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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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『聖教新聞』事件 第42回
相手にしなかった東京地裁

 矢野が作成した「再現画像」をめぐっては『東村山の闇』でも多くの紙幅を費やしており、矢野なりにかなりのこだわりがあったことがうかがえる。着せ替え人形よろしく朝木直子に母親の偽物のスーツを着せ、たくぎんから許可を取りつけてやっと実現した撮影である。苦労して撮影に成功した「再現画像」を放棄するには矢野のプライドが許さなかったらしかった。

 本件『聖教新聞』裁判では、矢野が作成した「再現画像」と捜査機関が保管している本物の「静止画像」について、千葉は「似ている」と供述したにすぎないにもかかわらず、矢野はこれを強引に「同一」と認めたことにした。被害者の証言については朝木に着せたベージュのスーツと「再現写真」のスーツが同じとした部分だけを取り上げ、明代の服装は万引き犯とは異なるから、明代は万引き犯ではないと主張した。被害者は万引き犯(すなわち明代)のスーツの色について「グリーングレー」だったと証言していた。したがって、「明代は万引き犯ではない」というのだった。

 矢野の主張が事実と認められれば、「再現画像」は捜査機関の結論を覆す重大な証拠となろう。しかし東京地裁は、矢野の「再現画像」をめぐる主張には触れさえしなかった。

被害者の供述を紹介

 そのせいか、矢野は平成15年に発行した『東村山の闇』では「再現画像」に関する主張の内容を少し変えていた。その記載を確認しておこう。

 矢野はまず「再現画像」に関する千葉の尋問結果を次のように結論付けている。



(『東村山の闇』における「再現画像」に関する主張①)

千葉副署長  服もちょっと断定はできませんが、雰囲気としてはよく似ておりますね。鮮明ですね。撮影を教えていただければ幸いですが。
 
 この再現写真が、鮮明であって、朝木議員の服装とよく似ている。

 このことを千葉副署長は、ついに認めた。……つまり、服装も同じであるのは当然の認識なのだ。



 千葉が「再現画像」と本物の「静止画像」の同一性を供述したことにしている点は裁判における主張と同じである。変更がみられるのは、続く被害者の供述に基づく主張だった。その主張の前に、矢野は準備書面では記載しなかった被害者の供述をあえてそのまま紹介していた。



(『東村山の闇』における「再現画像」に関する主張②)

 ○○(筆者注=実名)店主は、千葉副署長が鮮明で朝木議員の服装とよく似ていると証言した「再現写真」を見せられ、万引き犯人の服装について尋問された。

朝木議員側弁護士  犯人が着ていた、あなたがいう、その服装の特徴というのは、この写真と比べてどうですか。

○○筆者注=実名、以下同)店主 ちょっとちがうような気がします。

……

朝木議員側弁護士  どこが違うの。

○○店主  機械もちがうし、この立っている人もちがうような気がします。服装が違うような気がします。

朝木議員側弁護士  あと、スーツは。

○○店主  スーツ。スーツも何か違うような気がします。

朝木議員側弁護士  何か違うというのは、どこが違うかいえますか。

○○店主  形が違うような気がします。

……

朝木議員側弁護士  このブラウスの襟はどうですか。

○○店主  ブラウスも何か違うような気がしますけど。

……

朝木議員側弁護士  この写真(筆者注=「再現画像」)は、……あなたの記憶に残っている、あなたが見せられた写真の服装の特徴と違うんですね。

○○店主  はい、違います。



 矢野作成の「再現画像」を見せられた被害者が、そこに写ったスーツは「自分が見た本物の『静止画像』のスーツとは違う」と供述している場面である。被害者は警察で見せられた本物の「静止画像」に写ったスーツは万引き犯と同じと証言している。つまり「再現画像」は本物の「静止画像」を再現したものではないと供述しているのである。したがって本来なら、この供述は矢野にとって有利なものとはいえない。

 だから裁判の際、矢野は上記の尋問の場面を引用しなかったものと思われた。裁判で矢野はまず、「千葉が『再現画像』と『静止画像』の同一性を認めた」とすることにエネルギーを傾注していた。そのためには「再現画像」と「静止画像」の同一性を否定する被害者の供述は邪魔だった。

 だから、被害者が目撃した犯人の服装すなわち本物の「静止画像」の服装と「再現画像」の服装が異なることを供述した部分にはいっさい触れず、もちろん引用もしなかった。むしろ当時の矢野の判断では、その部分に触れることはマイナスと考えたとしても不思議はない。

準備書面とは異なる主張

『聖教新聞』裁判で準備書面を提出してから3年がたち、「再現画像」をめぐる矢野の主張にも『東村山の闇』では論理的に大きな変化が起きていた。『東村山の闇』では「千葉は『再現画像』と本物の『静止画像』の同一性を認めた」という主張を読者に対して最初に示し、それを前提事実として主張を組み立てていた。

 もちろん読者は実際の尋問を見たわけではないから、千葉の尋問の様子を最初に示されれば、それを前提とする主張を比較的容易に受け入れやすいだろう。「騙されやすい」と言い換えてもよかろう。『東村山の闇』をまとめる時点で、矢野は「千葉は『再現画像』と本物の『静止画像』の同一性を認めた」ことを前提にして、万引き犯と「再現画像」に写った明代の服装が違うと結論付けるために被害者の供述を利用することを思いついたようだった。

(つづく)
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元市議が矢野穂積を提訴
 平成27年10月9日、政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』第186号に掲載された記事によって名誉を毀損されたとして、元東村山市議山川昌子は同ビラを発行する東村山市議の矢野穂積(「草の根市民クラブ」=発行人)と朝木直子(同=編集人)に対し300万円の損害賠償の支払いを求めて東京地裁立川支部に提訴した。

 矢野と朝木は『東村山市民新聞』という名の政治宣伝ビラを最近では年4回発行し、1号当たり4万5000部を東村山市内にポスティングによって各戸配布している。

「詐欺に関与」と断定

 彼らは平成27年7月31日付で同ビラ第186号を発行したが、訴状で山川が問題にしている記事は同ビラに掲載された2本の記事。1本目は1面に掲載されたもので、

〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉

〈創価、元市議らが仲介して〉

〈言葉巧みに、一般市民から、借りて1860万円も返さず〉

 との見出しの記事である。記事はまず、事件の概要を以下のように説明している。

「被害者は山川の紹介でMと知り合い、Mの仲介で、Mの妹のSに3年間で2140万円を貸した。ところが1860万円がまだ戻ってこない。被害者は東京地裁に提訴し、Sが返済することで和解が成立したが、当初は返金していたものの、返済が滞った。被害者はMの紹介者である山川に相談したが、いまだ1860万円が未返済のままだ」(=要旨

 問題はその後である。矢野はこう続けている。

〈山川元公明市議は口では被害者女性の味方になってお金を取り戻すそぶりをしていたが、結局はお金を巻き上げる連中の口ききでしかなかった。〉

「被害者は山川に相談し、山川は被害者に協力したが、返金は滞ったまま」という事実はあった。ところが矢野は、見出しで〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉と断定した上、山川が協力したことが「口先だけ」で、〈お金を取り戻すそぶり〉したにすぎず、実体は〈お金を巻き上げる連中の口利き〉つまりはグルであると記載している。どう転んでも、読者が「山川は1860万円の詐欺に関与した」と理解するのは明らかではあるまいか。

本人には取材なし

 2本目の記事は2面に掲載された、

〈本山破門「御本尊」放棄の政治集団化の先は、「詐欺集団?」〉

〈新興宗教の衣を脱ぎ捨てた集団〉

 との見出しの記事である。とりわけ〈「詐欺集団」〉という文言が関心を引く。今度は創価学会全体が「詐欺集団」だという趣旨であると理解できる。

 読者にそう印象付けた上で、本文ではこう記載している。

〈少なくとも仲介のような役割を果たした山川元公明党市議も(前掲Sが)1860万円を返そうとしていないことについて、知らん顔をしています。〉

〈元議員の立場で、貸金の仲介者のような役割を果たしながら、山川元市議は「知らん顔」、あきれた人たちです。〉

 矢野の主張によれば、山川は〈詐欺集団〉の一員ということになろうか。その山川が〈貸金の仲介者のような役割を果たした〉というのだから、1面の記事と同様に読者はこの記事も「山川は詐欺に関与した」と理解してもなんら不思議はない。

 山川は訴状で、〈上記記載は、「原告が詐欺事件に関与した」との虚偽の事実を摘示し、原告の人格的価値について社会から受ける客観的評価を著しく低下させるものである。〉と主張している。

 山川は「詐欺に関与した」どころか、人に貸した金を返してもらえないと被害者から相談を受け、被害者を伴って警察や弁護士に相談するなど、むしろ解決のために協力したという。ところが記事では、逆に「詐欺の関与」したことになっていた。

 記事掲載までに矢野もしくは朝木から山川に対する取材はいっさいなかったという。矢野はどんな根拠をもってこの記事を掲載したのか。裁判では当然、その立証が求められよう。

 山川は提訴に踏み切った理由をこう語っている。

「被害者のために尽力した者を、逆に『詐欺に関与』したと中傷するのは、人の善意を踏みにじり悪用する行為で、許容の限度を超えるものです。しかも、市民に奉仕すべき市議会議員の地位にありながら、善意の市民を陥れようとする被告らの卑劣さは断じて放置すべきではないと思います」

繰り返される誹謗中傷

 これまで矢野と朝木は『東村山市民新聞』で東村山市の行政関係者や市議に対する誹謗中傷を繰り返してきた。明らかな名誉毀損と思われる記事が掲載されたこともある。しかし、これまで提訴された例はあまり多くない。むしろそのほとんどが放置しているのが実情である。

 公務員だから、あるいはつまらない悪口に付き合っている暇はないという事情はあろう。しかし、同新聞に掲載される誹謗中傷を事実と受け止める市民が存在することも事実で、それは彼らが市議の地位にあることからも明らかである。矢野と朝木から誹謗中傷を受けることに慣れてそれを放置することは、市民の利益に反するのではあるまいか。

 とりわけ市外から転入してきた新住民にとっては、「ここまで書く以上は本当なのだろう」と受け取っても不思議はない。『東村山市民新聞』は彼らにとって議席を確保するための重要な手段にもなっている。

 今回の山川に関する記事も、〈元公明市議〉を見出しにすることで、公明党・創価学会に批判的な市民の共感を得ようとする意図もうかがうことができる。仮に本件記事に事実の裏付けがないとすれば、記事は市民を欺いて共感を得ようとするものにほかならない。山川はそのために「詐欺の共犯者」にされたということになる。

 なお、山川は今後、刑事告訴も検討するという。

千葉と私が公選法違反容疑で彼らを告発した事件は、処分結果について東京地検立川支部からまだ連絡がない)

(了)
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『聖教新聞』事件 第43回
「静止画像」と「目撃した服装」をすり替え

 矢野が作成した「再現画像」に写ったスーツをめぐり、被害者は尋問で「本物の『静止画像』に写ったスーツとは違う」「万引き犯の服装と本物の『静止画像』のスーツは同じ」「万引き犯の服装と『再現画像』のスーツは違う」と供述した。矢野は『東村山の闇』で、準備書面では引用しなかったこの被害者の供述のもようを引用した。

 この供述の中には、当然だが、矢野にとって不利な供述が含まれている。したがって、被害者の供述を矢野が自分に有利に利用するには、被害者の供述の趣旨を変質させておく必要があった。矢野は被害者に対する尋問をそのまま引用した直後にこうまとめていた。



(被害者の尋問に対する矢野の説明――『東村山の闇』)

 長々と、弁護士とのやりとりを紹介したのは、千葉副署長が鮮明で朝木議員の服装とよく似ていると証言した「再現写真」の服装と、○○店主(筆者注=実名)が自分の記憶に残る真犯人の服装とは違うと、はっきり証言したことを知っていただくのが目的である。



 奸智のかぎりを尽くしたというべきだろうか。

 被害者は①「再現画像」に写った服装と自分が目撃した犯人の服装は「違う」と供述した。これは間違いのない事実である。しかし被害者はこの尋問の中で同時に、②本物の「静止画像」に写った服装は犯人の服装と「同じ」であり、③「再現画像」に写った服装は本物の「静止画像」とは「違う」――と供述している。

 とりわけ矢野が引用した尋問の最後の場面では、矢野の代理人から「(再現画像の服装は)あなたが見せられた写真の服装の特徴と違うんですね」と念を押された被害者は、「はい、違います」と答えている。被害者の上記供述が意味するのは、「万引き犯の服装と本物の『静止画像』の服装は同じだが、『再現画像』は本物の明代の服装を写したものではないから万引き犯の服装とは異なっており、『静止画像』の服装とも異なっている」ということである。

 ところが矢野は読者に対し、上記②と③の部分にはいっさい触れることなく、「千葉は『再現画像』と『静止画像』の同一性を認めた」とした上で、被害者の供述の趣旨を「自分が見た犯人の服装と『再現画像』の服装は違う」と供述したとのみ説明している。被害者の供述がそれだけなら、確かに「明代にはアリバイがあった」という結論になるのである。

 あらためて被害者に対する尋問の中から最後の供述だけを再掲してみよう。

朝木議員側弁護士  (この写真=筆者注=「再現画像」は)あなたの記憶に残っている、あなたが見せられた写真の服装の特徴と違うんですね。

○○(筆者注=実名)店主  はい、違います。

 矢野は被害者が「自分が見た犯人の服装と『再現画像』の服装は違う」と供述したと結論付けるために、最後の被害者の供述を、「『再現画像』の服装と被害者が目撃した万引き犯の服装は違う」と答えたことにすり替えていることがわかろう。被害者が最後に供述したのは、「『再現画像』の服装と本物の『静止画像』の服装は違う」すなわち「『再現画像』と本物の『静止画像』は同一ではない」ということでもあるのである。

奸智を尽くした詭弁

 被害者の最後の尋問で、「『再現画像』の服装は〈あなたが見せられた写真の服装〉=本物の『静止画像』の服装と違うと答えただけであるにもかかわらず、矢野は「再現画像」の部分を「万引き犯」にすり替えた。その上で矢野は、次のように結論付けた。



 (「再現画像」をめぐる矢野の結論――『東村山の闇』)

 つまり、○○店主(筆者注=実名)が目撃した『犯人』は、朝木明代議員の当日の服装とは違っていた。朝木明代議員はこの「万引き騒動」とは無関係だったことが、はっきりした。



 矢野は『東村山の闇』において、被害者と千葉の尋問の順序を入れ替え、千葉の供述を強引に自分の都合のいいように解釈し、さらに被害者の供述の重要な部分(上記②本物の「静止画像」に写った服装は犯人の服装と「同じ」であり、③「再現画像」に写った服装は本物の「静止画像」とは「違う」――と供述した部分)を最後の説明ではなかったことにし、さらに被害者の最後の供述部分のうち「再現画像」を「実際に目撃した万引き犯」に入れ替えて解釈した。

 この「結論」に至るまでに矢野がどれほどの智略をめぐらしたかがわかるのではあるまいか。遠く常人の理解の及ばない執念というほかない。

 仮に本当に明代が万引き犯でなければ、実際に行われた尋問の順番どおり「被害者」→「千葉」の順に紹介し、結論を述べればすむのであって、ここまでの複雑怪奇な操作をする必要はない。逆にいえば、矢野はそうまでしなければ、明代のアリバイは立証できないことを自覚していたということになろうか。

 被害者はこの尋問で、万引き犯が明代であること、本物の「静止画像」にはその明代が写っていたこと、「再現画像」に写った服装はニセモノであることを供述しているのであり、千葉もまた「似ている」とはいったが、それは「静止画像」との同一性を認めたものでもない。矢野は白黒に印刷すれば似た色合いになるスーツを選び、「再現画像」を作成したものにほかならない。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第44回
朝木が作成したイラストを提出

『聖教新聞』裁判でもう1点、矢野が力を入れて主張したのが、明代の司法解剖鑑定書(以下=鑑定書)に記載されていた「上腕内側部の皮下出血の痕」についてである。矢野はその「皮下出血の痕」が明代の転落死に第三者が介在した証拠であると主張し、その後の『東村山の闇』でも同じ主張を行っている。

 矢野はその際、鑑定書を提出するとともに、鑑定書の記載を元に朝木直子が作図したとする明代の上半身のイラストを証拠として提出し、「上腕内側部の皮下出血の痕」の位置を示していた。イラストは上体全体のアウトラインを型取り、鑑定書に記載された内出血の位置を番号で示したものと、上腕内側部だけを拡大して描いた「上腕内側部の皮膚変色部(皮下出血部)」、「上腕内側部の皮膚変色部(皮下出血部)」(左右がある)と表題が付いたものの2種類である。

 とりわけ上腕内側部のイラストには鑑定書の記載に基づいて印したと思われる皮下出血痕の部分が四角く斜線で囲んで示されていた。その部分がまさに「犯人」から落とされた際に握られた痕だというのだった。

 千葉によれば、通常、人間の手でつかまれて内出血が生じた際には、痕が四角くなることはないという。人間の指は先端が四角ではなく丸いから、内出血の痕も丸くなるというのである。きわめて納得のいく話だった。

 なお鑑定書には、イラストに示された通りの内出血の痕があったことを示す記載はあるが、それが人間によってつかまれた可能性を示唆する見解や、内出血の形状、特に矢野が「つかまれた痕」と主張する指の先端に該当する部分が丸みを帯びているなどとの記載はない。矢野が主張するように、「上腕内側部の皮下出血の痕」が明らかに他人が介在した痕と認められるのなら、鑑定書にその旨の見解があってもおかしくないが、そのような見解もいっさい記載されていない。

矢野が最後に会った可能性

 明代の転落死に他人が介在していたとすれば、矢野と朝木が主張するように、明代が転落した平成7年9月1日午後10時までの間に明代は「拉致」されていなければならない。しかしその夜の目撃情報等から総合的に判断すると、明代が第三者に拉致された可能性はないことは明らかだった。

 明代が最後に目撃されたのは9月1日、午後9時過ぎである。明代は自殺現場の前あたりで東村山駅方面から自宅方面に向かって1人で歩いているのを目撃されている。その後、明代は同9時19分に自宅から事務所にいた矢野に電話をかけ、「ちょっと気分が悪いので、休んでいきます」と伝え、矢野は「はい、はい」と答えた。

 自殺現場のビルから明代の自宅までは徒歩で10分程度。明代は午後9時13分にも自宅から事務所に電話をかけているから、自殺現場近くで目撃された明代はそのまま自宅に帰ったとみるのが自然である。

 明代は自宅に帰ると、ほどなく矢野に電話をかけたことが推測される。矢野と朝木は「明代は自宅から拉致された」と主張しているが(当初、矢野は「事務所から拉致された」と主張していたが、『聖教裁判』で根拠を追及されて以後、「事務所からの拉致説」を放棄した)、明代が矢野に電話をかけるまでの間に「拉致」されたとすれば、これほどスムーズにかけることは不可能ではあるまいか。また電話での話しぶりにも、明代の身に異状が起きた様子はうかがえない。

 明代と電話で話した矢野もまた、明代がとりわけ「拉致」というような異常な状況にあるなどとはみじんも感じてもいないようだった。むしろ矢野は、明代の状態を楽観していた。矢野は『東村山の闇』でこう述べている。



(明代の「最後の電話」に対する矢野の受け止め方)

 彼女は「休んで行きます」と言った。第一、彼女には今日中に仕上げなくちゃならないワープロ打ち掛けの「講演原稿」もあるし(※筆者注)、予定外の「質問通告」の話もある。「行きます」と言ったのだから、そんなにひどい状態でもなかろう。大したことでもないはずだ。彼女が事務所に戻ってから、聞いてみればいい。

※筆者注=矢野は事務所に帰ってきたとき、「ワープロが打ち掛けになっていた」と説明している。しかし事務所の中の状態がどうだったかについては、矢野がそう説明しているだけで、なんら客観的証拠はない。矢野は当初、「明代は事務所から電話で誘い出され、拉致された」と主張していた。明代が仕事の途中で誘い出されたという状況に整合性を持たせるために、「ワープロが打ち掛けになっていた」ことにした可能性が高い。事務所からの拉致説を放棄したあと、当初説明した「事務所の状況」だけが撤回するきっかけを失い、はしごを外された状態で取り残されたということではなかろうか。)



 矢野は9時19分の電話のあと、明代は事務所に戻ってくると受け取ったことがわかる。矢野は明代の電話になんらの異状も感じなかったのである。しかも明代はその6分前にも1度事務所に電話をかけている。拉致、監禁された状態で、明代が2度も電話をかけることができたと考えるのは無理があろう。矢野が電話から感じたとおり、明代はそのとき、第三者によって何かを強制されたり自由を奪われたりといった状態にあったわけではないということなのである。

 すると、矢野と朝木が主張するように、明代が何者かによって転落現場のビルまで拉致されたとすれば、午後9時19分から転落した午後10時までの間ということになる。その可能性はあるのだろうか。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第45回
「自宅に異変はなかった」

 午後9時19分に明代が自宅にいたことは、矢野が法廷に提出した朝木宅の電話発信記録から、それが客観的事実であることが証明されている。明代は矢野に「休んで(から事務所に)行きます」といったのだから、そのまましばらく自宅にいたのだろう。すると、矢野と朝木の主張に従えば、明代は自宅にいたところを拉致されたと考えるのが自然である。

 ところが朝木は尋問で、「自宅からの拉致」を否定する供述をしている。朝木は午後10時前に事務所の矢野に電話すると矢野はこう答えたという。

「おかあさんから、9時すぎに電話があって、『気分が悪いので休んで行く』といっていたから、自宅だと思うよ」(『東村山の闇』)

 この時点でも矢野は、「明代は拉致された」とはいっていない。事務所に明代がいないことを知った朝木は、矢野が心配な様子をみせていないにもかかわらず、すぐに自宅に向かった。朝木が自宅に到着したのは10時25分だったという。仮に明代が拉致されたとすれば、女性とはいえ、力ずくで1人の大人の体の自由を奪うわけだから、家の中には多少なりとも痕跡が残るだろう。ところが、自宅に帰り着いた朝木は、自宅になんらの異状も感じなかったと供述している。何もなかったということは、明代は自分で自宅を出たということである。

2時間電話しなかった矢野

 では、自宅を出た明代はどこへ行ったのだろうか。明代の行き先を推測させるのが、その後に朝木が矢野にかけた電話と、矢野の対応だった。自宅に明代がいないことを確認した朝木は午後10時30分、事務所の矢野に電話し、警察に連絡してくれるよう依頼した。矢野は朝木の電話を受けてすぐに東村山署に連絡したと説明している。

 ところが実際に矢野が東村山署に電話したのは翌9月2日の0時30分ごろだった。矢野は対応した警察官に「昨日の午後9時15分ごろ事務所に電話があって、少し休んでから事務所に行くといっていたのに、この時間になっても来ないので」と説明したというのである。「昨日の午後9時15分に電話があってから」といっているのだから、矢野が電話したのが朝木が依頼した直後ではなく、日付が変わった時刻だったことは明らかだった。

 では矢野はなぜ、朝木に頼まれた直後に警察に電話しなかったのだろうか。また警察に連絡したのが9月2日だったにもかかわらず、なぜ朝木から「頼まれた直後に電話した」と説明したのだろうか。

 普通、夜の10時半という時間に、事務所に来るはずの市議会議員が来ず、自宅にもいないからといって警察に安否を問う者などいない。あるとすれば、何かよほどの事情がある場合に限られよう。警察が通報者に事情を聞くのは当然と思われる。

 当時、明代はすでに東京地検から呼び出しを受けていて、客観的にみて、家族が安否を心配してもおかしくない状況にあった。だから朝木は警察に連絡してくれるよう矢野に依頼した。自分で電話しなかったのはおそらく、母親の万引きのことを説明しなければならないのがいやだったのだろう。

 では、朝木から警察に連絡してくれるよう依頼された矢野はどうだったか。午後10時30分という時間帯に、警察に市議会議員の安否を尋ねるなど普通では考えられない。矢野が明代の安否を心配する必要はないと感じたなら、「その必要はないと思うよ」と朝木の依頼を断るのではなかろうか。あるいは「もうちょっと様子をみてからにしよう」とでもなだめるのではあるまいか。

 ところが矢野は、朝木の依頼を断らず、しかもその直後に警察に電話したと言い張った。ここには矢野のきわめて複雑な心理がのぞいていよう。矢野があわてて電話をかけてきた朝木の依頼を断らなかったのは、それだけの事情があることを矢野も知っていたからだろう。

 しかし矢野には、朝木以上に警察から事情を聞かれることを避けたい事情があった。だから矢野は、それから2時間もの間、警察には連絡できなかった――。そう推測できるのは、矢野が朝木から頼まれてからすぐに警察に電話したと言い張り、電話したのが翌日だったことを現在も否定し続けているからにほかならない。

重大な心境の変化

 矢野には警察への連絡を2時間も遅らせるだけの理由があったはずである。その理由をうかがわせるのは、矢野が対応した警察官に話した内容にあった。矢野は警察官に「そちらに行っていないかと思って電話を入れたのです」と説明したのだった。9月1日の夜9時19分よりのちに、明代が警察に行くかもしれないと、矢野はなぜ思ったのだろう。

 万引き容疑で書類送検され、東京地検から近く(転落死から4日後)取り調べが行われることが決まっていた明代が「警察に行く」というのはきわめて重要なことである。あくまで否認するのなら、堂々と地検で無実を主張すればいい。したがって、地検の取り調べを前に明代が東村山署に行く理由は、万引きの事実を認めて謝罪するため以外にはあり得ない。

 明代が東村山署に行くということは、当然、矢野にとってもきわめて重要なことであるのはいうまでもない。明代が万引きの事実を認めれば、それまで矢野が主張していたアリバイは嘘だったということになるからである。矢野にも世論の批判が向けられ、矢野のの市議会議員として立場は危うくなろう。したがって、明代が「警察に謝りに行く」といい出したとすれば、それを矢野がすんなり受け入れるはずがない。なんらかの衝突があっても不思議はない。

 問題は、矢野にとっても命取りとなる重大な明代の心境の変化を、矢野がいつ知ったのかということである。9月1日夜、矢野は午後7時ごろに事務所を出て自治会長会議に出席し、午後9時過ぎに事務所に帰ってきた。9時19分に明代から電話がかかった際、「休んで行きます」という明代に対して矢野は「はい、はい」と返しただけである。

 仮にその時点で、明代が警察に行くかもしれないことを矢野が知っていたとすれば、何をおいてもまず最初にそのことを聞くのではないだろうか。明代の電話に対する矢野の対応はあまりにも冷淡であり、なんらの危機感も感じられない。つまり、明代が最後の電話をかけた時点で、矢野は明代の心境の変化をまだ知らなかったとみるのが自然である。

 すると矢野はいつ、明代が警察に行こうとしていることを知ったのか。矢野がそれを知り得たのは、明代が9時19分に矢野に電話をかけてから転落死を遂げる午後10時までの間しかない。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第46回
明代の気持ちを知った手段

 平成7年9月1日夜、東京地検の取り調べを間近に控えた明代が、警察に行って謝罪したいと考えていたことは、矢野が警察に電話で話した内容から明らかだった。矢野はそれをいつ知ったのか。午後9時19分に明代が電話をかけた際、その件に関して矢野は明代に一言も聞いていない。電話での会話の内容からすれば、この時点で矢野は明代の心境の変化をまだ知らなかったことがうかがえる。

 すると、明代が警察に行きたいと考えていることを矢野が知り得たのは午後9時19分の電話のあとから明代が転落死を遂げる午後10時までの間ということになる。矢野はどうやって、明代が警察に行こうとしていることを知ったのか。

 その可能性は、固定電話か第三者が伝えたのか、あるいは直接本人から聞いた――この3つしか方法はない。当時はまだインターネットもなく、携帯電話もそれほど普及していなかったし、彼らのコメントやあらゆる記事の中に「携帯電話」はまったく登場しないから、携帯電話で伝えた可能性は排除していいと思う。

 明代は9時19分に矢野に電話をして以後、自宅から電話をかけた記録はないから、固定電話ではない。これまでの矢野と朝木のコメントや『怪死』『東村山の闇』を見る限り、明代の気持ちを誰かが事務所に行って矢野に伝えたという記録もない。

「自宅から拉致された」と主張する緊迫の時間帯に第三者が明代の気持ちを矢野に伝えたという事実があれば、いっさい記録がないということも考えられない。したがって、第三者が伝えた可能性もない。

 こう考えると、矢野が「警察に行きたい」とする明代の気持ちを知り得たのは、本人から直接聞く以外にその可能性はなかったことになる。

事務所に行った可能性

 では、矢野はどこで明代から本心を聞いたのか。矢野は明代とともに9月2日(土曜日)から高知に行く予定だった。ところが9月1日午後9時過ぎ、議会事務局からの電話で9月議会の一般質問の通告書提出期限が9月4日(月曜日)の午前中と決まったことを知らされる。

 彼らが帰京を予定していたのは9月3日の日曜日である。このため矢野は、〈高知へ出発する前に、「質問通告書」を完成させて提出できるように準備しておかなくてはならない。〉(『東村山の闇』)という状況にあったという。

 矢野は9時19分に明代からの電話を受けたあと、ずっと事務所にいて、質問通告書の準備を進めていた。これまで表に出た矢野や朝木のコメント、あらゆる記述の中にも、9時19分に明代からかかった電話のあとに矢野が事務所から外出したという記載はいっさいない。すると、事務所を1歩も出ていない矢野が「警察に行きたい」という明代の気持ちを明代本人から直接聞くには、明代が事務所に行く以外にその可能性はないという結論になる。

『東村山の闇』には、明代が「最後の電話」で「休んで(事務所に)行きます」と伝え、矢野もまた明代が「行きます」といったのだから、事務所に戻ってくるだろうと思ったとする趣旨の記載がある。明代が矢野にそう伝え、矢野もまた当然のようにそう受け取ったように、明代は9時19分の電話のあと、明代は事務所に行ったのだろう。

 明代はそのとき矢野に、「警察に謝りに行きたい」と相談をもちかけた――。矢野が9月2日0時30分に警察に電話した際、「そちらに行っていないかと思って」と説明した背景にはこんな事情があったと推測しても合理性がないとはいえまい。

 9時19分の電話のあと、明代が事務所に行ったとすれば、明代は事務所から転落現場のビルに向かったと考えるのが自然である。事務所から現場ビルまでは徒歩で2、3分。現場付近の住民がドスンという音を聞いたのは午後10時ごろだから、逆算すると、明代は遅くとも午後9時50分ごろには事務所を飛び出したということになろうか。

 それから転落するまでのわずか10分の間に明代が何者かによって拉致され、落とされるなど、常識的にはあり得ない。それでもなお、その10分の間に拉致されたと主張するのなら、より確かな証拠を示さなければならない。しかし、矢野がその証拠を示したことはただの1度もない。

警察には行かなかった明代

 事務所に行った明代は矢野に「警察に行って謝りたい」と懇願したのだろう。明代にしてみれば、地検に対してアリバイを主張する上申書まで提出しているのだから、いまさら万引きの事実を認めて謝罪するということは、ギリギリのところまで追い詰められ、疲れ果てた末の結論だったことは想像に難くない。

 一方、矢野の立場からすると、明代が自首するということは矢野もまた証拠隠滅の共犯として道連れにされることを意味する。そもそも万引きしたのは明代で、なぜ自分が巻き添えにならないといけいなのかという思いがあったとしても不思議はない。一種の修羅場といえるような激しいやりとりがあったのかもしれない。

 最終的に、明代は東村山署には行っていない。この事実からは、矢野は明代の訴えを了承しなかったということだろう。――矢野が9月2日午前0時30分に東村山署に電話して説明した内容からは以上のことが推測できた。

 明代は自ら罪を認める道を矢野によって断たれたといっていいかもしれない。やり直す道を断たれたと言い換えることもできよう。自らが招いたこととはいえ、矢野の対応によっては、最悪の結果を避けることはできたのではなかったろうか。

(つづく)
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元市議名誉毀損事件 第1回
第1回口頭弁論期日が決定

 政治宣伝ビラ『東村山市民新聞』(平成27年第186号)の記事によって名誉を毀損されたとして、元東村山市議の山川昌子が東村山市議の矢野穂積と朝木直子(いずれも「草の根市民クラブ」)を提訴した裁判(民事3部=平成27年(ワ)第2196号)の第1回口頭弁論期日が平成27年11月30日午後1時10分(407号法廷)と決まった。

 矢野と朝木は『東村山市民新聞』第186号に、〈1860万円詐欺、元公明市議らが関与〉などと、山川が詐欺事件に関与したと断定する記事を掲載した。山川は「そのような事実はなく、名誉を毀損された」と主張している。第1回口頭弁論において矢野と朝木がどんな反論および立証を行うのか、注目される。

 なお、第1回口頭弁論の翌日には東村山市議会12月定例会の初日を迎える。

(つづく)
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