ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

「創価問題新聞事件」最高裁判決 第10回
「東村山の闇」判決も「鑑定書」を無視

「行動する保守」の指導的立場にある右翼Aは、続いて7月14日の「東村山の闇」裁判最高裁決定について言及した。これもまた、なかなかめったに聞けない口からでまかせである。



〈そのあとの11日後にですね、確定した判決ではですね、それをふまえて、それをふまえて、補足されたことがあります。それは、本人がビルから叩き落ちた直後に、本人は自分で落ちていない、そのように証言した。それからですね、遺書がなかった。もう1つはですね、靴も発見されなかった。つまり、法医学者の鑑定を十分ふまえた上で、そのとき算定(?)してきてるわけです。この算定(?)をしてきた、あ、悲鳴が、悲鳴が聞こえなかったということも指摘しております。

 すなわち、そのあとで確定した判決というのはですね、明らかに朝木さんが何者かによってこのビルからですね、突き落とされて死亡したということを確定したわけであります。〉



「行動する保守」Aは「それをふまえて」と2度も繰り返しているが、「それ」とは現場も遺体もみないまま司法解剖鑑定書を「鑑定」した山形大学名誉教授の鑑定のことである。「創価問題新聞」裁判で東京高裁が採用しなかった「鑑定書」を本当に「東村山の闇」裁判では採用したと「行動する保守」はいっているらしい。

 では、「東村山の闇」裁判の東京高裁判決のどこに、鈴木「鑑定書」を「ふまえた」記載があるのか。判決文は「事案の概要」「当事者の主張」「当裁判所の判断」という構成から成っているが、鈴木「鑑定書」の文言が出てくるのは37ページにおよぶ判決文の中でわずか1箇所、それも「控訴人(矢野と朝木)の主張」の箇所に出てくるだけである。「控訴人の主張」はたんに矢野と朝木の主張を紹介しているだけで、その正否にかかわらず、当事者が主張すればその主張が記載されるという性質のものにすぎない。

 したがって、判決においてその主張が採用されているかどうかは「当裁判所の判断」の中にどう反映されているかを確認する必要があるということになる。しかし、「東村山の闇」判決が鈴木「鑑定書」を「ふまえた」というのなら、それらしい記載があってもよさそうなものだが、判断の部分で鈴木「鑑定書」に触れたのは〈他人と揉み合いになったような場合、上腕内側部に痕跡が残ることが多いといわれている〉という千葉自身も認めている一般論を述べた箇所のみで、その裏付けとして書証番号として記載されているにすぎない。つまり鈴木「鑑定書」の主張する「他人からつかまれた痕」とする主張が採用されたわけではないのである。「行動する保守」Aの街宣内容がいかに支持者を騙すものであるかがわかろう。「行動する保守」の指導的立場にあるAは、支持者はどんな主張でも自分のいうことなら無条件に信じると考えているのだろうか。とすれば、「行動する保守」Aは支援者をナメているということにほかならない。

大胆な「再審請求」

 さて、こうした判決に対する誤解、曲解に基づいて「行動する保守」Aは大胆ではあるもののきわめて現実味に乏しい主張を展開する。



〈ここで私が申し上げたいのはですね、同じ最高裁の判決、たった10日間の間、同じように審理されたこの中で、このように違った裁判、確定結果がですね、出たと、そういうことを驚きを禁じ得ません。本来であればですねえ、このように最高裁が、民事事件とはいえですよ、これは少なくとも、当時東村山市の市議会議員であった朝木明代さんが何者かによって殺された、しかも多くのマスメディアがですね、当時創価学会が殺したんじゃないかと報じていたわけであります。非常に重大な事件だ。

 それをですよ、これを2つを認めるような中途半端な確定を出すんではなくて、このことについて最高裁判所は徹底的にですね、審理を、審理をやり直せと、そういう結論を下すのが本来のわれわれが負託する最高裁判所のあり方ではないのかと。〉



「行動する保守」Aは「たった10日間の間に異なる判決が出たことに驚きを禁じ得ない」というが、2つの裁判に連続性がないことはこれまで述べてきたとおりで、勝敗が逆になることもあり得ないことではない。

 しかしそれよりも「行動する保守」Aのこの発言の中で注目されるのは、最高裁に対する再審請求とも受け取れる内容を主張していることである。「行動する保守」Aのこの日の街宣内容からすれば当然、「創価問題新聞」判決は間違っている(「審理をやり直せ」)と主張しているのだから、「創価問題新聞」事件の最高裁判決に対する「再審請求」ということになろう。文書による申し立てではなく、最高裁前において拡声器を用いて大声を上げることによる再審請求が認められるとは思えないが、街宣を主たる意思表示の手段とする「行動する保守」にとってはそれほど違和感のあるものではないらしい。

 それはともかく、再審請求にあたっては理由が必要になる。それまでの「行動する保守」Aの主張から推測すれば、その再審請求の理由は「『創価問題新聞』事件の最高裁決定は11日後に出された『東村山の闇』事件の最高裁決定に違背する」ということなのだろう。民事訴訟法338条が規定する再審請求事由のうち、近そうなものといえば〈再審の訴えで不服申立をしようとしている判決が、それより前に確定した判決と食い違っていること〉という項目だろうか。

 しかしこれまで述べたとおり、「創価問題新聞」裁判では真実性・相当性に踏み込んだ判断をしているのに対して「東村山の闇」裁判では矢野と朝木の側からのみその主張の根拠に相当性があるかないかのみを検討したにすぎず、背景事実は同一でも裁判そのもの質はまったく異なる。その上に、「創価問題新聞」の判決は「東村山の闇」裁判の後ではなく前なのであり、再審理由として認められている項目には該当しない。

 仮に「行動する保守」Aが2つの裁判の連続性を主張するとすれば、今度は「東村山の闇」判決の方が先の判決である「創価問題新聞」裁判の最高裁判決に違背することとなり、逆に「東村山の闇」裁判の最高裁決定の違法性(最高裁判例違背)を問わなければならなくなる。つまり、どう転んでも再審請求は不可能というほかなく、明代の「万引き冤罪説」と「他殺説」を否定した「創価問題新聞」判決の確定は動かしようもないのである。

「行動する保守」は再審請求が認められ可能性がゼロであることを知っているがゆえに、意味のない最高裁前街宣を挙行したのだろうか。あるいは他の街宣活動と同様に、最高裁に対して拡声器を向けることがなにか現実的効果を生むとでも考えたのだろうか。いずれにしてもこの「行動する保守」と称する者たちは常識的な理解を超えた思考と行動規範の持ち主のようである。

浅慮を感じさせるクロージング

 これまでみてきたように、「行動する保守」一行の最高裁前での街宣行動はもとより、指導的立場にあるAの街宣の内容は裁判制度に対する理解の浅さと我田引水という以上の判決の曲解あるいは捏造に基づくものである。「行動する保守」Aは最後に1枚の紙切れを取り出して読み始めた。しかしその内容もまた、判決文への無理解に基づくもののように思えてならない。しかし、そんなことは毛頭考えていないらしい「行動する保守」Aのクロージングを聞こう。



〈最後にですね、……読ませてもらいます。

 東村山署の副署長であった千葉英司が、万引き事件に関して事実を歪曲し、真実を隠蔽し、書類送検をしないで、あ、隠蔽し、捜査をしっかりしないままに書類送検をした。そして、転落死を自殺であるとして、それを広報した。これは非常に問題である。そして、千葉英司がこの朝木さん、矢野さんが主張した犯人グループの一員ではないかと、そこまで書いた「東村山の闇」というものに対してですね、千葉英司は自分の名誉が毀損されてるということで訴えてたわけですけれども、その訴えは退けられたんです。これは明確にはっきりとさせておかなければならない問題であります。

 千葉英司がいい加減な捜査をし、真実を隠蔽して、捜査をしないで、事実を歪曲したと。これが最高裁で確定したということをはっきりと述べさせていただいて、この映像をユーチューブなどで広めていただきたいと思います。同じように千葉英司に訴えられている西村さんの裁判でも有効な判決でありますので、あえて最後に付け加えさせていただきます。〉



 一言で評価すれば、それなりの齢と人生経験を重ねた人物にしては、はなはだ思慮が足りないというべきだろう。「千葉英司がこの朝木さん、矢野さんが主張した犯人グループの一員ではないかと、そこまで書いた『東村山の闇』というものに対してですね、千葉英司は自分の名誉が毀損されてるということで訴えてたわけですけれども、その訴えは退けられたんです。これは明確にはっきりとさせておかなければならない問題であります。」という部分については、それほど力まなくても判決にあるとおりである。しかしそれ以外の千葉に関する発言は少々慎重さに欠けたのではあるまいか。

「千葉英司がいい加減な捜査をし、真実を隠蔽して、捜査をしないで、事実を歪曲したと。これが最高裁で確定した」などという事実はないし、その他の千葉に関する発言も事実に反する。あるいは「行動する保守」Aは、「東村山の闇」裁判で千葉の請求が棄却されたことで意を強くしたのだろうか。

 しかし、「東村山の闇」とAの街宣とでは表現もその時期も異なるから判断基準も自ずと違ったものになろう。「行動する保守」Aは「『創価問題新聞』判決を読んでいなかった」とはいえないだろうということである。

(つづく)
関連記事

テーマ:裁判 - ジャンル:政治・経済

TOP