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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「創価問題新聞事件」最高裁判決 第6回
「事実摘示」か「論評」か

 記事の表現をめぐる名誉毀損の裁判では、記事内容が事実を摘示するものか論評であるかによって立証責任の度合いが異なる。記事が「事実摘示」と判断される場合には、被告は摘示した事実が客観的に真実であること、あるいはそれを客観的真実であると信じたことについて相当の理由があったことを立証しなければならない。

 一方、記事が「論評」と判断される場合には、論評の前提となる事実が客観的に真実であることの立証までは求められず、被告は論評の前提について相当と認められる理由(それなりの理由)があったことを立証すればいい。つまり、名誉毀損とされた記事が「論評」と判断される場合には、論評の前提が客観的真実に基づいたものであるかどうかは、名誉毀損の有無の判断とは関係がないとされているのである。

 では、「創価問題新聞」裁判と「東村山の闇」裁判において、東京高裁は名誉毀損の有無を判断するにあたり、その前提としてそれぞれの記事をどう位置づけ、どんな立証が必要であると判示しているのか。それぞれの判決文から該当個所をみよう。



「創価問題新聞」裁判

〈本件記事1は、東村山署副署長として捜査に当たった被控訴人(千葉)が、殺人事件(他殺)である本件転落死を自殺扱いしたとの事実、及び明代が万引きをしていない(えん罪)にもかかわらず、明代を被疑者として本件窃盗被疑事件を捜査した事実を摘示し、これらの事実を前提として(捜査の具体的な内容については事実の摘示を全くしていない。)、被控訴人のした捜査が全くデタラメであったという控訴人らの意見ないし論評を表明しているものと認めるのが相当である。〉

〈本件における……真実性及び相当性の証明の対象となる事実は、本件転落死が殺人事件であること、及び明代が万引きをしていないこと(本件窃盗被疑事件がえん罪であること)である。〉

「東村山の闇」裁判

〈本件は、……本件窃盗被疑事件について明代を犯人と即断して捜査を尽くさないまま書類送検し、本件転落死についても、「万引きを苦にした自殺」というシナリオを描き、早々に自殺説を打ち出して外部に広報し、他殺の証拠を無視するなどして捜査をねじ曲げたもので、適正、公正を欠くと、被控訴人(千葉)の職務(捜査や広報)のあり方を批判するものであるから、全体として意見ないし論評の表明に当たると捉えるのが相当である。〉

〈したがって、行為者(この場合は矢野と朝木)において上記意見ないし論評の前提としている事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されることになるから、まず、控訴人ら(矢野、朝木)において、上記の意見ないし論評の前提としている事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があったか否かを検討することとする。〉



 こうに並べてみると、2つの裁判において裁判所が記事の性質をどう捉え、何が真実性・相当性の証明の対象であると判示しているか明らかだろう。「創価問題新聞」裁判では「本件転落死が殺人事件であること、及び明代が万引きをしていないこと(本件窃盗被疑事件がえん罪であること)」であり、「東村山の闇」裁判では「控訴人ら(矢野、朝木)において、上記の意見ないし論評の前提としている事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があったか否か」である。

 つまり、「創価問題新聞」裁判では客観的な真実性・相当性の証明が要求されているのに対し、「東村山の闇」裁判では客観的な真実性・相当性の証明を要求せず、論評の前提としている事実の重要な部分について「控訴人らにおいて」のみ真実と信じた相当の理由があればよいとした。その結果、東京高裁は矢野と朝木が明代の転落死について「他殺」と信じたこと、万引きについても「えん罪」であると信じたことについて「相当の理由がないとはいえない」と結論付け、千葉の請求を棄却したのである。

 したがって、「創価問題新聞」裁判と違い、「東村山の闇」裁判では一方的に矢野らの主張について検討したのみで、東村山署の捜査結果など客観的証拠に照らしてその真実性が検討されたわけではない。矢野と朝木がそう信じたことにはそれなりの理由がなかったとはいえない、と判断したにすぎないのである。違法性判断の前提として「東村山の闇」の記載を論評と認定したことが千葉の請求棄却という判決につながったということだった。「事実摘示」か「論評」かが、2つの判決の分岐点となったのである。

否定されていない「創価問題新聞」判決

 こうみてくると、「創価問題新聞」裁判と「東村山の闇」裁判の2つの裁判に連続性があるかのように主張し、7月14日の「東村山の闇」判決によって「創価問題新聞」判決が否定されたとする矢野と朝木の主張がいかに判決内容を無視したものであるかがおわかりいただけるのではあるまいか。

 矢野と朝木の立証と東村山署の捜査に基づく千葉の立証のどちらに真実性があるかを比較検討した上で、

〈明代が万引きをしていない(本件窃盗被疑事件がえん罪である)と認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない〉

〈本件転落死が殺人事件であると認めることは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない〉

 と結論づけた東京高裁判決は、なんら否定されてはいないのである。明代の「万引き」と「転落死」の客観的真実を評価するにあたり、2つの判決のどちらが重要であるかはいうまでもあるまい。

(つづく)
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テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

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