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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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『聖教新聞』事件 第27回
調書化を拒否

 矢野が裁判に提出した取り調べ記録は、最後に矢野が、明代が「もう1度調べてきます」といったにもかかわらず東村山署が書類送検したことを非難する発言で終わっている。最後で「もう1回思い出す」とする発言を持ち出すことで「日替わり」が注文・清算された記録が存在する可能性を主張し、明代の書類送検に関する東村山署の手法を批判したことで、矢野としては裁判に有利な材料として使えると判断したのかもしれない。

 しかしこれまでみてきたように、万引き当日に矢野と明代が「日替わりランチ」を注文さえできない状況にあり、この取り調べで矢野が何も反論できず、「日替わり」のアリバイもみごとに崩されたことは明らかだった。その内容が矢野にとって不利なものであることは矢野自身が十分に自覚していた。だから矢野はこの日、この取り調べ記録の調書化をかたくなに拒否したのである。

 では、本来は自分に不利な取り調べと感じていた矢野が、なぜ裁判所に対しては証拠として提出したのか。千葉によれば、裁判所に提出した取り調べ記録には数箇所の改ざんが認められるという。自分に不利な改ざんをするはずはないから、矢野は自分に有利と思う形に整えて裁判に提出したということである(それでも、「日替わり」のアリバイが成立しないことは明らかなのだが)。

出頭を渋った不思議

 さて千葉によれば、矢野が調書化を拒んだ理由は「レシートをもう1度調べたい」というものだった。取調官からリストを突きつけられてもなお矢野は、「日替わり」のアリバイを主張しようとしているものと理解できた。

 取調官は矢野に「アリバイ立証」の猶予を与えた。しかしその後の矢野の態度は、とうてい誠実に調査をしようとしている者のものではなく、むしろそのアリバイ主張にはやはり最初から根拠がなかったもの、つまり虚偽だったと考えるほかないものだったのである。

 千葉によれば、矢野が「もう1度調べたい」といってから2日後、取調官は矢野に電話で状況を聞いた。すると矢野は、「まだ資料が出てこない。私は故意に嘘をついているのではない。もう少し待ってください。私の方から連絡する」という趣旨の回答をしたという。

 しかし数日たっても連絡がなかったため、取調官は数回矢野の事務所に電話するが応答がないという状態が続いた。矢野からようやく連絡があったのは10月中旬である。千葉によれば、矢野は「まだ資料を探せない、伝票を見せてほしい」という。これに対して取調官が出頭を要請すると、「自分の一存では答えられないので検討してから回答する」と答えたという。

 伝票については東村山署がまとめたものをすでに取り調べの際に見せられており、矢野は自分たちが「日替わり」を注文さえできない状況にあったことを知ったはずである。それをもう1度確認したいというのだろうか。

 ただし東村山署が矢野に伝票を見せるには、矢野は東村山署に出頭しなければならない。当然だが、警察官が警察の資料を外部に持ち出し、それもアリバイ工作の容疑者に閲覧させるなどあり得ない。

 確認に行くにしても、自分なりの証拠(そんなものが存在すればの話だが)を確保した上で確認に行くのでなければ、「アリバイは嘘だったんですね」とダメを押されるだけである。矢野はそのことを承知した上で、「伝票を見せてほしい」といったのだろうか。

 ところが矢野は、自分で「見せてほしい」といっておきながら、取調官が出頭を要請すると「一存では答えられない」と事実上、出頭を断ったのである。これは奇妙な回答だった。

 なぜなら矢野は明代が書類送検された当時、「自分が明代のアリバイを証明できる」と公言しており、10月7日の取り調べの際には、矢野は最後に「明代の取り調べになぜ自分を呼ばなかったのか」と取調官を非難している。また明代の潔白を証明できるとすれば、それはやはり矢野以外にはいない。

 その矢野が、自らリストを見せてほしいといっておきながら、いざ出頭となるとなぜ「一存では答えられない」といって尻込みするのか。堂々と出頭し、明代の万引き犯の「濡れ衣」を晴らせばよかろう。たったそれだけのことを、誰に相談する必要があろうか。

 そう考えると、出頭を求められて尻込みした矢野の態度はやはりどう見ても、出頭すれば「日替わり」を食べられた可能性がないことを再確認するだけであること、すなわち自ら再び大恥をさらしに行くだけであることを矢野はよくわかっていたからだとみるべきではなかろうか。それ以外に、矢野がリストを見に出頭することを逡巡する理由は考えられない。矢野は明代の「汚名を晴らす」ことよりも自分のプライドを守ることの方が大事だったのだといわれても仕方があるまい。

最後の捨てぜりふ

 千葉によれば、「一存では答えられない」として出頭を拒んでから2週間たっても矢野からは何の連絡もなかった。この間、取調官は再三にわたって矢野に電話をするが応答がなかった。そこで10月下旬、取調官は矢野の留守番電話にこんなメッセージを残した。

「アリバイの証拠が用意できたと思いますが、事情聴取できる日時を連絡ください」

 と。千葉は取調官に、矢野は多忙でなかなかつかまらないかもしれないが、何度でも辛抱強く連絡を入れるように指示していた。しかし留守電のかいもなく、10月中に矢野からは何の連絡もなかった。「アリバイの証拠」が準備できればすぐに連絡があるはずだから、矢野と連絡が取れない状況が続くということは、「アリバイの証拠」も準備できていないということだったとみられる。

 千葉によれば、11月に入って取調官が矢野に電話すると、本人がやっと電話に出た。取調官は再度「アリバイ」の件で出頭を要請した。すると矢野は、「弁護士と相談させてください。その上で、こちらから連絡します」と応えたのである。今度は「伝票を見せてほしい」とはいわなかった。そういえば、出頭を断りにくくなることに気づいたのだろう。

 しかしその後、矢野から東村山署に連絡が来ることはなかった。取調官は留守電に「資料(「アリバイ」の証拠のこと)の準備ができたと思いますが、おいでください」とメッセージを残したが、矢野からは連絡がなかった。

 千葉によれば、それから約1カ月たったある日、取調官は東村山署に別の用事で来ている矢野を発見した。矢野から別の用事で行くと連絡があったわけではないから、気がついたのはまったくの偶然だった。矢野は何かの集会の申請のために東村山署に来たのだった。何度も電話連絡を受けているのだから、別件で行くなら行くと連絡ぐらいしてもよさそうだが、取調官に対して矢野からは事前に何の連絡もなかった。

 矢野の用事が済むのを見計らって、取調官は矢野に対し「びっくりドンキーのアリバイ」に関して事情聴取に応じるよう要請した。するとこれに対して矢野は、東村山署の広報内容を批判したり、アリバイが立証できないことについてさまざまな言い訳をしたあげく、最後には「頭にきているから行かない」「これから弁護士に会うからダメだ」などと捨てぜりふを残し、東村山署を出て行ったという。

 明代の「万引き犯の汚名を晴らす」と公言している者が、「頭にきている」などというきわめて個人的な理由で取り調べに応じないとはどう理解すればいいのか。これでは明代の名誉を守るのではなく、自分のプライドを守ろうとしているといわれても仕方がない。矢野が東村山署の何に対して「頭にきている」というのか定かではないが、東村山署が作成した注文・清算リストに矢野が「食べた」と主張した「日替わりランチ」が存在しなかったことと無関係ではあるまい。もちろんリストの中に「日替わりランチ」が存在しない事実は、矢野の主張するアリバイが虚偽であるということである。

 その後、矢野から東村山署に対して「アリバイ」に関する連絡はいっさいない。嘘をついているから、警察には近づきたくないということであるまいか。

 なお、「警察官による内部告発があった」などとして多くの仲間を矢野が発信した東村山デマに引きずり込み、相次いで損害賠償の支払いを命じられるという憂き目に遭わせた「行動する保守」Aは、「『びっくりドンキー』がリストを出さない」というだけで、いまだ明代の万引きがでっち上げられたものと固く信じているようである(平成26年8月31日に行った街宣)。主張が対立している場合には、たった1つの事実から軽はずみに結論を出すのではなく、より多くの角度から検証することが必要と思うが、この重鎮はそんな認識は持ち合わせていないらしかった。「伝聞の伝聞」にすぎない与太話を「内部告発」などと大騒ぎしたのもめったにみられない浅慮によるものである。しかしこの重鎮はどうやら、あの恥ずかしい失敗から何も学んでいないように思えてならない。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その1
 今では「在日特権を許さない会」(在特会)によるヘイトスピーチデモにも積極的に参加している「行動する保守」Aは平成20年から数年にわたり、「内部告発」という「伝聞の伝聞」にすぎない与太話をあたかも有力な新証言であるかのように主張し、東村山駅前などで「東村山女性市議謀殺事件の真相究明を求める」と称する街宣活動を繰り広げた。しかししょせんは「伝聞の伝聞」だから、「内部告発」についてなんらの立証もできなかった。東村山警察署元副署長、千葉英司から提訴された裁判でも立証活動はいっさいせず、平成23年4月20日、事実上の損害賠償金10万円をすみやかに支払い、和解というかたちの敗北を受け入れた。

 その「行動する保守」Aが、「真相究明活動」にいったいどんな進展があったというのか、朝木明代が万引きを苦に自殺を遂げた日の前日にあたる平成26年8月31日、西武新宿線東村山駅東口で再び「真相究明を求める」と称する街宣活動を行った。その街宣の内容だけをみると、なんらの進歩も反省も感じられない、きわめて雑なものに思えたというのが率直な感想である。

 ただし、私が「雑」と感じたからといって、すべての聴衆がそう感じたとは限らない。「行動する保守」Aの演説を初めて聞いた人にとってはまた別の感想があり得るだろう。それなりの説得力があるように聞こえた可能性もないとはいえない。そもそも東村山市議の矢野穂積が発信した「東村山デマ」も、元はといえばあり得ない話だったにもかかわらず、一時は一部のマスメディアさえ籠絡したのだった。

「行動する保守」Aがどんな理由から、「真相究明活動」を再開しようと思い立ったのかはわからないが、今回の街宣取材では、重鎮の雑な演説内容とは別に、いくつかの興味深い人間関係を見聞し、あるいはまさに「行動する保守」Aの演説内容すなわち矢野と朝木のデマを否定する新証言にも出合うことができた。

 それらを順を追って話そうと思うが、その前にまず、「行動する保守」Aが平成20年に「内部告発があった」などと大騒ぎして以後の足跡を簡単に振り返っておこうと思う。今回の街宣では、平成20年当時には参加していなかった新しい支援者が多かった。彼らにとっても、当時の「行動する保守」Aを知ることは、現在の「行動する保守」Aを理解する上できわめて意義深いものがあると思うからである。

「度肝を抜かれた」演説

「行動する保守」Aは平成20年7月29日、JR八王子駅前において、捜査機関が「万引きを苦にした自殺」と結論付けて捜査を終結した朝木明代の転落死について、あらためて「真相究明を求める」と称し、多くの支援者を集めて盛大な街宣活動を行った。「行動する保守」Aは自信ありげにこう述べた。

「私がなぜこの事件を取り上げてこのような訴えに立ち上がったのか。それは内部告発です」

「行動する保守」Aは「現職の警察官」から、

「この事件をこのままにしておくことはできない。これは自殺などではなく殺人事件であり、3人の犯人と思われる人物の特定もなされていました。しかるに、創価学会の信者とみられる検察官からの捜査打ち切りによって、真相は闇の中へと閉じ込められたのです」

 という話を聞いた、というのだった。この時点で「行動する保守」Aのいう「内部告発」は「伝聞」ではあるものの一応、その相手は事実を直接見聞した人物であることになっていた。「現職警察官が語った」というその話はそれだけでは証拠にはならないが、その「現職警察官」が「内部告発」の事実を裏付ける証拠を提出すれば、「内部告発」の内容は事実だったということになる。「行動する保守」Aが街宣で語った話が事実とすれば、少なくとも「行動する保守」Aが「内部告発」をしたという警察官を知っていることは間違いない。

「行動する保守」Aはよほど自信があったのだろう。翌日付のブログでこう誇示した。

〈このジャーナリスト(筆者注=宇留嶋のこと)や我々の街宣活動を遠くから監視する目的でやってきた創価学会関係者は、この後、度肝を抜く私の言葉を耳にすることになる。〉

〈これは単なる私怨によるものではありません。社会正義を賭けた戦いなのです。〉

 と。

「行動する保守」Aはこの私も「度肝を抜かれた」という。確かに、平成7年から継続して取材してきた者からすれば、それから13年もあとになって「内部告発者」が現れてこんな「内部告発」をし、いい歳をしてそれを真に受けた人物がおり、それだけでは飽き足らず白昼堂々、不特定多数に向かってその内容をハンドマイクを使って演説している、という事実に少なからず度肝を抜かれたのは事実だった。

矢野穂積、朝木直子と連携

 もちろん、「行動する保守」Aが「こんな内部告発を聞いた」と主張しただけで捜査機関が相手にするわけはない。その「警察官」自身が告発したとしても、具体的な証拠がなければ同じである。「私怨ではなく社会正義を賭けた戦い」とまで公言した以上、「行動する保守」Aは「内部告発」に基づいてより詳細な事実を明らかにし、確かな裏付けを用意しなければならないだろう。「内部告発」によって、少なくとも状況が変化することを期待しない支援者はいなかっただろう。

「行動する保守」Aが「真相究明」にあたって具体的にどんな道筋を思い描いていたかどうかはともかく、その後の平成20年8月24日、「行動する保守」Aが主催したシンポジウムに明代の遺族である朝木直子と同僚の矢野穂積とが参加したことで、ただでさえ「行動する保守」Aの言葉を信じてしまっていた仲間たちをさらに高揚させたようだった。平成20年9月1日に東村山駅東口で「行動する保守」Aが主催した「真相究明を求める」と称する街宣活動はこんな盛り上がりの中で行われた。

 街宣には「主権回復を目指す会」の西村修平、「政経調査会」の右翼M、その後ヘイトスピーチで有名になる「在日特権を許さない会」の桜井誠が名を連ね、矢野と朝木もわざわざ喪服姿で駆けつけたものだった。「行動する保守」Aにとって矢野・朝木と連携したことは、より「真相究明」を勢いづかせるとともに、自身としても「行動する保守」における重鎮として支援者の敬意をより高めることになったのではあるまいか。

 なおこの日、私が「行動する保守」Aに「『内部告発』をしたという警察官に直接会ったのか」と聞くと、「行動する保守」Aは「会った」と即座に答えた。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その2
「内部告発」を信じた右翼M

 平成20年9月1日に行われた東村山駅前における街宣活動で、「行動する保守」Aを除く主要な参加者(西村修平、右翼M、桜井誠)と支援者らの、「内部告発」や矢野、朝木が発信したデマに対する盲信と高揚ぶりは、千葉らが最も警戒していた事態を引き起こした。「行動する保守」Aや西村らの演説が一段落したとき、興奮した右翼らが万引き被害者の店に向かったのである。右翼らは被害者の店を取り囲むように結集し、ハンドマイクで犯罪者呼ばわりし、あるいは口々に罵声を浴びせた。

 誹謗中傷だけでなく行動によって憎悪をぶつけようとしたのは右翼Mである。右翼Mは店内に押し入ろうとしたのだった。店内で警戒していた元副署長の千葉英司が右翼Mの侵入を阻止したが、千葉がいなければ、右翼Mはそのまま店内に侵入し、万引き被害者に直接的な新たな被害が及んでいたことは間違いなかった。

 右翼Mはのちに、「行動する保守」Aのいう「内部告発」を信用したと述べている。すると店主に直接危害を加えようとした右翼Mの行為は、「行動する保守」Aの「内部告発」話に起因していたといってもいいのではあるまいか。「行動する保守」Aの街宣内容を裏付けもないまま鵜呑みにしたこと自体が軽率であり、不明そのものだが、いずれにしても当時、「真相を究明する」と称する街宣活動に参加した者はすべて「行動する保守」Aのいう「内部告発」を信じていた。

 ただ、「警察官による内部告発があった」と「度肝を抜く」新情報を公表した当の「行動する保守」Aはどうだったのか。

 東村山における街宣のあと、「千葉は『他殺』の事実を隠蔽した」などと主張した西村修平、右翼Mらが相次いで提訴され、裁判では「明代の転落死が『謀殺』で、千葉が事実を隠蔽したかどうか」が争われた。矢野と朝木は最初の西村の裁判ではすでに自分たちの裁判で「他殺」の証拠とは認められなかった書証を提供したものの、やはりこの裁判でもすべて排斥された。

 右翼Mが最後に頼りにしたのは「行動する保守」Aの「内部告発」だった。支援者も、重鎮はなぜ「内部告発」の裏付けを確保し、仲間を助けないのかと思っていたのではあるまいか。しかし、「行動する保守」Aが最初に「警察官による内部告発があった」と演説してから3年後、右翼Mがどうなったのかと直接尋ねると、「行動する保守」Aは「調査を継続している」と回答したという。

 右翼Mは法廷で意に沿わない判断をした裁判官を追いかけるという醜態をさらしたが、「行動する保守」Aが「内部告発」の裏付けを提出していれば、右翼Mもそこまで取り乱すこともなかったのではあるまいか。結局、「行動する保守」Aは「内部告発」そのものについても、またその具体的な証拠もなんら提供せず、西村に続いて右翼Mも敗訴の憂き目をみることになったのである。

「行動する保守」Aが右翼Mに対して「調査を継続している」と答えてから6年になろうとしているが、それについての回答はどこにも公表されないままである。これでは当時「行動する保守」Aが「内部告発」について調査をしていたのかどうかさえも知れたものではなかった。右翼Mは適当にあしらわれていたのではなかっただろうか。

 なお、平成26年9月15日現在、「内部告発」を信じた右翼Mは千葉に対して損害賠償金を1円も支払わないというアウトローぶりであり、西村修平は千葉と私に対する損害賠償金をいまだ支払い終えていない。

 ついでながら、西村の私に対する債務残高は5万円余になった。しかし最近は平成25年10月に3000円、平成26年2月に3000円と小刻みに支払われたきりで、その後は度重なる督促にもかかわらず、なんらの回答もない。「法律には従う」といっていたのだが、どうしたのだろうか。

すべて嘘だった「内部告発」

 さてその後、「行動する保守」A自身も千葉から提訴され、「内部告発」の事実について説明しなければならなくなった。すると「行動する保守」Aは平成23年4月7日に提出した陳述書で、問題の「内部告発」について次のように供述したのである。



(「内部告発」に関する「行動する保守」Aの供述)

〈私が朝木さんの事件で、あれは殺されたのではないですか?と聞いたところ、警察官は次のように話をしました。

「当時現場近くで怪しい3人が目撃をされており、捜査が進むものと思ったが、上の方(検察)がやる気をみせないのでそのままになってしまった。後でその検事が創価学会員だと分かったので、上の方に圧力がかかったのかも知れないと当時聞いた。」

 との話を伺いました。〉



「行動する保守」Aは当初、事実を直接見聞した警察官から聞いたと述べていた。ところが陳述書では、「行動する保守」Aが話を聞いたという警察官は直接見聞したのではなく、その警察官もまた誰かから聞いた話を「行動する保守」Aに話しただけだった。その警察官が誰から聞いたのかもわからないし、聞いた時期も事件直後ではなく、「後で」聞いたものであるという。「内部告発」といっても、これでは話の出所をたどることは不可能で、したがって裏付けを取ることなどできるはずがなかった。

 つまり「行動する保守」Aは、「内部告発」なるものが、誰が見聞した話か見当もつかない与太話のたぐいにすぎないにもかかわらず、事実を見聞した本人から聞いたものとして演説していた点で重大な嘘をついていたことが明らかだった。私に対しても「(『内部告発』をした警察官に直接)会った」と答えたが、これももちろん嘘だったのである。「行動する保守」Aは、「内部告発」が裏付けのない話であるのみならず、それを聞いたとする状況まで偽っていたことになる。

「行動する保守」Aはその結果、多くの仲間を相次いで損害賠償を支払わされる状況に追い込んだ。しかし、「内部告発」という大嘘をついていたことについて謝罪をしていない。

 その「行動する保守」Aが、「内部告発」なるものが与太話だったことを自白してから3年後の平成26年8月31日、再び東村山駅東口において、朝木明代の転落死について「真相究明を求める」とする街宣を行った。「行動する保守」Aは、自分が仲間を騙したことについてもうほとぼりが冷めたとでも考えたのだろうか。そうでもなければ、こんな街宣は普通では恥ずかしくてできるものではない。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その3
仲間も騙してきた「行動する保守」A

 平成26年8月31日、千葉と私は「行動する保守」Aが集合時刻として発表していた午後3時30分より少し前に東村山駅東口に行き、万引き被害者の店の周辺を一回り歩いた。まだ右翼Mが東村山に来ていたころには、街宣の前に被害者の店の周辺で不審な動きをする若者が目撃されていたからである。「行動する保守」Aやこれまで経過を知る者はともかく、本当に「朝木明代は殺されたのだ」と思い込まされている者の中から直情的な行動に出る者がいないともかぎらない。

 右翼Mが街宣を行った日に、明代の自殺現場近くに花束を置いていった者もいた。縁もゆかりもない者が、万引きをしておいて被害者にわびるどころか嫌がらせまでしていた人物の自殺現場に花を手向けるなど普通はしない。

 彼が「行動する保守」Aのいう「内部告発」や矢野・朝木のデマを盲信したとすればそれは浅慮のそしりは免れない。しかし逆からみれば、「行動する保守」Aは「内部告発」があったという確かな証拠が存在しないことを知りながら「あった」と主張した点において、一般市民だけでなく彼らの身内である支援者をも騙してきたということだった。

 この日も「行動する保守」Aが「内部告発」を否定せず、また「明代は謀殺された」とする主張について何も新しい根拠を示さなければ、同じ欺瞞を繰り返すことになる。「行動する保守」Aは東村山にやって来て、再び市民と支援者の両方を騙そうと考えていたのだろうか。

無愛想な重鎮

 集合時刻が近づいたころ、改札口につながる階段のあたりに数名の支援者とおぼしき人たちがたむろしていた。そのうち駅前のロータリーに車が停まり、主催者である「行動する保守」Aが降りてきた。「行動する保守」Aがロータリーの車道を横切り、駅前の歩道へと歩いていくと、そこにいた数名が会釈して迎えた。

「行動する保守」Aが到着してしばらくすると、支援者の数も10名を超えた。あとから気づいたことだが、その中にはかつてどこかの市議をしていて、平成20年以降の「朝木明代追悼集会」にも参加していた者もいた。矢野・朝木のデマをいまだ真に受けているらしい。

 予告されていた街宣開始時刻にはまだ間があった。私は確認しておきたいことがあったので、「行動する保守」Aに近づいて聞いた。

「今日は、矢野さんと朝木さんは来るんですか?」

 すると「行動する保守」Aは機嫌でも悪かったのか、無愛想にこう答えた。

「彼らには連絡していないよ」

 愛想はなくても、はっきり質問に答えたのはさすがである。しかしやはり、「東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明」と称する街宣を地元東村山で行うというのに、「真相究明活動」を行っている遺族や同僚に連絡もしないというのは、どう考えても不自然というほかない。

 私はついでに街宣の内容について、こう聞いた。

「今日もまた『伝聞の伝聞』の話ですか?」

「行動する保守」Aは今回の街宣について、「内部告発」ではなく、香川大学の教授が似たような話を「聞いた」と裁判所に提出した書類で供述しているからという、かなり頼りない根拠を述べていた。「伝聞の伝聞」という私の声は聞こえたと思うが、うまく質問の趣旨が伝わらなかったのか、はっきりした答えは返って来ず、「行動する保守」Aはめんどくさそうに私をこう追い払った。

「あんたには用がないんだよ」

「行動する保守」Aは矢野・朝木のデマに洗脳されたせいか、私に対する対応まで彼らによく似てきたように思えた。「伝聞の伝聞」であることはどこから見ても明らかだが、「行動する保守」Aとしてはそれを認めるわけにもいかなかったのだろう。

「用がない」といわれてしまった私は仕方なく私がその場を離れようとした。するとそのとき、周囲がやや緊迫した状況にあることに気がついた。いつの間にか10人近い支援者が私を取り囲むように、距離を縮めてきていたのである。支援者たちは重鎮を守ろうとしたものと思われた。

新しい人間関係

 これもまたあとで気づいたことだが、支援者が撮影していたと思われる動画がユーチューブにアップされており、その動画には、支援者とおぼしき1人の人物が誰かに電話をかけ、その電話を「行動する保守」Aに渡している様子が映っていた。電話の向こうの人物は、「行動する保守」Aが今回の街宣の口実にした「伝聞の伝聞」の主である大学教授のようだった。そのことは「行動する保守」A自身がブログに記載している。

 中身は少し違うようだが、この大学教授のいう話もまた「伝聞の伝聞」であることに違いはない。「行動する保守」Aが持ち上げる「伝聞の伝聞」とは「ビルの5階で脅していたら、間違えて落としてしまった」という趣旨のますますあり得ない、馬鹿げた話である。しかし「行動する保守」Aはそうは考えなかったらしい。

 電話を介して「行動する保守」Aを教授に紹介した人物がどこの誰なのかはわからないが、彼はこの教授が創価学会に対して新たな裁判を提起したことを知らせるビラを配っていた。私の知るかぎりでは、「行動する保守」Aの街宣でこの種のビラがまかれるのは初めてだった。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その4
かつての主張と矛盾する説明

「朝木明代を殺した犯人は確保されていた」という「内部告発」なるものが「伝聞の伝聞」の与太話だったことを自白した「行動する保守」Aが、再び「真相究明活動」と称して東村山で街宣を行うからには何か新しい材料がなければ恥ずかしいと思うが、この重鎮は今度はどんな材料を引っさげて再び東村山に乗り込んだのか――。「行動する保守」Aは早めに切り上げたいと思ったのか、開始時刻を午後4時と予告していたにもかかわらず、定刻より早めに街宣を開始した。

 街宣で「行動する保守」Aはまず、「創価学会という宗教団体が公明党という政党を持って政界に進出しているのは、明らかに憲法が定める政教分離の原則に違反している。しかも公明党が政権与党に入り、自民党を牛耳っているのは非常に危険な状態である」、「19年前、朝木明代さんが転落死した事件を含めて創価学会の問題についてしゃべらせてもらいたい」などと街宣の趣旨を述べた。

 続いてすぐに本論に入るかと思われたが、その前に「行動する保守」Aは不可解な釈明を行った。本心かどうかはわからないが、「行動する保守」Aは東村山で「真相究明活動」を行うにあたり、「真相究明活動」の本家本元である東村山市議の矢野穂積と朝木直子(現「東村山を良くする会」、元「草の根市民クラブ」)と何の連絡も取っておらず、単独で行うと打ち明けたのである。

 与えられた時間は限られているのに、わざわざスピーカーを通して釈明するような話でもなかろう。「行動する保守」Aは、なぜこんな街宣の中身とは関係のない話をわざわざしたのだろう。

「真相究明活動」の本家(すなわち東村山デマの発信元)は矢野と朝木以外にはいない。仮に「行動する保守」Aが朝木明代の万引きを苦にした自殺が「他殺」であると立証しようとすれば、矢野らの協力は不可欠のはずである。しかも地元東村山に来るにもかかわらず、かつては共闘していた彼らと今はもう連携しないというのはあまりに不自然だと誰もが感じるだろう。また普通に考えて、明代の自殺後長きにわたって「他殺」を主張していた矢野と朝木が、彼らの主張を代弁してくれる「行動する保守」Aの街宣に協力しない理由はないはずである。

 ところが「行動する保守」Aは街宣で、政治的考え方の違いから「真相究明活動」を矢野や朝木とはともにはしないという。「事実」を究明するのに政治的主張や立場は関係ないはずである。「行動する保守」A自身、平成20年8月24日付ブログ(この問題に関する最初の街宣である八王子街宣の翌日)に〈思想的立場の違いはあっても、社会正義を打ち立てるための戦いには、その壁などは克服されるべきであると考えているからです。〉と述べている。「草の根市民クラブ」の政治スタンスが「行動する保守」一行とは正反対であることを十分に意識した記載だが、その後「行動する保守」Aは矢野と朝木の「草の根」事務所を訪ね、「真相究明活動」への協力を取りつけ、同年8月下旬には矢野・朝木が出席してシンポジウムを開催するなど「政治的スタンス」の壁を超えて共闘関係を構築しているのである。

 それを今になって、「政治的スタンスが違う」という理由で共闘しないというのはまったく筋が通らない。するとやはり、「行動する保守」Aが矢野・朝木と連携しない本当の理由は「政治的スタンス」の問題などではないと理解するほかないということになろう。

信用できない釈明

 何があったのか。考えられるのは、矢野と朝木の方から共闘関係を解消したいといってきたということだろう。かつて自分の方から近づいた「行動する保守」Aが矢野との共闘を拒否する理由は考えられない。

 矢野は八王子街宣当時、「行動する保守」Aからあった協力の要請を断っている。矢野は本心では「行動する保守」などという右翼連中とは最初から付き合いたくなかったようにみえた。だから西村の裁判では仕方なく協力したものの、その後は彼らと一線を画したものと私は推測している。

 矢野が具体的にどんな理由で共闘を拒絶したのかはわからない。きわめて興味深いが、いずれにしても「政治的スタンスの違いから矢野・朝木とは連携しない」という「行動する保守」Aの釈明はとうてい信用できない。つまり「行動する保守」Aはその本当の理由を隠したかったのであると私は推測している。私の推測が正しければ、「行動する保守」Aにとって、矢野と連携しない本当の理由は、公表するには都合が悪いものだったということになろうか。

 つまり街宣の冒頭で「行動する保守」Aは、今回の街宣活動は矢野、朝木と連携しないものであることだけでなく、彼らと連携しない本当の理由は「行動する保守」Aにとって都合が悪いから公表できないものであることを最初に表明してしまったということになる。「行動する保守」Aが明代の転落死について本当に「真相を究明」する気があるのなら、何があったのかを正直に話してもよかったのではあるまいか。

デマでつながった腐れ縁
 
 では一方、「行動する保守」Aが勝手に東村山で朝木明代転落死の「真相を究明する」と称して街宣活動を行ったことについて矢野と朝木はどう思っていたのだろうか。翌日、東村山市議会の控室前ロビーにいると矢野、朝木と会ったので、私はこう聞いてみた。

「『行動する保守』Aの街宣に協力しないのですか?」

 しかし矢野も朝木も、一瞥をくれただけで質問にはいっさい答えず、足早に控室へと消えていった。なぜかはわからないが、「行動する保守」Aとの関係についてはあまり触れられたくないということらしかった。

 しかしいまさら「行動する保守」Aや右翼との関係を否定しようと、「行動する保守」Aが街宣でばらまいている「東村山デマ」の発信元は矢野と朝木であり、また右翼らが東村山に乗り込むきっかけを作ったのも矢野と朝木であるという事実を消すことはできない。彼らもまたそのことを忘れてはいまい。

 のちに聞いたところによると、偶然かどうか「行動する保守」Aの街宣が終了した直後、矢野が東村山駅東口から出てきたという。矢野と「行動する保守」Aのデマでつながった腐れ縁は簡単には切れないということである。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その5
見栄を張りたかった重鎮

「行動する保守」Aが行った朝木明代の転落死に関する街宣の内容については、いずれもすでに法廷で排斥された意図的なこじつけやデマを並べただけのもので、何も新しい材料はなかった(あるはずもあるまい)。したがってその主張は、一部の支援者は騙せたとしても、とうてい捜査機関から相手にしてもらえるような代物でないことは明らかだった。それどころか、「行動する保守」Aのデマは、これまでさんざん使い古されたデマを適当に改変してしまうほどの粗雑さだった。

 そんな雑な街宣の中で「行動する保守」Aがつまらないプライドとこだわりをみせたのが「内部告発」についてだった。「内部告発者と直接会った」などと嘘をついて支援者たちを騙し、煽動し、最後には相次いで損害賠償を支払わせるという惨状に追い込んだ上に、自分が提訴されるや「伝聞の伝聞」だったと自白してさっさと和解金を支払い、立証を放棄した無責任極まる前歴をもう忘れたかのようだった。並みの神経ではない。「この街宣に集まった支援者のほとんどは当時を知らないからいい」ということなのだろうか。

「行動する保守」Aは「内部告発」についてあらためてこう述べた。

「『内部告発』は現職の警察官からのもので、世論の盛り上がりがなければ証言ができないと間接的に聞いた。この証言を引き出せなかったのはわれわれの敗北です」(趣旨)

「行動する保守」Aは簡単に「間接的に聞いた」と述べるが、「ジャーナリスト」でもあるこの重鎮が「間接的に聞いた」ということの意味はわかっているだろう。「伝聞の伝聞」ということで、通常は評価の対象にさえなり得ない。

 つまり「行動する保守」Aがここでいう「証言を引き出せなかった」というのは嘘で、「伝聞の伝聞」だから情報の出所にもたどり着けないということにすぎない。「行動する保守」Aは支援者に対してよほど見栄を張りたかったのだろう。言い換えれば、重鎮は「内部告発」が「伝聞の伝聞」にすぎなかったと批判されたことで著しくプライドを傷つけられたのかもしれない。

「内部告発」へのこだわり

「われわれの敗北です」という文言だけ聞けば、重鎮もさすがに潔いと思われるかもしれない。しかし私には、「行動する保守」Aの表情からも口調からも、特に支援者に向かって謝っているようにはみえなかった。どうもその演説のニュアンスでは、「証言を引き出せなかった」ことは敗北だが、「証言を引き出せ」ていれば真相究明ができた、そういっているように聞こえたのである。つまり「行動する保守」Aは、今も「内部告発」それ自体を否定しているのではないと。

 一見詫びたようにみせた上で「行動する保守」Aが紹介したのが、香川大学の教授が創価学会を訴えている裁判で提出した陳述書の内容だった。この教授は創価学会幹部から「暴力団員が朝木明代をビルの上で脅していたところ、誤って転落させてしまったといって駆け込んできたと、別の創価学会幹部から聞いた」という話を聞いた(趣旨)と、陳述書に記載していた。誰が立証できるのか見当もつかないが、いずれにしてもこれも「伝聞の伝聞」であることに違いはない。

 しかしこれは、「行動する保守」Aが「聞いた話」として聞いたという「内部告発」という与太話と似た話である。香川大学教授が聞いたという話の内容が事実なら、その暴力団員が目撃されていた可能性もないとはいえない。つまり香川大学教授が述べた「伝聞の伝聞」は、自分が聞いた「内部告発」の再評価につながる話と「行動する保守」Aが考えたとしても不思議はない。私には、「行動する保守」Aはこの大学教授の「伝聞の伝聞」話を紹介することで、「内部告発」の内容自体には真実性があるのだとあらためて主張しているように思えた。

「行動する保守」Aは、創価学会はこの大学教授との裁判において上記陳述書の内容に対して沈黙しているのは「触れたくないからだ」とも述べた。つまり「行動する保守」Aは、少なくともこの大学教授の「伝聞の伝聞」の内容は事実であるとの心証を持っているということと理解できた。

 いずれにしても、「行動する保守」Aにとって大学教授が「伝聞の伝聞」を公表したことはかつて「証言を引っ張りだせなかった」「内部告発」の事実に迫る絶好の機会である。街宣前には、当の大学教授とも挨拶を交わすこともできた。今後も「行動する保守」Aは再び「朝木明代謀殺事件の真相究明活動」を継続するというから、今度こそまともな立証活動を期待したいと思う。

「行動する保守」Aに提案

 実は「行動する保守」Aが「真相究明」を進めるにあたってきわめて参考になるものがある。「行動する保守」Aも知っていると思うが、この大学教授の陳述書の内容についてはすでに千葉が問い合わせたことがある。その内容は以下のようなものだった。



(千葉の教授に対する質問項目)

①伝聞内容は、「行動する保守」Aのいう「内部告発」(警察は、朝木市議殺害犯を特定したが創価学会員の検事が握り潰した)及び朝木直子の「明代は創価学会に殺された」とする発言と関連しているのか。

②法律学者である貴殿は、この「伝聞の伝聞」である事実を公表するにあたり、十分な検証をしたはずだから、その検証結果を具体的に明示されたい。

③貴殿が聞いたとする創価学会幹部は、陳述書の内容を公表することを承諾したのか。

④この重大な「伝聞の伝聞」を9年間も告発も公表もせずに放置していた理由は何か。



 ――以上の4項目である。千葉の質問内容は「真相を究明」する上で端的かつ重要なものである。しかし、これに対して教授は、千葉が「無職(元東村山事件初期捜査指揮官)」という肩書で質問を送付したことが「不可解である」などとして、具体的な回答をいっさいしなかった。

 そこで私は「行動する保守」Aに1つ提案したいと思う。「行動する保守」Aはすでに電話で挨拶を交わしているほどだから、よもや教授から肩書が問題にされることはあるまい。「行動する保守」Aは「真相究明活動」を進めるというのだから、ぜひとも千葉の質問内容を参考に教授から話を聞いてもらいたいと思うのである。

 なお余談だが、街宣から2日後の平成26年9月2日、「行動する保守」Aの弟子が、この街宣の際に千葉と私がストーカー行為を働いた旨の記事をブログに掲載した。このため千葉と私は同9月17日、東京地裁立川支部に提訴した。

(つづく)
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