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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『聖教新聞』事件 第66回
提訴の意味

 東村山署の取調室で、矢野がそれまで主張していたアリバイを自ら否定したという事実経過がありながら、それから1年後に『聖教新聞』を提訴した裁判で同じアリバイを主張するなど、普通は考えないだろう。明代の万引き事件は明代の死亡により不起訴となり、万引き事件に対する地検の結論は公的には存在しない。民事裁判でのなりゆきしだいでは、「明代の万引き」をなかったことにできると矢野は考えたのかもしれない。いずれにしても、常人の発想とは思えなかった。

 こんな見方もできるかもしれない。「明代の自殺と万引きは表裏一体の関係にある」(朝木直子)。当時、矢野と朝木にとって最大のテーマは明代の自殺を否定し、「(創価学会による)他殺」を世間にアピールすることだった。明代の転落死は「他殺」と主張するためには、矢野は否応なく「万引きは濡れ衣」であると主張しなければならなかったのだと。

 しかし自ら提訴した裁判で新証拠も提出できず、(矢野の主張する)アリバイが立証できなければ、明代の万引きの事実があらためて確認されることになる。そうなれば、必然的に明代の転落死は「自殺」であることを認めることになってしまうのである。東村山署の取調室で自ら主張したアリバイを根底から否定してしまうという醜態に追い込まれた矢野が、そのことを自覚していなかったはずはない。

 矢野が万引きのアリバイを立証できる自信があれば、問題の『聖教新聞』が発行後ただちに提訴してもよかった。それどころか、「万引き犯という明代の汚名を晴らす」といっていたことを考えれば、むしろすぐに提訴すべきだったろう。しかし、矢野はすぐには提訴しなかったのである。

1年後の提訴
 
 朝木父娘のコメントを掲載した『週刊現代』(平成7年9月23日号)が発行されたのは同年9月11日、創価学会が『聖教新聞』紙上で『週刊現代』や矢野、朝木に対して反論を行ったのは同年9月21日付である。同年10月6日、創価学会は『週刊現代』を発行する講談社と同誌にコメントした朝木父娘を提訴している。

 創価学会は『聖教新聞』で矢野らの主張を「呆れ果てた誹謗」などと真っ向から批判していた。朝木明代が書類送検された万引きは「捏造」、「冤罪」で、転落死も「万引きを苦にした自殺」ではなく「(創価学会が関与した)他殺」と主張していた矢野と朝木はすぐに提訴すべきだった。ところがどんな事情があったのか、結局、朝木父娘が創価学会を提訴したのは、記事が出てから1年後の、平成8年8月7日のことだった。

 その間、すでに朝木父娘は『週刊現代』の記事をめぐり創価学会から提訴されていた。矢野らが主張・立証するための基礎事実(明代の万引きは「冤罪」で、転落死は「他殺」であるとの事実)は共通していよう。したがって、『週刊現代』裁判を有利に運ぶためにも、彼らが『聖教新聞』を提訴してもおかしくなかった。しかし結果的に、(矢野と)朝木は1年後の平成8年8月7日まで提訴しなかったのである。

『週刊現代』のコメントを全面否定

 その理由は定かではないが、少なくとも矢野や朝木にとって現実的にも、また週刊誌報道によって形成された「朝木明代は万引き犯の濡れ衣を着せられて殺されたのだ」というイメージを維持するためにも、最も効果的な時期を選んだ結果だったのではあるまいか。『聖教新聞』に対する訴状には「朝木父娘が『週刊現代』の取材を受けてコメントした事実はいっさいない」と記載されていた。したがって、『週刊現代』における朝木父娘の主張を非難する『聖教新聞』の記事は前提を欠くものであると。

 この主張は同時に、朝木父娘が被告となっている『週刊現代』裁判にも、当然ながら、重大な影響をもたらした。『週刊現代』は、創価学会と闘う同志であるはずの朝木と矢野から、いきなりハシゴを外されたのだから。

 提訴されてから1年間、朝木は『週刊現代』に対して取材を受けたことを前提とする協議を重ねていたが、資料によれば、当初から矢野は、「記事は『殺した』と断定しているから敗訴の可能性が高い」と考えていた。しかし、朝木父娘が「取材も受けておらず、コメントもしていない」のなら、朝木父娘に対する訴えは成立しない。

「取材を受けていない」というのなら、提訴された時点でそう主張すべきだろう。しかし、訴えられてすぐにそんな主張をしたのでは、『週刊現代』以外のメディアからも不信感を買うことは十分に予想できよう。

 そうなれば、メディアや一部政治家の間で盛り上がりをみせる「(創価学会による)朝木明代謀殺説」のムードが一気にしぼみかねない。「殺された女性市議の遺族と元同僚」は、「万引き市議の娘」と「万引き事件でアリバイ工作を共謀した市会議員」という事実が暴かれる恐れさえないともいえなかった。

 いずれは『週刊現代』(『週刊新潮』も)のハシゴを外すつもりであることに変わりはない。だが、まだその時期ではないと矢野は判断していたのだろう。矢野が「『週刊現代』にコメントはしていない」と主張して『聖教新聞』を提訴するまでの間には、亀井静香を中心とする当時の自民党が衆院選に向けて矢野の主張を鵜呑みにした記事を『自由新報』で連載、幸福の科学も「創価学会の関与」を断定する雑誌を発行。また四月会(自民党と反創価学会ジャーナリストや創価学会に敵対する宗教団体が結集した政治集団)が全国各地で開催していたシンポジウムで「創価学会疑惑」を宣伝し、自民党支持者や創価学会以外の宗教団体信者に対して自民党への支持を訴えた。

 矢野と朝木が『週刊現代』のハシゴを外した(『聖教新聞』を提訴)のはそれらの熱狂的な「創価学会疑惑キャンペーン」がひととおり終わったあとだった。『週刊現代』や『週刊新潮』『週刊文春』といった有名週刊誌が「遺族らに騙された」と、自ら恥をさらすようなこともしないという読みもあったのだろう。実際に、矢野の主張に乗せられ、客観的な根拠もないまま「創価学会疑惑」という妄想を世に広めることに貢献したメディアのうち、それが事実無根だったという訂正記事を掲載したメディアは、残念なことにただの1社も存在しない。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第67回
千葉副署長の広報内容

『聖教新聞』が公表した記事について千葉の責任が問われるかどうかは、記事と千葉の広報活動との間に因果関係があるか否かが前提となる。矢野は『聖教新聞』を提訴するに際して千葉も提訴した理由について、記事は千葉の発言に基づいていると主張している。記事との間に因果関係がないということになれば、当然、千葉に対する請求は却下されることになろう。

 東京地裁は千葉の広報内容について、次のように認定している(趣旨)。

(万引き事件)

 千葉は東京地検に送致した段階で署長の許可を得た上で、広報案文に基づき「書類送致月日、被疑者の住所、職業、氏名、年齢、被害者の住所、職業、氏名、事案の概要」を口頭で広報した。また千葉は、新聞記者や週刊誌の記者らが「朝木市議側は別の場所にいたとしてアリバイを主張しているが、どうか」、「政治的な陰謀という見方もあるが、どうか」などと質問したのに対して、上記案文に基づきこう答えた。

「朝木被疑者(筆者注=朝木明代。現東村山市議の朝木直子はその長女で、いまだ明代の万引きを認めようとしない)は『アリバイがあり、政治的陰謀による冤罪である』と主張して、犯行を否認している。捜査の結果、アリバイは信用できないことや目撃者が多数いることなどから、警察は朝木市議による犯行と認め、被疑者を窃盗罪で地検に書類送検した」

(転落死)

 千葉副署長は朝木明代の転落死について、初期捜査を終了した平成7年9月2日午前7時ころの時点で、検察官、検死に立ち会った医師、東村山署本部及び刑事課長らを交えて討議し、「現場の状況、亡明代の死亡直前の言動、死体の状況、関係者の供述」()などを総合して検討した結果、明代は現場ビルから転落したものであり、事件性は薄いという判断を下した。(①ビルの裏側に倒れている明代を発見したモスバーガー店長が何度か「大丈夫ですか」と聞くと明代はそのつど「大丈夫です」と答え、被害を訴えなかったこと、②同店長が「落ちたのですか」と聞くと、「違う」と答えたこと、③同店の店員が「救急車を呼びましょうか」と聞くと、「いいです」と拒否したこと――など)

 その上で千葉副署長は、署長の許可を得て広報案文を作成し、同日午前7時ころ、東村山署を訪れた新聞記者や週刊誌の記者らに対し、「本部鑑識課員等の応援を得て、事件、事故の両面から捜査中である。今後は、不明の靴やカギの発見、目撃者の発見等事実解明のため所要の捜査を行う」と広報した。また記者らがさらに詳細な説明を求めたため、千葉副署長は続けて「発覚日時、発生場所、発覚端緒、死亡者、事案経過、発見者からの聴取事項」のほか、「現場の状況、関係者からの聴取及び検死の結果等から事件性は薄いと認められる」と広報した。

継続捜査で判明した事実

 さらに、その後、東村山署が引き続き捜査を遂げた結果、以下のような事実が判明した(東京地裁の認定)。

事件発生前後に現場付近で争うような声や物音等を聞いた者がいないこと

倒れている明代が発見された場所の真上に当たるマンションの5階から6階に至る階段の手すりには外側からつかまった形の指の跡が3カ所ついているのが発見されているが、同所付近には争ったような特異な痕跡がなかったこと(筆者注=直後に現場マンションを見たある市民によれば、その手すりの外側にも線状の指の跡のようなものが下に向かってついていたという)

明代が発見されたマンション裏側の通路には隣地との境界に鉄製のフェンスが設置されているが、手指跡の真下の位置、明代が倒れていた付近のフェンスが上部から押しつぶされた形で折れ曲がっているが、仮に(矢野や朝木直子が主張するように)亡明代が何者かによって突き落とされたとすると、その場合には弧を描いて落下するから、明代のように真下に落ちることは考えられない

第一発見者が転落した明代に「大丈夫ですか」と聞くと「大丈夫です」と答えるなど、被害を訴える言葉がなかったこと、「救急車を呼びましょうか」と聞いたのに対して「いいです」と救急車を断ったこと

検視の結果、明代の遺体には他人と争った際にできる防御創傷がなかった
筆者注=矢野と朝木直子は本件裁判で、明代の上腕内側部には掴まれたような痕があると主張し、明代の司法解剖鑑定書に添付された遺体の写真を提出した。矢野らは上腕内側部の皮下出血の痕こそ明代の転落死に第三者が関与した証拠であると主張したのである。

 しかし矢野らが提出したその写真は、鑑定書の写真としてはあり得ないほど不鮮明なもので、内出血の状態を客観的に物語るようなものではなかった。言い換えれば、矢野らが「他人から掴まれた痕だ」と主張すれば、そうではないと断定もできないというような代物だった。

 のちに本物の鑑定書の写真を確認すると、その写真は鮮明なもので(考えてみれば当然である)、明代の左右の上腕内側部には上腕後方部から続く1本の輪状の内出血の痕がくっきりと残っていた。転落の際、フェンスの上部に激突してできたものと思われた。「明代はマンションの手すりに残された手指の痕の真下に、フェンス側を背にして転落し、フェンスに激突した」という東村山署の推測を裏付けるものといえた。

 ところがその一方、矢野らが主張する「他人から掴まれた痕」と思われるような内出血の痕を発見することはできなかった。その証拠に、司法解剖鑑定書には「第三者の介在が疑われる」などとする所見は存在しない。

 すると、矢野らが提出した鑑定書の写真がきわめて不鮮明だった事実は何を意味するのか。写真が鮮明なら、矢野らは「上腕内側部に内出血の痕」があるとも、それが「他人から掴まれた痕」であるとも主張できなかった。矢野らは意図的に鑑定書の写真を不鮮明に加工して提出した可能性が高かった。事実と異なる結論を導くためにあえて不鮮明に加工したとすれば、これはむしろ証拠の偽造といわれても仕方があるまい。

 そうでなければ、鮮明だった写真をわざわざコピーを繰り返し、不鮮明な状態にして提出する必要は考えられなかった。改竄の可能性もないとはいえない。矢野と朝木直子はそれほど手段を尽くし、自殺を他殺と主張しようとしていたのである。恐るべき執念というべきだろうか。)

明代が着用していた衣服の見分(筆者注=転落状況の裏付け、および第三者の介在を疑わせる状況があったかどうか。)

解剖結果(筆者注=明代の遺体に他殺を疑わせる状況があったかどうか。司法解剖鑑定書には、第三者の介在が疑われるとする所見は存在しない)

関係者の供述及び亡明代が転落現場付近を歩いているところを目撃した者の供述等(筆者注=転落1時間前には現場付近を1人で歩いているのが目撃されている)

 これらの捜査結果から総合的に判断し、東村山署は平成7年12月22日、記者会見を開き、明代の転落死事件について「他人が介在した状況はなく、犯罪性はない」と認定したことを発表した。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第68回
広報と記載の表現に乖離

 次に東京地裁は、東村山署の捜査とそれに基づく結論(明代の万引きの事実を認定し、転落死には「犯罪性はない」と結論付けたこと)を広報した際の千葉副署長の発言と『聖教新聞』記事の因果関係について検討している。発言と記事との間に因果関係が認められないと判断されれば、その時点で千葉副署長に対する請求は棄却あるいは却下されることになろう。

『聖教新聞』記事は千葉の発言として、万引き事件については〈(朝木明代は)同僚の男性議員(矢野)とアリバイ工作をした疑いも濃く〉と記載し、転落死については〈飛び降り自殺した可能性が極めて高い〉と記載している。それに対して、千葉副署長の発言内容がどのようなものだったかについての東京地裁の認定は以下のとおりだった(いずれも趣旨)。

〈(千葉は、万引き事件に関して)単に「捜査の結果アリバイは信用できない」との発言をしたのみであった〉

〈(千葉は)本件死亡事件に関して、「現場の状況、関係者からの聴取及び検視の結果等から事件性は薄いと認められる」との発言をしたにすぎないことが認められる。〉

 この認定の限りでは、記事の表現と千葉副署長の広報内容には開きがあるように思える。「アリバイは信用できない」という文言は、あくまで厳密な意味としては、それが企図されたものかどうかについて千葉は断定しておらず、「矢野と明代のたんなる記憶違いだった」という可能性を否定するものではない。したがって「アリバイは信用できない」という文言は、ただちに「アリバイ工作」を意味するものではない。また「事件性は薄い」という表現は「事故」の可能性を完全に排除するものではない。千葉の広報はいずれも意味を限定せず、解釈の幅を持たせたものだった。

「アリバイ工作」の表現を容認

 したがって、本件裁判において千葉は、『聖教新聞』の記事は広報内容とは文言も異なるから、広報内容は記事との因果関係がないとして却下を主張することもできた。ところが証言台に立った千葉は、「アリバイ工作」とする表現について、〈「アリバイは信用できない」と発言すれば、取材記者によっては「アリバイ工作をした」と受け取られてもやむを得ない〉と述べ、「事件性は薄い」とする表現についても、〈「事件性がない」とは要するに「明代が飛び降り自殺をした可能性が高い」と判断していた〉と述べた。

 アリバイ主張の文言について、「取材記者によっては『アリバイ工作をした』と受け止められる可能性がある」ではなく、あえて「取材記者によっては『アリバイ工作をした』と受け止められてもやむを得ない」といい、転落死について「事件性は薄い」と広報したことについても、千葉は証言台ではあえて「自殺をした可能性が高い」と広報内容を超えた表現をしている。

 千葉のこの供述は、自分が行った広報内容と記事との因果関係を否定するのではなく、暗に『聖教新聞』が記載した表現を追認し、支援するものにほかならなかった。千葉もまた、創価学会が矢野と朝木による「疑惑」宣伝の被害者であると認識していた。東京地裁は千葉の上記の供述に対し、「東村山署の見解として、『アリバイ工作をした』あるいは『飛び降り自殺をした』と書かれることは十分に予見しており、それをも容認していた」ものと認定した。

〈「アリバイは信用できない」と発言すれば、取材記者によっては「アリバイ工作をした」と受け取られてもやむを得ない〉と述べ、〈「事件性がない」とは要するに「明代が飛び降り自殺をした可能性が高い」と判断していた〉と千葉が法廷で供述したことは、自ら現場で指揮した捜査の結果について積極的に責任を果たそうとしていたとみることもできよう。

 積極的に取材に応じ、コメントもしていたにもかかわらず、創価学会から提訴されると、「取材も受けておらず、コメントもしていない」とすべての責任を『週刊現代』に押しつけた朝木直子とは天地の差があるというべきだろう。「万引きは冤罪」で「転落死は他殺」という主張に根拠があるのなら、記事に対する千葉と朝木の対応は逆でなければならないのではあるまいか。

因果関係に対する判断 

 また東京地裁は、千葉がすでに『聖教新聞』に情報を提供した記者の取材に応じて「明代がアリバイ工作をした疑いが濃く、また自殺した可能性が高い旨」を語っていたことを認定している。仮に千葉が上記の発言をしたことを隠そうとしたとすれば、その際に口止めしたかもしれない。しかし千葉は口止めをしなかった。この千葉の対応について東京地裁は、「その提供した情報がその他の者にも広がって記事として掲載される可能性がある」と認識していたと認定している。

 さらに『聖教新聞』記者が千葉に取材を申し入れた際には、千葉は「すでにさまざまなマスコミに出ている記者発表の内容を使ってほしい」旨要請している。したがって東京地裁は、「『聖教新聞』が記載した内容が掲載されることを千葉は予見していたものというべきである」と認定、『聖教記事』と千葉の広報との間には相当因果関係があると結論付けた。 東京地裁のこの結論は、記事の責任は『聖教新聞』のみにあるのではないというものである。捜査の結果に対して自らも責任を果たそうと考えていた千葉にとって、これはむしろ望むところだった。

(つづく)
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『聖教新聞』事件 第69回(最終回)
傷つけられた信頼

『聖教新聞』記事と千葉の広報の間に因果関係を認めた東京地裁の判断は、千葉の責任すなわち捜査結果を前提とする千葉の広報そのものの是非が問われるということでもある。千葉には自らの職務行為について公の場で黒白をつけたいという思いもあった。自分が行った広報内容と記事との因果関係を否定しなかったのは、千葉の自信と捜査に関わった捜査員らに対する信頼と誇りの現れでもある。

 かつて千葉の自信とプライドは、政治家とその圧力を受けた警察組織によってズタズタに踏みにじられた。明代の転落死事件は、「事件性は薄い」とする千葉が公表した見解に変化のないまま、9月下旬の時点であとは書類を送致するだけという状況になっていた。ところが書類送致のゴーサインは出なかった。

 その理由は、平成7年11月初旬に発売された『週刊朝日』の中にあった。当時の自民党組織広報本部長だった亀井静香が〈「東村山市議転落死事件は調べ直せ」〉というタイトルで登場し、こう述べていたのである。

〈東京東村山で創価学会に批判的だった女性市議が転落死しました。私は、どこの誰がやったなどというつもりはありません。でも、警察庁長官や警視総監には「これをたんに自殺事件として片づける度胸はあるのか」といいました。……警察も継続して捜査しているはずです。〉

 亀井は警察庁や警視庁を威圧し、国会では自民党代議士が「捜査がいまだ不十分であるにもかかわらず、自殺と決めつけている」と千葉を名指しで非難した。ところが、当時の警察庁刑事局長は、不当な政治権力の介入を阻止すべき立場であるにもかかわらず、捜査の現場を守るどころか国会議員にへつらい、「今後、自殺・他殺の両面を視野に入れ、早期に捜査を遂げるよう努めているところ」(趣旨)などと答弁したのだった。警察行政のトップが政治権力の前にひざまずいたのである。

 刑事局長の答弁は現場の信頼を裏切り、捜査結果を曲げるものというだけにとどまらなかった。「自殺」の判断に待ったをかけるということは、結果として万引き被害者の申し立てに疑念を差し挟むものにほかならない。千葉にとって国会議員の質問と刑事局長の答弁は受け入れがたいものだったことは想像に難くない。

 捜査当局に政治家が圧力を加えようとしていることを、すでに早い段階で矢野は知っており、国会質問がなされるやいなや、それを「他殺疑惑」の宣伝に利用した。国民の代表である国会議員が捜査に疑義を呈するとは、矢野にとってこれほどの宣伝材料はなかろう。少なくとも現実に、国会質問と警察庁刑事局長の答弁はみごと矢野に利用されたのである。

 亀井や国会議員の主張や警察庁刑事局長の答弁内容に正当な理由があったのかどうか。千葉に対する東京地裁の判断はそれに対する最初の公的かつ客観的な判断ということになろう。千葉が自らの広報内容と記事の因果関係を否定しなかったのはもちろん、国会議員や警察上層部の対応を質すことが目的だったのではない。しかし結果として『聖教新聞』裁判は、東村山署の捜査を非難した者たちの主張の是非が問われる場ともなったといえる。

千葉に対する判断

 千葉の広報について東京地裁はどう判断したのか。東京地裁は次のように述べた。

〈千葉副署長は、東村山署の広報担当官として、本件窃盗被疑事件については検察官送致をなした段階で、また本件死亡事件については初動捜査を終え、警察内部で討議を終了した段階で、……予め署長の許可を得て用意した広報案文に基づいて、本件各事件の捜査進行状況につき客観的事実経過を広報したものであって、本件各事件につき実施された捜査の内容、広報時点で把握できていた状況証拠等の客観的状況からみても、……千葉副署長に故意又は過失を認めることはできない。〉(筆者注=なお控訴審判決も、上記部分について一部文言の変更はあるが、趣旨としては一審と変わりがない)

 こう述べて東京地裁は、千葉に対する矢野らの請求を棄却した。東京地裁が、千葉が行った広報の違法性を否定しているだけでなく、〈本件各事件につき実施された捜査の内容、広報時点で把握できていた状況証拠等の客観的状況からみても〉という文言から、その内容についても違法性を否定していることがわかる(東京地裁は具体的な捜査内容についてはすでに事実認定しており、上記の「本件各事件につき実施された捜査の内容、広報時点で把握できていた状況証拠等の客観的状況」とはそのことを示している)。

 本件裁判で矢野が提訴したのが『聖教新聞』だけで、千葉を提訴していなければ、東京地裁が東村山署の捜査内容の正当性にまで言及することはなかった。矢野は千葉を提訴したことで、捜査内容とその結論(明代の万引きは事実で、転落死は「自殺」だった)が正当なものであることを改めて確認しただけだったということになる。矢野は控訴したが、控訴審の判断も一審と大きく変わるものではなかった。

「明代の転落死は自殺」とする結論が否定されなかったということは、当然、明代の万引き事件で矢野が主張したアリバイも虚偽であることが認定されたに等しい。矢野は少なくとも、アリバイ工作と被害者に対する隠蔽を目的とした威迫行為の共犯だったのである。

過ちを認めた白川勝彦

 千葉が明代の万引き事件について広報したのは平成7年7月12日、自殺について広報したのは平成7年9月2日である。その広報内容は、平成7年12月22日に東村山署が記者会見を開いて行った正式な発表においても変わらなかった。この事実もまた、千葉が行った広報の内容(すなわち捜査内容)が少なくとも不当なものではないことを示していた。

 その1カ月前に亀井静香や他の自民党国会議員が行った千葉に対する非難がいかに事実に反するものだったかがわかろう。亀井はもともと警察官僚であり、捜査情報は警察上層部から入手できる立場にあった。亀井は東村山署の捜査状況を把握した上で、警察庁長官と警視総監に対して「これを自殺として片づける度胸があるのか」と迫ったのだろう。朝木事件を新進党(=公明党)攻撃に利用するためだった。しかし、千葉に向けられた政治家たちの非難がいかに不当なものだったかがこの判決によってあらためて裏付けられたといえる。

 判決から数年後、千葉は東京地裁の1階ロビーで、元自治大臣で国家公安委員長だった白川勝彦に遭遇した。明代の転落死をめぐり、亀井静香の下で千葉に対して「捜査員の宗派を名乗れ」などの圧力をかけた人物である。

 千葉はすぐに白川に近づき、「『東村山事件』当時の東村山警察署の副署長、千葉でございます」と名乗った。すると白川は当時のことをすぐに思い出し、驚いたような表情をみせた。千葉は間髪を入れずこう聞いた。

「先生は今でもあの事件を『他殺』だと考えていらっしゃいますか?」

 すると、かつてあれほど「(創価学会による)謀殺」を主張していた白川は、一言だけ、こう答えたのである。

「捜査は客観的証拠に基づかなければなりません」

 と。もう白川の口から「謀殺」の文言は出なかった。「謀殺」なる主張には「客観的証拠」など存在しないことを白川が認めたということにほかならなかった。

(了)
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