的運用をほしいままにしている。法の専門家を気取って、国民を蔑視、愚弄する判事を国民はもはや放置することはできない。独裁を演じる最高裁判事を国民の前に引きずり出さなければならないのである。

一 今井功、中川了滋、古田祐紀、竹内行夫の各判事は、殺人を自殺にすり替えた論拠を国民に釈明せよ。

一 上記4人の判事は、カルト教団への肩入れ判決自己批判し、国民に謝罪した上で退職金を全額返上して退陣せよ。

平成21年7月24日

主権回復を目指す会、せと弘幸ブログ「日本よ何処へ」、日本を護る市民の会〉



 抗議文の主張内容の当否についてはすでにこの連載で述べてきたので繰り返さない。

 Nが抗議文を読み上げたあと、一行は勇躍最高裁に乗り込んでいった。そこまではよいが、この抗議文がその後どう扱われたのか、なんらの報告もないのはどういうことなのか。最高裁も多数の案件を抱えているので、回答は半年ぐらい先なのかもしれない。

 いずれにしても、この抗議文の差出人は「主権回復を目指す会」「せと弘幸ブログ『日本よ何処へ』、「日本を護る市民の会」の連名となっている。すると、抗議文の内容を東村山街宣で端的に表現したMとKが創価学会から提訴された件についても、差出人の代表であるAやNも協力を惜しむことはないだろう。とりわけ「行動する保守」一行を東村山事件に巻き込んだ張本人とみられる指導者Aは国民の利益のためにも、「内部告発」の内容についてもはや出し惜しみすべきときではない。

(了)

 なお、千葉が9月2日付で朝木に対し、損害賠償と延滞金の計13万2500円を「9月16日から18日までの間」に支払うよう請求していた件は、9月7日、朝木から振込があったことがわかった。



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西村修平「婚外子」差別発言裁判 第4回
関係者の苦労を軽視した発言

 外務省主催の「人種差別撤廃条約の実施状況に関する要望・意見」を求める意見交換会において、出席者の女性が名誉を毀損されたとして「主権回復を目指す会」の西村修平を提訴していた裁判は平成21年9月7日、第4回口頭弁論を終えた。この間、被告の西村は東京地裁前の街宣で「婚外子問題について意見を述べただけでなぜ訴えられなければならないのか」と主張し、提訴の不当性を訴えている。

 西村が原告に対する名誉毀損発言をしていなければ名誉毀損は成立しないことは明らかである。したがって、裁判ではまず西村の発言に原告個人に向けたものがあったのかなかったのかが重要な争点となろう。では、原告の女性は西村が原告に対してどんな発言をしたと主張しているのか。原告が証拠として提出した当日の反訳をみよう。



西村  あんた、だから、そのさっきの婚外子の問題でもね、なんで婚外子の問題が人種差別の問題なんだよ。これ個人の不倫の関係で生まれたアレだ、不貞の子どもでしょう。

原告  何をいってんですか。誹謗中傷でしょう。本当に誹謗中傷でしょう。

西村  誹謗中傷って、誹謗にならない。

原告  誹謗中傷だよ。

課長  そろそろ時間ですので、発言を控えてください。

会場(女)  見解の相違だ。

原告  あなた、婚外子に対する人権啓発をしないから、こういう場でとんでもない差別発言が出ているじゃないか。どう責任取るんだ、法務省。

課長  すみません。発言、発言、発言を控えていただけますでしょうか。

原告  はい、差別されて当然だっていってるよ。謝罪させてくださいよ。

課長  静粛にお願いします。

原告  静粛じゃないですよ。差別発言でしょ、あれは。

会場(女)  婚外子差別は人種差別じゃありません。

原告  ばかな。

右翼  人をばかっていっちゃだめだよ。

原告  ばかとはいっていない。

M  正式に謝罪を求めます。

西村  謝罪しない。世界の常識だ。不倫の子どもは差別される。

原告  はははは、みてごらん。

  すみません、個人を対象に発言されたということでみなさんご認識されておられますよね。あくまでこれは意見交換会の場ですので、個人に対する、やはり今のは、私は差別です。謝罪を求めます、はい。

西村  謝罪しない。

  謝罪してください。

右翼  必要ない。

  謝罪させてください。

原告  させてください。世界で差別されて当たり前だといってるんですよ。

課長  静粛、静粛にお願いします。

原告  国は社会的差別を、婚外子に対する社会的差別を認めてるんですか。

西村  終わったあとに、も1回話しような。



「なんで婚外子の問題が人種差別の問題なんだよ。これ個人の不倫の関係で生まれたアレだ、不貞の子どもでしょう」という西村の発言が「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」における「人種差別」という文言の意味を理解していないものであり、婚外子に対する無理解に基づくものであることは明らかだろう。

 それだけでなく、婚外子差別問題に長年取り組んできた人たちあるいは否応なく婚外子という境遇に置かれた人たちにとって、西村の発言はたんなる無知や無神経ですまされるものではなかったろう。意見交換会における「人種差別」の意味さえ知らないまま出席したこと自体失礼であり、まして婚外子を「不貞の子」と決め付けるなど、婚外子という運命を背負って生きてきた人たち、差別の撤廃を目指して戦ってきた人たちの人生を無視するものであり、踏みにじるものである。

 この意見交換会は「あらゆる形態の人種差別の撤廃」を目指すという共通の前提で進められるはずのもので、どんな意見でも許されるという性質のものではないし、差別発言が出ることなどあってはならない。西村の発言に対して謝罪を求める声が上がったのは当然と理解できよう。

(つづく)

※「創価問題新聞事件」最高裁判決第13回(最終回)に一文を追加しました。

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