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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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『週刊現代』事件 第24回
「公正な紛争報道」だったか

 講談社は、「紛争報道は民主主義社会において必要不可欠なものである。記事は創価学会側と朝木側のどちらかに偏ることのない公正中立的な紛争報道といえるものであり、朝木側と創価学会側との紛争が公共的関心事であることに照らせば、遺族の声をそのまま伝達しただけの本件記事は名誉毀損の責を負うものではない」などとも主張していた。

 この主張について判断するにあたり、東京地裁はまず次のように述べている。

〈特定の報道が紛争報道として民主主義社会において尊重されるためには、その報道が、紛争当事者の双方について、紛争の原因、当事者の主張及びその根拠等の情報を正確かつ公平に提供していることが必要というべきである。当事者の一方のみに偏った情報を流すだけの報道は、民主主義社会において尊重されるべき紛争報道の名に値しない。〉

 講談社の主張に対する判断を下すために「紛争報道」についての認識を述べたものだが、それにしては最後の一文には一般的認識を超えて、なにか「紛争報道」を装った偏向報道に対する裁判官の怒りにも似た強い意思がにじみ出ているようにも思えた。

 では、東京地裁は「公正中立的な紛争報道」であるとする講談社の主張に対してどう判断したのか。東京地裁は次のように結論付けた。



(「朝木らのコメントを引用しただけ」とする講談社の主張に対する判断2)

 本件記事が紛争報道としての公正中立性を維持していないと判断されることは前記(筆者注=前回参照)のとおりであるから、本件記事が公正中立的な紛争報道に当たることを前提とする被告講談社らの主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。
 


 たとえば朝木らのコメントとそれに対する『週刊現代』の論評について東京地裁は、〈本件問題部分の表現は、筆者である被告講談社ら自身が間接的に引用事実の存在そのものを主張していると一般読者に理解されても仕方ないというべき〉と述べている。つまり裁判官は〈当事者の一方のみに偏った情報を流すだけの報道は、民主主義社会において尊重されるべき紛争報道の名に値しない。〉とは、まさに『週刊現代』のことを指しているのだと述べたに等しかった。さらに東京地裁は、

〈一般の読者から見て公正中立性を維持していないと判断される報道については、報道機関自身が間接的に紛争当事者の一方の主張する事実そのものを主張しているものと理解されるのであって、……〉

 と述べ、『週刊現代』もまた朝木のコメントを借りて〈朝木明代は創価学会に殺された〉と主張していると理解されると認定した。

「行動する保守」Aの理解

 余談だが、平成15年11月、元防衛省エリートの太田述正が矢野と朝木によるデマの集大成『東村山の闇』を要約するかたちで紹介し、千葉を誹謗中傷したことがあった。これに対して千葉が提訴したところ、東京地裁はこの引用を太田自身が主張しているに等しいと認定、名誉毀損の成立を認め、太田に対して50万円の支払いを命じる判決を言い渡している。

 のちに「行動する保守」Aはこの判決について、創価学会に有利な判決をする裁判官による不当な判決であると主張しているが、そういうことではないのである。伝聞の伝聞にすぎない与太話を「内部告発」などと騒いだ人物ならではの、目を覆うばかりの短絡ぶりというべきだろう。

 また平成20年になって矢野と結託してデマ宣伝に加担した「行動する保守」らはしばしば「創価学会の関与が指摘されてきた」あるいは「疑惑があるといわれている創価学会」などと間接的表現を用いた。これらの表現も断定表現を避けているものの、全体の論調からすれば、第三者の主張を紹介する形を借りながら、その実質は彼ら自身が「朝木明代は創価学会が殺した」と主張するものにほかならなかった(右翼Mはストレートに「創価学会による殺人事件」と断定して110万円の支払いを命じられた)。

無残な敗訴

 さて東京地裁は、問題の記事において『週刊現代』は朝木父娘と同様の事実を主張しているものと認定した上で、次のように述べた。



(「朝木らのコメントを引用しただけ」とする講談社の主張に対する判断3)

(紛争当事者の一方の主張する事実そのものを主張しているものと理解される)当該報道機関は、報道した紛争当事者の主張の存在についてはもとより、その主張内容それ自体がその重要な部分について真実であることまたは真実であると信じたことに相当性があることを証明しない限り、報道された紛争内容について名誉毀損行為としての不法行為を免れ得ないというべきところ、本件では本件発言部分における朝木らの主張内容それ自体についての真実性ないし相当性の立証がなされていないことは明らかである。



 講談社は朝木がコメントの存在を否定する以前から、コメントの内容は真実を伝えるものではないとして真実性・相当性で争うことを検討さえしていなかった。朝木側と反目し合ったあともコメントは確かに存在したと主張し、それを伝えることには公益性があり、中立・公正な紛争報道であると主張しただけで、朝木のコメントの内容が真実か、そう信じるに足りる相当の理由があったとする主張はしていない。したがって東京地裁は、記事内容の真実性・相当性を検討するまでもなく、講談社の名誉毀損を認定したのである。

 ジャーリズムとしては無残な敗訴というべきだった。記載事実の真実性・相当性を問われたジャーナリズムが、それに対する主張、反論をいっさいしないとは尋常なことではあるまい。しかし朝木明代の自殺をめぐっては、そのような異常な事態が起きたのだった。

(つづく)
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右翼M事件・債権取り立て編(その6)
透けて見える自尊心

 千葉は平成25年9月4日、右翼Mに対して損害賠償金の支払いを求めて4回目の督促状を送付した。しかし振り込みはおろか、それに対する回答すらなかった。このため同年10月30日、千葉は5回目の督促状を送付した。千葉は右翼Mに対して平成25年11月30日までに全額を支払うよう求めた。

 これに対して前回、前々回の督促は無視した右翼Mから11月1日、回答が届いた。表題には「賠償金云々について」とあった。「云々」とはまた余計な文言である上に、今回の回答には、宛名に「無職・千葉英司殿」とあり、差出人名義の前には対照的に「政経調査会代表」なる肩書が燦然と記されていた。千葉に「無職」という肩書をあえて付けたところに、なんとか千葉を見下さなければ気が済まぬという右翼Mの独善的な自尊心が透けて見える。

 どれほど右翼Mが肩をいからせようがドスを利かせようが、千葉が損害賠償金を請求する側で、右翼Mが千葉に対して損害賠償金を支払わねばならない立場にあるという現実にはなんらの影響もない。空威張りといえばいいのだろうか。

 さて、〈賠償金云々について〉と題する回答書で右翼Mは、まず次のように述べていた。



(〈賠償金云々について〉 1 ※注=番号は便宜上、筆者が付した)

 貴殿から12万1416円の支払い請求を頂いておりますが、私としては未だに支払っておりません。

 本件については、事実に基づいて公正と正義をもって解決したいと考えますが、賛同頂けますでしょうか。



 右翼Mは冒頭でぬけぬけと支払い義務を「未だ遂行していない」と述べた上で、〈公正と正義をもって解決したいと考えますが、賛同頂けますでしょうか。〉などと千葉を揶揄している。この時点で、右翼Mの回答が常識をはるかに逸脱しており、とうてい歩み寄る余地のないものであることは明らかだった。法廷内で裁判官を追いかけるという前代未聞の比類ない愚行に駆り立てたのも、このような右翼Mの尋常とはいえない基本認識にあったのだろう。

揚げ足取りを狙った右翼

 しかし右翼Mは、上記の「提案」を特段突飛なものとは考えていないらしく、続けて「損害賠償金を支払う必要があるか否か」について勝手に検討している。右翼Mの底の浅さがよく現れているので紹介しておこう。



(〈賠償金云々について〉 2)

1.事実であれば賠償責任

 弊会が発行した政経通信記事によって貴殿の「社会的信用及び評価が低下させられた」、という訴えが事実であるとするならば、私としては貴殿に対し謝罪し、貴殿が請求するところの賠償金を支払うべきであると思慮致します。

 しかし、その前提として記事内容が悪意を持ったデマ、事実誤認、虚偽であった場合に限定されます。



 この部分だけを読んだ読者にはまともに聞こえるかもしれないが、その判断はすべてとっくに裁判所が行っていて、その上で右翼Mに対して損害賠償の支払いを命じているのだから、やはりこの言い分が正常であると評価するのは難しかろう。

 ところが、右翼Mは続けて勝手に「記事内容が悪意を持ったデマ、事実誤認、虚偽」だったか否かの検討を行うのである。今度はいったい何をいい出すのか。



(〈賠償金云々について〉 3)

2.「信憑性が高い」と、千葉英司が判断

 国立香川大学教育学部教授高倉良一は自身のブログ平成25年6月17日付において、「野崎証言に基づき、東村山事件は創価学会による殺害犯行との記事」を掲載しています。

 貴殿が平成25年7月23日、高倉氏に対し発行した質問状においては「国立大学教授の貴殿による本件記事は、一般読者に対し信憑性が高いと認識させることから社会的反響は大きい。」、と述べています。

「創価学会による犯行」という記述は、既に大きな社会的反響をもって一般的に流布されていると、貴殿が認めているではないですか。

 貴殿が訴えるように私を含めた一般読者は高い信憑性のもとに事実として認識している事柄なのです。

 こういった既に高い信憑性を伴った事実との判断を下されている記述に対し、損害賠償を支払う必要はありません。



 右翼Mの思考をたどっていくと、なにやら額のあたりに澱みに似た黒い影が不意に覆い被さったような暗澹たる思いを禁じ得ない。この右翼は千葉が香川大学教授に送付した質問状の中の文面(上記の部分)についてどうやら揚げ足が取れるとみたようである。

 千葉はもちろん「自殺」と判断したのであって、高倉の主張が事実であるなどと認めているのではない。したがって千葉の質問状の趣旨は、朝木明代の自殺は「創価学会による殺害犯行」とする高倉教授の主張内容は捜査結果に反するものだが、明代の自殺に関する事実関係についてなんらの知識も持たない一般読者がこの記事を読めば、国立大学の供述が書いた記事だから信憑性が高いと認識させる(可能性がある)――というものである。

 右翼Mは「国立大学教授の貴殿による本件記事は、一般読者に対し信憑性が高いと認識させることから社会的反響は大きい。」との部分について、

〈既に大きな社会的反響をもって一般的に流布されていると、貴殿が認めている〉

 と飛躍するが、千葉は〈既に大きな社会的反響をもって一般的に流布されている〉などといっているのではなく、「このまま放置されれば大きな社会的反響をもって一般的に流布される可能性がある」といっているにすぎないことは明らかである。

 またその後、千葉が上記質問状を送付し、高倉が千葉の質問にはいっさい回答していていない事実を読者も高倉のブログから知るところとなっている。高倉が千葉の質問に回答しなかったことは、問題の記事に記載した伝聞には裏付けがないことを認めたに等しい。この事実は右翼Mがこの回答書を送付する2カ月も前に明らかになっている。

 ところが右翼Mは、「東村山事件は創価学会による殺害犯行」という事実は、

〈貴殿が訴えるように私を含めた一般読者は高い信憑性のもとに事実として認識している事柄なのです。〉

 などと主張している。しかし千葉は質問状で、大学教授の高倉が主張するとその肩書によって「信憑性が高いと認識される恐れがある」といっているだけで、「(朝木明代は創価学会に殺されたとする事実が)高い信憑性のもとに事実として認識している」などとは一言もいっていないのである。

 つまり、千葉の質問状は高倉の記事に対する将来に向けた懸念を表明しただけであるにもかかわらず、右翼Mの主張においてはいつの間にか、すでにデマが事実として認識されていることになっていることがわかろう。前提事実のすり替えである。このあたりの狡猾さは東村山市議の矢野穂積を彷彿とさせるものがある。

「信憑性」に逃げた右翼M

 ではなぜ右翼Mは、千葉が質問状において〈既に大きな社会的反響をもって一般的に流布されている〉と認めたなどと論理をすり替えたのだろうか。いうまでもなく、自分が矢野らのデマと「行動する保守」Aの「内部告発」という与太話を妄信したことも仕方がなかったのであり、違法ではない(だから損害賠償の支払い義務もない)と主張するためである。

 しかし、この右翼Mの主張はまったくピントがずれている。千葉との間で争点となったのは右翼Mが「明代の転落死は『他殺』だったにもかかわらず、千葉が創価学会と結託して『自殺』にすり替えた」「千葉は今でも創価学会シンジケートで繋がっている」などと記載したことの正否であって、右翼Mが「朝木明代は創価学会に殺されたのだ」と信じ込んでしまったことの正否ではない。したがって、右翼Mがみごと揚げ足を取ったつもりの上記2の詭弁は、千葉との裁判においてはそもそも何の役にも立たないのだった。

 そのこと以上に無残に思えるのは、右翼Mは自分が矢野らのデマや「行動する保守」Aの与太話を信じてしまったことについて得意気に自己弁護はしたが、自己正当化にとらわれるあまり、それが何を意味するかについてまったく自覚していないようにみえることである。

 右翼Mはすでに、たとえば高倉が聞かされたような一方的な情報だけではなく、警視庁がいかなる捜査結果によって自殺の判断をしたのかを裁判の過程で知り得たし、自分を含めて「行動する保守」らが「明代が他殺された」とする事実を何一つ立証できなかった事実を知っている。

 そのような立場にある右翼Mがいまだに客観的な根拠を示すことなく「信憑性」だけを声高に主張するとは、「『信憑性』という文言に逃げた」といわれても仕方がない。証拠ではなく「信憑性」に逃げるとはどういうことか。右翼Mは「『明代は殺された』という事実は立証できない」(=すなわちデマ)ことを自白したに等しいのである。

(つづく)
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右翼M事件・債権取り立て編(その7)
「独自の主張」繰り返す右翼M

 右翼Mが東京高裁の判決を無視し、損害賠償金を支払う必要がないと主張する根拠はもう1つあった。裁判中から右翼Mは「具体的に誰に対して千葉の社会的評価を低下させたというのか、明らかにせよ」と独自の主張を行った。回答書ではその主張を繰り返しており、千葉を困惑させている。その主張を紹介しよう。 



(〈賠償金云々について〉 4)

3.低下と判断したのは誰なのか

 貴殿が主張する「社会的信用と評価が低下させられた」との事実が立証されていないのであるから、損害を賠償する必要性が存在しない。

 立川駅前で自ら手を伸ばして受取を希望した数人と、模索舎で入手した若干名が本件記事に接しただけであり、それらの人物は貴殿との接点はないのであるから、貴殿の社会的信用、及び評価を現実に比べて低下する事も高めることも不可能である。

 審理の過程において私から質問した「誰によって低下」させられたのか貴殿は回答していない。



 名誉毀損の不法行為は①公然と②事実を摘示して③他人の社会的評価を低下させる恐れを生じさせた――という3つの要件を満たす場合に成立するとされており、『政経通信』のような印刷物の場合には、上記①の「公然性」は「不特定多数」に配布されたかどうかによって判断される。

 この点について東京地裁は次のように判断している。



(「不特定多数に配布されたかどうか」に対する東京地裁の判断)

 被告(右翼M)は、被告が編集・発行する政経通信は、一般書店で販売している週刊誌のような一般的読者が存在せず、何らかの政治的意図を持った少数の関係者しか目にする機会がないから、名誉毀損には当たらない旨主張する。

 被告の上記主張は、要するに、本件記事が掲載された政経通信は不特定多数の者に配布されていないというものであると解される。しかしながら、被告が、平成21年9月2日、JR立川駅北口広場で街頭演説を行った際、本件記事が掲載された政経通信第38号を聴衆に配布したことは前記前提事実のとおりであり、また……政経通信は、……書店「模索舎」で入手でき、被告は、そのことをインターネット上で宣伝しているほか、……特定の者にだけ政経通信を配布したとの事実はなく、政経通信の配布による本件記事の伝播可能性は極めて明らかである。



 最高裁判例では、右翼Mのビラのような印刷物と異なり、全国紙のような不特定多数への頒布が自明である印刷物についてはある人物の名誉を毀損する記事が掲載された時点で社会的評価を低下させる恐れが生じたものと認定される。一方「政経通信」の場合には不特定多数への頒布、配布が印刷の時点で自明とは評価できないと判断したため、裁判所は「政経通信」が不特定多数に頒布、配布されたかどうかを検討し、その事実を認定したのである。したがって、右翼Mの〈貴殿が主張する「社会的信用と評価が低下させられた」との事実が立証されていない〉とする主張は最高裁判例に反しているだけでなく、判決によっても社会的評価が低下した事実を認定されているのである。

 さらに、不特定多数に配布されることが名誉毀損の要件となっている判断基準に基づいて続く右翼Mの主張をみると、むしろ右翼Mは「政経通信」を不特定多数に配布した事実を認めている。最高裁判例に従えば、その時点で〈損害を賠償する必要性〉があることを理解するはずだが、右翼Mは逆に〈それらの人物は貴殿との接点はないのであるから、貴殿の社会的信用、及び評価を現実に比べて低下する事も高めることも不可能である〉と主張して「損害を賠償する必要はない」と強弁しているのである。

 右翼Mの理屈によれば、記事が千葉との接点がある人物に読まれなければ不法行為は成立しないということのようだが、最高裁がいう「不特定多数」とは、社会的評価を低下させられた人物と接点がある人もない人物も含めて「不特定多数」なのである。また千葉の現実の社会的信用および評価を客観的に行うことなど誰にもできない。よって〈貴殿の社会的信用、及び評価を現実に比べて低下する事も高めることも不可能である〉などという主張はその前提においてあり得ないのである。
 
本当だった現地訪問

 ところが右翼Mは最高裁判例に対抗するように、千葉の社会的信用および評価が低下したかどうかは千葉を知る人物が「政経通信」を読み、それによって千葉の評価を低下させられたという事実が確認できた場合であるという独自の考えに執着していた。だから前回の回答書(平成25年8月8日付)で、千葉の居住地近辺を聞き回ったと書いていたのである。

 これに対して千葉は、千葉の居住地近辺でそのようなことを聞き回ること自体が嫌がらせであるとして、〈今後、債権者である私に対する質問や調査等を口実に嫌がらせをした場合には、その程度に相応した罪名で刑事問題とする〉ことを警告した。ところが今回の回答書において右翼Mは次のように予告していた。



(右翼Mの予告〉

 貴殿の居住地周辺住民においては政経通信を見たことのある人間は皆無であり、低下して評価した人物には行き当たっていない。

 それでも貴殿が該当者を明示せずに「低下させられた」との主張を繰り返すのであれば、更に捜索範囲を広げ、大々的に該当者を捜索しなければならない。

 貴殿は早急に低い評価を下してしまった人物と、その結果として生じた被害の実態を示すべきである。



 まさかと思ったが、右翼Mが千葉の居住地近辺を訪問したというのは事実だったらしい。しかしそれ以上に注目すべきは、千葉が〈該当者を明示〉せずに請求を続ける場合には〈捜索範囲を広げ、大々的に該当者を捜索〉すると予告している点である。

 もちろん千葉が右翼Mの主張に従い〈低い評価を下してしまった人物と、その結果として生じた被害の実態を示す〉必要などあるはずがないし、千葉がこの主張を受け入れるはずもない。それどころか、すでに千葉の居住地近辺に行ったというのなら、右翼Mは最初から十分な調査を行えばよかったはずである。にもかかわらず、千葉に対して〈貴殿が該当者を明示せずに「低下させられた」との主張を繰り返すのであれば〉という具体的な条件を突きつけ、これに応じなければ〈捜索範囲を広げ、大々的に該当者を捜索〉するというのは、これはもはや脅しか嫌がらせと受け取られても仕方がないのではあるまいか。

(つづく)
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右翼M事件・債権取り立て編(その8)
野方署に滞在していた右翼M

(千葉を知る人物が読んでいなければ社会的評価が低下したとはいえないとする主張とは必ずしも噛み合わないが)「『政経通信』は不特定多数に配布されていない」と主張するために、さらに右翼Mは主張を重ねている。次に持ち出したのは千葉が提出した証拠についてである。



(〈賠償金云々について〉 5)

4.悪質なる自作自演の千葉英司

 原判決を導き出す審理の途上において貴殿は甲14・15号証を提出した。私はこれを貴殿による自作自演であると断定した。

原判決においては、私の主張を否定していない。貴殿は本件を不服として控訴の意志を示さなかった。貴殿が提出した甲第14・15号証は私から高額なる賠償金をむしりとるために(=原文ママ)悪質なる諜報活動と判断してよいのか。



 右翼Mがいう「甲14・15号証」とは平成22年の4月ころ、東村山市内に配布された平成21年9月1日付「政経通信」第38号の縮小コピー版およびその事実を証言した陳述書等である。千葉はすでに右翼Mが立川駅前で街宣した際にも不特定多数に配布したこと、新宿の「模索舎」でも販売されていることを主張していたが、東村山市内でも「政経通信」が縮小コピーされた形で配布されていた事実を聞かされ、証拠として提出したのだった。これに対して右翼Mは、

〈被告が東村山市内に配布した事実はない。当日、被告は警視庁野方警察署の留置場に滞在していたのであるから、そのような行為をできる訳はない。また、(平成22年)3月18日からの留置・拘留であるから、第三者に指示して配布させたということも不可能である。〉

 などと主張した。だから、これは千葉による〈偽装工作〉であるというのだった。控訴理由書においては〈自作自演〉とも主張している。

 確かに東村山市内で「政経通信」の縮小コピーが配布された当時、右翼Mが野方警察署の留置場に長期滞在していたことは疑いのない事実である。当時、烏合の衆なりに一応はまとまっていた「行動する保守」一行は右翼Mの早期釈放を求めて野方警察署に押しかけた。

 しかしいったん原本が特定、不特定多数を問わず配布されている以上、右翼Mが指示したしないにかかわらず、第三者によってそれがコピーされ、さらに別の第三者へと流布される可能性は否定できない(東京地裁はさらに〈政経通信の配布による本件記事の伝播可能性は極めて明らかである〉と述べている)。私自身も東村山の知り合いからこの縮小コピーを入手し、千葉に提供したのだった。

 当時、かつては右翼Mと共闘し、東村山市内で「朝木明代は創価学会に殺された」とする内容の街宣活動を行った浦安の行政書士が、数人の仲間を引き連れて東村山を再三訪れ、ビラまきを行っていた事実がある。断定はできないものの、彼らが「政経通信」を縮小コピーし、東村山市内にばらまいた可能性は否定できないと私はみている。

冷静さを欠いた判断

 さて、右翼Mは回答書で、「千葉が『政経通信』の縮小コピーが東村山市内で配布されたとして証拠提出したことは自作自演であるとする自分の主張を裁判所が否定せず、その判決に対して千葉は異議を申し立てなかった」とし、だから千葉が東村山市内に配布されたとして「政経通信」の縮小コピーを証拠提出したことは右翼Mが主張したとおりの自作自演で、〈私から高額なる賠償金をむしりとるために(=原文ママ)悪質なる諜報活動と判断してよいのか〉と主張している(なぜここで右翼Mが「諜報活動」という言葉を使っているのかはまったく不明である)。

 東京地裁は、右翼MがJR立川駅前で街宣を行った際に聴衆に配布したこと、〈政経通信は、「政経調査会」あてに直接申し込む方法のほか、……書店「模索舎」で入手でき、被告は、そのことをインターネット上で宣伝している〉ことなどを理由に「政経通信」が不特定多数に配布されたものと認定したが、東村山市内に配布されていた縮小コピーについてはその根拠として挙げていない。回答書で右翼Mはこの点について、〈原判決においては、私の主張を否定していない。〉としてあたかも縮小コピーが千葉による「自作自演」であるとする自分の主張が裁判所から認められたかのように主張しているのである。

 確かに東京地裁は縮小コピーに関する千葉の主張にはいっさい言及していない。しかしだからといって「千葉の『自作自演』」などという右翼Mの主張を認めた事実もない。たんに触れなかったというだけでは、右翼Mの主張を「否定しなかった」あるいは「認めた」ということにはならない。少しは認めてほしいという右翼Mの気持ちもわからないではないが、裁判所が縮小コピーに触れなかったことをもってただちに自分の主張が認められたと考えるのはやや冷静さを欠いており、拙速のそしりを免れまい。

 千葉が縮小コピーを提出したのはいうまでもなく、「政経通信」が不特定多数に配布された事実を立証するためである。東京地裁は「政経通信」が不特定多数に配布された事実を認定したのだから、縮小コピーに触れなかったからといって、千葉がこの点についてわざわざ控訴してまでして反論する必要があろうか。したがって千葉が控訴しなかったことをもって、千葉が右翼Mの主張を認めたかのように主張するのはかなり非現実的な主張というほかない。

 それよりも、裁判所が触れなかったことをもってあたかも自分の主張が認められたかのように主張するとは、右翼Mも裁判所の存在あるいは判決そのものを否定する者ではないということと理解していいということなのだろうか。

(つづく)
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右翼M事件・債権取り立て編(その9)
自分自身の主張を2度否定

 右翼Mは「政経通信」が不特定多数に配布されたかどうかをめぐり、東京地裁が触れなかった部分について「自分の主張は否定されなかった」(=つまり、千葉の主張が否定された)とし、その理解に基づき千葉に対して「政経通信」の縮小コピーを証拠提出したことが「『諜報活動』と判断してよいのか」などと主張していた。すると右翼Mは、1文字も記載されていない「右翼Mの主張を否定しなかった」とする空想部分を含む東京地裁および東京高裁判決を認めるということなのか。 

 しかしそうではなかった。右翼Mは、続く部分で今述べたばかりの自分の主張をも完璧に否定していたのである。



(〈賠償金云々について〉 6)

5.信じるに足る相当な理由

 本訴において私に10万円の支払いを命じた東京地裁立川支部、及び東京高裁、最高裁の判決は無効である。

 貴殿の主張を全面的に採用することを前提とした茶番劇であり、事実に基づいた明瞭闊達な議論を排除したものである。そこには公正さは微塵も感じられない。



「裁判所の判決は無効である」というのだから、千葉が「政経通信」の縮小コピーを提出したことについて裁判所が触れなかったことも「無効」で、右翼Mの我田引水の解釈も「無効」ということになるのではあるまいか。少なくともこの間の右翼Mの主張は私にはかなり支離滅裂であるように思えてならない。

 それにしても、右翼Mは東京地裁、東京高裁、最高裁という三審の判断を経た本件の判決が「無効である」という。「判決は不当」とか「判決に不服」などという言い方はよく聞くが、これは判決が有効であることを前提とした主張である。ところが判決が「無効」と主張するということになると事情が異なってこよう。

「判決は無効」と主張するからには当然、相応の理由がなければならない。右翼Mがその理由としているのが、本件裁判が〈貴殿の主張を全面的に採用することを前提とした茶番劇(である)〉という主張である。裁判所が千葉の主張を〈全面的に採用〉したというのなら、ここでもまた「千葉の自作自演」とする右翼Mの主張が認められたなどという数行前の主張を否定したことになるが、右翼Mにはもう整合性などどうでもいいのだろう。

裁判官に責任転嫁した右翼

 ではなぜ、本件裁判が〈貴殿の主張を全面的に採用することを前提とした茶番劇〉だといえるのか。右翼Mは次に具体例を挙げて主張している。



 一例を挙げるならば、平成23年7月20日東京高裁第12民事部梅津和宏裁判長判決。

 平成20年7月29日、JR八王子駅前における瀬戸弘幸演説。現職警官による内部告発があった旨の演説を聞いて、殺害は事実であると認識した。これに対し梅津は、瀬戸演説は現職警官からの伝聞であり、警官の氏名が明かされていないからという理由で「信じるについて相当の理由があったとはいうことはできない」、と私の主張を否定した。

 こういった判決を下す裁判官が法と正義に則って、公正な審理を下す人物であると貴殿は認識しているのか。


 
 右翼Mはここでも「明代は創価学会に殺された」と信じたのは「『行動する保守』Aが街宣でぶち上げた『内部告発』(という与太話)による」と述べ、その相当性が排斥されたのは①「伝聞」にすぎないこと②警官の氏名が明らかにされていないこと――という2つの理由だったと主張している。東京高裁がこの2つの理由だけで右翼Mの主張を否定したのは〈貴殿の主張を全面的に採用することを前提とした茶番劇〉だというのである。

 東京高裁が右翼Mの主張する相当性を否定した理由は右翼Mが回答書で主張するとおりだったのか。改めて判決文を確認してみよう。東京高裁は次のように述べている。

〈乙9(筆者注=「行動する保守」Aの「内部告発」街宣の動画)によれば、瀬戸が、朝木市議の転落死事件は殺人であり、犯人3人が特定されたものの、警察側から圧力があって、捜査を断念せざるを得なかったと現職警察官が内部告発により明言した旨演説したことは認められるが、その内容は、内部告発をした上記現職警察官から瀬戸が聞いたとするものであって、あくまで伝聞にとどまり、しかも、その現職警察官の氏名すら明らかにされておらず、その伝聞内容が真実であることを裏付ける根拠も全く示されていないのであるから、控訴人が瀬戸の演説を聴いたからといって、これをもって、控訴人が、朝木市議の転落死が殺人事件であり、同市議の万引き事件は捏造であったと信じるについて、相当の理由があったということはできない。〉

 右翼Mが回答書で述べた上記①②以外にも、東京高裁は③「伝聞内容が真実であることを裏付ける根拠が示されていないこと」も相当性を否定する理由として挙げていることがわかる。右翼Mが主張する事実の真実性・相当性が十分な裏付けによって立証され、客観的に合理性があると判断される場合にはまた別の結論もあり得たかもしれない。しかし右翼Mは真実性を裏付ける根拠をなんら提出できなかったのである。

 右翼Mが主張する事実の相当性を否定した東京高裁の結論に公正性を疑う余地はない。右翼Mの主張が否定された理由は右翼Mの側にあったのである。

「信じて何が悪い」という泣き言

 さらに右翼Mは千葉に対し、泣き言のような質問を並べている。



 もし、貴殿がそのように認識しているのであれば梅津に替わり回答して頂きたい。

 八王子駅前の街頭演説において内部告発を行った現職警察官の氏名を述べるなどということがあり得るだろうか。

 現職警察官の氏名が明らかにされていない演説であったから、信じるには相当の理由がなかったのか。

 現職警官の氏名が明らかにされた演説であったのなら、信じるに相当の理由が生じ、貴殿に対する損害賠償支払いの義務が発生しなかったということなのか。

 そもそも演説の内容を信じるか信じないかは聞いた人間の内心の問題であり、裁判官が感情的になって判断を下せるものではない。



 前述のように、東京高裁が右翼Mの主張する事実の相当性を否定したのは、たんに「内部告発」(という与太話)をした警察官の氏名が明らかにされなかったからというだけではない。仮に明らかにされていたとしても、今度はその内容について真実性が問われるのであり、それだけで相当性が認められるということでもない。

 実際に「行動する保守」Aは、この「内部告発」をしたという警察官もまた、誰かから聞いた話だったと自白している。これでは、この警察官の氏名を明らかにしたところで何の意味もない。右翼Mが信じた「行動する保守」Aの「内部告発」とはそもそも信憑性が問われるようなものですらなかったのである。

 それでも右翼Mはその話を信じたというのなら、それはそれでよかろう。ここまでは右翼Mのいうとおり「内心の問題」である。しかしそのことと、自分が信じた話を不特定多数に向かって発信するということはまた次元が異なる。裁判官が判断したのは、右翼Mの内心の問題なのではなくて、右翼Mが信じたという話を不特定多数に向かって発信したという行為についてなのである。

理解の及ばない「提案」

 そのことが右翼Mには理解できないのか、最後に右翼Mは千葉に対して次のような法秩序を否定するきわめて反社会的な討論を提案している。



(〈賠償金云々について〉 7)

6.自由闊達な議論を提案

 本件処遇においてはファーストステージとして、貴殿が希望するところの東京地裁等を舞台として、審理に応じた。

 セカンドステージとして、私から提案する。社会常識を有した一般社会人を招いた会場において自由闊達なる議論を交えて、貴殿が主張する「社会的信用、及び評価の低下」の実態について討議することを要求する。

 日時、場所等については後日、調整することとする。以上。



 常識が遠く及ばない特異な発想で、もはや論評に値しないというほかない。〈(社会的評価が)低下させられたとの主張を繰り返すのであれば、更に捜索範囲を広げ、大々的に該当者を捜索しなければならない。〉という脅迫的な意思表示といい、この「討議」の提案といい、要するに右翼Mの常識の中では、裁判所の判決が気に入らなければ必ずしも従う必要はないということになっているらしい。

 同じ「行動する保守」一行の中でも、さすがに「行動する保守」Aは千葉に対しても私に対してもすみやかに損害賠償金を支払い、重鎮として範を示したものである。それでも右翼Mが素直に支払いに応じようとしないのは、やはり「責任は『行動する保守』Aにある」という気持ちが強いからだろうか。その認識自体は間違っていないが、「行動する保守」Aの話を無条件に信じてしまった自分が愚かだったということを右翼Mはまず認めるべきなのではあるまいか。

(いったん「了」)
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