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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「議席取り戻し」事件 第8回
抗議内容をビラでも宣伝

 東村山市議会は平成9年10月1日付で「市議会だより」臨時号を発行し、議席譲渡事件について最高裁が「議席譲渡は無効」とする判決を言い渡したこと、および市議会としてこの判決を支持する決議を行ったことを市民に伝えた。その2日後の10月3日、市選管は同年9月2日に行った決定(「当選者を定めることができない」)に対して矢野らが提出した異議申出を棄却した。

 一方、矢野らの支持者は「市議会だより」に対して同年10月6日付で議長と市長宛に抗議の文書を提出したが、追い打ちをかけるように矢野と朝木は政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』第88号(平成9年10月15日付)を発行し、選挙会が朝木の市議資格を認めず、議会もそれに同調しているとして重ねて非難している。

 議長や市長に対する再三にわたる抗議や申し入れは直接市民の目に触れることはない。だから矢野らは市内にビラを配布することで、最高裁判決に対する彼らの主張を市民に訴えようとしていたことがわかる。

 しかし彼らが特異なのは、彼らにとって不都合な事実をなかったことにしようとしているフシがうかがえたことである。それが嘘であっても、繰り返し主張されれば、詳細な事情を知らない市民は「そうだったのか」と思い込んでしまうこともあろうし、たまたまその記事だけを目にしてそれを信用してしまう場合もあり得る。

 矢野が事実をすり替えようと意識していたのか、彼らの思い込みだったのかはわからない。しかし、事実が伝えられず、虚偽の事実のみが繰り返し宣伝される状況こそ、デマが事実として市民権を得ていくようになる原初的な一例なのかもしれない。

嘘を刷り込む手法

 議席譲渡事件の中でも矢野と朝木が事実をすり替えようとしていたことがうかがえるのは、選挙会が矢野の繰り上げを決定した経緯に関してである。矢野と朝木がビラによって事実を消し去り、虚偽の事実のみを宣伝することによって、新たな事実を捏造しようとする足跡をみよう。



(ビラ87号)

〈選管が朝木直子編集長の住所移転(当選失格)を判断する権限がないのに勝手に、繰り上げ当選の手続きをとった〉(矢野)

〈「草の根」側は、架空の住民登録をしたわけでありませんし、ニセの住所移転をしたわけでもないことは現に、最高裁もはっきり認めており、95年5月29日には、朝木直子編集長が松戸市に住所を移したことは間違いないと認定しています。〉(支持者K)

〈「選管が、権限がないのに、早まって、繰り上げ当選の手続きをとったのは誤り」〉(支持者K)

(ビラ88号)

〈選管が当選失格を判断する権限もないのに、繰り上げ当選の手続きをしたのは誤り〉(矢野)

〈すでに95年5月1日に当選人から議員になった朝木直子編集長〉(矢野)

〈権限がないのに、市選管が繰り上げ当選の手続きをとったのが誤り〉(支持者K)

〈すでに95年5月1日に市議会議員になっている朝木直子さん〉(支持者K)

〈勝手といえば、市選管が間違って、権限もないまま1カ月早く手続きをとったため、矢野議員には迷惑をかけながら……〉(朝木)



 最高裁判決の前まで朝木は「議員任期の始期である平成7年5月1日には松戸に生活の本拠を移しており、私はすでに東村山市議の被選挙権がない」と主張していた。あらためて紹介したのは、その主張を否定した最高裁判決後に矢野と朝木が発行したビラ2号分の繰り上げ決定に関する記載である。

 裁判で朝木は、矢野に当選を譲るためとしていた平成7年当時の主張を覆し、「父親の介護のため」に松戸に転居する必要があったと供述した。当時の説明とは大きく食い違っており、当然、原告(「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」)代理人は「それならなぜ最初からそう説明しなかったのか」と追及した。しかし朝木は頑として「介護のため」と言い張った。東村山から松戸に住民票を移したことには現実的に切迫した理由があったと裁判官に訴えるためだったのだろう。

 ところが最高裁判決後に発行したビラには最高裁が「朝木は同年5月1日には議員になっていた」と認定したことのみを記載し、議員任期が始まる時点で住民票を松戸に移していたことなどいっさい触れていない。その事実に触れないまま「市選管が勝手に矢野を繰り上げ当選させた」と主張すれば、一般市民は「民主主義を否定する暴挙」として社会問題となった「議席譲渡事件」とは、実は市選管が独断専行によって誤った手続きをした結果ということだったのかと誤解しかねない。

 しかもこれほど「市選管の誤り」と繰り返されれば、読者が無意識にそう思い込まされたとしても不思議はない。これはもうたんなる情報操作というよりも刷り込みに近いのではあるまいか。

消えてなくなった議席譲渡事件

 しかもビラ88号で朝木は、市選管が「間違って、権限もないまま1カ月早く繰り上げ手続きをとった」と主張している。「間違って」とは、市選管が「朝木は議員任期の始期前に東村山の被選挙権を失った」と判断したことを指すとみられる。つまり朝木は、「市選管は朝木の生活の本拠が市外に移転していないのに移転したと『間違って』判断し、朝木の東村山の被選挙権もなくなったと判断した」といっているものと理解できる。

 当時、「松戸に生活の本拠を移したから東村山の被選挙権を失った」と主張していたのは朝木自身である。ところが最高裁判決後、朝木が住民票を松戸に移して東村山の被選挙権がなくなったと主張していた事実はどこかに消えてなくなり、市選管は朝木が住民票を移したことをもって「間違って」東村山の被選挙権もなくなったと判断したことになったということになる。

 朝木はその上、市選管が判断を「間違え」、さらに勝手に矢野の繰り上げ手続きをしてしまったために、最終的に最高裁で繰り上げ当選が無効とされたことにより「矢野さんに迷惑をかけた」とまでいっているのだった。これらの主張によれば、すべての責任は市選管にあったことになる。

 彼らの主張を通して気づかされるのは、ビラによる宣伝において「議席譲渡事件」など最初からいっさい存在しないことになっているということである。常識では、彼らはあれほど市民や議会、行政を混乱させたのだから、なんらかの謝罪の言葉があってしかるべきだと思うだろう。しかし「議席譲渡事件」などなかったことにしようとしている矢野と朝木からすれば、市民に対して謝罪する理由など最初からないということになる。出発点からして常識とはかけ離れた恐るべき発想である。

(つづく)
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「右翼の弟子」事件 第4回
取材拒否の重鎮

 ブログの記載をめぐり千葉英司と私が「行動する保守」Aの弟子を提訴していた裁判の第2回口頭弁論が平成27年2月5日、午後2時から東京地裁立川支部で開かれた。当初は1月15日に予定されていたが、弟子が代理人弁護士を選任したため日程が変更となっていた。

 開廷10分ほど前に法廷前に行くと、すでに弟子と「行動する保守」Aが法廷右手にある待合スペースのベンチに座っているのに気がついた。ベンチは3人が並んで座れる長さだが、廊下に面した手前のベンチには「行動する保守」Aと支持者と思われる人物(黒縁メガネで短髪)が2人で座り、弟子はその向こう側のベンチに1人で座っていた。

「行動する保守」Aの後方のベンチにも3人の男が座っていたが、彼らは公安と思われた。弟子の裁判であっても、重鎮が動けば公安も動かなければならないのだろう。さすがの存在感というところだろうか。

「行動する保守」Aには確認しておきたいことがあった。平成26年8月31日、朝木明代の自殺をめぐって東村山で行った街宣に東村山市議の矢野穂積と朝木直子が姿をみせなかったのはどういう事情なのか、また街宣で何度も「この街宣活動は矢野さん、朝木さんとは連絡もしておらず、無関係」と繰り返したのはなぜなのか――。

 私は「行動する保守」Aに近寄り、「こんにちは」と声をかけた。すると「行動する保守A」は私から挨拶をされること自体が不快なようで、「挨拶なんかしなくていいよ」と即座に拒絶反応を示した。それでも私は隣に座り、「行動する保守」Aに話しかけた。

「ちょっと取材させていただきたいんですが。矢野さんから協力を断られたんですか?」

 すると「行動する保守」Aはこう答えた。

「俺は何にもしゃべらないぞ」

 街宣にはさまざまな賛否の反応があるのは当然である。しかも「行動する保守」Aは明代の死に関して捜査機関の結論に反して「他殺」であるとし、しかも「事件に関与した者たちの目撃情報」という「新証言」があったとまで主張しているのだから、街宣内容に関する質問、取材に応じるべき立場にある。ところが「行動する保守」の重鎮でもあるAは、私の取材には応じないというのだった。同年9月に立川駅前で街宣した際にも「行動する保守」Aは、私が近づくことさえ拒絶した。

 朝木明代の万引きを苦にした自殺をめぐり東村山で街宣をするにあたり、矢野と朝木から協力を得られていたのなら、「そんなことはない」と私の質問を否定すればよかろう。協力を得られなかったとしても、たんに都合がつかなかっただけなら、そういえばすむのではあるまいか。

 しかし「行動する保守」Aは私の質問には答えないという。すると、「行動する保守」Aが取材を拒否する理由は、矢野の協力を得られていたのでも、「たんに都合がつかずに参加しなかった」のでもないのではないかと推測できる。

「行動する保守」Aは街宣で、矢野とは連携していないことを5分にわたって繰り返し説明している。「朝木明代は殺された」と主張するのに、矢野との連携は直接的には関係がない。したがって、連携していないことをわざわざ説明するのもまたきわめて不自然だった。

「行動する保守」Aは矢野から協力を得られたのか、断られたのか。「何も答えない」という以上は、私が聞いた内容を肯定したとは断定できない。しかし「行動する保守」Aのかたくなな態度と街宣における不自然な説明を総合すると、やはり「行動する保守」Aは今回の街宣にあたり、矢野と朝木から協力を断られたとみるのが最も合理的な結論なのではあるまいか。

支援者が大声で代返

 ところで私が「行動する保守」Aに近づいたとき、隣に座っていた支援者と思しき人物はタブレット端末を見ていた。ところが私が「行動する保守」Aに話しかけるや、その端末の背面を私の方向に向けたのがわかった。「行動する保守」Aとのやりとりが終わったあと、私はその人物に向かって、強い調子でこういった。

「おまえ、写真撮ったんじゃないだろうな?」

 するとこの人物は私の質問には答えず、こう絡んだ。

「『おまえ』とは何だ」

 と。聞かれたことには答えず、口の聞き方をとがめるとは穏やかではない。理由は定かでないものの、どうやらこの支援者もまた、私が「行動する保守」Aに質問しようとしたことが気に入らないらしかった。

 私はその場をいったん離れたが、もう1つ「行動する保守」Aに聞きたいことがあった。「行動する保守」Aは平成26年9月に立川で行った街宣で、「創価学会の元職員が朝木明代殺害事件に関与した人物を知っている」とする趣旨の証言があったと述べていた。その(伝聞)話が事実なら、「伝聞の伝聞」であることを自白して仲間内にも恥をさらした「内部告発」にも一応、信憑性がないわけではなかったと重鎮の評価も見直されるかもしれなかった。

 もっとも、新たな「証言」もあの「内部告発」に匹敵する与太話だったということになれば、「行動する保守」Aの信用はさらに低下することは避けられないが、「行動する保守」Aは「新証言」をどのように立証しようと考えているのだろうか。まさか「元職員」の実名まで出しておいてこのままうやむやにすることはあるまい。立証の見通しはどうなのか、聞きたいと考えていた。

 まだ開廷までには時間があった。そこで私はもう一度「行動する保守」Aに近づいて話しかけようとした。すると、「行動する保守」A自身ではなく隣に座っている支援者が「そばに来るな」と大声を発したのである。それに続き弟子も、やや小声ながら同調の声を上げた。弟子らは重鎮の意を汲んで、取材拒否の意思を代弁したものと思われた。

 取り巻きに守られているとはさすがに重鎮というべきだろうか。私はやむなくその場を離れた。しかし私の質問から逃れられたところで、「行動する保守」A自身が過去に発言した事実と、それに対する責任から逃れることはできない。いつまでも非を認めないこと、罪のない被害者を貶めることは、「行動する保守」Aの考える日本の心にふさわしいものなのであろうか。

(つづく)
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「右翼の弟子」事件 第5回
想定外の主張

 第2回口頭弁論は午後2時に始まった。弟子が第1回口頭弁論後に代理人に選任した駒場豊弁護士も出廷した。傍聴席には被告席の前、最前列に「行動する保守」Aが支援者とともに弟子を見守っている。後方には公安関係者と思しき傍聴人が3、4名座り、そのほかに裁判所の職員が数名、警戒にあたっていた。

 弁論に先立ち、弟子の代理人に就いた駒場弁護士から準備書面が提出されていた。代理人選任前の答弁書で弟子は「(集団)ストーカー」という文言の「男女間」の問題に限定した法的位置付けに基づき、原告らをそう呼んだからといって名誉毀損は成立しない旨の主張をしていた。ところが、駒場弁護士が提出した準備書面の内容は千葉も私もまったく予想していないものだった。

 駒場弁護士は「被告が原告らの名誉を毀損したとして原告らが提出した証拠(甲第1号証)は『魚拓』といわれるものである」として次のように主張していた。なお原告らは第1回口頭弁論で、甲1が魚拓から出力したものであることを認めている。



(駒場弁護士の主張1)

「ウェブ魚拓」とは、……記事内容を保存していれば、……元のページが消えたとしてもウェブ魚拓のキャッシュから当時の記事を見ることができる。またこの機能は、……だれでも利用することが可能である。

 被告は、原告らが名誉毀損であるとして訴えを起こしてきた当該ウェブサイトの記事について掲載した日から3日以内にすべて削除している。

 当該ウェブ魚拓は被告により作成または公開されているものではなく、被告のウェブサイト記事を閲覧した第三者が作成・公開しているものであり、被告の作成したウェブサイト記事とは全く別物と言える。



 魚拓が本件記事と内容的に「全く別物」といっていいのかどうかはともかく、それ以外の主張には反論の余地はない。だがこの弁護士は、魚拓が元記事とは別物だからどうだといっているのか。ここから先の主張にはかなり違和感があった。駒場弁護士は「魚拓は被告の意思で削除したりすることはできない」として次のように主張していた。



(駒場弁護士の主張2)

 被告は原告らが記事を出力した9月12日以前に記事を削除している以上、……原告ら(は)……このウェブ魚拓によって記事を作成・公開した第三者を被告とすべきである。



 弟子の代理人弁護士は、「訴えるなら魚拓を公開した者を訴えろ」といっているのだった。つまり原告らが記事を出力した時点では、被告の記事は削除されていたのだから、その時点で原告らの名誉を毀損したとすれば、それは魚拓の記事であると主張しているようでもある。だから魚拓を作成した者を訴えろと。

 しかしもちろん、原告らは魚拓を記事としてではなく、削除されるかもしれない記事を証拠として保全したものと認識している。すなわち、魚拓として保存された記事が過去に確かに存在し、不特定多数が閲覧可能な状態にあったという事実の証拠としてである。

 また私が魚拓を出力した際に弟子がすでに記事を削除していたからといって、記事が最初から存在しなかったことにはならない。したがって、弟子を訴えるのは筋違いだという弁護士の主張は成立しないのではあるまいか。いずれにしても第2回口頭弁論が始まるまで、千葉と私はこの代理人の主張には反論しなければならないと考えていた。

準備書面の取り扱い

 開廷後、裁判長は最初に弟子の代理人が提出した準備書面に触れてこう述べた。

「被告代理人から準備書面が提出されていますが、本件とは関係がないと思いますので、不陳述としたいと思います」

 準備書面の主張が陳述扱いとなれば、採用不採用は別にして一応、考慮の対象となる。不陳述とは考慮の対象とはしないということのようだった。

 その理由は「本件とは関係がないと思う」という裁判官の言葉から推測できよう。弟子の代理人が陳述書で主張していたのは、「提訴の対象は弟子ではなく魚拓を保存した第三者だ」ということである。これに対して裁判官もまた、代理人の主張する第三者は関係ないと判断したということと理解できた。

「不陳述とする」という裁判官に対し、代理人はいっさい反論しなかった。この裁判官の判断によって確認されたのは、本件の争点は、弟子が千葉と私を「集団ストーカー」などと記載したことが名誉毀損にあたるかどうかをめぐるものであるということだった。

和解条項に違反

 その上で裁判官は双方に対し、本件を和解協議で解決したい意向を伝えるとともに意見を求めた。千葉には和解自体に異論はなかったが、それまで裁判官に対して主張していない事実があった。

 平成20年9月1日、「行動する保守」Aや在特会の桜井誠など「行動する保守」の主要メンバーが東村山に集結して街宣を行った際、千葉を誹謗中傷するプラカードが掲げられた。その後「行動する保守」Aはそのプラカードの写真などを複数回にわたってブログに掲載したため、千葉は「行動する保守」Aとその弟子を提訴した。

 裁判は和解で終結をみたが、和解条項には「行動する保守」Aらが10万円を支払うことのほかに〈原告と被告らは、今後、相互に誹謗中傷しないことを確約する。〉という文言があった。裁判官から発言を許された千葉は、「集団ストーカー」と呼ばれたことが名誉毀損であるだけでなく、弟子による本件記事は上記和解条項にも違反していると主張したのである。

 こうして第2回口頭弁論は終了し、和解協議へと移った。しかし、和解条項違反の話が初めて出てきたこともあって、成立は次回以降に持ち越しとなった。次回協議は3月2日に行われる予定である。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第9回
公選法の趣旨

 平成9年9月2日、東村山市選管は矢野の繰り上げ当選を無効とした最高裁判決に基づいて開催した選挙会で「当選人を定めることができない」とする決定を行った。これによって朝木の復活もなくなり、「草の根市民クラブ」は東村山市議会からすべての議席を失った。

 その後、矢野と朝木はビラで「市選管が朝木の被選挙権について判断を誤った」ために混乱が起きたなどと議席譲渡の事実をなかったことにする一方、東村山市選挙会の決定に対して異議申し立てを行った。同年10月3日、東村山市選管はこの申出を棄却。すると矢野らはさらに同年10月23日、東京都選管に対して東村山市選管の判断について審査を申し立てた。

 これは議席譲渡事件が起きた当時、東村山市選挙会が矢野の繰り上げ当選を決定したことに対して「許さない会」が行った異議申し立てと同じ経過である。しかし、「許さない会」が行った申し立てが民主主義を守るためだったのに対し、矢野らによる異議申し立ては事実上、民意を踏みにじった議席譲渡を復活させ、結果として正当化させようとするたくらみだった。

 審査申し立てにおいて矢野らはおおむね次のように主張していた。



1 最高裁判決は、朝木直子は平成7年4月30日現在東村山市の被選挙権を失っておらず、東村山市議の資格を得ていたとしており、選挙会で改めて当選人と決定する必要はなく、すでに当選人である。

2 最高裁判決は、朝木は平成7年5月29日に東村山市の被選挙権を喪失したと判断している。この時期は選挙期日から3カ月以内の繰り上げ補充期間内にあり、更生決定すべき当選人は次点者である矢野穂積である。



 この時点で朝木は東村山市議会に対し、朝木に対する業務妨害禁止の仮処分命令を東京地裁八王子支部に申し立てている。「東村山市議会は朝木を東村山市議として扱え」という趣旨である。東京都選管に対しては「矢野が議員である」と主張し、裁判所に対しては「朝木は東村山市議だ」と主張するのは矛盾しているようにみえるが、朝木がいったんは東村山市議として扱われなければ、東村山市議会が朝木の被選挙権喪失を議決できないという理屈のようだった。

 市民に2年間にわたって裁判闘争という精神的、経済的負担を負わせ、何よりまず東村山市民の民意を踏みにじったことを深く反省し、謝罪するというのが普通の考え方だろう。しかし矢野には、「公選法には自ら被選挙権を失うことによって合法的に議席を次点者に譲り渡すことができる穴がある」と(矢野なりに)気がついたことに対するこだわりが強かったのではあるまいか。

 公選法は1条に〈その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。〉と規定している。「公明正大なかたちで民意を尊重し、反映させる」という趣旨であり、民主主義を実現させるために維持しなければならない原則といってよかろう。

 仮に公選法に矢野が考えるようなスキがあったとしても、そこにつけ込もうとすること自体、公選法の理念に反する。しかし議席譲渡事件の発生から最高裁判決後の彼らの主張を見るかぎり、公選法の趣旨など彼らには何の意味を持たないのだとあらためて痛感させられる。

矢野からの「催告」

 東京都選管に対する審査申し立てを行った2週間後、矢野はしびれを切らせたのか、今度は東村山市議会議長に対して新たな内容の「催告書」を内容証明郵便で送付した。

〈最高裁判決により、1995年5月29日に朝木直子氏につき……被選挙権喪失の効力が発生した結果、次点者である私は改めて繰り上げ当選人及び市議会議員の身分を取得した。〉

〈貴殿は地方自治法所定の議決……をただちにとらなければならない。しかし、貴殿が右法定手続きを違法に怠っているため、私は市議会議員としての業務執行が3カ月に渡って妨害され、現実に損害が発生している。〉

「催告書」で矢野はこう主張した上で、〈ただちに必要な手続きをとるよう〉主張していた。しかし仮に平成7年5月29日に朝木の被選挙権が喪失したと認められ、朝木が議員資格を失ったとしても、それによってただちに矢野の繰り上げ当選が認められるかどうかは別の問題であり、議会にはそれを決定する権限がない。

 平成9年9月2日の選挙会決定には行政処分として一定の公定力がある。矢野はこの決定をめぐり東京都選管にその是非を問うている。ところが、議会が矢野の「催告」に従って矢野を議員として扱うことは、現実的に東京都選管の裁決を待たずに選挙会の決定を覆すことになる。

 議会にそのようなことができるはずがない。したがって矢野のこの「催告」は短絡のそしりをまぬがれまい。一方で朝木は、「自分は議員である」と主張して東京地裁八王子支部に「業務妨害禁止」を求めて仮処分命令を申し立てているから、この「催告」は議会と行政に対する揺さぶりだったように思えた。

被害者であるかのような宣伝

 その4日後、矢野は政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』第89号(平成9年11月19日付)を発行し、同年9月2日の選挙会決定を〈メチャメチャな「決定」〉と非難するとともに、議会が「最高裁判決を公表しない」として、それが何か「都合が悪いから」であるかのように主張している。

 その理由と思われる主張を「編集長朝木直子」は次のように主張している。

〈最高裁は判決で、改めて繰り上げ当選の手続きを議会がやり直しなさいと明言してますから、結局は矢野議員を再び繰り上げ当選させる手続きのことが書かれている〉

 最高裁は平成7年に行った選挙会の繰り上げ決定が違法であると認定したにすぎず、上記のように「明言」している事実はない。矢野と朝木の中ではついに、矢野の繰り上げ当選を無効とした判決が、「繰り上げ決定のやり直し」を命じたものへと変質したようだった。彼らが最高裁判決をどう解釈しようと自由である。しかし、彼らの「解釈」が最高裁判決の中の一文であるかのように記載すれば、それは虚偽宣伝といわれても仕方があるまい。

 最高裁判決後の行政と議会の対応を非難する彼らの政治宣伝のみに接していると、経過をよく知らない読者はあたかも矢野と朝木が最高裁判決を無視する行政と議会の被害者であるかのような印象を持ってしまうのではないか――。論点を巧みにすり替えることで自己正当化をはかる彼らの宣伝手法は、朝木明代の万引きと自殺のときと同様、議席譲渡事件においても十分に発揮されているように思えた。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第10回
東京都選管の裁決

 最高裁判決後、東村山市選挙会が朝木直子の復活を認めなかった決定をめぐり矢野らが提出していた異議申出に対し、平成9年11月26日、東京都選管はこれを棄却する裁決を行った。東京都選管は、矢野の異議申出を棄却した東村山市選管の決定を追認したのである。

 朝木側の主張と東京都選管の裁決理由は以下のとおりである。



(朝木の主張1)

「最高裁判決は、朝木は平成7年4月30日現在、東村山市の被選挙権を失っていないので議員の資格を得ているとしている。したがって朝木は、改めて公選法96条に基づき選挙会で決定するまでもなく当選人である」

※公選法96条の規定=「訴訟の結果、再選挙を行わないで当選人を定めることができる場合においては、ただちに選挙会を開き、当選人を定めなければならない」)

(東京都選管の裁決理由1)

「最高裁判決は平成7年5月21日に選挙会が行った矢野の繰り上げ決定を取り消したのであって、朝木の当選を決定はしていない。本選挙会は公選法96条の規定に従い、朝木を当選人と決定するために開催したものであり、選挙会の決定がない場合には当選人としての認定も行われない。」



 平成7年当時、矢野に当選を譲ると表明し、「松戸に生活の本拠を移したことに間違いない」と主張していた事実、および最高裁がその主張を否定した事実にはいっさい触れず、今度は自分が議員になっていたと主張するために最高裁の「朝木はすでに議員になっていた」とした部分のみを利用するあたりは抜け目がなかった。当時、「間違いなく住所を移転した」とする朝木の主張を信じ、朝木は当選人の資格を失ったと判断した東京都選管としても、改めて朝木が並大抵の神経ではないことを思い知ったのではあるまいか。

 東京都選管としても当時、議席譲渡が民主主義に反する行為であるとは認識しつつも、矢野の繰り上げを認めざるを得ないことに大きな葛藤があったはずである。しかし一行政機関の判断において、朝木が東村山の被選挙権を失ったと判断せざるを得なかった。ところが最高裁が朝木の住所移転を否定するや、朝木は「自分は議員になっていた」と主張している。東京都選管が朝木に対してかなりの不信感を覚えていたとしてもなんら不思議はない。

選挙会開催のそもそもの原因



(朝木の主張2)

「最高裁判決によれば、朝木が松戸に生活の本拠を移したのは平成7年5月29日であると判断しており、同日までは東村山市議の資格を有しており、それ以後、朝木の議員資格が喪失するかどうかは議会が決定すべきで、選挙会は朝木の被選挙権の有無を判断する権限を持たない」

(東京都選管の裁決理由2)

 本選挙会において朝木を当選人と決定するところだが、朝木が判決日前に東村山市の被選挙権を失っている事実は明らかであり、当選人とすることができない。

 議員となってからは議会が決定すべきであるのは当然だが、当選人でない者は議員とはなれない。



 東京都選管が下した裁決理由には、最高裁判決は平成7年当時に選挙会が行った決定を取り消すというもので、当時、東村山市選管が朝木の被選挙権をめぐり選挙会を開催したこと自体を否定するものではないという解釈、判断がある。

 最初に選挙会を開催したのは議員任期の始期前である平成7年4月28日であり、5月以降に開いた2回の選挙会は第1回選挙会が流会となったために行った「継続選挙会」と位置付けられている。したがって、最高裁が取り消したのは選挙会の開催そのものではなく、その決定なのだと。よって東村山市選管は、最高裁が当時の決定内容を取り消したため、決定をやり直そうとした――これが本選挙会を開催したことに対する東京都選管の考え方だった。

 しかしこれもまた元をたどれば、朝木が議員任期の始期前に松戸に住民票を移し、議会の決議を経ないまま矢野を繰り上げ当選させようと画策したことに起因しているのである。ここでも朝木は、そもそも平成7年当時、選挙会が開催された事情についていっさい触れず、朝木の議員資格について議会が決定せず、選挙会が決定したことを非難している。しかし東京都選管が、当時の選挙会が下した結論に誤りはあったが選挙会の開催そのものが否定されたわけではないと考え、選挙会を開催したのだとしても、それなりの合理性があるように思える。

 上記説明によれば、東京都選管の判断は、朝木の議員資格の有無は議会が議決すべきものであるとしても、それは選挙会が朝木を当選人と決定したあとであるということになろうか。したがって議会が選挙会の決定に従うとしたのも、選挙会が当選人と決定しない以上、議会が朝木を議員として扱うことができず、議員資格を審議する理由もないという論理であると推測できた。

 こうして東京都選管は矢野、朝木らの異議申し立てを棄却する裁決を行った。しかしもちろん、自分は議員であると主張して東村山市や市議会に対して業務妨害禁止を求める仮処分を申し立てている朝木が、この採決を受け入れるはずもなかった。矢野と朝木らは選挙会が行った決定の取り消しを求めて東京高裁に提訴した。

 1つの選挙会決定に起因して、主張の対立する双方から2度にわたって提訴されることになろうとは、東京都選管としても想定していなかったのではあるまいか。

(つづく)
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