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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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西村修平事件第7回口頭弁論(その1)
 平成22年1月18日、私が西村修平を提訴した裁判の第2回口頭弁論がさいたま地裁川越支部で開かれた。この日、西村は訴状に対する反論を記載した準備書面を提出することになっていたが、開廷前に書記官に確認すると、西村から書面はまだ何も提出されていないという。西村は被告席に着いてなにやら書類をめくっていた。

 弁論が始まり、裁判官が西村に準備書面を提出していない理由を尋ねると、西村は代理人をつけたばかりで書面が間に合わなかったという。それでも裁判官は「それにしてもねー、2カ月ですよ。代理人がいなくても、あなたが何か出せるでしょ」と引かない。すると西村は、さきほどからながめていた書類を示して「関連資料ならあります」と答え、1通の書面を裁判官に差し出した。

 裁判官はその書面をめくるとこう感想を述べた。

「東村山事件のことはいろいろ判決もあって知ってますが、本件とは直接関係ないと思いますよ」

 西村は代理人を通じて反論したいとし、弁論の継続を主張した。しかし裁判官は判決言い渡し期日(3月8日午前11時)を先に決め、「弁論再開を申し立てる方法もありますので、代理人に聞いてください。継続するかどうかは裁判所が判断しますが」と述べた。

 閉廷後、書記官から西村が資料として提出した書面のコピーを渡された。その書面は千葉元副署長が西村を提訴していた裁判(1月27日に口頭弁論)に提出する準備書面7だった。1月18日の時点で、その準備書面はまだ千葉のもとには届いていなかった。当事者でもない私が、当事者よりも先に書面をもらったことになる。

 ところで、代理人に委任した場合、当事者は裁判所に対して訴訟委任状を提出しなければならず、委任状を提出しなければ代理人に委任したことにはならない。この日、西村は弁護士に委任したので書面の準備が間に合わなかったと弁解したが、1カ月後の2月19日午前の時点ではまだ委任状は提出されていないし、弁論再開の申立も提出されていない。したがって裁判所も、現状は西村の本人訴訟という認識のようである。弁護士に委任したのなら委任状の提出に時間はかかるまい。西村は書面を提出しない言い訳のために裁判官に嘘をついたのだろうか。

鍵は犯人が隠したと主張

 さて、千葉が西村を提訴していた裁判の第7回口頭弁論で西村は準備書面7を提出、千葉はそれに対する反論(準備書面)を提出したが、その中でまた新たな事実が明らかになっている。

 前回行われた尋問の前、千葉は明代の鍵が発見されたのがおしぼりケースの中であることを明らかにした。すると、これに対して矢野は、それがあたかも明代の転落死に第三者が介在し、鍵もその第三者=「犯人」グループが隠したもので、千葉はこの第三者が介在していたことの「証拠」である鍵発見の状況を意図的に隠していたかのように主張したものである。

 矢野と朝木は、当初矢野が主張していた事務所から誘い出されて拉致されたという説を否定し、自宅から拉致されたと主張するようになった。朝木は裁判所に提出した陳述書で次のように述べている(「創価新報」事件)。



 私たち(朝木と矢野)が、母が自殺したのではなく、殺害されたのだと考えている根拠についても述べておきたいと思います。

(1) まず、先にも述べましたが、母の遺留品からは履いていたはずの靴が発見されていない点です。この事実は、母が現場まで自ら歩いて行ったのではなく、母が事務所に電話をかけたときにいた何者かに連れ去られたことを物語っています。

(2) また、事件当日の夜、矢野市議が草の根事務所に戻った際には鍵が掛けられており、当時、矢野市議以外に鍵を持っていたのは、母のみであり、その鍵を掛けたのは母以外にありえません。ところが、瀕死の状態で発見された母は鍵を所持しておりませんでした。



 ここで朝木が述べているストーリーは、「明代は軟禁状態で矢野に電話をかけさせられ、そのまま転落現場まで拉致された」「事務所を出たときには鍵を持っていたが、発見されたときには鍵を持っていなかった」というものである。これに矢野の、「鍵は第三者=『犯人』グループが隠した」というストーリーを組み合わせると当然、犯人が鍵を奪ったということになる。

 西村は準備書面でこの矢野と朝木のストーリーに沿って次のように主張している。



 朝木明代市議が自殺したものならば、平成7年9月1日午後10時半過ぎに長女の朝木直子が朝木市議の自宅に着いたときには自宅に施錠してあったから朝木市議は自宅に鍵を掛けた後に落下ビルまで移動した筈であり、ビルから落下していた朝木市議は、自宅の鍵束を所持していたはずであるが、朝木市議は鍵束を所持していなかった。

――略――

 朝木市議を当夜自宅から拉致して、上記ビルまで運び、何階かは分からないが、同ビル階段から朝木市議を突き落とした殺人犯人以外に朝木市議の自宅に施錠した者は考えられない。



 だから、現場ビル2階で発見された鍵は「犯人」が捨てたものだと、西村は主張しているのである。

説明されない侵入方法

 矢野も朝木も明代は自宅から拉致されたと主張し、朝木は明代が矢野に最後の電話をかけた際にはすでに「犯人」グループが自宅にいたと主張しているものの、では「犯人」がどうやって朝木の自宅に侵入したのかについては不思議なことに一言も言及しない。同様に西村の代理人もまた、「犯人は明代を拉致した際に施錠した」とはいうものの、「犯人」がどうやって朝木宅に侵入したかについてはなんら説明していない。

「朝木宅の施錠」については朝木が所持していた鍵を使用したということで、矢野・朝木の主張も西村代理人の主張も一応の説明がつく。しかし、「犯人」が朝木宅に侵入できなければ朝木を監禁もできないし拉致もできない。

 平成7年9月1日午後10時30分前に自宅に帰った朝木は、そのとき自宅には特に変わった様子はなかったと供述している。「朝木宅に侵入した犯人」が玄関や窓の鍵をこじ開ければ朝木もすぐに気づこう。では、自宅に帰った明代は施錠していなかったのだろうか。いずれにしても、「自宅からの拉致説」を成立させるには「犯人」がいったいどのようにして朝木宅に侵入したかを明らかにしなければなるまい。ところがこれまでに、矢野も朝木も「犯人」の侵入方法を具体的に述べたことはない。

(つづく)
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