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『週刊現代』事件 第19回
最終準備書面における講談社の主張

 講談社は第一審の最終準備書面で朝木直子に対する筆舌に尽くしがたい不信感を述べたが、記事自体についても、朝木らのコメントが取材に基づくものであることを前提として違法性を否定する主張を行った。ジャーナリズムが事実に基づいて真実を追及しようとするものであるという常識からすると、私には違和感のある主張に思えた。

 講談社は最終準備書面の冒頭でまず次のように述べている。



(第一審最終準備書面における講談社の主張1)

 本訴は、週刊現代に掲載した朝木明代氏の死亡に関する記事における、同氏の遺族である被告朝木父子両名のコメントの引用部分が、原告教団の社会的評価を毀損するとして提起されたものである。原告教団が名誉毀損として特定した記述は、見出しも含めて全て遺族両名のコメントを引用したものであって、本訴は、このような死亡に際しての遺族のコメントの引用がメディアの報道行為において許容されるか否かを争点としたものである。



 この裁判はそもそも朝木父娘の発言およびそれを引用した『週刊現代』の記事が、「朝木明代は創価学会に殺された」とするもので、記事は創価学会の名誉を毀損するものであるとして創価学会が提起したものである。訴状にはコメントを引用したこと自体が違法であるとする主張はなく、裁判中においても特に争点になったことはない。

 一般的に考えても、メディアが関係者を取材し、コメントを求めることはよくあることで、当事者が取材を拒否しているなど特別な事情があった場合を除き、それ自体は特に問題となるものではあるまい。講談社は「(家族の)死亡に関しての遺族のコメント」の場合は例外だといいたいようにも受け取ることができる。しかし、創価学会はそのコメントの内容およびその取り上げ方と論調から、記事が「朝木明代は創価学会に殺された」と主張するものだから違法だと主張しているのである。したがって、本件の争点が「コメントの引用が許容されるか否かを争点としたものである」とする講談社の主張はかなり的外れなものといえるのではあるまいか。

「遺族の声を中立的に伝達」と主張

 原則としてメディアによるコメントの引用は許されるとしても、その内容によっては引用が無条件に許されるものではなかろう。〈遺族のコメントの引用がメディアの報道行為において許容されるか否かを争点としたものである〉と主張する講談社がコメントの内容を問わず、無条件に引用しても許されると考えているのかと思うとそうでもないらしかった。講談社は次のようにも述べている。



(第一審最終準備書面における講談社の主張2)

 本件報道について、被告講談社は不法行為責任を負担しない。それはまず第一に、本件報道が右のとおり「遺族の声」の伝達であり、その遺族が死亡についてその旨の意見を抱き述べているという「事実」そのものがそこで伝達されているのであって、遺族が述べたという「コメントの内容」を「真実」として伝達しているわけではないからである。

 これは人の口を借りて物事を伝えようとする主観報道と、本件のような客観報道の差として認識される。従って本件記事は原告が主張するように「原告創価学会が故明代氏を殺害した」などという事実を事件の「真相」として読者に伝えたものではなく、「原告教団が故明代氏を殺害した」という評価を形成するものではない。



 講談社は、たんに朝木らの「遺族の声」を中立的に紹介しただけで、そのコメントによって『週刊現代』としてそれが「真相」であると主張しているものではないと主張していると理解できる。本当に記事は中立的に紹介しただけのものと読者は読むのだろうか。

 記事は〈東村山女性市議「変死」の謎に迫る 夫と娘が激白! 「明代は創価学会に殺された」〉と断定するコメントをそのままタイトルにした上、記事中では朝木や大統のコメント〈「創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました。」〉(=朝木)、〈妻が自殺するはずがありません。この事件は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない。〉(=大統)を紹介したあと、彼らのコメントがもっともであると同意を示す一方、彼らのコメントを否定する文言はどこにもない。これでは朝木のコメントを借りて『週刊現代』の見解を述べたに等しいと評価されてもやむを得ないのではあるまいか。

「たんなる取り乱した嘆」

 遺族のコメントの引用が許される理由として講談社はもう1の理由を挙げている。コメントの内容自体が名誉毀損を構成するか否かという点に対する見解である。講談社は名誉毀損を構成しないとして、以下のように述べた。



(第一審最終準備書面における講談社の主張3)

 ……名誉毀損はその者の評価を形成するに足りる具体的な(説得力ある)事柄の伝達が必要とされるはずである。

 しかるに、本件各遺族の発言内容は、何ら根拠も示されていないまま断定的に述べられたものであり、平均的な一般読者にとってははなはだ唐突で感情に流されたものと受け止めざるを得ないものにすぎない。この発言は、なかば死亡を目の当たりにし取り乱した遺族の嘆として受けとめられるものなのである。



 しかし現実に発行された問題の記事には次のように朝木らの主張に理解を示す記載が並んでいる。

〈遺族たちは「殺人事件」と確信している。むろん、遺書は残されていなかった。〉

〈「……創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました……」

 直子さんはこう憤るのだ。〉

〈はたして真相はどうなのか。創価学会による犯行か否かは別にしても、事件を振り返ると、とても自殺とは思えない事実が次々と浮かびあがるのだ。〉

〈大統氏が、

「妻が自殺するはずがありません。この事件は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない」

 と憤るのも無理はない。〉

『週刊現代』は上記のように、朝木らの主張に理解を示す一方、その主張がまったく根拠がないまま断定的に述べられたもので、〈取り乱した遺族の嘆〉にすぎず、客観的信用性があるものではない――などの注釈はいっさい施していない。つまり、仮に『週刊現代』が朝木らの主張に客観的根拠がないと考えていたのだとしても、現実に発行された『週刊現代』ではむしろ朝木らの主張には客観的根拠があるかのように主張しているのである。記事からうかがえる『週刊現代』の意図からしても、上記「主張3」に説得力があるとは思えなかった。

 記事の真実性をめぐる名誉毀損訴訟において、訴えられた側は記事の真実性・相当性を主張・立証しようとするのが通常である。しかし、講談社側が一審で主張したのは上記3点だけだった。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第20回
「遺族の嘆」が意味するもの

 講談社側は最終準備書面において朝木らのコメントを「遺族の嘆」ないし「遺族の声」と位置付けたが、この方針が示されたのは最終準備書面の時点ではなかった。また講談社代理人による朝木に対する反対尋問における発言からは、平成8年1月25日に行われた最初の打ち合わせの段階では朝木代理人も同様の方針だったことがうかがえた。朝木代理人が説明した内容について講談社代理人は次のように述べている。



講談社代理人  中田さん(筆者注=朝木代理人)はこういったの。公表は企図したわけではないと。動揺した親族の言葉だと。それから発言内容を否定するものではないと。真実性はどうですかと聞いたら、正面突破する真実性はこの土俵では争わないと。……



「コメントはしていない」とする朝木に対して、講談社代理人は朝木側が当初はコメントの存在を認めていた事実を突きつけようとしたのである。朝木はそのとき抜け目なく中田弁護士の説明があったこと自体を否定した。しかし、これまで検討してきたコメントの存在をめぐる事実関係を総合すると、やはり朝木の供述を信用することは難しかろう。

 講談社代理人の上記説明からうかがえるのは、朝木側代理人もまた当初はコメントの存在を否定しておらず、コメントについて「動揺した親族の言葉」であり、「公表を企図したわけではない」ものとして争おうとしていたということである。この打ち合わせ後に作成した講談社側の平成8年2月5日付け準備書面の主張も「遺族の声を公正中立に引用したもので違法性はない」という趣旨だった。つまり当時、双方の代理人の間で応訴方針に決定的な食い違いはなかったようにみえる。

 ただ平成8年1月25日の時点で、矢野と朝木が「明代は創価学会に殺された」とするコメントについて、本当に中田弁護士のいうように「動揺した親族の言葉」、「公表を企図したわけではない」などと主張するというしおらしい方針に納得していたのかどうかは疑問である。「動揺した言葉」だったからといって、「創価学会に殺された」と断定する発言をし、それが不特定多数に向けられたものになった以上、真実性・相当性の立証を要求されないという保証はないのだった。その場合、「明代は創価学会に殺された」ことを立証することなどできるはずがないことを最も誰よりも知っているのは矢野と朝木自身だった。

 また「動揺した親族の言葉」と主張することはすなわち、「明代は創価学会に殺された」とするコメントが客観的な根拠に基づくものではないと自ら認めることであると、矢野と朝木が気づいていなかったとも思えない。講談社側も最終準備書面で「遺族の嘆」の中身について〈はなはだしく唐突で感情に流されたものと受け止めざるをえないものにすぎない〉とまで述べて、それが客観的根拠に基づくものではないことを認めている。講談社からいわれるまでもなく、矢野と朝木も内心でそう考えていたのではあるまいか。

一方で亀井静香と面会

 現実的にも平成8年1月25日、あるいはその日の打ち合わせに基づいて講談社側が準備書面を作成した同年2月5日の時点で、矢野と朝木には問題のコメントを簡単に「動揺した親族の言葉」などという上品な表現で片づけるわけにはいかない事情が生じていたことをうかがわせる事実も明らかになっていた。朝木側が講談社側と打ち合わせを行った日の約1週間前(同年1月19日)、矢野と朝木は衆議院議員会館で亀井静香と面会し、「明代は創価学会に殺された」ことを前提に闘っていくことについて激励を受けたというのである。

 矢野は面会時の状況について平成8年2月21日付『東村山市民新聞』第72号に次のように書いている。


〈1月19日、永田町の自民党本部に、取材をかねて朝木直子副編集長と、亀井静香組織広報本部長を訪ねました。

 政治的立場は違いますが、朝木議員殺害事件を国会で2度にわたって追及し、機関紙『自由新報』で2度、事件を特集されたことに敬意を表す目的もあります。

 この日の午前は他の政党の国会議員の方にもお会いし、アドバイスをうけ激励されました。「創価学会党」の新進党を除く与野党から超党派での応援です。

 事件のフタをしようとしている東村山警察幹部や疑惑の的になっている創価学会と徹底的に斗っていく決意をあらたにしました。〉

 上記記載のうち〈国会で2度にわたって追及〉とは、警視庁が「自殺」とする発表を行う前の平成7年11月、衆議院において自民党の保坂三蔵と熊代昭彦がそれぞれ「朝木明代の転落死は他殺の可能性があり、創価学会の関与が疑われる」とする趣旨の質問を行ったこと指している。

 また〈機関紙『自由新報』で2度、事件を特集〉とは、平成7年11月28日、同12月5日付で『自由新報』が明代の「事件」をそれぞれ〈背後に創価学会の影〉〈坂本事件とそっくり……状況証拠は“真っ黒”〉(11月28日付)、〈創価学会の犯罪追及〉(12月5日付)などと、矢野の意向通りに取り上げたことを指していた。

 常識的にみて、矢野・朝木と亀井静香の間に特別の関係がなければ、一介の市会議員が当時、政権政党自民党の中でも大きな権力を持っていた亀井に会い、直接「敬意を表す」などできることではあるまい。しかも、国会質問を行ったのは亀井ではないにもかかわらず訪問先が亀井だったということは、2名の国会質問を差配したのは亀井で、矢野はそのことを承知していたということと理解できる。

 亀井は矢野からの情報によって「朝木明代転落死事件」を政争の具として利用し、自民党が明代の死を反創価学会キャンペーンに使うことによって矢野と朝木にしても明代の万引きと自殺という事実から世間の目をそらせることができる――亀井と矢野はこのような持ちつ持たれつの関係にあったことが推察できた。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第21回
亀井との親密さ

 この『東村山市民新聞』第72号には朝木直子名義のリポートも掲載されていて、亀井とのやりとりがより具体的に記載されている。

〈自民党本部では、亀井組織広報本部長が、開口一番「お母さんの仇を取らないとね。許せない話だ。」と私を激励。〉

 亀井が〈開口一番「お母さんの仇を取らないとね」〉といったというのだから、矢野・朝木と亀井との間にはすでにそれなりの親密な関係ができていたことをうかがわせる。だから「仇を取らないとね」などと、明代が「(創価学会から)殺された」ということを前提とする発言がすんなり出て来もするのだろう。いずれにしてもこの日、自民党本部では特異な議員たちが一堂に会し、現実からかけ離れた異常な会話を交わしていたことがわかる。

 記事には、警視庁が「自殺」と結論付けたことについて亀井が警察庁長官に対して確認したところ、「『自殺と断定したものではない』という回答を得た」とする趣旨の記載もあった。

 警視庁は「犯罪性はない」と発表したが、文言だけをみれば「自殺と断定したものではない」ともいえる。しかしそれは表現上の問題にすぎず、警視庁の判断が「自殺」であることに何も変わりはなかった。

 したがって、明代の自殺をめぐりかつて亀井から「これを自殺として片づける度胸があるか」と脅された経験を持つ警察庁長官が、改めて亀井から警視庁発表の真意をただされ、「自殺と断定したものではない」と穏便な回答をしたとしても、これはなんら特別の意味をなすものではなく、ましてマスメディアの「自殺」とする報道が誤りであるという意味などではなかった。「自殺」を否定したい矢野としては、亀井と警察庁長官のやり取りが何か大きな意味を持つものであるかのように取り上げる必要があったのである。

 亀井は平成8年10月に予定されている天下分け目の衆院選まで徹底した創価学会攻撃を継続していく腹であり、「朝木明代転落死事件」はとりわけ重要な材料だった。だから矢野との面会にも応じた。したがって、矢野が亀井と面談した事実を自分の政治宣伝ビラで伝えることは衆院選に向けて間接的に自民党を支援することでもあったと理解できよう。

 自分たちの保身をはかるためであることはもちろん、そんな亀井との関係からも、矢野と朝木は「明代は創価学会に殺された」とするコメントが客観的根拠に基づくものではないことを意味する「動揺した親族の言葉」であるなどという方針を受け入れることはできなかったのだろう。朝木が代理人の当初の方針を反故にし、「コメントはしていない」と誰もが予想できなかった主張をするに至った理由は真実性・相当性を証明できないということだけでなく、コメントには客観的根拠がなかったと自ら認めることになるという点にあったのではあるまいか。

 それまでの打ち合わせで知らされていた講談社の方針にずるずる歩調を合わせれば、ますます「コメントはしていない」とはいいにくい状況になろう。朝木と矢野が『聖教新聞』を提訴し、「コメントはしていない」と主張したのは平成8年8月7日、衆院選まで2カ月というタイミングだった。

消えない汚名

 仮に朝木のコメントを「動揺した親族の言葉」とした結果、運よく裁判で不法行為責任を免れられたとしても、矢野と朝木にとって支援者との関係や別件裁判など、コメントには根拠がなかったと認めることのマイナスは将来的にみても計り知れない。講談社も朝木らを信用したことについて軽率のそしりを免れないだろうが、それも一時の辛抱にすぎまい。しかし、朝木と矢野はそうはいかない。

 コメントに客観的な根拠はなかったと認めるということは自殺と万引きを否定できないということである。矢野はともかく実の娘である朝木直子はなおのこと、一生、「万引き犯の娘」という屈辱から解放されることはないのだった。

 被害者に対して明代の万引きの事実を認め、これまでの非道を謝罪すればまた別の人生もあり得ようが、矢野と朝木にその可能性を考慮する余地はない(それどころか彼らは、被害者に嫌がらせをするよう「行動する保守」一行を煽動した)。その意味でも朝木は「動揺した親族の言葉」などという主張は断じて容認できなかったものと思われる。

常人の発想を超えた虚言

『週刊現代』の複数の記者が矢野、朝木とカラオケやスナックで関係を深めたのは「創価学会に殺された」と主張する矢野らをたんにおだてる意図ではなかっただろう。仮に『週刊現代』が当時から朝木のコメントには客観的根拠はないと確信していたとすれば、それこそ人心を惑わすきわめて悪質な記事ということになる。『週刊現代』は矢野と朝木の主張に一定の理解と今後の展開に期待を抱いていたがゆえに、彼らとの親密な関係を築こうとしたのである。そのことは次の号で、刑事告訴した創価学会に対する反論記事を掲載したことからも明らかだろう。

 その講談社は真実性・相当性の主張をあきらめ、朝木らのコメントを引用しただけで『週刊現代』に落ち度はないと主張し、しかも朝木らのコメントは客観性のない「遺族の嘆」として片づけようとしていた。朝木にとって講談社は、売るだけ売っておいて、訴えられれば今度は自分たちだけに都合よく裁判を進めようとしているという思いが強まったとしても不思議はない。

 いずれにしても講談社と朝木の主張は、意図的な捏造話を何の裏付けも取らないまま活字にしてしまったジャーナリズムと、取材とコメントの存在自体を否定した特異な人物による責任のなすり合いにすぎない。ただあえていえば、やはり朝木の虚言は常人のレベルを超えていよう。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第22回
創価学会の反論

 第一審口頭弁論終結までの被告側の主張をまとめると、朝木側は「取材は受けておらず、問題とされた発言は『週刊現代』の捏造で、そもそも名誉毀損を問われるいわれがない」いうものであり、講談社側は「朝木らが問題の発言をしたことは事実で、その発言を伝えることには社会的意義がある。記事は遺族の声を正確かつ公正に紹介したにすぎず、『創価学会が殺した』と断定するものでもないから、名誉毀損は成立しない」というものである。いずれの主張にも共通するのは、朝木側はもちろんのこと、講談社もまた「朝木明代は創価学会に殺された」とする事実について真実性・相当性の主張・立証をいっさいしなかったということだった。

 創価学会は2者の相被告が裁判の途中から敵対する状況になったため、それぞれに対して反論しなければならなくなった。もちろん「取材を受けていない」とする朝木の主張にも反論したが、ここでは創価学会の反論のうち、あくまで「遺族の声を中立的に紹介しただけ」であるとする講談社の主張に対する反論の一部を紹介しておこう。

 たとえば『週刊現代』は記事で〈「創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです」〉との朝木のコメントに続いて〈もちろん、創価学会が朝木さんを殺したという証拠は何ひとつない。しかし、朝木さんの活動は創価学会にとってはかなり脅威だったようだ。〉と記載し、さらに〈朝木さんの夫・大統さんが「妻が自殺するはずがありません。この事件(筆者注=明代の万引き事件)は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない」と憤るのも無理はない。〉との見解を述べている。

「創価学会が明代を精神的に追い込まれたようにみせて殺した」という朝木のコメントをなんら否定せず、明代の万引きが「創価学会と警察によってデッチあげられたもの」という大統のコメントに合理的根拠も示さずに「無理はない」と納得してしまう『週刊現代』の姿勢はどうみても中立的立場を取ろうとしているとは思えない。少なくとも予断を持たずにこの記事を読めば、「『週刊現代』も朝木父娘の主張をもっともだとみている」と普通の読者は受け取るのではないかと思う。

 しかし講談社は、「いずれも朝木や大統のコメントにより信憑性を持たせることを目的に記載したものではなく、中立的な『意見言明』すなわち論評であり名誉毀損ではない」と主張していた。

 この点について創価学会は次のように反論している。



(講談社の主張に対する創価学会の反論)

 被告講談社らは、「明代は創価学会に殺された」という被告朝木らのコメントをそのまま大見出しに使用し、被告直子のコメント(筆者注=「創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです」)についても、「朝木さんの活動は創価学会にとってはかなり脅威だったようだ。」と述べて肯定的な評価を示しているし、被告大統のコメント(筆者注=「妻が自殺するはずがありません。この事件は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない」)についても「と憤るのも無理はない」と述べて肯定的な評価を示している。

 本件記事のどこにも、被告講談社らが主張するような、本件発言について、……単なる憶測であり信用できないなどという否定的な記述は見当たらないのであり、本件記事は、被告朝木らの主張に全面的に同調する論調で一貫している。

 しかも、本件雑誌の翌週に発行された『週刊現代』(平成7年9月30日号)では、〈本誌の記事は、事件にまつわる疑問を事件の関係者や肉親に対する綿密な取材に基づいてレポートしており、肉親たちの発言も客観的に検証している。〉と述べて、本件発言が客観的事実に基づく記事であると表明しているのであって、被告講談社らの右主張とは全く矛盾しているのである。


 
 創価学会の主張は『週刊現代』が自ら発行した記事という争いようのない事実に基づくもので、記事に対する評価とそれに基づく主張も合理的であると思えた。

悪質な印象操作

 ところで『週刊現代』は問題の記事で、朝木父娘のコメントに理解を示しつつ、東村山警察署に対する不信感を隠していない。東村山署を信用できないがゆえに朝木の主張を信用したのだといっているようにも聞こえる。記事には上記の大統のコメントについて〈(大統が)憤るのも無理はない。〉とする記述に続いて、こんな記載がある。

〈実際、東村山署は本誌の取材に対してはいっさい拒否。こちらの質問に一言も答えようとしない。〉

 この記載によれば、明代の転落死という個別の案件について東村山署は『週刊現代』の取材をあえて拒否したように聞こえよう。そのような事実はあったのか。広報を担当していた副署長の千葉に事実を確認すると、千葉は次のように答えた。

「明代が転落死する以前から、オウム事件関連の報道が原因で警視庁は『週刊現代』の取材を受け付けない方針だった。したがって、明代の転落死についても警視庁の方針に従って取材を拒否した」と。

 東村山署が『週刊現代』の取材を受け付けなかった(『週刊現代』からすれば「拒否した」)のは事実だった。「取材拒否」も取材の一定の成果と判断できる場合もないわけではないが、東村山署は警視庁の方針に従っただけで、明代の案件だからということではない。にもかかわらず、『週刊現代』の記載ではあたかも東村山署が何か重要な事実を隠そうとしているかのように聞こえる。これは悪質な印象操作ではあるまいか。

『週刊現代』は〈こちらの質問に一言も答えようとしない。〉と、東村山署に対する恨みがましい一文を付け加えた。しかし東村山署が取材を拒否したことと明代の転落死には関係がなかったのだから、この一文は記事の重大な欠陥を披瀝したものとなる。「いっさいの取材を拒否された」とは、言い換えれば『週刊現代』は東村山署に対する取材をしていないということでもあった。

『週刊現代』は、人一人が亡くなり、警察が捜査した事件について、警察にいっさい取材しない(できない)まま、「創価学会が殺した」と読めるような記事を世に出した。『週刊現代』がみごとに矢野と朝木のワナに嵌まったことについては、それなりの理由があったということになろうか。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第23回
朝木関連事件で最初の判決

 平成11年5月17日、原告、被告の三者がそれぞれ最終準備書面を提出し、裁判の途中から被告同士が激しく争うことになったこの珍しい裁判は結審した。裁判の焦点は、

①「遺族の声の伝達」であるとする講談社の主張に対する判断

②「コメントはしていない」とする朝木らの主張に対する判断

③名誉毀損の有無

 の3点だが、私の個人的な最大の関心事は「コメントはしていない」とする朝木の主張を東京地裁がどう判断するか――にあった。さらにいえば、朝木の主張が排斥されれば、名誉毀損は免れないだろうとみていた。

 東京地裁が判決を言い渡したのは平成11年7月19日である。ちなみにこの判決は朝木明代の自殺をめぐる裁判の中でも最初の判決で、法廷には矢野と朝木の姿もあった。では、東京地裁はこの珍しい事件をどう判断したのだろうか。

〈争点1 「被告講談社らの原告に対する名誉毀損の成否」〉

 東京地裁はまず〈争点1 「被告講談社らの原告に対する名誉毀損の成否」〉として講談社に名誉毀損があったかどうかを検討している。東京地裁は記事の『週刊現代』としての論評部分について〈原告が朝木市議を殺したとの事実を断定はしておらず、したがって、一般読者においても原告が朝木市議を殺害したとの断定的、確定的な印象までは生じ得るものとはいえない。〉と述べた上で、講談社が引用しただけと主張する朝木らのコメント部分に言及して次のように述べた。



(朝木らのコメント部分に対する判断)

①本件大見出し部分には、……『明代は創価学会に殺された』と記載されており、朝木市議は原告に殺害されたという被告直子の前記認定の発言内容をことさらに強調する表現方法を採用していること、

②本件見出し部分には、本件大見出し部分の直下に……「オウムのような犯行の手口」と記載し、……特定の宗教団体が自らに批判的な……弁護士を暗殺した疑いを持たれているという……一般読者が有していた知識を引き合いに出して、原告による朝木市議殺害の疑惑の存在を読者に強く印象づけようとする意図が読みとれる表現方法がなされていること、

③本件記事の大半は、本件発言部分を含む被告朝木らのコメント及び朝木市議の死亡に自殺にしては不審な点があることや朝木市議が生前原告に批判的な活動を続けていた事実等……で占められており、原告関係者の発言を記載した部分は本文中僅か9行に過ぎないこと、

④……本件記事には、本件直子発言部分に関する被告講談社らの論評として、「しかし、朝木さんの活動は創価学会にとってはかなり脅威だったようだ。」との記載があり、また本件大統発言部分に関する被告講談社らの論評として、「朝木さんの夫・大統氏が『妻が自殺するはずがありません。この事件は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない』と憤るのも無理はない。」との記載があるほか、朝木市議の死亡原因を自殺と断定した警察の初動捜査を批判する論評の記載がなされており、これらの論評の内容は、全体として、朝木市議の死亡に原告が関与しているとする被告朝木らの主張に好意的な内容となっていること

 等に照らすと、本件問題部分の表現は、筆者である被告講談社ら自身が間接的に引用事実の存在そのものを主張していると一般読者に理解されても仕方がないというべきであり、その一般読者としては、……本件問題部分の記載から、朝木市議は原告に殺害されたのではないかとの疑惑を十分に抱き得るものといわざるを得ない。

筆者注=判決文に改行はないが、便宜上、項目別に改行を施した)



 東京地裁は本件記事の問題部分についてこう述べ、記事が創価学会の社会的評価を低下させたと認定した。

引用による名誉毀損を認定

 では、講談社が「遺族の声をそのまま伝えたもので、不法行為は構成しない」と主張している点についてはどうだろうか。東京高裁は〈出版社が……取材された者の発言を引用する形で取材内容を記事にする場合でも、その表現方法等から見て、一般の読者にその出版社自身が間接的にその発言内容が真実であると主張するものと受け取られる可能性があるならば、その発言内容につき真実性ないし相当性が立証されない限り、公表された発言内容について……不法行為責任を免れ得ないと解すべきことは前記のとおりである。〉と一般的認識を述べた上で、本件についてこう述べた。



(「朝木らのコメントを引用しただけ」とする講談社の主張に対する判断1)

(被告講談社らは)被告朝木らの……原告が朝木市議を殺害したかのような印象を特に強める発言部分をことさらに取り上げて、……不適切な表現方法をあえて採用しているのであって、……被告講談社らにおいて被告朝木らの発言をそのまま引用したに過ぎないこと(本件記事の中立性)を根拠に名誉毀損の不法行為責任を免れることはできないというべきである。



 講談社は朝木らのコメントを引用しただけで、記事はコメントの内容が真実であると主張するものではないと主張したが、東京地裁は記事について、『週刊現代』自身が「間接的にその発言内容が真実であると主張するもの」であると認定したのである。

 余談だが、朝木明代の自殺をめぐってはその後も裁判所が上記と同様の判断を示した判例が生じている。『週刊現代』事件一審判決から10年後、東京・中野の右翼Mは矢野と朝木のデマ宣伝と「行動する保守」Aの伝聞の伝聞にすぎない「内部告発」話を鵜呑みにし、機関紙に明代の万引きと自殺の捜査を指揮した千葉英司を誹謗中傷する記事を掲載して千葉から提訴された。さらに「行動する保守」Aは、右翼Mを支援する目的で同記事を自身のブログに転載して千葉を誹謗し、提訴されたのである。右翼Mは10万円の支払いを命じられ(未だ支払っていない)、「行動する保守」Aは10万円を支払わされている(和解で決着)。

「行動する保守」Aは矢野から『週刊現代』判決など知らされてはいなかったのだろう。『週刊現代』判決を知っていれば、「行動する保守」Aも右翼Mの記事を引用するような愚かなマネはしなかったのではあるまいか。いずれにしても、矢野と朝木の主張を信じ込み、彼らの著書や主張を引用して支援しようとする者は、相当の覚悟をしなければならないということである。

 なお右翼Mも「行動する保守」Aも、最近では東村山には近づかなくなった。

(つづく)
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