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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平「婚外子」差別発言裁判 第5回
街宣では発言を否定せず

 意見交換会はその後、西村の発言をめぐり謝罪を求める声と西村らが激しく対立して収拾困難となり、そのまま流会となる。原告の主張する西村の誹謗中傷があったのはその直前である。反訳をみよう。



原告  不倫の子どもは差別されて当然だって発言は許されるんですか、実際上。はっきりさせてくださいよ。
法務省課長  いずれにしても最後にまとめて発言しますので。

右翼  法務省は発言する必要ないぞ。

原告  ほーら、そんなこといってる。

西村  真実だからな。

課長  発言を控えてください。

原告  真実だっていってるよ。差別されて当然だっていってるわよ。真実だっていってます。どうなんです?

西村  街の中歩けんのか。

原告  どうなんです? あなた今、街の中歩けんのかっていってますよ。

西村  私生児が、私生児が。

原告  ほら、私生児なんていうのは差別語でしょ。どうするんですか。どうするんだ、法務省。

西村  何回でもいってやる。私生児だ。

原告  ほら、どうするんです?

西村  何回でもいってやる、私生児。



 意見交換会はその後ほどなくして流会となるが、「私生児が、私生児が」という発言が西村によるものだとすれば、西村の発言はたんに婚外子問題に対する意見を述べただけのようには思えない。原告は一連の発言について西村から面と向かっていわれたと主張し、当日の録音テープも証拠として提出している。

 なお第1回口頭弁論が開かれた平成21年4月15日、「行動する保守」一行とともに東京地裁前で行った街宣で西村は原告に対してこう主張している。

〈日本にはねえ、社会的に私生児だなんて差別されるようなそんな社会はないですよ。差別、私生児だ、めかけの子だ、仮にそんなことね、耳に入ってきたってさらりと聞き流せばいいじゃないですか。〉

 この裁判の最も重要な争点の1つは、西村が原告に対して「私生児」という言葉を投げつけなかったのかどうかである。街宣では誰が「私生児」と発言したのかについて明示されていないものの、暗にそれが自分の発言であることを認めているようにも聞こえる。いずれにしても、答弁書において「そのような発言はしていない」と主張している西村が、街宣においてなぜ発言そのものを明確に否定しなかったのか不可解である。

 ところで、「私生子(=私生児)」とは明治民法において、家制度という秩序の中で家の跡継ぎ候補として「公に認められた子」を意味する「公生子」にとともに、それに対して「公に認められない子」を意味する言葉として造られた造語である。当時は妻の産んだ子を「嫡子」(=公生子)と称し、配偶者のいない女性が産んだ子を「私生子」と称した。「私生子」には家督相続権はないが、「私生子」を父が認知すると「庶子」と称されるようになり、「嫡子」とともに「公生子」となり、家督相続権を与えられた。ただ、父から認知されて「庶子」となっても、母との親族関係は「私生子」にとどまるという複雑さがあった。これは父の家の都合でいつでも子を母から引き離せるようにするためだったといわれている。

 もともと「公生子」と「私生子(=私生児)」は対をなす言葉として存在していたが、「公生子」はしだいに忘れ去られ、「私生子(=私生児)」という言葉のみが今も命脈を保っている。これは「私生子(=私生児)」という言葉が長い間差別語として使われてきたことが1つの理由だろう。

 しかし、子が自分の出生前の父母の行動について責任を負わされる理由はなく、「私生子(=私生児)」という言葉は「子にとって不名誉である」という理由で昭和17年に民法から削除されている。したがって現在の日本において、他人に向けてこの文言が投げつけられた場合には、その人物を侮辱し誹謗したことになると理解できよう。

 まして、「何度でもいってやる」としてこの文言が繰り返し使用された場合には誹謗目的性は明らかで、この裁判においてその名誉毀損性を否定することは困難なのではあるまいか。なお西村はこの裁判で、問題とされている文言の名誉毀損性の有無に関してはなんらの主張もしていない。「いっていない」と主張する以上、名誉毀損性に関する主張は必要がないということなのだろう。

「発言」を名乗り出た人物

 西村は第1回口頭弁論以降、一貫して「私生児が、私生児が」「何度でもいってやる。私生児だ」「何回でもいってやる、私生児」という発言はしていないと主張している。では、その発言をしたのは誰だったというのか。平成21年4月15日の第1回口頭弁論から半年後の9月7日開かれた第4回口頭弁論において、その答が明らかになった。意見交換会に西村とともに出席していた右翼Mが、それは自分の発言だと名乗り出たのである。

 事実とすれば、さすがは右翼だけのことはあると評価できよう。事実でなければ当然、この右翼は西村ともども別の評価にさらされることになる。

 Mによれば、原告から提出された録音テープを聞いた結果、それが自分の発言であると確認したのだという。この点についても原告は、西村の声は容易に判別できるもので、発言が西村のものであることに間違いないと主張している。右翼Mの声については西村同様、インターネット上に街宣風景が公開されているので確認することができる。声質の違いは明らかで、西村との比較検討はさほど難しいことではないだろう。

 裁判は、次回11月4日午後3時から東京地裁において、原告、被告本人および右翼Mを証人として証拠調べ(尋問)が行われることになっている。

(「尋問後」につづく)

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西村修平事件第4回口頭弁論
 平成20年9月1日に行われた街宣によって名誉を毀損されたとして警視庁東村山警察署元副署長、千葉英司が「主権回復を目指す会」代表の西村修平を提訴していた裁判は平成21年9月2日、第5回口頭弁論を終え、次回11月11日午後1時30分から原告・被告双方に対する本人尋問を行うこととなった。

 この間の進行と双方の主張内容については第3回口頭弁論まで報告したが、第4回以降、とりわけ被告の西村がどんな主張をしてきたのかあらためて確認しておこうと思う。

具体性を欠いた主張

 第4回口頭弁論が開かれたのは平成21年6月17日。第3回口頭弁論で西村側から提出されたページ数だけは膨大な書証と準備書面に対して事前に千葉が反論を行い、西村側はそれに対する反論(準備書面)と書証を提出している。前回口頭弁論終了後に西村の代理人がいったように、「朝木と相談」した上で提出したのだろう。

 本件裁判の争点は、西村が「千葉を『創価学会の4悪人』と呼んだこと」「千葉が他殺事件を自殺として覆い隠した」「千葉が殺人を自殺に仕立て上げた」と断定したことに真実性・相当性があるかどうかである。しかし第3回口頭弁論までに、西村は明代の転落死が「他殺である」、万引きは「冤罪である」と主張したのみだった。

 千葉は第3回口頭弁論で西村が提出した準備書面に対して、①西村が争点に関する主張をしていないこと②明代の万引きの事実および転落死が「他殺でないこと」がこれまでの多くの裁判で認定していることなどを主張(準備書面2)。これに対して西村は第4回口頭弁論において、千葉の準備書面2に対して平成20年9月1日に西村が行った街宣の内容を認めた上で次のように主張した。

〈平成20年9月1日、東村山駅東口広場で被告がした演説の内容は、……東村山警察と東京地検八王子支部の公正を欠く捜査に対する批判という公共の利害に関する事実に関するものであり、その目的は、東村山警察と地検八王子支部に対し、公正な捜査を求め、国民の立場で上記殺人事件の真犯人を検挙するよう求めるという専ら公益を図ることにあり、演説の内容は真実であり、仮に真実でなかったとしても被告が真実であったと信ずるに足る相当な理由があり、不法行為は成立しない。〉(準備書面2)

 さらに西村は、「千葉東村山警察副署長の捜査の問題点」と題する書面を添付するとともに、新たに5点の書証を提出している。西村が第4回口頭弁論で提出した書証は以下のとおりである(乙33までは第3回までを参照)。

乙34 「亡朝木明代殿に関する鑑定補充書」(山形大学名誉教授・鈴木庸夫)
乙35  転落死後に発見された鍵束の写真
乙36 「THE POWER OF SOKA」(雑誌「TIME」)
乙37  FM東村山事件控訴審判決
乙38  手帳返還請求事件控訴審判決(矢野絢也)

 要するに西村は明代の万引きと転落死事件の捜査(とりわけ千葉の捜査)は不公正なもので、明代の万引きは「冤罪」であり、転落死も「他殺」だったと主張していた。しかし、いずれも「他殺」の根拠としてはこれまでに裁判所から排斥されてきたものばかりである(手帳返還事件については何の関係があるのか私にはわからない)。仮に西村が「万引き冤罪」と「他殺」を信じたことに相当な理由があったとして、ではどんな根拠によって千葉が「創価学会の4悪人」であり、「千葉が他殺事件を自殺として覆い隠した」「千葉が殺人を自殺に仕立て上げた」といえるのかについては依然としてなんら具体的な主張がなかった。

 また西村の街宣が、捜査機関に対して「真犯人の検挙を求める」ことを目的としていたのなら、なぜ千葉個人を名指しで「同じ穴の狢」などと非難する必要があったのか。この点についても準備書面2までの主張をみるかぎり、その理由は判然としなかった。

興味深い回答

 千葉は準備書面2において西村に対し2点の求釈明を行っている。

 西村が提出した乙4ないし乙11、乙25、乙32(乙6、乙32を除き、他はいずれも矢野・朝木によってしか入手不可能とみられる書証)を入手した時期はいつか。

 西村に近い人物が朝木事件の捜査結果を覆すような現職警察官による内部告発を入手したと公表しているが、抗弁に際してこの内部告発を利用するのかどうか。

 千葉の求釈明に対し西村は準備書面2において、1については「答える必要がない」、2については「現段階では取材源を明らかにすることはできない」と回答している。

 1について、証拠の入手時期を答えられないとは相当性との関係で「答えるとまずい」ということとみるのが自然だろう。なぜなら、街宣以前に入手していたのなら、入手時期を答えられない理由はないからである(入手時期が平成20年9月1日より後ということになれば、相当性の主張は成立しない)。

 2については、求釈明に正面から答えたものとはいえないものの、内部告発は利用しないという婉曲な回答であるとも理解できよう。ただこの回答からすれば、西村自身も内部告発の内容を知っているように受け取れないこともないし、「現段階では」という条件付きだから、裁判終結までに明らかにする可能性もないとは断定できない。

 ところで、最初に西村に対する尋問を申し出たのは千葉ではなく西村自身である。しかも当初は千葉に対する尋問は申し立てなかったことからすると、西村には立証についてそれなりの自信があったとも考えられよう。

 とすれば、あるいは西村は11月11日に迫った本人尋問で「内部告発」の内容を明らかにする腹づもりなのかもしれない。その際には当然、「内部告発者に直接会った」という「行動する保守」Aの証言(陳述書)も提出することになろう。

「行動する保守」の中には、なにか民主党関係者と接触した者がいるという話も聞く。いずれにしても、その後、政権政党が民主党に変わったことでもあり、「内部告発」を表に出すタイミングとしてはけっして悪くないのではあるまいか。

(宇留嶋瑞郎)

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西村修平事件第5回口頭弁論(その1)
 平成21年9月2日に開かれた第5回口頭弁論では、事前に千葉が準備書面3を提出し、これに対する反論として西村が準備書面3を提出、さらに千葉が準備書面4を提出している。また西村は、前回第4回口頭弁論において口頭で西村本人の尋問を申し入れていたが、この日、正式に証拠申出書を提出、千葉と西村の尋問を申し立てた。

 通常、事実関係をめぐる民事裁判で人証(尋問)を申し立てる場合に相手方に対する尋問を求めないことは考えられない。前回口頭弁論で西村の代理人は人証を申し立てたが、その対象は西村だけだった。なぜ千葉に対する尋問を求めないのか、妙な弁護士もいるものだと感じたが、2ヶ月の間に考え直したものらしい。

「創価学会の4悪人」に言及

 本件裁判の争点は、西村が「千葉を『創価学会の4悪人』と呼んだこと」「千葉が他殺事件を自殺として覆い隠した」「千葉が殺人を自殺に仕立て上げた」と断定したことに真実性・相当性があるかどうかである。この点について西村は第4回口頭弁論で提出した準備書面3で初めて具体的な主張らしい主張を行っている。西村の主張は以下のとおりである。



 朝木明代の万引き被疑事件は冤罪であり、転落死事件は殺人事件である。ところが千葉は、捜 査責任者として当然なすべき基礎的な捜査もしないまま書類送検し、転落死事件については、捜査もしないうちから「万引き事件を苦にした自殺で事件性は薄い」と広報した。
  転落死事件は東京地検八王子支部が殺人被疑事件として司法解剖の手続をとっていながら、司法解剖の鑑定結果が出る前に東村山署は「自殺」として捜査を打ち切り、地検八王子支部も不起訴処分とした。これは捜査機関が遵守すべき犯罪捜査規範の規定に違反した著しい不公正な捜査であって、日本国民の警察及び検察に対する伝統的な強い信頼を根本から揺るがすもので、許されない。

 創価学会の機関紙及び創価学会寄りのライターは、確たる根拠もないにもかかわらず、千葉が万引き事件による書類送検を広報すると、「朝木市議は万引きをするような卑劣な人物である」といっせいに報道。転落死事件については、「万引きを苦にした自殺」といっせいに報道、宣伝した。

 東京地検八王子支部長も担当検事もともに創価学会員であり、不公正な捜査をした疑惑が極めて濃厚である。一般国民からみれば、千葉の捜査指揮も地検八王子支部の不公正な捜査と符節を 合わせたものである。千葉は国会において、「捜査もしないうちから自殺で事件性は薄いと広報した 千葉は捜査のイロハも知らない」と名指しで批判された。

 以上の経緯からみて、西村が「(創価学会員である千葉は)創価学会の4悪人」「(地検八王子支部検事らと)同じ穴の狢」といったとしても、それは「(上記のような)不公正な捜査は許されず、日本国民として公正な捜査により一日も早い犯人の検挙を求める」との趣旨であり、そのように信じる相当の理由があった。したがって、西村の演説が千葉に対する人格攻撃を目的とするものではなかったことは明らかである。 

 「東村山の闇」判決により、「創価問題新聞」判決は覆されている。よって、西村の演説には相当の理由がある。

 (いずれも要旨)



「創価学会の4悪人」「同じ穴の狢」という表現をどう読めば「公正な捜査により一日も早い犯人の検挙を求める」という趣旨(上記4)になるのか、また仮に千葉が「ろくな捜査もせずに転落死を自殺と断定した」として、その場合なぜ千葉が「創価学会の4悪人」で「同じ穴の狢」ということになるのか、私にはよく理解できない。

朝木直子の「回答」

 さらに西村は、千葉(東村山署)が「ろくな捜査もしなかった」点を立証するために、当時の捜査状況について朝木に事情を聞いたらしい。西村の準備書面3における主張のうち、その部分を要約なしで紹介しよう。

〈被告代理人田中平八が平成21年8月27日、朝木直子に電話で照会したところ、「東村山警察の誰からも朝木明代市議の自宅も草の根事務所も捜索するとの話は一切なかった。東村山警察に対し、朝木市議の遺族は自宅及び草の根事務所の捜索に反対した事実などないし、矢野穂積市議も反対などしていない」との回答を得た。
 従って、この点に関する原告の主張は明らかに事実に反する。〉

 いうまでもなく、東村山署が「捜索」まではしなくても「調査」の申し入れもしていなければ、「ろくな捜査もしていない」と主張したい矢野・朝木にわずかながらスキを与えることになる。その一方、申し入れはしたが拒否された結果、調査できなかったという事実が明らかなものとなれば、「他殺」を主張する遺族・関係者の行動の矛盾、不可解さ、つまり「他殺」と主張する矢野・朝木の真意がどこにあったのかについて深い疑念を生じさせることになろう。

 田中弁護士の質問に対する朝木の「回答」には二重の仕掛けがある。

 1つは、あえて「調査」ではなく「捜索」という言葉を使っている点である。田中弁護士は本当の法律家だから、「捜索」という言葉の法律的な意味を瞬時に理解しただろう。「捜索」とは裁判所が令状を交付して初めて可能となるもので、法的な強制力を持つ。令状を提示されれば当事者は捜索を拒否することはできない。「捜索」に反対などできないのだから、朝木のいう「朝木市議の遺族は自宅及び草の根事務所の捜索に反対した事実などないし、矢野穂積市議も反対などしていない」という説明自体、あり得ない話ということになる。

 警察が裁判所に捜索令状を請求するのは、その案件に事件性があると認め、捜索が必要不可欠と判断した場合である。明代の転落死では、東村山署も東京地検八王子支部も事件性は薄いと判断していた。したがって東村山署が「捜索」することはなく、矢野と朝木に対して事務所や自宅を「捜索するとの話」がそもそもあるはずもない。しかし、「捜索」は申し入れ自体がなかったのは事実で、朝木の説明は嘘とはいえないことになる。

 ただし、朝木の説明にはその先がなかった。「捜索」の申し入れがなかったということは「調査」の申し入れがなかったということではない。東村山署が矢野と朝木に申し入れたのは「調査」だった。「調査」に応じるかどうかは「捜索」と違って任意で、事務所は矢野から、自宅は大統から拒否され、東村山署は立ち入り調査をすることができなかったというのが事実である。

 つまり朝木が田中弁護士の質問に誠実に答えようとするなら、「捜索はなかったが調査の申し入れはあった」と回答すべきなのである。朝木が「調査」の申し入れがあったことを話さなかった事実は何を意味するだろうか。朝木は「捜索の申し入れはなかった」とのみ答えることで、東村山署が「調査」を含めたいっさいの捜査をしようとしなかったと田中弁護士が勝手に誤解するように仕向けた、あるいは期待したと考えるのが自然だろう。これが2つ目の仕掛けである。

 結果は朝木の思惑どおり、田中弁護士は「捜索の申し入れはなかった」という朝木の回答を真に受けてくれたのである。赤子の手をひねるようにとは、まさにこういうことをいうのだろう。

 ところで、このような「重要な」証言は陳述書として署名・捺印してもらい、証拠として提出すべきものである。弁護士なら普通はその程度のことは考えようが、現在までに朝木の陳述書は提出されていない。この弁護士は朝木に陳述書を依頼しなかったのか。あるいは依頼したものの、体よく断られたのだろうか。いずれにしても、このベテラン弁護士も、朝木から適当にあしらわれていることだけは間違いないようである。

(宇留嶋瑞郎)

(つづく)

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西村修平事件第5回口頭弁論(その2)
矢野自身が申し入れの事実を認める供述

 東村山署が調査の申し入れもしていなければ「ろくな捜査もしていない」という矢野と朝木の主張をわずかなりとも実証することになる。一方、申し入れをしたものの、矢野と大統から立ち入りを拒否されたのが事実とすれば、矢野と朝木は「他殺」を主張しているにもかかわらず警察の捜査に協力しなかったことが明らかになる。「他殺」を主張する遺族、関係者としてはきわめて不可解な対応ということになろう。

 千葉はこれまで多くの裁判で調査を申し入れた事実を主張しているが、この点に関して、2つの裁判で重要な供述がなされている。1つは平成11年11月15日、「聖教新聞」裁判で行われた矢野に対する東京都(警視庁)による反対尋問である。



千葉代理人  どうして、事務所だとか自宅、この自宅というのは監禁されていた可能性が強いわけですよね、そこの捜査というか調査を警察にさせなかったんですか。

矢野  だから、それが千葉さんの一流の虚偽の発言だと申し上げているんですよ。そんなことは1回もありませんですよ。拒否したなんてのはとんでもない話で、それはやってくれといっているのにやらなかったのが警察じゃないですか。



 矢野も、「他殺」を主張する遺族・関係者が警察の調査の申し入れを拒否するのはおかしいということは十分に自覚しているようである。それどころか矢野はここで、東村山署に対して「調査をしてくれ」とお願いしたといっている。代理人は質問を続けた。



代理人  警察はまったく?

矢野  やってないですよ。

代理人  申し入れもしてないんですか?

矢野  申し入れはしましたよ、何回も。



 矢野は東村山署に「何回も調査の申し入れをした」という。しかし千葉によれば、東村山署には、捜査員が矢野に何度も事情聴取に来てくれと申し入れても矢野が警察には寄りつかなかったという記録はあっても、矢野から調査の申し入れがあったという記録はない。警察が調査の申し入れもしなかったというのは本当なのか。



代理人  そうじゃなくて、警察の方で事務所をちょっと見せてくれといったでしょう。

矢野  そんな話があれば、もうすでにやってますよ。だから、千葉さん一流のというふうに申し上げているんですよ。

代理人  千葉さん一流かどうか知りませんけども。

矢野  一流と申し上げた、これは。遺族なり同僚の気分としては、それ以外ないですよ、言い方が。

代理人  では、まったく警察から、自宅の下駄箱なり、そういう中を見せてくれといわれたことはないですか?

矢野  ちょっと待ってくださいよ。○○代理(刑事課長代理)が、彼は非常に純粋な方ですから、1回だけ来られて見せてくれといわれたから、1回だけ見せてあげただけですよ。拒否している事実なんかないんですよ。



 最初、矢野は東村山署から調査の申し入れは1度もなかったと供述していたにもかかわらず、ここでは「1回だけ来られた」と変遷している。矢野はここでは「調査」を拒否した事実を否認したが、ここで重要なのは東村山署が調査の申し入れをしたという事実だろう。

 朝木の「捜索するとの話は一切なかった」とする証言が事実なら、矢野も「そんな申し入れは1度もない」というはずである。すると、矢野の「1回だけ来られて見せてくれといわれた」とする供述は、文言の意味は別にして、朝木の「捜索するとの話は一切なかった」とする証言を否定するものということになる。

矢野の供述を否定したジャーナリスト

 では朝木の自宅についてはどうか。自宅については平成12年12月15日、「週刊新潮」裁判においてジャーナリストの乙骨正生が興味深い供述をしている。ちなみにこの裁判で「週刊新潮」は、記事のすべての情報源である矢野と朝木に証言を依頼したが、裁判の途中で矢野と朝木が出頭を拒否したため、急遽代役として乙骨を証人に立てたという経緯がある。乙骨の供述を聞こう。



創価学会代理人  あなたは朝木市議が履いていた靴と草の根事務所の鍵がみつからなかったことにも疑問を呈していますね。

乙骨  はい。

代理人  草の根事務所については矢野さんが、自宅については朝木大統さんが警察の捜査を拒否した事実は知っていましたか。

乙骨  知らないです。

代理人  そういった話は矢野さんからも、大統さんからも聞いていませんか。

乙骨  はい。

代理人  警察は靴と鍵が見つからないから、捜索をお願いしたんだけど拒否されたということなんです。

乙骨  ああ、そういえば拒否というか……なんとなくそういえば、「自宅から何か持っていかれるといやだから」というようなことをちらっといっていたことはありましたね。

代理人  それは聞いていますね。

乙骨  ええ、そういうことはありました。



 乙骨に「自宅から何か持っていかれるといやだから」と話したのが矢野なのか大統なのかはわからないものの、この言葉がなんらかの行為の理由であることだけはわかろう。「自宅から何か持っていかれるといやだから」どうしたというのか、それに続くのは「拒否した」ということ以外にはない。「拒否した」ということは、東村山署から「調査」の申し入れがあったということである。

 しかもこの尋問の流れをみると、乙骨は当初、矢野あるいは大統が捜査を断ったことについて「知らない」「聞いていない」で逃げようとしているフシがうかがえる。本当に忘れていたのか、いいたくなかったのかはわからないが、いずれにせよ「ああ、そういえば拒否というか……」に続く乙骨の供述は、弁護士から追及された結果出てきたものであること、捜査拒否だけでなく、その理由を具体的に述べている点できわめて信憑性が高いと判断できる。

奇妙な統制

 千葉によれば、捜査員が自宅を訪ねたときに応対したのは朝木大統である。捜査員は「下駄箱を見せてもらいたい」と依頼したが拒否された、という報告を受けているという。ただ、捜査員が自宅を訪問した際に調査を拒否したのは大統だが、その判断はどうも大統がしたものではないようだった。平成13年2月1日、「週刊現代」裁判の尋問において大統は次のように供述している。



創価学会代理人  東村山署の千葉副署長は、あなた方が殺人事件ということをいうので、見つかっていない明代さんの靴を探すためにあなたの自宅の捜索を要請したけれども、あなたが断ったという話を別件の裁判でしているんですが、どうして断ったんですか。

大統  私が断ったということですか? それは私の記憶にはございません。

代理人  そういった自宅を捜索させてほしいという要請はなかったですか。

大統  そのへんはすべて直子と矢野さんに任せておりましたんで、私にはそういう話はありません。



 大統は「私にはそういう話はありません」と、「調査」の要請があったことを否定する供述をしている。しかし、矢野が「調査の申し入れがあった」と供述していること、乙骨が「自宅から何か持っていかれるといやだから(調査を拒否した)」といっているのを聞いていること、千葉の供述を総合すれば、大統がその場しのぎの口裏合わせをしているものと判断できよう。捜査員が大統と朝木や矢野を見間違うはずがなく、別人を「大統だった」とする理由もない。大統は捜査を拒否した理由を聞かれたくないために、聞かれていないことにしたのだろう。

 この大統の供述の中で重要なのは、警察の対応は「すべて直子と矢野さんに任せておりました」としている点。朝木は「聖教新聞」裁判の尋問で「矢野さんは私の代理人」と供述している。当時、マスコミや捜査機関の対応など様々の判断を矢野に委任していたという意味と理解できる。つまり、東村山署からの「調査」の申し入れを拒否したのは矢野の指示によるものだったということである。「殺された」と主張している遺族・関係者が警察の調査を拒否し、しかもその対応は明代の夫である大統を差し置いて矢野がすべて取り仕切っていたとは奇妙な統制というべきではあるまいか。

 警察の対応についてなぜ大統を排除する必要があったのか。「調査」の拒否といい、矢野が対応を管理していたのは、明代の転落死に関する重要な何かが露顕することを恐れたからとみるのが自然だろう。

 ところで矢野は「聖教新聞」裁判での尋問で、自ら「東村山署に何回も(事務所や自宅の)調査を申し入れた」と供述している。しかし、これまでみてきたように、事務所は矢野が、自宅は大統が調査を拒否したことは明らかである。東村山署の「調査」の申し入れを拒否した人物が、自らすすんで「調査を何回も申し入れる」ということがあるのだろうか。常識的には、そのようなことはあり得ないとしか考えられない。

(つづく)

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西村修平事件第5回口頭弁論(その3)
西村が提出した尋問事項

 第5回口頭弁論では、被告・原告両名に対する尋問を申し立てた西村側から双方に対する尋問事項の一部が提示されている。そのうち、千葉に対する尋問事項を紹介しておこう。



 朝木市議万引き被疑事件につき、犯人は、ビニールの中からTシャツを取り出してこれを窃取したというが、東村山警察は、何故そのビニール袋について指紋採取をしなかったのか。

 万引き被疑事件の被害者は、別件民事訴訟において、万引き犯人が着ていた洋服は、朝木市議が当日北海道拓殖銀行東村山支店から現金送金した際に映っていた朝木市議の洋服とは襟の形、洋服の色が違うし、犯人が着ていた洋服には朝木市議が着ていた洋服のような縞模様はなかったと述べている点について。

 万引き事件の現場の目撃証人は、万引き事件の現場近くにいた中年の婦人が、被害者○○に対し、(万引きして逃げたのは)朝木市議会議員だからすぐ警察に告訴するように言っていた。そのとき、万引き犯人が朝木市議だといったのはその人だけであったと東村山警察でも、検察官にも申しあげたといっているがその点間違いないか。

 株式会社アレフに対し、同社経営の「びっくりドンキー東村山店の平成7年6月19日のレジジャーナル」に対し、東京地方裁判所民事30部合議係から文書送付嘱託したが同社はこれに応じなかった。

  東村山警察が同レジジャーナルを押収しており、原告は、「万引き被疑事件について朝木市議のアリバイの主張は信用できない」と言っているがその理由はなにか。

  朝木市議の遺族と原告らの間の民事訴訟で、原告や東京都が同レジジャーナルを開示しない理由はなにか。

 原告は、東村山警察の捜査の指揮者として、朝木市議のビル落下殺人被疑事件につき、捜査もしていない段階で、「朝木市議は万引き被疑事件を苦にした自殺の可能性が高く事件性は薄い」と何を根拠に広報したのか。

  又、同事件につき司法解剖の手続をとっており、司法解剖による鑑定が出る前に東村山警察は「朝木市議のビル転落死は自殺事件として捜査を打ち切った」のは何故か。

 被告の準備書面(2)添付の「千葉東村山警察副署長の捜査の問題点」第2に記載した各事項について。
(筆者注=上腕内側部の内出血など明代の死因(自殺か他殺か)に関する事項)

 平成7年7月16日、矢野穂積東村山市議が草の根事務所から自宅へ帰る途中、創価学会員Sから殴る蹴るの暴行を受け、前歯を折るなどの傷害を受け、同年8月2日午前零時50分ころ、矢野市議が自宅へ帰る途中、創価学会員Sの運転する軽トラックと2tトラックが待ち伏せして矢野を2台の同自動車で挟みながら50m位の間フラッシュをたいて威迫した件について東村山警察に告訴したが、東村山警察は、創価学会員Sに対してはほとんど捜査らしい捜査をしないまま被疑者を釈放したというが本当か。



 この7項目以外にも事件に関する尋問がなされることと思う。とりわけこの裁判の最も重要な争点である「創価学会の4悪人」の真実性立証に関わる尋問も当然もなされよう。

 矢野と朝木はこれまでの裁判で、捜査が不十分であるとする趣旨の主張はしたが、千葉が「創価学会員」である、あるいは「千葉が創価学会の意図に基づいて捜査した」とまでは主張していない。西村は街宣で矢野・朝木以上の主張をしたことになるが、西村のベテラン弁護士が尋問を通して「千葉が創価学会の4悪人」であることをどう証明していくのか注目される。

「切り札」は出るか

 千葉に対する反対尋問は、もちろん西村の街宣内容の真実性・相当性を立証するためである。それに対し千葉は、自らの経験に基づき事実を述べるだろう。これは千葉にとってなんら難しい話ではない。その内容は当然、西村の主張を否定するものとなる。

 代理人の能力および西村街宣の相当性・真実性を裏付ける証拠がどれほどあるかが問われるのはそれから先である。予告された尋問の狙いを否定された西村側代理人は、今度は彼らが考える千葉の供述の矛盾点や嘘を暴くために質問を重ねていくことになろうが、はたしてそれがどう功を奏するのか。

 最初の質問で西村の主張が明確に否定され、再質問も跳ね返された場合には、逆に尋問を申請したことによって西村を不利にしてしまう結果ともなりかねない。まさに代理人の腕の見せどころで、どんな質問が飛び出すのか興味深いところである。

 ちなみに平成11年に行われた「聖教新聞」裁判の尋問では、矢野・朝木の代理人が2人がかりで千葉を追及したものの、東京地裁は矢野と朝木の主張する「万引き冤罪」と「他殺説」を排斥するとともに、東村山署(千葉)の捜査にはなんらの落ち度もなかったことを認定している。西村としてはまずこの認定を覆さなければならないだろう。どうするのか。

 西村にその秘策がないことはあるまい。いうまでもなく、同志「行動する保守」Aが「直接会った」という「内部告発者(現役警察官)」を明らかにし、その証言内容を証拠とともに法廷に提出することである。平成21年6月17日に提出した準備書面で西村は「現在の段階では取材源を明らかにすることはできない」としたが、千葉に対する尋問の場こそ、その全容を明らかにするこの上ない機会ではあるまいか。「内部告発」の事実およびその内容が信用に値するものと考えているなら、同志「行動する保守」Aとしても公表に反対する理由はないだろう。

「内部告発」の全容を明らかにすることは、一人西村を救うことになるのではない。彼らが常日頃憂いてやまない「一宗教団体に支配された国家の危機的状況」を救うことになるのである。仮に尋問の場でも「内部告発」の全容を明らかにしないということになれば、その信憑性はないものと評価されてもやむを得まい。まさに「行動する保守」の真贋が問われる尋問ということになろう。

 平成7年当時、自民党は「創価学会疑惑」キャンペーンを継続させるために、警視庁に対して「犯罪性なし」として捜査を終結させないよう国会質問という形で圧力をかけた。政治家が政治権力をもって真実の隠蔽を画策した民主主義社会における歴史的汚点ともいえる事件である。西村はその国会質問についても千葉の捜査指揮が恣意的だった根拠であると主張している。
 
 それなら、当時の国会質問の裏舞台を知悉している現在の内閣府特命大臣亀井静香、あるいは当時の国家公安委員長で現在は弁護士事務所を開設している白川勝彦を証人として新たに申請すれば、西村からすればもう1つの「切り札」となる可能性もないとはいえない。最近、「行動する保守」の中には白川の人脈と接点を持つ者もいるようだから、白川なら証言を依頼できるのではあるまいか。亀井、白川が出廷すると聞いて、千葉が恐れをなすかどうかは保証の限りではないが。

 千葉と西村に対する尋問期日は11月11日。その1週間ぐらい前までに双方から陳述書が提出されることになっている。西村は11月4日にも別件で尋問を控えている。なお、私が西村を提訴した裁判の第1回口頭弁論期日は11月2日だが、現時点ではまだ答弁書は届いていない。

(了)

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