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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平事件第7回口頭弁論(その6)
 弟の供述と朝木宅の発信記録からは明代が複数回朝木に電話をかけていることが推測できる。しかし、朝木の陳述書にも『東村山の闇』にもなぜか、明代から電話がかかってきたとする記載はどこにもない。

 明代から電話がかかったとすれば、それはどんな内容だったのか。その内容は「真相」を究明する上で重要だと思うが、『東村山の闇』にも陳述書にもそれをうかがわせる記載がないということは、やはり明代からの電話はかかっていないということなのだろうか。その答を導くカギは、朝木が感じたという「胸騒ぎ」にあるような気がする。

出発直後から始まっていた「胸騒ぎ」

 朝木は陳述書(「創価新報」事件)で、自宅に午前中に電話した際、明代は「孫たちには、何かお土産をみつけて買ってきてあげたいよね」などと話していたと供述し、『東村山の闇』では「母は明日のシンポジウムのレジュメをつくらなければならないので、夜は事務所で仕事をしなければならないと言い、3人で食事をしてくるほうが助かると笑っていた。」と記載している。つまり朝木によれば、午前中に交わしたとする会話の内容は、母親の身に取り立てて何か異変や危険が迫っていることを感じさせるようなものではなかったようである。

 ところが『聖教新聞』事件における朝木の供述によれば、帰宅途中に所沢でファミリーレストランに立ち寄った際、母親が自宅にも事務所にもいないことを知った朝木はレストランに弟と大統を残したまま1人で自宅へ急いだという。そのときの心境について朝木は「いま思えば、虫の知らせだったのかなという気もいたします」と供述している。しかし、朝木が『東村山の闇』で述べる母親の身に対する不安は「虫の知らせ」などという曖昧な感覚ではなく、もっと現実的で切迫したもののように感じられる。



(買物をして)それから父を迎えに行って車に乗った。さてどこで食事をしようかということになったとき、なにか薄ら寒い胸騒ぎが下の方からワジワ(ママ)と湧き上がり、打ち消しても打ち消してもからだ全体に広がっていった。
「家の近くまでいきましょうよ」
所沢あたりで食事をしようと決め、私は車を出した。胸騒ぎは収まらない。
「早く帰りたい。早くしなきゃ」
 なにかがそう叫んでいる。――略――
 ノロノロと走っている車がいるとイライラした。――略――
 この胸騒ぎはなんだろう。――略――
(レストランに着いて)すぐに自宅に電話したが出ない。もう事務所に向かったのかと思い、再度事務所に電話したがまだ来ていないという。
 胸の鼓動が耳まで響くようだった。胸がつまってくるような感じがして、足元がゾッと寒くなった。



 朝木の「胸騒ぎ」は、明代が自宅にも事務所にもいないことがわかったあとではなく、松戸を出発するときからすでに始まっていたのである。何かがなければ「胸騒ぎ」を覚えることはあるまい。とすれば、この「胸騒ぎ」は何か具体的な理由に基づくものだったのではないだろうか。朝木の「胸騒ぎ」とは具体的にどういうもので、その原因は何だったのだろう。

 朝木が午前中に明代に電話した目的は「翌2日の出発に備えて自宅に泊まることにしていたので、母の予定を聞いておきたかった。」(『東村山の闇』)からだという。ただ、朝木の陳述書と『東村山の闇』の記載には若干の齟齬がある。陳述書(前回参照)では「9月1日の午前、勤務先から、私は、東村山の実家に電話をかけ」と述べているが、『東村山の闇』では「私は松戸のアパートから母に電話した。」となっている点がややひっかかる。

 朝木が母親に電話したのは「アパート」からだったのか「勤務先」からだったのか。たんなる記憶違いにすぎないのかもしれないが、法廷での証言なら電話をかけたこと自体の信憑性を疑われることになりかねない。朝木が明代と交わした会話は、発信記録にある明代からの電話だけで、朝木からかけたものではなかったのではないかと疑われてもやむを得ないということである。その場合には当然、朝木が述べる明代が話したとする内容そのものも疑われることになろう。

「胸騒ぎ」の原因

 いずれにしても、松戸を出発した直後に始まったという「胸騒ぎ」について朝木が繰り返し述べていることを考えると、朝木が「胸騒ぎ」を覚えたことは疑いのない事実である。とすれば、午前中に明代と話をした時点で朝木がすでに「胸騒ぎ」を覚えていたのなら、その時点の話として触れなければおかしい。たとえば、「午前中に母と話したとき、私は何か突き上げるような胸騒ぎを覚えた」と。

 しかし、朝木の陳述書や『東村山の闇』のどこを探しても、朝の電話の時点で朝木が「胸騒ぎ」を覚えていたこと、あるいは「胸騒ぎ」までいかなくても、その兆候をうかがわせる記載はいっさいない。つまり、朝木が記載する午前中から松戸を出発するまでの経過をたどると、朝の電話の時点で朝木はまだ、「一刻も早く帰らなければ」と思うような「胸騒ぎ」は感じていなかったと理解できるのではないだろうか。

 その朝木が、松戸を出発する時点になると「なにか薄ら寒い胸騒ぎ」に襲われたという。この劇的な変化は何を意味するのか。朝木自身の記載に沿って考えれば、朝木の「胸騒ぎ」の原因は、午前に朝木が自宅に電話して以降、松戸を出発するまでの間に生じたと考えるほかない。

 朝木宅からは午前中に3度(通話は1度)、午後には14:50(1分20秒)と15:19(6分23秒)の2度、松戸に発信した記録がある。発信記録および弟の供述内容、そして朝木自身の「胸騒ぎ」についての記述の経過を総合すれば、この5回の発信のうち、いずれかの会話が朝木の「胸騒ぎ」を引き起こしたと考えるのが最も自然である。その内容とは転落死の原因(あるいは動機)と密接に関わるものだった、ということではなかったのか。

(つづく)
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