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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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『週刊現代』事件 第8回
「市民の敵」に成長

 娘が娘なら、父親の朝木大統もまた掲載されたコメントについて、取材さえもいっさい受けていないと主張した。大統も『週刊現代』に掲載されたコメントは捏造だと主張していることになる。その根拠について大統は平成12年12月11日付陳述書で次のように述べた。



(朝木大統の陳述書における主張)

 私は、当時(筆者注=平成7年9月当時)から、太陽光のもとで明暗がわかる程度で失明しており、人と応対しても、それが誰であるのか全くわかりません。したがって、妻明代が殺害された直後、殺害に関するマスコミの取材が事務所に殺到したようですが、私たち遺族は、妻明代の同僚議員であった矢野穂積議員に取材の対応窓口になっていただいていました。

 また、私は失明しており、私の家の玄関から門扉まで、かなり厚みのある踏み石が並んでいて何度も転んだことがあり、1人で普通に真正面を向いて歩いていくことはできませんでした。また、出された名刺を受け取ってそれを見るということもできませんでした。



 踏み石につまずいて何度も転んだというのなら、さぞ相当なケガもしたことだろう。普通の家ならそんな危険極まりない踏み石は取り除いて平らにすると思うが、大統の陳述書によれば、朝木家では目の不自由な主人が何度も転んでも放置していたことになる。大統は家庭内で疎まれていたのだろうか。

 明代が死亡した時期に大統が「失明状態にあった」という話は、平成8年7月9日に行われた議席譲渡事件における朝木直子に対する尋問の中で初めて出てきた。平成7年4月に行われた東村山市議選で当選した朝木はその直後、住民票を東村山から千葉県松戸市に移動させた。その目的は、松戸に住民票を移動させることによって東村山にある自らの被選挙権を喪失させ、同時に自動的に当選も失効させ、次点で落選した矢野を繰り上げ当選させるためである――朝木はマスコミなどに対してこう説明していた。

 ところが1年後、朝木は法廷で「松戸に住所を移転したのは目の不自由な父親の介護のためだった」と供述したのだった。原告側の東村山市民も被告側の東京都も、もちろん傍聴席も一様に唖然としたのは当然である。1年前になぜそう説明しなかったのかと問われた朝木は「(議席譲渡が)目的ではなく、結果としてそうなっただけ」と平然と答え、矢野の薫陶の下で鍛えられたのか、みごとに誠実さのかけらもない、市民の敵へと成長した姿を見せつけた。

1人で出てきた大統

 では議席譲渡事件の当時から、大統の目は本当に「失明状態」にあり、『週刊現代』の取材にも応じていないのだろうか。東京地裁と東京高裁が事実認定した『週刊現代』記者の取材記録の中にそのような事実がうかがえるのかどうか、判決文に記載された認定事実をみよう。

 まず、記者が朝木の自宅を訪問した際の様子は以下のとおりだった。平成7年9月5日午後4時ごろである。



(『週刊現代』記者が朝木宅を訪ねた際の様子=要旨)

 記者が朝木宅の玄関の呼び出しを押して取材の申し入れをすると、長女の朝木ではない若い女性が出てきたので、記者は改めて訪問の趣旨を説明した。するとその女性は「私にはわかりませんので、ちょっとお待ちください」といって家の中に入って誰かを呼びに行った。

 その直後、大統が玄関から門のところまで出てきて「明代の夫の大統です」と述べた。記者は再度訪問の趣旨を述べ、名刺を手渡した。大統は名刺に目を向け、取材に応じ始めた。



 目が見えなければ相手の確認もできないから、まず最初に目の話が出てきてもおかしくないと思うが、ここまでの状況をみると、最初に応対した若い女性からも大統自身からも「目が不自由」という話は出ていないようである。それどころか大統は、記者が渡した名刺に目を向けたという。見えていなければ目を向けることはないのではあるまいか。

 いずれにしてもその際、記者は大統に対して15分程度の取材を行ったという。大統のコメントは概要以下のとおりだった。


 
(『週刊現代』の取材に対する朝木大統のコメント)

 自殺なんかじゃありません。殺されたんですよ。警察から私たちにそのことに対して何の聞き込みもありませんでした。しかも、当日妻は事件現場で鍵も靴も所持していなかったんですよ。おかしいじゃないですか。

 学会だと思うけど、事件当日に妻が青白い顔で歩いているのを見たとか、私と離婚していたとか、事実でない噂が流れているといいます。

 この事件は、創価学会と公明党と警察がつるんで、妻が万引き事件で悩み込み、それが原因となって死んだ、というシナリオを作ったのだと思いますよ。まるで、オウムがやっている一連の事件と同じことですよ。

 私は、妻がいなくなって、妻が管理していた銀行のカードや通帳が、いまだどこにおいてあるのかわかりません。

 松戸市に私の勤務先があるんですよ。不動産関係の仕事です。

 今、心労で体の調子が悪いのです。このへんで勘弁してください。



 東村山署が遺族から事情聴取するために朝木宅に最初に連絡したのは同年9月6日で、9月5日の時点で大統が「警察から私たちにそのことに対して何の聞き込みも(ない)」と訴えているのは事実としては合っており、大統にしかわからない情報である(警察は遺族の心情を配慮し、葬儀が終わるまで連絡しなかった)。また大統の会社の所在地やその業務内容も事実と一致しており、銀行カードの件も捏造とは考えにくい。したがって、このコメントについて裁判所が事実と認定した判断は妥当と思われた。

 その上で、「失明状態だったから取材は受けていない」とする主張とコメントの内容を照らし合わせると、まず「心労で体の調子が悪い」といいながら目の状態についてなんら話していないのは不自然で、少なくとも「失明状態」にあったというのは事実とは異なるのではないかとの疑いを抱かせる。さらに記者の法廷における証言は、その印象をより強くさせるものだった。記者は法廷で、このときの状況について次のように供述した。

「大統は介助なしに杖もつかず、普通に飛び石の上を真正面を向いて歩いて門のところまで出てきて、渡された名刺を見ていた」

 大統は「何度も転んだ」はずの飛び石の上を難なく歩いて門のところまで来たというのである。この記者の証言は、当時の大統の目が、少なくとも「失明状態」ではなかったことを裏付けていよう。

 また同年10月に東村山署の刑事が不明となっている明代の靴の調査のために朝木宅を訪問した際、対応したのは大統だった。大統は同じように門のところまで歩いて出てきたという。この事実もまた、大統が少なくとも「目が見えない」という状態ではなかったことを物語っていた。

 なおこのとき、刑事は靴の調査のために家の下駄箱をみせてほしいと申し出た。しかし、大統はこの要請を拒否した。大統はやはりコメントのとおり、「明代は万引き犯の汚名を着せられ、自殺とみせかけて殺された」と信じ込んでいたことがうかがえる。

 その1年後、大統は今度は目が見えなかったことになった。そもそもその目的が「朝木が松戸に住所を移転する理由」にするためだったのか、「『週刊現代』の取材は受けられなかった」ことにするためだったのかは定かではない。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第9回
クレームをつけなかった朝木

 朝木直子と大統が『週刊現代』の取材に応じてコメントした事実は、その内容および記者が証言する取材の状況などからして疑う余地はないようにみえる。裁判所もまた記者が記録したコメント内容が「作り話であるとの疑いを抱かせる事情は見当たらない。」と述べている。さらに担当者によれば、以下のとおり、問題の『週刊現代』が発行されたあとも朝木は取材に協力的であり、とてもコメントを捏造された被害者の対応とは思えなかった。

 問題の『週刊現代』発行から3日後の平成7年9月14日、明代の司法解剖の結果が遺族に対して知らされた。この日、朝木を取材していたN記者は慈恵医大まで朝木と同行取材を許されている。また9月18日には東村山署で朝木大統と弟に対する事情聴取が行われたが、同日、同記者は大統からその内容について取材している。コメントを捏造されたと主張している被害者が2人とも、謝ってもいない記者に対してここまで協力的であることは普通では考えられない。

「取材も受けておらず、コメントを捏造された」と主張している朝木が、問題の『週刊現代』発行後も『週刊現代』の記者の取材にきわめて好意的に応じていたとはどういうことなのか。この点については講談社の代理人が朝木に直接尋問し、きわめて興味深い事実を明らかにしている。尋問の様子をみよう。



(問題の『週刊現代』発行後も取材協力していたことに関する朝木の供述①)

講談社代理人  あなたは当初の問題の記事が出て以降、『週刊現代』の記者に対してクレームをつけたことがありますか、ないですか。

朝木  クレームのつけようがありませんから。

代理人  クレームをつけたんですか、つけてないんですか。

朝木  ○○編集部員(筆者注=担当者)に発言はしてないことはお伝えいたしました。

代理人  N、M(筆者注=いずれも直接取材した記者)に対してクレームをつけたか、つけていないかを聞いてます。

朝木  いっさいそういう話はありませんでしたから、クレームもつけておりません。



 講談社の代理人も、「記者にクレームをつけたか、つけなかったか」だけ聞くのにも苦労していることがわかる。「『週刊現代』の記者から取材も受けていない」と主張している朝木にとっては、その後「クレームをつけたかどうか」は重要だったということだろう。しかし朝木は、最終的に取材記者に対してクレームをつけていないことを認めた。

確認さえしなかった朝木

 当然、(朝木の主張によれば)担当者には「コメントしていない」とする電話をしたにもかかわらず、少なくとも現場で取材を行っていた記者に対してはなぜクレームをつけなかったのかという疑問が出てくる。続く尋問をみよう。



(問題の『週刊現代』発行後も取材協力していたことに関する朝木の供述②)

代理人
  その後『週刊現代』のN、Mの取材に応諾したことはありますか、ないですか。

朝木  取材……なにか聞かれればお答えしたと思います。

代理人 『週刊現代』に捏造記事が出されて自分のいっていないことも答えた(ことにされた)といいながら、その後もN、Mの取材には応じたんですか。

朝木  NさんやMさんがお書きになった記事だなんていうことはまったく考えもしませんでしたから。



 当時、『週刊現代』の記者が東村山で取材したのは朝木明代の転落死関連だけである。したがって、仮に記事を取材記者が執筆していなかったとしても、いかなるかたちであれ、その取材結果が反映されることは十分にあり得ると考えるのが常識的な判断だろう。少なくとも、問題の記事が出る前から来ていた記者が記事に関与しているのではないかという疑いは小学生でも抱くだろう。

 それを確認さえせず、朝木は現場にいた記者が記事に関与したとは「考えもしなかった」というのである。そう考えるだけのよほどの理由があるのだろうか。さらに代理人は聞いた。



(問題の『週刊現代』発行後も取材協力していたことに関する朝木の供述③)

代理人
 『週刊現代』の記事に載りながら、『週刊現代』の記者がいながら、『週刊現代』の記者が関与していない記事が出てると思ってるんですか。

朝木  刑事告訴の話になったときに、『週刊現代』の記者の方が、「そんなもん、わしゃ知らん」といっとけばいいというふうにおっしゃってましたから。

代理人  捏造されたということは一言説明すればすむのに、そういうことも公言せず、『週刊現代』の記者の取材をその後も受け続けるというのは、どういう理由によるものですか。

朝木  記者の方がお書きになったとは思いませんでしたから。



 朝木は「記者が書いたとは思わなかった」とする強弁を繰り返した。しかしコメントの捏造は取材対象に対する重大な裏切り行為である。朝木が、その記者が記事に関与したかどうかさえも聞かなかったとはとうてい考えられなかった。

きわめて親密な関係

 代理人は記者が間違いなく朝木の取材をしていたというだけでなく、その後も『週刊現代』の記者がどれほど朝木と親密な関係にあったかを法廷で明らかにした。



代理人  むしろ記者とはその後も親しくお付き合いさせていただいてたんじゃないでしょうか。

朝木  他のマスコミの方と同じようにお付き合いしておりました。

代理人  食事にも行ってますね、『週刊現代』の記者と。

朝木 『週刊現代』の記者の方だけではありません。

代理人  カラオケにも行きましたね。

朝木  こちらの支持者と他のマスコミ関係者、かなり大人数でどこかに行ったことはあるかもしれませんが、『週刊現代』の方だけとどこかに出かけるなんていうことはあり得ません。

代理人 『週刊現代』の記者と矢野さんとあなたとカラオケバーまで一緒に行ってる、そういう事実がその後あるんじゃないですか。あなたが捏造されたという張本人と。

朝木  そういうふうな『週刊現代』と特別なお付き合いをしていたということはありません。



 朝木は『週刊現代』の記者と特段親しかったわけではないとムキになって主張した。しかしいうまでもなく、『週刊現代』記者以外の人物が同席していようといまいと、問題なのは「コメントを捏造された」と主張する記事が出たあとに『週刊現代』の記者と食事に行ったり、カラオケバーに行ったこと、なのである。常識では、そのこと自体があり得ない。朝木は「コメントを捏造された」などとは毛頭考えていなかったということと理解できよう。

 それよりもむしろ、代理人が公表した事実は、今となっては『週刊現代』にとってあまりほめられた話でもいい思い出ともいえまい。どちらかといえば恥をさらすようなものである。それでもあえてその事実を公表したところに、矢野と朝木に対する怨念の深さがあるような気がする。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第10回
アリバイ工作の舞台で初会合

 朝木直子と大統が『週刊現代』にコメントしたことが事実であることについて講談社の代理人が最初に確認作業を行ったのは、朝木が『聖教新聞』事件の訴状で「『週刊現代』からはいっさい取材も受けておらず、コメントもしていない」と主張したあとではない。

 平成7年10月6日、問題の『週刊現代』の記事をめぐり、創価学会が講談社と朝木父娘を提訴したことで同年10月17日、講談社と朝木側は訴訟対応のための会合を持った。問題の記事の担当者の陳述書によれば、講談社としての会合の目的は同社法務部門を紹介するとともに、同社の代理人が相被告となった朝木父娘の代理人も受忍する必要があるかどうかを確認することにあったという。

 初会合が行われたのは東村山市久米川町にあるファミリーレストラン「びっくりドンキー」。朝木明代の万引き事件で、矢野が「食事をしたのを思い出した」としてアリバイ工作の舞台に使った場所である。担当者の陳述書によれば、出席者は、講談社側が代理人弁護士、朝木が発売日に抗議の電話をしたと主張している担当者(発売日に「草の根」事務所に行った人物)、『週刊現代』編集次長、法務担当の4名。朝木側は朝木直子、矢野穂積、朝木大統、支援者の小坂渉孝の4名のほかに、奥に乙骨正生が座っていた。

 担当者は「朝木側の出席者になぜか乙骨がいて驚いた」と述べている。初顔合わせの場に乙骨がいた理由はわからないが、当時の矢野・朝木との関係の深さを物語っていよう。矢野とすれば、そのうち何かの役に立つかもしれないという計算でもあったのだろうか。いずれにしても当時、乙骨が『週刊現代』よりも朝木側により近い存在だったことは明らかだった。

言質を取った代理人 

 さて担当者の陳述書によれば、「会合は友好的に進み」、代理人は朝木側に対してまずこの間の創価学会の動きや「創価学会弁護団の実態」などを説明したという。またその際に、代理人は朝木側に対して「コメントを出したことが問題となっていますが、言った言わないの話にはなりませんね」と確認した。するとこれに対して矢野は、はっきりと「そのようなことはありません」と答えた。会合の間に朝木側から「コメントはしていない」など記事に対する抗議はいっさいなかったという。
 
 のちに代理人が明らかにしたところによれば、訴訟遂行の実務を任されている代理人として、この会合の目的はたんに協調して訴訟に対応することを確認し合うことなどではなく、「朝木父娘がコメントした事実」を確認することにあった。代理人としては記事の前提である朝木のコメントの事実が揺らぐようでは訴訟方針も立てられない。代理人が朝木父娘がコメントしたという事実をまず固めることが先決と考えたのは当然だった。したがって、代理人としては「言った言わないの話にはならない」という矢野の言質を取ったことで十分会合の目的を達したのである。

 また代理人がのちに述べたところによると、この時期すでに「失明状態」にあったはずの大統は普通にハンバーグを食べていたという。大統も「失明状態にあったから取材を受けていない」とすれば、その場でなんらかの抗議があってもおかしくない。しかし担当者の陳述書には出席していたこと以外に特段、大統に関する記述はない。朝木側から大統のコメントに関して抗議等なんらかの特別な印象に残る発言はなかったということと理解できよう。

 なお担当者の陳述書によれば、担当者が朝木側に対して講談社の代理人が彼らの弁護も受忍した方がよいかどうか打診したのに対し、朝木側はこれをあっさり断り、独自の代理人を立てると答えた。この時点で朝木側は委任を予定している弁護士の名前を挙げたものの、まだ打ち合わせができていないとし、具体的な応訴方針を述べなかった。

 講談社側は、朝木が代理人との打ち合わせを終えた段階で弁護士同士で連絡を取りたいと述べ、「いっしょに頑張りましょう」ということでこの日は別れたという。無理もないと思うが、この時点で講談社は、朝木が別の代理人を立てたことが何を意味するのか、また将来的にどんな事態をもたらすのかなど、考えもしなかった。

講談社からの証言依頼

 裁判ではもちろん、この初会合で講談社代理人に対して矢野が「言った言わないの話にはならない」と答えた事実があったかどうかも争いとなった。この点について講談社が証言を依頼したのが、当時は朝木側の人間として会合に立ち会っていた乙骨正生だった。乙骨は問題の記事にコメントするなど、『週刊現代』編集部とも旧知の関係にある。

 さすがの乙骨も、事件発生から1年後に『週刊現代』と矢野・朝木が普通ではあり得ないかたちで敵同士となるとは思ってもみなかっただろう。憶測、邪推、ほのめかしで構成された『怪死』の全面的な取材源である矢野、朝木と、今後も良好な関係を維持したいメディアとの間で乙骨は、どちらかが間違いなく不利益となる証言をしなければならない立場に立たされたのである。

 ただ講談社から証言を依頼された時点で乙骨は、どんな証言を期待されているかを理解しただろう。証言を引き受けるということは、朝木にとって不利な証言をするということなのである。それを避けるには講談社の依頼を断るしかないが、乙骨は講談社の依頼を応諾した。

 それがどの程度積極的なものだったかは別にして、乙骨が証言を引き受けた背景には2つの事情があったと私はみている。1つは、『怪死』出版後にその内容(「朝木さんに対しても、『万引き常習者』だの『家族揃って万引きをしている』などと、それこそ根も葉もない誹謗中傷」など)をめぐり朝木から法的措置をとられたことで、朝木と矢野に対する信頼感は平成7年9月当時とは微妙に異なっていたと考えられること。

 もう1つは、「言った言わないという争いにはならない」と矢野が明言した場面に乙骨が立ち会っていたことを講談社側も現認していることをよくわかっていたことである。証言の依頼を断るということは講談社側が目撃した事実をも否定することになる。乙骨にもそれはさすがにできなかったのだろう。

乙骨は「びっくりドンキー」でのやりとりについて次のように証言した。



(矢野の回答に関する乙骨の証言)

 ○○弁護士(筆者注=講談社代理人)から朝木サイドに対して『言った言わないという争いにはなりませんね』という確認があり、それに対して朝木サイドが『それは大丈夫です』と答えたと記憶してます。一方講談社サイドは、『とりあえず安心いたしました』と。



 この局面に限れば、乙骨は事実をありのままに証言した。ただこの事実の内容、すなわち矢野が「言った言わないという争いにはならない」と明言したにもかかわらず、1年後に朝木が「取材も受けていない」と主張しはじめたことについて乙骨がどう考えているのかは定かではない。
 
(つづく)
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『週刊現代』事件 第11回
いなかったことにされた乙骨

 初会合の席に朝木側として同席していた乙骨正生は、矢野が「(問題のコメントを)言った言わないの話にはならない」と回答したことを証言した。「取材さえ受けていない」と主張している朝木にとって、彼らの全面的な協力によって『怪死』を出版し、当時は朝木側の立場で出席していたジャーナリストが彼らの主張を否定する証言をしたことを容認するわけにはいかなかったようである。

 担当者の陳述書によれば、朝木側は乙骨の証言を否定するために、その会合に朝木側から出席していたもう1人の人物、小坂渉孝の陳述書を提出している。小坂は乙骨の証言を否定するために陳述書で「乙骨氏は同席していなかった」と述べていた。同席していない者にわかるはずがないというのである。

 私の経験上でも、小坂は5分前に存在していない事実を「存在した」と主張できる特異な能力の持ち主である。何人の人物が現認した事実であろうと、「いや、なかった」と主張することなど何の苦もあるまい。

 ところで陳述書は本来、自分が実際に見たり、経験した事実を述べるもので、主張や論評を述べるものではない。ところが小坂は「乙骨氏は同席していなかった」と述べた上で、あえて「乙骨氏は講談社から仕事をもらっているから、事実でないことを述べている」などと乙骨を批判していたという。乙骨は事実よりも利害関係を優先したという意味だが、ジャーナリストに対するこれほどの侮辱はない。

 朝木がこの陳述書を証拠として提出したということは、このような論評を加えることを矢野も朝木も容認したということとみなされても仕方あるまい。とすれば、矢野と朝木にとって乙骨がどの程度の存在だったかをうかがい知ることができるのではあるまいか。『怪死』出版当時はまだ利用価値があった、ということだろうか。

「講談社は沈黙した」と朝木

 矢野が講談社の代理人に対して「言った言わないの話にはならない」と回答したと担当者らが主張している点について、朝木自身は陳述書で次のように述べた。



(「言った言わないの話にはならない」に関する朝木の陳述書における主張)

 先ず、矢野議員が「この記事には発言していないのに、発言したと書かれている部分がありますよね。私も直子さんも、どの社にも同じ内容のお話しかしていませんよ」と切り出して、私も「父も私も『朝木明代が創価学会に殺された』という発言はどのマスコミにもしていませんし、『週刊現代』にもこういう発言はしたことはありません」とはっきり伝えました。講談社側は、反論することもせず、沈黙していました。民事訴訟に私達を巻き込んでしまったことは、申し訳ないという恐縮した態度でした。

 私は、本件記事の合計5箇所の記述について、私たちが発言していない点だけははっきり伝えておこうと考えて、再度「このような発言はしていないことはおわかりですよね。取材もしていないんだから、取材の録音テープだってないでしょ。」と尋ねたところ、講談社側は「録音テープはありません」という答えが返ってきましたので、このときの会談のやりとりで、講談社側は、私と父が右発言をしていないことは十分に理解されたものと考えました。



 朝木の陳述書では、問題の『週刊現代』が発行されたあと、朝木がただちに担当者に電話して「取材も受けておらず、コメントもしていない」とする電話をかけており、講談社側は朝木の主張を承知した上でこの会合が行われたというストーリーになっている。

 その上で、矢野が講談社代理人から確認を求められたのに対して「言った言わないの話にはならない」といったどころか、逆に矢野の方から「言っていない」と切り出したのであり、さらに朝木が講談社側に対して「録音テープもないでしょ」とたたみかけたというのが事実であると主張している。録音テープなど存在しないことを承知の上でそう記載したのだろう。もちろん裁判所はこのストーリーは無視したが、彼らなりに念入りにストーリーを練り上げた跡がうかがえる。

 朝木の上記陳述書の内容については当然、講談社の代理人が尋問で取り上げた。そのやりとりをみよう。



(「言った言わないの話にはならない」に関する朝木に対する尋問内容)

講談社代理人
  95年10月17日にお会いしましたね。その時に私から、「言った、言わないということであとで問題になるようだったら話にならないですけれども、そういうことにはなりませんね」、ということを確認を取られた記憶はありますか。

朝木  私はちょっとそういう記憶はありませんですが。こちらから「発言はしていない」ということは申し上げてあります。

代理人  それで、こちらが沈黙したというの? 私は当日その確認だけ取りに行ったんです。弁護方針を立てるために。

朝木  でしたらどうして……。

代理人  聞かれたことだけに答えて下さい。その確認だけ取りにいって、それに対してあなたが言っていないということで、弁護士が「はい、そうですか」で沈黙するんですか。よく記憶を喚起して下さい。



 担当者と乙骨は陳述書で、この日の会合について「友好的に進み」「いっしょに頑張りましょうということでこの日は別れた」と述べている。それが事実と仮定すれば、弁護士がコメントの事実だけを確認するためだけに東村山まで出向き、コメントの事実を否定されたとすれば、会合が「友好的に進む」ことは考えられない。

「乙骨も大統もいなかった」

 朝木側は矢野の「言った言わないの話にはならない」とする回答が事実であるとした乙骨の証言について、支援者の小坂渉孝が「乙骨はその場にいなかった」と証言することで乙骨証言の信憑性を否定しようとした。講談社代理人はこの点についても朝木に聞いた。



(乙骨の存在に関する朝木の供述①)

講談社代理人  そのときいた方は他に誰がいましたか。講談社側と朝木さん側の他に、いらっしゃった方はいませんか。

朝木  私と矢野さんがこちら側ではいたと思います。あともう1人市内の方が1人いらっしゃいます。

代理人  それから大統さんもいらっしゃったね。

朝木  いや、父は行ってません。

代理人  それから、ほかには。

朝木  あと私の弟がいたかもしれませんが。

代理人  それからあとは。

朝木  あとはちょっと記憶がありません。

代理人  乙骨さんはいらっしゃいましたね。

朝木  ちょっと私は記憶ないです。

代理人  乙骨正生。

朝木  はい、乙骨さんは存じてます。



 朝木も「市内の方」すなわち小坂はいたが、乙骨については「記憶がない」という。「いた」という記憶がないといっているのか、「いたともいないとも憶えていない」という意味なのか明確でないが、「いた」と明言するものでない以上、朝木も婉曲に「乙骨はいなかった」と主張しているものと理解すべきだろう。出席していない人物の証言は「証言」とはいえず、信用に値しないと主張しているに等しい。

 ここでもう1点注意しておくべきは、朝木が大統についても講談社側の証言とは異なり、出席していないと供述したことである。当時、大統は「失明状態にあった」ことになっていたから、この会合にも出席していなかったということなのだろうか。ただこの供述はのちに、朝木供述全体の信憑性にも関わってくることになる。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第12回
論点をそらした朝木

 講談社の代理人から初会合の席に乙骨がいたのではないかと聞かれた朝木は、「乙骨さんは存じてます」とあえて「ただ知っているだけ」の関係であるようないい方をし、「乙骨は出席していなかった」と供述した。これに対して講談社の代理人は乙骨の具体的証言を示して突っ込んだ尋問を行っている。



(乙骨の存在に関する朝木の供述②)

講談社代理人
  これは証拠には出してないけれども、『怪死 東村山女性市議転落死事件』、教育史料出版会から本を出されている、いわゆる創価学会のウォッチャーですね。

朝木  というふうに聞いております。

代理人  で、草の根事務所にもよく出入りされている方。

朝木  はい。



『怪死』によれば、乙骨は朝木明代の死亡が確認された日の午前6時ごろ、矢野から第一報を受けた。マスコミ関係者の中で遺族関係者から最初に連絡を受けたのは乙骨だったのではなかったか。かなり親密でなければ、そんな早朝に連絡することはあるまい。もちろん朝木とも、その後の取材の過程においてそれなりの信頼関係を築いていたことは間違いないと思われる。

 その朝木が代理人から乙骨の簡単なプロフィールを聞かれて、「(創価学会のウォッチャー)というふうに聞いております」とはまた、かなり距離を置いた物言いである。「こんな重要な会合に呼ぶほどの関係ではない」といいたかったのだろうか。続く尋問を聞こう。



代理人  この方が当日のびっくりドンキーの打ち合わせに出ていらっしゃったんですけれども、……(講談社)弁護士から朝木サイドに対して「言った言わないという争いにはなりませんね」という確認があり、それに対して朝木サイドが「それは大丈夫です」と答えたと記憶してます。一方講談社サイドは、「とりあえず安心いたしました」と、こういうことになってるんですけれども、あなたはこれでも記憶は喚起できませんか。

朝木  それは○○先生(筆者注=講談社代理人)が、それは私たちが合意したとおりに、私たちが発言したというような前提で先生が訴訟を進めるということではなかったんじゃないですか。

代理人  事実を聞いてるんだから、事実で答えて下さい。こういうことを乙骨さんがおっしゃてるけれども、あなたはそういう記憶は喚起できないんですか、どうですかというふうに聞いてるんです。喚起できないならできないでけっこうですよ。

朝木  こちらは発言してないという前提で訴訟を進めるということで合意しました。そういう意味だったらあり得ますが、○○先生(同)は(平成8年)1月25日の会談のときにも準備書面を書き換えて下さってるじゃないですか。確認して下さい。

代理人  私が今聞いてるのは、びっくりドンキーの会合の席上でのことを乙骨さんがこう述べてるんだけれども、あなたはそういうことを○○(同)との間で確認して答えた記憶はないんですか、と聞いてるんです。

朝木  私は先生の言葉を細かく覚えていたわけではありませんが……。



 講談社の代理人は具体的に乙骨が証言した講談社側と朝木側のやりとりの内容を示し、その事実について記憶がないかどうか朝木に聞いている。ここまで具体的に聞かれれば、聞かれた事実について憶えているか憶えていないか答えるのが普通だろう。ところが朝木は、聞かれた単純な事実に対しては頑として答えようとはしなかった。

 この場合、朝木が単純な事実について素直にイエスかノーで答え、それが信用できないと判断された場合には心証が悪化することは避けられない。それよりも質問をはぐらかしつつ、趣旨として講談社側の主張を否定する方が賢明と考えたということらしい。

 ただもちろん、イエスかノーかの質問に正面から答えなかったこと自体、講談社側の主張を覆せない証拠であるという心証を形成されかねないことも覚悟しなければならない。事実、「そのようなコメントはしていない」という朝木の主張を裁判所は事実とは認めなかった。

こぞって乙骨を排除

 講談社の代理人が朝木側に対して「言った言わないの話にはなりませんね」と確認した会合に乙骨が出席していたかどうかについては、創価学会の代理人も朝木に聞いている。朝木側が「それは大丈夫です」と答えたとする乙骨の証言は重要であると認識していたということである。

 乙骨がこの会合に出席していたかどうかについて、朝木は講談社代理人による尋問では「記憶がない」と供述し、出席していたかどうか明言はしていなかった(=前回)。そこでまず創価学会代理人は、「記憶がない」という供述が「乙骨は出席していなかった」という意味なのかどうかを朝木に対してまず確認した。すると朝木はそれが「出席していなかった」という意味であるとあっさり認めた。その上で代理人は、他の朝木側出席者がその点についてどういっているかを聞いている。



(乙骨の存在に関する朝木関係者の「認識」)

代理人
  その件については矢野さんにも聞きましたか。確認しましたか。

朝木  はい。

代理人  矢野さんは何と言ってましたか。

朝木  矢野さんも、記憶がないという話です。

代理人  ほかの、小坂さんもいなかったと、こう言ってるわけね。

朝木  小坂さんはかなりはっきりと憶えてらっしゃって、それはちょっとあり得ないんじゃないかというようなお話をなさってました。

代理人  乙骨さんがこの席に、講談社の方は出ていたと、こういうふうに言ってるんですけれども、あなた方のグループというかあなたも矢野さんも、乙骨さんはいなかったんじゃないかと、こう思ってると、こういうことなんですね。

朝木  はい。



 朝木によれば、この会合で矢野は〈「この記事には発言していないのに、発言したと書かれている部分がありますよね。私も直子さんも、どの社にも同じ内容のお話しかしていませんよ」〉と切り出したという。すると矢野にとっても朝木にとっても、この会合は「コメントをしていない」ということを講談社側に改めて確認させる重要なものだったはずである。その会合に乙骨が出席していたかどうか、矢野に「記憶がない」という程度の記憶しかないということはあり得ない。

 矢野も朝木も乙骨の存在を否定するにあたり「記憶がない」と直接的な表現を避けた。裁判では第三者が否定してくれた方が客観性がありそうにみえると考えたのだろう。そこで、会合の出席者で、かつ裁判では当事者ではない小坂が矢面に立ち、矢野と朝木は「記憶がない」と間接的に否定することにしたということではあるまいか。

 講談社側が朝木側に対してコメントの事実を確認したのに対して矢野(朝木側)が「言った言わないの話にはならない」と答えたとする講談社側の主張が真実なのか、あるいは矢野が「この記事には発言していないのに、発言したと書かれている部分がありますよね」などと切り出したとする朝木側の主張が真実なのか――。乙骨の存在が少なくとも当事者間でこれほど重要な争いとなったのは、乙骨の証言がこの重要な争点と密接に関係しているからである。

 裁判所はこの点について具体的な判断を示していない。しかし「コメントはしていない」とする朝木の主張を認めなかった判断から類推すれば、やはり乙骨の証言を信用したものと考えるのが自然である。すると、矢野と朝木は当時、講談社よりも親密な関係にあった乙骨を初会合の席に同席させたが、問題のコメントの存在を認めた重要なやり取りについて乙骨がありのままを証言したため、今度は小坂と口裏を合わせ、乙骨がその場にいなかったことにしようとした――ということになる。

 乙骨がその会合に同席したことには、それまでの経緯や背景、思惑も含めた乙骨なりの意思もあっただろう。矢野らが乙骨の同席を否定するということは、それらをもすべて否定するということである。矢野と朝木にとって乙骨とはその程度の存在だったということだろうか。

 あるいはこう言い換えた方がより適切なのかもしれない。矢野と朝木は『週刊現代』を裏切り、その裁判の過程で乙骨正生をも裏切っていたのである、と。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第13回
絶妙の尋問

 講談社と朝木側の初会合の席で矢野が「(朝木のコメントについて)言った言わないの話にはならない」と回答したとする乙骨正生の証言を全面的に否定した朝木に対し、創価学会代理人は続けて、乙骨が講談社に有利な証言をした理由について思い当たるところはないか聞いた。これに対して朝木は小坂と同様に、「講談社との仕事上の関係ではないか」と述べた。

 ただ創価学会代理人にはもう1点聞きたいことがあったようだった。経験豊富な代理人は妙なことを聞き始めた。朝木と乙骨との関係にやんわり言及したのである。



(朝木が供述した乙骨との関係) 

創価学会代理人  (講談社との仕事上の関係のほかに)何か特に(あなたと)乙骨さんと利害が対立しているとか、何かそういうことがあるんですか。

朝木  1度、乙骨さんのお書きになった本(筆者注=『怪死』)があったんですけれども、その中でちょっと配慮を欠いた部分がありましたので、その部分を訂正していただいたことがあります。ですので乙骨さんはこちらに対してそのことを根に持つというか、そういう気持ちはあるかもしれませんが、私は推測であまりこれ以上は申し上げることはできません。

代理人  乙骨さんというのは、よく創価学会の批判記事を書いてる人ですよね。

朝木  はい。

代理人  現在もそうなんだけれども。何か今あなたがいわれたようなことを根拠に、ああいう事実と違う陳述書を出したと、こういうことになるわけですか。

朝木  いや、ですので私はなぜかわかりませんので、ここでちょっとそういうふうな決めつけるようなことは申し上げません。



 乙骨は『怪死』で「朝木明代の転落死には創価学会が関与した疑いがある」と主張し、朝木らのデマを代弁するとともに、デマを世に広める重要な役割を果たした。「東村山デマ」を妄信する者たちは現在もなお『怪死』をその有力な資料としている。

 その『怪死』の出版後に朝木らと乙骨の間に何が起きていた第三者が知りうるはずもなく、まして『怪死』の表現をめぐって朝木が乙骨にクレームをつけたことなど、本来なら朝木が話す必要はまったくない。ところが朝木はこの日、創価学会代理人の問いかけに外部に知らせる必要のない内情をあっさりさらしたのだった。それほど乙骨の証言を否定することに必死だったのだろう。

乙骨が漏らした本音

 しかも乙骨に対する朝木のクレームのつけ方は、朝木が「そのことを根に持つというか、そういう気持ちはあるかもしれません」というほどのものだったことがうかがえる。著書の内容についてたんに誤りを指摘された程度で、法廷で事実に反して相手方に不利な証言をするほど根に持つとは普通は考えにくい。法廷で対峙した朝木には、乙骨の反応が決して穏やかでなかったことを実感していたのだろう。

 朝木と矢野が乙骨にクレームをつけた『怪死』の「(矢野と朝木に対して)ちょっと配慮を欠いた部分」には以下の箇所が含まれると聞いている。



〈朝木さんに対しても「万引き常習者」だの「家族揃って万引きをしている」などと、それこそ根も葉もない誹謗中傷が加えられているが、そうした誹謗中傷の極めつけにあるのが、W不倫情報。

 朝木さんと矢野さんは、以前からW不倫関係にあり、二人が性交渉していた声が、事務所から漏れていたなどとの噂が、東村山市内では、創価学会・公明をはじめとする反「草の根」グループからまことしやかに流されているのである。〉



 朝木によれば、これらの箇所について朝木らは乙骨に対して法的手段によって削除を要求した。乙骨は噂の存在を示した上でそれを完全に打ち消す方が彼らの利益になると判断したわけだが、朝木らは「噂」の中には動かしようのない事実やあまりにも生々しい話も含まれており、噂の存在を記載すること自体が「配慮を欠くもの」と判断したということだった。

 朝木にとって噂自体が許せないということだったのだろう。乙骨が記載した「噂」のうち、少なくとも明代が平成7年6月19日に万引きという犯罪を犯したことは事実だった。だから朝木は法的手段に訴え、削除を要求したのではあるまいか。彼らのそれまでの関係の深さからすれば、当初は話し合いがあったと推測されるが、朝木らが引き下がる気はなかったはずである。

 最終的に乙骨は矢野と朝木の要求を受け入れた。しかし乙骨は、仮に朝木の「配慮を欠いている」とする主張を理解したとしても、彼らに対する見方が大きく変わったのではないか。そう思われる具体的な話も漏れ聞こえてきた。『怪死』を出版して1年もたたないころ、乙骨は周囲にこう漏らしていたという。「もう東村山には行きたくない」と。

「ジャーナリストとしての信頼」

 ただもちろん、朝木らと乙骨の関係が変質していたとしても、『週刊現代』裁判で乙骨が事実に反して朝木が不利になるような証言をしたということにはならない。乙骨の証言が講談社側出席者の認識に一致している点からしても、乙骨は事実をありのままに証言したとみるべきだろう。担当者は乙骨証言の内容が事実であると述べるともに、次のように述べている。

〈乙骨氏が講談社のためにウソの陳述をしたとしたら、ジャーナリストとしての信頼は失われ、それこそ仕事がこなくなります。〉

 講談社と朝木側の初会合の席で朝木側がコメントについて「言った言わないの話にはならない」と明言した事実を乙骨はありのままに証言した。講談社にとって乙骨は「ジャーナリストとしての信頼」が失われることはなかったことになる。

 しかし乙骨は朝木がコメントの事実を否定し、初会合の席に乙骨はいなかったと虚偽の供述をするに至る経緯の中で、自分自身に対する「ジャーナリストとしての信頼」がぐらつくことはなかったのだろうか。普通の感受性の持ち主なら、朝木が『週刊現代』におけるコメントを否定した時点で、それまで自分がさんざん取材を重ねてきた相手の主張が虚偽に満ちたものではなかったかと疑問を持ち、『怪死』の内容についても少なくとも見直す必要があると考えてもなんら不思議はない。

 しかし乙骨が、朝木が『週刊現代』のコメントを否定したことについて疑問を呈したことはなく、乙骨が会合に出席していたことを虚偽の証言によって否定した事実を公表したこともない。もちろん『怪死』の内容についてなんらかの反省を述べたことはただの1度もない。

 少なくとも、朝木が『週刊現代』の取材も受けていないなどと虚偽の主張をしたことについて何も疑問を持たないはずはあるまい。そのことを乙骨が自発的に批判しないのは、自分自身にとってもきわめて都合が悪いということを理解しているからにほかなるまい。

 乙骨はかつて講談社に対しては「ジャーナリストとしての信頼」を維持したかもしれない。しかし読者や自分自身に対しての信頼はいまだ失われたままである。

(つづく)
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