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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平「婚外子」差別発言裁判 第6回
 平成21年11月4日午後3時から、被告である西村修平と原告に対する本人尋問ならびに西村側証人である右翼に対する尋問が東京地裁で行われた。傍聴席は7、8割程度が埋まったがそのほとんどが西村の支援者と思われた。

 この裁判で西村は、意見交換会では婚外子の問題における一般論を述べただけで、原告個人に対する誹謗中傷発言はしていないと一貫して主張している。また、原告が提出した意見交換会の議事録にある原告に対する発言は西村の同志である年配右翼の発言であるとして、この年配右翼自身が西村の主張を認める陳述書を提出している。したがって、この裁判の最大の争点は西村による原告個人に対する誹謗中傷が本当になかったのかどうかであり、原告側の西村に対する尋問もその点が大きなポイントになると私はみていた。

 当然、西村による原告に対する誹謗中傷発言がなかったとすれば原告の請求はその前提を失うこととなり、請求は棄却されるだろう。逆に、原告に対する誹謗中傷そのものの存在を否定する西村の主張が排斥されれば、不特定多数の前で他人を「私生児」呼ばわりすることが名誉毀損に当たるかどうかについての判断がなされ、名誉毀損に当たると判断された場合には原告の請求が認容される可能性が高まろう。

鮮明になった矛盾点

 この日の尋問に際して、原告側は新たな証拠を提出した。平成20年4月16日、「行動する保守」と称する右翼が、外務省での意見交換会後に原告が西村の発言をめぐり法務省に人権侵害の訴えを行い、西村が法務省から呼び出された経緯を聞くインタビューを企画した。このインタビューにはのちに西村側証人として出廷することになる別の右翼も出席して発言している。原告側が提出したのはこのインタビューの反訳である。インタビューには2つの注目点があった。

 反訳によればまず、西村は意見交換会における自分自身の発言について、次のように述べている。



西村  それはやっぱりあの、村田さんを告発したという○○(実名=原告)という方がですね。自分はあの結婚しないと。それで、婚外子(私生児)がいて、その要するに私生児ですね。彼女は私生児とは言いません。最初、婚外子、婚外子というから、……よくわからなかったですけど、話聞いてて、自分は要するに結婚しないで独身のまま子どもを産んだから、その子どもがたとえば幼稚園に入って、小学校に行くにあたっていろんな差別受けている、これが人種差別だ。とおっしゃっていたんで、私はそれは…えーと私生児ってのは当然、結婚しないで産んだ子供だから、私生児は社会的に当然差別されるし区別されますと。

 ましてやあなたが産んだ子どものあなたが、あなたの相手がもし結婚してる人であったらこりゃ完全に不倫であってね、あなたがその子供の民法上のなんかいろいろな相続とかなんかを要求したらそりゃ大変な、相手の家庭に対して亀裂をもたらすことなんだと。だから当然ね、そういう不倫の末に生まれた子供は社会的に差別されて、社会をそのー、円滑に運営する上では、では、そりゃ人間の知恵なんだ。あなたが差別されたくないって言うなら、ちゃんとしっかりした結婚して子供を生みなさいと、こう言ったわけでして。



 この裁判で西村は、意見交換会における発言内容は婚外子問題に関する一般論にすぎず、原告に対する具体的な発言(「私生児」など)はしていないと主張している。しかし、この日原告が提出したインタビューの反訳をみると、西村自身が原告に対して具体的な発言をしていることを認めているように聞こえる。

 これは少なくとも、裁判における婚外子問題に関する一般論を述べただけという答弁書の主張とは矛盾するし、さらに「公聴会(意見交換会)での私の意見は一般論であって、○○(=原告)の存在そのものを知らないなかで、○○本人を「婚外子」と決めつける意図などもとよりなく、そのようなことも出来ません」とする陳述書の記載ともだいぶニュアンスが違うように思える。この点について原告代理人が西村にただすと、西村はインタビューの内容については「よく覚えていない」と答えるにとどまった。

 なお、最近になって、原告に対して「『私生児が』などの発言をしたのは自分だ」などとする陳述書を提出した年配の右翼は、「行動する保守」のインタビューの中で法務省に呼び出された話はしても「私生児」発言についてはなぜか一言も触れていない。これもまた不思議なことではあるまいか。

自らのスケールを示した西村

 もう1点は、意見交換会終了後に西村が近づいてきて「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という言葉を投げつけたと原告が主張している点について、西村がインタビューで原告の主張とむしろ符合する発言をしていることである。「行動する右翼」から意見交換会に出席した感想を求められた西村は次のように述べている。



西村  そうですね、まあ、めったにまあそういう極左系の人たちとかね、そういう在日朝鮮人のかなりエキセントリックな人たちの話聞く機会なかったんで、そこでまあ普段思っている思いのたけを彼らに浴びせつけましたよね。その会議(筆者注=意見交換会)終わった後も、個別に捕まえて、ずいぶん締め上げたので、僕としては非常に痛快極まりなかったんですけども。ただそれが、個人的なですね、ああ気持ちよかった、言ったというレベルに置いてしまったんでは、これは社会運動として発展できないのであって。



 原告代理人が注目したのは「その会議終わった後も、個別に捕まえて、ずいぶん締め上げた」とする箇所である。「ずいぶん締め上げた」とは原告に対して「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という言葉を投げつけた場面のことをいっているのではないか、とも受け取れよう。そうだとすれば、インタビューにおける西村の発言の流れは、原告に対する「私生児」発言、さらに意見交換会終了後に西村が原告に対し「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という言葉を投げつけたとする原告が主張する事実経過と大きな齟齬はない。

 原告代理人は西村に対し、「ずいぶん締め上げた」とは原告に対して「おまえは何人不倫の子を産んだのか」といったことを指しているのではないかと追及した。すると西村は「ずいぶん締め上げたというのは原告のことではない」とはいわず、誰もが予想しなかった供述をした。この点も思い出さないままの方がよかったと思うが、西村はインタビューでの発言は「意見交換会で発言したことを自慢したかっただけで、締め上げたというのは嘘」(趣旨)と供述したのである。

「主権回復を目指す会」代表の西村修平という男は、「締め上げた」などという嘘をついて自慢するほどつまらない、小さい男なのか。インタビューは動画でインターネット上(スティッカム)で公開されているが、嘘をついてまで自慢したかったという「行動する保守」のリーダーの1人を支援者はどう見るのか。

 このとき、傍聴席は静まりかえっていたという。残念なことに、この西村の供述が事実であろうと姑息な言い逃れであろうと、西村という右翼のスケールのほどを示すものであることに変わりはないのである。

 それはともかく、裁判官はこの日の西村の供述とインタビューでの発言のどちらが嘘であると判断するだろうか。西村の供述が、「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という原告に対する発言を否定するためのその場しのぎの嘘であるとみる余地は十分にあるような気がする。

(つづく)
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西村修平「婚外子」差別発言裁判 第7回
埋められた外堀

「行動する保守」によるインタビューでは、西村は外務省主催の意見交換会に出席したいきさつと目的についても自発的に述べている。意見交換会における具体的発言とともに、発言の背景、西村の心理状態がうかがえて興味深い。



西村  こういう政府主催の公聴会とか、会議にはですね、ほとんど右の方とかか保守勢力は参加する機会がなかったんですよ、というよりほとんど反応を示さなかった。そういうことで、まあ保守派のまあ女性(家族の絆を守る会岡本明子のこと)たちの方から、この公聴会に参加するということを話しまして、非常に参加する人員が少なくかつ男性の人も少ないから、ぜひともみなさんご参加をという形で、これはどうしてもね、行って、連中を牽制してやらないとね、私も非常に興味津々、当日行って、そういう思いでまあ行ったわけです。えーっと、まあ、聞きしにまさる会議の内容ですね、もう左翼にとっちゃ言いたい放題、しゃべりたい放題の席になってました。とうとう私もね、聞くに堪えかねてですね、まあいろいろ野次とかなんかを飛ばしておりまして、とうとう私の番に来ました。



 西村は、もともと意見交換会の存在を知らされたのも参加を要請されたのも「家族の絆を守る会」の岡本明子会長からだったと述べ、インタビューに同席していた年配右翼も岡本会長から要請があったことを認めている。注目すべきは、続く「連中を牽制してやらないとね。……そういう思いでまあ行ったわけです」という発言、さらに「私もね、……まあいろいろ野次とかなんかをとばしておりまして」という発言である。西村はこの意見交換会に出席する「左翼」を牽制するために参加し、実際に「牽制」のために「いろいろ野次を飛ばしていた」と認めていることになる。(その「牽制」なるものが原告に対する「私生児」という誹謗中傷だったとすれば、政治団体代表の発言としてはあまりにも軽率で幼稚としかいいようがなかろう)

 原告に対する差別発言があった事実を明らかにするために、原告代理人が意見交換会への参加のいきさつと目的という背景事情から迫ったのも鮮やかである。この点について原告代理人が西村に確認すると、西村は「岡本会長から要請はない。意見交換会が開かれることは外務省のホームページで知った」と供述し、「家族の絆を守る会」から要請された事実を否定した。すると、意見交換会参加までのいきさつについて述べていたインタビューの内容も嘘だったということなのか。

 西村の「主権回復を目指す会」の掲示板では、岡村会長はなぜ西村の裁判を傍聴もせず、支援もしないのかと、岡村会長を非難する趣旨の書き込みがある。西村にとってはなにか、意見交換会参加までのいきさつについて事実を明らかにしたくない事情があったのかもしれない。

 西村は原告が主張する問題の発言を否定したまではよかったが、仲間内のインタビュー内容まで否定したことでむしろ裁判における主張の信用性を自ら低下させてしまったのではあるまいか。いずれにしても西村は、このやりとりによって外堀も埋められたような気がしてならない。

裁判官も困惑

 この日の尋問では裁判官を困惑させる場面もみられた。原告代理人が意見交換会における西村の発言の事実確認をしたときのことである。

 西村は第1回口頭弁論期日(平成21年4月13日)に提出した答弁書に「……被告は以下のとおり抗議した。以下各人の発言を順次述べると」として自身を含む発言内容の反訳を記載している。ところが原告代理人が西村自身が自分の発言と認めて記載した西村の発言について逐一確認していくと、西村は自分自身の書面に自ら記載した発言であるにもかかわらず、

「あんたさっきの婚外子の問題でもね、何で婚外子の問題が人種差別の問題なんだよ。これ個人の不倫の関係で生まれたアレだ不貞の子供でしょう」

(原告が上記発言に対して謝罪を求めたのに対し)
「謝罪しない。世界の常識だ。不倫の子供は差別される」

 などの発言について「自分は発言していない」と主張したのである。裁判中に自らの主張を撤回することはあっても、自認していた事実関係について自ら否認するなどということはめったにあることではない。このとき陪席裁判官は裁判長に答弁書を示し、裁判長は西村が否定するたびに答弁書との相違について問いただした。裁判官もまた、西村の供述に疑問を持ったということである。

 なお西村は、これまで原告が提出したテープを確認するよう裁判長から求められていたが、「テープの声は確認していない」と答えている。一度は認めた自分の発言を否定する西村の供述に裁判官が困惑したとしても無理はあるまい。

原告代理人のダメ押し

 さて、西村側代理人は西村と年配右翼に対する尋問で、「婚外子は法的に不利益があってもやむを得ないと考えるか」とする質問を行い、これに対して両名は「仕方がない」と供述した。これは「行動する保守」による西村インタビューの内容と矛盾しない。

 そこで原告代理人は西村に対して最後に「ある人に対して『私生児』と発言することは適当だと考えるか」と聞いた。すると西村はこう答えた。「それは不適当です」。これはきわめてまっとうな考えであると評価すべきだろう。ただこれは、意見交換会において西村が原告に対して「私生児が」という言葉を投げつけていたとすれば、それは少なくとも不適切であることを西村は自認したということになる。

 あとは東京地裁が、西村が否認する原告に対する発言があったかどうかについてどう判断するか、あったと判断した場合にはそれが名誉毀損に当たるかどうかについてどう判断するかである。東京地裁はこの日の尋問をもって弁論を終結し、判決言い渡し期日を平成21年12月24日午後1時30分と指定した。

(「判決後」につづく)

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第2次落書き裁判第5回口頭弁論
 警視庁東村山警察署千葉英司元副署長がブログの記事によって名誉を毀損されたなどとして千葉県の行政書士を提訴していた裁判は平成21年11月9日、東京地裁立川支部で第5回口頭弁論が開かれた。傍聴席には行政書士を支援する「行動する保守」Aら支援者7名のほか、「行動する保守」らの動向に興味を持っているらしい6名の男女が最後に入廷した。

 千葉は訴状で、

〈(記事は)「原告も創価学会員である」かのような、また「万引き捏造事件をでっち上げた洋品店や謀殺を自殺として処理した検事らと利害をともにしている」かのように印象付け、原告があたかも「万引き捏造」に関与したかのような印象を与え〉

〈被告は万引き被害現場の洋品店前による原告の写真を原告に無断で掲載し、原告の顔部分に「ウソ 万引」、右胸部分に「チバー」との文字を書き込んだ。〉

〈(これらの記載および書き込みは)「原告が、創価学会員がデッチあげた万引き捏造事件に関与した」との虚偽の事実を摘示するものであり、原告の社会的評価を低下(させた)〉

 と主張し、また千葉の写真を掲載したことなどが原告の肖像権を侵害したと主張している。

 この裁判はこの日で5回目の口頭弁論を迎えたが、記事について被告の行政書士は「本件ブログの記述が、事実を摘示したものか又は意見、論評の表明であるのか判然としないから、真実性・相当性の主張、立証をすることができない」などとして求釈明を繰り返した。真実性・相当性に関して行政書士は9月28日行われた第3回口頭弁論で朝木明代関連裁判の判決書を証拠として提出したものの、もちろん裁判で千葉が「万引事件を捏造した」などと認定した判決は存在しない。

 また写真について行政書士は「第三者が撮影し、公開されていたもの」で「千葉は先に公開した写真について異議を申し立てていないから黙示的に公表を承諾している」などとし、したがって被告には責任がないなどと主張している。

「12月は多忙を極める」と行政書士

 さて11月9日開かれた第5回口頭弁論で、裁判長は「本件では記事に現れたものが争点になる」と双方に述べた上、行政書士に対し次回口頭弁論までに本件記事掲載に至る事情等についての陳述書を提出するよう求めた。行政書士が前回提出した証拠申出(証人として万引き被害者および千葉に対する尋問)および千葉が申し立てた行政書士に対する尋問の申請についてはいっさい触れなかった。尋問は必要ないと判断したものとみられる。その上で裁判長は「次回結審するかもしれません」と述べ、行政書士に対して「陳述書は弁論期日の1週間前には提出してくださいね」と念を押した。

 あとは次回期日を決めて終了となるところだが、期日が簡単に決まらなかった。裁判長が12月はどうかと検討を始めると、行政書士が手帳をめくりながら「12月は多忙を極めていているので、来年にしてほしい」と訴えたのである。

 裁判所は係属部によって開廷曜日が決まっており、この裁判の開廷日は月曜日と決まっている。行政書士によると、なんでも「自治体の行政協力をやっておりまして、12月は毎週月曜日が行政協力の日になっておりますので、無理です」という。開廷曜日と行政協力の日がぴったり重なっている、これは12月はちょっと無理かなと思っていると、裁判長が口を開いた。

裁判長  それは終日無理ということですか。午前とか午後とか……。

行政書士  はい、ちょっと無理です。

裁判長  でも、あなたが訴えられた裁判なんですから……。

行政書士  ……。

 こんなやりとりがあったが、裁判長の年内結審の方針は固かったらしい。裁判長は書記官と相談した上、開廷曜日を金曜日に変更したのである。裁判長が12月18日10時45分と指定すると、行政書士は了承した。したがって、12月10日前後には陳述書が提出されるものとみられる。

市職員の説明と食い違い

 余談だが、私はあることで千葉県行政書士会に問い合わせをしたついでに、行政協力なるものの実情について聞いてみた。すると、行政書士会による法律相談などの行政協力なるものが実際に存在することがわかった。事務局長によれば、行政協力は各地の行政書士会単位で行っているという。千葉市なら千葉市に事務所を開設している行政書士が行政協力にあたるという。疑ったわけではないが、行政書士のいうとおりである。

 そこでこの行政書士が事務所を開いている浦安市に、行政協力がいつ行われているのか、また12月は月曜日に行われているのか聞いてみた。すると担当者は、「特に12月ということではありません」と私の聞いた話とは異なる説明を始めた。浦安市では、法律相談は年間を通じて水曜日と金曜日に行っているというのである。担当者に紹介された同市のホームページを確認すると、その説明に誤りはなかった。さらに「行政相談」という日もあるが、それは火曜日と木曜日で、月曜日には何の相談も予定されていないこともわかった。

 浦安市をみるかぎり、行政書士が法廷でいった「12月は月曜日がすべて埋まっている」という話とは食い違うようである。ただ、右翼の行政書士はどこの市での行政協力とはいっていないから、実在するどこか別の自治体の話ということなのだろう。最終的に12月中に期日が指定されていることでもあり、行政書士が相談を担当している自治体がどこかまでは詮索の必要はあるまい。

 はたして行政書士は12月18日の口頭弁論を前にいかなる陳述書を提出するのか。とりわけ、千葉の写真に「ウソ 万引」などと書き込んだ理由を知りたいものである。その内容だけでなく、行政書士が懇意にしている東村山市議の矢野穂積の文体と酷似しているかどうかもきわめて興味深い。

(宇留嶋瑞郎)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その1)
 平成21年11月11日、東京地裁立川支部には西村を支援する「行動する保守」の一行が集まっていた。指導者で、「行動する保守」一行を矢野のデマに引きずり込んだ最大の責任者Aとその弟子、東村山での街宣で創価学会から提訴されているMなど総勢約20名。なぜか行政書士の姿はないものの、最近とみに傍聴者が減ってしまった関連裁判では最も多い。裁判によって尋問の占める比重は異なろうが、「行動する保守」の一行はこの尋問が重要な局面であると認識していた様子がうかがえた。

 この日の尋問のポイントは「西村が問題の街宣をするにあたり、朝木事件についてどの程度独自調査をしていたか」(相当の根拠があったかどうか)にあると私は考えていた。西村が主張する「万引き冤罪」と「他殺」の真実性については平成21年7月3日に確定した最高裁判決ほか多くの裁判で否定されていることもあり、裁判所に真実性の主張を認めさせることは難しいのではないか。ただ西村が、「行動する保守」Aが「会って聞いた」とする、事実なら新しい重要な証拠となり得る「内部告発」の詳細を明らかにすれば、局面が大きく変わる可能性もあり得なくもないかもしれない、と。

 では西村の本人尋問から見ていこう(以下、供述内容はいずれも私の傍聴メモによるもので、完璧なものではない。また尋問のうち、その時点で特に重要と考えなかったものについてはメモしていない。供述の「趣旨」の場合もある)。

西村主尋問(1)



①『東村山の闇』の入手時期

西村代理人  『東村山の闇』を入手した時期はいつか。

西村  一昨年(平成19年)8月、朝木直子さんからもらった。

代理人  朝木明代さんの転落死事件について知ったのはいつか。

西村  事件についてはメディアの情報で以前から知っていた。

代理人  『東村山の闇』を入手したあと、関係の記事を調べたか。

西村  週刊新潮、週刊文春などの週刊誌、国会議事録、乙骨正生の本、山崎正友の本などを読んだ。



 供述によれば、西村が『東村山の闇』を入手したのは平成19年8月であるという。西村は事前に提出した陳述書には「平成18年8月」と記載しているが、どちらが本当なのか。あるいはたんにいい間違えただけなのか。いずれにしても、西村が東村山駅前で問題となった街宣を行ったのは平成20年9月1日だから、西村は街宣よりも少なくとも1年以上前に『東村山の闇』を朝木から入手したと供述したということである。

 西村はその後『東村山の闇』以外の資料にあたったという。すなわちここで西村が主張したいのは、「街宣は十分な調査の上で行ったもの」であり、「万引き事件は捏造」で「明代は殺された」とする街宣の内容には相当の根拠があったということであると理解できよう。



②転落死を「他殺」と考えた理由

西村代理人  朝木明代さんとはどういう人か。

西村  清廉潔白な方で、万引きを苦に自殺をするような人とはまったく思われなかった。

代理人  転落死当日の朝木さんの行動については調べたか。

西村  丹念に調べた。

代理人  朝木さんの転落死が「自殺」ではないと考えた理由は?

西村  朝木さんは東京都への請願に忙殺されていて、朝木さんを万引き犯として被害届を出した洋品店主を告訴し、「最後まで闘います」と記した残暑見舞まで出している。そのような人が自殺をするとは考えられない。

代理人  転落死当夜、朝木さんは裸足で現場ビルまで行ったと警察は主張しているが、この点についてどう考えたか。

西村  臭跡が確認できず、また裸足で歩いていたとの目撃証言もなく、警察は朝木さんが裸足だったとは確認できていない。



 西村は明代の転落死について「自宅から車で拉致されて落とされた」と主張している。明代の転落死当日の行動について「丹念に調べた」という以上は、拉致犯がどのような経路で明代をビルまで運んだのかについても当然「調べた」ということなのだろう。明代の転落現場ビルの入口は東村山駅前ロータリーに面しており、人目につきやすい場所である。深夜、人気のない山中の崖から落としたというのとはわけが違う。犯人は誰にも目撃されていない。犯人は、どのような経路をたどって駅前ビルの5階まで運んだのか。この事件を「拉致した」と結論付けるには経路の解明とその裏付けが必要となろう。

 すると「丹念に調べた」という西村は、拉致経路まで解明したということなのだろうか。しかし代理人はまだ、拉致経路については聞かなかった。また警察は明代が裸足だった根拠として、ストッキングの足裏が汚れ、破れていたことを挙げているが、西村はそのことを知らなかったのかどうか、その点についてはいっさい触れなかった。尋問に戻ろう。



代理人  事件当日の段階で靴も持っていたはずの鍵も発見されなかった点については。

西村  鍵をかけて出たのに捜査では鍵が発見されなかった。翌日に鍵が見つかったということは、犯人が置いたとしか考えられない。しかも、警察が朝木直子さんに連絡したのは発見から10日後で、警察は「鍵がみつかりました」とその鍵が朝木さんのものであると断定して知らせている。これは犯人が警察に連絡したか、警察内部に情報を知っていた者がいたかのどちらかしか考えられない。

代理人  ほかに朝木さんが殺されたと考えた理由はあるか。

西村  転落死の前、夜9時13分に事務所の矢野さんに朝木さんは電話をかけている。その声紋鑑定の結果、「生命の危機に直面した状態」だったことがわかっている。私はこの結果から、他殺に近いと確信した。
 さらに、司法解剖鑑定書には上腕内側部に皮下出血の痕があったことが判明している。これは第三者から危害を受けなければできない傷だと思った。山形大学名誉教授も同様の意見を述べており、私はこの鑑定結果から朝木さんの転落死は他殺であると確信した。



 声紋鑑定も司法解剖鑑定書の記載についても、いずれもすでにこれまでの裁判で矢野が提出し、「他殺」の証拠とは認められていない。西村が街宣を行うまでにこれらの判決文を閲覧することはできたのだから、判決内容を知らなかったという言い訳は通らない。

鍵をめぐる「新事実」

 この西村の供述の中で注目されるのは、鍵の発見に関わる部分である。警察が「断定して知らせた」かどうかまでは確認できないが、鍵が発見される経過からすれば、警察の捜査終了後に何者かが置いていったものであることは明らかである。

 鍵はおしぼりを入れていたカゴの中にあった。普通、落とすような場所ではなく、誰かが意図的に置かなければ入ることはあり得ない。捜査する側からすれば、それが明代のものではないかと考えたとしてもなんら不自然ではない。明代の転落死を自殺とみていた東村山署は捜査後に発見された鍵について、何者かが捜査の攪乱を狙って置いたものとみていた。だから東村山署は、発見者、納入業者に対する事情聴取などより慎重かつ入念な捜査を行った。

「犯人が警察に連絡したか、警察内部に情報を知っていた者がいたかのどちらかしか考えられない」とする西村の供述は、あるいは「行動する保守」Aのいう「内部告発」となんらかの関係があるのかもしれないが、この日の供述の範囲ではその根拠に合理性があると評価することは難しい。ただ「行動する保守」Aによれば、私が尋問中気にも留めなかった供述が西村の口からなされたらしい。西村は鍵の置かれていた状況について「おしぼりにくるまれていた」と供述したというのである。

 これまでの多くの裁判で「鍵はおしぼりにくるまれていた」という証言や供述がなされたことは1度もない。その意味では確かに「鍵はおしぼりにくるまれていた」というのは「新事実」であり、それもきわめて重要な「新事実」である。それが事実かどうかは別にして、西村がそれまで公表されていない「新事実」を供述したということは、どこかから情報を得たということになろう。

 では、西村はその「新事実」の情報を誰から入手したのか。鍵が置かれていた状況を知るのは、鍵の発見状況についてもきわめて詳細な捜査を行っている東村山署と鍵を置いていった人物、鍵を発見した店員しかいない。警察の捜査も店員の目撃情報に基づいて行われているのだから、実質的に警察と鍵を置いていった人物だけといってよかろう。

 西村の情報源としては、私には矢野、朝木と(存在するとすれば)「内部告発者」以外には思い当たらないが、西村はそのどちらから情報を得たのだろうか。いずれにしても、鍵に関する西村の供述は「行動する保守」Aのいうとおりきわめて興味深いものであるといえる。

 情報の中身によっては朝木明代事件の真相究明に結びつく可能性も秘めている。真相究明のためにも、右翼の西村はその情報源が誰なのか、明らかにすべきである。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その2)
西村主尋問(2)



③万引き事件

西村代理人  朝木明代さんの万引き被疑事件が捏造だと考える理由は何か。

西村  ビニールカバーをかけてハンガーに吊るしてあるTシャツとキュロットのセットの中からTシャツだけ持って逃げるなんて考えられない。警察は盗んだものをなぜ押収しなかったか。またビニールカバーの指紋も取っておらず、万引き犯が朝木さんだという証拠は1つもない。

代理人  目撃者の証言はどんなものだったか。

西村  Sという目撃者は犯人が「黒いカーディガンを着ていた」、黒っぽい服装だったと証言している。矢野さんが裁判で提出した銀行振込の再現写真では上着が白っぽく映っているから、犯人が朝木さんでないことは明らかだ。この1枚の写真で朝木さんが犯人でないことは証明されている。

代理人  再現写真と被害者の証言の違いはほかにあるか。

西村  店主は朝木さんが襟の立ったマオカラーのブラウスを着ていたといっているが、再現写真で朝木直子さんが着ているブラウスは明らかに襟が立っていないことは一目瞭然だ。この再現写真が、万引き犯が朝木さんでないことを証明している。



 西村が明代の万引きが冤罪だったと主張する根拠は、矢野と朝木が万引き当日の服装であるとして朝木が着用して作成した再現写真と最も遠くから見ていた目撃者Sの証言にあるらしいが、いずれも矢野と朝木が「冤罪」の証拠として法廷に提出したものの排斥されており、むしろ再現写真は明代のものとする服装が本物であるという証拠はなく、目撃者Sの証言も東村山署の認定を裏付けるものと認定されている。西村の供述をみるかぎり、これまでの判決を覆すものとは思えない(東村山署が万引きされたTシャツを押収しなかったなどの点は千葉に対する尋問で触れることにする)。

 以上が西村主尋問の主要なやりとりである。朝木事件に関する西村の答弁は鍵に関する「新事実」を除けば(それも「事実なら」の条件付きだが)、私の聞いた限りではこれまでの矢野・朝木の主張を大雑把になぞったものにすぎず、目新しいものは何もなかった。

西村反対尋問(1)

 西村の主尋問が終わり、ただちに千葉による西村に対する反対尋問に移った。千葉はまず、西村が明代の万引きを「冤罪」とし、自殺を「他殺」と主張するにあたり、西村が街宣までにどのような調査を行い、どの程度事実関係を確認しているかについて聞いた。



①西村の基本的な事実認識

千葉  転落現場の目撃者は何名か知っているか。

西村  人数はわからない。

千葉  転落現場には行っているか。

西村  行っていない。

千葉  万引き現場の目撃者数は何名か。

西村  知らない。

千葉  ○○さん(万引き被害者)に事実関係を確認しているか。

西村  居場所がわからないから、確認していない。

千葉  平成20年9月1日の街宣のとき、洋品店に何をしに行ったのか。

西村  見学に行った。

千葉  同行した者の中に日章旗を掲げたり、ヘルメットをかぶった者がいたことを知っているか。

西村  日章旗やヘルメットなんか知らない。

千葉  その後、○○さん(万引き被害者)には事件について確認しているか。

西村  していない。

千葉  朝木が万引き事件でアリバイを主張したレストランには確認に行ったか。

西村  確認はしていないが、警察はレジ・ジャーナルを開示していない。



 ここまでの尋問で明らかになったのは、西村が事件に関する基本的な事実関係について自らなんらの確認もせず、現場にも行っていないということ。万引き現場および転落現場の目撃者の人数についてはすでに警視庁が裁判所に提出した文書によって明らかになっている。つまり西村はこれまでの裁判記録も見ていないということである。

 西村は「行動する保守」Aらとともに平成20年7月29日、八王子駅前で街宣を行い、東京地検八王子支部に対して再捜査の要望書を提出しているが、こんなことで東京地検の捜査に異議を申し立てようとしたのだろうか。これでは相手にされるはずがないし、西村の主張が矢野、朝木の主張のみを鵜呑みにしたものと評価されてもやむを得まい。

 洋品店襲撃事件に関する供述も興味深い。西村は「見学」に行くのに相手を誹謗するプラカードを首からぶら下げて行くらしいし、そのくせ同行した者の中に日章旗を持ったりヘルメットをかぶった者がいたことは都合が悪いから知らなかったことにしようとしたものとみえる。当時は肯定していた支援者の行為を自分が助かるために否定したという点において、西村のリーダーとしての器のほどを明らかにした供述ともいえるのではあるまいか。西村もまた「情けない右翼」のようである。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その3)
西村反対尋問(2)



②朝木の転落現場までの経路

千葉  朝木は自宅から転落現場まで連れて行かれた(拉致された)と主張しているが、誰がそういっているのか。

西村  週刊誌や「東村山の闇」に書いてある。

千葉  (現場周辺の地図を示す)経路はいろいろあるが、拉致経路はどこか。何の資料によって特定したのか。

西村  いうことはない。

千葉  拉致コースはわからないのか。

西村  警察犬もわからなかったものをわかるはずがない。

千葉  コースはわからないが運ばれたということか。

西村  そのとおりだ。

千葉  転落現場は見たか。

西村  現場は見ていない。

千葉  現場には鉄製のフェンスがあるが、知っているか。

西村  知らない。

千葉  朝木はどこからビルに入ったのか。

西村  わからない。

千葉  転落現場の真上の手すりに手の跡があったのを知っているか。

西村  知らない。

千葉  地検の発表では、朝木が打ち沈んだ様子で歩いているのを見かけたという目撃談が紹介されているが、そのことは知っているか。

西村  地検の発表は間違っている。



 明代がどこから現場ビルまで行ったかは、事件の真相を究明する上できわめて重要な要素である(事件の「真相」とは、自他殺のみではなく、転落死の背景に何があったのかまでを含む)。明代が転落したビルに行った直前にいた場所については2つの可能性しか考えられない。自宅と草の根事務所である。

 当初矢野は、「事務所にはいつも持っているバッグが残されており、財布も入ったままだった」とし、明代が「事務所から誘い出され、自宅に軟禁された上で事務所に電話をかけさせられた」などと主張していた。電話とは明代が自宅から9時19分にかけてきた「気分が悪いので休んでいきます」という電話である。矢野はこの電話を「脅された状態でかけさせられた」と説明しているが、明代が事務所から拉致されたとすれば、犯人が何のために明代の自宅に立ち寄り、事務所に電話をかけさせたのか、その必然性はない。

 一方、当夜10時30分前に自宅に着いた朝木直子は、「家の中はいつもと変わらない状態だった」と法廷で供述している。複数の犯人が大人を自宅まで拉致して軟禁したとすれば、家の中はなんらかの変化があってもおかしくない。つまり朝木の供述は、明代が事務所に電話をかけたとき、軟禁状態にはなかったことを意味している。

 明代は矢野への電話で「休んでいきます」と伝えている。つまり明代は、電話のあと事務所に行くつもりだったことがわかる。電話をかけたのは9時19分。明代がビルから転落したのは10時ごろである。明代の自宅から事務所までは徒歩で5分。事務所から転落したビルまでは歩いて2分もかかるまい。

 当夜7時40分から9時過ぎにかけて、自宅方向へあるいは事務所の方向へ1人で歩いている明代の姿が複数目撃されている。特に9時過ぎの目撃情報は東村山駅周辺のもので、明代は自宅方向に向かって歩いていた。明代が自宅から矢野に電話するわずか十数分前のことである。

 西村はそのわずか十数分の間に拉致されたというのだろうか。それはどこで、どうやって実行されたのか。拉致されたと主張するのなら、それまでの明代の行動、歩いた経路などについて事実を積み上げ、つぶさに検証した結果でなければならない。自ら検証することもなく、詳細については平然と「知らない」と繰り返す西村の感性とはどういうものなのか。あるいはそれが「行動する保守」の通常の感覚なのだろうか。

残されていたバッグ

 9時19分から10時までの間に、明代が事務所に行き、事務所から転落したビルまで行く時間は十分にある。事務所には明代の財布が入ったバッグが残されていた。その中に鍵も入っていた可能性はないのだろうか。乙骨正生の『怪死』には転落死当夜の出来事を時系列にまとめたくだりがあるが、そこには次のようなきわめて興味深い記述がある。矢野が事務所に戻り、朝木がいなかったとする当時の状況に関する記載である。

9時10分ごろ、矢野氏が「草の根」事務所に戻る。事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっぱなし、外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くため普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。

 矢野は当初、明代は事務所から拉致されたと主張していた。しかし平成11年に行われた『聖教新聞』裁判の尋問で追及されると、「それはイメージだ」と弁明している。根拠があるものではないという趣旨である。それ以降、矢野が「事務所からの拉致説」を強調することはなくなった気がする。なぜなのか。

 9時19分に「気分が悪いので休んでいきます」という明代からの電話を受けた矢野は、明代の身を案じるでもなくただ「電話中」と冷たく扱った。矢野が事務所に帰ったときに「異変」を感じたのなら、明代から電話がかかったときに何をおいてもまず安否を問うはずである。つまりこの矢野の対応は、9時10分ごろの事務所の様子に異変があったかのような説明とは齟齬がある。そのことに気づいた矢野は、「事務所からの拉致説」をあまり強調しなくなったのではないかと私は考えている。

 その後矢野は、10時30分に朝木から「母は家にもいない」という電話を受けたことで異変を感じたことになっている。そうでなければ、矢野に助けを求めた明代からの電話に「電話中」の一言で切った事実を説明できない。

 乙骨が矢野と朝木に『怪死』の取材をした当時はまだ「事務所からの拉致説」を宣伝していた時期だった。だから、事務所の「異変」を強調するために事務所の状況をこと細かに説明していた。ところが、矛盾を取り繕うために宣伝しなくなった記載の中には矢野の行動の不可解さが残されていた。それが事務所に残されていた明代のバッグに関する記載である。

 矢野が明代のバッグの中身まで確認した時刻が9時だったのか10時前だったのかについては客観的な証拠はなく、矢野のいう時間帯については信用できない。しかし、乙骨の具体的な記載からは、転落死当夜に矢野が明代のバッグの中身を見たことだけは事実として残っている。バッグが残されていたというだけならまだいいが、何の異変も感じていないはずの時間帯に、矢野はなぜ明代のバッグの中を見、財布の中身まで見たのだろうか。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その4)
西村反対尋問(3)

 さて、千葉は朝木事件関連の質問のあと、今回の事件に関する質問に移った。



③「創価学会の4悪人」のプラカード等

千葉  看板は誰が作ったのか。

西村  私が作った。

千葉  保管は誰がしているのか。

西村  私が持っている。

千葉  街宣で主張した「千葉は創価学会員である」という根拠は何か。

西村  あなたが創価学会員かどうかはわからない。

千葉  朝木直子と最初に会ったのはいつか。

西村  8月に文京区民センターで行ったシンポジウムのときだ。

千葉  去年の話か。

西村  それ以前には会っていない。

千葉  「東村山の闇」を入手したのはいつか。

西村  文京区でのシンポジウムのときにもらった。もちろん代金を支払った。



 西村が街宣で指差したプラカード(「創価学会の4悪人」等と書いたもの)もまた自ら作成したものであることを認めたことは重要だろう。他人が作成したものを読み上げたというのと、自ら作成したものを街宣中に読み上げたというのでは責任の重さが違ってくるのではあるまいか。千葉が「創価学会員かどうかわからない」と率直に供述したことも潔いものと評価できよう。

 興味深いのは西村が「東村山の闇」を入手した時期である。本連載その1で述べたとおり、西村は平成21年10月22日付陳述書では「平成18年8月」とし、主尋問では「平成19年8月」と供述した。だから千葉は、あえてもう1度入手時期を聞いたものとみられる。すると西村は、今度は「去年(平成20年)8月、文京区民センターで行ったシンポジウムの際に朝木直子と初めて会い、そのときに『東村山の闇』を入手した」と供述したのである。「『東村山の闇』の入手時期」というきわめて単純な事実について、これほど短時間の間に供述がブレるとはどういうことなのだろう。

 もう1度、これまでの西村の供述を確認しておこう。

陳述書
〈私は、平成18年8月、朝木直子東村山市議会議員から「東村山の闇」と題する本を頂きました。勿論代金は支払いました。〉

主尋問
〈一昨年(平成19年)8月、朝木直子さんからもらった。〉(この供述については私のメモに基づいているので、もう少し詳しかった可能性があるが、シンポジウムの話は出なかった)

「行動する保守」らは平成21年9月1日の東村山街宣に先立つ平成21年8月24日、矢野と朝木を招き、文京区民センターにおいて〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな 東村山市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底糾明を〉と題するシンポジウムを開催している。それまでの供述よりも反対尋問における供述の方が具体性があることは歴然である。さらに西村は、千葉が「去年の話か」と念を押したのに対して「それ以前には会っていない」と明確に答えているから、この供述が最も信憑性があるとみていいのではあるまいか。

 西村に対する反対尋問が終了したあと、入手時期に関する供述の食い違いに気づいた代理人は西村に対して、「東村山の闇」の入手時期について「平成18年でしたね」と供述を訂正させた。代理人は入手時期も重要とみているということだろう。西村がわずか1週間で、千葉を「創価学会の4悪人」と断定するに十分な調査ができたと主張するには少々無理があると考えたとしても不思議はない。



④ベランダウンコ事件

千葉  この裁判の第1回口頭弁論の日の朝、自宅のベランダにウンコが置かれた、これは創価学会による脅迫だと主張していたが、あの件はその後どうなったのか。警察には問い合わせているか。

西村  警察はあまり熱心ではなかったので、確認していない。



 特にコメントする必要もなかろうが、「行動する保守」のリーダーともあろう者が「警察があまり熱心ではなかった」などという理由で泣き寝入りしていいのか。それが本当に脅迫と考えているのなら、「行動する保守」のリーダーとして行動しなければ、支援者に対して示しがつかないのではなかろうか。「事件」が発生した際、西村以上に大騒ぎした「行動する保守」Aにしても、西村に捜査状況の確認をしないのだろうか。きわめて不可解である。

(つづく)

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