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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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東村山市議会傍聴記(平成27年12月--その1)
 東村山市議(「草の根市民クラブ」)で社会福祉法人「林檎の木」理事長の矢野穂積は平成27年11月30日、元東村山市議から提訴された裁判の口頭弁論に姿を見せなかった。同じく提訴され出廷した相被告の朝木直子(東村山市議=同)によれば、矢野は月水金は差し支えがあるとのことだった。

 矢野は9月議会をほぼ全休していた。仄聞するところによれば、どうも矢野は最近まで入院しており、月水金は差し支えがあるというのも入院と関係があるようだった。

 12月1日、東村山市議会12月定例会の初日を迎えた。この日は火曜日で、矢野は議場に姿をみせていた。しかしその足元は、病み上がりのせいか、かなりおぼつかないようにみえた。議事終了後には壁を伝うように廊下を歩いていたと聞く。

 翌日の水曜日は矢野の一般質問が予定されていた。月水金は差し支えがあるとのことだったが、矢野は朝から議会に出席し、午後3時ごろから一般質問を行った。本来は差し支えの日だが、通院の予定を変更したということらしかった。

 では、矢野があえて予定を変更して行った、6月定例会以来半年ぶりの一般質問の内容はどんなものだったのか。

尋常でない前置き

 12月定例会の矢野の一般質問の内容は①自衛隊員募集に関わる問題点②河川改修について③昭和病院運営の諸問題――の3点だった。なお、このうち②は9月定例会で行う予定だったが入院したためにできなかった質問である。

 順を追ってみていこうと思うが、質問の前置きが矢野の特異性と精神状態を映しているように思えてならなかった。矢野は最初にこう発言したのである。

「質問時間制限に抗議しておきます。かなり前に暴漢に襲われて前歯を折って、差し歯を入れていたんですが、その差し歯が取れてしまって聞き取りにくいかもしれません」(趣旨)

 と。「聞き取りにくいかもしれない」と断っておきたいのなら、それだけでよかろう。しかし矢野はいきなり余計な話をかぶせたのだった。

 矢野のいう「暴漢に襲われた」事件とは、矢野が「犯人」として突き出した未成年の少年を東村山署が「犯人」とは認定せず、また民事裁判でもその「少年」は無関係と認定された有名な「少年冤罪事件」のことである。矢野が特定する「少年」の冤罪が刑事でも民事でも確定しているということは、もはや事件の存在自体が疑わしいということでもあろう。にもかかわらず、矢野と朝木直子の共著『東村山の闇Ⅱ』ではとうとう「少年」の実名まで公表に及んでいる。

 矢野は議場で「少年」の実名を明かすことはなかったが、存在すら疑わしい「事件」を議会の場に持ち出すこと自体、もはや正気の沙汰とは思えない。存在を疑われるような話を冒頭に持ってきた背景には、元公明党市議から提訴されたこと、公選法違反で告発されたことに対する矢野特有の強い敵愾心があったのではないかと推察する。

 いずれにしても、実名を出していないとはいえ、「暴行事件」の存在を主張するこの発言は、根拠もなく1人の東村山市民を「暴行犯」と主張するもので、とうてい許されるものではあるまい。それを議会の場で発言するなど、東村山市民を愚弄しているといわれても仕方があるまい。

 矢野と朝木直子は一般質問の際に必ず「質問時間制限に抗議する」という主張から入る。この「質問時間制限」とは、時間に制限のある行政運営に遅滞をきたさないために議会が議決(矢野と朝木は反対)したものである。したがって、議決した以上は、質問をする議員の側も、極力無駄を省いた中身の濃い質問を心がけなければならない。

 ひるがえって矢野の質問をみるとどうか。存在自体が疑われる「暴行事件」に触れることは市政とは何の関係もない。「質問時間制限に抗議する」などという前に、矢野は無意味な発言に質問時間を費やすことで自ら質問時間を浪費していることがわかろう。

 では、続く矢野の一般質問は「質問時間に抗議する」という発言に値するようなものだったのか。

趣旨不明の追及

 見ず知らずの市民を「暴行犯」と決め付ける悪質な前置きのあとに始まった最初の質問は、①「自衛隊募集に関する問題点」である。具体的な質問内容は、東村山市は平成27年3月、「自衛隊入隊予定者激励会」を開催したが、この激励会はどんな法令に基づくもので、また市は開催にあたって経費負担をしているのか――などというものだった。

 担当所管は、この激励会が法令に基づくものであること、東村山市の負担はない――などと答弁した。しかし矢野にはその答弁が納得のいくものでなかったらしく、何度も同じ質問を繰り返した。

 矢野は東村山市が自衛隊入隊予定者の激励会を開催したことを批判したいのだと推測されるが、法令上の裏付けがないというのなら、その旨を明確にして質問すべきではあるまいか。所管に対して同じ質問を繰り返すだけでは、たんに所管を追及するために質問しているように受け取られかねまい。

 結局、何のためにこの質疑を行ったのか、私にはよく理解できなかった。矢野は以前にも似たような質問をしているが、そのとき同様、私には矢野が、渡部市長の政治的スタンスが「自衛隊の存在を積極的に容認するもの」であると印象付けようとしているだけのように感じられてならなかった。なお矢野は、この質問に持ち時間の半分近くを費やした。

3月議会をなぞった質問

 次に取り上げたのは、②の「河川改修について」。この質問には複雑な背景事情があった。ざっと説明すると、平成26年、不動産業者が市内の急傾斜地(多摩湖町)を住宅地として開発しようとしたところ、当該地の下に位置する住宅地に水があふれるという事態が発生したため住民は開発の差し止めを求めるなどした。ところがその後に何が起きたのかは不明だが、最終的にその急傾斜地を墓地公園として開発しようという動きになった。

 平成27年3月議会で矢野は、墓地の建設を後押しするような質問を行った。墓地公園の開発によって雨水対策にもなるという主張のようだった。つまり、12月の一般質問で取り上げる「河川改修」とはそもそも墓地開発とセットで出てきたものだった。

 矢野としては「雨水対策」を追及して「雨水対策には急傾斜地の整備が必要」という答弁でも引き出したかったものと思われた。そうなれば、急傾斜地再開発の大義名分となる。

 しかし、これに対してまちづくり部長は「中・長期的な課題として対策を研究してまいりたい」と答弁するにとどまった。また墓地開発について市長は「東村山市墓地等の経営の許可等に関する条例」により認められないとし、「同条例の成立にあたっては矢野も賛成している」などと答弁した(この結果、この急傾斜地の開発は止まったままになっているようである)。市長の答弁によって、条例上、この急傾斜地における墓地開発は不可能であることがほぼ確定したことになる。

方便としての「河川改修」

 矢野も条例に賛成しているから、現状、墓地開発を求めていくのはやはり無理筋と判断したのだろうか。かといって、このまま手を引くのはプライドが許さなかったのだろうか。こうして3月議会の重要な要求のうちで生き残ったのが、本来は方便にすぎなかった「河川改修」だったようにみえる。

 12月議会で矢野は、「3月議会で中・長期的な課題として対策を研究してまいりたいといっていたが、どうなったか」(趣旨)と聞いた。しかし、まちづくり部長から返ってきた答弁は同じもので、「急傾斜地」に関する文言すら出てこなかった。

 矢野は「抜本的な対策(すなわち矢野の主張する「急傾斜地対策」)には手をつけないということか」と追及したが、所管の答弁内容に変わりはなかった。ところがこれに対して矢野はそれ以上の追及材料を持たないらしく、「もっと真剣に、地域住民のことを考えて対策を研究するようにお願いしておきます」と述べるのが精一杯だったのである。

 ②「河川改修について」と題する矢野の質問は、3月議会の質問をただ繰り返しただけであるのは明らかだった。この質問もまた、「質問時間制限に抗議する」というほどの内容とはとうてい思えなかった。しかし矢野のお粗末ぶりは、これで終わりではなかった。

(つづく)
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東村山市議会傍聴記(平成27年12月--その2)
衝撃的な告発

 矢野の3つ目のテーマは「昭和病院運営の諸問題」である。この質問については、論評抜きで現実にあった質疑の様子をまずみていただきたいと思う(なお、矢野の一般質問以外の不規則発言等については一部、筆者が補足した)。



(昭和病院運営の諸問題)

矢野  最後の昭和病院の問題ですが、この(筆者補足=病院のパンフレット)中に、ずいぶんなにか近代的で、職員も非常に真面目だというふうに書いてるんですが、私は10月の真ん中ぐらいまで入院してましたので、現実を味わわされたので、その点についてうかがっておきます。

 昭和病院の職員とりわけ看護師なんですが、3階の病棟の男性看護師2名、それから名前は1人はわかってますが、女性の看護師が何をやったかというと、私が入院して10日ちょっとたったあたりの話ですが、(筆者補足=やや音量を上げ、ゆっくりと)私の、局部を、つかんで、非常に人権侵害的な行為をした。私が激しく抗議をして、ようやくやめたわけですが、局部を、つかんで、(筆者補足議長「ちょっと言葉を慎んでいただけますか」。矢野「局部というのが何が悪いんだ。それはそういうことをした看護師がいたからだ」。議長「もうちょっと場所をわきまえて」という趣旨の発言)ということをあえていっておきたいと思います。

 患者に対するこのような人権侵害を看護師がしていいのかということを、あえて明らかにした上で、見解をうかがっておきます。

健康福祉部長 (筆者補足=昭和病院の看護師は患者、家族から)信頼される看護師としており、具体的には看護専門職として患者・家族の意思を尊重しながら高いレベルの知識、技術および判断に基づいて患者の生命力を引き出す看護を提供できる。看護専門職として思いやりのある対応ができる。看護専門職として自ら学ぶ姿勢を持ち、前向きに取り組むことができる。――ということでございました。

矢野  これは具体的な話ですから、「あなた、やったろ」といってもですね、素直に答える人はいないんですよね。で、質問として私が聞くのはこのへんでやめておきますが、所管としては、昭和病院に対して、きれいなパンフレットを作って宣伝をするだけじゃなくて、具体的な患者の人権を、守るように、きちんと指導をすべきであると思いますが、どうでしょうか。

議長 (筆者補足=健康福祉部長に)どうですか。答弁のしようがないでしょ。

健康福祉部長  申し訳ございませんが、事実(筆者注=局部に対する人権侵害)の確認ができない中で、ご答弁いたしかねます。

矢野  えー、普通はですね、そんなことはないんじゃないかと思いますけどね、私もね、びっくりしましたよ。それで相当強い抗議をして、やめてもらいましたけど、一般の人だったら、こんなことですむのかなと思ったりするぐらい激しいやり方で、やられました。

 で、こういうことを一応お伝えしたわけですから、機会をみてですね、昭和病院に対してはきちんとね、調査をして、こういうことはやんないようにということを、きちんと指導をするようにしてもらいたいと思います。

議長 (筆者補足=矢野に対して)終わり?

矢野  終わり。



 本会議のもようはインターネットだけでなく市役所1階ロビーでも実況中継されている。つまり、矢野の一連の発言はさまざまな手続きに訪れた市民が行き交う1階ロビーにも響いた。市議会としては痛恨の極みというほかあるまい。

 市会議員が本会議場で「局部をつかんで、人権侵害的行為をされた」などと発言していることに対して多くの市民が違和感を覚えたことだろう。温厚な議長まで「場所をわきまえていただきたい」と注意したように、矢野が入院していた病院で「人権侵害的行為を受けた」というのが仮に事実だったとしても、本会議の場であえて具体的行為に触れる必要があったとは思えない。そのこと自体が不適切であり、また議場でそのような発言をする議員(社会福祉法人の理事長でもある)が存在したこと自体が「衝撃的」というべきではあるまいか。

通告書に記載しなかった矢野

 矢野が平成27年11月24日付で議会事務局に送付した質問通告書には「昭和病院運営の諸問題」と題し、細目として「①職員(看護師)の資質について、②患者に対する人権意識のありかた、③職員研修はどのようになっているか、以上について総括的にうかがう」となっている。矢野は議場で自分が「人権侵害的行為」を受けたとし、所管にそれに対する見解をただした。しかし「人権侵害的行為」があったというのなら、通告の時点でその具体的内容を明らかにしておくべきではないのだろうか。そうすれば、所管としても一般質問までの1週間の間になんらかの調査ができるだろうし、答弁の仕方も大きく変ってこよう。

 矢野は通告書になぜ「人権侵害的行為」を受けたことを正直に書かなかったのか。そのこと自体、所管からまともな答弁を期待するものではなく、この質問によって何か市政の健全化や市民の利益に寄与しようとする気など最初からないことを示している――そう疑われても仕方がないのではあるまいか。

 事実ならそれはそもそも病院内で起きたことで、矢野が「人権侵害的行為」をされたというのなら、まずは病院に対して法的措置を含めた正式な抗議をすべきではあるまいか。しかし矢野の質問を聞くかぎり、東村山市に対して「機会をみて、きちんと指導してもらいたい」とやんわり要求する程度で、病院に対して直接抗議した様子はうかがえない。

 所管も答弁したように、矢野の主張だけでは事実の確認はできない。事実ならなんらかの指導か措置の必要も生じる可能性があるとはいえるだろう。しかしその一方、矢野が主張するような事実が確認できない場合には、「人権侵害的行為」と断定した矢野の発言は昭和病院の信用を著しく貶めるものということになる。質問を聞くかぎり、今後の対応は市にまかせたという感じだが、そんなことでいいのだろうか。

 この日の矢野の質問が病院の日程を変更するほどのものだったのかどうか。また、「質問時間制限に抗議する」と主張するほどの政治的、社会的意味を持つものだったのかどうか、今後の推移が注目される。
 
(了)
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『聖教新聞』事件 第52回
無言の煽動

 平成26年8月31日、東村山で矢野とは無関係であることを延々と説明させられた「行動する保守」Aはその1カ月後、今度は舞台を立川駅前に移して再び教授の「拉致・殺人説」を紹介する街宣を行った。街宣場所を立川駅前に選んだのは3カ月後に迫った総選挙を想定した公明党に対するネガティブキャンペーンの意味合いだったのだろう。

 しかし立川駅前で「朝木明代は謀殺された」とする街宣を行うということは、「内部告発」が「伝聞の伝聞」であることを自白させられた千葉に対する意趣返しという側面も生じよう。明代の転落死を「他殺」と主張するためなら東村山で街宣すればよく、立川で開催する必然性はない。そのことを自覚していたのか、「行動する保守」Aは街宣前にわざわざ車で万引き被害者の店の前を通りながら撮影し、インターネット上にアップしたものだった。

 これもまた被害者に対する嫌がらせであり、支持者に向けた間接的な煽動行為にほかならない。この卑怯者はすでに千葉に対する名誉毀損で和解金を支払わされており、もう千葉を直接的に批判できない。その憂さ晴らしのために、弱者である被害者の店周辺の動画をアップしたようにもみえる。

 矢野は「行動する保守」らの集会で「弱いところ(洋品店)に電話(で抗議)するのが効果的」と発言し、「行動する保守」Aの支持者たちを煽った。すでに損害賠償を命じられている自分たちは洋品店に近づくことはできないから、自分の身代わりに「行動する保守」らに行かせようとしたのである。その後、洋品店には無言電話が相次いだ。

「行動する保守」Aが洋品店周辺の動画をアップしたことも、それに触発されて重鎮の行動を模倣する支持者が現れないとはいいきれない。被害者にとって、不審者が周辺をうろつくだけで十分な嫌がらせとなる。

「行動する保守」Aがそこまで想定していたかどうかは定かでない。しかし自覚の有無を問わず、「行動する保守」Aが被害者の店の前を通る動画をブログに掲載することは、支持者に対する無言の煽動といえるのではあるまいか。矢野がかつて「行動する保守」Aらを煽ったのと同じように。

また言いっぱなしの重鎮

 さて「行動する保守」Aは、立川での街宣で再び教授の「拉致・殺人説」を紹介したが、その内容はひと月前よりもかなり踏み込んだものだった。「行動する保守」Aは、教授が法廷に提出した陳述書に「事件に関与した人物(=創価学会職員)の実名が記載されている」として、「関与した」とされる実在する(した)創価学会職員の氏名を明らかにしたのである。「内部告発」の際には「行動する保守」Aが聞いたとする人物の名前さえ出てこなかった。そのことと比べれば、目を見張るような進展と評価できよう。

 ただ、いかに実名を出したからといって、それだけでは関係人の氏名を含めた話のすべてが事実であるという裏付けにはならないし、その時点ではまだ教授の話も依然「伝聞の伝聞」の域を出ない。「前回よりは本当らしく聞こえる」というにすぎない。問題はその「関与した」とされる本人および「直接手を下した」という暴力団員の供述、および客観的証拠を確保しているのか(あるいは今後、確保できる確証があるのか)どうかである。

「行動する保守」Aに、そのアテはあるのだろうか。

「(今後も「真相究明活動」をするということは)いずれ当事者に証言してもらうということですね」

 街宣終了後、私は「行動する保守」Aにこう話しかけた。しかし「行動する保守」Aは心からイヤそうな顔で一瞥しただけで、一言も回答しなかった。「行動する保守」Aがこの日の街宣内容について今後なんらの立証活動もしないのなら、「関係者」の個人名を出したことも無責任な言いっぱなしということになり、与太話であることを自ら認めることになる。

 あれから1年以上がたったが、「行動する保守」Aが教授の「聞いた」とする「拉致・殺人説」の信憑性を証明した事実はない。

途絶えた「伝聞の伝聞」

 なお教授は、千葉の質問(「この『伝聞の伝聞』の裏付けはあるのか」「この重大な『証言』を9年間も放置した理由」など)に対して「経歴詐称」などと主張して回答を回避した。千葉の質問内容は、教授の聞いたとする話が「伝聞の伝聞」ではないこと、すなわち信憑性を問う上で当然の疑問のように思える。

 教授は千葉の本人性に議論をそらそうとしたが、重要なのは教授の聞いたとする「伝聞の伝聞」の信憑性である。「裏付け」の有無に関しては、さすがの「行動する保守」Aも少しは気になるのではなかろうか。

 教授は千葉の質問内容をブログで公開している。その記事を「行動する保守」Aは当然見ていよう。「行動する保守」Aが教授の「伝聞の伝聞」の信憑性を確認しようとするなら、千葉が送付した質問内容をそのまま教授に聞くのが最も有効である。

 千葉が質問状を送付した直後ならともかく、「行動する保守」Aと教授は平成26年8月31日に電話で挨拶を交わしたほどの間柄でもあり、教授の「拉致・殺人説」の裏付けについて聞くことはできるだろう。また教授も、「行動する保守」Aの質問なら「『行動する保守』Aである保証がない」などといって回答を拒絶することもないのではあるまいか。

 しかし「行動する保守」Aは立川での街宣から1年以上がたつが、教授の「伝聞の伝聞」の裏付けに関していっさい発言していない。「行動する保守」Aは教授に何も質問していないのだろうか。あるいは、聞くことは聞いたのだが、千葉と同様に回答してもらえなかったのか。

 いずれにしても、教授の千葉に対する対応も、また「行動する保守」Aが教授の「拉致・殺人説」の信憑性についてその後なんら立証しないこともきわめて不可解というほかない。とりわけ教授が9年間公表しなかった「拉致・殺人説」を公表してから2年以上になるにもかかわらず、なんらその裏付けを明らかにしない事実は、その「伝聞の伝聞」はやはり「行動する保守」Aの「内部告発」と同レベルの与太話にすぎなかったと判断するのが妥当――そう評価されても仕方がないのではあるまいか。むしろ、このような「伝聞の伝聞」を証拠扱いしたこと自体、学者としてあってらならない失態といえるのではないだろうか。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第53回
その場限りのコメント

 矢野は明代の自殺後、「明代が殺されたと考えられる理由」として事実が確認されていない多くの事件を主張し、『聖教新聞』裁判でもほぼ同じ主張を行った。ただ裁判での主張の中に、矢野が最初にコメントした伝聞による「犯人の目撃証言」(=『週刊宝石』平成8年4月18日号)だけは含まれていなかった。

 ちなみに『週刊宝石』のコメントは、「『朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た』『消えたはずの靴は、直後に6階の空き部屋で発見されていた』など、こちらには新たな話が集まっています」というものである。しかし、靴に関する矢野情報のような事実はまったく存在しない。そもそも、マンションに空き部屋があったとして鍵がかかっていないはずがなく、「犯人」が明代の靴を隠したなど、作り話であることがすぐにバレる話である。

 そう指摘されたのか、矢野もその後はいっさい主張していない。つまりこの「靴」の情報も含め、『週刊宝石』のコメントにある「情報」はいずれも、矢野がその後いっさい主張しなくなったものということになる。

「靴」についてはともかく、「4人の犯人」の目撃情報について矢野は裁判で一言も触れず、また「行動する保守」Aの「内部告発」や教授による「伝聞の伝聞」が公表された際にもいっさい関わろうとしなかった。またウェブ版『東村山市民新聞』で「行動する保守」Aが東村山で街宣を行ったことを紹介しながら、「内部告発」については「新しい情報」と記載したのみで内容に踏み込もうとしないのはむしろ奇異に思えるほどだった。

「行動する保守」Aの主張する「内部告発」が「3名の犯人と思われる人物を特定していた」とする内容であることぐらいは記載してもよかったのではないかと思うのが普通ではあるまいか。しかし、それが与太話であることが確定した場合には、矢野もまたその与太話を信用していたという事実が残ってしまう。だから矢野は「内部告発」の中身については言及しなかった――そう理解するのが自然だろう。

 矢野の読みどおり、千葉が提訴した裁判で立証を求められた「行動する保守」Aは、とうとう「内部告発」は与太話であると自白に追い込まれた。「読み」ではなく、矢野には「内部告発」が眉唾であるという確信があったのだろう。

矢野も認めた管理人の存在

「行動する保守」Aの「内部告発」以前に、平成7年にあった匿名の男によるタレ込み、矢野の週刊誌でのコメント以外に、「他殺説」を主張する根拠としてもう1つの「目撃談」なるものがあった。

「私は事件があった日の夜9時30分ごろに現場の駐車場で不審な男が2~3人で話をしている声を聞いていました。……」(死亡現場近くの住人)=(『週刊現代』平成7年9月23日号)

 というものである。『週刊現代』以外にも『創価学会を折伏する』(「幸福の科学」の雑誌)、乙骨の『怪死』および『東村山の闇』にも同趣旨の記載がある。ここでいう「現場の駐車場」とはマンションの裏側にある駐車場を指している。

 この駐車場は自民党支持者が経営していたもので、マンションの裏側すなわち明代が転落したビルの階段手すり側に位置している。駐車場の出入り口には管理人が常駐しており、車の出入りを常時チェックしていた。この駐車場に管理人がいたことは『怪死』にも『東村山の闇』でも記載している。『東村山の闇』には〈(明代が転落した後)店長は隣接する駐車場に管理人がいるのを認め〉とする記載がある。

 すると、仮に「目撃者」のいう時間帯に駐車場で2、3人の人が話をしていたとしても、彼らが管理人に見られていないことはあり得ず、したがって彼らが明代を「拉致した犯人」とみることはきわめて難しい。その上、警察の聞き込みではそのような「目撃者」は存在しなかった。

 仮にその「目撃者」が見たという「2、3人の不審者」が「拉致犯」だったとしても、午後9時30分にわざわざ目立つ場所に車を停め、わざわざ外に出て「拉致の」相談をするとは考えられない。むしろ時間帯からみて、その時点でもう明代を拉致していなければその30分後に明代を転落させることは難しかろう。

 その時点で彼らがすでに明代を拉致していたと仮定すると、彼らは車に明代を押し込んでいたと考えるほかないが、そう仮定したとしても、好きこのんで管理人が常駐する駐車場に停め、不用意に外に出て「明代を転落させる」相談をするなど想定することはできない。つまりこの「目撃談」もまた、捜査攪乱を目的としたデマか、思い込みと考えるのが常識的な判断ということになるのではあるまいか。当然、東村山署もこの「目撃談」を相手にしなかった。

「箱詰め説」の信憑性

 しかし矢野がこの「目撃談」を重視していたことは、明代の転落死から8年後に発行した『東村山の闇』に記載していることからも明らかである。それだけでなく、同じ「目撃談」を取り上げている『怪死』によれば、「自殺」とする東村山署の結論に対して矢野は次のように主張していたようである。

〈現場付近……の道路で、……「ハダシで歩いている朝木議員」を見たという目撃証言がない。この事実は、自由を奪われて箱詰めにされ外部から見えない状態で殺害現場まで運ばれた以外にない。〉

『怪死』や『東村山の闇』における「隣の駐車場で2、3人の不審者が話をしていた」とする「目撃談」と矢野のこの主張をつなぎ合わせると、①「2、3人の不審者が話をしていた」ときすでに明代は箱詰めにされており、そのまま現場まで運ばれた、あるいは②駐車場で「目撃」されたあと、この2、3人の不審者は朝木宅に向かい、明代を箱詰めにして現場まで運んだ--こういうことになるのだろうか。

 時間的に最も可能性が高いのは①と思われるが、それにしても箱詰めにした明代を車に積んだまま、管理人のいる駐車場に停め、「犯人」がわざわざ外に出て話をするというのも現実的とも思えない。「犯人」が明代を箱詰めにしたとすれば、その目的は外部から明代を拉致したことを悟られないため以外には考えられない。すると、隣の駐車場に管理人がいることがわかっていながら、あえて管理人から見える側で落としたというのも理屈に合わない。そもそも、犯行を隠匿しようとする意思のある者が、わざわざ東村山市内で最も人目につきやすい駅前という場所を選んだというのも考えにくい。

 また、転落した明代が箱に入っていなかったこと、入れられていたはずの箱が転落現場に存在しなかったことは明らかだから、「犯人」は明代を落とす直前に箱から出したことになるが、それはなぜか。人目を避けることを目的に箱に入れたのなら、落とす際に箱から出す必要はなかろう。箱から出したというのなら、なぜ出したのか、そのことに関する説明もない。つまりこの矢野の「箱詰め説」は、どこからみても合理性を欠いた荒唐無稽なものというほかないのである。

 ところで平成7年の匿名のタレ込み情報と矢野自身の『週刊宝石』におけるコメントは「(創価学会員によって)朝木市議が連れ込まれるのを見た」というものである。しかし「箱詰め」にされていたのでは、中に入っているのが「朝木市議」だとわかるはずがない(ビルに到着した時点で「犯人」が明代を箱から出す理由もない)。

 つまり矢野はマンガのような「箱詰め説」によって、匿名のタレ込みだけでなく矢野自身のかつてのコメントを自らなんらの釈明もなく否定していたことになる。矢野のいう「拉致・他殺説」がいかに姑息でいい加減なものだったかが理解できよう。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第54回
消え去ったコメント

「行動する保守」Aが「内部告発」という「伝聞の伝聞」を軽率にも真実と思い込み、東村山に乗り込んでくるまでに、矢野は当初「朝木が4人の男(あるいは創価学会員)にビルに連れ込まれるのを見た」とする情報があるとし(平成8年4月)、『怪死』が出版された平成8年5月の時点では「箱詰めにされて連れ込まれた」(『怪死』による)へとその内容を変遷させていた。『怪死』によれば、「箱詰めにされた」とする理由について矢野は、東村山署の捜査の結果、「はだしで歩いている朝木を見たという目撃証言がない」からだと主張していた。

 この論理がどれほど乱暴なものであるかはいうまでもないと思うが、乙骨は矢野のこの主張についてなんらの異議も差し挟んでいない。しかしいずれにしても、矢野は「朝木は4人の男に連れ込まれた」つまり「外部から朝木と確認できるかたちで拉致された」とする主張から、「外部からは確認できないかたちで拉致された」へと主張を180度変遷させたのである。「4人の男」の存在も、その主張からはもう消えてなくなっていた。

事情聴取を恐れた可能性

 この主張の変遷の中でとりわけ重要なのは、当初は存在した「4人の男」という「目撃情報」が消えてなくなっていることだろう。「4人の男に連れ込まれるのを見た」という「情報」には、理論上、その光景を見ていた「目撃者」が存在する。しかし「箱詰めにされた」というのはたんなる矢野の憶測にすぎない。「目撃情報」と「箱詰め説」との決定的な違いは「目撃者」の有無である。

 矢野が『週刊宝石』にこのコメントをしたのは平成8年4月であり、形式的には東京地検の結論が出ていない時期だった。矢野が東村山署から「箱詰め説」についてその根拠を聞かれても、「たんなる憶測だ」ですむ。しかし、矢野が「目撃者」から情報を得ていたということになれば、話が違ってこよう。「朝木は4人の男に連れ込まれた」という状況は刑事事件の捜査対象となり得る。そうなれば、矢野は当然、東村山署から事情を聴かれる可能性が生じることになる。

『週刊宝石』にコメントが掲載されたあとで、矢野はそのことに気づいたのだろう。実際に、同じ「情報」のタレ込みをした匿名の人物は、千葉から直接、疑問点について質問を受けた。同様に、矢野に対しても事情聴取の動きがあってもなんら不思議はない。

矢野は東村山署から「朝木は4人の男に連れ込まれた」という「情報」についてこと細かに聴かれてはまずいと考えた。だから乙骨の取材(『怪死』)には「4人の男に連れ込まれたという情報がある」とはコメントせず、憶測にすぎない「箱詰め説」に変更した――矢野の主張の変遷の背景にはこういう事情があったのではあるまいか。

本当の「情報提供者」

「朝木が4人の男に連れ込まれるのを見た」とする「情報」に関してその後、続報が途絶えた理由を矢野はいっさい説明しない。矢野がこの「情報」を引っ込めた事情が私の推理どおりとすれば、矢野はなぜこの「情報」について東村山署から聴かれることを忌避したのか。

 東村山署がまず聴きたいのは当然、矢野にその「情報」を提供したのが誰かということだろう。「目撃した」というのが事実なら、その「情報提供者」が矢野に身元を隠すことはあるまい。

 矢野が東村山署の聴取を恐れたということは、「情報」そのものだけでなく「情報提供者」について聴かれることを避けたかったということになるが、それはなぜか。矢野が「情報提供者」について答えられないということになれば、そんな「情報提供者」など最初から存在しないのではないかという疑いも当然出てこよう。

 東村山署(千葉)はすでに、矢野のコメント以前に同じ内容のタレ込みがあり、「どうして110番しなかったのか」「どうして犯人が創価学会員とわかったのか」と聞くと「ばかやろう」としか答えられなかった「目撃者」と称する人物が存在したことを確認している。しかしタレ込み自体の内容から、この人物が「目撃者」などではないことが明らかになっている。つまり、この情報は作り話だったということである。

作り話の作者

 次に生じる疑問は当然、この作り話の作者は誰なのかということになろうか。矢野が『週刊宝石』でコメントした「情報」は捏造が明らかになったタレ込みの内容に酷似している。タレ込みをしてきた男は、千葉に疑問点を追及されたとたん、疑問に答えるどころか「バカヤロー」と開き直り、千葉の質問にはいっさい回答しなかった。

 一方矢野は、『週刊宝石』でのコメントを最後にこの「情報」にはいっさい触れなくなった。矢野がこの「目撃情報」に触れなくなったのは、形式的にはまだ東京地検で捜査中という時期であり、東村山署から追及される可能性があることに気づき、それを恐れたからではないかと推測できる。

 詳細を聴かれて開き直った匿名の男と、詳細を聴かれるのを予見して触れなくなった(と推測できる)矢野の対応には詳細を答えないという共通点がある。また「朝木さんが4人の男に担がれて」とする「情報」の中身も酷似しており、「タレ込み」と「矢野のコメント」という2つの「情報」の出所が1つである可能性をうかがわせる。しかも、匿名の男と矢野のその後の対応をみる限り、「情報提供者」なるものは実在しない可能性がきわめて高い。

「情報提供者」が存在しないとすれば、「情報」の出所はどこなのだろうか。一般に、このような虚偽と判断できる情報が提供された場合に、虚偽話を作成した者として最初に疑われるのはその情報提供者自身、あるいは「第三者から情報があった」と主張する人物本人である。では矢野がコメントした「目撃情報」の場合、匿名の男と矢野のどちらが作成した可能性が高いだろうか。

 匿名の男は電話でこう述べた。

「私は当日、例のマンションで女性が男4名に担がれていくのを見た。2人で見た」

 と。この「情報」の出所を探索するにあたり、匿名の男が「2人で見た」といっている点はきわめて重要なのではあるまいか。この「情報」を主張しているのはこの匿名の男と矢野の2人だけである。しかも2人とも、情報の詳細についてなんら説明できていない。

 すると、この「情報」の出所はどこだと考えるのが自然だろうか。これまでに知り得た「情報」そのものの内容、およびこの「情報」をめぐる匿名の男と矢野の対応を総合すると、この「情報」の出所は「匿名の男と矢野の2人」であると考えるのが最も合理的という結論にならざるを得ない。

 矢野がそれを否定するというのなら、情報の出所を明らかにしなければならない。しかし、すでに「箱詰め説」へと主張を変えた矢野にとって、当初の「情報」の出所を明らかにすることは至難の業なのではあるまいか。

(つづく)
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