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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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『聖教新聞」事件 第8回
「前」か「後」かを入念に確認

 平成7年7月4日に行われた第2回取り調べで明代は、万引き事件が発生した同年6月19日の行動について次のように供述した。



(第2回取り調べにおける明代の供述内容(万引き事件当日の行動))

「午後2時12分に銀行で振込をした」

「その後、午後2時30分ごろ、矢野と2人してレストランに行った」

「午後2時30分ごろから同3時21分ごろまで食事をした」



 第2回取り調べの前日である同年7月3日には、明代は矢野とともに東村山署を訪れ、「アリバイの証拠」として同年6月19日午後3時21分に支払ったことが記録されたレシートを提出していた。

 万引き事件が発生したのは同日午後3時15分ごろである。明代は当日、午後2時ごろまで矢野といっしょに議員控室にいたとし、午後2時12分の記録がある銀行振込依頼書を証拠として提出していた。明代の説明から、明代が「銀行で振込をしたあとでレストランに行った」と供述しているのは明らかだが、取調官は念を入れて銀行に立ち寄ったのがレストランに行く「前」なのか「後」なのかをあらためて確認した。すると、明代は「振込をしたのはレストランに行く『前』」であると明確に答えた。

 明代は「銀行で振込をすませたあとレストランに行った」と供述したということである。ここまでの説明自体には不自然な点も矛盾もない。

 明代がアリバイの証拠として提出したレシートには清算時刻が「午後3時21分」と記録されている。すると明代の主張によれば、明代は午後2時12分に銀行で振込をし、その後レストランで午後3時21分まで食事をしていたということである。したがって明代には強固なアリバイがあるということになり、万引き犯は明代ではないということになるはずだった。

もう1つの伝票

 しかし、東村山署が明代の供述に基づいてレストランで裏付け捜査を行うと、レストランの状況と明代の供述にはだいぶ食い違いのあることが明らかになった。まず、明代が提出したレシートの接客をした従業員は、そのテーブルに座ったのは女性の2人連れだったことを特別な事情があってよく記憶にとどめていた。その日、その従業員は体調が悪かった。ところが担当したテーブルの女性の2人連れはなかなか席を立ってくれなかった。だからよく覚えていた――というのだった。

 さらに東村山署はレストランでの捜査で、明代の供述を否定する確実な材料を入手していた。レストランには売上や食事の提供状況を記録したものとして、清算時に客に渡すレシート(明代がアリバイの証拠として提出したもの。清算時刻やメニュー、金額などが記録されている)のほかに、注文時刻やメニューを記録した注文伝票が存在していた。この2つを照合すれば、当該の客がレストランに滞在した時間がわかる。

 明代が提出したレシートとそれに対応する注文伝票を捜査員が照合すると、明代の主張とは完全に矛盾する事実が浮上した。明代が提出したレシートに対応する注文伝票は2枚あった。1枚は「人数2」のうち午後1時29分に1人が「日替わりランチ」を1食注文したことが記録され、もう1枚には午後1時32分に「人数2」のままで「レギュラー」と「コーヒー」がそれぞれ2人分注文されたこと、さらに最初に注文された「日替わりランチ」が「取消」になったことが記録されていたのである。

 すなわちこの時点で、明代が提出したレシートの内容が注文されたのは午後1時32分だったこと、2人の客のうち1人が先に着席し、午後1時29分に最初の注文をしていたこと等が判明したのだった。清算時刻はレシートどおりだが(レシートに記録されているので当然)、注文時刻には明代の供述とは1時間ものずれがあった。取調官が「レストランに行ったのは銀行振込の『前』か『後』か」を明代にしつこく聞いたのは、明代の供述と注文伝票に記録された時刻との間に大きな矛盾が存在することを確認し、そのことを取り調べの段階において確定させるためだったのである。

 明代は「レストランに行ったのは銀行振込の『後』」と供述した。これではいかに明代が、このレシートをもって「万引き犯ではない証拠」と言い張っても、その供述に信用性を認めるのは困難だった。

 明代が議員控室にいたとする時間の記憶に若干の誤差があったとしても、明代が自ら率先して提出した銀行振込記録に記載された時刻に誤りはない。すなわち、明代が自ら提出した証拠もまた、万引きがあった時間帯に明代と矢野が「レギュラー」ランチを食べたとする主張の信憑性を揺るがすものでしかなくなったのである。

 清算時刻を記録したレシートとは別に、注文時刻を記録した注文伝票があることにまで考えが及ばず、だから注文時刻までは確認していなかった矢野の痛恨のミスだった。たまたまうまい具合に条件が重なるレシートがあったことで安心してしまったのだろうか(いずれにしても、矢野が東村山署を甘く見ていたということで、それこそが矢野の最大のミスだった)。

 ただ東村山署はまだ、レストランに注文伝票が存在しており、そこに記録された注文時刻と朝木と矢野がレストランに行ったとする時刻に1時間もの食い違いがあることは朝木には伏せていた。そんなこととはみじんも思ってもいない朝木は、第3回目の取り調べで、取調官に対して矢野と食べたとする食事の内容をこと細かに説明したのである。まるで実際に食べてきたかのように。

 おそるべき記憶力だった。ただしその「記憶」とは、万引き当日に実際に食べたものではなく、第3回取り調べが行われる前に写真付きのメニューで暗記したものにすぎないものであることを取調官はとっくに察知していた。裏付け捜査で、明代と矢野が7月8日にレストランに現れ、メニューを確認していたことを聞いていたのである。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第9回
最悪の選択

 アリバイとして提出した証拠がニセモノと見破られ、それまでの供述をすべて撤回に追い込まれたあげくに書類送検されれば、普通は抵抗をやめるだろう。書類送検後であっても、明代には洋品店主に謝罪して起訴を避けるという選択肢もあり得た。

 トップ当選議員のプライドは捨てなければならない。しかし明代にとって、事態がこれ以上悪化することだけは避けられた。

 ところが取調室を出てから数時間後、矢野がどのようなアドバイスをしたのか、最終的に明代は最もやってはいけない選択をした。明代は全国紙各社の立川支局宛に次のようなコメントをファックスで送ったのである。



(明代が新聞各社に送った〈「窃盗事件」に関するコメント〉と題するファックス)

 私が窃盗を働いたというデッチ上げ事件について、以下の通り見解を発表します。

記 

「窃盗事件」があったという日には、現場付近には行っておらず、全く身に覚えのない「事件のデッチ上げ」に、強い怒りを覚える。

「当選返上」以来、一部グループが根も葉もないことで「草の根」に刑事告発などを繰り返している嫌がらせの1つで、現行犯でもなく、朝木明代と事件を結び付ける物的証拠もないまま、人を陥れようとして被害届をだした洋品店主には、ただちに「誣告罪」で逆告訴の手続きをとる考えだ。

 また、商品が実際になくなったわけでもなく、実害もないのに、被害届を警察が取り上げたこと自体問題で、政治的な動きといわざるをえない。



 翌7月13日、全国紙各紙は明代の書類送検を報じた記事で、明代が「身に覚えがなく『デッチ上げ』」などと主張していることも記載した。警察に対して犯行を否認しただけなら、最終的に「やっぱり私がやりました」といってもプライドを捨てる相手は警察だけである。しかしマスコミに対しても無実を主張したことで、いよいよ引っ込みがつかない状況になったのではあるまいか。

 このファックスの中に「万引き」の文言がないのは、「万引き」という犯罪の態様を具体的にイメージされたくなかったのかもしれない。本人でなければわからない独特の感覚なのだろう。

 またこの中で明代が〈実害もないのに、被害届を警察が取り上げたこと自体問題〉と記載しているのは、やはり万引き事件に無関係の人物の言葉とは思えなかった。品物を取り返したとしてもその時点で犯罪は成立しているのであり、警察が被害届を受理したことには何の問題もない。「実害がない」ということを強調することで書類送検の不当性を訴えようとしているようにみえた。犯人本人でなければ、「実害もないのに」などと主張する必要はない。

他のメディアでも否認

 明代は全国紙だけでなく、その他のメディアに対しても無実を訴え、その主張は自分が万引き犯と名指しされたとするその「背景」にも及んだ。ニセのアリバイを主張している限り、「無実」を主張することは自らを追い詰めることにしかならない。しかし明代と矢野は、他のメディアにも積極的にコメントすることによってますます自らの首を締めていった。

 明代と矢野のコメントの趣旨はおおむね「万引きはデッチ上げ」で、「矢野と別の場所で食事をしていたからアリバイがある」ということ、さらに「事件には政治的背景が感じられる」というものである。万引きを否認する明代と矢野のコメントを掲載したメディアは平成7年7月13日から8月25日までにざっと10を超えた。記事を見て喜んだのは支援者だけだったろう。

 そんなメディアの中で、とりわけ詳細なコメントを掲載していたのが同年8月4日付『週刊ポスト』だった。タイトルは〈「創価学会の陰謀説」まで飛び出した 東村山女性市議 たった1900円 万引き送検騒動の「ヤブ」〉である。そのコメントを紹介しておこう。



(『週刊ポスト』が掲載した明代と矢野の万引き事件に関するコメント)

「……(警察から呼び出されて)“店の人は朝木さんが犯人だといっています”と告げられ、その瞬間、ああ学会にやられたと思ったんです。……もちろん私は万引きなどはやっていません。事件当日のアリバイがあります」(明代)

「(そのアリバイについては)裁判で明らかにします。今、話してしまうと、アリバイの証拠を潰されてしまう危険がある」(明代)

「これだけはいえます。犯行があったとする時刻には、私が朝木さんと一緒に行動していて、証明もできます。しかも、洋品店の周囲には立ち寄っていません」(矢野)

「こちらでは洋品店主の妻が創価学会関係者であると総合的に判断しています」(矢野)



 発行日が8月4日だから、取材は書類送検からあまり時間がたっていない時期に行われたと推測できるが、アリバイを完膚なきまでに否定された直後でありながら、「アリバイは裁判で明らかにする」などというコメントは普通ではできないだろう。

 記者の間からは「マスコミに明らかにした方がかえって潰されない」という意見があったと聞くが、明代と矢野はマスコミに対して具体的なアリバイを明らかにはしなかった。アリバイが事実なら、マスコミに詳細を公表し、マスコミによって裏付け調査を行ってもらうことがアリバイを守る最善の方法だろう。明代がマスコミにアリバイを明らかにしなかったということは、当然だが、自信がなかったということにほかならない。

 明代は東村山署の取調室で、主張した「レギュラーランチ」のアリバイについて「守秘義務を守ってマスコミにはいわないでいただきたい」と注文をつけている。アリバイに関する明代のこれらの発言をみると、明代はマスコミによってアリバイが虚偽であることを明らかにされ、報じられることをより警戒していたことがうかがえる。

明代を追い込んだ支援者

 事件当日の「アリバイ」について明代が「裁判で明らかにします」と明言しているのは『週刊ポスト』だけである。実情を知らない支援者たちはこの明代のコメントに大きな期待をかけたことは間違いあるまい。明代は自分自身の言葉によって自ら逃げ道をふさいでしまったということだった。

 記事の終わり近くでは、「朝木市議の知人」という人物の、明らかに明代寄りのコメントが掲載されていて、いっそう明代を追い込んでいた。

「朝木さんは1円玉を拾っても交番に届けるような人。裁判ですべてが明らかになると思いますが、朝木さんのクビが飛ぶか、東村山署幹部のクビが飛ぶか。どちらかでしょうね」

 明代はともかく、「朝木市議の知人」は当然、東村山署幹部のクビが飛ぶと思っていたのだろう。また読者の何割かはこれをまっとうな論評と受け止めたかもしれなかった。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第10回
変遷重ねたアリバイ主張

「アリバイは裁判で明らかにします」とコメントした明代の本心は、東京地検から呼び出しがあった8月29日以後の、「あいさつしても返事がなく、元気がない様子だった」という知り合いの目撃情報に現れていよう。よく挨拶を交わしている知人が、明代はいつもと違い、一見して「元気がないように見えた」とはよほどのことである。

 ただ当時、明代には本心とは別に、対外的にはどうしても強気を装わなければならない事情があった。上記コメントが掲載された『週刊ポスト』の発売時期と重なる平成7年7月26日、明代と矢野はそれぞれ、「レギュラーランチ」から「日替わりランチ」へとメニューを変更した新たなアリバイを記載した「上申書」を東京地検八王子支部に提出していたのである。それが矢野と明代の「裁判で明らかにする」というアリバイだった。

 千葉によれば、2人の上申書の内容は、万引き事件に関する部分についてはほぼ一致しているものの、アリバイのメニューなど東村山署で明代が供述した内容とは食い違いがあった。さらに矢野は『聖教新聞』裁判で「万引きを苦にした自殺」を否定する陳述書を提出している。ところがアリバイ主張に関して、陳述書の内容には上申書の記載内容と矛盾する記載があった。

 つまり、アリバイ主張に関して明代と矢野は、取り調べにおける主張、上申書における主張、陳述書における主張と3度の主張を行ったが、そのたびに事実関係の主張に変遷がみられるということだった。事実関係について主張の変遷がある場合には、その変遷に合理的理由や事情が認められないかぎり、主張自体の信用性に疑問があると判断されることが多い。

 では、矢野の主張の変遷には合理的理由があると判断できるようなものだったのだろうか。

明代の供述を否定した矢野

『聖教新聞』裁判で矢野が明代の「万引きを苦にした自殺」を否定する陳述書を提出したのは平成11年5月31日である。矢野は明代のアリバイについて、平成7年6月19日の行動から述べている。ところが「びっくりドンキー」にたどり着く前に早くも明代の供述と食い違いが生じている。明代は取調室で「矢野さんと2人してレストランに行った」と供述した。しかし矢野は、この明代の供述がなかったかのように、次のように供述していている。



(レストランに行くまでの状況に関する矢野の供述=矢野陳述書)

(午後2時過ぎに市役所を出たあと一緒に自転車で向かい)その途中、朝木議員は、丸西青果市場のところで、私と一旦わかれました。私は、この事実をはっきりと記憶しています。

 私は一足先にレストランに向かい、朝木議員は、東村山市民新聞の折り込み代金を振込みするために、東村山駅近くにある北海道拓殖銀行東村山支店に立ち寄り、その後、事務所に寄って、……レストラン「びっくりドンキー」で合流することにしたからです。



 千葉によれば、明代も東京地検に提出した上申書で「銀行振込をするために矢野といったん別れた」と供述を変遷させている。明代が東村山署に提出した振込用紙には振込時刻が午後2時12分と記録されていた。明代の上申書によれば、その後明代は「事務所にいったん立ち寄った」というのである。

 なんでも明代は「分厚い東村山市の『例規集』2冊と『自治六法』」を事務所に置いたという。そんな重い本を持っていたのでは邪魔だからいったん事務所に立ち寄ったということらしかった。自然な行動だといいたいようである。いずれにしても、少なくともこの時間帯には、明代は万引き現場にいなかったことになる。

 さらに明代が「矢野と別れて事務所に立ち寄った」と変遷した点に関して、矢野は明代が取り調べで供述しなかった事実を主張していた。矢野はレストランで合流したあとで、明代から「事務所の留守番電話のテープのA面が巻ききっていたので、A面をB面に裏返しておいた」と聞いたという。千葉によると、この点について、明代も上申書で同様の供述をしている。

 なぜそれが事実であるといえるかというと、あとで留守録のテープを再生してみると、B面の最初のメッセージは午後2時41分と記録されていたからであると、矢野は供述していた。ただ万引き事件が発生したのは午後3時15分ごろだから、「明代が事務所に立ち寄っていたこと」と「テープに残された最初のメッセージの時刻」はアリバイ立証とは何の関係もないように思える。

細部にこだわった矢野

 それにしてもなぜ矢野は明代が「事務所に立ち寄っていたこと」にそれほどこだわるのだろうか。「午後2時41分」に留守電が入っていたという記録は明代が事務所にいなかったことを推認させる材料でこそあれ(断定はできない)、万引き事件のアリバイを主張する者としては特に有力な証拠でもない。しかし矢野は陳述書で、明代が銀行振込のあとで事務所に立ち寄っていたとする事実について次のように力説しているのだった。

〈つまり、右の振込明細書と留守録テープによって、問題の6月19日午後、朝木議員が「びっくりドンキー」に向かう前に、事務所に一時立ち寄った時刻は、午後2時12分から午後2時41分の間であったことが判明しているのです。〉

 どう考えても、事務所に立ち寄った時間帯を特定することはアリバイの立証には結びつかない。すると矢野が(明代も)、明代が銀行振込をしたあとで事務所に立ち寄ったとしているのは、明代がその後にレストランに向かい、矢野と合流したとすることによって、市役所を出たあと2人でレストランで食事をしていたという彼らの主張する時系列全体にリアリティーを持たせようとしたものと考える以外にないようである。

 矢野がアリバイを「レストランで食事をしていた」という事実によって主張しようとしていることに変わりはなかった。ただ、明代が事務所に立ち寄ったのが仮に事実だったとしても、アリバイ立証とは何の関係もないのが弱みだった。誰からも文句の出ないアリバイの証拠を提示できるのなら、事務所に立ち寄った時刻などにこだわる必要はないのである。

 むしろ矢野の供述は「2人して行った」としていた当初の明代の供述から変遷しているのは明らかで、矢野が計算したようなリアリティーを持たせることはできなかった。またアリバイ主張の上で明代が事務所に立ち寄ったとする時間帯と行動経路を確定させてしまったことは、その後に時系列上の矛盾が生じた場合には修正がきかない状況を作り上げてしまったということでもあった。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第11回
「『日替わりランチ』だった」と主張

 明代がレストランに行く前に事務所に立ち寄ったと主張して、その時間帯を特定したところでそれが直接のアリバイ立証とならないのは明らかだった。問題は明代が矢野と食事をしていたとするアリバイをどう立証するかである。

 矢野は陳述書で、〈私が「びっくりドンキー」に一足先に着いたのは、午後2時20分ころで、店のドアを背にして、右手のずっと奥の府中街道に近い方の席に座って待っていると、ほどなくして朝木議員がやってきました。〉〈私と朝木議員は、午後3時半ころ食事を終え〉と供述している。矢野が主張するこの時系列が事実と証明されれば明代は万引き現場にはいなかったことになり、万引き犯ではないということになる。

 しかし東村山署の取り調べの際、明代は午後3時21分に清算された記録のある「レギュラーランチ」のレシートをアリバイの証拠として提出したものの、それが他人のものであることが判明し、犯行の時間帯に現場にはいなかったとする明代の主張は虚偽であると認定された。その点を矢野はどう説明するのか。陳述書で矢野は次のように供述していた。



(陳述書におけるメニューに関する矢野の供述)

 2人とも「日替わりランチ」とコーヒーを注文しましたが、私の方は、たしかアイスコーヒーだったように思います。「びっくりドンキー」は「ハンバーグ・レストラン」で、日曜・祭日を除いて、午前11時から午後5時まで「日替わりランチ」を注文できますが、……ライスと豚汁がセットで580円でした。この日の「日替わりランチ」には、ハンバーグにカキフライが付いていました。



 千葉によれば、明代と矢野が東京地検に提出した上申書でも、食べたメニューは「日替わりランチ」だったと供述している。では、明代はなぜ食べたとする「日替わりランチ」ではなく「レギュラーランチ」のレシートをアリバイの証拠として提出したのか。

店長の証言との間に食い違い

「レギュラーランチ」のレシートをアリバイの証拠として提出するまでの経緯について矢野は次のように供述している。



(「レギュラーランチ」のレシート提出までの経緯についての矢野の供述)

(平成7年6月30日午後4時過ぎ、第1回目の取り調べから事務所に帰ってきた明代は)私に、警察は、東村山駅そばの洋品店が……朝木議員がTシャツを万引きしたので被害届を出したと言っていると伝えました。

 私は、当日のその時間帯には、朝木議員と一緒に「びっくりドンキー」で食事をしていたことを思い出し、驚いて、即座に東村山署……に電話をしました。

 これに対して、……それなら何か証拠を出してほしいという話でした。それで、朝木議員が、すぐに事務所から「びっくりドンキー」に電話をかけ、6月19日の午後2時から4時の間で、「日替わりランチ」とコーヒーを注文した2人組のレシートの控えがあると思うので、探しておいてほしいと依頼したのです。朝木議員がこの電話をかけた際、私はそばで聞いていたので、その様子ははっきりと覚えています。



 千葉によれば、明代が東京地検に提出した上申書でも同様の供述をしているという。しかし、上記供述のうち、明代が「びっくりドンキー」に対して「日替わりランチ」のレシートを依頼したという点については店長の証言と食い違いがあった。店長によれば、明代は「ランチ」としか伝えず、店長から「『レギュラー』ですか、『日替わり』ですか」と聞かれ、「たぶん『日替わり』」と曖昧に答え、席の位置については答えなかった。

 矢野の上記陳述書によれば、明代が「びっくりドンキー」に電話した際の会話を聞いていたのだから、矢野は明代が店長から「日替わり」か「レギュラー」のどちらだったかを聞かれたことを知っていた。店長が明代から依頼された内容と当時のやりとりについて警察に対して虚偽の証言をする理由はない。したがって、明代が取り調べで「レギュラーランチ」のレシートをアリバイの証拠として提出した事実からも、明代が最初から「日替わりランチ」のレシートを依頼したとする矢野と明代の供述は信用できない。

 食べたメニューを聞かれた際、明代はどちらの事実もなかったために明確に答えられなかった。しかしこれは結果として、彼らの要求に合致するレシートの幅を広げることになった。東村山署に提出したレシートは、清算時刻と人数に限り、彼らの要求にたまたま合致していたということだった。明代と矢野にとって、そこまでは一応、結果的には順調だったのである。

確認をしなかった不思議

 しかし、取り調べで明代が提出したアリバイの証拠である「レギュラーランチ」のレシートは他人のものであることが判明し、明代はそれまで2回にわたって主張していたアリバイを撤回するつという醜態に追い込まれた。矢野は陳述書で、食べたのが「日替わりランチ」だったと主張しているにもかかわらず、明代が取り調べで「レギュラーランチ」のレシートを提出した経緯について説明している。



(明代が「レギュラーランチ」のレシートを提出した理由)

 7月1日土曜日の夜、朝木議員、私など計4名が……(「びっくりドンキー」に行き)席についてしばらくすると、……若い店長が……「多分、これだと思います」といいながら、朝木議員に「レジ・ジャーナル」(筆者注=前掲の「レシート」「レシートの控え」と同じもの)のコピーを手渡した。

 ……その「レジ・ジャーナル」を見ると、店を出た時刻は15時21分となっていたので、おおよその記憶と一致していたので、特に質問もしないまま、帰宅しました。



 矢野の陳述書によれば、明代が「びっくりドンキー」にレシートを依頼したのは、矢野が東村山署に電話して万引きのあった時間帯には明代と食事をしていたと伝え、これに対して「それなら何か証拠を出してほしい」といわれたためである。明代も矢野も、このレシートが証拠になると思っていた。にもかかわらず、レシートを受け取った矢野と明代は、レシートの清算時刻が「15時21分」となっており、〈おおよその記憶と一致していた〉ので〈特に質問もしないまま〉帰宅したというのである。

「証拠」であるにもかかわらず、それが自分たちのものであるかどうかを確認せず、〈おおよその記憶と一致していた〉ことで質問もしなかったとは、アリバイを主張して警察に電話までした矢野としてはどうみても詰めが甘いといわざるを得ず、きわめて不自然というほかなかった。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第12回
入手を最優先させた矢野

 矢野は〈おおよその記憶と一致していた〉という理由で、アリバイの証拠であるレシートについて店長に特に質問もしないまま帰宅したという。しかし1、2分のずれで清算した客がいた可能性がないとはいえず、清算時刻が〈おおよその記憶と一致していた〉というだけで、それが自分たちのレシートであるという確証がどうして持てようか。食事をしたというのが事実なら、メニューの内容や座席を2人で思い出し、その記憶とレシートが一致しているかどうかの確認を取るのは常識だろう。 

 むしろ本当にその時間帯に食事をした事実があったとすれば、より慎重にその事実を裏付けようとするはずである。アリバイが裏付けられなければ、身に覚えのない万引き犯にされてしまうかもしれないのだから。ところが矢野と明代は、それが重要な「証拠」であるにもかかわらず、2人ともメニューの内容について何の確認もしなかった。

 当事者である明代はどうしても冷静さに欠けていて細部の詰めにまで気が回らなかったとしても、第三者である矢野までレシートが自分たちのもので間違いないかどうか、確認する必要があることに気がつかなかったとは考えられない。またなにより、「万引きの時間帯に明代と『びっくりドンキー』で食事をしていたことを思い出した」のは矢野である(前回参照)。

「思い出した」本人である矢野には、それが「アリバイの証拠」であることを確認する責任があろう。しかし矢野は、「特に質問もしないまま帰った」のである。

「レギュラーランチ」のレシートを入手した際の矢野と明代の対応は、どう見ても、実際に食事をした際のレシートを受け取った者の態度ではない。むしろ2人の態度は、とりあえず万引きの時間帯に2人分の清算記録のあるレシートが存在したことだけで十分であるとし、そのレシートを店長から疑いを持たれることなく入手し、すみやかに持ち帰ることが目的だったことをうかがわせる。

 質問などすれば店長からよけいな疑念を抱かれかねず、「やはりお渡しできません」などということになれば元も子もない。矢野はそうなることを避けたかったもののように思えてならない。

工作を見破られた言い訳

 アリバイの「証拠」であるはずのレシートの内容について〈特に質問もしないまま〉帰ったとしていることについて矢野自身も不自然であることに気がついていたようである。だから矢野は、その日「びっくりドンキー」に行った状況について次のように供述する。

〈同年7月1日土曜日の夜、朝木議員、私など計4名が、その日都内で行われた「宗教法人法改正を求める緊急集会」から東村山に戻り、「びっくりドンキー」で、集会での朝木議員や私の講演などについて話をしました。

 席についてしばらくすると、初対面だったのですが、若い店長が私達の席までやってきて、……「レジ・ジャーナル」のコピーを手渡した。

 不意の出来事だったので、私達は「店長とは初対面なのに、朝木議員だということが、よくわかったね」と顔を見合わせました〉(筆者注=その直後、明代はレシートを入手した)

 レシートを入手したのは、「びっくりドンキー」にわざわざそのために行ったのではなく、別の用事で行ったところ思いがけず店長から唐突に渡されたものだったかのような供述である。あたかも心の準備ができていなかったために、レシートの内容を聞かなかったとでもいいたいように聞こえよう。

 しかしそもそもそのレシートは東村山署から「何か証拠を出してほしい」といわれて「びっくりドンキー」に依頼したものであり、唐突に渡されたなどと説明すること自体が不自然というべきだろう。矢野と明代らが「びっくりドンキー」に行ったのは、明代が電話でレシートを依頼した翌日である。また「びっくりドンキー」が事務所から歩いていくにはかなり離れており、多人数で話をするだけならその手前には別のファミレスがあった。そう考えると、7月1日に「びっくりドンキー」に行ったのは、やはりレシートを受け取ることが目的だったとみるべきだろう。

 しかも、店側に何も伝えないのに、店長がわざわざ席までレシートを持ってきたとは普通では考えにくい。矢野と明代はウェイトレスに料理を注文する際に来店目的も伝えた。だから店長はレシートを届けに来たとみるのが自然である。

 しかしそれでは、アリバイの「証拠」であるレシートの内容について「特に質問もしないまま」帰ったというのは不自然と受け取られよう。だから矢野は、7月1日に「びっくりドンキー」に行ったのも、レシートを受け取ったのも偶然だったことにしようとしたのだろう。

 常識的には大事なアリバイの「証拠」であるはずのレシートの内容について矢野がなぜ〈特に質問もしないまま〉帰ったことにしたのかといえば、のちに明代が取調室でそれが他人のものだと見破られたからである。矢野は陳述書で、明代が提出したレシートは店長が「間違えて渡した」からだと主張している。矢野は〈特に質問もしないまま〉帰ったために、その「間違い」に気がつかなかったということにしたいのである。

強気になっていた明代

 ただ、矢野も陳述書で供述するようにレシートの清算時刻が「午後3時21分」となっていて、人数も「2名」となっていたから、矢野と明代はアリバイの「証拠」として一定の自信を持ったのではないかと思う。だから、よけいな疑念を抱かれてはいけないという思いも手伝って、レシートの入手を急いだ。

 レシートの内容について矢野と明代が自信を持っていたことは、7月3日、2人で東村山署に出向いて「証拠」としてこのレシートを提出したこと、さらに7月4日と7月12日に取調官から否定されるまで、明代がこのレシートに沿った供述をしていることからも明らかである。

 またこのレシートを入手した翌日の7月2日、明代は支持者の小坂渉孝とともに万引き被害者の店に現れ、店内を一回りすると、被害者に向かって不敵な笑みを投げつけると、何もいわずに引き上げていった。このとき明代は、アリバイの「証拠」として使えそうなレシートを入手したことで強気になっていたのかもしれない。もちろん独りよがりの願望にすぎず、その錯覚は長くは続かなかったのだが。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第13回
最初に渡されたもの

 矢野が明代とレシートを受け取った際、特に質問をしなかった理由がもう1つあったことが最近になって判明している。矢野の陳述書では、店長が持ってきたレシートをそのまま警察に提出したことになっている。しかし千葉によれば、この部分の供述には明代と矢野が東京地検に提出した上申書の記載とは重大な食い違いがあるというのである。

 もう1度、矢野の陳述書におけるレシートを受け取った状況を確認すると、矢野は次のように供述している。



(矢野陳述書における「レシートを受け取った状況」)

 席についてしばらくすると、……若い店長が私達の席までやってきて、「多分、これだと思います」といいながら、朝木議員に「レジ・ジャーナル」のコピーを手渡した。



 ここでいう「レジ・ジャーナル」とは、私たちが買い物をした際にもらう幅4センチほどのレシートとほぼ同じものである。店長のいった「多分、これだと思います」とは、持ってきたレシートが、明代が電話で依頼した際の食事内容(人数・清算時刻等を含む)に該当するものと店長が判断したものであることを意味する。それを矢野と明代は〈特に質問もしないまま〉持ち帰ったのだという。つまり、数あるレシートの中から明代の要求に合致するものを探し、選んだのは店長で、矢野と明代はそれをただ受け取っただけで、レシートを選んだわけではないということになっている。

 しかし上申書ではニュアンスが異なると千葉はいう。千葉によれば、この点に関して矢野と明代の上申書における供述は一致しており、いずれも次のような記載になっているというのである。



(矢野と明代の上申書における「レシートを受け取った状況」=趣旨)

「6月19日の午後2時から4時の間で、『日替わりランチ』を注文した2人組のレシートを探してほしい」と依頼した。翌7月1日に「びっくりドンキー」に行った際、店長は「レジ記録リスト」を渡してくれた。

 7月3日、明代と矢野は東村山署に出向き、明代のアリバイを証明する「証拠」として「レジ記録票」を提出した。



 上申書には「レジ・ジャーナル」の記載はなく、その代わりに記載されていたのが「レジ記録リスト」と「レジ記録票」の文言だった。矢野の陳述書で出てくるのは、受け取った時点においても警察に提出した時点においても「レジ・ジャーナル」だけだが、矢野も明代も最初に渡されたのは「レジ記録リスト」で、提出した際には「レジ記録票」となっている。

 明代が警察に提出した「レジ・ジャーナル」は『聖教新聞』裁判でも証拠して提出されているが、それはどこから見ても「リスト」ではない。「レジ記録リスト」とはその日の清算記録がずらっと記録されたものとみるのが自然で、だから矢野も明代も上申書で「レジ記録リスト」と「レジ記録票」と明確に区別して記載しているのである。したがって、最初に店長が手渡したのは東村山署に提出した「レジ・ジャーナル」とは別のものということになる。

「リスト」と「レシート」の違い

 千葉によれば、矢野と明代が東京地検に提出した上申書には、最初に手渡されたのが「レジ記録リスト」で、警察に提出したのは「レジ記録票」だった事情について一言も記載されていない。するとこの間の事情については推測するしかないが、明代が「レジ記録リスト」ではなく「レジ記録票」を警察に提出するまでの間には何があったとみるべきだろうか。

 それを最も強く推測させる根拠は、矢野と明代が提出した上申書における「レジ記録リスト」と「レジ記録票」に関わる表現にあると千葉は指摘している。どういう表現なのか。

「レジ記録リスト」と「レジ記録票」についてそれぞれ彼らは次のように記載しているという。



(「レジ記録リスト」に関する表現)

〈店長は……「レジ記録リスト」を店内で朝木議員に手渡したのです。〉(矢野)

〈店長は……「レジ記録リスト」を店内で私に手渡してくれました。〉(明代)

(「レジ記録票」に関する表現)

〈東村山署に出向き、……朝木議員のアリバイを証明する資料として……店長から貰った「レジ記録票」を提出しました〉(矢野)

〈東村山署に出向き、……私のアリバイを証明する資料として……店長から貰った「レジ記録票」を提出しました〉(明代)



 矢野も明代も上申書で「レジ記録リスト」は「手渡してくれた」と記載しているのに対して「レジ記録票」については「店長から貰った」と記載していることがわかる。つまりこの記載からわかるのは、「レジ記録リスト」については「手渡してくれた」というだけで、「貰った」ものではないということである。

千葉の推測

「レジ記録リスト」には矢野と明代が「自分たちのもの」と主張している記録以外の記録も含まれているとみられる。すると、店側が明代に対して他人のものも含む「レジ記録リスト」をすべて持ち帰らせることはあり得ない。

 では店長は何のために「レジ記録リスト」を明代に手渡したのだろう。普通に考えれば、店長は「レジ記録リスト」を明代に見せ、その中から明代のものがどれなのかを指摘してもらおうとしたということなのではあるまいか。リストを渡された矢野と明代はどうしたのか。

――矢野と明代はリストの中から最もアリバイの「証拠」として使えそうな記録、すなわち2人連れで「レギュラーランチ」を食べ、「午後3時21分」に清算された記録を選び、「これがわれわれの記録だ」と指定した。その後に店長は、明代が指定した記録に対応した「レジ記録票」をコピーして手渡した。

 矢野と明代の上申書における表現の変化が物語るのは、7月1日、店長が明代に「レジ記録リスト」を手渡したあと、「びっくりドンキー」ではこのような事実があったのではないかと千葉は推測している。この推測には十分な合理性があるように思える。アリバイの「証拠」として使うことが目的なのだから、矢野と明代が慎重に選んだことは想像に難くない。

 矢野は陳述書で、店長からレシートを受け取ったあと「特に質問もしないまま、帰宅しました。」と供述しているが、上申書では最終的に受け取ったのが「レジ記録リスト」ではなく「レジ記録票」だったというのだから、矢野が何も質問しないのはどう考えてもあり得ない。しかしそのレシートが、「レジ記録リスト」の中から明代と矢野が自ら選び指定したものなら、それがリストのものと一致していることを確認するだけでよかった。だから矢野も明代も、店長に対してもう特に質問をする必要がなかったのである。

 明代のアリバイの「証拠」として東村山署に提出したレシートは、自らリストを見て選び抜いたものだった。レシートを入手した時点で明代はアリバイ主張を押し通せるかもしれないというばかげた自信と甘い期待を持った。翌7月2日、万引き現場に支持者と現れ、被害者に不敵な笑みを残したのは愚かな自信の表れでもあったのだろう。

(つづく)
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