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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平事件第7回口頭弁論(その5)
明代の「アリバイ」

 乙骨正生の『怪死』には時系列で明代の行動が記載されている。当然、矢野の説明に基づくものと考えられる。『怪死』によれば、明代の動きは以下のとおりだった。

11:30  東村山市議会事務局に陳情書を提出。
12:30  「草の根」事務所で矢野と合流、都庁へ。
13:30  都庁で小坂渉孝(「草の根」支持者で、万引き被害者への威迫行為に加担した人物)と合流し、東京都議会事務局に陳情書を提出。引き続き、都庁記者クラブで資料を配布。
13:55  知事室秘書事務担当課長と面談。その後、小坂と別れ、表参道の都立青山病院へ。
15:00  弁護士と打ち合わせ。約2時間。
17:00  病院を出る。
17:30  新宿到着(矢野の説明)。サブナードで夕食。
18:20  急行に乗り東村山へ。

 乙骨の記載内容は矢野の説明となんら矛盾しない。これによれば、明代は12:30に矢野と合流したあと夕方まで自宅には帰っていないことになる。

 では、14:50以降15:19までの6回の発信記録との整合性はどうだろうか。矢野と朝木の説明が事実とすれば、もちろんこの間ずっと「外出していた」明代にはアリバイがあることになり、明代が自宅から電話をかけることはできない。

 しかし千葉の準備書面によれば、「矢野氏が主張する『朝木市議が弁護士と面会した』とされる時間帯に朝木市議は自宅にいた形跡」があるという。あえて「弁護士と面会した」時間に限定しなくても、矢野の説明では明代は昼過ぎから午後7時まで矢野と同一行動をとったことになっているから、14:50以降15:19までの間に自宅から電話をかけることは不可能である。

 すると千葉がいう「矢野氏が主張する『朝木市議が弁護士と面会した』とされる時間帯に朝木市議は自宅にいた形跡」とはどういうことなのだろう。矢野と朝木の説明のかぎりでは、発信記録に残された14:50以降15:19までの6回の発信記録は明代によるものではない。つまり矢野と朝木によれば、この6回の発信記録はいずれも明代以外の自宅にいた者、すなわち弟によるものということになる。

 しかし逆に、この時間帯に弟が外出していたとすればこの前提は崩れ、電話することができたのは明代しかいない。千葉のいう「矢野氏が主張する『朝木市議が弁護士と面会した』とされる時間帯に朝木市議は自宅にいた形跡」とはそういうことなのだろうか。

弟の説明

 では、その日の弟の動きはどうだったのか。朝木は陳述書(「創価新報」事件)と『東村山の闇』に次のように記載している。



「9月1日は金曜日で、弟が車で自宅の東村山市内から、勤めを終えた父と私を迎えに来ることになっておりました。――略――
9月1日の夜、弟の車で松戸市を出発したのは午後8時半ころでした。」(以上、陳述書)

「私の仕事が終わったのが6時。7時に仕事を終える父を迎えにいくまでの間、私と弟はコンビニなどで買物をした。」(『東村山の闇』)



 朝木によれば、車で東村山から松戸までの所要時間は約2時間である。これらの記載からは、弟は遅くとも6時には松戸に到着したようだから、午後4時前後には自宅を出たものとみられる。するとやはり、14:50~15:19の間に弟が自宅から電話することは十分に可能である。

 朝木宅の発信記録を見ると14:50(1分20秒)と15:19(6分23秒)の2度、松戸に発信されている。発信先は朝木とみられるが、通話時間からみていずれもなんらかの会話があったようである。車で松戸に朝木と父親を迎えに行った弟が東村山を出る前に朝木に電話したとしてもなんら不思議はない。

 しかし、出発直近の15:19の記録は待ち合わせの場所や時間等を打ち合わせるために弟がかけたものかもしれないが、約30分の間に弟が2度も電話したのだろうか。弟は平成7年9月25日、東村山署の事情聴取に応じており、9月1日の行動についても説明しているという。

 千葉によれば、弟の説明の中に、9月1日の明代の行動を推測させる興味深い供述があった。

「その日、私が自宅から電話をかけたのは、松戸に出発する前の1度だけでした」

 事情聴取で弟はこう供述しているというのである。「松戸に出発する前の1度だけ」とは、15:19の電話は弟がかけたものだが、それ以外はすべて明代がかけたものであるということを意味する。

 弟の記憶が正しければ、14:50から15:03までの発信者は明代ということになる。午前中に朝木に電話していた明代は、14:50にも娘に電話していたのだろうか。14:55~14:57の同一番号への発信先はポケベルとみられる。相手が誰かはわからないものの、直後の15:03には東村山市内(95-****)に電話をかけている。当時の「草の根」事務所の電話番号は95-4535である。この発信先が「草の根」事務所だったとすれば、この43秒という通話時間は何を意味するだろうか。

 いずれにしても、弟の説明と発信記録からは、明代が午後3時から始まった弁護士との打ち合わせに同席することは不可能である。あるいは明代は、打ち合わせの途中から参加したのだろうか。仮にそうなら、最初からそう説明すればいいだけのことである。しかし、矢野と朝木がそのような説明をした事実はない。

 矢野と朝木は、明代は転落死当日も東京都に陳情書を提出するなどむしろ精力的な活動を続けており、9月4日に予定されていた東京地検の事情聴取についても何の不安も持っていなかったと説明している。しかし弟の供述内容が事実なら、矢野と朝木の説明とは異なり、自宅で頻繁に電話をかけている明代の光景が浮かんでくる。

(つづく)
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