ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第12回
「草の根」事務所の習慣

 朝木明代が転落死(万引きを苦にした自殺)を遂げた直後から、明代の万引き事件でアリバイ工作を共謀した東村山市議の矢野穂積と長女の朝木直子(同)が「なくなった」と騒いだ「鍵」をめぐる状況は本連載第3回~第11回までに述べてきたとおりである。これらの状況を総合すると、鍵が発見現場に移動する直前にあった場所は事務所のバッグの中だったと考えるのが自然なのではあるまいか。

 さらに矢野自身の記述が、明代の鍵が事務所に残されたバッグの中にあったのではないかとする推理を裏付けていた。当時の「草の根」事務所は、矢野か明代のどちらかが事務所にいる場合にはドアのロックを開けておく習慣だったようである。矢野は『東村山の闇』で次のように書いている。



九時過ぎて、私は、予定より少し遅くはなったが、その「自治会長会議」から「事務所」に戻ってきた。……「事務所」の前まで来ると明かりが点いている。彼女、原稿に奮闘中だな、と思って、ドアを開けようとしたが、開かない。カギが閉まっているので鍵を使ってドアを開けた。



 この記載の中で事務所に関しては、事務所に誰もいなかったこととドアがロックされていたことは事実である。矢野は「明かりが点いている」という理由で、事務所に明代がいると考え、そのままドアを開けようとしたと述べている。矢野がドアを開けようとするに至る一連の流れはきわめてスムーズで、まったくよどみがない。「草の根」事務所は、矢野か明代のどちらかがいる場合にはドアロックをしない習慣だったことがわかる。

 すると自殺当夜、明代が事務所に行き、その際すでに事務所に矢野がいたとすればドアはロックされてはいないから、明代は鍵を取り出す必要がない。そのとき、明代は鍵をバッグか上着のポケットに入れていたのだろう(まさか鍵を手に持って歩くことは考えられないから、その可能性は除外してよかろう)。

 事務所に入る際に鍵を取り出していないのなら、鍵はそのまま元あった場所にあるはずであるし、鍵が元あった場所とはすなわち明代が習慣的に鍵を入れていた場所であるとみて差し支えあるまい。明代が自殺を遂げた時点でバッグは事務所に置いたままで、転落した明代が鍵を所持していなかったことは証拠上明らかである(この点は矢野も認めている)。すると、明代の鍵が自殺現場に置かれる直前にあった場所として残るのはバッグの中ということになる。

 東村山署の事情聴取に応じた弟の供述によれば、「『バッグの中からなくなったものはない』と聞いた」という。この点からも、鍵は当初、バッグの中にあった可能性が高いのではあるまいか。

 明代の転落死に第三者が関与したとすれば、その第三者が明代の鍵をバッグの中から取り出した可能性もあろう。しかし捜査機関は、明代の転落死は自殺と結論付けており、第三者が関与した形跡さえうかがえない。一方で矢野は、事務所に帰ると明代のバッグが置きっぱなしになっていたとし、そのバッグの中だけでなく、財布の中まで覗き、金額まで確認するという異常な行動をとった事実がある。

 平成7年9月1日、明代は午後7時過ぎにバッグを持って自宅方面に歩いているのを目撃されており、矢野が事務所に戻った時間帯には、明代はまだ自宅から自殺現場周辺を独りで歩いていたことが判明している。この事実は、9時19分に明代が事務所に電話した際、「何者かに拘束され、強要されていた」とする矢野の主張、あるいは「自宅からの拉致説」を否定している。

 するとやはり、矢野が事務所に戻った時間帯に、明代のバッグが事務所にあったとみるのはきわめて不自然なのである。したがって、矢野が明代のバッグの中を覗いた時間帯はもっと後だった可能性が高い。

沈黙を破った矢野

 ところが矢野と朝木は、千葉が西村修平との裁判で鍵発見の状況を明らかにすると、西村に代わって反論した。朝木明代の自殺をめぐる「行動する保守」関連裁判で、これほど具体的かつ詳細に言及したのは初めてだった。それが本件で問題とされる記事である。問題となった記事を確認しておこう。



(記事1)

決定的事実がついに判明! ★副署長チバが、「自殺説」を自ら全面的に否定! そして「何者が何の目的で置いたか解明できていないが警察犬が帰った後に朝木明代議員の鍵束が置かれた可能性がある」(チバ陳述書)などとヌケヌケ言っているが、解明できるはずがないのだ! 唯一最大の殺害犯に直結する物証(鍵束)を、わずか1週間で単なる「遺失物」扱いで遺族に返している!捜査をする意思のなかった何よりの証拠だ。
……

 なぜ副署長チバは、捜査をしなかったか!? ……副署長チバ、もう逃げ口上は無理なのだよ。

(記事2)

元副署長チバが、決定的事実を認める!  ★「警察犬が帰った後に朝木明代議員の鍵束が置かれた可能性がある」(チバ)⇒チバ「自殺説」を自ら全面的に否定! ★決定的事実を知りながら、なぜ、今まで一度も公表しなかったか !! ⇒ 証拠事実の隠匿は明らか!  ★やはり知っていた! ⇒「自殺説」を木っ端微塵にし、高裁7民判決も吹き飛ばし、殺害事件を決定付けた重大自白。▼副署長チバは、捜査責任者として詳細を全面自供し事実隠匿の責任をとりなさい! ▼警察内部からの事件捜査関係者の告発を、強く呼びかけます。



 明代が自殺を遂げた夜の鍵をめぐる客観状況をふまえて本件の記述を読むと、あらためて矢野がいかに「他殺」の結論を急ぎ、鍵を置いたのが「殺人犯」であると宣伝しようとしているかがよくわかるのではあるまいか。矢野は自殺現場から発見された鍵について「殺人の証拠」と位置付けている。言い換えれば、鍵を置いたのは自分ではないと主張しているに等しい。

 千葉が鍵の発見状況を公表したことによって、明代の鍵を転落現場に運んだのが明代以外の人物であることが特定された。しかし矢野がここで主張するように、明代の鍵を現場まで運んだ人物が明代の「殺害犯人」といえるかといえば、「殺害犯人」がわざわざ関係者が鍵を捜している時間帯に現場に舞い戻り、おしぼりの間に押し込むといったリスクを侵すとは思えない。そもそも隠蔽すべき「殺人事件」そのものが発生していない状況下において「鍵発見の事実」は「殺人事件の証拠」ではあり得ない。

 まして「おしぼりの間に入っていた」という発見状況を公表していなかったからといって、千葉が「殺人事件の証拠である鍵発見の事実」を隠匿し、それによって「殺人事件」を隠蔽したと断定するのはやや無理があるのではあるまいか。

(つづく)
TOP
朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第13回
食い違う「摘示事実」

 千葉は問題の記事について、〈捜査責任者である原告が、亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿したとの事実を摘示し、一般読者に対し、本来は適正な捜査をすべき立場の原告が亡明代殺害の証拠を隠匿したと認識させ、原告の社会的信用及び評価を低下させた〉として平成23年5月13日、提訴した。

 千葉のこの主張は、発見された鍵は「亡明代殺害の証拠ではない」(=「明代の転落死事件は殺人事件ではない」)というのが前提である。殺人事件でもない事件において発見された鍵が「明代殺害の証拠」となることはあり得ないし、発見状況を公表しなかったからといってそれが「殺害の証拠を隠匿」したことにならないのはいうまでもあるまい。

 千葉の提訴に対して矢野と朝木が平成23年7月1日付答弁書で行った主な主張は以下のとおりである。



1 名誉毀損性

①本件記事は、朝木市議の転落死に関する東村山署の捜査について、一定の証拠に基づき疑問を呈したものに過ぎず、人身攻撃に及ぶなど、論評としての域を逸脱したものではない。……仮に……東村山署の副署長である原告の公的な言動に関連する部分が含まれていたとしても、原告に対する名毀毀損には、該当しない……

②本件記事は、朝木市議の転落死に関する東村山署の捜査について、東村山署元幹部の原告千葉が事件発生後14年を経て初めて公表した東村山署の「捜査結果」に基づき疑問を呈したものに過ぎず、人身攻撃に及ぶなど、論評としての域を逸脱したものではない。



 公的機関やその職員である場合、その判断や処分が社会の評価にさらされるのは当然であり、批判や非難に対する受忍の限度は私人よりも高くなる。しかも矢野は千葉に対する人身攻撃はしていないとして名誉毀損性がないと主張していた。矢野の上記の主張が認められれば、真実性・相当性に関係なく、千葉の請求は棄却されることになる。

 名誉毀損性がない理由として矢野と朝木は、「本件記事中には、『原告千葉が鍵束を発見した事実を隠匿した』などとは記述していない」とも主張している。

 記事で矢野と朝木が記載している文言は〈証拠事実の隠匿は明らか!〉〈元副署長チバは、捜査責任者として詳細を全面自供し事実隠匿の責任をとりなさい!〉で、確かに「原告千葉が鍵束を発見した事実を隠匿した」とは記述していない。しかし、千葉が主張している摘示事実は〈亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿したとの事実〉あって、矢野と朝木が主張するようにたんに「鍵束を発見した事実を隠匿したとの事実」ではない。

 矢野と朝木が上記記載の中で記述する「証拠事実」あるいは「事実隠匿」とは、「鍵が警察犬が帰った後におしぼりの中に置かれたという事実」であり、その事実を隠匿したという趣旨である。つまり「鍵が警察犬が帰った後におしぼりの中に置かれたという事実」とは、矢野と朝木の主張においては「明代が殺害された証拠」である。

 するとやはり、矢野と朝木が記載した「証拠事実の隠匿」「事実隠匿」という文言は「明代が殺害された証拠の隠匿」ということであり、それこそが摘示事実ということになるのではあるまいか。矢野と朝木がここで千葉の主張として「鍵束を発見した事実を隠匿した(と記述している)」としているのは単純な事実誤認によるものか、あるいは意図的に摘示事実を自分たちの都合のいいようにすり替えたのだろうか。

 その延長線上で、矢野と朝木は次のような求釈明を行っている。



(求釈明)

 原告千葉は、「原告千葉が鍵束を発見した事実を隠匿した」との事実を被告両名が摘示したというが、被告両名は、原告千葉が「鍵束を発見した事実を隠匿した」などという事実を摘示したことも、主張したこともないので、本件記事が摘示したとする具体的事実を明らかにされたい。



 そもそも千葉は、矢野と朝木が「千葉は亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿した」という事実を摘示したと主張しているのであって、「原告千葉が鍵束を発見した事実を隠匿した」との事実を摘示したと主張しているのではない。矢野は千葉の上記主張のうち、「亡明代殺害の証拠である」との部分を見落としたのだろうか。

「趣旨」から「証拠隠匿」部分を除外

 したがって、本件記事に名誉毀損性があると認定された場合の真実性・相当性の立証対象は〈亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿したとの事実〉であると思うが、立証対象についても矢野と朝木の主張は食い違っていた。



2 立証対象(事実摘示か論評か)

抗弁の立証対象は、「朝木明代議員の鍵束は、……おしぼりの間に入れられて発見された……」などとする東村山署による「捜査結果」を……原告千葉自身が……公表したという事実であり、その事実は明らかである。



 矢野と朝木は本件記事の趣旨について次のように述べる。



(矢野と朝木が主張する本件記事の趣旨=要旨)

 事件発生当時の東村山副署長だった千葉は、事件から14年後になって、明代の鍵は現場検証後に置かれたものであることを明らかにしたが、何者が何の目的で置いたかは解明できていないといっている。これによって朝木明代は何者かによって殺害された疑いが強いという決定的事実が判明したが、鍵に関する捜査は尽くされておらず未解明であって、東村山警察の捜査は不十分だ。



 確かにこれなら立証対象は矢野と朝木の主張するとおりだろう。彼らの主張が認められるとすれば、問題の記述は事実摘示ではなく論評ということになるのかもしれない。

 しかし矢野と朝木が述べる「趣旨」は部分的なもので、〈証拠事実の隠匿は明らか!〉〈副署長チバは、捜査責任者として詳細を全面自供し事実隠匿の責任をとりなさい!〉との箇所が主張する趣旨(千葉が主張する「千葉が亡明代殺害の証拠である鍵束を発見した事実を隠匿した」=「殺人事件を隠蔽した」という事実摘示)が含まれていないのは不可解である。矢野は立証対象をはぐらかすために千葉に関する記述部分にあえて触れなかったように思えてならない。

 答弁書における矢野と朝木の主張は大要、①記事は捜査機関の結論に対する論評で個人攻撃はしていないから名誉毀損性がない②千葉の主張する「摘示事実」自体が誤っている(そのような記載自体がない)から訴えの根拠がない③記事は論評であり、名誉毀損性があった場合の真実性・相当性の立証対象は「千葉が鍵に関する新事実を公表した事実」である――ということらしい。いずれにしても、そう簡単に噛み合ってくれるような相手ではないのである。

(つづく)

TOP
朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第14回
恣意的私見を「公的文書」扱い

 矢野と朝木は答弁書で本件記事には名誉毀損性がないなどと主張するとともに、朝木明代の転落死は「自殺」ではないとして彼らなりの一応の根拠らしきものを提示した。その1つが明代の司法解剖鑑定書に記載された上腕内側部の皮下出血の痕に関する法医学者の「鑑定」結果である。矢野は答弁書で次のように記載している。



(答弁書の記載)

 ……東村山警察署長の捜査終結発表、また東京地検による不起訴処分の発表の段階では、司法解剖鑑定書が作成されていなかった。このため、執刀後4年半たって初めて、同司法解剖鑑定書が公表された後に、法医学の専門家(山形大学名誉教授鈴木庸夫氏)から、同司法解剖鑑定書の記載内容に基づき、朝木明代議員は殺害された可能性が高いとの鑑定意見(以下=「鈴木鑑定書」)が提出されている。



 いっさい予備知識のない者がこの記載を素直に読むと、「鈴木鑑定書」は司法解剖鑑定書の作成が本来作成すべき時期から4年半も遅れたために特別に作成されたもので、あたかも同教授の鑑定が公正性、公平性において一応の信頼性を備えた結論であるかのように錯覚してもおかしくない書き方である。矢野の説明が事実なら、「鈴木鑑定書」は「自殺」という捜査機関の結論を覆すものと言い換えてもよかろう。

 矢野は捜査機関が「自殺」とする結論を出した時点ではまだ司法解剖鑑定書が作成されていなかった、だから捜査機関の結論は客観的根拠に基づくものであるとはいえない、または裏付けが不十分だったといいたいようである。しかし現実には、「鈴木鑑定書」によって捜査機関の結論が覆ったという事実はないし、揺らいでさえいない。

 司法解剖には千葉の部下も立ち会っており、解剖医から直接所見を聞き、司法解剖立会い報告書として東京地検に送致した。報告書の内容は当然「事件性がない」というものであり、司法解剖鑑定書の見解と一致している。

 したがって、司法解剖鑑定書の作成が地検の結論よりもあとだったとしても、「自殺」の結論が客観的根拠に基づかないものだったとはいえず、捜査が不十分だったなどということにもならない。司法解剖鑑定書の作成時期が捜査機関の結論に影響することはないのである。矢野は「鈴木鑑定書」によって捜査機関の結論が覆ったかのような印象を与えるために、司法解剖によって死因を特定する行為と、それに基づいて書類を作成する行為をあえて混同しているように思える。

矜持を捨てた法医学者

 そもそもここで矢野がいう「鈴木鑑定書」が作成されたことは捜査機関の捜査手続きとは何の関係もない。「鈴木鑑定書」が作成されるそもそものきっかけは矢野と朝木の著書『東村山の闇』の記述をめぐり千葉から提訴されたことだった。

 矢野と朝木は『東村山の闇』で、東京地検の「万引きを苦にした自殺」とする結論の後に作成された司法解剖鑑定書が明代の上腕内側部に皮下出血の痕があったと記載していた事実を「新証拠」であるとし、その皮下出血の痕は第三者によって掴まれた痕であり、すなわち明代の転落死は「自殺」ではなく「他殺」であると主張していた。つまり『東村山の闇』における矢野と朝木の主張はまさに、「新証拠」によって捜査機関の結論が覆されたとするものだった。これは同時に、東村山署と捜査責任者である千葉はまともな捜査をしていないと主張するものでもあった。

 千葉から提訴され、「上腕内側部の皮下出血の痕」が第三者から掴まれた痕であることを裏付ける必要があると考えた矢野と朝木は、彼らの主張を裏付けるために鈴木教授に司法解剖鑑定書に対する意見を依頼したのだった。こうして平成18年8月20日提出されたのが鈴木教授による「意見書」だった(この段階ではまだ「鑑定書」ではない)。

 矢野の答弁書の記載では鈴木教授も当初の司法解剖と同様の資料によって死因を追及したもののように聞こえるが、もちろん鈴木教授が実際に明代の遺体を直接見たことがあったわけではない。この時点で依頼した朝木が鈴木に与えたのは司法解剖鑑定書と警察医による死体検案書だけである。

 東京都が提出した司法解剖鑑定書には鮮明な遺体の写真が添付されていたが、矢野がこれを別件で裁判所に提出した際、明代の遺体の写真はなぜかきわめて不鮮明なものとなっていた。これには矢野なりの理由があるとみられるが、裁判所にだけ不鮮明なものを提出する理由は考えられないから当然、鈴木教授に与えたのも同じ不鮮明なものだったのだろう。
 
 つまり鈴木教授が最初に明代の死因に関する意見を求められた際、その判断基準となったのは、第三者の関与が疑われるなどとはいっさい記載されていない司法解剖鑑定書とそれに添付された内出血の状態や形状がどんなものか正確に判断できないようなきわめて不鮮明な写真のみだった。ところが鈴木教授は明代の「上腕内側部の内出血の痕」について、「救急隊員ではない第三者によって揉まれた可能性が高い」と結論付けたのだった。

 山形大学の名誉教授ともなると、遺体を直接解剖した法医学者がなんら言及していない点にまで踏み込むことができるのだろうか。あるいはいかなる理由によってか、この法医学者は科学者としての矜持を捨てたのだろうか。

相手にされなかった名誉教授

 これに対して東京地裁は、「上腕内側部の皮下出血の痕」について鈴木が「第三者に揉まれた可能性が高い」と結論付けたにもかかわらず、〈上記の皮下出血がいつ生じたかについては、これを正確に認定するに足りる証拠はなく〉と述べ、鈴木の意見に安易に同調しなかった。常識的かつ客観的な判断といえた。

 ところがこの東京地裁の認定は鈴木の山形大学名誉教授のプライドをいたく傷つけたらしかった。敗訴した朝木は鈴木に正式に鑑定を依頼する。今度は現場の写真や救急隊員の陳述書、防衛医大医師の陳述書なども鑑定資料として追加した。

 鈴木はこの要請を受諾し、明代の上腕内側部の皮下出血の痕について「第三者から掴まれたと判断するのが最も合理的」であると正式に「鑑定書」を作成したのである。名誉教授のプライドからも、鈴木が感じている依頼人の希望からも「意見書」と異なる結論はあり得なかったと思う。

 しかし東京高裁は、鈴木の皮下出血の痕についての「鑑定」結果には一言も触れず、わずかに一般論として上腕内側部に皮下出血があった場合には他人と争った可能性が疑われると述べた部分を採用したのみだった。

(つづく)
TOP
朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第15回
晩節を汚した名誉教授

 矢野が答弁書であたかも公的判断であるかのように記載した「鈴木鑑定書」については他の裁判でも信憑性を否定する判断が示されている。参考までに紹介しておこう。



(インターネット「東村山市民新聞」事件・平成21年1月29日東京高裁判決)

 控訴人ら(矢野・朝木)は、司法解剖鑑定書記載の本件損傷の存在により本件転落死が他殺であることが推認されると主張する。

 しかしながら、司法解剖鑑定書には、本件損傷が他人と争ってできた可能性があることをうかがわせる記載はなく、本件損傷の存在からは、鈴木医師の意見書に記載されているとおり、その生成原因として、明代が他人ともみ合って上腕を強くつかまれた可能性があることが認められるだけであり、明代が他人に突き落とされて本件転落死したことまで推認できるものでないことは明らかである。

――中略――

 司法解剖鑑定書の記載に加えて、……明代の転落前後の状況(明代が転落前に人と争った気配はないこと、明代が転落後に意識があるのに、救助を求めていないこと、明代が落ちたことを否定したこと、明代が転落箇所から真下に落下していること等)を併せ考慮すると、明代が他人に突き落とされたもの(他殺)ではないことがうかがわれる。

 以上によれば、本件転落死が殺人事件であると認めることは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。



 矢野と朝木はこの判決を不服として上告したが、その際、朝木は鈴木に対してさらに控訴審判決に対する反論を要請。鈴木は「鑑定補充書」(以下=「補充書」)を作成したものの、上告受理申立はあえなく棄却されている。最高裁は「鈴木鑑定書」および「補充書」によっても、上腕内側部の皮下出血の痕について「他殺」の証拠とは認めなかったものとみられた。

 最高裁の具体的な判断内容はわからないが、西村修平との裁判では西村側の書証として「補充書」が再度提出されている。東京地裁立川支部は「明代には自殺の動機がなかったとはいえない」と認定した判決の中で「補充書」の内容について次のように認定している。



(西村修平事件における「補充書」に対する東京地裁の認定)

 鈴木教授は、……平成18年8月20日付け意見書において、「転落現場で救急隊により担架に乗せられる際、両腕を揉まれた可能性の他、他人と揉み合って上腕を強く揉まれた可能性も推認できる。」旨の意見を述べていたところ、同人の平成20年5月26日付け鑑定書においては、「左右上腕の皮下出血部は、その位置は、いずれも、自分の手の届く範囲であるが、正常の人なら、自分の上腕内側を自分で皮下出血が生ずるほど強く掴まなければならない様な事態が生ずることはあり得ない。」などと述べ、さらに本件鑑定補充書においては、「朝木明代殿が仮に自殺しようとして、正常な状態でなかったとしても、この左右上腕の皮下出血は自分で掴んで生じた可能性はない。」などと述べるに至ったものであるから、鈴木教授の意見の内容には変遷があり、しかもその変遷に合理的理由があるとは認められない。……本件上腕部内側の皮下変色部が亡明代と他人が争った際に生じたことが最も考えやすいとする本件鑑定補充書の記載は採用することができない。



 さらに東京高裁は、現場の状況、自殺前の明代と自宅の状況などから〈この転落状況が計画的な殺害によって生じたというのは困難である、といわなければならない。〉と総合的な判断を示した上で、〈鈴木教授の意見をそのまま採用するのは困難といわざるを得ず〉として「補充書」の見解を排斥している。

 重要なのは、この判断の基準となっているのが司法解剖鑑定書の記載と東村山署の捜査結果であるということである。いずれの裁判所も司法解剖鑑定書の記載内容に信頼を置いているのに対し、鈴木教授の「鑑定」は個人の見解程度にしか扱っていない。「鈴木鑑定書」の内容がその程度のものでしかないということでもある。「鈴木鑑定書」があたかも公的鑑定であるかのような答弁書における矢野の書き方がいかに狡猾なものであるかがわかろう。

重要視されていない「上腕内側部」

 これに対して千葉は、平成21年7月1日付準備書面で名誉毀損性に関してすべて争う姿勢を表明し、平成23年9月6日付準備書面では矢野が主張する「他殺の根拠」に対する反論を行った。その中で千葉はまず、別件裁判で矢野が提出した司法解剖鑑定書に添付された明代の遺体の写真(鑑定医が死因の判定にあたって重要と判断したとみられる部位別写真)が不鮮明に加工されていたことを指摘した上で次のように主張している。



(矢野と朝木が主張する「他殺の根拠」――上腕内側部の皮膚変色痕に関する「鈴木鑑定書」に対する反論)

 被告らは、……法医学者の鈴木氏が、司法解剖鑑定書の記載内容に基づき亡明代は殺害された可能性が高いと鑑定したと主張する。しかし、被告らが鈴木氏に提供した司法解剖鑑定書添付写真は、……被告らが、皮膚変色痕の位置及び形状が視認できないように不鮮明に加工したものである。さらに、司法解剖鑑定書の本文には、亡明代が殺害されたことを示唆する記述は一切ないこと、さらに亡明代の両上肢がどのような態様で何に接触し、又は衝突したかを確定する証拠は一切ないのであるから、このような証拠関係において、鈴木庸夫氏の意見に信憑性はない。



 司法解剖鑑定書が初めて公にされたのは朝木直子が転落した明代の救急搬送を行った救急隊(東京消防庁)を提訴した、まれにみる悪質な裁判においてである。千葉は後日、当時の事件記録を閲覧した。

司法解剖鑑定書に添付された写真は以下の16葉である。

1 顔面の状態
2 胸腹部の状態
3 背面の状態
4 右胸腹部の損傷
5 右腰部、右臀部及び右大腿部の損傷
6 頸椎の損傷
7 右肋骨前面の骨折の状態
8 左肋骨骨折の状態
9 右肋骨背面の骨折の状態
10 肺損傷の状態(矢印)
11 下肢の状態
12 左足部内側の損傷
13 左脛骨及び腓骨の骨折
14 右下腿部の縫合創
15 右足背部の損傷
16 右腓骨骨折

 東京都が提出したこれらの写真はすべてきわめて鮮明で、内出血の形状、位置が確認できるものだった。司法解剖鑑定書において上記16葉の写真はいずれも死因を判断する上で重要な部位であるとみられるが、この中には「上腕内側部」は含まれていない。解剖医は鈴木教授と異なり、死因の判断にあたって「上腕内側部の皮下出血痕」が重要とはみなしていなかったことがうかがえた。

「上腕内側部の皮下出血痕」に関する矢野と千葉の主張のどちらが客観的かつ正当であるかはすでに明らかだった。

(つづく)

TOP