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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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東村山街宣事件控訴審判決(その1)
弱々しい抵抗

――不当判決だ。社会通念上許されない。当然、上告します。

 平成23年4月21日午後2時。東京高裁824号法廷で右翼Mの声がむなしく響いた。その声はあまりにも弱々しく、よく聞き取れないほどだった。傍聴席にいた支援者らしき女が 一言だけ右翼Mに呼応したものの、それに続く者はなく、法廷内はすぐに静まり返った。

 東村山市議の矢野穂積、朝木直子(「草の根市民クラブ」)と結託、東村山市内などで行ったデマ街宣により名誉を毀損されたとして、創価学会が右翼Mと浦安の行政書士(いずれも「行動する保守」と称する右翼グループの活動に参加していた)を提訴していた裁判で東京高裁は平成23年4月21日、連帯して110万円の支払いおよび街宣禁止を命じた一審判決を支持し、右翼Mと行政書士の控訴を棄却する判決を言い渡した。

 判決言い渡しを聞いた右翼Mは、抗議してみたものの、抗議したからどうなるものでもないことはよくわかっていたし、脅しや大声が通用する世界でもないことを理解していたようにみえる。傍聴に来てくれた支援者の手前、何か抵抗しなければ恰好がつかなかったというところだろう。

 一審で右翼Mは元暴力団組長に対する証人申請が却下されると裁判官の壇上に駆け上がって裁判官を追いかけ、裁判官専用出入り口のドアノブに手をかけた。自らの主張を容認しなかった裁判官に対して実力を行使しようとするもので、裁判制度の根幹を揺るがしかねない異常な出来事だった。

 以後、東京地裁は「行動する保守」関連裁判では厳戒態勢を敷き、一審の判決言い渡しの法廷では屈強な警備員が2名、裁判官の脇を固めた。右翼らの襲撃に備えたものであることは明らかで、右翼に対する裁判所の強い意思を示すものでもあった。

 女傑Mなど傍聴にやってきた数人の支援者も、いかに判決に納得がいかなくても、法廷で大声を上げても無意味であることを学習したものとみえる。ただ彼らにとって、判決をすべて理性で受け止めるのはまだ難しかったようである。その腹いせか、女傑Mはそばにいたジャーナリストに絡み、右翼Mは法廷の壁を殴りつけていたという。彼らはまだ世の中の仕組みと折り合いがつけられないらしい。

右翼と矢野との親密な関係

 平成20年夏、朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐり、「(宗教団体による)他殺」と主張する東村山市議、「草の根市民クラブ」の矢野穂積と朝木直子によるデマを盲信し、積極的な街宣活動を展開する珍しい勢力が突如出現した。「行動する保守」Aなど複数のグループを糾合した「行動する保守」と称する一団である。

「行動する保守」Aらのシンポジウムに招かれた矢野と朝木は明代の「万引き冤罪」と「他殺」を主張。平成20年9月1日には右翼が東村山東口駅前で明代の転落死事件の「真相究明」を求める集会を開催し、集会の最後には矢野と朝木も駆けつけた。この日、右翼らは「万引きは捏造だ」とする矢野と朝木の主張に触発されたのか、万引き被害者の店に押しかけ「万引き捏造を許さないぞ」などの罵声を浴びせるなどした。いわゆる「行動する保守」による「洋品店襲撃事件」である。

 同年11月16日には右翼らが再びシンポジウムを開催、矢野は右翼らに向かって明代の万引き被害者に対して電話をかけろなどと煽動した。すでに彼らの一部が被害者の店に押しかけて罵声を浴びせている事実からすれば、嫌がらせが繰り返される可能性が高いとみられた。現実にその後、被害者の店には不審な電話が相次いだ。

 こうして矢野と朝木は「行動する保守」と称する右翼グループと急速に関係を深めていった。翌平成21年3月議会には右翼が傍聴に訪れ、傍聴人をビデオで撮影するなどして物議をかもしたこともある。

 問題となったいわゆる東村山街宣は右翼グループと矢野・朝木が関係を深める中で行われたが、その直前には右翼らが矢野と朝木の発行する政治宣伝ビラの配布活動に従事していたとして右翼Mは控訴理由書の中で次のように述べている。

〈当時の状況として、……(行政書士)と共に十数人のメンバーで東村山・東大和両市内においてミニコミ紙(矢野の政治宣伝ビラ=筆者)を各家庭のポストに投函する活動を実施していた。この活動は、(行政書士らが)……矢野穂積東村山市議、故朝木明代の長女である朝木直子東村山市議が発行する「東村山市民新聞」「北多摩新聞」を各家庭のポストに投函することで、部数に応じて代金を受け取るという有料ボランティア活動であり、(行政書士ら)は既に2週間ほど続けていたものである。〉

 右翼Mによれば、矢野と朝木は右翼らに代金を支払ってビラを配らせていたということになろうか。右翼Mが行政書士らとともに東村山で問題の街宣を行ったのはその直後である。矢野の関与について右翼Mはこう述べている。

〈(行政書士から)「Mさん、矢野さんからの伝言ですが、『当たり屋に気をつけてください』、と言うことです」、と言われた。……この一言を聞いて(右翼M)としては、本日の宣伝活動は被告K(行政書士)が矢野穂積の承諾を得て実施しているものであると理解した。〉

 この街宣には矢野も朝木も姿をみせていない。しかし右翼Mは、行政書士の背後で矢野がなんらかのかたちで関与していたとみていたようである。右翼Mは思い込みが強い傾向があるので、上記「理解」については少し割り引いて受け止める必要があろう。ただ、矢野の承諾があったかどうかはともかく、街宣の内容からして右翼Mらが矢野と朝木のひとかたならぬ影響下にあったことは疑問の余地がない。

「認識」と「現実」の間

 さて後に詳述するが、右翼Mは控訴審で「行動する保守」Aが「聞いた」とする「内部告発」の存在を根拠に明代の「他殺説」を主張した。少なくとも右翼Mは「行動する保守」Aが主張する「内部告発」を真実であると信じていた。

 一方、右翼Mの絶大な信頼をよそに、「行動する保守」Aは千葉との裁判で「内部告発」の立証からさっさと手を引き、千葉の要求をほぼ丸飲みする条件での和解が成立している。千葉のもとに送付された和解調書には、平成23年4月25日付で、それが「正本」であることを証明する旨の書記官の署名が付されている。和解が成立していることは、争いようのない客観的事実である。

 ところが仄聞するところによれば、「行動する保守」Aは「千葉との裁判はいまだ係争中との認識」という。「認識」は「認識」でよいが、その「認識」が客観的事実と一致しているという証明はない。

 そもそも「行動する保守」Aの「認識」など、どうでもいい。「行動する保守」Aが「認識」という言葉によって客観的現実から目をそらせようとしたとすれば、まれにみる卑怯者という評言もあながち的はずれとはいえないようである。

(つづく)

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東村山街宣事件控訴審判決(その2)
矢野・朝木の代理

 平成21年6月14日、東村山市内および東大和市内をダークグリーンの街宣車が走り回った。乗っていたのは右翼Mと千葉県浦安の行政書士である。彼らは以前に東村山駅前で行われた「朝木明代転落死事件の真相究明を求める」と称する街宣活動にも参加しており、右翼Mは明代による万引き被害者の店にも押しかけている。行政書士は議会内の「草の根」の控室にも出入りするほどの関係にある。要するにいずれも、「行動する保守」の中でも矢野と朝木のデマを盲信した代表的な存在といえる。

 この日午前9時30分、右翼Mは東村山駅東口において次のような演説を行った。これが東村山街宣の始まりである。



〈○○(政党名等)の不正というものを糾弾しておりました女性市議会議員が転落死いたしました。……これは明らかに○○による犯罪なんです〉

〈朝木明代市議が万引きして警察につかまったことを苦にして自殺したんだというストーリーまで作り上げているんです。これが○○の狡猾なやり方なんです〉

〈○○というのはまさに犯罪者の集団なんです〉

〈日本の国を牛耳ってやりたい放題。不正、犯罪のオンパレードなんです〉



 これをそばで聞いていた行政書士は右翼Mの発言に合わせて「そうだー」などと同調し、街宣を盛り上げた。

 その後、右翼Mと行政書士らは街宣車に乗り込み、東村山および東大和市内での街宣に出発。走行中にはスピーカーで次のような録音テープを流し続けた。

〈今こそ○○の犯罪をあばき、東村山に安全な暮らしを取り戻しましょう。……殺人罪の時効まであと1年。14年前の朝木明代市議会議員の転落死は自殺ではありません。事件を担当した東村山警察署、担当検事もカルト教団関係者。これで公正な捜査ができるのでしょうか〉

 右翼らはさらに市内数カ所において同趣旨の内容の街宣活動を繰り広げたのである。いずれも平成7年に朝木明代が万引きを苦に自殺を遂げて以後、矢野と朝木が宣伝してきた内容そのものである。矢野と朝木が直接参加していなくても、この街宣は彼らが長年にわたって繰り広げてきたデマ宣伝の成果であることはいうまでもなかった。

 矢野と朝木は同じ内容のデマ宣伝によって、政治宣伝ビラ関係で300万円(2件)、『週刊現代』におけるコメントで200万円の損害賠償が命じられている。したがって彼らは同様のデマ宣伝をすれば再び不法行為に問われることを知っているから、右翼らのようなマネはしない。右翼Mと行政書士は危険を冒して矢野と朝木の代理としてデマ宣伝役を務めたようなものである。矢野と朝木に「止めた方がいい」と忠告する義務はなく、何も知らない右翼が勢いにまかせてやってくれるのはありがたかったにちがいない。

無謀な証人申請

 これに対して創価学会は提訴し、平成22年7月30日、東京地裁は右翼Mと行政書士に対して連帯して110万円の支払いと東村山市内および東大和市内において同趣旨の街宣活動を禁止する命令を言い渡している。一審で右翼らは東村山デマの集大成『東村山の闇』(矢野・朝木著)などを提出し、「朝木明代の転落死が他殺であること」「万引きが捏造であること」に関する真実性・相当性を主張したものの、証拠提出などの立証活動を積極的にやったとは思えない。

 同じく明代の転落死をめぐり千葉から提訴されていた西村修平が、明代の「万引き冤罪」と「他殺」を主張して相当数の書証を用意して真実性・相当性を立証しようとしたものの、その主張がことごとく排斥されたという事情もあったかもしれなかった。しかも、西村の裁判は証拠から主張とその組み立てに至るまで矢野と朝木が全面的に支援していた。西村の代理人もそのことを隠そうともしなかった。

 ところがその裁判で、東京地裁は明代に「自殺の動機がなかったとはいえない」と認定して、西村は全面的に敗訴し10万円の支払いを命じる判決を言い渡されている(平成23年3月15日、最高裁が西村の上告を棄却し、上記判決が確定)。右翼らとしても、これだけの判決を出されたあとでは西村と同様の主張をすることを躊躇したとしても無理はない。書証のコピー代がかさむだけである。

 かといって、矢野と朝木にそれ以上の証拠があるかといえば、そんなものがあるはずもなかった。あるとすれば、彼らとしても可能なかぎりの支援を惜しまなかったはずである。しかし西村修平が提訴された裁判では全面的に支援に乗り出した矢野と朝木は、この裁判でなんらかの支援を行った形跡はみられなかった。右翼らと結託した矢野と朝木も無様な結果になることは避けたかったものと思われた。

 一審で最も注目を集めたのは、終結も間近という段階になって行政書士が「明代の他殺」を立証するためと称して暴力団の元組長を証人申請しようとしたことである。元組長の著書には「明代の暗殺」と「宗教団体の関与」が示唆されているという主張らしかった。これもまた矢野と朝木が宣伝している内容だった。

 しかし裁判長はこの証人申請をあっさり却下した。元組長の著書には「明代の暗殺」と「宗教団体の関与」をうかがわせる具体的な記述はなく、元組長を証人申請する理由はないという判断とみられた。しかも証人申請に際して、証言してもらう人に対して事前に了承を得ているのが通常だが、行政書士の申請にはそんな様子もなかった。裁判所がこの申請を認めなかったのはきわめて常識的な判断だったのである。右翼Mが裁判官を追いかけるという信じがたい行為に及んだのはその直後のことだった。

「内部告発者」に一縷の望み

 ただ右翼らにとって、雲を掴むような話ではあるとはいえ、控訴審で逆転勝訴の一縷の望みをつなぐ「証拠」がないわけではなかった。そもそも右翼Mらが東村山デマに参入するきっかけとなったのは、「行動する保守」一行の重鎮である「行動する保守」Aが最初に行った八王子での街宣で「東村山署は朝木明代殺害犯3名を確認していたが、検察はそれを隠蔽したという現職警察官による内部告発があった」と演説したことにある。

 この「内部告発」については矢野も朝木も、少なくとも彼らの口からは1度も主張されていない。つまり、裁判所では1度も検討されていない事実だった。したがって、この「内部告発」が正式に立証され、その内容が真実であると証明されれば「万引きを苦にした自殺」という朝木事件の本質さえ覆る可能性がある。右翼Mは控訴にあたり、控訴理由書で「内部告発」に触れながら次のように明代の転落死が「他殺」だったと主張していた。



〈平成20年9月1日に東村山駅前において、……主宰者の訴外(「行動する保守」A)は演説の中で、「創価学会の関与は疑いの余地がない。警察関係者からの内部告発があった」、と断言している。当時の事件に関った警察関係者が創価学会の関与を知っているものであるから、この警察関係者が真実を証言すれば、創価学会が殺害事件に関与したことは明白となる。

 しかしながら現在はまだ、当の警察関係者が公に証言を行うことを躊躇しているものと思われる。警察関係者からの綿密且つ、正確な情報収集と証拠が提出できれば、事件の真相が解明されることは間違いない。今現在、関係者を通じて警察関係者との交渉で調査・聞き取りを継続している。〉



 ここで右翼Mがいう「(調査している)関係者」が誰なのか、いつ、どこで「調査・聞き取り」を行っているのかについては、残念ながらまったく具体性がない。あるいは右翼Mは「行動する保守」Aからこんな曖昧な説明を聞かされて、いまだにそれが本当だと信じているのかもしれない。

 どこまでが具体的事実でどこからが想像なのか、あるいはその中に事実があるのかさえ判然としないような話が「他殺」の根拠として裁判所に通用するものかどうか、常識で考えればわかりそうなものである。しかし右翼Mとしては「内部告発」を持ち出すことで判決が覆る可能性もあると考えたのだろう。

 裁判官がこの「内部告発」をどう捉えたか。裁判官の内心はわからないものの、特に「内部告発」についてそれ以上の資料の提出を求めなかった。また、行政書士は控訴審でも再び暴力団元組長を証人申請したが再び却下され、裁判は終結した。私にはほぼ順当な進行と思われた。

(つづく)

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東村山街宣事件控訴審判決(その3)
「『東村山の闇』は推測にすぎない」

 では、東京高裁は右翼Mらの主張に対してどう判断したのか。まず東京高裁は右翼Mが相当性の根拠として提出した矢野と朝木のデマの集大成『東村山の闇』に対する評価をみよう。当然、その内容の評価によっては相当性が認められる可能性もないとはいえない。東京高裁は『東村山の闇』の記載内容について次のように述べた。

〈同書(筆者注=『東村山の闇』)には、……「司法解剖鑑定書」により、朝木市議の死因が紛れもなく殺害事件であったことが確認できたとする部分があることが認められる。……同書の全体の記述を読むと、同書の著者らは、朝木市議の死因が殺害であると断定したうえで、同市議の殺害行為に対する被控訴人関係者の関与やその可能性を示唆していることが窺えるというべきである。しかしながら、これらの記述は、あくまでも推測の域を出ないというべきであり(……朝木市議の死因について、これを殺害であると認定するに足る証拠が存するとまではいえない)、これによって、本件事件に対する被控訴人やその会員の関与を認定することはできないというべきである。〉

 東京高裁は、『東村山の闇』の記述は推測にすぎず、したがってその記載内容をもって朝木明代は殺されたと信じることに相当の理由はないとし、さらに明代の転落死が「殺害」であると認定するに足る証拠が存するとまではいえないと述べている。

「内部告発」を一蹴

 では、右翼Mが真実性を主張するために控訴審で持ち出した「行動する保守」Aが「聞いた」とする「内部告発」についてはどうか。「内部告発」の存在を証明する書証さえ提出しないただの主張についてまともに検討する必要もないと思うが、右翼らの街宣が繰り返されていることなどの現実に照らして東京高裁は「内部告発」について一応触れておく必要があると考えたのかもしれない。東京高裁は「内部告発」については次のように述べた。

〈控訴人(右翼M)は、客観的にみたすべての状況証拠、犯行に至るまでの経緯からみても、朝木市議殺害事件に被控訴人が関与していると確信するなどと主張し、平成20年9月1日に行われた「東村山市議朝木明代さんの謀殺事件の真相を究明する集会」において、主宰者である(「行動する保守」A)が「創価学会の関与は疑いの余地がない。警察関係者からの内部告発があった。」と断言しているなどと主張する。

 しかしながら、(「行動する保守」A)が述べたとされる内容は伝聞にすぎず、「警察関係者」なる者がいかなる人物であるかも明らかにされていないのであるから、これをたやすく採用することはできない。〉

 ついでにいえば、「内部告発」の内容(現場)を「行動する保守」Aがいう「警察関係者」が直接目撃したのかどうかも定かでない。つまりこの「内部告発」の内容とはどこからが当事者の直接の経験なのかさえ確定できない代物であり、普通は裁判所でなくてもにわかに信用する者はいないレベルの話だろう。東京高裁が「行動する保守」Aのいう「内部告発」を真実性の根拠と認めなかったのは当然だった。

「調査中」という言い訳

 しかしそれでも右翼Mは「行動する保守」Aの話を信じ、控訴に際してあらためて「行動する保守」Aに聞いたのかもしれない。「行動する保守」Aは誰が誰に対して行っているというのか具体的に明らかにしないまま「調査中」とのみ回答したらしいことが右翼Mの書面からはうかがえる。

 右翼Mが提出した控訴理由書は平成22年12月21日付である。この時点で「行動する保守」Aは「内部告発」の裏付け調査中だったということになろうか。それから4カ月後の平成23年4月20日、「行動する保守」Aは千葉と和解した。「行動する保守」Aは「内部告発」の真実性立証を放棄したのである。

 ところで右翼Mが問い合わせたとき、「行動する保守」Aが「内部告発」について調査中だったというのも私には疑問に思える。なぜなら平成20年の段階で「行動する保守」Aは「内部告発者に直接会った」と述べている。この「内部告発者」が本当に存在しており、その内容が朝木明代の転落死が「万引きを苦にした自殺」ではなく「謀殺」であることを立証するものであるとすれば、その「証言」等をいち早く証拠化しておくべきである。

 公表時期の問題があったとしても、「行動する保守」Aはなぜそれをしなかったのか。証拠化したくても、その話は最初から具体性を持った「内部告発」と呼べるような代物ではなかったということではなかったのか。要するに右翼Mを含め「行動する保守」一行はすべて「行動する保守」Aの「内部告発」話に騙されていたのではないかという気がしてならない。いずれにしても、「内部告発」の信用性は「行動する保守」A本人のあずかり知らぬところで否定されていたようである。

 さらに東京高裁は行政書士が行った元暴力団組長に対する証人申請にも触れてこう述べた。

〈そもそも「暗殺依頼密会ビデオ」なるものの存在自体が明らかでないし(そのようなビデオが存在すると聞いたなどとする伝聞にとどまる。)、後藤忠正の著作の内容等に照らしても、……証人として尋問することによって、「被控訴人が朝木市議を殺害したこと」を直接、間接に推認させる事実が明らかになるとは認められないものである。〉

 つまり、存在自体が明らかでないものに基づいて尋問を行うことには意味がない(=存在自体が明らかでないものに基づいて行う主張にも意味がない)ということである。この「密会ビデオ」なるものについては矢野と朝木も「他殺の証拠」などと騒いでいるが、存在自体が明らかでないものが「他殺の証拠」である道理はないというべきだろう。

「『鈴木意見書』は信用できない」

 行政書士は朝木が秋田大学名誉教授(当時)に依頼した司法解剖鑑定書に対する「鑑定」(=「鈴木意見書」)に基づき、明代の遺体の上腕内側部にあった皮下出血の痕が「他殺の証拠」などと主張していた。司法解剖鑑定書のみによって「(上腕内側部の皮下出血の痕は)他人と争った際に生じたと考えるのが妥当」と結論付けた「鈴木意見書」について東京高裁はこう述べた。

〈朝木市議の死亡の翌日に東京慈恵会医科大学法医学教室の医学博士2名が行った法医鑑定においては、同創傷(=上腕内側部の皮下出血)も含めて朝木市議の遺体の外表に認められる創傷は「いずれも鈍体による打撲、圧迫、擦過等により形成されたと思われる。」「これら部に作用した当該凶器の性状を詳らかにするのは困難である。」とされているのであり、この法医鑑定よりも鈴木意見書のほうが信用できるという事情は認められないものである。したがって、鈴木意見書の鑑定意見を直ちに採用することはできない。〉

 なお鈴木教授は朝木の求めに応じ、「意見書」に続いて「鑑定書」を提出、これが裁判所に否定されると今度は同趣旨の「鑑定補充書」を提出したが、これもまた客観的に信用できるものとは扱われなかった。しかも鈴木教授の鑑定が裁判所から否定されるのはこれが初めてではない(もちろん西村修平の裁判でも否定されている)。いかに法医学の権威であろうと、そもそも遺体も現場も直接見ないまま、司法解剖を行った医師の意見に反駁すること自体、無理があろう。

 こうみると、右翼Mと行政書士を被告とするこの裁判で東京高裁が否定した「他殺の根拠」なるものは、いずれも矢野と朝木によるものであることがわかろう。彼らはみごとに矢野と朝木から利用されたということである。

 さらにこの裁判では「他殺の根拠」として「行動する保守」Aが言い出した「内部告発」という新たな作り話も加わった。とりわけ「内部告発」話は右翼Mに大きな影響を与えたらしい。

 しかし残念なことに、「行動する保守」Aに「内部告発」を調査する気があるとは思えない。だからこそ「行動する保守」Aは千葉と和解したのである。そんなたわいない話にやすやすと乗せられた自らの不明から、また「行動する保守」Aの不誠実さから右翼Mは目をそらすべきではあるまい。

(了)

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「行動する保守」事件 第12回
履行されない和解条項

 千葉英司警視庁東村山警察署元副署長が「行動する保守」Aとその弟子を提訴していた裁判は、平成23年4月20日に開かれた第6回口頭弁論の直後、当事者双方(「行動する保守」A側は代理人弁護士)による協議が行われ、和解が成立した。

 東京地裁立川支部が作成した調書には、4月末日限りで問題となった記事(写真)を削除し、5月10日限りで「行動する保守」Aらが千葉の口座に10万円を振り込むという条項がある。しかし5月10日を過ぎても、「行動する保守」Aに課せられた上記義務はいずれも履行されていない。
 
 4月末日までに記事が削除されていないことを確認した千葉は5月6日、代理人に対して早急に削除義務を履行するよう、また5月10日までとされた10万円の支払い義務を履行するよう文書で通告した。これに対して5月9日、代理人から千葉の留守中、自宅に電話がかかり、「『行動する保守』Aは現在福島にいるので、振り込みは13日になる」との伝言を残したという。福島では銀行のオンラインがストップしているのだろうか。弁護士は電話の際、なぜか記事削除の件にはいっさい触れなかったという。

 それでも千葉は「行動する保守」Aが和解条項にある「5月10日限りの支払い」を履行する可能性もあると考え、一応口座を確認した。しかしやはり5月11日現在、和解金は振り込まれてはいなかった。

 弁護士は和解調書の重みを理解しており、だからこそ千葉に電話をかけてきたと思われるが、はたして「行動する保守」Aに義務を履行させることができるのか。13日という約束も反故にされた場合には、(アウトローではない)弁護士として立場がなくなろう。

尋問申請を予定

 さて何も知らない多くの支援者を東村山デマの泥沼に引きずり込んだ最大の責任者であり、裁判の当事者であるにもかかわらず、「行動する保守」Aは和解成立が明らかになったのちも、自らなんらの説明もできなかった。その「行動する保守」Aは5月10日、別のブログに和解調書を掲載し、5月11日になって初めて和解に関する見解らしきものを発表した。

「行動する保守」Aによれば、

〈昨日(=5月10日)依頼していた弁護士とようやく連絡が取れました。弁護士事務所が連休に入ったので昨日まで連絡が取れず……。こちらは弁護士から何の連絡も受けておらず、昨日初めて内容を知った次第です。〉

 とのことである。しかしこれは本当なのか。弁護士は5月9日に千葉に電話して「『行動する保守』Aは現在福島にいるので、振り込みは13日になる」と伝えてきている。つまり「行動する保守」Aは遅くとも5月9日には弁護士から連絡を受けているはずなのである。したがって、「行動する保守」Aがここでいう〈昨日まで連絡が取れず〉という記載は不正確ということになるのではあるまいか。時間稼ぎでもしていたのだろうか。

 さて「行動する保守」Aによれば、4月20日の口頭弁論の際、裁判官から和解勧告があり、千葉が和解を受け入れたので和解に応じたという。つまり「行動する保守」Aは、自ら和解による解決を求めたのではないといいたいようである。

 支援者の手前、自ら和解を申し出たとはいいにくい事情はわからないではない。しかし、千葉が裁判官の勧告に従ったので和解に応じたというのは事実に反する。4月20日の口頭弁論が始まった段階で裁判官は判決による終結を考えていた。なぜなら、前回の口頭弁論で「行動する保守」Aが相当性を主張したからである(その事実は「行動する保守」A自身が5月11日付けブログに掲載した前回口頭弁論で提出した平成23年2月28日付準備書(3)からも明らかである=そのうち特に「第2の3」。)

 前回口頭弁論で「行動する保守」Aの代理人は和解を拒否し、次回(4月20日)口頭弁論において「上記準備書面(3)に記載した週刊誌記事の原本を提出する」としていた。また裁判官は「行動する保守」Aに対して相当性の書証とともに陳述書の提出を命じた。判決を想定していたということである。ところが「行動する保守」Aは陳述書については4月7日に提出したものの、相当性立証のために提出するとしていた「週刊誌の原本」は4月20日になっても提出せず、裁判官から「いつになるか」と問われた際、代理人が唐突に和解したいと申し出たのである。

 陳述書は真実性・相当性を含めた自らの記事の正当性を主張するもので和解を想定するものではない。「行動する保守」Aは陳述書提出の段階では和解は考えていなかったということになる。千葉は前回の口頭弁論まではこれ以上の主張はないとしていた。しかし陳述書を見た時点で若干方針に変更が生じた。陳述書には「内部告発」や「FBI」などの重要事項が記載されていたが、わかりにくかったり不明確な点が多々あった。

 このため千葉は、陳述書に基づき「行動する保守」A本人に対する尋問を行う必要があると考えていた。実際に千葉は4月20日、「行動する保守」Aから和解の話が出なければ尋問を申し出る予定だったのである。尋問の申し出を予定していた千葉が和解を申し出ることはあり得ない。

尋問に耐えられない陳述書

 一方「行動する保守」Aの弁護士からみれば、千葉の出方はある程度予測できたのではないかと思われた。尋問が行われる場合には事前に陳述書を提出する。したがって、陳述書の内容に疑問が生じた場合、尋問が申請されてもなんら不思議はない。裁判官が千葉の申請に理由があると認めれば、「行動する保守」Aは法廷で尋問されることになる。弁護士なら当然、ここまでの流れを予測できたのではあるまいか。また陳述書の内容が千葉の尋問に耐えられるものでないという判断もできたはずである。

 すると弁護士は千葉による尋問を避けたいと考えるだろう。歓迎するなら4月20日、相当性を主張するために「週刊誌の原本」を提出しただろう。これなら徹底抗戦ということで和解はあり得ないが当然、「行動する保守」Aに対する尋問の可能性も浮上する。

 しかし「行動する保守」Aは「週刊誌の原本」を提出しなかった。「行動する保守」Aは前記準備書面(3)であれだけ相当性を主張していたにもかかわらず、なぜ書証を提出しなかったのか。理由は判然とはしないものの、結果からみると、陳述書の提出から4月20日の口頭弁論までの間になんらかの方針変更があったとみるべきだろう。相当性を主張する書証を提出しなかったということは、当初から和解を申し出るつもりで出廷したものと判断できた。

 その原因は陳述書の内容にあった可能性もあると私は考えている。いずれにしても今回の和解は裁判官が勧告し、それを千葉が受け入れたからではなく、「行動する保守」Aが前回弁論での主張を覆して自ら唐突に申し出たのである。

 和解金の支払いについても「行動する保守」Aは〈千葉副署長があくまでも金銭に拘ったので受け入れたと報告がありました。〉と、あたかも千葉が金を欲しがったかのように記載している。しかし名誉毀損訴訟において慰謝料を請求するのはごく普通のことであり、千葉は和解の条件として記事削除とともに10万円の支払いを求めたにすぎない。

 弁護士が「行動する保守」Aにどう報告したのかはわからないが、裁判官が立ち会う和解において当事者の要求が無条件に認められるのではなく、裁判官が妥当と判断したものしか和解条項として認められない。だから和解調書は判決と同等の法的効力を持つ。

 ところで「行動する保守」Aは、「行動する保守」Aが提出した陳述書の内容を第三者が取り上げていることなどについて裁判所に回答を求め、その回答を待って債務を履行するなどと主張している。しかし「行動する保守」Aはこの時点ですでに和解条項に示された債務履行期限が過ぎていることを忘れているようである。ただ、「回答によっては債務を履行しない」とまでは書いていないところに口舌の徒としての繊細さもうかがえる。

 代理人は「支払い」については「5月13日までに履行する」と千葉に約束している。ハッタリもいいが、これ以上債務を履行しないのは、自分だけでなく代理人の弁護士としての立場も悪くするのではあるまいか。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第13回
履行された和解条項

 和解成立から2週間後、債務(和解金支払い)履行日(5月10日)の翌日である平成23年5月11日、「行動する保守」はブログでようやく公式に和解について報告した。その中で「行動する保守」Aは和解後の千葉の言動が不誠実であるなどとして、代理人の約束(=本連載第12回)に反して、裁判所の「回答を待ってから」債務を履行するなどと強がっていた。

 しかし5月16日に千葉が確認したところ、和解金の10万円が振り込まれていたことがわかった。「行動する保守」A(あるいは代理人)が実際に裁判所に問い合わせたのかどうかは定かではないが、裁判所から千葉に対してはなんらの事情聴取もない。あるいは裁判所が「回答をしない」旨の回答をしたのかもしれなかった。

 記事の削除に関しては、同日夕方の時点ではプラカードの文言は削除されていなかったが、夜になって写真ごと削除された。削除が遅れた理由はわからないが、こうしてこの裁判は、千葉の請求がほぼすべて認められるかたちで終結したことになる。
 
 平成20年8月以来「行動する保守」Aが主張していた「内部告発」についても、裁判に現れたすべての証拠や資料をみるかぎり、とうてい「他殺の証拠」といえるようなものではなかったようである。「行動する保守」Aは、「内部告発」を信用した結果提訴され、損害賠償を命じられた西村修平や右翼Mらの支払いについても協力すべき道義的責任があるのではないか。

 右翼Mはまだ最高裁で係争中だが、判決が確定した西村の支払いはまだ終わっていない。裁判の当事者とはなっていないものの、「行動する保守」Aらの街宣に参加し、大挙して傍聴に行った彼らの支援者たちはどう考えているのだろうか。あるいはそもそも「行動する保守」一行には、間違った街宣の責任を取るという発想など最初からないのか。

すでに陳述書を提出

 さて、「行動する保守」Aは前回第5回口頭弁論(平成23年3月2日)の前日、わざわざ出廷しないことを告知したが、和解が成立した日である4月20日の第6回口頭弁論は出廷の有無はおろか口頭弁論が開かれること自体の告知もしなかった。

 通常の口頭弁論だから、代理人をつけている「行動する保守」A本人がどうしても出廷する必要があるというわけではない。しかしだからといって、「東村山女性市議転落死の真相究明」を声高に主張し、また支援者から絶大な信頼と尊敬を集めている「行動する保守」Aともあろう者が、支援者に対して口頭弁論開催の告知もしないとはどういう事情だったのか。

 4月20日の口頭弁論を目指して、「行動する保守」Aは「内部告発」に関する記述を含む陳述書を提出していた。したがって裁判も、形の上では新たな局面を迎える可能性があった。しかし出廷はおろか、支援者に対して口頭弁論開催の告知さえしないとはきわめて不可解だった。

 平成20年8月に「内部告発を聞いた」として朝木明代転落死事件の「真相究明」に乗り出した「行動する保守」Aは裁判官の命令に従い平成23年4月7日付けで陳述書を提出した。陳述書には「内部告発」の様子がこれまでよりも具体的に記載されている。陳述書を提出する目的は、朝木明代の転落死が「自殺」ではなく「他殺」であること、さらに千葉が「万引き事件を捏造」するとともに「殺人事件を隠蔽して自殺として処理した」とする事実を立証するためにほかならない。

 ただしこの陳述書は一方的に「行動する保守が聞いたとする事実」を述べたにすぎず、「内部告発」の内容が真実であることを証明する証拠等を同時に提出したわけではない。したがってこの陳述書は、その限りでは明代の転落死が「殺人事件」であることを証明するものではなく、それを証明するには今後さらなる立証活動を行う必要があると思われた。

提出されなかった証拠書類

「行動する保守」Aも珍しくそのことを十分に自覚していたようで、4月21日付ブログでも、転落死事件との関連性はよく理解できないものの一応「FBI関係資料」や「雑誌編集者の証言」も提出しているという。陳述書だけでは足りないと考えていたということである。また少なくとも提出の段階で「行動する保守」Aは、明代の転落死が「殺人事件」であることを(彼なりに)証明しようとしていたらしいことがうかがえる。代理人も、陳述書の提出を求めた時点では真実性・相当性の立証をしたいと考えていたのかもしれない。

 しかしその後、「行動する保守」Aの陳述書を読んだ代理人がどう感じたか。少なくとも「内部告発」に関して代理人の印象と「行動する保守」Aの認識にはだいぶズレがあったのではないか。そのことをうかがわせる事実がある。「行動する保守」Aは陳述書だけでなく「裏付け資料」も提出したという。しかし、「裏付け資料」は千葉には届いていない。つまり「行動する保守」Aは代理人には届けたが、代理人はそれを裁判所には提出しなかったということである。

 弁護士が「裏付け資料」を裁判所に提出しなかったということは、弁護士は「行動する保守」が提出した「裏付け資料」については(弁護士に提出したという「行動する保守」Aの主張が事実なら)「内部告発」の内容を裏付けるものとは認識しなかったとみるべきなのではあるまいか。「裏付け資料」は「内部告発」に関するものであるものの、陳述書には「内部告発」以外のことも書かれているので提出しただけと理解すべきだろう。つまり「内部告発」に対する代理人の評価は厳しいものだったのではないかと思われた。

 4月20日の口頭弁論を迎えるにあたり、「行動する保守」Aは代理人からなんらかの方向性を聞かされた可能性が高い。その中に「和解」という含みもあったらしいことが「行動する保守」A自身の記事からもうかがえる。和解に関する代理人の見解も「行動する保守」Aにとってけっして芳しいものではなかったのではあるまいか。そのことは成立した和解条項を飲んだことからも明らかだった。「行動する保守」Aが提出した陳述書とはその程度の内容でしかなかったということである。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第14回
「行動する保守」Aは平成23年4月7日、「内部告発」に関するくだりを含む陳述書を提出したが、4月20日に開かれた口頭弁論で一転して和解を申し出、千葉の主張をほぼ全面的に受け入れるかたちで和解が成立した。この一連の経緯をみると、少なくとも代理人は陳述書によって「千葉が殺人事件を隠蔽したこと」などについて真実性・相当性が証明できるとは考えなかったことがうかがえる。

 余談だが、平成20年11月、「行動する保守」Aが主催したシンポジウムで右翼らを煽動した矢野は「行動する保守」一行の西村修平や右翼M、行政書士、「行動する保守」Aらが相次いで悲惨な状況に陥っていることについてどう考えているのだろう。5月20日、矢野に会う機会があったので私はこう聞いた。

「右翼をフォローしないとダメですよ」

 これに対して矢野は、伏目がちに薄笑いを浮かべただけでなんら反論しなかった。自分のデマが原因であることを自覚しているものと私は受け止めた。しかし、西村裁判で「明代に自殺の動機がなかったとはいえない」と認定されて以降の惨状をみると、矢野と朝木が支援することは彼らにとってもはや何のプラスにもならない(それどころか彼らの足を引っ張るだけだろう)。「行動する保守」Aの認識はともかく、そもそも矢野と朝木が何のプラスにもならないものに協力するはずがない。

街宣と現実の隔たり

 さて、では「行動する保守」Aが陳述書で述べた「内部告発」とはいかなるものだったのか。平成20年7月29日、東京・八王子駅前において「行動する保守」Aは次のように演説した。



 なぜあえて、私がこの問題(朝木明代の転落死事件)を今回取り上げるか。その最大の理由はですね、これは、現職の警察官が私に内部告発をしたからであります。これは今日、初めて明らかにします。現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した。3名であった。しかし検察側からの圧力もあって、これを、捜査を断念せざるを得なかった」――そのようにはっきり述べました。



「行動する保守」Aによれば、その「内部告発」の内容とは「自分たちは3名の犯人を特定した」というものである。にもかかわらず、東京地検はそれ以上の捜査をさせなかったと。しかも「自分たち」という以上、その「内部告発」をした警察官は事件当時、東村山署の刑事だったということになる。

 すると、「行動する保守」Aの話は伝聞であるものの、「内部告発」そのものは経験した者の証言ということになり、証拠能力、信用性はがぜん高まる。この「内部告発」はまったくの新情報であるというだけでなく、事実なら捜査機関の結論を根底から覆しかねないものといえた。

 JR八王子駅前での街宣終了後、「行動する保守」Aらはそのまま東京地検八王子支部まで練り歩き、再捜査を要求する文書を提出した。「行動する保守」Aのいう「内部告発」も彼らなりの大きな裏付けの1つだったのだろう。

 しかしこの街宣では、「3人の犯人」がどのような人物なのか、また彼らがなぜ明代を殺害したのか、彼らを確保した警察官は誰で、その「3人」を「犯人」と断定した根拠は何だったのか――など、「犯人特定」に至る具体的な状況はなんら明らかにされていない。常識ではそこまで詰めていなければ「行動する保守」Aのようには断定できない。

 ところがその後、右翼らによる再捜査の要望にもかかわらず、東京地検による「再捜査」が行われた形跡はないし、右翼らからそれらしいアナウンスは何もない。右翼Mによれば、最近も「行動する保守」Aは現在も「調査を継続している」という。「行動する保守」Aの「告発」と現実にはかなりの隔たりがあるように思える。

深夜の情報提供者

 一方、八王子駅前で「行動する保守」Aの「内部告発」演説を聞いたとき千葉の脳裏には、転落死事件直後の騒然とした時期にかかってきたタレ込み電話の記憶が蘇った。平成7年9月5日午前0時過ぎ、次のような内容の電話がかかってきた。

「9月1日の夜、現場のビルに4名の男が女性を担いで運び込むのを見た。あれは創価学会の犯行だ。明日、警察に行く」

 電話の主は静岡に居住する男性で、一応氏名も名乗った。東村山署の捜査ではそのような目撃証言はないし、現場に他人が介在した形跡もない。9月1日に目撃したのならすぐに電話すればいいと思うが、情報提供が9月5日未明だったのは「犯人」が「創価学会」だと調べ上げるまでに時間がかかったということだろうか。すぐに警察に通報すれば、犯人の特定も早まっただろう。

 翌日になって男は東村山署には来なかったが、その代わりに男は匿名で再び電話をかけてきた。今度は千葉が在席したため、千葉が対応した。



  私は4名の創価学会員が朝木市議をマンションに連れ込むのを目撃した。

千葉  運び込んでいるのを見たのなら、なぜそのときに110番しなかったのですか? 「犯人」が創価学会員であること断定した根拠は何ですか?

  バカ野郎。お前も創価学会から金をもらっているのか。



 男はこう怒鳴ると、一方的に電話を切ったという。「創価学会員」と断定するのに時間がかかったのなら、そう説明すればいいと思うが、どうしたのだろうか。事情や根拠を聞かれただけで、なにもそんなに怒ることはないのではあるまいか。

 以後、この男から東村山署に電話はかからなかった。また東村山署がその後、男の「目撃」内容を裏付ける事実を把握した事実もない。「創価学会員が朝木明代をビルに運び込んだ」という15年前の電話は「情報攪乱のための悪質なデマだった」と結論付けても許されるのではあるまいか。

 しかし、この匿名の男から2度かかってきた電話の内容と「行動する保守」Aのいう「内部告発」の内容を比較すると、「犯人」の人数は異なるものの、「犯行状況」は矛盾するものではない。「行動する保守」Aの演説を聞いた千葉は、情報の出所が同じである可能性もあると考えた。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第15回
「周辺」の「証言」

 タレ込み電話とタイミングを合わせるかのように、情報攪乱の動きではないかと思われる情報発信がもう1件あった。タレ込み電話の前日、『夕刊フジ』(平成7年9月5日付=4日発行)に電話の内容と矛盾しない情報が掲載されていたのである。男が電話してきたのは5日の午前0時過ぎだから、実質的にはタレ込みと同じ日といってもよかろう。以下のような記事だった。

〈朝木氏の靴はいまなお見つかっていない。またマンションにいた人が落下時刻の午後10時ごろ「キャー」との女性の声を聞いている。周辺では「ドサッという音(筆者注=明代が転落した際の音)がする前にボソボソという不審な声が聞こえた」という証言も。〉

 この「証言」は明代が転落した際に第三者の存在があったという点で電話の話と共通点がある。2つの話を合体させて「女性を運び込んだ数人の男が明代を落とす前に何事かボソボソとしゃべっていた」という状況があったと理解してもなんらの矛盾もない。それどころかむしろ『夕刊フジ』とタレ込みの話は補完関係にあるようにもみえる。

 ただ『夕刊フジ』の情報の出所は「周辺」ということだが、それがどこの「周辺」、あるいは誰の「周辺」で、「証言」と呼べるような裏付けがあるのかどうかを含めてきわめて頼りない。本当の「証言」なら、「証言も」などという曖昧な締めくくり方はあり得ないし、9月5日未明のタレ込みと同様にその「証言」をした者が東村山署に直接出向いた事実もない。ただ確かなのは、それが誰なのかはわからないものの、『夕刊フジ』の取材に「不審者がいた」と証言したが警察には行かない不自然な人物がいたということである。

タレ込みと一致する矢野情報

 その後、タレ込みの人物も『夕刊フジ』に「不審者」の「証言」をした人物も東村山署にはなんら接触してきていないが、タレ込みの人物は矢野に連絡していたようである。タレ込みから半年後の平成8年4月、矢野は『週刊宝石』で次のようにコメントしている。



矢野   「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」……など、こちらには新たな話が集まっています。



 ここで矢野が明確にいっている「4人」という犯人の人数がタレ込み電話と一致していることは注目に値する。これほど現場をはっきり「目撃」をした人物が多くいるとは思えない。いれば誰かが東村山署に出向いて証言してもおかしくないが、そんな「証言」をした者は電話によるタレ込み以外にはない。矢野のいう「4人の犯人」の情報が外部からもたらされたものであるとすれば、矢野に情報提供した人物は平成7年9月5日に東村山署にタレ込み電話をし、千葉に「バカ野郎」と怒鳴りつけた男と同一人物であるとみていいのではあるまいか。

 ただ、この人物の「証言」がかなり眉唾であることは東村山署による現場検証や聞き込みからも明らかであることに変わりはない。したがって「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」という話は作り話である可能性が高く、この人物が「見た」というのも嘘ということになる。

 するとこの作り話は、どこで、誰が作ったのか。作り話なら、なにもタレ込み電話をした匿名の男本人によるものである必然性はない。その男から聞いたといっている者が実は作者である可能性もないとはいえまい。

 平成7年12月22日、警視庁は明代の転落死について「犯罪性はない」すなわち「自殺」として捜査を終結したが、その後矢野は朝木とともに発行する政治宣伝ビラ「東村山市民新聞」において「東京地検が東村山署に再捜査を命じる」などと、あたかも警視庁の結論が覆されたかのような明らかなデマを流布していた。

 矢野の「週刊宝石」におけるコメントもデマ宣伝の一環にほかならない。なぜなら「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」とする情報について矢野は、この情報が誰からもたらされたかについてなぜかいまだ明らかにせず、また明代の転落死をめぐる幾多の裁判の中で矢野がこの「情報」を「他殺の証拠」として主張したこともない。矢野は早い段階で「使えないネタ」と判断したということらしかった。

 いずれにしても、「行動する保守」が聞いたとする「内部告発」については10年以上前に上記のような出来事があったのである。

冷たい矢野の反応

 平成8年の矢野のコメントをふまえると、「行動する保守」のいう「内部告発」については、具体性に欠けることのほかにもう1点、重大な疑問があった。「行動する保守」Aのいう「内部告発者」が現実に存在したとして、この人物は平成7年以降一貫して「他殺」を主張している明代の長女で東村山市議の朝木直子や矢野穂積にもその情報を伝えなかったのだろうかという疑問である。

 それまで「他殺説」を主張して「真相究明活動」(らしきもの)を行ってきたのは矢野と朝木であり、「内部告発者」がいたとして、この2人を差し置いて「行動する保守」Aに連絡する必然性は常識的には考えられない。仮になんらかの行き違いで「行動する保守」Aに先に連絡が行ったのだとしても、矢野と朝木にも同じ情報が伝えられていてもなんら不思議はないと私は考えた。

 矢野にも「内部告発」情報は伝えられたのだろうか。平成20年8月7日、私は矢野に会う機会があったのでその点について直接聞いた。



――内部告発があったそうですが。

矢野  何焦ってんの?



「行動する保守」Aが「内部告発」話を公表したことを矢野が知っていたことはこれで確認できた。



――先生(=矢野)のところには内部告発なかったの? 「行動する保守」Aのところにあって先生のところにないのはおかしいですね。

矢野  お前には用がないんだよ。



 平成8年に「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」とする情報を入手したとして週刊誌に公表していた矢野は、仮にその情報に信憑性があると考えていたのなら、自分が発信した情報と共通点を持つ「行動する保守」Aのいう「内部告発」の内容について誰よりも先に検証する必要があるのではないか。にもかかわらず、矢野のこのふてくされた態度はどういうことだろうか。矢野にも「内部告発」があったのなら「あった」と答えればいいだけの話で、「何焦ってんの?」などとはぐらかす必要も、「お前に用はない」とことさら邪険に扱う必要もあるまい。

 この冷たい矢野の反応はどういうことなのか。矢野は「行動する保守」Aのいう「内部告発」なるものが眉唾だということを確定的に知っていたのではないか。私にはそう感じられた。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第16回
 通常、ある事実をめぐる証言(伝聞を含む)の信憑性については様々な前後左右の状況から総合的に判断する必要があろう。もちろん伝聞の場合には直接経験した人物に改めて確認する必要がある。

「3人の犯人が朝木市議をビルに運び込んだ」とする「行動する保守」Aの「内部告発」を知った矢野は、その反応をみるかぎり、彼なりにその情報には信憑性はないと判断していたようである。客観的状況とは別に、矢野独自の根拠があったのかもしれない。

 では「行動する保守」Aは「3人の犯人が朝木市議をビルに運び込んだ」とする「内部告発」について、どんな根拠で間違いないと考えるに至ったのか。陳述書をみていこう。

2つの事件を「結ぶ糸」

 まず「行動する保守」Aは陳述書で〈朝木さんが何者かによって殺害されたのではないかと思うに至った理由を述べます。〉として、朝木明代の転落死事件を(創価学会が関与した)殺人事件と考えるに至った理由について次のように述べている。よくわからないが、「行動する保守」Aは全国明という人物の事件から話し始める。



(全国明事件と朝木明代転落死事件)(見出しは筆者=以下、同)

 全国明は新生政治研究会という右翼団体をつくり、創価学会が日蓮正宗より破門された後に大石寺に執拗に街宣をかけて逮捕までされています。彼は私に創価学会から頼まれて大石寺を攻撃しているが、逮捕されたりしたので、創価学会からもっとお金を取るつもりだと私に語っていました。

 その彼が創価学会から依頼された暴力団に脅されているので、自分が殺されるかもしれないと私に語り、その数週間後にビルから転落して死亡するという事件がありました。

 私はこの時に直感的に、全国明は何者かによってビルから転落死させられたと思い続けてきました。朝木さんのビルからの転落死事件はそれから約3年後の1995年9月1日でした。

 故朝木さんの事件に関しては、創価学会を追及創価学会の宗教法人取り消しの申請まで行っていたわけで、創価学会と厳しく対立していました。

 私はかねてからこの2つの事件にはビルからの転落、目撃者もいない。自殺するような動機が見当たらない。そして創価学会との関連で何らかの結ぶ糸のようなものを感じていました。

 全国明の場合は警察の最終判断は自殺ということではなく、落とされたか、もしくは誤って落ちたかという不審死であったと記憶しております。



 なお、「行動する保守」Aは〈その当時の週刊誌の記事を提示させて頂きます〉として「全国明」なる人物の事件が掲載された『週刊新潮』と『週刊現代』を挙げているから、この2つの記事を提出したもようである。ただ千葉の手元には届いていないところをみると、弁護士が提出を見送ったのだろう。妥当な判断である。

 さて、ここまでの記述をみる限り、「全国明」の転落死事件を確かな根拠もなく殺人事件と思い続けてきた「行動する保守」Aは、朝木明代転落死事件を知り、「創価学会との関連で何らかの結ぶ糸」を感じていたという。本当にわけのわからない、論旨不明瞭な文章を書く人物である。

 雲をつかむような話というのだろうか。2つの転落死に関するここまでの「行動する保守」Aの判断には客観的根拠などというものはいっさい存在しない。それでも「行動する保守」Aは、思い込みと思い込みをつなぐ「何らかの結ぶ糸」などという空想が裁判官に通用すると本気で思っていたのか(代理人は「通用しない」と思った)。

ブログと異なる陳述書

 その「行動する保守」Aは朝木事件から13年後の平成20年(問題の街宣の年である)、ある人物と出会ったことをきっかけに、いよいよ「内部告発」の警察官に出会うことになる。「FBI」の話にはその過程でほんのちょっと触れられている。陳述書をみよう。



(「FBI情報」なるもの)

 さて、私は2008年の6月頃ある人物と知り合い、無罪判決を受けた大物元暴力団組長に対して、警察が情報を収集しているとの話を伺った。何でもその組長が無罪判決となったので警視庁の面子がまる潰れになったというものでした。

 その元組長に関して情報を収集しており、当時米国で話題となっているこの元組長の米国における移植問題で今になって取り上げられている、その背景を知りたいというものでした。

 私の友人に米国のFBIに出入りする者がおり、そのことについて知っていると言うと是非そのことで会いたいと言うことでした。元組長が移植手術を受けたことに関して、大きく報道がされていたので、警察も関心を抱いたと思いました。

 私はかつて全国明が不審な転落死を遂げた時に、その全国明と親しい関係にもあったので当時事情も訊かれ、知っている警察関係者もおりましたので、その関係からも接触を試みて会うことになりました。



「行動する保守」Aの話はその時々で主語も判然とせず、何度読んでも具体的なことはさっぱりわからないし、ここまでの話が明代の転落死事件にどう関係しているというのか見当もつかない。

「FBI」については「私の友人に米国のFBIに出入りする者がおり」と触れられているだけで、「内部告発」との関連性はいっさいうかがえない。「FBI」に関して「行動する保守」Aは和解成立翌日の4月21日付ブログで次のように書いている。

〈私がFBI関係者より、創価学会と親しかった暴力団組長の情報を入手して、それを警察関係者に見せ、その時にその話を聞いたという内容に関しても、そのFBI関係資料を提出しました。〉
 
「行動する保守」Aはここでも「FBI」と「内部告発」の直接的な関連性には言及していない。それ以前の問題として、ブログでは「FBI関係者」となっているが、陳述書では「FBIに出入りする者」となっているのは不可解である。「関係者」と「出入りする者」では大きな隔たりがあることぐらいは「行動する保守」Aも十分自覚していよう。

 清掃業者だったとしても「出入りする者」なのであり、「行動する保守」Aの説明だけではその素性はまったくわからない。陳述書とブログでなぜこれほど表現が異なるのか。誰でも自由に閲覧できるブログでは読者が本当のFBI職員と勘違いするように「関係者」と見栄を張ってみたということだろうか。 

 暴力団組長についても、ブログでは「創価学会と親しかった」と記載しているが、陳述書には「創価学会との関連」さえうかがわせる記載はない。この重鎮は、読者や支援者から「何も関係ないんじゃないの?」といわれたくなかったということだろうか。いずれにしても、1つの事実を記述するのに、場面によってこれほど表現を微妙に変え、使い分ける人物はめったにいない。

 陳述書における「FBI」関連の記載は上記のわずか1カ所のみである。陳述書の記載からはこの「FBIに出入りする者」が元組長の移植問題について何か知っている「らしい」というだけのことで、「FBI」と「内部告発」になんらかの関連性があったという話ではまったくない。

「内部告発」を聞いたなどとして支援者を勢いづかせてみたものの、最初からなんら具体的な材料を持っていなかった「行動する保守」Aは、仲間が相次いで敗訴するなど苦境に追い込まれた。苦しまぎれに口をついて出てしまったのが「FBI」だったというところだったのではあるまいか。それにしても、ここまで平気でウソがつける人物をいまだ敬愛できるとは「行動する保守」一行は心が広い。

 なお「行動する保守」Aは陳述書で、〈その時(筆者注=「内部告発」をした警察官と会った際)の資料を裁判所に提出しますが、某組長に関してはその実名をマジックで消させていただきます。〉と述べており、「某組長」に関係する資料を代理人に提出したようである。しかしその「資料」は千葉のもとには届いていない。また「行動する保守」Aがブログで「提出した」と記載している「FBI関係資料」も、代理人からは提出されていない。代理人はいずれも無関係と判断したようである。

(つづく)

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