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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平事件第7回口頭弁論(その8)
事情聴取に応じた父親と弟

 朝木明代の転落死に関し、遺族・関係者の中で東村山署の事情聴取に応じていないのは長女の朝木直子ただ1人である。転落死当日の平成7年9月1日、松戸を出発した車に乗っていた4人の中でただ1人「胸騒ぎ」を覚えていた朝木だけが事情聴取に応じないとはきわめて不自然なことではあるまいか。

 これまでみてきた事実から明らかなように、朝木の「胸騒ぎ」を引き起こした原因は9月1日午前中から松戸を出発するまでの間に明代と交わした会話にあった可能性がきわめて高い。その「胸騒ぎ」が「母親は何者かに命を狙われている」と強く感じさせるものだったとすれば、「殺された」とする朝木の主張とはなんら矛盾しない。したがって、朝木にはむしろ自ら積極的に事情を説明する理由はあっても事情聴取に応じない理由はないはずなのである。

 東村山署が朝木に事情聴取を要請しなかったという事実もない。東村山署は平成7年9月18日に父親大統の、9月25日に弟の事情聴取をそれぞれ行っているが、東村山署は当初から朝木に対しても事情聴取を要請していた。

 東村山署が電話で朝木に対して最初に事情聴取の要請を行ったのは9月6日である。応対したのは女性(朝木本人であると思われる)で、「今忙しいので検討してから連絡する」との回答だったという。9月14日、朝木と矢野が弁護士らを伴って鍵の確認に来た際、東村山署は朝木に対して事情を聴取しようとしたが、朝木は再度出頭するといってわずか30分で退出している。

 その後、大統の事情聴取が行われた9月18日には弟と朝木に対する事情聴取を要請し、9月21日と9月25日にも弟に対して朝木からも事情を聴きたい旨依頼している。しかし、朝木からはついに何の連絡もなかった。

 東村山署は9月5日以降、朝木の遺族だけでなく矢野にも頻繁に事情聴取を要請している。矢野がようやく事情聴取に応じたのは1カ月後の10月7日である(この日矢野はアリバイを主張した「日替わり」ランチが売り切れだったことを知らされ、供述を二転三転させた)。

 この間の遺族および矢野に対する事情聴取のもようを読者はどうみるだろうか。比較的素直に事情聴取に応じたのは万引き事件の実情を知らされていない大統と弟で、万引き事件でアリバイ工作を共謀した矢野はすぐには聴取に応じず、松戸を出発する時点で「胸騒ぎ」を覚えていた朝木は事情聴取には応じていない。

朝木が事情聴取に応じなかった理由

 矢野は10月7日にようやく応じたものの、万引き事件については調書化に至らず、12月7日、別件で東村山署にやって来た矢野に捜査員が聴取を要請すると矢野は「頭に来たから行かない」と拒否したきり15年が過ぎた。この時点で矢野はアリバイの立証を放棄したのである。朝木に至っては、平成7年9月14日に鍵の確認に来た際には「改めて出頭する」と約束したにもかかわらず、その後15年間、東村山署に連絡さえない。

 朝木はともかく、矢野は遅かったとはいえ一応は事情聴取には応じているではないかという反論もあろう。しかし、明代の万引きと転落死事件に関して矢野と朝木の立場は同じではない。明代の万引きと自殺が明らかになれば自分の社会的信用や地位も危うくなるという点では矢野と朝木には共通点があるものの、事件そのものへの関与という点では、アリバイ工作を共謀した矢野と、松戸へ逃げていて事件そのものには関与していない朝木とでは東村山署に対する対応もおのずと異なる。

 矢野にとって事情聴取とは、自らの犯罪的行為を否定するための場でもあった。万引き事件に関する捜査機関の調査はまだ続いていたさなかだったからである。朝木にとっては自らの潔白を証明しなければならないような事情はまったくなく、純粋に自らの知る明代の当時の様子、当日の自らの行動などを説明する場にすぎなかったという明らかな違いがある。

 東村山署から頻繁に要請されているにもかかわらず事情聴取に応じない一方、矢野と朝木は9月2日以降、集まったマスメディアに対しては矢野がすべての窓口となり、「資料」を作成するなどして取材に応じていた。とりわけ『週刊現代』や乙骨らとは飲みに行くほどの関係を作り上げていた。つまり、東村山署には事情を知らない大統と弟を行かせ、自分たちはマスメディアを相手に謀殺のストーリーを流し続けた。

 そんな状況の中で、矢野はともかく朝木が東村山署の事情聴取に応じようとしなかった事実は何を物語るだろうか。マスメディアに対してと同様に「明代は殺された」と自信を持って説明できるのなら、事情聴取の要請に対して朝木が応じない理由は考えられない。するとやはり朝木は、マスメディアには決して明らかにできない何か、つまり明代の転落死が他殺ではないことをうかがわせる重要な事実を自らの経験として知っており、それが事情聴取によって暴かれることを警戒したということではないのか。

 松戸を出発する時点で感じていた「胸騒ぎ」の原因が、「他殺」を予感させる種類のものだったとすれば、事情聴取に応じてその旨をありのままに話せばよかろう。しかし朝木がそれをしなかったのは、9月1日、明代からの電話によって「他殺」とは異なる事態が起きかねないことを感じていたということではないのか。朝木が東村山署の事情聴取を拒否した事実はむしろ、朝木が感じていたという「胸騒ぎ」の原因が「他殺」以外の事態を予感させるものだったことを推測させるのである。

(つづく)

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西村修平事件第7回口頭弁論(その9)
ごまかしのインタビュー

 東村山署は平成7年9月6日以降、朝木と矢野に対して再三にわたって事情聴取を要請し、朝木は鍵を受け取りに行った日に捜査員に対して「再度出頭する」といっておきながらついに聴取に応じなかった。しかし朝木は、創価学会との関連づけたいメディアに対して「東村山署はまともな捜査をしていない」と印象づけていた。たとえば朝木は幸福の科学リバティ編集部が発行した「創価学会を折伏する」(以下=「リバティ」)のインタビューに応じているが、その中には次のようなやりとりがある。



――10月7日の事情聴取は、東村山署が1カ月以上たってからようやく形だけ聞きにきたわけですよね。

朝木  それで、私の父とか弟に、執拗にどの靴がなくなっていたかというのを聞くんですよ。……わかるわけないんです。



 このインタビューが実際に行われたのだとすれば(朝木なら「そんなインタビューなど受けていない」と言い出しかねない)、その時期は平成7年10月7日よりあとということになる。いうまでもなく、ここでいう「10月7日の事情聴取」とは矢野に対して行われた事情聴取のことである。

「リバティ」編集部の聞き方からすると、聞き手は朝木から「東村山署は事件発生後1カ月以上たってからようやく形だけ聞きにきた」とまったく事実に反する説明をされていた様子がうかがえる。しかも、10月7日の事情聴取は矢野に対するものだったにもかかわらず、朝木の説明では父親や弟に対する事情聴取や捜査員が朝木宅を訪問した際のやりとりとごっちゃになっていて、誰がいつ、どこで、何を聞かれたのかきわめて不明確である。

 要するに朝木にとって、事件のみならず東村山署から事情聴取の要請がいつあったのか、それに対して朝木自身はどう対応していたのか、また実際に誰がいつ、どのような事情聴取を受けたのかといった正確な経緯と内容についてごまかそうとしていることがわかる。「他殺」を主張し、東村山署に対する捜査批判に正当性があるのなら、事実を隠す必要はあるまい。

 朝木はこのインタビューで東村山署の捜査批判を展開しているが、その中には確認可能な明らかな虚偽情報も含まれている。9月1日の電話発信記録についてである。



朝木  ……9月1日の事件についても、警察はいくつかの疑問を解明していません。靴のこと、手の跡のこと、悲鳴のこと……。また母からの最後の電話の件もあります。結局、自宅から事務所にかけたという事実がNTTの発信記録が明らかになっているにもかかわらず、警察は10月7日の事情聴取の調書に、その事実を残そうとしなかったわけです。それはなぜなのか……。



 東村山署の再三の出頭要請に応じなかった朝木がそんな事情などおくびにも出さず、東村山署の捜査に対して「それはなぜなのか」と疑問を呈するというのもたいした神経だと思うが、リバティ編集部としてはまだ20代の「被害者の長女」がそこまでしたたかとは思いもしなかったろう。

騙された「リバティ」

 ではこの部分の内容は事実なのか。朝木は明代が自宅から最後の電話をかけたことが明らかだから、明代は事務所から現場に行ったのではないとし、NTTの発信記録がその証拠だと主張している。もちろん、最後の電話から転落時刻までには40分の時間があり、その間に自宅から事務所まで歩いていくことは十分に可能だから、NTTの発信記録が明代の最後の居場所を特定するものということにはならない。この点だけみてもインタビューにおける朝木の説明がいかにいいかげんで、それを鵜呑みにするリバティ側の姿勢もまたいかに矢野と朝木のいいなりになっていたかがわかろう。

 10月7日に行われた矢野の事情聴取の際にNTTの発信記録を提出したという話も東村山署の捜査が恣意的に行われたと思わせるための巧妙な嘘である。矢野と朝木が10月7日の段階でNTTの発信記録を入手していたこと、調書に発信記録の件が記載されていないことまでは事実のようだが、矢野が事情聴取の際に発信記録を提出した事実はない。したがって東村山署は、発信記録の件を調書に「事実として残そうに」も残しようがなかったのである。

 朝木と矢野にとってNTTの発信記録がそれほど重要なら、もっと早く公表してもおかしくなかった。しかし、彼らが発信記録を公表したのは平成8年に提訴した「聖教新聞」裁判の尋問が迫った平成11年のことである。この年、朝木は発信記録をもとに尋問を受けたが、「平成7年10月7日の事情聴取の際に発信記録を提出している」とする趣旨の供述もいっさいない。

 東村山署の再三にわたる事情聴取の要請に応じなかった朝木の実情を知らない「リバティ」の編集者は朝木の嘘にみごとに騙された。明代の転落死を「自殺」と断定した警視庁の正式発表以前に矢野と朝木に騙されたのは「リバティ」だけではない。

 警視庁の発表から15年、東京地検の発表から13年がたった今、「リバティ」の編集者は事件をどう考えているのだろうか。きわめて興味深いが、「リバティ」がその後何の続報もやらないということは、少しは実情を理解したということなのかもしれない。

 しかし仮に「リバティ」がそうだとしても、今もなお矢野と朝木のデマに踊らされた「行動する保守」Aや西村修平、およびその周辺のその他大勢のような者がいまだに後を絶たないことはまぎれもない現実である。西村は千葉との裁判でも「リバティ」の内容を信じ込み、証拠として提出している。信じ込む方も信じ込む方であるとはいえ、いったんは矢野と朝木のデマに加担した幸福の科学の責任はけっして小さくない。

(つづく)

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西村修平事件第7回口頭弁論(その10)
実施されていた薬物検査

 雑誌「リバティ」は明代の転落死について、「ある関係者」が語った「シナリオ」を記載している。それによると、「犯行グループ」は「帰宅した明代を自宅に拉致し、催涙ガス等で気絶させたあと、段ボールのような箱に入れて転落ビルまで運び、明代を横に抱えて落とした」という。この荒唐無稽な「シナリオ」については『週刊新潮』や乙骨でさえ証言自体の信憑性に疑問を呈している(『週刊新潮』平成7年12月21日号)。

 一方、同記事の中で朝木だけは次のようにコメントしている。

「この記事に根拠があるのかないのか、わかりませんが、この内容は、まさに私たちが推測していた通りのものなんです」

 朝木は直近の尋問(平成21年7月3日=「自作自演」事件)でも「母が自宅から拉致されて殺害される事件」と供述しており、矢野と朝木の基本的な「シナリオ」がやはり「自宅から拉致され現場まで運ばれた」というものであることに変化はない。

 さて、この裁判で逐一朝木と相談しながら準備書面を提出していた西村は、平成22年1月19日付準備書面で朝木の主張に基づき、「自宅からの拉致説」を展開している。その1つの大きな根拠としているのは次の朝木の供述(「創価新報」事件で提出した陳述書)である。



(司法解剖では)重要な手がかりを提供する可能性の高い「薬物反応」も検査されませんでした。……「薬物反応」を検査させず、鑑定書を作成させなかった一点で、はっきりと創価学会信者の信田昌男を(ママ)いう検事には証拠隠しの疑惑を強く感じます。



 この供述をもとに西村は次のように主張している。



 朝木直子の陳述書の15頁には、……朝木市議の遺体の司法解剖鑑定請求の検査事項の中に、薬物検査という重要項目が欠けていたため、司法鑑定医としては薬物検査をすることも、薬物検査についての鑑定結果を鑑定書に記載することもできなかったことが判明した。

 これにより、朝木市議が、自宅においてプロの殺人犯人グループにより、麻酔を掛けられたため、近所に助けを求めて大声を挙げることも出来ずに犯行現場のロックケープハイムビル迄運ばれ、階段踊り場から突き落とされた可能性が強く、……



 要するに朝木は「司法解剖で薬物検査をしていないから、明代は薬物によって気を失わされた上で拉致された」と主張し、西村もまた朝木の主張のままに同じ主張をしていることになるが、仮に「薬物検査をしていない」からといって、そのことからただちに「薬物によって気を失わされた」という結論を導くのはかなり無理があるというべきだろう。

 では、朝木が主張するように、明代の薬物検査は本当になされていなかったのか。この点に関して千葉は準備書面で次のように反論している。



 東村山警察署長は平成7年9月2日、解剖執刀医師から朝木市議の血液等を提出してもらい、同月4日、警視庁科学研究所長に対し鑑定を依頼している。その結果、警視庁科学研究所長から同月19日に「血液には揮発性薬物(エーテル、クロロホルム・吸入麻酔剤等)及び劇毒物は含有しない。アルコールは検出されなかった」との回答を得ている。

 上記鑑定に関する書類は担当検察官に送付されたのであって、検察官が薬物検査をしなかったと論難すること自体が的外れであり、検察官が薬物検査の依頼をしなかったのは本件転落死が殺人事件であることを封ずるためであったとの被告の主張は失当である。



 そもそもこの事件で薬物検査の必要があったとも思えない。しかし、千葉はのちのちのためにも万全を期したのだろうと推測する。矢野と朝木はこれでも「東村山署はろくな捜査をしていない」というのだろうか。

 転落現場真上の手すりに手指の痕が残っていた現場の状況も明代が意識を失っていた事実がないことを示しており、この事実は警視庁科学研究所の分析結果を裏付けていよう。いずれにしても、明代が薬物を使われた可能性がないことは警視庁科学研究所の分析結果からも明らかだったということになる。

「創価新報」事件(被告=創価学会、国等)でも朝木の「薬物による拉致説」はもちろん採用されず、一審で敗訴した矢野と朝木は控訴もしていない。「リバティ」レベルの朝木の主張をただ繰り返しただけの西村の主張が認容される可能性もきわめて低いとみるべきだろう。

 朝木が今も「リバティ」の「シナリオ」には信憑性があるとし、それが誰か第三者によるものなら、矢野と朝木は情報の出所とその根拠を確認していないのだろうか。現在に至るまで、彼らが「リバティ」の「シナリオ」を語った「ある関係者」が誰で、その内容がどこまで「事実」なのかを確認したという話は聞かない。聞かなくてもわかるということであると理解するのが自然である。

結審後も準備書面を提出

 さて、こうして1月27日、千葉が西村を提訴した裁判は結審した。しかし西村側代理人は、これまで紹介してきた千葉の準備書面に対して反論したいと主張した。これに対して裁判長は「4月初頭に判決を言い渡します」とした上で、結審後に西村が準備書面を提出することについてはこれを容認した。

 西村が千葉に対する反論の準備書面を提出したのは平成22年3月5日である。「4月初頭の判決」に間に合わせようと努力したことがうかがわれた。ただ、その内容は事実に基づく千葉の主張を覆すようなものはあるはずもなく、千葉が裁判で明らかにした捜査内容についても「捜査の内容は法廷での検証にさらされていないから証拠価値がない」などとする主張を繰り返したにすぎない。

 裁判所がどんな判断を下すかについては予断を許さないが、「証拠価値がない」と主張するのなら、「行動する保守」の重鎮の1人である西村は捜査機関の判断を覆す材料を提出すればいいだけの話である。

 なお結審の日、裁判長は「4月初頭に判決を言い渡します」と述べたが4月9日現在、当事者にはまだ判決言い渡し期日は通知されていない。

期日の延期を申し立てた右翼M

 余談だが、千葉が右翼Mを提訴し、4月14日に次回口頭弁論が予定されていた裁判は、4月9日に右翼Mが延期を申し立てたため5月26日に開かれることになった。「4月8日に釈放されるまで22日間拘留されていたため、準備書面の準備ができない」というのがその理由のようである。

 前回口頭弁論において右翼Mは、次回に提出する準備書面について裁判所が示した内容に沿って主張するよう求められていた。その内容は、原告主張のうちどの部分をどのように争いあるいはどんな抗弁を行うのかなどである。いわば、被告としての応訴方針を具体的に示してくださいという程度のものにすぎない(仮に真実性の立証を求められたとしても、右翼Mはそれなりの根拠があって記事を書いたはずだから、それほど時間がかかるはずもない)。

 それに4月9日を含めて予定されていた口頭弁論の前日までにはまだ5日もある。にもかかわらず、右翼Mはその時点で「間に合わない」とあきらめたということになろうか。

 右翼Mは釈放当日、ブログをアップし、さっそく裁判費用のカンパを要請し、「行動する保守」Aもまた右翼Mのためのカンパを要請している。社会運動家を自称する彼らにとって、カンパは裁判費用に宛てるものであるとともに、彼らの主張する「朝木明代殺害事件」の「真相」を「究明」するためのものにほかならない。

 その支援者にカンパを要請している右翼Mが、たかだか22日間拘留されていたというだけで、口頭弁論までまだ5日もある段階で「間に合わないから延期してほしい」と裁判所に申し立てるような責任感のないことでいいのか。まして、「間に合わない」責任を中野区役所などに転嫁するなど度量のなさを自ら知らしめたようなものである。あるいは「卑怯者」といってもいい。

 右翼Mは支援者の支援と期待に応えるためになんとしても口頭弁論前日までに準備書面を提出した上で、裁判長に「実は拘留されていたので提出が遅れた」と率直にいうべきなのである。それがカンパを受けた者の責任の果たし方ではあるまいか。それなら支援者もカンパの甲斐があったと、彼らなりに納得するかもしれない。

 これで「行動する保守」らが主張する「朝木明代殺害事件」の「真相究明」は確実に1カ月以上先送りされることになった。最初からその気がないのなら話は別だが、時効は9月に迫っているというのに、1カ月以上も「真相究明」を先送りさせたのでは支援者に顔向けできないし、右翼Mを心配してカンパを募った「行動する保守」Aの顔まで潰すことになるのではなかろうか。

 右翼Mは、やはり「情けない右翼」だったといわれても仕方あるまい。

(了)

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東村山市議会議場外報告①
響き渡る咆哮

 東村山市議会3月定例会の一般質問が行われた平成22年3月3日、開会時間の午前10時少し前、議場前のロビーを通りかかると、なにやら咆哮のような声が響き渡っていた。東村山市議会には何が起きてもおかしくない議員が存在しているとはいえ、今日はまた朝っぱらから何事だろうか。そう思いながら、私の足は咆哮の方に向いていた。

 すると、いつもは閉まっている議長室のドアが開いたままになっていて、ドアのそばには有名な「草の根市民クラブ」の朝木直子が部屋の内側に向かって立ち、何かしきりに大声を張り上げている。ドアと朝木の間から議長室を覗き込むと、議長が議長の机の前に座っており、その目の前に矢野穂積が立って議長に大声で何か非難あるいは抗議しているように見えた。咆哮の主は矢野だったのである。それに対して議長は反論している。

 矢野の激昂ぶりはただごとではない。そこで私はとりあえず、目の前で矢野を応援している朝木に聞いた。

「朝からどうしたの?」

 矢野の応援に集中していた朝木はようやく私の存在に気づいた。しかし朝木は私の方を振り向くと、ただ一言だけこういった。

「ゴキブリ」

 取り込み中であるのはわかるが、市議会議員として必ずしも推奨できるセリフではない。少なくとも私に対して好意的に思っていないとしても、朝一番から人に向かって「ゴキブリ」などというセリフが口をついて出てくる市会議員も珍しかろう。

 さて、その後まもなく矢野が議長室から出てきたので、矢野に聞いてみた。

「先生、朝からエンジン全開ですね。どうしたんですか?」

 矢野は最近なぜか私の質問にまともに答えてくれたことがなく、いっさい口を開かないことの方が多い。その日も最初はそうだった。ところが一瞬の間を置いて、矢野は口を開いた。どうやら矢野は、その日は私に対しては少し気分が違ったようである。矢野は「草の根」の控室に向かって歩きながら、私の質問には答えず、どうしたのか矢野は「アハハハハ」と声を立てて笑ったあと、こういったのである。

「おまえ、逆転敗訴だな。弁護士から聞いていないのか」

 一瞬で論点をそらす発想力は常人ではなかなか真似できない。矢野からすれば、これで攻守逆転ということなのである。普通の人間なら聞かれたことについてどう対応するかの判断をしようとするから思考は相手の質問の範囲に制限されるが、矢野にはそもそも相手の質問に対応しようとする発想がないのだろう。こうして矢野はそのまま朝木とともに控室に消えた。

水の持ち込み許可を求めた矢野

 やむなく私はただちに議長に取材を申し入れた。判明したのは以下のような事実である。

 市会議員は議会に来るとまず議会事務局に立ち寄り、議会に来たことを議長に報告しなければならない。矢野はその際、議会事務局を通じて議長に対し議場への水の持ち込みを許可してくれるよう申し入れた。議長はこれを許可しなかった。このため矢野は議長室に乗り込んで議長への抗議に及んだものという。

 議会傍聴規則には傍聴席において「飲食及び喫煙をしないこと」(第7条の4)という規定があるが、東村山市議会会議規則には禁煙の規定はあるものの飲食に関する規定はない。議場内で議員が飲食をすることは想定されていないということである。

 ところで私の知る限り、矢野が議場内に水の持ち込みを申し入れたのは初めてのことである。ということは、よほど何かのっぴきならぬ理由があったのかもしれないが、それならそれなりの事情を説明しなければなるまい。矢野は議長室で事情を話したようだが、議長にはどうしても水を持ち込むほどの体調であるとは思えなかったのだろう。

 喉の調子が悪かったにしては、ロビーまで響き渡るほどの大声が出るほどだから、喉とは関係がないように思えた。その日矢野は一般質問に立ったが、質問のスピードが落ちたような気がするものの、どうしても水が必要と思えるほど体調がすぐれないようには見えなかった。
 
 その矢野が、議場への水の持ち込み許可を求めたこと、それを拒否されて激昂したのはどういう事情だったのだろう。何か、矢野にしか認識できない体調面の理由があったことは確かなのだろう。ただ、だからといって、朝一番から議長室で大声を張り上げることは議員としてあまりほめられたことではあるまい。

逆転敗訴の可能性

 さて、矢野が私に「逆転敗訴だな」といったのは、平成18年2月5日早朝、不審者が朝木直子宅敷地内に侵入して騒いだ事件に関する裁判のことである。矢野と朝木はこの事件を「殺人未遂事件」で、「この事件によって明代の転落死事件も他殺であることがはっきりした」などと主張していた(現在も東村山市民新聞に掲示中)。

 これに対して私は、事件がたんなる酔っ払いによる騒動にすぎず、それを「殺人未遂事件」などと主張し、あたかも明代の転落死事件と関連性があるかのように主張するのは「自作自演」であるとする記事を書いた。これに対して矢野と朝木が、記事は彼らの社会的評価を低下させるものであるとして提訴していたものである。

 一審の東京地裁立川支部は平成21年11月13日、「記事はいずれも原告ら(矢野と朝木)の社会的評価を低下させるものではない」と認定し、矢野らの請求を棄却。当然、矢野らは控訴していた。その第1回口頭弁論が開かれたのが平成22年2月23日。矢野が議長室で騒いだ1週間前である。私は当日都合が悪く、出廷できなかった。

 後日、代理人に聞いたところでは、東京高裁の判断は「記事は控訴人ら(矢野と朝木)の社会的評価を低下させる」というもので、裁判長は和解を勧告したいとのことだった。一審の認定は「記事は社会的評価を低下させない」という理由で矢野らの請求を棄却していたから、東京高裁の認定は地裁とはまったく正反対のものだったということになる。そのかぎりでは明らかに風向きが変わったことがうかがえた。

  これが、矢野が「逆転敗訴だな」と喜んだ理由である。高裁の判断を聞いた矢野が嬉々として「逆転敗訴だな」といったということは、やはり矢野は一審の敗訴判決がよほど悔しかったものとみえる。

「記事が控訴人らの社会的評価を低下させた」とすれば、記事の真実性あるいはそう信じるに足りる相当な理由があったかどうかが問題となる。そこで私の方は4月6日に開かれた第2回口頭弁論において真実性・相当性の抗弁を記載した準備書面を提出した。

 第2回口頭弁論で和解の斡旋があるかと予想していたが、裁判長は「やはり本件は和解は難しいようです」とし、和解の話はなくなった。裁判長は「もう主張はよろしいですね」と双方に確認すると、判決言い渡し期日を6月17日午後1時15分と指定して結審した。

 判決の行方はまったく予断を許さない。しかし事件そのものは、東京地検が平成18年3月16日に「住居侵入事件」として不起訴処分の決定をしていることが明らかとなっている。したがって私としては、裁判を通じて事件が少なくとも「殺人未遂事件ではなかった」ことの根拠が得られたと判断しており、記事を書いた目的は十分に達成できたと考えている。詳細は判決後にあらためて報告しようと思う。

 なお、朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐり千葉英司東村山警察署元副署長が「行動する保守」の重鎮、西村修平を提訴していた裁判の判決が4月28日午後1時30分言い渡されることがわかった。この裁判で矢野と朝木は全面的に西村を支援してきた。はたして彼らの主張がどこまで裁判所に通用するか、注目したい。

(了)

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西村修平事件一審判決(速報)
 街宣活動によって名誉を毀損されたとして、千葉英司元警視庁東村山警察署副署長が右翼団体「主権回復を目指す会」代表の西村修平に対して100万円の損害賠償を求めて提訴していた裁判で、東京地裁立川支部は平成22年4月28日、西村に対して10万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 千葉が問題としたのは、朝木明代(東村山市議=当時)の転落死事件(平成7年9月1日)をめぐり西村が平成20年9月1日に東村山駅前で行った街宣活動における発言などである。

「行動する保守」Aが同年7月29日に八王子駅前で行った街宣で、

「他殺であるにもかかわらず、地検と警察によって闇に葬られた。警察は容疑者を特定していたとする内部告発を得た」

 と発言して以降、「行動する保守」Aや西村らは「朝木明代謀殺事件の真相究明活動」と称する活動を行ってきた。同年9月1日に行った街宣の1週間前には、「行動する保守」Aらが主催したシンポジウムに明代の万引き事件でアリバイ工作および万引き被害者に対する威迫活動を明代と共謀した東村山市議の矢野穂積と明代の長女、朝木直子(同=「草の根市民クラブ」)がパネリストとして登壇し、「明代は殺された」との主張を繰り返した。

 矢野と朝木の主張を鵜呑みにした西村は街宣で、

〈創価学会の四悪人
 東村山署   ○○○○(刑事の実名)?
  〃  ?  千葉英二副署長
 地検八王子  ○○○○(検事の実名)
        ○○○○(検事の実名)〉

 と記載したプラカードを指さしながら、

〈東村山署○○○○(実名)刑事係長、千葉英司副署長、この2人が、朝木さんが謀殺された事件を自殺として覆い隠した張本人〉
 
 などと演説した。千葉はこの街宣が名誉を毀損するものであるとして提訴していた。

静まり返った傍聴席

 この日、法廷には被告西村のほか「行動する保守」Aや先日釈放されたばかりの右翼M、「行動する保守」Aの弟子など支援者十数名が詰めかけたが、この裁判で西村を全面支援してきた矢野と朝木は姿をみせなかった。

 関係者の間では、判決言い渡しの後、かなりの騒ぎになるのではないかと予測していたフシがある。しかし予測に反して今日は、敗訴を言い渡された被告席の西村が書類を机に叩きつけることもなく、傍聴席の支援者が裁判官に罵声を浴びせるでもなく、むしろ静まり返っていた。

「行動する保守」らは裁判官に大声をあげたところで現実が何も変わらないことを学習したのかもしれない。あるいは、慣れたのだろうか。

 さて、「行動する保守」の重鎮、西村がこのまま敗訴判決を受け入れるとは考えにくい。控訴審で注目されるのはやはり、一審で「内部告発」に関する証言をしないまま西村を見殺しにした「行動する保守」Aが、その内容を明らかにするかどうかである。西村や支援者らを東村山問題に引きずり込んだ者として、「行動する保守」Aだけは、ただ傍聴に来るだけでは支援したとはいえまい。

 余談だが、比較的静かだった「行動する保守」の中で、右翼Mだけはどうしたのか、ずっと何かに挑むような表情をしていたのが印象に残っている。対照的に「行動する保守」Aは、こころなしか痩せたように見えた。 

(了)

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