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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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第2次「行動する保守」事件 第2回
2つの答弁書の共通点

 6月5日に第1回口頭弁論を迎える本件裁判は、平成24年5月18日付で「行動する保守」Aから答弁書が提出されている。またその1週間後に第1回口頭弁論が開かれる私が「行動する保守」Aを提訴していた裁判も、「行動する保守」Aが平成24年5月25日付で答弁書および証拠説明書ならびに乙第1号証~乙第3号証を提出している。

「行動する保守」Aのそれぞれの主張内容についてはあらためて詳述しようと思うが、2つの裁判の答弁書には微妙な共通点があった。1つは、答弁書はいずれも「行動する保守」A名義であること。当然、書類の送達場所も「行動する保守」Aの事務所となっており、どちらも代理人の名前は記載されていない。

 いずれも第1次裁判では答弁書の段階で代理人(弁護士)名義となっていた。つまり現段階で、「行動する保守」Aは代理人をつけていないということであると理解できた。

 2つ目の共通点は、千葉に送付された答弁書と私のもとに届いた答弁書の書式、および末尾の結び文句などがきわめて似ており、同一人の手によるものとみられることである。被告が同じなのだから当たり前だろといわれるかもしれないが、かつて「行動する保守」Aが提出した陳述書の文体との間に共通点はうかがえない。すなわち、もちろん是非をいうものではないが、2つの答弁書は「行動する保守」A以外の同一人が作成したものではないかと推測されるのである。

 なお、私のもとに送付された乙号証にはワープロ文字ではない手書き文字で「乙第○号証」と記載されている。その筆跡は、気のせいかもしれないが、かつて私が浦安の行政書士を提訴した際に送付された乙号証の手書き文字に酷似していた。

(「第1回口頭弁論後」に続く)
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第2次「行動する保守」事件 第3回
 東村山警察署元副署長、千葉英司が「行動する保守」Aを提訴していた裁判は平成24年6月5日、東京地裁立川支部において第1回口頭弁論が開かれた。「行動する保守」の重鎮が提訴された裁判とあって、裁判所は法廷および周辺に特別な警備態勢を敷いていた。もちろん目的は、すでに再三起きている「行動する保守」一行による当事者や傍聴人、さらには裁判官に対する威圧行為や暴力沙汰を未然に防止するためである。

 私は開廷15分前に法廷前に着いた。法廷前にはすでに6、7名の公安が立っており、奥の待合スペースを見ると「行動する保守」A本人とその弟子、それに支援者らしき人物が1名静かに座って開廷時刻を待っている。この日も「行動する保守」関連裁判の通例で、開廷5分前にならないと入廷が許可されないようだった。

 入廷が許され、法廷に入るとすでに裁判長が着席していた。定刻に開廷。裁判長はこれまで双方から提出された書類を確認していく。千葉から訴状の陳述。「行動する保守」Aから答弁書の陳述。さらに千葉が第1、第2準備書面を提出し、陳述が認められた。千葉は訴えの変更(4点の訴因の追加)を申し立てたが、これについては今回は陳述扱いとはならなかった。
 
 千葉の第2準備書面は6月5日付で、この日に提出されたが、書記官が「行動する保守」Aに書面を手渡した際、私にはちょっとした驚きがあった。書面を受領する際に受領印を求められた「行動する保守」Aは印鑑を取り出したが、その長さたるや、通常の認め印の2倍はあろうかというりっぱなものだったのである。

 私も千葉も印鑑としては初めて見るサイズで、威圧感十分だった。ちなみに千葉の認め印はごく普通サイズで印影は直径10ミリ。「行動する保守」Aのそれは直径21ミリで、印鑑のサイズにおいては「行動する保守」Aが圧倒していた。

 第1回口頭弁論は千葉の主張の確認をした以外は書面の確認だけで終了し、第2回口頭弁論は7月12日午後1時30分と指定された。裁判官は「行動する保守」に対して次回期日の1週間前までに反論を提出するよう求めた。なお、有名な重鎮の裁判であるにもかかわらず、弟子ら2名以外に支援者は最後まで姿をみせなかった。

和解で削除した文言を再び記載

「行動する保守」Aが提出した答弁書にも法廷で目撃した重厚な印鑑が押してあった。では中身はどうか。答弁書における「行動する保守」A(名義の)の反論をみよう。

 千葉は訴状で、平成23年9月1日付〈故朝木明代東村山市議殺害事件 16年目の命日を迎えて〉において、「当時捜査に当たった人物がその後もこのように執拗にこの事件に関わっている異常性を私は不気味に感じる」「『大嘘つきの千葉英司元副署長』」などの表現は「原告は異常で大嘘つきであると主張し、原告を侮辱するものである」と主張している。

 この点について「行動する保守」Aは次のように反論している。



(「侮辱」部分に対する反論)

「執拗にこの事件に関わっている異常性」とは、原告千葉を「異常な人物」と断定して人格攻撃しているのではなく、原告千葉の「朝木関係者」に対する提訴の多さが、度を超えた状態であることへの正当な意見又は論評であって、侮辱にはあたらない。



 仮にこの文言が千葉を「異常な人物」と断定するものでなかったとしても、「行動する保守」Aはこの文言について千葉の提訴が濫訴であると論評したものであると主張しているとも理解できる。とすれば、もちろん「濫訴」を行っているのは千葉だということになるから、この文言が直接的に千葉の人格攻撃をしたものではないと評価されたとしても、やはり千葉の社会的評価を低下させるものであることに違いはないといえるのではあるまいか。

 もっと問題なのは「『大嘘つきの千葉英司元副署長』『大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議』『千葉の虚言発言』との文言は削除しません。」と記載した箇所である。「『大嘘つきの千葉英司元副署長』『大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議』『千葉の虚言発言』」との文言はそもそも平成23年9月1日付記事に記載されており、第1次裁判の際に削除要求されていたものだった。

第1次裁判で「行動する保守」Aは千葉の請求に対して陳述書で「『大嘘つきの千葉英司元副署長』『大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議』『千葉の虚言発言』との文言は削除しません。」と主張した。しかし和解協議において代理人は千葉の請求を受け入れ、和解調書にもこれらの文言を削除することが明記され、実際に平成21年7月13日付記事から削除されたという経緯がある。

 ところが「行動する保守」Aは、すでに記事からは削除された文言を、陳述書を公表するというかたちで再び掲示したのである。いかなるかたちであろうと、不特定多数の読者に向けて千葉を「大嘘つき」と呼んだことに変わりはなく、しかも「削除しません」と記載している。意図的であるとすればきわめて悪質であり卑怯であるというほかない。

 その上で「行動する保守」Aは、いったんは和解条項に従って削除したにもかかわらず、今回の答弁書では「侮辱には当たらない」などと主張していた。やっぱり削除は悔しかったということなのだろうか。

 余談だが、第1回口頭弁論で「行動する保守」Aから乙号証が提出されたが、その手書きの筆跡は私が受領した乙号証の筆跡と同一であり、やはり千葉が浦安の行政書士を提訴した際の乙号証の筆跡に酷似していた。「行動する保守」の結束は固いというべきか、あるいは複雑に入り乱れた難解な人間関係というべきなのだろうか。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第4回
聞き間違えた「行動する保守」A

「行動する保守」Aは、千葉に対する「大嘘つき」などという子供じみた悪口にどんな理由があるといっているのか。平成21年7月13日付記事には、千葉が浦安の行政書士を提訴していた裁判の口頭弁論で、平成20年9月1日に発生した洋品店襲撃事件の際に千葉が洋品店で待機していた理由について聞かれたときのこととして次のように述べている。



(ブログにおける記載)

(なぜ洋品店にいたのかと聞かれた)千葉英司氏は立ち上がり話を始めましたが、突然我々傍聴席のほうを見ながら次のように語り始めたのです。

「ここにいた皆が知っている……」

 千葉氏の発言の趣旨は、洋品店にいて訪問者と言い争いになった時のことを指しているのは明らかでした。

 ……千葉氏はあたかもその日、自分と口論した人物が傍聴に来ているという嘘をでっち上げ、裁判官に印象付けようと狙ったのです。



 すなわち「自分は洋品店で千葉とは口論していない。だから千葉を『大嘘つき』と記載したのである」と「行動する保守」Aは主張している。なおそのことについて「行動する保守」Aは、〈近く、正式に千葉英司氏になぜそのようなデタラメを言ったのか。そのことを書面で質問し、単なる勘違いであったとしても謝罪を求めることになりました。〉とまで述べている。

 しかし、「行動する保守」A自身も述べているように千葉がいった「ここ」とはどこのことと解するのが自然だろうか。この発言時に千葉がいた場所も、「行動する保守」Aがいた場所も法廷である。法廷にいる千葉が、洋品店を「ここ」ということはあり得ない。すなわち千葉がいった「ここ」とは当然、「法廷」である。

「ここ」が「法廷」なら、「法廷にいた皆が知っている」ではまったく意味が通じない。つまり千葉が口頭弁論で傍聴席の方を向いていったのは、正確には、

「ここにいる皆が知っている」

 だったのである。千葉によれば、なぜ洋品店にいたのかという質問に対して千葉が「ここにいる皆が知っている」といったのは、平成20年9月1日に西村や桜井誠、右翼Mなど「行動する保守」一行が洋品店に押しかけ、店主を誹謗中傷したあげく、警察官が出動してようやく収束した一連の騒ぎについて傍聴に来た人たちは皆知っている、という趣旨で、「行動する保守」Aのいう「自分と口論した人が傍聴に来ている」などという意味ではない。

「行動する保守」Aは「ここにいた」と過去形に聞き間違え、さらに「ここ」を「洋品店」と二重に誤解した。その結果、「千葉氏の発言の趣旨は、洋品店にいて訪問者と言い争いになった時のことを指している」と勝手にあらぬ方向に曲解してしまったということである。「勘違い」したのは「行動する保守」Aの方だった。「行動する保守」Aはとんだ早とちりから提訴されたということになろうか。

存在しない発言を捏造

 さて平成21年7月13日付記事で「行動する保守」Aは、千葉が「ここにいた皆が知っている……」といったと記載している。ところがなぜか、答弁書では千葉の発言について次のように記載している。



(答弁書における記載)

 原告千葉が、傍聴席にいた被告瀬戸及び訴外黒田の支援者に対し、「あなたたちも(平成20年9月1日に)洋品店へ行って妨害しただろ」と大嘘をついた事実を記載したに過ぎない。傍聴席にいた被告瀬戸及び訴外黒田の支援者並びに訴外黒田は、平成20年9月1日に洋品店へ行っていない。



「行動する保守」Aの平成21年7月13日付記事と答弁書の主張に対して、千葉は第1、第2準備書面で次のように反論している。



(「第1準備書面」「第2準備書面」における千葉の反論)

 原告は、別訴の被告(黒田大輔)から、洋品店で待機した理由を質問されたので、「それはここにいる皆が知っている」と答えたのであって、「あなたたちも洋品店へ行って妨害しただろう」と発言したものではなく、上記被告の主張は事実の歪曲である。(第1準備書面)

 被告は、……本件ウェブサイト平成21年7月13日付……記事の本文で、原告の法廷発言の内容「ここにいる皆が知っている」を「ここにいた皆が知っている」と変更し、そして、答弁書では「あなたたちも(平成20年9月1日に)洋品店へ行って妨害しただろう」と再度、変更した。よって、被告の原告の法廷発言に関する主張は信用できない。(第2準備書面)



「行動する保守」Aが答弁書に記載した「あなたたちも洋品店へ行って妨害しただろ」などという千葉の発言は存在しない。それは「行動する保守」A自身の平成21年7月13日付記事にそんな発言がいっさい記載されていないことからも明らかである。さらに答弁書に〈「あなたたちも(平成20年9月1日に)洋品店へ行って妨害しただろ」と大嘘をついた〉と記載したのでは、ますます「行動する保守」Aのいう千葉の発言が事実無根だったことを裏付ける結果になった。

「行動する保守」Aにも責任

 ところで「行動する保守」Aが千葉の発言を「洋品店で口論した」と曲解したとして、それだけでなぜ「行動する保守」Aはこれほど怒るのだろうか。「行動する保守」Aとしても、街宣参加者が洋品店に押しかけた事件が反社会的行為であると評価されてもやむをえないと考えていたということではないのだろうか。

 そもそも「朝木明代殺害犯を特定していたとする内部告発があった」などという箸にも棒にもかからない与太話を事実であるかのように宣伝し、「行動する保守」一行を東村山デマに引きずり込んだ張本人は「行動する保守」Aである。洋品店襲撃についても、直接的に襲撃を呼びかけた事実はなくても、デマの発信源である東村山市議の矢野穂積と朝木直子をシンポジウムに招き、支援者たちを煽動させた事実は否定できない。また「行動する保守」Aは襲撃事件が起きた街宣活動の主催者の1人でもあり、洋品店襲撃事件について「行っていないから責任はない」とはいえない。

「行動する保守」Aが答弁書で千葉が「あなたたちも洋品店へ行って妨害しただろ」と発言したことにした理由は明確にはわからない。おおかた、聞き間違えた発言をもとに勝手に解釈しているうちに、発言自体が変遷してしまったというところなのではあるまいか。自分自身のブログを確認すればそんな発言がないことは容易に判明するはずだが、「行動する保守」Aはそれすらしなかったのだろう。あるいは答弁書は別の人物が書いているから、「行動する保守」Aの過去の記事については知らなかったということかもしれない。

「行動する保守」Aは彼名義の答弁書で、「原告千葉が、公開の法廷で虚偽発言を先行したのであるから、……陳述書の内容は適切な範囲内にある。」などとし、侮辱には当たらないと主張している。しかし「千葉の虚偽発言」が存在しない事実は「行動する保守」A自身の主張の変遷からも明らかであり、「行動する保守」Aの主張は前提を欠くものということになる。

 なお答弁書で「行動する保守」Aは、自分だけでなくことさら訴外黒田も洋品店に行っていないことを強調しているような気がしてならない。ほかにも答弁書には頻繁に「訴外黒田」の名前が登場する。「行動する保守」Aの裁判の書面でなぜこれほど「訴外黒田」に触れるのか、私はやや違和感を覚えた。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第5回
弁護士に対する私情

 第1次裁判の和解条項で削除を約束し、ブログの記事から削除した「大嘘つきの千葉英司元副署長」「大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言を別の形で再び掲載したことについて「行動する保守」Aは答弁書でもう1つの理由を主張していた。

 そのくだりでは第1次裁判における代理人弁護士に対する私情を披瀝している。本件とは直接関係はないが「行動する保守」Aの器のほどがしのばれるという意味でもきわめて興味深いので紹介しよう。「行動する保守」Aは答弁書で次のように述べている。



(答弁書における記載)

「別件裁判」につき、被告瀬戸は、当時の代理人弁護士中島敬行(以下、「代理人中島」という。)に対し、和解へ応じないよう依頼した。それにも関わらず、代理人中島が依頼に反して和解を強行したうえ、被告瀬戸が何度催促しても和解調書の交付を怠った。代理人中島は、現在、5年間の弁護士資格の停止を受けており、被告瀬戸が、和解調書の正式な内容を初めて知るに至ったのは、本件訴訟の書証(甲3)として添付されたためという特殊な事情が存在する。



 記事の削除と10万円の支払いという全面敗訴も同然の和解だったとはいえ、自分で弁護を依頼しておきながら、かつての味方である弁護士をここまで一方的に罵るとは、重鎮としてあまり褒められたものとはいえないのではあるまいか。

 ここで「行動する保守」Aが主張しているのは以下の4点である。

「行動する保守」Aは中島弁護士に対して和解に応じないよう依頼していた。

中島弁護士は「行動する保守」Aの意思に反して和解を強行した。

「行動する保守」Aは再三にわたって和解調書を送付するよう催促したが、中島弁護士は送付しなかった。

そのため「行動する保守」Aは、千葉から提訴されるまで具体的な和解条項を知ることができなかった。

「行動する保守」Aは答弁書で、弁護士に対して「和解へ応じないよう依頼した」と述べている。「和解へ応じないよう依頼する」とはあくまで闘うことを意味しよう。しかし「行動する保守」Aは裁判で現実的に闘う姿勢(真実性・相当性の主張・立証)をいっさい示さなかったし、それどころか和解成立直前の平成23年4月21日付ブログでは次のように書いているのである。



(和解成立直前の「和解」に関する記載)

(陳述書は)裁判所に提出済みであり、それを踏まえての裁判官の和解の打診であれば、弁護士に任せてはおりますがその意見に従うつもりです。但し相手方の考えはまだ聞いていないので判決ということになるかも知れません。



 この時点で「行動する保守」Aは「弁護士の意見に従う」と述べる一方、「和解へ応じないよう依頼した」とは記載していない。わずかに判決になる可能性に触れただけである。さらに和解成立後の平成23年5月11日付の記事ではこう書いている。



(和解成立後の「和解」関する記載)

 裁判官から事実上の和解勧告を受けたので、相手方次第でそれに応じる旨を弁護士には伝えてありました。ただ、内容については当方にも示されその是非をこちらが判断することが出来ると思っていましたが、弁護人は私が和解を受けるという事を言ったので、全面的に依頼されたものとして承諾したようです。



 何がいいたいのかよくわからないが、「行動する保守」Aは代理人に対して無条件かどうかは別にして「私が和解を受けるという事を言った」ことを自認はしていても、「弁護士に対して和解に応じないよう依頼していた」とは書いていない。したがって、「行動する保守」Aが答弁書で主張するように「弁護士に対して和解に応じないよう依頼していた」という事実がないことだけは確かなようである。

 また10万円の和解金について「行動する保守」Aは、

〈もし私が立ち会っていればこれは受けなかったと思います。〉

 などとも書いているが、最初から「和解へ応じないよう依頼した」のなら、和解自体が成立しなかったはずで、はやり「和解へ応じないよう依頼した」というのは嘘だということになる。

嘘を自ら立証

 弁護士との関係については本件とは直接関係ない話だからまだいいとしても、「弁護士が和解調書を送付しなかったから、提訴されるまでその内容を知らなかった」という主張はあまりにも間の抜けた言い訳だった。平成23年5月11日ブログで「行動する保守」Aは次のように書いている。



(調書入手直後のブログの記載)

 和解内容に関しては昨日入手したので、せと弘幸blog『日本よ何処へ』出張所に最後の準備書面と和解書の全文を掲載しました。私が和解金として10万円を支払うことになった合意書ですが、……



「行動する保守」Aは「出張所」に平成23年5月10日付で和解調書を全文掲載し、現在も掲載されている。

「行動する保守」Aとしては、和解で削除を約束した文言をブログに再び掲載したのは「弁護士が送付を怠ったために和解内容を知らなかったからだ」といいたかったものとみられる。仮にそれが事実だったとしても、普通の大人なら恥ずかしくて口に出せる話ではない上にすぐにバレる嘘だったというのでは、心証形成においてあまりいい影響は与えないのではあるまいか。

 この点について千葉が反論すると、「行動する保守」Aはこう応えた。



(第1準備書面における「訂正」)

(被告瀬戸が、和解調書の正式な内容を初めて知るに至ったのは、本件訴訟の書証(甲3)として添付されたためという特殊な事情が存在する。)までの記載は、被告瀬戸の勘違いであったので削除する形で訂正する。



 証拠を突きつけられてただちに撤回したのはよいとしても、まさか、和解調書を自分で公開しておきながら、「内容を知らなかった」と答弁書で主張したのは「勘違い」だったという話を信用する裁判官はいない。「行動する保守」Aは「弁護士は和解調書の交付を怠った」と記載しているが、その前に「被告瀬戸は何度催促しても」と書いている。「催促」した記憶はあったが、調書を受領した記憶がないということは通常は考えられない。つまり、答弁書の「今回提訴されるまで和解調書の具体的内容を知らなかった」とする主張は「勘違い」などではあり得ず、姑息な言い逃れだったとみるのが自然である。

 それだけ「行動する保守」Aは、本件が和解条項に違反した可能性があると自覚しているということだろうか。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第6回
いまだ「襲撃事件」を正当化

 本件で千葉が「大嘘つき」とする記載のほかに問題としているのは、「行動する保守」Aの平成21年9月2日付ブログ〈告知と活動報告 創価学会本体との裁判を前にして〉と題する記事に千葉の写真が掲載されていることである(肖像権侵害)。平成21年9月1日、「行動する保守」Aらは「朝木明代謀殺事件の真相徹底究明」と称する2回目の東村山駅前街宣を行った。その際のことについて「行動する保守」Aは次のように記載している。



〈(千葉は)我々の仲間に姿を見られるとコソコソと逃げるように立ち去り、我々が演説を始めると今度は故朝木市議に万引きされたという洋品店の前に立っていました。まるで用心棒を引き受けているようです。14年前に現職の警察官として関わった事件に、執拗に粘着する有り様はとても尋常ではありません。〉

〈(去年は)正義の人と紹介されていましたが、この人の行為が正義感とは無縁なものであったかは、その後の経緯で次々に明らかになりました。〉



 その1年前の平成20年9月1日、「行動する保守」Aは東村山に乗り込んで第1回目の街宣活動を行ったが、街宣活動が一段落して休憩に入った直後、「行動する保守」一行の一部が大挙して万引き被害者の店に押しかけた。ビデオカメラを構える者、ヘルメットをかぶり旭日旗を携えた者、万引き犯朝木明代の顔写真に「真相究明を!」などと記載したプラカードを掲げた者など、その数はざっと10名を超えていた。

 幅2メートル弱の歩道に面した洋品店の幅はざっと10メートル弱。その狭い範囲に集結した「行動する保守」一行が集まったのである。平穏を破る異様な光景に、隣接する不動産業者の社員も何が起きたのかと驚いたのは当然だった。

「行動する保守」らは洋品店襲撃事件をいまだに「表敬訪問」などと強弁している。しかしこれはどうみてもまともな訪問でさえない上に、万引き犯明代の写真を掲げて行くことは、矢野と明代が行ったお礼参りに等しい。集団は店の前でハンドマイクなどを使って「万引きのでっち上げを許さないぞー」「洋品店(=実名)の万引きでっち上げを許さないぞー」「万引きでっち上げの店○○(=実名)を許さないぞー」などと、洋品店が明代の万引き事件をでっち上げたとする誹謗中傷を繰り返した。

 矢野のデマに踊らされた連中がさらに街宣で気持ちを高ぶらせ、洋品店に押しかける可能性があるとみて千葉は店内で待機していた。「行動する保守」一行がやってきたことに気がついた千葉は店先で「行動する保守」らに対峙し、右翼Mの店内への侵入を阻止するなど、「行動する保守」一行の暴走を食い止めた。何の罪もない市民が、わけのわからない右翼どもから犯罪者呼ばわりされ、店にまで押しかけられるいわれはない。

繰り返された嫌がらせ

 明代が万引き容疑で被害届を提出されて以降、矢野と明代は再三にわたって万引き被害者を脅し、嫌がらせを繰り返した。彼らの年配の支持者が店をうかがっていることもあった。矢野らしき人物による執拗な脅しの電話や若い女の声で「やり方が汚いわよ」などと女性店主をなじる電話をはじめ、数えきれないほどの無言電話もかかった。

 たんに被害を申告しただけの市民がここまで理不尽な目に遭わされていいわけがない。だから千葉は、街宣の途中に右翼が押しかける可能性が十分にあるとみて万全の態勢を取ったのである。その千葉が、「行動する保守」Aが翌年にも東村山駅前街宣を行うと知って、再び洋品店の警戒に出向いたのは当然である。

 最初の襲撃事件の際、110番で駆けつけた警察官が右翼らを解散させ、誹謗中傷された以外に洋品店に実害はなかった。しかし、「行動する保守」一行が大挙して押しかけた事実は店主を怒らせただけでなく、「行動する保守」に対する警戒心を植え付けた。その後、店主は「行動する保守」一行が東村山に来ることを知ると、そのたびに閉店を余儀なくされたのである。万引き被害者が閉店を決断するまでにどれほどの心労や葛藤があったか。保身にのみ汲々とする「行動する保守」Aには想像もできまい。

 それどころか被害者を守ろうとする千葉の行為を〈執拗に粘着する有り様はとても尋常ではありません。〉としか考えられないとは、あまりにも器が小さかろう。支援者を東村山デマに引きずり込んだ「内部告発」の真相も説明できない「行動する保守」Aにはとうてい理解の及ぶところではないのかもしれない。

「行動する保守」Aは洋品店襲撃事件を正当化し、千葉が洋品店を守ろうとしていることが「異常」だと主張している。しかし2回目の東村山駅前街宣の際、「行動する保守」Aは右翼Mが1人で洋品店に向かったのを知っていながら、自分は直接千葉と対決することはしなかった。

「行動する保守」Aは最初の襲撃の際に警察官が来たこと、その直後の「追悼集会」の際にも公安が警戒に当たっていたことも知っている。だから「行動する保守」Aは保身を優先して洋品店には近づかなかったということではあるまいか。「行動する保守」Aには洋品店を追及する正当な根拠など持ち合わせてはいないのである。

 千葉は訴状で「行動する保守」Aの平成21年9月2日付ブログの記載を「誹謗中傷」であるとして次のように主張している。



(訴状における「肖像権侵害」に関する千葉の主張)

(本件写真と記事を)一体的に掲載したことにより、悪性を印象付けている。よって、撮影・掲載の態様とその目的からして、本件写真の掲載には公共性・公益性はなく、また、社会的必要性もなく原告の人格的利益を侵害するものである。



「行動する保守」Aは平成20年9月6日付ブログ〈朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(4)〉でも本件記事と同様の記事と千葉の写真を掲載していた。しかし同記事が提訴された第1次裁判では提訴後に自発的に写真を削除している(当然だが、現在も写真は削除されたまま)。ところが今回の「行動する保守」Aの対応は、不思議なことに、前回とはだいぶ異なっていた。重鎮として、よほどプライドが許さなかったのだろうか。

(つづく)

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第2次「行動する保守」事件 第7回
プラカードを持っていた右翼M

 平成21年9月2日付ブログに記載した記事と写真をめぐり、「行動する保守」Aは答弁書で次のように反論した。



(「肖像権侵害」に関する「行動する保守」Aの反論)

〈「本件写真」は、平成20年9月1日に「洋品店前」へ行った参加者が、公道上から洋品店の外観を取ろうとした際、原告千葉がその参加者の前に立ちはだかって因縁をつけたために証拠として撮影されたものの一部である。〉

〈原告千葉は、「朝木事件」での「万引」の被害者であると確定していない洋品店内から出てきて公道上にいた参加者に因縁をつけて押しのける等の暴行を働いたのであるから、その証拠の一部として掲載した本件写真及び本件記述は、公共性・公益性及び社会的必要性を満たす。〉

〈本件写真の撮影における原告千葉の先行行為(立ちはだかり、因縁及び暴行)の責任の大きさ…(等を)総合的に比較考量すれば、本件写真及び本件記述は、受忍限度の範囲内である。〉



「行動する保守」一行が洋品店に行き、写真を撮ろうした際に千葉が「参加者の前に立ちはだかって因縁をつけ」、また「公道上にいた参加者に因縁をつけて押しのける等の暴行を働いた」から撮影されたもので、もともと悪いのは千葉だからその写真を掲載されても仕方がない――というのが「行動する保守」Aの主張のようである。

 しかしそもそも、「行動する保守」らは日章旗を掲げたりビデオを構えたりするなど、社会通念上とうてい普通とはいえないいでたちで、徒党を組んで店の前に現れ、「万引き捏造」などと誹謗中傷したのであり、これに気がついて出てきた千葉が「何ですか、あなた方」と抗議したのは当然である。それに対して集団の中で最も店先にいた西村修平はすかさず「ナンミョーホウレンゲキョウ、ナンミョウホウレンゲキョー……」と返答した。通常の来店でも挨拶でもあるはずがなかった。

 また千葉はその中の1人である右翼Mが店内に押し入ろうとするのを阻止したが、千葉が暴力をふるった事実がないことは私も見ている。洋品店に押し入ろうとして千葉から押し出された右翼Mは「買物に来て何が悪い」などと開き直った。しかし、右翼Mが通常の客であるはずがないことはのちに西村修平が頭上に掲げるプラカードを脇に抱えていたことからも明らかだった。

「表敬訪問」の本質

 プラカードには朝木明代の写真とともに、〈真相究明を! 朝木明代元市議変死事件 学会関係者以外による真相究明を〉と記載されている。仮に店主に話を聞く目的だったのなら、プラカードを持ち込む必要はない。つい直前まで右翼Mは万引きが捏造と断定する「行動する保守」Aの街宣に参加していたのである。

 したがって、万引き犯明代本人からお礼参りされていた洋品店に明代の遺影を持って押し入ろうとした右翼Mに、店主を詰問し謝らせること以外に来訪目的があったと考えるのはどうみても無理がある。右翼Mの侵入を阻止した千葉の瞬時の判断と体を張った行動はきわめて的確だったのである。普通の市民にこのような対応はできない。千葉が店内に待機していなければ、右翼Mだけでなく西村ら「行動する保守」らが店内になだれ込んだ可能性もあった。

「行動する保守」らが「表敬訪問」と呼んでいる出来事は、千葉が待機していたからこの程度の騒ぎですんだのである。つまりその本質は、矢野のデマを鵜呑みにして万引き事件を「捏造」と決めつけた連中による万引き被害者に対するきわめて反社会的な襲撃事件にほかならない。それを煽動した責任が、「内部告発」というどうしようもない与太話によって支援者らを高揚させた「行動する保守」Aにもあることはいうまでもない。

 洋品店襲撃に積極的に参加し、ビデオ撮影していた西村の当時の側近は千葉との裁判の席で全面的に非を認めている。彼はもう2度と「行動する保守」に関わることはあるまい。

 千葉は肖像権侵害に関し、「行動する保守」Aの主張に対して第2準備書面で次のように反論している。



 本件写真の掲載は、存在しない事実である「朝木に対する万引き冤罪」を大前提として、洋品店に対する営業妨害を正当化するために、用心棒を引き受けている等との虚偽事実を根拠に原告を個人攻撃をするという悪意を前提としたものであるから、……本件写真と本件記述には公共性・公益性及び社会的必要性を満たしているとの被告の主張は失当である。



 平成20年9月1日、矢野と「行動する保守」Aのデマに乗せられた「行動する保守」一行がいかなる態様で洋品店を訪れ、どう騒ぎ、何が起きたかを見れば、どちらの言い分が事実に基づくものであるかを判断するのはそう難しいことではあるまい。

 なお余談だが、私が「行動する保守」Aを提訴していた裁判はさる6月12日10時30分からさいたま地裁川越支部で第1回口頭弁論が開かれた。裁判所玄関では数名の職員が警戒にあたり、法廷前には日章旗やヘルメット、スピーカーなど法廷に持ち込めない荷物を預かるテーブルが設置され、数名の職員が警戒にあたっていた。

「行動する保守」Aは5分前に入廷。白っぽいラフな上下に、リュックを担いでいた。どこか遠方から来たようにもみえた。さすがに重鎮だけあって2名の公安を引き連れていたものの、支援者は弟子ほか1名の計2名だけだった。法廷前で身構えていた職員もやや拍子抜けの体にみえた。

 口頭弁論は訴状と答弁書を確認し、裁判官は私に対して答弁書に対する反論を次回までに提出するよう命じた。弁論が終了し、裁判官が次回期日を7月24日の午前に指定しようとすると、「行動する保守」Aがこう申し立てた。

「福島から来ますので、午後にお願いします」

 こうして次回口頭弁論は7月24日午後1時10分と指定された。

(つづく)

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