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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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右翼M事件・債権取り立て編(その3)
3度目の督促

 平成25年3月7日に千葉が損害賠償金の支払いを求めたのに対し、右翼Mは常識では理解できない回答書(平成25年4月5日付「賠償金の支払い請求について」)を送りつけたきり、支払いの意思をまったく見せていない。裁判所で排斥された主張を法廷外で蒸し返し、裁判所の命令を無視して損害賠償の支払いを拒否するとは、やはり千葉が見抜いたとおりの「情けない右翼」である。あるいは右翼Mは、社会のルールに適応できない(したくない)風変わりな性質なのだろうか。当たり前の話だが、いずれにしても右翼Mは裁判所の支払い命令から逃れることはできない。

 そこで千葉は右翼Mに対し、平成25年7月2日付で〈賠償金の支払いについて〉と題する督促状を送付した。これが3度目の督促である。

 督促状にはまず「1」として、請求総額が「11万7800円」であること、支払い期限を「平成25年7月31日」とすることなどが記載されている。

 続いて「2」で千葉は、右翼Mが4月に送ってきた回答書に記載した主張と質問に対して反論と回答を行っている。便宜上、右翼Mの主張と質問を再度記載し、おおむねそれに対応するかたちで今回の千葉の反論と回答を紹介する。



(右翼Mの主張1)

〈(貴殿の請求は)私からの116,600円の支払を受けなければ、低下させられた貴殿の評価を回復できないという主旨による支払の請求であると理解いたします。上記主張が真実であれば、要求に従ってお支払いを実行する必要性を認めるところであります。しかしながら、記事は何ら貴殿の社会的信用及び評価を低下させるものでないことは明白であります。〉

(千葉の反論1)

(1)上記1の賠償金の支払請求は、貴殿が公表した記事が、私の名誉を侵害したとして、貴殿に賠償金の支払を命じた確定判決に基づくものであり、不当な請求ではない。



 右翼Mは東村山市議、矢野穂積と「行動する保守」Aの主張を鵜呑みにし、千葉について以下のように記載した。



①〈(朝木明代の自殺に際して)捜査の指揮をとった東村山警察署の千葉英司副署長(当時)は(「殺人事件」という事実に反して)強引に自殺として処理。〉

②〈自殺に見せかけるためにはその動機が必要となる。そのために同年6月19日に朝木市議が駅近くの洋品店でブラウスを万引きしたという事件をでっちあげた。後日取調べを受けた朝木市議は書類送検されたことを苦に自殺したというストーリーまでお膳立てしていた。〉

③〈この男こそ13年前、自殺事件にすり替えた張本人・千葉英司だったとわかった。警察を退職した今でも創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じていたとは。〉



 上記記載について裁判所は千葉の社会的信用および評価を低下させると認定し、右翼Mが真実性・相当性を立証できなかったため、名誉毀損の成立を認定したのである。右翼Mは正当な反論をしているつもりかもしれないが、法廷で排斥された独善的な主張を繰り返しているにすぎない。社会的に通用する主張かどうか客観的な判断ができないか、損害賠償金を支払いたくない気持ちの表れと理解するほかあるまい。

非を認められない体質

 続く千葉の反論をみよう。



(右翼Mの主張2)

〈貴殿におかれましては、一連の事件における責任を痛感し反省すると共に、今までの所業を悔い改めたものであろうと、私なりに推察致しておりました。しかしながら、今般貴殿より金員の支払を求めるが如き書状が舞い込んでまいりました。この事態を直視するにおいては、貴殿の今までの反省を示す平穏なる態度が欺瞞なるものであるのか、と疑問を持たざるを得ません。〉

〈貴殿及び貴殿を取巻く勢力が反省し悔い改めたということを前提として、貴殿と貴殿を取巻く勢力に対する下記の行動を実行する権利を一時的に留保してきました。しかしながら今般、貴殿が私に対し不当とも言える金員の支払を強要するような事態に直面し、権利の留保を解除することをも検討しなければなりません。〉

筆者注=さらに右翼Mは、よくわからないが、〈創価学会による言論弾圧事件を検証するパネルディスカッションの開催を要求する〉などの、本件とは無関係であるにもかかわらず創価学会に関する独自の活動を行うことを勝手に表明した上、明代の万引きを苦にした自殺について次のように息巻いている。)

〈5、平成7年に創価学会によって殺害されたとされる朝木明代東村山市議(当時)の死の真相究明の為の活動を行う。〉

〈6、「5」の事件を自殺として処理した千葉英司・東村山警察署副署長(当時)の責任を追及する。〉

(千葉の反論2)

(2)矢野穂積や瀬戸弘幸の根拠のない「冤罪(筆者注=明代の万引きが「冤罪」であるとするデマ)及び謀殺説」を確認・検証しないままに公表した貴殿に責任があるのであって、私に責任を転嫁することは、本末転倒である。また、創価学会・公明党員、そして、私の近隣住民は、賠償金の支払とは無関係である。



 判決後しばらくの間、千葉が督促しなかったことを「反省と悔い改め」の表れと理解していたとは独りよがりも限度を超えていよう。

 また明代の自殺について「真相究明活動を行う」というのなら、右翼Mが「他殺」と信じるきっかけとなった「行動する保守」Aの「内部告発」の究明から始めるべきだろう。「行動する保守A」を追及すれば、「内部告発」なるものが出所の突き止められないもの、つまりデマであることを理解するのではあるまいか。

 デマと理解できない場合は仕方がないが、デマと理解できた暁には、右翼Mは右翼らしく、「行動する保守」Aを信用したことは誤りだったと、潔く認めるべきである。「行動する保守」Aがそうであるように、具体的に何もする気がないのにいつまでも「真相究明活動を続けます」などという言い訳を繰り返すだけなら、非を認められない卑怯者ということになろう。

 さて千葉は3度目の督促状で次のように結んでいる。 



(千葉の反論3)

(3)貴殿の書面での主張と質問は、支離滅裂である上に、私に対する嫌がらせであり、極めて不愉快である。私は、貴殿からのかような書面の送達を拒否することを申し添え、貴殿の書面での主張と質問に対する反論と回答とする。



 なお、千葉に対して当初40万円を超える支払い義務を有している西村修平は、右翼Mと異なり、不定期かつ少額ずつではあるが、支払いを続けているとのことである。

(「その3」了)
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『週刊現代』事件 第14回
手を引かなかった朝木

 朝木は裁判開始から1年も経過したあとになって、「『週刊現代』の取材はいっさい受けていないし、(『明代は創価学会に殺された』)などというコメントはしていない」と主張し始め、裁判では「取材を受けていないことは『週刊現代』発売当日に編集部に電話して、担当者にその旨を伝えた」などと主張した。これに対して講談社側はコメントを捏造した事実はなく、朝木らが『聖教新聞』を提訴するまで「『週刊現代』の取材は受けていない」などと主張した事実もないと述べている。

 その点について、平成7年10月17日に講談社側と朝木側が初めて顔合わせをした際に、講談社代理人が朝木側に対して「言った言わないの話にはなりませんね」という確認があり、矢野がはっきりと「そのようなことはありません」と答えたと担当者は証言した。また講談社は朝木側の立場で会合に同席していたジャーナリストの乙骨正生に証言を依頼したところ、乙骨は応諾し、同様の証言を行った。

 ところがこの証言に対して朝木側は、乙骨はこの会合に出席していなかった(したがって乙骨の証言は信用できない)と主張するなどして講談社の主張を真っ向から否定したのだった。しかし、もう1人の出席者に関する供述によって朝木は、乙骨に関する供述がいかに信用性のないものであるかを自ら立証してしまっていた。

「もう1人の出席者」とは朝木の父親、大統である。朝木は講談社代理人から初会合の出席者について聞かれた際、大統は会合に出席していないと供述していた(本連載第11回参照)。しかしそれは重大な記憶違いか、意図的な虚偽だったことがほかならぬ大統の口から明らかになったのである。

 一審では大統に対する尋問は行われなかったが、控訴審で東京高裁は大統に対する尋問も必要と判断した。大統に対する尋問が行われたのは平成13年2月1日午前11時だった。

 朝木によれば、平成7年9月の時点で大統はほとんど失明状態にあったという。ところが尋問を傍聴した千葉によればその日、2人は一緒に法廷にやってきたが、朝木は大統の手を引くでもなく、1人で当事者席に入ったという。大統は入口から1人で当事者席まで歩いて行ったのである。

「父親の目が不自由だとすれば、普通は手を引くなりすると思うが、朝木が父親をいたわっているようにはとても見えなかった」

 千葉はそう振り返る。

きわめて素直な供述

 さて、控訴審でも大統は娘と同じく「取材はいっさい受けていない」と主張していたが、尋問で講談社代理人は初会合の日のことについて言及した。代理人は自分の顔を確認させるためにまずこう聞いた。「父はほとんど失明状態にある」と朝木が主張していたからである。



講談社代理人  (代理人は)1メートルくらい前に顔を置きます。朝木さん、私の顔は見えますか。

大統  見えません。

代理人  朝木さん、私と会ったことありますね。記憶あるでしょう。



 代理人がこう聞くと、どうしたことか大統ははっきり「はい」と即答した。大統はよほど記憶力がすぐれていて、顔が見えなくてもそれが代理人の声だとすぐにわかったらしい。いずれにしても、大統がこの講談社代理人と会ったことがあると認めたことはきわめて重要である。続く尋問を聞こう。



代理人  どこで会いましたか。

大統  ファミリーレストラン。

代理人  何というところだったでしょうか。

大統  何というところでしたかね。

代理人  「びっくりドンキー」、よく使われてたでしょう、あの当時。

大統  私は「よく」というわけではございません。



 確かに当時「びっくりドンキー」をよく使っていたのは、万引き事件のアリバイ工作で使った朝木明代と矢野穂積である。しかし大統は、代理人と「びっくりドンキー」で会ったことを認めた。朝木や矢野に比べれば、きわめて素直な供述である。

 では、それはいつ、どんな形で、どんな内容の話し合いがなされた会合だったのだろう。代理人が矢野に対して「言った言わないの話にはなりませんね」という確認をした会合ではない可能性もないとはいえないから、ここは手を緩めずに詰めておく必要がある。代理人は会合の内容を具体的に聞いた。



代理人  私どもと講談社4人で行った記憶ありますね。

大統  何人というのははっきり憶えてません。

代理人  すでに朝木さんたちのグループの方が座られて、あとから行ってあいさつさせていただいたという記憶ありますよね。

大統  はい。



 講談社の社員と顧問弁護士、それに相被告となった朝木のグループが、東村山の「びっくりドンキー」で一堂に会した機会とは、まさに問題となっている初会合以外にはあり得ない。大統はこの時点で初会合に出席していたことを何のためらいもなく認めたのである。

足を引っ張った大統

 一方、この会合に大統が同席していたかどうかを聞かれた朝木は、大統の同席を否定している。創価学会から提訴されていた本人である大統が、相被告である講談社との初めての打ち合わせの席にいたかどうか、朝木が覚えていないということは考えにくい。

 朝木は大統が出席していないと供述した尋問の中で、乙骨の出席も否定している。乙骨の出席を否定したのは乙骨が自分たちに都合の悪い証言をしたからである。大統についても、当時、朝木は裁判で大統を表に出したくないと考えていた。大統も出席していたといえば、大統に対する尋問も必要と判断される可能性がある。だから朝木は、大統は出席していないことにしたのではあるまいか。

 しかし控訴審で、東京高裁は本来の争点であるコメントの有無に関して大統に対する尋問の必要があると判断し、大統に対する本人尋問を行うことにした。一審で朝木はとっさに初会合の席に大統はいなかったと供述したが、その点にまで十分な打ち合わせができなかったものとみえた。

 そんなこととは知らない大統は、初会合の席に出席していたことをあっさり認めてしまった。これによって、初会合の席に乙骨はいなかったとした朝木の供述は著しく信用性に欠けるということがあらためて立証されたのである。朝木は実の父親の正直な供述によって足を引っ張られたということになろうか。無残な親子関係である。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第15回
朝木を信用していた講談社

 担当者の陳述書によれば、朝木が平成8年に『聖教新聞』を提訴した訴状で「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」と主張するまで、朝木が『週刊現代』に対してそのような主張をしたことはいっさいなかった。平成7年10月17日に東村山で初会合を行って以後も、担当者は数回にわたって朝木側と打ち合わせを行っている。しかしその際にも、朝木は「取材はいっさい受けていない」と主張するどころか、「いい弁護士を紹介してくれませんか。元特捜部長の河上和雄先生(=当時、講談社の顧問弁護士)はどうでしょうか」と相談をもちかけるなどしたという。

 コメントを捏造され、提訴までされる原因を作った相手とは利益の相反する敵である。その敵に対して弁護士を斡旋してもらおうとすることは、普通はあり得まい。担当者のこの証言は具体的で、信用性があると評価できるのではあるまいか。

 担当者によれば、平成8年1月25日には東京弁護士会館で双方の代理人が同席して打ち合わせを行ったが、その際にも記事に対する抗議はなかった。この日、講談社代理人は講談社が提出する準備書面の原案(以下=原案)を朝木側にも渡していた。内容に齟齬があってはいけないし、応訴方針との関係で主張内容を調整する必要があるかもしれないと考えたのだろう。

 朝木はこの日に講談社側から原案を渡された事実を否定しておらず、この事実を動かすことはできない。仮にそれ以前に朝木が講談社側に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と主張していたとすれば、講談社側が朝木に対して事前に原案を見せることも、意見を聞くなどということもあり得まい。

 すなわち、この打ち合わせにおいて講談社側が朝木側に対して原案を見せたこと自体が、朝木が講談社に対して「取材はいっさい受けていない」などと伝えた事実はないことを裏付けていよう。最初の会合で朝木側が「言った言わないの話にはならない」と言明したことで、講談社側は朝木を信頼していたのである。

 だから、講談社側は原案でコメントの事実について次のように認否していた。

「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認めるが……」

 講談社は問題のコメントがあった事実を認める一方で、朝木が講談社に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と主張しているなどとはいっさい記載していない。当然ながら、この事実からは、講談社は朝木のコメントがあったことを前提に裁判を闘おうとしていたことがうかがえる。

朝木側の応訴方針に違和感

 もちろん講談社としてはコメントの事実を否定することは自ら記事の信憑性を否定することになるから、コメントの事実を認めないということはあり得ない。だから問題となったコメントの事実を認めた上で、真実性・相当性ではなく、「遺族の声を伝えることは『自由な言論』である」という形で裁判を争おうとしていた。真実性・相当性が立証できないのなら「報道の正当性」で争うしかなかったのだろう。

 しかし、朝木側の方針は講談社側からみてかなり理解に苦しむものだった。講談社代理人によれば、講談社の応訴方針に対して朝木側は、「(コメントを前提とした)『自由な言論』というような本質に入らないで、当事者問題とか手続き問題でやりたい」と答えたという。朝木の代理人がこの日の打ち合わせで述べたのは以下のような内容だった(朝木に対する尋問での発言)。



(朝木代理人の発言要旨=講談社代理人による)

①「発言内容の公表は企図したわけではなく、『動揺した親族の言葉』である」

②「発言内容を否定するものではないが、正面突破する真実性(「明代は創価学会に殺された」)についてはこの土俵では争わない」

③「創価学会の法人格について争う」



 朝木代理人の上記説明のうち、③は「創価学会は日蓮正宗から破門されたから、宗教法人ではない」という主張らしかったが、本件とどう関係するのか担当者にも代理人にも理解できなかったという。

 本件で問題となっている朝木の発言(「明代は創価学会に殺された」)に直接関係するのは①と②である。

 ①は、「動揺したために思わず出た言葉にすぎない」という趣旨であると理解できる。「動揺すれば、誰だって不穏当な発言をすることもある。状況によっては、ある程度の過激な発言も容認されるべきだ」ということだろうが、要するにコメント内容の真実性・相当性が立証できないがゆえの言い逃れである。

 ②は「真実性は争わない」という意味で③とも関連性があるが、「創価学会に殺された」と断定した本件コメントの真実性などとうてい立証できるはずがないから「この土俵では真実性は争わない」といっているにすぎない。

認否に関する要請

 上記の朝木代理人の発言の中でむしろ重要なのは、①の「動揺した遺族の言葉」および②の「発言内容は否定しない」という発言を総合すると、代理人は問題のコメントの存在自体は認めていると理解できることである(コメントの存在を認めていなければ、講談社代理人に対してストレートにそう伝えるはずである)。この事実は、それまでに講談社側に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と伝えていたとする朝木の主張と矛盾する。

 当時、朝木代理人がコメントの事実を否定しなかったことは講談社にとって特別なことではない。ただ講談社側代理人によれば、なぜか朝木側は、「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認める」とした認否の部分を外してほしいとその場で要請したのである。

 これに対して講談社代理人は認否をしないで争うことはできないと答えたが、まだ最終的な主張を提出すべき局面でもなかったから、その準備書面では認否から外すことを了承したのだった。もちろんその時点で講談社代理人は、準備書面から認否を外したことが将来どういう主張に使われるかなど、想像さえしなかった。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第16回
「意味不明」の書き換え

 平成8年1月25日に行った打ち合わせで、朝木側は講談社の準備書面原案の「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認めるが……」とする認否の部分について認否をしないよう要請し、講談社はこれに応じた。

 ところが朝木側が修正を求めたのはこれだけではなかった。それから3日後、朝木側はさらに、今度は口頭ではなく文書によって原案の以下の見出しについて修正を求めたのである。



(原案の見出しと朝木側の要請によって修正された見出し)

〈故人の夫と娘とが故人は創価学会に殺されたと述べている事実〉

(修正後)
「故人の夫と娘とが、故人の死亡に原告教団関与の疑惑を指摘した事実」

〈これを原告教団による殺害であるとする遺族側の見解〉

(修正後)
「この死亡に原告教団関与の疑惑を指摘する遺族側の見解」



 ――朝木らは「創価学会が関与した疑惑」ではなくストレートにコメントし(「明代は創価学会に殺された」)、『週刊現代』はそのまま掲載した。さらに創価学会から提訴された後、コメントの存在について朝木側は「言った言わないの話にはならない」と明言している。その状況で朝木はなぜこのような書き換えを要請してきたのか。

 担当者は朝木側の意図をいぶかると同時に「意味不明」と評している。何より担当者は、朝木のコメントの事実と朝木への信頼から、なぜあえて「殺人」から「関与した疑惑」に変える必要があるのか理解できなかったのではあるまいか。また「明代の死亡に原告教団が関与した疑惑」と言い換えたところで、表現そのものが間接的になるだけで、その意味するところに変わりはなかった。

 講談社は朝木のコメントを前提にして裁判を争おうとしていた。しかしこの書き換えの要請をみるかぎり、朝木側としては内心では問題のコメントの違法性は免れないと考えていたことは十分に察することができる。それから3年後、朝木は尋問で、講談社側がこの書き換えを了承したことを根拠に、朝木が当時すでに講談社側に対して「コメントはしていない」ことを伝えており、講談社側はそのことを承知していたと主張したのだった。

 最初の会合の際、乙骨正生(講談社側代理人から「言った言わないの話にはなりませんね」と聞かれて矢野が「そういうことにはなりません」と答えたことを証言)がその場にいたかどうかを聞かれた朝木は、〈先生は(平成8年)1月25日の会談のときにも準備書面を書き換えて下さってるじゃないですか。確認して下さい。〉と、準備書面書き換えの話を持ち出した(本連載第12回)。「その時点ですでにコメントはしていないことを伝えていた」と主張する根拠として書き換えの件を持ち出したのである。朝木は準備書面の書き換えを要請した時点でハシゴを外すことを考えていたのだろうか。

配慮を逆手に

 尋問で朝木がさらに持ち出したのが、講談社が朝木の要請に従って認否の箇所を修正した事実だった。上記2箇所の見出しの修正については、矢野と朝木は文書で訂正を要請しているが、認否を削除した経緯について朝木は、打ち合わせの際に朝木代理人が口頭で削除の要請を行い、削除してもらったと述べている。認否の箇所については代理人が口頭で削除を要請しただけで、文書で要請するまでもなく講談社側はすぐにその要請に応じたといっているわけである。

 すなわち朝木は、講談社側が口頭での削除要請にすぐに応じたのは、朝木がすでにコメントの事実がないことを講談社側に伝えてあり、講談社側もその事実を認めていたからだと主張しているのだった。口頭であろうが文書であろうが、削除・訂正を要請した事実に変わりはなく、たとえそれに応じたからといって講談社が「コメントはしていない」とする朝木の主張を事実として受け入れていたということにはなるまい。

 準備書面書き換えの客観的経緯は、講談社が朝木側から口頭と文書(ファックス)で書き換えを要請され、朝木を信用していた講談社はそれに応じただけのようにみえる。その話が朝木の供述では、いつの間にか「講談社はすでに朝木がコメントの事実を否定していることを知っていたがゆえに書き換えの要請に応じた」ことに変質していた。矢野と朝木が尋問に臨むにあたり、講談社側の配慮を逆手に取り、いかに巧妙に彼らに有利なストーリーを作り上げようとしていたかがわかるのではあるまいか。常人にはなかなか真似のできる業ではない。

 法廷での講談社代理人と朝木の以下のやりとりを具体的にみれば、「コメントの存在」に関する講談社代理人の認識が朝木の主張とは大きく異なっていたことがよくわかろう。



(認否の書き換えに関するやりとり)

講談社代理人  請求原因の認否をしないで、手続き問題、あなた方のいう当事者適格で争いたいというので、請求原因の認否は絶対にしないでくれという話だったんで、それはできないと。講談社はそういう方針では争えないということをその場で申し上げたことはありませんか。

朝木  それは事実と違うと思います。

(見出しの書き換えに関するやりとり)

講談社代理人
  故人の夫と娘とが故人の殺害に原告教団関与の疑惑を指摘したというような修正を入れてくれという、中田先生から連絡があって、表現を和らげてくれという連絡があって私が変えたんです。故人の殺害、要するに明代さんの殺害に原告教団関与の疑惑を指摘したと、これはどういう意味ですか。あなたは何を指摘したんですか。

朝木  私は何回も申し上げておりますけれども、私たちが申し上げたのは、疑惑を基礎付ける事実をいくつか、記者の方にお話をしたという趣旨です。



 講談社代理人の発言に不自然な点はいっさいなく、いずれも当時、代理人がコメントの存在が否定されることなどまったく想定していなかったことがわかろう。最初の会合でまずコメントの事実を再確認した事実からみても、準備書面の一部を書き換えてほしいという朝木の要請がコメントを否定する意図であることを講談社代理人が知っていたとすれば、黙って準備書面を修正するはずはないと思われた。

 さて、朝木側が準備書面の書き換えを要請してきたことにやや違和感を覚えた担当者は、同年8月27日に東京弁護士会館で行った打ち合わせの際には朝木側に対して不信感を持ち始めたという。朝木側が何の連絡もないまま30分以上も遅刻してきたのである。

 遅れることはあったにせよ、朝木はなぜ連絡もしなかったのか。すでにその20日前の8月7日、矢野と朝木は『聖教新聞』に対する訴状(「コメントはしていない」と主張)を提出していたのである。もちろん担当者も講談社代理人も、そのことを知らされてはいなかった。

(つづく)
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