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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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りんごっこ保育園問題とは何か(第2部)  第17回

児童育成部会長の懸念

 ここで、副会長の須藤が質疑の流れを無視するかたちで割り込んだ。須藤は戦後の混乱期から半世紀近く保育現場に携わってきた大ベテランで、これだけは聞いておきたいと思っていたのだろう。



須藤  たとえば、100坪であれば、せめて60名ぐらいの定員にして、ゆとりある建物にする相談をしたんですが。

高野  そうですね、最初のときに、私は、この計画が出されましたね、そのときにいろいろありましたんですが、やはり、そのときも銀行の方が一緒だったんですが、それで、そんなこともありまして、あのー……。

須藤  返済のこともありますね。

高野  まあ、そういうこともあります。ですので、ええと、私はちょっとうっかりしてたんですが、その場に、その銀行の方が、「あのときに市の方、市の方から『じゃあ81人でいきましょう』というふうにいわれましたので、よく覚えてますよ」といわれたので、「ああ、そういわれればそうだったね」というふうな感じで、あのー、記憶してるんですね。その間に、ありましたんですが、それがどなたかというのは、私はよく覚えてはいないんですが。



 須藤の質問は流れを無視したものではあったが、高野にとっては不意をつかれたのだろうか。認可保育園を経営する上で、定員を何人にするかは最も基本的かつ重要な事項である。定員によって補助金額も決まり、職員配置(最低人数)も決まる。その最重要事項をどう決めたのかを明確に説明できない設置者などあり得まい。かといって、「定員は借金返済計画に基づいて決定した」とはいえない。その結果がこのしどろもどろの答弁になったということだろう。

 しかし、高野の答弁はきわめてあいまいではあるものの、定員は銀行立ち会いのもとに決められたこと、基準いっぱいに園児を詰め込む計画が返済のためであることを認めたものと理解できよう。とすれば、りんごっこ保育園の基準ぎりぎりに設定された定員は借金返済を目的に詰め込まれたということになる。

 このやり取りを黙って聞いていた新保は、りんごっこ保育園について最後にこう結論付けた。



新保  全部通して聞いててね、基本的にね、保育のアドバイザーがいません。だから、僕はとても心配です。法律などのアドバイザーがいたとしても、保育のアドバイザーがいないとね、だからどういう方が面接に立ち会われたのかなと思って聞いたわけです。



 この児童育成部会から1年後の平成16年6月10日、高野のいう「アドバイザー」が矢野であることを証明する事実が公表された。東村山市議会に設置された「りんごっこ保育園設置者の資質と特定議員の関与に関する調査特別委員会」において、平成15年2月、職員採用面接を直接行ったのが設置者の高野ではなく矢野だったとする応募者の証言があったことが明らかにされたのである。その応募者に矢野の写真を見せたところ彼女は、面接をしたのは「この男の人に間違いない」と証言した。その後、退職者から取材したところでは、「矢野さんが理事長だと思っていた」「高野さんと矢野さんが一緒に住んでいることは誰も知らなかった」という証言もある。

 矢野と高野の関係、何かあれば矢野が交渉の前面に出てきたというそれまでの経緯からしても、矢野が面接だけでなく採用を決定していたと考えるのが自然だろう。保育士の資質は保育の質を決定づける重要な要素である。子供と直接接する保育士の採用にあたって、保育経験のまったくない者が決定的な役割を果たしたとすれば、これもまた保育園設置者としての高野の見識と資質が問われることになろう。

 しかも、実質的な人事権を持つとみられる矢野は、一般市民が普通に想像するような常識や良識が通用する市議会議員ではない。矢野は自分と対立する他人の意見はいっさい受け入れず、その相手に対して裁判を起こすことも辞さない人物である。りんごっこ保育園が認可されることになれば、この保育園に子供を預けるということは、間接的に矢野と関係を持つことを意味するのである。

 りんごっこ保育園が抱える多くの問題は、違法か違法でないか(違法の隠蔽も含む)のみを物事を決定する唯一の規範とし、保育そのものには関心のない人物が関わっていることに起因しよう。社会はそのほとんどが法律以前の道義や誠実さ、信頼関係によって支えられ成り立っている。そのことをむしろ否定する人物が深く関与する保育園が、市長の名において市民の保育を委託する認可保育園としてふさわしいものなのかどうか。

 またそのことが子供たちの未来にどんな影響を与えるのか。行政が1人の特異な議員の有形無形の脅しに屈し、道義的判断を放棄するとすれば、行政もまた矢野の企みに加担することになろう。新保庄三の締めくくりの発言はりんごっこ保育園の認可を否定するものにほかならない。

「どうすれば違法にならないか」という机上の計算のみによってはじき出された国最低基準の見本のような認可保育園を東村山市は認可するのかどうか。多くの保育園関係者が長年にわたって培ってきた保育の理念と良心が守られるのか、それとも根底から破壊されてしまうのか。東村山はまさにその瀬戸際に立っていた。


(第18回へつづく)
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テーマ:社会 - ジャンル:政治・経済

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