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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「議席取り戻し」事件 第14回
 東村山市議、「草の根市民クラブ」の矢野穂積と朝木直子が企んだ議席譲渡事件(当選した朝木が市外に架空の転居をすることで、落選した矢野を繰り上げ当選させようと画策した事件)で、平成9年8月25日、最高裁は矢野の繰り上げ当選を無効とする判決を下した。判決を受けて東村山市選管はただちに選挙会を開き、(最高裁が議員になっていたと認定した)朝木直子を当選人として更生決定できるかどうか検討した。しかし朝木は平成8年10月8日告示の衆院選に立候補しており、すでに東村山市議の身分を喪失しているとして、「当選人を決定できない」旨の決定を行った。

 これに対して朝木と矢野は選挙会の結論に異議申立を行うとともに、東村山市議会に対して朝木は自分を議員として扱うよう申し入れた。しかし東村山市議会は選挙会の決定を理由に朝木の要求を拒否した。すると朝木は、議員としての業務を妨害されていると主張して東村山市と東村山市議会を債務者(筆者注=通常の裁判でいう「被告」)として東京地裁に「業務妨害禁止命令」を求める仮処分の申し立てを行った。

 議席譲渡事件で朝木は当初、「自分よりも矢野さんが議員になる方がより適格」などとして、住民票を千葉県松戸市に移すことで東村山市における被選挙権を喪失させ、自ら東村山市議の地位を放棄した。ところが2年後、最高裁判決によって矢野の繰り上げ当選が無効となり、東村山市議会議員の地位を失ったとたん、(最高裁判決までの)つい数日前までの主張などなかったかのように、今度は「自分は最初から議員資格を失っていなかったからやっぱり議員だ」といい出したのである。

 自分の都合が悪くなると掌を返すようにまったく逆の主張をし始めるとは並みの神経ではなかった。朝木は2年前とは逆に「東村山市議会は自分を議員として扱え」とする仮処分申請を裁判所に申し立てた。そもそもこうなったのは矢野と朝木が彼らの都合に合わせて選挙結果を操作しようと企んだからである。しかしそんな理屈は、いっさいの非を認めない彼らの前には無意味だった。どこまでも自分を正当化しなければ気がすまない特異性は矢野と共通していた。

 しかし朝木の主張に対して東京地裁は、選挙会が決定したとおり、朝木は平成8年に衆院選に立候補しているから、その時点で自動的に東村山市議の資格を失っていると認定した。東京地裁の認定によれば、朝木の「東村山市議として扱え」とする主張自体があり得ないことになる。よって東京地裁は、朝木の主張を(棄却ではなく)却下する決定を言い渡した。(前回まで

即時抗告

 もともと「自分は東村山市議ではない」と主張していた過去の事実からすれば、東京地裁の却下決定で「業務妨害」を主張することをあきらめたとしてもなんら不思議はない。また、一方では「当選者を決定することができない」とした選挙会の決定に対して「矢野が繰り上げ当選人だ」と主張して東京高裁に提訴していることを考えると、朝木の主張を引っ込める方が理屈として整合性があるようにも思える。

 しかし矢野と朝木の考え方はそうではないようだった。「業務妨害禁止命令を求める」仮処分申請を却下された朝木は即時抗告し、東京高裁に改めて判断を求めた。いかなる主張であれ、いったん主張したものは絶対に引っ込めないのが「草の根」の特異性でもある。たとえば、刑事、民事で否定されたにもかかわらず、矢野がいまだに「少年から暴行された」と主張していることが端的な事例である。

恐ろしい「封印論」

 さて抗告理由書で、平成8年に衆院選に立候補したことを理由に「すでに東村山市議の資格を失っている」とした東京地裁の決定に対して朝木は次のように反論した。

〈最高裁判決は平成7年5月1日に朝木は東村山市議になっていたと認定している(筆者注=朝木のいう「第1決定」)。しかし東村山市選管は事実誤認によって朝木の被選挙権が失われたと判断し、同年5月21日、矢野を当選人と決定した(筆者注=朝木のいう「第2決定」。ここでも朝木は、虚偽の住民票移動によって市選管を騙した事実などおくびにも出さず、すべての責任を市選管に転嫁している)。

 そのため、朝木の当選は「封印」されることとなった(筆者注=「封印」は筆者の表現ではなく、朝木が実際に抗告理由書で使用した文言である。「本来なら朝木が議員であるべきだった」という意味を強調したかったのだろうか)。

 この「封印」は平成9年8月25日最高裁判決によって初めて解かれた。最高裁判決以後、朝木は市議会議員として在職するに至ったのである。

 すなわち「第2決定」から最高裁判決までの間、朝木は市議会議員議員として在職していないから、平成8年に衆院選に立候補したことで東村山市議会議員の資格を失うことはあり得ない。よって、東村山市議会議員として在職していない朝木が衆院選立候補によって市議会議員の身分を喪失したとする原決定は誤りである。〉(趣旨)

「最高裁判決によって『封印』が解かれたから朝木直子は蘇った。したがって朝木は東村山市議である」――朝木はこう主張していた。いつの時代の話かと思われるかもしれないが、朝木がこう主張していたのは事実である。しかし選挙制度を通常に運用する上で、当選が「封印」されたり解かれたりするような事態が発生することはあり得るだろうか。

 朝木の主張する「封印論」は、何があっても非を認めない矢野と朝木の歪んだ自己主張と自尊心の中でしか成立し得ない主張だったのではないかという気がする。少なくとも「封印」とは、通常の公選法理解の中ではめったに出現しない文言なのではあるまいか。

 1つの当選枠に2人の当選人が存在することはない。そこで朝木は新たに「在職」という概念を持ち出している。「朝木は在職していないから、その期間に衆院選に立候補しても議員資格が失われることはない」と主張している。しかし議員資格については「取得していた」と主張しているのだから、「在職」していようがいまいが、衆院選に立候補した時点で市議資格がなくなることに変わりはなかろう。

 いったんは自ら当選を放棄したにもかかわらず、議席譲渡に失敗すると、今度は議席を維持するために朝木は次から次と自己正当化を繰り返した。議席譲渡事件発生当時と同様に、朝木と矢野は民主主義から最も遠い存在であるというほかない。

(つづく)
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東村山市議矢野穂積と朝木直子を告発
地検が告発を受理

 元東村山警察署副署長千葉英司と私、それに東村山市民の計3名は平成27年6月16日、東村山市議の矢野穂積と朝木直子(いずれも「草の根市民クラブ」)を公選法違反容疑で東京地検立川支部に告発、同支部は告発状を受理した。

 矢野と朝木は、矢野を発行人とし、朝木を編集人として、B4版二つ折の政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』を、最近は年4回発行している。1面題字の下には「定期購読料1部150円」と明記している。

 彼らは平成27年3月25日以降数日間にわたり、『東村山市民新聞』第185号(平成27年3月15日付)を東村山市内の各所で各戸に対するポスティングにより無料配布した。1カ月後の同年4月26日には東村山市議選が迫っているという時期である。

 第4面(同紙はB4二つ折だから、第4面は題字のある第1面の反対面となる。よって目立つ場所である)には〈市川房枝、朝木明代議員を受け継いで〉と題して、彼らの政治的スタンス等を記載し、囲み記事で矢野の顔写真および経歴を記載するとともに、「矢野の担当地域」として「多摩湖町」等、東村山市に実在する9つの町名が記載されている。

 また同紙第185号にはもう1種類、矢野の囲み記事部分を朝木にそっくり差し替えた「朝木版」が存在し、「朝木の担当地域」として「諏訪町」等4つの町名が記載されている。

 最初から、それぞれの「担当地域」に分けて配布されたのかもしれない。そうでないとしても、「草の根」支持者が第185号に記載された矢野、朝木それぞれの「担当地域」を見れば、支持者は矢野、朝木のどちらに投票すればいいのかを自ずと理解する仕組みなのだろう。あるいは「担当地域」とは、支持者に対して矢野と朝木のどちらに投票すべきかを矢野らが指示したものと言い換えてもいいとさえ思えた。

 通常の『東村山市民新聞』には第185号にあるような大きな顔写真のスペースも「担当地域」などという記載もなく、「矢野版」「朝木版」の2種類を発行することもない。したがってこの点からも、ビラ第185号が東村山市議選を想定したものであることは疑いようがない。

「寄付行為」の疑い

 公選法199条の2は議員による「寄付の禁止」を定めている。平成26年、選挙区内で有権者にうちわを無料で配ったとして松島前法相が公選法違反容疑(寄付行為)で告発されたことは記憶に新しい。この事件で東京地検はうちわを有価物であると認定したが、うちわを配布したのは松島が代表を務める自民党支部であり、また特定の選挙を意識して配布したものとまではいえないと判断、不起訴とした。

 平成27年3月25日以降、東村山市内に無料で各戸にポスティングされた『東村山市民新聞』は〈定期購読料150円〉と記載されており、その内容はどうみても1カ月後に執行される東村山市議選を意識したものである。つまりうちわの事例と比較すると、本人らによる発行であること、特定の選挙を意識したものであることなど、うちわが不起訴となった要件を『東村山市民新聞』はすべて満たしているように思える。

府中では市議が公選法違反で起訴

 平成27年6月、立川区検が府中市の市議を公選法違反容疑(寄付行為)で起訴したことが報じられた。『読売新聞』によれば、この府中市議は地元の神社への奉納名目で現金計8万円を寄付したという。市議は「祭りに参加する自治会の子どもたちに配るお菓子やジュースへの寄付」だったと主張していたというが、区検はこの主張を排斥したものとみられる。

 別件における矢野の供述によれば、矢野は『東村山市民新聞』を1号当たり4万5000部発行しているという。現在の部数は定かでないものの、仮に1部150円で4万5000部が無料配布されたとすれば、その金額は675万円分となる。

『東村山市民新聞』第185号には矢野と朝木の会計報告が掲載されており、『東村山市民新聞』の発行費として矢野、朝木それぞれ45万円、2人で計90万円を支出している。ところが「収入」の部には『東村山市民新聞』の購読料は記載されていない。一部「(定期購読料)150円」の『東村山市民新聞』を4万5000部(矢野の供述どおりとすれば)配布しているにもかかわらず、収入はゼロである。

 つまり矢野と朝木は、一部「(定期購読料)150円」の『東村山市民新聞』を選挙民に無料で配布しているということになろうか。言い換えれば、今年行われた東村山市議選の直前、矢野と朝木は選挙民に対して675万円を寄付したということにならないだろうか。とすれば、金額の問題ではないとはいえ、矢野と朝木の寄付額は起訴された府中市議の寄付額とはケタ違いである。

 東村山市議選の直前に、矢野と朝木の顔写真と自己紹介を記載した『東村山市民新聞』を発行したのは今回が初めてではない。彼らは平成7年以降、市議選(都議選、衆院選も含む)のたびに同様の『東村山市民新聞』を発行し、市民に無料配布してきたのである。今回の告発の対象は平成27年3月15日付第185号だが、地検の判断しだいでは、過去の無料配布についても政治的、道義的責任が生じる可能性もあるのではあるまいか。

(了)
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「議席取り戻し」事件 第15回
東京高裁の判断

「議員として扱え」とする主張を退けられた朝木は抗告理由書で次のように主張していた。

「市選管が判断を誤って矢野を繰り上げ当選させた結果、朝木直子の市議資格は(なくなったのではなく)『封印』されていた。しかし最高裁判決によってこの『封印』は解かれ、朝木は市議会議員として蘇った。よって、東村山市議会は朝木を議員として扱わなければならない」(趣旨)

 朝木の主張は奇特である上に、東村山市議会は選挙会の決定を無視して朝木を議員として扱えと主張するものでもあった。東村山市議会は「当選人を決定することができない」とする選挙会の決定に従い朝木の要求を拒否したのだが、議会が選挙会の決定を無視することができるのだろうか。

 東京高裁が論点としたのはこの点だった。東京高裁は朝木の主張する「封印論」には付き合わず、こう述べた。

「東村山市議会は選挙会の決定に従い、朝木を市議会議員として処遇していない。(公選法に基づいて開かれる)選挙会の決定は行政処分としての性格を帯有し、公定力を有するものというべきである(したがって、矢野の繰上当選の効力が否定されても、これによって当然に朝木の当選人としての地位が復活するものではなく、朝木を当選人とする旨の選挙会の決定があって初めて朝木は当選人となり、議員としての地位を得ることができるものと解すべきである)。

 東村山市議会が朝木を議員として扱わないとする対応に対する朝木の本件仮処分申請は、実質的に行政処分である選挙会決定を覆そうとするもので、このような仮処分は許されないというべきである。」(趣旨)

「東村山市議会は自分を議員として扱え」とする主張を認めることは、選挙会が行った行政処分を事実において無効化させることになり、容認できないということである。

 東京高裁の判断は、「衆院選に立候補しているから市議資格を主張する前提を欠く」とした一審の判断とは判断の基準が異なっていた。しかしいずれにしても、東京高裁は結論において一審判決は相当であるとし、朝木の請求を棄却したのである。

 これに対して朝木はさらに最高裁に対して特別抗告を行ったものの、平成11年1月29日、最高裁はこれを却下した。平成9年9月2日、議席譲渡を無効とした最高裁判決を受けて開催された選挙会が「当選人を決定できない」とする決定を行い、東村山市議会はこれに従って朝木を市議として扱わなかった。これを不服とし、「自分を議員として処遇するよう」朝木から提起された仮処分申立事件は、申立から1年半を経てようやく終結したのだった。東村山市はかつて落選した矢野を繰り上げ当選させるために自ら市議資格を喪失させようとはかった者のために、相当の弁護士費用と職員の貴重な時間とエネルギーを浪費させられたことになる。

 平成11年1月といえば、この議席譲渡事件から丸4年がたとうとする時期だった。3カ月後にはまた東村山市議選が控えていた。矢野と朝木は矢野の繰り上げ当選を無効とした最高裁判決後も、彼らの利害のみのために2年間にわたり彼らの議席を主張し続けていたのである。

もう1つの判決

 さて、議会に対する朝木の仮処分申立は棄却されて確定したが、その前日の平成11年1月28日、矢野らが選挙会の決定に異議を申し立て、「結局は矢野が繰り上げ当選人となる結果は変わらない」などと主張していた裁判の控訴審判決が言い渡されていた。

 判決は大方の予想を覆すものだった。東京都選管は「当選者を決定できない」とした東村山市選挙会の決定を支持し、矢野らの異議申出を棄却する裁決を行っていた。ところが東京高裁は判決で、東京都選管の裁決を取り消す判決を言い渡したのである。

 判決で東京高裁は次のように述べた(いずれも趣旨)。

「最高裁判決の趣旨では、原告(筆者注=朝木)が議員の身分を有していることを前提としなければならず、これに反する措置をとることは許されない」(『毎日』)

「朝木氏がいったんは当選したと扱うべきだ。その後、朝木が被選挙権を失ったかどうかは市議会の決定に委ねられる」(『読売』)

 東京都選管は朝木が最高裁判決以前に東村山市の被選挙権を失っていたこと、平成8年に衆院選に立候補していたことから当選人とすることができないとした選挙会の決定を追認した。しかし東京高裁は、東京都選管の裁決すなわち東村山市選管の決定を取り消す判決を言い渡したのである。

 平成7年5月21日、東村山市選挙会は矢野と朝木に騙されて矢野を繰り上げ当選させてしまったことが、平成9年8月25日の最高裁判決によって確定した。最高裁の認定によれば、矢野を繰り上げ当選させた時点ではまだ、朝木は朝木自身の主張に反して生活実体は松戸には移っておらずいまだ東村山にあった。すると朝木は議員任期の始期である平成7年5月1日には東村山市議の地位に就いており、5月21日の時点ではまだその地位に変更はなかったことになる(だから矢野の繰り上げ決定は無効となった)。東京高裁は、東村山市選管は最高裁判決に従い、いったんは朝木が議員の地位にあることを前提にした決定をしなければならないとしたのである。

 朝木を議員として扱うかどうか、本来なら選挙会が判断する問題ではないのかもしれない。しかし平成7年、朝木自身の(虚偽の)申告によってすでに選挙会は朝木直子の被選挙権喪失認定と矢野の繰り上げ当選決定という行政処分がなされている。公定力を持つ行政処分を更新するにはやはり、東村山市選管が選挙会として新たな行政処分をする必要があったのだろう。

 選挙会はいったん朝木直子が当選人であることを認め、東村山市議会はただちに臨時議会を招集し、朝木がその後、東村山市の被選挙権を喪失していることを確認し、市議資格を喪失していることを議決すれば何の問題もなかったということになろうか。

 いずれにしても確かなのは、この判決は「矢野の繰り上げ当選を認めるべき」というものではないということだった。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第16回(最終回)
矢野が「勝訴」したかのような宣伝

 矢野らは最高裁判決後の選挙会の決定(「当選人を定めることができない」)に対する訴状の中で、「朝木直子の復活が認められるべきであり、朝木はその後に住民票を松戸に移したことが認定されているから、最終的には矢野が繰り上げ当選となる結果に変わりはない」(趣旨)などと主張していた。しかしもちろん、選挙会が決定したのはあくまで朝木の扱いについてであって、「矢野が再度繰り上げ当選となるかどうか」ではない。

 最高裁判決は矢野の繰り上げ当選の可否をめぐるものであり、その前提として問題とされたのは朝木の議員資格が喪失していたかどうか(矢野の繰り上げ当選が決定された時点で朝木が 松戸で実際に生活していたかどうか)だからである。したがって裁判の争点も「朝木の扱い」の当否だった。

 ところが、東京高裁がこの選挙会の決定を取り消す判決を言い渡した翌日に矢野が発行した『東村山市民新聞』平成11年2月号外にはこんな見出しが躍っていた。



(『東村山市民新聞』平成11年2月号外の見出し)

〈矢野議員側 全面勝訴〉

〈ムラ議会はすぐ矢野議員の議席を元に戻せ〉



 これではまるで、最高裁で無効とされた矢野の議員資格が改めて認定し直されたかのように受け取られても不思議はない。前述したとおり、東京高裁の判決の趣旨は「朝木に議員資格があることを前提とすべき」というもので、矢野の身分とは直接には何の関係もない。東京高裁が「矢野の議員資格を認めよ」と命じたわけでもない。

 したがって「朝木側」というのならまだわかるが、〈矢野議員側 全面勝訴〉というのは事実を正確に伝えるものとはいえない。そもそも矢野は「議員」ですらない。ここにも矢野の強い自尊意識がうかがえた。

 プライドの高い矢野にとって、無名の市民によって議席を奪われたことの恨みは想像を絶するものがあったにちがいない。だから矢野は、自分の地位とは直接は関係ないにもかかわらず、あたかも自分が勝ったかのように市民に印象付けたかったのではあるまいか。それどころか、議席譲渡すら正当なものだったと宣伝しようとしているようにも思えた。しかし現実の判決は、あくまでたんに朝木の処遇をめぐるものでしかないのだった。

許されない繰り上げ補充

 仮にこの判決が確定したとしても、東京高裁は、選挙会は朝木が市議になっていたものとして扱うべきといっているにすぎず、その後も朝木の議員資格が認められるべきだといっているのではない。矢野は「勝訴」を強調するが、朝木の市議資格がいったんは認められたとしても、それは風前の灯なのである。

 朝木の議席がいったん復活したとしても、東村山市議会がただちに朝木の東村山市における被選挙権が失われていることを理由に議員資格がなくなったことを決議すれば、朝木の東村山市議としての地位は失われる。矢野らは訴状で、朝木が松戸に住所を移転したと最高裁が一応認定した日は選挙から3カ月以内で、選挙管理委員会は繰り上げ補充をしなければならず、結局は矢野が繰り上げ当選となると主張している。しかしこれは、矢野と朝木のような議席を詐取しようとする悪意がなかった場合の話で、虚偽の住所移転申告による議席譲渡と、それを否定する最高裁判決が出たあとではあまりにも事情が異なる。

 議会に欠員が出た場合に行われる繰り上げ補充の目的はあくまで、議会に広く市民の意思を反映させるためのものである。矢野と朝木の場合、仮に朝木が選挙から3カ月以内に松戸に転出して東村山市の被選挙権を失っていたとしても、転居の目的が民意を踏みにじり、矢野に議席を譲るためであることは最高裁判決で明らかとなった。民意を無視して、彼らの都合で勝手に議席を入れ替えるためであることが明らかであるにもかかわらず、矢野の繰り上げ当選を認めることは許されない。

 この高裁判決が出たのは、議員任期が残り3カ月しか残されていないというタイミングだった。裁判所がそのことを計算していたのかどうかは定かでない。しかしいずれにしても、結果的にこの判決によって朝木が市議として復活することも、もちろん矢野が再び繰り上げ当選人となることもなかった。

追及した市民を誹謗中傷

 議席譲渡裁判は発生から2年半後、最高裁が彼らの企みを無効としたことで終結した。しかし矢野と朝木はこの結果をすんなりとは受け入れず、立て続けに2つの争訟(市議会に対する仮処分申請事件と選挙会決定に対する異議申し立て)を提起した。矢野と朝木が議席譲渡事件によって民意を踏みにじったことについてなんら謝罪の気持ちも反省もないことを示していた。現在も彼らからは反省の気持ちはみじんも感じられない。

 それどころか、ビラ号外で彼らは次のように主張していた。
 
〈これまで、矢野議員の繰上当選の手続を拒否し続けたムラ議員らは、真っ青の大激震となった。同時に矢野議員への損害賠償問題も発生するからである。

 当然といえば当然すぎる判決だが、不正をただす草の根を支持した多くの良識派市民の声が届き、ムラ議員・創価ダミー集団の悪だくみは粉みじんとなった。〉

 よくわからないが、最高裁判決後、改めて矢野の繰り上げ当選を認めなかった東村山市には矢野に対する損害賠償問題が発生するという。「矢野を議員にしなければ訴えるぞ」という、矢野の常套手段である脅しであるようにも思えた。

 さらに矢野は、議席譲渡を追及した市民を「創価ダミー集団」とレッテルを貼り、誹謗中傷している。それによって彼らを追及した市民の社会的評価を低下させ、あくまで議席譲渡を正当化しようとしていることがわかろう。常に利己優先であり、かつ他に対して常に優越していなければ気がすまない矢野と朝木の特異性をまざまざと見せつける主張というほかない。矢野はこう主張することで、彼らを追い詰めた市民や彼らのいいなりにならなかった東村山行政や議会に対して仕返ししたかったのだろう。

民主主義からは最も遠い存在

 彼らのいう「議席取り戻し」裁判もまた議席譲渡事件同様に、東村山市議選で示された民意を無視し、彼らのみの思惑で議席を決定しようとするものであり、民主主義を支える根幹である選挙制度に対する挑戦だった。議席譲渡事件の問題の本質は法律解釈の問題ではなく、民意が無視されたことにある。

 矢野は選挙会の決定に対する彼らの主張が認められたことに勝ち誇った。矢野も朝木も、議席譲渡事件の何が問題なのかを理解できないのだろう。彼らがこの裁判を起こしたこと自体、彼らが最も民主主義から遠い存在であることをあらためて示しており、その事実は現在もなんら変わっていない。

 選挙民が市民の代表を直接選ぶ選挙制度を根底から揺るがした議席譲渡事件の発生から20年がたった。しかし当人たちがいまだなんらの反省も謝罪もしないかぎり、議席譲渡事件をただの遠い過去の出来事として片づけてはいけないのではあるまいか。

(了)
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東村山市議会傍聴記(平成27年6月--その1)
 4月に行われた市議選をへて新しい顔ぶれとなった東村山市議会平成27年6月定例会はさる6月25日、最終日を迎えた。議場には「草の根市民クラブ」の矢野穂積の姿もあった。

 議員なのだから当たり前だろうと思われるかもしれない。しかし実は、この6月定例会では、矢野が議場にいるのは当然とは必ずしも思わせない出来事が起きていた。矢野にとって絶対にあってはならない事態でもあった。しかも、それはどうも前期の平成27年3月定例会最終日から続いている状態のようだった。

議長以外は知らない不思議

 平成27年3月定例会の最終日、矢野は午前中は普通に本会議に出席していたが、昼の休憩を挟んで再開した午後の会議には姿を現さなかった。欠席の場合には倒される議席の名札は立ったままで、矢野の不在理由について議長からは何の説明もなかったから、出席していた議員たちは矢野が議場に戻ってこない理由を知らなかった。のちに議会事務局に確認したところ、その日の本会議が始まる前、矢野は議長に対して「通院のため午後の会議を欠席したい」旨、届け出ていたという。

 東村山市議会会議規則には、議員が本会議を欠席する場合には、事前に議長に届け出ることが定められている。したがって、3月定例会の最終日に矢野が早退したことは、ルール上は特段問題視されるようなことではない。

 しかし、議員席の名札は、本人が早退したにもかかわらず立ったままで、しかも他の議員が、その議員がいない理由もわからないという状況はどうなのだろうか。もちろん議場にいる議員にわからないことが傍聴人にわかるわけがない。名札が立ったままでは、他の議員だけでなく傍聴人も、「そのうち帰ってくるのだろう」と思ったとしても不思議はない。しかし矢野は、帰ってはこなかったのである。

 議場内にいるべき議員がいないことについて議長が議場内になんらのアナウンスもせず、そのことについて他の議員からなんらの確認もないというのもほめられたことではあるまい。「草の根」の矢野や朝木だけでなく、議員が本会議中にたびたび席を外すのは珍しいことではない。

 また矢野が「特異な議員」と認識されているという事情は理解できないではない。しかしそんな事情は矢野の実像を知らない市民には理解できないし、やはり名札が立ったまま議員本人がいないことについては不可解な思いだけが残ろう。「傍聴に来てください」と市民に呼びかける一方で、傍聴者には理解できない状況が議場内に生じるようなことは避けるべきではあるまいか(名札が倒されていれば、欠席ということぐらいはわかるだろう)。

議員の病欠を非難

 矢野が早退(午後欠席)した事実とその理由を本会議の場で明らかにしておくことにはもう1つ重要な意義がある。矢野は前期の任期中に体調不良で長期にわたって欠席がちだった議員に対して口を極めて非難するとともに辞職を迫っており、『東村山市民新聞』でも同様の内容を市民に宣伝していた。その矢野が体調を理由に本会議を早退するのは、それまでの主張に矛盾することになる。

 他の議員の病欠については非難しながら、自分は体調不良を理由に本会議を早退したという事実を矢野は公人として明らかにしなければならない。矢野が体調不良を理由に本会議を早退した事実を議会で明らかにするとはそういうことでもある。

 もちろん本会議場にいる他の議員が、矢野がそれまで欠席した議員に対してどんな誹謗を続けてきたかを知らないことはない。だから、なぜたった1人の議員も、矢野が議場に帰って来ない理由を議長にたださなかったのか、私には不思議に思えた。

白いリストバンド

 市議選後の5月19日に開かれた臨時議会には矢野も出席した。臨時議会では議長選挙や各委員会への所属などが決められる。この間、議員は何度も名前を呼ばれるが、「草の根市民クラブ」の矢野穂積と朝木直子の2名だけは1度も返事もしない。よくわからないが、これが彼らのプライドなのだろうか。東村山市民は議場で名前を呼ばれても返事もしない人物に民意を負託したということになろうか。

 ところで、3月定例会の最終日に体調不良を理由に午後の議会を欠席した矢野は、それから1カ月近くたち、めっきり痩せたように見えた。右手首には上着の袖から白いリストバンドのようなものがのぞいている。よく入院患者がつけるタグのようでもある。3月議会最終日の早退とかなりの痩せ具合となにか関係があるのだろうか。

 5月1日の議員任期開始の日、議員が本会議場に集まって集合写真を撮影した。その写真を見ると、矢野だけが映っていなかった(現在、東村山市議会のホームページに掲載されている写真ではない)。朝木は前列のほぼ中央に座っているが、矢野はその日、出席しなかったようだった。

 その理由は定かではないが、やはり体調と関係があったのではないか……。そう思わせる事実が6月定例会の会期中に起きた。一般質問の2日目が行われた6月8日午後、またしても矢野は「体調不良」を理由に早退したのである。

 その日の午前中は私も傍聴していたが、矢野に特段変わった様子はないようにみえた。ところがのちに聞くところによると、その日の朝、矢野が体調面になんらかの不安を抱えているのではないかと疑わせる出来事が起きていたのだった。

(つづく)
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