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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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第2次「行動する保守」事件 第22回
気がついた作成者

「行動する保守」Aは前回の口頭弁論で、裁判官から「平成20年9月1日に何があったのか、時系列で説明してください」と命じられていた。これに対して「行動する保守」Aは「はい」と答えたが、第2準備書面に「離れろ!」といったとする時系列の明確な記載はなかった。それを記載すれば、答弁書の記載内容と180度違うことを行政書士の陳述書によってたちまち立証されてしまう。

 そのことに準備書面の作成者は気がついたのだろう。しかも、行政書士の陳述書には「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったとする話など一言も書かれてはいないのだった。行政書士は陳述書によって、私が撮影を拒否されたにもかかわらず無視したと主張しようとしていた。主催者である「行動する保守」Aが私に対して「離れろ!」といったのが事実なら、そのことも記載しない方が不自然である。行政書士が「行動する保守」Aのことを記載しなかったのは、そのような事実がなかったからにほかならない。

 裁判官は私が提出した準備書面1の主張と「行動する保守」Aの第2準備書面における主張の間に、「離れろ!」といった時間帯とタイミングがだいぶ違うことに気がついたのだろう。しかも「行動する保守」Aの主張では時系列が明確ではない。平成24年9月11日に開かれた第3回口頭弁論で、裁判官は「行動する保守」Aに「離れろ!」といったのがいつだったのか口頭で聞いた。するとこれに対して「行動する保守」Aは即座に、あっさりこう回答したのである。



(「離れろ!」といった時間帯に関する「行動する保守」Aの法廷での回答)

「行動する保守」A  街宣が始まる前かそのころです。



 私は一瞬耳を疑う思いだった。これでは答弁書の内容を否定することになる。ひょっとすると「行動する保守」Aは答弁書を読んでいないのではないかとさえ感じたほどである。しかし第2準備書面の内容からすれば、「街宣が始まる前かそのころ」という時間帯ならまるで辻褄が合わないこともない。「行動する保守」Aは第2準備書面で答弁書の時点から主張方針を変え、それを前提にこう回答したということと理解できた。「行動する保守」Aの回答を聞いた裁判官はこう念を押した。

裁判官  では、午後3時30分ころということですね。

「行動する保守」Aは「はい」と答えた。これでもう、「午後3時30分ころ」という時間帯は動かせない。

「行動する保守」Aの回答の範囲では、「街宣開始前」か「開始直後」かはまだ明確ではない。しかし街宣開始後に話しかけることができないのは自明だから、「行動する保守」Aの回答から、私が「行動する保守」Aに話しかけた時間帯(すなわち本件写真が撮られた時間帯)は「街宣開始前」に限定される。本件写真が撮られた時間帯が「街宣開始前」なら私も納得できる。

 すると当然、答弁書とブログの主張は何だったのかということになろう。少なくとも「行動する保守」Aはこの日の口頭による回答によって、答弁書とブログの主張内容を撤回したということになる。この日の答弁と答弁書の主張が180度異なることは行政書士の陳述書によって容易に立証できる。

 実はこの日、私は口頭弁論で直接「行動する保守」Aに質問させてもらおうと準備していた。「行動する保守」Aが提出した第2準備書面で「離れろ!」といったとする時系列が明らかでなかったため、それがいつだったのか聞きたかったである。ところが私が質問を申し立てるより先に、裁判官が聞いたのだった。裁判官も私と同じ疑問を持ったものとみられた。

 これほど明らかな主張の変遷があった場合には、その存在自体が疑われるのが普通である。答弁書と180度違ってしまった「行動する保守」Aの主張を裁判官がどう判断するかが大きな焦点となったのではないかと私はみている。

 裁判官はこの日、「行動する保守」Aだけでなく私に対しても1点だけ質問があった。裁判官はこう聞いた。

裁判官  原告は街宣の際、支援者を撮影していたということはないですね。

 この質問に対して私はこう回答した。

宇留嶋  支援者が映り込むことはあったとしても、あくまで撮影していたのは演説する側であって、支援者ではありません。

 この日の口頭弁論の冒頭、裁判官は「本件(の争点)は本件写真を無断で掲載したことが受忍の限度であるかどうかということになります」と述べた。裁判官の双方に対する質問は、冒頭の考え方に基づくものとみられた。裁判官は双方にこれだけ確認すると、次回に結審の可能性があることを示唆した上で、それぞれ次回までに主張を提出するよう求めた。

わけのわからない申し立て

 するとどうしたのか、「行動する保守」Aが急に発言を求めた。「行動する保守」Aは机の上に積んでいたものを持ち上げ、裁判官に示すようなそぶりでこう申し立てた。

「行動する保守」A  原告はこの雑誌の社長ともう10年も会っていないというんです。タイムス社の社長の尋問を申し立てたいと考えております。(趣旨)

 傍聴していた千葉に聞いたところでは、「行動する保守」Aは被告席に着くや、かなりの冊数の雑誌のようなものを机に積み上げたという。それが月刊タイムスだったらしい。そんなに軽くはないと思うが、「行動する保守」Aには裁判所に持参することには意味があると思ったのだろう。ただ、タイムスの社長を尋問することで本件と関係のあるどんな証言を引き出そうというのか、にわかには思い当たらなかった。尋問の目的については次回までに提出するのだろう。

 思いもかけない「行動する保守」Aの人証の申し立てに対して裁判官は、一瞬間を置いて、抑えた調子でこう応えた。

裁判官  それについては本件と関係があるかどうかということになりますね。

「本件とは関係ないと思いますよ」とまで強くはいわなかったと記憶するが、そういう趣旨であることには違いがない。まさかこの証人申請が採用される可能性があるとは考えない方がいいのではないか。

 こうして裁判官は、次回口頭弁論を10月23日午後1時30分と指定し、書面は1週間前に提出するよう申し渡した。

(つづく)
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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第30回
午前0時30分の電話

 万引き(窃盗)容疑による東京地検への出頭日が迫っていた朝木明代が東村山駅前のビルから飛び降り自殺を遂げてから2時間30分後、日付が変わった平成7年9月2日午前0時30分ごろ、矢野穂積は東村山署に明代の消息を尋ねる電話をかけた。2時間前の9月1日午後10時30分、矢野は朝木直子から「母は家にもいない。警察に連絡してほしい」旨の依頼を受けていた。

 矢野はマスコミに対して(あるいは朝木に対しても)すぐに警察に連絡したと説明しているが、その時間帯に矢野から連絡が来たという記録は存在しない。矢野が実際に東村山署に電話したのは、朝木の依頼を受けてからたっぷり2時間後、9月2日午前0時30分のことだった。

 矢野の説明と現実の間にある2時間のずれとともに、警察への電話の中に、矢野が明代の身に何かが起きたことを知っていたと思わせる発言があった。矢野は当直の警察官に次のようにいった。



(平成7年9月2日午前0時30分ころ、矢野が東村山署にかけた電話の発言内容=趣旨)

矢野  昨夜の10時過ぎから朝木明代さんが行方不明になっている。そちらに行っていないかと思って電話しました。



「(朝木明代が)そちらに行っていないか」とはきわめて具体的な背景事情を物語る文言である。矢野は明代から「警察に行く」ことを、何気ないそぶりや雰囲気からではなく、具体的な意思表示として知らされていたということになる。それなら矢野は、朝木から依頼されたあとなぜすぐに警察に連絡しなかったのだろう。また矢野は、明代が具体的に警察に行くかもしれないと、いつ知ったのか。

東村山署を避けた矢野と明代

 その前に、明代が警察に行くということが何を意味するのか、その点をまず確認しておこう。平成7年7月12日、東村山署で行われた3回目の事情聴取でアリバイを崩された明代は「今日の調書はなかったことにして下さい」と、それまでの主張をすべて撤回する。

 明代が撤回した主張はきわめて具体的かつ詳細なものだった。つまり明代は明らかに警察を騙す意図をもって、計画的に虚偽のアリバイを主張したということだった。明代は「今日の調書はなかったことにして下さい」という言葉によって、そのアリバイが作出された嘘だったことを認めたのである。

 その後明代は「アリバイは調べ直してきます」と言い残して取調室を退去した。しかしそれから2カ月近くがたち、東京地検から取り調べの呼び出しが来ても、明代はいまだ東村山署には姿をみせなかった。常人よりもややプライドが高い矢野と明代の性格からして、アリバイを証明できたのなら、明代はもちろん矢野も勇んで東村山署に乗り込まないはずがない。ところが東村山署には、明代からは何の音沙汰もなかった。

 実は書類送検後、明代と矢野は東京地検に対して密かに「『日替わりランチ』を食べた」とするアリバイを主張する上申書を提出していた。東村山署ではそれまで「『レギュラーランチ』を食べた」と主張していた。しかし矢野も明代も、なぜか「日替わりランチ」が「本当のアリバイ」だと東村山署に対して主張することはなかった。

 その理由は東村山署が行った裏付け調査から明らかだった。「日替わりランチ」は彼らが行ったとする時間帯(午後2時12分)にはとっくに売り切れていて、注文することさえできなかった。さすがの矢野も確信があるはずがなく、「アリバイがあるぞ」と怒鳴り込むことはできなかったということだろう。

 矢野は東村山署を避け、東京地検に対して「『日替わりランチ』を食べた」とする上申書を提出した。しかし平成7年10月7日、東村山署で行われた事情聴取で「日替わり」が売り切れていることを知らされた矢野は「ええっ? ウソっ!」と絶句している。実際に「日替わり」を食べた、確信のある者の反応ではない。

 もちろん万引き犯である明代が「日替わり」でアリバイが証明されるなどと考えていたはずがない。仮にそう考えていたとすれば、明代はただちに東村山署に行っただろう。しかし明代は「レギュラーランチ」のアリバイをみごとに撤回したあと、東村山署にはいっさい姿を見せなかった。

明代が「警察に行く」ということの意味

 その明代が「警察に行く」ということは何を意味するだろうか。書類送検後に明代が東村山署にいっさい姿を見せていないということは、アリバイを立証できるとは考えていなかったということである。

 すると、明代が東村山署に行く目的がアリバイ主張でないとすれば、残る目的とは罪を認めること以外にない。東村山署の刑事の前で罪を認め、万引き被害者に対して謝罪させてもらうとともに、被害届を取り下げてもらうよう仲介を依頼するという道もあり得たかもしれない。

 そうすれば明代は、法廷という公開の場で万引きとアリバイ工作を暴かれるという、この上ない恥辱から逃れることができるかもしれなかった。逆にいえば、明代と矢野が新たなアリバイ主張を続けるということは、近い将来、明代には法廷で人生最大の恥を晒す場面が待ち受けているということだった。

 当然「トップ当選議員が万引きとアリバイ工作」と、マスコミの餌食となろう。公訴を免れたところで報道されることに変わりはないが、自ら非を認めるのと、非を認めないまま法廷で罪を暴かれるというのとでは当然、扱いも大きく異なろう。いずれにしても万引き犯である明代にとって、罪を認めないまま公判を迎えることほど誤った選択はないのだった。

(つづく)

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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第31回
人生を左右する重大事

 明代が「東村山署に行く」ということは、明代が「私は万引きをしていました」と認めるということである。では、明代が罪を認めることは、矢野にとってどういうことを意味するのか。
 
 矢野はそもそも明代の万引きとは無関係である。しかし平成7年6月30日、明代が東村山署から呼び出しを受けたあと、明代とアリバイ工作を共謀し、あるいはその日のうちに2人で万引き被害者の店に行き、「証拠もないのに人を訴えると罪になる」などと脅したことで当事者となった。対マスコミという点でも、明代のアリバイを証言していたから、ニセのアリバイ主張を行ったという点でもすでにりっぱな当事者だった。

 したがって、明代が東村山署に行くということは、矢野が明代に協力して嘘をついていたことがバレるということであり、場合によっては矢野自身が証拠隠滅罪に問われる可能性さえ出てくる。朝木に議席を譲らせてようやく市議の椅子を手に入れたのに、アリバイ工作と被害者に対する威迫の事実が明らかになれば身の破滅である。

 それを矢野が簡単に容認するだろうか。また明代の万引きを「創価・公明の政治的謀略」と宣伝したことで彼らの周囲にさまざまな形で集まっていた反創価学会勢力との関係も御破算となろう。

 矢野は、書類送検後もメニューを変更することで依然としてアリバイを主張していたし、明代の自殺当日も弁護士との打ち合わせを行っている。助かりたいと思わなければ弁護士と会う必要もあるまい。矢野は明代を助けるだけでなく自分が助かるためにも弁護士に会う必要があった。

 明代が自殺を遂げたあとも冤罪を主張している点からも、矢野があくまで否認を貫くつもりだったことは明らかである。すると矢野にとって、明代が東村山署に行くことは矢野の意思に反するものということになる。その後に予想される事態を考えれば、明代が東村山署に行くということは矢野の意思に反するというだけでなく、矢野にとって人生を大きく左右する重大事でもあったといえるのではあるまいか。

弁護士とは会っていなかった明代

 明代がアリバイ主張をあきらめかけていたのではないかと思わせる出来事が自殺の前日と当日に起きていた。自殺当日の平成7年9月1日午後、矢野の説明によれば、東京地検の取り調べに備えて矢野は明代とともに都内で弁護士と打ち合わせを行ったことになっている。しかし新たな証言によれば、明代は同日午後2時から3時ころ、万引き現場のワゴンの前でじっと佇んでいた。

 また朝木の弟の東村山署における供述からも、矢野が弁護士と打ち合わせしたという時間帯に明代が自宅にいた可能性が浮かび上がる。NTTの発信記録によれば、9月1日14時50分から15時19分までの29分の間に、朝木宅から6回の発信記録がある。では、この時間帯は矢野と朝木によれば明代は都内にいる時間帯だから、この6回の電話はすべて弟がかけたものなのだろうか。しかし弟は東村山署における事情聴取でこう供述しているのだった。

「その日、私が自宅から電話をかけたのは、松戸に出発する前の1度だけでした」

 弟が松戸に出発したのは15時19分以後とみられるが、出発したのがいつだったにせよ、14時50分から15時19分までの29分の間の6回の発信記録のうち、少なくとも5回は弟以外の人物が電話をかけたということになる。当然、その人物とは明代以外にはいない。

 平成7年9月1日、明代は弁護士との打ち合わせには同席しておらず、東村山にいた。14時50分から15時19分までの29分の間に明代が自宅から少なくとも5回の電話をかけていた事実は、午後2時から3時の間に万引き現場にやって来たという証言とも矛盾しない。

 では矢野も朝木も、明代が弁護士との打ち合わせに同席していない事実をなぜ隠すのだろう。9月1日は金曜日で、地検の取り調べは週明け早々に迫っている。そのための打ち合わせであることは明らかだった。明代が暑中見舞いに書いたように、起訴されても、「徹底的に闘う」気持ちがあったとすれば、弁護士に会わないという選択肢は常識的にあり得ない。

 しかし東京地検の呼び出しがあって以後、明代が対外的にも弱気をみせるようになり、闘う気持ちが薄れていたとすれば、明代が弁護士に会わなかったことも納得できよう。あるいは明代が弱気になっていることを察知した矢野があえて同席させなかったとしてもなんら不思議ではない。

 明代の当時の精神状態は、8月31日にアリバイ工作に利用したファミリーレストランに青白い顔で現れたこと、市長の公用車にひかれそうになったこと、万引き後に逃げ込んだイトーヨーカドーの前から洋品店を「般若のような顔で」(証言者)見つめていたこと、9月1日の午後に万引き現場に現れて佇んでいたこと――などに表れていよう。さらに松戸で明代と電話で会話を交わした朝木は、「胸騒ぎ」だけでなく「虫の知らせ」まで感じて明代の身を案じていた。

「胸騒ぎ」「虫の知らせ」とはいうまでもなく母親の命に関わるものである。しかしいかに血のつながった親子でも、母親が危機的状況にあることを「胸騒ぎ」や「虫の知らせ」で感じたという説明で納得せよというのは無理がある。やはり朝木は9月1日の電話での会話でなんらかの形で明代の本心を知らされていた――そう考える以外に朝木の母親に対する「胸騒ぎ」「虫の知らせ」は説明できない。

(つづく)
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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第32回
矢野が明代の本心を知った時間

 東京地検の取り調べが週明けに迫り、矢野は明代が弱気になっていることを感じ取ってはいたものの、警察に行って自ら罪を認めるとまでは考えていなかったのではないか。また明代に警察への出頭を許すぐらいなら、矢野がわざわざ都内まで弁護士に会いに行くこともない。おそらく矢野は、自分が弁護士と会っている時間に明代が万引き現場に行くほど精神的に追い詰められているとは思っていなかったのだろう。

 明代が万引き現場に行ったということは、少し間違えればその場で万引きを認めて謝罪した可能性もなかったとはいえないということである。そのときはまだ、ぎりぎりのところで踏ん切りがつかなかったにすぎない。明代が警察に行って自白するかどうかという点において、矢野はまだ楽観視していたのではあるまいか。だから矢野は、弁護士との打ち合わせを終えて東村山に帰ってきたあとも、明代を置いて多摩湖町で行われた自治会長会議に出席している。

 明代がすぐにも警察に行く可能性があると矢野が感じていたとすれば、これほど長時間にわたって明代を独りにしておくことも考えられない。なぜなら、明代が万引きを認めれば矢野自身のアリバイ主張もまた嘘だったことが露顕するからである。

 さらに午後9時10分ころに事務所に帰ったあと明代から電話がかかってきた際、矢野は明代がそこまで追い詰められた状態にあることを前提にした言葉をなんら発していない。このことからも、矢野が明代についてそこまで深刻に考えていなかったことがうかがえる。矢野は明代からかかってきた電話に対して「話し中」「はい、はい」としか応答していないし、特に明代の精神状態を気遣う様子もない。矢野はその時点で、明代が謝罪したいとまで思い詰めているとは考えていなかったということと理解できるのではあるまいか。その時点で明代の精神状態を最も知っていたのは「虫の知らせ」まで聞いていた長女の朝木だけだったのだろう。

 では矢野が、明代が「警察に行くかもしれない」ことを知ったのはいつなのか。午後9時19分に明代が矢野に電話した際にはまだ矢野はそのことを知らなかった。また明代も矢野に対して「(事務所に)ちょっと休んで行きます」とはいったが「警察に行く」とはいっていない。その事実については矢野自身が公表した録音テープが証明してくれる。

衝突した方針

 すると矢野が、明代が「警察に行くかもしれない」ことを知ることができたのは、明代が矢野に電話をかけた午後9時19分から自殺を遂げる午後10時までの間しか残っていない。やはり明代は9時19分に矢野に電話したあと、「草の根」事務所に行ったということである。

 東京地検の取り調べは週明けに迫っている。明代は矢野に、「もう嘘は通用しないから、警察に行って罪を認めたい」と相談をもちかけたのだろう。明代はすでに東村山署でアリバイを崩されている。その明代に、検察官に対してもう1度嘘をつけというのも酷な話である。明代にはもう嘘をつき通すことはできないという思いがあったとしても不思議はない。

 明代が警察に行ってすべてを話して楽になりたいと考えていたのなら、明代は矢野には黙って警察に行ってもよかった。しかし明代は、その前に矢野に相談する道を選んだ。明代が事務所に行ったということは、警察に行って謝罪したいと考えていることを矢野にわかってもらおうとした、あるいは了承を得ようとしたということではあるまいか。

 ただ明代は、矢野がこの事件で非を認めるつもりは毛頭ないこと、また矢野の方針に逆らうことの難しさを経験上よく知ってもいる。矢野に電話した明代が極度に緊張していたとすれば、それは矢野に対する緊張感だった可能性もあると私はみている。

 それでも明代が警察に行く前に事務所に行ったのは、矢野に警察に同行してもらいたいという気持ちがあったのかもしれない。いずれにしても自宅から事務所に行くまでの時点で、明代はまだ前向きに人生をやり直そうと考えていたことがうかがえる。

 結果として明代は警察には行くことなく自殺の道を選んだ。明代の死後、事務所にはバッグと靴が残されたままだった。明代はバッグも持たず、靴も履かずに事務所を飛び出したという異常な状況だったということである。この事実から推測できるのは、矢野が明代の意思表示を受け入れなかったのではないかということである。

 それまでは万引き容疑を否認するということで矢野と明代の方針は一致していた。ところが取り調べが週明けに迫り、明代の心境は罪を認める方向に変化した。事務所に行った明代は矢野に「警察に行って謝罪したい」という本心を告白した。しかし矢野はそれに反対した。いわば明代の意思と矢野の方針が衝突したということではないだろうか。「警察に行って罪を認めたい」という明代の相談に矢野が容認する方向で応じていたなら、明代はビルから飛び降りる必要はない。

「警察に行って罪を認めたい」という明代に、矢野が具体的にどんな言い方で反対したのかはわからない。しかし「警察に行きたい」という明代に対する矢野の言葉はかなり厳しいものだったのではないかという推測が成り立とう。明代は矢野が同意してくれないことを悟り、裸足で事務所を飛び出したのだろう。

(つづく)
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朝木明代転落死・鍵隠蔽事件 第33回
衝動的だった可能性

 事務所を飛び出した明代は自殺現場のビルに向かった。ただ矢野に会うまでの間に明代が、もう死ぬしかないと覚悟を決めていたかといえば、それにはやや疑問が残る気がする。その日の午後、明代が万引き現場に佇んでいたこと、それに警察に行こうと考えていたことは、謝罪することで最悪の事態を避けようとしていたことを裏付けている。

 その後、裸足で事務所を飛び出した明代はそのまま現場ビルに向かい、転落死を遂げた。転落場所の真上、5階と6階の間にある踊り場の手すりには外部からつかまるかたちで手指の跡が残っていた。事務所に行くまでの明代の言動と現場の状況を総合すると、明代の転落死は覚悟の上というよりもむしろ衝動的な自殺だったように私には思える。

バッグを置いた時間

 矢野が平成7年9月1日午後9時10分過ぎに事務所に帰ってきたとき、明代のバッグはあったが、その後、明代とは会っていないと説明している。その上で、矢野が事務所に帰ってきたときカギがかかっていたから、カギをかけたのは明代で、現場捜索後に現場から明代の鍵が発見されたということは、その鍵は明代以外の第三者によって置かれたものであり、これこそ「他殺」の証拠である――と矢野は主張してきた。明代の鍵を矢野以外の何者か(犯人)が置いたとすれば、明代の死は「他殺」だという主張も説得力を持とう。

 しかし裁判の過程で判明した明代の行動に関する目撃証言や千葉が準備書面で明らかにした事実によって、東京地検の取り調べを週明け早々に控えて追い詰められていた明代の精神状態が浮き彫りになった。それを確定的にしたのが平成7年9月2日午前0時30分ころ、東村山署に電話した際の矢野の発言である。

「朝木明代が行方不明になっている。そちらに行っていないかと思って電話しました」

 明代が「警察に行く」とは、罪を認めて謝罪するということにほかならない。したがって矢野のこの発言は、当時の明代の精神状態と矢野の状況認識を知る上できわめて重要である。

 この発言は明代が矢野に「警察に行く」と伝えていたこと以外に、さらに2つの重要な事実を物語っているように思う。1つは、「明代が警察に行く」可能性を矢野が具体的に知り得たのは、9月1日の明代の行動や明代が自宅から矢野に電話をかけた際のやりとりなどから、その電話のあと以外には考えられないということ。つまり明代が転落する直前には会っていないとする矢野の説明は信用できず、むしろ明代は自宅から事務所に電話したあと事務所に行き、矢野と会ったという事実が推測できるということである。

 そうなると、午後9時10分過ぎに矢野が事務所に帰ったとき明代のバッグがあったという話はますます信憑性が薄れよう。明代は矢野が事務所に帰ってから午後10時より前の間に事務所に行き、その際にバッグを持っていったと考える方が自然なのである。

 ではなぜ矢野は、矢野が事務所に帰ってきたとき明代のバッグがあったと説明したのだろうか。明代が自殺を遂げる直前に事務所で会っていたという事実を隠したかったからではないかと考えざるを得ない。自殺の動機に結びつく何か重要なやりとりがあったということだろう。明代がバッグを事務所に持っていったのが自殺の直前であるとすれば当然、矢野が明代のバッグの中身を調べたのは、明代が事務所を飛び出したあとということになろうか。

 乙骨正生の『怪死』(教育史料出版会)では、矢野は「9時10分頃」に事務所に帰るとすぐに明代のバッグの中身だけでなく、バッグに入っていた財布の中身、金額まで勘定したことになっている。しかし、矢野は午後9時13分にトイレに入り(この時間に明代が自宅から電話をかけたが、矢野は出られなかった)、その直後には議会事務局から電話がかかり、会話途中の午後9時19分に明代と電話で会話を交わしている。明代は電話で「休んで行きます」と伝えており、その際矢野は特に明代に異状を感じてはいない。したがって、仮に矢野が事務所に帰ってきた際に明代のバッグがあったとしても、バッグの中身だけでなく財布の金額まで数える暇も、それ以前に他人の財布の中を覗くだけの正当な理由があったとも考えられない(だから矢野自身による『東村山の闇』では財布の中身まで数えたことは記載されていない)。

 矢野が明代のバッグと財布の中身を調べたことに関する不自然さは、そもそも矢野が事務所に帰った際に明代のバッグはなかったのではないかという根本的な疑問を生じさせる。むしろバッグは、明代が矢野に電話したあとに事務所に行った際に置いたと考える方がよほど自然で矛盾もない。バッグの中には鍵も入っていたはずである。とすれば、現場に鍵を置くことのできた可能性を持つ人物はかなり限定されよう。

「他殺」を否定していた矢野

「そちらに行っていないか」という矢野の発言が物語る2つ目の事実は、少なくともその時点で矢野は明代が「拉致された」とは考えていなかったということである。「拉致された」と考えていたのなら、「警察に行っていないか」と思うはずがない。むしろ矢野は転落死する直前まで明代と会っていたのだから、「拉致された」と認識していないのは当然なのだった。

 このころすでに矢野の頭の中では「拉致―他殺」「政治的謀略」などのストーリーが組み立てられていたのだと思う。しかし矢野はときに、興奮すると我を忘れて失言する癖がある。朝木に頼まれてから2時間もたって警察に電話した際、さすがの矢野も興奮していて、とっさの言い訳をしようとして思わず事実を口走ってしまったのだろう。矢野はこの言葉によって自らすでに「他殺」を否定していたことになる。

(了)
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第2次「行動する保守」事件 第23回
往生際の悪い重鎮

「行動する保守」Aが平成23年9月1日付ブログ〈故朝木明代東村山市議殺害事件 16年目の命日を迎えて〉に記載した内容などをめぐり、東村山警察署元副署長千葉英司が提訴していた裁判は平成24年9月14日、和解が成立した。その内容は、被告の「行動する保守」Aは原告に対し、6件の記事および写真を同年9月18日限り削除するとともに、同年10月15日限り解決金として10万円を支払う――というものだった。和解調書は同年9月25日、当事者に送達された。

 ところがその時点で、「行動する保守」Aが削除義務を認めていた6件の記事および写真のうち、1件の記事については削除義務が履行されていなかった。削除義務が履行されていない箇所とは平成23年9月1日付ブログの次の箇所である。

〈「大嘘つきの千葉英司元副署長」「大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言及び原告の写真を削除せよ――について

 この大嘘つきという文言は削除しません。〉

 この箇所について「行動する保守」Aは、

〈「○○つきの千葉英司元副署長」「○○つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言及び原告の写真を削除せよ――について

 この○○つきという文言は削除しません。〉

 と「大嘘」との文言について「○○」と伏せ字にしたのみだった。「千葉の虚偽発言」との文言はそのまま残っており、この部分が千葉を誹謗中傷するものであることになんら変わりはない状態だった。なによりこの削除箇所については、和解協議の席で千葉が「行動する保守」Aに「どこを削除するのか」と聞いたのに対して「行動する保守」A自身が自発的に削除を申し出たという経緯があった。

 にもかかわらず「行動する保守」Aは、自分の記事に根拠はなくてもプライドだけはあったのかと思わせる対応でごまかそうとしたのである。とうてい社会経験を積んだ重鎮とも思えない往生際の悪さだった。「行動する保守」Aはこの箇所について、一部を伏せ字にすれば許されると考えていたのだろうか。

賢明な対応

 千葉は「行動する保守」Aが和解条項を履行しないことについて、他の部分はすべて履行したからこの部分については目をつぶるかなどと考えていたわけではなかった。「行動する保守」Aがこのまま履行しなければ、相応の手段をとるつもりだった。

 こうして迎えた解決金の支払い期限である10月15日にはまだ振込がなかったものの、16日ころには千葉の口座に「行動する保守」Aから10万円が振り込まれているのが確認された。また同日ころ、削除を約束しながら最後まで抵抗を続けていた箇所についても完全に削除されたことが確認できた。当該部分を削除すると文章全体が成立しなくなることだけはわかったのか、「行動する保守」Aは和解条項以上の範囲をそっくり削除した。これは国会記者倶楽部に所属するジャーナリストでもあるという重鎮らしい賢明な判断であると評価すべきだろう。

 ただ惜しむらくはやはり、最初から伏せ字にしてごまかすなどという中途半端なことをせず、すっぱり削除しておけば、自らの器量を露顕させることもなかったのではあるまいか。「行動する保守」Aは10月になってすべてを削除したことで、浅慮にも当初の対応がその場しのぎのものだったことを自ら証明してしまったということになろうか。

プライドを示した重鎮

 千葉が「行動する保守」Aを提訴した2回目の裁判はこうしてようやく終結をみた。1次裁判と合わせて、いずれも千葉の全面勝訴といえる内容である。「行動する保守」Aは「朝木明代は謀殺された」とする主張についてなんらの立証もできなかったのみならず、「行動する保守」Aが「真相究明活動」に乗り出すきっかけとなったはずの「内部告発」が伝聞の伝聞の、みごとな与太話だったことを自白した。なによりその点において「行動する保守」Aは敗北したのである。

 ところが「行動する保守」Aは自分が立証できなかったことをどう認識しているのか(あるいは現実認識の基準が普通とは異なるのか)、全面敗訴の内容の和解が成立してもなお「朝木明代殺害説」に固執していたという。和解協議終了後、千葉は裁判官の許可を得て、裁判官の前で「行動する保守」Aに対して2点の質問をした。1点目の千葉の質問と「行動する保守」Aの回答は以下のとおりである(趣旨)。



千葉  あなたもジャーナリストなら、事実に基づいた記事を書いたらどうだ。特に東村山事件の記事はすべて事実に反している。

「行動する保守」A  いや、そんなことはない。すべて事実だ。



 朝木事件に関する主張がすべて事実というのなら、「行動する保守」Aは当然、今後も「真相究明活動」を継続していくつもりなのだろう。ただ平成24年7月24日に「行動する保守」Aとその弟子らが東村山市内で街宣を行った際、情報発信源である東村山市議の矢野穂積も朝木直子もいっさい顔を出さなかった。どうやら「行動する保守」Aははしごを外されたもののようにみえた。

 いずれにしても「行動する保守」Aは、プライドを持っているのはいいが、朝木事件に関してこれまで書いてきたことが「すべて事実だ」というのなら「伝聞の伝聞」や憶測ではない客観的証拠を示していく必要があろう。もちろんその中には「内部告発」も含まれることを忘れるべきではない。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第24回
書面と食い違う回答

 平成24年9月14日の和解成立後、千葉が裁判官の前で「行動する保守」Aに聞いたもう1つの質問は万引き被害者に関するものだった。千葉の質問と「行動する保守」Aの回答は以下のとおりである(趣旨)。



千葉  万引き被害者をなぜ「創価学会員」だというのか。洋品店主は(だから「万引き事件をでっち上げた」といわれて)怒っている。訂正したらどうか。

「行動する保守」A  洋品店主を「創価学会員」と断定したことはない。



 千葉の質問に「行動する保守」Aはこう応えた。和解成立の当日に提出した第3準備書面で「行動する保守」Aは〈洋品店オーナーの○○○○(筆者注=実名)は創価学会員である。〉と記載していた。その上「行動する保守」Aは、その点について〈千葉は、洋品店の○○○○(同)が創価学会員であることを認めるか、認めないか、明らかにされたい。〉と求釈明までしていた。だから千葉のこの質問は、「行動する保守」Aの求釈明に対する回答でもあったのである。

 ところが「行動する保守」Aは「洋品店主を『創価学会員』と断定したことはない」という。普通、自分で書面を作成したのなら、また「行動する保守」Aが国会記者倶楽部に所属するジャーナリストであればなおのこと、その日に提出した書面の内容を忘れることはあり得ないだろう。きわめて不可解な回答に思える。

 そこで念のために私は、「行動する保守」Aが「真相究明」と意気込んでいた平成20年当時の記事をざっと読み返してみた。すると私が探した限りにおいて、「行動する保守」Aが万引き被害者を「創価学会員」であると断定した記述は見当たらなかった。では「行動する保守」Aはなぜ今になって、万引き被害者が「創価学会員」であると断定したのか。またそう記載しておきながら、千葉の質問に対して「行動する保守」Aはなぜ「洋品店主を『創価学会員』と断定したことはない」と答えたのか。

行政書士が陳述書を提出

 この複雑な矛盾を氷解させる仮説がないこともない。「行動する保守」Aの準備書面を作成しているのが「行動する保守」Aではなく別の人物で、「行動する保守」Aはその中身を十分に読み込んでいなかった――こう考えれば辻褄も合う。

 千葉の本件裁判だけでなく、同時期に進行していた私が「行動する保守」Aを提訴している裁判でも、とりわけ書証の手書き文字には共通した特徴があった。その筆跡はかつて私が浦安の行政書士を提訴した際に提出された書類の筆跡に酷似していたのである(それを悟られたくなかったのか、最近の私の裁判では、最も特徴が表れていた「第」の文字を記載していなかった)。そのことを非難する趣旨ではないが、私は今回の千葉の裁判と私の裁判の書類はすべて浦安の行政書士が代筆しているとみている。

 仮に「行動する保守」Aの書面を行政書士が代書していたとして、では行政書士は万引き被害者についてどういう認識を持っているのだろうか。「行動する保守」Aが第3準備書面を提出した日、その行政書士が陳述書を提出していた。その中に行政書士の被害者に対する認識をうかがわせるに十分な記載があった。

きわめて激しい思い込み

 行政書士は次のように記載している。



(陳述書における行政書士の記載)

 私は、西村氏の知人だったので、平成20年11月13日、別訴2(筆者注=第1次西村裁判)の初回弁論を傍聴しました。西村氏の支援者も多数が傍聴しました。閉廷直後、西村氏及び支援者は、法廷から一斉に退去しましたが、私は、千葉が万引き冤罪事件の関係者又は創価学会関係者と接触するかも知れないと思い、他の事件の傍聴者に紛れて法廷に残っていました。

 すると、千葉といつも一緒に行動している宇留嶋瑞郎(以下、「宇留嶋」といいます)が、法廷の柵内に留まっていた千葉に近づいて声をかけました。千葉は、法廷の柵外に出て、傍聴席横で宇留嶋とコソコソ密談していました。また、女も千葉に近づいてコソコソ密談していました。千葉は、女に「お店は大丈夫ですか」と聞いていました。なんと、その女は、○○(筆者注=万引き被害者の実名)でした。
 
 私は、平成20年9月1日の本件街宣の際、洋品店内から千葉が出て来たことをインターネット上に公開された映像で確認していましたので、千葉は、○○(同)と共謀のうえ、洋品店内に待機していたと確信しました。



 上記記載では〈万引き冤罪事件の関係者又は創価学会関係者〉と書いているが、上記文章の末尾で千葉と「共謀」という文言を使用しているからには、行政書士の意識の中では実質的に両者はイコールの関係にあるとみていいだろう。なおこのとき千葉が話をした女性は万引き被害者ではなく、まったくの別人である。店を襲撃した連中が集まっている場所に万引き被害者がわざわざ出かけるはずがあろうか。

 千葉が女性に「お店は大丈夫ですか」などと聞いた事実もない。この女性を万引き被害者と思い込んだ行政書士には、存在しない発言まで聞こえたというのだから恐ろしい。

〈千葉が万引き冤罪事件の関係者又は創価学会関係者と接触するかも知れない〉という最初の思い込みが、まったく無関係の女性を万引き被害者とみてしまうという第2の思い込みを生み、2つの思い込みの連鎖が存在しない千葉の声まで聞かせたのだろう。「行動する保守」Aにもいえることと思うが、瞬間的な思い込みと現実との区別がつけられない未熟あるいは脆弱な認識力が、矢野と朝木のデマに手もなくひねられた理由でもあるのかもしれない。

 また当時、行政書士は自身の平成20年9月5日付ブログで次のように記載している(この箇所は千葉から提訴され、すでに削除されている)。



(ブログにおける行政書士の記載)

 13年前の「万引き捏造事件」の捜査指揮を取った当時の東村山署の千葉副所長(ママ)が○○(筆者注=洋品店名)前へお出まし。彼ら(創価)にとって非常事態であることの表れだろう。



 ここで行政書士がいう「彼ら(創価)」の中には当然、万引き被害者も含まれよう。行政書士が当時、万引き被害者が「創価学会員」であると認識していたということと理解できる。

 その前提であらためて「行動する保守」Aが提出した準備書面にある〈洋品店オーナーの○○○○(筆者注=実名)は創価学会員である。〉とする記載を見直すと、準備書面を代筆したのが行政書士なら、この記載内容はなんら不自然ではないと思わせた。また、その内容を「行動する保守」Aが十分に読んでいなかったとすれば、千葉の質問に「そんなことはいっていない」と答えたことも辻褄が合うのだった。

準備書面と陳述書の共通点

 同日に提出した準備書面と陳述書の間には、同一人物が書いたのではないかと思われるほど酷似した表現もあった。「行動する保守」Aは準備書面で次のように記載している。千葉が行政書士を提訴した裁判の口頭弁論で、行政書士が千葉に対して洋品店襲撃事件の際に洋品店で待機していた理由を聞いたときの千葉に関する「行動する保守」Aの認識と主張である。



(準備書面の記載)

(行政書士から聞かれて)返答に窮した千葉は、悔し紛れに①「それは、ここにいる皆が知っている」と意味不明な発言を行い、訴外黒田から失笑された。千葉は、逆上するように②「あなたたちも店へ行って妨害しただろう」と発言を行った。



 一方、行政書士は陳述書で同じ場面を次のように記載している。



(陳述書の記載)

3 返答に窮した千葉が苦し紛れに発した言葉及びその後の虚偽発言

(行政書士から聞かれて)返答に窮した千葉は、苦し紛れに、「それは、ここにいる皆が知っている」と意味不明な言葉を発しました。私は呆れて吹き出しました。傍聴席からも失笑が聞こえました。それに気付いた千葉は、逆上するように「あなたたちも店へ行って妨害しただろう」と突飛な虚偽発言をしました。



「返答に窮した千葉は、悔し紛れに」「意味不明な発言を行い」「失笑」「逆上するように」と、同一の文言が同じ順序で配置されている点からみて、同一の思考回路で構成された文章であるとみていいのではあるまいか。

 いずれにしても行政書士がわざわざ陳述書まで提出したその日、「行動する保守」Aは記事および写真の削除と10万円の支払いという条件を受け入れ、和解に応じた。行政書士の協力は何の役にも立たなかったようである。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第25回
第1次裁判の結果に関心

 私が肖像権を侵害されたとして「行動する保守」Aを提訴していた裁判は平成24年10月23日午後1時30分からさいたま地裁川越支部で第4回口頭弁論が開かれた。法廷にはこの日も弟子のほかに公安3名が傍聴に来ており、「行動する保守」Aの右翼としての存在感をうかがわせた。法廷内外では裁判所職員も警戒にあたっていた。

 5日ほど前、自宅に「行動する保守」Aから準備書面が直送されていた。準備書面は「国会記者倶楽部」の封筒に入っており、準備書面と書証にはこの裁判では初めて直径21ミリの印鑑が押されていた。

 口頭弁論が始まり、裁判官はまず双方が当日付で提出した準備書面と書証を確認して陳述扱いとしたあと、裁判官は原告の私に対して1点だけこう聞いた。

「前回訴訟の結果はどうなりましたか?」

「行動する保守」Aは私が以前にも同じ写真をめぐって提訴しており、「今回の写真はその際に提訴できた」と主張し、1次裁判の訴状を提出していたのだった。しかし判決文は提出していなかった。裁判官は1次裁判の結果に一応興味があったのだろう。

 裁判官の質問に対して私は「10万円の支払い命令です」と答えた。裁判官はそれに間違いないかどうか「行動する保守」Aにも確認すると、「ではこれで結審したいと思いますが、よろしいですか」と双方に聞いた。前回口頭弁論の終了間際に「行動する保守」Aが申し立てた人証申請の件には一言も触れない。それが裁判官の判断だったということである。

「行動する保守」Aも月刊タイムスの社長が本件とは無関係であることを理解したのかどうか、人証についてはいっさい主張せず結審に同意した。私もこの日に提出した準備書面で主張は尽くしたと考えており、裁判官の指揮に同意した。

 前回口頭弁論の終了直前に「行動する保守」Aが裁判官に質した点があった。「行動する保守」Aによれば、前回口頭弁論前に同日付で提出した書類の内容がインターネット上で公表されていたという。「行動する保守」Aは「裁判所で公表しているのか」と聞くことで、仮に裁判所でなければ誰が流したのかを突き止めたかったようである。裁判官は「調べてわかる範囲で回答する」旨答えた。しかしこの日、裁判官はもう忘れていたのか、この点にも言及せず、「行動する保守」Aも特に改めて追及しなかった。

 こうして本件は結審し、裁判官は判決言い渡し期日を平成24年11月13日午後1時30分と指定した。結審から判決言い渡しまでの3週間という期間は、私の経験した限りでは最も短い。たまたま裁判官に時間的余裕があったのだろうと思われた。

「行動する保守」Aのグループ内にスパイが存在?

 裁判官の頭の中ではすでに判決文は出来上がっていると思われるが、双方の最後の主張を紹介しておこう。

 まず「行動する保守」Aは第3準備書面であらためて、私の提訴は時効であるとする主張を行っている。私は平成24年になって知り合いから本件写真が掲載されていることを知り提訴したと主張し、知り合いから送られたメールを証拠として提出していた。その点について「行動する保守」Aは次のように主張していた。



(「メール」に関する「行動する保守」Aの主張)

 原告宇留嶋は、甲19(筆者注=メールの写し)の作成者を明らかにしていない。甲19は、原告宇留嶋及びその内通者による自作自演であり証拠価値はない。……また、原告宇留嶋は、内通する訴外千葉英司による平成24年4月16日の「別訴2」に合わせ、本件訴訟を提起した(乙10=筆者注=千葉の「行動する保守」Aに対する第2次訴訟の訴状)。

 被告「行動する保守」Aは、別訴2(乙10)においても、訴外千葉その他の原告宇留嶋の内通者が提出する証拠(甲号証)は、自作自演によるもので証拠価値はないと主張立証した。

 本件の甲19についても、原告宇留嶋及びその内通者が、本件請求の消滅時効を隠すため、自作自演に基づき、いかにも訴外千葉の提訴後に情報提供を受けて「損害及び加害者」を知ったかの如く演出しているに過ぎない。



 相手は徒党を組んで一般市民の店に押しかけ誹謗中傷することをも容認する人物である。私が知人からのメールを書証とするにあたり個人情報が知られる状態で提出することはできない。私は知人の了解を得た上で、マスキングして証拠提出したのである。

 また「行動する保守」Aは、私にメールを送ってくれた人物をしきりに「内通者」と断定するが、「内通者」とはすなわち「スパイ」のことである。すると「行動する保守」Aの主張によれば、「行動する保守」Aのグループ内に私と通じるスパイが存在し、私がそのスパイと連絡して虚偽のメールを送らせた(自作自演)ということになる。

 かなり荒唐無稽な話というべきで、これでは裁判官もまともに取り合おうという気にはなれないのではあるまいか。「内通者による自作自演」とはまた複雑な主張で、それなりの証拠が必要と思うが、証拠は提出されていない。

弟子が陳述書を提出

 さらに「行動する保守」Aは私の取材について次のように主張している。



 乙11で明らかなとおり、原告宇留嶋が「取材」を名目にし、陰湿、継続的及び組織的な付きまとい及び監視と嫌がらせを行い、不法又は不当な取材を行っていたのは明らかである。



 ここでいう「乙11」とは「行動する保守」Aの弟子が提出した陳述書のことである。この陳述書は「本件訴訟の第2回口頭弁論の終了後(筆者注=平成24年7月24日)に街宣を行った際の原告宇留嶋の付きまとい及び監視といった嫌がらせをまとめたものである」という。つまり「行動する保守」Aはここで、後に起きたとする事実によって、4年前の街宣時もやはり私の取材状況は「不法又は不当」だったと主張しようとしていた。

 何か物的証拠でもあるというのなら別だが、たんに今年の私の取材に対する弟子の受け止め方(主観)のみを根拠に4年前の取材の態様を立証するというのはきわめて困難なのではあるまいか。なお、陳述書には直径15ミリの印鑑が押されていた。

 陳述書は冒頭で〈原告宇留嶋瑞郎による執拗な付きまとい、不当又は不法な取材活動について、経験してきたことをありのままにお話しします。〉と記載しているとおり、私の取材活動がいかに不当なものであるかを訴えようとするものである。

 彼らはいまだ襲撃事件について非を認めておらず、とりわけ「行動する保守」Aは店主を「創価学会員」であると決めつけている。東村山駅前に集まったメンバーたちがそのまま、あるいは「行動する保守」Aが再び洋品店に因縁をつけに行く可能性があった。私と千葉が街宣に行ったのは当然、洋品店を守るためである。

 実際に、当日東村山駅前に集まったメンバーの中には平成20年9月1日の洋品店襲撃事件に直接参加した者が含まれており、とてもにわかには信用できない内容の創価学会批判を行っていた。だからよけいに「行動する保守」A一行から目を離すことができず、彼らが東村山を立ち去るまで見届ける必要があった。それが弟子の立場からすると〈執拗な付きまとい、不当又は不法な取材活動〉と見えたらしい。いずれにしても一方的な内容である。

 この陳述書の内容は本件記事から4年後の話で、本件に影響を与えることはないと思われる。ただ内容はともあれ、気になったのは陳述書の中に私と千葉、その他2名の取材者が写った写真と私だけの写真の2枚が掲載されていたことである。いずれの写真も撮られたことに気がつかなかった。それぞれの写真説明は以下のとおりである。

〈写真中央のチェック柄のシャツが宇留嶋、白い帽子をかぶっているのが千葉、宇留嶋の前の水色のシャツが私達の虚偽を流布して誹謗中傷している○○(筆者注=実名と思われる姓)〉

〈写真左端が「行動する保守」A、写真中央右が宇留嶋〉

 はたしてこれほど詳細なキャプションが必要だったのか。またそれ以前に、この陳述書に写真が必要だったのかという根本的な疑問もある。それにしても肖像権侵害が争われている裁判に相手方の写真を無断で堂々と提出するとは大胆不敵というべきだろうか。

(つづく)
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