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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村・細川事件 第12回
書記官の興味

 判決言い渡しが行われた平成24年1月26日、千葉は法廷には行かないことに決めていた。裁判所に無用の警戒態勢を取らなくていいよう配慮したのである。案の定、法廷では不穏な出来事があったらしかった。

 判決言い渡しから数時間後、千葉は判決文を受け取りに書記官室に出向いた。すると、担当書記官は判決文を渡しながら千葉にこう聞いたという。

「(右翼)Mさんというのは、どういう方ですか?」

 判決文の交付は通常はきわめて事務的な手続きで、とりわけ書記官の側から当事者に対し裁判や当事者以外のことを聞くことは珍しかろう。今日もよほど何かあったのだろう。そう思いながら千葉は答えた。

「警察の監視対象になってるようですね。あなたが見たとおりの方じゃないですか」

 この裁判で右翼Mは以前にも、当事者でないにもかかわらず、再三にわたって傍聴席から裁判長に抗議し、あるときには裁判長の制止を無視して数分間にわたって暴言、誹謗を繰り返したことがある。数か月前のことである。書記官はその様子も目撃していようが、数か月も前のことを急に思い出すというのも考えにくい。するとやはりこの日、右翼Mはまたも法廷で常識では理解しにくい行為に及んだということのようだった。当事者でもないのに、虫の居所が悪かったのだろうか。

提訴された裁判所前街宣

 この裁判は常識を超えた珍しい展開をたどるが、まずこの裁判における千葉の請求原因と請求内容を確認しておこう。

 平成21年11月1日、私(宇留嶋)が西村修平を提訴していた裁判の口頭弁論がさいたま地裁川越支部で開かれた。その際、西村は裁判所前において〈創価学会の疑惑に沈黙するな 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉などと記載した横断幕(なお、この横断幕には賛同団体として「日本を護る市民の会」「せとblog『日本よ何処へ』」「主権回復を目指す会」「在日特権を許さない市民の会」「NPO外国人犯罪追放運動」の名が記載されている)および〈祝! 千葉英司敗訴「万引き」はでっち上げ! 「自殺」は謀殺だった!!〉などと記載したプラカードを掲示した上で、

〈朝木明代さんの万引き事件、万引きをでっち上げたといわれている元千葉英司副署長と、えー、一心同体となっている宇留嶋瑞郎が、今、裁判所に入ってきました。訴訟を乱発して一国民に対して100万円を請求する元千葉英司副署長と宇留嶋創価学会御用達ライターがね、これ名誉毀損といわれたその当人が今裁判所に入りました〉

 と演説した。私だけでなく千葉に対しても、提訴されたことに対する腹いせだったろうか。

 さらに翌日の同年11月2日、西村は主権回復を目指す会のウェブサイトに〈創価学会が大喜びする宇留嶋の訴訟乱発 創価学会「御用達」は栄えある名誉の筈だぞ! 言論・政治活動の自由をカルト教団から守れ〉と題する記事を掲載し、

〈朝木明代・東村山女性市議の謀殺事件を転落・自殺としたのが東村山署元副署長の千葉英司。自殺の動機を「万引き」を苦にしたとして事件を処理したが、これが限りなくでっち上げに近いことが判明されている。〉

 と記載するとともに千葉が映った演説時の動画とその静止画を掲載した。平成22年10月21日、千葉は上記記載と演説のうち〈朝木明代さんの万引き事件、万引きをでっち上げたといわれている〉とする箇所および〈訴訟を乱発〉とする箇所が名誉を毀損するものであるとし、さらに動画と静止画の掲載は肖像権を侵害するものであるとして提訴したのである。

揺らいでいた足元

 若干振り返ると、千葉が提訴したのは平成22年10月21日、「行動する保守」Aが「現職警察官による内部告発」があったという衝撃的な「新事実」を掲げ、「主権回復を目指す会」の西村修平、「在日特権を許さない市民の会」の桜井誠、右翼Mらを糾合して勇躍「朝木明代転落死事件の真相究明活動」に乗り出して約2年後である。その2年の間に、「行動する保守」Aが「内部告発」の内容を具体的に明らかにすることもなく、彼らのいう「真相究明」すなわち「朝木明代は万引き犯の汚名を着せられた上、自殺とみせかけて殺された」という事実の「真相究明」が進むことはまったくなかった。

「真相究明」ということでいえばむしろその後、「行動する保守」一行が各地で行った街宣活動に起因する多くの裁判によって、東村山市議の矢野穂積と朝木直子が平成7年の事件発生以来主張してきた「万引き冤罪説」と「他殺説」はあらためて否定された。つまり「行動する保守」一行の登場によって、明代の転落死が「万引きを苦にした自殺」であることがあらためて確認されたと考えるのが常識的な評価ではあるまいか。その意味でなら、「行動する保守」一行は「真相究明」に貢献したということもできよう。

 とりわけ重要な意味を持ったのが平成20年9月26日、千葉が最初に西村を提訴した事件である。矢野と朝木は西村を全面的に支援したものの、東京地裁は平成22年4月28日、〈明代には自殺の動機がなかったとはいえない〉と認定するなどして「万引きはでっち上げ」「明代は何者かによって謀殺された」とする西村らの主張を排斥、西村に対して10万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 以後、矢野と朝木が「行動する保守」関連裁判に外から明らかにわかる形で支援した例はない。「行動する保守」にこれ以上積極的に関わることはやはりまずいと判断したのではないかと私はみている。

「朝木明代は万引き犯の汚名を着せられた上、自殺とみせかけて殺された」などという主張は裁判所に通用しないことを確認したというだけでなく、〈明代には自殺の動機がなかったとはいえない〉と述べた東京地裁の認定は矢野と朝木にとっても大きな意味を持っていたのだろう。「自殺の動機」とは「朝木明代は万引きをした」という事実にほかならない。

 最初の裁判で西村は控訴したものの、控訴審弁論は1回で終結していた。本件の訴状提出から1週間後の平成22年10月28日、東京高裁は〈「被控訴人(筆者注=千葉)が、亡明代が万引きをしたという虚偽の事実をねつ造した」という余地はなく〉と認定するなどして西村の控訴を棄却する判決を言い渡している。当然、〈朝木明代さんの万引き事件、万引きをでっち上げたといわれている元千葉英司副署長〉などとする演説および記事が問題とされる本件裁判と無関係とはいえまい。

 本件裁判の第1回口頭弁論が開かれたのは平成22年12月10日である。つまり客観的にみて、この時点で西村は真実性の抗弁にあたってきわめて苦しい状況に立たされていたといえるかもしれない。

(つづく)

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西村・細川事件 第13回
変わり始めた人間関係

 裁判の進行とは別に、西村周辺の人間関係も注目された。第1回口頭弁論が開かれた平成22年12月10日、西村の支援に訪れた「行動する保守」一行の主要メンバーは右翼Mと「行動する保守」Aの弟子だけだった。弟子は一応「行動する保守」Aの名代とみなすことができよう。朝木事件をめぐりかつては西村や右翼Mとともに街宣に参加していた浦安の行政書士の姿はなかった。

 右翼Mは平成21年6月14日に行政書士と街宣車を使用して行った東村山街宣をめぐって創価学会から提訴され(以下=「東村山街宣事件」)、平成22年7月30日、行政書士と連帯して110万円の支払いを命じる判決を言い渡されていた(一審。この裁判で右翼Mは、裁判長の訴訟指揮を不服として裁判官の壇上に駆け上がり、裁判官専用のドアのノブに手をかけガチャガチャ開けようとするという珍しい事件を引き起こしている)。そのひと月後、右翼Mは矢野・朝木の政治的主張については相容れるものではないなどと、あえて必要もないと思われる主張をし、また相被告である行政書士についてもその活動姿勢に対する批判とも取れる記事を掲載している。

 当時、「行動する保守」一行の中で最も矢野・朝木と関係が深いとみられていたのが行政書士だった。110万円の支払いを命じられた東村山街宣に際しても矢野がなんらかのアドバイスをした形跡があった。本来なら最も信頼しなければならないはずの矢野・朝木と行政書士に対して右翼Mがこれほどあからさまに嫌悪感を表明するとはやはり一審判決後、彼らの関係、あるいは右翼Mの心境に何か重大な変化があったとみられた。

 右翼Mが矢野・朝木と行政書士への嫌悪を露にした原因は判然としないが、街宣をめぐる裁判で行政書士が右翼Mにすべての責任を押しつけるような主張をしたことと無関係ではないように思えた。つまり、本件裁判の第1回口頭弁論に行政書士が来なかったのはたんにスケジュール上の問題ではなく、右翼Mとの関係が悪化したことで「行動する保守」一行との関係も変わりつつあることを意味していたのかもしれなかった。

 その原因をたどれば、矢野と朝木が主張する「万引き冤罪説」と「他殺説」が裁判所に通用せず、彼らの主張と「行動する保守」Aが主張した「内部告発」を信じた「行動する保守」一行が相次いで損害賠償という形の現実的な責任を取らされる事態に陥ったという事実に行き着こう。

最初に消えた団体

 朝木明代の転落死事件をめぐる「行動する保守」一行の「真相究明活動」への現実的な行動および関与の度合いと団体間の関係性を計る上で参考になるのが、街宣のたびに彼らが掲げてきた横断幕(〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな! 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉と記されたもの)に記載された賛同団体の変遷である。

 平成20年9月1日に行われた東村山駅前街宣の際の協賛団体は「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」「主権回復を目指す会」「在日特権を許さない市民の会」「NPO外国人犯罪追放運動」の4団体だった。その後、平成21年2月4日の時点では上記4団体に「日本を護る市民の会」が加わり、期待でもされたのか、新参者でありながら筆頭の位置に記載されている。

 私が確認した限りにおいて、その後変化がみられるのは東村山街宣事件の一審判決後である。西村が千葉から提訴されていた最初の裁判の控訴審判決が言い渡された平成22年10月28日、西村は東京高裁前で街宣を行った。その際に掲示された横断幕からは行政書士を代表とする「日本を護る市民の会」が消えていた。

 行政書士は「行動する保守」一行の中では矢野・朝木と最も関係が深いとみられている。その人物が代表を務める団体の名前が運動を象徴する横断幕から最初に消えるというのも興味深い現象だった。街宣の主催者がなんらかの理由で横断幕にこの団体の名前があるのは不適切であると判断して一方的に削除した可能性もあるが、西村と元側近が提訴された裁判に行政書士が姿を見せなかったのは少なくともたんにスケジュール上の理由ではなかったということのようである。

変遷遂げた賛同団体

 平成22年12月10日に行われた本件の第1回口頭弁論時点での協賛団体にはさらに変化がみられた。横断幕から「在日特権を許さない市民の会」と「NPO外国人犯罪追放運動」が消え、「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」と「主権回復を目指す会」の2団体だけになっていた。

「NPO外国人犯罪追放運動」は「行動する保守」Aと関係が深いからまだしも、桜井誠の「在日特権を許さない市民の会」も朝木事件から手を引いたもののようである。桜井は平成20年9月1日の東村山駅前街宣の際、万引き被害者の店の前で誹謗中傷を繰り返した。いわば洋品店襲撃事件の主役の1人である。「行動する保守」全般にいえることだが、彼らは都合が悪くなると、説明もなしに何事もなかったように口をつぐむ傾向にあるらしい。誤りは誤りと認め、社会に対してきちんと謝罪もできないようではとうていまともな団体と認められることはあるまい。

 さて、朝木事件に関するここまでの協賛団体の変遷を改めて整理すると次のようになる。



(賛同団体の変遷=記載順)

平成20年9月1日

「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」 「在日特権を許さない市民の会」 「NPO外国人犯罪追放運動」

平成21年2月4日

「日本を護る市民の会」 「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」「在日特権を許さない市民の会」 「NPO外国人犯罪追放運動」

平成22年10月28日

「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」 「在日特権を許さない市民の会」 「NPO外国人犯罪追放運動」

平成22年12月10日

「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」 「主権回復を目指す会」



 賛同団体の変遷は「行動する保守」一行の朝木事件に対するスタンスを一定程度映し出していよう。その意味で妙に正直であるとは思うが、平成22年5月7日に千葉から提訴されていた「行動する保守」Aが平成22年12月10日の時点でなお賛同の意思を示していたことはさすがというべきだろうか。「内部告発があった」と公表し、「行動する保守」一行を朝木明代転落死事件の「真相究明」活動に引きずり込んだ責任を「行動する保守」Aなりに感じていたのかもしれない。

 右翼Mも同年12月21日に提出した東村山街宣事件の控訴理由書に期待を込めて次のように記載していた。



(右翼Mが提出した控訴理由書の記載)

筆者注=平成20年9月1日に行われた東村山街宣の)主催者の訴外瀬戸弘幸は演説の中で、「創価学会の関与は疑いの余地がない。警察関係者からの内部告発があった」、と断言している。

 当時の事件に関わった警察関係者が創価学会の関与を知っているものであるから、この警察関係者が真実を証言すれば、創価学会が殺害事件に関与したことは明白となる。

 しかしながら現在はまだ、当の警察関係者が公に証言を行うことを躊躇しているものと思われる。警察関係者からの綿密且つ、正確な情報収集と証拠が提出できれば、事件の真相が解明されることは間違いない。

 今現在、関係者を通じて警察関係者との交渉で調査・聞き取りを継続している。



 右翼Mから「内部告発」について聞かれた「行動する保守」Aはこう説明したのだろう。「行動する保守」Aの内心はともかく、横断幕から「行動する保守」Aの名前が消える理由はなかった。

 ちなみに「内部告発」について東京高裁は〈瀬戸弘幸が述べたとされる内容は伝聞にすぎず、「警察関係者」なる者がいかなる人物であるかも明らかにされていないのであるから、これをたやすく採用することはできない。〉と述べるなどし、右翼Mの上記控訴を棄却した。平たくいえば、「内部告発」は裁判所から相手にされなかったということである。

 なお本件裁判のその後の口頭弁論に横断幕の賛同者である「行動する保守」Aが1度でも傍聴に来たかといえば、ついに1度も姿を見せることはなく、弟子も最初の口頭弁論に来ただけだった。

(つづく)

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西村・細川事件 第14回
駐車場にも警備員を配置

 西村自身を含め「行動する保守」一行が相次いで敗訴、脱落していく中で注目されたのは、西村に対して反旗を翻した相被告の元側近との関係や代理人を含め、本件裁判で西村がどういう姿勢で臨むのかという点だった。

 元側近との関係については利害が共通する関係にあるから一時的にヨリを戻すこともあり得るとも思われたが、第1回口頭弁論前の段階で元側近が分離裁判を申し立てたことでその可能性はなくなったと判断できた。裁判所も「行動する保守」一行の特異性を考慮し、裁判を通じてとりわけ元側近と千葉の安全確保について万全の態勢を敷いた。

 たとえば裁判所は西村と元側近の口頭弁論期日を別々にした。また西村の弁論の際には法廷前だけでなく駐車場周辺にも職員を配置するという厳重な警備態勢を取った。裁判所の配慮の結果、裁判で元側近は西村と1度も顔を合わせることはなかった。

 なお元側近との分離裁判は西村の裁判が結審する以前に和解が成立している。西村も一応は和解協議の席に着いたが、千葉に対して「洋品店(万引き被害者)にはもう行かないこと」などというわけのわからない条件を提示した結果、決裂したという経緯がある。元側近との間で和解が成立したということは、少なくとも西村のようにまともな話し合いにもならないような対応はしなかったということと理解できる。

右翼Mのこだわり

 元側近との関係はともかく、自分自身を含め「行動する保守」が相次いで損害賠償を命じられる中、西村は具体的にどう応訴しようとしたのか。平成22年10月21日に千葉が訴状を提出した1週間後(同年10月28日)には、東村山駅前街宣をめぐって提訴されていた裁判の控訴が棄却された。

 第1回口頭弁論前日の同年12月9日、西村は答弁書を提出したが、答弁書には代理人の名前はなかった。西村は今後、自分で準備書面を作るのかと思われた。しかし、第2回口頭弁論でその推測が誤りだったことが判明する。準備書面を作成したのは西村本人でも弁護士でもなく、洋品店襲撃事件の主役の1人でもある右翼Mだったのである。

 右翼Mも千葉に対してはひとかたならぬこだわりがある。平成20年9月1日、万引き被害者の店に押し入ろうとした右翼Mは、「行動する保守」一行が嫌がらせに押しかけることを警戒して店内で待機していた千葉によって侵入を阻止された。右翼Mはどうもそのことを屈辱と感じ、根に持っていたらしい。

「情けない右翼」

 翌平成21年9月1日、右翼Mは東村山駅前で街宣を行った後、今度は1人で再び万引き被害者の店にやってきた(街宣には「行動する保守」Aも来ていたが、洋品店には近づかなかった=本ブログ「第2回朝木明代追悼街宣」参照)。この日も千葉は、「行動する保守」らによる襲撃に備えて店内で待機していた。千葉が目的を聞くと右翼Mは「買物に来た」とどうみても不似合いなことをいう。

 右翼Mは前年、万引き被害者に対して「万引き捏造は許さないぞ」などと誹謗中傷を繰り返した者たちの仲間である。そのとき「店に買物に来て何が悪い」と開き直った者もいた。しかし通常、買物に行くのにヘルメットをかぶり、手にはプラカードを持ち、ハンドマイクで怒鳴る例はあまりない。嫌がらせか襲撃と判断されよう。

 その際に110番され、排除された1人である右翼Mが再び店に現れれば、常識ではそれだけでお礼参りと判断されてもやむを得ない。客とはみなされないということである。だから「買物に来ただけだ」という右翼Mに対して千葉はいった。

「情けない右翼だな」

 右翼Mが仮に万引き被害者に対して本当に明代が万引きをしたのかどうかを確かめるために来たのなら、そういうべきだろう。しかし、「万引きをでっち上げた」と騒ぎ始めてから1年間、被害者に直接確認していなかったこと自体不可解というほかない。

 当事者に確認もしないまま「でっち上げ」と騒ぎ、店に来たかと思えば「買い物」というのでは「情けない右翼」といわれても仕方があるまい。それ以上に千葉は、右翼Mが情報の出所である東村山市議の矢野穂積を追及せず、弱者である店主に対してのみ言い掛かりをつけようとしていることを直感し、とっさに「情けない右翼」という言葉が出たのだろう。しかし千葉のこの一言は、右翼Mのつまらないプライドをさらに傷つけただけだったようである。

 右翼Mが創価学会から提訴されていた裁判の際には、右翼Mは傍聴に訪れた千葉をその場に居合わせた「行動する保守」数人とともに千葉を取り囲み、「情けない右翼とはどういうことか」と問い詰めた。その他の者も千葉に対して口々に非難の言葉を浴びせた。これが右翼Mの器量なのだった。こうした千葉との経緯と本件における準備書面の代筆は少なからず関係しているのではないかと私はみている。

 ところで、裁判所内で右翼Mが千葉をつるし上げる異常な光景を「行動する保守」Aもすぐそばで見ていたが、右翼Mとは無関係であるかのように傍観していた。関わりにならない方が賢明と判断したものとみられる。

 右翼Mによれば、右翼Mに東村山デマを信じ込ませたのは「内部告発があった」などと演説した「行動する保守」Aである。右翼Mの本心はともかく、本件の第1回口頭弁論の時点で横断幕(〈東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉)になお「行動する保守」Aの名前があるということは当然、その時点では一応まだ共闘の意思があったと理解すべきだろう。ただ「行動する保守」Aは横断幕から名前を外さなかっただけで、傍聴には1度も来なかった。そのことについて右翼Mや西村に何か思うところがあったかどうかは定かでない。

(つづく)

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西村・細川事件 第15回
ウェブサイトの責任を否認

 右翼Mが具体的な主張を示したのは第2回口頭弁論で提出した第1準備書面においてである。西村の主張を簡単に振り返っておこう。

 平成21年11月2日、私が西村を提訴した際に西村がさいたま地裁川越支部前で街宣活動を行い、千葉について次のように演説した。

〈朝木明代さんの万引き事件、万引きをでっち上げたといわれている元千葉英司副署長〉

〈訴訟を乱発して一国民に対して100万円を請求する元千葉英司副署長〉

 西村は演説した事実およびその内容については認めたものの、上記①②が名誉を毀損するものであるとする千葉の主張については以下のように否認した。



(西村の主張)

原告千葉が本謀殺事件の捜査の過程において、「万引き事件のでっち上げ」「強引なる自殺として処理」を行ったという疑惑はこの15年間に渡って広く世間に流布されていることである。

 しかしながら創価学会という国家権力に密着した巨大組織による巧妙なる隠蔽工作のために事実が立証されていないことも確かである。

 よって、被告西村は確定的言辞を避けて「万引きをでっち上げたといわれている元千葉英司副署長」と、発言しているものである。

原告千葉が「訴訟提起を繰り返している」と言うのは紛れも無い事実である。



 についての西村の主張は「断定表現ではないから名誉毀損ではない」というものである。しかし千葉が訴状で主張するように、〈創価学会の疑惑に沈黙するな 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉、〈祝! 千葉英司敗訴「万引き」はでっち上げ! 「自殺」は謀殺だった!!〉とする横断幕やプラカードが掲げられた中で行われたこの演説が一般聴衆にどう聞こえるだろうか。西村が主張するように、単純に「断定していないから千葉の社会的評価を低下させない」ということになるのかどうか。

 については、西村は〈訴訟を乱発〉をたんに〈訴訟提起を繰り返している〉という表現にすり替えている(まさか、特段の意図もなくこう主張したわけではあるまい)。2つの表現の意味がまったく異なるものであることは明らかである。

 またウェブサイトの記載について西村は、

〈「本件記述」に関して被告西村は一切の関与を行っていないし、このような記述をするように指示したこともない。〉
 
 と述べて掲載責任を否認した。元側近にすべての責任を押しつけたということである。普通、組織のトップなら、仮に具体的な指示をしていなくても部下の行為については最終的な責任を引き受けるのではあるまいか。

尋問の申し立てを撤回

 ウェブサイトの掲載責任がどちらにあるかは重要である。この点について西村と元側近の主張は真っ向から対立していた。裁判所としては名誉毀損以前の問題としてなんらかの判断をする必要があると思われた。そんな含みもあったのか、実質的に最後の口頭弁論となった平成23年9月8日の第5回口頭弁論で、裁判官は西村に対して元側近に対する尋問の必要があるかどうかと聞いた。すると西村は即座に、「元側近の人証を申請します」と答えた。

 西村としては当初から元側近の主張等を知りたいと何度も要求していたから、尋問を即答したのも当然と思われた。まさか、「尋問の必要はありません」と答えては足元を見られるような気がして、勢いで「申請します」と答えたわけではあるまい。

 その時点で元側近については和解で終結していた。元側近に対する尋問を行うということは相当の警備態勢を取る必要があるということである。それでも裁判所は西村の申し立てを受け入れた。

 もちろんその際には、元側近だけでなく西村と千葉に対する主尋問と反対尋問がそれぞれ行われる。当然、元側近に対しては西村だけでなく千葉からの反対尋問もあるから、西村にとって不利な供述が出てくる可能性もないとはいえない。そのことを双方了承し、尋問期日を平成23年10月27日とすることを確認した上、西村に対しては事前に陳述書を提出するよう申し付けて第5回口頭弁論は終了した。

 西村は同年9月28日に陳述書を提出した。ところが西村は陳述書で、元側近に対する人証申請を撤回したのだった。西村は冒頭、次のように述べていた。



 次回、10月27日に本人人証を行うとの事ですが、現在までの審理の状況を鑑みるならば、被告の立場から原告に対し尋問を行う必要性を見出せません。よって、下記の理由から裁判長は本裁判の訴えの取り下げを勧告することを要望します。



 自分から元側近に対する人証を申請しておきながら「本人人証を行うとの事ですが」とは、この右翼は何をいっているのだろうか。また西村は「原告に対し尋問を行う必要性を見出せません」というが、西村が最初に人証を申請したのは千葉ではなく元側近であり、この点も尋問を撤回する理由になっていないことが明らかだった。「取り下げ勧告の要望」については聞き流されるだけとみられた。

元側近との対決を回避

 どうやら西村は、元側近に対する人証を裁判官に聞かれて思わず「申請します」といったものの、とりわけ自分に有利な供述を引き出す根拠は持っていなかったようである。そうでなければ尋問を撤回する理由はないし、陳述書で元側近のことに一言も触れない理由もあるまい。

 流れで人証を申請したものの、冷静に考えれば、尋問によって西村が有利な状況を作り出せるとは考えられないことに気がついたということだろうか。あるいは本論とは別に、元側近の口から「主権回復を目指す会」代表・西村修平のこれまで知られていない内情が公表される可能性もあった。

 たとえば元側近が上申書で若干触れていた「公安調査庁から西村が毎月5万円を受け取っていた」という話や「以前、毎月高額な寄付をしていた女性がいた」という話、「行動する保守」の男女関係の話など――必ずしも積極的に公にすべきではない話が詳述される可能性もないとはいえない。どっちにしても、客観的にみて元側近を尋問することで西村にとって有利な材料を引き出せることは想定できなかった。

 こうして、当初は西村自身が積極的に申し立てたにもかかわらず自ら撤回を申し立てたことで本人尋問はなくなった。私には、西村が千葉の尋問からだけでなく元側近との対決からも逃げたように感じられた。

一足先に右翼Mの敗訴が確定

 尋問を避けることについては右翼Mも異論はなかったのではあるまいか。準備書面を作成してきたのは右翼Mである。この裁判の最大の争点である「千葉は万引き事件をでっち上げた(といわれている)」とする事実を立証するために西村(=右翼M)が乙第1号証として証拠提出したのは右翼Mが発行する「政経通信」第38号だった。

 しかしこのビラの記載はいうまでもなく「千葉は万引き事件をでっち上げた」とする事実の真実性・相当性を証明するものではない上に、すでに本件提訴の1年前に千葉から提訴され、右翼Mは一審(平成23年2月16日判決)、二審(平成23年7月20日判決)ともに10万円の支払いを命じられている。

 そのせいか右翼Mは本件で「千葉は万引き事件をでっち上げた」とする事実について真実性・相当性をいっさい主張しなかった。右翼Mとしても真実性・相当性で勝負するのは困難であることはわかっていたのだろう。

 本件事件はその後、西村との和解協議が決裂して平成23年11月24日、結審した。それから2週間後の12月8日、千葉が右翼Mを提訴していた裁判で最高裁は右翼Mの上告を棄却する決定を行い、右翼Mの敗訴が確定している。ほぼ同じ表現の演説と記事について右翼Mだけが敗訴するということは考えにくかった。

(つづく)

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西村・細川事件 第16回
真実性の立証をしなかった西村

 本件裁判の主な争点は以下の4点である。

争点①〈万引きをでっち上げたといわれている元千葉英司副署長〉との演説及び記載の名誉毀損の成否

争点②〈訴訟を乱発して一国民に対して100万円を請求する元千葉英司副署長〉との記載の名誉毀損の成否

争点③ 本件動画等の撮影・掲載についての西村の責任の有無等

争点④ みだりに自己の容貌等を撮影・公表されない人格的利益の侵害の成否

 これらについて東京地裁はどう判断したのか。

争点①〈万引きをでっち上げたといわれている元千葉英司副署長〉との演説及び記載の名誉毀損の成否

 この点について西村は、〈(千葉が)万引き事件をでっち上げたとの疑惑が立証されていないことも確かであったので、確定的言辞を避けて、「万引きをでっち上げたといわれている元千葉英司副署長」と発言した(断定していないから名誉毀損ではない)と主張している。これに対して東京地裁は次のように述べて名誉毀損を認定した。



(東京地裁の判断)

(演説)


 被告は、「祝! 千葉英司敗訴 「万引き」はでっち上げ! 「自殺」は謀殺だった!!」等と記載された本件看板を掲示した傍らで、本件演説を行ったものであり、……原告が万引きをでっち上げたとの事実を述べているものと受け取られるものと認められるから、被告の上記主張は、採用することができない。

(ブログの記述)

 本件記述においても……「限りなくでっち上げに近い」と表現しているが、その表現自体、断定に極めて近い表現を採用しているものである。しかも、本件記事は、「祝! 千葉英司敗訴 「万引き」はでっち上げ! 「自殺」は謀殺だった!!」等と記載された本件看板写真と共に記載されているものであり、……原告が万引き等をでっち上げたとの事実を述べているものと受け取られるものと認められるから、被告の上記主張は、理由がない。



 たんに「……といわれている」「限りなく……」などと表現を婉曲にしたとしても、一般読者や聴き手が事実であると受け取る可能性があれば、その表現は事実の摘示とみなされるということである。

 最高裁判例では、発言や記事が他人の名誉を毀損するものであっても①真実性・相当性②公共性・公益性があり、③人身攻撃に及ぶなど論評の域を逸脱していない場合には違法性が阻却される。では、争点①について違法性阻却事由はあったのかどうか。東京地裁は次のようにのべた。



(争点①についてのまとめ)

 万引きでっち上げ部分については、原告の名誉を毀損するものであり、真実性又は相当性の主張はないから、仮に公共性及び公益目的が認められたとしても、被告は、上記名誉毀損により原告に生じた損害を賠償する義務がある。



 西村は千葉から提訴された最初の裁判では数百枚の書証を積み上げたものだが、今回は尋問も撤回しただけでなく、相当性の主張さえしなかった。右翼Mとともに、東村山事件が実はどういうものだったのかを少しは理解したのだろうか。

争点②〈訴訟を乱発して一国民に対して100万円を請求する元千葉英司副署長〉との記載の名誉毀損の成否

 では〈訴訟を乱発して一国民に対して100万円を請求する元千葉英司副署長〉との記載についてはどうか。この表現について東京地裁は、事実認定の段階で次のように述べて名誉毀損性を認定している。



(名誉毀損の成否についての判断)

(この部分は)その文言自体から、一般聴衆に対し、原告が根拠が乏しい訴訟提起を繰り返していると印象付けるものであり、原告の社会的評価を低下させるものと認められる。



「訴訟乱発」や「濫訴」が名誉毀損に該当することについてはほかにも判例があるようである。その上で東京地裁は、千葉の提訴について次のように述べた。



(争点②に対する判断)

 原告の提起した訴訟の数及び結果からすると、原告が訴訟を乱発していると認めることはできない。

 かえって、上記事実によれば、原告が提訴した訴訟の数は確かに多いが、その一部勝訴の数、全面敗訴した事件における敗訴の理由を考慮すれば、原告は訴訟を乱発する人ではないことが認められる。

 仮に、被告がそのように信じたことについて相当性を主張しているのだとしても、上記事実のみからは、訴訟の乱発と信ずるについて相当な理由があるとは認めることもできず、他にこの点を認めるに足りる証拠はない。



 東京地裁はこう述べて、この点についても損害賠償責任を認定したのである。ちなみに「訴訟の乱発」については、千葉だけでなく私に対して向けられたものでもあった。

争点③ 本件動画等の撮影・掲載についての西村の責任の有無等

 西村はブログの記事についてはすべて元側近が勝手に掲載したもので、代表である自分には責任がないと主張している。一般社会ではあり得ないが、裁判所はどう判断したのか。東京地裁は撮影行為について〈被告の指示によるものと認められる。〉と撮影が西村の指示だったと認定した上で、掲載行為について次のように述べている。



(掲載行為に対する判断)

 掲載行為については、被告(筆者注=西村)の主張によっても、被告は、細川が本件団体名を冠した本件サイトを立ち上げ、本件サイトで動画配信等を行うことに同意していたものである。そして、……本件サイトへの掲載内容について、細川から一々事前に相談されることはなかったとしても、本件サイトに掲載された内容は、本件団体ないし被告の前日の川越支部前での活動を報告し、本件団体の政治的主張とも整合していたものである。さらに、本件動画及び本件写真の掲載は、平成22年12月4日まで続けられ、本件記事の掲載は、その後も現在まで続けられているものである。これらの事実及び弁論の全趣旨によれば、被告の上記主張は、到底採用することができない。



 ある団体が運営しているサイトの責任は、特段の事情がないかぎり、その団体の長にあるのが普通で、記事等の掲載に関して代表者である西村には責任があると認定した東京地裁の判断はきわめて常識的なものである。

(つづく)

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西村・細川事件 第17回
争点④ みだりに自己の容貌等を撮影・公表されない人格的利益の侵害の成否

 ここでいう「撮影」とは、私が西村を提訴していた裁判の際、さいたま地裁川越支部に入る私と傍聴に来た千葉を撮影したものである。その際の撮影行為の状況と態様について東京地裁は次のように認定している。



(撮影された状況と態様)

 原告は、持っていた鞄をかざして撮影を拒む意思を明示したが、撮影者である細川は、それを無視し、20数秒の間、原告を撮影し続けたことが認められる。



 千葉は憲法で保障された裁判の傍聴をするために裁判所を訪れたというだけでなく、細川に対して撮影を拒絶する意思表示をしていたことを東京地裁は認定している。その上で東京地裁は、本件撮影およびブログで公表した行為について次のように結論づけた。



(違法性の有無)

 本件動画の撮影行為は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないという原告の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法であると認められる。

 そして、このように違法に撮影された本件動画及び本件写真を、……本件サイトに掲載して公表する行為も、原告の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法であると認められる。



 こう述べて東京地裁は、本件演説とブログ記事による名誉毀損と動画等の撮影と公表行為の違法性を認定。名誉毀損に対する慰謝料については10万円、撮影と公表行為によって生じた損害に対する慰謝料として20万円が相当であるとし、西村に対して計30万円の支払いおよび、ブログ記事中、「これが限りなくでっち上げに近いことが判明されている」との部分について削除を命じたのである。

消えた「指導者」の名前

 判決が言い渡された平成24年1月26日、西村は右翼Mらとともに立川駅前で街宣を行った。裁判所には通用しない一方的かつ独善的な主張であっても、違法性がないかぎり、駅前で主張することは自由である。

 ところで、「行動する保守」Aが「現職警察官の内部告発」があったとして朝木事件の「真相究明」に乗り出して以後、彼らが街宣のたびに掲げる〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな! 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉と記載された横断幕に重大な異変があった。第1回口頭弁論の際には賛同団体として記載されていた(私が確認したかぎりでは、第3回口頭弁論が行われた平成23年3月3日時点でも同様)「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」の名前が白い塗料で塗り潰されていたのである。

 塗り潰されたその上には右翼Mの「政経調査会」と手書きで記載されていた。「行動する保守」Aの名前がいつ消されたのか、また西村と右翼Mが一方的に消したのか、あるいは「行動する保守」Aが消してくれるように依頼したのかなど詳細な事情はわからない。しかし、「真相究明活動」と称する一連の街宣活動を象徴する横断幕からこの愚かな活動を主導してきた「行動する保守」Aの名前が消えるとはただごととは思えなかった。

 少なくとも平成23年3月3日から平成24年1月26日までの間に、西村、右翼Mと「行動する保守」Aの間になんらかの異変があったものと理解できた。「行動する保守」一行の中の出来事を常識で推し量るのは至難の業だが、可能性として考えられるのは、「行動する保守」Aが平成23年4月20日に千葉との裁判で10万円を支払って和解したことだろうか。しかも「行動する保守」Aは同年4月7日に提出した上申書において、「現職警察官から聞いた」とする「内部告発」の内容が、実は「警察官から『そのような話を聞いた』という話を聞いた」という、どうしようもない与太話だったことを明らかにしていた。

 この裁判が始まった当時、右翼Mから「内部告発」の真相究明について聞かれた「行動する保守」Aは「関係者を通じて警察関係者との交渉で調査・聞き取りを継続している」と答えたらしい。右翼Mが上記上申書の内容を確認していたかどうかは明らかではないものの、千葉から提訴されていた「行動する保守」Aが「内部告発」の内容を明かにしないまま千葉の主張を丸飲みするかたちで和解した時点で、さすがの右翼Mも「行動する保守」Aに騙されていたことに気がついたということかもしれない。

 それでも平成23年3月3日の時点では横断幕に「行動する保守」Aの名前があったということは、少なくとも裁判開始からしばらくは、西村も右翼Mも「行動する保守」Aが「朝木明代謀殺事件の真相究明活動」の大きな支えになってくれるものと期待していたということなのだろう。「行動する保守」なりの信頼関係がまだあったことはよいが、残念ながらその信頼関係は嘘によって支えられていたことが上申書によって明らかになった。本件裁判に「行動する保守」Aが1度も顔を出さなかったことも理解できよう。

 西村と右翼Mが横断幕から「行動する保守」Aの名前を消したことには理由がある。西村と右翼Mが一方的に塗り潰したのか、あるいは「行動する保守」Aが離脱を通告したのか。いずれにしても西村・右翼Mと「行動する保守」Aの間になんらかの地殻変動があったとみるべきだろう。

 朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐり、「行動する保守」一行が矢野と朝木の主張する「万引き冤罪」と「他殺」のキャンペーンに乗り出した平成20年7月以来、〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな! 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明〉と記載された横断幕は常に彼らの街宣とともにあった。しかし、最盛期は5団体を数えた横断幕の賛同団体は徐々に減り、ついには旗振り役だった「行動する保守」Aの名前も消えてしまった。

 賛同団体の変遷、離合は「行動する保守」一行の朝木事件に対するスタンスと認識をそのまま映していよう。捜査を指揮した千葉が闘い続けた結果であると私は考えているが、いまだ横断幕に名前を残す右翼Mと西村は、社会的にみて特異な存在である「行動する保守」一行の中でも異質なのかもしれない。

西村が控訴

 なおその西村が平成24年2月8日、控訴状を提出したことがわかった。控訴審では今度こそ「千葉が万引きをでっち上げた」との事実について真実性・相当性を主張・立証するのか。また一審ではいったんは申請しながら撤回した千葉や元側近に対する尋問を再度申し立てるのか、注目されるところである。

(了)
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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第11回
色をなした朝木

 東村山署は朝木に対して再三事情聴取を要請したが、朝木はついに事情聴取に応じなかった。当時まだ学生だった弟が応じているというのに、朝木が応じないのはどういうわけだろうか。朝木は平成7年9月1日午後に、自宅にいた明代と電話で会話を交わすなど母親の近況を知っていたはずである。その朝木が警察に近寄ろうとしないとは不可解というほかない。

 朝木の警察に対する態度は9月1日午後10時ごろに1人で自宅に帰り、母親が自宅にもいないことを知った直後からややおかしかった。朝木は午後10時30分、自宅から再び矢野に電話し、「母は自宅にもいないから、母親に関して情報が入っていないか東村山署に聞いてほしい」と依頼したという。自分の母親のことを問い合わせるのに朝木はなぜ矢野に頼んだのだろうか。

『聖教新聞』事件で東京都代理人はこの点についても聞いている。朝木の供述をみよう。



東京都代理人  どうして、あなたが直接警察に電話しなかったんですか。

朝木  それはやっぱり、警察との間にいろんないきさつがありましたから、とりあえず、私は捜す側で、とにかく矢野さんを通して通報してもらおうというふうに、そのとき思いました。

代理人  あなたが、いろいろ警察とあったわけですか。

朝木  いや、私があったというよりも、今まで、たとえば家に放火、火をつけられて警察を呼んだときもそうですし、電柱にいろんな誹謗中傷の嫌がらせのビラを……貼られたときに警察を呼んだときもそうですし。



 朝木は「警察との間でいろいろいきさつがあった」から、警察への連絡を矢野に頼んだという。しかしそのとき朝木が母親は本当に何者かに襲われた恐れがあると感じたのだとすれば、過去の「いきさつ」などにこだわっている場合ではない。

 母親の命に関わる事態と考えているにもかかわらず、実の娘が警察との関係を優先したとはやはり何かよほど警察に連絡しにくい事情があったのだろうか。朝木が自発的に矢野に依頼したのだとすれば、自分で警察に連絡しにくかった事情とは、明代が東京地検から呼び出しを受けていたこと、またその日の午後に明代と電話で交わした会話の内容にあったのではあるまいか。松戸から帰る朝木を急かせたのも同じ理由によるのだろうと私はみている。 

 東京都代理人は朝木が自分で警察に電話しなかったことについてさらに聞いている。具体的な理由が聞けたわけではないが、続く尋問に朝木はなぜか強い拒否反応を示した。



東京都代理人  矢野さんはもっと、そういうふうな警察との関係があったんじゃないですか。

朝木  関係があった……。

代理人  あなたも警察に対していろんなごたごたがあって、直接電話するのはためらったわけでしょ。

朝木  ちょっと、どういう趣旨ですか。

代理人  あなたが直接警察に電話をしてもよかったわけですよ。矢野さんを介さなくても。

朝木  それは当然そうですよ。



 かつて朝木が警察との間で何か「ごたごた」があったとして、それが具体的に何のことを指しているのかについては私には知る由もない。しかし9月1日夜、朝木が警察に直接電話しなかったのはやはり、明代が行方不明であることについて何か心当たりがあったからであるとみるのが自然なのではあるまいか。

 仮に明代が午後9時19分に電話したあと、事務所に立ち寄っていたとすれば(もちろん千葉も私も、明代は午後10時前に事務所に立ち寄り、何らかの異変が起きて事務所を飛び出した可能性が高いとみているが)、朝木から午後10時に電話があった時点ですでに矢野は明代の異状を知っていたことになる。

 その前提に立てば、10時30分に事務所にも母親がいないことを確認し、これから警察に電話するという朝木を、矢野が「自分が電話する」といって思い止まらせたというのが事実だった可能性もないとはいえまい。朝木が警察に電話しようとしているのを矢野が「自分が電話してやる」といって思い止まらせたというよりも、朝木が矢野に依頼したという方がストーリーとしては自然で、その方が矢野の責任も軽減されよう。

 いずれにしても事実は、朝木は警察に電話せず、その直後には矢野も警察には電話をかけていない。しかし矢野も朝木も、10時30分過ぎに矢野が警察に電話をかけたことにしている。これが矢野の外部を巻き込んだ最初の隠蔽工作だった。

 矢野はなぜ10時30分に電話したことにする必要があったのか。明代が最後の電話をかけた午後9時19分から10時30分までの間に、矢野が警察に明代の安否を問う電話ができない原因となる明代に関わる何かが起きたとみるべきだろう。バッグが残された事務所でそれは起きたのではあるまいか。

食い違う弟の供述

 事務所で起きたこととは、万引き事件をめぐる、のちに明代がバッグを置いたまま裸足で事務所を飛び出すような異状事態であると千葉はみている。

 ところが矢野と朝木によれば、その夜に起きたのは「朝木明代が自宅から何者かによって拉致された」という事実であるという。もちろん彼らを含めて誰一人そのような現場を見た者はいないが、矢野と朝木によればその後、朝木の周辺では「明代が何者かに拉致された」ことを疑わせる出来事が相次いで起きたというのである。

 1つが深夜、朝木宅の近くで見張るように不審な車が停まっていたと矢野と朝木が主張していること。ただ、朝木宅は市道から私道を入った奥まった場所にあり、その不審車が停まっていた位置は市道を挟んだ斜向かいで、朝木宅に続く私道さえ見通すことはできなかった。

 矢野と朝木はこの出来事もまた「拉致」を疑わせる出来事であると主張しているのである。しかし不思議なことに、警察の事情聴取に応じた弟は、その夜、朝木宅の周辺では「何も変わったことはなかった」と供述したという。

 最も落ち着いた様子で聴取に応じていたのは弟だったらしい。再三の要請にもかかわらず、ついに1度も事情聴取に応じなかった朝木よりも、事情聴取に応じた弟の説明の方が信憑性があるのではあるまいか。

 矢野と朝木が主張するもう1つの「不審な出来事」は、「現場にもバッグの中にも鍵がない」とする事実である。ところがバッグについて弟は、「『バッグの中からなくなっているものは見当たらない』と(朝木から)聞いた」と供述しているという。

 ここまでの弟の供述で重要なのは、弟は周囲の状況から、明代が行方不明であることについてなんら事件性を感じてはいなかったということである。矢野と朝木だけが事件だと騒いでいたということになろうか。

 では、「バッグの中からなくなっているものはない」とすると、明代の転落現場から発見された鍵がその直前に存在していた場所はどこなのだろうか。裁判の行方が注目される。

(つづく)
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