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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「朝木宅襲撃事件」 第9回
『週刊実話』も同様の記事

 朝木は本当に「暴漢」から「てめぇ、ぶっ殺してやる」と脅され、週刊誌の取材に対してそう伝えたのだろうか。

 そのことを検証する材料としてもう1つ、「事件」を伝えた『週刊実話』(平成18年3月9日付)の記事がある。『週刊実話』もまた明代の自殺に関して疑惑仕立ての記事を掲載した実績がある。

 その『週刊実話』も独立した記事ではなく〈News! 4回転ワイド〉という雑多な記事を集めた特集の中の1本として取り上げた。タイトルは〈謎の自殺から11年 東村山・朝木市議の実娘を襲った怪事件〉。『週刊実話』では「事件」を矢野のいうように「殺人未遂事件」とは表現せず「怪事件」とのみ記載している。『週刊新潮』の〈「暴漢乱入」〉よりも一歩引いた表現といえるのではあるまいか。余談だが、明代の転落死を「自殺」と記載している点は評価できる。

 この記事で朝木は次のようにコメントしている。

「……自宅2階で寝ていたところ、わめき散らす男の声が聞こえてきたんです。なんだろう、酔っぱらいかなと思っていると、その男は私の家の敷地に押し入って来て、『てめぇ、出てこい、このヤロー』などと怒鳴りながら、1階のサンルームのガラスをドンドンと叩き始めました」

「男は激しくガラスを叩いていましたが、……今度は家が揺れるほどの激しい勢いでガラスを蹴りはじめました。『出てこい、このヤロー』と叫びながらの激しい蹴りに、私は蹴破られて侵入されるのかと、強い恐怖を憶えました」

 確かに就寝中に自宅敷地内に不審者が侵入し、いきなり「このヤロウー」などとガラスを蹴られたのでは、確かに身震いするような恐怖を覚えただろうことは察するに余りある。しかし『週刊新潮』同様に、『週刊実話』にも「ぶっ殺してやる」という発言は記載されていなかった。なぜなのだろう。『週刊実話』から取材を受けた状況についても代理人が訊いている。そのやりとりも紹介しよう。



代理人  このとき(『週刊実話』の取材の際)もあなたは、自分の記憶のまま記者の人に話をしたと。

朝木  そうですね、そのとおりです。

代理人  このときもあなたは、男のほうが、出てこい、という話と、てめえ、ぶっ殺してやる、という発言をしたということを、この記者の人にいってましたか。

朝木  発言というか、ありのままをお話ししました。

……略…

代理人  このときに、あなたは「週刊実話」の記者のほうにも、ちゃんと男が、てめえ殺してやる、というふうにいってたということは、伝えてるということですね。

朝木  ありのままをお伝えしてあります。



 私の代理人が重ねて「てめえ、ぶっ殺してやる」といわれたかと訊いたのに対して、朝木は「ありのままを伝えた」と答えている。すると朝木が『週刊実話』に対しても「『ぶっ殺してやる』といわれた」とコメントしたとすれば、同誌もまた偶然にこの発言を聞き漏らしたか、あえて不審者のこの発言を記載しなかったのだろうか。

 普通に考えれば、同じように取材した2つの週刊誌が、2誌とも偶然に同じ発言を聞き漏らしたとも、聞いていながらあえて記載しなかったとも考えにくい。朝木は『週刊新潮』に対しても『週刊実話』に対しても「『ぶっ殺してやる』といわれた」と伝えたと主張するが、実際には朝木はそのようなコメントはしなかった――そう考える方がすんなり腑に落ちるのである。

 朝木が実際に「ぶっ殺してやる」といわれたとすれば、週刊誌に対してそう伝えないはずがない。そう考えると、事実は、不審者はガラスを蹴りながら「出てこい、このヤロー」といったかもしれないが、「ぶっ殺してやる」とはいっていないということではないのだろうか。同じように取材した『週刊新潮』と『週刊実話』が、同じような内容の記事を掲載し、打ち合わせでもしたかのように「出てこい、このヤロー」の発言については記載しているにもかかわらず、「てめぇ、ぶっ殺してやる」との発言は記載していないという点からすると、やはり不審者がそのような発言をした事実はなく、朝木もまた取材に際してそのような発言があったとは答えていないということではないかと私は考えた。

東京地裁の認定

 取材に対して朝木が本当に「『てめぇ、ぶっ殺してやる』といわれた」と話していたとすれば、『週刊新潮』も『週刊実話』も、いずれもきわめて重要な発言を記載していないことに対し不満を持っていても不思議はない。私の代理人の尋問では記事が不本意であるとさえ供述しなかった。朝木の本心はどうなのか。その点について朝木の代理人が聞いてくれているので朝木の本心を聞こう。



矢野・朝木代理人  今、「週刊新潮」、「週刊実話」の記事の話が出てましたけど、これは、おうおうにあることかなとも思いますけれども、要するに、あなたの言ったこと(筆者注=「てめぇ、ぶっ殺してやる」といわれたとする主張)が、当然そのまま記事にはなっていない、そういうことなんですかね。

朝木  そうですね、若干というか、かなり事実と違うところもある記事ですね、両方とも。

代理人  もちろん、発売前にあなたが原稿を確認されるなんてことは当然ないわけでしょう。

朝木 見ておりません。

代理人  そうすると、週刊誌の記事は、あなたの言ったこと、あるいはあなたの思っていることと、ちょっと大分違うんじゃないのという、そういう面もあるということですかね。

朝木  そうですね、ちょっと事実関係がかなりずれているなというところはありましたけれども、読んだときに、ただ、特に抗議をする事件の本筋をゆがめるようなものでもなかったので。



「殺人未遂事件」と主張する朝木が「てめぇ、ぶっ殺してやる」といわれたかどうかは、実際に事件を体験していない第三者に真相を訴える意味できわめて重要な事実だと思うが、朝木は両誌の記事が本筋をゆがめるものではないと考えているようである。

 では、裁判所は朝木の供述をどうみたのか。



(「『ぶっ殺してやる』といわれた」とする主張に対する東京地裁の認定) 

 原告朝木が両誌の記者の取材に応じていたことや両誌の記事は内容がほぼ同じであることからすると、両誌の記事には週刊誌の記事に特有の誇張はあるとしても、原告朝木が取材に応じて語った内容をほぼ忠実に再現しているものとみられる(ところで、原告朝木は、前記のとおり、取材を受けた際、記者には「てめぇ、ぶっ殺してやる」との男の言葉を伝えた旨を供述しているが、原告朝木が記者にそのことを伝えていたというのであれば、この種の記事の性質上、記者があえてこの言葉を記事に書かなかった理由は見出し難いから、原告朝木が男の言葉を記者に伝えていなかったか、あるいは、原告朝木の供述(同原告は、両誌の記者の取材を受けて記憶にあるままを語ったものであって、両誌の記事は本筋をゆがめるものではないと供述している。)に照らすと、原告朝木は当日男からそのような言葉を聞いていなかったとの可能性が考えられる。)。



 東京地裁のこの判断はきわめて常識的であるように思われる。

(つづく)
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「朝木宅襲撃事件」 第10回
ガラスを足で蹴った「暴漢」

『週刊新潮』と『週刊実話』に掲載された朝木のコメントには、「てめぇ、ぶっ殺してやる」とする「暴漢」の発言が含まれていなかったことのほかにも、事件の真相を物語っていると思える朝木自身の認識や警察の認識判断が多く含まれていた。まず当初の「暴漢」に対する認識を朝木は次のように語っている。



(朝木の当初の認識)

「何で朝早くからこんな路地に酔っ払いがいるのだろうと思ったのです」

「酔っ払っているように見えた男」(以上、『週刊新潮』)

「自宅2階で寝ていたところ、わめき散らす男の声が聞こえてきたんです。なんだろう、酔っぱらいかなと思っていると……」(『週刊実話』)



 朝木によれば、男はその後、朝木宅の敷地に侵入してガラスを叩いたりするのだが、少なくとも男の「わめき散らす」声を聞いた時点で朝木は、男を「酔っ払い」と認識していたことがわかる。朝木は路地でわめいている男の声を聞いただけでしらふと「酔っ払い」とを選別したわけだが、それにはよほどはっきりした根拠があったはずである。

 ところで矢野と朝木は、その「暴漢」を朝木直子の命を狙った「殺人未遂犯」だと主張している。しかし朝木を殺そうと考えていたなら、普通は他人にさとられないよう、物音を立てずに侵入しようとするだろう。わざわざ自分の存在を「命を狙っている」相手だけでなく無関係の第三者にも知らせることがあり得るだろうか。

 ごく普通の住宅地に住む人間の命を狙う時間帯も、通常は人が寝静まった夜が適していよう。にもかかわらずこの「暴漢」は朝の6時20分に、朝木によれば朝木宅につながる路地に入ったところで「わめき散らしていた」という。しかもこの早朝の6時20分という時間は「もう外が明るい状態だった」と朝木は尋問で供述している。「暴漢」が本当に朝木の命を狙っていたのなら、もっと早く行くべきだったろう。

 その後この「暴漢」は朝木宅の敷地内に侵入しガラスを蹴ったという。ガラスを蹴れば当然それなりの音がするだろうし、割れればもっと大きな音がする。何かが起きていると周囲に知らせるようなものである。こんなアホな殺し屋がいるだろうか。

 この「暴漢」が「朝木の命を狙った」のなら最初から家への侵入を想定しなければおかしい。とすれば、「暴漢」は侵入のための道具を携帯しているはずではないだろうか。しかし矢野も朝木も「暴漢」が殺人犯らしい道具や凶器を所持していたとはいわず、週刊誌にもそのような記載はいっさいない。

 仮に「暴漢」が道具や凶器を所持していたとなれば、間違いなく別の容疑で逮捕され、ニュースになっていたはずである。しかしそのような報道がなされた事実もない。「犯人」が凶器を所持していたかどうかについては私の代理人が矢野に聞いている。



代理人  特に犯人が凶器を持っていたとか、そういう話もないですね。

矢野  凶器はわかりませんが、ガラス窓をけ破ろうとしたというのは、基本的に意図ははっきりあると思いますけど。

代理人  手に何かバットを持っていたという、包丁を持っていたとか、そんな話は聞いたことがないですね。

矢野  それは確認してませんが、足でガラスをけったら、普通は割れますからね。



 要するに矢野も、「犯人」が凶器を持っていなかったことを知っているということだった。ガラスを割ろうとする意図があったともみえることと、「朝木の命を狙う」という計画性があったことは別の話だろう。

 このように客観的状況を総合考慮すると、家の中にいた朝木の不安は察するに余りあるとは思うが、朝木の当初の直感は正しく、これはやはり悪質な「酔っ払い」だったとみるべきではないのだろうか。

しばしば迷惑をかけている「常習の酔っ払い」

 では警察の判断はどうだったのだろう。



(朝木のコメントからうかがえる警察の認識と判断)

「男の話によると明け方3時まで東村山駅近くで飲んでいて、その後のことは何も覚えていないというんです。警察によれば男は常習の酔っ払いで、あちこちで酒を飲んでは迷惑をかけ、警察の厄介になっているというんです」(『週刊新潮』)

〈東村山署は、……「酔ってこれまでにもしばしばトラブルを起こしている常習者である」などとして、保護した後に釈放する姿勢を見せたという。〉(筆者注=この部分は直接的に朝木のコメントではないが、朝木への取材に基づくものと思われる)

「警察は単なる酔っぱらいのいたずらだから、保護した後に釈放するというのです。」(以上、『週刊実話』)



 両誌に記載された朝木のコメント等によれば、警察の認識、判断は、「男は『常習の酔っ払い』で、男の行為については『酔っ払いのいたずら』」というものだったことがうかがえる。警察が男を「常習の酔っ払い」と認識していたということは、すなわちこの男が東村山署の世話になったのはこれが初めてではないということになろう。その行為が悪質であることは否定しない。しかし、男の行為が「殺人未遂」だったとまで断定するのはかなり無理があるのではあるまいか。

 両誌によれば、東村山署はその男が以前も酔っぱらって他人に迷惑をかけたことがあり、今回も同様に酔っぱらって騒いだものと判断したということと理解していいのではないかと私は考えた。

 なお朝木自身も尋問で、警察から「暴漢」について聞かされた話として次のように供述している。



朝木  警察の方が、本人が酔っ払って、ちょっと暴れちゃっただけだ、みたいなことを、警察の方に言い訳をしてるというのは、警察の方から聞きました。



 朝木のこの供述は、両誌が掲載した朝木のコメントと矛盾しない。

 また両誌の記事が掲載されたのは『週刊新潮』が平成18年2月16日(同23日号)で『週刊実話』が同年3月2日(同9日号)と、ひと月近い開きがある。にもかかわらずその内容は同じで、なんらの進展もない点も「殺人未遂事件」を主張するにしてはやや不可解に思われた。

(つづく)
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右翼M事件・債権取り立て編(その1)
 警視庁東村山警察署元副署長の千葉英司が機関紙の記事をめぐり東京都中野区在住の右翼Mを提訴した裁判は、平成23年12月8日、最高裁が右翼Mの上告を棄却し、10万円の支払を命じた東京高裁判決が確定した。

 右翼Mは平成7年9月1日に発生した東村山市議・朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐり、「現職警察官による朝木明代殺害犯を警察は確保していたという内容の内部告発があった」とする「行動する保守」のAの現実ばなれした伝聞(のちにこの「伝聞」が実際には箸にも棒にもかからない「伝聞の伝聞」だったことが明らかになった)情報を、頭から信じ込んだ。確かなところはわからないが、右翼Mはよほど「行動する保守」Aを信用していたということではないかと推察する。

 いずれにしてもその結果、右翼Mは明代の万引き事件でアリバイ工作を共謀した矢野穂積(現東村山市議)のデマ宣伝も事実であると思い込み、機関紙「政経通信」に「朝木明代の転落死は他殺で、副署長の千葉は真実を隠蔽して自殺にすり替えた」とする内容の記事を掲載した。この裁判はこの記事に対して千葉が提訴していたものである。

右翼Mから届いた「宣戦布告」

 判決確定から約1年半がたっても右翼Mから損害賠償金の支払いはなかった。このため千葉は平成25年3月7日付で右翼Mに対して督促状を送付した。〈賠償金の支払について〉と題し、支払い催促の文言と「支払い期限 平成25年4月30日」などを記しただけのきわめて簡潔な督促状である(なお、千葉は「主権回復を目指す会」代表の西村修平に対しても2件分、計43万円の支払いを求める督促状を同日付で送付している)。

 これに対して右翼Mからはしばらく何の回答もなかったが、4月5日になって右翼Mから次のような文書が届いたのである。



〈賠償金の支払請求について〉(1)筆者注=カッコ数字は便宜上、筆者が付けたもの)

一、貴殿におかれましては、一連の事件における責任を痛感し反省すると共に、今までの所業を悔い改めたものであろうと、私なりに推察致しておりました。

 しかしながら、今般貴殿より金員の支払を求めるが如き書状が舞い込んでまいりました。この事態を直視するにおいては、貴殿の今までの反省を示す平穏なる態度が欺瞞なるものであるのか、と疑問を持たざるを得ません。

 貴殿及び貴殿を取巻く勢力が反省し悔い改めたということを前提として、貴殿と貴殿を取巻く勢力に対する下記の行動を実行する権利を一時的に留保してきました。

 しかしながら今般、貴殿が私に対し不当とも言える金員の支払を強要するような事態に直面し、権利の留保を解除することをも検討しなければなりません。



 一言でいえば、ここまで読んだだけでも、早くも並大抵ではない文書であるといえようか。

 本件において千葉が何を反省すればいいというのかさっぱりわからないし、千葉がこれまで損害賠償金の請求をしなかったことを右翼Mが「千葉の反省」を表すものと理解したという理屈はますます理解できなかった。千葉がこれまで支払いの督促をしていなかったからといって、それを理由に千葉が「かつての所業を悔い改めて損害賠償の請求を放棄した」と考えていたとは、ずいぶんとまた甘ったれた、あるいはきわめて自己中心的な発想である。

 また右翼Mがいう「貴殿を取巻く勢力」にいたっては、救いようもない妄想というほかなかった。

 それでもとにかく右翼Mは、こんなわけのわからない理由によって「行動を実行する権利を一時的に留保してきた」という。そもそも、その理由は妄想に基づくものだから「権利を留保する」理由は最初からないのだが、右翼Mは一方的に、千葉が支払いを強要(日本社会では、判決に基づく請求権の行使を「強要」とはいわない)するなら次のような事項を実行に移すというのだった。



〈賠償金の支払請求について〉(2)

1、 創価学会による言論弾圧事件を検証するパネルディスカッションの開催を要求する。

    広く世間一般に開放し、大衆を前にして真実を明らかにする。

   創価学会信者であり公明党活動家である箱崎慎一氏にはパネラーとして登場を要請する。
   パネルディスカッションの場に置いて、都議・高倉良生の写真を転用されたことで、如何なる被害を受けたのか説明する機会を与える。

   私達がJR中野駅前で高倉の写真を掲載したビラを頒布していた平成21年6月17日、箱崎は現場にいなかったにも拘らず、裁判においては「現場に行った」、と偽証した経緯について釈明する機会を与える。

2、 都民の税金を詐取した高倉の犯罪行為を有権者に広報宣伝する。

   本年6月の都議選における再出馬をしないように要請する。

3、 高倉が私を名誉棄損罪で警視庁に告発した件について、如何なる名誉が毀損されたのか高倉に真意を問い合わせる。

4、 私を公職選挙法における虚偽事項公表罪で警視庁に刑事告発した、当時の中野区議飯島謹一・岡本勇夫・平山英明・梁川妙子・江口済三郎・久保りか・小林秀明・南勝彦・白井秀史に対しては、「虚偽事項」の内容と刑事告発の経過について問い質す。

5、 平成7年に創価学会によって殺害されたとされる朝木明代東村山市議(当時)の死の真相究明の為の活動を行う。

6、「5」の事件を自殺として処理した千葉英司・東村山警察署副署長(当時)の責任を追及する。



 右翼Mはこう息巻くのである。しかし上記6項目のうち、1~4までは千葉とは何の関係もなく、これだけみても右翼Mが著しく冷静さを欠いていることがうかがえる。5、6については止めることはできないが、右翼なら罪もない市民に迷惑をかけるようなことだけはするべきではない。

 ただ、右翼Mが「行動する保守」Aや東村山市議、矢野穂積のデマ宣伝にもかかわらずなお明代の自殺が本当に「他殺」だとする根拠を持っているのなら、千葉が損害賠償を請求したかどうかとは関係なくやるべきだろう。千葉が請求したことを理由にやるというのは、千葉に対する報復的意味合いが含まれていると勘繰られてもやむを得まい。

 いずれにしてもここまで読み進めた時点で、右翼Mは機関紙に掲載した千葉および明代の自殺に関する記載についていっさいの非も認めていないことがうかがえた。やはり右翼Mは、この期に及んでも自分が「行動する保守」Aと矢野穂積のデマを信用したこと自体を認めたくないということなのだろうか。千葉が喝破した「情けない右翼」という評言はますます右翼Mにふさわしいものである。

(つづく)
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右翼M事件・債権取り立て編(その2)
裁判での主張を法廷外で蒸し返し

 さて右翼Mは続いて、裁判でも主張した独自の主張を繰り返している。千葉が「記事によって社会的信用及び評価を低下させられた」と主張した部分のうちの「社会的評価」に対する解釈・理解である。右翼Mはまず記事が千葉の社会的評価を低下させたか否かについて次のように主張している。



〈賠償金の支払請求について〉(3)

二、私が発行した政経通信第38号に記載された記事の内容によって、貴殿の持つ「社会的信用及び評価が低下」させられた、との主張を真摯に受け止めます。
 
 私からの116,600円の支払を受けなければ、低下させられた貴殿の評価を回復できないという主旨による支払の請求であると理解いたします。

 上記主張が真実であれば、要求に従ってお支払いを実行する必要性を認めるところであります。

 しかしながら、記事は何ら貴殿の社会的信用及び評価を低下させるものでないことは明白であります。



 裁判所は、「機関紙を不特定多数には配布していない」「警察捜査に疑問を呈しただけ」で名誉毀損の不法行為は成立しないとした右翼Mの主張を排斥し、記事は千葉の社会的評価を低下させたと認定して10万円の支払いを命じたのである。また損害賠償金は社会的評価を低下させられた相手方に対する慰謝料であって、相手方の評価を回復させるためのものではない。

 法治国家である日本においてこの判決は絶対で、この結論が覆ることはない。したがって、右翼Mが支払いの必要を認めるか否かなどという議論が存在するかのような主張をすること自体、あり得ない。

 ところが右翼Mは今もなお記事は千葉の社会的評価を低下させるものではないと主張し、したがって損害賠償金の支払い義務はないと主張しているものと理解できる。右翼Mのこの主張は裁判所の判決を無視するもので、裁判所の判決と自分の考えが一致しなければ判決に従わなくてもいいと主張しているに等しい。これが右翼Mの法治国家に対する考え方であり政治姿勢なのだとすれば、右翼Mには「情けない右翼」というだけでなく「反社会的な右翼」という評価も加えなければなるまい。

不穏な文言

 右翼Mはさらに自らが提起したあり得ない議論、「記事が千葉の社会的評価を低下させたかどうか」についての議論を続ける。まともに取り合うような内容ではないが、なにやら不穏な動きを予感させるような文言も含まれている。右翼Mの人物像を表すものとして紹介しておこう。



〈賠償金の支払請求について〉(4)

 つきましては、貴殿の主張を立証するにあたり、以下質問を致します。

1、低下させられる以前の貴殿に対する信用及び評価とは如何なるものでありましたか?

2、記事を読んだ事によって、従来から持つ信用と評価を低下させた人物とは誰ですか?

3、低下させた人物によって、貴殿はどのような損害・不利益を被りましたか?

 以上は、裁判の審理の過程において、質問したことでありますが、貴殿からはなんら回答がなかったので、ここに質問するものであります。
 
 これは貴殿に対し損害金を支払う事を前提として、その正当性を固めるための質問であります。

 裁判の過程において明らかになりましたように、過去・現在においては一般社会との接触を持たぬ貴殿であります故、「2」については○○近辺(筆者注=○○には千葉の住所が記されている)に居住する人々であろうことは容易に推察できます。

 貴殿からの回答を待たずとも、信用と評価を低下させた人々に対しては、私から直接に聞取り聴取することは可能です。

 その上で、低下させた事は全くの誤読と誤解によるものであり、貴殿の信用及び評価を低下させてはならないことを充分に説明させて頂く用意があります。

以上



 質問の内容は現実的にまったく意味を持たない。名誉毀損裁判でいう「損害」とは「社会的信用及び評価が低下させられる可能性」が認定されればいいのであって、具体的な「損害」の立証は必要とされていない上に、すでに裁判所の結論は出ている。

 それよりも上記(4)で注意を要するのは、3項目の質問のあとで右翼Mが、「回答を待たずとも」千葉の住所の周辺に行き、「聞取り聴取することは可能」で、「貴殿の信用及び評価を低下させてはならないことを充分に説明させて頂く用意がある」と述べている点である。質問の直後、右翼Mが千葉の「信用と評価を低下させた人物」が「千葉の近所に居住する人々」となぜ限定するのかといぶかしく思ったが、千葉の家の近所に行く理由を作るためだった。文言自体は丁重であるものの、当事者の立場に立てば、その内容はけっして穏やかなものとはいえない。

 右翼Mが批判しようとする相手の自宅に押しかけたことは1度や2度ではない。右翼Mは今回もまた、千葉の近所に「説明しに行くぞ」といっているのだろうか。仮に街宣車で乗りつけたり拡声器を使用したりしなくても、そんな「説明」をして歩くこと自体が千葉に対する嫌がらせにほかならない。右翼Mはその「用意がある」といっているように聞こえる。

 いずれにしても、今回右翼Mが送付してきた回答を端的にいえば、支払いを拒否するというものである。しかしもちろん、この回答書にはなんらの法的根拠も正当性もない以上、右翼Mの債務がなくなるはずもなく、遅延損害金が増えるだけである。

 西村に対する請求も含めて、進展がありしだい改めて報告したい。

(了)
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「朝木宅襲撃事件」 第11回
記載内容に反する供述

 警察は「犯人」に対して週刊誌が記載したとおりの認識(「常習の酔っ払い」)を持っており、「保護した後に釈放する」つもりだったようである。警察は明らかな被害があったと認定した場合には、被害者に対して加害者の処分内容を伝えるのが普通である。朝木は被害届を提出しており、両誌にもその様子が記載されているが、そのタイミングは処分を挟んで微妙に相前後している。両誌の記載内容は以下のとおりである。



『週刊新潮』

〈結局、この男は家宅侵入や脅迫行為の現行犯にもかかわらず、なぜか釈放されてしまう。……
「私は納得できず、すぐに被害届を出しました。……」

『週刊実話』

「……警察は……保護した後に釈放するというのです。とても納得できませんでしたので、すぐに被害届を出しました」



『週刊新潮』では、文章の流れからすると、被害届を提出したのは「釈放されたことを知ったあと」のように読める。一方『週刊実話』では「釈放するという警察の方針を知ったあと」であると読めよう。いずれにしても、朝木が被害届を提出したのは警察の方針にかかわらず、ではなく、「釈放」という警察の方針と密接に関係していたことに変わりはない。

 ところが、警察から「釈放」の話があったかどうかについて朝木は尋問で次のように供述している。



朝木代理人  朝木さんは釈放に応じることはあり得ないとおっしゃっていますけれども。

朝木  あり得ません。それから、そういうお話も、釈放するとかしないという話は一切ありません。……



 両誌には確かに記載されている「釈放」の文言が、朝木によればいっさい存在しないとはどういうことなのだろう。常識的にみれば、朝木が説明していないにもかかわらず、2誌の週刊誌が揃いも揃って偶然にも、東村山署が「釈放」の方針だったことを朝木に伝えたとする記事を記載するとは考えられない。つまり朝木は記事のような説明を両誌にしたと考えるのが自然である。したがって、朝木の法廷での供述は事実に反するとみるのが合理的なのではあるまいか。

 では朝木はなぜ法廷で警察から「釈放」の文言さえ聞いていないと供述したのだろう。私には、警察から「釈放」するという話があったとなれば、それは警察が最初からやはり事件を「酔っ払いによる騒動」とみていたことを裏付けることになると判断したからではないかという気がする。

 朝木は両誌の記事について「ちょっと事実関係がかなりずれているなというところはありましたけれども、特に抗議をする事件の本筋をゆがめるようなものでもなかった」と供述しているが、彼らが「殺人未遂事件」とまで主張している事件に対して警察が「犯人」をすぐ「釈放」する方針だったなどと朝木の説明に反する記載をしたことも、朝木からみれば抗議をするようなものではなかったということなのだろうか。

被害届の記憶はあやふや

 さて、いずれにしても朝木は被害届を提出した。矢野と朝木は「事件」を「殺人未遂事件」だと主張している。朝木の法廷での供述によれば「釈放に応じることはあり得ない」というから、やはり被害届の罪名もよほど罪状の重いもの、つまり彼らが主張している「殺人未遂事件」だったのだろうか。この点についても朝木の法廷での供述がある。その供述はやや意外なものだった。供述を聞こう。



宇留嶋代理人  被害届には、罪名が書いてありましたか。

朝木  被害届には、確か器物破損とか脅迫みたいなことが書いてあったような気がするんですが。

代理人  器物破損とか脅迫とか、そんなふうに書いてあった。

朝木  はい、住居侵入も入っていたような気がします。

代理人  殺人未遂までは入っていなかった。

朝木  そうですね、殺人未遂は書いてなかったかもしれませんね。



 朝木が被害届を提出したことは事実のようである。しかしあれほど「殺人未遂事件」と騒ぎながら、まず被害届の罪名欄に何と書いてあったか記憶もあやふやな様子である。確かに少なくとも自宅に不法侵入され、ドアを蹴られたり怒鳴られたりした被害者としては、被害届を提出した時間帯にはまだ十分に落ち着きを取り戻していたとはいえず、明確に記憶に残っていなかったということもあり得ないことではあるまい。

 ただこの尋問の流れの中で朝木は、私の代理人から「器物破損とか脅迫とか」と聞き返され、自発的に「住居侵入も入っていたような気がします」と答えている。私の代理人はここで「住居侵入は?」とは一言も聞いていない。記憶になかったにもかかわらず「住居侵入」という聞かれていない罪名が出てくることは考えにくい。

 さらに「住居侵入も入っていた」ような気がする一方、「殺人未遂までは入ってなかった」という質問に対して朝木は「殺人未遂は書いてなかったかもしれない」と供述している。するとやはり、朝木が提出した被害届には「住居侵入」とは書かれてあっても「殺人未遂」とは書かれていなかったとみるのが自然である。つまり朝木の事件に対する認識もその程度だったとみるべきなのではあるまいか。

 いずれにしても、仮に朝木が「犯人」の釈放に応じなかったとしても、結果として東村山署は「犯人」をすぐに釈放した。

処遇を聞かなかった朝木

 ところで朝木は「釈放に応じることはあり得ない」理由として、朝木の代理人に対して「釈放なんてされたら怖くて、家に仕返しに来るんではないかとか、また来るんではないかというふうな恐怖が、2、3日はとにかく、寝られませんでしたから、私も、警察にいると分かってても寝られませんでしたから」と述べている。

 だから朝木は、警察の事情聴取の際「しっかり処罰してほしい」と申し入れたという。ところが朝木はそのとき「犯人」の処遇がどうなるかについては聞かず、それ以後1カ月以上も「犯人」の処遇について聞かなかったという。「事件」の発生が2月5日で、その2週間後には「事件」を報じた『週刊新潮』が、3月初旬には『週刊実話』が発売された。雑誌は取材させてもらった相手には寄贈するのが普通で、明代が自殺した際にマスコミ対応には手慣れている矢野と朝木が記事を読んでいないということはあるまい。

『週刊実話』が発売されたころ、すでに矢野は「殺人未遂事件だ」と主張しはじめている。ところが記事には両誌そろって、警察はただの酔っ払いとみており「釈放する方針」であるとする趣旨の内容が記載されている。警察への対応にも十分な経験を持ち、「釈放に応じることはあり得ない」と主張する朝木は、それでもなお東村山署に処分内容を問い合わせなかった。「釈放に応じることはあり得ない」とする主張とは矛盾するもので、矢野と朝木にしては想像しにくい消極さというほかない。

 その理由は何なのか――。やはり事件は少なくとも「殺人未遂事件」と呼ぶようなものではないことを、朝木も矢野もよくわかっていたからではないのだろうか。

(つづく)
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「朝木宅襲撃事件」 第12回
ファミレスで待機していた矢野

『週刊新潮』と『週刊実話』を比較すると、朝木が被害届を提出したタイミングには東村山署が「犯人」を釈放したあとか前かという点において多少のズレがある。しかしいずれにしても動かないのは、朝木が被害届を提出したのは東村山署が「犯人」を釈放する方針であることを知ったあとであるということと、東村山署が「犯人」を「過去にも迷惑をかけたことのある常習の酔っ払い」と認定していて、実際に「犯人」を釈放したという事実である。すると、朝木が被害届を提出しなければ、この出来事は事件化されることもなく、ただの酔っ払い騒動として片付けられていたとみていいのではあるまいか。

 矢野が多摩レイクサイドFM「ニュースワイド多摩」で、〈犯人は「この野郎、ぶっ殺してやる」と叫んだ〉〈関係者は(「朝木明代殺害事件」に続いて)「また事件が起きた」と語っている〉〈雰囲気として生命の危険が予想できるような事態〉などと放送したのは平成18年2月10日のことである。「事件」発生からすでに5日も経過している。

 実は、この時点では私には知る由もないことだが、朝木からの連絡で現場に駆けつけた矢野は、そのまま朝木の車で東村山署に同行し、朝木が事情聴取を受けている間、向かいのジョナサンで待機していたことをのちに矢野自身が明らかにしている。矢野は同放送で「東村山署の今後の捜査を見守っていきたいと思います」と述べているが、矢野が「事件」発生から5日もたったこの時点で東村山署の犯人に対する認識と当初の方針を知らなかったことが考えられるだろうか。当然、事情聴取後に朝木も合流し、警察の認識と方針を矢野に伝えたはずである。

 しかし警察の方針とは別に、事件処理という事務的側面からみれば、朝木が被害届を提出したことで処理はまだ完了していないという状況になっていた。だから同年2月18日の時点で、矢野がラジオでことさら明代の転落死と関係があるかのように伝える一方で東村山署の見解を伝えなかったのはアンフェアであるものの、一応、「東村山署の今後の捜査を見守っていきたいと思います」と述べること自体には理由がなかったとはいえないということになるのかもしれない。

タイトル部分以外の争点

 さて、「朝木宅襲撃事件」をめぐって私が執筆し、月刊タイムス(平成18年5月号)に掲載した記事をめぐり、矢野と朝木が問題にしたのはタイトル部分だけではなかった。

 記事の趣旨は、「『朝木宅襲撃事件』とは実際にはたんなる『酔っ払い騒動』であったにもかかわらず、明代の自殺が『他殺』だったと世間に印象付けるために、あたかも朝木直子の殺害を狙った計画的犯行であるかのように主張したもの」というものである。私がその論拠の1つと考えたのが、朝木が被害届を提出したのは東村山署が男を「釈放」したこと(あるいはその方針であること)を知ったあとであると『週刊新潮』と『週刊実話』の両誌が記載しており、またその流れも特段不自然な点はないと判断できたからである。

 警察の判断は「常習の酔っ払いが引き起こした騒動」で、「いったん保護したのちに釈放する」というものだった。これでは法律的に「事件」とはいえず、明代の自殺は「他殺」であると主張する材料として使うことはできない。しかし被害者である朝木が被害届を提出すればどうだろうか。結果はどうあれ「騒動」は「事件」となる。

 これまで矢野と朝木はさまざまな「事件」を捏造して、世間に対して明代の自殺を「他殺」と思わせようとしてきた。だから朝木が被害届を提出した背景にも同様の思惑があったとしても不思議はなかった。

 私はこの点に言及して次のように記載した。

〈通常、この種の事件で警察が釈放する場合には一応、被害者(この場合は直子)の了承を得る。つまり、男が釈放されたということは、直子も警察が男を釈放することについていったんは納得していたということであり、その後、なんらかの理由で直子は態度を硬化させたものと理解できた。

 では直子はなぜ、いったんは釈放に応じたにもかかわらず、その後被害届を提出したのか。警察が被疑者を書類送検もせず釈放したことは、事件はその時点で終わったということである。しかし、被害者が被害届を提出すれば、事件として終結したことにはならない。警察の受け止め方はともかく、被害を訴える側からすれば、事件は解決していないと主張することはできる。直子がいったん釈放を了承し、その後に態度を変えた背景には、直子に翻意をそそのかした人物がいたと考えるのが自然である。その人物とは、事件の日、現場に駆けつけた矢野以外には考えられなかった。〉

 この部分についても争点となったが、矢野と朝木の主張は以下のようなものだった。

「①原告朝木直子は犯人の釈放に応じた、②原告朝木直子は犯人の釈放に応じた後に矢野にそそのかされて被害届を提出した、③警察は被疑者を書類送検すらせず釈放し、その時点で事件は終わった――などという事実はない。」(要旨)

 このうち③の「書類送検しなかった」とする記載は明らかな誤りだった。ただ書類送致はされたが、朝木が提出した被害届の罪名欄に「殺人未遂」とは書かれていなかったと朝木自身が供述したことはすでに述べたとおりである。すなわち男は「殺人未遂」容疑で書類送致されたわけではないということだった。

 なお「書類送検しなかった」とした私の誤りについて東京地裁はこう述べた。

〈男が「書類送検」されなかったことが事実ではなかったとしても、同摘示事実は、当該記述部分の重要な部分とはみられず、この事実摘示によって原告らの社会的評価が低下したと認めるのは困難である。〉

(つづく)
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「朝木宅襲撃事件」 第13回
タイトル部分以外は不法行為を認定せず

 では、タイトル以外の争点に対する裁判所の判断はどんなものだったのか。東京地裁は次のように述べた。



(「朝木の被害届提出等に関する記述」に対する東京地裁の判断)

ウ 男が釈放されたこと、原告朝木が被害届を提出したことは、客観的な事実であると認められるが、原告朝木が男の「釈放を了承し」、あるいは「釈放に応じた」との部分は客観的な事実として明らかとはいえない。しかし、記述部分⑤の前に「通常、この種の事件で警察が釈放する場合には一応、被害者の了承を得る。つまり、男が釈放されたということは、直子も警察が男を釈放することについていったんは納得していたということであ」るとの記述があるから、被告宇留嶋は、かかる推測を前提にして男が「釈放」された理由として原告朝木の「釈放」の「了承」があったと考え、その結果、その旨を記述するとともに「事件は終わった」と記述したものと解することができる。

エ そして、「朝木宅襲撃事件」は原告朝木が被害者とされた事件であって、前記のとおり、被害者が被害届を提出するか否かは被害者の意思によるものであるから、被害届の有無、その時期の先後は被害者の名誉にかかわるものではない。また、原告朝木が男の「釈放」を「了承」したとする部分も、被告宇留嶋の前記推測の当否はともかくとして、被害者である原告朝木の名誉にかかわるものとはいえず、「事件は終わった」との事実摘示も原告朝木の名誉にかかわるものとはいえない。

 東京地裁はこう述べて、タイトル部分以外の争点部分(筆者注=本連載第12回)について「原告らの社会的評価を低下させるものとはいえない」と判示したのである。また「矢野がそそのかした」との部分についても同様の判断を示した。

 一方、東京高裁はタイトル部分の争点部分について、〈それ自体としては(タイトル部分等)についての理解を覆すものでも補強するものでもないと認めることができる。〉と述べるにとどまった。争点となるべき重要な記述とは認定しなかったということと理解できよう。

調書には同意していた朝木

 ところで東京地裁は朝木が「釈放」を了承していたかどうかについて〈客観的な事実として明らかとはいえない。〉と述べた。この認定自体に異を唱えるものではない。ただ朝木は、少なくとも警察が朝木の言い分を十分に聞いてくれたかどうかに関して、裁判官の直接の質問に対して興味深い供述をしている。参考までにそのくだりを紹介しておこう。



裁判官  警察で調書を執られたというお話でしたね。

朝木  はい。

裁判官  先ほどのお話だと、事実をそのまま警察で話をしたということなんですが、調書の読み聞けというのはされましたか。調書を取ったときに、後で警察官なりが読み聞かせをしますよね。

朝木  はい、読んでくださったと思います。

裁判官  それを聞いて、自分が言っていることと違ったようなことを書かれているという印象を受けましたか。

朝木  いや、自分の言ったことと違うことは特に書いてなかったと思います。

裁判官  そうすると、調書は、まあ正確に取られているという認識だったということで伺っていいですか。

朝木  そうですね、まあ警察の方と、ちょっとやり取りというか、本人が、まあ酔っ払ったみたいなことを言っていたので、ちょっとその調書を取るときに若干のやり取りはありましたけれども、一応私の言ったことを調書にしていただいたと思います。

裁判官  特にその調書について異議を述べたりしたことはないんですね。

朝木  異議は述べていないです。



 東村山署が男を「釈放」するという方針を最終的に固めたのは朝木の事情聴取後であることは明らかだろう。警察は朝木が異議を述べていない事情聴取の内容に基づき「釈放」すると判断したということである。言い換えれば、朝木の事情聴取の内容は警察が「釈放」すべきと判断する程度のものだったということになるのではあるまいか。

東京高裁も事件性を否定

 一審の東京地裁は記事に違法性はないとして矢野と朝木の請求を棄却したが、東京高裁も記事全体としては違法性を否定している。東京高裁は次のように述べた。



(記事全体に対する東京高裁の認定)

 本件記事本文を通読した場合には、③及び④(筆者注=タイトル部分等)以外の記述部分も含めて本件記事の意図が些細な事件を大げさに宣伝している控訴人ら(筆者注=矢野、朝木)の行為を非難することにあると理解できるから、その上で記述部分③及び④(筆者注=同)を改めて読み直すと、「自作自演」や「ありもしない『襲撃』」との記載は、通常の用法とは異なり、本件事件が控訴人らの意思とは無関係に発生したこと自体を否定するものではなく、その内容が些細なものであって襲撃というほど重大なものではなかったにもかかわらず、重大な加害行為があったかのように事件を誇大なものとして作出しその被害者を演じているという意味に用いられていると理解することができる。

……

 本件記事全体の趣旨は、上記のとおり、控訴人らが酔っ払い騒動を利用して、控訴人朝木に対する襲撃事件又は殺人未遂事件があったと宣伝し、その被害者を演じていることを非難するものであり、これによって控訴人らの社会的評価が低下することは避けられないと認めることができる。

 しかし、前記認定のとおり本件事件は控訴人朝木に対する加害を目的としたものとは認め難く、控訴人朝木も男が酔っ払っているように見えたと発言しこれを報じた記事が本件雑誌に先立って敢行された雑誌に掲載され、……控訴人らが市会議員という公職に就いていることからすると、本件記事の執筆及び掲載には違法性がなく不法行為が成立するとは認められない。



 東京高裁は記事全体については違法性はないと認定した上で、タイトル部分しか読まない読者を想定し、タイトル部分について名誉毀損の成立を認めたのである。

 この裁判では判決だけでなく、事件の真相を明らかにすることが重要なテーマだった。この点については、一審が〈原告朝木は当日男からそのような言葉(筆者注=「てめぇ、ぶっ殺してやる」)を聞いていなかったとの可能性が考えられる〉、すなわち矢野と朝木が「殺人事件だ」と主張する根拠を実質的に否定したこと、さらに東京高裁が、

〈控訴人朝木に対して危害を加える目的によるものと認めるに足りる事情はなく〉

〈本件事件は控訴人朝木に対する加害を目的としたものとは認め難く〉

 と認定した事実は大きかろう。裁判所の判断は少なくとも「殺人未遂事件というようなものではない」というものだったのである。

(つづく)
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「朝木宅襲撃事件」 第14回
東京地検の結論

 では事件当日、朝木が東村山署に対して提出した被害届に対する東京地検の処分結果はどうだったのだろう。矢野と朝木は裁判が始まってまもない時期に東京地検八王子支部が朝木に対して平成19年8月24日付で交付した1通の「通知書」を証拠として提出した。朝木が提出した被害届に対する処分内容の通知である。「通知書」には次のように記載されている。



(「通知書」の記載)

 ○○(筆者注=被疑者名)に対する住居侵入事件(事件番号18-226)は、平成18年3月16日、不起訴処分(起訴猶予)としたので通知します。



 この短い通知の中には、東京地検が事件を「住居侵入事件」として処理し、「平成18年3月16日に不起訴処分」としたことが明記されている。朝木は被害届を提出した際、罪名欄には「確か器物破損とか脅迫みたいなことが書いてあったような気がするんですが」「住居侵入も入っていたような気がします」と曖昧な供述をしているが、この「通知書」の記載からすると、被害届に書いてあった罪名も「住居侵入」だったとみるのが自然である(通常は被害届と処分の罪名は一致している)。

 裁判で朝木は「事件」が「酔っ払いによる騒動」だったとは認めなかった。しかし、東京高裁も〈控訴人朝木も男が酔っ払っているように見えたと発言し〉と認定しているように、朝木はやはりその時点で男を「酔っ払い」と認識しており、「殺人未遂事件」であるとは考えていなかったというのが真相なのではないのだろうか。

 そう考えると、朝木が「釈放」の方針を知ったあとに被害届を提出したことには違和感を覚えるし、矢野とともに明代の自殺を「他殺」と印象付けるために騒動を利用しようとしたと考えることに合理性がないとはいえまい。いずれにしても、矢野は「多摩レイクサイドFM」「ニュースワイド多摩」では平成18年2月10日から同年3月10日まで朝木を狙った犯行であるかのような放送を行い、3月10日には「殺人未遂事件」と主張をエスカレートさせ、同年3月31日付『東村山市民新聞』でも同じ主張を行った。また同年5月以降にはインターネット「東村山市民新聞」「矢野ほづみ議員のページ」「創価問題新聞」でも同様の宣伝を行っている。

 東京地検が「不起訴処分」の決定を行ったのは平成18年3月16日である。すると3月10日まではまだ、朝木を狙った犯行であると主張し、捜査機関の結論が出ていないかのような放送を行ったとしてもやむを得ない部分もあるかもしれない。しかし少なくとも同年3月30日付『東村山市民新聞』でもまだ捜査機関の結論が出ていないかのような記載をしたことをどうみればいいのだろうか。

朝木が処分内容を知った時期

 東京地検から送付された「通知書」は平成19年8月24日付だが、「通知書」の日付が処分から1年半もあとになっているのは、後日朝木が処分内容を通知してくれるよう依頼したからであり、朝木が処分内容を知った時期ということではない。では、朝木が東京地検の処分結果を知ったのはいつだったのか。その点は本人尋問で私の代理人が朝木に聞いている。朝木の供述を紹介しよう。



(朝木が「東京地検の処分結果」を知った時期)

宇留嶋代理人  最終的には不起訴処分に終わったということを知ったのはいつですか。

朝木  (平成18年)3月の末、検察のほうに、処分がどうなったのかというふうな開示請求をして、検察からの処分通知で知りました。

代理人  これ(筆者注=上記「通知書」)は平成19年の8月だから翌年ですね。今お話しになった通知というのは、これとは違う。3月末ごろに知ったというふうにおっしゃったんですが。

朝木  ……そしたら、検察に電話をしたか、これはどうだったかな、もうちょっと早かったような気がしますけれども、19年ですよね。

代理人  事件が18年の2月で、処分は3月16日と中に書いてありますよね。

朝木  ……処分というか、これ(筆者注=上記「通知書」)は確か、どういう理由で不起訴処分の、起訴猶予なのか、例えば、嫌疑不十分なのか、そういう理由が知りたくて、これを確か開示請求をしたんだと思います。

代理人  そうすると、結果としては、不起訴処分であるということ自体はもっと前に分かっていて、それが(平成18年)3月の末ごろと。

朝木  確か開示請求をする前に、検察のほうに電話を1度してます。

代理人  それで結果を教えてもらった。

朝木  そうですね、確かそうだと思います。

代理人  それがいつごろ。

木  すみません、申し訳ない、覚えてないです。

……

代理人  ここに書かれた3月末ごろ、知ったというのは間違いないと。

朝木  はい。



 朝木は「独りでは夜も寝られず、しばらくは知人に泊まりにきてもらった」ほど怖かったというが、その割りには事件からひと月たっても捜査結果を聞かなかったという。結果的に捜査結果を知ったのは電話の問い合わせによるというのなら、なぜもっと早い時期に聞かなかったのだろうかという疑問が生じよう。

 いずれにしても朝木の供述によれば、朝木が東京地検の処分結果を知ったのは「平成18年の3月末ごろ」であるという。内容はともかく、「平成18年3月30日付東村山市民新聞」は捜査機関の結論がまだ出ていないことになっている点においてだけはかろうじて整合性が取れていることになろうか。しかしもちろん、その後矢野と朝木がインターネットに掲載した記事は東京地検の結論を隠し、あたかも「酔っ払い騒動」が朝木を狙った「殺人未遂事件」であると虚偽の宣伝をしていると批判されてもやむを得まい。
 
 朝木は尋問の際、「不起訴処分」の結論に納得しているわけではなく、対応を弁護士と相談しているとも述べた。しかしその後、朝木が捜査機関に対してなんらかのアクションを起こしたという情報はどこからも発信されていない。

(了)
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