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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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右翼を煽動した矢野穂積の虚偽説明(第4回)
ナメられた右翼

 平成20年11月30日、私に対して11月16日の矢野の発言を「聞いてみる」といった右翼が、はたしてその言葉どおり聞き直したのかどうかわからない。もしまだなら、これからでも遅くないのでぜひ聞き直してもらいたいと思うが、矢野は右翼らに「万引き被害者に抗議しろ」とけしかける前に、明代の万引き事件に関して明らかに虚偽とわかる説明をしている。明代の万引きが捏造されたものであるとする主張を正当化させるためである。右翼らがこれまでの裁判記録を持っていないこと、あるいは持っていても精査などするはずがないとナメていたのだろうか。

 矢野の説明とは、万引き事件当日の明代の服装に関するものである。平成12年2月7日、「聖教新聞」裁判で矢野は初めて「万引き事件当日の明代の服装」と称する写真を提出し、被害者に対する尋問を行ったが、矢野はその尋問で「万引き事件が冤罪事件だったことが明らかになった」と主張しているのである。右翼が開催したシンポジウムにおける矢野の説明を聞こう。



矢野  2000年の2月の7日に証人尋問がありまして、○○(実名)洋品店主がですね、証言をすることになります。で、こちらはですね、実はその、問題の警察が銀行から押収して静止画像にした問題の写真というのはですね、朝木議員の服装の写真ですね、これは私どもは2回ほど見てるんです現物を。

 で、「東村山の闇」をご覧になった方はおわかりだと思いますが、実は信田検事、さきほど乙骨さんのお話から出ましたね、で、この人から1度、朝木(直子)議員が見たんですね。それからそのあと、後任の検事も私どもに一応あの、いろいろと事実関係を押さえるということで、確認させる意味で見せたんだと思いますが、私どもは見ました。したがって、その写真のことは2回も見てますから、朝木議員が当日着ていた服装の特徴というのはしっかりと頭の中に入ってるわけですね、記憶に。

 で、どういうことがわかったかというと、かいつまんでいうと、ベージュ色のパンツスーツ。襟がない、これは男の場合、こうやって折り返しの襟がありますが、襟のないスーツで、ベージュ色で、縦にストライプというかピンストライプが入ってます。こう縦縞のデザインになってるわけですね。

 で、それから裾が、上着の裾に紐が入っていて絞れるようになってる洋服で、しかもブラウスは襟がフラットで普通のタイプのブラウスで、ショルダーバッグをかけていたということなんですが、



不明確な「時期」と「回数」

 矢野と朝木が、平成7年6月9日の万引き事件当日、明代が銀行に立ち寄った際に映った防犯ビデオの静止画像を見せられたのは東京地検八王子支部においてである。矢野は「2回見た」といっているが、これは「2回も見たのだから自分たちの記憶は確かだ」といいたいのだろう。

 この「2回」というのは、この日の矢野の説明によれば、まず最初に朝木が見て、2回目は矢野と朝木が2人で見たように聞こえるが、「聖教新聞」裁判で矢野が平成11年1月11日付で提出した陳述書では、

〈私と朝木直子さんは、地検八王子支部で別件事件の事情を話した際、検察官から、合計2度に渡って、東村山署が「万引き」関係事件で作成した1995年7月22日付捜査報告書にはりつけてある何枚かの写真を見せてくれました。〉

 と述べている。陳述書では矢野と朝木の2人とも2度見たといっているように読める。ところが平成11年11月15日に行われた同裁判の本人尋問では、

矢野  私自身は、直子さんが見た翌年(平成8年)ですので、……。

 と供述し、平成12年2月7日に行われた同裁判の2回目の本人尋問では、

矢野  (見たのは)たしか97年(平成9年)の春だったと思いますが、……。

 と「矢野が見たのは1回」と供述している。同じ裁判に提出した陳述書と供述の間でさえ矢野が見た回数、さらにその時期についても食い違いがあるのはなぜなのか。「2回目」に見せられたのが矢野1人だったのか朝木と一緒だったかについても明確ではない。いつ、誰が、どこで本物の静止画像を見たのか、この基本的な事実関係を矢野がなぜ明確に述べないのか不思議だが、ともかく矢野はシンポジウムで「(2回も見たから)しっかりと頭の中に入ってるわけですね、記憶に」とし、その「記憶」を元に万引き事件当日の明代の服装を割り出し、「ベージュのパンツスーツだったことが判明した」と述べたのである。

 矢野は東京地検八王子支部で本物の静止画像を見たのがいつかをなぜ明確にしないのか。平成7年10月5日、矢野と朝木は東京地検で事情聴取を受けているが、この日は静止画像を見せられなかったのかどうか。その2日後の10月7日、矢野は東村山署でアリバイに関する取り調べを受けているが、矢野の口から明代の服装に関する質問はいっさい出ていない。

現物を捜査機関に提出しない不思議

 矢野によれば、彼らが明代の服装が「ベージュ」であると「確認」したのは平成8年か、平成9年春らしい。なぜここに1年もの開きがあるのか不可解だが、このとき矢野と朝木は被害者が供述した朝木の服装についても聞かされなかったのか。

 矢野が被害者の認識の誤りが明らかになったという被害者に対する尋問が行われたのは平成12年2月7日である。不思議なのは、明代の死後「万引き犯の汚名を晴らす」と言い続けてきた矢野と朝木が、「万引き当日の明代の服装を確認した」といい、それが「冤罪」の証拠であると主張しているにもかかわらず、「明代の服装を確認」してから2~3年もの間、なんら服装に関する主張をしていないことである。

 矢野と朝木はなぜこの日まで写真を出そうとしなかったのだろう。矢野・朝木の主張する「明代の服装」なるものが事実「襟のないベージュのスーツで、上着の裾に紐が入っていて絞れるように」なっているものだというのなら、その現物を東京地検にでも東村山署にでも持ち込んで本物の静止画像と照合・分析してもらえばよかったのではないか。

 地検の側から被害者の供述内容をいわなかったとしても、矢野が明代の万引きが冤罪だと確信しているというなら、被害者の主張する服装の特徴を聞けばいいだけの話である。捜査機関は当然、被害者が供述した明代の服装の特徴も調書に記録しているから、矢野が主張する明代のスーツの現物と静止画像の同一性が証明され、さらに被害者の供述と食い違っていることが証明されれば、明代の「万引き犯」の汚名はただちに晴らされ、裁判も一気に有利になった可能性がきわめて高いのである。

 それまで数多くの行政訴訟も起こし、全共闘に加わっていた学生時代から権力と闘うことには慣れているはずの矢野が、なぜそんな簡単なことをしようとしなかったのだろう。


(その5へつづく)



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テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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