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著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平事件第6回口頭弁論(その3)
西村反対尋問(2)



②朝木の転落現場までの経路

千葉  朝木は自宅から転落現場まで連れて行かれた(拉致された)と主張しているが、誰がそういっているのか。

西村  週刊誌や「東村山の闇」に書いてある。

千葉  (現場周辺の地図を示す)経路はいろいろあるが、拉致経路はどこか。何の資料によって特定したのか。

西村  いうことはない。

千葉  拉致コースはわからないのか。

西村  警察犬もわからなかったものをわかるはずがない。

千葉  コースはわからないが運ばれたということか。

西村  そのとおりだ。

千葉  転落現場は見たか。

西村  現場は見ていない。

千葉  現場には鉄製のフェンスがあるが、知っているか。

西村  知らない。

千葉  朝木はどこからビルに入ったのか。

西村  わからない。

千葉  転落現場の真上の手すりに手の跡があったのを知っているか。

西村  知らない。

千葉  地検の発表では、朝木が打ち沈んだ様子で歩いているのを見かけたという目撃談が紹介されているが、そのことは知っているか。

西村  地検の発表は間違っている。



 明代がどこから現場ビルまで行ったかは、事件の真相を究明する上できわめて重要な要素である(事件の「真相」とは、自他殺のみではなく、転落死の背景に何があったのかまでを含む)。明代が転落したビルに行った直前にいた場所については2つの可能性しか考えられない。自宅と草の根事務所である。

 当初矢野は、「事務所にはいつも持っているバッグが残されており、財布も入ったままだった」とし、明代が「事務所から誘い出され、自宅に軟禁された上で事務所に電話をかけさせられた」などと主張していた。電話とは明代が自宅から9時19分にかけてきた「気分が悪いので休んでいきます」という電話である。矢野はこの電話を「脅された状態でかけさせられた」と説明しているが、明代が事務所から拉致されたとすれば、犯人が何のために明代の自宅に立ち寄り、事務所に電話をかけさせたのか、その必然性はない。

 一方、当夜10時30分前に自宅に着いた朝木直子は、「家の中はいつもと変わらない状態だった」と法廷で供述している。複数の犯人が大人を自宅まで拉致して軟禁したとすれば、家の中はなんらかの変化があってもおかしくない。つまり朝木の供述は、明代が事務所に電話をかけたとき、軟禁状態にはなかったことを意味している。

 明代は矢野への電話で「休んでいきます」と伝えている。つまり明代は、電話のあと事務所に行くつもりだったことがわかる。電話をかけたのは9時19分。明代がビルから転落したのは10時ごろである。明代の自宅から事務所までは徒歩で5分。事務所から転落したビルまでは歩いて2分もかかるまい。

 当夜7時40分から9時過ぎにかけて、自宅方向へあるいは事務所の方向へ1人で歩いている明代の姿が複数目撃されている。特に9時過ぎの目撃情報は東村山駅周辺のもので、明代は自宅方向に向かって歩いていた。明代が自宅から矢野に電話するわずか十数分前のことである。

 西村はそのわずか十数分の間に拉致されたというのだろうか。それはどこで、どうやって実行されたのか。拉致されたと主張するのなら、それまでの明代の行動、歩いた経路などについて事実を積み上げ、つぶさに検証した結果でなければならない。自ら検証することもなく、詳細については平然と「知らない」と繰り返す西村の感性とはどういうものなのか。あるいはそれが「行動する保守」の通常の感覚なのだろうか。

残されていたバッグ

 9時19分から10時までの間に、明代が事務所に行き、事務所から転落したビルまで行く時間は十分にある。事務所には明代の財布が入ったバッグが残されていた。その中に鍵も入っていた可能性はないのだろうか。乙骨正生の『怪死』には転落死当夜の出来事を時系列にまとめたくだりがあるが、そこには次のようなきわめて興味深い記述がある。矢野が事務所に戻り、朝木がいなかったとする当時の状況に関する記載である。

9時10分ごろ、矢野氏が「草の根」事務所に戻る。事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっぱなし、外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くため普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。

 矢野は当初、明代は事務所から拉致されたと主張していた。しかし平成11年に行われた『聖教新聞』裁判の尋問で追及されると、「それはイメージだ」と弁明している。根拠があるものではないという趣旨である。それ以降、矢野が「事務所からの拉致説」を強調することはなくなった気がする。なぜなのか。

 9時19分に「気分が悪いので休んでいきます」という明代からの電話を受けた矢野は、明代の身を案じるでもなくただ「電話中」と冷たく扱った。矢野が事務所に帰ったときに「異変」を感じたのなら、明代から電話がかかったときに何をおいてもまず安否を問うはずである。つまりこの矢野の対応は、9時10分ごろの事務所の様子に異変があったかのような説明とは齟齬がある。そのことに気づいた矢野は、「事務所からの拉致説」をあまり強調しなくなったのではないかと私は考えている。

 その後矢野は、10時30分に朝木から「母は家にもいない」という電話を受けたことで異変を感じたことになっている。そうでなければ、矢野に助けを求めた明代からの電話に「電話中」の一言で切った事実を説明できない。

 乙骨が矢野と朝木に『怪死』の取材をした当時はまだ「事務所からの拉致説」を宣伝していた時期だった。だから、事務所の「異変」を強調するために事務所の状況をこと細かに説明していた。ところが、矛盾を取り繕うために宣伝しなくなった記載の中には矢野の行動の不可解さが残されていた。それが事務所に残されていた明代のバッグに関する記載である。

 矢野が明代のバッグの中身まで確認した時刻が9時だったのか10時前だったのかについては客観的な証拠はなく、矢野のいう時間帯については信用できない。しかし、乙骨の具体的な記載からは、転落死当夜に矢野が明代のバッグの中身を見たことだけは事実として残っている。バッグが残されていたというだけならまだいいが、何の異変も感じていないはずの時間帯に、矢野はなぜ明代のバッグの中を見、財布の中身まで見たのだろうか。

(つづく)
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