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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「行動する保守」事件 第17回
憶測の伝聞

「行動する保守」Aは、客観的にどうみても朝木明代の転落死事件とは関係なさそうにみえる全国明という人物の転落死について述べたあと、その「警察官」に会う直接の動機についてまず述べる。



 私としては昔から全国明の転落死事件が非常に気になっていたので、何か逆に警察官から聞き出せるのではないかとの思いもあり会う気になりました。



 この段階で「行動する保守」Aはまだ、この「警察官」が朝木明代の事件捜査に関わった人物なのかどうかについてなぜかまったく触れない。これは奇妙なことではあるまいか。あらためて確認すると、「行動する保守」Aは平成20年7月29日の八王子駅前街宣で次のように述べている。

(八王子街宣=平成20年)
〈現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した。3名であった。しかし検察側からの圧力もあって、これを、捜査を断念せざるを得なかった」――そのようにはっきり述べました。〉

「行動する保守」Aが会った警察官は「『自分たちは犯人を特定した』と述べていた」という。「自分たちは……」というのだから、八王子街宣の時点で「行動する保守」Aは、その警察官が朝木明代転落死事件の捜査に関与していた人物であるとしていたわけである。そのことを「行動する保守」Aは、裁判所に提出する陳述書でなぜ明確に述べないのか。

 その理由は、以下の本論で間接的に明らかになる。



(いわゆる「内部告発」の実体)

 その時(筆者注=その警察官に会ったとき)の事ですが、私が朝木さんの事件で、あれは殺されたのではないですか? と聞いたところ、警察官は次のように話をしました。

「当時現場近くで怪しい3人が目撃をされており、捜査が進むものと思ったが、上の方(検察)がやる気をみせないのでそのままになってしまった。後でその検事が創価学会員だと分かったので、上の方に圧力がかかったのかもしれないと当時聞いた。」

 との話を伺いました。



 平成20年の八王子街宣の内容とはだいぶ違っていることに気づこう。「行動する保守」Aは陳述書で自分が何をいっているのか、わかっているのだろうか。

 この話のうち、「行動する保守」Aの目の前にいる警察官が具体的にどの部分を自ら経験したのか。この話の中で、「行動する保守」Aは特にどの部分が警察官の実体験であると特定していないから、「当時聞いた」という部分のみがこの警察官の経験であると理解するのが自然だろう。

 するとこれはいったいどのような事実に関する「証言」であり、「内部告発」といえるのか。「行動する保守」Aが警察官から聞いたとする話は事実だったとしても、警察官の立場からしても伝聞にすぎず、「行動する保守」Aが裁判官に対して主張するとすれば「伝聞の伝聞」か、それ以下の代物であることを免れない。

 警察官の「伝聞」の内容にしても、文末は「圧力がかかったのかもしれない」である。つまり「警察官がきいたとする人物」にしたところで「憶測」を話したにすぎないことになる。「憶測の伝聞」である。常識的に、こんな話のいったいどこを、どんな根拠をもって信用することができようか。その内容いかんにかかわらず、こんな話は社会ではまともに相手にされない。

 すると「自分たちは犯人を特定した」と語ったとしていた八王子での街宣内容は嘘だったということになろう。「行動する保守」一行の重鎮は「ジャーナリスト」を自称することもあるにもかかわらず、こんな話を「内部告発」として大騒ぎし、多くの支援者をデマに引きずり込み、ついには万引き被害者襲撃事件をも引き起こしたのである。その道義的責任はきわめて大きいのではあるまいか。

最初のデマに回帰

 陳述書には、さらに重要な八王子街宣との相違点がある。八王子の街宣では「自分たちは犯人を特定した。3名であった。」と聞いたといっていたのが、陳述書では「怪しい3人が目撃をされており」と後退している。すでにまったく別の話といってもよかろう。「怪しい3人」とは何なのか。

「行動する保守」Aは「3人の犯人」がいつの間にか「怪しい3人」に変わっていても特に支障がないと思っているのだろうか。いくら「行動する保守」Aでもそこまで無謀ではないだろう。これから先は私の推測だが、「行動する保守」Aが警察官から聞いたとする話では、そもそも「3人の犯人」などという断定的なものではなく、最初から「怪しい3人」あるいは「不審者」だったものを、「行動する保守」Aは街宣で「3人の犯人を特定」と断定的に宣伝しただけだったのではないか。

「行動する保守」Aが最初に聞いたのが「怪しい3人」(あるいは「不審者」)だったとすれば、陳述書における変遷も理解できる。また人数こそ違え、「不審者を目撃した」とする最初のデマ(タレ込み電話および矢野のコメント=本連載第15回)とも符合する。警察官が聞いたとする「怪しい3人」という話も、元をたどれば矢野のコメントが出所だった可能性は十分にある。

 私が矢野にこの「内部告発」の話を切り出した際、矢野がつれない態度をとった(本連載第15回)のも、情報の出所とその信憑性について何か心当たりがあったからなのかもしれない。

空気を読めなかった重鎮

 その警察官は朝木事件にはなんら関与しておらず、警察官から聞いたという話自体が伝聞で、しかもその内容も「犯人を目撃した」どころか実は「怪しい3人を見た」などという雲をつかむような与太話だった。そんな話をもとに「真相究明」ができるなどと考えるのは、「怪しい人物」を簡単に「犯人」と思い込める「行動する保守」Aぐらいだろう。このとんでもない粗忽者は陳述書でこう続ける。



(街宣をした動機)

 私が何とかそのことを表沙汰にできないのか? と更に聞くと、「余程世論が盛り上がらなければ無理じゃないか。」とも言っていました。しかし、私はそのことに期待をかけて故朝木明代さんの事件が注目される事になれば、何らかの事態の進展が見られるのではないかと期待して、真相の究明を行って来たのです。



 こんな与太話を表沙汰にしてどうする? 警察官なら「怪しい3人」などという話では立件などできるはずがないことはよくわかっているだろう。ところが「行動する保守」Aは予想に反して「怪しい3人」に非常な興味を示した。警察官が「世論うんぬん」といったのは、情報を得たいと思っている相手に対してあまり頭ごなしに冷たい言い方をするのもどうかという大人の気遣いだろう。要するに「そんなことはできるはずないよ」とやんわり否定したのである。

 それをこの「行動する保守」の重鎮は、「世論を盛り上げれば何とかなるのか」と勘違いした――この場面はそういうやり取りなのではあるまいか。続く「そのことに期待をかけて」という「行動する保守」Aの言い方からすれば、「怪しい3人」よりもむしろリップサービスのつもりだった「余程世論が盛り上がらなければ無理じゃないか」という警察官の大人の配慮がかえってアダとなり「行動する保守」Aを煽る結果になったのかもしれない。空気が読めない、というのだろうか。

 いわば〈「余程世論が盛り上がらなければ無理じゃないか。」とも言っていました。〉というのは、「怪しい3人」の裏付け調査もしないまま「犯人」と決め付け、街宣という愚行に出た「行動する保守」Aの言い訳でもあろう。「行動する保守」Aは街宣活動によって「世論」を盛り上げ、「事件を進展」させようとした、それが「真相究明活動だ」といいたいようだが、すべて「行動する保守」Aの思い込みだったことは結果からも明らかというほかない。

 つまり陳述書における警察官とのやり取りのくだりは、警察官はそもそも「怪しい3人」といったにすぎなかったという事実(もちろんこれもデマである)と、それを「行動する保守」Aが勝手に「3人の犯人」と思い込んだこと、さらにそれが東村山デマに参入するきっかけだったことをみごとに告白していた。陳述書を見た代理人が和解を決断したのはきわめて賢明な判断だったというべきだろう。

 なお「行動する保守」Aは、その他の書証として「全国明と一緒に発行した本」、「政治経済誌関係者の証言」も弁護士に提出したようだが、それらはいっさい千葉のもとには届いていない。無関係と判断したということのようである。

(了)

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第1回
真相究明につながる可能性

 平成7年9月1日に発生した東村山市議(=当時)朝木明代の(万引きを苦にした)自殺をめぐり、現東村山市議の矢野穂積と朝木直子(いずれも「草の根市民クラブ」)は「自殺ではなく他殺」あるいは「明代は政治的に対立する勢力(創価学会・公明党)によって謀殺されたのだ」と、事件性を否定する東村山署とは真っ向から対立する主張を展開していた。その根拠の1つが、「明代が所持していたはずの事務所の鍵(鍵束)が9月2日の現場検証の際に発見されず、翌日になって現場ビルの2階で発見されたこと」だった。

「明代が持っていたはず」と矢野と朝木がいう鍵は、現場検証の翌日に転落したビル2階の焼肉店員がおしぼりケースの中から発見。9月4日午前1時に東村山署に届け出ている。鍵の発見状況は偶然落としたというようなものでなく、何らかの意図をもって置かれなければあり得ない状態だったと東村山署は判断している。

 事件発生直後の現場検証で発見されなかったということは、現場検証の終了後に何者かが置いた可能性が高い。それが誰であれ、鍵の存在を隠す意図なら、現場ビルなどに置く必要はない。鍵を置いたのは誰で、目的は何だったのか。その真相究明につながる可能性を秘めた裁判が7月1日に始まる。

「主権回復を目指す会」代表の西村修平を提訴していた裁判で東村山警察署元副署長千葉英司は、この鍵がおしぼりの間から発見されたことを明らかにした上で、「鍵は警察犬を導入した現場検証の終了後に置かれた可能性がある」と述べた。西村の主張のいっさいを支援していた矢野はウェブ版「東村山市民新聞」で次のように反論した。



(記事1)

決定的事実がついに判明! ★副署長チバが、「自殺説」を自ら全面的に否定! そして「何者が何の目的で置いたか解明できていないが警察犬が帰った後に朝木明代議員の鍵束が置かれた可能性がある」(チバ陳述書)などとヌケヌケ言っているが、解明できるはずがないのだ! 唯一最大の殺害犯に直結する物証(鍵束)を、わずか1週間で単なる「遺失物」扱いで遺族に返している!捜査をする意思のなかった何よりの証拠だ。
……
 なぜ副署長チバは、捜査をしなかったか!? ……副署長チバ、もう逃げ口上は無理なのだよ。

(記事2)

元副署長チバが、決定的事実を認める!  ★「警察犬が帰った後に朝木明代議員の鍵束が置かれた可能性がある」(チバ)⇒チバ「自殺説」を自ら全面的に否定! ★決定的事実を知りながら、なぜ、今まで一度も公表しなかったか !! ⇒ 証拠事実の隠匿は明らか!  ★やはり知っていた! ⇒「自殺説」を木っ端微塵にし、高裁7民判決も吹き飛ばし、殺害事件を決定付けた重大自白。▼副署長チバは、捜査責任者として詳細を全面自供し事実隠匿の責任をとりなさい! ▼警察内部からの事件捜査関係者の告発を、強く呼びかけます。



 これに対して千葉は平成23年5月13日提訴した。千葉は訴状で、「本件記事は、捜査責任者である原告が、亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿したとの事実を摘示し」、読者に対し事実を隠匿したかのような印象を与えたなどとして、矢野と朝木に対し140万円の支払いと上記記事の削除を求めている。
 
 矢野の記事を一読して理解することは難しいが、全体として「千葉は証拠事実を隠匿した」「千葉は自殺説を自ら否定した」といいたいのだろう。裁判で矢野は「千葉が他殺の証拠を隠匿した事実」を立証しなければならないと思うが、答弁書はまだ提出されていない。

 ちなみに最後の「警察内部からの告発」は「行動する保守」Aに対するリップサービスだろうか。そもそも「内部告発」なるものの内容自体、平成8年に矢野が週刊誌にコメントした内容と酷似しており、たんに矢野が投げたものが何人もの口(幾重もの伝聞)を経由して戻ってきただけという可能性もあると私はみている。少なくとも「行動する保守」Aは、「内部告発」なるものが「伝聞の伝聞」であることを認めている。通常の社会では誰もまともにとりあわない代物である。

 いずれにしても、「千葉が証拠事実を隠匿した」という事実について矢野と朝木がどう立証していくのか、注目したい。

デマを認めた宗教評論家

 余談だが、平成23年6月13日、宗教評論家の丸山照雄が死去した。自民党(当時)の亀井静香を中心として組織され、矢野が宣伝した「創価学会疑惑」を政争の具として最大限に利用した「四月会」に深く関わっていた人物である。平成8年の衆院選後、私はある人物の通夜の席で丸山と二言三言言葉を交わす機会があった。

 当時、私は月刊誌の編集者として朝木の転落死事件について取材を続けていた。丸山をみかけた私は、またとない機会なので丸山に近づき、名刺を差し出した。すると丸山は「ほほーっ、あの」と目を丸くして大げさに驚いた。「あの」とは私が月刊誌で書いた記事などのことを指していることは明らかだった。四月会にとって、私は敵だったはずである。

 衆院選前には四月会が全国で展開していた宗教と政治に関するシンポジウムを取材し、記事にしたことがあった。そのシンポジウムに丸山もパネラーとして登壇していた。その号は四月会から直接注文があった。丸山はおそらくその記事にも目を通していたにちがいない。しかしそのとき、丸山から記事に対する反論は一言もなかった。

 丸山との短い会話の中でもとりわけ印象に残っているやりとりがあった。私は丸山に次のように聞いた。

「四月会は今後も、朝木明代は創価学会に殺されたと宣伝するんですか?」

 すると、丸山はこう答えた。

「いやあ、もうしませんよ」

「もうしません」とは、四月会すなわち自民党が朝木事件を政争の具として使ったということにほかならなかった。平成8年の衆院選で十分に目的を達した自民党はもう朝木事件などに用はないのだった。

 丸山ら四月会が東村山デマの表舞台から退いて15年近くになる。ところが、四月会のようにある明確な意図をもってデマの拡大・浸透に大きく寄与した者が手を引いても、今度は「行動する保守」一行のように単純にデマを妄信する者が出現することもある。デマだけが生き延びるとは恐ろしいことではあるまいか。

(つづく)

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第2回
受領されなかった内容証明

 実は千葉は、訴状提出に先立って、矢野に対して平成23年4月5日付で内容証明を送付していた。千葉は西村修平を提訴していた裁判で「千葉が殺人事件の証拠(鍵束の発見状況)を隠蔽して自殺として処理した」などとする西村の主張が排斥されたことを述べた上で、訴状と同じ2本の記事に対して次のように主張し、対応を求めている。



 貴殿が発行人である東村山市民新聞と題するウェブサイトの平成23年4月4日付の千葉英司元副署長とは? との見出しのもと、上下二つの囲み記事で構成されている本文で、通知人を名指しした上で、自殺説を自ら全面的に否定、朝木明代議員を殺害した唯一の証拠(鍵束の発見状況)を隠蔽した、証拠事実の隠蔽は明らか等と記載しています。

 当該記事は、虚偽宣伝による悪質な情報操作であるとともに通知人(筆者注=千葉)に対する名誉毀損に該当します。

 よって通知人は、貴殿に対し厳重に抗議するとともに、当該記事の全文を本通知書到達から1週間以内に削除するよう求めます。


 
 内容証明は4月6日付で矢野が東村山市議会に住所として届け出ている住所に配達されたが矢野は不在だったようで、東村山郵便局は不在通知を入れた。しかし矢野から郵便局に連絡がないまま保管期間である7日間が経過。郵便局は再度矢野宅に配達に行ったがやはり2度目も不在で、内容証明は千葉の元に還付された。

 最初の配達の際に不在だったとしても仕方がないが、不在通知を入れていたにもかかわらず郵便局に何の連絡もないとは、市会議員の矢野は7日間にわたって連絡のつかない状態にあったことになる。これでは公務に関わる緊急事態が起きた場合には役に立たないのではあるまいか。

「草の根掲示板」廃止の理由

 ちなみに千葉が矢野に内容証明郵便を送付したのはこれが2度目である。8年前の平成15年1月、今はなき「創価問題新聞」の「草の根掲示板」に書き込まれたコメントをめぐり、千葉は発行人の矢野と編集長の朝木宛に削除と謝罪を求める内容の内容証明を送付した。このときは還付されていないから、矢野は受領したようである。千葉が問題とした「草の根掲示板」のコメントとは以下のようなものだった。



〈東村山警察の千葉のどあほが 証拠消すために 立ち入り禁止のロープも張らんかった(よって、野次馬から「ブンヤ」まで、あのビル中をじゃ、さがしまわったのに、でてこんかった「かぎ束」……)〉

〈東村山署の元・副署長じゃった千葉じゃ あのあほの千葉じゃ 証拠 消しくさった千葉じゃ〉


 
 千葉が問題にしたコメントはこれ以外にもあるが、これらのコメントはいずれも「正体は矢野ではないか」として有名な「MIDNIGHT MESSENGER」あるいは「M」によるものだった。偶然だが、「鍵(証拠の隠匿)」を問題としているという点で今回千葉が提訴した記事と共通した内容であることがわかろう。これも何かの因縁だろうか。
 
 この内容証明に対して矢野は、千葉が指摘したコメントについてはすみやかに削除した。本訴に持ち込まれることを回避したのだろう。しかし矢野からはなんらの謝罪もなかった。これでは削除が千葉の要求に屈したということにはなっておらず、第三者が気づくこともない可能性が高い。このため千葉は平成15年2月25日付で2回目の内容証明郵便を送付した。その内容は、

①謝罪をしない理由を示すこと
②「MIDNIGHT MESSENGER」あるいは「M」の身元を明示すること
③「MIDNIGHT MESSENGER」あるいは「M」が矢野であると指摘されていることに対して論駁せよ

 というものである。

 2通目の内容証明に対する回答はなかった。しかし、その後ほどなくして「草の根掲示板」そのものがなくなり、間もなく掲示板を設置していたホームページ「創価問題新聞」本体も閉鎖されたのだった。平成15年6月ごろのことである。

 矢野は自らが開設した掲示板で「MIDNIGHT MESSENGER」あるいは「M」として、また朝木直子は「TWILIGHT MESSENGER」あるいは「T」として、彼らを批判する者に対する誹謗中傷を繰り返していたことが明らかにされることを恐れたのではないかと千葉は受け止めた。

「草の根掲示板」について千葉は提訴しなかった。しかしそれから8年後、「MIDNIGHT MESSENGER」のコメント内容と共通する「鍵束」をめぐりまったく別の形で矢野と朝木を提訴することになったわけである。今度は矢野自身の記事であることが明らかだから、少なくとも「他人がやったことで自分の知るところではない」という言い訳は通らない。

 提訴後の平成23年5月20日、東京地裁立川支部で矢野と会う機会があった。「訴状を読んだか」という趣旨の質問をすると、矢野は一言だけ「ごくろうさん」と答えた。内容証明は受領を免れることができるが、訴状を受領拒否することはできない。このときすでに、矢野が訴状に目を通していることだけは事実のようだった。

(つづく)

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右翼M事件 第6回
 機関紙の記載によって名誉を毀損されたとして千葉英司元警視庁東村山署副署長が右翼Mを提訴していた裁判の控訴審第1回口頭弁論が平成23年6月22日、東京高裁で開かれた。傍聴席にはやはり千葉から提訴され10万円の支払い命令が確定した西村修平や女傑Mなど4名ほどの支持者、ほかにそれ以上の人数の公安関係者などが集まっていた。

 かつて裁判官を追いかけて壇上に駆け上がった右翼Mが当事者ということで、この日も東京高裁は厳重な警戒態勢をとっていた。私と千葉は混乱に巻き込まれるのを避けるため開廷直前に入廷した。そのとき法廷周辺は平穏にみえた。ところがあとで聞いたところによると、開廷前、右翼Mが1人の傍聴人にいいがかりをつけ、10分間にわたって傍聴人を威力で拘束するという出来事があったという。何かよほど虫の居所でも悪かったのだろうか。

すべてを否定した一審判決

 さて千葉が問題としていたのは、右翼Mが発行した「政経通信」第38号(平成21年9月1日付)にトップ記事として掲載した〈創価学会の犯罪を許さない 徹底した総力戦で粉砕するぞ!〉と題する記事である。同記事において右翼Mは、

〈(創価学会=)殺人さえも厭わない犯罪者集団〉〈高額賠償請求の乱発は司法を駆使した恐喝行為だ〉

などとするリードのもと、

〈(朝木市議の転落死事件は)創価学会が口封じに殺害した可能性が高く、現場の状況証拠から見て、これは確定的である。〉

 などと記載した上で、千葉について次のように記載した。



〈にも拘わらず捜査の指揮をとった東村山警察署の千葉英司副署長(当時)は強引に自殺として処理。〉

〈自殺に見せかけるためにはその動機が必要となる。そのために同年6月19日に朝木市議が駅近くの洋品店でブラウスを万引きしたという事件をでっち上げた。後日取調べを受けた朝木市議は書類送検されたことを苦に自殺したというストーリーまでお膳立てしていた。〉

〈この男こそが13年前、自殺事件にすり替えた張本人・千葉英司だったとわかった。警察を退職した今でも創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じていたとは。〉



 一般読者が記事の流れに沿って上記記載を素直に読めば、「朝木明代市議は創価学会によって口封じのために殺された。ところが万引き事件をでっち上げた上に(この部分の主語は欠落しているが、読者が「創価学会が捏造した」と理解してもなんら不思議はない)、千葉はこれを強引に自殺と捏造した。千葉は現在も創価学会の犯罪組織に所属している」と理解するのではないか。千葉はこれらの表現によって名誉を毀損されたとして提訴したのである。

 これに対して右翼Mは、記事のテーマは創価学会による犯罪行為を糾弾することにあり、千葉に対する批判を目的としたものではなく、「シンジケート」という文言も「カルテルや商業組合」という意味で使用したものとかなり苦しい言い訳をした上、千葉については「創価学会シンジケートと繋がり」と軽く触れたにすぎず、「朝木市議は創価学会によって殺された」「副署長が自殺にすり替えた」「万引きはでっち上げ」などとの主張はこれまで多くのマスコミなどで流布されているのであり、本件記事があらためて千葉の社会的評価を低下させることにはならないなどと主張した。

 また右翼Mが発行する「政経通信」は「一般書店」では販売されておらず、被告が自ら協力者や支持者に対して郵送もしくは手渡ししているものであり、一般読者が目にする機会はほとんどなく、不特定多数に配布または頒布しているものではないから名誉毀損には該当しないと主張した。

 一審の東京地裁立川支部は平成23年2月16日、右翼Mの主張をことごとく排斥し、右翼Mに対して10万円の支払いを命じる判決を言い渡した。原告の千葉は判決言い渡しの日には出廷しなかった。裁判長が結審に際して「判決の日は来なくていいですよ」と述べたことに配慮したとのことである。私も無用の刺激を与えてもいけないので傍聴を自粛した。

 一方、傍聴人によれば右翼Mは出廷し、判決言い渡しの後、抗議とも取れる奇声を発したという。脅しや威圧が判決になんらかの影響を及ぼすことはあり得ないが、かなりいい年になっても感情の暴発を抑制できない幼児性が「行動する保守」の特性の1つだろうか。

再び深夜のファックス

 右翼Mの幼児性は控訴審が始まる以前にも発揮された。右翼Mは口頭弁論3日前の平成23年6月19日、千葉の自宅に控訴理由書をファックスで送信してきた。口頭弁論当日より前に送ってきたことはよい。しかし、その時刻は午前0時だった。

 千葉の自宅のファックスは電話と兼用で、受信すれば受信音が鳴る。会社などの事務所ならともかく、一般的には非常時以外は電話をかけるのを遠慮する時間帯である。一審でも同じようなことがあり、千葉は深夜の時間帯に書類をファックス送信しないよう申し入れていた。深夜に送るのも翌日の早朝に送るのも同じである。右翼Mは千葉の電話環境を知っていながら、再び深夜にファックスを送りつけたということになろう。千葉に対する執拗な反感を抱いていることがうかがえた。

 千葉は平成23年6月22日付答弁書の末尾で次のように抗議した。



 控訴人(筆者注=右翼M)は、被控訴人(筆者注=千葉)が洋品店に2回(平成20年9月1日、同21年9月1日)不法侵入を企てた際に被控訴人が阻止した件に関し、別件裁判を傍聴するために法廷の控室にいた被控訴人を支援者2名とともに取り囲み至近距離から罵声を浴びせる所業に及んだほか、法廷内で控訴人に対する威嚇行為を重ねている。

 また、原審において、午前3時に被控訴人の自宅に準備書面をファクシミリ通信で送信してきた。控訴人の自宅ファクシミリは電話と同じ番号であるため、電話の音で就寝中の被控訴人と家族が睡眠を妨害されたので、控訴人は、口頭弁論の際に抗議し、裁判長からも口頭注意を受けた。

 しかし、控訴人は、控訴理由書を、控訴人と家族が就寝中の平成23年6月19日午前0時前後に、ファクシミリ通信で送信してきたために、睡眠が妨害された。

 以上の控訴人の言動は、裁判の当事者である被控訴人に対する意図的な嫌がらせであり、ここに抗議するものである。



 念のため、千葉がいう法廷の控室で罵声を浴びせた事件とは、右翼Mが千葉から「情けない右翼」といわれたことについて「その意味を説明しろ」と迫った出来事である。

 平成23年6月22日、出廷した時点で右翼Mが千葉の答弁書をすべて読んでいたかどうかは定かではない。しかし右翼Mの心中は、2月16日に東京地裁立川支部で敗訴を言い渡された時点からそう変わっていなかったようである。千葉に対する感情、一審判決への不満、度重なる敗訴と控訴審への不安など、右翼Mの虫の居所を悪くする要素は少なくなかったように思える。いずれにしてもこの日、右翼Mは気持ちを高ぶらせており、それが開廷前の傍聴人に対する暴行につながったのかもしれない。

右翼Mの未練

 さて、この日の口頭弁論で裁判長は、当事者双方に対して提出書類の確認を行うと終結を宣言し、判決言い渡し期日を7月20日午後1時15分と指定し、閉廷した。この間、右翼Mからも千葉からもいっさい異論は出なかった。

 ところが裁判官が退廷したあと、右翼Mはなかなか退廷しようとせず、被告席に座ったままぶつぶつ不満のような声を漏らしていた。しかしはっきりとは聞き取れない。街宣は比較的聞き取りやすいのに、どうしたのだろうか。

 よく聞くと、「求釈明が、求釈明が」といっているように聞こえる。どうも右翼Mは、控訴理由書で「求釈明」をしたのに、裁判官は何も触れなかったといっているらしかった。いいたいことがあれば裁判官のいるときにいわなければ意味がないし、「求釈明」に裁判官が触れなかったということは判決に影響しないと判断したということと理解すべきなのである。

 裁判が終結したというのに控訴人席に座ったまま不満をいい続ける未練がましい態度こそ、右翼Mの自信のなさを表しているようにみえた。

(つづく)

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