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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第40回
地検の結論を覆す好機

 創価学会による『週刊現代』に対する告訴を東京地検が不起訴とした理由について、矢野は「東京地検が〈創価関係側が事件に関与した疑いは否定できない〉と判断したため」であると『東村山の闇』で主張しているが、平成11年に創価学会と東京地検を提訴した『創価新報』事件での尋問でも同様の供述を行っている。これが事実なら、朝木明代の転落死について東京地検が平成9年に発表した「自殺」とする結論が覆されたに等しい捜査結果の重大な変更ということになる。

 東京地検が「自殺」から「他殺」へと結論を変更したのなら、社会的に注目された事件ということで記者会見を行い、いったんは「自殺」と発表した経緯からも、これほど重大な「変更」があったとすれば、東京地検は再度記者会見を開いてその旨を公表しているはずである。ところが東京地検がそのような発表を行った事実はない。にもかかわらず矢野と朝木だけは、「東京地検の結論が変更された」と主張していた。

 その矢野にとって東京地検と創価学会を提訴した『創価新報』裁判は、「東京地検の結論が変更された」とする主張の正しさを証明する絶好のチャンスだったはずである。結論が「変更」されたとする事実を直接、「自殺(の可能性が濃い)」の発表を行った当時の次席検事にぶつければよいのだから。その結果はどうだったのか。ところが、この裁判について矢野は『東村山の闇』ではただ「別件裁判」と記載したのみで詳細についてはいっさい触れなかった。

 この裁判で矢野が「全く根拠がない」と主張している東京地検の具体的な発表内容をあらためて確認しておこう。



(平成9年4月14日、東京地検の松尾邦弘次席検事が記者会見で発表した内容)

結論


「自殺の疑いは相当程度ある反面、他殺であるとの確証は得られなかった」

理由

「①明代が救急車の手配を断ったこと、②明代の遺体及び着衣に争った形跡がないこと、③転落死の数時間前から明代が現場周辺を打ち沈んだ様子で徘徊していたこと、④明代のストッキングの足底部が破れかつ汚れていたことから、明代が靴を履かないで歩いていたものとみられること」



 矢野らは『創価新報』裁判で上記の東京地検の発表に対して〈前提となる事実が全く根拠がないものであり、明代に対する誹謗中傷というほかない〉などと主張し、創価学会の代理人、および矢野の代理人による尋問では「東京地検の結論が変更された」と供述している。

国(東京地検)代理人とのやりとり

 この裁判の尋問で矢野は東京地検の代理人とも対峙する機会があった。しかし「東京地検の発表が違法である」とする根拠に関してその尋問で矢野が供述した内容は、創価学会の代理人や矢野の代理人に対して供述したものとは異なっていた。

「東京地検の発表が違法である」とする根拠に関して、矢野は国の代理人による尋問で「平成9年の地検発表のあとに松浦法務大臣(当時)および警察庁刑事局長と面会し、『自殺とも他殺とも断定していない』といわれた」と供述し、次席検事の発表については「次席検事も断定はしていないが、『自殺の可能性がある』(=『自殺の疑いは相当程度ある』)ということ自体が客観的事実に反する」などと主張し、続けてその理由についても触れている。そのくだりを紹介しよう。



(東京地検代理人の尋問に対する矢野の供述)

国(東京地検)代理人  他殺というふうに断定するというのが客観的真実であって、それ以外の発表は客観的真実に反しているということですか。

矢野  そのとおりです。司法解剖の鑑定書にも、ちゃんと記載事実がありますからね。

代理人  だから、松尾次席の発表は違法だというような御主張ですか。

矢野  そうですね、それに基づいてないですから。


 
 ここで矢野は司法解剖鑑定書の記載を持ち出して「東京地検の発表が違法である」と主張している。つまり矢野は、この尋問の場が「東京地検の発表が違法である」と主張するチャンスであると考えていたと理解できよう。

 ところがなぜか矢野は、創価学会の代理人と自分の代理人による尋問の際には「平成10年に東京地検の結論は変更された」と主張したにもかかわらず、東京地検の代理人に対しては「結論が変更された」とする件については一言も主張しなかった。矢野が「平成10年に東京地検の結論は変更された」と主張したのは、東京地検の代理人による尋問が終わり、自分の代理人による尋問に移ってからだったのである(筆者注=第39回に引用)。 

 朝木直子はそれ以前に提出した陳述書で「平成10年に東京地検の結論は変更された」と主張していたから、東京地検の代理人としても矢野が同じ主張をすることは予想の範囲だっただろう。当然、東京地検に対して「平成10年に東京地検の結論は変更された」とする事実が存在するかどうか確認をとっただろうことは容易に推測できる。

 東京地検の代理人に対して矢野が「平成10年に東京地検の結論は変更された」と主張すれば、「そのような事実はない」と反論されることを矢野は予測していたのではあるまいか。矢野の主張に対して創価学会の代理人からも反論が提出されている。さらに「結論の変更」の事実が発表されていない事実が加われば、裁判官が矢野の「平成10年に東京地検の結論は変更された」とする主張にどんな心証を持つかは明らかだった。

 当然、「結論が変更された事実はない」とする東京地検代理人の主張を信用するだろう。だから矢野は東京地検の代理人による尋問の際に、「結論が変更された」とする主張を持ち出せなかった――こういう推測も合理性がないとはいえまい。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第41回
東京地裁が地検の判断を追認

 現実に裁判所は、矢野が本人尋問で「平成10年に東京地検の結論は変更された」と主張した事実についてどう判断していたのか。『創価新報』裁判の判決が言い渡されたのは平成15年3月10日である。

 判決文には、矢野が東京地検の発表について〈前提となる事実が全く根拠がないものであり、明代に対する誹謗中傷というほかない〉と主張したことは記載されている。しかし、「その後、東京地検は〈創価関係側が事件に関与した疑いは否定できない〉と結論を変更したから、発表には根拠がない」と主張したとはいっさい記載されていなかった。つまり、少なくとも東京地裁は、矢野が主張する「東京地検の結論の変更」を争点として扱っていなかった。
 
 最終的に東京地裁は、東京地検が発表した内容について次のように認定している。



(「地検発表」に関する東京地裁の判断)

 松尾は、東京地方検察庁の次席検事の職務として前判示の東村山署の捜査や東京地検による捜査が終了した段階で、捜査の結果得られた資料に基づいて本件検察発表を行ったものと認められ、前判示の捜査結果及び本件検察発表の方法、内容に照らすと、松尾のした本件検察発表は、その職務行為として捜査結果に基づかないものであったり、不相当又は不必要なものとは認められず、……松尾が本件検察発表を行ったことが違法であると認めることはできない。



 矢野は平成9年に東京地検が行った「自殺」とする発表を否定する目的で東京地検を提訴した。しかし上記の判決によれば、矢野はこの提訴によって、東京地検の発表に違法性がないこと、また発表の根拠となった東村山署の捜査内容と結論についても違法性がないことを裁判所においてあらためて確認させただけだったという結論になる。

 また東京地裁が平成9年の東京地検が発表に違法性がないと認定したということは、東京地検はこの裁判で平成9年の発表内容と同じ主張をしたということを示している。つまり、矢野が『東村山の闇』で主張したような東京地検が結論の変更をした事実はないということだった。

 これ以上東京地検を相手にするのはかえって自分の首を絞めることになることに気づいたのか、矢野が控訴しなかった。このため、矢野の請求を棄却した一審判決が確定した。いわば矢野はこの提訴によって、自ら費用を負担して東京地検発表の正しさに裁判所のお墨付きを与えたということになろうか。そんな裁判について矢野がデマの集大成である『東村山の闇』でわざわざ説明するはずもないのだった。

 もちろんその後、矢野と朝木が「東京地検が〈創価関係側が事件に関与した疑いは否定できない〉と結論を変えた」として告訴した事実もない。

揚げ足を取った矢野

 この裁判に現れた事実からも、矢野が『東村山の闇』で主張する「東京地検発表が覆された」というような事実が存在しないことは明らかである。だから矢野は、この裁判について「別件裁判」と記載したのみで、中身についてはいっさい触れられなかった。

 ところが裁判ではまったく相手にされなかったにもかかわらず、判決から8カ月後、矢野は公的判断が及ばない『東村山の闇』で創価学会代理人の陳述書の内容が事実に反すると主張しているのである。矢野が『東村山の闇』でその主たる根拠として主張したのは陳述書の中の次の一文だった。



(創価学会の代理人は陳述書で、「平成10年7月15日に検事から説明された内容は矢野のいうようなものではなかった」と述べたあと、次のように続けていた。)

このことは、その後東京地検が朝木明代氏の転落死事件そのものについて捜査し、平成9年4月14日に「自殺の疑いが強く、他殺の確証は得られなかった」と事実上自殺と断定し、捜査を終結する旨の発表をしていることからも明らかだと思います。



 何か1つでも自分が「聞いた」と主張する検事の〈創価関係側が事件に関与した疑いは否定できない〉とする発言が事実であることを裏付ける具体的な証拠(たとえば不起訴理由を説明した検事の署名が付いた文書等)を示したのならまだ説得力があるかもしれない。ところが矢野は上記記載の中で「その後」という一言にのみ着目し、代理人が時系列をごまかそうとしたかのように主張していた。すなわち「創価学会代理人は平成9年4月の『東京地検発表』と平成10年の『不起訴決定』の時系列を入れ換えているから、代理人が聞いたとする不起訴処分の内容も事実ではない」(趣旨)というのだった。

 矢野は平成10年に東京地検は〈創価関係側が事件に関与した疑いは否定できない〉という理由で不起訴の決定をしたから、この「決定」は平成9年の「自殺の可能性が濃い」とする発表内容を否定するもの、と『東村山の闇』で主張している。創価学会代理人はこの時系列をごまかすことで、結論が変更された事実を曖昧にしようとしていると主張しているのだった。

 しかし代理人は陳述書で、検事が不起訴の理由について〈創価関係側が事件に関与した疑いは否定できない〉などと説明したという事実はないと述べているのであって、時系列をごまかす必要はそもそもない。その証拠に代理人は、陳述書の冒頭部分に不起訴の決定が平成10年7月15日だったことを明記している。不起訴の決定が捜査結果の公表より前であると時系列を逆にしようとする意図であったとすれば、日付もごまかさなければならない。

 しかし代理人はそんな小細工はしていない。陳述書に明記された「東京地検発表」と「不起訴処分」の双方の日付に基づけば、矢野が揚げ足を取った「その後」とは、「『週刊現代』の記事を告訴した後」という意味であることは明白だった。むしろ東京地検を提訴した裁判を「別件裁判」としか触れない矢野の方こそよほど事実をごまかそうとしているというべきである。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第42回
別の裁判で提訴を予告

 矢野が『東村山の闇』で主張する「創価学会による刑事告訴は東京地検が〈創価学会が事件に関与した疑いは否定できない〉という理由によって不起訴とした」とする事実が虚偽であることは、『東村山の闇』の発行から1年半後、裁判というよりはっきりした形で確定している。

 平成16年2月、創価学会はジャーナリストの乙骨正生が発行する『フォーラム21』平成16年1月15日号)に掲載された鼎談(「特集/検証-新事実が明らかになった『東村山事件』」)をめぐり矢野、朝木、乙骨を提訴した。鼎談は矢野らが『東村山の闇』で述べた内容をなぞるもので、創価学会は矢野が「聞いた」と主張する東京地検の「不起訴の理由」について「全くの作り話」と批判していた。

 これに対して矢野は答弁書で『東村山の闇』における記載と同様の主張を繰り返し、〈実質において、(「東京地検発表」の)1年3カ月後に、検察が上記第2次処分(筆者注=「不起訴処分」のこと)で第1次処分(筆者注=「東京地検発表」のこと)を取り消したことは明らかである。〉などと主張するとともに、(矢野が「不起訴処分」の理由を聞いたとする内容を陳述書に記載して裁判所にも提出して)〈以来6年経過したが、原告から不法行為の責任を問う訴訟提起の手続きはもちろん、抗議をうけた事実もない。〉などと主張している。

「創価学会から提訴も抗議もされた事実もないからその主張には根拠がない」とする主張の非論理性はともかく、矢野はここで明代の転落死に関する捜査と『週刊現代』記事に対する告訴を勝手に「第1次処分」「第2次処分」と称することで裁判所に対して完全に同一事件であるかのように思わせ、「東京地検発表」が覆されたかのように主張していることがわかろう。それだけでなく矢野は、答弁書の末尾で次のように主張していた。

〈本件訴訟において原告が請求原因事実として主張する事実の根幹部分(筆者注=「不起訴処分」の理由)は虚偽であることが明白であり、その事を知る当の本人であるにもかかわらず、被告矢野の名誉権を侵害し裁判所を欺罔する陳述書を提出した上で原告訴訟代理人として訴訟追行を担当する○○弁護士に対する請求も含めて、被告矢野は本件原告に対する別途訴訟提起を検討中である。〉

「創価学会とその代理人を訴えるといっているほどだから、この主張は本当なのかな」――矢野はそう裁判所に思わせようとしたのだろうか。

ついに裁判に持ち込んだ矢野

 とはいえ、矢野が現認したとする「不起訴処分」の理由が真実であることを主張、立証しようとするだけなら、『フォーラム21』裁判でも「請求原因」の中で創価学会が主張しているから十分に重要な争点であり、あえて新たな裁判を提起する必要もなかったような気もする。明代の汚名を晴らすという大きな目的のためなら、矢野としては『フォーラム21』裁判の中で矢野が聞いたとする「不起訴」の理由を確定させればすむのではなかっただろうか。

 真実を明らかにするという点では、どの裁判だろうと関係があるまい。仮に『フォーラム21』裁判で矢野の聞いたとする「不起訴処分」の理由が真実であると認定され、矢野がどうしても創価学会なり創価学会の代理人の責任を追及したいというのであれば、その時点で提訴しても遅いということはなかろう。

 しかし、いかなる局面にあっても相手に対して常に優位性を保っていなければ気がすまない矢野としては、被告として相手の攻撃を防御する立場に置かれることは気に入らなかったのだろう。まして相手はこれまで何度も尋問で相まみえてきた創価学会の代理人とあってはなおさら、個人的にも特別のこだわりがあったのではないかという気がする。この代理人は、いわば矢野にとっての「宿敵」といってもよかろう。矢野は『フォーラム21』裁判の答弁書で「予告」してから5カ月後の平成16年8月5日、「不起訴処分」の理由をめぐり創価学会と「宿敵」である代理人を本当に提訴した。

提訴対象は陳述書と訴状

 この裁判で矢野は創価学会と代理人を提訴したが、矢野が訴状で不法行為として挙げている項目とその内容からみると、その主たるターゲットは代理人であるように思われた。矢野は訴状で代理人の「不法行為」として次のように記載していた。



(矢野が特定した訴訟対象)

1 本件陳述書の提出

 被告○○(筆者注=代理人)は、上記検察処分期日の前後関係を入れ替えて、第1次処分が第2次処分の後になされたかのように虚偽を記載し、逆に原告が虚偽を主張しているかのようにきめつけ、2002(平成14)年8月23日付および同年10月3日付で内容が同一の陳述書を記述し……裁判所を欺罔するとともに、原告の名誉権を侵害した。

2 本件訴状による訴訟提起

 被告創価学会は、隔週刊誌「フォーラム21」が掲載した上記「第2次処分」に関する原告発言は「作り話」で虚偽であるなどと訴状に記載して……訴訟提起し、再び裁判所を欺罔するとともに、原告の名誉権を侵害した。



 上記「2」の対象は創価学会となっているが、「不起訴処分」に関する矢野の主張を「作り話」と断じたのは代理人だから、実質的にはこの項目も代理人の責任を問おうとするものであるといっていいのではあるまいか。

 訴状で矢野は、代理人が提出した陳述書について〈(代理人が陳述書によって裁判所を欺罔した結果)裁判所は原告敗訴の判決を言い渡した〉とも述べている。裁判所がわずか1通の陳述書のみで欺罔されるなどということは常識的にあり得ず、裁判官がこの主張をまともに受け取るとは思えなかった。事実は、たんに矢野が代理人の陳述内容に対して具体的な反証ができなかったことを意味するにすぎない。

 いずれにしても、この部分もまた代理人に対する矢野の個人的なこだわりを感じさせる。『東村山の闇』で矢野が聞いたとする情景描写を含めて活字化した内容が「作り話」と断定されたことがよほど許せなかったものと思われた。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第43回
同時期に異なる主張

 矢野は東京地検の「不起訴処分」に関して提訴した裁判で、創価学会代理人が〈2002(平成14)年8月23日付および同年10月3日付で内容が同一の陳述書を記述し〉(前回参照)と記載しているが、「平成14年8月23日付」とは『潮』事件(「世間を欺く『東村山市議自殺事件』の空騒ぎ。」=月刊誌『潮』平成7年11月号」)で、「同年10月3日付」とは『創価新報』事件で提出したものである。いうまでもなく、矢野が「同一」と認める陳述書は〈東京地検は「創価学会が事件に関与した疑いは否定できない」という理由で不起訴処分とした〉とする矢野の主張を否定するもので、「同一」なのだから当然だが、その内容は一貫している。

 一方、矢野の「不起訴処分」に関する主張は当初の「〈殺害までに至る事件・嫌がらせに関与した疑惑は否定できない〉という理由」とするものから「〈創価学会が事件に関与した疑いは否定できない〉という理由」とするものへと変遷している。「不起訴処分」の理由に関する矢野の主張はこの2種類だけだが、同時期に異なる主張をしていたこともあった。それが上記の『潮』事件と『創価新報』事件における主張だった。

『創価新報』事件では、朝木の陳述書から矢野の供述へと移る過程で「不起訴処分」の理由について「嫌がらせに関与」から「事件に関与」へと主張を変遷させた。しかし同時期に争われていた『潮』事件で、矢野は一審、二審とも「不起訴処分」の理由は「〈創価学会が殺害までに至る事件・嫌がらせに関与した疑いは否定できない〉というものだった」と主張したのである。

 1つの事実に対する証言として、合理性がありかつ一貫している証言と、合理性に疑問がありかつそのときどきによって変遷する証言のどちらに信用性があるかといわれれば、一般的に、その答えは明らかである。

 その場の都合によって証言内容を変えることは、矢野と朝木にとって特に抵抗のあることではない。『潮』事件では、「明代の殺害事件に至るまでの間に数々の嫌がらせなどがあった」と矢野らが主張していたことに対して、月刊誌『潮』が「地元記者たちは矢野の自作自演と冷笑している」などと記載したことが争点の1つとなっていた。つまり「自作自演」が指しているのは、矢野が主張する「明代の転落死に至る数々の嫌がらせ」であり、「殺害事件」自体ではない。矢野は「自作自演」を否定する根拠として東京地検が「不起訴」としたことを持ち出したのである。一審の判決文によれば、「自作自演」に関して矢野は次のように主張している。



(『潮』事件における「不起訴処分」に関する矢野の主張)

 ……嫌がらせが原告矢野の自作自演であったという記載は真実ではない。

a (創価学会は『週刊現代』の記事が名誉棄損罪に当たるとして朝木直子らを刑事告訴した)しかし、東京地方検察庁八王子支部は、平成10年7月15日、同刑事告訴について不起訴処分とした。原告矢野は、同日、同支部に出頭した際、担当検察官が「十分な捜査の結果創価学会側が事件に関与した疑いは否定できないことから不起訴の処分を決めた」旨話しているのを聞いた。これは、創価学会による亡明代殺害に至る一連の嫌がらせが事実であることを示している。



 ここでは、「不起訴処分」の理由について検事が〈創価学会側が事件に関与した疑いは否定できない〉と説明したことになっているが、矢野はこの裁判で上記の「事件」を〈亡明代殺害に至る一連の嫌がらせ〉として主張していたものと理解できる。矢野は「数々の嫌がらせ」があったことは東京地検の「不起訴処分」の理由からも明らかだから、『潮』が記載した「自作自演」は事実ではなく名誉毀損だと主張していたのである。

 たとえばこの地元記者が「自作自演と冷笑していた」という事件の中には、矢野が暴行されたとして未成年の少年を暴行犯として突き出したものの、嫌疑なしとしてすぐに解放された事件(「少年冤罪事件」)がある。この事件については、矢野はその後もこの少年が犯人であると主張し、民事裁判でも少年の潔白が認定されているという点からすれば「自作自演」とみられても仕方があるまい。

 さて『潮』事件で矢野は「不起訴処分」の理由について上記のように主張したが、東京地裁は記事が他の箇所で「嫌がらせが本当なのか作り話なのか、まったくわからない」と虚偽であるとまでは断定していない点を考慮して、地元記者が「自作自演と冷笑していた」とする記載について〈原告矢野が嫌がらせを自作自演したとの印象を与えるものではない。〉と認定した。

 名誉毀損性がないと判断したものに対してこれ以上検討する必要はなかった。『潮』事件で一審の東京地裁は、東京地検が「不起訴処分」とした理由に関する矢野の主張にはいっさい触れなかったのである。

主張が変遷した証拠

 一審で請求をすべて棄却された矢野は控訴し、矢野は控訴理由書で〈地元記者が「自作自演と冷笑していた」〉と記載した部分についてあらためて名誉毀損を主張するとともに、一審同様、「『嫌がらせ』等について東京地検が〈創価学会側が事件に関与した疑いは否定できない〉という理由で『週刊現代』を『不起訴処分』とした」と主張した。

 控訴理由書で「不起訴処分」の理由に触れた箇所に付けられた見出しは〈「いやがらせの自作自演」部分について〉で、導入部分には〈控訴人ら(矢野ら)に対するいやがらせは実際に存在したものであり、「いやがらせ」が「自作自演」であったという記載は虚偽であり、真実ではない。〉と記載されている。したがって、ここに記載された東京地検の「不起訴処分」の理由にある「事件」が「いやがらせ」を指していることは明らかである。

 この控訴理由書は平成14年7月16日付で、東京地検を提訴した『創価新報』事件で矢野が〈(明代の転落死に関する東京地検の結論)とは正反対の捜査をしていただいた〉すなわち「『明代の転落死に創価学会が関与している疑いは否定できない』という理由で『不起訴処分』とした」と供述したのは同年10月7日である。東京地検の「不起訴処分」の理由について矢野は、自分が現認したといいながら、その内容は裁判によって異なっていることがわかろう。もちろん「不起訴処分」によって「捜査結果」が覆されたとする『東村山の闇』における主張とも異なっている。

 控訴理由書の提出からわずか4カ月後の平成14年11月13日、東京高裁は矢野の控訴を棄却する判決を言い渡した。判決で東京高裁は『潮』の記載についてこう述べた。

〈このことが直ちに控訴人の自作自演が存在することを断定するものではないから、……控訴人の社会的評価を低下させるものであると認めることはできない。〉

『潮』の記事は要するに、矢野らが「朝木明代は創価学会に殺された」と騒いでいるのは「空騒ぎすぎない」と主張するものである。すると、矢野が「不起訴処分」の理由について検事から聞いたとする内容が事実だとすれば当然、記事の趣旨とも重なる重要な事実と思う。しかし矢野が「聞いた」と言い募る「不起訴処分」に関する事実について、東京地裁だけでなく東京高裁も一顧だにせず、矢野の請求を棄却した。

 裁判所が言及しなかったことをもって、ただちに裁判所が「不起訴処分」に関する矢野の主張を否定したということにはならない。しかし重要なのは、矢野がこの裁判で、東京地検を提訴した『創価新報』事件とは異なる主張をしていたという事実である。矢野はこの裁判でも、「不起訴処分」の理由をそのときどきで自分の都合のいいように言い換えていた証拠を残したということになる。

 1つの事実に対する状況説明は常に1つしかない。それが自分の都合によって変遷するのは、その前提である事実が存在しないということと理解するのが社会の常識である。したがって『東村山の闇』における「不起訴処分」の理由(〈創価学会側が事件に関与した疑いは否定できない〉)もまた、存在しない事実を自分たちの都合に合わせて記載したものといわれても仕方がないのではあるまいか。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第44回
すみやかな進行

 矢野が東京地検の「不起訴処分」に関して創価学会代理人が提出した陳述書と訴状をめぐり同代理人らを提訴した裁判に話を戻そう。

 矢野は平成16年8月5日に提出した訴状で、「創価学会代理人は『東京地検発表』と『不起訴処分』の時系列を入れ替えることで、捜査の結論が変更された事実がなかったかのように主張して裁判所を欺罔するとともに、矢野の発言が『作り話』などと主張して矢野の名誉権を侵害した」などと主張していた(第42回参照)。

 これに対して創価学会代理人は同年10月22日付で答弁書を提出し、「東京地検発表」と「不起訴処分」の日付をそれぞれ明示しているから前後関係は明らかであること、また訴訟において相手方の主張した事実について当該事実を否認し、その理由を示して証拠を提出することは当然の訴訟活動であり、その表現等も相当なもので、矢野の主張自体が失当であるなどと主張した。

 裁判官の心証は明らかではないものの、この裁判が通常の裁判と異なるのは、訴訟対象が一般の出版物ではなく、訴訟中に裁判所に提出された陳述書と訴状に記載された内容であるという点だった。名誉毀損の成立要件である「不特定多数」の目に触れる可能性という点でいえば、陳述書も訴状も所要の手続きによって第三者が閲覧することはできるが、民間に流通する通常の出版物等に比べればその程度は低いとみるのが通常の判断と思われた。

 普通の名誉毀損訴訟とはやや趣を異にするこの裁判の進行は、意外にもきわめてすみやかだった。東京地裁は同年12月17日に開いた第2回口頭弁論で弁論を終結。平成17年2月18日、矢野の請求を棄却する判決を言い渡した。正月休みをはさむから、弁論終結から判決言い渡しまでの期間は実質的に1カ月という速さだった。

 判決文をみると、このすみやかな進行の理由が理解できた。東京地裁はまず、裁判で提出された陳述書等の内容をめぐり名誉毀損に基づき損害賠償を求めたケースに対する一般的認識を次のように示した。



(東京地裁が示した一般認識)

 ……民事訴訟における当事者の主張立証活動の内容が、たとえ相手方等の社会的評価を低下させる内容であったとしても、これをもって直ちに違法な名誉毀損行為ということはできず、当該主張立証活動が、当該訴訟と関連性・必要性を有せず、専ら相手方を誹謗中傷する目的で、著しく不適切な表現によりなされた等の……特段の事情があってはじめて、違法な名誉毀損行為に当たるということができると解するのが相当である。



 東京地裁はこう述べた上で、〈当該主張立証によって摘示された具体的事実が客観的真実に合致するか否かは、このような違法性を基礎付ける特段の事情そのものには該当しない。〉と付け加えた。つまり、裁判に提出された陳述書等の違法性を問うには、陳述書等が述べる事実とは関係なく、違法性を帯びた〈特段の事情〉がなければならないとしたのである。

あっけない終結

 ではこの基本認識に基づき、東京地裁は陳述書と訴状の記載内容に基づく矢野の請求をどう判断したのか。東京地裁はこう述べた。



(本件に対する東京地裁の判断)

(〈本件についても、原告は特段の事情について積極的に主張立証しなければならない〉とした上で)しかし、原告は、主張整理の機会を与えられたにもかかわらず、あくまでも、本件名誉毀損記述……は真実に反するもの(事実のねつ造)であることを問題視し、……特段の事情については、何ら主張しない。……

 したがって、原告の主張は、請求原因として主張すべき事実をすべて主張しているとはいえず、主張自体失当といわざるを得ない。



 判決によれば、東京地裁は陳述書等の違法性を問うには陳述書等の内容以前にそれらの提出にあたり違法性をともなう「特段の事情」があることが必要であると考えていた。したがって、代理人の答弁書を確認した裁判所は同年10月22日に開かれた第1回口頭弁論で原告である矢野に対し「特段の事情」があるかどうか、あるとすればその点について2カ月後の平成16年12月17日に指定した第2回口頭弁論までに主張、立証するよう求めたものとみられる。

 しかし矢野は第2回口頭弁論でも訴状と同じ主張を繰り返したのみで「特段の事情」を主張しなかった。このため東京地裁は2回で弁論を終結し、矢野の請求を棄却したということと理解できた。こうして東京地検の「不起訴処分」をめぐり矢野が創価学会の代理人等を提訴した裁判の一審はあっけなく終わったのである。

 東京地裁が双方の主張する「不起訴処分」の理由にいっさい踏み込まなかったことについては矢野ならずとも拍子抜けの感がないではない(むしろ矢野にとっては、この判決の方がよかったかもしれない)。ただ仮定の話だが、創価学会代理人の説明と答弁書で主張した内容に明らかな矛盾や不審点があったとすれば、東京地裁もこれほど簡単に弁論を終結させることはなかったのではないかという気もする。

 むしろ、「東京地検発表」の内容が変更された事実がいまだもって公表されてもいない事実からすれば、矢野が「『不起訴処分』によって『東京地検発表』が覆された」などと記載した陳述書を裁判所に提出したことこそ「裁判所を欺罔する」行為であるといえるのではあるまいか。

 あくまで陳述書の内容にこだわる主張を押し通した矢野は控訴した。

(つづく)
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