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著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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東村山市議会傍聴記(平成27年6月--その2)
転んでいた年配者

 矢野の「体調不良」の度合いをうかがわせる出来事があったのは、一般質問の2日目が行われた6月8日午前9時30分ごろである。

 東村山は南北に府中街道が通っており、東村山駅東口から市役所まで府中街道を通れば徒歩15分程度の距離にある。東村山駅から市役所に向かうと、そのすぐ手前に警視庁東村山署がある。かつて矢野と親密な関係にあった朝木直子の母親、「草の根市民クラブ」の朝木明代が平成7年6月19日に洋品店で万引きをし、取り調べを受けたのはここ東村山署だった。ちょうど20年前の今ごろである。

 一般質問の開始時刻は午前10時である。ある東村山市議が議会に出席するために自転車で府中街道を東村山駅方向から市役所へと向かっていた。すると東村山署の手前に差しかかったあたりの左側歩道の脇で、しゃがみ込んでいたのか、転んだのかはわからないが、両膝をついた状態から立ち上がろうとしている男がいた。男は立ち上がろうとしてまたつまずき、また転びそうになった。市議は男の状態が普通とは思えなかったので、自転車を降りて近づくと、男は矢野穂積だとわかった。

 市議が矢野に「大丈夫ですか」と声をかけると、矢野は「つまずいて転んだんだよ」と答えた。市議が「市役所までいっしょに行きましょうか?」と聞いたところ、矢野は「大丈夫」というので、市議は再び自転車に乗って市役所に向かった。市議は矢野の様子がただ転んだのではないように見えたから声をかけたのだという。その日、矢野は本会議が始まる前に議長に対して「体調が悪いので午後から早退させてほしい」旨の届けを出し、早退したのだった。

 普通の議員なら問題視するようなことではないが、体調不良で議会を休んでいた議員を非難していた矢野に限っては「体調不良」だろうが何だろうが、這ってでも議会に出なければならない。だから、体調不良を押して会議に出席したこと自体は評価もしよう。しかし残念ながら矢野は、現実には3月定例会に続き、6月定例会でも早退(欠席)してしまった。矢野は自分の言葉に対する責任を取るのだろうか。

 6月議会では1回の早退ですんだが、矢野の早退は3月に続いて2度目である。9月議会でも同じような欠席が続くようなら、矢野は自分自身の発言に対するけじめをつけねばなるまい。あるいは朝木ともども、別の「けじめ」を求められる可能性もあるのかもしれないが。

不可解な経路

 余談だが、矢野が転んだ日、矢野が東村山駅方向から徒歩で府中街道を通って市役所に向かっていたことが明らかである。矢野の自宅は市役所を挟んで東村山駅とはまったく逆の方向にある。つまり矢野が歩いていたのは、矢野が自宅から市役所に向かったのだとすれば、通常ではあり得ない経路だった。

 あるいはたまたまその日に限って東村山駅方向に行く用事があり、そこから市役所に向かったという可能性も考えられた。しかし翌日も、東村山駅方向から市役所に向かって歩く矢野が目撃されていたのである。その理由は定かではない。

不親切な慣例

 ところで6月8日午後、矢野がいなくなった議場の様子はどうだったのだろうか。この日も3月のときと同様、議長(午後からは公明党の副議長に交替していた)からは矢野の早退とその理由について議場内に向けて何のアナウンスもなく、名札も立ったままで、議席を見るかぎり「出席」しているのと同じ状態となっていた。

 このことについて議会事務局に聞くと、東村山市議会にはこんな慣例があるというのである。「終日欠席」の届けがあった場合には議長が開会前に議場内にアナウンスをする。しかし開会前に「早退」の届けがあり、午前中は本人が会議に出席し、午後に早退した場合には、そのことについて特に議場内にはアナウンスしない。だから、この日も副議長は議会事務局から矢野の不在について説明の必要はないといわれたという。議会事務局もまたこのまったく合理性のない慣例を継承してきたのだ。

 名札の扱いについては、事務局には特に何も感じていないようだった。6月議会の最終日、議長が閉会を告げると矢野は立ち上がるやいなや名札を倒していた。議場を退出する際には倒し、着席すれば立てるのが通常ではないのだろうか。名札の扱いについて東村山市議会にはどんな慣例があるのか知らないが、短時間の退出は別にして、早退を含めて欠席している議員の名札が立ったままというのは市民だけでなく他の議員にも誤解を招こう。

つれない返事

 さて、矢野に対しては確認しておきたいことがあった。武蔵村山市議のコメントで初めて明らかになった『東村山の闇2』に関してである。東村山中央図書館のサイトで検索すると『東村山の闇2――女性市議殺害事件20年目の真実』という書籍名が出てくる。『東村山の闇』の副題は「女性市議転落死事件」だった。つまり最初は「転落死事件」だったものが「殺害事件」へと変わったことになる。捜査機関は事件性を否定したが、矢野には「殺害事件」と断定する根拠があるということらしかった。

 それがどんな根拠によるというのか、20年間取材してきた者としては内容を読みたいと思うが、あいにく図書館は「貸出中」でいつ順番が回ってくるかわからない状態である。しかも「自費出版」ということだから、本を入手しようと思えば発行人に直接申し込むしかない。

 6月11日、矢野が委員を務める総務委員会が開かれた。3日前に早退した矢野も(一見)元気に出席していた。委員会終了後、控室前に矢野が戻ってきた。ちょうどいい機会なので、私は本のことを直接聞いてみることにした。以下は矢野とのやりとりである。



――本を売ってもらえない?

矢野  お前に売る本なんかない。

――せっかく出版したんなら、広く読んでもらわないと。

矢野  売る本なんかないんだよ。



 矢野は立ち止まることもなく、そう言い放つと控室の中に消えた。矢野は私に『東村山の闇2』を売ることを拒否したのである。武蔵村山市議や香川大学の教授には売っても、私には売れないとは、いったいどういう事情なのだろう。あるいは、その答えは『東村山の闇2』の中にあるのかもしれなかった。

(了)
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『聖教新聞』事件 第31回
 朝木明代の万引き事件をめぐり、明代が取り調べで主張した「レギュラーランチ」のアリバイは存在しないことが捜査の結果明らかとなり、明代は平成7年7月12日書類送検され、同年9月1日、東村山駅前のビルから飛び降り自殺を遂げた。ところが驚いたことに平成7年10月7日、東村山署の取り調べに臨んだ矢野は「食べたのは『レギュラーランチ』ではなく『日替わりランチ』だった」と主張を変えた。

 しかし、これに対して捜査官は当日の注文リストを矢野に示し、当日は「日替わり」も12時台にはすでに売り切れていて、彼らが行ったと主張する午後2時12分にはそれを注文することさえ不可能だったことを明らかにした。すると矢野は「ええっ? ウソっ!」と動揺を隠せず、ついには「そんなに早く(筆者注=売り切れていた12時台)行ったのかなあ」などと、それまで主張していたアリバイさえ自ら撤回してしまった。

 当初、その時間帯は矢野も明代もまだ総務委員会が開かれていた市役所6階にいたと供述していた。総務委員会がその時間まで開かれており、少なくとも矢野が総務委員として出席していたことは客観的事実である。したがって、12時台に彼らが「日替わりランチ」を注文し得ないことは矢野自身が客観的事実をもって裏付けていた。「そんなに早く行った」とすれば、矢野は自分自身の客観的事実をも否定することになる。あり得ない矛盾だった。

 リストを突きつけられて「日替わり」のアリバイまで否定された矢野の混乱ぶりが伝わってこよう。矢野はそれほど動転していたということである。捜査官から追い詰められた矢野はこうして、彼らのアリバイ主張がとうてい信用できないものであることを自ら明らかにしたのだった(前回まで)。

言い逃れを試みた明代

 では、万引きそのものの事実関係について矢野はどう主張していたのだろうか。その前にまず、万引き事件の事実関係を振り返っておこう。

 朝木明代による万引き事件が発生したのは平成7年6月19日午後3時15分ごろである。明代が店頭にやってきたことに気づいた店主は、以前にも明代が立ち去ったあと商品がなくなっていたことがあり、警戒していた。店主は選挙などで明代の顔を知っていた。「またやるんじゃないか」――そう思って見ていると、明代は再び店の外に吊るしてあったTシャツをハンガーから外すと、すばやく上着の下に隠してイトーヨーカドー方向に立ち去った。

 店主はただちにあとを追い、十数メートル先で追いつくと、明代を問い詰めた。明代は「知らないわよ」「いいがかりをつけないでよ」などとシラを切ったが、その場に盗んだTシャツを落としてイトーヨーカドーの中に逃げていった。明代はもともと、誰の目にも明らかな非を咎められても、簡単にそれを認めて謝るような性格ではなかったのだろう。

「娘」と勘違いした事情は?

 店主は店に客を残してきたことを思い出し、明代を追いかけることをあきらめて店に引き返した。店に戻ると、店にいた客を含めて3人の目撃者がいた。3人のうち2人は万引き犯が誰なのかは知らなかった。しかしそのうち1人、店にいた客だけは万引きした人物が「市議会議員でしょ」といい、「警察に言った方がいいわよ」と店主を励ました。店主はすぐに駅前交番に被害を届け出た。明代の自宅方向を指さしながら、「あそこの朝木にやられました」と説明したという。

「あそこの朝木に万引きされた」といわれた警察官はすぐに東村山署に無線連絡を入れた。どういう因縁か、東村山署では偶然にも、無線の聞こえる場所に副署長の千葉がいた。今から思えば、明代と矢野にとってその偶然こそ最大の不運だったのかもしれなかった。

「現職市議会議員による万引き事件」の発生を知った千葉は、ただちに署員を現場に急行させるよう指示した。この初動対応が、のちの矢野と明代による隠蔽工作をことごとく突き崩す捜査態勢と連携につながったような気がしてならない。

 ただその直後、本論とは関係ないが、それなりにきわめて興味深い出来事が起きていたことがわかった。上司から出動を命じられた警察官はイトーヨーカドーの店内を捜索したが、万引き犯(明代)を発見することはできなかった。それにはもっともであるとともに、意外な理由があった。警察官から説明を受けた店主によれば、その警察官は「朝木が万引き」と聞いてなぜか反射的に、万引きをしたのが明代ではなく明代の娘(直子か妹)だと思い込み、娘を探していたというのだった。

「朝木が万引き」と聞いた警察官がなぜ、明代ではなく娘だと思い込んでしまったのかは今も謎のままである。なにか警察官が不遜にもそう勘違いしてしまうような背景事情があったということなのだろうか。

目撃者が「万引き犯は市議会議員」と証言

 そんな勘違いはあったが、明代が洋品店で万引きをした事実はこんな状況で千葉の知るところとなった。

 店主が被害を届け出た時点で、店主は万引き犯が朝木明代であることを知っており、目撃者のうちの1人は万引き犯が「市議会議員」であることを知っていた。明代の取り調べの際、店主と目撃者3名は目の前で聴取を受けている人物と万引き事件の際に目撃した犯人が同一人物であることを確認し(筆者注=東村山署は被害者と目撃者による面通しを行った)、目撃者のうちの1人はそれが「市議会議員」であることを証言している。その目撃者はなんらかの事情で、朝木が「市議会議員」であることを知っていたのである。

 のちに矢野は裁判で、被害者に対して「犯人を追いかけたとき、『あなたは朝木さんですね』と確認したか」などと追及し、しきりに犯人と明代の同一性について信頼性がないのだと主張しようとした。しかし被害者が自信を持って「万引き犯は朝木明代」といっているだけでなく、目撃者の1人が「犯人は市議会議員」であるといい、その上で3人の目撃者が面通しで万引き犯と明代の同一性を証言しているのだから、万引き犯が朝木明代であるという事実は動かしようがないことは明らかだった。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第32回
目撃証言に難癖

 被害者は自分が見たままを正直に答えただけで、明代を陥れようなどという意図がないことは明らかだった。万引き犯が誰なのかはわらかなかった目撃者が2名の目撃者も、面通しの結果、明代と犯人の同一性を認めている。誰かさえわからない人間に対して、なんらかの意図など働かせるはずもない。犯人が誰かを知っていた目撃者と知らない目撃者の複数の目撃証言を総合した結果として「万引き犯は朝木明代である」と認定されたのである。その過程に事実以外のいかなる要素も加わっていない。

 これに対して矢野は、被害者や目撃者の対応に不審な点があるなどとする趣旨の主張をしていた。ところが事件から20年がたち、目撃証人に関する矢野の主張の中に、明代の犯人性を逆に立証する「自白」が含まれていたことが最近になって判明した。「明代を東村山市議だと知っていた」目撃者に関する主張である。

 矢野は陳述書で次のように供述していた。



(「目撃証人」に関する矢野の供述)

〈目撃証人とされながら、店主・○○(万引き被害者)は一切その人物について、明らかにしようとしていませんが、少なくとも店内の馴染みの女性客には、……〉

〈この「万引き」騒ぎに関して、「犯人は朝木だ」とか、店主に「警察に行け」などと、中心的役割を果たしている目撃者とされているファミリーレストランに勤務したことがある「店内の馴染みの女性客」について、……店主・○○は最大の証人としているのですから、……ただちに明らかにすべきです。未だに、住所・氏名を公表できないのは、公表できないような信用性に乏しい事情があるといわざるをえません。〉(筆者注=○数字は筆者)



 矢野自身が〈一切その人物について、明らかにしようとしていません〉と認めるように、矢野と朝木のお礼参りの被害にあっている被害者が、目撃者の身元が矢野に知られるようなことをするはずがない。

詳しすぎる情報

 さて上記の矢野の供述のうち、で万引き被害者が目撃証人についていっさい明らかにしていないことを認めているにもかかわらず矢野は、店内にいた目撃者が被害者の「馴染みの客」と断定している。しかし、被害者が証人についていっさい明らかにしていないことを知っている矢野が、店内にいた客を「馴染みの客」と知りうるはずがない。

 矢野はこう断定することによって、「馴染みの客」だからその証人は最初から被害者側の人間であり、その証言には信用性がないと主張したかったものと思われる。しかしそもそも「馴染み」の度合いも不明確である上に、むしろ明代のアリバイを主張している矢野と明代の関係はとうてい「馴染み」などというものではなかったようなのである。

 さて、上記の矢野の供述の中には、矢野が知りうるはずがない情報がもう1点含まれている。矢野は「馴染みの客」が〈ファミリーレストランに勤務したことがある〉人物だと記載している。「勤務したことがある」とは、過去には勤務していたが、現在は勤務していないという意味を含む。しかも勤務していたのはファミリーレストランだというのである。

 仮に警察が事情聴取でこの目撃者の過去の勤務先を聞いたとしても、そんな個人情報を被疑者であり、しかも犯行を否認している明代に教えることはあり得ない。また一方、被害者が目撃証人に関する情報について、名前や住所をはじめいっさい明らかにしていないことを矢野はこの陳述書で認めている。

 すると、そうであるにもかかわらず、矢野は「馴染みの客」に関する過去の勤務先までどうして知り得たのだろうか。きわめて不思議な矛盾だった。名前だけというのならまだしも、過去に限定された勤務先という詳細きわまる情報を矢野はなぜ知っているのか――矢野が陳述書を提出した当時から、この点に私は違和感を覚えていた。

笑殺された与太話

 平成26年8月31日、「行動する保守」Aが、香川大学教授が聞いたとする「拉致目撃談」を引っさげて東村山にやって来た。矢野も相手にしない与太街宣であるばかりでなく、矢野とは無関係であることを市民に表明させられただけの街宣だった。

 もちろん「行動する保守」Aほどの重鎮がそのことを自覚していないことはなかろう。しかしそうであるにもかかわらず「行動する保守」Aが東村山で街宣を行ったのには、それなりの目的と理由があったということと理解している。もちろんこの重鎮が支持者に内情をさらすはずはない。私と千葉は、「行動する保守」Aがどこまでも狡猾で、平気で嘘をつける人物であることをあらためて確認した。

 この日はその確認だけが収穫と思うしかない不幸な1日として終わるかと思われた。ところが街宣の終了後、被害者の無事を確認しに行ったところ、「行動する保守」Aの与太話を一瞬でかき消してしまうほどの鮮烈な収穫が私たちにもたらされた。被害者が最近知ったという明代の万引き事件に関する2つの新情報だった。

「行動する保守」Aのデマ街宣を取材しに行かなければ、新情報を知ることもなかったかもしれない。その意味では、これまで東村山に多大な迷惑をかけてきた「行動する保守」Aは、矢野の意に反し、最後の街宣(普通の感覚ではそう思う)で思わぬ貴重な社会貢献をなしたのかもしれなかった。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第33回
きわめて正確だった矢野の記述

 平成26年8月31日、東村山駅東口で「行動する保守」Aが行った間の抜けた街宣の終了後、私と千葉は万引き被害者から2つの新しい証言があったことを知った。

 1つは、矢野が陳述書で〈中心的役割を果たしている目撃者とされているファミリーレストランに勤務したことがある「店内の馴染みの女性客」〉と記載した目撃者に関する情報だった。被害者が聞いたところによると、この目撃者は万引き事件が起きる以前、矢野のいうとおりファミリーレストランで働いていたという。被害者もそのことを最近知ったのである。

 千葉も初めて聞く事実だった。そもそも目撃者が以前どこで働いていたかは明代の万引きとは無関係だから、警察もこの目撃者が以前どこで働いていたかなど聞かなかったのである。

 すると矢野は、「店内の馴染みの女性客」という目撃者が「かつてファミレスで働いていた」という事実をどうして知り得たのだろうか。被害者はいっさい明らかにしていないと矢野は認めているし、その事実を知らなかった警察から教えられるはずもない。

 被害者が聞いた話によれば、目撃者が勤めていたのは当時、明代の自宅からも「草の根」事務所からも徒歩で5分以内の位置にあったファミリーレストランである。東村山駅の1キロ圏内には4つほどのファミレスがあったが、その中でも明代の自宅に最も近かった。

 そのファミレスは和食系の店で、明代はよく食事に来ていた。つまり明代は常連客だったから、目撃者はよく顔を知っていただけでなく、明代が市議会議員であることを知っていたのだという。

 では万引き事件当時、目撃者がなぜもう勤めていなかったのかというと、そのファミレスは平成7年2月(万引き事件の4カ月ほど前)で閉店していた(ちなみに現在は、ネットカフェになっている)のだった。したがって、矢野が陳述書に記載した「勤務したことがある」という記述はきわめて正確な情報だったのである。矢野はなぜそんなことまで知っていたのだろうか。

目撃者を知っていた人物

 目撃者は万引き事件発生時には店内にいた。しかし店主が万引き犯を追いかけて行くとすぐ店先に出て、10メートルほど先で店主が犯人を問い詰めている光景を目撃した。問い詰められていたのは、かつて務めていたレストランで客と従業員として何度も顔を合わせたことのある市会議員だった。

 10メートルしか離れていないのだから、目撃者は容易に明代の顔を確認できた。すると当然、明代の側から見ても、店先からこちらを見ているのがファミレスで何度も会ったことのある女性であることに気づいたとしてもなんら不自然ではない。というよりも、店から見ている目撃者が「ファミリーレストランに勤務したことがある人物」であることを知っていたのは、万引き現場には明代しかいなかった。

 すると、被害者も警察も知らない事実を、矢野がきわめて詳細かつ正確に知っていた理由は、万引き現場で明代がこの目撃者の存在を確認しており、その事実を矢野に伝えていたからであると考える以外にない。つまり、矢野が目撃者に関して陳述書に記載した内容は犯人しか知り得ない事実であり、「秘密の暴露」にほかならない。

 すなわち矢野は目撃者に関する詳細な情報を記載したことによって、明代が万引き犯であることを認めていたということだった。目撃者に関する新情報は、矢野の陳述書の記載を再確認することによって、明代が万引き現場にいたことを裏付ける重要な証言となった。

 矢野は明代以外には誰も知らなかった目撃者の情報を記載することで、目撃者を牽制でもするつもりだったのかもしれない。しかしそれから20年がたち、矢野が目撃者について記載した内容は、明代が万引き犯であるという事実を裏付けることとなったのである。

 平成7年10月7日、東村山署の取調室で「日替わりランチ」のアリバイを否定された矢野は、次々に食事の時間帯を変遷させて自滅した。その事実と今回明らかになった目撃者に関する新情報を重ねると、明代が万引き犯であるという事実が動かしがたいものであることがより鮮明なものとなろう。明代にとって、自分もよく知っている「ファミリーレストランに勤務したことがある人物」に目撃されていたことも、起訴後を悲観させる要因だったのかもしれない。

新たな目撃情報

 もう1つの証言は、万引き直後の明代だったのではないかと推測させる目撃情報だった。その目撃情報とは、万引き事件のあった日、「店内に明代が飛び込んできた」というものだった。その店がどこなのか、時間帯も特定できなかった。しかし一般に、人が店に「飛び込む」という状況はそうそうあることではない。少なくとも通常の入り方ではないといってよかろう。

 明代が「店内に飛び込む」という異常な行動をとるには相当の理由がなければなるまい。明代が異常な行動をとってもおかしくない理由とは何だろうか。またその時間帯はいつで、店とはどこなのか。最も自然に想定されるのは、万引きをして店主に問い詰められた直後である。店主から逃げた明代はイトーヨーカドーに逃げ込んだのである。

 明代が逃げ込んだのはイトーヨーカドーの西側入口で、入口ドアは歩道から階段を数段降りた位置にある。逃げてきた明代が階段を駆け降り、その勢いのまま店内に入ってきたとすれば、店内から見ればそれはまさに「飛び込んできた」という光景である。目撃者が見たのはイトーヨーカドーだったと推定するのは不自然とはいえまい。

 万引きが見つかって問い詰められなければ、明代はイトーヨーカドーに「飛び込む」こともなかったのである。したがってこの新証言もまた、明代の万引きの事実を裏付ける有力な傍証といえるのではあるまいか。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第34回
「緑がかった色」で「薄い色」

『聖教新聞』裁判で矢野が明代の「万引き」を否定するにあたり、「アリバイ」主張とともに最大限のエネルギーを傾注したのが、万引き事件当日の明代の服装に関する主張だった。

 明代を目の前で追及した被害者は明代の服装について「グリーングレーのパンツスーツ」で、「スーツの下には黒のチャイナカラーのブラウスを着ていた」と証言している。ここでいう「グリーングレー」とは「グリーンがかったグレー」という意味で、被害者が独自に用いた表現で、「チャイナカラー」とは襟がいわゆるチャイナドレスと同じ形状をしたものである。なお被害者の供述によれば、万引き当時、明代は上着のボタンをはずしており、黒のブラウスがよく見える状態にあったという。

 ところが矢野は裁判で、万引き事件当日の明代の服装は被害者の供述とは違うものだったとする主張を展開したのである。つまり被害者の証言にある万引き犯の服装と明代の当日の服装は一致しないから、明代は万引き犯ではないというのだった。その主張はどこまで合理性と信用性のあるものだったのか。

 まず矢野は、陳述書で次のように主張している。

〈当初、目撃者らは、万引き犯は「黒っぽいスーツ姿」だったと証言し、店主も犯行直後には、万引き犯は、グリーングレーのパンツスーツ、襟がチャイナカラーのブラウスを着用していたと供述していました。〉

 被害者は明代の服装について「グリーングレー」だったと供述しているが、前述したように、その色は「グリーンがかったグレー」であり、黒っぽいというものではない。ところが矢野の上記の供述からは、「黒っぽいスーツ」だったとする目撃証言(筆者注=矢野の主張)の紹介に続いて被害者の証言を〈店主も〉とつなげることで、被害者の証言する「グリーングレー」が「黒っぽいもの」を意味するものであるかのように主張しようとしているものと理解できる(なお、明代の服装を「黒っぽいスーツ姿」と証言した目撃者は1人だけで、これは矢野の「他殺説」に与する野田峯雄というジャーナリストの取材によるものである)。

 被害者は尋問でも「グリーングレー」の色合いについて具体的にこう供述している。



(「グリーングレー」の色合いに関する被害者の供述)

――あなたが見た(犯人の服の)色、何色でしたか。

被害者 「グリーングレー」です。

――どんな感じの色でしたか。

被害者  グレーで、でも緑っぽい。

――緑っぽい。

被害者  はい、緑がかった色です。

――濃い色でしたか、薄い色でしたか。

被害者  どちらかといえば、薄い色だと思います。

――黒っぽい服じゃなかったでしたか。

被害者  黒はブラウスです。



 一言で「グリーングレー」といっても、これは常日頃服飾を扱っている洋品店主が目の前で見た服装に関してきわめて微妙な色合いを伝えようとした表現である。それも法廷で、迷いなく、明確に「グレー」の「緑がかった色」で「薄い色」と供述していることは重要である。矢野は陳述書で、被害者の証言する「グリーグレー」が「黒っぽい」色であるかのように強引に曲げようとしているようにみえる。

自ら被害者の証言の正しさを証明

「黒っぽいスーツ姿」だったと証言した目撃者の情報を矢野に提供した野田の報告書によれば、この目撃者はイトーヨーカドーを出たところで、店主が明代を追及している場面を見たという。しかし、野田が取材した目撃者の証言が勘違いだったことはのちに明らかになる。

 明代は東村山署で虚偽のアリバイを主張した際、万引き現場には行っていないとして事件の1時間前に立ち寄っていたたくぎんの振込記録を提出した。万引きよりも1時間前だから、それはもちろんアリバイの証拠にはなり得ない。

 しかし東村山署が念のために防犯カメラの映像を確認すると、明代の供述するとおりの時刻(14:12)にキャッシュコーナーを利用する明代の後ろ姿が映っていた。明代が万引き事件を起こす前に銀行で振込をしていたことだけは確かだった。振込の内容は、矢野と明代が当時はほぼ毎月発行していた政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』の新聞折り込み代金15万6078円である。

 東村山署は静止画像を入手して被害者に見せると、被害者はその後ろ姿は明代であると断言した。その根拠は、髪形や服装、持っているバッグなどの特徴が万引き現場の明代と同じだというのだった。

 その映像は白黒で、上着の色は白っぽく映っていた。静止画像は被害者の「グリーングレー」で「薄い色」という供述の確かさを裏付けており、野田が取材した目撃者の「黒っぽいスーツ姿」だったという証言を否定していた。皮肉なことに明代は、虚偽のアリバイを主張するために振込記録を提出したことで、逆に被害者の申告内容の正しさを証明してしまったことになる。

 それでも矢野は、この裁判で明代の銀行振込の際の静止画像に基づき、明代の万引きを否定しようとしていた。その手始めが、被害者の証言する「グリーングレー」が「グレー」を基調とする色ではなく「黒っぽいスーツ」という趣旨であると主張することだった。万引き現場で見た犯人の服装が「黒っぽい」ものだったということになれば、明代の当日の服装とは異なることになる――それが矢野の狙いだった。

『週刊新潮』でも「グレーっぽい」という目撃者

 ちなみに、明代が窃盗容疑で書類送検された直後に発行された『週刊新潮』(平成7年8月25日号)には次のような目撃者の証言が紹介されている。

「犯人がショートヘアで、グレーっぽいパンツスーツ姿の女性だったことは覚えています」

 のちに矢野のデマ宣伝を盲信してしまった『週刊新潮』でさえ、万引き犯の服装は「グレーっぽいパンツスーツ」だったとする目撃者のコメントを紹介していること、さらにこの目撃者が色について「グレー」ではなく「グレーっぽい」と答えている点は重視すべきである。この目撃者は「グレー」ではあるが、普通の「グレー」とも違う色と認識したことがわかろう。

 服装の専門家である被害者は明代の服の色について「グリーングレー」すなわち「グリーンがかったグレー」だったと証言した。服装の専門家ではないこの目撃者の表現は、事実を説明するという意味において、被害者が証言する「グリーングレー」と矛盾しない。むしろ矢野は「白っぽい色」であることが証明されている明代の服装との同一性を否定するために、被害者の証言する「グリーングレー」を強引に「黒っぽい色」にしようとしていたようにみえる。

 それには理由があった。矢野によれば、矢野と朝木は平成7年9月に東京地検で事情を聴かれた際、銀行振込をする明代の静止画像を見せられたという。画像は白黒だが、少なくとも朝木のスーツの色は「白っぽく」映っていたのである。

(つづく)
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