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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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西村・細川事件 第8回
「主権回復を目指す会」のブログ(平成21年11月2日付)に掲載された記事および写真をめぐり、元警視庁東村山警察署副署長千葉英司が同会代表の西村修平と元幹部の細川勝一郎を提訴していた裁判は平成23年10月27日、西村に対する第6回口頭弁論が開かれた。この日の傍聴者は支援者2名に公安3名と私。西村の準備書面を書いている右翼Mと、欠かさず応援にやってくる女傑Mは珍しく姿を見せなかった。

 西村に対する分離裁判は西村が掲載責任を否定しており、内容的にもたいした進展がないまま口頭弁論の回数だけを重ねてきた。ただ進行の上では、9月8日に開かれた第5回口頭弁論とこの日の第6回口頭弁論までの間にちょっとした動きがあった。

元側近の尋問を申請

 裁判の分離後、裁判官が西村に千葉の主張に対する反論を求めると、西村はしきりに一方の「細川の主張内容がわからない」(=だから主張できない)などと述べ、具体的な反論や立証活動をしないまま第5回口頭弁論を迎えていた。このため裁判官は西村にはすでに一定の反論機会を与えたと判断したのか、そろそろ結審の時期が近いことを示唆するとともに人証の必要性に言及した。通常の裁判では最終局面で本人あるいは証人尋問を行い、結審となることが多い。

 この日も西村が「細川がどういう主張をしているのかわからない」というので、裁判官は西村に対してこう聞いた。

裁判官  では被告は、細川さんの人証を行いますか?

 西村は次のように即答した。

西村  はい。細川の人証を申請します。

 千葉が問題とする記事と写真の掲載には責任がないと主張している西村としては当然、細川に対する尋問を通して「掲載は細川が勝手にやったこと」「西村には掲載責任がないこと=掲載責任は細川にあること」を裏付ける供述を引き出すことが目的であると推測できた。

「主権回復を目指す会」の代表は西村であり、すると「主権回復を目指す会」ホームページの責任者が西村であるとみなされるのは社会的な常識である。西村はその社会常識に反する主張をしているのだから、それを立証するためにはやはり細川の尋問は不可欠だろう。

 前回口頭弁論では、右翼Mが千葉の真ん前で睨みを利かせ、女傑が西村側に座って裁判長と西村のやり取りを聞いていた。まさかこれは、裁判官から細川の人証は必要か必要でないかと聞かれる流れとなり、西村としては行きがかり上も支援者の手前も「必要ない」とはいえなくなった、などという光景ではあるまい。

 裁判官も細川の尋問もあり得ると考えていたのか西村の申し立てを容認し、次回第6回口頭弁論(10月27日)に1時間の時間を取って細川に対する証人尋問、ならびに西村・千葉に対する本人尋問を行うこととなった。細川に対する尋問は西村から主尋問30分、千葉から反対尋問30分である。さらに裁判官は西村に対して、次回までに陳述書を提出するよう命じた。

あっという間の撤回

 この時点で、尋問における西村の論点は「記事・写真の掲載にあたって西村の指示・命令はなかった(=細川が勝手にやった)こと」が主になると思われた。この尋問はかつての代表と元側近が法廷で直接対決するものであり、関係者だけでなく公安からもかなりの注目を集める尋問になることは間違いないと思われた。

 ところがそれからわずか20日後、最大の見せ場はなくなった。西村が陳述書を提出し(もちろん右翼Mの代筆とみられる)、細川に対する人証申請を撤回したのである。あれだけ明確な意思表示をしたのに、どうしたのだろうか。

 確かに元側近を尋問するだけならいいが、千葉からの反対尋問も覚悟しなければならない。そのことについては、最初の千葉から提訴された裁判で西村はすでに経験済みである。それを警戒したのだろうか。

 それに、人証の撤回を申し出た陳述書とはそもそも、争点に関して自らが経験した事実を述べるもので何らかの主張をするという性質のものではない。撤回するなら「撤回する」と裁判所に伝えるだけでいいと思うが、わざわざ陳述書に記載したのは、人証の撤回には正当な理由があることを説明する必要があると考えたからなのだろう。「撤回する」というだけでは「西村は尋問から逃げた」といわれかねない。

 さて、陳述書の冒頭で西村は次のように主張している。



 10月27日に本人人証を行うとの事ですが、現在までの審理の状況を鑑みるならば、被告の立場から原告に対し尋問を行う必要性を見出せません。

 よって、下記の理由から裁判長は本裁判の訴えの取り下げを勧告することを要望します。



「尋問の必要性を見出せない」ことがなぜ、「訴えの取り下げ勧告」へと「よって」でつながるのか理解できないが、とにかく西村は「訴えの取り下げ勧告」をすべき理由を5項目にわたって述べる。



1 演説は不法行為ではなく、決着済みである事実
2 削除済みである事実
3 和解が成立済みである事実
4 使用者責任が存在しない事実
5 意味不明な原告の主張する「責任転嫁」



 そもそも裁判官が「訴えの取り下げを勧告」する場合とは、訴えの根拠がないと判断できる場合や訴えの利益がない場合などだろう。「請求棄却」という判決を出してもいいケースである。すると西村は請求棄却だけを求めればいいはずなのになぜ「訴えの取り下げ勧告」を求めるのか。早く終わらせてほしいという気持ちの表れだろうか。

 しかしざっと見出しを眺めたかぎりでは、裁判官が「訴えの取り下げを勧告」すべき内容であるとは考えにかった。

(つづく)
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西村・細川事件 第9回
独善的な言い訳

 では陳述書で西村は、「訴えの取り下げを勧告」するよう要望する根拠として各項目においてそれぞれ具体的にどんな主張をしていたのか。裁判所の判断に直接関係すると思われる1~4についてみてみよう。



1 演説は不法行為ではなく、決着済みである事実(西村陳述書の見出し=以下、同)

(西村の主張)

 私は「万引きがでっち上げ」、とは言っておらず、……「万引きでっち上げ」説は広く流布されているものであり、「でっち上げたといわれている」、との配慮を持った私の言い回しが不法行為となりうるはずはありません。

 この提訴自体、私が行った平成20年9月1日の東村山駅前での演説に対する訴え(第一次千葉裁判)と全く同様の内容であり、言い掛かり以外の何物でもありません。



「万引きをでっち上げたといわれている」(筆者注=正確には「いわれる」である)と千葉に配慮した言い方であり、断定していないから不法行為ではないという主張だが、この文言を単独で判断するのではなく、この文言がどのような趣旨の演説の中で使用されたのか、またこの文言を聞いた者にどのようなニュアンスをもって受け止められるかが問題となろう。

 ちなみにこの演説は、私が西村を提訴していた裁判が行われたさいたま地裁川越支部前で行われたものである。この街宣には〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな! 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉との横断幕、さらには〈祝 千葉英司敗訴 「万引き」はでっち上げ! 「自殺」は謀殺だった!! 東村山の闇に光を〉とのプラカードが掲げられている。要するにこの街宣全体の趣旨は「朝木明代は万引きをでっち上げの汚名を着せられて、謀殺された」というものであることが明らかである。

 仮にこの演説が客観的資料に基づき、矢野と朝木が「真相究明」を求める遺族と元同僚としてはきわめて不可解な言動を繰り返している事実および彼らの主張がことごとく裁判所で否定されている事実を述べつつ、その主張の中では「千葉が万引きをでっち上げたといわれる」という取り上げ方なら、聴取者はそれが客観的事実とは認められていない一方当事者による宣伝の一部であると受け止めるだろう。

 しかし西村が行ったこの街宣の中で「(千葉が)万引きをでっち上げたといわれる」といわれれば、聴取者は「千葉という警察官は万引きをでっち上げたとんでもない警察官」と受け止めることは明らかだろう。したがって、たんに「いわれる」という間接表現を使ったというだけで名誉毀損性がないとはいえないのではあるまいか。

いわゆる独自の主張

 またここで西村は、今回の提訴は前回の提訴と内容的に同じだから「言い掛かりだ」と主張している。しかし、一度提訴されたものと同じ名誉毀損を繰り返しても許されるという判例があるとは聞いたことがない。提訴されて真実性・相当性を立証もできなかった内容を再び繰り返すことは、前回よりもむしろ悪質性が高いというべきではあるまいか。つまり西村が千葉に対する誹謗中傷を繰り返さなければ、再び訴えられることもなかったにすぎない。西村の主張は法秩序を無視する発想で、少なくとも場所と時期が異なれば、それはまったく別の事件であるというのが一般的な法解釈である。



2 削除済みである事実

(西村の主張)


 本件写真・画像は既に平成22年12月4日にインターネットから削除されており、原告の主張するところの「社会的評価を低下させる」要因が存在していたとしても既に消滅しています。



「要因」は消滅していても、過去に原告の「社会的評価を低下させた恐れがある」事実は消滅していないし、過去に行われた肖像権侵害の事実も消滅していない。したがって西村は、掲載から削除するまでの間になされた不法行為に対する責任を免れることはできないのではあるまいか。



3 和解が成立済みである事実

(西村の主張)


 本件写真・画像をインターネットに投稿した当事者であるところの被告細川勝一郎と原告の間で、既に和解が成立しており、写真・画像の投稿者でもない私だけが損害賠償の責を負う意味がありません。



 千葉はブログ開設者として西村には責任があると主張している。ブログの開設責任者がブログ掲載記事の責任を負うのは普通のことで、投稿には関与していないから責任はないとする主張こそ社会常識を逸脱していよう。



4 使用者責任が存在しない事実

(西村の主張)
を要約すれば、問題とされた記事の投稿はすべて細川の裁量によって行われたもので、西村が指示・命令をしたものではなく、また金銭の支払いを約束していた事実もない、したがって西村には使用者責任はなく、本件記事の掲載にも責任はないと西村は主張している。



 しかし、記事掲載に関する事実が仮に西村の主張するとおりだったとしても、ブログの開設者が西村である以上、ブログの記事に対して西村が責任を負うのは当然なのではあるまいか。「主権回復を目指す会」内に「西村にはブログに関する責任はない」とする特殊の規約でもあったのなら法律との関連も含めて検討する必要が生じる可能性もあろうが、西村の主張の中には特段そのような内規があったとする主張はない。

 したがってブログ掲載記事の責任に関しては常識的な判断で足りるのではあるまいか。(そんなことはあり得ないが)仮に元側近が責任を被ると主張したとしても、西村は「主権回復を目指す会」代表として元側近を制して自らが率先して責任を取るべきなのである。部下に責任を押しつけようとするこのような姿勢こそ、西村という人物の器のほどをうかがわせる。

 いずれにしても、西村が陳述書で尋問放棄の理由として述べた主張はいずれも独自の主張というべきだろう。

(つづく)

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西村・細川事件 第10回
説得力を欠いた言い訳

 西村は尋問を放棄する理由について独自の主張を並べた上で、陳述書を次のように締めくくっている。



 以上3点(筆者注=尋問放棄の理由。本記事では4点)を鑑みた以上、以降の口頭弁論において争点となる事項を見出す事は不可能でありましょう。よって、私から原告に対し証言を求めるべき事案を発見することはできません。よって、次回10月27日の人証尋問の必要を認めません。

 同様に、細川に対する人証尋問の必要もありませんので、取り消しをお願いします。



 証人および本人尋問は新たな争点を探すことではなく、争点について法的にどちらの言い分が正当なのか、真実性・相当性があるのかどうかを判断することが主要な目的である。とりわけ「朝木明代転落死事件の真相究明を求める」などとする街宣活動に何度も参加してきた西村としては、千葉に改めて質したいことが1つや2つあってもおかしくない。その大きなチャンスを自ら放棄するということは、もはや千葉を追及する材料も気力もないことを認めたといわれても仕方があるまい。

 もちろん本人尋問においても西村は当然、千葉の追及を受けることになる。西村は尋問で「朝木明代の転落死を千葉が(万引きを苦にした)自殺として処理したことは、限りなくでっち上げに近いことが判明している」とする事実について、その具体的根拠、あるいは西村がそう信じるに至った理由を聞かれることになる。その場合、西村が再び法廷で窮地に立たされることになる可能性は高い。

 この裁判で西村は、もう東村山市議、矢野穂積と朝木直子の支援を受けられなかったらしく、証拠は現時点で何一つ提出していない。東村山駅前街宣をめぐって千葉から提訴された裁判で西村は、矢野と朝木の全面支援を受けたにもかかわらず「千葉が殺人事件を隠蔽して自殺をでっち上げた」とする主張をみじんも立証することができなかった。東京地裁は判決で、明代の転落死と万引きとの関係について「自殺の動機がなかったとはいえない」と認定し、東京高裁は「(千葉が)明代が万引きをしたという虚偽の事実をねつ造したという余地はない」と認定している。

 仮に西村に「朝木明代の転落死を千葉が(万引きを苦にした)自殺として処理したことは、限りなくでっち上げ」であるとする事実の裏付けを示す自信があるのなら、西村は千葉の反対尋問から逃げるべきではあるまい。つまり西村が千葉の尋問を放棄したということは、記事の裏付けがないことを認めたに等しいと考えていいのではあるまいか。

元側近との対決を回避

 さっぱりわからないのは、細川に対する人証申請撤回の理由である。そもそも細川の尋問を申請したのは西村の方である。ところが陳述書でその撤回理由として書かれているのはわずかに「同様に」の3文字のみだった。なぜ千葉に対する尋問の撤回理由と「同様に」なのか。要するに西村は、細川に対する尋問の撤回理由をこれだけですませたかったということと理解するほかない。

 細川の尋問を行えば、西村は細川を追及することはできるが当然、自分にとって不利な証言を引き出すことになりかねない。両刃の剣というよりも、かつて細川が西村を追及していた動画を見たことのある者からすれば、法廷で細川を追及するつもりが、逆に反論され西村が追及の言葉に窮している光景を想像するのはそれほど難しいことではない。

 細川が提出した陳述書には、西村が公安調査庁から毎月5万円を受領していたとする話や、細川が不適切と認識する西村の女性会員との関係なども含まれている。尋問の仕方によっては、陳述書には書かれていない事実が公表される可能性もないとはいえない。つまり客観的にみて、尋問によって西村にマイナスに働く可能性はあっても有利に働く要素は皆無のようにみえた。

 いったんは細川の尋問を申し立てたものの、冷静に考えれば、西村にとってむしろ不利な状況を作りかねないことに気がついた――そういうことではあるまいか。そうでなければ、自らの主張を立証するには不可欠と思われた細川の尋問を放棄することはあり得ない話である。千葉に対する尋問も含めて、西村と右翼Mもまたそう判断したとしてもなんら不思議なことではなかった。

 陳述書を代筆した右翼Mもまた「朝木明代転落死事件の真相究明」のモチベーションはかなり低下しているのではあるまいか。彼らを東村山デマに引きずり込んだ「行動する保守」Aの「内部告発」はいつまでたっても具体的根拠が示されなかった。「行動する保守」Aは右翼Mに対して「調査中」などと説明していたらしいが、千葉から提訴されるや「内部告発」が伝聞の伝聞以下のホラ話であることをさらけ出し、千葉が提示した条件を丸飲みする形で10万円を支払い、さっさと和解してしまった。

「行動する保守」Aが右翼Mに対して「『内部告発』については調査中」と説明したというのが事実なら、右翼Mは「行動する保守」Aから少なくとも2度にわたって騙されたことになろう。右翼Mは「行動する保守」Aのいう「内部告発」と矢野、朝木のデマを信じ込み、千葉から提訴された裁判では10万円、創価学会から提訴された裁判では110万円の支払いを命じる判決を言い渡されている。

 それでも右翼Mが表面上は矢野も「行動する保守」Aも責めず、「自分で判断した」と強弁するあたりは、やはり情けない右翼ということだろう。自分の不明を認めた上で、「行動する保守」一行をデマの深淵に引きずり込んだ「行動する保守」Aと矢野・朝木を批判するのが道理ではないのだろうか。これはいうまでもなく、右翼Mだけでなく「行動する保守」全体にいえることである。

ナメられた「行動する保守」

 右翼Mをはじめ「行動する保守」一行は、煽るだけ煽ってなんらの責任も取ろうとしない東村山市議矢野穂積と朝木直子にナメられていると考えるべきではあるまいか。余談だが、平成23年11月7日、千葉が矢野と朝木を提訴している裁判の第3回口頭弁論が開かれ、矢野と朝木も出廷した(この裁判についてはいずれ別稿で詳述する)。

 裁判所はこの日も、矢野の応援で右翼(「行動する保守」一行)が大挙して押しかけることを想定した警備態勢を敷いていた。裁判所は矢野と右翼が仲間であると認識しているようだった。

 さて口頭弁論が終わり、矢野と朝木に続いて私が法廷を出ると、エレベーター方向に歩いていた矢野がどうしたのか急に踵を返し、法廷前で警戒にあたっている職員に向かってこう話しかけたのである。



矢野  今日傍聴に来た人物(宇留嶋のこと)は副署長を応援している人物で、右翼じゃないからね。



 とっさの発言には本音が出ることがある。万が一にも「宇留嶋は右翼ではない」と私を擁護したわけではあるまい。矢野は裁判所が何を警戒しているかを承知の上で、右翼は来ていない、したがってわれわれ(矢野と朝木)は右翼とは関係がないから警戒の必要はないといいたかったようである。つまりここで現れた矢野の本音とは、「『行動する保守』一行は危ない連中だから警戒の必要がある」ということ、「自分たちは裁判所が警戒するような連中とは関係がない」ということであると理解できる。

 あれほど煽り、利用した「行動する保守」一行を「右翼」の一言で片づけ、すなわち見下し、「自分たちはそのような連中とは関係ない」と裁判所にアピールしようとするとは、さすがに『週刊現代』や『週刊新潮』をいとも簡単に裏切っただけのことはある。「行動する保守」一行も、全員がナメられていたことがこの一言でより明確になったと私は感じた。これでも右翼Mは「自分の判断だ」というのだろうか。

(「第7回口頭弁論」後につづく)

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第3回
「行動する保守」一行の襲撃を警戒

 東村山市議矢野穂積と朝木直子(いずれも「草の根市民クラブ」)がウェブ版「東村山市民新聞」に掲載した記事をめぐり警視庁東村山警察署元副署長千葉英司が提訴していた裁判は平成23年11月7日、第3回口頭弁論が行われ、矢野と朝木が初めて法廷に姿をみせた。東京地裁立川支部5階のラウンド法廷である。2人ともそれなりに年を重ねたと思わせる以外に、表面上はこれといって特に変わった様子は感じられない。

 法廷前には裁判所職員が数名立ち、傍聴人の時間前の入廷を制限している。傍には日章旗やヘルメット等を一時預かる荷物置きも備えられている。矢野と朝木の味方である(実際には彼らに翻弄された)「行動する保守」一行が訪れることを警戒しているのである。なおここ数年、矢野と朝木の裁判に関して裁判所は、対千葉や私以外の裁判でも必ず特別な職員を配置している。 

 さて、千葉がこの裁判で問題としている記載を確認しておこう。



(記事1)

決定的事実がついに判明! ★副署長チバが、「自殺説」を自ら全面的に否定! そして「何者が何の目的で置いたか解明できていないが警察犬が帰った後に朝木明代議員の鍵束が置かれた可能性がある」(チバ陳述書)などとヌケヌケ言っているが、解明できるはずがないのだ! 唯一最大の殺害犯に直結する物証(鍵束)を、わずか1週間で単なる「遺失物」扱いで遺族に返している! 捜査をする意思のなかった何よりの証拠だ。
……
 なぜ副署長チバは、捜査をしなかったか!? ……副署長チバ、もう逃げ口上は無理なのだよ。

(記事2)

元副署長チバが、決定的事実を認める!  ★「警察犬が帰った後に朝木明代議員の鍵束が置かれた可能性がある」(チバ)⇒チバ「自殺説」を自ら全面的に否定! ★決定的事実を知りながら、なぜ、今まで一度も公表しなかったか !! ⇒ 証拠事実の隠匿は明らか!  ★やはり知っていた! ⇒「自殺説」を木っ端微塵にし、高裁7民判決も吹き飛ばし、殺害事件を決定付けた重大自白。▼副署長チバは、捜査責任者として詳細を全面自供し事実隠匿の責任をとりなさい! ▼警察内部からの事件捜査関係者の告発を、強く呼びかけます。



 千葉はこれらの記事が、朝木明代の自殺事件に関し「千葉は(殺人事件の)証拠を隠匿した」とするもので名誉を毀損するとして提訴したのである。

結論を急いだ矢野

 この裁判は記事1、2が千葉の社会的評価を低下させるかどうか、またそうだとすれば真実性・相当性があるか否かが直接的な争点になろう。ただ記事が冒頭で「千葉が自殺説を自ら全面的に否定」と断定していることを考えると、「明代の鍵を自殺現場に誰が何の目的で置いたのか」という点も重要な論点となるのではあるまいか。

 矢野がここでいう「千葉が自殺説を自ら全面的に否定」とは、鍵を置いたのは明代以外の第三者すなわち「犯人」であることを千葉が認めたとする解釈に基づく主張である。鍵が置かれたのは平成7年9月2日早朝に警察が警察犬を入れて現場検証を行ったあとであることが明らかで、矢野もその点はすでに認めている。つまり鍵は、明代以外の第三者が置いたという結論になる。矢野はその「第三者」が「明代を殺害した犯人」であるとし、千葉は「その証拠を隠蔽した」と主張しているのである。

「鍵が置かれた時間帯には明代はすでに死亡していたから、鍵を置いたのは明代ではなく明代を殺害した犯人だ」と矢野は主張しているが、そんなに結論を急ぐ必要はあるまい。平成7年9月1日午後10時ごろに現場付近で不審な声や物音を聞いたという証言はない。

「犯人」以外の人物の可能性

 そもそも「犯人」はいつ、どこで明代の鍵を入手したのか。鍵を置いたのが「犯人」であるとして、いったい「犯人」がなぜ明代の鍵を奪う必要があったのかと考えると、その理由をすぐに思い浮かべることはできない。むしろ今まさに人を殺そうとしている者にとって鍵などどうでもいいだろうし、まして数時間前に人を殺した者がわざわざ現場に舞い戻るというリスクを冒すことは考えにくい。

「自殺に見せかけようとした」などという説もあるようである。しかし、鍵が発見されたのが現場検証当日の午後5時30分ごろであることを考えると、まだメディアが騒然とし、しかもまだ明るい時間帯に「犯人」が鍵を置きに戻ることはあり得まい。矢野はウェブ版「東村山市民新聞」にこう書いている。

〈(現場には)報道だけでなく、一般市民も現場階段を多数上り下りし、当然に、焼肉店裏口付近も、しらみつぶしのように大々的な「捜索」がなされたが、発見できなかったのである。そのとおりだ。大勢の報道関係者らが、行きかうあの階段で、人目につかず、「「カゴ」に入った使用済みのおしぼりの間」に、あの派手な「鍵束」を入れる芸当は簡単ではないはずだ。〉

 遺品や証拠を捜しているメディアや遺族、関係者に紛れて、何かを探すフリをしながら鍵を隠すのが「犯人」であることを最も疑われない方法であるかもしれない。矢野の記載も、鍵を置いた人物は捜索していた者の中にいたことを念頭に置いている。私もその可能性が高いと思う。ただ矢野が結論を急ぐように、それがただちに「犯人」であるとするにはやや無理があるのではないか。

 事件発生から数時間しかたっていない時間帯に現場に来た者は限られていよう。あの狭い現場で、その中の誰とも接点のない者がいたとすればいやでも目につこう。しかし事件発生から15年、その時間帯に現場にいた者の中で誰とも接点がない不審者がいたという話は聞かない。これはどういうことなのだろうか。

 不審者はいなかった。しかし、そのとき現場にいてもなんら不思議はない者の中に鍵を置いた人物がいた。そう考えるのが最も合理的なのではあるまいか。

(つづく)

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第4回
鍵を入手できた人物

 明代の鍵を転落現場に置いていった人物は、矢野もいうように、警察による現場検証のあと「捜索」に加わっていた者の中にいたと考えるのが自然である。「捜索」に加わっていた者の中でも鍵を置くことができたのは、当然だが、明代の鍵を入手することができた人物である。では、明代の鍵を入手できる可能性があったのは誰なのか。

 通常、鍵は外出時には身につけているものである。ポケットの中か、あるいは携行するバッグの中に入れることもあろう。すると当時、明代の鍵を入手することができたのは、明代に直接会うか、鍵の入った明代のバッグに触ることのできた人物ということになる。

 では平成7年9月1日夜、明代が会う可能性のあった人物は誰なのか。当夜の明代の足取りを確認しておこう。

細かすぎる室内描写

 平成7年9月1日、朝木明代が東村山駅前のビルから転落死を遂げた当夜の9時過ぎ、自治会長会議に出席していた矢野が事務所に帰ってきた。そのときの状況を矢野は平成15年に出版した『東村山の闇』で次のように述べている。



(矢野が事務所に戻ってきたときの状況――『東村山の闇』)

 9時過ぎて、私は、予定より少し遅くはなったが、その「自治会長会議」から「事務所」に戻ってきた。駐輪場に自転車を置き、「事務所」の前まで来ると明かりが点いている。彼女、原稿に奮闘中だな、と思って、ドアを開けようとしたが、開かない。カギが閉まっているので鍵を使ってドアを開けた。

 エアコンはついている。手前のテーブルをみると、彼女の大きいショルダーバッグが口を少しあけたまま置いてある。ワープロも開いたままだ。傍によって、覗き込むと、電源が入っていて、画面には、あさっての「創価学会問題シンポジウム」の「レジュメ」が打ち込み中のまま、黒く四角い「カーソル」が手持ち無沙汰気味に、その主の帰りを待っていた。

 しかし、これまで、彼女が、エアコンをつけたまま、10分以上事務所を開けるようなことは一度もなかったし、私の戻る時刻は知っている。それに、あさっての「創価学会シンポジウム」の原稿も「半徹夜」覚悟なのは、お互いわかっていることだから、遅かれ早かれ戻ってくるだろう、と思いなおし、あまり気に留めないことにした。



 事務所内の様子など、まだ仕事が残っているにしては細かい点に気がつき過ぎるのではないかと思わせる描写である。明代が自殺した当時、矢野は「事務所からの拉致」を匂わせていた。

 矢野が説明する事務所内の様子は、乙骨正生の『怪死』でもほぼ一致している。ついたままの電気とエアコン、作業しかけのワープロ、事務所に残したバッグといった状況には客観的な裏付けはない。しかしすべては「事務所からの拉致」説に信憑性を持たせるための仕掛けだったと考えれば納得もいく。

「事務所から拉致」の「イメージ」

 実際に矢野は、『週刊文春』〈反創価学会女性市議の「怪死」〉(平成7年9月14日号)でも次のようにコメントしている。



(『週刊文春』における矢野のコメント)

「まさにちょっと出掛けてくる、という感じでした」

「誰かにうまく連れ出され、どこかの家に連れ込まれたんじゃないか、そうとしか思えないんです」



 少なくとも矢野はこのコメントによって、明代は「事務所から誘い出され、拉致された」ことにしようとしたことがうかがえる。つまり、「明代は矢野が事務所に帰ってくる以前に鍵を所持したまま事務所を出て、以後は事務所には来ていない(だから自分はその後、明代とは会っていない」といいたいのである。

 同じころ矢野は、自殺の翌々日に行く予定だった高知の「ヤイロ鳥」事務局長との電話の中で上記コメントをさらに具体的に述べている。



矢野  消えてんですから、事務所の中から、本当に消えてんですから。よくね、ここから駅まで往復2分なんですよ。

大崎  あっ、そんなに近いところなんですか。

矢野  ええ。東村山の駅までね。だからね、駅に誰か来てですね、交番が直ぐあるんですか、交番の側にはボックスがあって、そこから電話かけてきて、どう行けばいいかって、聞かれるでしょ。そうすると、じゃあ待ってて、迎えに行ってあげるからって調子で、全部置いて、鍵だけかけて、迎えに行って帰ってくると2分。その状態で消えているんです。イメージは。

大崎  ふ~ん。

矢野  だから、「消えてる」しかないんですね。言い方としては。

筆者注=矢野自身の反訳による)



「イメージは」と矢野は一応の留保をつける。駅前交番横の電話ボックスから電話で誘い出されたという話には具体的な裏付けがあるわけではない、自分のイメージにすぎないという留保である。

 しかしそれにしても、「ついたままの電気とエアコン、作業しかけのワープロ、残されたバッグ」という事務所内の様子からこれだけ具体的状況を「イメージ」してしまうとは、普通の人間にはできるものではない。「事務所から拉致された」ことにしようとする意思があったがゆえに、駅前の電話ボックスから電話で誘い出したなどという口からでまかせをしゃべることができたのである。

 このでまかせは法廷で追及された。すると矢野は法廷でも「イメージにすぎない」と供述し、電話で誘い出されたなどという話にはなんらの客観的根拠もないことを認めた。以後、矢野は「事務所からの拉致説」を主張しなくなったのである。矢野と朝木はその代わりに「自宅からの拉致説」を主張し始めた。要するに、いずれもなんら具体的根拠はないということにほかならない。

 ただ矢野は、事務所の様子が普通とはちょっと違うとは感じたものの、『東村山の闇』で「(その時点では)あまり気に留めないことにした」と書いているとおり、事務所に帰ってきた時点では、明代の身に特に何か「事件」が起きたとまでは考えなかったようである。

 すると矢野が高知の市民団体事務局長に語って聞かせた「イメージ」は、いつの時点かはわからないものの、少なくとも矢野が事務所に帰ってきた時点よりもあとにその必要が生じ、作られたものであると理解できるのではあるまいか。

(つづく)

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第5回
微妙に異なる記述

 平成7年9月1日午後9時10分前後に事務所に帰ってきた時点で矢野は、明代の身に特に何か異変が起きたとは感じなかった。その約10分後の午後9時19分、事務所に明代から電話がかかる。明代は自宅にいて、「ちょっと気分が悪いので、休んで行きます」という。

 つまり明代は、事務所に自分で鍵をかけて自宅に戻っていたことになる。矢野によれば、明代は事務所には来ず、以後、矢野は明代と会っていないという。

 矢野が事務所に帰ってくる以前に明代が事務所に鍵をかけて出たことは、その後の朝木宅の電話発信記録からも客観的事実であることが確認できる。家に帰った明代が事務所を出る際に鍵をかけることに不自然な点はない。

 すなわち矢野が事務所に帰ってきたときの状況として述べる内容のうち、事務所に誰もおらず、ドアには鍵がかかっていたことに限っては客観性がある。ということは、自宅から事務所に電話をかけたとき明代は事務所の鍵を所持していたということである。

 ところが転落死した明代は鍵を持っておらず、矢野によれば事務所にも自宅にも鍵はなかったという。これはどういうことなのか。「持っているはずの鍵がどこにもない」→「第三者によって持ち去られた」→したがって「明代の転落死には第三者が関与している(殺された)」――警察犬を動員した現場検証でも鍵が発見されなかったことについて矢野と朝木はこう主張していたのである。

 ところで、矢野が事務所に帰ってきたときの状況に関しては『怪死』(教育史料出版会=乙骨正生著)でも詳細な記述がある。当然、その内容は矢野の説明に基づくもの以外にはあり得ない。



(『怪死』における事務所内の様子)

 9時10分頃。矢野氏が「草の根」事務所に戻る。事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっぱなし、外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くため普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。



 『東村山の闇』にも同じ状況に関する記述があるが、なぜか『怪死』とは微妙に異なる。『東村山の闇』における該当個所は以下のとおりである。



(『東村山の闇』における事務所内の様子)

 エアコンはついている。手前のテーブルをみると、彼女の大きいショルダーバッグが口を少しあけたまま置いてある。ワープロも開いたままだ。



 現実に体験した当事者と取材して書いた者の間の感覚的なズレという以上に、この2つの記述には大きな違いがある。『怪死』では明代が何者かに誘い出された直後だったとしてもおかしくないと思わせる筆致だが、『東村山の闇』では矢野自身が最後に「気に留めないことにした」と明代の異変を否定している。両者の違いは、『怪死』が書かれた当時は「事務所からの拉致」が前提だったのに対し、『東村山の闇』では「自宅から拉致された」ことになっているという背景事情の変化に起因すると私は考えている。

財布の中まで確認した矢野

 全体的なニュアンスの違いだけでなく、具体的な描写にも大きな違いがある。『怪死』には記載されているバッグの中身、とりわけ重要な要素であるはずの「いつもより多めの現金の入った財布」があったことが書かれているのに対し、『東村山の闇』では、事務所に置いてあったと矢野がいう明代のショルダーバッグが「口を少しあけたまま」だったと書かれているだけで、バッグの中の財布にはまったく触れられていない点である。

『怪死』が「ふだんより多め」の額が入った財布に触れているということは、矢野が明代の財布の中身を確認した事実を伝えたということにほかならない。矢野自身も、『週刊文春』〈反創価学会女性市議の「怪死」〉(平成7年9月14日号)で次のようにコメントしている。



(『週刊文春』における矢野のコメント)

「バッグもあって、後で確かめたら中には財布も入っていた。だから、スグ帰ってくるだろうと思っていました」



 これは平成7年9月1日午後9時10分ごろ、矢野が事務所に戻った直後の状況とそれに対する矢野の感想である。この『週刊文春』の記事で矢野は「事務所から誘い出された」可能性を述べている。したがって記事の前提にある「イメージ」は『怪死』と同じだから、矢野は財布の話を述べたということと理解できよう。

 しかしなぜ矢野は、乙骨と『週刊文春』には話した財布のことに『東村山の闇』ではいっさい触れないのか。他人である矢野が明代のバッグの中を覗くということはプライバシーを侵すものであり、異常な行為である。よほど何か命に関わるような重大な出来事が起きたのでない限り、他人のバッグだけでなく財布の中身まで覗くなどあってはならない(そもそも、その目的も定かでない)。矢野はいつのころか、自分が他人の妻である明代のバッグの中だけでなく、財布の中身まで覗いたことの不自然さにおそらく気がついた。

 言い換えれば、矢野が明代の財布の中身まで覗くということは、明代の身によほど重大な何かが起きたという事実を矢野が把握していたことを意味する。しかし矢野にとって、そのような事実があっては困るのである。だから、『東村山の闇』ではバッグの中身にはいっさい触れなかったということではないのだろうか。

(つづく)

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「行動する保守」肖像権侵害事件 第4回
 ブログに掲載された写真によって肖像権を侵害されたとして私が「行動する保守」Aとその弟子を提訴していた裁判は平成23年11月21日、判決言い渡しを迎えた。

 さいたま地裁川越支部1号法廷では午後1時15分から1件の口頭弁論と本件を含む2件の判決言い渡しが予定されていた。最初に扱われた口頭弁論が5分で終了し、書記官が私を原告席に招じ入れた。この日出廷した当事者は私1人。傍聴席もまったく見覚えのない人物がたった1名いただけだった。
 
 かつて西村修平と対峙し、判決言い渡しで西村が書類を机に叩きつけたのもこの法廷だった。1年半前のことである。そういえば西村は判決確定後、「社会運動家」らしく「法治国家だから判決には従う」といいながら、損害賠償金の支払いはいまだ終わっていない。

 私が原告席につくと、裁判官はひと呼吸置いて主文を読み上げた。



  被告らは、原告に対し、連帯して、10万円及びこれに対する平成21年11月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 
  原告のその余の請求を棄却する。

  訴訟費用は、これを10分し、その9を原告の、その余を被告らの各負担とする。

  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。



 判決言い渡しが終わり、私が傍聴席に戻ると、1人だけいた傍聴人は続く判決言い渡しを聞くことなく法廷をあとにした。あるいは公安関係者だったのかもしれないが、定かでない。

すべての請求原因を不法行為と認定

 私が肖像権を侵害されたと主張していたのは以下の5件の記事である。



①平成20年9月4日付〈9・1東村山駅前街宣映像紹介〉と題する記事で、私を無断で撮影するとともに「創価学会を擁護している」とするクレジットを付けた動画にリンクしたこと。

②平成20年9月12日付〈『或る浪人の手記』の管理人さんへ〉と題する記事に私の写真を無断で掲載するなどしたこと。

③平成20年10月11日付〈創価学会御用ライター・宇留嶋瑞郎〉と題する記事に、私について「創価学会御用ライター」クレジットを付して私の写真を無断で掲載したこと。

④平成21年11月10日付〈〈創価関連裁判〉報告と告知のお知らせ〉と題する記事に、私が裁判所(さいたま地裁川越支部)に入る写真を無断で掲載するなどしたこと。

⑤平成20年11月8日付〈【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(8)〉と題する記事に、私について「創価学会の御用ライター」などとのクレジットを付して私の写真を無断で掲載したこと。



 これに対して「行動する保守」Aは、写真等を掲載した事実については認めたものの、

〈クレジットは原告を誹謗中傷するものではなく、本件記事等の掲載は政治的、思想的活動の一環として行ったものであり〉、〈また、被告らは、原告から本件写真等の削除を求められたことから、直ちにこれを削除しており、上記動画等が閲覧に供されたのは数か月にも満たないのであり、本件ブログ上の記載により、原告に損害が生じたということもできない」(判決文より)

 などと主張していた。これらの主張に対してさいたま地裁川越支部は次のように述べた。



 これらは、フリーライターをしていた原告が街宣活動を行っていた被告らの取材に訪れた際に、無断で撮影されたものであり、被告らは、これらに「創価学会を擁護する」、「創価学会御用ライター」、「創価学会の御用ライター」などとのクレジットを付して、本件ブログ上に掲載していたものであって、かかる掲載等の態様からしても、原告が、その同意なく撮影された本件写真等を本件ブログ上に掲載されることを受忍すべきものということはできず、本件写真等の掲載は違法性を有するものと認められる。



 その上で、慰謝料の算定についてさいたま地裁川越支部は、クレジット等については〈不法行為に当たるものとまで認めることはできない〉とし、肖像権侵害については、

〈当該写真は、原告が公道上で普通に話をしている場面を正面から撮影したものや、さいたま地方裁判所川越支部の建物に入る原告を背後から撮影したものであり、写真の内容自体が原告に大きな不利益をもたらすようなものではない〉

〈被告らは既に本件ブログ上から本件写真等を削除していること、本件写真等が掲載されたのは5回にとどまり、写真等の数もさほど多いものとはいえない〉

 などとして、〈原告が被った精神的苦痛は合計10万円と評価するのが相当である。〉と結論付けた。

 私の写真を無断で掲載したこと自体に対する評価(評価の仕方を含む)、判断についてはいささか不満がないわけではない。しかし現時点で裁判所が、私が請求原因として挙げた5件について包括的に違法性を認定したこと、その中でも背後から撮影した写真(本文中で写真の人物が私であることを明記している)についても肖像権の侵害を否定しなかったという点では、提訴の意味があったのかもしれないと考えている。

(了)
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西村・細川事件 第11回
 平成23年10月27日の第6回口頭弁論の際に予定されていた細川や西村に対する尋問は、西村が証人尋問を申請したにもかかわらず、どういう心境の変化か、申請を撤回したことで、この日は通常の口頭弁論となった。ただ、双方が準備書面を提出しているわけでもなく、また証人尋問申請までの段階で双方の主張は出尽くしていることを確認していた経過からしても、裁判長が裁判を終結させてもおかしくない状況だった。

 しかし裁判官は西村が証人申請を撤回して以後、双方から意見を聞いており、判決によらない終結の可能性もあるとみていたらしい。裁判官はあらためて双方に新たな主張がないことを確認すると、和解を勧告した。

 この日の傍聴は私以外に公安2名と西村の側近が2名で、右翼Mと女傑Mは法廷には姿を見せなかった。

検討の余地もない要求

 和解協議は閉廷後ただちに始まったが、金額はともかく、西村側からなんらかの金銭支払いがないかぎり和解の成立は考えにくいと思われた。西村は私だけでなく、別件裁判で確定している千葉への支払い義務を履行していない。その西村がすんなり支払いに応じるのだろうか。

 それに裁判の内容に関して西村はブログへの掲載責任はすべて細川に転嫁しているから、いったいどこで歩み寄る可能性があるのだろうか。私には和解条項を想像することは難しかった。

 1時間を過ぎたころ、千葉が裁判所から出てきた。結論からいえば、和解協議はあえなく決裂となった。西村はいったいどんな条件を持ち出したのか。千葉に聞くと、西村は非を認めていくばくかの和解金を支払うというどころか大要こう主張したという。


「千葉が洋品店に行くのはおかしい。千葉が洋品店から手を引けば、われわれも洋品店に対する攻撃をやめる」



 と。これはいったいどういう和解条件なのか。西村は千葉がこの要求を飲む可能性があると考えたのか。

 またこの主張がいったい裁判とどう関係するというのだろうか。まさか千葉が「もう洋品店には行かない」といったとして、そのことが「万引きを捏造」したとする西村の主張を認めたことにでもなるというのだろうか。

 そもそも「万引き捏造」などという事実はないし、千葉が洋品店に待機していたのは「行動する保守」の襲撃に備えたのであって「万引き捏造」の事実を暴かれることを恐れたわけではない。和解協議における西村の要求は、いまだ矢野と朝木の主張をデマと認識できないところに起因しているとみるほかなかった。

 洋品店から排除されたことに最もこだわりを持っているのは右翼Mである。この屈辱をそそぐために右翼Mは翌年、単独で訪問したまではよかった。しかし再び千葉に侵入を阻止されただけでなく、今度は「情けない右翼」と看破されてしまった。右翼Mは自分の行いを省みるどころかますます千葉を逆恨みし、東京地裁の控室で支持者とともに千葉を詰問したこともある。

 この裁判ですべての書面を右翼Mが代書していたことを考えると、「洋品店に関わるな」というわけのわからない要求は右翼Mのいびつな自尊心を代弁したものであるようにもみえる。西村も右翼Mも、しょせんは自分の都合でしかものを見ることができず、非を認めることができない点においては共通していよう。

 裁判官は西村から和解の可能性もあるという心証を得ていたのかもしれない。しかし「洋品店に関わらないこと」が条件とあっては、裁判官が千葉を納得させることができないと判断したとしても無理はなかった。

 千葉は西村の提示した和解条件を拒否し、裁判所も特に千葉に和解に応じるよう説得もしなかった。こうして和解協議は再考の余地ない状況で決裂し、裁判官は1か月後の11月24日にもう1度口頭弁論を開いて終結することとし、双方に対して主張等があれば提出するようにと述べた。

側近の理解

 こうして11月24日、西村に対する第7回口頭弁論が開かれた。定刻は午前11時である。傍聴席には私のほかに公安が2名、西村の到着を待った。ところが、定刻を10分過ぎても、西村も側近も姿を見せなかった。裁判長はやむなくいったん閉廷し、30分だけ待機することとした。

 その後裁判所は西村に連絡を取ったようである。すると西村は午後2時からと勘違いしていたという。裁判長は午後1時に弁論を再開することとした。

 午後1時前、西村は側近2名とともに法廷にやってきた。右翼Mと女傑Mはこの日も姿をみせなかった。

 さて千葉はこの日、準備書面を提出し、和解協議の席で西村が提示した和解条件について次のように述べた。



 被告は和解条件の筆頭に、原告が今後、洋品店の問題に関わらないことを確約せよと要求した。洋品店主は、平成7年、本件万引き事件を警察に届け出たことに対し矢野から執拗な嫌がらせを受け続け、平成20年からは、矢野の意向を受けた被告ら右翼に嫌がらせを受けた。以降、洋品店主は、被告ら右翼が東村山市内に現れるとの情報が入るたびに怯え、営業中の洋品店を突然に臨時休業するという事態となっている。

 この異常な事態を原告は見逃すことはできず、今後も、東村山市内での右翼らの行動に関する情報があれば、原告は有志の人々とともに、洋品店の問題に関わるべきであると考えている。



 平成20年9月1日、西村や桜井誠らが洋品店に押しかけ、ハンドマイクで店主に対する誹謗、恫喝を繰り返した。その光景を撮影していたのが細川だった。千葉が準備書面で述べた内容を彼らはどう受け止めるのか。少なくとも今の細川なら、千葉が洋品店を守ろうとする心情を正当に理解するのではあるまいか。

 裁判官が提出書面を確認して終結を告げると、西村は手を挙げて立ち上がり、裁判官に遅刻したことを詫びた。裁判官は「それは千葉さんにいってください」と答えた。判決言い渡しは平成24年1月26日午前10時30分である。

(「判決後」につづく)

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