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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その6
被害者を踏みにじる右翼

 万引きを苦に自殺した朝木明代の転落死を(創価学会による)「他殺」「謀殺」とする「東村山デマ」宣伝においては、表裏の関係として「明代の万引き事件は『捏造』『でっち上げ』だ」という主張が常になされてきた。この主張は明代の自殺の動機とみられる万引きの事実をたんに否定するものではない。「捏造」「でっち上げ」と主張することは万引き被害者を逆に加害者と決めつけることであり、万引き犯明代に現実に立ち向かい、さらに明代と矢野穂積による嫌がらせにも耐えてきた被害者の心情を踏みにじるものである。

 東村山市議の矢野と明代によって繰り返された被害者に対する嫌がらせは当初、被害届を取り下げさせるための威迫行為だった。しかし明代が自殺した今なお、万引きが「捏造」であると主張することは、逆恨みによるお礼参りであり報復にほかならない。それが主張だけに止まらず現実的な行為となって表れたのが平成20年9月1日に発生した「洋品店襲撃事件」である。

 その1週間前の同年8月24日、矢野と朝木は「行動する保守」Aらを前に、万引き事件が明代を陥れるために仕組まれた事件であると主張している。矢野にすっかり洗脳された「行動する保守」らは「行動する保守」Aが主催した街宣でさらに「首謀者を糾弾すべきだ」とする妄念を膨らませ、ついに洋品店に押しかけた。彼らはハンドマイクなどで口々に「万引き捏造を許さないぞ」などと洋品店を誹謗中傷し、威迫する言葉をを浴びせたのである。

 明代の万引き現場を目撃した店主がそれを見とがめて被害届を提出したことになんらの落ち度もなく、「捏造」呼ばわりすることこそ店主に対する誹謗中傷であり、名誉を毀損するものである。現実に、矢野は店主を誹謗したことで100万円の損害賠償を支払わされている。だから矢野は、被害者に対して「捏造」呼ばわりすることはできない。

 つまり「行動する保守」らは、直接誹謗できない矢野に代わって洋品店を襲撃したということだった。洋品店を襲撃した者の中に「行動する保守」Aはいなかったが、矢野、朝木とともに「内部告発」という与太話によって仲間(「行動する保守」Aの弟子を含む)を被害者の襲撃に駆り立てた責任は免れない。

右翼を利用した矢野

 確かな根拠もなく被害者を「万引き捏造」呼ばわりすることは許されない。襲撃に参加した連中は、いわば「鉄砲玉」みたいなものだった。彼らが法的責任を問われる可能性は十分にあったのである。それでも矢野は襲撃事件を擁護し、さらに「行動する保守」らに向かって「『真相究明』のためには弱いところ(すなわち警察や検察ではなく、一市民である洋品店)を責めるのが効果的」などと述べ、洋品店に対して電話をかけろなどとそそのかした。矢野は自分の手を汚さずに被害者に対する怨念を晴らそうとしていたのである。

 その集会のあと、洋品店には実際に何度も嫌がらせ電話がかかった。矢野の主張が真実と信じた者がいたということだった。この行為が、その悪質さの度合いによっては業務妨害に問われてもおかしくない行為であることはいうまでもない。

卑劣な嫌がらせ街宣

 襲撃事件の翌年に千葉に対する私怨を募らせた右翼Mが再び洋品店に行った(このときにも警戒していた千葉から追い払われた)以外には、「行動する保守」関係者が洋品店にまで行ったことはない。しかし支援者らを煽動した「行動する保守」Aもまた洋品店になんらかのこだわりを持っていたようである。襲撃事件からほどなくして開かれた「追悼集会」の日、「行動する保守」Aは洋品店に行こうとしていたようだった。

 その際にはたまたま出会った私が説得し、未練たっぷりではあったが「行動する保守」Aは洋品店の方向には行かず、おとなしく東村山を去った。その日は千葉もおり、公安警察官も周辺で見張っていたこともあったのかもしれない。

 しかし「行動する保守」Aのその後の行動をみると、やはりこの重鎮には事実を理解しようとする姿勢は毛ほどもないのだということがよくわかった。むしろ平成26年9月28日、車でわざわざ洋品店の前を通りながら「朝木明代は殺された」とする街宣活動を行ったことからみると、「行動する保守」Aは襲撃事件についてもなんら反省の意思を持っていないばかりか、いまだに洋品店に対してなんらかの執着を持っていることを感じさせた。

 洋品店前の通りは片方しか歩道のない裏通りで、宣伝効果が高いとは思えない。ほかにも効果的なコースがいくらでもあろう。にもかかわらず、「行動する保守」Aはなぜわざわざ洋品店前の裏通りを街宣コースに選んだのか。

 洋品店の前で「朝木明代は殺された」と宣伝すれば、万引き被害者にとってはそれだけで十分ないやがらせとなる。「行動する保守」Aはそのことを十分に意識した上で、洋品店前の裏通りをわざわざコースに選んだのだろう。ブログで洋品店が映った画像を貼りつけていることからも「行動する保守」Aの低劣な意図をうかがうことができる。

 この卑怯者は、洋品店の画像を表示することで間接的に洋品店が「万引き事件を捏造した」と主張しようしたのだろう。あるいは襲撃事件でこっぴどく批判されたことに対するささやかな仕返しのつもりだろうか。いずれにしても、なんら確かな根拠を示せないにもかかわらず、ただ思い込みだけで騒ぎ立てる「行動する保守」Aの愚劣ぶりは、しょせん襲撃事件に参加した者たちと同レベルということである。

 余談だが、千葉と私が「行動する保守」Aの弟子を提訴した裁判の第1回口頭弁論期日が平成26年11月12日午後2時からと決まった。法廷は東京地裁立川支部408号である。裁判の詳細については稿を改めようと思う。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その7
取り付く島もない重鎮

 平成26年9月28日、私は午後3時30分ごろ、立川駅に着いた。北口デッキを見渡すと、「行動する保守」Aの一行はまだ集まってはいないようだった。

「行動する保守」Aが万引き被害者の店の前を嫌がらせ街宣したのは午後3時だった。東村山駅前ロータリーで南へ方向を変え、すぐさま立川に向かっても、最低でも30分はかかる。「行動する保守」Aはもう東村山での街宣を切り上げて立川に向かうのだとわかった。すると「行動する保守」Aは東村山で街宣するといいながら、わずかに洋品店周辺を流しただけだったということになろうか。嫌がらせであり、被害者の店をインターネット上にさらすことが目的だったといわれても仕方があるまい。

「行動する保守」Aは3時40分ごろ、立川駅北口デッキに上がってきた。支援者らはめいめいデッキのベンチに座って重鎮の到着を待っていたらしい。「行動する保守」Aがデッキの階段を上がってくると、4、5名の支援者が重鎮の回りに集まった。

 街宣開始予定時刻にはまだ間があった。私は「行動する保守」Aに質問したいことがあったので、重鎮に近づき挨拶した。すると重鎮は私を一瞥するなり、なにかいやな顔をして、「あんたはいいから、用がないから」としきりに手で追い払った。質問さえ聞く耳を持たないのではどうしようもない。「取り付く島もない」とはこのことだった。

「行動する保守」Aが今回の街宣を再開するにあたり矢野に協力を要請しなかったことはあるまい。矢野が東村山における街宣に姿を見せなかったということは、「行動する保守」Aへの協力を拒否したということである。東村山で街宣活動を行うにもかかわらず「行動する保守」Aが矢野、朝木と連携しない理由をわざわざ説明したのは、朝木明代の「転落死の真相を究明する」ことが目的といいながら矢野が協力しない不自然さをごまかすためのように思えた。

 ただ、矢野が「行動する保守」Aの要請を断ったにせよ、具体的にどんな言い方をしたのか。私は「行動する保守」Aに聞きたかったのだが、私とは口もききたくないというふうなのだった。

教授の陳述書をも否定?

 午後4時少し前に始まった立川駅前での街宣で最初にマイクを握る重責を担ったのは「行動する保守」Aの弟子である。弟子はまずこう訴えかけた。

〈今から19年前の平成7年9月1日に東村山市で発生した市議会議員朝木明代さんの不審な死亡事件の究明と、創価学会・公明党問題について皆様に訴えさせていただきたいと思います。〉

 ここまでは導入部分でまだ問題は生じていない。しかし具体的な話になると弟子は重鎮と同様に、自分では何も調査もせず、考えてもいない実態をたちまち露にした。弟子は明代の自殺についてこう説明した。

〈時間帯は夜、駅前のビルから、当時東村山市議会議員であった明代、朝木明代さんがビルの4階から転落して死亡するという事件がありました。〉

 時間帯が「夜」とは師匠譲りの粗雑さだが、まだ間違いとまではいえない。ところが事実関係を雑にではなく詳細に述べようとしたとたんにボロを出してしまう。明代が転落したのはビルの「4階」ではなく「5階と6階の間」である。手すりには外側からつかまる形で指の跡が残っていた。

 捜査機関の結論に反する主張をしようとする者が、客観的に明らかになっている事実、争いのない事実をいきなり間違えてはいけない。こんなことでは、日曜日にわざわざ集まってくれた支援者に対しても申し訳がないのではあるまいか。

 その後、弟子は警察の捜査にも「まれな確率であれ間違いが発生する」などと、「万引きを苦にした自殺」という結論を覆すには何の意味も持たない一般論を挟むと、「行動する保守」Aが1カ月前に東村山駅前での街宣で持ち上げた香川大学教授の「陳述書」の話を持ち出した。

 香川大学教授の「陳述書」の内容とは、「創価学会が雇った暴力団員が朝木明代をビルまで拉致し、脅かそうとしていたら、誤って落としてしまった」というものである。常識ではとうてい信じがたい話だが、この弟子は「捜査機関にも間違いがある」のだから、この「陳述書」の内容を重視すべきだと主張したいらしい。

 ただ弟子は、明代はビルの「4階」から転落したと述べているから、「暴力団に脅されていた明代」も「4階」から転落したということになるのだろう。警察の捜査では「5階と6階の間」の階段の手すりに外側からつかまった手の指の跡が残っており、明代はその場所から転落したと警察は判断している。

「5階と6階の間」の手すりに外側からつかまった人間は明代以外には想定できない。ところが弟子の主張によれば、「5階と6階の間」から転落したという警察の判断も「間違い」だということになるのだろうか。

 なお念のためにいっておくと、弟子が持ち上げた香川大学教授の陳述書では〈暴力団員2名が、朝木議員の体をビルの6階の外側に抱え上げて……脅していた〉となっている。したがって、「4階」から転落したという弟子の主張は教授の陳述書の内容をも否定している。

「行動する保守」Aの弟子のことだから、そこまでは考えていなかったのかもしれない。しかし、弟子の話を総合するとこんな無茶苦茶な話になってしまう。支援者を含めて、あまり人をナメてはいけない。 

再び万引き被害者を侮辱

 この日、「行動する保守」Aは立川に来る前、あえて被害者の店の前を「朝木明代は殺された」と街宣しながら車を走らせた。襲撃しただけでは飽き足らず、この卑怯者はなおも一般市民に対して精神的威圧を加えようとしているのだった。

 この師弟は、千葉を個人攻撃すれば逆に痛い目にあうことをすでに学んだ。だから今回「東村山デマ」を再開するにあたり、師弟は矢野がそそのかした「弱いところ」を攻めようと打ち合わせていたのかもしれない。

 弟子は朝木の万引き事件が冤罪である可能性を匂わせた上でこう続けた。

〈ましてね、朝木さんは万引き事件があったとされる時刻には別の場所で、たぶん政治関係者の人と食事を……していたと、こういった証拠もちゃんと出ているわけです。したがってね、この万引き事件というのも、朝木さんの……転落死を自殺とみせかける……ために仕組まれた冤罪だったんではないかというふうに思います。〉

「行動する保守」Aは東村山で「明代はドンキホーテのレシートを出せなかったために書類送検された」と(「ドンキホーテ」は別にして)経過についてはほぼ事実を述べている。「証拠もちゃんと出ている」という弟子の説明は虚偽であり、師匠の説明にも反する。これでは支援者も困ろうが、そんなことはたいして気にかけないのかもしれない。

 さて弟子は、自分も気づかないうちに重鎮の主張に背いたが、被害者に対する思い込みの下劣さにおいてはみごとに一致していた。弟子は続けて次のように主張した。

〈おそらくブティックそして警察関係者、そして朝木さんが事件を目撃したとされる証言者、そういった者がグルになって、まさにカルト教団にみられる集団ストーカー行為のごとく、朝木さんを陥れたんじゃないかなというふうに私たちは追及しております。〉

 弟子は「万引き被害者が警察関係者らとグルになって明代を陥れた」と主張していた。「行動する保守」Aは弟子がこう主張する動画とともに、自分が被害者の店の前を街宣する動画を同じブログに掲載した。つまり「行動する保守」Aは「これが万引き事件を捏造した店だ」と全国に向けて発信したのである。もともと東村山市議、矢野穂積がそそのかしたこととはいえ、どこまでも卑劣な右翼という以外に彼らに対する論評の言葉はみつからない。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その8
右翼と連携しなかった矢野

 平成26年8月31日に行われた東村山駅前街宣とこの日「行動する保守」Aが車で行った東村山街宣、立川での弟子の街宣までをみるかぎり、それが重要な狙いかどうかはともかく、この師弟が再開した「東村山デマ」街宣で矢野のいう「弱いところ」、すなわち万引き被害者に攻撃の矛先を向けようとしていることは明らかである。もともと被害者に嫌がらせをするようそそのかした矢野にとって、「行動する保守」Aから街宣の協力を求められれば、その時点で当然、この街宣が被害者に対する攻撃も含まれることが予測できよう。実際に「行動する保守」Aは、明代の万引きを否定するために被害者が「万引きを捏造した」と主張している。

 しかし、いまや矢野と朝木直子は「万引き議員・朝木明代」「選挙制度を否定する議席譲渡事件を引き起こした市民の敵」という他の追随を許さない汚名がついて回る「草の根市民クラブ」の名を捨て、すべてを闇に葬ろうとしているようにみえる。彼らはもうあの忌まわしい「『草の根』の矢野穂積と朝木直子」ではなくなり、「東村山を良くする会」(代表・奥谷浩一)という(一見したところ普通にみえる)会派の一員となった。

 来年(平成27年)春には市議選が控える。そんな時期に、在特会のヘイトスピーチにも加担する右翼と連携した上、万引き被害者を威迫するなどマイナスにしかならない。だから矢野が、本来なら共闘関係にあるはずの「行動する保守」Aへの協力を断ったとしてもなんら不思議はない。

名前を出さない不思議

 ただ矢野は、たんに「行動する保守」Aと連携しなかっただけだろうか。「行動する保守」Aが東村山で行った街宣を聞いた当初、「思想信条が異なるため、この街宣は『草の根』の人たちとは連携しないで独自に行います」という説明を、矢野と連携しないことの不自然さを糊塗しようとする言い訳と私は受け取った。しかしその見方は誤りだったかもしれない――立川での弟子の街宣を聞いて、私はそう思い直した。

 弟子は街宣の間じゅう矢野と朝木直子の名前をいっさい出さず、万引き事件のアリバイ主張に関連する箇所でさえ矢野の実名を出さず、「政治関係者の人」(筆者注=「その7」)と表現した。弟子はなぜ矢野を実名で呼ばず、初めて聞いた第三者がアリバイ主張の関係者として特定できないような表現を使ったのだろうか。

 矢野は明代の「アリバイを証明できる」といってきたのだから、「明代といっしょに食事をしていたとしている東村山市議の矢野市議」と明言すればよかろう。弟子はなぜわざわざ「政治関係者の人」などと矢野の名前を伏せたのか。

「行動する保守」Aが東村山で行った街宣では、矢野の名前は明代の転落死当時の同僚として1度だけ「同僚の矢野さん」というかたちで出た。また朝木の名前も、冒頭で1度「朝木明代さんの娘さんである朝木直子さん」として出された。しかし30分以上に及んだ街宣の中で「行動する保守」Aが彼らの名前を出したのはこれだけで、いずれも「万引きを苦にした自殺」を否定する中心的人物として出されたものではなかった。

「行動する保守」Aの街宣の中で矢野らの名前が出てもなんら不思議はない箇所はいくつもあった。しかし「行動する保守」Aは、それ以外の部分では矢野と朝木を「この方たち」「仲間の人たち」「『草の根』の方」「朝木さんの娘さん」「彼らとか彼女ら」「彼女たち」といい、決して名前を出さないのである。なぜかはわからないが、「行動する保守」Aは矢野と朝木の実名を出すことについてかなり気を遣っている様子がうかがえた。

「行動する保守」Aとその弟子がそろって、事件との重要な関連において矢野と朝木の名前を出さないというのは偶然ではあるまい。朝木明代の「転落死の真相究明」活動を行うのに、明代の事情を最も知るはずの矢野と朝木直子の名前が出ないというのは、普通では考えられない。「行動する保守」Aらはなぜ矢野と朝木の名前を出さないのだろう。

「行動する保守」Aは、矢野から街宣で名前を出さないでほしいといわれたのだろうか。そう思えるほど、「行動する保守」Aとその弟子は、「矢野穂積」と「朝木直子」の名前を出すことについて慎重だったようにみえた。

「無関係」を繰り返した重鎮

 ちなみに東村山での街宣の際、「行動する保守」Aは矢野・朝木と無関係であることを表明するのに5分程度を費やした。そのこと自体不自然だが、あらためてその部分を聞き直すと、「行動する保守」Aが表現を変えながら「無関係」であることを何度も繰り返していることに違和感を覚えた。



①現在私は、朝木明代さんの属していた「草の根」、あるいは朝木明代さんの娘さんである朝木直子さん、この方たちとですね、現在、まったく連絡を取っておりません。

②当初はですねえ、……ともにわれわれは運動を……展開したわけですけれども、現在はですねえ、……われわれ独自のですねえ……活動を展開しております。

③今から4年ほど前から、その朝木さんとはですねえ、いっしょにやることをやめました。

④今回の活動については、朝木明代さん、まあ仲間の人たちとはまったく関係のない立場でこの活動を展開していきます。

⑤だから私は朝木さんとも「草の根」の方ともですねえ、朝木さんの娘さんともですね、何の連絡もとっていません。

⑥彼らとは彼女らはわれわれのこの活動とは何の関係もないということをまずは明らかにした上で……

⑦これからも東村山市においてですねえ、……街宣活動を通して訴えていきますけども、これはまったくね、彼女たちとは関係のない活動であることを……。



 普通なら1回いえばわかる。ところが「行動する保守」Aはわずか5分程度の間にこれだけ表現を変えながら「無関係」と繰り返した。「無関係」であることを説明するにも、実にいろんな言い方があるものだと思うが、それにしてもあまりに念入りである。重鎮はどうしてそこまで「無関係」を繰り返す必要があったのだろうか。

(つづく)
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右翼が再開した「東村山デマ」街宣  その9
満を持して登場

「行動する保守」Aは弟子と若手による街宣のあと、満を持して登場した。そのころ、足を止めて聞く聴衆の数は街宣が始まった当初よりもだいぶ増えていた。

「行動する保守」Aは冒頭、創価学会が「ヨーロッパでカルト指定を受けている」として創価学会がカルト宗教であると断定し、朝木明代について「公明党・創価学会を厳しく追及していた」と紹介。その上で、明代の転落死について次のように紹介した。

「この方は19年前に東村山市の駅前から転落死しました。そのことについてはこれまで『創価学会によって殺されたのではないか』とかテレビでも報道されましたけれども、確かな証拠はなくてですね……」

「創価学会が関与したかのような報道」があったことは事実だが、捜査機関は「万引きを苦にした自殺」と結論付けているのであって、それどころか捜査の過程で創価学会の関与が疑われるような要素はなんら出てこなかった。これが上記の「確かな証拠はなく」という発言の本来の意味である。

 ところが「行動する保守」Aは卑劣漢らしく、捜査機関の捜査結果についてはいっさい触れず、「創価学会が関与したかのような報道」があった事実と「確かな証拠はなく」という事実を直接つなげただけで、報道内容を否定しなかった。「創価学会によって殺されたのではないか」という言葉のイメージを印象付けようという狙いであることは明白である。「行動する保守」Aが冒頭で「創価学会はカルト宗教だ」と断定している点からしても、このくだりはむしろ逆説的に「創価学会が関与した証拠は発見されてはいないが、どこかにその証拠は必ず存在する」と主張しているように聞こえよう。

踏み込んだ重鎮

 聴衆にそう印象付けておいて「行動する保守」Aはこう続けた。

「だが現在、驚くべき裁判が行われております」

 と。「だが」とは、「確かな証拠はなく」という前言を否定し、「証拠の発見」を期待させるものである。具体的には何か。それが東村山街宣でも述べた、「香川大学教授が『創価学会が雇った暴力団員が朝木明代をビルまで拉致し、脅かそうとしていたら、誤って落としてしまった』という話を聞いた」という話だった。

 ここまでは通常ではにわかに信じられないような話である上に、「行動する保守」Aのこれまでの街宣ではその出所もわからない代物で、「行動する保守」Aの「内部告発」同様の与太話のたぐいとみられた。ところが「行動する保守」Aは、「出所不明の与太話」という論評がよほどいやだったのか、香川大学教授の伝聞の出所をついに明らかにしたのである。

 香川大学教授はその「出所」から直接聞いたのではなく「創価学会幹部」から聞いたことになっており、教授の話が「伝聞の伝聞」であることに違いはない(すると、「行動する保守」Aの話は「伝聞の伝聞の伝聞」ということになる)。しかし、「伝聞の伝聞」の「出所」が明らかになったとなれば、法廷では通用しないものの、「伝聞の伝聞」だからといって軽視することはできない。「行動する保守」Aは香川大学教授の「伝聞の伝聞」の出所について次のように述べた。

〈「朝木議員のことは、自殺として処理するから、ほとぼりが冷めるまで身を隠せ」と、そういうふうに暴力団に命じた、と。そしてその暴力団に命じたその男の名前はですねえ、創価学会の○○(筆者注=部署と実名)氏である、こういうふうにはっきりとですねえ、……証言として……これを提出した。〉

 力を込めてこう明らかにしたあと、さらに「行動する保守」Aは「暴力団に指示をした」この幹部は「今もまだ創価学会本部で職員として働いている」と述べたのである。

 あたかも明代の転落死に関して、これまで秘匿されてきた新事実が明らかになったかのようだった。ただ、仮にこの「幹部」が公の場に出てきて同じ証言をしたとしても「伝聞」であることに変わりはなく、証拠能力は乏しいと判断されよう。その証言に出てくるはずの「暴力団」が確認可能な人物なら事実の検証も可能でないとはいえまい。しかしその「暴力団」の「証言」が取れたとしても、さらにその内容が事実であるという証拠が必要となろう。

 香川大学教授の「伝聞の伝聞」から事実をたどるにはかなりの困難な過程を要する。この教授にしても法学部の教授だから、それぐらいのことは承知していよう。教授が裁判所に提出した陳述書にそう書かれていたからといって、それがただちに新事実だと断定するには相当気が早いのである。つまりここまでの「行動する保守」Aのはしゃぎっぷりは、「真相究明」にはほど遠いという意味であの有名な「内部告発」のときとなんら変わりがないことになる。

「内部告発」の際には結局いつまでたっても「真相」を明らかにしなかったことで「行動する保守」内部からさえ顰蹙を買い、ついには情報の出所にたどり着けない「伝聞の伝聞」だったことを自白するに至り、「行動する保守」Aは多くの支援者を落胆させた。「行動する保守」Aには教授の「証言」によって失われた信頼を取り戻したい思いもあるのだろう。「内部告発」の内容とは共通点がないこともなく、教授の「証言」が真実と証明されれば、「内部告発」の内容もあながち嘘ではなかったということになり、それを信じた重鎮の判断も、軽薄どころか「さすがに見る目があった」と讃えられる可能性だってないとはいえない。

素っ気ない対応

 そのためには、その「創価学会職員」に公の場で証言してもらう必要があろう。いきなり当事者は無理としても、順序として香川大学教授に街宣に参加してもらい、あらためて証言してもらうという手もあろう。

 その際には少なくとも、千葉が質問した項目のうち、「証言の裏付けを取ったかどうか」「9年間も公表しなかった理由は何なのか」も明らかにしていただきたいものである。もちろんその点については、人間関係を結んでいる「行動する保守」Aから聞いてもらってもいいだろう。

 いずれにしても街宣でここまで主張した以上、「やっぱり最終的な当事者(=すなわち暴力団)には会えませんでした。したがって今回も『真相究明』はできませんでした」ではすまない。国会に席を置くジャーナリストでもある「行動する保守」Aがいかにして「真相」に迫るのか。

 街宣が終わり、支援者たちとの挨拶が一段落着いたのを見計らって、私は「行動する保守」Aに聞いた。

「当事者の名前が具体的に出たということは、今後は○○さん(「行動する保守」Aが名指しした「創価学会職員の名」)を引っ張り出して証言してもらうということですね」

 すると「行動する保守」Aは面倒くさそうに私の方に顔を向けたが、やはり何も答えず、手で「シッ、シッ」と私を追い払った。「内部告発」の際には「内部告発者に直接会ったのか」という私の質問に対し、ハッタリだったとはいえ、「行動する保守」Aは自信満々の様子で「会ったよ」と即答したものだった。

 それに対して今回は、「行動する保守」Aは私に対して「当然だな」とはいわず、自信ありげな素振りもみせなかった。

 支援者たちが重鎮の対応をどうみたかはわからない。しかし私の脳裏にはこんな疑念がよぎった――。

「もしかしたら『行動する保守』Aは、当事者を引っ張り出す自信がないのだろうか」

(つづく)
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