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著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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東村山街宣事件一審判決(その10)
根強い煽動の影

 平成22年9月1日、私は街宣開始予定時刻の30分ほど前に東村山駅前に到着した。私には街宣開始前に確認しておきたいことがあった。実はその日の昼ごろ、さほど大きくない花束を抱えたジーパン姿の若者が1人、東村山駅からいったん万引き被害者の店方面に向かい、数分後にまた駅方面に引き返してきたという目撃情報が東村山市民から寄せられていた。その若者が花束を最終的にどこに持って行ったのかまでは確認されていなかった。

「行動する保守」Aらによる2度の東村山街宣などの結果、明代の転落死が「万引きを苦にした自殺」ではなく、万引き犯にでっち上げられた末に(宗教団体によって)自殺を装って殺害されたと思い込んでいる者がまだ多くいることは明らかである。さらにすべての東村山デマの発信源である東村山市議の矢野穂積が万引き被害者に対する嫌がらせを煽動したという経緯もあり、花束を抱えた若者が嫌がらせの意図をもって洋品店に近づいた可能性は捨てきれなかった。現実に矢野の煽動後、洋品店には頻繁に嫌がらせ電話がかかっているという事実もあった。

 若者が「行動する保守」Aと矢野にたぶらかされた者なのか、まったくの無関係の市民にすぎなかったのか。花束をどこに持って行ったかが確認できれば、若者の行動を推測することができよう。私は千葉や街宣を見に来ていた市民2名とともに転落死現場のビルに向かった。そのころ、東村山駅東口ロータリー周辺に「行動する保守」とおぼしき者の姿はまだ見かけなかった。

 現場ビルに着き、平成20年9月1日に「行動する保守」Aが矢野、朝木直子とともに追悼の献花を行った周囲をざっと見渡すが、花束は見当たらない。捨てられたのだろうか。そう思いながら、私はフェンスで仕切られた隣のビルとの隙間に目を凝らした。

 隙間は30センチほどで、空き缶などのゴミが散乱している。するとその中に、薄茶色の紙で包んだ花束が1つ、捨てたように置かれていた。包装紙の色は目撃情報と一致しており、まだ汚れもほこりも付いていない。中にはまだ生き生きとした黄色の菊が3、4本入っていた。もちろんこれだけでは断定はできないが、東村山市民から寄せられた情報の若者が置いていったものである可能性がきわめて高いと私と千葉は判断した。

 死者を悼む気持ちそのものを否定するつもりはない。しかしそれが、矢野によって万引き事件は捏造だったと信じ込まされ、明代は殺害されたのだという妄想に基づくものだったとすれば痛ましい話である。若者は妄想に支配され、人生の貴重な時間を浪費したということになるまいか。

 余談だが、私が妄想の花束を撮影していると、後方から「勝手に写真を撮っちゃダメだよ」と声をかけてきた者がいた。右翼Mだった。私が「献花ですか」と聞くと、右翼Mはこういった。

「おれとケンカやるのか?」

 さすがに日本拳法の達人というべきだろう。右翼Mはなにやらパソコンを抱えた年配者とともに転落現場を見に来たらしかった。「殺害」の証拠でも探そうとでもしたのだろうか。

 現場ビルを離れてロータリーへ向かっていると、府中街道につながるロータリーの出口付近に公安関係者らしき数人が到着していた。しかしまだ、支援者らしき者は1人もいなかった。 

退屈きわまる街宣

 そんなちょっとした前哨戦もあったが、右翼Mの街宣は予定どおり午後4時15分過ぎに始まった。街宣開始時刻には7名の支援者が集まっていた。有名どころは女傑Mだけで、あとは私にはなじみのない顔ぶれである。違法性を問われかねない右翼Mの街宣活動に参加した支援者たちは、女傑Mを筆頭に「行動する保守」一行の中でも選りすぐりの精鋭なのだろうと推測された。

 さて、街宣禁止命令が出されている中であえて街宣を強行する以上、その内容が後退したものでは意味がなかろう。しかしその内容は、右翼Mが「1人でもやる」と息巻いて強行したわりには目新しいものは何もなかった。

 右翼Mは街宣の冒頭で「朝木明代が創価学会を批判していた」「転落死事件は自らの意思で飛び降りたものではないことが誰の目にも明らかであるといわれている」「万引き事件は冤罪であるにもかかわらず書類送検された」「創価学会という組織は邪悪な集団である」などと述べ、さらに「今回の創価学会による提訴は言論弾圧を目的とした訴権の濫用である」「今回の判決は公正なものではない」などと主張した。総合的に判断して創価学会に対する名誉毀損に当たるか否かは別にして、直接的な表現を避けたことがわかる。

 ただ右翼Mとしては、不法行為になるのを避けるだけではやはり「ネット右翼とは違う」右翼としてのプライドが許さなかったらしい。右翼Mとしては不法行為を避けながら、本心を伝える方法はないかと思案したのだろう。その方法として右翼Mが考え出したのが街宣禁止の仮処分決定をそのまま引用することだった。

〈(街宣禁止命令では)「この『朝木明代さんの死というものは創価学会によって殺害された』といって誹謗中傷してはならない」ということでありますので、私は現在、これに従いながら訴えをしております〉

 右翼Mなりに工夫したことはわかるが、はたしてこれで不法行為を免れられるのだろうか。心配なのは、右翼Mだけでなく支援者たちが首から下げたプラカードの文言が街宣をより悪質なものにしてしまっていることである。プラカードには以下のような文言が記載されていた。

〈朝木明代市議謀殺事件! ヤクザと結託 自殺と見せかけた 警察は明らかに判断を間違っている〉

〈創価学会は犯罪的な集団〉

〈邪教集団による言論弾圧を許さない〉

〈東村山転落事件 時効目前! 創価学会による司法介入許さないぞ〉

〈オウムに匹敵する殺人集団 創価学会は日本から出て行け〉

 名誉毀損が成立するかどうかは発信者の意思にかかわらず、受け取る側がそれをどう理解するかによる。プラカードの文言と街宣内容を総合すれば、聴取者が「朝木明代は創価学会によって殺害されたと主張している」と受け取ったとしてもなんら不思議はないと思われた。

 平成22年9月1日、右翼Mがわざわざ違法行為の危険まで冒して東村山までやって来て行った「追悼街宣」のうち、明代の転落死に関連した街宣はわずか20分でしかなく、どういうわけか右翼Mはその後の20分間を街宣前に千葉や私と遭遇したことや何の関係もない中野区の話に費やした。きわめて中途半端な、情けない街宣だったというほかない。

矢野と朝木は高見の見物

 この日の街宣は複数の私服警察官が監視していた。右翼Mが再び万引き被害者の店に行く恐れは十分にあった。右翼Mは街宣終了後、駅前の喫茶店に入ったが、東村山を離れるまでは監視を解くことはできなかった。約1時間後、支援者とともに喫茶店を出てきた右翼Mは周囲をうかがって公安がまだ待機していることを確認すると、洋品店に近づくことなく東村山駅に向かった。右翼Mなりに状況を判断したのだろう。その判断は間違っていない。

 こうして右翼Mは公安の監視の下、違法行為の危険を冒してまで街宣を敢行したが、では右翼Mにここまでデマを信じ込ませた張本人である矢野と朝木がこの街宣に何か協力したのかといえば、そんな形跡はまったくみられなかった。

 その日は東村山市議会が開かれていたが、午後3時には散会している。矢野と朝木が街宣に参加しようと思えば時間的には十分に可能だった。しかし矢野と朝木は、過去2回の街宣には参加(平成21年の街宣は朝木が姿をみせた)していたにもかかわらず、今回の街宣には顔さえみせなかったのである。とりわけ「行動する保守」Aらが行った平成20年の最初の街宣の際には、矢野と朝木は朝から喪服を着るほどの力の入れようだったことを考えると、その対応には雲泥の差があるようにみえる。

 同じ趣旨の街宣をするのに、主催者によって対応が変わるとは不可解な話だった。しかも矢野と朝木はこれまで「行動する保守」一行とは政治的主張を超えて(「反創価学会」という点では立場を同じくするが)協力してきた関係にある。それが右翼Mに限ってはなぜ無視したのだろうか。

 右翼Mと行政書士に対して街宣禁止と110万円の支払いを命じた判決もその理由の1つとみられた。ヘタに関われば不法行為の巻き添えにされかねないと考えたとしても不思議はあるまい。しかも右翼Mは洋品店を襲撃さえしかねない。矢野と朝木が右翼Mを敬遠したとしても無理はなかった。

 しかも矢野と朝木はすでに「明代は創価学会に殺された」と公言して200万円の損害賠償を命じられており、また彼らの主張する「万引き冤罪説」と「他殺説」が裁判所に通用しないことは十分に認識している。したがって、彼らはもう不特定多数に向けてそのような主張はできなくなっている。

 しかし右翼Mのように彼らのデマを妄信する者がいて、その者たちがデマ宣伝を繰り広げてくれるぶんには何の問題もない。矢野と朝木は高見の見物をしていれば、違法行為の責任はすべて「行動する保守」一行がかぶってくれるというわけである。

 2日前に右翼Mが矢野・朝木に対する嫌悪感を述べ、矢野と朝木が10月2日に行った「追悼集会」には「行動する保守」A、西村修平、行政書士といった「行動する保守」の歴々が顔を揃えたが、右翼Mだけは参加しなかった。しかしそれが、自分たちは矢野と朝木に利用されたと感じたためなのかどうかは定かではない。

(了)

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久米川駅東住宅管理費等不払い事件最高裁判決
確定した支払い命令

 東京・東村山市にある久米川駅東住宅管理組合が、同住宅に住む東村山市議会議員(草の根市民クラブ)の矢野穂積と同居する認可保育園「りんごっこ保育園」園長の高野博子ら4名(3世帯)に対して不払い管理費等の支払いを求めていた裁判で9月7日、最高裁が矢野と高野の上告を受理しない決定をしていたことがわかった。

 これによって平成22年1月20日、管理組合の請求を認容し、矢野らに対して不払い管理費等全額の支払いを命じた東京高裁判決が確定した。なお、他の2名に対しても請求通りの支払いが命じられているが、このうち1人は控訴しておらず、もう1人は上告しなかった。

 久米川駅東住宅の管理費等は1万7000円(長期修繕積立金1万円と管理費7000円)。矢野と高野が支払っていないのは平成15年10月以降平成22年10月までで、不払いとなっている管理費等は125万円にのぼる。

 矢野はこの間、毎月法務局に通って管理費等相当額を供託していた(平成15年10月から同16年12月までの間については、矢野は「管理費は4000円が相当」と勝手に主張して1万3000円しか供託していない)。わざわざ時間と手間をかけて法務局に通うくらいなら管理組合に振り込んだ方がいいと思うが、矢野という市会議員には彼なりの理由があったらしい。

 裁判で矢野は供託を理由に債務は消滅するなどと主張したが、東京高裁はこの供託を無効と認定している。管理組合が矢野の支払いを拒否する理由はなく、そんな事実もなかった。

 最高裁決定によって矢野の支払い義務が確定した金額は管理費等125万円と遅延損害金54万4040円の計179万4040円。回収にまた手間がかかるかと思われたが9月20日、矢野の方から支払いに応じる旨の文書が届いたという。差押えを避けたかったものとみられる。

 矢野にとって179万円余の支払いは、そのうち125万円は法務局に供託しているのだから、それほど大きな負担とはなるまい。むしろ、供託を自ら引き上げること自体が矢野にとって大きな屈辱なのではないか。不当な主張を正当化するために供託制度を利用するという反社会的手法の敗北と社会秩序からの排除を意味するからである。

            (以上=「久米川駅東住宅管理費等不払い事件最高裁判決(速報)」を再掲)

興味深い対応

 最高裁決定(平成22年9月7日)後、矢野がすみやかに支払いの意思を示してきたこと自体は歓迎すべきことと管理組合は受け止めた。通常の相手ならたんに請求書を送付するだけですむだろう。しかし、こと対矢野についてだけは、管理組合には一抹の不安があった。

 矢野は裁判で遅延損害金について管理規約が規定する14・6%は高すぎるとし、年5%が妥当な利率であると主張しており、実際に矢野は5%で計算した遅延損害金を7年間にわたり法務局に供託していたという事実があったからである。したがって矢野は遅延損害金については、一方的に年率5%の計算で振り込んでくる恐れが十分にあると管理組合は考えた。矢野が元本を振り込んだとしても遅延損害金の利率をめぐる争いが生じれば、完済までに再び無駄なエネルギーを費やすことになりかねないのである。

 そこで管理組合は矢野からの通知書に対して9月末、平成15年10月~平成22年11月までの管理費125万円と遅延損害金54万4040円の計179万4040円を現金で管理事務所まで直接持参するよう求める文書を送付した。ついては、都合のいい日時を連絡してほしいと。

 要するに管理組合としては、目の前で支払いを確認するまでは信用できないということと理解できよう。これまでの経緯からすれば管理組合の要求も無理はあるまい。矢野にとっても、わざわざ銀行まで出向いて振り込みの手続きをするよりは、徒歩1分の目と鼻の先にある管理事務所に行く方がはるかに楽だろう。

 ところが矢野にとっては距離や手間の問題ではなかったらしかった。管理組合が送付した文書に対して矢野から再通知が送られてきた。その内容は管理組合からの通知に対する回答ではなく、再び振込先を問い合わせるものだった。「管理組合には行かない」という間接的な意思表示とみられた。

 興味深い対応である。日時を問い合わせてきたということは、たんに事務職員に金を渡して終わりということではなく、それなりの者が立ち会うということを意味すると矢野は瞬時に理解したのだろう。管理組合に出向けば、これまでビラやホームページでさんざん誹謗してきた役員とりわけ矢野との訴訟を一手に引き受けてきた役員と顔を合わせることになるのは目に見えている。矢野にとっては面倒でも銀行に行く方がよかったのだろう。

手間のかかる市会議員

 矢野の再通知を受け取った管理組合は、矢野が請求通りの遅延損害金を支払うという保障がない以上、要求を引っ込めるつもりはなかった。管理組合は再度、前回と同趣旨の通知を送付することにした。

 ところがその矢先のことだった。矢野は10月8日、管理組合が再通知を送付する前に管理組合の口座に126万7000円を一方的に振り込んできたのである。管理組合としても、先に振り込まれては直接持参しろとはいえない。

 しかし管理組合が請求しているのは管理費等125万円と遅延損害金54万4040円の計179万4040円である。請求額からは52万7040円不足している。どうも126万7000円という額は平成15年10月~平成22年11月までの管理費等125万円に1カ月分の1万7000円を足した額のようにみえる。

 どういうことなのか。管理組合が危惧したとおり矢野は、今度は遅延損害金を踏み倒すつもりなのだろうか。いずれにしても異常に手間のかかる市会議員である。

 そこで管理組合は元本より多い1万7000円を遅延損害金の一部とみなし、遅延損害金の不足分として52万7040円をすみやかに振り込むように求める内容証明を送付した。すると10月25日、矢野は素直に残りの遅延損害金を振り込んできたのだった。矢野が支払いに応じなければ、今度こそ差押えもあり得るというタイミングである。

 矢野としては事務所に持参するのは拒否するという意思を結果として管理組合に受け入れさせ、遅延損害金については最後まで抵抗することで管理組合に対して可能な限りの手間をかけさせたことで自らを納得させたということだろうか。矢野は最後の最後まで余人にはとうてい想像できない自尊ぶりを見せつけたのだった。

 こうして久米川駅東口住宅管理費等不払い事件は丸7年をかけてようやく終結をみた。しかし管理組合役員たちが今後、通常あり得ない心配から解放されるのかといえば、その保障はまだない。

(了)

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「行動する保守」事件 第2回
 ブログに記載した記事などをめぐり、元警視庁東村山警察署副署長千葉英司が「行動する保守」Aを提訴している裁判の第3回口頭弁論が平成22年11月10日、東京地裁立川支部で開かれる。

 9月8日開かれた第2回口頭弁論までに「行動する保守」Aは千葉の主張に対して争う意思表示を行い、問題とされた記事について真実性・相当性を主張し、〈その事実については、次回期日(平成22年11月10日)までに詳細に主張する。〉と述べていた。第2回口頭弁論で「行動する保守」Aは真実性・相当性の主張について「証拠が揃うのは9月末になる」としたため、裁判長は「では10月20日までに準備書面を提出してください」と期限を切り、「行動する保守」Aもこれを了承した。

 裁判長が弁論期日の1カ月前に期限を設定した理由は、千葉に反論の十分な時間を与え、次回期日までに準備書面を提出できるようにするためである。それによって訴訟を少しでも迅速化しようとしているのだと推測できた。そのこと自体については当初から「早期決着を目指す」としていた「行動する保守」Aにも異論はあるまいと思われた。

 その後「行動する保守」Aは彼に批判的な記事を書いている人物に証言を依頼したり、ブログでは「朝木明代殺害事件への私見と関わり」と題する記事を6回にわたり連載するなど、10月15日まで(その内容は別にして)真実性・相当性の立証にきわめて意欲的な姿勢をみせていた。

「行動する保守」Aは「明代の転落死が殺人事件であるにもかかわらず、自殺として処理した」とする「警察の内部告発者」と直接会ったという。さらに10月2日に行われた「朝木明代議員追悼の集い」の挨拶で、「『自殺ではなく他殺だった』とするFBI情報もつかんでいた」と述べたといわれる。

 さすがは「行動する保守」一行から敬意を集めるだけのことはあるというほかない。いったいどんな衝撃的内容の準備書面が提出されるのかと、支援者の期待もさぞ大きかったことと推測された。ところが自ら受け入れた提出期限である10月20日になっても、「行動する保守」Aから準備書面は提出されなかった。

 期限は過ぎたが、口頭弁論までにはまだ30日あるし、千葉としては1週間前に提出してくれれば弁論期日までに反論を準備できるだろうと考えていた。ところが期限から10日たっても20日たっても「行動する保守」Aからは何の音沙汰もなく、前日である11月9日12時現在に至ってもいまだ準備書面は送られてこないという。どうしたのだろうか。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第3回
出廷しなかった代理人

 これまで西村修平、右翼M、行政書士と「行動する保守」一行の裁判を見てきたが、口頭弁論に際して彼らがどんな主張をしてくるかではなく、たんに準備書面を提出するのかどうかだけにこれほど関心が集まったことはなかろう。

「行動する保守」Aが提出を命じられているのは、「行動する保守」Aが原告の千葉について「千葉は、朝木明代は創価学会に殺害されたことを知りながらあえて自殺と断定して、これを隠蔽し、その隠蔽工作として明代が万引きをしたという虚偽の事実を捏造した」などとする記載に関する真実性・相当性の主張・立証である。

「警察は犯人を特定していた」とする「内部告発」があったとして「真相究明活動」に乗り出した者として「行動する保守」Aは、(裁判所に通用するかどうかはともかく)すぐにでも説得力ある書面を提出できたはずである。ところが「行動する保守」Aは前回口頭弁論で裁判長に締切を延ばしてもらった10月20日という期限を守らなかったばかりか、口頭弁論期日の前日になっても書面を提出していなかった。

 口頭弁論の開始時刻は午後1時30分である。午前中、千葉のもとに「行動する保守」Aの準備書面は来なかった。「行動する保守」Aは直接裁判所に持参するつもりなのだろうか。

「行動する保守」Aが準備書面を提出しないということになれば、これは何かの異状を意味しよう。「行動する保守」Aは当初から代理人に委任している。仮に問題の表現が千葉の社会的評価を低下させるものと裁判所が判断しているとすれば、「行動する保守」Aが準備書面を提出せず、真実性・相当性を主張・立証しなければ敗訴は免れない。最終的には書面を提出するにせよ、わざわざ延期してもらった弁論期日に何も提出しないのでは心証もいいはずがない。弁護士なら今回の準備書面の重要性を十分に理解しているはずである。

 午後1時25分、傍聴人の入廷が許されて法廷に入ると、被告席には「行動する保守」Aとその弟子はいたものの、弁護士の姿はなかった。千葉が「行動する保守」Aの準備書面を受け取った様子もない。1時30分になり裁判官が入廷して、被告側代理人不在のまま口頭弁論が始まった。

 傍聴人は公安関係者らしき人物1名、それに「行動する保守」関連裁判ではこれまでみかけたことのない3人のグループなど私を含めて9名である。3人のグループは具体的な背景があって「行動する保守」師弟の裁判を見に来たようにもみえる。対照的に、一見して師弟の支援者とわかる者は1人もいない。

ムキになった「行動する保守」A

「行動する保守」師弟の代理人はどうしたのか。裁判長は師弟に向かってまずこう口を開いた。

「代理人は体調を崩されたということですが、被告は聞いていますか?」

 裁判長の質問に弟子が答えた。

「今日聞きました」

 代理人は裁判所にも依頼人にも無断で欠席したわけではないらしい。裁判長は弟子の回答に「体が悪いということなら仕方がないですけどね」と一言だけ感想を述べたあと、師弟に向かってこういった。

「前回お願いしておいた準備書面ですが、次回期日には提出してもらえるよう代理人にお伝えくださいね」

 やはり準備書面は提出されていなかった。閉廷後、千葉が書記官に確認すると、代理人が急病で出廷できなくなったと連絡があったのは当日の昼ごろ、開廷前1時間という時間帯だったという。連絡してきたのは代理人本人ではなく、代理人の事務所の職員だった。本人は病気だから電話もできなかったということのようである。

 ただ、もともと準備書面の締切は10月20日だったのだし、提出しようと思えばファックスで送っておけばよい。口頭弁論期日当日になって急に体調を崩したとしても、そのことと準備書面が提出されなかったことは関係がないのではないかと私には思える。しかし裁判長は、準備書面が提出されなかったことについて一言も追及するような発言はしなかった。

 その後裁判長は、原告の千葉に向かい、千葉が提出していた一部取り下げの件について説明を加え、訂正を求めた。千葉が請求していた写真の削除については、すでに「行動する保守」Aはすべて削除したと主張している。「したがって、本件の争点は記事の部分だけということになりますね」と裁判官は述べた。

 あとは次回期日を決めて終了と思っていたところ、裁判長は再び師弟の方を向いてこう聞いた。

「被告は前回の口頭弁論以降、代理人から事情を聞かれてますか?」

 裁判長はやんわりとだが、いきなり準備書面が提出されない理由に踏み込んだのである。この質問に対して口を開いたのは弟子ではなく、「行動する保守」Aだった。

「かなり前から、前回口頭弁論の前から聞かれていて、証拠もすべて渡していますよ」(趣旨)

 反論するような強い口調で、「自分がやるべきことはやっている。準備書面が提出されていないのはすべて弁護士のせいだ」といっているように私には聞こえた。「行動する保守」Aとしても、今回提出するはずだった準備書面が提出できなかったことについて気になっていないことはなく、裁判長から追及されていると感じたのかもしれない。

 ただ自己弁護をしようとするあまり、「行動する保守」Aは重鎮としては少しムキになってしまったようである。代理人を委任した以上、代理人と依頼人は一体であり、代理人のせいにしたところで依頼人と代理人の信頼関係を疑われるだけで、「行動する保守」Aには何の得にもならない。

 その上、「行動する保守」Aはつい本当のことをしゃべってしまい、代理人の顔まで潰してしまった。代理人は前回9月8日に開かれた口頭弁論で「証拠が揃うのが9月末になる」と述べていた。ところがこの日「行動する保守」Aは、「前回弁論の前にすでに証拠もすべて渡している」と答えたのだった。すると代理人は証拠に関して嘘をついて弁論期日を先延ばしさせたということになるのではあるまいか。裁判の争点とは直接関係がないとはいえ、「行動する保守」Aは余計なことをしゃべってしまったような気がしてならない。

 裁判官は「行動する保守」Aの回答を聞くと、「では、次回期日を決めたいと思います」といって「12月22日」「1月12日」「1月19日」の3つの候補を挙げ、代理人の都合を確認した上で、次回期日を決めることとしたが、裁判長は代理人の体調に言及することもなく最後にこう付け加えた。

「裁判所としては12月22日を希望しますけどね」

 少なくとも裁判長が、進行を早めたいと考えていることだけは確かなようだった。

珍しくない出来事

 余談だが、こと朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐる裁判において、裁判当日に当事者が急病になったり、提出すべき書面を提出しなかった例は珍しいことではない。

 政治ビラ「東村山市民新聞」の記事で創価学会から提訴されていた東村山市議の矢野穂積は、尋問当日になって「めまいがした」として尋問を欠席した。このとき裁判長は新たに期日を指定したあと、代理人に対して「今度はめまいにならないでくださいね」といったという。矢野の「めまい」に疑いを持っていたかのようである。

 矢野はすでに戦意を喪失していたのかどうか、次回期日には矢野本人だけでなく代理人も出廷しなかった。このため裁判長は即日結審し、200万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じている。

 なお矢野の「めまい」について、私はのちに東京地裁内で直接矢野に聞いたことがある。矢野は「今もまだ悪いんだよ」と答えた。つまり矢野の「めまい」は、少なくとも出廷に耐えられないほどのものではなかったことがうかがえた。

 矢野が明代の自殺を「他殺」と印象づけるために無実の少年を暴行犯に仕立て上げた有名な「少年冤罪事件」では、一審の東京地裁八王子支部は〈仮にも公職にある者がこの曖昧な記憶に基づき、しかも司法警察職員による捜査がなされながら刑事訴追の手続きが執られていない被告を名指しで犯人であると断定している点において極めて特異であると言わねばならない。〉などと矢野を厳しく批判し、矢野の請求を棄却した。矢野は控訴したが、代理人は控訴審の第1回口頭弁論期日までに控訴理由書を提出しておらず、代理人は口頭弁論には出廷したもののその場で結審し、矢野の請求は棄却された。代理人は良心の呵責に耐えられなかったのかもしれない。控訴審弁論の終了後、矢野はただちにこの代理人を解任している。

「行動する保守」Aによれば、代理人の手元にはすべての証拠がそろっているそうである。当然、その中には「内部告発」から「FBI」の資料も含まれるのだろう。十分な主張・立証ができよう。次回は急病にならないでもらいたいものである。

(第4回口頭弁論以降につづく)

追記 第3回口頭弁論の翌日(11月11日)午前9時19分、東京地裁立川支部から千葉に連絡があり、次回期日が平成23年1月19日午後1時30分に決まったとのことである。
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西村修平事件控訴審判決(その1)
異様な高揚感

 対「行動する保守」裁判の最初の口頭弁論が開かれた平成20年11月13日午後、今はなき東京地裁八王子支部3階の廊下は傍聴人であふれていた。西日が差し込む窓側のベンチは隙間なく埋まり、法廷側の壁にも人が並んで立っている。その数はざっと50名を超えていただろう。

 その日、原告の千葉と私は正面エレベーターを避けて反対側の階段から上がってきた。階段から法廷に続く角を曲がり法廷前の廊下に差しかかると、にわかに前方がざわめき、その中から「千葉のお出ましだー」などとはやす声も聞こえた。

 傍聴人たちはおおむねスニーカーにジャンパー、リュックといった外歩きの装備で、見るからに街宣参加者の風情である。彼らは八王子駅前の街宣に参加してきたらしく、その表情からは「朝木明代殺害事件の真相究明」「悪徳副署長の追及」の意気込みを十分に高ぶらせてきた様子がうかがえた。

 私は敵意のような視線を感じながら傍聴者たちの間を通りすぎ、反対側の踊り場近くに立ってあらためて傍聴者たちを眺めた。彼らは矢野穂積と朝木直子のデマに踊らされた西村修平や「行動する保守」A、そして彼ら指導者の主張を妄信した結果、それなりの時間と労力と費用もかけてわざわざ裁判所までやって来たのだろう。

 人を現実的に動かしてしまうデマとは恐ろしい。15年前のまさにちょうどこの時期、国会議員が矢野のデマを政争の具に利用し、捜査機関に圧力をかけた結果、千葉は孤立無援の状況にあった。矢野と水面下で結託した政治家たちは総選挙が終わるとすみやかに手を引いた。いつまでも矢野のデマと関わればわが身の政治生命を脅かしかねないことを知っていたからである。結果として、あるいは矢野や政治家の宣伝に乗るかたちで大騒ぎした週刊誌もその後、矢野の正体を知り、事件にはほとんど触れなくなった。

 それから15年がたち、矢野のデマを否定する判決が相次いで言い渡されている状況にあって、新たに矢野のデマを真に受ける者が出現しようとは思いもよらなかった。目の前では「行動する保守」Aによる「内部告発」や集会における矢野と朝木の訴えに触発されてデマを信じ切った者たちが、現実的には社会からは相手にされない義憤を募らせている(彼らはたぶん、それを義憤だと思っている)。それでも目の前にいる支援者たちはまだ氷山の一角にすぎないのだろう。

 一方、千葉追及の熱気を帯びた支援者の群れをかき分けるように法廷に入っていく被告の西村や、彼らを東村山デマに迷い込ませた張本人である「行動する保守」Aの表情にはなぜか支援者のような高揚感は感じられなかった。裁判の当事者が傍聴人と同じ気持ちであるはずはないが、それを差し引いてもなお私には、これから真相解明に着手しようとする者の決然たる意思のようなものを西村や「行動する保守」Aの表情から読み取ることはできなかったのである(その理由は、西村に対する反対尋問でも明らかになった)。

 結局この日、廊下にあふれた支援者たちは定員20名程度の法廷にはとうてい入りきれず、私も傍聴することはかなわなかった。

雨にかき消された街宣

 それから2年後の平成22年10月28日午後、控訴審判決が言い渡される東京高裁の法廷前は対照的に静まり返っていた。入口付近に腕章を付けた3名の裁判所職員が警戒にあたっているだけで支援者とおぼしき人影はない。私は念のために待合室をのぞいた。すると西村、女傑Mのほかに3、4名の支援者がいることは確認できた。

 この日は朝から冷たい雨が降りしきっていて、午後になっても雨足はいっこうに衰えなかった。「行動する保守」の重鎮が訴えられている裁判の判決言い渡しだというのに、支援者がほとんど集まらないのは街宣日和とはいえないこの天候のせいだろうか。この裁判の重要性を認識しているはずの「行動する保守」Aやその弟子、右翼Mも行政書士もいない。2年前の八王子の賑わいはなかった。

 千葉は前日「大荒れになるかもしれない」という連絡を受け、判決言い渡しには出廷しないことにしていた。「大荒れ」とはもちろん天候のことではなく判決後の法廷のことである。千葉は西村の控訴が棄却される可能性が高いとみていたということだろうか。一審判決が覆れば「大荒れになる」ことはなかろう。

 まだ開廷までには10分ほど間があった。開廷直前に支援者が押しかける可能性もないとはいえない。そこで私は先に法廷に入り、開廷を待つことにした。

 5分前、傍聴人が入ってきた。しかし西村の取り巻きの人数は増えていない。あとは公安とおぼしき一団が4、5名、ほかに傍聴人が2、3名である。西村の支援者よりもその他の傍聴人の方が多いのだった。

 西村が控訴人席に座り、間もなく3人の裁判官が入廷した。右翼Mが当事者ではないからということなのか、ガードマンは配置されていない。書記官が事件番号と当事者名を読み上げると、裁判長がただちに判決が言い渡した。

「主文。本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」

 東京高裁は西村に10万円の支払いを命じた一審判決を追認した。裁判長は判決を言い渡すやいなや、ちらっと西村の方に目をやって西村の反応を確認した。しかし西村はこの日、机に書類を叩きつけることもなく、抗議の声を上げることもなかった。女傑Mら支援者もおとなしく、幸いにも「大荒れ」にはならなかった。法廷で大声を上げても何の効果もないことを彼らもようやく学んだらしかった。

 判決から十数分後、西村一行は雨の中で街宣の準備を始めた。5、6人程度しか集まらなくても街宣はやるらしい。私は判決文の受領を待ちながら、ときどきロビーに出て様子をうかがった。しかし傘を差しているために、誰がしゃべっているのかわからず、その内容も聞き取ることはできない。この強い雨の中では街宣も雨音にかき消されよう。もちろん立ち止まる者など誰もいない。それでも一行は、20分程度は街宣を続けた。

 街宣の内容が事実に基づいており、本当に社会に貢献するのなら、彼らの行動もまだ評価できよう。だが彼らの主張は、矢野のデマ宣伝を手伝っているにすぎない。「行動する保守」一行は非を認めることも現実を受け入れることもできないようである。西村は11月9日、判決を不服として上告状を提出した。

(つづく)

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右翼M事件 第5回
 機関紙『政経通信』の記事をめぐり警視庁東村山警察署元副署長の千葉英司が右翼Mを提訴していた裁判の6回口頭弁論が平成22年11月24日午後1時30分、東京地裁立川支部で開かれ、結審した。判決は平成23年2月16日午後1時30分に言い渡される。

閑散とした法廷

 東京地裁立川支部では「行動する保守」関連裁判に限り、法廷前で複数の職員が警戒にあたっていて、開廷5分前にならないと法廷には入れない。私は開廷15分前に法廷前に到着した。

 少し早すぎたと思ったが、法廷前の状況を見ておきたいという気持ちも少しあった。すると先客があった。女傑Mが1人、ベンチに腰掛けている。ほかには「行動する保守」らしき者はいない。私はいったん女傑の近くのベンチに腰を下ろしたものの、触らぬ神にたたりなしということもあると思い直し、すぐにその場を離れた。

 その数分後、右翼Mが大股で肩を左右に揺らしながら歩いてくるのが見えた。あたりを睥睨するような鋭い眼光である。珍しいことに、右翼Mに同行者はいない。右翼Mはこの日の午前11時30分過ぎに準備書面を提出していた。病気を理由に準備書面さえ出さない「行動する保守」Aに比べれば、開廷数時間前とはいえ、提出しただけまだマシというべきだろうか。右翼Mは私に気がつくと一瞬視線を投げて、法廷に入っていった。

 開廷5分前、傍聴人に対する入廷許可が出た。女傑が入廷し、入口を挟んで反対側で待機していた公安らしき4名がそれに続いた。ほかに入廷したのは私を含めて2、3名だけである。口頭弁論終了後の街宣活動を告知していた盟友の西村修平も「行動する保守」Aとその弟子も姿をみせない。彼らも「行動する保守」のリーダーとしてそれぞれの活動に多忙を極めているのだろうか。それが本当に社会のためになるのならよいのだが。

 かつて「行動する保守」関連裁判の法廷前では「朝木明代謀殺事件の真相究明=悪徳副署長糾弾」という妄念に支配された支援者たちが列をなした。西村敗訴後、傍聴に訪れる支援者の数が減ったのは確かだが、最近の少なさは敗訴のショックによるものだけのようにも思えない。

真実性・相当性の立証をしなかった右翼M

 さて、前回平成22年10月6日に開かれた第5回口頭弁論で右翼Mは第3準備書面を提出し、問題の「政経通信」が不特定多数にまかれたものではなく、名誉毀損は成立しない旨の主張を行っていた。このとき裁判長は、平成22年1月27日に行われた第2回口頭弁論の際に右翼Mに求釈明した真実性・相当性の主張・立証がいまだ行われていないことについてはもう触れなかった。

 5月26日の第3回口頭弁論で「真実性又は相当性の抗弁を主張すること」を口頭で確認し、その後7月21日の第4回口頭弁論、第5回口頭弁論と、右翼Mには3回にわたり真実性・相当性を主張・立証する機会が与えられている。それでも真実性・相当性の主張・立証をしないとすれば、裁判所が正当と認めるかどうかは別にして、それはそれで当事者の判断であり、裁判所が強制することはできない。

 裁判長は前回第5回口頭弁論で千葉に対し、右翼Mが提出した第3準備書面に対する反論があれば提出するよう求め、右翼Mに対しては千葉の反論に対してさらに反論があれば提出するよう求めた。こうして迎えたのがこの日の第6回口頭弁論である。

 10月19日、千葉は右翼Mの第3準備書面に対する反論を提出している。そのうち本件請求に直接関わる部分の主張は以下のとおりである。

①模索舎では購入者は限定されておらず、一般書店である。したがって模索舎での販売が不特定多数に対する頒布に該当しないとする被告の主張は失当である。

②街宣における配布も不特定の市民に対して行われたものであり、不特定多数に対する配布に該当しないとする被告の主張は失当である。

③機関紙のコピーが東村山市内に配布されたのは事実であり、原告による偽装工作であるとの被告の主張は失当である。

④本件記事で事実摘示または論評の前提とされた事実の重要な部分は⑴原告は捜査の指揮担当者として亡朝木市議に対する殺人事件を自殺として処理した⑵原告は亡朝木市議の万引き事件が冤罪であるのに、万引きしたという事件をでっち上げた⑶原告は創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じた――の3項目だが、被告はいまだ真実性・相当性の立証をしていない。

 そのほかに千葉は、右翼Mの洋品店襲撃事件の際の言動、裁判所内で千葉が右翼Mらに取り囲まれた件などについてもあらためて反論を行っている。

 これに対して右翼Mは、当日提出した第4準備書面において次のように主張した。



(第4準備書面における右翼Mの主張)

①被告が糾弾する対象は創価学会であり、東村山事件の全体像を説明する過程において、原告が関った万引きのでっちあげと、自殺処理を各4行(筆者注=つまり計8行)において記述したにすぎない。

②偶然に本件機関紙を読むことで原告に対する評価を低下させたという人物は存在していない。

③模索舎は「一般的書店ではほとんど手にすることのできない、ミニコミ・自主流通出版物のための書店です」といっているから一般書店ではなく、同書店における販売は不特定多数の一般読者に頒布したことには該当しない。

④街宣における配布は被告の演説を聞いて興味を持った5名が自ら進んで受け取りに来たので手渡したものであり、不特定多数に無料配布したものではない。

⑤東村山市内の住人宅に配布されたと主張していることについて被告は全く関与していない。この件は本事件の審理における「請求の原因」とは無関係である。



 右翼Mの主張は、問題の記事には千葉に対する名誉毀損はなく、不特定多数に配布されてもいないから不法行為は成立しないというものである。真実性・相当性の主張・立証はない。要するに、本件請求に関わる部分においては第3準備書面の内容を繰り返しただけである。前回第5回口頭弁論で裁判長から真実性・相当性について何もいわれなかったことで右翼Mは、もう真実性・相当性の立証は求められていないとでも考えたのだろうか。

(つづく)

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右翼M事件 第6回
「行動する保守」Aと重なる立証対象

 右翼Mは第6回口頭弁論においても真実性・相当性の主張・立証をまったくしなかった。しかし右翼Mの「公然性はない」とする主張はどこまで認められる可能性があるのだろうか。前回紹介した右翼Mの主張①については、問題は記事の分量ではなくその意味内容だろうし、②以下の主張についても裁判所が認めるとみるのは難しいのではなかろうか。

 とすれば、右翼Mはやはり真実性・相当性を主張しておく必要があったのではないか。しかし盟友の西村修平は千葉から提訴された裁判で矢野と朝木の全面的な支援を受けたものの、その主張はことごとく排斥されている。右翼Mも内心は、西村が行った立証活動では「朝木明代は謀殺された」とする事実を証明することはできないと考えているのだろうか。

「新証拠」による立証の可能性が残されているとすれば、「行動する保守」Aのいう「内部告発」以外にはないのではないか。「行動する保守」Aは本件記事を転載して千葉から提訴されており、真実性・相当性の立証対象は重なってこよう。「行動する保守」Aがこれまで提出されていない「証拠」を提出すれば、右翼Mにも立証の道が開かれる可能性がないとはいいきれないのである。「行動する保守」Aの裁判も始まっており、すでに3回の口頭弁論を重ねている。

 ところが、「行動する保守」Aが被告となっている裁判の口頭弁論が11月10日に開かれたが、代理人が急病ということで出廷せず、準備書面も提出しないという事態となった。この時点で「行動する保守」Aが「内部告発」の事実とその内容について主張していれば、右翼Mも11月24日の行動弁論までに真実性・相当性の主張・立証ができた可能性もあったのではあるまいか。その「行動する保守」Aは裁判終了後の街宣を知らせただけで、傍聴にも街宣にも姿を見せなかった。もちろん、真実性・相当性の立証をしなかったために一審で敗訴したとしても、控訴審で立証できれば状況が変わる可能性もないとはいえないが。

 この日、裁判官は原告被告双方から提出された準備書面と書証を陳述扱いとし、「これで双方の主張は出尽くしたと考えていますが、いかがですか」と双方に問うた。右翼Mが再三の求釈明にもかかわらず真実性・相当性の主張をしていない点について、裁判官はこの日も触れもしなかった。

 裁判官が真実性・相当性の主張が必要と考えているとすれば、右翼Mにはその機会を十分に与えたと考えているということだろう。その場合には、右翼Mが「真実性・相当性の主張・立証をしなかった」ではなく「真実性・相当性の立証がない(できなかった)」と認定されることになろう。

かなり食い違った主張

 このとき右翼Mから裁判長に質問があった。右翼Mは「原告は請求原因以外のこと(洋品店襲撃や裁判所内で千葉に詰問したり、裁判官を追いかけて壇上まで駆け上がったりしたこと)」をさかんに主張しているが、請求原因とは無関係のことについて被告は反論する必要があるのでしょうか」という。千葉としても直接関係ないことは承知の上で取り上げていると思うが、右翼Mとしては裁判長から千葉に対して「無関係のことを持ち出さないように」と注意してもらいたいとでも考えたのだろうか。これに対して裁判長は「被告が必要があると思えば反論すればいいし、必要がないと思えばしなければいいんじゃないですか」と答えた。

 右翼Mとしては千葉が背景事情として主張した請求原因とは直接関係ない点についていたく気になっていたようである。右翼Mは裁判長に問いながら、これらの点については第4準備書面で否認する主張を行っている。右翼M側の主張としてきわめて興味深いいくつかの点について紹介しよう。



(右翼Mの主張)

右翼Mが「情けない右翼だな」といわれたことについて千葉を詰問したことについて

 待合室で被告は原告に対しては、答弁書での質問と同様に「何に対して恥かしくないか、と聞いたんですか」「答えてください」等と、「です」「ます」調で紳士的に尋ねている、原告が記述するが如き「説明しろ」「答えろ」、と言った暴言的な聞き方はしていない。

 被告は常日頃の演説でもこのスタイルは常に堅持しており、暴言的な口調で訴える人間に対しては、一緒に活動に参加する人間であっても批判している。

 道理を踏まえた被告からの質問に対し、原告は一切聞こえないかの如く無視する姿勢を貫いて、被告が暴力に訴え出るのを待っていたのである。



 この現場に私もいたが、右翼Mと同調者らが千葉を取り囲んで詰問していた光景はとうてい「紳士的」だったとはいえない。千葉に罵声を浴びせる同調者を右翼Mが制止した事実もない。右翼Mは「同調者」について自分の支持者ではなく、

〈おそらく裁判当事者(西村)の支持者であると思われる。よって、その言動に関しても被告は関知していない。賛同も支援も行っていない。〉

 などと主張している。仮にそれが事実としても、右翼Mが「紳士的」に話したかったのなら、右翼Mの「方針」に反して暴言を浴びせている「同調者」を排除すべきだったろう。しかし右翼Mが「同調者」らに対して言葉を慎むよう求めた事実はない。右翼Mは「同調者」らの暴言を容認し、彼らと一体となって千葉を脱出できないように包囲していたのである。いまさら「その言動に関しても被告は関知していない。賛同も支援も行っていない」などといっても説得力はない。
 
 裁判所職員がその後千葉に対して「今日の傍聴はしない方がいいのではないか」とアドバイスしたのも、職員からみて千葉が右翼Mに近づけばまた危害を加えられる恐れがあると感じられたからだろう。すなわち少なくとも、右翼Mらが千葉を取り囲んで詰問する状況が「紳士的」だったとはみていないということである。



(右翼Mの主張)

「右翼Mが傍聴人を足蹴にした」ことについて

 当日、被告は傍聴席において創価学会信者と隣り合わせて着席したが、左隣の信者が大きく足を広げてきた為に、信者の右足太股が被告のスペースにはみ出し、被告の左大腿に密着してきた。これを気色悪く不快に感じた被告は、「太腿を擦り付けるな」、と左太腿で押し返したのであった。足蹴りにしたことはない。



 私と千葉が当事者から直接聞いたところでは、彼は明確に「右翼Mから蹴られた」と証言している。

(つづく)

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