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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平事件第6回口頭弁論(その1)
 平成21年11月11日、東京地裁立川支部には西村を支援する「行動する保守」の一行が集まっていた。指導者で、「行動する保守」一行を矢野のデマに引きずり込んだ最大の責任者Aとその弟子、東村山での街宣で創価学会から提訴されているMなど総勢約20名。なぜか行政書士の姿はないものの、最近とみに傍聴者が減ってしまった関連裁判では最も多い。裁判によって尋問の占める比重は異なろうが、「行動する保守」の一行はこの尋問が重要な局面であると認識していた様子がうかがえた。

 この日の尋問のポイントは「西村が問題の街宣をするにあたり、朝木事件についてどの程度独自調査をしていたか」(相当の根拠があったかどうか)にあると私は考えていた。西村が主張する「万引き冤罪」と「他殺」の真実性については平成21年7月3日に確定した最高裁判決ほか多くの裁判で否定されていることもあり、裁判所に真実性の主張を認めさせることは難しいのではないか。ただ西村が、「行動する保守」Aが「会って聞いた」とする、事実なら新しい重要な証拠となり得る「内部告発」の詳細を明らかにすれば、局面が大きく変わる可能性もあり得なくもないかもしれない、と。

 では西村の本人尋問から見ていこう(以下、供述内容はいずれも私の傍聴メモによるもので、完璧なものではない。また尋問のうち、その時点で特に重要と考えなかったものについてはメモしていない。供述の「趣旨」の場合もある)。

西村主尋問(1)



①『東村山の闇』の入手時期

西村代理人  『東村山の闇』を入手した時期はいつか。

西村  一昨年(平成19年)8月、朝木直子さんからもらった。

代理人  朝木明代さんの転落死事件について知ったのはいつか。

西村  事件についてはメディアの情報で以前から知っていた。

代理人  『東村山の闇』を入手したあと、関係の記事を調べたか。

西村  週刊新潮、週刊文春などの週刊誌、国会議事録、乙骨正生の本、山崎正友の本などを読んだ。



 供述によれば、西村が『東村山の闇』を入手したのは平成19年8月であるという。西村は事前に提出した陳述書には「平成18年8月」と記載しているが、どちらが本当なのか。あるいはたんにいい間違えただけなのか。いずれにしても、西村が東村山駅前で問題となった街宣を行ったのは平成20年9月1日だから、西村は街宣よりも少なくとも1年以上前に『東村山の闇』を朝木から入手したと供述したということである。

 西村はその後『東村山の闇』以外の資料にあたったという。すなわちここで西村が主張したいのは、「街宣は十分な調査の上で行ったもの」であり、「万引き事件は捏造」で「明代は殺された」とする街宣の内容には相当の根拠があったということであると理解できよう。



②転落死を「他殺」と考えた理由

西村代理人  朝木明代さんとはどういう人か。

西村  清廉潔白な方で、万引きを苦に自殺をするような人とはまったく思われなかった。

代理人  転落死当日の朝木さんの行動については調べたか。

西村  丹念に調べた。

代理人  朝木さんの転落死が「自殺」ではないと考えた理由は?

西村  朝木さんは東京都への請願に忙殺されていて、朝木さんを万引き犯として被害届を出した洋品店主を告訴し、「最後まで闘います」と記した残暑見舞まで出している。そのような人が自殺をするとは考えられない。

代理人  転落死当夜、朝木さんは裸足で現場ビルまで行ったと警察は主張しているが、この点についてどう考えたか。

西村  臭跡が確認できず、また裸足で歩いていたとの目撃証言もなく、警察は朝木さんが裸足だったとは確認できていない。



 西村は明代の転落死について「自宅から車で拉致されて落とされた」と主張している。明代の転落死当日の行動について「丹念に調べた」という以上は、拉致犯がどのような経路で明代をビルまで運んだのかについても当然「調べた」ということなのだろう。明代の転落現場ビルの入口は東村山駅前ロータリーに面しており、人目につきやすい場所である。深夜、人気のない山中の崖から落としたというのとはわけが違う。犯人は誰にも目撃されていない。犯人は、どのような経路をたどって駅前ビルの5階まで運んだのか。この事件を「拉致した」と結論付けるには経路の解明とその裏付けが必要となろう。

 すると「丹念に調べた」という西村は、拉致経路まで解明したということなのだろうか。しかし代理人はまだ、拉致経路については聞かなかった。また警察は明代が裸足だった根拠として、ストッキングの足裏が汚れ、破れていたことを挙げているが、西村はそのことを知らなかったのかどうか、その点についてはいっさい触れなかった。尋問に戻ろう。



代理人  事件当日の段階で靴も持っていたはずの鍵も発見されなかった点については。

西村  鍵をかけて出たのに捜査では鍵が発見されなかった。翌日に鍵が見つかったということは、犯人が置いたとしか考えられない。しかも、警察が朝木直子さんに連絡したのは発見から10日後で、警察は「鍵がみつかりました」とその鍵が朝木さんのものであると断定して知らせている。これは犯人が警察に連絡したか、警察内部に情報を知っていた者がいたかのどちらかしか考えられない。

代理人  ほかに朝木さんが殺されたと考えた理由はあるか。

西村  転落死の前、夜9時13分に事務所の矢野さんに朝木さんは電話をかけている。その声紋鑑定の結果、「生命の危機に直面した状態」だったことがわかっている。私はこの結果から、他殺に近いと確信した。
 さらに、司法解剖鑑定書には上腕内側部に皮下出血の痕があったことが判明している。これは第三者から危害を受けなければできない傷だと思った。山形大学名誉教授も同様の意見を述べており、私はこの鑑定結果から朝木さんの転落死は他殺であると確信した。



 声紋鑑定も司法解剖鑑定書の記載についても、いずれもすでにこれまでの裁判で矢野が提出し、「他殺」の証拠とは認められていない。西村が街宣を行うまでにこれらの判決文を閲覧することはできたのだから、判決内容を知らなかったという言い訳は通らない。

鍵をめぐる「新事実」

 この西村の供述の中で注目されるのは、鍵の発見に関わる部分である。警察が「断定して知らせた」かどうかまでは確認できないが、鍵が発見される経過からすれば、警察の捜査終了後に何者かが置いていったものであることは明らかである。

 鍵はおしぼりを入れていたカゴの中にあった。普通、落とすような場所ではなく、誰かが意図的に置かなければ入ることはあり得ない。捜査する側からすれば、それが明代のものではないかと考えたとしてもなんら不自然ではない。明代の転落死を自殺とみていた東村山署は捜査後に発見された鍵について、何者かが捜査の攪乱を狙って置いたものとみていた。だから東村山署は、発見者、納入業者に対する事情聴取などより慎重かつ入念な捜査を行った。

「犯人が警察に連絡したか、警察内部に情報を知っていた者がいたかのどちらかしか考えられない」とする西村の供述は、あるいは「行動する保守」Aのいう「内部告発」となんらかの関係があるのかもしれないが、この日の供述の範囲ではその根拠に合理性があると評価することは難しい。ただ「行動する保守」Aによれば、私が尋問中気にも留めなかった供述が西村の口からなされたらしい。西村は鍵の置かれていた状況について「おしぼりにくるまれていた」と供述したというのである。

 これまでの多くの裁判で「鍵はおしぼりにくるまれていた」という証言や供述がなされたことは1度もない。その意味では確かに「鍵はおしぼりにくるまれていた」というのは「新事実」であり、それもきわめて重要な「新事実」である。それが事実かどうかは別にして、西村がそれまで公表されていない「新事実」を供述したということは、どこかから情報を得たということになろう。

 では、西村はその「新事実」の情報を誰から入手したのか。鍵が置かれていた状況を知るのは、鍵の発見状況についてもきわめて詳細な捜査を行っている東村山署と鍵を置いていった人物、鍵を発見した店員しかいない。警察の捜査も店員の目撃情報に基づいて行われているのだから、実質的に警察と鍵を置いていった人物だけといってよかろう。

 西村の情報源としては、私には矢野、朝木と(存在するとすれば)「内部告発者」以外には思い当たらないが、西村はそのどちらから情報を得たのだろうか。いずれにしても、鍵に関する西村の供述は「行動する保守」Aのいうとおりきわめて興味深いものであるといえる。

 情報の中身によっては朝木明代事件の真相究明に結びつく可能性も秘めている。真相究明のためにも、右翼の西村はその情報源が誰なのか、明らかにすべきである。

(つづく)
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