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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第28回
平穏だった命日

 朝木明代が自殺を遂げてから17年目となる平成24年9月1日、東村山駅東口周辺に、明らかに明代の追悼、あるいは万引き被害者に対する抗議を行おうとする者の姿は確認できなかった。去年に続き、平穏な9月1日だった。

 ひと月前の7月24日に「行動する保守」Aが「明代の転落死には創価学会が関与した疑惑がある」とする趣旨の街宣を行ったばかりだったから、本人ではなくても、影響、感化された者がなんらかの行動に移さないともかぎらない。そう考えた千葉と私は昼過ぎに東村山駅東口を訪れた。

 右翼Mが街宣を行った平成22年9月1日には、街宣よりもだいぶ前の時間帯に花束を持った若者が東村山駅方面から万引き被害者の店の前あたりまで来て引き返したという事実があった。街宣前に自殺現場のビルに行くと、隣の建物との間に花束が置かれていた。目撃証言から、私と千葉は若者が持っていた花束とこの花束が同一である可能性は高いと判断した。

 この若者が辿った順路は、平成20年9月1日に「行動する保守」一行が辿った「洋品店襲撃事件」から「追悼集会」という経路と同じである。この若者は少なくとも反感をもって万引き被害者の店に近づいたものと思われた。だから今年も、この若者のような者が現れる可能性は否定できないと考えていたのである。しかし、少なくともわれわれがいた数時間の間にはそれらしい者は現れず、現場には花束はなかった。

 それから私と千葉はもう1度、明代が飛び降りた5階に上った。5階と6階の間の踊り場から落下地点を見下ろすと、明代が激突したフェンスがほぼ真下に見える。手すりについていた指の跡からも、明代はぶら下がった状態で落下したとする判断の正しさを改めて実感した。

弁護士との面談を否定する目撃証言

 ところで17年前の9月1日、自殺当日の明代にはもう1つ、あの転落死が「他殺」ではなく自殺だったことをうかがわせる新たな事実があったことを千葉は準備書面で明らかにしていた。千葉は平成24年6月27日に提出した準備書面で次のように述べている。

〈転落当日の明代は、……洋品店前を1人で行ったり来たりした後で万引きした商品を陳列してあった場所の前に佇んでいた。〉

 目撃者によれば、その時間帯は午後1時過ぎだったという。明代は何をしに万引き現場に戻ったのか。明代に用件があるとすれば、矢野と同じように「証拠もないのに訴えると罪になる」などと脅すか、あるいは矢野の意に反して謝罪するかのどちらかしかあり得ない。しかし結局は、明代はしばらく現場に立っていただけでそのまま立ち去った。

 当時はすでに9月4日に東京地検で取り調べが行われることが決定していた。矢野はこの日、担当の弁護士に面会に行っている。その状況で、明代が単独で被害者を脅しに行くということは考えにくい。するとやはり、明代の内心では謝罪するしかないという思いが膨らんでいたのではないかという気がする。

 矢野と朝木直子によれば自殺当日の午後、明代は矢野とともに取り調べを控えた打ち合わせのために弁護士に会いに行ったことになっている。しかしこの目撃証言によれば、明代が弁護士との打ち合わせの席に同席するのは不可能だったということになる。

 その前日の平成7年8月31日には、明代の尋常ならざる精神状態を表しているとみられる2件の重要な目撃談があった。1つは、明代がアリバイ工作に使用したレシートを入手したレストランに1人で現れたことである。具体的な目的も何もないまま、ただ藁をも掴む思いで足が向いたのだろうか。

 食事を終え、レジの前に立っているのが2カ月前にレシートを取りに来た女性であることに店長は気がついた。その顔色は青白かったと店長は証言している。店長は「大丈夫ですか?」と声をかけそうになったから、そのときの状況をよく覚えていたのだった。その後の報道で、店長はその女性が朝木明代という市議会議員だったことを知るのである。

 もう1つは、明代が青果市場の近くで市長の公用車にはねられそうになっていたことである。刻々と迫り来る取り調べのことで頭の中が一杯だったのたろうか。

17年後の目撃証言

 さらに17年後の9月1日、当時の明代の心境を知る上で重要と思われる目撃情報が明らかになった。目撃現場はイトーヨーカドーの西側の入口ドアを出た階段の上である(すなわち、万引き直後に明代が逃げ込んだ入口。西側入口は公道から数段の階段を降りたところにドアがある)。目撃者によれば、明代は階段の前に立って洋品店の方向を凝視していた。「その顔は般若のようだった」と目撃者は語った。

 明代の表情に関する目撃者の表現はあくまで主観だから割り引く必要があろう。しかし少なくとも、それが普通の表情でなかったことは事実だろう。東京地検での取り調べが迫っていた明代には、普通の精神状態でなかったとしても不思議はない事情があったのである。この目撃証言の日付と時間帯は明確ではない。しかし自殺前のいくつかの尋常ならざる行動や出来事からすると、この目撃証言も東京地検から出頭要請があったあとである可能性が高い。

 これらの目撃証言による明代の自殺前の行動をどう評価すべきだろうか。矢野と朝木は、明代が「真相究明の為、徹底的に闘います」(平成7年8月14日付)とする暑中見舞いはがきを出していたから「自殺するはずがない」などと主張している。しかし自殺直前の朝木の目撃情報は、どうみても「徹底的に闘う」と決意していた人物のイメージとはほど遠いものだったのである。

(つづく)
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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第29回
語るに落ちた東村山署への電話

 自殺当日の午後、明代は何のために万引き現場に行ったのだろう。さらにその前後に「びっくりドンキー」やイトーヨーカードー前で目撃された明代の心境はどんなものだったのだろう。それを類推させる矢野の発言があった。

 平成7年9月1日午後10時30分、自宅に明代がいないことを確認した朝木は事務所にいた矢野に電話し、東村山署に連絡してくれるよう依頼した。矢野はすぐに東村山署に電話したことにしているが、矢野が実際に電話したのは日付が変わった平成7年9月2日午前0時30分だった。矢野は当直の警察官にこう話した。



(平成7年9月2日午前0時30分ころ、矢野が東村山署にかけた電話の発言内容)

矢野  昨夜の10時過ぎから朝木明代さんが行方不明になっている。そちらに行っていないかと思って電話しました。



 矢野のこの発言には、朝木明代の転落死の真相を知る上できわめて重要な2つの事実が隠れている。

 1つは、9月1日午後10時30分に朝木から警察に連絡するよう頼まれた矢野が実際に警察に電話したのはその2時間後だったということである。日付が変わっていなければ9月1日午後10時のことを「昨夜」とはいわない。この点について矢野は「朝木から頼まれた直後に東村山署に電話した」と説明している。

 しかし矢野が自ら「昨夜の10時過ぎから」といった時点で語るに落ちていた。事実は、矢野が東村山署に電話したのはそれから2時間後だった。

 矢野が東村山署にすぐには電話せず、かつ電話したのが2時間後だったことをひた隠しにしようとするのはなぜなのか。矢野は明代の身に関する何か重大な事実を知っていた。だから東村山署にすぐには電話しなかったということではないのだろうか。

 平成7年9月1日午後10時ころに明代が自殺を遂げたあと、「草の根」事務所には明代の愛用のバッグが残されていた。明代はその直前の午後9時16分、自宅から事務所にいた矢野に電話をかけて「ちょっと休んで行きます」と伝えている。

 その直前の午後9時過ぎ、明代は東村山駅方面から事務所方面に1人で歩いているのが目撃されており、自宅から事務所に電話をかけた時刻から類推すれば、明代はそのまま自宅に帰ったとみられる。明代の愛用のバッグには財布も入っていたから、バッグは午後9時16分に矢野に電話したあと、明代自身が事務所に持って行ったと考えるのが最も合理的である。

 矢野は「この日は午後から朝木さんと行動をともにしていて、午後7時に事務所で別れたあと、朝木さんとは会っていない」と説明している。明代に会っていなければ、その夜、明代の身に異変が起きていたとしても、矢野には知り得ないという趣旨かもしれない。

 しかし明代が自殺を遂げたあと、事務所に明代の愛用のバッグが残されていた事実、さらに矢野は朝木直子から警察に連絡するよう依頼されたにもかかわらずすぐには電話せず、しかもその事実を偽った。これらの事実からは、実際には矢野は明代が自殺する直前に事務所で明代と会ったのではないかと推測できるのではあるまいか。そう考えれば、すべての辻褄が合うのである。

明代の心境を知っていた矢野

 東村山署に電話した際の矢野の発言に隠れているもう1つの重要な事実は、明代が東村山署に行く可能性があることを矢野が知っていたか(「そちらに行っていないかと思って」)、あるいは感じていたということである。矢野はそのことをなぜ知ったのか。明代には警察に行く可能性があることをうかがわせる言動があったということだろう。

 では、明代が警察に行くとすれば、その目的は何か。また明代が矢野の前で警察に行くといったのはいつのことなのか。

 明代が警察に行く目的があるとすれば、万引きの事実を認めること以外にはあり得ない。平成7年7月12日、3回目の事情聴取の際、明代は「アリバイはもう1度調べさせてください」といって取調室を出た。その後矢野は東京地検に対して「食べたのは『レギュラーランチ』ではなく『日替わりランチ』だった」とメニューを変更した。しかしその証拠を明代が東村山署に提出することはなかった。

 東村山署は「日替わりランチ」についても裏付け捜査を行い、矢野と明代が食事をしたと主張している時間帯には「日替わりランチ」はとっくに売り切れていて、注文さえできない状況にあったことを突き止めていた。明代がアリバイを立証することなどできるはずもなかった。

 現実には100%あり得ないが、万が一、明代がアリバイを立証する証拠を入手していたとすれば本当に大いばりで東村山署に出頭したはずである。もちろんニセのアリバイを崩された矢野も同行しただろう。しかし当然そのような事実はない。したがって、明代が東村山署に出向くということは、「私がやりました」と頭を下げること以外に目的はなかったことになる。

 自殺を遂げた当日の午後1時過ぎ、明代が万引き現場にじっと佇んでいたのも、被害者に謝罪したいという思いがあったということではなかっただろうか。その際、明代が被害者に抗議あるいは威迫するような素振りをみせなかったこと、矢野が東村山署に電話した際に「そちらに行っていないかと思って」といった事実を重ね合わせると、より明代の心中が推測できよう。

 虚偽のアリバイによる否認を重ねてさらに情状を悪くするよりも、早く罪を認めて楽になりたい――明代のような状況に追い込まれたなら、常人ならそう考える。東京地検での取り調べがひたひたと迫り、その思いは徐々に強まっていったのではあるまいか。明代が警察に行くしかないと思い詰めていることを矢野が知ったのは具体的にいつの時点だったのだろうか。

 ところで本件の和解成立からひと月半になるが、ウェブ版「東村山市民新聞」には依然として千葉の氏名が数カ所消されずに残されたままである。このまま削除しなければ面倒なことになるのではあるまいか。

(つづく)

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第2次「行動する保守」事件 第16回
すんなり和解に応じた重鎮

 警視庁東村山警察署副署長だった千葉英司が肖像権を侵害されたなどとして「行動する保守」の重鎮、「行動する保守」Aを提訴していた裁判は平成24年9月14日、第3回口頭弁論が開かれ、和解が成立した。なおこの日、被告側の傍聴人は弟子が1人のみだったが、それでも重鎮らしく3名の公安を引き連れていた。

 さて、まだ和解調書は作成されていないが、9月14日に千葉と「行動する保守」Aが同席して合意した和解内容は以下のとおりである。



(和解内容)

 被告は、〈故朝木明代東村山市議殺害事件 16年目の命日を迎えて〉と題する平成23年9月1日付ブログの、

〈この事件を当時東村山警察署の副署長として捜査に当たった千葉英司氏は、現在も朝木明代市議の仲間であった矢野穂積市議や娘さんの朝木直子市議を相手に民事で訴えています。

 何回目の訴訟提起なのか、私は詳しくは聞いていませんが、もう10回近くに及ぶのではないでしょうか? 当時捜査に当たった人物が、その後もこのように執拗にこの事件に関わっている異常性を私は不気味に感じるし、それ故にこの問題から離れる訳にはいきません。〉(冒頭に近い部分)

  との部分及び、同ブログに転載した「陳述書」の「4」のうち

〈「大嘘つきの千葉英司元副署長」「大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言及び原告の写真を削除せよ。 について。

 この大嘘つきという文言は削除しません。〉(「4」の冒頭部分)
 
  との部分、並びに平成20年11月11日付ブログに掲載した原告の写真を平成24年9月18日限り、削除する。

 被告は原告に対し、解決金として平成24年10月15日限り、金10万円を支払う。

 同日までに支払いが完了しなかった場合、被告は原告に対し、年5分の割合による遅延損害金を支払う。

 原告は、被告に対するその余の請求を放棄する。

 原告及び被告は、原告と被告との間には、この和解条項に定めるもののほかに何らの債権債務がないことを相互に確認する。



 なお、「行動する保守」Aが削除することを約束した箇所はいずれも千葉が訴状で不法行為として問題としていた部分である。

写真を残したかった重鎮

 和解協議は最初に千葉が呼ばれ、次に「行動する保守」A、さらに原告、被告という順番で個々に2度ずつ裁判官と協議を重ねた上、最後に原告・被告が同席して上記の内容について双方の同意に至った。提訴の段階で千葉は記事、写真の削除は求めていなかったが、和解協議の過程で削除を求めた。

 記事および写真削除の要求に「行動する保守」Aが応じたため、千葉はさらに記事のどの部分を削除するつもりであるかを「行動する保守」Aに聞いた。すると「行動する保守」Aは上記の箇所を削除すると回答し、千葉はこれに同意した。「行動する保守」Aが示した削除箇所は、千葉が削除を求めようと考えていた範囲を超えるものだった。

 解決金の支払いについても、「行動する保守」Aは素直に同意したという。しかし、「朝木明代は謀殺された」と考えていることについては、頑としてその思い込みを捨てようとはしなかったようである。

 7月に行った東村山における街宣では矢野と朝木の協力を得られなかったように見えるが、「行動する保守」Aは矢野のデマについてはこの期に及んでなお信用しているとはかなり奇特というべきだろう。「行動する保守」一行を東村山デマに引きずり込み、洋品店襲撃事件の間接的なきっかけを作った最大の責任者として、どうしても非を認めることができないのだろうか。いずれにしても、これが「行動する保守」Aの器なのだろう。

「行動する保守」Aにときおり感じられる虚栄ぶりということでは、千葉の写真についても同様の性向が顕著にうかがえた。「行動する保守」Aが掲載した千葉の写真については上記和解条項1の写真だけが削除されずに残っていた。他の写真はすみやかに削除したのに、なぜこの写真だけは残っていたのか。たんなる削除漏れだろうか。千葉が「行動する保守」Aに確認すると、「行動する保守」Aとこう答えたという。

「1枚だけは残しておきたかった」

「行動する保守」Aの中では、1度は掲載した千葉の写真を、それも千葉の要求によってすべて削除させられるのは我慢ならなかったようである。それにしても、「行動する保守」の重鎮らしからぬ幼稚かつきわめて未練がましい発想ではあるまいか。

 千葉が平成22年に「行動する保守」Aを提訴した第1次裁判も同じく和解で終結し、「行動する保守」Aは千葉に対して10万円を支払った。今回の和解内容も、誰が見ても「行動する保守」Aの「実質勝訴」などとはとうていごまかしようのない内容である。

 この裁判で「行動する保守」Aは第1次裁判について、弁護士が「行動する保守」Aの意思に反し独断で和解に応じたなどと、自分が選任した弁護士を非難するというまれにみる卑怯者ぶりを晒した。しかし今回の和解ばかりは自分の判断だから、さすがの重鎮も、もう誰のせいにもできないのではあるまいか。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第17回
絞られた争点

 私が「行動する保守」Aを提訴していた裁判は、前回第2回口頭弁論までに裁判官が原告被告双方に主張・立証を要請した内容からほぼその争点が絞られたと、私は理解している。これまでに裁判官が原告・被告双方に対して出した指示は以下のとおりである。



第1回口頭弁論(平成24年5月25日)

被告の主張に基づき、原告に対して、
①本件写真が撮影された際、原告は被告から「離れろ!」といわれたかどうか(「行動する保守」Aは「離れろ!」といったにもかかわらず、宇留嶋は撮影を続けたと主張している)。
②「ジャーナリストに肖像権はない」とする被告の主張に対する反論。

第2回口頭弁論(平成24年7月23日)

被告の主張に基づき、原告に対して、
③「本件請求は時効である」との被告の主張に対する反論。

被告に対して、
④本件写真が撮影された日に何があったのか、時系列で説明されたい(その趣旨は、被告が原告に対して「離れろ」といったのが事実とすれば、それはいつの時点だったのか)。



 このうち②については、被告はさる著名なジャーナリストが肖像権を放棄する発言をしたことを引き合いに「ジャーナリストには肖像権はない」と主張したものである。しかし、本人の承諾があれば肖像権の侵害にはならないのは当然で、そのことをもって「ジャーナリストに肖像権はない」というのはあまりにも乱暴な主張なのではないか。私は第2回口頭弁論までに、肖像権は基本的人権の一部として、職業に分け隔てなく認められているものであるとする主張を行った。

 ③の「時効」の主張については、本件写真の掲載を知った時期が最近だったこと、および知人のアドバイスもあって、提訴の時点(平成24年4月20日)において本件写真がインターネット上で閲覧可能な状態にあった事実に基づき、その時点で新たな不法行為が発生しているから消滅時効の起算点は本件写真が最初に掲載された平成21年3月13日ではないとする主張・立証を行った。

 平成24年9月11日に開かれた第3回口頭弁論で、裁判官は②と③の争点についてはもういっさい触れず、「本件(の争点)は本件写真を無断で掲載したことが受忍の限度であるかどうかということになります」と述べた。裁判官のこの発言から私は、②③の争点についてはクリアしたものと受け止めた。

「離れろ!」といったかどうか

 さて、「受忍の限度にあるかどうか」ということに関わってくるのが、本件写真が撮影された際に「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったかどうか(上記裁判官の指示①)ということである。その発言が実際にあり、私が街宣の主催者である「行動する保守」Aの警告を無視して傍若無人な取材(撮影)を行っていたということになれば、そのような私の写真が無断で掲載されてもお互い様じゃないの(受忍限度内)という判断になろう。すなわち第3回口頭弁論の時点で、裁判官は判決を左右する最も重要な論点は、「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」と警告した事実があったかどうかであると考えているようだった。

 この点に関する「行動する保守」Aのブログでの記載をまず紹介しておこう。「行動する保守」Aは平成21年3月13日付〈黒田大輔『日本を護る市民の会』代表の裁判支援行動?〉において次のように記載している。



(平成21年3月13日付ブログにおける「行動する保守」Aの記載)

(平成20年9月1日に行った東村山駅前街宣で)この日も宇留嶋氏はカメラを引っさげて1人ずつ前回と同じように撮りまくっていました。

 参加者の中には余り近距離から、それも何枚も撮られて良い気持ちをしない人もいます。そのような人から「撮るな、何故撮っている?」と抗議の声が上がるのを聞きました。

 それでも宇留嶋氏は撮影を止めようとしません。黒田氏ともう1人の参加者の2人が宇留嶋氏に詰め寄っていました。黒田氏は「あなたが撮るならこちらも撮るよ」と言ってカメラを向けていた。

 これ以上のトラブルになるのを避けるために、私が宇留嶋氏に近づいて「離れろ!」と言ったのが下記の写真です。



 ここで「行動する保守」Aがいう「下記の写真」が、本件で私が肖像権侵害を主張している写真である。この写真についてはすでに複数回にわたって掲載されたが、「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といった場面であるなどと主張したのはこれが初めてだった。それまで「行動する保守」Aは逆に、私に対して「われわれは寛容だから、何も文句はいっていない」(趣旨)と述べていたのである。

行政書士の陳述書が重要な役割

「行動する保守」Aは本件写真の場面について〈これ以上のトラブルになるのを避けるために、私が宇留嶋氏に近づいて「離れろ!」と言ったのが下記の写真です。〉と記載している。〈これ以上のトラブルになるのを避けるため〉というのだから、「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったとすれば、それは浦安の行政書士が私に対して「あなたが撮るならこちらも撮るよ」と「抗議」したあと以外ではあり得ない。

 浦安の行政書士が群馬からの参加者とともに私に「抗議」してきたのは事実である。その時間帯は、矢野穂積と朝木直子が5時過ぎに街宣に合流し、朝木の演説が終了した後の夕方5時30分ごろだった。朝木の演説が終わり、朝木明代の自殺現場の献花に向かう途中のことである。
 
 浦安の行政書士が私に対して「あなたが撮るならこちらも撮るよ」という趣旨の発言をした時間帯が夕方の5時30分ころであることは、行政書士が別件で提出した陳述書および群馬の参加者が撮影した動画(反訳)によって立証される。

 反訳には行政書士の私に対する「何かご発言があればどうぞ」、群馬の参加者の私に対する「あれ? 取材しなかったでしょうね? 取材拒否って言ったんですから」とする発言とともに、「平成20年9月1日午後5時37分」と撮影日時が記載されている。

 行政書士の陳述書にはそれ以前の、私に「抗議」を始めた直後からの発言が記録されている。時系列でみると、行政書士が「あなたが撮るならこちらも撮るよ」と発言したのは群馬の参加者の上記発言の前であり、矢野と朝木の演説が終了したあとであることを行政書士が陳述書で立証してくれていた。つまり、行政書士が「あなたが撮るならこちらも撮るよ」と発言したのは早くても「午後5時30分ころ」である。

 すると、「行動する保守」Aの主張が事実とすれば当然、「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったのも午後5時30分以降ということになる。しかし私の記憶では、本件写真が撮影されたのは私が「行動する保守」Aに対して「内部告発者には会ったのか」と聞いたときであり、街宣が始まる前(午後3時30分より前)だった。その際「行動する保守」Aは私に対して「(内部告発者に)会ってますよ」(この発言は嘘だったことを「行動する保守」A自身がのちに自白している)と回答はしたが、「離れろ!」などという発言はなかったのだった。

 なお千葉との裁判で和解に応じた「行動する保守」Aは、9月18日限り削除するという約束を履行しなかった。ささやかな抵抗だろうか。重鎮にしては浅慮である。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第18回
当初主張していた時間帯

「行動する保守」Aは平成20年9月1日、東村山駅前街宣を取材していた私に対して「離れろ!」と写真撮影を止めるよう警告したと主張しているが、それは事実なのか。「行動する保守」Aの平成21年3月13日付ブログと浦安の行政書士が立証してくれた事実(第17回参照)と時間の関係を前提に、本件裁判における「行動する保守」Aの主張をあらためてみていこう。本件裁判において「行動する保守」Aは答弁書で次のように主張している。本件における最初の主張である。



(「離れろ!」に関する「行動する保守」Aの主張1)

〈原告宇留嶋は、訴外黒田といった複数の参加者から、氏名を名乗らないのであれば取材は拒否するという抗議及び意思表示を直接受けたにも関わらず、盗撮及び無断撮影を繰り返した。そこで、被告瀬戸は、執拗に付きまとっていた原告宇留嶋を一部の参加者から引き離すため、原告宇留嶋に「離れろ!」と言ったのである。〉(記載1)

〈また、原告宇留嶋は、訴外黒田といった複数の参加者から、盗撮及び無断撮影を続けるなら、逆に原告宇留嶋の行為を撮影して当該映像を公開するという抗議及び意思表示を直接受けた後も、盗撮及び無断撮影を繰り返した。〉(記載2)

(※上記「記載1」「記載2」は便宜上、筆者が付けた)



 上記記載1、2について「行動する保守」Aは時系列を明確にしていないが、記載1は夕方の5時過ぎよりもあとの時間帯になされたものであり、記載2は記載1に連続した、記載1の後の時間帯の出来事であることは行政書士が陳述書で立証してくれていた(第17回参照)。記載2の内容が、ブログに記載されている〈黒田氏は「あなたが撮るならこちらも撮るよ」と言ってカメラを向けていた。〉に該当するものであることは明らかである。記載1、2の内容については行政書士は陳述書で次のように述べていた。



(記載1に関する行政書士の記述)

行政書士  名前も明かせないなら、撮影や取材は拒否します。すぐにやめて下さい。

群馬の参加者  そう、取材拒否だ。撮らないでくれ。



 行政書士の陳述書には時刻の特定はないものの彼らの発言が時系列で記載されており、上記発言に続けて〈(行政書士は)さらに(宇留嶋に)言葉をかけました。〉と記載したあと、行政書士の発言が記載されている。



(記載2に関する行政書士の記述)

行政書士  われわれへの撮影をやめないなら、こっちもあなた方を撮らせてもらいますよ」

行政書士  そっちが(撮影を)続けるなら、こっちも撮った内容を公表しますよ。



「行動する保守」Aはブログでは〈黒田氏は「あなたが撮るならこちらも撮るよ」と言ってカメラを向けていた。これ以上のトラブルになるのを避けるために、私が宇留嶋氏に近づいて「離れろ!」と言ったのが下記の写真です。〉と記載し、答弁書では「〈氏名を名乗らないのであれば取材は拒否するという抗議〉を受けたにも関わらず撮影を続けていたので、私に対して「『離れろ!』といった」と記載している。

「離れろ!」といったとするタイミングに早くも変遷がみられることがわかる。ただおおまかな時間帯と状況という点ではほぼ合致しており、「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったかどうかという問題からみると、たいした齟齬ではない。むしろ、3年のタイムラグがあったにもかかわらず、私に対して「離れろ!」と警告したとする状況について「行動する保守」Aがほぼ整合性を維持したことをほめるべきかもしれない。

 緻密さには欠けるものの、「行動する保守」Aの平成21年3月13日付ブログと答弁書には一応の整合性がある。しかし「行動する保守」Aはそれ以前に同じ写真を掲載した際には「離れろ!」と警告したとはいっさい書かず、むしろ「取材を拒否しなかった」と重鎮らしい寛大ぶりを誇示していた。さらに浦安の行政書士の陳述書にも、行政書士が取材を拒否したあとに「行動する保守」Aが「離れろ!」と警告したなどとする記載はいっさいなかった。つまり当初のブログの記載との関係においては整合性どころか、むしろ正反対のことを述べているのである。

 いずれにしてもここまでの「行動する保守」Aの主張をみるかぎり、「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったとする時間帯は、いずれも夕方の午後5時よりもあとであることが明らかである。このことを読者は記憶しておいていただきたい。

余裕綽々たる重鎮

 私は第2回口頭弁論までに、そもそも「行動する保守」Aが私に「離れろ!」といった事実は存在しないこと、すなわち本件写真の掲載を正当化するための事実の捏造であることについて、「行動する保守」Aのブログ(①平成20年9月12日付②平成20年10月11日付③平成20年9月5日付)などを添えて主張した。裁判官はその時点で私の主張する内容を改めて確認する必要があると考えたようだった。第2回口頭弁論で裁判官は「行動する保守」Aに対し、平成20年9月1日の街宣の際に何があったのかを時系列で説明するよう求めた(すなわち「行動する保守」Aが私に対して具体的に「離れろ!」といついったのか)。

 これに対して「行動する保守」Aは悠然と裁判官を見返しながらこう答えた。

「わかりました。動画もありますのでDVDを提出します」

 この自信はいったいどこから来るのだろうか。裁判官にはったりをかましても仕方がないと思うが、そうでなければ「行動する保守」Aは私に「離れろ!」といっている場面を記録した動画を保有しているのだろうか。現場の状況を知らない者からみると「行動する保守」Aの対応は、そんな錯覚を覚えるような堂々たるものだった。この日「行動する保守」Aは裁判が終わるとすぐに、街宣を予定している東村山へと向かった。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第19回
「街宣終了後」から「街宣中」に変遷

「行動する保守」Aは私に対して「離れろ!」といったのがいつかについて、平成24年9月11日付第2準備書面で主張を行うとともに、証拠として平成20年9月1日に行われた東村山駅前街宣の際に撮影された2枚のDVDとそれぞれの反訳を提出した。DVDは東村山市議、朝木直子の演説のもようと、その後に朝木明代の自殺現場ビル前で行われた献花に向かう途中の映像が記録されていた。第2準備書面で「行動する保守」Aはまず次のように述べている。



(「離れろ!」に関する「行動する保守」Aの2回目の主張)

 本件街宣動画1にあるとおり、原告宇留嶋は、本件街宣の終了前の午後5時10分頃、弁士の朝木直子東村山市議から「いつも嫌がらせをしているライター」と言われ、複数の参加者から「ウルシマ出てこい」、「創価学会の手先」等といわれている。原告宇留嶋が、参加者全体から撮影拒否を受けているのは明らかである。(主張1=筆者)

 本件街宣動画2にあるとおり、原告宇留嶋は、本件街宣から引き続いた故朝木明代東村山市議の追悼集会において、既に本件街宣中に原告宇留嶋の無断撮影に抗議していた訴外黒田及び訴外○○(群馬の参加者=以下、「訴外群馬」と記載)から再び抗議を受けた。(主張2=筆者)午後5時37分頃のやりとりは以下のとおり。

黒田  何かご発言があればどうぞ。

宇留嶋  ……。

訴外群馬  あれ? 取材しなかったでしょうね? 取材拒否って言ったんですから。

 訴外群馬は、本件街宣中に原告宇留嶋へ取材拒否を明言していた。

黒田  あれ~、創価のライターさん、何か反論があればどうぞ。

 訴外黒田は、本件街宣中に原告宇留嶋が無断撮影を続ける場合は、逆に、原告宇留嶋を撮影してそれを公開すると予告していた。(主張3=筆者)



 ここまでの「行動する保守」Aの主張をみると、まず上記「主張1」は街宣中に参加者から私に対して「ウルシマ出てこい」、「創価学会の手先」などの声が上がったことをもって「撮影拒否」されたと主張している。参加者から挑発的な発言があったのは事実である。しかし参加者の「ウルシマ出てこい」、「創価学会の手先」は挑発あるいは誹謗中傷ではあっても「撮影拒否の意思表示」と受け取ることはできない。

 また私は街宣する側(主催者などの発言者)を撮影していたにすぎない。街宣をしようする者が取材され、撮影されることは当然のことと覚悟すべきであり、また批判にさらされることも甘受しなければなるまい。

「主張2」になると、時系列に矛盾が見られる。「主張2」において「行動する保守」Aは、訴外黒田らが〈既に本件街宣中に原告宇留嶋の無断撮影に抗議していた〉と記載し、「主張3」において訴外黒田が〈本件街宣中に原告宇留嶋が無断撮影を続ける場合は、逆に、原告宇留嶋を撮影してそれを公開すると予告していた。〉と記載している。

 訴外黒田らによる私に対する撮影拒否の意思表示とは、答弁書における〈原告宇留嶋は、訴外黒田といった複数の参加者から、氏名を名乗らないのであれば取材は拒否するという抗議及び意思表示を直接受けた〉とする記載に該当する。これに時間的に連続して上記第2準備書面に記載している「何かご発言があればどうぞ」以下のやり取りがあったのである。

 平成24年5月25日付答弁書において「行動する保守」Aは、〈氏名を名乗らないのであれば取材は拒否するという抗議及び意思表示を直接受けた〉にもかかわらず私が撮影を続けたので、〈原告宇留嶋を一部の参加者から引き離すため、原告宇留嶋に「離れろ!」と言ったのである。〉と明言している。「行動する保守」Aが私に「離れろ!」といったと主張しているのは、答弁書では明らかに、訴外黒田らによって〈氏名を名乗らないのであれば取材は拒否するという抗議及び意思表示を直接受けた〉あとである。

行政書士の記載との間に食い違い

 では訴外黒田らによる〈氏名を名乗らないのであれば取材は拒否するという抗議〉等は本当に本件街宣中に行われたものだったのか。浦安の行政書士は私に話しかけた状況について別件で提出した陳述書で次のように記載している。



(宇留嶋に話しかけた際の状況に関する行政書士の記載)

 参加者らが、黙祷を捧げるために駅前ロータリーから……現場ビルに向かいはじめたとき、後方でつきまとっていた不審者の一人(後に宇留嶋と判明)に対して、敢えて私から、以下の通り話しかけました。



 また訴外群馬も別件に提出した陳述書において、行政書士らが私に話しかけた時間帯について述べている。



(宇留嶋に話しかけた際の状況に関する訴外群馬の記載)

 演説も終わり、朝木明代元市議が突き落とされた現場へ向かう前に、黒田氏が宇留嶋氏に何か写真を撮らないよう話していました。私も彼に近づいていって「撮らないでくれ」と言いました。

 更に現場へ移動中にも、私は改めて宇留嶋氏に撮影拒否を伝えました。



 訴外群馬が引用部分の冒頭で、明確に「演説も終わり」と記載していることがわかる。行政書士が記載している〈参加者らが、黙祷を捧げるために駅前ロータリーから……現場ビルに向かいはじめたとき〉と一致する。行政書士らが私に対して撮影拒否の意思表示をしたのは街宣終了後である(行政書士の主張内容は別にして、彼らの発言内容や時系列は私の記憶とも合致している)。

 すると訴外黒田の記載によれば、「行動する保守」Aが第2準備書面で記載する、訴外黒田らが〈既に本件街宣中に原告宇留嶋の無断撮影に抗議していた〉とする主張は虚偽であるということになる。本件書面の作成には訴外黒田が関与している形跡がうかがえるが、訴外黒田らが私に「抗議」した時間帯について訴外黒田は「行動する保守」Aに何もアドバイスしなかったのだろうか。

 行政書士らによる「抗議」が「街宣終了後」だったことは、彼ら自身の書面から明らかである。にもかかわらず、「行動する保守」Aはなぜそれが「街宣中」だったことにしたのだろうか。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第20回
 平成24年9月25日、千葉の元に「行動する保守」Aとの間で成立した和解調書が送達された。正式な和解条項は以下のとおりである。



和解条項

 被告は、原告に対し、平成24年9月18日限り下記(1)ないし(6)の記事及び写真を削除する。

(1) せと弘幸BLOG「日本よ何処へ」
  http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/2011-09.html?p=9#20110901に掲載されている別紙1赤線内記載の文章

(2) せと弘幸BLOG「日本よ何処へ」
  http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/2011-09.html?p=9#20110901に掲載されている別紙2赤線内記載の文章

(3) せと弘幸BLOG「日本よ何処へ」
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/2010-08.html?p=2#20100828に掲載されている別紙3赤線内の写真

(4) せと弘幸BLOG「日本よ何処へ」
  http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/2009-07.html?p=8に掲載されている別紙4赤線内の写真

(5) せと弘幸BLOG「日本よ何処へ」
  http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/2009-06.html?p=10#20090607に掲載されている別紙5赤線内の写真

(6) せと弘幸BLOG「日本よ何処へ」
  http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/2008-11.html?p=7#20081111に掲載されている別紙6赤線内の写真

 被告は、原告に対し、解決金として10万円の支払義務があることを認め、これを平成24年10月15日限り、(千葉名義の口座に)振り込む方法により支払う。ただし、振込手数料は被告の負担とする。

 被告が前項の金員の支払を遅滞したときは、被告は、原告に対し、同項の金員から既払額を控除した残額及びこれに対する平成24年10月16日から支払済みまで年5パーセントの割合による遅延損害金を支払う。

 原告は、その余の請求を放棄する。

 原告及び被告は、原告と被告との間には、本件に関し、この和解条項に定めるもののほかに何らの債権債務がないことを相互に確認する。

 訴訟費用は各自の負担とする。
 
以 上



「行動する保守」Aが削除を約束した「別紙1赤線内記載の文章」=和解条項1の(1)および「別紙2赤線内記載の文章」=和解条項1の(2)をあらためて確認しておくと、それぞれ以下のとおりである。



和解条項1の(1)

〈この事件を当時東村山警察署の副署長として捜査に当たった千葉英司氏は、現在も朝木明代市議の仲間であった矢野穂積市議や娘さんの朝木直子市議を相手に民事で訴えています。

 何回目の訴訟提起なのか、私は詳しくは聞いていませんが、もう10回近くに及ぶのではないでしょうか? 当時捜査に当たった人物が、その後もこのように執拗にこの事件に関わっている異常性を私は不気味に感じるし、それ故にこの問題から離れる訳にはいきません。〉

和解条項1の(2)

〈「大嘘つきの千葉英司元副署長」「大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言及び原告の写真を削除せよ。 について。

 この大嘘つきという文言は削除しません。〉



 和解条項に記載されている削除箇所は、それぞれ「行動する保守」Aのブログの当該ページをコピーした上で赤線が書き込まれたものが6枚、和解調書の中に和解条項と一体となって綴じられている。削除箇所についてはどんな言い訳もできないということである。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第21回
むしろ寛容な重鎮

「行動する保守」Aが平成24年9月11日付で提出した第2準備書面では、浦安の行政書士と訴外群馬が私に対して撮影等を拒否する意思表示をした場面を映像を元に再現したあと、「行動する保守」A自身の発言を記載している。「行動する保守」Aは行政書士らの発言のあと、1人の女性参加者(最近東村山街宣に参加した女傑の声に似ている)の発言をはさんで、やや遠くの方から次のように発言している。

「行動する保守」A  あんまり相手にしないで。

「行動する保守」Aが証拠として提出したDVDには、確かに行政書士らの発言だけでなく「行動する保守」Aの上記発言も記録されていた。答弁書の記載(本連載第18回の「記載2」参照)からすればこの「行動する保守」Aの発言は「離れろ!」であるはずである。また「行動する保守」Aは前回の口頭弁論であたかもDVDに発言の場面が記録されているかのように発言していた。しかし、DVDに記録されていた「行動する保守」Aの発言は行政書士らに向けられたものであるだけでなく、むしろ私の取材活動を容認するものである。

 この「行動する保守」Aの発言は当初の〈いくら相手が創価学会と関係のあるライターであっても、我々はこれまで一度たりとも罵声を浴びせたり、追い立てたりしたことはありませんでした〉とするブログの記載とも一致する。あるいは「行動する保守」Aは、このときのやりとりを記憶していたのかもしれない。

2度主張した内容を自ら撤回

 ところが第2準備書面における「行動する保守」Aの主張はそんな私の推測を否定していた。第2準備書面で「行動する保守」Aは私に対して〈あんまり相手にしないで〉と発言した事情について次のように主張している。

〈被告「行動する保守」Aは、本件街宣中に、参加者の無断撮影を続ける原告宇留嶋に対し、「離れろ!」と警告した。しかし、原告宇留嶋は構わず無断撮影を続けていたため、本件街宣から引き続いた追悼集会でトラブルが生じないよう、相手にしないよう参加者へ注意を促した。〉

 行政書士が別件で提出した陳述書によれば、行政書士らが私に対して「あなたが撮るならこちらも撮るよ」などといって取材拒否の意思表示をしたのは街宣が終了し、自殺現場に献花に向かう途中のことである。「行動する保守」Aは答弁書で、〈(それでも宇留嶋が撮影をやめないため)執拗に付きまとっていた原告宇留嶋を一部の参加者から引き離すため、原告宇留嶋に「離れろ!」と言ったのである。〉と主張している。すなわち「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったのは「街宣終了後」だったと主張していた。

 ところが第2準備書面では、「離れろ!」といったのは「街宣中」ということになっていた。しかもその時間帯は明示していない。さらに第2準備書面では、「離れろ!」といった時間帯に答弁書とは大きく矛盾する主張がなされていた。「行動する保守」Aの主張は以下のとおりだった。



(第2準備書面における「離れろ!」といった時間帯)

 本件街宣の複数の参加者が、原告宇留嶋に対し、黙示的又は明示的に撮影拒否・取材拒否をしていたのは明らかである。それは、原告宇留嶋の執拗な無断撮影が、複数の参加者にとって不快であることを察知した被告「行動する保守」Aが、(行政書士らの「抗議」に)先立ち、原告宇留嶋へ「離れろ!」と警告した結果である。

 つまり、被告「行動する保守」Aが原告宇留嶋に対し、「離れろ!」と警告したのを見ていた参加者の一部が、自ら原告宇留嶋へ撮影拒否又は取材拒否の意思表示をしたのである。もちろん、被告「行動する保守」Aの警告前に撮影拒否又は取材拒否をした参加者もいた。



 答弁書では私に「抗議」した参加者として登場したのは「訴外黒田」と「訴外群馬」だけだった。その時間帯も街宣終了後であることは明らかだった。ところが第2準備書面では確認不能の「複数の参加者」が登場してきた上、その時間帯も「街宣中」と曖昧になっていることがわかる。確かな根拠のない者が、具体的な反論の前に具体的な主張を失っていく典型的な様子ではあるまいか。

よく似た先例

 その上「行動する保守」Aは私に対して「離れろ!」といった時間帯について、行政書士らが私に対して「抗議」をするより前であると、答弁書からみごとに180度主張を変遷させてきたのである。平成21年3月13日付ブログでも答弁書でも、「行動する保守」Aは私に「離れろ!」といったのは行政書士らが私に「抗議」した「あと」であると明確に記載している。2度も「あと」であるといったものを、私に反論されたとたんに撤回し、「いや、やっぱり前だった」と3度目に前言を翻したのでは、社会では普通は信用されない。重鎮ほどの社会経験を持つ人物なら、それぐらいのことがわからないことはあるまい。

 朝木明代は万引き事件の取り調べの際、「レギュラーランチを食べていたからアリバイがある」と2度主張した。ところが東村山署が、明代が証拠として提出したレシートが他人のものであることを指摘すると、明代は「今日の調書はなかったことにしてください」と過去2度にわたって主張したアリバイを撤回した。「行動する保守」Aが3回目に過去2回の主張を撤回したこととよく似ていよう。彼らの主張が変遷した原因として共通しているのは、いずれも彼らが主張する事実が存在しない(嘘)ということである。捏造に抵抗を感じない者が、嘘に嘘を重ねた末に自殺した市会議員を擁護するとは、やはり類は友を呼ぶということだろうか。

 なお、千葉との裁判で和解した「行動する保守」Aは、自ら削除を申し出た箇所(記事及び写真=本連載第20回参照)について9月18日限り削除すると約束したにもかかわらず、いまだ完全に履行していない。この重鎮は、和解がどういうものか理解していないのだろうか。

(つづく)
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