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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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右翼M事件 第12回
 控訴審口頭弁論終結の翌日、一審判決を言い渡した飯塚裁判官に面会を求めるという右翼Mの常軌を逸した行動を目撃した千葉は急遽、平成23年7月20日の判決言い渡しの出廷を見合わせることにした。法廷に行けばまた右翼Mが「求釈明しているから」などと嫌がらせをしかねないし、裁判所にも余計な警戒をさせることになると考えたからだった。私も千葉の判断に従った。

一審判断を丸々「引用」

 同日午後1時15分、東京高裁は大方の予想通り、右翼Mの控訴を棄却する判決を言い渡した。千葉のもとに判決正本が送達されたのはその2日後である。右翼Mの控訴が棄却されたことは傍聴した知り合いから連絡を受けていた。したがって千葉の関心は右翼Mの主張に対して東京高裁が具体的にどんな判断をしたかということだけだった。

 しかし、裁判所の控訴棄却理由を読む前に、判決文のあまりの薄さに驚かされた。判決文はわずか6枚、実質4ページしかなかったのである。かつて経験したことのない薄さだった。

 一読して、その理由も明らかになった。東京高裁は右翼Mの控訴審での新たな主張を除き、一部文言を訂正したほかは一審判決20ページ分をいずれも追認し、判決文ではその追認を「引用する」というわずか4文字で示していた。あとは新たな主張に対する判断を加えただけだから、実質4ページしか必要がなかったということだった。

 この判決をみる限り、東京高裁はまず一審判決を全面的に支持していることがわかる。その意味では結審の翌日(判決の1カ月前)、右翼Mが一審裁判官である飯塚宏裁判官に抗議するために直接会おうととしたのは、法治国家において許される行為ではないものの、抗議対象の定め方としては的確だったということになろうか。

 さてこの裁判は、右翼Mが機関紙「政経通信」(平成21年9月1日付)に掲載した〈創価学会の犯罪を許さない 徹底した総力戦で粉砕するぞ! 殺人さえも厭わない犯罪者集団が政治を牛耳る 高額賠償請求の乱発は司法を駆使した恐喝行為だ〉と題する記事において、〈(朝木市議の転落死事件は)創価学会が口封じに殺害した可能性が高く、現場の状況証拠から見て、これはら確定的である。〉とした上で、当時の捜査責任者だった千葉もこの謀殺事件に関与した(趣旨)と主張、これに対して千葉が提訴していたものである。具体的に右翼Mは千葉について次のように記載した。



〈(朝木市議の転落死事件は殺人事件である)にも拘わらず捜査の指揮をとった東村山警察署の千葉英司副署長(当時)は強引に自殺として処理。〉

〈自殺に見せかけるためにはその動機が必要となる。そのために同年6月19日に朝木市議が駅近くの洋品店でブラウスを万引きしたという事件をでっち上げた。後日取調べを受けた朝木市議は書類送検されたことを苦に自殺したというストーリーまでお膳立てしていた。〉

〈この男(筆者注=千葉)こそが13年前、自殺事件にすり替えた張本人・千葉英司だったと分かった。警察を退職した今でも創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じていたとは。〉



 一審の東京地裁(飯塚宏裁判長)はこれらの表現が千葉の社会的評価を低下させるものであると認定した上で、

〈被告(右翼M)が本件窃被疑事件(筆者注=朝木明代による万引き事件)や本件転落死事件について十分な裏付け調査をしたことを認めるに足りる証拠がない本件においては、本件窃盗被疑事件がえん罪であることや本件転落死事件が殺人であることを被告が信じるについて相当な理由があったと認めることはできない。ましてや、本件において、原告が、本件転落死事件が殺人であることを知りながら、あえてこれを強引に自殺として処理したこと、本件転落死事件を朝木市議の自殺に見せかけるため、原告が朝木市議の本件窃盗被疑事件を捏造したこと、原告が創価学会シンジケートで繋がり、本件洋品店での小競り合いの際、本件洋品店の店主を装って用心棒を演じたことは、被告の推測にすぎず、本件記事を記載した当時、これらの事実を被告が信じるについて相当の理由があったと認めることはできない。〉

 と述べ、右翼Mに対して10万円の支払いを命じる判決を言い渡した。今回の控訴審判決は上記部分を含む一審判決を丸々「引用」したということである。

絶対的な信頼

 一審判決に対して右翼Mは控訴理由書で「相当性」に関して一審では主張していなかった新たな主張を行っていた。「行動する保守」Aによる「内部告発」に関する主張である。右翼Mは控訴理由書で次のように主張していた。



 平成20年9月1日に東村山駅前で保守系団体が開催した「朝木明代さん殺害事件を13年目の命日に市民に訴える」集会において主催者は明確に「殺人事件である」「創価学会の関与は間違いない」「万引きは捏造である」等々の演説を行っている。……

 上記、演説が行われる前段階として同年7月29日JR八王子駅前において、主催者の瀬戸弘幸は殺人事件であることを明言している。

 現職警察官の内部告発があり、瀬戸弘幸は国民運動として全貌を明らかにする決意を述べている。かようなる決意のもとで展開された国民運動に対し、同人の主宰するインターネット上での呼びかけを見て、控訴人は9月1日の集会に参加したものであり、集会タイトルからしても、純粋に朝木市議殺害事件の真相究明に期待したものである。



 街宣の主催者である「行動する保守」Aが公の場で「内部告発があった」と明言していたので、朝木明代転落死事件は殺人事件だったと信じたのであり、自分が「行動する保守」Aの演説内容を信じたことには相当の理由があったと右翼Mはいいたかったようである。

 本来、ある事実が社会的にどれほど信頼されている人物の口から語られようと、その時点ではまだその事実が真実であるという保証はない。しかし右翼Mにとって「行動する保守」Aは、少なくとも平成20年9月1日の時点では、「行動する保守」Aが語ったというだけでその内容をすべて信じてしまうほど信頼する人物だったのだろう。

(つづく)

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右翼M事件 第13回
微妙に後退した主張

 かつて右翼Mは「行動する保守」Aに絶大な信頼を寄せていたものとみえる。しかし最近になって、「行動する保守」Aへの信頼がやや揺らいでいるのではないかと思われるフシがある。右翼Mは浦安の行政書士とともに創価学会から提訴されていた「東村山街宣事件」の控訴審でも「行動する保守」Aのいう「内部告発」を根拠に街宣内容の相当性を主張していた。

 その控訴理由書で右翼Mは「内部告発」について〈今現在、関係者を通じて警察関係者との交渉で調査・聞き取りを継続している。〉と記載している。「行動する保守」Aからそう聞かされたのだろう。しかしそれから半年後、この裁判で提出された控訴理由書(平成23年6月19日付)には〈調査・聞き取りを継続している。〉との文言は、残念ながらもうない。

 この2つの控訴理由書の違いは、「東村山街宣事件」の際には「内部告発」の内容そのものの真実性を主張しようとしていたのに対し、この裁判で提出されたものはたんに「行動する保守」Aが「内部告発」があったとする演説を行った事実を主張しているにすぎないという点にあった。この半年間に右翼Mと「行動する保守」Aの間に何があったのかはわからない。しかし少なくとも右翼Mの中で、「内部告発」は真実性を主張するに値しない代物となったことは間違いないようだった。

 千葉から提訴されていた「行動する保守」Aは、この間に陳述書で、「内部告発」をしたはずの警察官もまた誰かわからない第三者に聞いたにすぎないことを明らかにし、4月20日には千葉の要求を丸飲みするかたちでの和解に応じ、10万円を支払っている。「行動する保守」Aが千葉との闘いを放棄した時点で、さすがの右翼Mも「行動する保守」Aの主張が信用できないものであることに気がついたのかもしれなかった(だとすればますます情けない話である)。

 この裁判で右翼Mは「内部告発」の中身ではなく、「行動する保守」Aが「内部告発」があったとする演説を行った事実を主張しようとしたようである。右翼Mはその事実を立証するために演説の映像が映ったDVDを証拠として提出したのだった。真実性・相当性の主張・立証という点では、「内部告発」関連の主張が唯一の新しい主張である。

徒労に終わった立証活動

 新しい主張については「引用する」というわけにはいかない。東京高裁は「内部告発」に関する主張については、それによって〈(朝木市議の転落死事件は殺人事件である)にも拘わらず捜査の指揮をとった東村山警察署の千葉英司副署長(当時)は強引に自殺として処理。〉などとする記事を掲載したことについて相当の理由となるかどうかを新たに検討しなければならなかった。

 右翼Mは控訴理由書で、〈主催者(筆者注=「行動する保守」A)は明確に「殺人事件である」「創価学会の関与は間違いない」「万引きは捏造である」等々の演説を行っている。〉〈上記演説が行われる前段階として同年7月29日JR八王子駅前において、主催者の瀬戸弘幸は殺人事件であることを明言している。〉〈現飼育警察官の内部告発があり、瀬戸弘幸は国民運動として全貌を明らかにする決意を述べている。〉などと、「行動する保守」A のいう「内部告発」が真実であると信じた理由を並べている。

 しかし、いかに全幅の信頼を置く人物がそういったからといって、それだけでその事実が真実であると信じる理由にはならないのではないか。通常問題となるのは、その事実について真実であると信じた者がその事実についてどのような裏付けを取ったかということである。

 東京高裁は右翼Mの主張に対して次のように述べた。



 控訴人(筆者注=右翼M)は、平成20年7月29日、JR八王子駅前において、瀬戸は、現職警察官の内部告発により、朝木市議の転落死が殺人であることが明らかになった旨明言していたのであるから、控訴人が、朝木市議の転落死が殺人事件であり、同市議の万引き事件は捏造であったと信じるについて、相当の理由があった旨主張し、瀬戸が演説する様子を録画したDVDを乙9として提出する。

 しかしながら、乙9によれば、瀬戸が、朝木市議の転落死事件は殺人であり、犯人3名が特定されたものの、警察側から圧力があって、捜査を断念せざるを得なかったと現職警察官が内部告発により明言した旨演説したことは認められるが、その内容は、内部告発をした上記現職警察官から瀬戸が聞いたとするものであって、あくまで伝聞にとどまり、しかも、その現職警察官の氏名すら明らかにされておらず、その伝聞内容が真実であることを裏付ける根拠も全く示されていないのであるから、控訴人が、朝木市議の転落死が殺人事件であり、同市議の万引き事件は捏造であったと信じるについて、相当の理由があったということはできない。



 これが「内部告発」に関する主張に対する東京高裁判断のすべてである。「行動する保守」Aが「内部告発があった」とする演説を行った事実ではなく、その内容がいかなるものだったかを問題にしていることがよくわかろう。「内部告発」の内容が事実であることの裏付けを示さなければ、それはただの妄想にすぎない。「行動する保守」AのDVDを提出したところで何の事実の証明にもならないのである。

右翼Mの控訴の意義

「行動する保守」Aのいう「内部告発」が事実の裏付けを持つものではないという判断は平成23年4月21日に判決が言い渡された東村山街宣事件における東京高裁判決でも共通している。



(東村山街宣事件判決)

 控訴人槇は、客観的にみたすべての状況証拠、犯行に至るまでの経緯からみても、朝木市議殺害事件に被控訴人(筆者注=創価学会)が関与していると確信するなどと主張し、平成20年1日に行われた「東村山市議朝木明代さんの謀殺事件の真相を究明する集会」において、主宰者である瀬戸弘幸が「創価学会の関与は疑いの余地がない。警察関係者からの内部告発があった。」と断言しているなどと主張する。

 しかしながら、瀬戸弘幸が述べたとされる内容は伝聞にすぎず、「警察関係者」なる者がいかなる人物であるかも明らかにされていないのであるから、これをたやすく採用することはできない。



「行動する保守」Aのいう「内部告発」がきわめて怪しいものであることは、「行動する保守」A自身が、「内部告発」を聞いたとする警察官が実は直接体験した事実ではなく、その警察官自身がどこの誰ともわからない人物から聞いた話であると自白していることからも明らかである。いかに右翼Mが信頼していたからといって、「行動する保守」A自身が「伝聞の伝聞」だったといっているのだから仕方がない。

 今回の判決によって、「行動する保守」Aが「初めて明らかにします」などと真相究明の決め手であるかのように持ち出した「内部告発」なるものになんらの根拠もないことが再び認定されたことになる。その意味において、右翼Mが控訴理由書で「内部告発」の存在を主張したことにはそれなりの意義があったのである。

 右翼Mは今回の判決をそう理解すべきなのではあるまいか。しかし判決直後の言動をみるかぎり、事実を事実として受け入れ、「行動する保守」Aや矢野穂積のデマを鵜呑みにしてしまった自分自身の不明を恥じるような器量を右翼Mに期待することはきわめて難しいようだった。

(了)

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「重要容疑者」事件 第1回
消滅した「事務所からの拉致」説

 東村山市議だった草の根市民クラブの朝木明代が平成7年9月1日、万引きの果てに自殺を遂げた事件にはいまだ解明されていない部分がある。平成7年9月1日の自殺当日、とりわけ自殺直前の明代の足どりである。

 その点について明代の万引きから自殺に至る経過をつぶさに知る東村山市議の矢野穂積は「当日午後7時過ぎに事務所で別れてから会っていない」とし、午後9時過ぎに事務所に帰ってきたときの事務所内の様子をマスコミに対して大要次のように説明している。

〈事務所のドアには鍵がかかっていたが、事務所内の照明とエアコンはついたままで、デスクの上にはワープロが文書作成中の状態で電源が入ったままだった。またデスクの上には明代がいつも持ち歩く黒のショルダーバッグが置いたままだった。バッグの中には財布も入っていた――。その後、21時19分に自宅にいた明代から「ちょっと気分が悪いので休んで行きます」との電話がかかっている。〉

 この矢野の説明のうち、客観的な裏付けがあるのは、①矢野が事務所に帰った際、明代が不在だったこと②その後、明代から電話がかかってきたこと――の2点のみである。矢野が詳細に説明するそれ以外の事務所内の状況が事実だったのかどうかについて客観的な証拠はない(自殺当夜、明代のバッグが事務所にあったのは客観的事実だが、矢野が事務所に帰った時点であったとしている点については客観的な裏付けがない)。

 注意すべきは、矢野が夕方7時以降、明代と会っていないとしていることを含め、これらの説明はすべて明代の転落死が明らかになったあとのことで、「他殺」であるとする矢野の主張と矛盾せず、むしろ「他殺」であるとする主張に沿うものであるということである。とりわけ事務所の蛍光灯とエアコン、ワープロがつけっ放し、バッグを置いたままという状況説明は、矢野が当初主張していた「事務所からの拉致説」を想定させる有力な材料として説明されていた。

 途中から矢野と朝木直子(同じく東村山市議)は「事務所からの拉致説」を事実上撤回し、今度は「自宅から拉致された」と主張するようになる(しかしこの「自宅からの拉致説」も、「家の中はふだんと変わらなかった」という朝木直子自身の供述によって否定されている)。当初、「事務所内の状況」が「事務所からの拉致説」の根拠として主張され、いつの間にか「事務所からの拉致説」自体が消えていった経過からみても、矢野の説明する「事務所の状況」を客観的事実として信用することは困難である。

バッグはいつからあったのか

 ただ、矢野の説明のうち1点だけ、ごまかしのきかないものがある。「帰ってきたときに事務所にあった」と矢野が説明する明代のバッグである。照明やエアコン、ワープロは矢野が電源を入れることができても、明代のバッグだけは明代にしか置いていけない。あるいは、明代にしか持って来られない。問題は、明代のバッグがいつから事務所にあったのかということである。

 当初、矢野が主張していたように明代は事務所から拉致されていたのではなく、自らの意思で自宅に帰っていた。すると、事務所に帰った矢野が「(明代は)ちょっとそこまで出た感じだった」という矢野の「主観的」説明とは根本的に状況が異なろう。

 しかも明代は、平成7年9月1日午後9時すぎ、東村山駅前方向から事務所方向に1人で歩いているのが目撃されている。つまり明代は、事務所からまっすぐ自宅に帰ったのではなく、東村山駅方向に行ったのちに自宅に向かった可能性が高い。するとその時点で、明代がいつも持ち歩いていたショルダーバッグを事務所に置いたままにしていたとはよけいに考えにくい。明代が自宅に帰った際、バッグを持っていたとみるのが自然なのではあるまいか。

 乙骨正生の『怪死』(教育史料出版会)には当日の明代のバッグの状況について、矢野への取材に基づいて次のように記載されている。



〈外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くための普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。〉



 乙骨によればそのバッグは、明代が「外出のとき常に持ち歩く」もので、「普段より多めの現金が入った財布」も入っていたらしい。ならばなおのこと、自らの意思で自宅に帰っていた明代がバッグを置き忘れたとは考えにくい。

 すると矢野が9時過ぎに事務所に帰ったとき、明代のバッグが残されていたとする説明には疑問があると考えざるを得ない。その上、明代は矢野に電話して「休んでから事務所に行きます」といっていた。するとやはり明代はその後事務所に行き、バッグもその際に明代が持っていったとみるのが自然であるように思えてならない。

バッグの中身を覗いた理由

 矢野は事務所に帰ってきた時点で、明代の身に少なくとも自殺に走るような異変が起きているとは感じていない。ではその時点で矢野はなぜ、他人の妻である明代のバッグの中だけでなく、財布の中身まで覗いたのか。何かよほどの異状を自覚したからこそ矢野は他人のバッグの中を覗くという異常な行為に及んだ、そうみるのが自然なのではあるまいか。

 こう考えると、明代のバッグが事務所に置かれたのはやはり、9時過ぎに矢野が事務所に帰る前ではなく、明代から「少し休んで行きます」という電話があったあとであるとみるのが最も自然であるといえないだろうか。つまり、自宅から矢野に電話したあと明代は「草の根」事務所に行った。事務所から転落現場までは100メートル足らずである。矢野はその後、明代のバッグの中身を覗く(財布の中の金額まで確認しているということは、たんに「覗いた」というだけではない可能性もあろう)必要を感じるほどの異常事態を察知したということではないかと私は考えている。

 そう考えなければ、何の異状も自覚していなかった矢野が、明代のバッグの中身を覗く必要があった理由が説明できない。しかし矢野は、電話のあとで明代が事務所に行った事実を否定している。

 事実はどうだったのか。自殺直前の明代の行動は、明代の自殺から間もなく丸16年になろうとする今も謎に包まれている。その点に関わる初めての裁判として注目されていたのが、矢野がジャーナリストの柳原滋雄を提訴した「重要容疑者」裁判である。

(つづく)

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