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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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久米川駅東住宅管理費等不払い事件最高裁判決(速報)
 東京・東村山市にある久米川駅東住宅管理組合が、同住宅に住む東村山市議会議員(草の根市民クラブ)の矢野穂積と同居する認可保育園「りんごっこ保育園」園長の高野博子ら4名(3世帯)に対して不払い管理費等の支払いを求めていた裁判で9月上旬、最高裁が矢野と高野の上告を受理しない決定をしていたことがわかった。

 これによって平成22年1月20日、管理組合の請求を認容し、矢野らに対して不払い管理費等全額の支払いを命じた東京高裁判決が確定した。なお、他の2名に対しても請求通りの支払いが命じられているが、このうち1人は控訴しておらず、もう1人は上告しなかった。

 久米川駅東住宅の管理費等は1万7000円(長期修繕積立金1万円と管理費7000円)。矢野と高野が支払っていないのは平成15年10月以降平成22年10月までで、不払いとなっている管理費等は125万円にのぼる。

 矢野はこの間、毎月法務局に通って管理費等相当額を供託していた(平成15年10月から同16年12月までの間については、矢野は「管理費は4000円が相当」と勝手に主張して1万3000円しか供託していない)。わざわざ時間と手間をかけて法務局に通うくらいなら管理組合に振り込んだ方がいいと思うが、矢野という市会議員には彼なりの理由があったらしい。

 裁判で矢野は供託を理由に債務は消滅するなどと主張したが、東京高裁はこの供託を無効と認定している。管理組合が矢野の支払いを拒否する理由はなく、そんな事実もなかった。

 最高裁決定によって矢野の支払い義務が確定した金額は管理費等125万円と遅延損害金54万4040円の計179万4040円。回収にまた手間がかかるかと思われたが9月20日、矢野の方から支払いに応じる旨の文書が届いたという。差押えを避けたかったものとみられる。

 矢野にとって179万円余の支払いは、そのうち125万円は法務局に供託しているのだから、それほど大きな負担とはなるまい。むしろ、供託を自ら引き上げること自体が矢野にとって大きな屈辱なのではないか。不当な主張を正当化するために供託制度を利用するという反社会的手法の敗北と社会秩序からの排除を意味するからである。

(了)

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右翼M事件 第1回
敬意集める「行動する保守」A

 警視庁東村山警察署元副署長千葉英司が東京・中野区在住の右翼Mを提訴している裁判の第5回口頭弁論が平成22年10月6日午後1時30分から東京地裁立川支部で開かれた。この日も裁判所は駐車場入口に数名の職員が立ち、その脇には「街宣車の入場はできません」と書いた看板も立てられた。午後1時20分ごろに看板が撤去されたところをみると、右翼Mが街宣車で乗りつけることを想定していたことがうかがえた。

 法廷前に行くとこれまでどおり裁判所職員が数名立っている。「行動する保守」関連裁判では当事者以外は開廷5分前にならないと入廷できない。私は周辺を一回り見渡した。すると、法廷に向かって右脇にある待合スペースに、西村修平につき従っている女傑Mと並び称されるもう1人の有名な女性活動家Gがベンチに座っていた。女性活動家は私を認めると、抗議の感情を押し殺したような強い視線を投げてきた。西村の信奉者ということは、あるいはこの人も女傑なのだろうか。

 女傑G以外にはまだ「行動する保守」一行は到着していないようだった。私は女傑から一定の距離を置いてベンチに腰を降ろし、開廷を待つことにした。そこにやって来たのは「行動する保守」Aである。たいてい同行する弟子の姿はない。「行動する保守」Aはどうやら1人で来たらしかった。「行動する保守」Aはベンチに座っている私に気がついたが、以前とは異なり、私に近づいてはこなかった。

 数分後、エレベーターの方向がざわめいた。複数の人間が降りてきたらしく、足音に混じって話し声も聞こえてくる。それを聞きつけた「行動する保守」Aが法廷の方へ向かう。私も立ち上がって目をやると、右翼M一行が到着したところだった。それまで平穏そのものだった法廷前が一瞬にして不穏な空気に包まれた風情である。右翼Mは職員に促されてそのまま当事者入口から法廷へと消えた。

 右翼Mに同行してきたのは西村修平と女傑M、ほかに4名の支援者だった。西村はソフトケースに入った一抱えほどもあるハンドスピーカーを職員に預けている。閉廷後の街宣のために遠路、抱えてきたのである。

 背後では「行動する保守」一行とも一般の傍聴人とも明らかに雰囲気の異なる4名が彼らの様子をうかがっている。半年ほど前まではすでに西村から離反した幹部などに話しかける光景がしばしば見受けられたが、この日は誰も一行に話しかけようとはしない。一行に対するスタンスになんらかの変化があったのかもしれなかった。

 開廷時刻が近づき、職員に促されたのか、一行は1列に並び始めた。そこへ「行動する保守」Aが近づいていくと、2名の若い支援者が深々と頭を下げて挨拶していた。さすが「先生」と呼ばれる大物だけのことはある。それほど尊敬を集めているのだから、「行動する保守」Aは若者の期待に応えなければならない。

「行動する保守」Aは矢野と朝木が開催した「追悼集会」で挨拶に立ち、「内部告発者」に加え、衝撃的かつ奇抜な新しい「極秘情報」を公表したと伝えられている。いずれ「内部告発」の内容とともに明らかにされるのではあるまいか。なお、「内部告発」とともにその「極秘情報」に対する矢野・朝木のコメントはいっさいない。新たな「極秘情報」については一部支援者の間で不思議なことに、指導者が公表したとされる事実自体を頭から否定する声が多い。

 開廷5分前、「行動する保守」一行は列を乱すことなく法廷に入った。それを確認したのち、私も法廷に入った。一行をうかがっていた4名は最後列に座り、傍聴席の後方2カ所には裁判所職員が立った。傍聴席の後ろに職員が立つのは「行動する保守」関連裁判ではすでに見慣れた光景である。東京地裁における厳重な警備態勢といい立川支部の対応といい、「行動する保守」一行に対する裁判所の評価が定着したということと理解できた。

徹夜で提出した準備書面

 この日、私が注目していた点は2点あった。1つは、右翼Mが準備書面を提出するのかどうか。もう1つは、これまでなんら触れていない真実性・相当性を主張・立証するのかどうかという点である。前回の口頭弁論で裁判長は右翼Mに対して9月27までに準備書面を提出するよう命じていた。しかしこの日の午前中までに、千葉の元には書面は届いていなかった。

 しかし法廷に入ると、千葉が何かの書面に目を通しているのがわかった。あとで確認したところ、書面は10月6日午前4時に裁判所に届いていたことがわかった。右翼Mは書面を間に合わせるために徹夜したのだろう。よほど充実した内容なのだろうか。

 右翼Mの準備書面の内容を紹介する前に、千葉の訴えの内容とこれまで開かれた口頭弁論の流れを確認しておこう。

 千葉が右翼Mを提訴したのは平成21年9月8日。右翼Mは平成21年9月1日発行した「政経通信第38号」において次のように記載した。



(タイトル)
創価学会の犯罪を許さない
徹底した総力戦で粉砕するぞ!

(リード)
殺人さえも厭わない犯罪者集団が政治を牛耳る
高額賠償請求の乱発は司法を駆使した恐喝行為だ

(本文)
「東村山の闇」に光を!
(朝木市議の転落死事件は)創価学会が口封じに殺害した可能性が高く、現場の状況証拠から見て、これは確定的である。
 ……略……
 にも拘わらず捜査の指揮をとった東村山警察署の千葉英司副署長(当時))は強引に自殺として処理。(本件記載1)
 ……略……
 自殺に見せかけるためにはその動機が必要となる。そのために同年6月19日に朝木市議が駅近くの洋品店でブラウスを万引きしたという事件をでっち上げた。後日取調べを受けた朝木市議は書類送検されたことを苦に自殺したというストーリーまでお膳立てしていた。(本件記載2)
 ……略……
 この男こそ13年前、自殺事件にすり替えた張本人・千葉英司だったとわかった。警察を退職した今でも創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じていたとは。(本件記載3)



 千葉は、これらの記載(本件記載1~3)によって名誉を毀損されたと主張している。

(つづく)

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右翼M事件 第2回
牽強付会の主張

 千葉が問題とした記事と不法行為として摘示した箇所(本件記載1~3)について一般読者は、

「創価学会は殺人さえも厭わない犯罪者集団である」(タイトルおよびリード)

「朝木市議の転落死は創価学会が口封じに殺害した可能性が高いにもかかわらず、千葉は強引に自殺と捏造した」(本件記載1)

「創価学会は自殺とみせかけるために万引き事件をでっち上げた」(本件記載2)

「千葉はそのような創価学会という犯罪組織(シンジケート)の一員で、万引き捏造の事実を露顕させないために用心棒として洋品店で待ち受けていた」(本件記載3)

 と理解する、よって本件記載は千葉の社会的評価を低下させたと千葉は主張している。これに対して右翼Mは平成21年11月18日開かれた第1回口頭弁論で提出した答弁書においてそれぞれ次のように主張している。



(リード部分)
 リード部分は原告千葉が主張するところの「創価学会は殺人さえも厭わない犯罪者集団」ではない。「殺人さえも厭わない犯罪者集団が政治を牛耳る」が事実である。

(本件記載2)
 本事件「朝木市議殺害事件」に関して、「創価学会による犯行である」「創価学会が事件に関与している疑いがある」「万引きを苦にした自殺である」等の言論は、14年間に渡り種々雑多なのもが出版物及び言論活動で紹介されている。

 被告はそういった物の中から、自らの感性で創価学会に殺された可能性が高いと判断したものである。

(本件記載3)
「原告千葉が創価学会の犯罪組織に所属する人物である」とは一言も記述されていない。原告千葉による思い込みか捏造、または印象操作である。

(創価学会は右翼Mに対して訴訟という手段で幾多の攻撃を仕掛けている=右翼Mの主張の趣旨)が、こうした流れの中で、これらに追随して原告千葉が9月8日に本事件を提訴したというのは創価学会、及びその関係者と何らかの繋がり、接点があったと考えるのが妥当であるが、本件記事では、敢えて指摘せずに「創価学会シンジケートと繋がり」と軽く触れたに過ぎない。



 右翼Mの主張は、「リード部分」「本件記載3」についてはやや牽強付会の感が否めないように思える。とりわけ「本件記載3」については、右翼Mが「軽く触れた」と考えていたかどうかではなく、問題は読者がこの表現をどう受け取るかである。「創価学会シンジケートと繋がり」といわれれば、「千葉は(犯罪者集団である)創価学会と意を通じていた」と受け取るのが普通なのではあるまいか。 

 また、右翼Mは本件記事全体について次のように主張している。



(本件記事は)創価学会の悪行を糾弾するのを目的としたものである。この創価学会を批判する記事中において朝木市議殺害事件を冒頭に紹介し、次に公明党都議による選挙カーのガソリン代不正請求を糾弾している。冒頭の朝木市議殺害事件の内容を説明する過程で東村山警察署による他殺を自殺にすり替えた問題を論じている。更にその中で捜査の責任者として当時の副署長であった原告千葉の氏名が登場したに過ぎない。



 千葉に触れた箇所は「創価学会に対する糾弾」という記事のテーマではないから、名誉毀損にはあたらないと主張したいのだろうか。ただ一般に、当該記載箇所が本論であろうとなかろうと、記載された部分によって一般読者が当該記載事実を真実と受け止め、記載された者の社会的評価が低下したと判断されれば不法行為があったと判断されるようである。

求釈明の意味

 出版物や発言による名誉毀損裁判では①それが不特定多数に向けて発信されたものであるかどうか②事実摘示と社会的評価の低下の有無③それが名誉毀損であると認定されるものであれば、公共性・公益性があり、かつ真実性・相当性があるかどうか――が問題となる。

 訴えられた側はこれらの法律論をふまえて反論するのが通常だが、右翼Mの答弁書をみるかぎり、その主張は訴状の記載に従って反論しただけのもののようにみえた。平たくいえば、法律的に何がいいたいのかよくわからないように思えた。

 裁判所としても右翼Mの主張を法律的に整理する必要があると考えたのだろう。裁判所は平成22年1月27日に開かれた第2回口頭弁論終了後、右翼Mに対して次のような求釈明を行った。



被告に対する釈明事項

1 被告は、原告が主張する次の請求原因事実のどの部分を争うのか。
(1)被告は原告の社会的評価を低下させるような事実を流布したこと
(2)その点に被告に故意過失があったこと
(3)上記(1)により原告の社会的評価が低下する危険性が発生したこと
(4)原告の損害の発生及び額
(5)上記(3)と(4)の因果関係

2 被告は、抗弁としての、いわゆる真実性又は相当性の抗弁、あるいは公正な論評の法理の抗弁を主張するのか。

3 上記2の主張をする場合、原告が名誉毀損であると主張する「政経通信第38号」中の3つの記載について、どの部分が事実の摘示で、どの部分が意見又は論評であると主張するのか。

4 以上2及び3を踏まえ、抗弁事実を明らかにした準備書面を提出すること。



 この求釈明は具体的な事実関係などに対する釈明を求めるものではなく、一見すると、さほど身構えるほどのものではないように思えるかもしれない。しかし、とりわけ2以降の釈明事項は右翼Mの今後の応訴姿勢を限定するものであり、右翼Mとしても簡単には答えにくい部分もあったのではあるまいか。

 つまり、朝木明代の転落死については矢野穂積と朝木直子の主張はこれまでの裁判でことごとく排斥されており、転落死の実態が「万引きを苦にした自殺」であることは明らかになっている。右翼Mが2の釈明に対して真実性・相当性の抗弁をすると答えるとすれば、明代の転落死が「他殺」であることを立証しなければならないのである。少なくとも、次々回の口頭弁論からは証拠の提出も求められることになるのではないか。

 右翼Mは答弁書で明代の転落死について「自らの感性で創価学会に殺された可能性が高いと判断した」と堂々と述べているが、裁判官に対して「感性で判断した」と主張するなど、通常の感覚では恥ずかしくてとてもできるものではない。週刊誌の記事などを根拠に「あれは殺されたんだ」と主張することは、飲み屋の雑談としては成立しても、裁判所ではそれ自体で真実性・相当性の根拠として認められるとは考えられない。

「求釈明」を読んだ右翼Mがそこまでの流れを見通したかどうかは定かではないものの、この「求釈明」は今後の裁判の流れを限定するきわめて重要な意味があったと私はみている。

(つづく)

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右翼M事件 第3回
口頭で確認した裁判長

 右翼Mに対して裁判所が行った求釈明の意味は小さくないと思われた。第3回口頭弁論は4月14日に指定され、それまでに右翼Mは答弁しなければならない。ところがこの間に、右翼Mの身に普通ではめったにないアクシデントが起きた。3月18日、右翼Mは東京・中野区役所で騒ぎを起こして逮捕、拘置されたのだった。

 右翼Mは4月8日に釈放され、翌9日、東京地裁立川支部に電話を入れた。「逮捕・拘留されていたので準備書面が間に合わないので、延期してほしい」と。こうして第3回口頭弁論はさらに1カ月先延ばしとなった。なお、右翼Mは「逮捕された原因は創価学会にあり、裁判が延期になったのも創価学会のせいだ」とする趣旨の主張をしているようである。よくわからない主張だが、右翼Mの思考様式を知る上で興味深い。

 裁判長から求釈明を求められた右翼Mは平成22年5月26日に開かれた第3回口頭弁論当日の朝、第1準備書面を提出した。しかしこの準備書面で「求釈明」にわずかに触れているのは、右翼Mが発行した「政経通信」を置いている書店が「一般書店ではなく、したがってこの書店で『政経通信』を講読する読者も一般読者ではない」と主張した箇所のみだった。この主張がこの裁判においてどんな意味を持つのかについての言及はない。

 右翼Mが長く滞在していた拘置所から釈放されて20日後の4月28には、西村修平が千葉から提訴されていた裁判で、矢野と朝木の主張がことごとく排斥され、「明代には自殺の動機がなかったとはいえない」とまで言及する判決が言い渡されていた。右翼Mが裁判所の「求釈明」に対して真実性・相当性の抗弁に触れなかったことと何か関係があったのだろうか。

 いずれにしてもこの日右翼Mが提出した第1準備書面の内容は、裁判所からみて前回の「求釈明」に明確に答えたものとは見えなかったらしい。裁判長は口頭弁論の最後に、右翼Mに対して求釈明に対する回答を口頭で確認した。調書によれば、裁判長の質問に対して右翼Mが陳述した内容は以下のとおりである。



(裁判官の求釈明に対する右翼Mの回答内容)

1 原告が主張する請求原因のうち、「被告が原告の社会的評価を低下させるような事実を流布した」との点を特に争う。

2 被告が摘示し、あるいは被告が論評の前提とした以下の事実は真実であり、仮に真実でないとしても真実であると信じるについて相当な理由があったので、真実性または相当性の抗弁、あるいは公正な論評の抗弁を主張する。

(1)原告は、捜査の指揮担当者として、亡朝木市議に対する殺人事件を自殺として処理した。
(2)原告は、捜査の指揮担当者として、亡朝木市議の万引き事件が冤罪であるのに、万引きをしたという事件を   でっち上げた。
(3)原告は、創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じた。



 平たくいえば、裁判長は右翼Mの言質を取ったということになろうか。法律的にはこのような陳述を「自白」と呼び、正当な理由がなければ「自白」の撤回はできない。そのことを右翼Mがどこまで認識していたかは定かではないが、平成22年7月21日に予定されている第4回口頭弁論で右翼Mは上記の整理に沿った主張を提出するものとみられた。

期待はずれの準備書面

 平成22年7月21日に予定されていた第4回口頭弁論に際して、右翼Mが千葉のもとに準備書面を送付してきたのは同日午前3時43分である。しかしその内容は、右翼M自身が前回口頭弁論で述べた「求釈明」に対する回答に沿う部分はすべて「留保する」とするもので、実質的にはなんらの進展もみられなかった。街宣では威勢のいい右翼Mが、いったいどうしたのだろうか。

 右翼Mが提出した第2準備書面の中で唯一実質的主張といえたのは最後の部分だろう。右翼Mは「東村山の闇」判決の以下の部分を引用している。

〈論評たる本件著作物(=「東村山の闇」)の各記述が、職名とともに被控訴人(原告千葉)の氏名に言及したとしても、被控訴人(=矢野・朝木)が捜査の責任者たる副署長として捜査を指揮した東村山書の明代関係事件の捜査のあり方を強く批判し、事件の真相究明を求めるとの表明をしたものにすぎないから、職名と併せた被控訴人の指名への言及は、被控訴人の職務を離れた私的な言動につき個人として批判攻撃をしたものと解することはできない。また、当該記述中に捜査の責任者たる副署長としての被控訴人の捜査指揮のあり方に対する批判が含まれていると解することができるとしても、それは、東村山書という組織が行った捜査の責任者としての捜査方法、内容が批判されているにすぎず、そのことから直ちに被控訴人個人の名誉が毀損されたことにはならない。〉

 その上で右翼Mは、「政経通信」の記事は「自らの機関紙で政治活動家の立場で論評したものであり、何らの違法性を伴ったものではない。」と主張していた。『東村山の闇』の記述と「政経通信」の記載内容は異なるから、仮に双方ともに「論評」だったとしても、それだけで同じ結論になると考えるのは誤りである。「求釈明」で問われているのは「(論評だとしても)その論評の基礎となる事実の真実性・相当性」だと思うが、この右翼は「政治活動家の立場」での論評なら何をいっても許されると主張しているのだろうか。

 いずれにしてもこの日右翼Mが提出した第2準備書面の内容はとうてい裁判所の「求釈明」に応えたものではなかった。右翼Mは「求釈明」に対する自らの答弁内容について、とりわけ右翼Mの主張する「論評」の真実性・相当性を主張・立証するのか――。これが次回第5回口頭弁論(本連載第1回)の最大の注目点だった。

 その場合には当然、朝木明代の万引きを苦にした自殺が「他殺」であること、万引きが「冤罪」であることを立証しなければなるまい。この2点を立証しなれば、①千葉が殺人事件を自殺として処理した②千葉は明代の万引き事件が冤罪であるのに、万引きをしたという事件をでっち上げた(「求釈明」に対する右翼M自身の答弁)とする主張の前提が成立しない。右翼Mは答弁書で〈本事件は殺人事件であったか、自殺であったかを問うものではない。〉などと主張しているが、やはりその点を避けて通ることはできないのではないかと思われた。

(つづく)

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右翼M事件 第4回
真実性には言及しなかった右翼

 平成22年10月6日に開かれた第5回口頭弁論で、右翼Mを支援している「行動する保守」Aや西村、2人の女傑なども真実性・相当性の立証を期待していたのではあるまいか。ところが右翼Mが徹夜で書き上げたとみえる第3準備書面の内容は、支援者たちの期待をあっさり裏切るものだった。右翼Mが第3準備書面で主張していたのは①機関紙「政経通信」を販売している書店が「一般書店」ではないこと②機関紙が不特定多数に配布された事実はないこと――の2点だけだったのである。

 名誉毀損の不法行為は発言や印刷物に掲載された記事などが不特定多数に向けられたものでなければ成立しない。右翼Mは「機関紙は不特定多数に頒布・配布されたものではないから千葉の請求は棄却されるべきである」として次のように主張していた(趣旨)。



右翼Mの主張

模索舎における販売について

①模索舎は一般書店ではない。書店自らが開設するホームページの冒頭において、「模索舎はミニコミ(自主流通出版)・少量出版物の取り扱い書店です」「模索舎では、一般書店では扱われない自主制作作品を原則無審査で受け付けております」と紹介している如く原告が訴状において主張するような「一般書店」ではない。

②模索舎は特殊な嗜好を持つ所謂「マニア」の間でのみ認知された特殊な書店である。

③模索舎では1部50円で販売してもらっているが、売上はすべて書店に渡しており、被告は模索舎からいっさいの金銭を受け取っていない。

④模索舎に置いているのは30部のみであり、不特定多数には該当しない。

手渡し、ポスティング等による配布について
①原告は、被告が立川駅前で街宣した際に無料配付している状況を原告の家族とその知人が目撃したと述べているが、信憑性に疑問がある。

②原告が東村山市内で配布した事実はなく、東村山市内でポスティングされていたというのは悪質な捏造である。当日、被告は警視庁野方警察署の留置場に滞在しており、アリバイがある。



 これらの主張はいずれも「求釈明」に対する答弁の1だけに関する主張・立証である(「立証」は模索舎のホームページを提出したのみ)。右翼Mのこの主張が認められれば、名誉毀損の要件である「不特定多数」に対する頒布・販売行為はなかったということになり、名誉毀損性の有無にかかわらず右翼Mの不法行為責任は阻却されることになろう。もちろん、真実性・相当性を立証する必要はない。

期待される真っ向勝負

 右翼Mの上記主張が認容される可能性はどこまであるのだろうか。

 模索舎の性格がいわゆる「一般書店」とは異なることは客観的事実だろう。右翼Mは名誉毀損の判断基準が「一般読者の普通の注意と読み方」にあるとされていることを根拠に、「模索舎に来るのは一般読者ではないから、名誉毀損は成立しない」とする趣旨の主張をしている。しかし、模索舎が「一般書店」ではないとしても、そこに来る客もまた「一般の読者」ではないと決めつける理屈にはいささか無理があるのではあるまいか。

 まして右翼M自身が平成21年8月23日付ブログによって、それまで模索舎の存在を知らなかった一般人に対しても、模索舎に行けば「政経通信」が入手できることを周知している。いずれにしても販売相手が限定されないかぎり「不特定」であることに変わりはない。模索舎では誰が行っても「政経通信」を購入することができるのである。

 模索舎に関する主張の②③はいずれも「公然性」に関する主張で、「政経通信」が全国紙のような新聞ではないといいたいためのようである。全国紙の場合は、不特定多数に行き渡ることが自明だから、記事が掲載された時点で「公然性」が成立する。しかし「政経通信」の場合には全国紙と同じ扱いをすべきではなくしかも、模索舎に置いたのはわずか30部だというのである。

 裁判所が「政経通信」を全国紙と同等に扱うことは考えられないが、模索舎に置いたのが30部だったとしても、「政経通信」を購入した読者からその情報が他に伝えられる可能性がないとはいえない。千葉はその点について〈事実摘示の直接の相手が特定少人数であっても、彼らを通じて不特定多数へと伝播する場合には公然性がある〉とした最高裁判例(昭和34年5月7日第1小法廷)に基づき公然性に関する右翼Mの主張に反論している。右翼Mが最高裁判例を覆すには模索舎で販売された「政経通信」に伝播の可能性がないことを立証しなければなるまいが、これは至難の業ではあるまいか。

「無料配布・ポスティング」の事実については私も、実際にコピーを受け取った東村山市民から直接聞いている。東村山でポスティングを行ったのは浦安の行政書士らとみられ、「政経通信」の縮小コピーとともに二本松アニマルポリスのビラなどもいっしょに投函されていたという。

 右翼Mは東村山で「政経通信」が配布された時期は「留置場に滞在していた」として配布の事実を否定しているが、朝木事件をめぐり何度も右翼Mと街宣などで共闘していた行政書士が右翼Mから「政経通信」をもらい、それを自分の判断でコピーして配布したとしてもなんら不自然ではない。東村山における配布は右翼Mが関与したかどうかは関係がない。この問題に関していえば情報の伝播性の問題、すなわち行政書士が受け取った時点では「不特定多数」とはいえないとしても、ポスティングによって不特定多数の市民が読む可能性が生じたということなのである。

 街頭配布とポスティングについて千葉は手紙や実際の「政経通信」のコピーを証拠として提出したが、これをどう評価するかは裁判所の判断を待つしかあるまい。しかし模索舎における販売については、不特定の購入者を通じて情報が伝播する可能性を否定できないのではないだろうか。街頭配布やポスティングに対する事実認定にかかわらず、模索舎における販売だけで名誉毀損の構成要件を満たしているのではないかと私はみている。

 するとやはり右翼Mは、裁判所の「求釈明」に回答したとおり、①原告は捜査の指揮担当者として、亡朝木市議に対する殺人事件を自殺として処理した。②原告は、捜査の指揮担当者として、亡朝木市議の万引き事件が冤罪であるのに、万引きをしたという事件をでっち上げた。③原告は、創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じた。――の3点について具体的に立証する必要があるのではあるまいか。右翼Mは答弁書で、

〈本事件の審理の過程において、……自殺説を否定する根拠を示す必要が生じるのであれば、……具体的な事実の裏づけを以って示す用意はある。〉

 と述べている。敗訴するにせよ勝訴するにせよ、ここは右翼として武道家として、公然性に逃げるのではなく、堂々と問題の本質で勝負すべきではあるまいか。

待望久しい「内部告発者」

 余談だが、本件「政経通信」の記事をそのままブログに転載するなどして千葉から提訴されている「行動する保守」Aは、平成22年9月8日に開かれた第2回口頭弁論で「次回期日までに転載記事が真実であると信じるについて相当の理由があったことを詳細に主張する」と述べた。裁判長は当初10月に次回期日を指定しようとしたが、「行動する保守」Aは「証拠が揃うのが9月末になるので、もう少し時間をいただきたい」と申し立てた。

「行動する保守」Aが「朝木明代は創価学会に殺された」と確信した根拠であるという「現役警察官の内部告発」だけでもとりあえず十分と思うが、念には念を入れたいということなのだろう。裁判長は「行動する保守」Aの申し立てを容認して第3回口頭弁論を11月10日と指定し、書面の提出期限を10月20日とした。「行動する保守」Aの主張を待って千葉は次回口頭弁論までに反論を提出する段取りである。

「行動する保守」Aは自分の都合で口頭弁論期日を1カ月先延ばししたわけだし、これまでに当然それなりの「証拠」は蓄積しているだろうから、書面の提出期限は守るだろうと私は考えていた。ところが千葉に確認したところ、10月21日の本ブログアップの時点で書面はまだ届いていないということである。どうしたのだろうか。

(第6回口頭弁論以降につづく)

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東村山街宣事件一審判決(その8)
深刻な「誤読」

 右翼Mと浦安の行政書士による東村山街宣をめぐり東京地裁が彼らに言い渡した110万円の支払い命令は軽いものではない。また街宣禁止命令も一言一句まで具体的に示していたから、普通の判断力があれば、同じ趣旨の街宣はしないだろうと考えられた。

 しかし一方で、「行動する保守」一行のそれまでの街宣の状況をみる限り、その態様は尋常なものとはとうていいえず、とりわけ報復的な街宣を繰り返してきた「行動する保守」Aや西村修平、右翼M、行政書士に限っては常識が通用するのだろうかという懸念が払拭できなかったのも正直なところである。ひと月後には朝木明代の命日も迫っていた。指導者たちが街宣をするといえばまだそれなりの支援者が集まる可能性がないとはいえない。そうなれば、再び万引き被害者に対する襲撃事件の再現もないとは言い切れないのだった。

 案の定、判決直後には右翼Mが東京地裁前で街宣を行って判決を非難し、また「平成21年9月に行った追悼街宣も仮処分決定違反にあたり、裁判所から事実上否定された」と指摘された「行動する保守」Aは〈仮処分を無視して街宣を強行?〉のタイトルの下、次のように反論して、日頃の指導者然とした訳知り顔の物言いからはかなりかけ離れた浅慮を披瀝した。

〈その街宣活動(平成21年9月1日の街宣)に対して「街宣禁止の仮処分」が申し立てられていたとは今回初めて知りました。……このような「街宣禁止の仮処分」を申し立てていたのなら、それを是非明らかにして欲しいと思います。〉

 この「行動する保守」Aの記事が公開されたのは平成22年8月8日、判決から1週間以上もあとのことである。「行動する保守」Aが呼びかけ人となって行った平成21年の「追悼街宣」を批判した人物は、「裁判所が街宣禁止を命じるかどうかの判断においてその後の追悼街宣も考慮しているから、追悼街宣もまた違法性が認定されたに等しい」と指摘したにすぎず、「追悼街宣」にも街宣禁止の仮処分が申し立てられていたなどと指摘したのではない。ところが「行動する保守」Aは批判の論旨を取り違え、自分が主導した街宣もまた仮処分禁止命令が出ていたにもかかわらず、その命令を無視して強行されたものと批判されたと考えたらしい。

 仮にそう誤読したとしても、「行動する保守」の指導者ともあろう者が、いちいち目くじらを立てるほどのことでもなかろう。ところが「行動する保守」Aはこの指摘を誤読し、上記の反論に至ったのだった。枝葉末節にこだわるところに「行動する保守」Aの器量のほどがうかがい知れよう。判決文を正確に理解していればこんな反論など普通はしないだろうが、この時点で「行動する保守」Aは判決文をどう理解していたのだろうか。

 少なくとも「行動する保守」Aには、自分が呼びかけ人となった平成21年9月の「追悼街宣」について違法性が認定されたという認識はなかったのではないかと私はみている。そうでなければ上記のような誤読を犯すことは通常では考えられない。つまり「行動する保守」Aが自らに対する批判を誤読したのは、判決文の判示するところが何なのかについて正確な理解に至っていなかったことに起因しているのではないかと推測できた。

 平成20年11月に「行動する保守」Aと直接遭って以後、私はこの指導者が、通常の話がおよそ通じない人物であること、自分の主張を通すため、自分のプライドを守るためなら事実にも平気で目をつむり、それどころか保身のためには嘘の宣伝もまったく苦にしない人物であると確信した。その前提からすれば、「行動する保守」Aは東京地裁の判示する意味をおおむね理解していたが、自分に向けられた批判の矛先をかわすために、「追悼街宣」そのものに対して仮処分の申立がなされていたかどうかという話に意図的に論旨をすり替えたという見方もできる。

 いずれにしても「行動する保守」Aの主張をみるかぎり、今年の9月1日にも東村山で「追悼街宣」が行われる可能性は、東村山街宣に対する判決によっても否定されないということらしかった。

重要なアピールの場

「行動する保守」Aが主導して平成20年、21年と2年連続して行ってきた朝木明代の「追悼街宣」は彼らにとって、「朝木明代の転落死事件は自殺ではなく、再捜査されるべきだ」との主張の正当性を訴えるためにもけっして絶やしてはならない重要な年中行事である。その真意がどうであれ、明代の命日に東村山で街宣することには「行動する保守」Aら幹部の支援者に対するプライドがかかっているようにもみえる。

「行動する保守」Aは、「内部告発者」が存在するとして明代の転落死の「真相究明」と称する活動に乗り出してきた。しかし「行動する保守」Aは、それから丸3年が経過する現在に至っても「内部告発者」の存在どころかその具体的内容すらも明らかにしない。いまや「行動する保守」Aの口から積極的に「内部告発者」の話題に触れることもほとんどなくなり、「内部告発者」の話自体が根拠のないデマであるとする評価がほぼ定着している。

 また西村修平の裁判でも、彼らが頼みにしていた矢野と朝木の主張がことごとく否定され、「行動する保守」一行を東村山事件に引き込んだ責任者として「行動する保守」Aの立場はますます苦しいものになっていると推測できた。そんな内情を否定してみせるためにも、「行動する保守」Aは「追悼街宣」が禁止対象になってしまったことを認めるわけにはいかなかったということではあるまいか。明代の命日に東村山で街宣を行うことは「われわれが信じたことは間違っていない」という支援者をつなぎ止めておくための重要なアピールの場と言い換えてもよかろう。

 したがって、右翼Mと行政書士に対して街宣禁止命令が出たからといって、ひと月後に迫った9月1日に「行動する保守」一行が東村山で街宣を行わないとみるのは早計と、千葉と私はみていた。「行動する保守」に限っては常識的な判断は通用しないということである。

 案の定8月28日、「行動する保守」Aは9月1日に浦安の行政書士とともに東村山駅前で街宣することを告知した。呼びかけ人の中になぜ右翼Mが入っていないのかは不明だが、その内容は「創価学会を批判していた朝木明代市議は殺害された」とする趣旨のものになると予測できた。当然、行政書士にとっては街宣禁止命令に反することになるし、「行動する保守」Aも提訴されれば敗訴する可能性が高い。行政書士はともかく「行動する保守」Aは、提訴されても客観的に立証できる自信があったのだろうか。

(つづく)

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東村山街宣事件一審判決(その9)
老獪な弁明

 8月30日午前、「行動する保守」Aは行政書士が離脱を表明してもなお1人で街宣を行うと告知した。しかしその後に起きたぶざまな経緯からみると、「行動する保守」Aが「明代は創価学会によって殺された」とする根拠を示す自信があったのかどうかについてはかなり疑問だったのではないかと考えるほかない。迫る9月1日の追悼街宣をめぐり、「行動する保守」Aの周辺では次のような醜態が演じられた。

「行動する保守」Aは8月28日に街宣の告知を行ったが、その2日後の8月30日午前5時前、行政書士は「重要な作業があるため時間的、物理的に」参加できなくなったと表明。これを知った「行動する保守」Aは同日6時30分、行政書士が参加できなくなったことを告知した。この結果、呼びかけ人・弁士は「行動する保守」A1人となった。要するに、判決の内容を理解した行政書士はいち早く避難したということと理解できた。

「行動する保守」Aが主張するように、判決は「行動する保守」Aが東村山駅前で街宣することを禁止するものではない。しかし、「行動する保守」Aが右翼Mと同じ内容の街宣をすれば今度は「行動する保守」A自身が提訴される可能性がある。もちろんその場合、敗訴は免れまい。それでもなお「行動する保守」Aは、1人になっても街宣を行うというのだから相当の決意と覚悟があるものとみえた。

 あるいは行政書士が手を引いてもなお「行動する保守」Aはその真意に気づかず、また判決の内容をまともに理解していなかったのだろうか。常識が通用しない者の真意を推し量ることは困難だが、いずれにしても「行動する保守」一行の側からみれば、1人でも街宣を行うという「行動する保守」Aの姿勢は「行動する保守」一行の指導者として、また「行動する保守」一行を矢野のデマに引き込んだ責任者として、中身はともかくその心意気だけは評価できよう。支援者もますます敬意を深めたのではあるまいか。「さすがはA先生」と。

 ところが支援者の士気を鼓舞し、勇気づけたかに思えた「A先生」はその6時間後、「やっぱり9月1日の街宣はやめることにした」と支援者が登りかけたはしごをあっさり外したのである。その理由もまた「行動する保守」Aらしい、よくわからないものだった。「行動する保守」Aはまずこう弁解した。

〈一緒に戦ってきた同士と綿密な打ち合わせをすることもなく、今年もまた呼びかければ参加していただけると言う軽い考えでことを進めてしまったことで、混乱を招いた責任を取ることと致します。〉

 参加しないことを表明した行政書士のことをいっているとみられた。つまり「行動する保守」Aは無断で「呼びかけ・弁士」として行政書士の名前を出したが、危ないことを知っている行政書士から断られたということのようである。

 ただわからないのは、行政書士が街宣に来ないことになったとして、それがどんな「混乱を招いた」というのか。「朝木明代の転落死の真相を究明する」という点において行政書士が参加しようがしまいが支援者にとっては何の影響もないし、「混乱」したとすれば「行動する保守」Aと行政書士との関係、あるいは「行動する保守」A個人の内面においてだけなのではあるまいか。
 
「行動する保守」Aは「混乱を招いた責任を取る」といって街宣を中止するという。しかしこの際、「行動する保守」Aが「責任を取る」とは、最後まで支援者の期待や「敬意」に応えることなのではなかったか。責任者が堂々と「1人でも街宣は行う」と表明すれば、支援者の戸惑いなどあっという間に消えてなくなるはずである。本当の指導者ならそう考えるだろう。

「行動する保守」Aは行政書士が追悼街宣には参加しないといってきたことで判決の意味をようやく理解し、東村山で街宣を行うのは危ないことがわかった。しかし支援者に対してそんな弱気を見せるわけにはいかない。そこで「混乱の責任を取る」というかたちで街宣を中止したということではないかと私は推測している。要するに「行動する保守」Aは、なんら責任のない支援者をダシにして「危ない」街宣から手を引く口実にしたということになろうか。さすがに老獪である。

矢野と行政書士に対する嫌悪感

 一方、「行動する保守」Aが8月28日に街宣の告知を行った際、「呼びかけ人」として名前が挙がっていなかった右翼Mは翌29日、どういうわけか「行動する保守」Aらが予告した街宣開始時刻の1時間前に街宣を行うという告知を行っている。「行動する保守」Aらの街宣が始まる時間帯には街宣を終えるというのだから、右翼Mは「行動する保守」Aらとは一線を画し、独自に街宣を行うということらしかった。

 それどころか、右翼Mの平成22年8月29日付ブログからは矢野と朝木、さらには行政書士に対する非常な嫌悪感のようなものがひしひしと伝わってくる。わざわざ「追悼街宣」を告知するタイミングで矢野・朝木と行政書士を並べて間接的に批判していることには何か意味があるようにも思える。もともと行政書士と矢野・朝木は、矢野が作成したビラの配布を通じて「草の根」の議員控室で懇談するなど東村山街宣以前から関係が深い。そのことを右翼Mもよく知っているはずである。

「朝木市議転落死事件の真相究明」という目的は共通しているはずなのに、それまで共闘していた右翼Mと行政書士や「行動する保守」Aが判決後なぜ急に、別々に街宣を行うことになったのか。裁判で行政書士は、相被告であるにもかかわらず街宣の責任を右翼Mに押しつけるかのような主張をした。行政書士はこれまでの裁判の結果から、矢野・朝木の資料によっても真実性・相当性が認められる可能性がないことを薄々感じており、それなら自分だけは責任を免れる道を選ぶ方が得策と判断したようにもみえる。

 かつて矢野と朝木も、「週刊現代」裁判で同様の手法をとって相被告である講談社と決裂したというよく似た例もある。保身のためなら人を裏切ることなど何とも思わない者にとってはよくある話のようである。判決が確定した場合、右翼Mと行政書士が連帯して命じられた110万円の支払いをめぐっても、すべての責任は右翼Mにあると主張している行政書士が右翼Mに対してすんなり連帯責任を認めるとも考えられない。

 責任をなすりつけようとする相被告と控訴審をどう戦うのかという問題もあろう。その過程で、右翼Mと矢野・朝木、行政書士との間で何かがあり、それが彼らに対する嫌悪感をあらわにした右翼Mの筆致につながったようにも思える。当然そのことは「追悼街宣」のやり方にも影響を与えただろう。

 ところで8月27日、右翼Mは地元中野で政治集会を開催している。「行動する保守」Aはこの集会を自身のブログで紹介するとともに参加を表明、右翼Mはこのことをブログで嬉々とした様子で紹介している。「行動する保守」Aが右翼Mを排除するかたちで「追悼街宣」の告知を行ったのはその翌日のことである。

「行動する保守」Aがその集会に参加したとすれば、9月1日に開催しようとしていた「追悼街宣」について右翼Mとなんらかの相談をした、あるいはそのつもりだったということではあるまいか。ところが不思議なことに、その後右翼Mは集会の報告記事をブログに掲載したものの、「行動する保守」Aについては触れてさえおらず、「行動する保守」Aが参加したのかどうかも定かではない。結果として、「行動する保守」Aは「追悼街宣」で右翼Mを排除し、右翼Mは独自に街宣を行うことになったという事実だけが残った。

 その後、行政書士と「行動する保守」Aは相次いで街宣から手を引いた。その時点で周囲からは中止した方がいいという声もあったようである。しかし、右翼Mは「1人でもやる」と息巻いた。右翼Mの記事からは「自分は駆け出しのネット系ウヨクとは違うのだ」という強い自尊心のようなものが感じられた。

(つづく)

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